Posts Tagged ‘水墨画’

自由という誘惑

2016年7月29日

 

自由という誘惑

 


(juneper3.jpg)


(junevanc.jpg)


(june901.jpg)

 


(june001.gif)

デンマンさん。。。 “自由という誘惑”ってぇ、なんだか悩ましいタイトルですわねぇ~。。。


(kato3.gif)

ジューンさんもなんとなくワクワクするでしょう!?

今日は『万夜一夜の謎』の続きですか?


(manya02.jpg)

『万夜一夜の謎』

いや。。。 『万夜一夜の謎』とは関係ありません。

でも、タイトルから受けるイメージは、なんとなくアラビアンナイトを想わせますよねぇ~。。。

ジューンさんが、タイトルからどのようなイメージを受け取るのか?。。。 それはジューンさんの全く自由だけれど、僕がタイトルを考え付いたのは、実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたからなのですよ。

画家の遊び空間


(asobi02.jpg)

何が楽しいかというと、絵の中に埋もれた画家たちの私小説が読めるのである。
タッチの表現を封じられた時代の画家たちのタッチが見える。 (略)

絵を描く筆触(タッチ)は画家の存在証明である。
絵を鑑賞する裁判官はタッチなどではなくそのテーマによって判決を下そうとするが、画家には絵のタッチがアリバイである。

アリバイとは岩波国語辞典によると「犯罪が行われた時、その現場以外の所に居たという証明。現場不在証明」とある。
この「犯罪」を「テーマ」という言葉に置き換えると見えてくるのだ。

もちろんその絵はすべてその画家が描いた。
画家はその絵の中心にあるテーマを描き上げることに奉仕している。
絵の隅にはサインもあるし、証拠は挙がっているのだ。

とはいうものの、いっぽうそのころ、画家はその絵のテーマの外にもいて、絵の中の部屋の隅、机の下、窓の外、窓の外の森、森の向こうの山並み、青空、白い雲など、絵筆があちこち遊び回っていることも事実である。 (略)

このころの絵のテーマというのはだいたいにおいて人物である。
肖像的要素をもつものがほとんどである。
その場合人物の中心は顔である。
その顔の中心といえば2つの目と1つの口を結ぶ三角地帯で、そのまた中心をあえていえば鼻の先であろう。

つまり、一枚の肖像画があり、その中心は鼻の先にあるのだ。
そこがテーマの頂点であり、画家のタッチのもっとも禁じられている場所である。


(sebastian1.jpg)

だから、鼻の先、2つの目、その間の眉間、唇、頬、といった顔面中心部は、絵の中でもっともツルツルに仕上げられている。
もちろん絵筆で描いているのでタッチがないわけではないが、そのタッチが綿密に押し詰められて、点がぎっしり並んで面になるという感じで、タッチの凹凸がそこでは完全に埋没してツルツルになっているのである。

そしてそのタッチ厳禁の場所を離れるに従って、タッチの並びは水面下でゆるやかになり、ちょうど魚の背鰭が水面からときどきのぞくみたいに、ほんのりとタッチが顔を出すようになる。
そしてさらに顔面を離れ、人物を離れ、部屋の床や壁や窓の外の風景などに行くと、タッチはピュン、ピュンと飛びはじめてくるのだ。 (略)

顔面中心の目と鼻の先の近辺だけは、とりあえずツルツルに描くことに留意している。
その中心部ではタッチを殺しながら、そこを離れた周辺部ではタッチが嬉しそうに飛び跳ねている。
画家はそこで遊んでいるのだ。

絵の中心部では重々しい受難のキリスト像が、あるいは威厳ある顔つきの実力者像が、タッチを押し殺して出来上がろうとしている。
いっぽうそのころ、そこを離れた窓の外の風景の森の葉っぱで、画家の筆先はテーマの重力を脱したかのように、すいすいと軽やかに跳ね回り、遊び回っている。


(sebastian2.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


96-99ページ 『ルーヴル美術館の楽しみ方』
著者: 赤瀬川原平 熊瀬川紀
1997年2月20日 第11刷発行
発行所: 株式会社 新潮社

上の文章を読みながら 僕はすぐにレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた“モナリザ”の絵を思い浮かべたのですよ。


(monalisa.jpg)

このモナリザの絵がどうだとデンマンさんは言うのですか?

背景に注目してください。


(mona201b.jpg)

上の絵からモナリザ女史を取り除くと次のようになる。


(mona201c.jpg)

上の絵を見ると、なんとなく中国の水墨画と似ていると思いませんか?


(suiboku02.jpg)

言われてみると、確かに絵の雰囲気が水墨画に似ていますわねぇ~。。。

ジューンさんは忘れてしまったかもしれないけれど、この事についてはかつてジューンさんと語り合ったことがあるのですよ。。。 ジューンさんが思い出すように、その時の記事をここに書き出すから改めて読んでみてください。


(monalis8d.jpg)

モナリザの妹

あらっ。。。 モナリザのモデルの女性が中国人だったと言うのですか?

そうなのですよ。。。 香港をベースに活動しているイタリア人の歴史家兼小説家が、そういうような事を言い始めたのです。

でも。。。、あのモナリザは、どう見ても中国人のようには見えませんわァ~。。。

だから、そこですよ。。。 つまり、見る人によれば、中国人にも見えるのですよ。

そうかしらァ~。。。?

あのねぇ~、背景の風景が中国の風景だと書いてある。。。 確かに、言われてみると、中国の水墨画のようにも見えるのですよ。 モナリザだってぇ、見方によれば、中国人の血が混ざっていて、どこかに東洋系の面影があるようにも見える。

そうかしらァ~。。。?

ジューンさんも、そう思って もう一度じっくりと見てくださいよ。。。 


(monalisa.jpg)

やっぱり、モナリザに中国人の血が混ざっているようには見えませんわァ。

ジューンさんは、しっかりと見ないからですよう。。。 中国人の血が混ざっているようだなァ~、と思いながら見れば、次のように見えるのです。


(mona120.jpg)

デンマンさんが中国人の女性の顔を貼り付けたというのが見え見えですわァ。

あのねぇ~、ジューンさん。。。 神経の集中力が足りないのです。。。 もし、ジューンさんの祖先がレオナルド・ダ・ヴィンチに出会っていたら、レオナルドはジューンさんの祖先をモナリザとして描いていたのですよ。


(mona110.jpg)

つまり、レオナルドは、その時にオツムに印象的に浮かんだ女性を描いたと言うことですかァ~?

