Posts Tagged ‘銀幕の愛’

結婚するの?しないの?

2016年6月27日

 

結婚するの?しないの?

 


(wed001.jpg)


(question.gif)


(merange12.jpg)

デンマンさん。。。 どういうわけで わたしを呼び出して結婚のことを訊きはるのォ~?


(kato3.gif)

そやから、めれちゃんが 結婚するのか?しないのかァ~?。。。それが気になるさかいに、こうして呼び出したのやないかいなァ~。。。

そやけど、あんさんには全く関係あらへんことやん。。。

めれちゃん。。。 そないな えげつない事を言わんで欲しいねん。。。 めれちゃんとわては ネットで10年以上の付き合いなのやでぇ~。。。 めれちゃんが結婚するのか? それとも結婚せんで一生独身で通す気ぃなのかァ~。。。? 当然、わてにも関係するのやがなァ~。。。

どないにぃ~。。。?

めれちゃんが結婚して 家庭に入ると、これまでのように気楽に呼び出すこともできへん。。。

そないなことはあらへん。。。 あんさんは わたしが結婚しようが、独身でいようが、そないな事にかまわずに、わたしを呼び出したい時に呼び出すねん。

めれちゃんは、そないに思い込んでおるのんかァ~。。。?

そうですう。。。 そないなことより、ホンマは、どないなつもりで上のようなタイトルにしやはったん?

実は、わての Denman Blog でアクセス解析しておったら次のようなリストに出くわしたのやがなァ~。。。


(wp60624a.png)

これは6月24日の「人気記事リスト」やねん。。。 この日、249人のネット市民の皆様が Denman Blog にやって来たのやでぇ~。。。 その内 147人のネット市民が、つまり、半分以上のネット市民が次の記事を読んだのやがなァ~。。。


(hara16.jpg)

『結婚するか?独身で通すか?』

あらっ。。。 あんさんのアイドルの原節子さんやないのォ~。。。!?

めれちゃんは、よう知ってるなあああァ~。。。

そやけど、原節子さんは、残念ながら去年の9月5日に肺炎のため神奈川県内の病院で95歳の生涯を閉じはりましてん。。。

原節子


(hara112.jpg)

(1920年6月17日 – 2015年9月5日)

「永遠の処女」と呼ばれ、戦前から戦後にかけて活動し、日本映画の黄金時代を体現した。
代表作に『わが青春に悔なし』、『青い山脈』、『めし』、『東京物語』などがある。

1963年に女優業を引退し、2015年に死去するまで隠遁生活を送っていた。

2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の第1位に輝いた。

1963年12月12日、小津監督が東京医科歯科大学附属病院で没し(その日は小津監督の還暦の誕生日だった)、その通夜に出席したのを最後に原は女優業を事実上引退し、以降表舞台には一切姿を見せなくなった。
晩年の原は鎌倉市で親戚と暮らしているとされた。

高橋治は原が「小津の死に殉じるかのように」公的な場から身を引いたと表現している。

当時、その理由として「畳の上での芝居がしづらくなったから」と岡田茉莉子に語っている。

小津安二郎監督は「一時世間から美貌がわざわいして演技が大変まずいというひどい噂をたてられたこともあるが、僕はむしろ世間で巧いといわれている俳優こそまずくて彼女の方がはるかに巧いとすら思っている」とし、1951年には「原節子ほど理解が深くてうまい演技をする女優は珍しい。『原節子は大根だ』と評するのはむしろ監督が大根に気づかぬ自分の不明を露呈するようなものだ。実際、お世辞抜きにして、日本の映画女優としては最高だと私は思っている」とも語っている。

現役女優の頃は美貌のトップ女優で、その早い引退と引退後の完全な隠遁生活、生涯独身を貫いたことなども同じことから『日本のグレタ・ガルボ』と言われている。

原と同様、小津作品に多数出演した俳優の笠智衆は著書『大船日記』で「原さんは、きれいなだけじゃなく、演技も上手でした。ほとんどNGも出しません。めったなことでは俳優を褒めなかった小津先生が、『あの子はウマいね』とおっしゃっていたのですから、相当なもんです」
「普段はおっとりとして、気取らない方でした。美人に似合わずザックバランなところもありました。撮影の合間に、大きな口を開けて『アハハ』と笑っとられたことを覚えています」と回想している。

原と共演したことがある女優の司葉子は原の一番の魅力を「清潔感」と指摘、「演技では出せない生地の魅力」としている。


出典: 「原節子」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

原節子さんは小津安二郎監督の死に殉じるかのように公的な場から身を引いた、と書いてありますけど、独身で通したのも、そのためやろかァ~。。。?

それは原節子さん本人に訊いてみないことには解らんことやけど、わては原さんが一番信頼していた映画監督は小津安二郎さんやと思うねん。

どないなわけで。。。?

