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布袋さんに惹かれて

2017年1月30日

 

布袋さんに惹かれて

 


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デンマンさんは布袋さんに惹かれているのでござ~♪~ますか?


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。。。ん? 僕が布袋さんに惹かれていると卑弥子さんは思うのですか?

だってぇ~、タイトルに そう書いてあるではござ~ませんかァ!

確かに、タイトルには そう書いてあります。。。 でもねぇ~、僕が特に布袋さんに惹かれたわけではないのですよ。。。

じゃあ、どなたが布袋さんに惹かれたのでござ~ますかァ~?

山形市にお住まいの保定たい子さんが布袋さんに惹かれているのですよ。。。

マジで。。。?

僕が嘘をついていると卑弥子さんは思っているのですか?

だってぇ~、急に山形市にお住まいの保定たい子さんを持ち出してこられても、すぐには信じられませんわァ~。。。

分かりましたァ。。。 だったら、まず次のリストを見てください。


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『拡大する』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の1月27日の日本時間で午後7時22分から午後8時6分までの「生ログ」ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。

あらっ。。。 1月27日の午後7時22分にGOOGLEで検索して『布袋さんの魅力』を読んだのですわねぇ~。。。

そうです。。。 次の記事を読んだのですよ。。。


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『布袋さんの魅力』

ちなみに「布袋さんの魅力」と入れてGOOGLEで検索すると次のような結果になるのですよ。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 393,000件もヒットするのでござ~ますわねぇ~。。。

トップから5番目に「徒然ブログ」に掲載した『布袋さんの魅力』が出てきます。

でも、どういうわけで山形市にお住まいの保定たい子さんが上の記事を読んだと判るのでござ~ますか?

簡単なことですよ。。。 IPアドレスを調べたのです。。。


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『拡大する』

でも、個人情報を保護するために アクセス者の名前までは調べられないのですわァ~。。。

だけど、僕には判るのですよ。。。

それは、どういうわけで。。。?

僕の第6感です。。。

信じられませんわ。。。

とにかく、保定たい子さんは次の小文を読んだのですよ。。。

布袋(ほてい)


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布袋は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧。
水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。
日本では七福神の一柱として信仰されている。

本来の名は釈契此(しゃくかいし)であるが、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられた。
四明県の出身という説もあるが、出身地も俗姓も不明である。
図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。
また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという。
なお、布袋が背負っているこの袋は堪忍袋ともいわれる。

雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかった、あるいは人の吉凶を言い当てたなどという類の逸話が伝えられる。
彼が残した偈文に「弥勒真弥勒、世人は皆な識らず、云々」という句があったことから、実は布袋は弥勒の垂迹、つまり化身なのだという伝聞が広まったという。

その最期についても不思議な逸話が伝えられており、仙人の尸解に類している。
天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたというのである。
その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある。

なお、布袋を禅僧と見る向きもあるが、これは後世の付会である。
10世紀後半に記された『宋高僧伝』巻21「感通篇」に立てられた「唐明州奉化県釈契此」(布袋)の伝には、彼と禅との関係について一切触れていない。
布袋と禅宗の関係が見られるのは、時代が下がって11世紀初頭、『景徳傳燈録』巻27に「禅門達者雖不出世有名於時者」として、梁の宝誌や、天台智顗、寒山拾得らの異僧・高僧たちと共に、「明州布袋和尚」として立伝される頃からのことである。


出典: 「布袋」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そもそもデンマンさんは布袋さんの生き方に共感しているのでござ~ますか?

そうです。。。 布袋さんのように生きられたらすばらしいと思っています。

だったら、デンマンさんがいいなと思う布袋さんの生き方は、“インテリ乞食”の辞世の歌に込められた生き方に近いのではござ~ませんか?

。。。ん? “インテリ乞食”の辞世の歌?

次のエピソードの乞食が残した歌ですわよう。
     

嘉永五(1852)年の世相トピックス

 

インテリ乞食の最後

 

江戸の山下御門外をかせぎ場にしていた乞食の六助が死んだ。

朋輩の易者が悔みにたずねたところ、六助が使っていた茶碗の底に、辞世の歌が書いてあるのを発見した。

さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判になった。


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赤字はデンマンが強調。)


772 ページ 『読める年表・日本史』
2012年7月21日 改訂11版第1刷発行
発行所: 株式会社 自由国民社

デンマンさんも忘れてはいないでしょう?

忘れかけていました。。。 でも、思い出しましたよ。。。 確か、3年ほど前に投稿した『遊女と三つ子』という記事の中に出てくるのですよ。。。

あたくしは上の辞世の句を次のように解釈したのですわ。

一鉢千家飯 孤身幾度秋 

不空遂不色 無楽又無憂

冬暖草園裡 夏涼橋下流

若人間此六 明月水中浮



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おもらい用のドンブリに千軒の家からご飯をもらって 一人で食べた食欲の秋が何度もありましたわ。

ドンブリが空になるまで思う存分いただきました。 色気のことなど、ちっとも考えてみませんでしたわ。

楽しければよいのです。 憂いなんて要りません。

冬は暖かい草の上に寝て、夏は橋の下で涼みます。

人間は若い内が花ですよ。

だから、明日はウキウキしながら水の中に飛び込んで、楽しく浮いて泳ごうと思いますわ。


『遊女と三つ子』より
(2013年9月5日)

あたくしは、このように現代語に訳したのでござ~ますわ。

うん、うん、うん。。。 はっきりと覚えてますよ。

だったら、布袋さんの生き方は、あたくしが解釈したような生き方に近いのではござ~ませんか?

もちろん、卑弥子さんのように解釈することもできると思いますよ。 いかにも卑弥子さんらしい人生観に基づいて現代語に訳しています。 でもねぇ~、“現代語訳”と言うよりも“現代誤訳”になっていると思うのですよ。

あらっ。。。 どこか間違っているのでしょうか?

京都の女子大学で腐女子の皆さんに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授に向かって失礼かとは思うけれど、上の現代語訳は卑弥子さんの人生観に基づいての個人的な解釈で、上のように解釈すると、さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判にならないと思うのですよ。

そうかしら。。。? どこがいけないのかしら。。。?

あのねぇ~。。。 解釈全体が、楽観的、享楽的すぎるのですよ。 これでは乞食の六助さんがルンルン気分で死んだことになって、どう考えてもさだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判にならないです。

そうかしら。。。?

