バンクーバーの高級住宅地


 
2011年3月13日 (日曜日)
 
 
バンクーバーの高級住宅地
 
 
麻布散歩

 

Subj:小百合さん、おはよう!

夕べは小百合さんが送ってくれた

田舎作り「茶そば」を

茹でて食べましたよ。

きゃはははは。。。

From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: Sun, Feb 20, 2011 12:48 pm.
Pacific Standard Time
日本時間:2月21日(月曜日)午前5時48分

 

小百合さん、おはよう!
今日はまるで春を思わせるポカポカした日差しを感じながら歩いてバンクーバー図書館までやって来ましたよ。
実にさわやかな、すがすがしい朝でした。
夕べは小百合さんが送ってくれた田舎作り「茶そば」を茹でて食べました。

自然の恵みたっぷりと育ったそばを大切に作った茶そばです。素朴な味をご賞味ください。
…と袋の裏に書いてあったよ。

【茶そばのおいしい茹で方】

一袋(150グラム)に対して約2リットルの湯を沸騰させ、その中へよくさばきながら落とし込みます。
軽く箸でかき混ぜ沸騰したまま約5分間で茹で上がります。
茹で上がった茶そばをザルに移し冷水をかけてよく冷やしてから調理してください。
茶そばは茹で上がり直後が一番美味です。

だってぇ~。。。
そう言う訳で書いてある通りに茹で上げました。
良質の茶の香りがなんとも言えずに香(こお)ばしく漂ってきましたよ。

そばを冷やしてから“そばつゆ”を作り始めました。
パウエル・ストリートにある日本食料品店へ行けば「そばつゆの素」を売っているけれど、それでは面白くないので自分流の“そばつゆ”を作りましたよ。
きゃはははは。。。

僕のマンションから歩いて5分のところにあるジョーのスーパーマーケットでトマトベースの缶入りpizza sauceを買ってきたのですよ。
213mL(ミリリットル)で99セント。日本円で83円。
例によってカナダでは3本の指に入るトロントにある大手の食品販売会社(Loblaws Inc.)が製造して販売しているものです。
3分の1をフライパンにあけ
これに小百合さんが小包みの中に入れてくれたヤマチュウ食通の味「柚子こしょう」を少々加え、
更に、たまねぎを千切りにして炒めたものを加え
それに蜂蜜をちょっとばかり加えたのでした。

そう言う訳で、奇妙な「そばつゆ」が出来上がりましたよ。
でも、これが意外にうまかったよ。
とにかく、茶そばの素材が良かったのですよ!

pizza sauceを使っただけに「イタリア風茶そば」になりましたよ!
きゃははははは。。。

でもねぇ、「柚子こしょう」を入れたおかげで日本風味も引き立ったのでした。

軽井沢タリアセン夫人の心のぬくもりを感じながら、じっくりといただきました。
小百合さん、ありがとう!
バレンタインの小包を充分に楽しませてもらっていますよ。

小百合さんも「茶そば」をたべて、それから行田の大長寺の桜でも見に行ってね。
でも、まだ桜が咲くには早すぎるかな?

とにかく、ポカポカした良い日に行田までドライブしてみたら。。。?
「長崎ちゃんぽん」でも食べてルンルン気分になってね。
じゃあね。

P.S.:

小津安二郎のグルメ手帳を読んでいたら「うなぎ 野田岩」(港区東麻布)に出くわしましたよ。
館林で小百合さんと一緒に食べた「うな重」が懐かしく思い出されてきました。
茶そばもいいけれど、たまには「うなぎ」も食べたいなァ。


『茶そばと鰻 (2011年2月26日)』より

デンマンさん。。。麻布散歩なのにどうして「うな重」をまた持ち出してきたのですか?

あのねぇ、「うな重」の話をするわけではないのですよ。 「うなぎ 野田岩」の住所が港区の東麻布なのですよ。

あらっ。。。ホント。

小百合さんも麻布には心惹かれるものがあるのでしょう?

どうして、そう思われるのですか?

あのねぇ、以前、僕は仙台坂のことで記事を書いたことがあるのですよ。

仙台坂ってぇ。。。、麻布にある仙台坂ですか?