小津安二郎監督が原節子さんの素晴らしさを一番理解していたと思うのやァ~。。。 「琴の緒を断つ」という故事があるのを めれちゃんも知ってるやろう? 断琴(だんきん)とか絶弦(ぜつげん)とも言われる故事やがなァ~。。。

琴の緒絶ゆ(ことのおたゆ)


(dankin12.jpg)

中国の春秋時代、琴の名人伯牙(はくが)が、友人の鍾子期(しょうしき)が死んだとき、もはや自分の琴を理解する者が居ないと言って琴の緒を絶ち、生涯琴を弾かなかったという。

「呂氏春秋」本味の故事から
親友・知己に死別するたとえ。

琴の緒を断つ。

伯牙断琴(はくがだんきん)

伯牙絶弦(はくがぜつげん)

上の説明を読めば めれちゃんにも分かるやろう?

つまり、原さんにとって自分を本当に理解してくれる人は小津監督しか居ないと思いつめたのやろかァ~?

そういうことやと わては思うでぇ~。。。

二人のどちらが欠けても駄目であった例は

小津と原以外にない。

映画界の中でも、そないに言う人がおるのやがなァ~。。。 つまり、原さんと小津監督が働く現場で感じ取っていた“銀幕の愛”は、信頼に育(はぐく)まれた愛の絆なのやがなァ~。。。

つまり、原節子さんはその“愛”に殉じて一生を独身で通しはったと あんさんは思うのォ~。。。?

わては、たぶんそうやないかなァ~。。。、と考えておるわけやァ~。。。

。。。で、『結婚するか?独身で通すか?』という記事は、Denman Blogでは よく読まれておるのォ~。。。?

その質問に答えるには、前日、つまり、6月23日の「人気記事リスト」を見て欲しい。。。


(wp60623a.png)

6月23日には『結婚するか?独身で通すか?』を読んだネット市民が一人もおらんのやねぇ~。。。

そういうことやがなァ~。。。 いつも『床上手な女の7つの見分け方』がダントツで読まれておるねん。


(kiss007.gif)

『床上手な女の7つの見分け方』

それやのに、6月24日には上の記事を追い越して『結婚するか?独身で通すか?』がダントツで読まれたのは、どないなわけやのォ~?

女子高か、あるいは女子大のクラスで“結婚するか?独身で通すか?”が討論の話題になったのやがなァ~。。。

その証拠でもあるのォ~。。。?

ちょっと次のリストを見て欲しいねん。


(wp60624b.png)

『拡大する』

これは6月24日の「リファラ (リンク元URL)」のリストやがなァ~。。。 見れば解るように Yahoo!の検索エンジンで検索してやって来たネット市民が 147人おるねん。。。 つまり、『結婚するか?独身で通すか?』を読んだネット市民の数と偶然にも一致するのやがなァ~。。。

その147人の人たちは、どのキーワードで検索してDenman Blogにやって来やはったん?

次の検索結果を見て欲しい。


(yah60626a.png)

『結婚するか?独身で通すか?』

『現時点での検索結果』

「結婚するか 独身で通すか」を入れてYahoo!で検索した結果やんかァ~。。。 498,000件ヒットするねん。。。 Denman Blogに掲載された『結婚するか?独身で通すか?』がトップから4番目に出てきよる。。。

つまり、女子高か?女子大のクラス? で討論しやはった生徒たちが 上のようにYahoo!で検索しやはったん?

アクセス解析の記録を見れば、そうとしか考えられへん。。。 ところで、めれちゃんは“結婚するの?しないの?”。。。

わたしは 結婚したい人が現れたら結婚するような気がするねん。。。 そやけど、わたしが、そう思うても、相手の男性が、そう思うてくれへんかったら結婚できへん。。。 (苦笑)

そういうことやなァ~。。。

あんさんは、わたしが結婚した方がええと思うてるん?

あのなァ~、実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次のようなことが書いてあったのやがなァ~。。。

性格が運命をつくる


(100sai.jpg)

芥川龍之介は、運命は性格の中にあると言った。
運命が性格をつくるんじゃない。
性格の中に運命はある。
近ごろほんとうだ、と思うようになった。
さまざまな境遇に遭ったけど、私の性格が自分の運命をつくったということはたしかですね。

ああいう運命だからあの人はああいう性格になった、と言うんじゃないのね。
性格というのはずいぶん先天的なもの、もって生まれちゃったもの。
運命は後天的でしょうね。

私はきょうだいがおおぜいいましたが、同じ父母で同じ境遇で育って、同じものを食べているのに、きょうだいみんなそれぞれちがった運命を歩んでいる。
同じ境遇にあっても運命は別だから、境遇が運命をつくっていない。

たとえば、小さいときに両親がうまくいかなくて、境遇が性格をつくるということもあるけれど、その性格の中で運命がつくられる、そう思った。
芥川さんの言うとおりだと思う。

