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ノーベル賞がなぜ?

2017年10月7日

 

ノーベル賞がなぜ?

 


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あらっ。。。 デンマンさん。。。 2015年のノーベル賞授与式の後の晩餐会で 私とデンマンさんがダンスしているのですか?


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いけませんか?

私は2015年12月10日に スウェーデンにあるストックホルムのコンサートホールに出向いたことはないのですけれど。。。

真由美ちゃん。。。 堅苦しいことは抜きですよ。。。 真由美ちゃんと僕で ノーベル賞授与式の後の晩餐会で仲良くダンスしていると想ってください。。。

また、デンマンさんのお得意のコラージュで、上の写真をでっち上げたのですわねぇ~。。。?

うへへへへへへ。。。 やっぱり、バレてしまいますねぇ~。。。

当然ですわ。。。 私は、まだスウェーデンに行ったことがないのですもの。。。 でも確か、この事ですでにデンマンさんは記事を書いたのではありませんかァ~?

よく覚えてますねぇ~。。。 そうなのですよ。。。 

。。。で、どうして急にノーベル賞の話題を持ち出してきたのですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。





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『ダンスとノーベル賞』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で10月4日の午前7時2分から5日の午前3時19分までの約20時間の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。

あらっ。。。GOOGLE と Yahoo! と マイクロソフトの BING で検索して『ダンスとノーベル賞』を読んだネット市民がたくさんいるのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。

ついでだから次のリストも見てください。。。


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『拡大する』

『ダンスとノーベル賞』

これは『徒然ブログ』の10月1日から5日までの5日間の「リンク元URL」のリストです。。。

いつもは読まれてない『ダンスとノーベル賞』が10月になってから急に読まれだしたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。

他のサイトではどうなっているのですか?

アメブロのリストを見てください。。。


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『ダンスとノーベル賞』


『宮澤理恵@Macao』@Ameblo 未公開

『宮澤理恵@Macao』@Denman Blog 公開

これはアメブロの僕のブログの10月4日の「リンク元URL」のリストです。。。 赤枠で囲んだ4番に注目してください。。。

『ダンスとノーベル賞』を読んだネット市民が、さらにデンマンさんのブログの別の記事を読んだということですか?

そういうことです。。。

。。。で、10月4日の人気記事は『ダンスとノーベル賞』なのですか?

そうなのです。。。 「人気記事リスト」を見てください。。。


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『ダンスとノーベル賞』


『日本初のヌードショー』@Ameblo 未公開

『日本初のヌードショー』@Denman Blog 公開

『ネットのバカ女を捜して』@Ameblo 未公開

『ネットのバカ女を捜して』@Denman Blog 公開

『細川ガラシャと病める日本』@Ameblo 未公開

『細川ガラシャと病める日本』@Denman Blog 公開

2016年に投稿した『ダンスとノーベル賞』がダントツで読まれたのですよ。。。 この記事以外はすべて今年の記事です。。。 僕が管理している どのブログサイトでも『ダンスとノーベル賞』が異常に読まれているのです。。。

どうしてですか?

あのねぇ~、最近、バンクーバーではアメリカで起こった最悪の乱射事件のニュースで持ちきりだったのですよ。。。

そうでした。。。 59人が亡くなった内の4名がカナダ人だったのですわ。。。 


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『実際の記事』

しかも、4人のうちの一人が、バンクーバー近郊のメープル・リッジ (Maple Ridge) に住んでいてコンサートを見に行って惨事に巻き込まれて亡くなってしまったのですわ。。。 それで、バンクーバーのラジオやテレビや新聞が、もっぱらラスベガスの乱射事件を取り上げてニュースを流してましたわァ。。。

だから、僕も不思議に思って、いったい、どういうわけで『ダンスとノーベル賞』が読まれるようになったのだろうか? 『徒然ブログ』のリストの中に表示されたリンクをクリックしてみたのですよ。。。 すると次の検索結果が出てきた。


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『現時点での検索結果』

見れば明らかなように「ノーベル賞」を入れて検索しているのですよ。。。 それで「ノーベル賞」だけを入れて僕も検索してみました。。。 その結果を見てください。。。


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『現時点での検索結果』

あらっ。。。ノーベル賞のニュースが最近 日本ではずいぶんネットで流れているのですわねぇ~。。。

そういうことなのですよ。。。 さらに「ノーベル賞 発表」を入れて検索してみました。。。


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『現時点での検索結果』

あらっ。。。4日前からノーベル賞の発表が始まったのですわねぇ~。。。

ラスベガスの乱射事件でバンクーバーは持ちきりだったけれど、考えてみれば、10月になるといつもノーベル賞の発表がありましたよ。。。

イギリス在住の日系イギリス人のカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞したのですわねぇ~。。。

そうです。。。 今年も村上春樹さんが受賞を逃したのですよ。。。

5年ほど前から、今年こそ村上さんの受賞があるだろうと、ハルキストの皆さんがシャンペンボトルを手に期待を膨らませて発表を待つ姿がテレビで映されていましたけれど、今年もまた無念の涙でシャンペンはお預けになったようですわねぇ~。。。

僕は、村上さんのファンじゃないから、村上さんがノーベル賞をもらうことに特に期待を持ってるわけじゃないけれど、僕が思うに、ノーベル文学賞の選考委員の中に、村上さんを毛嫌いしている人がいるような気がするのですよ。。。

その人が、何がん何でも村上さんがノーベル賞をもらうことを阻止しているのですか?

そうとしか考えられないでしょう!? 僕は、村上さんのファンじゃないですよ。。。 彼の小説は一冊も読んでない! 読む気もしない! でもねぇ~、彼のエッセーは結構読んでいるのですよ。。。 共感するエッセーを書いているので、彼に対しては好感を持っている。。。

つまり、少しは村上さんを応援しているわけですねぇ~。。。

応援している、と言うほどじゃないけれど、毎年毎年、村上さんが日本でも海外でもノーベル賞候補に上がっている。。。 

村上春樹さん、狂騒10年以上…

果たして今年は?

2017年9月30日


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来月2日からノーベル賞の発表が始まる。毎年、文学賞の候補として注目され続ける作家、村上春樹さん(68)。

27日に公表された英ブックメーカー(賭け屋)の予想では2位に付け、今年も有力候補の一翼を担う。

昨年は歌手のボブ・ディランさん(76)の受賞という異例の展開となった世界最高峰の文学賞。

果たして、村上さんのものとなるのか。(横山由紀子)

“狂騒”10年

村上さんは、60を超える作品が、欧米やアジアなど50以上の言語で翻訳されている世界的作家だ。

「ノルウェイの森」など青春の苦悩を描いて若い世代の支持を得た初期から、地下鉄サリン事件を扱った「アンダーグラウンド」などのノンフィクション、さらに「海辺のカフカ」「1Q84」といったミステリアスな作品まで幅広い。

村上さんが有力候補と目されるようになったのは、2006年にノーベル文学賞の登竜門といわれるチェコの「フランツ・カフカ賞」をアジア圏で初受賞して以来。

毎年、ブックメーカーの賭け率では上位にランクインし、ファンの“狂騒”が約10年続いている。


『産経ニュース』より

それなのに、この5年ほど、ハルキストが落胆している姿を見ていると、村上さんよりもハルキストの皆さんが可哀想になるのですよ。。。

つまり、デンマンさんは、村上さんよりもハルキストの皆さんに同情するわけですか?

その通りです。。。 文学賞の選考委員の中に、絶対に村上春樹にノーベル賞を上げないと頑固に頑張っている人がいるはずですよ!

まさかァ~。。。?

そうとしか僕には考えられない! あのねぇ~、熱烈なハルキストがノーベル文学賞選考委員会に、毎年 苦情の強烈な手紙を書いているのですよ。。。 日本人の事務局員ならば、握りつぶして選考委員に見せないのだけれど、外国人は根が正直だから、翻訳して選考委員に見せてしまう。

それで、選考委員がムカついて、村上さんに対して悪い感情を持つのですか?

もちろん、表面には見せないですよ。。。 でも、人間ですよ。。。 完璧な人はいない。。。 人間は感情的な動物です。。。 毎年 苦情の手紙を見せ付けられていれば、選考委員だって、内心、ウザッたく思って、村上さんに反感を持つようになっている。。。

つまり、熱狂的なハルキストの苦情の手紙が原因で村上さんはノーベル文学賞を逃しているとデンマンさんは断定するのですか?

いや。。。 別に断定しているわけじゃないけれど、それ以外に僕には理由が考え付かないのですよ。。。

村上さんはどうしたらノーベル賞がもらえるのでしょか?

あのねぇ~、村上さんも10年以内にはノーベル文学賞を受賞しますよ。。。 でもねぇ、その時にはフランスの文学者・思想家のサルトルのように受賞を辞退すべきですよ。。。

どうして。。。?

だから、その時にはヤクザのように村上さんは啖呵(たんか)をきるのです!


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俺にはハルキストという

強い味方がついているのだ!

10年以上も俺にノーベル賞をくれずに、

今頃になってやっとくれるという

馬鹿げたことをしでかした!

オマエらのような選考委員に対して、

熱烈なハルキストに成り代わって、

このノーベル文学賞を返すことにする!

じゃあ、あばよ!

村上さんが、そうするでしょうか?

とにかく、僕がムキになって、こうしてブログを書いても、その頑固な選考委員たちは、ますます村上さんにノーベル賞をやらないぞ!と決意を新たにするだけだと思うのですよ。。。

そうでしょうか?

はっきり言って、僕がもらえるわけじゃないから、どうでもいいけれど。。。 でも、ハルキストの皆さんが、やっぱり可哀想ですよ! ノーベル・ブービー賞でもいいから、あげて欲しいよねぇ~。。。


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【デンマンの独り言】


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ノーベル・ベーグル賞があったら、真由美ちゃんは候補に挙がるかも知れません。(微笑)

真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー


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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 

If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


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『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』


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『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』

『行田物語 ケネディ暗殺』

『行田物語 病院食』

『行田物語 お股の花々』

『晩香坡物語 ジャズ』

『行田物語 悪夢』

『行田物語 社長』

『行田物語 棺桶に入るまで』

『宝田百合子@インド』

『行田物語 ちゃぶ台』

『行田物語 アカギレ』

『行田物語 にぼし』


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行田物語 にぼし

2017年9月25日

 

行田物語 にぼし

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで“にぼし”を取り上げるのですか?


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あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。


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私が眠っていた時から、トントンと大根をせん切りにする音が台所から聞こえれ来ていた。
煮干のだしの匂いもむんむんしていた。

私は大人になって結婚して、まだ暗いうちから、冷たい水を使いながら、大根トントンやることを思うと、恐ろしくなって、結婚なんかしたくない、大人になりたくないと思った。
それも毎日、毎日。

あの頃はかまどに薪をくべながら毎朝飯を炊いていた。
白菜の漬物もつけていた。

母の指は、短くて細くもなかったが、真っ赤になっていた。
冷たそう。
その間に、少なくとも3個以上の弁当を作っていた。

 (98ページ)

うちはだしをとった煮干を味噌汁のおわんの中に一人2,3匹の割合で配給するのだった。


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そして、「カルシュームだ、食え」と父は目を光らせた。

あれは本当にまずいのよ。

口の中がいがいがするのよ。

私は二度とあれは食いたくない。

どんなに白菜の白いところがうまくてもあの煮干のかすで朝食がパアになる感じだった。

 (105ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


『役に立たない日々』
著者: 佐野洋子
2008年8月20日 第6刷発行
発行所: 朝日新聞出版

この部分を読みながら、僕のオツムに ありありと少年時代の朝の食卓の風景がよみがえったのですよ。。。

デンマンさんも同じような体験を持ったのですか?


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そうなのです。。。 当時はちゃぶ台を囲んで みんながその周りに集まって、上のようにして朝食を食べたものです。。。

“にぼし”ってぇ、そんなにまずいものですか?

真由美ちゃんは食べたことないのォ~?

ありますわァ~。。。 “にぼし”が入っているオヤツですわァ~。。。


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このオヤツのなかに“にぼし”が入っているのですわ。。。 とってもおいしくて、これは私の好物のオヤツですわァ~。。。

あのねぇ~、この中に入っている“にぼし”はダシを取る前の味のあるモノが入っているのですよ。。。 ダシをとったあとの“にぼし”は、まさに ジャリジャリするだけの味も素っ気もない 砂を噛んでいるようなものなのですよ。。。 あれだけは、思い出しただけで食べたくないですよ。。。 佐野洋子さんが書いているように マジであれは本当にまずいのよ。 口の中がいがいがするのよ。 私は二度とあれは食いたくないという思いをしみじみと共感したのですよ。。。

ダシを取ったあとの“にぼし”ってぇ、それほどまずいのですか?