その通りですよ。 レオナルドは、モナリザを描く時に自分の母親を描きたかったのです。

。。。で、レオナルドはお母さんをモデルにしたのですか?

いや。。。 レオンナルドはモデルを使わなかったのです。

どうして、モナリザを描く時にモデルを使わなかったのですか?

あのねぇ~、その事については、僕はすでに2002年に記事を書いたのです。 重複するので、ジューンさんも次の記事を読んでみてください。


『モナリザの妹』より
(2015年12月19日)

“モナリザ”を書いた当時、レオナルドが中国から伝わった水墨画を見る機会があった、とデンマンさんは考えているのですか?

当然、その機会があったはずなのです。。。 なぜなら、レオナルドが“モナリザ”を描いたのは1503年から1506年の間だと考えられている。。。 マルコポーロが亡くなったのが1324年。。。 つまり、1324年からレオナルドが生まれるまでに、中国の水墨画がレオナルドが活躍するフィレンツェやミラノにもたらされたということは充分に考えられるのですよ。。。

。。。で、上の中国の山水画はいつごろ描かれたのですか?


(suiboku02.jpg)

この水墨画は李成(りせい)【919年-967年】という北宋初期の山水画家が描いたものです。 この画家は当時有名な画家で、たくさんの水墨画を残したのですよ。

つまり、この人の書いた水墨画がシルクロードを通じて当時のイタリアにまで伝わったと言うのですか?

そうです。。。 好奇心が旺盛だったレオナルドだから、当然、水墨画の技法を真似て、遊び心で“モナリザ”の背景に、水墨画のような景色を描いたのですよ。

つまり、レオナルドの“遊び空間”は水墨画の世界だったと、デンマンさんは考えているのですか?

少なくとも“モナリザ”の背景をじっくりと眺めると、そうとしか考えられないのですよ。

要するに、この事を言うために、『ルーヴル美術館の楽しみ方』の本から画家たちの私小説のエピソードを持ち出してきたのですか?

いや。。。 そればかりではないのですよ。。。 レオナルドの“モナリザ”も多くの画家や写真家に“遊び心”を呼び覚ましたのですよ。。。 つまり、自由という誘惑を後世の芸術家に呼び起こしたのです。

例えば、どのように。。。?

ちょっと次のコラージュを見てください。


(mona102.jpg)

この作者はスーパーマンにハマッているのですよ。。。で、“モナリザ”を“スーパーウーマン”にしたらどうなるか?

その想いに駆られて上の作品をデッチ上げたのですか?

そういうことです。。。 そういう誘惑に駆られたのですよ。


(mona108.jpg)

あらっ。。。 この作者は痴漢常習者なのですわねぇ~。。。

おそらく、そうだろうと思います。。。 “モナリザ”にハマり過ぎて、どうしても彼女を痴漢しないではいられなかったのですよ。 (微笑)

でも。。。、でも。。。、どうして刺青(いれずみ)をしなければならないのですか?

だから、この作者は刺青にもハマッているのですよ。


(mona109.jpg)

あらっ。。。 “モナリザ”がテロリストの女性活動家になってますわねぇ~。。。

あのねぇ~、イタリアでも、かつて1980年の8月にテロリストによる「ボローニャ駅爆破事件」というのがあったのです。。。 この事件では85人が死亡、200人以上が負傷したのですよ。。。 当初、この事件は事故と思われていたものの、その後の調査で捜査員が爆心地近くで金属片とプラスチック片を発見したことにより、テロ事件と断定されたという経緯(いきさつ)があるのです。

つまり、その関係者が上の“モナリザ”をコラージュしたのですか?

それは僕の想像ですけど。。。 (微笑)


(mona105.jpg)

あらっ。。。 この作者は“巨乳志向”の男性ですわねぇ~。。。

たぶん、そうだと思います。。。 次の作品の作者は、マジで“巨乳”にハマッてしまった男性ですよ。


(mona104.jpg)

あらっ。。。 マジですごいオッパイですわねぇ~。。。 うふふふふふ。。。


(mona107.jpg)

この作者はエドゥアール・マネによって描かれた「草上の昼食」にインスピレーションをもらったはずです。


(kusa02.jpg)

上の絵はパリのオルセー美術館に展示されているものですわねぇ~。。。

あれっ。。。 ジューンさんは意外にフランス絵画にも詳しいのですねぇ~。。。

だってぇ~、このマネの絵はマジで有名ですわ。。。 マネの代表作と言われているものですわ。

その通りですよ。。。 だから、モナリザを「草上の昼食」に誘ったらどうなるか?。。。 それをテーマにして作ったのが上のモナリザが裸になっている絵ですよ。。。 では、次の作品を見てください。


(mona106.jpg)

あらっ。。。 近未来が背景になってますわねぇ~。。。

どうして、ジューンさんは近未来が背景になっていると思うのですか?

だってぇ~、背景の建物が、なんとなく近未来を想わせるではありませんか!

うん、うん、うん。。。 たぶん、SFにハマッているひとがコラージュしたのだと思いますよ。

。。。で、デンマンさんの作品は。。。?

だから、すでに発表しましたよ。


(mona110b.jpg)

僕にとってジューンさんの微笑こそ自由という誘惑ですから。。。 それで、この記事を書こうと決めたのですよ。。。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

デンマンさんは、かな~りジューンさんにゴマをすってますよねぇ~。。。

あからさまですわァ。

ちょっと、ゴマのすり過ぎではないでしょうかァ?

