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安徳帝は生きていた

2017年4月16日

 

安徳帝は生きていた

 


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安徳天皇と守貞親王

 


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ところで、守貞親王と入れ替わった安徳帝は、その後どうなったのでしょう。

まずまず無事に守貞親王に化けおおせ、治部卿局(じぶきょうのつぼね)たちとともに都に戻り、法皇との対面ののち、上西門院の猶子(ゆうし)となって成長、そして承久の乱勃発後、太上天皇(だいじょうてんのう)として再び政治の座についたのです。

泉下の平家一門はどれだけ喜んだでしょう。

しかし46歳にして惜しくも崩御されてしまいました。

この事実を、治部卿局以外、誰も知らなかったとは考えられませんが、なんの破綻もなく、これまでおさまったのは、天佑神助(てんゆうしんじょ)のたまものというべきでしょうか。

 


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


197ページ 『義経』
著者: 宮尾登美子
2004(平成16)年11月25日 第1刷発行
発行所: 日本放送出版協会

 


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幼かった安徳天皇が おばあちゃんの二位尼(平時子)に抱き上げられて 一緒に瀬戸内海の波間に沈んでいったのではなく、そのおばあちゃんが抱いていたのは、身代わりになった守貞親王で、実は、安徳天皇は生きていて 承久の乱勃発後、太上天皇(だいじょうてんのう)として再び政治の座についた、とデンマンさんは信じているのでござ~♪~ますか?


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いや。。。 実は、僕は初めて そのような事を信じている人がいるのを知って ちょっと驚いたのですよ。。。 もう亡くなってしまったけれど、宮尾登美子さんが書いた上の本をバンクーバー図書館で借りて読んでいたら、上の箇所に出くわしたというわけです。。。

そのような事はありえないと、デンマンさんは考えているのですかァ~?

だから、それをちょっと確かめてみたくなって卑弥子さんを呼んだのですよ。。。

あたくしは、そのような事を考える人たちが居ても 決して不思議ではないと思いますわァ~。。。

卑弥子さんは、どうしてそう思うのですか?

だってぇ~、源義経が亡くなったのは、実は、影武者が殺されたので 本人は生きていて後にジンギスカンになって大陸で活躍したというお話は多くの人が信じていますわァ。

でもねぇ~、その伝説は今では学術的に完全に否定されてるのですよ。。。

義経の伝説


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優れた軍才を持ちながら非業の死に終わった義経の生涯は、人々の同情を呼び、このような心情を指して判官贔屓というようになった。
また、義経の生涯は英雄視されて語られるようになり、次第に架空の物語や伝説が次々と付加され、史実とは大きくかけ離れた義経像が形成された。

義経伝説の中でも特に有名な武蔵坊弁慶との五条大橋での出会い、陰陽師・鬼一法眼の娘と通じて伝家の兵書『六韜』『三略』を盗み出して学んだ話、衣川の戦いでの弁慶の立ち往生伝説などは、死後200年後の室町時代初期の頃に成立したといわれる『義経記』を通じて世上に広まった物語である。
特に『六韜』のうち「虎巻」を学んだことが後の治承・寿永の乱での勝利に繋がったと言われ、ここから成功のための必読書を「虎の巻」と呼ぶようになった。

また後代には、様々な文物が由緒の古さを飾るために義経の名を借りるようになった。
例えば、義経や彼の武術の師匠とされる鬼一法眼から伝わったとされる武術流派が存在する。

 

不死伝説

後世の人々の判官贔屓の心情は、義経は衣川で死んでおらず、奥州からさらに北に逃げたのだという不死伝説を生み出した。
このような伝説、あるいは伝説に基づいて史実の義経は北方に逃れたとする主張を、義経北方(北行)伝説と呼んでいる。
この伝説に基づいて、寛政11年(1799年)、蝦夷地のピラトリ(現・北海道沙流郡平取町)に義経神社が創建された。

義経北方(北行)伝説の原型となった話は、室町時代の御伽草子に見られる『御曹子島渡』説話であると考えられている。
これは、頼朝挙兵以前の青年時代の義経が、当時「渡島(わたりしま)」と呼ばれていた北海道に渡ってさまざまな怪異を体験するという物語である。
未知なる地への冒険譚が、庶民の夢として投影されているのである。

このような説話が、のちに語り手たちの蝦夷地のアイヌに対する知識が深まるにつれて、衣川で難を逃れた義経が蝦夷地に渡ってアイヌの王となった、という伝説に転化したと考えられる。
またアイヌの人文神であるオキクルミは義経、従者のサマイクルは弁慶であるとして、アイヌの同化政策にも利用された。
またシャクシャインは義経の後裔であるとする(荒唐無稽の)説もあった。
これに基づき、中川郡の本別町には義経山や、弁慶洞と呼ばれる義経や弁慶らが一冬を過ごしたとされる洞窟が存在する。

 

義経=ジンギスカン説


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この北行伝説の延長として幕末以降の近代に登場したのが、義経が蝦夷地から海を越えて大陸へ渡り、成吉思汗(ジンギスカン)になったとする「義経=ジンギスカン説」である。

この伝説の萌芽もやはり日本人の目が北方に向き始めた江戸時代にある。
清の乾隆帝の御文の中に「朕の先祖の姓は源、名は義経という。その祖は清和から出たので国号を清としたのだ」と書いてあった、あるいは12世紀に栄えた金の将軍に源義経というものがいたという噂が流布している。
これらの噂は、江戸時代初期に沢田源内が発行した『金史別本』の日本語訳が発端である。

このように江戸時代に既に存在した義経が大陸渡航し女真人(満州人)になったという風説から、明治時代になると義経がチンギス・カンになったという説が唱えられるようになった。
明治に入り、これを記したシーボルトの著書『日本』を留学先のロンドンで読んだ末松謙澄はケンブリッジ大学の卒業論文で「大征服者成吉思汗は日本の英雄源義経と同一人物なり」という論文を書き、『義経再興記』(明治史学会雑誌)として日本で和訳出版されブームとなる。

大正に入り、アメリカに学び牧師となっていた小谷部全一郎は、北海道に移住してアイヌ問題に取り組んでいたが、アイヌの人々が信仰する文化の神・オキクルミの正体は義経であるという話を聞き、義経北行伝説の真相を明かすために大陸に渡って満州・モンゴルを旅行した。
彼はこの調査で義経がチンギス・カンであったことを確信し、大正13年(1924年)に著書『成吉思汗ハ源義經也』を出版した。
この本は判官贔屓の民衆の心を掴んで大ベストセラーとなる。
現代の日本で義経=ジンギスカン説が知られているのは、この本がベストセラーになったことによるものである。

こうしたジンギスカン説は明治の学界から入夷伝説を含めて徹底的に否定され、アカデミズムの世界でまともに取り上げられることはなかったが、学説を越えた伝説として根強く残り、同書は昭和初期を通じて増刷が重ねられ、また増補が出版された。
この本が受け入れられた背景として、日本人の判官贔屓の心情だけではなく、かつての入夷伝説の形成が江戸期における蝦夷地への関心と表裏であったように、領土拡大、大陸進出に突き進んでいた当時の日本社会の風潮があった。

現在では後年の研究の結果や、チンギス・カンのおおよその生年も父親の名前も「元朝秘史」などからはっきりと判っていることから、源義経=チンギス・カン説は学術的には完全に否定された説である。


出典: 「源義経」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

こういう話は、昔から“判官贔屓(はんがんびいき)”と言って よく伝説には付き物なんですよ。。。 どう考えたって、義経がジンギスカンになったという話は、荒唐無稽(こうとうむけい)なのですよ。。。

どうしてデンマンさんは荒唐無稽と決め付けるのでござ~ますか?

あのねぇ~、僕がジンギスカンの下で命令を受けて戦うモンゴル人のデンマン将軍だとします。。。

あらっ。。。 面白そうな例えでござ~ますわねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。 で、もし、そうだとしたらどうなったと言うのでござ~ますかァ?

義経がジンギスカンになったとしたら、彼は30才をすぎてから大陸に渡ったことになるのですよ。。。 つまり、そうなると、誰もがジンギスカンはモンゴル人じゃなくて日本人だということを知っている。。。 すると、日本人のために命をかけてまで戦う気にならない! 僕は、日本人のジンギスカンを暗殺して自分がモンゴル人の棟梁になろうとしますよ。。。

つまり、モンゴル人のデンマン将軍が日本人のジンギスカンを暗殺して歴史は変わってしまったというのでござ~ますかァ?