あのねぇ~、真由美ちゃんも今度 機会があったらぜひ食べてみたらいいよ。。。 あのまずさは半端(はんぱ)じゃない! 僕は味噌汁の中に入っている“にぼし”を見るたびに、母親に文句を言ったものです。。。

それで、デンマンさんのお母さんは何と言ったのですか?

佐野洋子さんの父親と同じようなことを言いました。。。 「カルシュームがたくさん入ってるから、丈夫で健康になって背がスクスク伸びるのだから、黙って食べなさい!」と。。。

。。。で、デンマンさんは仕方なく食べたのですか?

一度か二度は食べましたよ。。。 でもねぇ~、3度目からは絶対に食べなかった。。。 必ず箸で味噌汁から出してちゃぶ台の上に残しておきました。。。 あとで母親が食べてましたよ。。。 とにかく、僕が子供の頃は 旨い物がなくて。。。、戦中・戦後の食料のない時代を経験した人は、口に入るものならば何でもムシャムシャと食べていました。。。 僕が物心ついた頃には、「買出し」という事はもう無くなっていたけれど、自由化の前でしたからね、バナナなどは高級品で小学校の遠足のときに初めて母親が買ってくれたものでした。

煮干し


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煮干し(にぼし)は小魚を煮て干したもので、主に出汁をとる材料として使われるほか、そのまま、あるいは乾煎りにするなどで食べられている。
カタクチイワシで作ったものが最も一般的だが、マイワシ、ウルメイワシ、キビナゴ、アジ、サバ、トビウオ(あご)などを原料としたものもある。
イリコ(炒り子)、じゃこ(雑魚)、だしじゃこ(出汁雑魚)など多くの別名がある。

 

最近の商品開発の動向

煮干は、一般にそのまま食することができるため、現代人のカルシウム不足を補う意味もあって、「食べ(られ)る煮干」として、食べられることを明記し、健康によい食品であることを訴求した商品が増えている。

また、アーモンドなどのナッツ類と一緒に小袋にパッケージされた商品も、茶請けや酒のつまみとして長年にわたって日本人には愛好されている。


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出汁用として、煮干しを粉状に粉砕したものも広く流通している。

 

煮干の日

2月14日。 バレンタインデー。

1994年に全国煮干協会が「に(2)ぼ(1=棒)し(4)」の語呂合わせから制定した。

 

出汁の取り方

水出し法と煮出し法があり、水出しの方が雑味の少ない良質の出汁が取れる。
頭と腹わたからは苦味や雑味が出るので下拵えとして取り除くと良いとされるが、水出しの場合は頭と腹わたから灰汁が出にくいため、それらから出る旨みを利用するために取り除かない方法もある。
出汁が出やすいように、中骨に沿って2枚下ろしのように指で二つに割る。

ただし一般家庭で味噌汁等に使う場合には、特別な下拵えをせずにそのまま使う場合も多い。
なお出汁を抽出した後に焼け火箸を入れると生臭みの元になっている成分が揮発し上品な出汁になるといわれている。

出汁をとった後の煮干は出し殻として取り出すが、家庭料理ではそのまま汁の実として食べる場合もある。

水出し法 : 1000ml程度の水に50gほどの煮干を入れて一晩(10時間程度)出汁を抽出する。煮干を取り出した後に出汁を加熱して用いる。


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煮出し法 : 1000ml程度の水に30gほどの煮干を入れて10分程度煮出す。

折衷法(最も一般的な方法) : 1000ml程度の水に30gほどの煮干を入れて30分から一晩程度出汁を浸出し、煮干を取り出さずに10分程度煮出す。


出典: 「煮干し」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

真由美ちゃんは“にぼし”でダシを取った味噌汁なんて飲んだことないでしょう?

そうですわねぇ~。。。 私が子供の頃は、味噌汁を作ることは珍しくなってました。。。 母が作るときでも“ダシの素”を入れて作っていたようでしたわァ~。。。

。。。だろうねぇ~。。。 真由美ちゃんが子供の頃は 朝食が洋食風にパンとコーヒーで食べるようになった頃ですよ。。。。


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そうですわ。。。 スープにサラダ、それにオートミールなんかをを食べていましたわァ~。。。

時代が変わったんだよねぇ~。。。 真由美ちゃんが小学生の頃は検便なんてしたことないでしょう? ウンチをマッチ箱につめて学校に持ってゆくのですよ。。。 それを保健婦さんが顕微鏡で見て回虫の卵があるかどうかを調べるのです。。。

あらっ。。。 デンマンさんが小学生の頃はウンチをマッチ箱につめて学校に持っていったのですか? うふふふふふ。。。

もちろん、毎日じゃあありませんよ。。。 1年に1度ぐらいでしたよ。。。 でも、小学校4年生ぐらいから検便は無くなりました。。。

どうして検便をしたのですか?

回虫ですよ。。。 その当時は、野菜などは下肥(しもごえ)を使って栽培していたのです。。。


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このように田んぼには 汲み取り便所から肥桶に入れて持ってきた糞尿を下肥にするために“肥溜め”に溜めておいたのですよ。。。 だから、屋根のない“肥溜め”に落ちる人も珍しいことではなかった。

マジで。。。?

あの有名な黒柳徹子さんが小学生の頃 汲み取り便所の裏で遊んでいて、汲み取り便所の汲み取り口の穴がちょうどマンホールのようになっていたのです。。。 どのような理由か知らないけれど、その蓋(フタ)が無くて、新聞しか何かで隠されていた。。。 徹子さんは、それを知らずに、その新聞紙をめがけてジャンプしたらしく、ズボッとクソ壺の中に入ってしまった。

あらっ。。。 マジで。。。? じゃあ、ウンチとオシッコだらけになってしまったのですかァ~?

そうですよ。。。

でも、どうして、そのような事をデンマンさんは知っているのですか?

徹子さんが自分で本に書いてましたよ。。。 僕が小学校1年生のときにも同級生の女の子が便所の中に落ちたことがありました。。。

マジで。。。? 

必死の思いで“キン隠し”につかまっていたので クソ壺には落ちなかったのだけれど、保健婦さんが助けて、足洗い場で素っ裸にされて消毒液が入った盥(らたい)の中で、泣きながら体を洗われていましたよ。。。

大変な時代だったのですわねぇ~。。。

でもねぇ~。。。、それほど昔のことじゃない! 映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の昭和30年代の話です。。。


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あらっ。。。 この頃にはまだ“検便”があったのですか?

そうです。。。 水洗便所じゃなく、汲み取り便所があったということは、まだ回虫が小学生の腹の中に居たということですよ。。。

回虫


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回虫(カイチュウ、蛔虫とも)は、ヒトをはじめ多くの哺乳類の、主として小腸に寄生する動物で、線虫に属する寄生虫である。
狭義には、ヒトに寄生するヒトカイチュウ Ascaris lumbricoides を指す。

ヒトに最もありふれた寄生虫であり、世界で約十億人が感染している。
本項では主としてヒトカイチュウについて記載する。

雌雄異体であり、雄は全長15〜30cm、雌は20〜35cmと、雌の方が大きい。環形動物のミミズに似た体型であり、 lumbricoides (ミミズのような)という種名もこれに由来するが、回虫は線形動物であり、環形動物とは全く異なるので体節も環帯もなく、視細胞などの感覚器も失われており、体の両先端に口と肛門があるだけで、体幹を腸が貫通する。
生殖器は発達し、虫体の大部分を占める。成熟した雌は1日10万個から25万個もの卵を産む。

 

歴史と現状

回虫は、古くから人類の最も普遍的な寄生虫であった。
紀元前4世紀から5世紀のギリシャの医師ヒポクラテスや中国の紀元前2700年頃に記録があり、日本では4世紀前半とされる奈良県纏向(まきむく)遺跡の便所の遺構から回虫卵が発見されている。

鎌倉時代頃から人糞尿(下肥)を農業に利用する事が一般化したので、回虫も広く蔓延した。
人体から排泄された回虫卵が野菜等に付き、そのまま経口摂取されて再び体内に入るという経路である。
こうした傾向は20世紀後半にまで続き、1960年頃でも、都市部で寄生率30 – 40%、農村部では60%にも及んだ。

しかし、徹底した駆虫対策と衛生施設・衛生観念の普及によって急速に減少、20世紀末には実に0.2%(藤田紘一郎)から0.02%(鈴木了司)にまで下り、世界で最も駆虫に成功した例となった。
ただし、同じ頃に広まった自然食ブームによって下肥を用いた野菜が流通するようになり、また発展途上国からの輸入野菜類の増加に伴い、回虫寄生の増加が懸念される。

更に、駆虫が余りにも徹底したため、回虫に関する知識が忘れられるというような場合もあり、医師でさえ回虫を見た経験がなく、検査方法も知らない例もあって、回虫の増加が見逃される恐れもある。

世界的にも回虫の寄生率は高く、アジア・アフリカ・中南米などの発展途上国・地域ではなお40%程度あり、欧米でも数%となっている。
発展途上国・地域では、人口の激増と都市集中、衛生施設・観念の不足、衛生状態や経済の悪化等により駆除が困難となっている。

 

対策

衛生環境を整備しなければならないのはもちろんである。かつての日本で寄生率が著しく高かったのは、人糞尿を肥料に用いていたと共に、それで栽培した野菜類を漬け物などとして生食いしていたのが大きな原因である。回虫卵は強い抵抗力を持ち、高濃度の食塩水中でも死なないので、食塩を大量に使用した漬け物でも感染は防げなかった。
第二次大戦後は化学肥料の普及が回虫撲滅の一端を担った。

回虫卵は熱に弱く、70℃では1秒で感染力を失う。従って野菜類は充分熱を通して食べれば安全である。
有機栽培の生野菜を摂取するのであれば、下肥の加熱処理をしなければならない。

だが、大量の食品が海外から輸入されている現状では、そこから感染する恐れもあり、注意しなければならない。
発展途上国では人糞尿を肥料にする事は少ないが、衛生観念や施設の不充分から回虫の蔓延が見られる。

便所の位置や構造が不衛生で、地面にそのまま排泄する場合には、乾燥した便に含まれる回虫卵が風に乗って空中に浮遊して感染する。
糞便にたかる昆虫やネズミなどの小動物も感染源となっている。

回虫は毎日大量に産卵するので、1匹でも寄生していれば必ず糞便に卵が混じる。
よって検便をすれば寄生の有無がわかる。駆除にはかつてはサントニン・マクニン・カイニンソウなどが用いられたが、最近はパモ酸ピランテル、メベンダゾールなどが用いられる。


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根本的には便所の改善、人々の衛生観念の向上、社会の貧困撲滅など、多くの課題がある。発展途上国・地域でも、日本はじめ先進諸国の援助もあってそれらの問題の解決に取り組んでいるが、なお困難な事業である。


出典: 「回虫」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

デンマンさんは回虫を見たことがあるのですか?

もちろんですよ。。。 僕の腹の中にも居ましたからねぇ~。。。

あらっ。。。 自分のお腹の中に居た回虫を見たのですかァ~?

そうです。。。

でも。。。、でも。。。、どのようにして見たのですか?

あのねぇ~、確か僕が小学校の1年生か2年生の頃でした。。。 ある時、僕の足の先から頭のてっぺんまでじっくりと眺めて、母親は不思議そうにしていた。。。

デンマンさんは汲み取りお便所に落ちたのですか? それで、プンプン匂っていたとか。。。? うふふふふふ。。。

まさかァ~! 僕は黒柳徹子さんのような馬鹿な真似はやりませんでした。。。

。。。で、どうしてデンマンさんのお母さんはデンマンさんをしみじみと眺めたのですか?

母親というのは、子供の体調が気になるのですよ。。。 「ずいぶんと食べているのに、ちっとも太らないのよねぇ~。。。」 そのような事をぶつぶつ言っていたと思ったら、やがて薬屋に行って「サントニン」の小瓶を買ってきた。。。 ちょうど上の写真にあるような小さなビンの中に20錠ぐらい 白い錠剤が入っていた。。。 その錠剤を2粒ぐらい飲ませられた。。。 母親は「虫下し」だと言ってましたよ。。。

つまり、デンマンさんの お腹の回虫を殺すためですか?

そうです。。。 効果覿面(てきめん)でした。。。 翌日、トイレに入ってウンチをしたのですよ。。。 あのねぇ~、ウンチを出すときにはリズムがあります。。。 ポトポトポト……とか、。。。ツーツーツー……とか。。。ドボドボドボ……とか。。。 とにかう、ウンチが肛門から出てゆくときのリズムは予想できるものなんですよ。。。 真由美ちゃんだって、このリズム感には思い当たるでしょう!?