そうですよ。 「麻布にあるのにどうして仙台坂って言うのかしら?」 小百合さんがそう言ったので、僕は調べたのですよ。 それで記事を書いたわけです。

私、そのようなことを言ったかしら?

忘れてしまったのですねぇ。。。小百合さんが思い出せるように、その時の記事をここに書き出しますから読んでみてください。

仙台坂

投稿日時: 2008/05/23 03:50 (ロンドン時間)
日本時間: 5月23日午前11時50分
バンクーバー時間: 5月22日午後7時50分


ん~ デンマンさん達の年代は麻布をオタク系の
集まりって思うの?

そんな高いビルに囲まれている町でもなく
大使館が多くて、だから ナショナルのスーパーが
あるのだけども

仙台坂って どうして仙台なんだろうね?
知ってる? イタリア大使館あたりのすごい坂
仙台に住んでた デンマンさん知ってる?

私が舶来グルメだなんて そんな! そんな…?
本当のグルメは飲茶は行きませんよ
ふかひれ や あわび 北京ダックを食べにいくのです。
バーガーキングなんていわず、フォアグラを分厚く
切ったのを ソテーして 食べてるんですよ。

行田のゼリーフライが まずくて
食べられなかったとしても
きっと 時々 買いにいくでしょう。
ただ その時を 忘れないよう、思い出を買いにいくのです。
ゼリーフライが苦くて 口に合わなかったとしても
それは そうゆう物体として 体に入れるでしょう。
食べるとか 味わうとか でなくて。

朝ごはんはおいしいと思わず
ねむいのに無理に食べるというイメージで
学生の時からダメです。
たぶん 小学校の時も やっとでしたよ
ばー(おばあちゃん) が困って、パンにしてくれて
どうにか1枚たべて、絶対味噌汁は飲みません。
熱くて寝起きになんて飲めません。

ばー は食べないと体がもたないよ。ご飯を食べると
ごくねつが出て体が ぽかぽか温まるんだよ。
と 私に朝ご飯を食べさせる その仕事は大変
だったと いま 思いますが、
そのうち 中学 高校と 絶対食べませんでした。

これは イヤな思い出でニュアンスが違いますが
食べるというのは 美味しくて食べるのと
思い出を食べる 体に取り込むのと
薬のように がまんして 朝食を胃に入れる。
いろいろ なんですね。   

小百合より


Fuji & Kato Private Forum 『愛犬』スレッド
“Beaverland e-XOOPS”

 

こんにちは。デンマンですよう。

投稿日時: 2008/05/23 11:49 (ロンドン時間)
日本時間: 5月23日午後7時49分
バンクーバー時間: 5月23日午前3時49分

ん~ デンマンさん達の年代は麻布をオタク系の
集まりって思うの?

そんな高いビルに囲まれている町でもなく
大使館が多くて、だから ナショナルのスーパーが
あるのだけども

僕の年代の人たちではなく、
僕個人の感じ方ですよう。

麻布と言うのは昔から、なんと言うか。。。
“こだわり”のある人が住むような場所だと思っていましたね。
他では得られないようなステイタスを得るために住むような所。。。
そんなイメージを持っていましたよう。

つまり、卑弥子さんではないけれど、“ざ~ます”おばさんたちが住む所というイメージが強かったですよね。
うしししし。。。

仙台坂って どうして仙台なんだろうね?
知ってる? イタリア大使館あたりのすごい坂
仙台に住んでた デンマンさん知ってる?

直感的にすぐに分かりましたよう。
仙台に関係あるとするならば、仙台藩と関係あるに違いない!
歴史馬鹿の僕はすぐにそう思いました。

確認のためにGOOGLEで“麻布 なぜ仙台坂と呼ばれる”と入れたらば、すぐに見つかりましたよう。
坂の南側に仙台藩の下屋敷があったのですよう。

港区南麻布1丁目と元麻布1丁目の境を仙台坂巡査派出所前から東へ下る長い坂。
南側に韓国大使館があり、そのあたりにはかって松平陸奥守(仙台藩主伊達氏)の屋敷があった。
また坂下はもと仙石原とよばれる原があった。

【日本地名大辞典  角川書店】

GOOGLEで検索すれば、まず、ほとんどのことが分かりますよ。
僕にとっては欠かすことのできない検索エンジンです。
検索エンジンがなかったら、僕のような長い記事は書けないと思うのですよ。