性格が運命を拓(ひら)き、もって生まれた性格というものが、いい作用をするときにいい運命になって、悪いほうに働いてしまうと悪い結果をもたらす。
勘みたいなものですね。
勘がいい働き方をするときと、そうでないときがあるように。

自分の勘は、絶対まちがいないなんて、誰もそういうことは言えないけれど、ある種の勘というもので、人の運命が開いたり閉じたりすることはありますよね。
運命はだから性格の中にあるというのは、ほんとうにそう。
私にはそういうことが幾度か思いあたります。

努力することも性格。
性格というのは一切です。
だからあたりまえと言えばあたりまえ。
そういう性格の中で運命が決まっていくというのは、何も取り立てて言うほどのことではない。

私は、理性的なものを大事にして生きていかなけらばいけないと思っていて、理性を尊ぶ性格ではあるけれど、どうしてもおさまらない自分というものがいた。
それが私の性格で私は生きてきた。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


49-51 ページ 『百歳の力』
著者: 篠田桃紅
2015年7月13日 第8刷発行
発行所: 株式会社 集英社

この本を書いたのは、現在 103歳の篠田桃紅さんという水墨の抽象画を書く美術家なのやがなァ~。。。

篠田桃紅

本名:篠田 満洲子。
1913年(大正2年)3月28日生まれ。
日本の美術家。
映画監督の篠田正浩は従弟にあたる。

日本の租借地だった関東州大連に生まれる。
5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。

その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。
1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956(昭和31)年に渡米。

抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。
文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。
アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国。
以後は日本で制作し各国で作品を発表している。

和紙に、墨・金箔・銀箔・金泥・銀泥・朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出す。
万葉集などを記した文字による制作も続けるが、墨象との線引きは難しい。
近年はリトグラフも手掛けている。

2014年5月、沼津市役所特別応接室に1966年に納入した壁画「泉」が、30年以上存在が忘れられた状態から再発見されたことが報じられた。


(100saib.jpg)

『拡大する』

2015年、『一〇三歳になってわかったこと』が45万部を超えるベストセラーになる。


出典: 「篠田桃紅」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この篠田桃紅さんという老女は、自分では“ちょっと変わった人”ぐらいに思っておったようやけど、かなりユニークな人やねん。。。 この人の作品の良さが戦後 アメリカ人に認められて、それで昭和31年にアメリカに招かれたのやがなァ~。。。 当時、日本には外貨がなかったさかいに、外交官か商社員しか海外にはゆけんかった。。。 2ヶ月の予定が2年ほどアメリカで暮らすことになったのやがなァ~。。。

。。。で、篠田桃紅さんも原節子さんのように、ずっと独身やったのォ~。。。?

そういうことやがなァ~。。。 つまり、自分の性格が、そういう独身で生活する運命を導いたと言うわけやなァ~。。。

わたしの性格も、独身で暮らすように わたしを運命づけてるのやろかァ~。。。?

めれちゃんが結婚するにしても、独身で通すにしても、めれちゃんの性格しだいということやろなァ~。。。

でも、それってぇ~、何の答えにもなってえ~へんやんかァ~。。。

さよかァ~。。。?


(laugh16.gif)

【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。

あたなは、どう思いますかァ~?

確かに、芸術家の方は、原節子さんにしろ、篠田桃紅さんにしろ、何かしら強い信念を持って生きているように感じられますよねぇ~。。。

それが、とりもなおさず その人の性格なのでしょう!?

ところで、あたしも めれんげさんと同様、まだ独身ですわァ~。。。

良い人が現われれば結婚しようと思いますが。。。相手のあることですから。。。 うふふふふふふ。。。

ところで、話は変わりますけれど、

かつて、めれんげさんの熱烈なファンがたくさんいたのでした。

でも、うっかり めれんげさんが会費を滞納したために、
サイトを削除されてしまったのですわ。

けれども、2013年の6月にライブドアで『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよね。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。
でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


(gog30928a.png)

でも、現在は、5位です。

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。


(seo001.png)

『おばさんの下着に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


(hand.gif)


(surfing9.gif)

メチャ面白い、

ためになる関連記事


(linger49.gif)


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』

■ 『あなたもワクワクする新世代のブログ』


(rengfire.jpg)

『えっちなんです』

『エロマンガ島』

『マカオのおかま』

『わたしの生きる意味』

『愛と信頼と絶望』

『天平の裸婦もビックリ』

『愛の真実を探して』

『最大限の本音で…』

『こわ~い話』

『道鏡伝説の謎』

『市長選挙とおばさんパンツ』

『夢みるわたし』

『あげまん女』

『日本で一番長い五月』

『5月だよ!全員集合!』

『また、スパイ?』

『わたしと詩』


(babdol6.jpg)