僕は思うのだけれど、この漢詩には“布袋さんの心”が読まれていると思うのですよ。

“布袋さんの心”でござ~ますか? 

そうです。 さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判になったということは、六助さんは乞食でありながらも中国の歴史や中国文学にも詳しかった。 そういう古典の素養を基にして上の辞世の漢詩を詠んだということだと思うのですよ。

あたくしのように解釈してはいけませんか?

いや。。。 卑弥子さんのように解釈してもいいですよ。 でもねぇ~、京都の女子大学で腐女子の皆さんに教える時には、卑弥子さんの極めて個人的な解釈では駄目だと思うのですよ。

じゃあ、デンマンさんはどのように現在語訳したのでござ~ますか?

次のように訳してみました。

布袋さんのように施しを受けがら孤独の生活を何十年と続けてきた。

施しが無ければ食わずに居ることもある。

特に楽しみと言うほどのことも無い代わりに、これと言って憂いも無い。

冬は暖かい干し草の上にでも寝て、夏は橋の下の流れで涼む。

そのような生活のどこがいいのか?ともし、誰かがこの六助に問うならば、きれいなお月さんが池に映って浮かんでいるような気持ちで生きているだけです、と答えようか。。。?


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『遊女と三つ子』より
(2013年9月5日)

あたくしの現代語訳とそれほど変わらないと思うのですけれど。。。

うん、うん、うん。。。 確かに、大きな違いがあるわけじゃないかもしれません。 結局、見解の相違でしょうね。 僕にとって、卑弥子さんの解釈は、極めて楽観的、享楽的すぎると思う。 布袋さんは卑弥子さんほどルンルン気分ではいなかったと思うのですよ。 でもねぇ~、卑弥子さんの解釈が間違っているとは言いませんよ。

でも、駄目だと言ったじゃござ~ませんか!

それは僕の言いすぎでした。 卑弥子さんのような解釈の生き方もありだと思います。 自由主義・民主主義の世の中ですからね。。。 この記事を読んでいる人の考え方にも いろいろあると思うのですよ。

つまり、布袋さんの魅力は一つとは限らない。。。 人によってそれぞれ見解の相違がある。。。 デンマンさんはそのように言うためにこの記事を書き始めたのでござ~ますか?

いや。。。 実は、布袋さんを描いた狩野洞白愛信に興味を持ったのですよ。


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この布袋さんの絵が実にいい。。。 僕は惚れ惚れとして眺めながら、一体いつ頃の人なのだろうか? そう思いながら、この画家に興味を持ったというわけです。 それに、僕にとって“狩野洞白愛信”とは初めて耳にする名前だったのですよ。 だから、僕は初め“どうはくあいしん”と読んだ。 本当はどのように読むのだろうか? それで、ネットで調べてみたら、“とうはくちかのぶ”と読んでいるページに出会った。


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こうして検索結果を見ると日本よりも中国やイギリスの方で有名なようですよ。

そうですわね。 確かに、1ページ目には中国語と大英博物館のページが出てきますわね。

日本語の“読み”が出てくるのは2ページ目です。 赤枠で囲んだページです。

それで、そのまま“とうはくちかのぶ”という読み仮名を書き入れたのでござ~ますか?

その通りです。 ところが、僕は『狩野派決定版』という本で、この「狩野洞白愛信」という人物を調べてみたのですよ。


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残念ながら、この人の描いた絵は一枚も紹介されてない。 でも、巻末に「狩野派系図」があった。 その中に「狩野洞白愛信」(1772-1821)の名前があったのですよ。 しかし、『ウィキペディア』には「狩野洞白愛信」も、「狩野愛信」も、「狩野洞白」という項目もない。 かろうじて「狩野洞白」を入れて検索すると次のような項目が引っかかった。


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山本昇雲(1870-1965)も河鍋暁斎(1831-1889)も画家で、二人とも狩野洞白の弟子となっている。

でも、弟子にしては時代が違いすぎるではありませんか!

そうなのですよ。 「狩野洞白愛信」(1772-1821)はとっくの昔に死んでいるのです。 それで、「狩野派系図」をよく見たら、「狩野洞白」というのは二人居るのですよ。 狩野洞白愛信(1772-1821)の弟子が 狩野洞益春信(1772-1821)で、その弟子が 狩野洞白陳信(?-1851)。 洞白陳信(とうはくちんしん)の弟子が狩野洞春陽信(とうしゅんようしん)と河鍋暁斎(かわなべきょうさい)と書いてある。 系図には山本昇雲(しょううん)の名は出てない。

。。。で、系図によると「洞白愛信」は何と読むのでござ~ますか?

“とうはくなかのぶ”と書いてありました。

あらっ。。。 “愛”が“ちか”なのか? それとも“なか”なのか? どちらが正しいのでしょうか?

本人に聞いてみるしかないでしょうね。 でも、1821年に亡くなっていますからね。 訊くことはできないですよ。

。。。で 「南原宏治」は画家ではないのでござ~ますか?

南原宏治(1927-2001)は俳優ですよ。 苦(にが)みばしった いい役者でしたよ。 1971年公開の『闇の中の魑魅魍魎(ちみもうりょう)』という映画で狩野洞白を演じているのです。


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『闇の中の魑魅魍魎』 (切腹シーン)

幕末の土佐を舞台に、異色絵師・金蔵の生き様を描いた映画で、出てくるのは狩野洞白愛信じゃなくて、1851年に亡くなった狩野洞白陳信の方なのですよ。

要するに「狩野洞白愛信」は、あまり有名ではないのですわね。

そうらしい。。。 でもねぇ~、布袋さんの絵を見たとき、僕は素晴らしい画家だと思いましたよ。 僕が気に入った一枚です。

。。。んで、山形市にお住まいの保定たい子さんは、どうなりました?

どうなりましたってぇ、今でも山形市に住んでいますよ。。。

そういうことじゃなく、どういうわけで保定たい子さんが『布袋さんの魅力』を読んだと判ったのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、保定たい子さんが次のようなコメントを書いてくれたのですよ。。。

 

 

布袋さんの絵を見ると 大きな袋を背負い

たいてい幸せそうな丸顔が笑っていて、

しかも栄養満点というか

大きな太鼓腹を突き出して

世の中には苦労などないという表情を

浮かべています。

 
  
それで、いつも不思議に思うのですけれど、

布袋さんはどこで生まれて育ったのだろうか?