江戸藩邸には上屋敷・中屋敷・下屋敷と、大体この3つがあったのですよう。
上屋敷は参勤交代で上京した殿様が住むところです。
中屋敷は殿様の成人した長男が住むところです。
下屋敷は江戸城から少し離れたところにあって、
別邸のような役目を持っていたらしいです。
殿様が遊興や散策のために利用したらしい。
だから、大名庭園などはたいてい下屋敷にあった。

仙台藩の麻布の下屋敷には、多分、仙台藩主の好きな「街の女」なども住まわせていたのでしょうね。
そういう場所だったらしいです。

下屋敷は上屋敷や中屋敷と比べると規模は大きかった。
なぜ?

江戸市中はしばしば大火に見舞われたので、
その際には大名が避難したり、復興までの仮屋敷として使ったそうですよ。
藩により様々な用途に利用されたらしい。
本国から送られる米や各種物資を貯蔵する場として使っていた藩もあったそうです。
菜園などを作っていた藩もあったらしい。

私が舶来グルメだなんて そんな! そんな…?
本当のグルメは飲茶は行きませんよ
ふかひれ や あわび 北京ダックを食べにいくのです。

日本で食べる北京ダックは高いらしいよね?
バンクーバーなら一人分4ドルか5ドルですよう。
3人で食べて15ドルぐらいでしたよう。
ロブソンストリートの“漢(ハン)”が安くてうまかった。

小百合さんがバンクーバーにやって来たら、
一緒に食べに行こうね。
そう言えば、しばらく北京ダックを食べてなかった。

なんだか、急に北京ダックが食べたくなってきましたよう。
うしししし。。。

バーガーキングなんていわず、フォアグラを分厚く
切ったのを ソテーして食べてるんですよ。

うん、うん、うん。。。
ジューンさんが仔牛とフォアグラのローストをリクエストしたけれど、
これって、グルメの食べ物?
うしししし。。。

■ 『仔牛とロマン – ジューンさんの仔牛とフォアグラ・エピソード』

行田のゼリーフライが まずくて食べられなかったとしても きっと 時々 買いにいくでしょう。
ただ その時を忘れないよう、思い出を買いにいくのです。

ゼリーフライが苦くて 口に合わなかったとしても
それは そうゆう物体として体に入れるでしょう。
食べるとか味わう とか でなくて。

“思い出を食べるグルメ”の小百合さんですからね。。。
分かります。。。分かりますよう。。。

“思い出の大仏”を食べましょうね。

朝ごはん はおいしいと思わず
ねむいのに無理に食べるというイメージで
学生の時からダメです。

たぶん 小学校の時も やっとでしたよ
ばー(おばあちゃん) が困って、パンにしてくれて
どうにか 1枚 たべて、 絶対味噌汁は飲みません。
熱くて 寝起きになんて 飲めません。

ばー は食べないと 体がもたないよ。ご飯を食べると
ごくねつ が出て 体が ぽかぽか 温まるんだよ。
と 私に朝ご飯を食べさせる その仕事は大変
だったと いま 思いますが、
そのうち 中学 高校と 絶対食べませんでした。

小百合さんは育てるのが難しい女の子だったのだろうねぇ~
小百合さんからは、おっとりとした優しいイメージを僕は感じることが多いのだけれど、かつて、小百合さん自ら、“気の強いところがある”と意外な事を言ったので、朝食がダメ、と言うのもその表れなのかな?
そう思っていますよう。

僕の知らない気の強い面を持ってるのでしょうね?

“そんなカワイイわけないでしょう!”

小百合さんがそう書いていたけれど、
小百合さん自ら、“気の強いところがある”と意外な事を言うほどだから、自分の意識の中では“気の強い女”としての自負があるのかもね?
可愛い女よりは、むしろ気の強い女だと、小百合さんはそんな風に思っているのかもしれないね。

これは イヤな思い出でニュアンスが違いますが
食べるというのは 美味しくて食べるのと
思い出を 食べる 体に取り込む のと
薬のように がまんして朝食を胃に入れる。
いろいろ なんですね。   

 
うん、うん、うん。。。
小百合さんが味噌汁を飲まないのは意外でした。
やはり、そういうところが気が強いのと関係あるのかな?