『かわゆいベビードールワンピ』

『ああ、さびしい』

『恋する女でありたい』

『生きてることが気持ち悪い』

『焼き滅ぼさむ』

『一人で飲みに行く女』

『あなたをさがして』

『早く気づいてほしい』

『気づいたのね』

『あなたに逢いたい』

『やらしい検索』

『わたしを見つけて』

『小笠原玲子』

『ふたりだけの場所』

『命のともし火』


(sayuri201.jpg)

『ふたりの思い出』

『愛は終わることなく』

『凍りついた心の言葉』

『冠詞の悲劇再び』

『焼き滅ぼさむ再び』

『漱石のラブレターを読みたい』

『森田伸二と即興の詩』

『きみの夢』

『指きり』


(renge62e.jpg)

『あしたみる夢』

『ネット殺人事件』

『失楽園のモデル』

『スパムに追われて』

『心にしるす』

『復楽園がいいの?』

『今をだきしめ想いかなえし』

『きみ待ちわびて』

『朝の来ぬ国』

『離れがたき』

『めれちゃんがいいね』


(kimo911.jpg)

『愛はスミレの花のように』

『思い出の夕顔』

『スミレの花咲く頃』

『クリスマスのコメント』

『消え行く愛など無く』

『ひとりかも寝む』

『レモンと性と愛』

『少女と下着の秘密』

『いとしき言葉』

『無我の愛と自我の愛』

『めれちゃんde人間失格』

『愛@文明開化』

『愛と共感とストレス』

『愛欲と空海』

『きみはやさしく』

『愛の擬人法』

『めれちゃんと南方熊楠』

『めれちゃんの人気再び』

『愛はスミレの花よ』

『肥後ずいきで検索』

『加賀の千代』

『千代に再会』

『カフカの銀河鉄道』

『12歳少女の死』


(june24b.jpg)

こんにちはジューンです。

卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ


(beach02.jpg)


(byebye.gif)

銀幕の愛

2010年8月26日

 
銀幕の愛

     原節子

    「東京物語」撮影の一コマ

     笠智衆 小津安二郎・監督 原節子
   

この作品(『東京物語』」)を通じて最も強く感じたのは小津と原節子の間にくりひろげられた一種の暗闘だった。
原節子というと“大輪の花”のようなという枕詞(まくらことば)がよく使われた。だが、私の思い出す原節子は違う。背骨をはさんで二列にびっしりとトクホンが貼ってあった。背中がうつる本番前には必ず私を手招きして、念を押すように、
「高橋さん、背中、大丈夫ね」
という原節子だった。

『東京物語』は真夏の話である。原は純白のブラウス一枚で出演することが多かった。当時、衣装の下をすかして体の線を狙うような照明は使われなかった。薄物一枚でも衣服は衣服としてうつす。背中のトクホンがうつる心配は絶無といっても良かったが、そこは演技の質といい、人気の高さといい、並ぶ者のない地位にあった原の誇りが許さなかったのだろう。

 (中略)

初めての日、トクホンの白さを見た時私はわれにもなく立ち止まってしまった。原が背中ごしに振り仰いだ。
「お願い、気をつけてほしいの」
あの、全国を魅了した、音を立てて来るような笑いがその言葉に続いた。トクホンへの説明は一切なかった。だが、二列で確か八枚のトクホンは原の癒しようのない疲労の深さを如実に感じとらせた
小津の死に殉ずるかのように原はあらゆる公的な場から身を退(ひ)いてしまった。

 (中略)

あらゆる人との接触を頑(かたく)なに拒む背後になにがあるのか。それはもう探りようもないだろう。
しかし、誰にも疑いをさしはさむ余地のない事実がひとつだけある。
小津安二郎あっての原節子であり、原あっての小津だったということだ。

世に監督と俳優のコンビは少なくない。
溝口健二と山田五十鈴。同じ溝口と田中絹代。
黒澤明と三船敏郎。黒澤と志村喬。
木下恵介と高峰秀子。
小林秀樹と仲代達也。
小津自身にも、笠智衆があり杉村春子があった。
だが、二人のどちらが欠けても駄目であった例は小津と原以外にない。
意外なことだが笠の演技賞は総て他の監督との組合せで得られた。
この事実が示すように笠は小津以外との仕事でも力を発揮した。
しかし、原には小津以外にこれぞ原節子という仕事はなく、小津の戦後の傑作は悉(ことごと)く原によって作り得たものだった。
それだけの二人であれば、なにもかも呑み込み合って、僅かな水洩れもない関係が想像される
だが実情は違っていた。
信頼を持つゆえの厳しさを、小津は原に対して常に持ち続けていたように見える。


61-62ページ 「絢爛たる影絵 – 小津安二郎」
著者: 高橋治 2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社講談社

『厳しさの中の愛の絆』に掲載
(2010年8月20日)

トクホンが原節子さんの気苦労のすべてを物語っているのですわね。

その通りですよう。 トクホンを背中に貼れば撮影の時にフィルムに映ってしまうかもしれない。それを原さんもかなり気にしていたのですよ。 女優の誇りとして、トクホンなど貼りたくなかったに違いない。それにもかかわらず、トクホンを貼らずにはいられないというところに、特訓を受けた大坂さんの汗で畳一枚を取り替えねばならなかったほどに、原さんも精神的な気苦労を感じていたのだと僕は思うのですよう。

小津の死に殉ずるかのように

原はあらゆる公的な場から

身を退(ひ)いてしまった。

ところで、小津監督の死後、原さんはどうしてあらゆる人との接触を断ってしまったのですか?