そうですわねぇ~、言われてみれば、ウンチが落ちるリズムと言うものは確かにありますよね。。。

ところが、その時、そのリズムが狂ったのですよ。。。 生まれて初めて経験するウンチのリズムの異常です。。。 ポトポト……まで行ったのに、次のポトが来るはずなのに来ない!

どうしたのですか?

肛門からウンチが落ちているはずなのに、落ちてない。。。 どうして。。。? あの不思議な感覚!? ウンチが肛門からぶら下がっているのですよ。。。 佐野洋子さんの本に次のようなエピソードが書いてある。


(shizuko02.jpg)

 

山梨のど田舎の学校で引揚者である私が誰よりもハイカラな服装をしていた。 (略)

どこから出てくるのか、アメリカからのララ物資か、日本政府からの援助か、時々学校で雨ガッパ一着とかゴムの黒い靴一足とかが、天下ってきた。
先生は、「引揚者の洋子さんに」とそれは私に恵まれるのであったが、子供心に先生のヒイキだと思えた。

山の中の川のそばの掘っ立て小屋に住んでいる女の子も居たのだ。
そこは便所も電気もなく、押せば倒れるような家とも云えないもので、時々そこのお母さんが、川でおしりまる出しにうんこをしていた。

始めうんこかと思っていたのは10センチもおしりの穴からぶらさがっている脱腸なのだった。
それは恐ろしいものだった。

女の子はノートも鉛筆もなく、丸めたおがくずのような髪の毛はしらみの卵としらみで真っ白になっていた。
そしてくさい洋服に向かってしらみはぞろぞろと歩き回っていた。
あの子はいつも素足だったのかも知れない。

学校中で雨ガッパなど持っている子供は一人も居ないのだ。
すべての子供はわらぞうりか下駄をはいていて、靴などはいている子供は居なかったのだから……。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


71-72ページ 『シズコさん』
著者: 佐野洋子
2008年7月20日 第8刷発行
発行所: 株式会社 新潮社

あらっ。。。 デンマンさんも脱腸になってしまったのですか?

ちがいますよう! 小学生で脱腸になるはずないでしょう!? 当時 僕は“脱腸”なんて知らなかった。。。 とにかく、ウンチのリズムが狂って、不思議な異常に気づいて、「オヤっ。。。 どうなっているんだろう?」と思って尻をもたげて股の間の自分のウンチを見たのですよ。。。 そしたら、次のような光景を目撃した!。。。


(unchi800.png)

なんと、サントニンで殺された回虫が出てきた。。。 回虫のメスは30センチぐらいはありますからねぇ~。。。 それもウンコをウィンナー・ソーセージのように繋(つな)げながら出てきたのですよ。。。 つまり、40センチから50センチぐらいのウィンナーがぶら下がっていたのですよ。。。 ウンコが落ちないはずですよ。。。

うふふふふふ。。。 デンマンさんは、ずいぶんと面白い経験をしたのですわねぇ~。。。

そうですねぇ~。。。、こういう経験は今の時代では したくてもなかなかできないですよゥ。。。


(laugh16.gif)

では、口直しに 旨い“煮干ラーメン”のクリップをご覧ください。。。


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【デンマンの独り言】


(kato3.gif)

真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


(inflight2.jpg)


(airport1b.jpg)

ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


(stanley50.jpg)


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世界で最も住みやすい街バンクーバー


(wetsuit.jpg)


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(gastown20.jpg)


(canplace22.jpg)

ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


(polar10.jpg)

上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


(hand.gif)



(spacer.png+betty5de.gif)
(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 

If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


(santa85b.jpg)

『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


(utsunomiya10.jpg)

『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


(biker302.jpg)

『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


(mayumi76.jpg)

『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』


(juneswim.jpg)

『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』

『行田物語 ケネディ暗殺』

『行田物語 病院食』

『行田物語 お股の花々』

『晩香坡物語 ジャズ』

『行田物語 悪夢』

『行田物語 社長』

『行田物語 棺桶に入るまで』

『宝田百合子@インド』

『行田物語 ちゃぶ台』

『行田物語 アカギレ』


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行田物語 アカギレ

2017年9月16日

 

行田物語 アカギレ

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで“アカギレ”を取り上げるのですか?


(kato3.gif)

真由美ちゃんは手にアカギレができたことある?

ありませんわァ~。。。

じゃあ、見たことある?

いいえ。。。 アカギレがどういうものかは知ってますけれど、実物を見たとこはありません。。。

しもやけ あかぎれ

 

しもやけ(霜焼け、英: Chilblain)とは、身体の一部が冷えたために、膨れて硬くなったり、その部分が痒くなったり熱くなるような感覚を覚える現象である。
しもばれ(霜腫れ)、しもくち(霜朽ち)、凍瘡、ゆきやけ(雪焼け、日本海側各地の方言)とも言う。

霜焼けは、寒さのために血行が悪くなり生じる炎症であり、手足など血管が細い四肢末端に発症しやすい。
また、肌が外気に露出している頬や鼻先や耳たぶも霜焼けになりやすい部位である。

よく「ジンジン」と形容される感覚を起こしやすく、むず痒い、痛い、熱いなどと表現されることもある。
指に発症した場合は、患部が硬く膨れ上がる場合もある。
患部を暖めると疼痛や痒みが強く感じられる事が多い。
童謡『たきび』にも歌われている、冬の季節病である。

霜焼けの状態で肌が乾燥すると、皮膚の角質層の厚い部分に亀裂が生じ、内部が赤く見えたり出血したりする。
これをひび、また程度の甚だしいものを皸(あかぎれ)と呼ぶ。


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治療法

治療法には、40℃位のお湯と5℃位の冷水に患部を交互に付ける(必ず、水よりお湯につける時間は長くし、お湯から始めてお湯で終わるように)方法や、患部を温めながらマッサージする方法(ただし余り強い力でマッサージすると患部付近の毛細血管が破裂し、症状が一段と酷くなる場合がある)、トコフェロール(ビタミンE)を服用する方法などがある。

初期の軽いものなら、レタスなどのビタミンEを多く含む食品を食べることにより、1週間程で治ることもある。

ジルチアゼムやニフェジピンなどの血管拡張薬が使用される。

しもやけで肌が乾燥した状態(アカギレ)の症状には、保湿効果のあるワセリンなどの軟膏剤をラップフィルムに塗り患部に当てる湿潤療法などがある。

dl-カンフル、メントール、ベンジルアルコールやユーカリ油(Eucalyptus oil)が配合された塗り薬(例えばメンターム、メンソレータムなど)が、しもやけクリームとして使用される。


出典: 「しもやけ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

最近では、電化製品が増えて、炊事でも簡単にご飯が炊けるし、昔のように、冷たい水に手を浸して米を研いだり、冷たい水を使って雑巾(ぞうきん)がけをすることなんて無くなったから、アカギレができることなんてまずないだろうねぇ~。。。

雑巾(ぞうきん)がけってぇ、どういうことですか?

あのねぇ~、昔は小学校などでも生徒が掃除をしたのですよ。。。 バケツに水を汲んでその中に雑巾を浸して床を拭くのですよ。。。 冬などは冷たい水の中に手を突っ込むのだから、大変ですよ。。。

私が子供の頃はそういう経験はありませんでしたわァ。。。

だろうねぇ~。。。 最近は水道をひねれば温かいお湯がでるからねぇ~。。。 僕も、最近ではアカギレができてる人の手を見たことがないですよ。。。 でも、僕が子供の頃は珍しくはなかった。。。 たまたまバンクーバー市立図書館で借りている本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

農家の嫁の手

 


(akagire2.jpg)

 

1963(昭和38)年に撮影した21歳になる「農家の嫁」の手。

手に刻まれたひび割れは家庭内および田畑での作業の厳しさを物語る。

この写真は、20世紀初頭から1950年代末にいたるまで、農村社会と農業技術に大きな変化がなかったことを証言している。

農村社会で日々の作業のルーティーンが大きく変わるのは高度成長の成果が農村にまで行きわたり、農作業の機械化が進むようになる1960年代以降のことだった。

 


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


547ページ 『日本の200年』 新版 下
徳川時代から現代まで
著者: アンドルー・ゴードン
訳者: 森谷文昭
2013年4月10日 第1刷発行
発行所: 株式会社 みすず書房

真由美ちゃんが子供の頃は、日本が経済大国になって、テレビ、冷蔵庫、電気洗濯機はもうどの家にもあったでしょう! テーブルで椅子に座って家族と一緒にご飯を食べていたのですよ。。。 でしょう?

そうですわァ。。。


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こんな感じでご飯をいただいていました。。。

僕が子供の頃は、まだ畳に座って“ちゃぶ台”でご飯を食べてたのですよ。。。


(table95.jpg)

マジで上のようにして畳に座ってご飯をいただいていたのですか?

そうです。。。 たとえば、あの話題になった昭和30年代の頃を描いた映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の中にも“ちゃぶ台”がでてきますよ。。。


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この映画は1964年の話です。。。 つまり、昭和39年の頃の話です。。。 要するに、上の1963(昭和38)年に撮影した21歳になる「農家の嫁」の手というのは、この頃には、それほど珍しいことではなかった。。。


(akagire2.jpg)

でも、この写真はちょっと痛々しすぎるよねぇ~。。。

21歳でこんな手をしているなんて、考えられませんわァ~。。。

ネットで上の写真の出所を調べたら次のように書いてありましたよ。。。

『秩父三十年 南良和写真集』の5ページの井出孫六の文章より

撮影年月は1963(昭和38)年5月、撮影場所は埼玉県秩父郡小鹿野町三田川であることがわかった。


(ogano01.jpg)

井出孫六の文章に「秩父盆地は、荒川によって東西に二分され、

西に広がる山間の村々は西谷(にしやつ)とよばれているが、

その西谷(にしやつ)の奥、三田川(みたがわ)の耕地に泊りがけでボランティアにおもむいたとき、

写真家南良和にとって忘れることのできない被写体に遭遇することになる。

いまからちょうど30年前の1963年5月、写真家南良和の遭遇したその被写体を、

読者は本書の図55、56において目にすることができるが、

「21歳の嫁の手」は、それから4年後の1967年、第4回太陽賞に浴するとともに、(後略)」という記述あり。


『レファレンス事例詳細』より

昭和38年5月に写真家の南良和さんが埼玉県秩父郡小鹿野町三田川の農家で撮ったのですよ。。。 この頃は電化製品はほとんどなかった。。。 もちろん温かいお湯が出る水道なんてない! 冬には冷たい水で米を研ぎ、大根なども冷たい水で荒い、食事が終わってからも、農家の嫁は休む暇もなく、食器を洗ったり、水仕事が絶えない。。。 それでアカギレが手にいっぱいできてしまうわけですよ。。。

デンマンさんも子供の頃にアカギレができたことがあるのですか?

いや。。。 しもやけができたことはあるけれど、アカギレができたことはありません。。。

それなのに、どういうわけで“行田物語 アカギレ”というタイトルにしたのですか?

僕の母親の手にアカギレがたくさんできたのですよ。。。 それを子供の頃、見たとき痛みが伝わってきましたよ。。。

でも、デンマンさん自身はアカギレができたことがないのに、どうして痛みが解るのですかァ~?

それは、解りますよ。。。 竹細工(たけざいく)をしていて小刀で指を切ったりしたことがあるから。。。


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こういう傷を僕も何度か指に受けたことがあるから、お袋のアカギレを見て痛いだろうなァ~、と痛みを共感しましたよ。。。 しかも、当時はその傷に七輪(しちりん)の練炭(れんたん)の火であぶって溶かした「あかぎれ膏(こう)」で傷を埋めるのですよ。。。


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熱いでしょうにィ~。。。

そうですよ。。。 このチョコレートのように固まったものを練炭の火であぶって溶かすのですからねぇ~。。。 とろっと溶けたモノは熱くないはずがない。。。 それをアカギレの傷の中にたらしてヒビを埋めるのです。。。 子供心に“拷問”のようだと思いましたよ。。。

。。。で、デンマンさんのお母さんは しばらく水仕事を休むのですか?