あのような幸福な人相は

どのようにしてうまれるのだろうか?

そう思いながらネットで検索していたら、

このページにたどり着きました。

 
  
出身地も俗姓も不明なのですね。

常に袋を背負っていたことから

布袋という俗称がついたのだそうですが、

たぶん袋には“幸せの味の素”が

たくさん入っているのでしょう!?

興味深い絵に誘われて

最後まで読んでしまいました。

ありがとうございました。

 

Posted by 保定 たい子

at 2017年01月28日 10:12


『布袋さんの魅力』のコメント欄より
(2013年09月10日)

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あらっ。。。保定たい子さんは、おきれいな方なのですわねぇ~。。。 でも、どこかで見かけたような気がいたしますわァ~。。。

それは卑弥子さんの気のせいですよ。。。

そうかしら。。。?

とにかく、確かな証拠を見て卑弥子さんも満足したでしょう!? だから、卑弥子さんも布袋さんのようにニコニコしてルンルン気分で暮らしてくださいねぇ~。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あたくしも布袋さんのように いつも笑顔で楽しく暮らしたいと思うのでござ~ますわァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。

つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。

“寅さん”のような人でもいいですわ。

旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。

あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいね。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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なぜ今アルチンボルド

2014年11月12日

 

なぜ今アルチンボルド

 


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アルチンボルドという名前を知ってますか?

たぶん知っているでしょう。

でも、なかには 人物の名前だと知らずに、“アルチンボルド”というのは、いったいどういうことなのか?

奇妙なカタカナに興味を惹かれて、あなたは この記事を読み始めたのかもしれません。

上の奇妙な絵と、その下に表示された やせた男の画像に “ARCIMBOLDO”と書いてあるので、どうやらアルチンボルドとは、上の絵を描いた画家の名前だということがお分かりいただけるでしょう。

じゃあ、どうして僕は この画家を取り上げたのか? 

実は、次のアクセス解析の記録を見たからです。


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これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の11月1日から11日までの 「リンク元URL」の記録です。

リストの1番から4番までは、どの来訪者も GOOGLE で検索して『徒然ブログ』にやって来たのです。

最近は高齢化が進んでいるので、病院通いをする老人が増えているのでしょう。 悪い評判の病院は避けたいものです。 だから次の記事を読むのはよく分かります。


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『実際の記事』

“宮沢りえ”さんが話題の次の記事が読まれているのも 納得できます。


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『実際の記事』

“宮沢りえ”さんは 何かと話題を振りまいてきた女優さんだからです。 6番の『肥後ずいきと龍之介』が読まれるのもよく分かるのです。


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『実際の記事』

上の記事が読まれるのは、“肥後ずいき”も“芥川龍之介”も かなりの人に知れ渡っているからです。 でも、『アルチンボルドと伊藤若冲』は、ミーちゃん、ハーちゃんには縁遠い人だと思えるのですよね。

このように言うと“ミーちゃん、ハーちゃん”ってぇ、どういう人たちのことを言うのォ~?。。。と突っ込みを入れてくる人がいるかもしれません。 どうか、あまり深刻に考えないでください。 その辺でコスプレにハマッている姉ちゃんや、兄ちゃんのことだと軽く考えておいてください。


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このように その辺でコスプレにハマッている姉ちゃんや、兄ちゃんは アルチンボルドや伊藤若冲の名前を知らないと思うのですよ。。。 これは、僕の偏見でしょうか?

とにかく、あまり深く考えないでください。 いずれにしても、アルチンボルドや伊藤若冲が アイドル歌手や人気のAV女優ほどには知れ渡っていないと思うのです。 

では、なぜ、“ミーちゃん、ハーちゃん”に知られていないはずのアルチンボルドや伊藤若冲が注目を集めるのでしょうか?


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『実際の記事』

そもそもアルチンボルドとは どんな人物だったのでしょうか?

『ウィキペディア(Wikipedia)』に簡略な人物紹介記事があるので、それをここに書き出します。

ジュゼッペ・アルチンボルド

Giuseppe Arcimboldo

(1527年 – 1593年7月11日)

イタリア・ミラノ出身の画家。マニエリスムを代表する画家の1人とされる。
静物画のように緻密に描かれた果物、野菜、動植物、本などを寄せ集めた、珍奇な肖像画の製作で世に知られる。

アルチンボルドは1527年にミラノで画家の息子として生まれた。
1549年よりステンドグラスのデザインを始め、ミラノのドゥオーモに作品を残した。
1556年、Giuseppe Medaと共にモンツァ大聖堂のフレスコ画を制作する。
1558年には聖母マリアを描いたタペストリーのデザインを手がけたが、そのタペストリーは未だにコモ大聖堂に飾られている。

1562年、アルチンボルドはウィーンにて フェルディナント1世の宮廷画家となり、後にその息子の マクシミリアン2世や孫にあたるルドルフ2世にも仕えた。
アルチンボルドは画家としてだけでなく、宮廷の装飾や衣装のデザインも手がけた。
また、祝典や馬場槍試合の企画、水力技師などで非凡な才能を発揮した。
ハープシコードのような楽器、噴水、廻転木馬等も発明した。

アルチンボルドが描いた伝統的な宗教画は現在では忘れ去られてしまっているが、
野菜や果物、木の根といったもので構成された独特の肖像画は、
現在でも多くの人を魅了し続けている。

ある評論家達は、こういった作品は気まぐれで描かれたものか、それとも精神の錯乱から来ているものなのか議論している。
しかし多くの学者たちは、アルチンボルドの作風は謎やパズル、風変わりなものに魅了されていたルネッサンス期を反映しているもので、
彼が精神的に不均衡であった訳ではないという見方をしている。

1593年、アルチンボルドはウィーンでの公務を引退した後、故郷のミラノで死去した(死因は腎結石)。
死の少し前に『フローラ』、『ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世』といった傑作を完成させ、プラハに送っている。
ルドルフ2世はこの風変わりな肖像画を大変気に入り、アルチンボルドに高い地位を与えた。