その通りですよ。。。 あのねぇ~、現在だって、アメリカの大統領になるにはアメリカで生まれてないと成れない! どこの国でも移民の大統領など居ませんよ。。。 移民は、その国ではせいぜい縁の下の力持ちになる程度で、決してその国の長には成れない! そんな事は移民をしてみればすぐに理解できる事なのですよ。。。

つまり、義経がモンゴルに移民してジンギスカンになることは デンマンさんの経験上からありえないという事ですわねぇ~。。。

いや。。。 僕の経験からも言えることだけれど、そのような事は歴史を見ればすぐに理解できる事ですよ。。。 フジモリ大統領だってぇ、ペルーの第91代大統領になったけれど、移民したわけじゃない。。。 ペルーの首都リマのミラフロレス区で仕立物屋を営む父・直一と母・ムツエの間に生まれたのですよ。。。 要するに、その国で生まれ育った人物でなければ、その下で働く人たちの意欲が湧かないのですよ。。。 だから、日本から30才過ぎてやってきた義経に従ってモンゴル人が命をかけて戦うなんて、とてもありえない!

モンゴル生まれのデンマン将軍によって暗殺されてしまうのですか?

僕が、その当時モンゴルで生まれて義経将軍の下で戦うモンゴル人の将軍になったら、まずそうする事になったと思いますよ。。。

分かりましたわ。。。 でも、安徳天皇の場合は、お話が違うと思うのでござ~ますわァ。。。

どう違うのですか?

だってぇ~、安徳天皇はモンゴルに移住したわけではありませんわァ。。。 守貞親王が安徳天皇の身代わりになって海に沈んだのですわ。。。 だから、安徳天皇は守貞親王として、都で暮らし、やがて承久の乱勃発後、太上天皇(だいじょうてんのう)として再び政治の座についたのでござ~ますわァ。

卑弥子さんもマジで それを信じているのですかァ~?

だってぇ~、そうでも考えないと、安徳天皇があまりにも お可哀想ですわァ~。。。 


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最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた おばあちゃんの二位尼(平時子)は安徳天皇を抱き上げました。

「おばあちゃん、僕をどこへ連れてゆくのォ~」

二位尼は涙をおさえて 諭(さとし)します。

「坊ちゃんは 前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁により、御運はもはや尽きてしまいました。 この世は辛く厭(いと)わしいところです。

これから、このバアが、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのですよ」

「楽しいところなのォ~」

「そうですよ。。。 これからバアと一緒にゆきます。 だから、この世にさようならをしましょうねぇ~」

 


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すると、幼い天皇は小さな手を合わせ、東を向いて伊勢神宮を遙拝し、続けて西を向いて念仏を唱えました。

二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じたのでした。

安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳と4か月)で崩御したのです。


『平家物語』「先帝身投」より卑弥子が現代語に意訳しました。

卑弥子さんは意外に涙もろいのですねぇ~。。。

この場面を想い浮べると、あたくしは涙無しにはおられないのでござ~ますわァ。。。

卑弥子さん。。。 涙が鼻水になって、鼻からずいぶん出てますよ。。。 ハンカチでは間に合わないからタオルを持ってきますねぇ~。。。

デンマンさん! 愚かな事を言ってないで話の先を進めてくださいなァ~。。。

あのねぇ~、よく考えてくださいよ! 安徳天皇が満6歳と4か月で おばあちゃんと一緒に瀬戸内海の海の底に沈んだから、そうやって卑弥子さんの涙がドバドバと出てくるのですよ。。。 もしですよゥ。。。 そうじゃなくて守貞親王が安徳天皇の身代わりになっていたとしたら、『平家物語』の上の箇所は、涙をそれほど誘わないのですよ。。。 むしろ、現在の倫理観としたら、人権無視もはなはだしい! もしもですよ、卑弥子さんが 守貞親王のお母さんだとしたら、安徳天皇の身代わりに自分の幼い息子を差し出しますかァ~?

いいえ。。。 絶対にイヤでござ~ますわァ~。。。

でしょう!?。。。 だから、安徳天皇は本人が おばあちゃんと一緒に入水したのです。。。 そうでないと日本文学の素晴らしい『平家物語』が安っぽい話になってしまうのですよ。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは どう思いますか?

安徳天皇は壇ノ浦で入水せず、つまり、おばあちゃんだけが “ねんねこ”をかかえて、さも安徳天皇を抱くようにして、一人で入水したのだと信じている人たちも居るのですわよう。。。

それから、安徳天皇は平氏の残党に警護されて地方に落ち延びたと言うのでござ~ますわァ。

だから、九州や四国地方を中心に全国に20か所あまりの伝承地があるのですわよ。

では、高知県の山の中に墓があるというミステリーをご覧くださいませぇ~。。。


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上のクリップを観てあなたはどう思いましたか?

話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。

つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。

“寅さん”のような人でもいいですわ。

旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。

あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいね。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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徳子はエロカワ?

2013年1月25日

 

徳子はエロカワ?

 


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私に合わせて腰を上下に

徳子が結婚したのは18歳、夫はわずかに12歳だったし、その夫婦生活もたったの9年だから、真の快美を知らぬのも無理はなかった。
まして閨技など、義経に教えられるまで、こんな世界があるなんて思いもよらない。
「私は怨むわ。 あなたのお節介を。 でも、これを知らないで死んだら、どんなにか悔いることでしょうね」うわごとのように、くり返す。

義経は半身を起こして、玉唇の紫龍をくわえる様を、つらつらと眺める。
徳子は恥ずかしく、脱いだ衣を集めて半身をおおう。
義経はわざと激しく出没させる。
「ああ、やめて」と止めるのも聞かず、かえって一の指を玉中に加え、「私のは細いから、これでちょうど良くなりましょう」とからかう。
徳子は両手で顔をおおい、悶えた。
「痛い。 裂けるわ。 やめて」
「お産の時は、もっと広げたでしょうに」
「恥を捨てて任せたのに、更に辱めるのですか」
「とおっしゃるなら、別の方法もありますよ。 教えてあげよう」


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右手に徳子の腰を、左手に肩を抱えて身を起こす。
自分はあぐらをかき、その上に徳子の尻を載せ、跨(またが)らせる。
「ああ、何をするの?」

義経は手をのばし襯衣(シャツ)を取り、徳子の背にかぶせた。
徳子の方は夜具を引き、これまた義経をおおう。
義経は襯衣(シャツ)の外から背を抱き、もう一方の手で尻を、こちらは襯衣(シャツ)の内から抱えた。
徳子は両手で義経の首につかまる。
彼の顎をおのが肩に載せさせる。
顔を傾ければ唇は斜めに義経の口に接した。
舌と舌で互いの口中を洗う。
股間の陽は陰をつき、陰は陽を噛まんとする。

(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)


44-46ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社


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デンマンさん。。。 あんさんは欲求不満やのォ~。。。?


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ん。。。? 欲求不満。。。?

そうでおますう。。。 エロいお話を冒頭から書き出したやおまへんかァ。

あきまへんか?

こないなエロい事を書きはると主婦連から抗議が出ると思いますねん。

「主婦連」なんてぇ、めれちゃんは恐ろしく古い言葉を持ち出してきたのやなァ~。。。 1960年代の後半にマスコミを賑(にぎ)あわせた言葉なんやでぇ~。。。

そのような詮索はどうでもええねん。 それよりも、どないな訳で春本のお話を持ち出してきやはったん?

あのなァ~、1月15日に卑弥子さんと建礼門院について次のように語りおうたのやがなァ~。。。

あれっ。。。 卑弥子さんは、エロい川柳に詳しいのですねぇ~。。。


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それほどでもありませんわよ。 おほほほほほ。。。んで、義経も 母をされたで 娘をしがどういう意味かとゆうとォ~、源義経のお母さんの常盤御前(ときわ ごぜん)を、平清盛が妾とした仕返しに、壇ノ浦の戦いで義経さんが助けた建礼門院(けんれいもんいん)を、お布団の中に誘い込んでエッチしたと言うのでござ~ますわ。 おほほほほ。。。 この建礼門院は平清盛の娘で、のちに高倉天皇の奥さんになった女性ですう。 つまり、壇ノ浦の戦で亡くなった安徳天皇のお母さんですのよォ。


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寂光院と建礼門院

なるほどォ~。。。 卑弥子さんは『源氏物語』ばかりではなく、『平家物語』にも詳しいのですね。 しかも江戸時代の川柳まで知っていたとは僕は改めて卑弥子さんのエロ知識に感心しましたよ。


『エロチカ平家物語』より
(2013年1月15日)

つまり、卑弥子さんと1月15日にエロ話をしやはったので、今日はわたしとその続きをしやはるのォ~?

いや。。。エロ話がテーマではあらへん。 建礼門院徳子さんがテーマなのやがなァ。

要するに、徳子さんはエロカワいいのか? それとも、そうではあらへん。 その事についてわたしと語り合おうと言わはるのォ~?

あきまへんか? めれちゃんも、この事に関してはメチャ興味があろうと思うたのやがなァ。

どないな訳で、あんさんはそう思いはったん?

めれちゃんは、かつて次のような萌え萌えの短歌を詠んだのやでぇ~。。。

くちづけ

 


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罪深き

ことと知りつつ

この夜も

きみのくちづけ

もとめて止まぬ

 


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by めれんげ

2009.01.14 Wednesday 14:21


『即興の詩 冬枯れ』より

『めれんげさんと六条の御息所』に掲載
(2010年2月12日)

つまり、わたしが上の春本の徳子さんのように萌え萌えになっていると、あんさんは言わはるのォ~?