もちろん、休むわけにはゆきません。。。 それが嫁の仕事なんだから。。。 ヒビを埋めなけらば、冷たい水が傷にしみて痛みが増すけれど、「あかぎれ膏(こう)」で傷を埋めるので、冷たい水に手を入れても 多少は痛みが軽減されるのでしょう。。。 毎日の炊事を休むわけにはゆかないので、そうやって痛みを少しでも軽減しながら、つらい水仕事を続けるのですよ。。。

たいへんですわねぇ~。。。

そうですよ。。。 僕の母親は町に嫁(とつ)いだから、まだいいほうですよ。。。 農家の嫁さんは、町の嫁よりも水仕事が多いから、上の写真のようなアカギレができてしまうのですよ。。。 


(akagire2.jpg)

こうなってしまったら、「あかぎれ膏(こう)」で傷を埋めるのも面倒くさくなるから、もう処置なしでしょうねぇ~。。。 だから、上の写真は審査員の共感を呼んで、「21歳の嫁の手」は、それから4年後の1967年、第4回太陽賞を受賞したと僕は思うのですよ。

デンマンさんのお母さんの世代の女性は、誰もがアカギレで痛い思いをしたのですか?

あのねぇ~、女中さんを雇えるような裕福な家の主婦以外は、誰もがアカギレに悩まされたと思いますよ。。。 でも、その当時はアカギレは別に珍しいことじゃないし、嫁さんたちはたいていアカギレができていたから、みな我慢して水仕事にいそしんでいたのですよ。。。 それに当時の農家は、藁葺(わらぶ)き屋根の家でしたからねぇ。。。 何もかもが不便で旧式だった。。。


(endo02b.jpg)


(endo10.jpg)

真由美ちゃんのお母さんは僕の従妹だけれど、彼女が子供の頃住んでいた実家のある南河原村では、当時、まだ箱膳を前にして食事している家も多かったのですよ。。。

南河原村という村は行田市に統合されたのでしょう?

そうです。。。 2006年1月1日に行田市に編入されたのです。。。

 


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『拡大する』

 

デンマンさんも 旧南河原村にあった私の母の実家で箱善で ご飯を食べたことがあったのですか?

そうです。。。 僕は4歳か5歳だったけれど、母親が田植えの手伝いかなんかで僕を連れて実家に行ったのです。。。 その時 一緒に箱膳の銘々膳(めいめいぜん)で朝ごはんを食べたことをはっきりと覚えてますよ。。。

銘々膳からちゃぶ台へ

日本女子大学・北陸大学非常勤講師 東四柳祥子

 

「一家団欒」の象徴とされるちゃぶ台は近世までの銘々膳(めいめいぜん)による配膳形式とは異なり、空間を共有するもの同士が囲む四本脚の共同膳である。
日本における共同膳の歴史は、奈良・平安時代の貴族たちに享受されていた「大饗料理」になかのぼることができる。

その後、武家社会における師従関係の成立により、身分に基づき整列することで、銘々膳によって食事をする形式が定着を見せた。
そして江戸時代を迎え、鎖国化でも交流が許された中国から一つのテーブルを囲み、大皿に盛られた料理を分かち合う「卓袱(しっぽく)料理」が出島に伝来する。
まさにこの形式こそが、ちゃぶ台のルーツともされ、やがては都市部での酒宴形式として人気を誇るようになる。

しかし、根強い儒教的観念に縛られた日常生活の中では、家長を中心に、銘々膳での食事形式が従来どおり踏襲され、しつけの場の重要な空間としての意味も持ち合わせていた。


(table93.jpg)

しかし、幕末の開国以後、流入した西洋文化の影響は、家族の食事風景を大きく変えることになる。
新たに導入された西洋料理は、中国料理同様、テーブルを囲むといった食事形式を呈しており、共同膳で食事をする習慣が上流階級の間から徐々に定着をみせた。 (略)

やがて昭和期になると、『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』などといった国民的な漫画のなかで、ちゃぶ台は家族をつなぐ大切な装置として描かれ、その空間で共有される話題や珍事が、微笑ましい家族関係の理想形を印象づける効果を発揮し始めるようになる。

しかし、昨今の食の課題には、個食や孤食、外食や中食(なかしょく)にたよるといった食の外部化・簡略化への依存などがあり、家族仲良くちゃぶ台を囲むという機会の形骸化も拭えない事実である。
いま私たちは、昭和期を通して形成された家族で共有する時間のあたたかさを、再認識する時代に来ているといえるのではなかろうか。
ちゃぶ台が、人間関係の構築・再生の場であった昭和の風景に学び、守るべき遺産であるという意識も高めていきたいものである。


(table90.jpg)

赤字はデンマンが強調のため。
読み易いように改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


139ページ 『暮らしの年表 流行語100年』
講談社編 2011年5月19日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社

『カウチポテト』にも掲載
(2013年1月9日)

あらっ。。。 銘々膳というのは、ずいぶん古くから、デンマンさんの子供時代まであったのですわねぇ~。。。 でも、私が覚えている母の実家は、藁屋根の家ではなくて、新しく立て替えた新しい瓦屋根の家でしたわァ~。。。 それに、テーブルを囲んで椅子に座ってご飯をいただいてました。。。

そうです。。。 そうです。。。 その頃は昭和40年代を迎えて日本は経済大国になり、竈(かまど)は電気炊飯器になり、川で洗濯していたのが、電気洗濯機で洗濯するようになり、何もかもが電化されて生活が楽になった頃ですよ。。。 つまり、アカギレは昔の話になったのですよ。。。 要するに、僕と真由美ちゃんでは 子供の頃を送った時代が違うんだよねぇ~。。。


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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


(inflight2.jpg)


(airport1b.jpg)

ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


(stanley50.jpg)


(seawall3.jpg)


(seawall2.jpg)

世界で最も住みやすい街バンクーバー


(wetsuit.jpg)


(wetsuit3.jpg)


(gastown20.jpg)


(canplace22.jpg)

ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


(polar10.jpg)

上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


(hand.gif)



(spacer.png+betty5de.gif)
(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 

If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


(santa85b.jpg)

『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


(utsunomiya10.jpg)

『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


(biker302.jpg)

『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


(mayumi76.jpg)

『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』


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『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』

『行田物語 ケネディ暗殺』

『行田物語 病院食』

『行田物語 お股の花々』

『晩香坡物語 ジャズ』

『行田物語 悪夢』

『行田物語 社長』

『行田物語 棺桶に入るまで』

『宝田百合子@インド』

『行田物語 ちゃぶ台』


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行田物語 ちゃぶ台

2017年9月4日

 

行田物語 ちゃぶ台

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで“ちゃぶ台”を取り上げるのですか?


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あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

ちゃぶ台という食卓


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先生は、無口で人見知りをするKを一家と馴染ませるため、丸い折りたたみの食台を考案し、お茶の水の家具屋で作らせた。

明治30年代の初めのころである、

当時の家庭の食事は、一間(ひとま)に集合することは同じでも、各自の銘々膳で(蓋付きのものは箱膳と呼ばれた)、食べ終わったらお茶(お湯)で茶碗をすすいで箱に収めておくのである。

 

晩年の漱石は一人で夕食を取ることも多かったが、互いの顔を見ながら、食べるちゃぶ台では、当然、会話もはずむはずだった。

先生が発明したというのはもちろん仮構である。

 

小泉和子『家具と室内意匠の文化史』(法政大学出版局)によれば、その出現年代は確定できないが、明治30年代初めから徐々に庶民に普及したらしい。

折りたためるので場所をとらず、盛りつけにも手数を省けて清潔だからである。

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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


242-243 ページ 『夏目漱石』
著者: 十川信介
2016年11月18日 第1刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店

真由美ちゃんが子供の頃、家族と一緒にご飯を食べるとき“ちゃぶ台”を使っていましたか?

テーブルでしたわァ~。。。


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私は末っ子だったので両親と姉と兄と5人でテーブルを囲んで ご飯をいただきましたわ。。。 もうそれぞれが離れ離れに暮らしているので、子供の頃が懐かしいですわァ~。。。

僕が子供の頃はほとんどの家で、まだ畳に座って“ちゃぶ台”でご飯を食べていましたよ。。。 


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おそらく行田市で昭和30年代にテーブルでご飯を食べていた家は、よほどの金持ちの家だったと思いますよ。。。

あの話題になった昭和30年代の頃を描いた映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の頃のお話ですか?

そうです。。。


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昭和30年代の日本の農家は、圧倒的に藁ぶき屋根の家が多かったのですよ。。。 


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真由美ちゃんのお母さんは僕の従妹だけれど、彼女が子供の頃住んでいた実家のある南河原村では、当時、まだ箱膳を前にして食事している家も多かったのですよ。。。

南河原村という村は行田市に統合されたのでしょう?

そうです。。。 2006年1月1日に行田市に編入されたのですよ。。。

 


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『拡大する』

 

デンマンさんも 旧南河原村にあった私の母の実家で箱善で ご飯を食べたことがあったのですか?

そうです。。。 僕は4歳か5歳だったけれど、母親が田植えの手伝いかなんかで僕を連れて実家に行ったのです。。。 その時 一緒に箱膳の銘々膳(めいめいぜん)で朝ごはんを食べたことをはっきりと覚えてますよ。。。

銘々膳からちゃぶ台へ

日本女子大学・北陸大学非常勤講師 東四柳祥子

 

「一家団欒」の象徴とされるちゃぶ台は近世までの銘々膳(めいめいぜん)による配膳形式とは異なり、空間を共有するもの同士が囲む四本脚の共同膳である。
日本における共同膳の歴史は、奈良・平安時代の貴族たちに享受されていた「大饗料理」になかのぼることができる。

その後、武家社会における師従関係の成立により、身分に基づき整列することで、銘々膳によって食事をする形式が定着を見せた。
そして江戸時代を迎え、鎖国化でも交流が許された中国から一つのテーブルを囲み、大皿に盛られた料理を分かち合う「卓袱(しっぽく)料理」が出島に伝来する。
まさにこの形式こそが、ちゃぶ台のルーツともされ、やがては都市部での酒宴形式として人気を誇るようになる。

しかし、根強い儒教的観念に縛られた日常生活の中では、家長を中心に、銘々膳での食事形式が従来どおり踏襲され、しつけの場の重要な空間としての意味も持ち合わせていた。


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しかし、幕末の開国以後、流入した西洋文化の影響は、家族の食事風景を大きく変えることになる。
新たに導入された西洋料理は、中国料理同様、テーブルを囲むといった食事形式を呈しており、共同膳で食事をする習慣が上流階級の間から徐々に定着をみせた。 (略)

やがて昭和期になると、『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』などといった国民的な漫画のなかで、ちゃぶ台は家族をつなぐ大切な装置として描かれ、その空間で共有される話題や珍事が、微笑ましい家族関係の理想形を印象づける効果を発揮し始めるようになる。

しかし、昨今の食の課題には、個食や孤食、外食や中食(なかしょく)にたよるといった食の外部化・簡略化への依存などがあり、家族仲良くちゃぶ台を囲むという機会の形骸化も拭えない事実である。
いま私たちは、昭和期を通して形成された家族で共有する時間のあたたかさを、再認識する時代に来ているといえるのではなかろうか。
ちゃぶ台が、人間関係の構築・再生の場であった昭和の風景に学び、守るべき遺産であるという意識も高めていきたいものである。


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赤字はデンマンが強調のため。
読み易いように改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


139ページ 『暮らしの年表 流行語100年』
講談社編 2011年5月19日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社

『カウチポテト』にも掲載
(2013年1月9日)

あらっ。。。 銘々膳というのは、ずいぶん古くから、デンマンさんの子供時代まであったのですわねぇ~。。。 でも、私が覚えている母の実家は、藁屋根の家ではなくて、新しく立て替えた新しい瓦屋根の家でしたわァ~。。。 それに、テーブルを囲んで椅子に座ってご飯をいただいてました。。。

僕と真由美ちゃんとは子供時代を送った時代が違うんだよねぇ~。。。

そうらしいですわ。。。 “ちゃぶ台”とか“箱膳”と言われてもイメージが湧いてきません。。。 うふふふふふふ。。。

じゃあ、真由美ちゃんは信じられないだろうけれど、僕の母親の実家には、かつて馬がいたのですよ。。。

マジで。。。?

僕ははっきりと覚えてますよ。。。 4歳か5歳の頃だったけれど。。。


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Subj:小百合さん、おはよう!

秋晴れのバンクーバーは

爽やかで清々(すがすが)しい

ですよう!

きゃはははは。。。

Date: 24/08/2010 11:57:46 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間:8月25日(水)午前3時57分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com


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雲一つない、どこまでも青い空が広がっていますよう。

“天高く馬肥ゆる秋”

昔の人は上のように言ったけれど、
どうして天が高くなると馬が肥えるのか?

