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トゥーランドットとかぐや姫

2017年10月14日

 

トゥーランドットとかぐや姫

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで“トゥーランドットとかぐや姫”を取り上げるのですか?


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あのねぇ~、10月7日の土曜日に、“ジョージア・ストレイト(Georgia Straight)”という週刊の無料エンターテインメント情報紙を開いたのですよ。。。 そしたら次のページが目に入った。


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『拡大する』

『電子版のページ』

真由美ちゃんも“ジョージア・ストレイト(Georgia Straight)”を読むことがありますか?

職場の休憩室のテーブルの上に広げてあることがあるので、コーヒーを飲みながら時々読みますわァ~。。。

上の記事は10月5日から12日の1週間の情報紙です。。。

上の写真は電子版ですよねぇ~。。。?

そうです。。。 情報紙の27ページを日本語に訳したので読んでみてください。


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ケベック州で活躍している ルノー・ドーセット(Renaud Doucet)が率いる新しいバンクーバーオペラ作品では、本当のトゥーランドットを探り出そうとしています。

トゥーランドットというタイトルを聞いて、まず思い浮かべるプリンセスのイメージは、求婚者の頭をバッサリと斬るのを好む 恐ろしい、氷のような冷たい女だということでしょう。
しかし、バンクーバー・オペラの新作「ジャコモ・プッチーニ」の大がかりな最終作では、アメリカのソプラノ歌手、アンバー・ワグナー(Amber Wagner)さんは、より多くの面を演じて見せます。
実績のあるケベックの監督、ルノー・ドーセットさんは、トゥーランドットの人間らしさを追い求めています。

リヒャルト・ワグナーの作品に出演した長年の経験を経て、ソプラノ歌手・アンバーさんは初めて記念碑的役割を演じることになるのですが、彼女は監督について次のように語っています。


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ルノー・ドーセットさんは観客が信じることができるような物語にすることに全力を尽くしています。

だから、この冷たい女を、観客が信じられるような女にするにはどうすればよいか?…と真剣に考えているわけです。

…と、リハーサル前の休憩で、アンバーさんは語りました。

ニューヨークタイムズ紙が「強力で陽気で豊かな表現力豊かな」と形容している彼女の声を傷つけないように、アンバーさんはバンクーバーオペラのオブライアン・センターで、紅茶をすすりながら、さらに続けます。

ルノー・ドーセット監督は、トゥーランドットを より人間的な女にするために、

階層的で多面的なバックストーリーを構築するのに最善を尽くしました。

オペラでは、古代の北京に設定されています。

強固な意思を持つ王女は 結婚したいと申し出る男たちに 3つの解けそうにもない難問を出します。

間違った答えを出せば、即刻、死が待ち構えています。


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しかし、アルゼンチンのテノール、マルセロ・プエンテが演じているカラフは彼女に恋してしまいます。

しかも、彼はすべての質問に答えてしまうのです。
ところが、トゥーランドットは、それでも彼との結婚を拒否するのでした。

それで、彼は王女に問題を出すのです。
問題が解けなかったら彼と結婚して欲しいと。。。、

赤と金の大掛りな背景と巨大なコーラスの中で、物語が進んでゆきます。
冷たい王女に いったい誰が人間らしい女を期待するだろうか?
男を殺害することだけに興味がある女に、幸せな結末があるだろうか?
ここで見られる壮大なセットは、最近演じられた、アトランタ・オペラのステージの一部と同じものです。

アンバーさんは、実際、トゥーランドットの人物に共感できるものを見つけたと言います。
彼女は語ります。

 

トゥーランドットは彼女が置かれている文化の中で周りの期待と戦っているわけです。
その文化では、女性は何よりも財産の一部としか見なされていません。
彼女は、このユニークで奇妙な状況の中に閉じ込められているわけです。

トゥーランドットが成長した世界に実際に私自身を置くことは無理だけれど、彼女が周りからの期待に抵抗する気持ちは十分に理解できます。
彼女はそういう期待に恐怖しているのです。
だから、冷たい仮面をかぶって悟られないようにしているのです。

監督もその事について話していました。
彼女は冷たい女を演じているけれど、それは殺されるよりも嫌われている方がまだマシだからだと…。

2010年にシカゴの歌劇劇場、ライアン・オペラ・センターを卒業した当時、アンバーさんは彼女の目指す芸術は、何よりも歌うことに尽きるという考えを持っていました。

でも、仕事を一緒にした何人かの監督の影響で、彼女の考え方は変わりました。

観客の皆さんが野球場のような騒ぎを望んでいるとは思いません。

それに、象徴的なアリアを歌いながら床を這い回ることを望んでもいないと思います。

アンバーさんは「トゥーランドット」がプッチーニのもっとも偉大な作品と見なしています。
「マダム・バタフライ」、さらには「ラ・ボエーム」よりも上をゆくかも…。

この「トゥーランドット」では、アンバーさんは特に集中的なリハーサル・プロセスに取り組んでいます。
監督は台本無しの稽古の前に、台本を見ながらの読み込みの稽古をたくさん課します。
アンバーさんが笑いながら付け加えます。

私たちの業界では台本を見ながらの稽古は、あまりしません。

私の経験では、リハーサルに来て、台本無しで稽古をするのが普通だわ。

トゥーランドットの役をこなすのは他のオペラの役と比べると極めて難しい。
ごく普通に演じようとしても難しいのです。
タイトル・キャラクターは、巨大なコーラスの勢いに負けてはならない、しかも、オープニング・アリアを上回るほどペースを上げ、さらに、パワフルなハイ・ノートに到達する必要がある。

前にも書いたように、アンバーさんは「トゥーランドット」がプッチーニのもっとも偉大な作品みなしています。
「マダム・バタフライ」、さらには「ラ・ボエーム」よりも上をゆくと思ってます。

 

こんな事言ったら殴られちゃうかもしれないけれど、プッチーニの作品に実はあまり感動したことってないのよ。

リヒャルト・ワーグナーの曲なら5時間はかけるわ。
私はドイツのオペラにハマっているのよ。

でも、この「トゥーランドット」は、とっても好きだわ。
なぜなら、プッチーニの思いが曲に込められていると思うの。
それに、このオペラのコーラスの使い方はすごいわ。
とても素敵な曲が幾つもあるのよ。

最後に、アンバーさんの最大の課題は、「トゥーランドット」の冷たいイメージを観客のオツムから払いのけることかも知れません。

次のように締めくくりました。

誰もが すでに自分の好きな役柄についての考えを持っているものよ。

でも、現在の私たちの戦いは、私たちの演技で観客の皆さんの先入観を覆(くつがえ)すことねぇ~。

バンクーバー・オペラは「トゥーランドット」をクイーン・エリザベス劇場で10月13日、15日、19日、21日に渡って公演します。

(デンマン訳)


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。。。で、これを読んで、デンマンさんは“かぐや姫”を思い出したのですか?

そうです。。。

でも。。。、でも。。。、かぐや姫は求婚する男たちが姫の求めるものを持って来なかったとしても殺したりしなかったじゃありませんかァ!

だから、その部分は違うけれど、求婚する男たちに難問を持ちかけるところなどそっくりですよ。

あらすじ (求婚の場)


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世間の男は、その貴賤を問わず皆どうにかしてかぐや姫と結婚したいと、噂に聞いては恋い慕い思い悩んだ。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず、彼らは翁の家の垣根にも門にも、
家の中にいる人でさえかぐや姫を容易に見られないのに、誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に出でて穴をえぐり、覗き込むほど夢中になっていた。

そのような時から、女に求婚することを「よばひ」と言うようになった。

その内に、志の無い者は来なくなっていった。
最後に残ったのは色好みといわれる五人の公達で、彼らは諦めず夜昼となく通ってきた。
五人の公達は、石作皇子、車(庫)持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂といった。

これを見て翁がかぐや姫に「仏のように大切なわが子よ、変化の者とはいえ翁も七十となり今日とも明日とも知れない。この世の男女は結婚するもので、あなたも結婚のないままいらっしゃるわけにはいかない」と言うとかぐや姫は、
良くもない容姿で相手の深い心も知らずに結婚して、浮気でもされたら後悔するに違いないとし、
「世の畏れ多い方々であっても、深い志を知らないままに結婚できません。ほんのちょっとしたことです。『私の言う物を持って来ることが出来た人にお仕えいたしましょう』と彼らに伝えてください」と言った。
夜になると例の五人が集まって、或る者は笛を吹き、或る者は和歌を詠い、或る者は唱歌し、或る者は口笛を吹き、扇を鳴らしたりしていた。翁は公達を集めてかぐや姫の意思を伝えた。

その意思とは石作皇子には「仏の御石の鉢」、車持皇子には「蓬莱の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」、右大臣阿倍御主人には「火鼠の裘(かわごろも、焼いても燃えない布)」、
大納言大伴御行には「龍の首の珠」、中納言石上麻呂には「燕の産んだ子安貝」を持って来させるというものだった。どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難だった。

石作皇子は大和国十市郡の山寺にあった只の鉢を持っていき嘘がばれたが、鉢を捨ててまた言い寄ったことから、思い嘆くことを「はぢを捨てる」と言うようになった。

車持皇子は玉の枝の偽物をわざわざ作ったがその報酬を支払われていない職人たちがやってきて偽物と発覚、長い年月姿が見えなかったことから「たまさがなる」と言うようになった。

阿倍は唐の商人から火鼠の皮衣を購入した。この衣は本来燃えぬはずであったが、姫が焼いてみると燃えたので贋作と分かり、阿倍に因んでやり遂げられないことを「あへなし」と言うようになった。

大伴は船で探索するが嵐に遭い、更に重病にかかり両目は二つの李のようになり、世間の人々が「大伴の大納言は、龍の首の珠を取りなさったのか」「いや、御目に二つ李のような珠をつけていらっしゃる」「ああたべがたい」と言ったことから、
理に合わないことを「あなたへがた」と言うようになった。

石上は大炊寮の大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上って子安貝らしきものを掴んだが転落して腰を打ち、しかも掴んだのは燕の古い糞であり貝は無かったことから、期待外れのことを「かひなし」と言うようになった。

その後、中納言が気弱になり病床にあることを聞いたかぐや姫が「まつかひもない」と見舞いの歌を送ると中納言はかろうじて、かひはなくありけるものを、と返歌を書き息絶えた。
これを聞いてかぐや姫は少し気の毒に思ったことから、少し嬉しいことを「かひあり」(甲斐がある)と言うようになった。
結局、かぐや姫が出した難題をこなした者は誰一人としていなかった。


出典: 「竹取物語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

。。。で、デンマンさんは「竹取物語」と「トゥーランドット」は、もともと同じ話が元になって枝分かれして できたお話だと思ったのですか?

そうです。。。

。。。で、その元になったお話しというのはどの昔話なのですか?

スフィンクスの話ですよ。。。

スフィンクス


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スフィンクス(Sphinx)は、エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物。また、猫のような姿をしている。

古典ギリシア語ではスピンクス(Σφίγξ, Sphinx)といい、スフィンクスとはこの英語読みである。

 

概要

古代エジプトにおける本来の名は不明だが、ギリシア語名は古代エジプト語シェセプ・アンク(szp 3nh, シェセプ=姿・形 アンク=再生・復活の神 「アンク神の像」の意)に由来するのではないかとする説がある。
ただしこの語は神あるいは王の像に対してのみ使われており、合成獣に使われた証拠はない。

スピンクスは女性名詞であり、中国語では「獅身人面像」または「獅身女面像」と訳される。
夏目漱石は『虞美人草』の中で「獅身女」という漢字に「スフーヒンクス」という熟字訓を当てた(漢字検定1級の問題集に「獅子女」という表記が見えるが典拠不明)。
永井荷風は『あめりか物語』の中では「怪像」に、『ふらんす物語』の中では「怪神」に熟字訓をあてている。

一方、ヘロドトスはエジプトの合成獣を描写する際にこの名詞を「Androsphinges」と男性化したが、これが男性スピンクスの唯一の例である。
また村井知至『社会主義』p14には「スヰンクス」という表現があり、明治・大正期には様々な表現が散見される。

本来はエジプト神話の生物であるが、非常に古くからギリシア神話にも取り入れられていた。
エジプトのスフィンクスは王家のシンボルで、ギザのピラミッドにある、いわゆるギザの大スフィンクスは王の偉大さを現す神聖な存在である。
対してメソポタミアやギリシャのスフィンクスは怪物として扱われていた。

 

古代ギリシア

ギリシア神話におけるスピンクスは、ライオンの身体、美しい人間の女性の顔と乳房のある胸、鷲の翼を持つ怪物(一部の絵画では尻尾が蛇になっている姿で表される事も)。
テューポーンあるいはオルトロスとキマイラあるいはエキドナとの娘。
一説によればテーバイ王ラーイオスの娘であり(アレクサンドリアのリュシマコス)、これによればオイディプースとは兄弟となる。

また、ウカレゴンの娘とする説もある(エウリピデス『フェニキアの女たち』26への古註)。
当初は子供をさらう怪物であり、また、戦いにおいての死を見守る存在であった。
高い知性を持っており、謎解きやゲームを好む。


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オイディプスの神話によれば、ヘーラーによってピキオン山に座し、テーバイの住人を苦しめていた。
旅人を捕らえて「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か」という謎を出し、間違った者を食べていた。

なお、答えずに引き返すことは可能だった。

この謎はムーサに教わったとされている。
しかし、オイディプスに「人間は赤ん坊の時はハイハイで四つ足、成長して二足、老年で杖をつくから三足だ」と答えられ、岩の台座から飛び降り、海に身を投げて死んだという(アポロドロス、ヒュギヌスなど)。
またはオイディプスに退治されたともいわれる(ソポクレス『オイディプス王』、エウリピデス『フェニキアの女たち』)。


出典: 「スフィンクス」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

このオイディプスの神話のエピソードが広まって、謎や答えられそうにない質問を出して、求婚者を悩ます話になったのですよ。。。

でも、全くオイディプスの神話とは関係なく、独立して「竹取物語」と「トゥーランドット」の話ができたという事だって考えられるのではありませんか?