1648年にスウェーデンがプラハを侵略した際、ルドルフ2世のコレクションから多くの作品が持ち去られた。

アルチンボルドの作品はウィーンの美術史美術館、インスブルックの Ambras Castle (ルドルフ2世のその他のコレクションも所蔵)、
パリのルーヴル美術館、スウェーデンのいくつかの美術館に所蔵されている。
その他、イタリアではフィレンツェのウフィツィ美術館、クレモナ市立美術館、アメリカではコネティカットのワズワース・アテニウム、デンバー美術館などにある。
日本にある作品としては、『ウェイター』(なにわの海の時空館所蔵、大阪市立近代美術館建設準備室寄託)が挙げられる。


出典: 「ジュゼッペ・アルチンボルド」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アルチンボルドの自画像を見てもよくわかることですが、見るからに真面目そうで律儀そうな宮廷画家です。
なんと3代の皇帝に仕えたのでした。
儀式、儀礼だとか「仕来(しきた)り」だとか、とにかく堅苦しい息も詰まりそうな宮廷にあって、3代の皇帝に仕えていたら、もうノイローゼになるか過労死にもなってしまいそうです。
あなたも、そう思いませんか?


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だから上の絵を描きながら 自分なりに「ガスぬき」をしていたのだと僕は思うのですよ。
それがアルチンボルドの野菜と果物を使った「寄せ絵」になったと思うのです。

ちなみに 歌川国芳(1798ー1861)の「寄せ絵」を見てください。


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見れば見るほどにユーモラスで面白い。
そう思いませんか?

ジュゼッペ・アルチンボルドの絵から影響されたのではないか!?
そのように言う美術史家もいますが、国芳以前から日本には「寄せ絵」の伝統はありました。
もし、国芳がアルチンボルドの絵を見ていたとするなら、多分同じように野菜や果物を使って「寄せ絵」を描いていたと思うのです。

国芳(1798ー1861)が暮らしていた江戸時代の後期には、身の回りの様々なものを組み合わせた作りものを公開する細工見世物が流行(はや)りました。
竹の篭目を編んで人物や動物を作り上げ、その大きさは時には高さ20メートルにも及んだという駕籠細工などの見世物が催されたのです。
国芳はこうした見世物からアイデアを思いついたとしても不思議ではありません。
おそらく、上の「寄せ絵」は国芳独自の発想だと思います。

ところで、もし、野菜と果物を使った「寄せ絵」ではなく、国芳が描いたような「寄せ絵」を皇帝に献上していたらアルチンボルドの首は飛んだかもしれません。
でも、野菜と果物を使った「寄せ絵」だったので皇帝もユーモアを感じて面白いと思ったのでしょう。

では、伊藤若冲とは いったいどのような人物だったのか?
『ウィキペディア(Wikipedia)』に簡略な人物紹介記事があるので、抜粋して ここに書き出します。

伊藤若冲


 
(1716年3月1日 – 1800年10月27日)

伊藤若冲は、近世日本の画家の一人。
江戸時代中期の京にて活躍した絵師。
名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。
初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事があるが、その使用例は見出されていない。
斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)とも号す。

写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として曾我蕭白、長沢芦雪と並び称せられる。

伊藤若冲は 正徳6年(1716年)、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」(家名と併せて通称「枡源(ますげん)」)の長男として生を受ける。
問屋の仕事は小売ではなく、生産者や仲買・小売の商人に場所を提供して販売させ、彼らの関係を調整しつつ売場の使用料を徴収する流通業者である。
桝屋は多数の商人を管轄していたらしく、商人たちから場所代を取れば十分な利益を上げることが出来たという。
23歳のとき、父・源左衛門の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名する。

「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常から与えられたと推定される居士号であり、『老子』45章の「大盈若沖(冲は沖の俗字)」から採られた。
意味は「大いに充実しているものは、空っぽのようにみえる」である。

大典の書き遺した記録「藤景和画記」(『小雲棲稿』巻八)によると、若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。
商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。

齢40となった宝暦5年(1755年)には、家督を3歳下の弟・白歳(宗巌)に譲り、名も「茂右衛門」と改め、はやばやと隠居する。
(当時、40歳は「初老」であった)。

宝暦8年(1758年)頃から「動植綵絵」を描き始め、翌年10月、鹿苑寺大書院障壁画を制作、明和元年(1764年)には金刀比羅宮奥書院襖絵を描く。

若冲は85歳の長寿を全うするまでに多くの名作を残したが、晩年、石峯寺の五百羅漢石像(通称:若冲五百羅漢。cf.)や天井画などの制作に力を注ぎ、
没後、同寺に葬られた。
のちに枡源7代目の清房が、若冲の遺言に従い、墓の横に筆形の石碑を立て、貫名海屋が碑文を書いている。
伊藤家は幕末の頃に没落し、慶応3年(1867年)、家屋敷を売り渡して大阪へ去った。

再評価

生前の若冲は、『平安人物志』の上位に掲載されるほどの人気と知名度を持っていたが、明治以降一般には忘れられがちな時期もあった。
しかし、大正15年(昭和元年、1926年)、秋山光夫によって本格的な研究が着手され、
昭和45年(1970年)に辻惟雄の『奇想の系譜』が出版されて以来注目を浴びるようになった。
1990年代後半以降その超絶した技巧や奇抜な構成などが再評価され、
特に、アメリカ人収集家ジョー・プライスのコレクションにより飛躍的にその知名度と人気を高めている。


出典: 「伊藤若冲」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上の略歴をちょっと読むだけでも、伊藤若冲は当時としては ちょっと型破りな人物であったことがわかります。
彼は次のような絵を残しています。


(ito002.jpg)

これは「野菜涅槃図」と呼ばれるものです。
「涅槃図」というのは、もともとお釈迦様が亡くなられる様子を書いたものなのです。


(nehan02.jpg)

この絵からも解るように決してユーモアやふざけた気持ちで描く絵ではありません。
それを敢(あ)えて野菜を使って伊藤若冲は「涅槃図」を描いています。

大根をお釈迦様に見立て、その大根が亡くなるのを見守るように他の野菜たちが大根を囲んでいる絵です。
「涅槃図」がどのようなものなのか?
それを知っていれば、「野菜涅槃図」はユーモラスで可笑し味のある絵です。

では、伊藤若冲はどうして「野菜涅槃図」を描いたのか?