馬を使って畑仕事をしたことのない僕には分からないけれど、
そう言えば、僕のお袋の実家が南河原村にあったのですよう。

今では行田市に合併されて無くなってしまった村だけれど、
僕がまだ小さな小さな頃
幼稚園に上がる前ですよう。
おそらく4つか5つだったのでしょうね。

その農家には馬小屋があって
その中で飼われていました。
お袋の話だと、その馬を借りていたそうです。

小さな子供の目には、とてつもなく大きな馬の姿は、まるで恐竜が目の前に現れたような驚きでした。
とても怖いと思った記憶がありますよ。


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それでも興味があるから僕は馬をしみじみと眺めている。
馬だってぇ、小さな子供が興味深そうに眺めているから、僕の様子をじっと見詰めていましたよう。

その大きな目が、とっても優しそうに感じたものです。
今から思えば、その馬は牝馬で母性本能の優しさが目に表れていたのではないだろうか?

その馬が生んだ子馬を見るような優しいまなざしで僕を見つめていたような、そんな感じをその優しい大きな目から感じたものでした。

母親の実家で馬を一番可愛がっていたのは祖父だったそうです。
お袋はどうだったの?と尋ねたら、
長女だったお袋は小学校にあがる頃から、農作業や家事の手伝いをさせられて、
馬の面倒を見るのは、ただただつらいことだったらしくて、
馬が居るから自分の仕事が増えると思って、可愛いどころではなかったそうですよう。


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やがて耕耘機(こううんき)が使われるようになって、
馬は、元の飼い主に返したそうです。

それから何年経った時の話なのか?
僕は忘れてしまったけれど、
ある日、祖父が自転車に乗って農道を走っていたら、
馬がいなないたと言うのですよう。

おやっと思って馬をよく見ると、祖父が可愛がっていた馬だったそうです。
懐かしくなって、馬に近寄って鼻をなでてやりながら、その時の飼い主に、その馬を使っていた頃のことを話してやったそうです。

馬も可愛がってくれた人のことを覚えているのですよね。
その馬は、元々優しい馬だったと僕には思えるのですよう。
今でも、その馬の優しくて大きな目が僕の記憶の片隅に残っているのです。


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バンクーバーの雲一つ無い空を見ていたら、なぜか急に、その馬の優しい目が思い出されてきました。
不思議なことです。

小百合さんも、子供の頃の懐かしい思い出を懐かしみながら軽井沢タリアセン夫人になりきって元気に楽しくルンルン気分で過ごしてね。

ん。。。? 何か面白い話が読みたいの?
じゃあねぇ、次の記事を読んでみてね。


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『愚かな愚か者』

(2010年8月24日)

笑って元気を出してね。  
じゃあ、またねぇ。


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『天高く馬肥ゆる秋』より
(2010年8月29日)

今でも、その馬の優しくて大きな目がデンマンさんの記憶の片隅に残っているのですかァ~?

そうです。。。


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なんだか無性に懐かしいですよ。。。

実は、私も馬に乗ったことがあるのですわァ~。。。

マジで。。。? まさか僕が子供の頃 実家で見た馬ではないでしょうねぇ~!?

もちろん、違いますわァ。。。 乗馬の試乗会が那須高原の近くの牧場であって、子供の頃に乗ったのですわァ。


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最初は怖かったけれど、とっても楽しかったですわァ~。。。

なるほどォ~。。。、そういうわけで真由美ちゃんは動物が好きなんだァ~。。。


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たぶん、そうかもしれませんわァ~。。。


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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー


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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 

If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


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『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』


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『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』

『行田物語 ケネディ暗殺』

『行田物語 病院食』

『行田物語 お股の花々』

『晩香坡物語 ジャズ』

『行田物語 悪夢』

『行田物語 社長』

『行田物語 棺桶に入るまで』

『宝田百合子@インド』


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宝田百合子@インド

2017年8月21日

 

宝田百合子@インド

 


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デンマンさん。。。 インドに滞在している宝田百合子さんは、デンマンさんの知り合いなのですか?


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真由美ちゃんも知っている女性ですよ。。。

マジで。。。?

あれっ。。。 忘れてしまったのォ~?

思い出せませんわァ~。。。 私がバンクーバーで出会った女性ですかァ?

いや。。。 出会ってはいないけれど、真由美ちゃんも知っている女性です。。。 ちょっと次のリストを見てください。


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『拡大する』

『英語と真由美ちゃん』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で8月16日の午後11時13分から17日の午前3時59分までの約5時間の「生ログ」です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。。。

あらっ。。。 8月16日の午後11時20分に インドのGOOGLE で検索して『英語と真由美ちゃん』を読んだのですねぇ~。。。

その通りです。。。

写真の女性が宝田百合子さんですか?

そうです。。。 次のようにして検索したのですよ。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「英語 真由美 徒然」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

そうです。。。

。。。で、どのようにして宝田百合子さんが読んだと突き止めたのですか?

次のようにIPアドレスを調べたのですよ。。。


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『拡大する』

あらっ。。。 宝田百合子さんはインドの首都・ニューデリーの近郊のグルグラム市に住んでいるのですか?

そういうことです。。。

でも。。。、でも。。。、私はこれまでにインドに住んでいる宝田百合子さんという女性と知り合ったことはありませんわァ~。。。

実は、真由美ちゃんは忘れているだけで、宝田百合子さんのことで かつて語り合ったことがあるのですよ。。。

いつのことですか?

真由美ちゃんが忘れてしまうのも無理ありません。。。 実は次の記事の中で、真由美ちゃんと語り合ったのです。。。

 

パリ風カフェ

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで“パリ風カフェ”を取りあげたのですか?

真由美ちゃんはパリのカフェでのんびりとロマンス小説でも読みたいと思いませんか?

そうですわねぇ~。。。 お金と時間ができたら ぜひ私もパリに行ってみたいですわァ~。。。 デンマンさんはレンゲさんとジューンさんとご一緒にパリに出かけたことがあるのですか?

ジューンさんとは何度か一緒にパリのカフェを巡ったことがあります。。。 でも、レンゲさんとは夢のなかでセーヌ川の畔(ほとり)を散歩しただけですよ。。。

じゃあ、”Le Depart Saint Michael“の前でレンゲさんが立っている上の写真は デンマンさんがコラージュしてデッチ上げたものですか?


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そうです。。。 僕の夢の中に出てきたレンゲさんです。。。

つまり、今日は夢のお話ですか?

いや。。。、もちろん夢の話じゃありません。。。 岐阜市に住んでいる宝田 百合子(たからだ ゆりこ)さんがパリのカフェでのんびりと過ごすことに憧れを抱いているのですよ。。。


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あらっ。。。 きれいな。。。、どことなくパリに遊びに行くようなタイプの女性ですわねぇ~。。。 デンマンさんは岐阜にまで足を伸ばしてナンパしているのですかァ~? うふふふふふふ。。。

真由美ちゃんはきつい冗談を言うのですねぇ~。。。 最近の僕はナンパには興味がないのですよ。。。

。。。で、どこで百合子さんと知り合いになったのですか?

ちょっと次のリストを見てください。


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『拡大する』

『ピラミス@美術館』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で4月8日の午後11時52分から9日の午前2時54分までの約3時間の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。

4月8日の午後11時55分に『ピラミス@美術館』を読んだのですわねぇ~。。。

そうです。。。

。。。で、赤いアンダーラインが引いてある「リファラ」のリンク をクリックすると どのようなページが出てくるのですか?

次のページです。。。


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『拡大する』

『実際のページ』

あらっ。。。 これはパリのカルチェラタンにあるカフェ”Cafe de Flore“ですわねぇ~。。。

真由美ちゃんはパリに行ったこともないのによく判るねぇ~。。。

写真にそう書いてあるではありませんかァ! それに、この写真には見覚えがありますわ。

そうでしょう!。。。 上のページの赤丸の中の出典のリンク をクリックすると『ピラミス@美術館』の記事が出てくるのですよ。。。 この記事の中で次のように紹介されているのです。。。

真由美ちゃんは フルタイムの仕事を探しながら、
Carnegie Centre のボランティアの仕事や
Oppenheimer Park の集会場で女性サークルの料理の講習会の先生になったりして忙しく活動して疲れたでしょう!


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今週の土曜日か日曜日に 息抜きと癒しを兼ねて
Vancouver Art Gallary のカフェにでも行きましょう。

これまで真由美ちゃんが訪ねたバンクーバーの どのカフェとも 雰囲気が違ってますよ。
カフェテリア形式のカフェだけれど、
テラスの方が広くて、ロブソン・スクウェアを見下ろせます。
高台にありますよ。

フランスのカフェを想わせます。
パリのカルチェラタンにあるカフェじゃなくて


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南フランス、コートダジュール の海岸沿いにある テラスのカフェといった感じですよ。
真由美ちゃんならば きっと気に入るカフェだと思います。 


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では、今夜も、なるべく早めに寝て疲れを取ってくださいね。
何度も言うけれど、健康が第一ですよ!
病気で寝たきりになったら、何もできないからね。。。

じゃあ、おやすみ。。。


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『ピラミス@美術館』より
(2015年04月24日)

これはデンマンさんが私に書いたメールですねぇ。。。

そうです。。。

そう言えば、この当時 私は一生懸命に仕事を探していたのですわァ~。。。

そうですよ。。。 2014年の11月にバンクーバーにやって来て、この当時 一生懸命に仕事を探していたのですよ。。。

結局、仕事が見つからないで、しばらくボランティアでコミュニティ・センターのキッチンで働いて、それが縁で奨学金をいただきながらVancouver Community Collegeでパン職人・お菓子職人のコースを取ることになったのですわァ。

うん、うん、うん。。。 “人間万事塞翁が馬” と昔の人は言ったけれど、悪い事は必ずしも悪い事ばかりじゃないのですよ。。。 仕事が見つからなかったおかげで 遠回りしたけれどカレッジで勉強と修行ができた。。。 友達ができて、英会話もうまくなって、経験も積んで、卒業して、ようやく思い通りの仕事に就けた。。。 やる気があれば、道は開けるものですよ。。。

ところで、『ピラミス@美術館』を読んだネット市民が 宝田 百合子さんだと どうして判ったのですか?

IPアドレスを調べたのですよ。。。


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『拡大する』

IPアドレスを調べれば、確かにプロバイダーのアクセスポイントは特定できますけれど、アクセス者の名前までは判らないはずですわァ。。。

真由美ちゃんも、ネットには詳しいんだね。。。

その程度のことは常識ですわ。。。

あのねぇ~、あまりきつい突っ込みを入れないで、僕の話を聞いてくれますか?

デンマンさんが そう言うのであれば、堅い事は抜きにしてお話を伺いますわ。。。 でも、百合子さんが“パリ風カフェ”に興味があるとしたら、上の記事を読んだらガッカリするのではありませんか!?

どうして。。。?


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だってぇ~、パリのカルチェラタンにあるカフェの写真が出てきますけれど、その事については一切書いてないでしょう。。。 デンマンさんはバンクーバー美術館のカフェを紹介するために、パリのカフェを持ち出したまでですわァ~。。。

確かに、パリのカフェについて詳しい事は何一つ書いてないのですよ。。。 でもねぇ~、百合子さんは満足して『ピラミス@美術館』を読んだのです。。。

どうして、満足して読んだと判るのですかァ~?

あのねぇ~、百合子さんは見れば判るけれど、パリのような雰囲気の街が好きなのですよ。。。


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田舎から出てきたミーちゃん、ハーちゃんと違って 百合子さんがセーヌ川の畔(ほとり)を恋人と歩いている姿は サマになるのですよ。。。

その事と『ピラミス@美術館』がどのように関係しているのですか?

だから、百合子さんは 真由美ちゃんが南フランス、コートダジュール の海岸沿いにある テラスのカフェにいる様子をイメージしたのです。。。 


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つまり、パリのカフェもいいけれど、「南フランス、コートダジュール の海岸沿いにある テラスのカフェもいいわねぇ~。。。」と百合子さんは思ったのですよ。。。

私がデンマンさんと美術館のカフェに行った記事も百合子さんは読んだのですか?

そうです。。。


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この写真を見てバンクーバーも このような“コートダジュール の海岸沿いにある テラスのカフェ”があることを知って百合子さんは、断然 バンクーバーに行ってみようという気になったのです。。。

マジで。。。?

あのねぇ~、想像だけでこのような話を真由美ちゃんにしたら アホだと思われてしまいますよ。。。 信じてください。。。 百合子さんは次の記事も読んだのです。。。


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『マンボ@バンクーバー』

百合子さんが上の記事を読んだと どうして判るのですか?