ばーは小百合さんの面倒を見るのに苦労した訳なんだ。
うししししし。。。

でも、小百合さんにとっては優しいおばあちゃんだったんだろうね。
僕もおばあちゃん子だったから、ずいぶんとわがままをしましたよう。
でも、味噌汁は好きでしたね。

子供の頃、何を嫌いだったのだろうか?
すぐに思い出せないから。。。あまり嫌いなものはなかったようですよう。

今、嫌いなものですぐに思い出すのは韮(ニラ)ですよう。
下宿でニラを味噌汁の中に毎日入れたのですよう。
1センチか2センチぐらいに短く切ればいいと思うのに、
7センチか8センチに切ってあるのですよねぇ~。

ニラは意外に繊維質なんですよね。
熱を加えても、やわらかくならないのですよう。

僕はニラ自体が嫌いな訳じゃないのですよう。
みじん切りにして餃子などに入れるのなら、むしろ旨いと思って食べられます。
ところが、8センチぐらいに切ったニラを味噌汁の中に入れると、雑草を食べているような違和感があるのですよね。
あの触感(食感)がダメでした。

これは韮となめこの味噌汁です。
旨そうでしょう?
これならば、僕だって口を付ける気になりますよう。

でも、僕が飲まされた韮の味噌汁は、なめこなどは入っていませんでした。
韮が古くなって少し黄色みを帯びているのですよね。
だから、大根の古いのを食べているときのような、あの根っ子を食べている触感が舌にザラザラ感じるのですよう。
実にイヤ~な感じですゥ。

僕のお袋は味噌汁にはニラを入れなかった。
ネギ、大根、ジャガイモ、豆腐、。。。
味噌汁は、そういうものだと思い込んでしまったから、
ニラの入った味噌汁を飲むのは、小百合さんが書いたように
“薬のように がまんして朝食を胃に入れる”感じだったのですよう。

素人下宿で僕だけが下宿人ならば、おばさんにニラは入れないでくれ、と言えるけれど、僕が居た下宿は玄人下宿で多い時には30人ぐらい下宿人が居たのですよう。
だから、ニラを入れないでくれとは言えませんでした。
現在の僕ならば言うけれど、その当時は気の弱い優男(やさおとこ)だったのですよう。
うへへへへ。。。

それで、ニラがすっかりイヤになってしまったのですよう。
もちろん、イヤだとは言っても好き嫌いのない僕だから食べる気になれば食べられます。
でも、あの下宿時代の悪い思い出のために、
ニラを食べる時は、“薬のように がまんして胃に入れ”なければならないようになってしまったのです。

だから、未だに自分でニラを買ってきて料理する気になれないですよね。
嫌いになった食べ物は、このニラだけです。

僕の子供の頃は旨いものって、身の回りにあまりなかったのですよ。
子供の頃はゼリーフライをゼニ(銭)フライと呼んでいたものです。
お祭りの時に屋台を引っ張ってきて、その屋台で老人夫婦がゼニフライを揚げて売っていたのですよう。
一枚5円でしたよう。うへへへへ。。。

旨かったですねぇ~。
その老人夫婦の顔は今でもはっきりと思い出すことができますよう。
まるで昨日のように。。。
あの味も今、口の中によみがえってきたほどです。 yam,yam,yummy…
実は、ゼニフライは、その老人夫婦が作っていたもの以外は食べた事がないのですよう。

必ずお祭りの時と決まっていたので、
僕にとってゼニフライはお祭りの味なんですよう。
メチャ、懐かしいですよう。
かどやのゼリーフライは、おそらく屋台で揚げたゼニフライとは味が違うと思いますよう。

でも、小百合さんが手紙につけた「かどや」のゼリーフライのソース。

前略

かなり急いでやって来たので

なんとなく急(せ)いてます。

まだ、小旅行の途中ですが、

小切手同封します。

アレぇ~~

ちょっと慌てたのでついてしまいました。

上のシミ、何だか分かりますか?

ゼリーフライのソースです。

うふふふふ。。。

食べながら書いているのが

バレてしまいましたね。

代わりの便箋がないので

この便箋で送りますよう。

急ぎます。

駆け足。。。駆け足。。。

どこの郵便局から送ったか?

分かりますか?

分かりますよね?