あたくしは“巨乳”じゃなくて、“ヴィーナスのえくぼ”で勝負しようと思いますわァ~。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

最近 「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。。。

うふふふふふふ。。。

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわァ~。。。


(buttdimp5.jpg)

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。
信じてくださいましなァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


(manya02.jpg)

『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、
ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
(godiva05.jpg)

『やっぱり処女とおばさん』

『ウンコで走るバス』

『レダの卵』

『正月の熟女』

『新春画ネット散歩』

『愛と下着の美学』

『モナリザもビックリ』

『象が泣く』

『国際化に加速』

『美しき未亡人』

『ジューンさん、バイザイして』

『ジューンさん“いいね”が付いてるよ』

ジューンさんの熟女下着
(30june.jpg)

『床上手なのねぇ~』

『外国人SEXデンマン』

『外国人SEXデンマン再び』

『大きいことはいいことじゃない』

『デンバー直行便でジューンさんの下着』

『ジューンさんのヌードを探して』

『半分のお尻で…』

『プーフィードレス』


(sylvie122.jpg)

『万夜一夜物語』

『ゆかじょうず』

『日本語じょうず』

『モナリザがニーハオ』

『おばさんの下着がいいの?』

『なぜ、ヤノマミ?』

『マタハラ』

『マタハラとrundll32』

ジューンさんの熟女下着
(30june.jpg)

『お尻のえくぼ』

『なぜカウチポテト?』

『あなたの混浴』

『夢の出会いを求めて』

『乙女と処女』

『戦場に行くことを教えた女教師』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
(godiva05.jpg)

『桜井の別れと母上様』

『ダイアモンドは女の親友』

『愛のコリーダを訳す』

『マルタ島のロマン再び』

『大前研一 奇妙な検索』

『ついに千夜一夜』

『いいね攻略と良妻賢母』

『批判が無いとヒトラーがのさばる』

『混浴入浴風景』

(roten101.jpg+cleoani.gif)

『9日間の女王』

『あなたは敬語?』

『原節子とジューンさん』

『モナリザの妹』

『ナイアガラとマリリンモンロー』

『おばさんパンツ@大晦日』

『ヴィーナスのえくぼ@ジューン』

『乳房振動とブラの研究』

『G線上のアリア』

『悲愴と白鳥』

『ブッダと千夜一夜物語』

『絹の道と千夜一夜物語』

『ヤノマミの乙女』

『ジャータカと今昔物語』

『白木屋お熊とセックス』

『パンツを売る乙女』

『床上手な女@マルタ島』

『宮沢りえとおばさんパンツ』

『マチュピチュとインディー・ジョーンズ』

『映画を愛する薄命の女』

『ベニスの騒動』

『アンネとハンナ』

『名器たこつぼ』

『レダの卵を探して…』

『サモトラケのニケとミロのヴィーナス』

『薄命な女のパンツ』

『ロトの娘たち』

『もう一人のモナリザ』

『万夜一夜の謎』

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


(hand.gif)


(chiwawa5.gif)

こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)


(himiko92.jpg)

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ


(juneswim.jpg)


(byebye.gif)

黙庵 四睡図 エピソード

2013年2月23日

 

  
黙庵 四睡図 エピソード


(4sleep2.jpg)

デンマンさん。。。今日は三題噺(さんだいばなし)でござ~♪~ますか?

卑弥子さんは題目3つを折り込んで即興で演じる僕の落語が聴きたいのですか?

面白そうですわ。 黙庵 四睡図 エピソードという3つのお題を並べたのでござ~ますから、当然、面白いお話をしてくださるのでしょう?

卑弥子さんがお望みならば三題噺をしてもいいですよ。 でもねぇ、この3つの言葉は関連しているから、このまま話を続ければ何の苦労もなく三題噺になってしまうのですよ。

じゃあ、このままお話を続けてくださいましな。

あのねぇ~、僕はたまたま上の浮世絵を目にしたのですよ。 これは絵の中にも書いてあるように「風流四睡」というタイトルなのです。 高 崇谷(こう すうとく)という江戸時代の。。。18世紀後半に活躍した絵師が描いたものです。 花魁(おいらん)と二人の禿(かむろ)と猫が眠っているのですよ。

つまり、高級娼婦と見習いの女の子二人、それに猫を含めた4つの人物と動物が眠っているので「四睡」でござ~ますか?

その通りです。

。。。で、「黙庵 四睡図 エピソード」というタイトルの中の「四睡図」は上の絵のことなのでござ~ますか?

いや。。。 僕の記事のタイトルの中の「四睡図」は冒頭に掲げた「風流四睡」のことじゃなくて、大元(おおもと)の「四睡」のことです。

大元の「四睡」ってぇ、どういうことでござ~ますか?

実は、「風流四睡」を描いた高崇谷の師匠が英 一蝶(はなぶさ いっちょう)という弟子の門下なのですよ。

つまり、英一蝶の孫弟子ですわね?

その通りです。 この一蝶先生の絵の中に同じ構成の絵があるのですよ。

つまり、高崇谷は大先生の絵を真似して描いたということでざ~ますか?

その通りです。 しかも、この大先生の英一蝶は狩野探幽の「四睡之図」を真似て描いた。 さらに、この狩野探幽がお手本にしたのが黙庵の「四睡図」なのですよ。

それで、デンマンさんは「黙庵 四睡図 エピソード」というタイトルにしたのですか?

いや。。。 実は、そうではないのですよ。 僕は黙庵の描いた「四睡図」を見たことがある。 


(4sleep3.jpg)

これが黙庵さんの描いた「四睡図」でござ~ますか?

そうです。 驚くべきことに「四睡図」を描いた人はたくさんいる。 次の2つの「四睡図」は長沢芦雪(ながさわ ろせつ)という絵師が描いた。


(4sleep4.jpg)


(4sleep5.jpg)

次の「四睡図」は仲春洋という絵師が描いたものです。


(4sleep6.jpg)

あの有名な喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ)も「四睡図」を描いている。

。。。んで、どうして「黙庵 四睡図 エピソード」というタイトルにしたのですか?

これほど真似をされる大元の「四睡図」を描いた黙庵さんだから、きっと有名なエピソードがあるに違いない! 僕はそう思ってGOOGLEで検索したのですよ。 その検索結果を見てください。


(gog30222d.gif)

あらっ。。。 「黙庵 四睡図 エピソード」入れて検索した時の“複合キーワード”をそのままタイトルにしたのですわね?

そうなのです。 (微笑)

。。。んで、枠で囲んであるのがデンマンさんが書いた記事なのですか?

下の2つは僕のブログなんだけれど、上の2つはGOOの「評価・レビュー・口コミ・感想」のページなのですよ。 つまり、キーワードに関連したブログを紹介しているページなのです。 赤枠で囲んだタイトルをクリックすると次のページが表示されます。


(goo30218b.gif)

あらっ。。。「谿明」という絵師のことがデンマンさんが書いた『癒しと水墨画(PART 2)』に出てくるのでござ~ますか?