真由美ちゃんが美術館のカフェにいる上の写真を見つけたのです。。。 更に、『ウェストサイド・ストーリー』のマンボを見たのですよ。。。


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百合子さんはマンボが好きなのですか?

そうです。。。 『ウェストサイド・ストーリー』はDVDで何度となく観ているのです。。。 しかも、サラサはマンボより好きなのですよ。。。 バンクーバーのロブソン・スクウェアで日曜日になると無料でサルサのパーティーに参加できると知って、もう絶対にバンクーバーに行ってみようと心に固く誓ったのです。。。


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もしかしてデンマンさんのメールアドレスを調べて、メールを書いて寄越したのですかァ~?

いや。。。、まだ届いてないけれど、そのうち届くと思うのですよ。。。


『パリ風カフェ』より
(2017年4月12日)

つまり、百合子さんから やっとメールが届いたのですか?

そうです。。。

でも。。。、でも。。。、私が美術館のカフェにいる上の写真を見つけ、『ウェストサイド・ストーリー』のマンボを見て、パリ、ニューヨーク、バンクーバーに魅せられたというのに、どういうわけで百合子さんはインドのグルグラム市に住んでいるのですか? 私はインドと聞くと すぐにムンバイのスラム街を思い浮かべてしまうのですわ。


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   ムンバイのスラム街

あのねぇ~、“インド”と聞くと 昔ながらの 上のような貧民窟を思い浮かべるかもしれないけれど、現代のインドには 東京とそれほど変わりがない街も出現しているのですよ。。。

マジで。。。?

グルグラム市というのも そういう近代的な街ですよ。。。


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宝田百合子さんは、こういう高級住宅地のマンションに住んでいるのです。。。

。。。で、いったい何をしているのですか?

グルグラム(グルガーオン)市にあるアンソール大学(Ansal University) でインドの伝統的なデザインとニュー・ファッションを勉強しているのですよ。。。


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。。。で、どういうわけで百合子さんは 「英語 真由美 徒然」と入れて検索して『英語と真由美ちゃん』を読んだのですか?

授業は英語だから、百合子さんは苦労しているのですよ。。。 それで、かつて真由美ちゃんの記事を読んだことを思い出して、語学の悩みをどのように乗り越えたのだろうか?。。。 そう思って検索したそうです。。。

。。。で、何か参考になったのですか?

好きなジャンルの英語の映画をたくさん見ようと決めたそうです。。。 とにかく、聞き取りで もたついていたら話にならないので、映画を見て耳を馴らそうと決心したのですよ。。。


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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー


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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 

If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


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『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』


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『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』

『行田物語 ケネディ暗殺』

『行田物語 病院食』

『行田物語 お股の花々』

『晩香坡物語 ジャズ』

『行田物語 悪夢』

『行田物語 社長』

『行田物語 棺桶に入るまで』


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行田物語 社長

2017年7月27日

 

行田物語 社長

 


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姉 向田邦子の「遺書」


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お葬式の喪主は本来母がなるべきものを、長男の保雄が自分でさっさと決めてしまって、保雄になったんです。
私たち妹が何かを言うと収まらないので黙っていたんですが、まあ、そこまでは母も何も言わない。
ところが、今だから言えるんですが、姉と一緒に旅行に行った方々にお香典を出す、と兄が言い始めたんです。
それが、私が見てもケタはずれの金額だった。

一番の年長者で比較的名があったかもしれませんが、姉が主催した旅行ではないですし、そもそも趣旨が違いますね。
兄はそこを混同して少しいい気になっちゃったのかもしれません。
母は世間に出て勤めた経験もない人間ですが、「それは筋ではない」と頑として許さなかった。

今度は青山斎場でどなたかに弔辞を読んで頂くかを決める段になって、兄が黙って東邦生命の社長に頼んでしまったんです。
東邦生命は、もう亡くなっていた父の敏雄が勤めていた会社です。

そうしたら、紙巻に筆で書かれた、秘書が代筆したらしき弔辞が送られてきたんです。
その内容を読んだらもうびっくりしちゃった。


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ふんぞり返ったすさまじいいヘンなものなんです。
そんなのを読んだら、みんなあきれ返っちゃうだろうと思いました。

ところが母はそれを読みもしないのに、「これは邦子の葬儀であって、お父さんのじゃない。 ここに出て頂くべき方ではない」と言って、後は兄が何を言っても受け付けず、結局、いただいた弔辞は葬儀では読みませんでした。

 (中略)

保雄は、しっかりした長女で (略) あった邦子がいなくなって、家長のような振る舞いがしたかったんですね。
台湾へ行って地獄絵を見たわけで、少しおかしくなったか、そんな事私どもに思いやれる余裕もなく心ない事で。

兄は台湾のことは生涯、母や妹に一言も話しませんでした。
それは長男としてすごい事。
ありがたかったと思うんです。

 

(122-123ページ 向田和子)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


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『「文藝春秋」で読む戦後70年』
【第2巻】安定成長期から天皇崩御まで
編集人: 石橋 俊澄
2014(平成27)年8月4日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社

デンマンさん。。。 今日は行田物語でしょう?


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そうです。。。

だけど、向田邦子さんと行田が関係あるのですか?

いや。。。 直接の関係はないのですよ。。。 真由美ちゃんは向田邦子さんを知ってますよねぇ~。。。

名前は聞いたことがありますわァ。。。 確か、飛行機事故で亡くなったのでしたよねぇ~。。。

そうです。。。 面白いエッセーを書く作家で、僕はファンでしたよ。。。 記事でも取り上げたことがあるのです。。。 51歳で亡くなってしまったのだから、惜しいです。。。 もっともっとたくさん面白い戯曲やエッセーを書いて欲しかったですよ。。。

向田邦子


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向田 邦子(むこうだ くにこ、1929年(昭和4年)11月28日 – 1981年(昭和56年)8月22日)は、テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。
第83回直木賞受賞。
週刊誌のトップ屋時代は幸田 邦子名義で執筆していた。共同ペンネーム「葉村彰子」の一員でもある。

東京府荏原郡世田ヶ谷町若林(現・東京都世田谷区若林)生まれ。

父親は高等小学校を卒業したあと第一徴兵保険(東邦生命保険。現、ジブラルタ生命保険)に給仕として入社し、そこから幹部社員にまで登りつめた苦労人。

なお転勤族であったため一歳で宇都宮に転居したのを初めとして、幼少時から高等女学校時代まで日本全国を転々としながら育つ。
菊池寛を輩出した四国の香川県の高松市立四番丁小学校卒業、東京都立目黒高等女学校、実践女子専門学校(現・実践女子大学)国文科卒業。

新卒で財政文化社に入社し、社長秘書として勤める。
その後雄鶏社に転職し、「映画ストーリー」編集部に配属され、映画雑誌編集者として過ごす。
雄鶏社を退社した後は脚本家、エッセイスト、小説家として活躍する。

1981年(昭和56年)8月22日、旅行中の台湾苗栗県三義郷で遠東航空機墜落事故にて死去。享年51。

法名は、芳章院釋清邦。墓所は東京都府中市の多磨霊園。墓碑銘は森繁久彌による「花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る」。
遺品はかごしま近代文学館に寄贈され、常設展示されている。
寄贈を決めた時の母・せいの言葉は「鹿児島に嫁入りさせよう」であった。

 

エピソード

小学生の頃には、父の赴任に伴い鹿児島県鹿児島市の鹿児島市立山下小学校で数年を過ごした。
この多感な時期に鹿児島の温暖な気候や地元の風習、文化、食べ物、家族や先生、同級生との間に様々な体験をし、忘れ得ない思い出として、代表作エッセイ『父の詫び状』に詳しく綴っている。

なお、この作品のモチーフは、鹿児島時代の家族団欒であると言われている。
飛行機事故の直前には、雑誌の企画で鹿児島を訪問し、「故郷の山や河を持たない東京生れの私にとって、鹿児島はなつかしい「故郷もどき」なのであろう」と締めくくっている。

戦後の混乱期には、一家は父の度重なる転勤により仙台に居を構えていた。
最初の社宅は、現在の住居表示で仙台市青葉区国分町二丁目(現在は仙台市都心部の歓楽街だが、当時はオフィス街の裏道)、後に同市同区大手町(旧・琵琶首丁。広瀬川沿いの住宅地)に引っ越した。

邦子は実践女子への通学のため、東京・麻布市兵衛町の母方の祖父母宅に下宿し、夏冬の休みだけ仙台に帰省していた。
「当時は東京が極度の食糧不足にあえいでいたが、仙台は別天地のように豊かであった」と語っている。
1950年に父親が東京本社勤務となり、杉並区久我山の社宅に住み、邦子もまた両親と一緒に暮らし、定年退職の後は杉並区天沼に転居する。

雄鶏社という出版社に就職したばかりの頃は、黒いニットのトップスに黒いロングスカートという服装が多かったため、同僚からは「黒ちゃん」と呼ばれていた。
後に妹の向田和子が自著の文中にて「その黒いロングスカート姿で仙台へ帰省してきた姉が、当時は黒い服を礼服以外の目的で着ていた人が少なかったこともあり、町へ出るととても目立った」と当時を回想している。

洋裁が得意であり、一時はコートまで仕立てていた。
戦中~戦後の物資の乏しい時期には弟妹達の手袋、マフラーも手編みで用意し、2人の妹にはセーラー服まで作った。
生地の入手自体が困難だったため、古着を仕立て直すなど工夫していた。

愛猫家としても知られ、実家暮らしの頃から亡くなるまで、常に複数の猫を飼っていた。
その中でもコラット種のオス「マミオ」はタイ旅行した際に一目惚れした種であり、エッセイにも度々登場させている。
邦子の逝去後は、母・せいと妹・和子が引き取り、16歳で癌によって亡くなるまで愛育していた。

精力的に海外旅行をしていたが、実は飛行機嫌いであった。1981年5月に「ヒコーキ」(『霊長類ヒト科動物図鑑』)というエッセイで、「私はいまでも離着陸のときは平静ではいられない」と書き、あまり片付けて出発すると「やっぱりムシが知らせたんだね」などと言われそうで、縁起を担いで汚いままで旅行に出ると述懐していた。
しかしながら、験担ぎも虚しくこの僅か3か月後には飛行機事故で命を落とすこととなった。

当時珍しかった留守番電話を早い時期に導入していた。
機械に慣れない人々が面白いメッセージを多く残したが、中でも秀逸は黒柳徹子で、一分/一通話のシステムでは足りなかったらしく、特有の早口で九通話連続で吹き込まれていたというものであった。
しかし用件には全く触れられておらず「後で直に会って話すわね。」という楽しいオチであったため、消去せずに保存して来客に聞かせて、もてなしの一つとしていた。


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幼少時より虫が大嫌いだった。
虫偏の漢字も嫌いだったが、唯一「虹」だけは好きだった(『クイズダービー』にてこのエピソードが出題された)。

グルメとしても有名であった。
料理も得意で自炊したが、著述活動の傍ら「女性が一人でも気軽に寄れるお店を作ろう」と、妹の和子と東京都港区赤坂で小料理屋「ままや」を開店した。

「ままや」は邦子の死後も妹の和子によって営業が続けられたが、1998年(平成10年)に閉店した。
その経緯は和子著の「かけがえのない贈り物」に詳しい。

1970年代には倉本聰・山田太一と並んで「シナリオライター御三家」と呼ばれた。


出典: 「向田邦子」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

僕は『父の詫び状』を読んだけれど、これは実に面白く読めましたよ。。。 邦子さんのお父さんは苦労人で、人の嫌がる転勤もしばしば遣ったらしい。。。 それで、邦子さんもずいぶん転校したことが書いてありました。

「父親は高等小学校を卒業したあと第一徴兵保険(東邦生命保険。現、ジブラルタ生命保険)に給仕として入社し」たと書いてありますけれど、デンマンさんのお父さんも小学校を卒業したあと忍町尋常高等小学校(現在の行田中央小学校)の給仕をしながら独学で教員検定試験を受けて18歳で先生になたのでしたよねぇ~。。。

忍町尋常高等小学校


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(このような校舎でした。 実物ではありません)

 

市庁舎、産業文化会館、体育館の北が、忍城東方の守りの内行田沼を埋め立てた地で、忍町尋常高等小学校が大正11年1月に竣工した。
だから昭和54年現在71歳の人が第1回卒業生で、20数歳の人が最後の入学生ということになるから、この忍町尋常高等小学校の大校舎を知っている人は市民に多いと思う。 (略)

教員数32名、児童数1,888名という小学校で、昭和12年星川村が合併を機に小学校が東西南北となり忍町南小学校になり、16年には忍町国民学校、22年また忍町南小学校となり、24年市制により行田市立南小学校、29年に南小学校が分離して行田市立中央小学校と名前も6回替り、現在に至っている。

玄関の前に軍艦の大砲があった。
郷土出身の小山与四郎大佐の口添えで、須加小学校と忍町小学校の2校が払い下げを受けたことを、知っている人は少なくない。

また昭和4年4月7日、今の体育館のところにロシア軍艦の11メートルの主砲で立派な表忠碑が立っていた事も、昔の語り草となってしまった。
児童数も昭和20年度には3,020人、新制中学で高等科がなくなっても、28年度は教員数67人、児童2,878人というマンモス小学校となった事も、当時の人には思い出深い事であろう。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


113-115ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社

『行田物語 ピアノ』に掲載。
(2017年6月8日)

戦前に生まれた人は、けっこう苦労人が多いのですよ。。。 苦労した甲斐があって僕のオヤジは最後は校長先生になって退職しました。

つまり、邦子さんの父親とデンマンさんのお父さんが同じ苦労人なので、この記事を書こうと思い立ったのですか?