もちろん、僕に原さんの本当の理由が分かるわけがない。。。でもねぇ、僕は中国の故事を思い出すのですよう。

どのような故事ですか?

「琴の緒を断つ」という故事ですよう。断琴(だんきん)とか絶弦(ぜつげん)とも言われる故事です。

琴の緒絶ゆ(ことのおたゆ)

中国の春秋時代、琴の名人伯牙(はくが)が、友人の鍾子期(しょうしき)が死んだとき、もはや自分の琴を理解する者が居ないと言って琴の緒を絶ち、生涯琴を弾かなかったという。
「呂氏春秋」本味の故事から
親友・知己に死別するたとえ。
琴の緒を断つ。
伯牙断琴(はくがだんきん)
伯牙絶弦(はくがぜつげん)


 
上の説明を読めばレンゲさんにも分かるでしょう?

つまり、原さんにとって自分を本当に理解してくれる人は小津監督しか居ないと思いつめたのですか?

高橋さんも本の中で次のように書いていますよう。

二人のどちらが欠けても駄目であった例は

小津と原以外にない。
 
つまり、原さんと小津監督が働く現場で感じ取っていた“銀幕の愛”は、信頼に育(はぐく)まれた愛の絆なのですか?

その通りですよう。

でも、それだけの愛の絆を感じていながら、小津監督は独身を通し、原さんとも結婚しようとはしなかったですよね?

そうです。

なぜですか?

う~~ん。。。核心にせまる質問ですねぇ。。。もちろん、僕に真相が分かるはずがないじゃありませんか。

でも、答えが見つからなかったら、デンマンさんはこの記事を書き始めなかったはずですわ。

ほおォ~。。。さすがに丸々6年の付き合いのレンゲさんですね。僕のことが良く分かるようになりましたね。うししししし。。。

そのような事はどうでも良いですから、細木数子さんのようにズバリ!とおっしゃってくださいな。

あのねぇ、あまりズバリ!ズバリ!と言うと細木数子のようにテレビ番組から降ろされてしまうのですよう。

でも、デンマンさんはテレビに出ているわけではありませんわ。

いや。。。テレビだろうがブログだろうがまったく同じですよう。あまりズバリ!ズバリ!と言うと誤解を与えてしまうのですよう。やっぱり、誰でも良く分かるように、分かり易く話さなければ。。。

分かりました。。。では、分かり易く話してくださいな。

まず、次の興味深い小文を読んでください。

東宝のプロデューサー佐藤一郎が面白いことを話してくれた。

「小津さん、原さんの二人と一緒に飲む機会が二、三度あったけれどね、印象をひと言でいえば、あの二人は夫婦のような感じに見えるんだよ。でも、なんというのかな。あっちの方はもう絶えてなくなってしまった夫婦なんだな。でも、宿命で夫婦のままでいるとでもいうのかな」

原にとっては小津ほど自分を見事に生かしてくれた人間はいない。だが、小津ほど遠い人間もいない。監督と女優であることは、まさに夫婦にも通ずる時間を共有して、相互の人生にとってかけがえのいないものを作り出す。だが、この二人は互いに欠くことのできない両輪の宿命下にありながら、ついに命の歓喜を伴う理解には辿りつけなかった。
ある時夫婦の間ほど遠い人間関係はないように。

昭和26年11月の日記の欄外に小津はこう書いている。
“このところ原節子との結婚の噂しきりなり”
前後に、関連する記述は全く見当たらない。克明な文字で書かれた日記を読み進んでいくと、突然出てくるこの記述は、自分には全く無関係なゴシップを書きとめたかのように読める。

小津の死は頸部(けいぶ)の腮源性癌腫(さいげんせいがんしゅ)によるものだが、二度の入院の間に自宅で病臥(びょうが)していた時期がある。
それを見舞った原が小津の寝ていた煎餅蒲団(せんべいぶとん)に驚いた。翌日、原から御見舞いにと分厚い蒲団のひと組が届けられた。
「こんな馬鹿げたものに寝られるかい」
小津は見向きもしなかった。薄い蒲団に寝るのが好きだったのである。
この話を現実に疎いスター特有の分別の浅さととることは易しい。だが、原の心情を慮(おもんぱか)ってみよう。
自分に永遠の生命を吹き込んだ小津が、煎餅蒲団にくるまって数多い見舞い客に接することは、思うだに耐え難かったのではないだろうか。
それにしても人を理解することの難しさを思い知らされて、このエピソードは、ただ、苦い。