実は、僕は「谿明」という絵師の名前を聞いたことがない。 それでウィキペディアで調べてみたのですよ。 


(wik30223.gif)

見れば分かるようにサンマーメン(生碼麺、生馬麺、三碼麺)と呼ばれる神奈川県の“ご当地ラーメン”を出す「谿明飯店」というレストランがヒットするだけなのですよ。 


(sanma02.jpg)

まず間違いなく「谿明」という名前は有名な水墨画家の名前じゃないですよ。

それなのにどうしてデンマンさんの記事が紹介されているのですか?

記事の中に“谿”と“明”が出てくるからでしょうね。

。。。んで、青枠で囲んだページはどうなのでござ~ますか?

タイトルをクリックすると次のページが表れます。


(goo30218.gif)

あらっ。。。 「牧谿(もっけい)」は有名な中国の宋の時代の水墨画家ですわね。 あたくしも存じ上げておりますわ。。。で「牧谿」は『癒しと水墨画(PART 2)』に出てくるのでござ~ますか?

もちろん出てきますよ。 ちょっとその部分を読んでみてください。

(sesshu2.jpg)

あらっ、デンマンさん。。。上のイラストの中のあたくしは水墨画の中で癒されているのでござ~♪~ますか?

その通りですよ。 卑弥子さんが平安朝の絵巻の中から出てきて雪舟の時代の山水画の中で癒されているのですよ。 うへへへへ。。。

でも、どうして急に山水画などを持ち出してきたのですか?

卑弥子さんは急に水墨画の世界にタイムスリップしたように思うかもしれないけれど、実は、僕は7月の下旬に日本美術史の本をバンクーバー図書館から借りてきて水墨画の世界にかなり浸っていたのですよ。


(lib20802c.gif)

赤枠と青枠で囲んである2冊ですか?

そうです。

デンマンさんは源氏物語の世界ではなくて水墨画の世界にハマッているのでござ~ますか?

いや。。。ハマッているというほど水墨画が好きではありません。 でもねぇ、赤枠で囲んである本をパラパラめくっていたら水墨画に出くわしたのですよ。

あたくしの背景にある水墨画は雪舟さんが書いたのでござ~ますか?

その通りです。 でも、雪舟さんの自筆のものではなくて他の人が模写したものですよ。 だけど、まるで本物のように良く描けています。

デンマンさんは、この背景になっている水墨画が気に入ったのですか?

いや。。。気に入ったというより僕の心がスウ~ッと吸い込まれてゆくようなすがすがしさを感じたのですよ。

あたくしには、なんだか落書きのように思えるのですけれど。。。おほほほほほ。。。んで、どういう所がそれほど良いのでござ~ますか?

もともと僕は幻想的なものに惹かれる感性を持っているのかもしれません。 (微笑)

マジで。。。? 上の背景の水墨画は幻想的なのですか?

あのねぇ~、雪舟さんが生きていた頃、水墨画を描くということは日本の風景ではなく中国の風景を描くことだったらしい。 上の方に霞(かす)んで見えるのは霧がかかってうっすらと見える中国の山ですよ。 なんとなく幻想的な気分が表現されていると思いませんか?

そうでしょうか?

あのねぇ~、僕が初めて水墨画を見た小学生の頃、どうしてこんな出鱈目(でたらめ)な山を書くものかと不思議に思ったというよりも呆れたものですよ。 こんな山があるはずないじゃないか! 山と言えば富士山のような山が典型的な日本の山ですからね。。。 僕が生まれ育った行田市からは、よく晴れた日には富士山が見えるのですよ。

あらっ。。。今度は富士山を背景にあたくしが癒されているのですわね。 うふふふふふ。。。でも、デンマンさんのふるさとからマジで富士山がこんなにきれいに見えるのですか?

マジですよ。 僕の実家から自転車で20分ぐらい行ったところに久下橋がある。 その橋の袂から見たのが上の写真の富士山ですよ。

あたくしも一度、デンマンさんのふるさとから富士山を見てみたいものですわ。

僕の実家の東北の方には赤木山、それに北の方には榛名山。。。どの山も裾を引いて山水画に書かれているような垂直にそそり立っているような山とは大違いですよ。 初めて水墨画に描かれている山を見たとき、とても山とは思えなかった。 こんな山があるはずがない! 下手糞な絵を描くものだと子供心に馬鹿にしていたものですよ。 でもねぇ、中国へ行って初めて水墨画で描かれているような実物の山を見た時にはビックリしましたよ。


(sesshu0.jpg)

「桂林水墨画」の世界

「百聞は一見にしかず」。。。たぶん、これは雪舟が中国へ行って実物の山を見た時に言った言葉じゃないか! そう思ったほどですよ。

あらっ。。。デンマンさんは実物の変な山を見るために中国に行ったのですか?

もちろん、山だけを見るためではありません。 上海に行ったついでに水墨画の世界に浸りたいと思って田舎に言ったのですよ。

ところで、雪舟さんも中国に行ったことがあるのですか?

あるのですよ。 本には次のような書いてあります。

雪舟は、日本の水墨画の転換期にいる。
雪舟によって「水墨画の日本化」が“始まる”、あるいは“達成された”ということになっているからだ。
雪舟は「日本的水墨画の完成者」ということになっていて、「それまでは“本場の中国の方がエラくて、日本製のものはオリジナリティーのない二流だ”と思われていたのを雪舟が覆(くつがえ)した」ということになっている。
がしかし、これは別に室町時代の評価ではなくて、ず~っとあとの近代になってからの評価である。

 (中略)

中国から日本に帰ってきた雪舟は、大内氏の山口県には行かず、大友氏のいる大分県に行く。
なにしろ当時は応仁の乱でゴタゴタしていた。
雪舟は大分県に天開図画楼(てんかいとがろう)というアトリエを開く。
大友氏の援助があったのは当然のことだろう。
天開図画楼で制作に励んだ後、しばらくの間、雪舟は日本各地を転々と旅する。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えています)


156ページ 『ひらがな日本美術氏 2』
著者: 橋本治
1997年8月25日発行
発行所: 株式会社 新潮社

遣唐使は廃止されて定期的に中国へ行くことはなくなっていたけれど、中国文化・芸術は当時ではやはり現在の“アメリカ映画”や“欧米ファッション”のようにもてはやされていた。 だから雪舟も当然、本場の水墨画に触れたいと思って当時の明国に渡ったに違いないのですよ。

。。。で、中国で絵の勉強してきたのですか?