そうやァ。。。 「きみのくちづけ もとめて止まぬ」とめれちゃんは萌え萌えになってるのやでぇ~。。。

そやけど、徳子さんは「ああ、何をするの?」と嫌がっておますやん。

あのなァ~、めれちゃん。。。 上のエピソードには、更に続きがあるねん。 あまりにどぎついさかいに著者の出久根さんは読み下し文をそのまま書いてはる。 つまり、現代語に訳してへんのやァ。 読んでみィ~なァ。

指をもって弄するなかれ

乃(すなわ)ち右手を転じて(徳子の)緋袴(ひばかま)を解(と)き、襯衣(シャツ)を排(はい)して腰衣を穿(うが)つ。
指頭僅(わず)かに股面に及ぶ。
春草疎(まばら)にして柔かなり。

徳子脚を捻(ひね)り股を鎖(とざ)して奥を許さず。
廷尉(義経)曰く、何故。
徳子曰く、只恥ずかしいのみ。
廷尉曰く、すでにここに至れり、何すれぞ更に恥じて、いずれの時をか期せん、尚然らざれば、此の如くせんと。
よって柔草を抜く。
徳子曰く、ああ痛い。 いけない人。
股を少しく解く。
廷尉すなわち求めて温郷(あたたかいふるさと)を得たり。
心に温柔を感じて、除(おもむろ)に中指の頭を以て緩(ゆる)く玉舌を掻くこと数時、終りに玉唇に伝い這(は)わせる。
玉唇軟かにして凝脂(凝り固まった脂肪)の如し。
徳子身を縮め、面(おもて)を廷尉の胸に当て、耳朶(みみたぶ)赤くして鶏冠(とさか)に似たり。

廷尉即ち双指(二本の指)を弄して終に玉心を探る。
御球を拾う。
徳子鼻息やや高く、呼吸漸(ようや)く疾(はや)し。
身を悶(もだ)えて膝に堪えず、相擁(あいよう)して前に倒る。
徳子仰臥して廷尉斜(ななめ)に其胸に乗り、双指は尚(なお)玉心に在(あ)り。
摩擦益々(ますます)秘術を尽(つく)す。

徳子、額を顰(ひそ)め、左手を転じて義経の腕首を強く握り、急に禁じて曰く、ああ、やめよ、指を以て弄するなかれ、ああ、ほとんど堪えず、ああ、それ指をやめよ。


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 (中略)

快(かい)言うべからず、
徳子曰く、更に美也(よいかな)、
廷尉曰く、除(おもむ)ろに腰を転ぜよ。
徳子曰く、難(むずかし)い哉(わ)。
廷尉曰く、其の踵(きびす)を褥(しとね)に達せよ。膝を屈してやや股を開けと。
乃(すなわ)ち尻を抱いて抵抗し、節を合わせ操る。
徳子これを試みる。 去来自由自在。 満身ただ磨(ま)するが如し。 (略) 怪しいかな、玉心たちまち戦慄し、にわかに痒(かゆ)きが如くうずくが如く、名状その詞(ことば)を知らず。
(徳子)覚えず酒瓶を投じて廷尉にしがみつく。
夢中に我腰や尻を揺すれば、痒きはいよいよはびこり。痒きに従って揺すれば美快言うべからず。
即ち言う。 ああ、それ如何(いかん)せん、妾(わたし)既(すで)に絶えんとす、ああそれまさに絶えんとす、君また共にせよ。
声戦(おのの)き歯がみ切なり。

(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)


39-40、46ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社

ああ。。。、デンマンさん。。。 わたし。。。、わたし。。。、 なんだか妙な気持ちになってきましてん。

。。。ん? あれっ。。。 めれちゃん。。。 大丈夫かァ~? 目が。。。、眼が。。。、なんだか、夢見心地で目が泳いでるやんかァ~。。。

あっ。。。 わたし。。。、 わたし。。。、 体の奥の方で萌えて溶け出してゆくようなァ~。。。 とっても歯痒い気持ちになってきましてん。。。

めれちゃん。。。 しっかりしいやァ~。。。 まだこの記事、終わりにできへんのやでぇ~。。。

もう、わたし。。。、どうでもよくなってきましてん。

めれちゃん。。。! エロい気持ちになってる場合じゃないのやでぇ~。。。

あのォ~。。。、あのォ~。。。、与謝野晶子さんの短歌が目の前にちらついてきよりましてん。。。

。。。ん? 与謝野晶子さんの短歌。。。?

そうですう。 次の短歌でおますう。。。



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やわ肌の

あつき血汐に

ふれも見で

さびしからずや

道を説く君

  
 
by 与謝野晶子
 


『熱き肌』に掲載 
(2010年3月12日)

あんさん。。。 このムラムラした気持ちをなんとかしてえなあああァ~。。。

めれちゃん!。。。 いい加減にしいやあああァ~。。。 エロ話にハマッてエロい気持ちになってる場合とちゃうのやでぇ~。。。

そやかてぇ~。。。 あんさんがエロい萌え萌えの話をするから、あかんのどすえぇ~。。。

あれっ。。。 京都弁が出てきよったなァ~。。。

そんなこと、どうでもよろしィ~! はよう、このわたしの萌え萌えの気持ちをどうにかして欲しいわあああァ~。。。

分かった!。。。 分かったさかいに、めれちゃんも気持ちを静めてムラムラせんで欲しいねん。

わたし、徳子はんのようにエロカワになりそうですねん。

めれちゃん!。。。 何を言ってけつかんねん! いい加減にしいいやあああァ! 建礼門院徳子さんは、めれちゃんが思うようなエロカワいい女とちゃうねん。

そやかて、あんさんは上のようなエロい話を持ち出してきよって、わたしをその気にさせてしまいましたやんかァ! なんとかして欲しいわァ~。。。

さよかァ~? めれちゃんがそないに言うのやったら次の小文を読んで欲しいねん。

大原御幸

あまりの労(いたわ)しい変わりざまに(後白河)法皇が御涙を流されると、お供の人々もいまさらのように、以前宮中で過ごされた女院(建礼門院徳子)の御日常を思いだして、万感に袖をしぼった。
しばらくすると、上の山から濃い墨染めの衣を着た尼が二人、岩のがけ道を伝いながら、おりなやんでいる様子が見えた。
法皇が、
「あれはいかなる者ぞ」
とお尋ねになると老尼が、
「花籠を肱(ひじ)にかけ、岩つつじを取りそえて、お持ちあそばされているのは、女院でいらせられます。 (略)」
と言いさして、喉をつまらせた。
法皇やお供の公卿殿上人が目に涙を宿してみまもっていると、女院は、「世をいとい出家した身とはいいながら、いまこのようなありさまをお目にかけることのはずかしさ、消えも入りたき心地ぞ」との羞じらいから、足もはこびかけねている。 (略)

「世を捨てられたお身の習い、なんの心づかいがいりましょうか。 早く御面会になって、おかえりになっていただきませ」
と内侍(ないし)の尼が申し上げたので、女院は御涙を押えて庵室におはいりになった。 (略)

「このような身の上に変わりはてて、いちじはずいぶん嘆きましたけれども、後世の菩提のためには、今はかえってうれしい気がいたします。
たちまちに釈迦の御弟子に加わり、かたじけなくも弥陀(みだ)の本願にみちびかれて、五障三従(ごしょうさんじゅう)の苦しみからのがれ、三時に六根を清めて、一筋に九品(くほん)の浄土を願い、ひとえに一門の菩提を祈り、常に三尊の来迎(らいごう)を待っておることができます。
とは申せ、いつの世までも忘れがたいのは、先帝(亡くなった我が子)の御面影、忘れようとして忘れられず、こらえようとしても、こらえることができませぬ。(略)」

寂光院と建礼門院


 (中略)

やがて、寂光院(じゃっこういん)の鐘の声で、今日も暮れたことが知られ、夕日が西に傾いたので、法皇は御なごりは尽きせずおぼしめされたが、御涙をおさえて還御(かんぎょ)ならせられた。 (略) 女院は昔恋しくおぼしめされたのであろう。
御庵室の襖に、こういう歌をお書きになった。

このごろは いつならひては わがこころ
大宮人の こひしかるらん

いにしへも 夢になりにし ことなれば
柴のあみ戸も ひさしからじな

 (中略)

壇の浦で生けどりにされた二十余人の人々は、あるいは大路を引きまわされて首をはねられ、あるいは妻子に別れて遠流(おんる)に処せられた。
池の大納言頼盛卿のほかは、一人も命ながらえて都に置かれなかった。
しかし、四十余人の女房たちについては、かくべつの沙汰もなかったので、あるいは親戚をたより、縁者のもとに身をよせて暮らしていた。
忍ぶ思いは尽きないが、嘆きながらもなんとか世をば過ごしてゆく。 (略) 入道相国(平清盛)が上は御一人をも恐れず、下は万民をもかえりみず、死罪、流刑、解官、停任をほしいいままに行ったためである。
されば、祖父の善悪が必ず子孫におよぶということは、疑いのないところと思われた。