小津の死に接してあたりはばからずに号泣したのが杉村(春子)と原だった。
杉村の悲嘆は澄明(ちょうめい)である。
だが、原の泣き声には様々の語りつくせぬものがこめられていたように思える。
釣糸は一度絡み合うと、解き目もわからぬほどによじれる。
原の思いが、私にはそう見える。

そして、それは、小津が原に思う様に泣くことを許した唯一回の機会だったのである。
二人の宿命の出会いがどのように訪れたかを明らかにすることは難しい。
小津は死に、原は口を閉ざした。


75-76ページ 「絢爛たる影絵 – 小津安二郎」
著者: 高橋治 2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社講談社

この上の文章を読むと、あたしには原さんの気持ちが手に取るように分かりますわ。でも小津監督の思いの内が全く理解できません。

具体的に、どういうところですか?

“このところ原節子との結婚の噂しきりなり”

突然出てくるこの記述は、自分には全く無関係な

ゴシップを書きとめたかのように読める。

この部分ですわ。。。まるで小津監督は自分の死後に日記が読まれることを計算に入れたように、わざと原さんに対する愛情の欠片(かけら)も無いように書いているように見えるのですわ。

う~~ん。。。なるほどね。

この無感動、無関心とも言える小津監督の気持ちをデンマンさんは説明できますか?

う~~ん。。。難しいなァ~。。。でも、小津監督の気持ちが分かるような気がしますよう。

どのように。。。?

実は、原さんが小津監督の映画に出演している時に、小津監督には関係を持っていた女性が居たのですよう。

マジで。。。?

本の中には次のように書いてありますよう。

某という女の人がいる。小津との間に男女の濃密な年月があった。恐らく、栄女との愛を二人が埋め去って、貴重な理解を手にした頃からだろう。あるいは数年を経てからかもしれない。いずれにせよ、秋三部作の頃、その人は小津の身辺にいた。
その人は撮影所に近い世界にいたが、所内の人ではない。だが、あることで私はその人を知っていた。インタヴューの申し入れにひどく慎重にその人は対処した。

 (中略)

私が一番聞きたかったのは、二人きりになった時小津を、その人がどう見ていたかということだった。聞く言葉を選ぶより早く答えが返って来た。
「二人きりになって、甘えたと言う記憶が全くないんです。先生が全然そんなところを見せなかったからだろうと思います」

常の男なら女の胸にあずけられるものも、あるがままに見せることは下衆(げす)と小津は秘め抜いてしまったのだろうか。それとも、見せるのは生涯栄女一人と小津が厳しく自分を持したのだろうか

 (中略)

「…愛するっていう言葉を一度も聞いたことがないんです」
いうと同時に、見る見る目がうるんだ。堰を切ったようにいうことが乱れ出した。

「通常の男女の手続きは一切かけていました。ただ、伸びて来る手があるだけ…。でも、本当は私のことが好きだったんです。… 天下の小津安二郎にはふさわしくないと思っていたんでしょう。それが感じられる分、私も意地になって、私のことを公にしろとは言えなかったのです。… 多くの人があの人をとりまいていたでしょう。気づかれてたまるかと一生懸命背骨をまっすぐにして。でも、誰かが気づいてほしい。引っ込みがつかないほどの噂になってほしい。いつもそう考えていました」
 
 (中略)

「便利な女だったんですね。…私って、あの人にとって」

 (中略)

男と女の間では、濃密な年月を持った事実が、千万言の愛の言葉よりも、世間的な体裁を整えることよりも遥かに深い。小津はそんな不逞なことを考え兼ねない男だ。しかし、女の人にそれをわかれというのは無理だろう。

聞くだに辛いことがある。小津の第一回目の入院も、再入院も、その人は人伝の噂で聞かされた。一般の見舞い客のような顔で枕頭(ちんとう)に立つまでに何日もの日が流れた。その人は一人きりで病む小津をみとった時間は全くない。
小津の日記は事実だけを簡潔に書きとめたもので、感情的な記述が殆どない。乾ききっている。
その人のことを書きとめる時にも、この原則から外れなかった。
ただ一ヶ所だけ例外がある。
“X女泣く” 昭和30年のある日にそう書かれている。
勿論、なにを訴えて泣いたのか小津は書いていない。


207-210ページ 「絢爛たる影絵 – 小津安二郎」
著者: 高橋治 2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社講談社

これを読むと小津監督の心は核心のところで冷たいのではないか? その人を本当に愛していたのか? あたしは、なんだか腹立たしくなりますわ。

あのねぇ~、小津監督は古いタイプの日本男児なのですよう。だから、上にも書いてあるように次のように思っていたのですよう。

男と女の間では、濃密な年月を持った事実が、

千万言の愛の言葉よりも、

世間的な体裁を整えることよりも遥かに深い。

でも、小津監督はその人と都合の良いときだけ肌を合わせて、結局、使い捨てにしたように思いますわ。 最後に二人だけの時間を持たなかったと言う事が、小津監督の身勝手を物語っているような気がしてなりません。