ところが雪舟はそのつもりで中国へ行ったのだけれど、ついに素晴らしい絵の先生に恵まれなかったらしく、自分が日本で師事していた先生である周文(しゅうぶん)。 それに周文の先生である如拙(じょせつ)の絵の方が素晴らしくて、ますます日本人の二人を尊敬したと言うのですよ。

つまり、“灯台もと暗し”だったのですわね。

そうなのです。

でも、雪舟は日本各地を転々として、どうして京都に住まなかったのですか?

あのねぇ~、雪舟が生きていた頃は京都は応仁の乱で大変だったのですよ。 なにしろ、応仁の乱で戦国時代が幕を開けたようなものですからね。 雪舟が生まれたのは1420(応永27)年ですよ。 明国に渡ったのが1468(応仁2)年。 つまり、応仁の乱が勃発したので、まるで逃げるようにして中国に渡ったのですよ。 中国の各地を回り、約2年間本格的な水墨画を勉強しようとした。 結局、あまりいい先生に恵まれずに1469(文明元)年に日本へ帰ってきた。

でも、応仁の乱の最中でしょう?

そうですよ。 だから、京都を離れて各地を放浪したのですよ。 周防、今の山口県や。。。、豊後、今の大分県、それに石見にまで行って水墨画を描いた。

でも、戦国時代になるから京都以外でも戦いが始まっているのではありませんか?

でも、京都はすっかり興廃してしまって、むしろ地方に行った方がいいスポンサーが居たのですよ。 冒頭の卑弥子さんの背景になっている「破墨山水図(はぼくさんすいず)」を雪舟が描いたのは1495年、雪舟が76歳の時なのです。 今の山口県で描いたのですよ。

あらっ。。。76歳になっても、まだ絵を描いていたのでござ~ますか?

そうなのです。 1501(文亀元)年にも「天橋立(あまのはしだて)」まで行って水墨画を描いていますよ。 没年は確実な記録はないのだけれど 1506(永正3)年に87歳で亡くなったと言われているのです。 どうやら死ぬまで水墨画を描き続けていたようです。

あらっ。。。87歳まで生きたのですか。。。現在でも長寿者の仲間入りができるではござ~ませんか!

そうなのですよ。

それで雪舟さんが87歳まで生きられた事と水墨画が関係あるとデンマンさん言いたいのですか?

当然でしょう! 雪舟が生きていたのは騒乱の時代ですよ。 現在のように平和な時代ならば80歳を過ぎても生きている人は珍しくないけれど、今から500年ほど昔ですよ。 平均寿命はおそらく40歳から、長くても50歳ですよ。 織田信長が「人間50年。。。」という謡(うたい)を唸(うな)っていた頃ですからね。

つまり、水墨画を描くことによって雪舟さんは癒しを得られてストレスから開放され、癌にかからず戦争にも巻き込まれないで長く生きられたと言うのですか?

そうですよ。 だから雪舟さんが死ぬまで水墨画を描いていた事が何よりの証拠じゃありませんか!

でも、ちょっと信じられませんわ。

信じてくださいよ。 「信じる者は救われる」と言うじゃありませんか! (微笑)

それと、これとは違いますわ。 冗談言ってないで、その長寿の秘訣を話してくださいな。

あのねぇ~、雪舟さんより百年ほど前に黙庵(もくあん)さんという禅僧が居たのですよ。 この人は鎌倉幕府が滅亡する10年ほど前に、元の時代の中国に渡った。

禅の修業のためにでござ~ますか?

そうです。 日本に帰ってくる気持ちはあったようだけれど、結局日本には帰ってこないで、1345年に中国で亡くなったのですよ。

あらっ。。。まあ。。。じゃあ、デンマンさんと同じように異国で骨になったのでござ~♪~ますわね。

卑弥子さん!。。。んもお~~。。。僕はまだバンクーバーで骨になってませんよ!

冗談ですわよ。 そのようにムキにならないでくださいな。 それで、その黙庵さんがどうだとおっしゃるのでござ~ますか?

あのねぇ~、黙庵さんよりも100年後に、明の時代に中国に渡った雪舟さんは「中国にはロクな先生はいない」と言って日本へ帰ってきたのだけれど、当時の中国人で水墨画を描く連中は雪舟さんのことなど全く知らなかったに違いない。

あらっ。。。それでは、黙庵さんは中国人の間で有名だったのですか?

そうなのですよ。 中国では水墨画でチョー有名人である牧谿(もっけい)の「再来」とまで言われたのですよ。

マジで。。。?

だから日本では、ある時期まで黙庵さんを中国人だと思っていた人がほとんどだったと言うのです。

それはすごいことでござ~ますわ! それで、黙庵さんはどのような水墨画を描いたのでござ~ますか?

あのねぇ~、雪舟さんや黙庵さのように禅僧で絵を描く専門の人を「画僧」と呼んでいたのだれど、この人たちは元々禅の修業の一環として水墨画を描いた。 だから、何を描いてもいいと言うようなものではなかった。

。。。んで、「画僧」さんは何を描いていたのでござ~ますか?

本来、「道釈画(どうしゃくが)」を描く人を「画僧」と言ったのですよ。 “道”は道教、 “釈”は“釈迦”で、禅の思想にかかわってくる道教系の仙人と仏教系の人物を描いたのですよ。

それなのに雪舟さんはどうして風景画などを描いたのですか?

「道釈画」だけじゃつまらないので風景画を“禅の心”で描いたのですよ。

。。。んで、具体的に黙庵さんは、どのような「道釈画」を描いたのでござ~ますか?

僕が最も感銘を受けたのは次の「四睡図」ですよ。


(mokuan2.jpg)

こんなものにデンマンさんは感銘を受けたのですか?

あのねぇ~、これも誰かが模写したもので本物ではない。 でもねぇ~、本物を写真で見ると、それでも素晴らしさが心にひしひしと染み透って来るのですよ。

それで、具体的に何に感銘を受けたのでござ~ますか?

描く人の心が円満で癒されてなければ、とてもこの二人の表情を一筆では描けないと思ったのですよ。

二人の表情というのは中央の人物と、向かって左側の目を細めて薄ら笑いを浮かべている人のことですか?