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こうしてむなしく年月を送らせたもううちに、女院は御ここち常ならず覚えさせられ、お床にうちふせられるようになられたが、かねてから覚悟あそばされたことなので、仏の御手(みて)にかけられてあった五色(ごしき)の糸を手に握りしめ、(略) 念仏をとなえられると、左右にひかえていた大納言佐(だいなごんのすけ)の局(つぼね)と阿波内侍(あわのないし)とは、おなごりも今をかぎりとばかり、声々に嘆きかなしんだ。 (略) 建久二年(1191年)二月中旬、ついに御一生を終わらせられた。
后(きさき)の宮の御位(おんくらい)にあらせられた時から、片時もおそばを離れず仕えてきた二人の女房は、御臨終の御時はまことにやるかたない思いにおそわれた。
この女房たちは、昔の縁者もみな消えはてて、よるべない身の上であったが、あわれにもおりおりの御仏事ばかりは、忘れずにいとなみつづけた。
そして竜女(りゅうにょ)の正覚(しょうがく)の跡を追い、韋提希夫人(いだいけぶにん)のように、最後には二人とも、往生(おうじょう)の素懐(そかい)をとげたということである。

(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


306-319ページ 『平家物語(下)』
2004年12月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社

これは一体どういうことやのォ~? 徳子さんは仏門に帰依(きえ)して清く正しく暮らして、往生を遂(と)げてますやん。

そうやァ! だいたい、徳子さんと義経さんをエロ話のネタにすることが間違っておるねん。 徳子さんは、めれちゃんのように萌え萌えになってアヘアヘと乱れている余裕がなかったのやがなァ~。。。

そやかてぇ~、あんさんがエロい話を持ち出してきましたのやでぇ~。。。

わてがエロ話を書いたのとちゃうねん。 出久根達郎という古本屋のおっちゃんが『春本を愉しむ』という本を書いて建礼門院徳子さんと源義経さんがエロく絡(から)み合う話を紹介してはるのやでぇ~。。。 わしのセイにせんで欲しいねん。

そやけど、この萌え萌えになった気持ちを、あんさんはどないしてくれはるん?

あのなあああァ~。。。 そのムンムン、ムレムレした気持ちを発散させるために、また与謝野晶子さんのような短歌を詠めばええねん。 ええなあああァ~。。。 


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【レンゲの独り言】


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ですってぇ。。。
それにしてもデンマンさんは、めれんげさんをムンムン、ムレムレの気持ちにさせておいて無責任だと思いますわ。
あなたも、そう思うでしょう?

とにかく、次回も面白い話題が続きます。
あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。


(hand.gif)

メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

確かに女性がムンムン、ムレムレになってしまい

思わぬ事件を起こしてしまうこともあるのですよね。

ええっ。。。 一体どんな事件かってぇ。。。?

「苫小牧子殺し事件」ですわ。

あなたも聞いたことがあるでしょう?

痛ましい事件でしたわ。

情事に浸る女が子供が邪魔になって

殺してしまうという悲惨な事件でした。

北海道・苫小牧で、3歳の長男と1歳の三男の兄弟が

鍵の掛かったアパートに閉じ込められ放置されのですわ。

長男は生米や冷蔵庫のマヨネーズやケチャップで

飢えをしのいだのです。

三男は飢餓と低体温症で亡くなってしまいました。

昼間に自動的に入る暖房で、餓死した弟が

無残に腐食する横で、お兄ちゃんは

必死で飢えを凌ぎ生き抜いて、

ママの帰りを待ち続けたというのです。

でも、ママは新しいボーイフレンドの部屋に住み着いて

1ヶ月以上、子供たちの養育を拒み、

ボーイフレンドと遊んで暮らしていたのです。

もう、死んでいるのではないかと思って、

アパートに戻ると、長男は生きていた。

「何で生きてるの?」

冷血女性のママは長男を見て

まず、そう感じたと言うのです。

人間は、それほどまでに非情に

冷血になれるものでしょうか?!

何度読んでみても、亡くなった子供のために

涙が流れてきますわ。(めそめそ。。。)

「苫小牧子殺し事件」のことは

次の記事の中で引用されています。


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『愛の進化論』

ところで、卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ


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エロチカ平家物語

2013年1月15日

 

  
エロチカ平家物語


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デンマンさん。。。 どうして急に「エロチカ平家物語」なのでござ~♪~ますか?

いけませんか?

だってぇ、見え透いておりますわ。 「エロチカ」でネット市民の皆様を引き付けようとしているのでざ~ますわア。

そのようないけ好かない事を僕が考えると卑弥子さんはマジで思っているのですか?

だってぇ、それ以外に考えられませんわ。

つまり、卑弥子さんは僕がエロい男だと信じ込んでいるのですね?

あらっ。。。 そのような当然の事をお聞きあそばさないでくださいましなァ。 うふふふふふ。。。

うふふふふじゃありませんよ! 笑いで誤魔化(ごまか)す日本人の悪い癖を出さないでくださいよ。

そのような事よりも、どうして「エロチカ平家物語」というようなショッキングなタイトルを掲(かか)げたのでござ~ますか? ご説明してくださいな。

あのねぇ~、僕は『平家物語』を上下巻とも、じっくりと読み返しているのですよ。


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あらっ。。。 バンクーバーの市立図書館から、まだ同じ本を借りているのでござ~ますか?

いけませんか?

ケチらないで買って読んで下さいましな。

図書館で読めるのだから、わざわざ買うこともありませんよ。 僕は本を買わない主義なのですよ。

どうして。。。?

買い始めるときりが無い。 私設図書館を作るようなものですからね。 (微笑)

。。。で、英語で書かれた『平家物語』を読んでいるのでござ~ますか?

もちろん日本語ですよ。 日本語の現代語訳で書かれた『平家物語』ですよ。 かつて高校の古文の時間に先生が『平家物語』を教材にしたことがあるのです。 でもねぇ、その時、難しいという印象があったから、僕は投げ出してしまったのですよ。 だから、ずいぶん長いこと読んでなかったのですよ。

それで、現代語訳ならば読めそうだと思って読み始めたのでござ~ますか?

そうです。

。。。んで、エロチカが出てくるのでござ~ますか?

出てくるわけないでしょう!

だってぇ~、「エロチカ平家物語」というタイトルにしてあるじゃござ~ませんか!

あのねぇ~、『平家物語』の中にはエロチカは出てこないのですよ。 どちらかというと『平家物語』には陰惨な雰囲気が込められているのですよ。

陰惨な雰囲気でござ~ますか?

そうです。 もともと琵琶法師が語り継いだと言われているのですよ。 だから、次のビデオクリップを見ればわかるけれど、「エロチカ」とはかけ離れた陰惨で悲しい響きが伝わってくるのです。

平家物語 祇園精舎

(By 岩佐鶴丈)

あらっ。。。 ホントですわねぇ~。。。 なんだかお化けが出てきそうな雰囲気でござ~ますわァ。 うふふふふふ。。。

そやってぇ、笑いで誤魔化さないでくださいよ。

そんな事より、どうして陰惨な悲しい物語が「エロチカ平家物語」になるのでござ~ますか?

あのねぇ~、次のような川柳があるのですよ。


(tokuko02.jpg)

義経も 母をされたで 娘をし

あらっ。。。 やらしい川柳ですわ。。。 うふふふふふ。。。

卑弥子さん。。。 川柳というものはどこか、やらしいものですよ。 それよりも卑弥子さんには、この川柳の意味が理解できますか?