「美の巨人たち」には次のように書いてあります。

若冲がある画題に愛情を覚え始めるのは、60を過ぎてからのことです。
それが野菜でした。
ちょっと不思議な絵を描いたのです。
「野菜涅槃図」という題がつけられています。
かつて青物問屋の主だった男は、野菜の中にいったい何を見つめていたのでしょうか?

涅槃図は釈迦の入滅の模様を描いた絵です。
悟りを開いた釈迦は、沙羅双樹の下で穏やかに体を横たえ、その生涯を終えました。
周囲には、釈迦の十大弟子や菩薩たちが、支えを失ったように悲しみに暮れています。
若冲は、その涅槃図を野菜で描きました。
その心は……、「野菜愛」。

豊作を祝う京都北野天満宮のずいき祭。
担ぐ神輿は野菜で作られています。
京都は独特の野菜文化を育んできた都です。
その中心に(若冲が生まれ育った)錦小路がありました。

江戸時代、京都周辺のみならず、遠くは中国から実にさまざまな野菜が集まってきました。
若冲は、その錦小路で生まれ育った人です。
商いは苦手でしたが、野菜には人一倍の愛着があったのかもしれません。

「野菜涅槃図」には、実に多くの野菜や果物が描かれています。
お釈迦様に見立てたのは大根です。
沙羅双樹の木は、トウモロコシの茎です。
ライチやランブータンという中国から輸入された珍しい果物もあります。
その数は66種類。
若冲は、この絵にどんな思いを込めたのでしょうか?

(デンマン注: 読み易くするために改行を加えています。
赤字はデンマンが強調)


58-59ページ
『小林薫と訪れる「美の巨人たち」』
編者: テレビ東京
2005年1月28日 1版2刷発行
発行所: 日本経済新聞社

ところで、話は急に変わりますが、最近 次のようなニュースを見て、あなたは驚いたことだと思います。

ステーキ店長過労自殺

パワハラ、半年で休日2日だけ

産経新聞 2014年11月5日(水)7時55分配信


(karo03.gif)

「ばかだな」「使えねえ」。
24歳で自ら命を絶った男性は、上司による職場での暴言に加え、しゃもじで殴られるなどの暴行も受けていた。
また、自殺直近の半年間での休日はわずか2日だけ。
裁判所は、度を越した労働環境が、男性を追い込んだと認定した。

さらに社長が出席する本部での朝礼でも、この上司はパワハラを行ったことがあり、裁判所は「会社側はパワハラや長時間労働を認識できた」との立場だ。

いじめは時間外にも及んだ。
貴重な休日には上司から、「ソースを買ってこい」などと命じられることもしばしばあった。
裁判所も判決で「日常的使い走り」と指摘している。
さらに、仕事後には渋る本人を釣りやカラオケに付き合わせるなど、上司は日常的に負荷をかけ続けた。
こうした悪質性が、過失相殺の判断に影響を与えたとみられる。


出典:『Yahoo! ニュース』より

こういう悲惨なニュースが日本のテレビで流れていましたよ。
行田市に帰省中に 僕もこのニュースを見て驚かされました。

ところで、伊藤若冲は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。
商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。
齢40となった宝暦5年(1755年)には、家督を3歳下の弟・白歳(宗巌)に譲り、名も「茂右衛門」と改め、はやばやと隠居する。

つまり、伊藤若冲という人は、世間体だとか、常識だとかにとらわれず、人生とは何か?
これからどのように生きてゆくべきか?

そういう事をじっくりと考えて実践していた人だったのですね!

ジュゼッペ・アルチンボルドも、宮廷画家という堅苦しい雰囲気の中に居ながら、「癒し」に浸(ひた)ることを忘れなかったようです。

1562年、アルチンボルドはウィーンにて フェルディナント1世の宮廷画家となり、後にその息子の マクシミリアン2世や孫にあたるルドルフ2世にも仕えました。
当時としては長生きした方です。

アルチンボルドは画家としてだけでなく、宮廷の装飾や衣装のデザインも手がけた。
また、祝典や馬場槍試合の企画、水力技師などで非凡な才能を発揮した。
ハープシコードのような楽器、噴水、廻転木馬等も発明した。

アルチンボルドが描いた伝統的な宗教画は現在では忘れ去られてしまっているが、
野菜や果物、木の根といったもので構成された独特の肖像画は、
現在でも多くの人を魅了し続けている。

つまり、長生きして 後世に価値のある作品を残せる人というのは、世間体だとか、常識だとかにとらわれず、人生とは何か?
これからどのように生きてゆくべきか?
そのような事をじっくりと考えているようですね。

そういう訳で、「徒然ブログ」で『アルチンボルドと伊藤若冲』を読んだ人も 世間体だとか、常識だとかにとらわれず、人生とは何か?
これからどのように生きてゆくべきか?
そのような事をじっくりと考えていたのですよ。

そして、あなたも、今、世間体だとか、常識だとかにとらわれず、人生とは何か?
これからどのように生きてゆくべきか?
そのような事をじっくりと考え始めているのですよねぇ~。。。

そうでしょう!?


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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

そうですよねぇ~。。。
高齢化社会になっている日本でござ~♪~ますわ。

人生とは何か?
これからどのように生きてゆくべきか?
そのような事を あなたも じっくりと考えてくださいまし。。。

ところで、デンマンさんの個人的な面白い記事は次のリンクをクリックして読んでみてくださいまし。

『日本女性の愛と美の原点』

『日本女性の愛と情念の原点』

『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』

『女の楽園とデンマン』

『テレサテンと叔母』

『母上様@行田』

『母上様@行田 (再度)』

『病院の悪い評判』

『どっちが親切?』

『アルチンボルドと伊藤若冲』

『小百合さんの香り』

『虹のかなたに』

『病院を批判する意味ある?』

『愚かな医者の卵』

『虹のかなたの奇跡』

『結婚できない医者の卵』

『院長の愚かなムスコ』

『医者の卵と評判』

『奇跡の回復』

『愛の奇跡』

『かしこの母上様』

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。

どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。

じゃあ、またねぇ。。。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事



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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


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『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』


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『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『天智天皇は暗殺された』
(2003年7月14日)

『アナクロニズム(2011年3月27日)』


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こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)


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ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。


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『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ


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かわゆらしそう

2012年12月31日

 
 
かわゆらしそう
 


(muma07.jpg)

デンマンさん。。。 あんさんは浮世絵などを持ち出してきて何をしようとしやはるのォ~?