その通りですよ。

薄ら笑いがそれほどにデンマンさんの心に染み込んだのでござ~ますか?

あのねぇ~、中央の人は「豊干禅師(ぶかんぜんじ)」という禅僧なのですよ。 なぜかいつも虎を連れているお坊さんです。 その両側の二人は寒山(かんざん)と拾得(じっとく)ですよ。 禅の修行をして悟りを開く、それで自由人になる。 寒山と拾得は子供のままジジーになったと言う自由人です。 この薄笑いには自由で癒されて満ち足りている様子が見える。

そうかしら。。。?

つまり、禅の修業を通して「道釈画」を描き、「道釈画」を描くことによって禅の修行をしている。 その禅の心がこの二人の表情に良~く出ているなァ~。。。そう思って僕は感動したのですよ。

じゃあ、「破墨山水図」を描いた雪舟さんは禅の修行をおろそかにしていたと、デンマンさんは言うのですか?

いや。。。雪舟さんは「道釈画」を書く境地で「破墨山水図」を描いたと思いますよ。 京都は応仁の乱で荒廃している。 世は戦国時代に向かって荒(すさ)んでゆく。 そのような不安で未来がないような時代にあって雪舟さんがどうして87歳まで水墨画を描いていられたのか?

雪舟さん自身が子供ジジーの心境にでもならない限り、87歳まで生きられなかったと。。。?

その通りですよ。。。水墨画を通して禅の心。。。無と、すべてのもからの自由をゲットしていたのですよ。 そうでなければ、僕の心に訴えるものがなかったはずです。


『癒しと水墨画』より
(2012年8月22日)

水墨画のことで卑弥子さんは僕とこうして対話したのをすっかり忘れていたのでしょう?

デンマンさんだってぇ、忘れていたのでしょう?

いや。。。僕は覚えてましたよ。 なぜなら、上のエピソードを見つけるために「黙庵 四睡図 エピソード」を入れて検索したのだから。。。

【ジューンの独り言】

ですってぇ~。。。
デンマンさんの説明もかなり無理をしているように見えますわ。

でも、「四睡図」を描いた黙庵さんが、初めは中国人ではないかと思われていたというのは面白いですよね。
おそらく中国人になりきったつもりで水墨画を一生懸命に描いていたのだと思います。
その執念のようなものが絵を見る日本人に“中国人”という印象を与えたのだと思います。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(hime003.jpg)


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

『漢字で体操ざ~ます』

『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『オバマ大統領と継体天皇』

『色男不比等』

『目の前で米軍のヘリが落ちた』

『見ちゃだめよ!』

『白い鯛焼き』

『真夜中のマリア』

『女に溺れる清盛』

『北本から見る富士』

『エロい源氏物語』

『ロマンと弥勒と阿修羅』

『冷血頼朝』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』

癒しと水墨画

2012年8月22日

癒しと水墨画

(sesshu2.jpg)

あらっ、デンマンさん。。。上のイラストの中のあたくしは水墨画の中で癒されているのでござ~♪~ますか?

その通りですよ。 卑弥子さんが平安朝の絵巻の中から出てきて雪舟の時代の山水画の中で癒されているのですよ。 うへへへへ。。。

でも、どうして急に山水画などを持ち出してきたのですか?

卑弥子さんは急に水墨画の世界にタイムスリップしたように思うかもしれないけれど、実は、僕は7月の下旬に日本美術史の本をバンクーバー図書館から借りてきて水墨画の世界にかなり浸っていたのですよ。


(lib20802c.gif)

赤枠と青枠で囲んである2冊ですか?

そうです。

デンマンさんは源氏物語の世界ではなくて水墨画の世界にハマッているのでござ~ますか?

いや。。。ハマッているというほど水墨画が好きではありません。 でもねぇ、赤枠で囲んである本をパラパラめくっていたら水墨画に出くわしたのですよ。

あたくしの背景にある水墨画は雪舟さんが書いたのでござ~ますか?

その通りです。 でも、雪舟さんの自筆のものではなくて他の人が模写したものですよ。 だけど、まるで本物のように良く描けています。

デンマンさんは、この背景になっている水墨画が気に入ったのですか?

いや。。。気に入ったというより僕の心がスウ~ッと吸い込まれてゆくようなすがすがしさを感じたのですよ。

あたくしには、なんだか落書きのように思えるのですけれど。。。おほほほほほ。。。んで、どういう所がそれほど良いのでござ~ますか?

もともと僕は幻想的なものに惹かれる感性を持っているのかもしれません。 (微笑)

マジで。。。? 上の背景の水墨画は幻想的なのですか?

あのねぇ~、雪舟さんが生きていた頃、水墨画を描くということは日本の風景ではなく中国の風景を描くことだったらしい。 上の方に霞(かす)んで見えるのは霧がかかってうっすらと見える中国の山ですよ。 なんとなく幻想的な気分が表現されていると思いませんか?

そうでしょうか?

あのねぇ~、僕が初めて水墨画を見た小学生の頃、どうしてこんな出鱈目(でたらめ)な山を書くものかと不思議に思ったというよりも呆れたものですよ。 こんな山があるはずないじゃないか! 山と言えば富士山のような山が典型的な日本の山ですからね。。。 僕が生まれ育った行田市からは、よく晴れた日には富士山が見えるのですよ。

あらっ。。。今度は富士山を背景にあたくしが癒されているのですわね。 うふふふふふ。。。でも、デンマンさんのふるさとからマジで富士山がこんなにきれいに見えるのですか?

マジですよ。 僕の実家から自転車で20分ぐらい行ったところに久下橋がある。 その橋の袂から見たのが上の写真の富士山ですよ。

あたくしも一度、デンマンさんのふるさとから富士山を見てみたいものですわ。

僕の実家の東北の方には赤木山、それに北の方には榛名山。。。どの山も裾を引いて山水画に書かれているような垂直にそそり立っているような山とは大違いですよ。 初めて水墨画に描かれている山を見たとき、とても山とは思えなかった。 こんな山があるはずがない! 下手糞な絵を描くものだと子供心に馬鹿にしていたものですよ。 でもねぇ、中国へ行って初めて水墨画で描かれているような実物の山を見た時にはビックリしましたよ。


(sesshu0.jpg)

「桂林水墨画」の世界

「百聞は一見にしかず」。。。たぶん、これは雪舟が中国へ行って実物の山を見た時に言った言葉じゃないか! そう思ったほどですよ。

あらっ。。。デンマンさんは実物の変な山を見るために中国に行ったのですか?

