愛のプレゼント


 

2008年12月16日 (火曜日)

 

愛のプレゼント


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(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。愛のプレゼントと「私の軽井沢物語」が関係あるのでござ~♪~ますか?


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いや、直接の関係があるわけではないのですよう。

でも、少しは関係があるのですか?

そうです。。。そもそも軽井沢の話が持ち上がらなかったら、僕は小百合さんの別荘に行くことはなかっただろうし、佐野市にある熊鷹山(くまたかやま)の中腹にある“山の家”に行くこともなかったでしょう。

つまり、小百合さんにお世話になったので“愛のプレゼント”をあげようと思ったのでござ~♪~ますか?

そうです。

。。。んで、なぜ「私の軽井沢物語」を持ち出したのですか?

実は、11月18日に軽井沢に行き、小百合さんの別荘で庭先の紅葉を見ながら僕はコーヒーをいただいたのですよう。


(karumap2.gif)


(karuso3.jpg)

別荘といっても、小百合さんの別荘はマンションなんですよう。一階の一番奥にあるのです。この写真は夏に撮ったものだけれど、リビングの窓から庭の向こうに見える紅葉が実にきれいでした。


(redleaf3.jpg)

本当に、これほど見事だったのでござ~♪~ますか?

紅葉は上の写真ほど密集していなかったけれど、紅葉に夕日が差し込み始めて、その様子は黄金の空をバックに燃えるように映(は)える紅葉で。。。実にドラマチックで。。。ロマンチックで。。。

デンマンさん。。。あのォ~。。。ちょっと美化しすぎているのではござ~♪~ませんか?

うん、うん、うん。。。僕が話し始めれば、卑弥子さんは多分そう言うだろうと思っていましたよう。でも、筆舌に尽くしがたいほどの素晴しい光景だったのですよう。

それであのォ~。。。ロマンチックな気分に浸って。。。コーヒーを飲んだ後で小百合さんと萌え萌えになって、一年ぶりの再会を記念して熱い接吻を交わしたのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。卑弥子さんは熱い接吻に、ちょっとばかり、こだわりすぎているのではありませんか?

だってぇ~。。。これまでのデンマンさんと小百合さんのやり取りを読ませていただいたら、絶対にそうなるのでござ~♪~ますわ。

でもねぇ~。。。現実には、なかなか、そのようなロマンチックなシーンにはならないのですよう。

。。。んで、何をなさったのですか?


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テーブルを見ると、小百合さんが町立図書館から借りてきた本が山のように積まれていたのですよう。

その一番上にあったのが「私の軽井沢物語」だと、デンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。この本のことは次の記事の中でも書きましたからね。

■ 『軽井沢物語 (2008年8月26日)』

それで小百合さんは、デンマンさんとその本の事でお話しようと図書館から借りてきたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。

。。。んで、何をお話になったのですか?

いろいろと話題は尽きませんでした。でも、一つだけ僕と小百合さんで意見が分かれた話題があったのですよう。

それって、なんですの?

小野美津子さんという女性が「私の軽井沢物語」に登場するのですよう。名前は、もしかすると満津子あるいは満子だったかもしれません。

それで、どのように意見が分かれたのでござ~♪~ますか?

小百合さんは、その女性がオノ・ヨーコではないか?!そう言うのですよう。僕は絶対にそうではない!と思ったのです。結局、僕が後で調べてみる、という事でその話はそのままになったのですよう。

。。。んで、調べてみたのですか?