デンマンさん。。。 あたくしは、こう見えても京都にある女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授ですわよう。 この程度の川柳が理解できないと教職を追われてしまいますのよう。

ほォ~。。。 そういうものですか? じゃあ、上の川柳が一体どういう意味なのか腐女子にも分かり易く説明してください。

上の川柳の出どころは1776年~1801年頃に刊行されたという川柳集『誹風末摘花』ですわ。 同じようなエロい川柳に次のようなものが載っておりますわ。

門院は 入水のほか 濡れたまい

牛若の 目がさめますと 常盤(ときわ)言い

牛若の目がさめます

義経の幼名は牛若丸であり、母は常盤(ときわ)という。
常盤は平清盛に敗れた源義朝の妾である。
義朝との間に、三人の男児を生んだ。
七歳の今若、5歳の乙若(おとわか)、そして一歳の牛若を連れ、逃げ隠れていたが、老母が清盛に捕えられ、むごい目にあっているのを聞いて、子どもと共に自首して出た。
義朝憎しで、一族全滅を遂行していた清盛は、常盤をひと目見たとたん、カッ、と頭から熱を発した。
何しろ、「常盤と申すは日本一の美人なり」(『義経記(ぎけいき)』)
年恰好からいって、色気もふんぷんだったろう。
のぼせ上がってしまったのである。


(bond911.jpg)

清盛は、子の助命を願う常盤に、条件を出した。
自分に従うなら、助けてやってもよい。
舌なめずりしながら迫ったことであろう。
常盤は三児の将来に希望を託し、応諾した。

そこで、川柳子の登場である。
「牛若の 目がさめますと 常盤言ひ」
「義朝と おれとはどうだ などとぬれ」

この川柳をもっと露骨な文章に仕立てたのが、春本である。


(yoshitsu05.jpg)

(読み易いように改行を加えました。
イラストと写真はデンマン・ライブラリーより)


28-29 ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根 達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社

『色欲は歴史を変える』に掲載
(2012年6月23日)

あれっ。。。 卑弥子さんは、エロい川柳に詳しいのですねぇ~。。。

それほどでもありませんわよ。 おほほほほほ。。。んで、義経も 母をされたで 娘をしがどういう意味かとゆうとォ~、源義経のお母さんの常盤御前(ときわ ごぜん)を、平清盛が妾とした仕返しに、壇ノ浦の戦いで義経さんが助けた建礼門院(けんれいもんいん)を、お布団の中に誘い込んでエッチしたと言うのでござ~ますわ。 おほほほほ。。。 この建礼門院は平清盛の娘で、のちに高倉天皇の奥さんになった女性ですう。 つまり、壇ノ浦の戦で亡くなった安徳天皇のお母さんですのよォ。


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寂光院と建礼門院

なるほどォ~。。。 卑弥子さんは『源氏物語』ばかりではなく、『平家物語』にも詳しいのですね。 しかも江戸時代の川柳まで知っていたとは僕は改めて卑弥子さんのエロ知識に感心しましたよ。

そんな事より、どうして「エロチカ平家物語」というタイトルにしたのでござ~ますか?

だから、「火の無い所に煙は立たず」と昔の人は言ったでしょう! つまり、『平家物語』の中にエロチカの炎がチロチロと燃えているはずだと僕は思ったわけですよ。

それで、その箇所を探したのでござ~ますか?

そうです。

デンマンさんもけっこう物好きで暇人なのですわね。。。で、その箇所が見つかったのでござ~ますか?

見つかりましたよ。 読んでみてください。

文(ふみ)の沙汰(さた)


(yoshitsu2.jpg)

平大納言時忠卿父子も、九郎判官(くろうほうがん)の宿所近くにいた。
世の中がこうなってしまったからは、どうなっても仕方がないと思わなければならないのに、大納言はなおも命が惜しくなったのであろう。
子息の讃岐中将時実を招いて、
「人に見られてはならない秘密文書を一箱、判官のもとに没収されているとのことだ。
鎌倉の頼朝に見られでもすれば、多勢の人が処刑され、私の命も助かるまい。
どうしたものであろうな」
と相談をかけると中将は、
「九郎判官は大体が情けある男であるうえ、女人(にょにん)の哀訴嘆願には、どんな大事でも、一途に突き放すようなことはしないと承っております。
この際の事だから、仕方がございません。
たくさんある娘達のうち、一人を妻にさしだして、互いに親戚になった後、何とかとる手段もありましょう」
大納言ははらはらと涙をおとして、
「私が世にときめいた折には、娘達を女御(にょうご)や后(きさき)にすることを考え、ただの人間にめあわせようなどとは、夢にも思っていなかった」
とくどかれると、中将は、
「今はそのようなことは、決して考えてはなりません。
現在の奥室の腹に生まれた、18歳の娘君がよいじゃありませんか」
とすすめたが、大納言はなおその姫君をやるのが、惜しいように思われ、前の奥方が生んだ、23歳になる姫君のほうを、義経の妻に差しだした。


(tokuko05.jpg)

この姫君は歳こそ少しとっているが、顔かたちが美しく、品性も優雅であられたので、判官はすっかり気に入り、すでに河越太郎重頼の娘を妻にしていたけれども、この姫君のために別座敷を支度し、調度をかざって丁重なとりあつかいをした。
この姫君が秘密の文書の事を言い出されると、判官は封をといて改めようともせずに、箱ぐるみ直ぐ大納言のもとへ送った。
大納言はひどく喜んで、文書をただちに焼き捨ててしまった。
どのような文書であったのか、その内容を気にする人々もあったようである。

(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


189-191ページ 『平家物語(下)』
2004年12月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社

つまり、当時から源義経は女性に甘いと評判が立っていたのですよ。 だから、きれいな女性を遣(つか)わして頼み事をすれば叶(かな)えてくれると、もっぱらの噂になっていることが上の小文を読むと実によく解る。

義経さんは女好きだったのでござ~ますわね。

男なら、たいてい女好きですけれどね、義経さんは特にきれいな女性が好みだったのですよ。 だから『平家物語』にも上のようなエピソードが書いてるのです。

つまり、江戸時代の人は上の小文を読んで「義経も 母をされたで 娘をし」という川柳を思いついたとデンマンさんは考えているのでござ~ますか?

当たらなくても遠からずだと思いますよ。 卑弥子さんも、そう思いませんか?

【ジューンの独り言】

ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?

『平家物語』は、鎌倉時代に成立したと言われています。
だから、平家の栄華を褒(ほ)める事は書けなかったでしょう。
鎌倉幕府のお偉いさんたちに受け入れられるためには平家を貶(おとし)めないといけなかったのでしょうね。

作者については古くから多くの説があります。
吉田兼好の『徒然草』には、信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが)という人物が平家物語の作者だと書いてあります。
生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて語り手にしたとしています。

後鳥羽院の御時、信濃前司行長稽古の譽ありけるが (中略) この行長入道平家物語を作りて、生佛といひける盲目に教へて語らせけり。

(徒然草226段)

その他にも、生仏が東国出身であったので、武士のことや戦の話は生仏自身が直接武士に尋ねて記録したことや、更には生仏と後世の琵琶法師との関連まで述べているなど、その記述は実に詳細です。

この信濃前司行長なる人物は、九条兼実に仕えていた家司で中山(藤原氏)中納言顕時の孫である下野守藤原行長ではないかと推定されています。
また、『尊卑分脈』や『醍醐雑抄』『平家物語補闕剣巻』では、顕時の孫にあたる葉室時長(はむろときなが、藤原氏)が作者であるとされています。

藤原行長とする説では、信濃に縁のある人物として、親鸞の高弟で法然門下の西仏という僧とする説もあります。
この西仏という人物は、大谷本願寺や康楽寺(長野県篠ノ井塩崎)の縁起によると、信濃国の名族滋野氏の流れを汲む海野小太郎幸親の息子で幸長(または通広)とされており、大夫坊覚明の名で木曾義仲の軍師として、この平家物語にも登場します。
ただし、海野幸長・覚明・西仏を同一人物とする説は伝承のみで、史料的な裏付けはありません。

「新平家物語」よりオープニング・テーマ

無間地獄~諸行無常

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女に溺れて女で滅ぶ

2012年6月25日

女に溺れて女で滅ぶ

牛若の目がさめます

義経の幼名は牛若丸であり、母は常盤(ときわ)という。
常盤は平清盛に敗れた源義朝の妾である。
義朝との間に、三人の男児を生んだ。
七歳の今若、5歳の乙若(おとわか)、そして一歳の牛若を連れ、逃げ隠れていたが、老母が清盛に捕えられ、むごい目にあっているのを聞いて、子どもと共に自首して出た。
義朝憎しで、一族全滅を遂行していた清盛は、常盤をひと目見たとたん、カッ、と頭から熱を発した。
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清盛は、子の助命を願う常盤に、条件を出した。
自分に従うなら、助けてやってもよい。
舌なめずりしながら迫ったことであろう。
常盤は三児の将来に希望を託し、応諾した。

そこで、川柳子の登場である。
「牛若の 目がさめますと 常盤言ひ」
「義朝と おれとはどうだ などとぬれ」

この川柳をもっと露骨な文章に仕立てたのが、春本である。

(読み易いように改行を加えました。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


28-29 ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根 達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社

『色欲は歴史を変える』に掲載
(2012年6月23日)

デンマンさん。。。また平清盛と常盤御前でござ~♪~ますか?

卑弥子さんは、この歴史的瞬間に感動を覚えないのですか?

この歴史的瞬間ですか?

そうですよ! この時歴史が変わったのですよ。

それは大袈裟でござ~♪~ますわ。

大袈裟ではありませんよ! もし常盤がブスで清盛の色欲を刺激しなかったら、3人の幼い子供たちと一緒に常盤は殺されていたのですよ。

そうでしょうか?