あのねぇ~、似たような話は他にも結構たくさんあるのですよ。。。 いろいろな所で、同じ話が独立してできたと考えるよりは、交易のついでに商人が話を伝えたという風に考えた方が納得できるのです。。。

交易のついでに商人が伝えたというような事は他にも例がるのですか?

ありますよ。。。 例えば聖徳太子は「厩戸王子」と言われているけれど、実は、キリストが厩で生まれたことと関係しているのです。。。

マジで。。。?

ここで話すと長くなるから次の記事を読んでみてねぇ~。。。


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『オルフェと聖徳太子』


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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー


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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 

If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


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『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』


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『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』

『行田物語 ケネディ暗殺』

『行田物語 病院食』

『行田物語 お股の花々』

『晩香坡物語 ジャズ』

『行田物語 悪夢』

『行田物語 社長』

『行田物語 棺桶に入るまで』

『宝田百合子@インド』

『行田物語 ちゃぶ台』

『行田物語 アカギレ』

『行田物語 にぼし』

『ノーベル賞がなぜ?』


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孀婦岩

2017年8月23日

 

孀婦岩

 


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デンマンさん。。。 なんだか難しい漢字のタイトルを書き出しましたけれど、どう読むのですか?


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「そうふがん」と読むのです。。。

どうして また難しい漢字を書き出したのですか?

いや、僕が書き出したわけではないのですよ。。。

でも、タイトルを書くのはデンマンさん以外にいませんわァ。。。

タイトルを書いたのは僕だけれど、タイトルを決めたのは僕ではないのですよ。。。

卑弥子さんですか?

いや、大阪市に住んでいる相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんが決めたようなものです。。。 ちょっと次のリストを見てください。


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『拡大する』

『「孀婦岩」のタグのページ』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で8月21日の午後1時53分から午後4時50分までの約3時間の「生ログ」です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。。。

あらっ。。。 8月21日の午後2時7分にYahoo!で検索して「孀婦岩」のタグのページを開いたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 次のようにして検索したのです。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

「孀婦岩 ジューン」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんはジューンさんのファンでもあるのですよ。。。

。。。で、どのようにして相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんが読んだと突き止めたのですか?

IPアドレスを調べたのです。。。


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『拡大する』

デンマンさんはすぐにIPアドレスを調べますけれど、プライバシーを保護するためにアクセス者の名前まではゲットできないのですわァ。

あのねぇ~、相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんは『徒然ブログ』の常連さんなのですよ。。。

記事を読んだあとで、デンマンさんにメールしたのですかァ~?

そうです。。。 実は、かつて孀婦岩について僕とジューンさんとで語り合った記事を 相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんは読んだことがあったのですよ。。。 でも、その時のタイトルを思い出すことができなかった。。。

それで、沙扶羅(さふら)さんは「孀婦岩 ジューン」と入れて検索したのですすか?

その通りです。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

上の赤枠で囲んだ「孀婦岩」のタグのページを開くと 次のページが出てくるのです。。。


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『拡大する』

『実際のページ』

2013年3月4日にデンマンさんが投稿した記事が出てくるのですわねぇ~。。。

そうです。。。 『海に佇むロトの妻』というタイトルで記事を書いたのですよ。。。

相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんは、この記事のタイトルが知りたかったのですか?

もちろん、それだけじゃありません。。。

いったい、何を調べようとしていたのですか?

だから、「ロトの妻」がなぜ「岩」にされてしまったのか? その事を調べようとしたわけです。。。

 


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確か、『旧約聖書』によると「ロトの妻」は「塩の柱」にされたはずですよねぇ~。。。

そういうことです。。。

ロト

ロトは『旧約聖書』の登場人物である。
『創世記』11章後半から14章、および19章に登場する。

父はテラの息子ハランであり、ロトはアブラハムの甥にあたる。
また、『新約聖書』では義人として紹介されている(『ペトロの手紙二』2:7-8)。

アブラハムに伴って古代エジプトへ、そしてカナンへと旅をするが、アブラハムの牧夫とロトの牧夫との間に争いが起きたため、ロトは肥沃な土地である東方のヨルダン地域へと移動し後にソドムへと移住する。
エラムの王ケドルラオメルによってソドムが略奪されると、ロトの家族は家財もろとも捕虜として連れて行かれるが、そのことを伝え聞いたアブラハムによって救出される。

後に、天使がソドムに派遣され、ヤハヴェがソドムとゴモラを滅ぼすことを決定したことをロトに伝える。
そこでロトは夜が明ける前にロトの妻と2人の娘を伴ってソドムを脱出し、近隣の都市ツォアル(ベラ)へと向かう。
逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」と指示されていたが、ロトの妻は後ろを振り返ってしまい、「塩の柱」となる。


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その後、彼らは山中の洞窟に移住したが、ここで娘たちは父を酔わせ近親相姦し父によって男子を1人ずつ生んだ。
長女の息子は「モアブ(父親より)」と名付けられモアブ人の祖となり、また、次女の息子は「ベン・アミ(私の肉親の子)」と名付けられ後にアンモンの人々の祖となった。

ロトがいた洞窟とされる場所はビザンチン時代はキリスト教徒の巡礼地となり、教会が建造された。
この教会の遺跡(アラビア語: デイル・アイン・アバタ)が死海東南岸に残されている。

教会横には「ロトの洞窟」が存在する。
教会は現代のヨルダン王国カラク県に位置するが、カラク地域は歴史的には「モアブ」と呼ばれていた。
洞窟で生まれたというモアブ人は鉄器時代には同地域に王国を築いていた。

『創世記』ではロトの妻と娘たちの名は明かされていない。
「エシェット・ロット」は「ロトの妻」という、文字通りの意味。
英語表記はEshet Lot で、英訳するとLot’s wifeとなる。


出典: 「ロト」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さすがにジューンさんは詳しいですね。

キリスト教徒ならば、この話はたいていの人が知っていますわ。

あれっ。。。 ジューンさんも日曜日にはミサのために教会に行くのですか?

気が向いたら行くことにしていますわ。 (微笑)

ジューンさんはキリスト教徒でも、あまり熱心でない教徒なのですね。

デンマンさん。。。 そのような事はどうでもいいのですわ。 それよりも、どうして「ロトの妻」が岩になって海の中にあるのですか? たとえ岩にされてしまっても海の中ではなくて平地にあるはずですわ。


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うん、うん、うん。。。 『旧約聖書』に従えば、確かに「ロトの妻」は「塩の柱」にされて海ではなくて平地か、あるいは荒野にあるのですよ。 でもねぇ、実は、太平洋の中にも岩にされた「ロトの妻」があるのですよ。


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これが、その太平洋に佇んでいる「ロトの妻」なのですか?

その通りです。

そのような事は聞いたことがありませんわ。

無理もないでしょう。 日本人でも知らない人が多いのだから。。。

あらっ。。。 冗談ではなくてマジで「ロトの妻」と呼ばれる岩が太平洋の海の上に写真のように突き出ているのですか?

もちろんですよ。 僕は「でまかせ」を言っている訳ではないのです。

でも、日本語の本を読んでも、そのような話を読んだためしがありませんわ。

無理もありませんよ。 僕自身も、最近になって知ったのだから。。。

またバンクーバー市立図書館で借りた本の中に出てきたのですか?

そうです。


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上のリストの赤枠で囲んだ本の中に出てきたのですか?

そうです。 その箇所を読んでみてください。

船の名はフェーリス号。
船長はジョン・ミーアズ(1756?-1809)という元イギリス海軍大尉である。

ミーアズは、中国在住のイギリス商人ジョン・ヘンリ・コックスが1785年に設立した「ベンガル毛皮商会」に雇われ、北アメリカ西海岸で住民からラッコの毛皮を買いつけ、それを中国で売る、という仕事に従事していた。
ただし、当時のイギリスでは、中国での取引に際してはイギリス東インド会社、アメリカ西海岸での取引に対しては南海会社に、それぞれライセンス料を支払う必要があったのだが、コックスの事業はそれを無視した非合法なものだった。
ミーアズは1786~87年の最初の航海を行い、アラスカ沿岸に到達して交易を行っている。

続いて1788年、コックスらはフェリース号とイフィジェナイア号の二隻を購入し、二度目の航海を行うことにした。
フェリース号にはミーアズ、イフィジェナイア号にはウィリアム・ダグラスがそれぞれ船長として乗り込むことになった。
このとき、イギリス当局の目をかいくぐるため、コックスらはマカオのポルトガル商人たちとの合弁企業をでっちあげ、二隻もポルトガル船籍だということにしている。

ミーアズの航海記によると、フェリース号は1月22日にマカオを出港し、ミンダナオ島に寄航したのち北アメリカへと向かった。
この途中で、彼はグランパス島を“発見”することになる。
問題の島が目撃されたのは、4月5日のことである。

(中略)

この4日後(9日)、フェリース号は、巨大な岩が海中にぽつねんとそそり立っている、という異様な光景に出くわしている。


(lot004.jpg)

その岩に近づくにつれ、我々の驚きはより大きくなった。

船員たちは、なにか超自然的な力がこの岩の形を突然今の形に変えたのだ、と強く信じたがっていた。

その岩は「ロトの妻(Lot’s Wife)」という名前を与えられた。 (略)

正午までに我々はこの岩の横に並んだ。

 (中略)

ところで、この巨岩は現存しているのだが、ミーアズの報告とは大きく異なっている。
北緯29度47分37秒・東経140度20分31秒、鳥島の南方約75キロの地点に、海中から、標高99メートルの巨大な岩が突き出している。


(lot003.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)


72-77ページ 『地図から消えた島々』
著者: 長谷川亮一
2011年8月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 吉川弘文館

。。。で、この巨大な岩は日本の領海にあるのですか?

そうなのですよ。 ウィキペディアには次のように書いてありますよ。

孀婦岩(そうふがん)


(loto001.jpg)

 

孀婦岩は伊豆諸島の島。
同諸島の最南端にある無人島で、所属市町村未定のため東京都の直轄となっており、東京都総務局の出先機関である八丈支庁が管理事務を行っている。
日本の気象庁により活火山(ランク未分類)とされている。

東京の南約650km、鳥島の南約76kmに位置する標高99m、東西84m、南北56mの顕著な黒色孤立突岩。
火道内のマグマが硬化してできた典型的な岩頸であり、したがって岩質は玄武岩である。

頂上付近には水面に対して垂直方向の柱状節理が認められる。
面積は0.01平方km。
カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西2.6km、水深240mには火口がある。

その形状のために上陸することは困難であるが、1972年に早稲田大学の学生が上陸、ほか2003年にもロッククライミングで登頂した例などが存在する。
ただし転落事故も記録されている。

周辺は航海の難所ながら、豊かな漁場として伊豆・小笠原漁民に知られる。
また、高い透明度と豊富な魚影からスキューバダイビングの聖地とする人も多い。

海鳥の生息地となっているため、島は鳥の糞で白くなっている。また、頂部にイネ科の植物が生息している。

孀婦岩について初めて確実な記録を残したのは、イギリス人で元海軍大尉のジョン・ミアーズ(John Meares)であった。
彼は交易のため二艘の船団でマカオを出発、ミンダナオ島を経て北アメリカに向かう途上で孀婦岩を目撃した。


出典: 「孀婦岩」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、「ロトの妻」が日本の領海にあるということがデンマンさんにとって興味深かったので、記事を書いたのですか?