うふふふふ。。。

早々

小百合より。

2008年5月1日


『メルヘンの夢とロマン』より
(2008年5月10日)

だから、これから「かどや」のゼリーフライを食べる時、僕には間違いなくその思い出の味が加わるはずです。

ニラは下宿時代に嫌いにさせられたけれど、
それに代わって、現在、小百合さんがニラに代わる思い出の味、「かどや」のゼリーフライを僕に与えてくれたようなものですよう。
うしししし。。。

そう言う訳で、小百合さん、ありがとう!
小百合さん、ばんざ~♪~い!

じゃあね。

デンマンでした。


『思い出を食べる(2008年5月30日)』より

3年ほど前の記事ですわね。

月日の経つのは早いものですよう。 ほんの数ヶ月前に書いたような気がします。 でも、3年経つとやっぺり変わるものですね。

何が。。。?

何がってぇ、3年程前には小百合さんは結構長いメールを書いていたのですよう。 最近は、めっきり筆不精になりましたね。

いろいろと子供の問題があったりして、なかなかメールを書く気になれないのですわ。

そういう時にこそ心配事から距離を置いて冷静になって考えるためにメールを書いたり、ブログを読んだりすればいいのですよ。 心配しすぎたからといって問題が解決するわけじゃないんだから。。。

分かってますわ。。。でも、その気持ちの切り替えがなかなかできないのですわ。

だから、そういう時に気晴らしに麻布までドライブして「うなぎ 野田岩」で「うな重」を食べればいいのですよ。

うなぎ 野田岩

天然うなぎにこだわり

店を休んだ江戸前うなぎの名店

小津のグルメ手帳に出てくる店を種類別に分けたとき、一番多いのが「うなぎ屋」だ。 最初に「うなぎ」としてのくくりで17店、途中「うなぎ – つづき」として15店が追加され、計32店の「うなぎ屋」が登場する。

毎年年末には、小津は年越しそばを食べる代わりに、「太く長くいきるほうがよい」と主張して、ことさら太いうなぎを食べたというエピソードもあるほどだから、小津のうなぎ好きも相当なものだったに違いない。

大串で有名な千住の『尾花』は小津がよく通った名店だが、昔はもちろん今現在も、天然うなぎにこだわり続けている麻布飯倉の『野田岩』も、グルメ手帳に登場する名店だ。

「当時うちが出していたのは、正真正銘の江戸前うなぎ。中でも7月頃、東京湾に南風が吹くと、風に導かれるようにえさを求めて湾奥までやってくるうなぎの旨さは格別でした」

そういって当時を懐かしむのは、『野田岩』5代目、金本兼次郎さん。 当時はどの店も、うなぎはすべて天然という贅沢な時代。 小津の舌もとことん磨きがかかっていた筈だ。

しかし、小津がうなぎを堪能した昭和36年あたりから、冬場の天然うなぎが獲れなくなったという。

「周りは養殖うなぎを当たり前のように扱っていましたが、うちは以後14年間、冬場は店を閉めました」

現在では、天然物の獲得はさらに厳しい状況だが、4月中旬から12月下旬までの期間は、天然うなぎが『野田岩』のメニューに上がる。

その天然うなぎの香りと味を、金本さんは「良質のバターを火の上に落としたような濃い匂いだが、油は淡白で繊細な味わい」と表現する。

天然うなぎは、触るだけで香水のようないい香りが手に移るという。 焼きは「火鉢一生」といわれるほど難しい。


86 – 87ページ 『いま、小津安二郎』
取材・文: 丹野達弥・田中宏幸
2004年3月1日 初版第3刷発行
発行所: 株式会社 小学館

そうですわね。。。しばらく麻布界隈を歩いていませんわ。。。気晴らしに出かけようかしら。 そして、ついでに「うな重」を食べるのもいいかもしれませんわね。

そうですよ。。。僕が埼玉県の実家に居るならば、小百合さんのお供をして一緒に天然うなぎを食べたいところです。

ところで、どうして麻布に高級住宅地ができたのですか?