だって、そうでしょう! 平清盛は源義朝憎しで、一族を全滅させるつもりだったのですよ。 ところが、日本一美しいと噂されていた常盤をひと目見たとたん、カッ、とのぼせて、この女性をぜひ自分の女にしたいと思ったのですよ。

平清盛でなく、谷岡ヤスジ先生が常盤を見たら、もう鼻血をブー、ブー出すところですよ。

平清盛は鼻血をブー、ブー出さなかったのかしら? うふふふふふ。。。

いや。。。もしかすると出していたかもしれませんよ。 うへへへへへ。。。

つまり、もし平清盛が常盤と3人の子供たちを殺していたら、鎌倉幕府を立ち上げることになる源頼朝も、源義経が活躍する『平家物語』も歴史に登場しなかったということですか?

その通りですよ。

でも、この事だけを取り上げて平清盛が「女に溺れて女で滅んだ」というのは飛躍があると思いますわ。

あのねぇ~、僕は常盤だけの事で平清盛が「女に溺れて女で滅んだ」と言うつもりはないのですよ。

あらっ。。。清盛はまだ他の女性にも目をつけたのでござ~♪~ますか?

あれっ。。。卑弥子さんは忘れてしまったのですか?

あたくしが何を忘れてしまったとデンマンさんはおっしゃるのですか?

やだなあああァ~。。。卑弥子さんは次のように話していたのですよ!

白拍子というのは、平安時代後期に活躍した、
一口で分かりやすく申し上げるならば、
芸者のような者でござ~♪~ますわ。

このように白の水干(すいかん)に
立烏帽子(たてえぼし)、白鞘巻(しろさやまき)という男装で
「今様」と呼ばれる歌を謡(うた)いながら、
男舞と呼ばれる舞を舞うのでござ~♪~ます。

白拍子であった祗王(ぎおう)は、
時の権力者・平清盛の寵愛を受け、
彼の館で幸せに暮らしておりました。
あるとき、清盛に歌舞を披露したいという
別の白拍子が現れたのです。
その者が仏御前だったのですわ。

ただの白拍子に過ぎない仏御前を清盛は追い返そうとしました。
でも、遠路はるばるやってきた彼女を見かねて、
心の優しい祗王がとりなしたのでござ~♪~ますわ。
それで、仏御前は清盛に舞を見せることになりました。
しかし、これを見た清盛は心を奪われ、
仏御前を寵愛するようになってしまったのでござ~♪~ます。

皮肉なものでござ~♪~ますわねぇ~。
男と言うのは本当に浮気なものでござ~♪~ますわ。
祗王の座を奪う気持ちのない仏御前は辞退しようとしました。
しかし、それに気づいた清盛は、
邪魔な祗王を追放してしまったのですわ。
本当に悲しい事でござ~♪~ますゥ。

萌え出づるも

枯るるも同じ

野辺の花

いづれか秋に

あわではづべき

館を出る祗王がせめてもの忘れ形見にと
詠んだ句でござ~♪~ます。

さらに翌春、清盛は退屈している仏御前を慰めるためといって、
祗王に仏御前の前で舞を披露することを強要したのです。
祗王は、あまりの屈辱に死を決意するのでござ~♪~ました。
しかし、五逆罪になることを母親が説き、
やむなく祗王は清盛の館へ向かうのです。

仏もむかしは凡夫なり

われらも遂には仏なり

いずれも仏性具せる身を

隔つるのみこそ悲しけれ

このように謡(うた)いながら舞い踊り、
諸臣の涙を誘ったのでござ~♪~ます。

祗王は都に居れば、
また同じような思いをしなければならないと、
母、妹と共に尼となり、嵯峨の山里で仏門に入るのでした。

当時、祗王21歳、妹の祇女は19歳、
母の刀自(とじ)は45歳でござ~♪~ました。

ところが、ある秋の夕べ、仏御前は祗王の元を訪れたのです。
なぜ。。。? どうした事でござ~♪~ましょうか?

実は、祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、
仏御前は、清盛の館を抜け出して
尼となっていたのでござ~♪~ます。

それからのち、祗王一家と仏御前は、余念無く仏道に励み、
みな往生の本懐を遂げたのでござ~♪~ます。

小百合さん、いかがでござ~♪~ますか?
女の身として涙なくしては読めないですよね。
おほほほほ。。。

それにしても、祗王寺のお庭は
苔がとっても美しいですことォ~。。。
見とれてしまいますわぁ~。
あああぁ~。。。デンマンさんとご一緒に見たいわぁ。。。
うしししし。。。


『愛憎と苔寺 (2008年10月7日)』より

あらっ。。。おほほほほほ。。。思い出しましたわ。

あらっ、おほほほほ。。。はないでしょう! これだけのことを説明しておきながら、平清盛が祗王にも手を出し、仏御前にも手を出した事をすっかり忘れてしまったとは。。。!?

あたくしは平清盛が祗王と仏御前に手を出した事は忘れていましたけれど、清盛が二人の女性に「真ん中の足」を出したことは覚えておりますわ。 うふふふふふ。。。

やだなあああァ~。。。卑弥子さんは平清盛と道鏡を混同しているのではありませんか?


(doukyoux.gif)

混同してませんわよ。

しかし、京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授が、清盛は二人の女性に「真ん中の足」を出しました、と言うのは品格に問題があると思いますよ。

デンマンさん!。。。品格だとか、品がないとか、はしたないとか。。。、そのような表現の自由を束縛するような言葉は、自由を尊重する21世紀のネット市民にはふさわしくないのでござ~♪~ますわ。

解りました。 とにかく卑弥子さんが祗王と仏御前を思い出してくれたので「真ん中の足」の事はこれ以上追求しませんよ。

。。。んで、平清盛が常盤御前と祗王と仏御前に「真ん中の足」を出したことが平家の滅亡を招いたとデンマンさんはおっしゃるのですか?

あのォ~。。。それほど「真ん中の足」に拘(こだわ)らなくてもいいですよ。

あたくしは拘ってませんわよう! デンマンさんが拘っているのですわ。

解りました。 僕はもう「真ん中の足」に拘りません。

じゃあ、本題に入ってくださいましなァ。

あのねぇ~、卑弥子さんが説明したように清盛は祗王と仏御前に心の傷を残したのですよ。 つまり、二人の女性を幸せにできないような男が、どうして日本という国を幸せで平和な国にまとめることができるのか?

つまり、日本の国を統治する者としては清盛は失格だとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

その通りですよ。 二人の女性に心の傷を残してしまうような男は、人の心を自分につなぎとめることができない。 それで優秀な人材が集まらない。 結局、自滅してしまうのですよ。

でも、デンマンさんのその仮説が正しいとして日本に統治者として合格するような歴史上の人物が居たでしょうか?

居ましたよ。 たとえば秀吉などは色好みだったけれど、側室の女性たちをうまくまとめていた。 祗王や仏御前のように心に傷を抱いて尼になるような女性は居なかった。

でも、正室の「ねね」は髪を下ろして尼になりましたわ。

でも、それは心に傷を負ったからではありませんよ。 「ねね」は秀吉が亡くなるまで良好な関係を保ち続けた。 秀吉との関係を断絶したわけではないのですよ。

要するに、女性関係では秀吉の方が清盛よりも優れていたとデンマンさんはおっしゃるのですか?

少なくとも、祗王や仏御前のような悲しい女性を作らなかった。 だから、秀吉は死ぬまで日本の統一を保ち続けることができた。 要するに女性の扱いがうまいと言うことは、人の心をひきつけることもうまいと言うことですよ。

デンマンさんの眼には秀吉が統率者としては最もすばらしい人物として映るのですか?

いや。。。もっとすごい人物が居ますよ。

それは誰ですのォ~?

11代将軍・徳川家斉ですよ。

徳川家斉(いえなり)

生誕: 安永2年10月5日(1773年11月18日)
死没: 天保12年閏1月7日(1841年2月27日)
在任: 1787年 – 1837年 (50年)

御三卿一橋家の第2代当主徳川治済の長男。
母は側室のお富の方。

安永8年(1779年)に第10代将軍・徳川家治の世嗣である徳川家基の急死後、父と田沼意次の裏工作、並びに家治に他に男子がおらず、また家治の弟である清水重好も病弱で子供がいなかったことから、天明元年(1781年)閏5月に家治の養子になり、江戸城西の丸に入って家斉と称した。
天明6年(1786年)家治(50歳)の急死を受け、天明7年(1787年)に15歳で第11代将軍に就任した。
天保12年(1841年)閏1月7日に死去した。享年69。

このように栄華を極めた家斉であったが、最期は誰ひとり気づかぬうちに息を引き取ったと伝えられ、侍医長・吉田成方院は責任を問われ処罰された(『井関隆子日記』)。
なお、死亡日は『井関隆子日記』には閏1月7日と記されているが、『続徳川実紀』は「閏1月30日」としており、幕府が死を秘匿したと考えられている。

家斉の死後、その側近政治は幕政の実権を握った水野忠邦に否定されて、旗本・若年寄ら数人が罷免・左遷される。
そうして間部詮勝や堀田正睦などの側近は忠邦と対立し、老中や幕府の役職を辞任する事態となった。