いや、違うのですよ。 ロトは夜が明ける前に妻と2人の娘を伴ってソドムを脱出し、近隣の都市ツォアル(ベラ)へと向かう。 逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」と指示されていたが、ロトの妻は後ろを振り返ってしまい、「塩の柱」になてしまう。 これに似た話が日本の神話にあるのですよ。


(lot002.jpg)

どのようなお話なのですか?

次のような話ですよ。


(izana02.jpg)

 

イザナギ(伊弉諾)は、古事記、日本神話に登場する皇祖神で、イザナミ(伊弉冉)の夫である。
イザナミは、火の神であるカグツチ(軻遇突智)を産むと、あまりにも熱かったために陰部に火傷を負って、それがもとで亡くなってしまう。

夫のイザナギは妻の死を嘆き悲しんだ。
しかし、どうしても諦めきれない。
なんとかして、イザナミに逢いたい。

それで黄泉国(よみのくに)まで逢いに行った。
番人に尋ねると親切にイザナミを呼んできてくれた。
でも、暗くて顔まではよく見えない。

「私もあなたにお会いしたかった」
「それなら、これから一緒に現世に戻ろうじゃないか」
「分かりました。 でも、一つだけ約束してください。 現世に戻る間、振り向いて私をご覧になってはいけません。 この約束を守ることができますか?」
「もちろんだとも。。。 約束するよ」

ところが、現世に戻る道すがら、イザナギは、どうしても妻の姿が気になって仕方がない。
ついに振り返って見てはいけないというイザナミとの約束を破ってしまった。

妻の体は腐敗してウジにたかられ、八雷神(やくさのいかづちがみ)に囲まれたイザナミの姿であった。
その姿を恐れてイザナギは逃げ出してしまう。
追いかけるイザナミ、八雷神、黄泉醜女(よもつしこめ)らに、髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の木の実を投げて、イザナギは何とか難を振り切って逃げるのだった。

振り向いて妻の姿を見てはダメだと言うのに夫は見てしまう。 すると妻の体は腐敗してウジに覆われていたというのですよ。

つまり、「ふりむいてはいけない」という事が2つのエピソードに共通していると言うのですか?

その通りですよ。

要するに、日本の神話には『旧約聖書』の「ロトの妻」のエピソードの影響があるとデンマンさんは言いたいのですか?

そうですよ。 ジューンさんも、そう思いませんか?

それは偶然だと思いますわ。 第一、「ロトの妻」のエピソードはヨルダンの地域で生まれたものですわ。 日本と何千キロも離れていますわ。 日本の神話が『旧約聖書』の影響を受けるはずがありませんわ。

ところが、聖徳太子の伝説にも明らかに『聖書』の影響を受けているというエピソードがあるのですよ。

まさか。。。?

ジューンさんは信じられないかもしれないけれど、マジなのですよ。

つまり、相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんも 聖徳太子の伝説に『聖書』の影響があるというエピソードを読むために、『海に佇むロトの妻』というタイトルで記事を探したわけですかァ?

そういうことです。。。 僕が続きを書いて更新していると思ったのだけれど、どこを探しても書かれてないので、僕にメールを出して尋ねたわけです。。。

。。。で、そのエピソードというのは、どの記事で書いたのですか?

次の記事です。。。


(taishi01.gif)

『なぜ厩戸王子なの?』

ジューンさんも読んでみてください。。。

でも。。。、でも。。。、この記事は2003年8月3日に書いたものではありませんかァ!

そうです。。。 今から14年前です。。。 いけませんか?

『海に佇むロトの妻』よりも前に書いたのではありませんかァ!

そうです。。。 うっかりして忘れていました。。。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたはデンマンさんが書いた上の聖徳太子のエピソードを信じることができますか?

ええっ。。。 そんな事はどうでもいいのですか?

少しは日本の古典のお話を真面目に読んでくださいなァ~。。。

ええっ。。。? そんなことより、もっと面白いエピソードはないのかってぇ~。。。?

貴方が そう言うのであれば、特に貴方のために取って置きのお話をしますわァ。。。

実は、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が殿方の注目を集めているのでござァ~ますわよう。

うふふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムで汗を流して “ヴィーナスのえくぼ”をゲットいたしました。。。


(buttdimp5.jpg)

スタイルもよくなったのでござ~ますわァ~。。。


(curtain5.jpg)

いかがでござ~ますか?

でも。。。、でも。。。、“天は二物を与えず”と申します。。。

これほどスタイルが良くなったというのに、あたくしは未だに独身でござ~ますのォ。。。

世の中は、なかなか思うようにゆかないものですわァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


(manya02.jpg)

『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、

ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。

(roten101.jpg+cleoani.gif)

『悲愴と白鳥』

『ブッダと千夜一夜物語』

『絹の道と千夜一夜物語』

『ヤノマミの乙女』

『ジャータカと今昔物語』

『白木屋お熊とセックス』

『パンツを売る乙女』

『床上手な女@マルタ島』

『宮沢りえとおばさんパンツ』

『マチュピチュとインディー・ジョーンズ』

『映画を愛する薄命の女』

『ベニスの騒動』

『アンネとハンナ』

『名器たこつぼ』

『レダの卵を探して…』


(miro0018.jpg)

『サモトラケのニケとミロのヴィーナス』

『薄命な女のパンツ』

『ロトの娘たち』

『もう一人のモナリザ』

『万夜一夜の謎』

『自由という誘惑』

『驚異の大洪水』

『おつまみミステリー』

『混浴風景を探して』

『ハレルヤ』


(sylvie122.jpg)

『マルタ島のロマンだ』

『宮沢りえ人気@海外』

『癒しを奏でるパンツ』

『マルタ島deロマン』

『生ログdeロマン散歩』

『宮沢りえ@クールジャパン』

『混浴風呂ガー』

『ウェルカムバック』

『コペンハーゲンからやって来た』

『ロシアからやって来た』

『海外美女ランキング』

『ブログを解剖する』

『スイスからトランプ見に来る』


(fan004.jpg)

『海外美女を探して』

『パンツde大晦日』

『Tバック@三賀日』

『とっちゃん坊や』

『また千夜一夜』

『初恋の思い出』

『乳房振動とブラ』

『白木屋お熊』

『肥後ズイキ@セルビア』

『紐パン熟女』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
(godiva05.jpg)

『美尻のビーナス』

『紐パン熟女に惹かれて』

『あの二人が気になって』

『肥後ズイキ@セルビア』

『私は下着女装です』

『ドリアンを探して』

『パリの日本人』

『ペンタゴン式己を疑う』

『薄命な女と映画』

『ラーメン@ベリーズ』

『うるさい夏』

『芭蕉と英語』

『晩香坡物語 生誕150年』

ジューンさんの熟女下着
(30june.jpg)

『エレクトラde中国』

『熟女パンツ』

『ラーメン@カイロ』

『スパム@クルーズ』

『えくぼ@ヴィーナス』

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


(hand.gif)



(spacer.png+betty5de.gif)
(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


(chiwawa5.gif)

こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)


(himiko92.jpg)

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ


(juneswim.jpg)


(byebye.gif)

聖徳太子のチューター

2017年7月12日

 

聖徳太子のチューター

 


(taishi01.gif)

(lotus102c.jpg+spacer.png+himiko82.gif)


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デンマンさん。。。、聖徳太子のチューターは女性だったのでござ~♪~ますかァ~?


(kato3.gif)

いや、違います。。。 卑弥子さんを呼び出したついでに、卑弥子さんに似た人を貼り出したまでです。。。 深い意味はないのですよ。。。

でも、どういうわけで急に聖徳太子のチューターというタイトルにしたのでござ~ますかァ?

実は、東京に住んでいる 正徳 多恵(しょうとく たえ)さんが僕の記事を読みにやって来たのです。。。 次のリストを見てください。。。


(liv70710a4.png)


『拡大する』

『聖徳太子の家庭教師』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の7月9日の午後3時から午後8時23分までの約5時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。

あらっ。。。 7月9日の午後3時19分にGOOGLEで検索して『聖徳太子の家庭教師』を読んだのでござ~ますわねぇ~。。。

そうです。。。

IPアドレスを調べて 東京に住んでいる 正徳 多恵(しょうとく たえ)さんが『聖徳太子の家庭教師』を読んだと突き止めたのでござ~ますかァ?

その通りです。。。


(ip223106b.png)

『拡大する』

でも、IPアドレスを調べてもアクセス者の名前まではゲットできないのですわァ~。。。

卑弥子さんは、また きびしいツッコミを入れるのですかァ~?

だってぇ~、事実は事実ですものォ~。。。 上の結果を真に受けて、IPアドレスを調べると、個人情報までゲットできるような間違った印象をネット市民の皆様に与えるのはよろしくござ~ませんわァ。

あのねぇ~、正徳 多恵(しょうとく たえ)さんは『聖徳太子の家庭教師』を読んで、とっても面白かったというメールを僕に寄越したのです。。。

つまり、、正徳 多恵(しょうとく たえ)さんも デンマンさんのブログの常連さんの一人だと言いたいのでござ~ますかァ?

そうです。。。 僕が自作自演をしているのではないということを示すために、わざわざIPアドレスを公開しているのですよ。

。。。で、多恵さんは、どのようにしてデンマンさんの記事を探しだしたのでござ~ますかァ?

もちろん、GOOGLEで次のように検索したのですよ。。。


(gog70710c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「聖徳太子 家庭教師」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

そうです。。。 42,700件ヒットするのですよ。。。

正徳 多恵(しょうとく たえ)さんは赤枠で囲んだ記事を読んだのでござ~ますか?

そういうことです。。。

でも。。。、でも。。。、多恵さんは、どういうわけで聖徳太子に家庭教師がいたことを知っていたのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、多恵さんは東京の文京区目白台にある日本女子大学の文学部史学科の4年生なのですよ。。。


(tjkoshidaimap.png)


(tjkoshidai.jpg)


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つまり、日本古代史の聖徳太子で卒論を書こうとしているのでござ~ますかァ?

そういうことです。。。

。。。で、卒論のヒントを得るためにGOOGLEで検索したのでござ~ますかァ?

その通りです。。。

。。。で、何が参考になったのでござ~ますかァ?

多恵さんは次の箇所を読んでオツムに閃(ひらめ)くものがあったのですよ。。。

4) 聖徳太子の母親はペルシャ人だった


(persian02.gif)

宇宙の摂理ブログ聖徳太子の母親はペルシャ人だった? 聖徳太子の母親は ペルシャ人だった? 渡来人 聖徳太子とその時代を考えるとき、私たちは日本古代史の中で考えようとします。昔の日本で起こったことを考えるのだから、それも当然のことのように思えます。 …

http://barclay.wablog.com/4.html – 95k

5) 聖徳太子の個人教授には

  ペルシャ人がいた

宇宙の摂理ブログ確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになり … ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居た …

http://barclay.wablog.com/3.html – 98k


(2008年7月10日午後4時現在)

『「聖徳太子 ペルシャ人」 の検索結果』

つまり、聖徳太子にはペルシャ人の血が流れたいたのかもしれない、と多恵さんは関心を深めたのですか?