僕もちょっと気になって調べてみましたよ。

麻布

麻布(あざぶ)は東京都港区を現在形成する5地区の1つで、旧麻布区とほぼ重なる。
東麻布、麻布飯倉、麻布永坂町、麻布十番、南麻布、元麻布、西麻布、六本木がある。

麻布は山の手の台地と谷地で起伏に富んだ土地である。
麻布という字が当てられるようになったのは江戸時代の元禄期からといわれる。

麻布は基本的に住宅地である、特に高台は富裕層が多く住んでいると言われており地価が高い。
低地側の幹線道路沿いには高層マンションが目立つ。

地理的には麻布地域の縁を沿うように古川が流れており、この川によって山と谷、高台と低地が形成され起伏に富んだ坂道の多い地形である。
高台は閑静な住宅地となっているが、低地には古くから職人が移り住んだことで文化が形成されたと言われる(麻布十番や東麻布)など。

近年まで地下鉄でのアクセスが悪かったこともあってか、ちょっとした大人の隠れ家的なイメージがあったが、そうしたイメージを持たれる理由はアクセス面だけではなく地形も関係していると思われる。
暗闇坂や狸穴(まみあな)といった地名は、まさにそうしたイメージを彷彿とさせる。

近年まで麻布地域内の鉄道駅は六本木駅と南麻布の端にある広尾駅があるだけで、隣町に神谷町駅はあるものの鉄道でのアクセスは芳しくなかった。
しかし都電が麻布全域を走っていた頃は地域住民からしてみればさほど不自由さは感じていなかったという声もある、それが廃止されてからはバスで補われていたものの三田や清正公辺りと同じく不便さは否めなかった。
そのため車でのみ訪れることができる、イコール「不便な隠れ家」といったイメージを持たれてしまった。

しかし2000年に、南北線・大江戸線麻布十番駅、大江戸線赤羽橋駅、三田線・南北線白金高輪駅の3駅が相次いで開業し地下鉄で容易に訪れることができるようになった。

なお現在は麻布と六本木は別の町のように思っている人が多いが、元来六本木地区は麻布の一地区であり麻布材木町や麻布龍土町といった町があった。
そのため現在でも麻布と六本木は行政区分などの点で地域的繋がりが強く、例えば六本木地区にある麻布警察署や麻布図書館などはその名残である。

歴史

麻布周辺には貝塚などが見られ縄文時代から人間が住んでいた。弥生時代には農業も行われていた。
712年には竹千代稲荷(現在の十番稲荷)が創建、824年には空海により麻布山善福寺が開基、939年には氷川神社が源経基により勧請される(1659年に現在の位置に移転)。

江戸時代初期までは農村や寺社の門前町であった。
武家屋敷が建ち並ぶようになり、江戸の人口増加・拡大につれ都市化し代官支配から町方支配にうつる。
馬場が1729年に芝から麻布に移転、十番馬場と呼ばれた。馬場移転に伴い馬市が立ち麻布十番は栄える。

1859年にアメリカ公使館が善福寺に置かれる。明治時代には古川が埋め立てられ鉄道馬車が通り工業化が進む。
次第に台地の上は高級住宅街、低地には零細商工業といった分化がすすむ。

大正時代には麻布十番を中心に花街や演芸場、映画館、デパートなどが造られ東京でも有数の盛り場となる。
第二次世界大戦では空襲で大きな被害を受けるが、戦後に復興する。

戦後、地下鉄日比谷線の開通計画に際し銀座に顧客を取られることを恐れ、地下鉄駅の開設反対運動が起こり路線は変更された。
しかしながら結果として六本木に客足が向かうことになり長く商業的な停滞が続いた。
2000年、南北線の開通に伴い麻布十番駅が開設され駅前商店街の奥には六本木ヒルズが完成するなど嘗ての殷賑を取り戻しつつある。
現在の麻布は東京を代表する住宅地の1つとして知られ、芸能人・著名人・財界人など多くの人が住んでいる。

非常に多くの大使館が存在する地域である。

•アルゼンチン
•イラン
•ウクライナ
•オーストリア
•ガーナ
•韓国
•ギリシャ
•スイス
•スロヴァキア
•中華人民共和国
•ドイツ
•ノルウェー
•パキスタン
•フィンランド
•フランス
•マダガスカル
•ラオス
•ルーマニア
•ロシア

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

でも、麻布がどうして高級住宅地になったのか? その理由が書いてありませんわね。

あのねぇ、そういう事って日本に居るとなかなか分からないのですよ。

デンマンさんは海外生活が人生の半分以上を占めるので麻布がなぜ高級住宅地になったのかが分かるのですか?