めれちゃん。。。 上の浮世絵をじっくりと見てみィ~なァ。

母親が赤ちゃんをいかにも愛(いと)おしそうに抱っこしてはりますやん。

そうやァ。。。 右上の隅を見て欲しいねん。

何やらぼんやりとしてよう分からへんわ。

次のように書いてあるねん。


(muma07b.gif)

「かわゆらしさう」と書いてありますやん。 それで、あんさんは「かわゆらしそう」というタイトルにしやはってんなァ。

そうやァ。。。 旧仮名遣いで書くと「かわゆらしそう」は「かわゆらしさう」と書くねん。

現代仮名遣いでは「かわいらしそう」と書くのとちゃうのォ~?

わても、実は、そう思ったのやがなァ。 「内室」とは身分の高い奥さんのことをそう呼ぶねん。 つまり、身分の高い母親が赤ん坊を可愛くてたまらんようにして抱っこしているのが上の浮世絵やがなァ~。

どないなわけで上の浮世絵には「かわゆらしさう」と書いてあるん?

あのなァ~、上の浮世絵を描いたんは月岡芳年という人やねん。

月岡 芳年(つきおか よしとし)


(muma09.jpg)

生年: 1839年4月30日(天保10年3月17日)
没年: 1892年(明治25年)6月9日

日本の画家。幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師である。
姓は吉岡(よしおか)、のちに月岡。本名は米次郎(よねじろう)。
画号は、一魁斎芳年(いっかいさい よしとし)、魁斎(かいさい)、玉桜楼(ぎょくおうろう)、咀華亭(そかてい)、子英、そして最後に大蘇芳年(たいそ よしとし)を用いた。

河鍋暁斎、落合芳幾、歌川芳藤らは歌川国芳に師事した兄弟弟子の関係にあり、特に落合芳幾は競作もした好敵手であった。
また、多くの浮世絵師や日本画家とその他の画家が、芳年門下もしくは彼の画系に名を連ねている。

歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がけ、各分野において独特の画風を見せる絵師である。
多数の作品があるなかで決して多いとは言えない点数でありながら、衝撃的な無惨絵の描き手としても知られ、「血まみれ芳年」の二つ名でも呼ばれる。
浮世絵が需要を失いつつある時代にあって最も成功した浮世絵師であり、門下からは日本画や洋画で活躍する画家を多く輩出した芳年は、「最後の浮世絵師」と評価されることもある。

昭和時代などは、陰惨な場面を好んで描く絵師というイメージが勝って一般的人気(専門家の評価とは別)の振るわないところがあったが、その後、画業全般が広く知られるようになるに連れて、一般にも再評価される絵師の一人となっている。


出典: 「月岡芳年」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師やのね。

そうやァ。。。 そやから当然、旧仮名遣いで説明が書いてあるというわけやァ。

。。。んで、どないなわけで、あんさんは「かわゆらしそう」を取り上げはったん?

現在生きている日本人は「かわいらしそう」と言う人がほとんどやと思うねん。

そうですう。 「かわゆらしそう」なんて言う人はまずおまへん。

そうやろう?。。。 そやから、幕末から明治前期にかけて生きていた日本人は、どないなわけで「かわゆらしそう」と言うたのか気になったのやがなァ。

それで、こうして記事に取りあげはったん?

あきませんか?

かめへんけど、あんさんはその理由を突き止めはったん?

そうやァ。

もったいぶらないで教えてくれへん。

あのなァ~、天照大神と関係あるねん。

てんしょうだいじんって何。。。?

めれちゃん、笑ってもらおうとして、そないに無理して読まんでもええねん。 わてのブログを読みはる人は、ほとんどすべての人が「あまてらすおおみかみ」と読むことを知っておるねん。

。。。んで、その神さんがどないしやはったん?

あのなァ~、わては、たまたまバンクーバー図書館から『平家物語』を借りて読んだのやがなァ。


(lib21228.gif)

(■『女に溺れる清盛』より)

そう言えば『女に溺れる清盛』の記事の中で、そないな事を書いてましたなァ。。。で、『平家物語』にどないな事が書いてありましてん?

ここに書き出すよってに、めれちゃんも読んでみィ~なァ。


(amate03.jpg)

ところで内侍所(ないしどころ)の神鏡というのは、むかし天照大神が天岩戸に閉じこもろうとなされた節、どうぞして自分の姿かたちを写しておき、子孫に見せてやりたいという御心から、御鏡を鋳造された。
最初のものは気にいらないというので、さらに二つめの物を造りかえられた。
最初にできた御鏡は、紀伊国日前(きいのくにひのまえ)、国懸(くにかかす: 和歌山市秋口)の社(やしろ)にまつられた。
二番目の御鏡を、御子(みこ)の天忍穂耳尊(あまのにいほみのみこと)に授けられ、「同じ御殿のうちに置きなさい」と仰(おお)せられた。

さて天照大神が天岩戸に閉じこもられ、天下がくら闇となったので、八百万代(やおよろずよ)の神々がより集まり、岩戸の口で御神楽(みかぐら)を奏したところ、天照大神が感心され、岩戸を細めにひらいて見物なされた時、神々の顔が互いにほの白く見えたことからして、面白いという言葉がはじまったと聞いている。


(uzume07.jpg)

(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


187ページ 『平家物語(下)』
2004年10月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社

『平家物語』は鎌倉時代に書かれましたのやろう?

そうやァ。

。。。つうことわァ~、鎌倉時代にも天照大神の天岩戸(あまのいわと)伝説は広く知られておりましたのやねぇ?

そういうことになるなァ~。。。 そやけど、不思議なことに天宇受売命(あめのうずめのみこと)が出てきよらん。 天下がくら闇となったので、八百万代(やおよろずよ)の神々がより集まり、その時、人気者の天宇受売命がやって来たのやがなァ。 天の香久山のひかげのかづらをたすきにかけ、まさきのかづらを髪飾りにし、魔よけの笹の葉を手に持って、ステージがわりの大きなおけを伏せてその上に乗り、とんとんリズムをとりながら面白おかしく踊り始めたのやがなァ。

あんさんは見てきたようなことを言うけれどホンマかいなァ~?