そうです。。。 それで次の部分をじっくりと読んだのです。。。

 

聖徳太子の個人教授には

ペルシャ人がいた


(taishi01.gif)

太子は、高句麗からの渡来僧・慧慈(えじ)を個人教授として内教(仏教)を学んだとされています。さらに外典(そとふみ)を覚袈(かくか)から学んだそうです。仏教から外典というと、その中には儒教、道教、景教、拝火教、バラモン教、つまり仏教以外のさまざまな経典が含まれます。この覚袈が渡来人であったと言われていますが、どこの国からやって来たのか、については確証がありません。

聖徳太子は、蘇我氏の一員だと言っても過言ではないほど、蘇我氏とは切っても切れない繋がりを持っています。また、蘇我氏は渡来人を支配することによって実力をつけてきたということからも分かるように、渡来人の集団とは強い絆で結ばれています。私は、蘇我氏自身も高句麗りからやって来たとみています。このことについては、このページ (蘇我氏は高句麗からやってきた) で説明しています。

要するに、聖徳太子は、小さな頃から渡来人に取り囲まれて生活していたと言うことは、まず間違いないようです。従って、成長してからも彼の回りには実に渡来人が多いのです。先ほど述べた高句麗からの渡来僧・慧慈(えじ)と外典(そとふみ)を教えた覚袈(かくか)は、太子に影響を与えた数多い渡来人の中のたった二人に過ぎません。

太子の個人教授にはこの二人の他に慧聡(えそう)がいます。この人は、実は慧慈(えじ)と同じ年に百済から来朝しています。『書紀』 に 「慧慈、慧聡は内教を弘演(ひろめ)て並(ならび)に三宝の棟梁となる」、とあります。これら名僧は、飛鳥寺を造り終えると同時に、飛鳥寺の住僧となっています。

しかし、この当時の国際関係を考えると、一見、不思議な感じがします。交戦を続ける高句麗と百済の敵国同士の両僧が、同時に来朝し、飛鳥寺に共に居住して、仏教の二大棟梁となる、ということは、常識的には考えられません。こじつけて、説明しようとするならば、高句麗の慧慈を通して北朝仏教を、一方百済の慧聡を通して南朝仏教をともに導入しようとした、ということが言えるでしょう。しかし、これとても、もう一つ説得力に欠けます。そこで、この当時の坊さんの役目を考えてみる必要があります。

一言で言ってしまえば、言葉の響きは良くありませんが、坊さんは頭を丸めたスパイです。仏教を国教とする時代です。しかも、「推古女帝と聖徳太子」のページで述べているように、蘇我馬子の宗教観には、仏教を思想面で受け入れると言うよりも、政治に利用するという意図がありありと見て取れます。したがって、慧慈、慧聡、覚袈は、太子の宗教の専門の師であるばかりでなく、高度の政治外交の顧問格でもあったわけです。しかも、スパイとしての役目を担っていますから、「同時に来朝し、飛鳥寺に共に居住して、仏教の二大棟梁となる」ことは、不思議でもなんでもない。むしろ、この二人にとっては、好都合だったと言えるでしょう。居ながらにして情報交換ができるのですから。

後年、慧慈(えじ)は高句麗へ戻っています。もちろん、時の高句麗王に報告のためです。坊さんになってスパイ活動をしたという良い例は、藤原鎌足の長男・定慧(じょうえ)です。この人のことは、このページ (藤原鎌足と長男・定慧) で詳しく述べています。あまり出過ぎたことをしたために、天智天皇の命令で殺されています。

百済は高句麗や新羅にたえず攻められるため、大和朝廷に幾度も軍事援助を求めています。派兵の代償として、五経博士などの文化使節を送ってきたわけで、慧聡(えそう)もそうした文化使節の一員です。その記事は 『日本書紀』 の「継体紀」 「欽明紀」や 『百済本紀』 に書かれています。しかし、文化使節とは、表向きのはずで、慧聡(えそう)のような僧侶は、時の権力者に近づく機会が多いわけで、よく言えば、百済大使、悪く言えばスパイの親分として活動していたことは、いわば当然のことです。

五経博士の「五経」とは儒教の易・書・詩・礼・春秋で、これとともに医博士、暦博士、採薬師施(くすりかりのはかせ)や僧侶など、各分野の専門家を送って来ており、諸博士の人名も中国の南朝人と分るものもあり、時の大和朝廷は百済のみならず、百済を介して南朝文化の導入も意図していたことがうかがわれます。

ここで、このページのタイトルについて考えてみましょう。覚袈(かくか)は果たしてペルシャ人だったのだろうか?覚袈は外典(そとふみ)を太子に教えたのです。外典とは儒教、道教、景教、拝火教(ゾロアスター教)、バラモン教を含めた仏教以外のさまざまな経典ですから、儒教と道教については百済人や高句麗人でも教えることができたかもしれません。しかし、景教、拝火教、バラモン教となると、百済人や高句麗人では手に負えなかったのではないでしょうか?このように考えれば、覚袈がペルシャ人であったとしても不自然ではありません。

 

聖徳太子の一族に

ペルシャ人が居たの?

ここで考えなければならないことは、これらの高度の文化を、一体、大和朝廷の誰が受容できたのであろうか?と言うことです。語学の素養もない、外国文化に触れたこともない一般の官吏ではまず無理です。つまり、これらの高度の文化を受け入れることができるのは語学の素養もあり、外国文化に触れたこともある東漢人(やまとのあやひと)や今来漢人(いまきのあやひと)などの渡来人です。

この人たちを掌握していたのは一体誰か?蘇我氏です。従って、蘇我氏の中にもまた語学の素養があり、外国文化に明るい人たちがたくさん居ないと、彼らを掌握し切れません。このことからも、蘇我氏が渡来系の氏族であったということがよく分かります。

上に述べたような理由で蘇我氏のもとには渡来人がたくさん集まってきます。渡来人の中には、もちろんペルシャ人も居ました。当然のことながら、蘇我氏を頼って行ったでしょう。

ここで、前のページからの本題に入ります。聖徳太子の母親はペルシャ人だったのか?


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当時ペルシャ人をハシ人と呼び、波斯人と書きました。太子の個人教授の一人である覚袈(かくか)がペルシャ系の人ではないかという推測は、太子の母が穴穂部間人(あなほべのはしひと)と書かれている事と、大いに関係があります。間人(はしひと)とは波斯人(はしひと)でペルシャ人のことではないか!と、言うわけです。太子が赤い髪の毛をしていたと言う伝承があります。この伝承に真実が隠されているのではないか?もしそうだとするなら、太子の母親がペルシャ人であると言う事も決して荒唐無稽な事ではありません。


(shotoku03.gif)

聖徳太子の父は用明天皇、母は蘇我稲目の孫娘です。この稲目の父は高麗(こま)で、高句麗からやってきたのですが、実はこの人がペルシャのサカ族の出身だと言う研究家も居ます。しかし、そんな遠いところにペルシャ人を持ってゆかなくてもよいのです。私はその説よりも、むしろ穴穂部間人の母親、つまり小姉君(おあねぎみ)がペルシャ人の血を受け継いでいるのではないか、とみています。

もし当時、ペルシャ人が日本へやってきて、どの一族を頼りにするかといえば、当然、飛ぶ鳥を落とす勢いの蘇我氏の元を訪れたことでしょう。その頃、渡来人を掌握していたのが蘇我氏だからです。ペルシャ人の中には、蘇我氏との絆を確固なものにするために、蘇我稲目に娘を側室として差し出す親も現れたでしょう。そのようにして穴穂部間人が生まれた、と考えるわけです。

小姉君の父はたしかに稲目なのですが、母親の出自について日本書紀は沈黙しています。なぜ沈黙する必要があるのか?その答えを出すには誰が日本書紀を書いたかが分かれば簡単です。天武天皇の息子の舎人親王が編集長だったと言うように書かれていますが、彼はむしろ発行人であり、実際に編集に当たっていたのは藤原不比等です。藤原氏は、元、中臣氏ということで、日本古来の氏族となっていますが、不比等のおじいさんの御食子(みけこ)は百済からやって来ました。従って、自分たちが「よそ者」であるということを書きたくなっかたように、穴穂部間人の出自についても沈黙していたのです。

では、なぜ、不比等は自分の名前を編集長として書紀に書かなかったのか?それには、これまた事情があります。そのことについてはこのページ (『壬申の乱』は天智帝暗殺で始まった) で説明しています。

しかし、この説を採ると、飛び越えねばならないハードルがあります。どういうことかというと、実は、小姉君の母親が物部氏出身と思える節があるのです。

というのは、当時の皇子・皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通でした。そして育った土地の名前をつける慣習がありました。飛鳥で育った大王の娘なら飛鳥皇女と呼ばれるわけです。すると穴穂部間人皇女の穴穂も地名に由来することになります。大和周辺に穴穂の地名は河内と奈良の石上にあります。皇女がどちらで育ったか分りませんが、どちらも物部氏の領地なのです。

つまり小姉君は蘇我稲目の娘であると同時に、物部氏の娘でもあったのです。しかも穴穂部間人皇女は物部の土地で成長しました。しかし、ご存知のように、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏は対立し、それまでの史上最大の戦闘を繰り広げました。したがって、このようなことがあり得るだろうかと、あなたは疑問に思うかもしれません。

ところが、それ以前、朝廷で権力を握っていた大伴氏を退けるため、蘇我氏と物部氏は手を握り合ったことがあります。どういうことかというと、小姉君は、蘇我氏と物部氏が宮中で勢力を伸ばす方策として、互いに婚姻関係を結んでいた当時の産物ということになります。「友情の証」として、蘇我稲目かあるいは彼の父親の高麗が自分の側室の中から美しいペルシャ人の娘を物部の氏の長者に与えたのでしょう。このようなことは、この当時よくあることでした。軽皇子(後の孝徳天皇)が小足姫(おたらしひめ)を中臣鎌足(藤原鎌足)に与えたのもこのような例です。このことについては、このページ (藤原鎌足と軽皇子) で述べています。

そのお返しに、今度は、物部氏がペルシャ人の女性から生まれた娘を蘇我稲目の側室として与えたわけです。その娘から生まれたのが小姉君だというわけです。したがって、小姉君の体内にはペルシャ人の血が4分の1流れていたわけです。彼女の娘が穴穂部間人皇女です。確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになります。太子が赤い髪の毛をしていたという伝承は、このことによって説明がつきます。

また、後に推古天皇を生む堅塩媛(きたしひめ)と小姉君の間の確執も、このことによっていっそう良く理解することができます。つまり、この腹違いの姉妹は共に欽明天皇の後宮に入ります。ところが、若くてきれいな小姉君へと天皇の愛は傾いてゆきます。それも分かるような気がします。エキゾチックなペルシャ人の血を引いている小姉君は、天皇の目には、さぞかし魅惑的に映ったことでしょう。

しかし、堅塩媛(きたしひめ)にしてみれば我慢のならないことです。このようなことを身近に見て来た娘の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)も、当然、この混血児の叔母のことを良く思うはずがありません。母親からずいぶんとグチをきかされたことでしょう。この豊御食炊屋姫が推古帝です。

推古天皇は、後年、この小姉君の血を引き継いでいる皇子(聖徳太子も含めて)が天皇になることを極力避けようとしています。推古帝の身になってみると、2重の意味でこのような皇子を排除したかったでしょう。先ず「よそ者」の血が流れているということ。しかも、この混血児の叔母のために、自分の母親がつらい目にあってきたということ。このように考えてゆくと、つまり小姉君にペルシャ人の血が流れているとすれば、このあたりの事情が非常にすっきりと説明できます。

しかし、これだけに止まりません。なぜ、聖徳太子は厩戸王子と呼ばれたのか?母親の穴穂部間人皇女が宮中を見回るうちに、馬屋の前で産気づき、そこで出産したからという逸話が日本書紀などに見られます。これはキリストの生誕を彷佛とさせます。しかし、納得ゆくような説明が見当たりません。

ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居たことを考えると、このことも、非常にうまく説明がつきます。では、次のページでもっと詳しくこのことを見て行こうと思います。


この記事は次のページをコピーして編集したものです。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/persia3.html


リンク元(referer)

Google.co.jp 聖徳太子 ペルシャ人
Google.co.jp えじ えそう
Google.co.jp 聖徳太子 ペルシャ
Google.co.jp 聖徳太子 ペルシャ人
Google.com 聖徳太子 物部 鎌足
Google.com 高句麗 聖徳太子
Google.com 聖徳太子 ペルシャ人
Google.co.jp 聖徳太子はペルシャ人か
Google.co.jp ペルシャ人
Google.co.jp 聖徳太子 ペルシャ人

(2008年7月13日現在)


『聖徳太子の個人教授にはペルシャ人がいた』より
 (2005年6月2日)

どうですか、卑弥子さん?。。。 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文学と源氏物語」を講義している卑弥子さんにとっても 面白いと思えるでしょう?

いつものようにデンマンさんの理屈に引き込まれそうでござ~♪~ますわ。

僕は理屈を捏(こ)ね回しているわけではないのですよう。

根拠に基づいているとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

もちろんですよう。 上の記事の中に貼ってあるすべてのリンクをたどって僕が書いた記事を読めば、納得できるように書いてあるのです。

デンマンさん。。。、あのですねぇ~。。。よほど暇がある人でない限り、デンマンさんが書いた記事をすべて読むなんて無理でござ~♪~ますわ。

でもねぇ、僕も驚いたのだけれど、上の中で引用されている記事は結構読まれているのですよう。

どうして分かるのですか?