そうですよう。この記事を書くので、ちょうど良いと思って僕は調べてみたのです。

オノ・ヨーコ (Yoko Ono Lennon)

日本名:小野 洋子
1933年2月18日に生まれる。
音楽家、前衛アーティスト。
ビートルズのジョン・レノンの寡婦。
「ニュー・ウェイヴの祖」と評されることもある。

銀行家の小野英輔、磯子夫妻の長女として東京都で生まれた。
小野英二郎(元日本興業銀行総裁)は祖父。
伯父は、医学者の小野康平や加瀬俊一 (1925年入省)(元国連大使)。
伯母(血はつながっていない)はヴァイオリン教師の小野アンナである。
実業家安田善次郎は母方の曽祖父。
加瀬英明(外交評論家)は従弟。

また、戦国時代から立花道雪・立花宗茂・加藤清正などに仕えた武将・小野鎮幸は先祖にあたる。

学習院幼稚園、自由学園、啓明学園、学習院女子高等科を経て、1952年に学習院大学哲学科に入学(中退)。
1953年に家族と共にニューヨークのスカースデールに移り住み、サラ・ローレンス大学に入学した(後に中退)。
彼女は1956年に作曲家の一柳慧と結婚するが、1962年に離婚。同年の11月28日に、ジャズミュージシャンで映像作家のアンソニー・コックスと結婚。
2人は1963年3月1日に離婚し、6月6日に再婚するが、結局、1969年2月2日に離婚した。
2人の間の娘キョーコ・チャン・コックスは、1963年8月8日に誕生している。

1960年代初めに、前衛芸術集団フルクサスの活動に参加し、観客が彼女の衣装をはさみで切り取るパフォーマンス「カット・ピース」や、言葉による作品「グレープフルーツ」などを発表した。
1966年には、ロンドンに活動の場を移した。

ジョン・レノンとの出会いは、1966年11月9日のことであった。
ロンドンのインディカ・ギャラリーでの彼女の個展の開催前日に訪れたレノンは、梯子を昇った上に下げられた虫眼鏡で、天井に書かれた「YES」の文字を読むという作品に惹かれた。
2人はともに前衛的な音楽活動を行うようになり、1968年に「トゥー・ヴァージンズ」Two Virgins を発表。

1969年3月20日にジブラルタルで結婚。
2人の間の息子ショーン・タロー・オノ・レノンは、ジョンの35歳の誕生日、1975年10月9日に生まれた。
妊娠した当初、ヨーコは胎児を堕胎させるつもりだったが、ジョンが大反対した結果、ジョンが子育てをする条件で、出産をしぶしぶながらも承諾したと言われる。
しかし、この一件を疑問視する声もある。

ジョンが主夫になった数年間で、彼女は不動産取引その他の投資活動を積極的に行い、実にジョン復帰後までの間に夫婦の資産を倍にした(ジョンの伝記に記載)。
ジョンの死の翌年、1981年に骨董品商人のサム・ハヴァトイ(Sam Havadtoy)と再婚し、2002年に離別したという説がある。
ハヴァトイは、ジョンが生きていた頃から一家と親しかった人物である。

彼女はビートルズの解散の原因「ビートルズを解散させた女」としてしばしば非難された。
しかしながら、ジェイ・レノによる2003年のインタビューで、彼女はビートルズの解散に失望を感じ、彼女の生活にどれほどの衝撃を与えたかを明らかにした。

1987年に芸術家アンディー・ウォーホルが死去したとき、彼女は葬式で弔辞を述べた一人だった。
現在は、アメリカ合衆国のニューヨーク在住。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

ウィキペディアで調べる限り、オノ・ヨーコさんが“美津子”、“満津子”、あるいは“満子”と名乗っていた事はないのですよね。

でも、ウィキペディアは、あまり信用できないと言う人もおりますわ。

確かに、素人が書いていることだから、事実がもれている事もあるでしょう。でもねぇ、もしオノ・ヨーコさんが“美津子”、“満津子”、あるいは“満子”と名乗っていたら、上の記述の中に絶対に書かれていると思うのですよう。書かれてない、という事はオノ・ヨーコさんが“美津子”、“満津子”、あるいは“満子”と名乗っていた可能性が極めて少ない事を物語っているのですよう。僕自身、そのような話を聞いたことがありませんから。。。

あたくしだって聞いたことがござ~♪~ませんわ。でも、例えば、エッセーを書くときに“小野美津子”という名前を使っていたとか。。。

僕もその可能性があるかと思って“小野美津子”を入れて検索してみました。

それで、どうでした?