いや。。。海外生活とは直接関係ないのですよ。 例え、40年以上海外生活していても分からない人には分からないものです。

分かりましたわ。 前置きはそのぐらいで結構ですから細木数子さんのようにズバリ!とおっしゃってくださいな。

あれっ。。。大東亜戦争を肯定する愚かな漫画家のように小百合さんも僕にズバリ!ズバリ!説明しろ!と僕に強要するのですか?

いいえ。。。別に強要するわけではありませんわ。 デンマンさんは余計な事を長々と書くので記事が長くなるのですわ。 なるべく手短に説明してくださいな。

あのねぇ、上の説明の「歴史」を読めば分かるけれど麻布に高級住宅が建つようになったのは明治時代になってからです。

確かに江戸時代に高級住宅が建てられたとは書いてませんわ。 でも、どうして明治になってから建てられたのですか?

あのねぇ、これは僕の仮説だけれど、大英帝国の栄光と文明開化の影響で麻布の高台に高級住宅が建てられるようになったのですよ。

だから、その理由をズバリ!とおっしゃってくださいな。

明治時代になると何でもかんでも西洋に見習えと、明治政府が盛んに日本臣民に言い聞かせたのですよ。

その事と麻布に高級住宅が建つ事と関係あるのですか?

もちろんですよ。 大いに関係があるのですよ。 

でも、日本人は高台に家を建てる習慣はなかったでしょう?

その通りですよ。 「高い所が好きなのは馬鹿と鶏だけだ」と僕の親父はよく言っていたものですよ。 高台に家を建てたら坂を上り下りするのに大変ですよ。 ちょっと買い物に自転車で行くのだって坂を上ることを考えると嫌になってしまいますよ。 疲れるし、しんどいのですよ。 だから高台の家に住むなんて不便です。

そういえば日本の家は川の河口や平野に集まっていますよね。

そうでしょう!? 高台だと井戸を掘るにも大変でしたからね。

それなのにどうして麻布の高台に高級住宅が建てられるようになったのですか?

大英帝国の栄光が影響しているのです。

その大英帝国の栄光って何ですの?

あのねぇ、今ではイギリスはそれほど注目される国ではないけれどヴィクトリア女王が君臨していた時代(1837年6月20日 – 1901年1月22日)は、まさに英国の植民地が全世界に広がっていた。 このカナダも“英領カナダ”だった。 香港、シンガポール、インド、南アフリカ、西インド諸島の国々。。。みなイギリスの植民地だった。

イギリスの植民地と麻布の高級住宅地が関係あるのですか?

ありますよ。 旧英国殖民地を訪ねれば分かるのだけれど、当時の植民地の総督や高官の家は、まず間違いなく高台にある。

なぜですの?

英国のかつての植民地は、けっこう暑い土地に広がっていた。 低地や河口の近くはジメジメして暑苦しい。 当然、蚊やハエが多い。 蚊が病原菌を媒介するマラリアになるのが怖いから、蚊が比較的少なく、涼しい高台に家を建てるようになった。

カナダは寒い国なのに、それでも絵高級住宅地は高台にあるのですか?

そうなのですよ。 いつの間にか高台に家を建てるのが英国人の総督、役人や金持ちの間に流行した。 だから、バンクーバーでも最も高級住宅地と言われる地域は“Shaughnessy Heights(シャナシー・ハイツ)”と呼ばれている。 また、、バンクーバーからライオンズゲートブリッジを越えて北西に位置するウェスト・バンクーバー市はカナダでも所得の高い人たちが住んでいるのだけれど、その中でも高級住宅地は“British Proprties(ブリティッシュ・プロパティーズ)”と呼ばれているのですよ。

後方の山の中腹に見えるのが British Proprties 地区です。 

このような山の中腹に高級住宅が建っているのですか?

そうですよ。 次のような感じの家がたくさん建っています。

あらっ。。。素敵ですわねぇ~。。。私もこのような所に住みたいですわ。

子供が大きくなって手がかからなくなったら、またバンクーバーにやって来てくださいよ。

つまり、麻布の高台の高級住宅を建てたのはイギリス人に見習ったというのですか?