あのなァ~、この場面はチョー有名なんやでぇ~。。。そやから、たいていの人が天照大神の岩戸の伝説といえば、天宇受売命を思い出すねん。

それで、あめのうずめのみことは、どうしやはりましてん?

ドンちゃん騒ぎが始まったのやがなァ。。。 調子に乗った天宇受売命は、しだいしだいに神がかり状態になり、踊り狂い出しはった。 しかも、オッパイは左へ右へ、上へ下へと揺れ動き、裾はめくれて大切な物があらわに見え隠れしたのやがなァ。。。


(uzume05b.jpg)

あらっ。。。 この天宇受売命(あめのうずめのみこと)は卑弥子さんに似てますやん。。。

うん、うん、うん。。。 たぶん、天宇受売命は卑弥子さんのような陽気な人だったのやがなァ。 とにかく、これが日本初のストリップということになってるねん。

。。。で、そのことが「かわゆらしそう」と関係あるのォ~?

もちろんやがなァ。 関係ない事をこれほどクドクド話すかいなァ。 要するに、神々の顔が互いにほの白く見えたことからして、面白いという言葉がはじまったのやがなァ。 つまり、「面」とは顔のことやんかァ。 それに「面映い」という言葉があるねん。 めれちゃんも聞いたことがあるやろう?

おますう。

この「面映い」と言うのんは、そやから「面」は顔、「映い」は照り輝いてまぶしいと言うことやんかァ。 「面」と「顔」は同じ意味やから、「顔映い(かおはゆい)」とも言えるねん。 それが転じて「かわゆらしい」→「かわいらしい」になったということやがなァ。

ホンマかいなァ?

昔の人は、恥ずかしがっている様子を「かわいい」と思ったのやァ。

そやけど天宇受売命(あめのうずめのみこと)はんは、恥ずかしそうに踊ってえ~へんでぇ~。。。

あのなァ~、天宇受売命はんは卑弥子さんに似ておったさかいに、得意になって踊ってしもうたけど、天宇受売命はんが平安時代に生まれておったら「恥ずかしい」そうに踊るねん。 つまり、「かわいい」という感じになるわけやがなァ。

つまり、恥ずかしそうにしてへんと、「かわいい」と言ってもらえへんかったのォ~?

昔はそうらしかったでぇ~。。。 そやけど、現在では恥ずかしそうにすると「ぶりっ子」に見られてしまうので恥ずかしそうにせ~へんようになったまでやァ。

ホンマかいなァ~。。。?

【ジューンの独り言】

ですってぇ。。。
あなたも、そう思うでしょう?

ところで、月岡芳年(つきおか よしとし)は、歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がけ、各分野において独特の画風を見せた絵師です。
衝撃的な無惨絵もたくさん描いたので、「血まみれ芳年」としても知られていました。
それでも、浮世絵が需要を失いつつある時代にあって最も成功した浮世絵師です。
そのようなわけで、「最後の浮世絵師」と評価されることもあります。

また次のように奇妙な絵を描く絵師でもありました。


(muma08.jpg)

これは月岡芳年の「幽霊画」です。
奇妙でありながら面白い発想で「幽霊」を描いています。

さらに、次のように陰惨な場面も好んで描いています。


(muma05.jpg)

そのようなわけで、陰惨な絵を描く絵師というイメージが勝っており、
江戸時代後半の他の有名な浮世絵師と比べると一般的人気は振るわなかたようです。

でも、最近になって、月岡芳年の画業全般が広く知られるようになるに連れて、一般にも再評価される絵師の一人となっています。

とにかく、次回も面白い話題が続きます。
あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

メチャ面白い、

ためになる関連記事

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

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■ 『バンクーバーの寒中水泳』

『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』

『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』

『後白河上皇とポルノ』

『真夜中の甘い電話』

『コーヒー茶漬け』

『めれちゃん、ホイ』

『めれちゃん、トップですよ』

『めれちゃんにノーベル賞』

『私の国では火あぶりです』

『ひまわりとピアニスト』

『1リットルのお尻流出』

『異邦人と他人』

『処女の値打ち』

『ハロウィン』


(uzume06b.jpg)

『オッパイとアクセス数』

『めれちゃんとなつみさん』

『トイレのないマンション』

『自殺の名所』

『マジで自殺したいの?』

こんにちはジューンです。

かつてデンマンさんが小泉八雲を紹介していました。

八雲(ラフカディオ・ハーン)は

次のように言っていたのです。

日本女性を道徳的、宗教的信念を持った

愛らしい倫理的創造物である

明治時代の日本の女性は、

そうであったのかもしれません。

でも、最近になって日本の女性も変わったようですね。

一つの事件を取り上げて、そう言うのも

独断過ぎると思いますけれど、

「苫小牧子殺し事件」は象徴的な事件だったと

思いますわ。そして痛ましい事件でした。

北海道・苫小牧の何処かで、3歳の長男と

1歳の三男の兄弟が鍵の掛かったアパートに

閉じ込められ放置されのですわ。

長男は生米や冷蔵庫のマヨネーズやケチャップで

飢えをしのいだのです。

三男は飢餓と低体温症で亡くなってしまいました。

昼間に自動的に入る暖房で、餓死した弟が

無残に腐食する横で、お兄ちゃんは

必死で飢えを凌ぎ生き抜いて、

ママの帰りを待ち続けたというのです。

でも、ママは新しいボーイフレンドの部屋に住み着いて

1ヶ月以上、子供たちの養育を拒み、

ボーイフレンドと遊んで暮らしていたのです。

もう、死んでいるのではないかと思って、

アパートに戻ると、長男は生きていた。

「何で生きてるの?」

冷血女性のママは長男を見て

まず、そう感じたと言うのです。

人間は、それほどまでに非情に

冷血になれるものでしょうか?!