いや。。。 そうじゃないのです。。。 たまたまバンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら妹の和子さんが書いた姉 向田邦子の「遺書」という箇所に出くわしたというわけです。。。 赤字にした箇所に注目してください。。。

東邦生命の社長と書いてありますわねぇ~。。。

そうです。。。 東邦生命と聞いて真由美ちゃんは何か思い出すことはありませんか?

確か、亡くなったデンマンさんのお母さんは、若い頃に東邦生命の外交員をしていたのではありませんかァ~。。。

そうです。。。 頑張って成績を上げ社長賞をもらいに本社に出向いたことがあったのですよ。。。 かつて、その事で真由美ちゃんとメールで語り合ったことがあるのです。。。 覚えてますか? 次のようなメールです。。。


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 (前略)

たまたま母と話しをしていたら、“行田の伯母さん”、つまり、デンマンさんのお母さんが入院したという事を聞いたのです。
私が、「どのような人なの?」と尋ねたら、
母には、とても優しくしてくれた人だということで、とても感激して話していました。

デンマンさんに初めて電話した時に、偶然にも「お葬式まで準備していたのに、母親が奇跡的に助かって。。。」というお話を聞いて、なんだか私の心まで暖かくなるようなお話だと思いました。
デンマンさんのお母さんは 人に優しくしているので “神様”が奇跡を起こしたのではないだろうか?
私は、そんな風に考えることができました。

もともと子供の頃から、私は海外に行くことと語学に憧れを抱いていました。
それでも本当にやりたいことを自分から行動に移せず、甘えた環境でずっと生きてきた自分を、今になって改めて考えるようになりました。
やりたいことをやらないと、一生、この思いは引きずるんだろうな?

このような思いに捉(とら)われていた時に 母が“行田の伯母さん”の長男に デンマンさんという人がいて、20代でカナダに移住し、今でもカナダで暮らしているという話を初めて聞いたのです。
その時、私の中で一気に込み上げてくる思いがありました。

実際こうして、親戚の方と、海を越えて、何十年越しにコンタクトをとれるというのは、私にとって信じられないほど嬉しい事です。
デンマンさんの“海外飛躍遺伝子”の記事を読んで、なんとなく素直に信じることができました。

 (後略)

by 真由美

2014年3月25日 午後10時20分

 


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真由美ちゃん、おはよう!
さわやかにお目覚めですか?

バンクーバーの今朝は素晴らしい!。。。の一言に尽きる朝です。
気温は13度!
さわやか! すがすがしい!
しかも、快晴に近い空でした!
雲がほとんどない青空が広がっていましたよ!

ルンルン気分でスキップしたくなりましたよ!
きゃはははははは。。。


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私は毎朝4時に起きて5時に自宅を出て
車で40分くらい運転をしながら
朝日を浴びて出勤しています(*^_^*)

出勤まで結構な時間と距離があるので、大変ね。。という方もいますが、
私はこの時間が嫌いではなく、
むしろ気持ちの良い時間です(*^。^*)

 

事故に遭わないように安全にはくれぐれも気をつけてね。
僕は、もう ほとんど車を運転しません。
健康のために歩いています。
歩いて すべての用が済ませることができるマンションに住んでいるのでラッキーですよ!

毎日、図書館の往復の1時間が 楽しいです。
今朝のように、快晴の日には、マジでスキップしたくなります。 (微笑)

夕べ、図書館から帰って、夕食を食べ終えたら、お袋から電話がかかってきましたよ。
10時近かったでしょうか?

今は、介護施設「ハートフル行田」から退所して、実家でのんびりと暮らしているようです。
元気な声で話していたので、僕も安心しました。
ただ、耳が遠くなったので、僕の話は半分ぐらいしか聞き取れていないようですよ。
補聴器をつけなければと いつも言うのですが、まだ補聴器を買ってないようです。

40代の頃から腎臓が悪くて 体に“むくみ”が出ていましたからね。
子供心に、長くは生きられないようだと、悲しい気持ちで見ていたこともありました。
とにかく、よく働き、ぼくら 子供を心からよく面倒見ていましたね。

実は、お袋は小学校だけしか出てないのですよ。
旧・南河原村(現在は行田市に編入)の実家は、お袋が子供の頃にはお金に困っていた。
その当時は、どこの農家も貧しかったのです。
それで、母親の実家の遠い親戚が池袋で寿司屋さんをしていたので、
10代の頃は、僕の母親は その寿司屋さんで女中奉公をしていたのですよ。

店が忙しいときには、店の手伝いもさせられたそうです。
小学生の頃から畑仕事をさせられ、
娘時代は女中奉公。
自分の好きな事は何もできなかったそうです。

実家のために、ずっと働き通しだったそうです。
稼いだお金は、ほとんどすべて実家に入れたそうですよ。
僕の祖父(真由美ちゃんには曽祖父)が、寿司屋までお金を取りにいったそうです。

そういうわけですから、“子供には自由に人生を歩んでもらいたい。”
お袋は僕が小学校の頃から よくそう言ってましたね。
僕が、とにかく自分の好きな人生を歩んでこれたのは、そういう経緯(いきさつ)もあるのです。

要するに、「自分の自由な人生を歩む」ということは、母親がやろうとしてできなかったことです。
母親は実家のために女学校にも行けず、娘時代には女中奉公して働かねばならなかった。

たまに実家に帰って田んぼで田植えなどしていると、
お袋よりも成績が悪かった同級生の女の子が自転車に乗って行田の女学校に通う姿を見ることがある。

“どうして? どうしてなの? どうして自分は、こんな惨めな境遇に生まれなければならなかったの?”
そう思ったことも、あったと言います。
でも、そんなことを思っても、どうにもならないので、とにかく、毎日毎日、”お天道様(てんとうさま)”が見ているので、しっかり働いたと言います。

だから、僕も、母親の分まで自由に生きたいと。。。 (勝手な言い分ですが。。。)

お袋は 苦労しながら働くことに慣れていたのでしょうね。
僕が大学生当時、お袋は東邦生命の保険の外交員をやっていたのですが、
成績が全国で3番になるほどで
社長賞をもらいに、東京の本社まで出かけていったことがありました。


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旧東邦生命ビル


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3人のうちで、他の二人はファッション雑誌から抜け出てきたようなドレスを着ていたけれど、
“私が一番みすぼらしかったよ!” と苦笑していました。

贅沢する気になれば、ドレスも買えたのですが、そのような事は する気になれない人でした。
家のため。。。子供のため。。。そういう気持ちが身についてしまったのでしょうね。

“お天道様(てんとうさま)”は見ていたのですよ。
あれだけ体が弱かったお袋が これまで長生きできたのですからね。。。

そして、夕べ 僕に電話をかけてよこしたのです。
涙が出てくるほどうれしいことです。 ホント。。。

お袋が 真由美ちゃんのお母さんに優しい気持ちになれるのも、いろいろと苦労した過去があればこそです。
そういうわけですから、真由美ちゃんも“お天道様(てんとうさま)”が見ていることを忘れずに、
マイペースで、しっかりと人生を送ってね。

じゃあね。
バイバ~♪~イ。。。


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05月31日 04:16 AM

(Vancouver Time: Friday, May 30, 2014 12:16 PM)

 

 

デンマンさん、こんにちは(*^_^*)
私は仕事を終えて今日はビデオ屋さんによってから今帰宅しました。

昨日デンマンさんが送ってくれたメールの返信をゆっくりしたいと思い、今日になってしまいました。
デンマンさんがくれたメール、昨日の朝読みました。
デンマンさんのお母さんの話を、沢山してくれて、とても嬉しかったです。

そして、なぜですかね。。。
デンマンさんのメールを読んでいたら、お母様の素晴らしい人間性と、デンマンさんの、人生感、本当に感動しました。

デンマンさんのお母様は、本当に素晴らしい方ですね。
人間皆、そんな心の持ち主だったら。。。
なんて思います。

お母様の話を聞いて、もっと会いたい気持ちが膨らみました。

40代の頃から腎臓が悪くて 体に“むくみ”が出ていましたからね。
子供心に、長くは生きられないようだと、悲しい気持ちで見ていたこともありました。
とにかく、よく働き、ぼくら 子供を心からよく面倒見ていましたね。

実は、お袋は小学校だけしか出てないのですよ。
犬塚の実家は、お袋が子供の頃にはお金に困っていた。
その当時は、どこの農家も貧しかったのです。

それで、犬塚の遠い親戚が池袋で寿司屋さんをしていたので、
10代の頃は、僕の母親は その寿司屋さんで女中奉公をしていたのですよ。
店が忙しいときには、店の手伝いもさせられたそうです。

小学生の頃から畑仕事をさせられ、
娘時代は女中奉公。
自分の好きな事は何もできなかったそうですよ。

実家のために、ずっと働き通しだったそうです。
稼いだお金は、ほとんどすべて実家に入れたそうですよ。
僕の祖父(真由美ちゃんには曽祖父)が、寿司屋までお金を取りにいったそうです。

そういうわけですから、“子供には自由に人生を歩んでもらいたい。”
お袋は僕が小学校の頃から よくそう言ってましたね。
僕が、とにかく自分の好きな人生を歩んでこれたのは、そういう経緯(いきさつ)もあるのです。

要するに、「自分の自由な人生を歩む」ということは、母親がやろうとしてできなかったことです。

 

本当に素晴らしいですね。。。
苦労を沢山分かっているからこその人間性なんでしょうか。
こればかりは真似しようと思ってもきっと真似できないでしょう。
けれどもこんな母親はお手本にしたいばかりです。

 

母親は実家のために女学校にも行けず、娘時代には女中奉公して働かねばならなかった。
たまに実家に帰って田んぼで田植えなどしていると、
お袋よりも成績が悪かった同級生の女の子が自転車に乗って行田の女学校に通う姿を見ることがある。

”どうして? どうしてなの? どうして自分は、こんな惨めな境遇に生まれなければならなかったの?”
そう思ったことも、あったと言います。
でも、そんなことを思っても、どうにもならないので、とにかく、毎日毎日、”お天道様(てんとうさま)”が見ているので、しっかり働いたと言います。

だから、僕も、母親の分まで自由に生きたいと。。。 (勝手な言い分ですが。。。)

お袋は 苦労しながら働くことに慣れていたのでしょうね。
僕が大学生当時、お袋は東邦生命の保険の外交員をやっていたのですが、
成績が全国で3番になるほどで
社長賞をもらいに、東京の本社まで出かけていったことがありました。

3人のうちで、他の二人はファッション雑誌から抜け出てきたようなドレスを着ていたけれど、
“私が一番みすぼらしかったよ!” と苦笑していました。
贅沢する気になれば、ドレスも買えたのですが、そのような事は する気になれない人でした。
家のため。。。子供のため。。。そういう気持ちが身についてしまったのでしょうね。

“お天道様(てんとうさま)”は見ていたのですよ。
あれだけ体が弱かったお袋が 長生きしているのですからね。。。

そして、夕べ 僕に電話をかけてよこしたのです。
涙が出てくるほどうれしいことです。 ホント。。。

 

デンマンさん…

私はこの記事を読んで朝から泣きました。


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でもその涙はとっても気持ちのよい涙で。。
心が晴れたように、とても澄んだ気持ちになりました。
お話して下さって、本当にありがとうございます。

 

お袋が 真由美ちゃんのお母さんに優しい気持ちになれるのも、いろいろと苦労した過去があればこそです。
そういうわけですから、真由美ちゃんも”お天道様(てんとうさま)”が見ていることを忘れずに。。。


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デンマンさんのこの言葉で、私は朝から頑張ろう!っと気持が漲ってこれました。
デンマンさんのお母様は、お天道様のような人ですね。

本当にお会い出来る事を楽しみに、というより、
逢えるということに感謝です。。。

では、デンマンさんも
お気をつけてウオーキングに読書、楽しんで下さいね(*^_^*)


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2014年06月01日 18:26

 

 

真由美ちゃん、おはよう!
今朝のバンクーバーはすがすがしい、素晴らしい天気です。

マジで、ルンルン気分でスキップしたくなりました。
お天道様が、ニコニコしながら見ていましたよ。
きゃははははは。。。

 

デンマンさんこんにちは(*^_^*)
私は仕事を終えて今日はビデオ屋さんによってから今帰宅しました。
昨日デンマンさんが送ってくれたメールの返信をゆっくりしたいと思い、今日になってしまいました。

デンマンさんがくれたメール、昨日の朝読みました。
デンマンさんのお母さんの話を、沢山してくれて、とても嬉しかったです。
そして、なぜですかね。。。

やっぱり、血のつながりでしょうねぇ。
この事については記事にも書いたのですよ。


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真由美ちゃんと電話で話したこと、メールの内容なども拝借して記事の中で使っています。
真由美ちゃんは、まだ読んでないかも。。。?