側室と子女

特定されるだけで16人の妻妾を持ち、男子26人・女子27人を儲けたが、成年まで生きたのは半分(28名)だったと言われる。
この他、生まれる前に流産した子女も4人いる。

また長命の子息達は他家の養子となったが、養子先に選ばれた諸国の大名の中にはすでに実子が誕生していた例もあった。
子女の多くは大藩の大名に関係することから、血縁関係による大名統制を行っていたとも考えられる。
また、将軍の子を迎える大名に、それに伴う儀礼などによる経済的負担を課していたとも考えられる。
一橋宗尹以来の一橋家の養子戦略の延長でもある。
家斉の子を養子もしくは正室として迎えた(続柄)大名家に対しては特別な待遇が与えられた。

逸話

○ 幼少期から異様な性癖があったと伝えられ、蟹や鶏を相手にして踏み潰したり殴り殺したという残虐な逸話がある。

○ 家斉の将軍在職期間50年は、歴代将軍の最長記録である。

○ 大樹寺にある位牌から推定すると、身長は156.6センチである。

○ 徳川将軍15人の中で5番目の長身であり、後期の将軍の中では大柄である。

○ 次男の家慶とは不仲であったと言われる。
家斉が日蓮宗を信仰していたのに対し、家慶は浄土宗を信仰していたこと、家斉が大御所となってからも権力を握り続けたこと、家斉の寵臣達が家慶の四男である家定を毒殺しようとしているとの噂が流れていたことなどからも、2人の関係性が窺える。

○ 非常に多くの子を作ったのは、15歳で将軍職を継ぐ際に、子女を多く儲けるように実家・一橋徳川家より訓戒を受けたためであり、徳川家の天下を一橋家の系統で押さえるためでもあった。
このため、水戸徳川家を除く御三家・御三卿には家斉の弟や甥、もしくは実子が養子入りしている。
ただし家斉の出身・一橋家は徳川昌丸で家斉の血は絶え、水戸徳川家から徳川慶喜が養子入りし、後に将軍となっている。

○ 毎晩のように晩酌をし、浴びるように飲んでも乱れなかったというが、晩年になると節酒に転じた。

○ 非常に身体壮健であり、在職した50年間の中で病臥したのは数回の感冒のみであった。

○ 「白牛酪」(はくぎゅうらく)という今日で言うチーズのような高タンパク乳製品を大変好んだ。
医師に『白牛酪考』といった本まで書かせている。

○ 生姜が大好物で、1年中毎日欠かさず食べていたという。
これが並外れた精力増強に作用していたとも言われる。

○ 俗物将軍と呼ばれたという。
幕政をほとんど主導せず、松平定信や松平信明らの幕閣に任せ、自分は大奥に入り浸っていた。
また多くの子女を儲け、彼らを多くの大名家に縁組させたことは、幕府財政を大きく揺るがせることとなった。

○ 遊び狂っていた腐敗将軍として有名で、家斉の50年に及ぶ将軍在職期間中に江戸幕府の負の遺産が築かれ、それが幕末にも大きく影響することになる。

○ 父・治済の存命中は父の言いなりであったと言われる。

○ 晩年になっても先代・家治の息子・家基の命日に自ら参詣するか、若年寄を代参させていた。
先代の子供にここまで敬意を払うのは異例であり、家基が変死していることもあり、北島正元や井沢元彦は家斉が家基は自分を将軍の座に就けようとしていた治済に暗殺されたと疑っていた可能性が高いとしている。

○ 生涯頭痛に悩まされたが、家基の祟りを恐れていたからだと言われている。

○ 頼山陽の『日本外史』では、家斉の治世50年間は「武門天下を平治する。
ここに至って、その盛りを極む」とあり、家斉の治世は将軍が政務に無関心であっても世は平穏で幕府の権勢が絶頂期にあったとしている。

○ 従一位・太政大臣にまで昇任しているが、従一位への昇任は第3代将軍徳川家光以来、太政大臣への昇任は第2代将軍徳川秀忠以来である。

○ 精力増強のためオットセイのペニスを粉末にしたものを飲んでいたので「オットセイ将軍」と呼ばれた。

○ 絹織物のお召縮緬を好んだ。
家斉が好んで御止め柄(お納戸色に白の細格子縞)を定めた桐生産が御召の発祥という。


出典: 「徳川家斉」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。16人の妻妾を持ち、男子26人・女子27人を儲け、この他、生まれる前に流産した子女も4人いるということは。。。もし流産した子が生きていれば、総勢で 57人ですわね。 すっご~♪~い!。。。うふふふふふ。。。

おそらくギネスブックに載るんじゃないですか!?

でも、家斉は遊び狂っていた腐敗将軍として有名で。。。、と書いてありますわ。

あのねぇ~、平和な時代に生まれたからですよ。 でもねぇ~、とにかく16人の妻妾を持っていたのですよ。 上の逸話の中には祗王や仏御前のような悲しい女性のエピソードが一つとしてない。 つまり、家斉は16人の女性たちを分け隔てなく、勤めて、すべての女性に不平や不満が出ないように努力していたということなのですよ。

そうでしょか?

だって、もし家斉が清盛のような性格だったら、女性16人の間で血を見る乱闘騒ぎが起こっていても不思議ではないのですよ。

。。。つうことわァ~、もし徳川家斉が戦国時代に生きていたら豊臣秀吉と並び称せられるぐらいの天下人になっていたかもしれないとデンマンさんは思うのですか?

当然でしょう! 徳川将軍15人の中で5番目の長身であり、後期の将軍の中では大柄である。 しかも、非常に身体壮健であり、在職した50年間の中で病臥したのは数回の感冒のみであったというのですよ。 戦国時代にうってつけの人物だと卑弥子さんは思いませんか?

つまり、平和な時代だったので家斉は種馬になっているしかなかったとデンマンさんは思うのですか?

そうですよ。 うししししし。。。 だからねぇ、もし徳川家斉が清盛だったら、歴史は全く変わったものになっていましたよ。 少なくとも、祗王と仏御前は尼などにならずに、心に大きな傷跡なども残さず、そこそこ満足した一生を送れたはずですよ。

【ジューンの独り言】

ですってぇ~。。。

確かに将軍家斉さんは16人の女性を

喧嘩しないよう、嫉妬に燃えて乱闘しないよう、

うまく操っていたようですわ。

平清盛さんよりも女性の扱い方が

うまかったと言えるかもしれません。

それだけ人の心を引き付け

人使いがうまかったのかもしれません。

戦国時代に生まれていたら、

豊臣秀吉よりも大きな天下人に

なっていたかも知れませんわね。


 
ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ

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色欲は歴史を変える

2012年6月23日

色欲は歴史を変える

デンマンさん。。。今日はやらしいお話をするのでござ~♪~ますか?

どうして僕が卑弥子さんとやらしい話をしなければならないのですか?

だってぇ、上のタイトルに色欲と書いてあるじゃござァ~ませんか!

色欲はやらしいのですか?

そうですわ。。。一般的に色欲はやらしいと思われているのですわ。

あのねぇ~、それは卑弥子さんの個人的な意見ですよ。

10人に8人までは色欲はやらしいと思っていると、あたくしは信じておりますわ。

それも卑弥子さんの個人的な思い込みですよ。

あたくしの思い込みだという証拠でもあるのですか?

ありますよ。 次の統計を見てください。


(wp20623.gif)

これは Denman Blog の人気記事のリストなのですよ。 最も読まれているのが次の記事です。

『床上手な女の7つの見分け方』

あらっ。。。上のやらしい記事がこれまでに延べ 29,002人に読まれたのですわね。

そうですよ。 ダントツですよ。 この記事だけではなく、他の人気記事のタイトルを見ても、卑弥子さんの目には、おそらくほとんどすべての記事がやらしい記事だと映るはずですよ。 違いますか?

確かに、やらしい記事がたくさんありますわ。 驚かされますわよ。

人気がある記事は。。。つまり、普通の人によく読まれる記事は普通の記事だということですよ。 本当にやらしい記事ならば読まないはずですよ。 そう思いませんか?

でも、『床上手な女の7つの見分け方』というタイトルはやらしいですわ。

だから、それは卑弥子さんの個人的な意見です。 『床上手な女の7つの見分け方』を読んだほとんどの人は、やらしいと思って読んだのではなく、興味深い記事だと思って読んだのですよ。

そうかしら?

信じてくださいよ。 じゃないと、『床上手な女の7つの見分け方』を読んだ 29,002人は“やらしい人間”ということになってしまうのですよ。

解りましたわ。。。んで、「色欲は歴史を変える」ってぇ、どういうことなのでござ~♪~ますか?