一つ一つ入れて検索してみたけれど、オノ・ヨーコさんとの関係は、どこにも見つける事ができませんでした。やっぱり、オノ・ヨーコさんの日本名は小野洋子以外には無いのですよう。僕は、いろいろと調べた後で、そういう結論に達したのですよう。

分かりましたわ。。。んで、デンマンさんは、どうしてオノ・ヨーコさんの事にこだわるのでござ~♪~ますか?

たまたま小百合さんの別荘でオノ・ヨーコさんの名前の事が話題に上ったということで、僕は特にこだわっている訳じゃないのですよう。

でも、こうして長々とオノ・ヨーコさんのことを書いているのですもの、絶対に何か関係があるのですわ。

うしししし。。。分かりますか?

デンマンさんとも長いお付き合いになりますから。。。何を考えているのか、なんとなく分かりますわ。

実はねぇ、「1953年に家族と共にニューヨークのスカースデールに移り住み」という語句を目にした時に、僕には閃(ひらめ)くものがあったのですよう。

何が閃いたのでござ~♪~ますか?

1953年というと、ヨーコさんは20歳のときです。青春の真っ只中です。それから、愛と自由の60年代に向かうのですよう。1960年代といえば“フリーセックス・フリーラブ Make love, not war!”の時代です。僕がジョン・レノンとオノ・ヨーコさんの事で、まず思い出すのは、何と言っても二人がヌードになって並んで映っていた写真ですよう。

何の写真ですか?

ネットで調べてみたら次の記事に出くわしました。

ジョンとヨーコのヌードへのこだわり

実は、このCDを、ロンドンの出張!時に見つけたときは、思わずにっこりでした。90年ごろでしょうか。普通のレコード屋さんで普通に買いました。
それまで、レノンのレコードやCDを一枚も持っていなかったのです。だから、この1968年に発売されたレコード(あるいは、CD)の日本の販売についてはよく知りませんでした。
もちろんロンドンでも、ヘアだけでなく、丸出しで、店頭に並んでいたわけではありません。ちゃんと“腰巻”つけて並んでいました。
後日、日本の店頭、“正規盤”売り場で、顔の部分のみ丸く切り抜いて印刷したカバーになっているCDを見たことがあります。
今では、新宿あたりの外国盤屋さんには、丸出しを普通に売っているでしょう。

ジョンとヨーコの初の共作アルバム。1968年5月19日夜、ジョンがヨーコを初めてウェイブリッジの自宅に招待し、夜明けまでに完成させた。
ふたりの全裸のジャケット写真はセルフタイマーを使って撮影。

衝撃的なジャケットのためにEMIやキャピトルから拒否され、茶色の紙袋がかぶせられて別のレーベルから発売された、と書いている本(注)も、

 (中略)

同時代のトップランナーとして、ジョン・レノンには注目していました。解説本(攻略本)はよく読んでいます。
でも、知っている歌、ただし熱狂的に歌える歌(?)は、Give Peace a Chance (日本語タイトルは、平和を我等に) 1969と
A Happy Xmas (War is Over) (日本語タイトルは、戦争は終わった) 1971、の2曲だけ。ああ、イマジンも知っています。

だから、このCDを一度も聞いたことがないのです。“実は聞いていないロック評論家”状態です。
レノンやヨーコさんのヌードな思想が今もって理解できないのは、当然でしょうね。   


『ジョン・レノンのヌードで販売部数アップをはかろう、私も(2007.1.18)』より

これはデンマンさんが書いた記事でござ~♪~ますか?

いや、僕が書いたものではありません。おそらく僕と同世代のブロガーだと思うのですよう。

ジャケット写真だったのですね。

そうですよう。僕はアルバムを買った訳じゃないけれど、確か。。。アメリカの男性週刊誌でその写真を見たことがあるのですよう。

デンマンさんにとって衝撃的な写真だったのですか?