もちろん、山だけを見るためではありません。 上海に行ったついでに水墨画の世界に浸りたいと思って田舎に言ったのですよ。

ところで、雪舟さんも中国に行ったことがあるのですか?

あるのですよ。 本には次のような書いてあります。

雪舟は、日本の水墨画の転換期にいる。
雪舟によって「水墨画の日本化」が“始まる”、あるいは“達成された”ということになっているからだ。
雪舟は「日本的水墨画の完成者」ということになっていて、「それまでは“本場の中国の方がエラくて、日本製のものはオリジナリティーのない二流だ”と思われていたのを雪舟が覆(くつがえ)した」ということになっている。
がしかし、これは別に室町時代の評価ではなくて、ず~っとあとの近代になってからの評価である。

 (中略)

中国から日本に帰ってきた雪舟は、大内氏の山口県には行かず、大友氏のいる大分県に行く。
なにしろ当時は応仁の乱でゴタゴタしていた。
雪舟は大分県に天開図画楼(てんかいとがろう)というアトリエを開く。
大友氏の援助があったのは当然のことだろう。
天開図画楼で制作に励んだ後、しばらくの間、雪舟は日本各地を転々と旅する。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えています)


156ページ 『ひらがな日本美術氏 2』
著者: 橋本治
1997年8月25日発行
発行所: 株式会社 新潮社

遣唐使は廃止されて定期的に中国へ行くことはなくなっていたけれど、中国文化・芸術は当時ではやはり現在の“アメリカ映画”や“欧米ファッション”のようにもてはやされていた。 だから雪舟も当然、本場の水墨画に触れたいと思って当時の明国に渡ったに違いないのですよ。

。。。で、中国で絵の勉強してきたのですか?

ところが雪舟はそのつもりで中国へ行ったのだけれど、ついに素晴らしい絵の先生に恵まれなかったらしく、自分が日本で師事していた先生である周文(しゅうぶん)。 それに周文の先生である如拙(じょせつ)の絵の方が素晴らしくて、ますます日本人の二人を尊敬したと言うのですよ。

つまり、“灯台もと暗し”だったのですわね。

そうなのです。

でも、雪舟は日本各地を転々として、どうして京都に住まなかったのですか?

あのねぇ~、雪舟が生きていた頃は京都は応仁の乱で大変だったのですよ。

応仁の乱


(ounin2.jpg)

応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約10年間にわたって継続した内乱。
8代将軍足利義政の継嗣争い等複数の要因によって発生し、室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊(出家して山名宗全)らの有力守護大名が争い、九州など一部の地方を除く全国に拡大した。
乱の影響で幕府や守護大名の衰退が加速化し、戦国時代に突入するきっかけとなった。
十数年に渡る戦乱によって、主要な戦場となった京都は灰燼と化し、ほぼ全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。

応仁元年(1467年)に起きたことから応仁の乱と呼ばれるが、戦乱期間の大半は文明年間であったため応仁・文明の乱(おうにん・ぶんめいのらん)とも呼ばれる。

応仁の乱後の京都復興

応仁の乱によって京都を追われた公家や民衆は京都周辺の山科や宇治、大津、奈良、堺といった周辺都市や地方の所領などに疎開していった。
応仁の乱後の文明11年(1479年)に室町殿や内裏の造営が開始されたものの都市の荒廃による環境悪化によって疫病や火災、盗賊、一揆などの発生が頻発したこと、加えて在京していた守護大名やその家臣達(都市消費者として一定の役割を果たしていた)が領国の政情不安のために帰国したまま帰ってこなかったこともあり、京都の再建は順調とは言えなかった。
また、こうした災害を理由とした改元(長享・延徳・明応)が相次いだ。

将軍義政は、義教の死後中断していた勘合貿易を宝徳3年(1451年)に復活させた。
勘合貿易の復活や側近の守護大名及び幕府官僚の財政再建によって、応仁の乱前の幕府財政は比較的安定してはいた。
だが、義政は幕府財政を幕府の権威回復や民衆の救済にではなく、趣味の建築や庭園に費やした。
結果、応仁の乱後の京都の復興は大幅に遅れることとなった。

一方で、町衆主導によって行われたと評価されてきた明応9年(1500年)の祇園祭の再興も本来祇園祭が疫病平癒の祭りであったことを考えると、逆に当時の社会不安の反映が祇園祭再興を促したという側面も考えられる。
また、当時町衆における法華宗受容も社会不安からくる信仰心の高まりと関連づけられる。

それでも明応7年(1498年)頃より京都の住民に対する地子銭徴収が次第に増加していったこと、永正5年(1508年)以後の酒屋役徴収の強化命令が幕府から出されている事からこの時期に京都の人口回復が軌道に乗り出したと考えられ、明応9年の祇園祭の前後数年間が京都の本格的な復興期と考えられている。


出典: 「応仁の乱」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

なにしろ、応仁の乱で戦国時代が幕を開けたようなものですからね。 雪舟が生まれたのは1420(応永27)年ですよ。 明国に渡ったのが1468(応仁2)年。 つまり、応仁の乱が勃発したので、まるで逃げるようにして中国に渡ったのですよ。 中国の各地を回り、約2年間本格的な水墨画を勉強しようとした。 結局、あまりいい先生に恵まれずに1469(文明元)年に日本へ帰ってきた。

でも、応仁の乱の最中でしょう?

そうですよ。 だから、京都を離れて各地を放浪したのですよ。 周防、今の山口県や。。。、豊後、今の大分県、それに石見にまで行って水墨画を描いた。

でも、戦国時代になるから京都以外でも戦いが始まっているのではありませんか?

でも、京都はすっかり興廃してしまって、むしろ地方に行った方がいいスポンサーが居たのですよ。 冒頭の卑弥子さんの背景になっている「破墨山水図(はぼくさんすいず)」を雪舟が描いたのは1495年、雪舟が76歳の時なのです。 今の山口県で描いたのですよ。

あらっ。。。76歳になっても、まだ絵を描いていたのでござ~ますか?