確かに、そのように受け止められても仕方がない所があるのですよう。。。たとえば次のようなエピソードもある。

中井益子、佐田啓二夫人について語る時が来たようだ。小津の愛は総て絶望の方向を指すとも書いたが、益子の場合にもその例に洩れない。というよりも、益子がその最たる例だといった方が正しいのだろう。
撮影所の正門を出たすぐの四つ角をこえた右側に「月ヶ瀬」という店があった。小津の巣であったことは書いたが、風呂から寝泊りの面倒まで見たのでもわかるように、食堂と客という関係でものを考えると実情とだいぶ違って来る。

 (中略)

ためたいだけ勘定はためる。そのくせ客の側は営業時間のことなど全く念頭に置かない。いわば食堂を兼ねたサロンとして好きなまま使う。今にして思えば、よくあれで営業が成り立ったものだと案ぜられるほどのひどさだった。店の側も撮影所の一部門と諦めきっていた節がある。良き時代の話なのだ。
小津の場合は更にひどかった。客として無茶の限りを尽くす上に、娘の益子を私設秘書同然に使った。北鎌倉の自宅は勿論、茅ヶ崎館、はては蓼科(たてしな)の雲呼荘(うんこそう)と、電話一本で呼びつける。文字通り顎(あご)で使うのである。それでいて益子にものを買ってやることはあっても、小づかいは勿論、電車賃も払わなかった。

 (中略)

現金では購(あがな)えない精神的なつながりだと一方的にきめこんでいたのではないかと思われる。
それだけに小津は益子を信じきっていた。独身の小津が娘盛りの益子を平気で旅に連れ出す。勿論、周囲は色めいた。京都への旅では、溝口健二が勝手に益子を小津の結婚相手ときめこんだことがある。
「溝(みぞ)さんがな、結婚祝いをくれるというんだ。貰っとくからな、黙ってろ」
小津は益子にそういって悪戯(いたずら)っぽく笑った。旅先では同じ宿に泊まる。溝口が誤解したのも無理はないのだが、小津は益子に手も触れなかった。
俺は素人の娘はだめだよ
小津はそういう。駄目なものなら連れ出さなければよいのだが、益子は美しかった。その美しさの頂点の時期にあった益子を身近に置く楽しさと、厳しい自制の間で小津は揺れていたのだろう
小津45歳、益子20歳だったという。


245-248ページ 「絢爛たる影絵 – 小津安二郎」
著者: 高橋治 2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社講談社

小津監督は自分に対して掟(おきて)を設けていたのですよう。

つまり、素人の娘には手を出さないということですか?

そうですよう。

男と女の濃密な関係を持ったというエピソードの中の女性は「水商売の女」だとデンマンさんはおっしゃるのですか?

その通りです。。。本の中ではそう明言してないけれど、暗に「水商売の女」だと書いていますよう。

それは「水商売の女」を馬鹿にしていることですわ。

小津監督は「水商売の女」を決して馬鹿にしていたわけではない。ただ割り切って付き合っていただけだと僕は信じることができますよう。それが「俺は素人の娘はだめだよ」という言葉に表れている。

つまり、原節子さんに対しても小津監督は「素人の娘」と決めていたのですか?

その事については本の中で次のように書いてありますよう。

「原さん、もうちょっとこっちへ動いて」
厚田(カメラマン)が原の位置をずらすために体にふれたことがある。戻ってきた厚田に小津が小声でいった。
「色男だよな厚田家は。原さんの体にさわるんだから。俺なんか指一本さわれねえ」
いいながら冷やかした小津が照れたように真っ赤になった。
このような、原の体にもさわるまいという厳しさを持つ小津が、信頼から来るあふれる優しさで接した女優がある。それが杉村春子だった。


62-63ページ 「絢爛たる影絵 – 小津安二郎」
著者: 高橋治 2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社講談社

あのねぇ、信頼から来るあふれる優しさは原さんに対しても小津監督は持ち合わせていたのですよう。

この上の写真は、そういう時の二人の様子ですよう。

つまり、小津監督は原さんに対して厳しいばかりではなかったと。。。

もちろんですよう。。。厳しいばかりではなかった。。。でも、恋愛に関することとか、結婚に関することになると、小津監督は役者に厳しいのと同じように、自分に対しても厳しかった。

「(原さんの体に)俺なんか指一本さわれねえ」

この上の言葉に、その厳しさを僕は感じるのですよう。小津監督が自分に厳しい人だということを原さんも十分知っていただろうし、大坂志郎さんだって知っていたと思うのですよう。そうでない限り、馬鹿らしくって小津監督の厳しい指導に従う気がなくなるはずです。

つまり、自分に対する厳しさのゆえに、小津監督は原さんとの結婚など端(はな)から考えていなかったと、デンマンさんはおっしゃるのですか?