ヌード文化というのは、今の言葉で言えば“オタク趣味”のようなものですよう。日本ではヌード文化は未だに根付いていないけれど、全く無い訳じゃない。

日本にもヌード文化があるのですか?

ありますよう。男女混浴露天風呂などは、言ってみればヌーディスト・リゾートですよう。でも、日本ではヌーディスト・ビーチは根付かなかった。和歌山県の白浜でヌーディスト・ビーチを作ろうという動きがあったのですよう。でも、それはつぶれてしまった。素っ裸で海水浴場の浜辺を歩くと、日本では“わいせつ物陳列罪”で逮捕されてしまうのですよう。

ニューヨークでは違うのですか?

ニューヨークでもバンクーバーでも、ある一部の海岸では“ヌーディスト・ビーチ”として浜辺を素っ裸で歩いても黙認されていますよう。このことについては僕が以前に記事に書いたことがあります。

■ 『ニューヨークの混浴露天風呂 (2008年5月22日)』

デンマンさんも実際にニューヨークのヌード文化に触れたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。僕は上の記事で書いたようにアンナさんと一緒に“ヌーディスト・ビーチ”に行ったのですよう。


(cute0026.jpg)

ここは Lighthouse Beach と呼ばれている海岸です。 ニューヨーク州の南端に “Fire Island National Seashore”という国立公園があります。Lighthouse Beach と言うのは、その一番西の端に位置している海岸です。

その国立公園には他にも“ヌーディスト・ビーチ”があるのでござ~♪~ますか?

たくさんあるのですよう。1953年にヨーコさんが家族と共にニューヨークのスカースデールに移り住んだ頃には、すでに公園には“ヌーディスト・ビーチ”があったのですよう。

。。。んで、ヨーコさんが住んでいた場所は“ヌーディスト・ビーチ”から近いところにあるのですか?

スカースデール(Scarsdake)というのはマンハッタンから北へ20キロほどのところにある小さな村です。日本人が15%から20%ぐらいを占める閑静な住宅地ですよう。

どうして日本人が多いのですか?

どこの国へ行っても、民族は集まる習性がありますからね。。。日本人も例外ではない。日本人の友達や親戚が集まってきて、いつの間にか日本人が集まって暮らす住宅地になったのでしょうね。

デンマンさんは、ヨーコさんも“ヌーディスト・ビーチ”へ行ったと考えているのですか?

僕の推測だけれど、ヨーコさんもヌード文化に触れていると思いますよう。スカースデールは国立公園から離れているけれど、車で行けば1時間から1時間半の距離ですよう。

でも、ヨーコさんはヌード文化に興味を持ったのでしょうか?

あのねぇ~、ヨーコさんは前衛アーティストですよう。言ってみれば、卑弥子さんのように過激なところがあるのですよう。過激といって語弊があるならば、封建的な考え方を打破して、好奇心に燃えながら新しい文化や風潮をドンドン受け入れてゆくような人ですよう。だからこそ、当時でもセンセーショナルなヌードのジャケット写真を撮ったりしたのですよう。そのように考えれば、ヨーコさんの青春時代にヌード文化に触れていたと考えた方が自然ですよう。卑弥子さんも、そう思いませんか?

そうですわね?急におヌードになるのは抵抗があるでしょうからね。。。?

僕は、ヨーコさんがニューヨークの生活に愛着を持っているように思うのですよう。

どう言う訳で。。。?