そうなのです。 1501(文亀元)年にも「天橋立(あまのはしだて)」まで行って水墨画を描いていますよ。 没年は確実な記録はないのだけれど 1506(永正3)年に87歳で亡くなったと言われているのです。 どうやら死ぬまで水墨画を描き続けていたようです。

あらっ。。。87歳まで生きたのですか。。。現在でも長寿者の仲間入りができるではござ~ませんか!

そなのですよ。

それで雪舟さんが87歳まで生きられた事と水墨画が関係あるとデンマンさん言いたいのですか?

当然でしょう! 雪舟が生きていたのは騒乱の時代ですよ。 現在のように平和な時代ならば80歳を過ぎても生きている人は珍しくないけれど、今から500年ほど昔ですよ。 平均寿命はおそらく40歳から、長くても50歳ですよ。 織田信長が「人間50年。。。」という謡(うたい)を唸(うな)っていた頃ですからね。

つまり、水墨画を描くことによって雪舟さんは癒しを得られてストレスから開放され、癌にかからず戦争にも巻き込まれないで長く生きられたと言うのですか?

そうですよ。 だから雪舟さんが死ぬまで水墨画を描いていた事が何よりの証拠じゃありませんか!

でも、ちょっと信じられませんわ。

信じてくださいよ。 「信じる者は救われる」と言うじゃありませんか! (微笑)

それと、これとは違いますわ。 冗談言ってないで、その長寿の秘訣を話してくださいな。

あのねぇ~、雪舟さんより百年ほど前に黙庵(もくあん)さんという禅僧が居たのですよ。 この人は鎌倉幕府が滅亡する10年ほど前に、元の時代の中国に渡った。

禅の修業のためにでござ~ますか?

そうです。 日本に帰ってくる気持ちはあったようだけれど、結局日本には帰ってこないで、1345年に中国で亡くなったのですよ。

あらっ。。。まあ。。。じゃあ、デンマンさんと同じように異国で骨になったのでござ~♪~ますわね。

卑弥子さん!。。。んもお~~。。僕はまだバンクーバーで骨になってませんよ!

冗談ですわよ。 そのようにムキにならないでくださいな。 それで、その黙庵さんがどうだとおっしゃるのでござ~ますか?

あのねぇ~、黙庵さんよりも100年後に、明の時代に中国に渡った雪舟さんは「中国にはロクな先生はいない」と言って日本へ帰ってきたのだけれど、当時の中国人で水墨画を描く連中は雪舟さんのことなど全く知らなかったに違いない。

あらっ。。。それでは、黙庵さんは中国人の間で有名だったのですか?

そうなのですよ。 中国では水墨画でチョー有名人である牧谿(もっけい)の「再来」とまで言われたのですよ。

マジで。。。?

だから日本では、ある時期まで黙庵さんを中国人だと思っていた人がほとんどだったと言うのです。

それはすごいことでござ~ますわ! それで、黙庵さんはどのような水墨画を描いたのでござ~ますか?

あのねぇ~、雪舟さんや黙庵さのように禅僧で絵を描く専門の人を「画僧」と呼んでいたのだれど、この人たちは元々禅の修業の一環として水墨画を描いた。 だから、何を描いてもいいと言うようなものではなかった。

。。。んで、「画僧」さんは何を描いていたのでござ~ますか?

本来、「道釈画(どうしゃくが)」を描く人を「画僧」と言ったのですよ。 “道”は道教、 “釈”は“釈迦”で、禅の思想にかかわってくる道教系の仙人と仏教系の人物を描いたのですよ。

それなのに雪舟さんはどうして風景画などを描いたのですか?

「道釈画」だけじゃつまらないので風景画を“禅の心”で描いたのですよ。

。。。んで、具体的に黙庵さんは、どのような「道釈画」を描いたのでござ~ますか?

僕が最も感銘を受けたのは次の「四睡図」ですよ。


(mokuan2.jpg)

こんなものにデンマンさんは感銘を受けたのですか?

あのねぇ~、これも誰かが模写したもので本物ではない。 でもねぇ~、本物を写真で見ると、それでも素晴らしさが心にひしひしと染み透って来るのですよ。

それで、具体的に何に感銘を受けたのでござ~ますか?

描く人の心が円満で癒されてなければ、とてもこの二人の表情を一筆では描けないと思ったのですよ。

二人の表情というのは中央の人物と、向かって左側の目を細めて薄ら笑いを浮かべている人のことですか?

その通りですよ。

薄ら笑いがそれほどにデンマンさんの心に染み込んだのでござ~ますか?

あのねぇ~、中央の人は「豊干禅師(ぶかんぜんじ)」という禅僧なのですよ。 なぜかいつも虎を連れているお坊さんです。 その両側の二人は寒山(かんざん)と拾得(拾得)ですよ。 禅の修行をして悟りを開く、それで自由人になる。 寒山と拾得は子供のままジジーになったと言う自由人です。 この薄笑いには自由で癒されて満ち足りている様子が見える。

そうかしら。。。?

つまり、禅の修業を通して「道釈画」を描き、「道釈画」を描くことによって禅の修行をしている。 その禅の心がこの二人の表情に良~く出ているなァ~。。。そう思って僕は感動したのですよ。

じゃあ、「破墨山水図」を描いた雪舟さんは禅の修行をおろそかにしていたと、デンマンさんは言うのですか?

いや。。。雪舟さんは「道釈画」を書く境地で「破墨山水図」を描いたと思いますよ。 京都は応仁の乱で荒廃している。 世は戦国時代に向かって荒(すさ)んでゆく。 そのような不安で未来がないような時代にあって雪舟さんがどうして87歳まで水墨画を描いていられたのか?

雪舟さん自身が子供ジジーの心境にでもならない限り、87歳まで生きられなかったと。。。?

その通りですよ。。。水墨画を通して禅の心。。。無と、すべてのもからの自由をゲットしていたのですよ。 そうでなければ、僕の心に訴えるものがなかったはずです。

【ジューンの独り言】

ですってぇ~。。。
あなたは上の「破墨山水図」と「四睡図」を見て感銘を受けましたか?
どちらも模写だそうですから、やはり本物の迫力はなさそうですよね。

感銘を受けなかったからといって、あなたに美的感性が無いと思って、がっかりしないでくださいね。
でも、時間があったらぜひ本物を見てください。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてください。


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』