そうですよ。

でも、ウィキペディアの説明には「1859年にアメリカ公使館が善福寺に置かれる」と書いてありますわ。 イギリス公使館ではありません。

その通りです。 だけど、当時はアメリカじゃなくイギリスが世界をリードしていたのですよ。 しかも、かつてはアメリカもイギリスの植民地だった。 今でも WASP と言われる人々がアメリカの政治・文化の主流を占めているけれど、この WASP は White Anglo-Saxon Protestant の頭文字をとった略語で「白人で英国人の祖先を持った新教徒」という意味です。 つまり、英国とは切っても切れない縁がある。 要するに、アメリカ人の大使や公使になる人たちは英国人を見習っていた。 それで高台に住居を求めたわけです。

つまり、当時の日本人も文明開化で英国人やアメリカ人のやることを真似したのですか?

その通りですよ。 「鹿鳴館時代」と呼ばれた時期があった。 何から何でも西洋の真似をして毎晩のように外国人を招いて鹿鳴館でパーティーを催(もよお)した。

  鹿鳴館

もちろん、明治政府が先頭に立って文化的にも西洋に追いつこうとした。 でも、イギリスの新聞などには「日本人が盛んに猿真似して西洋の仲間入りしようとしている」なんて書かれたりした。

日本人が麻布の高台に高級住宅を建てるのも、その猿真似だったのですか?

そうですよ。 庶民は不便な高台などに家など建てたくなかったから、「官員さん」と呼ばれていた明治政府の高級官僚が英国人の真似をして麻布の高台に家を建てた。 それが麻布の高級住宅地の始まりですよ。

舶来グルメも、元をただせば明治時代の文明開化の名残(なごり)なのかしら?

そうです。 だから、あまり“西洋!西洋!”と言うのも考えものですよ。 日本にも素晴らしいものがたくさんありますからね。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
確かにそうでござ~♪~ますわ。
あたくしなどは、ずいぶん若い頃から日本の古典に親しんでおりますのよ。

舶来グルメもよろしいですけれど、
あたくしは、やっぱり日本の古典に惹かれたのでござ~♪~ます。
それで、同性として紫式部さんに憧れたのですわ。
現在、京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているのです。

でも、あまりにも日本の古典に熱中していましたものですから、
素晴らしいボーイフレンドを見つける暇がありませんでしたの。
たぶん最近の若い男性は純日本風のあたくしのような女よりも
コスプレに現(うつつ)を抜かしているミーハーの女のこの方がいいのかもしれませんわ。
うふふふふふ。。。

とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

春はもうそこまで来ています。

あなたの地方ではまだ雪が残っていますか?

ところで、バレンタインデーは過ぎてしまいましたが

3月14日はホワイトデーです。

たまたま日本の英和辞典を引いたらば

次のように出ていました。

Valentine

①男の名前; 聖ヴァレンチノ (3世紀ローマのキリスト教殉教者)

②ヴァレンチノ祭に選んだ恋人; 同日異性に送るカード・手紙・贈り物など

St. Valantine’s Day

聖ヴァレンチノ祭(2月14日)に恋人同士が贈り物・手紙などを交換する風習がある。


三省堂『最新コンサイス英和辞典』より

そうなのですわ。

2月14日には男女にかかわらず

恋人同士が贈り物や手紙を交換する

習慣があるのですわ。

日本では3月14日がホワイトデーです。

バレンタインデーにチョコレートなどをもらった男性が、

そのお返しにホワイトチョコレートなどを女性へ贈ります。

でも、この習慣は日本・韓国・台湾・中国の一部など

東アジア特有のものです。

欧米ではこういった習慣はありません。

なぜなら、バレンタインデーに恋人同士が

贈り物や手紙を交換するからです。

わたしはデンマンさんにGODIVAの

チョコレートを上げようとしたのです。

そうしたらロブソンストリートのGODIVAのお店が

無くなっていたのですわ。

仕方ないのでピカチューのお弁当を作って

デンマンさんにプレゼントしたのですわ。

ええっ。。。デンマンさんはどのようなプレゼントを

くれたのかってぇ~?

それが、次のようなホットパンツだったのですわ。

うふふふふふ。。。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

寒さを笑って吹き飛ばしたかったら

ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

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