現在もニューヨークで暮らしているのですよう。しかも、ジョン・レノンがチャップマンに殺害された時にも、ジョンとヨーコさんはニューヨーク市の「ダコタハウス」で暮らしていた。ところで、ジョンが殺害された日のことを上のブロガーは次のように書いています。

ジョン・レノンのヌードの表紙

(黒っぽいドレスに身をまとい横になっているオノヨーコに、素っ裸で、膝を曲げて覆いかぶさるようにして抱きついてキスしている)このジョン・レノンのヌードの表紙は、そもそもは、米国 Rolling Stone 誌の1981年1月22日号に載ったものです。
ジョン・レノンが撃たれた後で、もうものすごく売れたのでしょう。
後日知ったのですが、この写真が、撃たれた日(1980年12月8日)に撮影されたという伝説があります。
ほんとうのようです。
その日の午前11時ごろ撮影です。


『ジョン・レノンのヌードで販売部数アップをはかろう、私も(2007.1.18)』より

これは、もう、僕の推測の域を出ないのだけれど、ジョン・レノンにとってヨーコさんは“夢とロマンの女神”ではなかったか?

つまり、ジョン・レノンはヨーコさんの考え方に強い影響を受けていたという事ですか?

そうですよう。死ぬ日に撮ったと言うローリング・ストーン誌のジョンのヌード表紙も、一般の人の目から見れば、なぜヌードなの?そういう疑問を持つと思うのですよう。実際、上の文章を書いたブロガーさんも“レノンやヨーコさんのヌードな思想が今もって理解できない”と書いている。

。。。んで、どうしてジョンはヌードにこだわったのでござ~♪~ますか?

だから僕はヨーコさんがニューヨークのヌード文化にどっぷりとつかっていて、ジョン・レノンは、彼女の影響を強く受けたのではないか。。。僕は、そう思っているのですよう。

分かりましたわ。。。それで小百合さんに上げたという“愛のプレゼント”のお話は、どうなったのでござ~♪~ますか?

だから、プレゼントも上の話の中に出てきましたよう。

あのォ~。。。ジョンとヨーコの初の共作アルバムを小百合さんに上げたのでござ~♪~ますか?

違いますよう。

では、他のアルバムですか?

違いますよう。アンナさんの写真から思い浮かびませんか?


(cute0025.gif)

この写真からでござ~♪~ますか?。。。あのォ~。。。もしかして。。。もしかして。。。アンナさんがはいているパンツですか?

うしししし。。。その通りですよう。

 (卑弥子さんは、口をぽっかりと開いたまま呆れ返っていますう)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
“愛のプレゼント”ってぇ~、パンツなのですわよう。
呆れてしまうではござ~♪~ませんかア!

でも、最後に残ったという事は、たくさん持っていたという事ですわよねぇ~。
上のようなパンツを、どうしてたくさん持っていたのでしょうか?

デンマンさんは女性パンツマニアなのでござ~♪~ましょうか?
ヤ~らしいわあああぁ~

最後に残った一つだ、とデンマンさんがおっしゃったので、
もっとすっご~♪~い、立派なものかと思ったのですわよう。
それが。。。チョウをデザインしたパンツですってぇ~
ヤ~だわあああぁ~

とにかく、あさって、どう言う事なのか、もう一度しっかりと聞き出しますわよう。
あなたも、どうか、読みに戻って来てくださいましね。
じゃあね。。。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

実は、バンクーバーにも有名な

ヌードビーチがあるのですわよう。

その名を Wreck Beach と言うのです。

バンクーバーに住んでいる人であれば

ほとんどの人が知っているのですけれど、

日本から観光でやって来た人は

知らない人が多いようです。

初めて耳にすると

たいていの人が驚きます。

しかし、日本にだって男女混浴の

露天風呂があるのですから、

ヌードビーチが、とりわけ珍しいと言うこともないのですよね。

でも、温泉に入る訳でもなく

砂浜を素っ裸で歩くのは

日本人には馴染めないのかもしれませんわ。

わたしもデンマンさんとレンゲさんと一緒に

ヌードビーチに出かけたことがあります。

その時の事をデンマンさんが記事に書いています。

興味があったら次のリンクをクリックして読んでみてください。

■ 『バンクーバーで夢とロマンを!(2006年8月25日)』


(vanc700.jpg)

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

寒さを笑って吹き飛ばしたかったら

ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』


(laugh16.gif)

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


(xmastree2.gif)


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コメント / トラックバック3件 to “愛のプレゼント”

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