アクセス解析で訪問者の数が分かるのですよう。 僕と同じように聖徳太子の時代に、壮大な歴史ロマンを感じている人が結構、たくさん居るのですよう。 上の記事を読むだけでも、国際的な広がりを感じませんか? 僕は源氏物語より面白いと思いますね。

デンマンさん!。。。あたくしは、これでも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している者でござ~♪~ますわ。

知ってますよう。

そのあたくしに向かって、“源氏物語よりも聖徳太子物語の方が面白い!”。。。デンマンさんは、そう宣(のたま)うのでござ~♪~ますか?

宣(のたま)うなんて、すごい事を言いますねぇ~ うへへへへ。。。

デンマンさん!。。。笑いで誤魔化さないでくださいな。 あたくしは真面目に腹を立てているのでござ~♪~ますわ。

分かりました。。。 僕は源氏物語がつまらない、と言っているのではないのですよう。。。 もちろん、源氏物語は世界的にも認められている素晴しい小説ですよう。。。 でもねぇ~、「聖徳太子物語」は、それ以上に歴史ロマンを感じさせる壮大な絵巻だと思っているのですよう。

でも、そう言う絵巻はござ~♪~ませんわ。

だから、僕がネットで立ち上げようかと。。。 『壮大なる歴史ロマン・聖徳太子物語』。。。 『レンゲ物語』と『小百合物語』に引き続いて、この歴史的大ロマンをスタートさせてみようかと。。。 うへへへへ。。。

デンマンさん。。。マジですか?

夕べ、そう言う夢を見たのですよう。

夢のお話でござ~♪~ますか?。。。 んで、上の“リンク元”と言うのは、どう言う事でござ~♪~ますか?

これは僕が書き加えたものではないのですよう。

誰が書き加えたのでござ~♪~ますか?

『宇宙の摂理ブログ』では、記事を読みにやって来た人のリンク元を上のように最新10個だけ記録するのです。つまり、10個の URL を自動的に書き込むようになっているのですよう。そういう機能が WABLOG のブログにはついているのです。 (デンマン注: WABLOG プロバイダーは 2010年以前に すでに店じまいしました!

「リンク元」に記録されている URL はデンマンさんの記事を読みにやって来る前に、ネットサーファーが居たページの URL でごさ~♪~ますか?

そうですよ。上の10人は、すべて検索エンジンで検索した結果の中に表れた僕の記事のタイトルをクリックして読みにやって来たのです。

それで、その人たちの IP アドレスまで分かるのでござ~♪~ますか?

もちろん、調べる気になれば分かりますが、そこまで記録するようにはなっていません。 だから、上の記録だけでは 読みにやって来た人の IP アドレスまでは分かりません。

。。。んで、多恵さんは卒業論文に聖徳太子を書くことに決めたのでござ~ますかァ?

そうです。。。 女性らしく、“聖徳太子の母親がペルシャ人だった可能性について”という題目で卒論を書こうと決めたのです。


(pergal.jpg)

マジで。。。?

僕はウソと卑弥子さんの尻はつかないことにしているのですよ。。。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。

最後のオチは、かなり下品なオシモのオチですわァ~。。。

なんだかオチの意味が解らないネット市民の皆様は、深く考えないようにしてくださいねぇ~。。。


(taishi01.gif)

多恵さんは卒業論文に“聖徳太子の母親がペルシャ人だった可能性について”という題目で書こうと決めたようでござ~ますけれど

あなたは、聖徳太子のママにペルシャ人の血が混ざっていたと考えられますか?


(persian02.gif)

マユツバものだと思うでしょう?

あたくしだってぇ、ちょっと信じられませんわよう。。。

むしろ、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が最近、男性の目の保養になっているという事実の方が信じられると思うのですわァ~。

あなたは信じられないかもしれませんけれど、

最近、“ヴィーナスのえくぼ フィーバー”が起こっているのですわよう。。。

ええっ。。。 マジで信じられないのですかァ~?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよ。


(buttdimp5.jpg)

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、古代にはあなたの知らない雄大な、あるいはミステリアスな面白いお話があるのですわよう。。。

あなたのために平安史、古代史の興味深い記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


(surfing9.gif)


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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』

『おばさんパンツ@サンホセ』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


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愛と憎しみの丸墓山

2016年1月5日

 

愛と憎しみの丸墓山

 


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ツナ缶@LOVE


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デンマンさん。。。 どうして古い。。。なんだか悲惨な絵を持ち出してきたと思ったら、ツナ缶@LOVEなのですか?


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あれっ。。。 小百合さんはもう忘れてしまったのですか?

何をですか?

やだなあああァ~。。。 かつて、小百合さんと僕は「さきたま古墳公園」でピクニックを楽しんだのですよ。


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2013年10月16日の水曜日は、とっても天気がよくて、まさに秋晴れの行楽日和でした。 それで僕もルンルン気分で lemon-pepper 味のツナをのせた“カナペ”を作ったのです。


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小百合さんもウキウキして白ワインなどを持ち出して“とっても美味しいわァ! 素敵だわァ~!”なんちゃってぇ~、メチャ喜んでいたではありませんかァ!

わたし。。。 そのようなことを言いましたかしら?

あれっ。。。 忘れてしまったのですかァ~? 言ったじゃありませんかァ! 翌日のメールにも次のように書いてましたよう!


(sayuri5.gif)

用件:

ツナ缶も思った以上でした!

差出人: sayuri@yahoo.co.jp
送信日時: 2013年10月17日 (木) 20:02:51
宛先: (green@infoseek.jp)

どうも、たくさんのお土産ありがとうございました。


(vienna2.jpg)

コーヒーもそのまま、想い出の味でした。
TUNAも思った以上にLemonで
Chipsも私の好きなタイプでしたよ。
メール届いていたらイイね
ただ、すぐにブログに出したら怖いね。
 
自転車気をつけて。

さゆり


(sayuri15.gif)

デンマンさん!。。。 このような事をブログに書いても 読んでくださるネット市民の皆様は 面白くも何ともないのですわ。 白けてしまうだけですう。 書いているデンマンさんだけが ルンルン気分になってウキウキしているだけですわ。

あれっ。。。 小百合さんは嬉しくないのですか?

嬉しくありませんわ。

どうして。。。?

だから、メールにも書きました。 すぐにブログに出すと、オツムのおかしな人が読んで デンマンさんや私を狙って 「さきたま古墳公園」で待ち伏せして ドスや匕首(アイクチ)でデンマンさんの どてっぱらに風穴を開けるのですわ。

やだなあああァ~。。。 それは小百合さんの考えすぎですよう。

考えすぎではありませんわ。 ネットで嫌がらせのコメントを書いてイジメるようなことがはやっているのですわ。 アメリカでもカナダでもイギリスでも そのようなネットのイジメを苦にして自殺している人が最近ニュースになってますわ。

イギリスでのネットイジメ-自殺

確かに、アメリカやカナダではニュースになっているけれど、まだ日本ではネットのイジメを苦にして自殺した人は居ないでしょう! しかも、オツムのおかしな人が 小百合さんや僕を狙って どてっぱらに風穴を開けるなんて考えられませんよう。

日本でも学校のイジメで自殺に追い込むような人が居るのですわ。 デンマンさんを狙って どてっぱらに風穴を開ける人が出てきてもおかしくないのですわ。

そのような事はまず起きません。

その確証でもあるのですか?

ありますよう。 僕はかつて次のようなことをブログに書いているのです。


(foolw.gif)

元気で再会しましょうね。

差出人: デンマン (green@infoseek.jp)
送信日時: 2013年10月7日 (日)7:23:21
(Vancouver Time: Sun., October 6 3:23 PM)
宛先: 小百合 (sayuri@yahoo.co.jp)

ルンルン気分で毎日を過ごしてますか?
再会が楽しみですよ。

さきたま古墳公園のパビリオンでピクニックでもしましょう!
Lemon-pepper のツナ缶を持ってゆきます。


(tuna08.jpg)


(tuna10.jpg)


(pavilion90.jpg)

大長寺から さきたま古墳公園へ行く途中でベルクに寄って
厚切りのトースト用のフカフカした食パンと「青海苔ふりかけ」を買って、
パビリオンでピクニック。
きゃはははは。。。

食パンを4つ切りにして、
その上にLemon-pepper のツナ缶から
フレーク・ツナを取り出して載せ
「青海苔ふりかけ」をかけて食べるのですよ。


(vienna2.jpg)

アイリッシュクリームコーヒーを飲みながら食べる
「青海苔ふりかけ」Lemon-pepper のツナのカナペ(canapé )は
小百合さんと一緒に食べれば
ホッペタが落ちそうになるくらいに旨いはずですよ!
きゃははははは。。。

再会が待ち遠しいです!
じゃあね。


(denman01.gif)


『軽井沢タリアセン夫人とカナペ』より
(2013年10月10日)

もしですよォ~、小百合さんや僕を狙って どてっぱらに風穴を開けようと計画しているオツムの可笑しな人が居たとしたら 10月16日に「さきたま古墳公園」で待ち伏せしていましたよ。

だから、たまたまその日、その人は古くなったツナ・サンドイッチを食べて下痢を起こして 外へ出られなかったのですわ。

でも、どうして その人は古くなったツナ・サンドイッチを食べたのですか?

例えですわ。。。 例えですう。。。 もし、下痢を起こしたのでなければ、自転車に乗っていて ひっくり返って足の骨を折って歩けなくなって、それで「さきたま古墳公園」に来られなかったのですわ。

あのねぇ~、それも小百合さんの考えすぎですよう。

でも、用心することに越したことはありませんわ。 デンマンさんは、わざわざ どうでもいいような事をブログに書いて危険を招いているようなものですわ。 デンマンさんが脳卒中を起こして ヨイヨイになって衰弱して亡くなるか。。。 あるいは前立腺癌になってあの世に逝くか。。。 そのような事であれば納得がゆきますけれど、オツムの可笑しな人に どてっぱらに風穴を開けられて あの世に逝くことにでもなったら、死ぬにも死にきれないでしょう!?

確かに どてっぱらに風穴を開けられたくないですよ。 でもねぇ~、僕は小百合さんと「さきたま古墳公園」でツナ缶のカナペをラブラブで食べて、ルンルン気分になったのですよう。 その幸せな気分でブログを書いたつもりなのですよ。

だから、そのような事をわざわざ書くのは、危険を招くだけなのですわ。

でも、ラブラブでピクニックをしてルンルン気分になれたのですよう。 ブログに書きたくなるじゃありませんかァ!

だから、そういうことは あとで一人で読むように日記に書けばいいのですわ。 なにもネットで書いて公開する必要はないでしょう!?


『ツナ缶@LOVE』より
(2013年12月3日)

デンマンさんは、またツナ缶@LOVEを蒸し返してピクニックのことを書くのですか?

いや。。。 どてっぱらにハジキで風穴を開けて欲しくないから、ピクニックの事を書くつもりはありません。。。 小百合さんが また心配しますからねぇ~。。。(微笑)

。。。で、どういうわけで わざわざピクニックを持ち出してきたのですか?

もう一度 次の地図をじっくりと眺めてください。


(sakitama95b.jpg)

ピクニックをした後で丸墓山に登って行田の市街地を眺めたのですよ。。。 小百合さんも覚えているでしょう?

ええ。。。 でも、市街地まではかなりの距離があって街並みを見ることができませんでしたわ。

そうです。。。そうです。。。、僕が注目して欲しいのは市街地ではないのですよ。。。 昔、丸墓山のふもとに“西行寺”というお寺があったのですよ。

そのお寺が重要なのですか?