ちょっと次の小文を読んでみてください。

牛若の目がさめます

義経の幼名は牛若丸であり、母は常盤(ときわ)という。
常盤は平清盛に敗れた源義朝の妾である。
義朝との間に、三人の男児を生んだ。
七歳の今若、5歳の乙若(おとわか)、そして一歳の牛若を連れ、逃げ隠れていたが、老母が清盛に捕えられ、むごい目にあっているのを聞いて、子どもと共に自首して出た。
義朝憎しで、一族全滅を遂行していた清盛は、常盤をひと目見たとたん、カッ、と頭から熱を発した。
何しろ、「常盤と申すは日本一の美人なり」(『義経記(ぎけいき)』)
年恰好からいって、色気もふんぷんだったろう。
のぼせ上がってしまったのである。


(bond911.jpg)

清盛は、子の助命を願う常盤に、条件を出した。
自分に従うなら、助けてやってもよい。
舌なめずりしながら迫ったことであろう。
常盤は三児の将来に希望を託し、応諾した。

そこで、川柳子の登場である。
「牛若の 目がさめますと 常盤言ひ」
「義朝と おれとはどうだ などとぬれ」

この川柳をもっと露骨な文章に仕立てたのが、春本である。

(読み易いように改行を加えました。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


28-29 ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根 達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社

あらっ。。。この時に歴史が変わったのでざ~♪~ますか?

そうですよ。 もし常盤がブスで清盛の色欲を刺激しなかったら、3人の幼い子供たちと一緒に常盤は殺されていたのですよ。

そうでしょうか?

だって、そうでしょう! 平清盛は源義朝憎しで、一族を全滅させるつもりだったのですよ。 ところが、日本一美しいと噂されていた常盤をひと目見たとたん、カッ、とのぼせて、この女性をぜひ自分の女にしたいと思ったのですよ。

平清盛でなく、谷岡ヤスジ先生が常盤を見たら、もう鼻血をブー、ブー出すところですよ。

平清盛は鼻血をブー、ブー出さなかったのかしら? うふふふふふ。。。

いや。。。もしかすると出していたかもしれませんよ。 うへへへへへ。。。

つまり、もし平清盛が常盤と3人の子供たちを殺していたら、鎌倉幕府を立ち上げることになる源頼朝も、源義経が活躍する『平家物語』も歴史に登場しなかったということですか?

その通りですよ。

。。。んで、その後に平清盛と常盤のやらしいお話が続くのでござ~♪~ますか?

ん。。。? 平清盛と常盤のやらしいお話?

だってぇ、デンマンさんは上のエピソードを『春本を愉しむ』から引用しているではありませんか!

つまり、卑弥子さんは『春本』に書かれている平清盛と常盤の「濡れ場」の話を聞きたいのですか?

いえ。。。あたくしは、どうでもよいのですわ。 うふふふふふ。。。でも。。。、でも。。。、あのォ~。。。、この記事をお読みになっているネット市民の皆様は、ぜひそのお話を聞きたいと思っていると思うのですわ。 うふふふふふ。。。

あのねぇ~、平清盛と常盤の「濡れ場」は『春本を愉しむ』の中には書いてないのですよ。

あらっ。。。じゃあ、「春本を愉しむ」というのは嘘なのですか?

いや。。。嘘じゃないですよ。 ただし、牛若丸が大きくなって源義経となった後、壇ノ浦で平家をやっつけた時に、身を投げた建礼門院徳子が助けられ、その後で二人が親密になる。 それで、やがて二人は愛し合うという濡れ場が書いてあるのですよ。

あらっ。。。建礼門院徳子と言えば安徳天皇をお産みになった女性ですわね。 確か、平清盛の娘ですわ。 なんだか不思議なめぐり合わせですわね。 平清盛が牛若丸の母と濡れ場を演じる。 そして、今度は牛若丸が成長して源義経となって徳子と、つまり、清盛の娘とねんごろになる。 歴史は繰り返すと申しますが、なんとなく、そのような繰り返しですわね。

そうなのですよ。 徳子は18歳の時に当時12歳の天皇と結婚した。 それから6年後の24歳でお世継ぎを出産した。 この子が安徳天皇になるわけです。

それで、あのォ~。。。濡れ場と言うのは。。。どのような。。。? どのような。。。?

ちょっと。。。ちょっと。。。卑弥子さん。。。身を乗り出して、それほど僕に近づかないでくださいよ。 卑弥子さんの熱い鼻息が。。。ちょっと匂う鼻息が僕の顔にかかるのですよ。 もう少し離れてくださいよ。 

あらっ。。。あたくしとしたことが。。。つい。。。つい。。。うふふふふふ。。。

あのねぇ~、これから話すけれど、鼻血だけは出さないでくださいよね。

出しませんわ。
 

(義経と徳子は)裸になり、布団に入る。
並んで横になる。
「明かりを消してちょうだい」と(徳子は)頼む。
「見ている者はいない。 美人とたわむれるのも、その顔が見えなくちゃ、何のしあわせぞ」(義経は)手を伸ばして、徳子を探る。
その手を払い、(徳子は)急に背中を見せる。
「邪慳(じゃけん)になさると、それ神罰を受けますよ」手を引いて、おのが「宝亀」をつかませる。
徳子は驚いて、掌を開く。
「神罰を欲するのですか?」
徳子はか細い手を添え、わずかに動かす。
柔らかいこと、まるで萌えいずる芽のようである。
義経は喜んだ。
徳子は手を収めた。

義経はやおら徳子の腰を引く。
徳子は逃げようとする。 体が海老のように曲がり、お尻のみ義経のへその下に接している。
左手で「玉唇」を開いた。「紫龍」たちまち玉口を攻める。
徳子は声をのむ。
玉内は狭く、わずかに先っぽしか入らぬ。
ああ、痛い、と訴える。
「変だな。 あなたは生娘じゃないのに」つぶやきながら、身を起こす。
徳子は仰向けになる。
義経は静かに乗る。
「また指でいじめる気?」
「いやいや。 濡らすだけだよ」

ようやく二枚の扉が開く。
「紫龍」今度はつつがなく受け入れられる。
出没してついに全身を潜む。
徳子、思わず、「ああ」
「痛むのですか?」
「いいえ。 快(よ)いのです」
「もっと快くしてあげましょう。 股をもっと私に引っつけなさい。 そして踵(かかと)を私の尻の上に。 そうそう。 そして私に合わせて腰を上下に。 いいですか?」

右手で徳子の尻を抱いて、ささやく。 「そら、上げて」
「ああ」
「それ、下げて」
「ああ」
「どう? 指とこれとどっちが快い?」
「比べものにならないわ」
「ご主人とはどうですか?」
「言わせる気?」
次第に二人の鼻息が急になる。
徳子が結婚したのは18歳、夫はわずかに12歳だったし、その夫婦生活もたった9年だから、真の快美を知らぬのも無理はなかった。
まして閨技など、義経に教えられるまで、こんな世界があるなんて思いもよらない。

(読み易いように改行を加えました。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


42-44 ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根 達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社

卑弥子さん。。。卑弥子さんも鼻息が荒くなってきましたよ。

あああァ~。。。

どうしたのですか?

なんだか切ないのですわ。 あたくしも早く素晴らしい殿方を射止めて義経さんと徳子さんのような甘美な官能の世界でしっぽりと濡れてみたいのでござ~♪~ますわ。

【ジューンの独り言】

ですってぇ~。。。

デンマンさんが上で引用した

やらしいお話は中学生や高校生でも

読んで理解できる言葉で書いてあります。

でも、昔の春本は実は難しい字で

書いてあるのですわ。

デンマンさんがこれを読んで理解できる?

そう言って渡されたページを開いてみると

次のように書いてありましたわ。

徳子脚を捻り股を鎖して奥を許さず。
廷尉(義経)曰く、何故。
徳子曰く、只恥ずかしいのみ。
廷尉曰く、すでにここに至れり、何すれぞ更に恥じて、いづれの時をか期せん、尚然らざれば、此の如くせんと。
よって柔草を抜く。

徳子曰く、ああ痛い。いけない人。股を少しく解く。
廷尉すなわち求めて温郷を得たり。
心に温柔を感じて、徐に中指の頭を以って緩く玉舌を掻くこと数時、終りに玉舌に伝い這わせる。
玉舌軟らかにして凝脂の如し。
徳子身を縮め、面を廷尉の胸に当て、耳朶赤くして鶏冠に似たり。
廷尉即ち双指を弄して終に玉心を探る。御珠を拾う。

徳子鼻息梢高く、呼吸漸く疾し。
身を悶えて膝に堪えず、相擁して前に倒る。
徳子仰臥して廷尉斜に其胸に乗り、双指は尚玉心に在り。
摩擦益々秘術を尽す。
徳子、額を顰め、左手を転じて義経の腕首を強く握り、急に禁じて曰く、ああ、やめよ、指を以って弄するなかれ、ああ、ほとんど堪えず、ああ、それ指をやめよ。

(読み易いように改行を加えました。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


39-40 ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根 達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社

    
あなたは理解できましたか?

読みながら、わたしはなんだか

霧に覆われたロンドンの街を

歩いているような気分でしたわ。


 
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