やっぱり、真由美ちゃんがカナダに住んでいる僕に関心を持ったということは、
“血のつながり”と共に“生き方”を同じくする者という共感もあるのでしょうね。
それで、僕も 真由美ちゃんに対して“身内の話”もしたくなるのですよ。

 

デンマンさんのメールを読んでいたら、お母様の素晴らしい人間性と、デンマンさんの、人生感、本当に感動しました。
デンマンさんのお母様は、本当に素晴らしい方ですね。
お母様の話を聞いて、もっと会いたい気持ちが膨らみました。

デンマンさん、、
私はこの記事を読んで朝から泣きました。

でもその涙はとっても気持ちのよい涙で。。。
心が晴れたように、とても澄んだ気持ちになりました。

そうですか。。。そうですか。。。

実は僕自身も、メッセージを書きながら、お袋の30代や40代の頃の面影がオツムに浮かんできて、思わずホロリとする瞬間がありましたよ。
でも、電話では、母親は 昔の苦労話や、悲しかった事などはおくびにも出しませんでした。

初めから、お互いに元気であることを喜び、声が聞けたことに感謝して、笑い転げながら話しましたよ。
実に、愉快な人です。

真由美ちゃんも、僕のお袋と話せば、面白い楽しい人だということが すぐに解りますよ。
でも、内面には、ずいぶんと苦労して耐え抜いてきた悲しみを持っている人です。

 

デンマンさんのこの言葉で、私は朝から頑張ろう!っと気持が漲ってこれました。
デンマンさんのお母様は、お天道様のような人ですね。

本当にお会い出来る事を楽しみに、というより、
逢えるということに感謝です。。。

では、デンマンさんも
お気をつけてウオーキングに読書、楽しんで下さいね(*^_^*)

真由美ちゃんも、今日一日、素晴らしい日になるように、ルンルン気分で過ごしてください。
じゃあね。
バイバ~♪~イ。。。


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06月02日 03:48

(Vancouver Time: Sunday, June 1, 2014 11:48 AM)

 

 

デンマンさん!こんにちは(‐^▽^‐)!
今日、芳江さんに会ってきましたよー!!
もぅ、話したい事が沢山あります!o(〃^▽^〃)o

昨日から、私の母の実家に泊りに来たので、
今日、芳江さんのところにお邪魔しようと思って、午前中に、自宅の方に連絡を入れてみたところ、
正造さんが出まして、お伺いしますと伝えたら、
正造さん自身は出掛けてしまうけども、
「母と次兄がいます」と言って電話を切ったら、すぐに、芳江さんからまた電話をいただいて、
ご自分は「耳が遠いもんで。。。、でも、来てくれるのを楽しみにしていますよ」、と言ってくれました。

それから母とすぐに向かい30分くらいで芳江さんの家に着き、玄関の扉が開いて、その先には車椅子が置いてありました。
茶の間の椅子に腰掛けている芳江さんにお会いして、その元気さと若さにびっくりしました!

自分では「少しボケてしまってね〜(笑)」なんて言っていたけど、
全然そんなことなく、はっきりとお話されていました!

芳江さんに、デンマンさんとよく連絡をとっている事
カナダの事についてデンマンさんがいろいろと相談、
協力してくれている事、カキフライの話。(笑)
とても嬉しそうに聞いてくれました。(-^□^-)

私の母とも、昔のトモエおばさんの話をしたり、
親戚の人たちの話をしていましたよ(‐^▽^‐)

デンマンさんの話になった時には、
デンマンさんが病院を変えてくれて、「どうにか生かせてくれ!」と言ってくれたんで、今こうして生きてるんですよ。
そのように話してくれた時には母と涙をこらえましたよ(‘-^*)/。。

ベーグルも食べて貰いたくて持っていきました(*^▽^*)
喜んでくれました!


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母が介護の仕事をしていますが、芳江おばさんの歳であそこまで綺麗な健康な自分の歯なのは、本当に珍しいですよ!とびっくりしていました!
喜代司(きよし)さんは わたしたちが話しているのを、隣でずっと聞いていましたよ。

芳江さんがお昼の時間をすごく気にしてくれていて、
何も用意していなくてすまません。と(。>0<。)

「近くに美味しい親子丼があるから、そこのでも食べるかい」、などと気を使ってくれました。
わたしと母もそろそろお邪魔するとこだったので
「芳江おばさん、本当にお気遣いなく。。。」
と言って、1時間くらいお話をしてきました。

もっと沢山お話したかったくらい、本当に穏やかで
素敵な方でした。
そして素敵な時間でした。

デンマンさんは帰ってくると「いろいろ連れてくれて いろいろ食べさせてくれる」と嬉しそうに話していました。
また10月にでもデンマンさんが帰くる時には
また遊びに来ますと伝えてきました(=⌒▽⌒=)

帰りに芳江おばさんと写真をとりました^ – ^
母と、私と一枚ずつ。(‐^▽^‐)
わたしは何故だか涙が溢れてきちゃって。(ノ◇≦。)


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芳江さんは 「せっかく来てくれたのに、お構いできなくて、すみませんね」、と何度も何度も気にされていて、
帰ってしまう私達を玄関の奥で手を振って見送ってくれました。
また涙です(笑)

母と帰りの車の中で、芳江おばさんと会えて、よかった。
本当によかったねと。
話しながら帰ってきました。

ちょうど母と到着した頃、芳江おばさんからおばあちゃんの家に電話を頂きました。
今日はありがとうございましたとの事で、
わたしのおばあちゃんと少しお話をされていました。^ – ^!

本当に今日は素敵な素敵な日でした。
今も芳江おばさんの笑っている笑顔が頭に焼きついていますよ。

とっても優しくて、とっても可愛らしくて素敵な方でした✨
また会えるのが本当に楽しみです^ – ^!!

デンマンさんがこのメールを開く頃にはちょうど、わたしは夢の中ですが(笑)
今日はとてもよい夢を見れそうです。✨
ありがとうございました^ – ^!

わたしもカナダ就職に向けて、一歩一歩がんばりますね!
デンマンさん、よろしくお願いします☺️


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真由美より

2014年06月16日 17:35

 

真由美ちゃん、おはよう!
元気で会えて良かったね。

芳江母も 生きていて良かったと幸せを感じたことでしょう!
僕も涙が出てくるほどうれしいですよ。

 

自分では「少しボケてしまってね〜(笑)」なんて言っていたけど、
全然そんなことなく、はっきりとお話されていました!!

病気は気からと昔の人は言いましたが
気分がいいと、気持ちもしっかりするものですよ。

僕がお袋と話をすると、
たまに会うものだから話が尽きないのですよね。

それに昔話だとかお袋の若い頃の話をしますから、
お袋の気持ちが次第に若返って、二人で笑い転げるのですよ。

すると、お袋は言うものです。
「あれっ。。。起きた時には頭痛がして、気分が悪かったのに、
あんたと話していたら、ずいぶん笑ったせいか朝の気分の悪さも、頭痛もすっかり飛んでしまったよ。。。
やっぱり、病気は気からと言うけれど、笑って暮らさないと駄目なんだねぇ~。。。」

正に、そのとおりだと思いますよ。

 

芳江さんに、デンマンさんとよく連絡をとっている事
カナダの事についてデンマンさんがいろいろと相談、協力してくれている事、カキフライの話。(笑)
とても嬉しそうに聞いてくれました。(-^□^-)

私の母とも、昔のトモエおばさんの話をしたり、
親戚の人たちの話をしていましたよ(‐^▽^‐)

デンマンさんの話になった時には、
デンマンさんが病院を変えてくれて、「どうにか生かせてくれ!」と言ってくれたんで、
今こうして生きてるんですよ。

。。。と話してくれた時には母と涙をこらえましたよ(‘-^*)/。。

うん、うん、うん。。。
母が幸せを感じている姿が目に見えるようですよ。
真由美ちゃんと、とも子さん母娘に会えて、お袋も久しぶりに楽しいひと時を過ごしたことでしょう。

母親の病気が重くなっていると、親戚の皆さんが感じているので、尋ねて来る人も少なくなっているのですよ。。。
だから、たまに親戚の人が見えると、お袋も気分がいいのですよ。

 

ベーグルも食べて貰いたくて持っていきました(*^▽^*)
喜んでくれました!


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母が介護の仕事をしていますが、芳江おばさんの歳で
あそこまで綺麗な健康な自分の歯なのは、本当に珍しいですよ!とびっくりしていました!

確かに、あの年で“自分の歯”を持っている人は珍しいでしょうね。
30代、40代の頃には 母は体が弱かったけれど、もともと健康体で生まれてきたのですよ。

母親の上に、先に生まれた二人の男の子が 幼くして亡くなっているのです。
女の子は男の子よりも健康に生まれてくると言いますよね。
だから、一姫二太郎と言うのですよ。

つまり、初めに生まれてくる子は女の子の方がいいのですよ。
健康で育てやすいから。。。

子供の頃から無理して働いたので、母は、体を壊してしまったのです。
でも、もともと健康体だから、僕ら子供たちは、母親からは、健康に生まれたのですよ。

その証拠に、僕は 小学校3年生を最後に、医者にかかったことがない。
未だに、医者に診てもらったことがないほど健康なのですよ。

 

もっと沢山お話したかったくらい、本当に穏やかで
素敵な方でした。そして素敵な時間でした。

デンマンさんは帰ってくるといろいろ連れてくれていろいろ食べさせてくれると嬉しそうに話していました。
また10月にでもデンマンさんが帰くる時には
また遊びに来ますと伝えてきました(=⌒▽⌒=)

うん、うん、うん。。。
母も、きっとその事を楽しみにしていますよ。
また、寿命が延びるでしょう。 (笑)

 

帰りに芳江おばさんと写真をとりました^ – ^
母と、私と一枚ずつ。(‐^▽^‐)
わたしは何故だか涙が溢れてきちゃって。(ノ◇≦。)

母も、きっと幸せをかみ締めて喜んでいたことでしょう。
ほんとうに、ありがとう!

 

本当に今日は素敵な素敵な日でした。
今も芳江おばさんの笑っている笑顔が頭に焼きついていますよ。

とっても優しくて、とっても可愛らしくて素敵な方でした✨
また会えるのが本当に楽しみです^ – ^!!

デンマンさんがこのメールを開く頃にはちょうど、わたしは夢の中ですが(笑)
今日はとてもよい夢を見れそうです。✨
ありがとうございました^ – ^!

はい、はい、はい。。。
こちらこそ、ありがとうございました。

真由美ちゃんも、元気で また、ルンルン気分でベーグルを焼いてください。
10月に会えるのを楽しみにしています。
じゃあね。
バイバ~♪~イ。。。


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2014年06月17日 02:58

(Vancouver Time: Monday, June 16, 2014 10:58 AM)


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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

忙しい時間を割いて、真由美ちゃんも僕の母親の葬式には参列してくれました。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー


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(wetsuit3.jpg)


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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


(polar10.jpg)

上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


(hand.gif)

If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


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『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』



(spacer.png+betty5de.gif)
(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


(juneswim.jpg)

『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


(juneswim.jpg)

『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』

『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』

『行田物語 ケネディ暗殺』

『行田物語 病院食』

『行田物語 お股の花々』

『晩香坡物語 ジャズ』

『行田物語 悪夢』


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