そうですよ。 実は去年(2015年)の2月5日に『丸墓山は誰の墓?』という記事を書いて、その中で次の本を紹介したのです。

埼玉古墳群


(maruhak2.jpg)

  丸墓山

今から1600年前(3世紀末)から、1200年前(7世紀初)までの、たった400年の間を、古墳時代という、土を盛り、大きな塚を墳墓とした形式の時代があり、奈良時代初期で全く終わってしまっている。
不思議な現象である。

それは前方後円墳の形の分類上からいえることであるが、文献上からは『和名抄』に“埼玉郡、前玉郡佐吉多方、佐伊太末”とあり、武蔵国造(くにのみやつこ)笠原直使主(あたいおみ)の事が出ており、『日本書紀』安閑天皇の頃の甲寅(きのえとら: 534年)に、武蔵国造の笠原直使主と同属の小杵(おき)が国造(今でいう地方長官)の位を競い、上毛野君(かみつけぬのきみ:今の群馬県の君主)の小熊(おぐま)に助けを求め、笠原の使主(おみ)を殺そうと計画した。
朝廷に訴え、天皇は小杵を殺し使主を国造に任命したと出ているので、埼玉古墳群はこの国造一族の古墳ではないかというのが定説となっている。

というのは古墳は、地方長官以上の勢力を持つものでなくては作ることができないので、『和名抄』や『日本書紀』から国造の笠原の直使主(あたいおみ)の古墳ではないかといわれる様になった。
しかし、行田市内には八幡山、白山、真観寺等の古墳が散在しており須加、中条、斎条に小さな円墳が多いので、これをどう解釈してよいのだろう古墳はやはり不可解なナゾを含んでいる。

埼玉古墳群を案内すると、きまって、誰の墓でしょうかと尋ねられる。
文字の無い1400,1500年前の事なので判らないのが当然なのに、判らないというと大した学者ではないと馬鹿にした様な顔をする人が多い。
だから、一応は笠原直使主の『日本書紀』の説明をするが、伝説にある聖徳太子ゆかりの話を(西行寺縁起)することにしている。
丸墓山の南に西行寺という寺があって、その縁起には、聖徳太子のなくなった後の大和朝の内乱の末の大化改新の折、649年、蘇我石川麻呂の一族がこの地に逃げてきた。
麻呂の墓だから、麻呂墓山であるという。

先の笠原の使主の話から110年ほど後の事で、古墳中、後期にあたり話としては蘇我石川麻呂一族の逃げてきた話の方が面白いし、時代的に合うような気がしてならない。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


243-245ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社

『丸墓山は誰の墓?』に掲載
(2015年2月5日)

上の文章の中に西行寺が出てくるのですよ。。。 僕はてっきり現在、丸墓山の南にある 天祥寺のことだと思い込んでいたのです。 でも、調べたら天祥寺は西行寺とは全く関係ないのですよ。

つまり、西行寺というお寺は今はないのですか?

そうなのです。。。 存在しないのです。。。 明治の廃仏毀釈の影響で廃寺になってしまったのですよ。


(sakitama19.png)

『拡大する』

さきたま古墳公園から1km程東、埼玉の郵便局の手前に安楽寺がある。
この寺には、かつて丸墓山の麓にあり、古代(640年頃)から郷土民の信仰を集めていた西行寺が明治の廃仏毀釈で廃寺になる際、預った「子持地蔵」が二十数体現存している。
10cm程のこの地蔵は子供に恵まれない方や、安産を願う妊婦が、ご利益があるようお守りとして身につけた。

西行寺の開基は用明天皇(在位585年~587年)の舎人(とねり・古代、天皇・皇族の身辺で御用を勤めた者)調子麿(つきのねまろ)だという。
調子麿は日本書紀に聖徳太子の待臣、蘇我(そが)調子麿の名があり、『旧事本紀』には、舎人調子麿の和歌数首が載せてあり、駿河より見た富士山を詠んだものが多く、奥州の松島を詠んだものもある。

推古天皇の御時、聖徳太子は甲斐の黒駒(甲斐から貢上された駿馬)に乗って駿河の富士の嶺に登られた。
調子麿はただ一人お供をし、太子は山頂から四方をはるかに望み仰せられた。


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“東の方向に紫雲たなびく所がある。
思うに武蔵の埼玉の群だろう。
彼の地は必ず仏法東漸(とうぜん・勢力が東の方へ次第に伝わり広まること)の霊地である。
私は明年死ぬであろう。
そなた、調子麿は私の廟(びょう)を彼の地に建て、
私が常に尊崇(そんすう・尊びあがめること)する地蔵菩薩を安置しなさい。”

推古天皇三十年(622年)二月の夜、太子は斑鳩(いかるが)の宮にて亡くなられた。
王臣百姓の愁嘆(しゅうたん・嘆き悲しむこと)は計り知れないものであった。
この月河内(かわち)磯長稜(しながりょう)に葬られたのだが、調子麿は御遺言に従い御遺骨を首に掛けて武州に下向し埼玉の群に至り、何処を御墳墓と定めようかと彼方此方(あちこち)を尋ね求めたが心に叶う処がない。
今の丸墓の地に至って、御遺骨が盤石の如くに重くなり動かない。
調子麿は、ここが太子の御心に叶う霊地に違いないと、御遺骨を納める堂を建て、太子尊崇の地蔵尊を安置し、さらに一宇(建造物を数えるときに使う単位)を建立して国王山地蔵院と名付けた。


(shotoku03b.gif)

皇極天皇二年(643年)十一月、蘇我入鹿(そがのいるか)は兵を率いて聖徳太子の御子山背大兄王(やましろのおおえのおう)が住まわれる斑鳩(いかるがの)宮を囲んで襲撃した。

大兄王は一計を案じて獣の骨を寝所に置き、子弟二十三人と共に密かに生駒山に隠れられた。

入鹿の兵は宮中に火を放ち、灰の中に骨を発見して、王は焼死したものと思い囲みを解いて去った。


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その後、王は子弟二十三人と共に斑鳩寺の塔中に入り自害なされた。

この時、香煙は登って天の雲に通じ男は天仙となり、女は天女となって煙雲に乗って西を指して飛び去られたという。


(yamashiro1.gif)

調子麿は大兄王の御遺骨を奉じて武州に下り、太子のお墓に納めて寺を西行寺と号した。
大兄王が西を指して飛び去られたからである。
この墓を調子麿が建設したため麿墓といい、後世、麿を丸として丸墓と言ったという。

孝徳天皇の大化四年(648年)上宮太子(聖徳太子の異称)の廟所武州埼玉群西行寺へ寺領5余町を寄せられたのは太子菩提のためと国家安全のためであり、天皇の仰せを承り巨勢麿が寄進状に載せたのである。
その後寺は断絶したが永禄(上杉謙信)天正(石田三成の水攻め)の兵火で焼亡し、麓に一小堂を営み太子と地蔵の二像を安置した。
それが西行寺であると『忍名所図会』は語っている。

※「西行寺跡」という碑はありません。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
系図と写真はデンマン・ライブラリーより)


『西行寺と手持ち地蔵』より

ここで述べられていることが正しいとすると、丸墓山に葬られているのは蘇我石川麻呂ではなくて山背大兄王ということになるのですよ。

でも、山背大兄王のお墓は奈良県にあるのですわ。

あれっ。。。 小百合さんは そんなことまで知っているのですか?

『ウィキペディア』には次のように書いてありますわ。

皇極天皇2年11月1日(643年12月20日)、ついに蘇我入鹿は巨勢徳多、土師猪手、大伴長徳および100名の兵に、斑鳩宮の山背大兄王を襲撃させる。
山背大兄王の奴三成と舎人10数人が矢で土師娑婆連を殺し、馬の骨を残し一族と三輪文屋君(敏達天皇に仕えた三輪君逆の孫)、舎人田目連とその娘、莵田諸石、伊勢阿倍堅経らを連れ斑鳩宮から脱出し、生駒山に逃亡した。

家臣の三輪文屋君は、「乘馬詣東國 以乳部爲本 興師還戰 其勝必矣」(東国に難を避け、そこで再起を期し、入鹿を討つべし)と進言するが、山背大兄王は戦闘を望まず「如卿所 其勝必然 但吾情冀 十年不役百姓 以一身之故 豈煩勞萬民 又於後世 不欲民言由吾之故 喪己父母 豈其戰勝之後 方言丈夫哉 夫損身固國 不亦丈夫者歟」(われ、兵を起して入鹿を伐たば、その勝たんこと定し。しかあれど一つの身のゆえによりて、百姓を傷りそこなわんことを欲りせじ。このゆえにわが一つの身をば入鹿に賜わん)と言った。
山中で山背大兄王発見の報をうけた蘇我入鹿は高向国押に逮捕するように命ずるが断られる。

結局、山背大兄王は生駒山を下り斑鳩寺に入り、11月11日(12月30日)に山背大兄王と妃妾など一族はもろともに首をくくって自害し、上宮王家はここに絶えることとなる。
蘇我蝦夷は、入鹿が山背大兄王を殺害したことを聞き、激怒した。
なお墓は不詳であるが、法輪寺(奈良県生駒郡斑鳩町にある仏教の寺院)近郊にある「岡の原」という小山が山背大兄王墓であるという伝承がある。


(yamashiro2.jpg)

当時の天皇は長男による世襲制度ではなく、皇族から天皇に相応しい人物が選ばれていた。
その基準は人格のほか年齢、代々の天皇や諸侯との血縁関係であった。
これは天皇家の権力が絶対ではなく、あくまでも諸豪族を束ねる長(おさ)という立場であったためである。
また、推古天皇の後継者争いには敏達天皇系(田村皇子)と用明天皇系(山背大兄王)の対立があったとも言われている。

更に山背大兄王の暗殺には、多数の皇族が加わっていたと言われており、山背大兄王を疎んじていた蘇我入鹿と、皇位継承における優位を画策する諸皇族の思惑が一致したからこそ出来た事件であろう。
当時の後継者選びの基準が上宮王家一族を悲劇へと追い込んだのである。


出典: 「山背大兄王」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

でもねぇ~、奈良県にあるという山背大兄王の墓は伝承ですよ。。。 史実ではないのです。。。 むしろ、家臣の三輪文屋君は東国に難を避けるように勧めていた。

でも、山背大兄王はその助言には従わずに 運命を悟って自害したのですわ。

そのようです。。。 でもねぇ~、聖徳太子の舎人であった蘇我調子麿(つきのねまろ)は太子の気持ちを汲んで 山背大兄王の御遺骨を奉じて武州に下り、太子のお墓に納めて寺を西行寺と号したわけですよ。

。。。で、その後 丸墓山に山背大兄王を葬ったというわけですか?

そうですよ。。。

だったら、聖徳太子のお墓はどうなったのですか? 聖徳太子のお墓よりも山背大兄王のお墓が大きいのは可笑しいじゃありませんかァ!

だから、丸墓山には聖徳太子と山背大兄王の遺骨が仲良く眠っているのですよ。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
あたくしも一度だけ「さきたま古墳公園」を訪れましたわァ。
近くにある行田市立行田中学校というのはデンマンさんの母校なんですってぇ~。。。

公園の駐車場に「さかもと」というおみやげ物屋さんがあるのですけれど、
そこでゼリーフライを売っていました。


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なんだか複雑なお味がしましたわァ。
デンマンさんは食べながら 子供の頃の思い出が湧き上がってきたといいます.
その当時は“ゼリーフライ”とは言わずに“ゼニ(銭)フライ”と呼んでいたそうですわ。

このようなことを書いていたら、なんだか お腹が空いてきました。
あたくしも何かを作って食べようと思いますゥ。

あたくしの好物は 具のたくさん入った“あんかけ焼きそば”でござ~♪~ますう。
あなたのために、作り方を教えますわねぇ。


(joe306.jpg)

どうですか? 美味しそうでしょう?

でも、あたくしは これだけでは満足できませんのよう。
デザートに“たいやき”をいただくのでざ~♪~ますわよう。
うふふふふふふ。。。

最近では、餡に替わってクリームや溶かしたチョコレート、キャラメル、カスタードクリームなどの洋菓子素材を詰めたものもでてきましたわ。

サンドウィッチ式に肉類や生野菜、各種ソースやリゾットなどを挟む「おかずたい焼き」もあらわれました。


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あなたも 好きなものを“たいやき”に詰めてみませんか?

では、あなたのために あたくしが育った地元の京都の“たいやき”をお見せしますわね。
うふふふふふ。。。

お腹がすいてきて、“たいやき”が食べたくなってきたでしょう?
でも、この記事を最後まで読んでから、近くの“たいやき屋さん”に走ってくださいね。

ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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メチャ面白い、

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別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

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■ 『甲斐姫と軽井沢タリアセン夫人』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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■ 『蕎麦屋と軽井沢タリアセン夫人』

■ 『おしまいでございます』

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■ 『菊ちゃんと阿部忠秋』

■ 『菊ちゃん、知恵伊豆、忠秋』

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丸墓山は誰の墓?

2015年2月5日

 

丸墓山は誰の墓?

 


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丸墓山

丸墓山古墳は、埼玉県行田市にある古墳。
埼玉(さきたま)古墳群の一基で、円墳。

日本最大規模の円墳で、埼玉古墳群の大型古墳で登ることができるのは、稲荷山古墳と丸墓山古墳のみ。

概要

直径105メートル、高さ18.9メートル。

遺骸を納めた石室など埋葬施設の主体部は未調査だが、墳丘表面を覆っていた葺石や、円筒埴輪、人物埴輪などの埴輪類やが出土しており、これらの出土遺物の形式から築造年代は6世紀の前半と考えられている。

1985年(昭和60年)から1987年(昭和62年)にかけて墳頂部と墳丘東側を中心に整備が行われた。
また、周濠の一部が復元されている。

歴史

1590年(天正18年)、小田原征伐に際して、忍城攻略の命を受けた石田三成が丸墓山古墳の頂上に陣を張った。
三成は忍城を水攻めするため、丸墓山を含む半円形の石田堤を28kmほど作る。
丸墓山から南に真っ直ぐ伸びている道路は、この堤の名残である。

そのほか『新編武蔵風土記稿』に麿墓山(まろはかやま)として記載があるほか、様々な書物に多くの伝説を残している。


出典: 「丸墓山古墳」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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デンマンさん。。。 どうして丸墓山を取り上げるのですか?