その通りですよう。

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
あなたは納得がゆきましたか?
小津監督は、それほど自分に対して厳しく自制することができたのでしょうか?

原さんと結婚しないと言う事を初めから考えて演技指導に当たったのでしょうか?
あなたは、どう思いますか?

とにかく、あさっても興味深い話題が続きます。
どうか、あなたもまた明後日、読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク


■ 『あなたのための愉快で楽しい英語

■ 『今、すぐに役立つ情報をゲットしよう!』

■ 『あなたのためのサイト 立ち上げ ガイド』

■ 『あなたのための クレジット カード ガイド』

■ 『あなたのための ローン ガイド』

■ 『住宅ローン・ビジネスローン ガイド』

■ 『なつかしの映画・TV番組(うら話)掲示板』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

■ 『ブログに記事を書いてお小遣いをもらおう!』

■ 『笑って楽しめる 私版・対訳 慣用句・熟語辞典』

■ 『辞書にのってない英語スラング』

■ 『オンライン自動翻訳利用法』

『プッタネスカ(2009年10月18日)』

『国敗れて山河あり(2009年10月22日)』

『鰻重と阿波踊り(2009年10月26日)』

『人のための医療(2009年10月30日)』

『病める日本(2009年11月5日)』

『住めば都(2009年11月15日)』

 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

■ 『バンクーバーの寒中水泳』

『猫ちゃんの出迎え(2009年11月17日)』

『名物先生(2009年11月19日)』

『ぶんぶく茶釜(2009年11月21日)』

おほほほほ。。。。

卑弥子でござ~♪~ますわ。

“断琴の交わり”に似た故事に

“刎頚(ふんけい)の交わり”というのが

ござ~♪~ますわ。

これは、かなり血なまぐさい話なのですわ。

ええっ。。。?

どのように血なまぐさいのかってぇ。。。?

あなたは血に飢えているのですか?

ええっ。。。?

つべこべ言わずに早く話せ!

あなたは、そのように強い口調で

あたくしに強要するのでござ~♪~ますか?

分かりましたわ。

そのために、今日はここに出てきたのですから。。。

うふふふふふ。。。

あのねぇ、これは中国の戦国時代の

お話なのでござ~♪~ますわよう。

趙(ちょう)と呼ばれる国があったのですわ。

紀元前403年に誕生して、

紀元前228年に秦によって

滅ぼされてしまったのでござ~♪~ます。

このお話は滅ぶ前のお話ですわ。

藺相如(りんそうじょ)という

立派な大臣が居たのです。

でも、歴戦の名将である廉頗(れんぱ)は、

口先だけで大臣になったと言って

藺相如を批判したのです。

それ以降、藺相如は病気と言って

外にあまり出なくなりました。

ある日、藺相如が外出した際に

偶然、廉頗と出会いそうになったのです。

藺相如は別の道を取って廉頗を避けました。

その日の夜、藺相如の家臣たちが集まり、

主人の気弱な態度は目に余ると言って

辞職を申し出たのでした。

しかし、藺相如は、今、廉頗と自分が争っては

秦の思うつぼであり、国のために廉頗の行動に

目をつぶっているのだと諭(さと)したのです。

この話が広まって廉頗の耳にも入りました。

すると、廉頗は上半身裸になり、

いばらの鞭を持って、

これまでの無礼な行為の罰として

自分を鞭で叩くように、

と藺相如に申し出たのでした。

でも、藺相如はこれを許しました。

そして、廉頗に服を着させたのでござ~♪~ます。

廉頗はこれに感動し

「あなたに首を斬られても悔いはない」と言い、

藺相如も同様に「あなたに首を斬られても

悔いはありません」と言ったのです。

こうして二人は互いのために

頸(首)を刎(は)ねられても

悔いはないとする誓いを

結んだのでござ~♪~ますわ。

…んで、ここに「刎頸の友」という

言葉が生まれたのでした。

どう。。。? 面白かったア~?

ええっ? あまり面白くなかったの?

どうしてよう?

ええっ。。。?もっと面白いことを話せと

あなたは、あたくしに強要するのですかァ~?

いやなお方ぁああぁ~♪~

分かりましたわ。

どうよ、これ。。。?

この女の子、パンツに噛み付かれているのよ。

笑えるでしょう?

あなたも、もっと笑って楽しい気分にならない?

次のリンクをクリックして覗いてみてね。

『あなたのための笑って

幸せになれるサイト』

ダメよ!生返事だけして

この場を誤魔化そうとしちゃぁあ~♪~

絶対見てよねぇ~。 

貴方が面白い話をしてってぇ、

強要したのですからねぇ~。

見ないとダメよォ~

おほほほほ。。。。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。バーィ