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小百合さんと丸墓山に登ったことがあるのですよ。 覚えてますか?

ええ。。。 覚えてますわ。。。 確か、その事でデンマンさんが記事を書いてましたよね。

うん、うん、うん。。。 そうです。。。 書いたことがありました。

愛のポテトチップサンド

 


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デンマンさん。。。 ロマンチックで食欲が湧くタイトルですわねぇ~。。。

いけませんかァ~?

いけないことはありませんけれど、デンマンさんの常連さんたちは白けると思いますわァ~。。。

どうして僕のブログの常連さんたちが白けてしまうのですかァ~?

だってぇ~、デンマンさんは、また得意げに「さきたま古墳公園」でのピクニックの事を書くのでしょう?

あのねぇ~、白ける人は居ないと思いますよ。

どうしてですか?

どうしてってぇ~、上の写真を見ただけでも「さきたま古墳公園」ってぇ言うのは、日本離れした。。。ちょっと狭い日本では考えられないくらいの広々とした公園なのですよ。 初めてこの記事を読む人は、上の写真を見て「いったい ここはどこの公園だろうか?」。。。 とても日本の公園ではないだろうと思うのですよ。

そうでしょうか?

もう一度じっくりと写真を見てください。


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(sakitama98.jpg)


(sakitama97b.jpg)


(sakitama99.jpg)

アメリカやカナダにある公園だと言われても納得できるくらいの広々とした公園なのですよ。

確かに、言われてみると 狭い日本には広すぎるほどの印象を与えますわねぇ~。。。

。。。でしょう!? だから、白けるどころか、上の写真を見ただけでも 何も知らない人は興味が湧きますよ。

そうでしうか?

しかも小百合さんの魅力的な写真が出てくる。


(sayuri88.jpg)

この上の写真を見た人は、「どうして こんな格好をしているのだろうか?」。。。と、ますます興味が湧いてくるのですよ。

そうでしょか?

しかも、広い公園に小百合さんだけしか見当たらない。 「いったい、ここはどこなの?」。。。「マジで、こんな公園があるのォ~?」。。。と不思議な気持ちで読み続けるのですよ。

そうでしょうか?

そうですよ。。。 ところで、小百合さん。。。こんな広々とした公園なのに ピクニックをしている人が どういうわけで僕と小百合さんだけなのですか?

デンマンさんは知らないでしょけれど、最近、日本の公園では、火を使ってはいけないのです。 だから、バーベキューなど、公園内で してはダメなのですわ。 それで、ピクニックをする人も少ないのだと思いますわ。

でもねぇ~、昨日(10月16日)は、関東地方は素晴らしい秋晴れだったのですよ。 それなのに、バーベキューをしながらピクニックを楽しんでいるのは僕と小百合さんだけでしたからねぇ。。。 うへへへへへ・・・・ 僕は不思議な気分でしたよう。 でもねぇ、小百合さんと公園を自分の裏庭のように独り占めしている気分になって 実に楽しかったですよう。

私は公園の管理人さんが見回りに来て、「火を使うのなら出て行け!」と言われるのじゃないかと。。。気が気ではありませんでしたわ。


『愛のポテトチップサンド』より
(2014年10月17日)

この時に丸墓山に登りましたかしら?

小百合さんはピクニックに気を取られて忘れてしまったのでしょう。。。登ったのですよ。

それで、その丸墓山が誰を葬った墓なのか?をわざわざ調べたのですかァ~?

いけませんかァ~?

でも、それは公園内にある「さきたま史跡の博物館」に行けば書いてあるのであはありませんか?

いや。。。 確かに定説と言われている事は書いてあるのですよ。 でもねぇ~、僕は定説には あまり面白味を感じないのです。

つまり、デンマンさんが独自に調査したのですか?

いや。。。 独自に調査したと言うほどではありません。 たまたま夕べ 本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。

埼玉古墳群


(maruhak2.jpg)

今から1600年前(3世紀末)から、1200年前(7世紀初)までの、たった400年の間を、古墳時代という、土を盛り、大きな塚を墳墓とした形式の時代があり、奈良時代初期で全く終わってしまっている。
不思議な現象である。

それは前方後円墳の形の分類上からいえることであるが、文献上からは『和名抄』に“埼玉郡、前玉郡佐吉多方、佐伊太末”とあり、武蔵国造(くにのみやつこ)笠原直使主(あたいおみ)の事が出ており、『日本書紀』安閑天皇の頃の甲寅(きのえとら: 534年)に、武蔵国造の笠原直使主と同属の小杵(おき)が国造(今でいう地方長官)の位を競い、上毛野君(かみつけぬのきみ:今の群馬県の君主)の小熊(おぐま)に助けを求め、笠原の使主(おみ)を殺そうと計画した。
朝廷に訴え、天皇は小杵を殺し使主を国造に任命したと出ているので、埼玉古墳群はこの国造一族の古墳ではないかというのが定説となっている。

というのは古墳は、地方長官以上の勢力を持つものでなくては作ることができないので、『和名抄』や『日本書紀』から国造の笠原の直使主(あたいおみ)の古墳ではないかといわれる様になった。
しかし、行田市内には八幡山、白山、真観寺等の古墳が散在しており須加、中条、斎条に小さな円墳が多いので、これをどう解釈してよいのだろう古墳はやはり不可解なナゾを含んでいる。

埼玉古墳群を案内すると、きまって、誰の墓でしょうかと尋ねられる。
文字の無い1400,1500年前の事なので判らないのが当然なのに、判らないというと大した学者ではないと馬鹿にした様な顔をする人が多い。
だから、一応は笠原直使主の『日本書紀』の説明をするが、伝説にある聖徳太子ゆかりの話を(西行寺縁起)することにしている。
丸墓山の南に西行寺という寺があって、その縁起には、聖徳太子のなくなった後の大和朝の内乱の末の大化改新の折、649年、蘇我石川麻呂の一族がこの地に逃げてきた。
麻呂の墓だから、麻呂墓山であるという。

先の笠原の使主の話から110年ほど後の事で、古墳中、後期にあたり話としては蘇我石川麻呂一族の逃げてきた話の方が面白いし、時代的に合うような気がしてならない。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


243-245ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社

『ウィキペディア』にも「『新編武蔵風土記稿』に麿墓山(まろはかやま)として記載がある」と書いてあるでしょう!

つまり、蘇我石川麻呂の墓だと言うのですか?

そうですよ。。。 その話の方が面白いと思いませんか?

私にしてみれば丸墓山に葬られている人が笠原直使主(あたいおみ)であろうと、蘇我石川麻呂であろうと、それほど大きな問題とは思えませんけれど。。。

誰の墓か?と言うのは歴史的な事実としてやっぱり重要なことですよ。

だったら、むしろ武蔵国造(くにのみやつこ)という地方長官の地位にあった笠原直使主(あたいおみ)が葬られているとした方が可能性があるのではありませんか?

確かに、小百合さんの言う事には一理あります。 当時、“さきたま”を勢力圏に治めていた人ですからね。 でもねぇ~、真実はどこかに隠されているものですよ。

その真実が『新編武蔵風土記稿』に麿墓山(まろはかやま)として記載があるということですか?

そうです。。。 当時の朝廷をはばかって“麿墓山”という呼び方を変えて“丸墓山”と呼んだのですよ。

“当時の朝廷をはばかって”とは、どういう意味ですか?

あのねぇ~、当時の朝廷の権力を握っていたのは、後に“天智天皇”と呼ばれるようになる中大兄皇子だった。 蘇我石川麻呂は、この中大兄皇子の計略にはめられて自殺に追い込まれたのですよ。


 女帝誕生

 

讚良(さらら)皇女が

 

皇位を継ぐ。

 

殺人鬼の父親の陰謀により祖父が自決。
祖母も祖父と共に自殺。
母親は二人の死が夫の陰謀だと知って
半狂乱になる。
その夫の子供を宿していたが、
建皇子(たけるのみこ)を出産すると
幼少の讚良皇女に我が子を託して
二人のあとを追うように自殺。

建皇子は家庭の暗い影の下で
唖者として生まれ
体も不自由だった。
8才の短い命を閉じた。

讚良皇女は女帝になったが、
その生い立ちは不幸の連続だった。

(mhead2.gif)

 

僕が当時生きていて、しかも日本新聞の編集長だったら、このような新聞を出していたかもしれません。

これは歴史家が誰も言っていないことですが、
僕は持統天皇が境界性人格障害者だと信じることができます。
もちろん、当時、そのような病名はありません。

讚良皇女は4才の時に可愛がってくれたおじいさんとおばあさんを亡くしたのです。
しかも、お母さんは半狂乱になって精神に異常を来たし、二人のあとを追うように自殺したのです。
このような悲惨な事件を満5才になるかならないかのうちに経験したのです。
この悲劇が幼少の頃の讚良皇女の心に与えたトラウマは、
境界性人格障害となって後の彼女の性格形成に大きな影響を与えたはずです。

成長するにつれて父親(後の天智天皇)が行った非情な所業のことも知るようになります。
この父親の生涯は、敵対する者や皇位継承のライバルを謀略でもって抹殺する歴史でした。
その手にかかって亡くなった相手には、次のような人たちがいました。

蘇我蝦夷
蘇我入鹿
古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)
有間皇子
蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)
。。。

満12才の時に、姉の大田皇女(満13才)と共に大海人皇子に嫁ぎます。
もちろん、政略結婚です。
中大兄皇子(後の天智天皇)にとって一番のライバルは大海人皇子でした。
何とかして大海人皇子を自分の協力者にしたい。
言ってみれば、二人の娘を人質として大海人皇子に渡したようなものです。
それほどまでにして中大兄皇子は大海人皇子を懐柔しようとした。

しかし、その甲斐もなくやがて天智天皇は大海人皇子によって暗殺されます。
目には目を歯には歯を!
この当時の必然でした。


『愛と怨念』より
(2006年7月5日)

だから、丸墓山の南にある西行寺の縁起に、聖徳太子のなくなった後の大和朝の内乱の末の大化改新の折、649年、蘇我石川麻呂の一族がこの地に逃げてきたということは充分に信憑性があるのですよ。

。。。で、聖徳太子と蘇我石川麻呂は何か関係があるのですか?

もちろんですよ。 聖徳太子も蘇我石川麻呂も次の系図が示すように蘇我一族ですからねぇ~。。。


(sogatree.png)

『拡大する』

なんと、蘇我石川麻呂を自殺に追い込んだ天智天皇の妻の一人は、石川麻呂の娘なのですよ。

でも、蘇我石川麻呂の一族が“さきたま”に逃げてきたというのは、単なる伝説に過ぎないのではありませんか?

それが、単なる伝説ではないのですよ。 事実、行田市近辺には石川麻呂の一族の子孫が住んでいるのです。

その証拠でもあるのですか?

ちょっと次の小文を読んでください。

聖徳太子


(taishia1b.jpg)


(taishia2.jpg)

国宝の聖徳太子像が荒木の天洲寺にある事は大方の人が知っている。
何故、そんないい御像が荒木にあるのですかと尋ねられる。
今回はその縁起を、2月22日の大祭にちなんで書いておこうと思う。

本像は141センチの桧寄木造、漆塗彩色、玉眼水晶の立派なもので、法橋(ほっきょう、というその道の位、今でいえば帝室芸術院会員の様な位)の慶禅という人が、寛元5年1月13日(1247年)に造ったと、胎内銘として墨書してある。

しかも、鎌倉幕府の評定衆の大江広元の四男、毛利四郎季光が、父母と兄二人と三代執権、北条泰時の冥福を祈って造らせたと墨書してある。
又別の所に「御所(三代将軍源実朝)ぼだいのために」と書いてある。
実朝は聖徳太子信仰が厚かったという。
そんな由緒正しい御像が、どうして荒木にあるのであろうか。

荒木出身の武蔵武士に安藤総守隆光という文武に秀でた武将が居り、康安元年(1361年)34歳の折、親鸞上人の弟子となり源海上人という立派な方となり、生国荒木に満福寺という寺を作ったという。
その折、御像が荒木に運ばれたのではあるまいか。

忍城築城した成田氏の分限帳に、その譜代侍に“永八十貫、荒木越前”という名がある。
荒木を領有した荒木長善で、今も長善沼という名を残している。

約370年前、平田山清善寺の五世、天洲全堯和尚を開山とし、荒木長善が開基となって、聖徳山天洲寺を創建したという。
多分、源海上人の満福寺にあったこの聖徳太子像は、天洲寺に祀られる様になったのであろう。


(arakimap.png)

『拡大する』

聖徳太子の命日、2月22日が大祭で、東京より沢山な太子講の方がお参りに来て御開帳される。
関東では名作の一つといわれる鎌倉時代の木像であるから、市民の方、ぜひ御参拝して頂きたいと思う。
太子は日本建築工芸の創始者としてあがめられている。
日本一の太子像が行田にあるのだから、その方面の方々の御参拝をおすすめしたいと思う。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)


233-235ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社

なぜ、国宝の聖徳太子像が荒木の天洲寺にあるのか? その答えは、蘇我石川麻呂の一族が“さきたま”に逃げてきて、その一族の子孫が、行田市近辺に住んでいるからですよ。

つまり、荒木長善は、石川麻呂の一族の子孫なのですか?

そうですよ。。。 そうであるならば、まぜ国宝の聖徳太子像が荒木の天洲寺にあるのか? 丸墓山が石川麻呂を葬った墓である必要があるのか? すべてが うまく説明がつくのですよ。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
あなたは、上のデンマンさんの見解を支持することができますかァ~?

“信じる者は救われる”と申しますが、あなたは、どう思いますか?

ところで、今日の記事には“振袖火事”の火元になった“お菊さん”が出てきませんでしたけれど、その子孫である菊ちゃんにデンマンさんはエロい事をしようとしたのですわよゥ。
どこかに、その記事があるだろうと思って探してみたら、見つかったのでござ~♪~ますう。
うふふふふふふ。。。

あなたも、もし関心があったら読んでみてくださいまし。


(kiku008.jpg)

『菊ちゃんと八ツ橋』

ちなみに、どうして小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

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とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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桓武天皇のママ

2013年1月10日

 

桓武天皇のママ

 


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(bond010.gif)


(kanmu08.jpg)


デンマンさん。。。 桓武天皇のママがどうしたのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、桓武天皇のママの情報を探している人からコメントをもらったのですよ。

マジでござ~ますか?

まず、そのコメントを読んでみてください。

From: masami@*****associates.us
To: barclay1720@aol.com
Date: Sun, Jan 6, 2013 7:26 pm
(Pacific Standard Time)

MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted: Jan 06 2013 / 19:26:14

userid = barclay1720
FreeCity = oldhist-joe04-superb
Your_Name = masami kobayashi
Your_Email_Address = masami@*****associates.us

Comments:

とてもおもしろかったです。
実は、桓武天皇の母親の情報を探していて、かとうさんのサイトをみることになりました。
おもしろくて、古代の分はほとんど目を通してしまいました。
ありがとうございました。

Thank you for using Bravenet Email Form Processing!

あらっ。。。 メールアドレスを見ると masami@*****associates.us になってますわね。 .USということは、この「まさみ」さんはアメリカに住んでいるのでござ~ますか?

そうなのですよ。 IPアドレスで調べたらサンフランシスコに住んでいるのですよ。


(ip30108.gif)


(cisco02.jpg)


(cisco03.jpg)


(cisco05.jpg)

あらっ。。。 サンフランシスコって素敵な町ですわ。 あたくしも住んでみたいですわ。

卑弥子さん。。。 人生はアッという間に過ぎてしまいますよ。 思い立ったらすぐに行動に移した方がいいですよ。

そのように簡単にはゆきませんわ。 あたくしは京都の女子大学で腐女子を相手に「日本文化と源氏物語」を講義しているのですものォ~。。。、そんなに簡単にサンフランシスコに引越しすることはできないのでござ~ますう。。。 とこれで、デンマンさんは返信を書いたのですか?

書いたのですよ。 「おもしろくて、古代の分はほとんど目を通してしまいました」と「まさみ」さんは書いてくれたのです。 だから僕は天にも昇る気持ちになって、遅ればせながら返信を書いたのですよ。 卑弥子さんも読んでみてください。


(aol30108.gif)

でも、どうして「まさみ」さんが『定慧の死の謎を解く』を読んでコメントを書いたと判ったのでござ~ますか?

簡単なことですよ。 メールの中に FreeCity = oldhist-joe04-superb と書いてあるでしょう? これは『定慧の死の謎を解く』という記事のURLなのですよ。

でも、「まさみ」さんがどうして次の3つの記事の中の一つを読んだと判るのでござ~ますか?


(pergal.jpg)

■ 『聖徳太子の母親はペルシャ人だった?』
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/persia2.html

■ 『天智帝暗殺の謎』
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/temmu3.html

■ 『渡来人とアイヌ人の連合王国』
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou7.html

簡単なことですよ。 GOOGLEで「桓武天皇の母親 Akira Kato」を入れて検索すると上の3つの記事が表示されるのですよ。 『新しい古代史』の記事では僕は「デンマン」ではなく実名の「Akira Kato」を使って書いているのです。


(gog30109b.gif)

あらっ。。。マジでトップから3番目までに『新しい日本古代史』の3つの記事が表示されますわね。

でもねぇ~、実は、記事の中では「桓武天皇の母親」について書いてないのです。

でも、「まさみ」さんは「桓武天皇の母親」を入れて検索エンジンで検索したのでしょう?

そうですよ。 おそらく「桓武天皇の母親」を入れて検索したのだと思います。

デンマンさんが「桓武天皇の母親」について書いてないのに、どのようなわけで上の3つの記事が検索結果の中に表示されるのですか?

例えば、『聖徳太子の母親はペルシャ人だった?』の記事では当然のことながら僕は聖徳太子のママについて書いているのです。 でもねぇ~、記事の中に「桓武天皇」のことが書いてあるので検索エンジンは『聖徳太子の母親はペルシャ人だった?』を拾い出して検索結果の中に表示してしまうのですよ。

。。。つうことは、『天智帝暗殺の謎』にも 『渡来人とアイヌ人の連合王国』にも「桓武天皇の母親」は出てこないのでござ~ますか?

出てこないのです。 僕が上のようなことを書いたので、「まさみ」さんは事情を説明したくなったのだと思うのですよ。 実は、「まさみ」さんから僕の返信に対する返答をもらったのですよ。

あらっ。。。 マジでござ~ますか?

そのコピーをここに貼り出すので卑弥子さんもじっくりと読んでみてください。


(aol30109.gif)

僕が返信を書いたのが1月8日の午後8時13分。 「まさみ」さんが、その返信に対して返事を書いてくれたのが1月8日の午後11時26分ですよ。

あらっ。。。 デンマンさんが返信を書いてから、わずかに3時間後ですわね。

そうなのですよ。 感激しましたよ。 だから、僕は更に返信を書こうと思ったけれど、クドクドしくなるので止めました。 (爆笑)

「まさみ」さんは、ご先祖様にかかわる3部作の歴史小説を書いたのですわね。 それで、いろいろな疑問を解決するために天武天皇や天智天皇のことを読み漁(あさ)ったのでござ~ますわね。 納得しましたわ。

そうなのですよ。 それで「まさみ」さんが「古代の分はほとんど目を通してしまいました」という理由が僕にも解りましたよ。

つまり、次のような記事を読んだのですわね。


(seisho05.gif)


『天武天皇と天智天皇は同腹の兄弟ではなかった』

『天智天皇は暗殺された』

『定慧出生の秘密』

『藤原鎌足と長男・定慧』

『渡来人とアイヌ人の連合王国』

『なぜ、蝦夷という名前なの?』

『平和を愛したアイヌ人』

『藤原鎌足と六韜』

『古事記より古い書物がどうして残っていないの?』

『今、日本に住んでいる人は日本人でないの?』

『マキアベリもビックリ、藤原氏のバイブルとは?』

多分、全部ではないにしても上の幾つかの記事を読んだと思いますよ。

「まさみ」さん以外の人も読んだのですか?

読んでいます。 次のリストを見てください。


(hg30108d.gif)

これは12月30日から1月8日までの10日間の記録なのですよ。 つまり、Beaverland Web サイトにやって来る前にどのページにいたかということを記録したものです。

要するに、どのページからやって来たかということでござ~ますわね。

そういうことです。 いわゆる「リンク元URL」のリストです。

それにしては少なくありませんか?

あのねぇ~、この10日間にBeaverland Web サイトにやって来た人の記録は次のリストに表示されているのですよ。


(hg30108c.gif)

つまり、29人のネット市民の皆様がやって来たということですわね。

そうです。

10日間に29人では少ないですわね。

そうなのですよ。 実は「まさみ」さんの足跡が上の記録にはないのですよ。 「まさみ」さんのホスト名は 50-0-205-***.dsl.dynamic.sonic.net なのだけれど、これが上の記録からもれているのですよ。 

やっぱり完璧な統計は期待できないのですか?

そういうことですよ。 かなりのネット市民が記録からもれているのです。

でも、どうして、そのような事が判るのでござ~ますか?

次のリストを見てください。


(hg30108.gif)

「デンマン・シンジケート」のアクセス別ランキングなのです。 Beaverland Web サイトは上の記録では 19サイト中の13位なのです。 19番目の Exciteの 5人などは明らかに間違っている。

アクセスが記録から漏れることもあるということですか?

その通りですよ。 だから100%信頼できないケースもあるということなのです。

それにしてもトップとの差がだいぶありますわね。

そうです。

トップの Denman Word Press では「まさみ」さんのように海外からのアクセスもたくさんあるのでござ~ますか?

あるのですよ。 次のリストを見てください。


(wp30110map.gif)


(wp30110.gif)


(himiko22b.gif)

あらっ。。。 79カ国からネット市民の皆様が Word Press のデンマンさんのブログ(https://denman705.wordpress.com/)にやって来るのでござ~ますか?


(kato3.gif)

そうです。 『新しい古代日本史』のマスコットギャルの卑弥子さんの人気のせいで、このサイトの記事を読みにやって来るネット市民の皆さんが実に多いのですよ。

マジで。。。? うれしいわア~。。。 その内あたくしに結婚を申しこんでくださる素敵な殿方が現れるかしら?。。。んで、あたくしが登場するどの記事を読みにやって来るのでござ~ますか?

次の人気記事リストのトップの記事ですよ。


(wp30110c.gif)

『床上手な女の7つの見分け方』

あらっ。。。 1月10日までの1年間にダントツで 12,082回も読まれているではござ~ませんか?

この記事の中に卑弥子さんがセクシーなアパレルを着て登場するのですよ。


(june92.gif)

あらっ。。。 マジですわ。 どうやら今年こそは結婚できそうでござ~♪~ますわ。 うふふふふ。。。

【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。
卑弥子さんに素晴らしい男性がプロポーズするといいですわね。

ところで、桓武天皇のお父さんは白壁王です。
のちの光仁天皇ですわ。
お母さんは高野新笠(たかの の にいがさ)と呼ばれた女性です。
続日本紀によれば、百済から大和朝廷へと送られた人質であった武寧王の10世孫とされ、出身一族は6代前に帰化をし、日本人の姓を下賜されていました。
高野朝臣(たかののあそみ)という氏姓は、新笠が光仁天皇の側妾となった際に下賜されたものです。

桓武天皇は白壁王の第1王子として天平9年(737年)に産まれました。
当初は皇族としてではなく官僚としての出世が望まれて大学頭や侍従に任じられました。
要するに、お母さんの出自が低かったため立太子は予想されていなかったのです。
そのような理由で、あまり期待されていなかった人物だったわけです。

父王の即位後は親王宣下とともに四品が授けられ、後に中務卿に任じられました。
その後、藤原氏などを巻き込んだ政争により、異母弟の皇太子他戸親王の母である皇后井上内親王が宝亀3年3月2日(772年4月9日)に、他戸親王が同年5月27日(7月2日)に相次いで廃されたために、翌4年1月2日(773年1月29日)に皇太子になれたのでした。
その影には式家の藤原百川による擁立があったとされています。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

『漢字で体操ざ~ます』

『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『オバマ大統領と継体天皇』

『色男不比等』

『目の前で米軍のヘリが落ちた』

『見ちゃだめよ!』

『白い鯛焼き』

『真夜中のマリア』

『女に溺れる清盛』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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