何度読んでみても、亡くなった子供のために

涙が流れてきますわ。(めそめそ。。。)

「苫小牧子殺し事件」のことは

次の記事の中で引用されています。

『愛の進化論』

ところで、卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ

アルチンボルドと伊藤若冲

2012年11月14日

 

アルチンボルドと伊藤若冲

 


(kuni02.jpg)


(kato3.gif)

美術に関心のある人ならば上の絵を見て、これがウィーンの宮廷画家のジュゼッペ・アルチンボルドが描いたものではないし、また伝説的な伊藤若冲(じゃくちゅう)が描いたものでもないと、すぐに分かるでしょう。
知っている人もいると思いますが上の絵は歌川国芳(1798ー1861)という江戸時代の浮世絵師が描いたものです。
「寄せ絵」とよばれるトリックアートの人物画です。

どうしてアルチンボルドと伊藤若冲に関係のない上の絵を初めに持ち出したのォ~?
あなたは、そう思うかもしれません。

実は関係が全く無いわけではないのです。
次の絵を見てください。


(arci02.jpg)

人の横顔だとすぐに見て取れます。
でも、よく見ると果物や野菜を使って人の横顔を構成しているのです。
頬には桃が使われていますし、
顎にはイチジクが使われ、
鼻はキュウリ、あるいはズキーニ(zucchini)が使われているようです。
もちろん、実物を使っているのではなく、あたかも実物を使っているように描いてあります。

これはウィーンに住んでいた宮廷画家のジュゼッペ・アルチンボルドが1573年に描いたものです。
この作品は「夏」と題されたもので 「冬」「春」「夏」「秋」、つまり、四季の連作の一枚です。


(arci02b.jpg)

衣服は小麦が使われており、よく見ると首に当たるところに自身の名前が書き込まれています。
Giuseppe Arcimboldo (ジュゼッペ・アルチンボルド)
また肩のところに制作した年(1573)が書き加えられています。

どうしてアルチンボルドを取り上げたのォ~?
あなたは、そう思うかもしれません。

実は、夕べ「美の巨人たち」という本を読んだのですよ。
149ページには次のように書いてありました。

「四季」の連作を完成させたアルチンボルドは、「大気」「火」「大地」「水」の四枚に着手しました。
「四大元素」と呼ばれる連作です。

その制作の途中で、フェルディナント一世は病のために亡くなってしまいます。
後を継いだのは、息子のマクシミリアン二世。
アルチンボルドは、マクシミリアン二世に「四季」と「四大元素」の連作を献上したのです。

彼は、なぜこのような作品を描いたのでしょう?

ウィーン美術館の絵画館長に解説をお願いしました。

「アルチンボルドは、『四季』と『四大元素』を何度か描いていますが、わが美術館の作品は、最初に書かれたもので、皇帝が自分のコレクションとして大切に所有していたものです。

なぜ、このような絵を描いたのか、アルチンボルドの同僚だったフォンテオの詩に基づいて、解説がなされてきました。
夏は、火のように暑く乾燥しており、冬は水のように寒く湿っているというように、『四季』と『四大元素』には、同じ性質を持つもの同士の対話があるのです。
また、森羅万象を描くことで、宇宙を含めたハプスブルク家の権威、世界観を暗示しているのです。

たとえば、「夏」。
顔に組み合わされた野菜や果物は、すべてハプスブルク帝国の領地で取れた作物が使われているといわれています。

 (中略)

アルチンボルドは、森羅万象に秘められた寓意を駆使し、世界を支配するハプスブルク家にふさわしい芸術を作り上げようと願ったのです。

(デンマン注: 読み易くするために改行を加えています。
赤字はデンマンが強調)


149-150ページ
『小林薫と訪れる「美の巨人たち」』
編者: テレビ東京
2005年1月28日 1版2刷発行
発行所: 日本経済新聞社

本に書いてあるように、果たしてアルチンボルドは、森羅万象に秘められた寓意を駆使し、世界を支配するハプスブルク家にふさわしい芸術を作り上げようとしたのか?
僕は、そのようには思わないのですよ。

なぜ?

なぜなら、もう一度歌川国芳(1798ー1861)の「寄せ絵」を見てください。


(kuni02.jpg)

見れば見るほどにユーモラスで面白い。
そう思いませんか?

ジュゼッペ・アルチンボルドの絵から影響されたのではないか!?
そのように言う美術史家もいますが、国芳以前から日本には「寄せ絵」の伝統はありました。
もし、国芳がアルチンボルドの絵を見ていたとするなら、多分同じように野菜や果物を使って「寄せ絵」を描いていたと思うのです。

国芳(1798ー1861)が暮らしていた江戸時代の後期には、身の回りの様々なものを組み合わせた作りものを公開する細工見世物が流行(はや)りました。
竹の篭目を編んで人物や動物を作り上げ、その大きさは時には高さ20メートルにも及んだという駕籠細工などの見世物が催されたのです。
国芳はこうした見世物からアイデアを思いついたとしても不思議ではありません。
おそらく、上の「寄せ絵」は国芳独自の発想だと思います。

実は、アルチンボルドの描いた絵の中にも次のようなものがあるのです。


(arci09.jpg)

この絵などは、かなりユーモラスで面白い人物画だと思いますよね。
まさに愉快で滑稽な「寄せ絵」だと僕には見えます。

結論を言えば、アルチンボルドは「夏」を含めた「四季」の連作で森羅万象に秘められた寓意を駆使し、世界を支配するハプスブルク家にふさわしい芸術を作り上げようとしたようには思えないのです。
では、どうして上のような絵を描いたのか?


(arci05.jpg)

ジュゼッペ・アルチンボルドはハプスブルク家に仕えた宮廷画家でした。
見るからに真面目そうで律儀そうな宮廷画家です。
なんと3代の皇帝に仕えたのでした。
儀式、儀礼だとか「仕来(しきた)り」だとか、とにかく堅苦しい息も詰まりそうな宮廷にあって、3代の皇帝に仕えていたら、もうノイローゼになるか過労死にもなってしまいそうです。
あなたも、そう思いませんか?

だから自分なりに「ガスぬき」をしていたのだと僕は思うのですよ。
それがアルチンボルドの野菜と果物を使った「寄せ絵」になったと思うのです。

もし、野菜と果物を使った「寄せ絵」ではなく、国芳が描いたような「寄せ絵」を皇帝に献上していたらアルチンボルドの首は飛んだかもしれません。
でも、野菜と果物を使った「寄せ絵」だったので皇帝もユーモアを感じて面白いと思ったのでしょう。

実は皇帝だって宮廷の暮らしに堅苦しさを覚えて飽き飽きしていたに違いないのです。
だからこそ、皇帝はアルチンボルドの描いた「寄せ絵」を自分のコレクションとして大切に保存しておいたのだと思います。
つまり、その面白い絵を見ることで、時には宮廷の堅苦しい儀式とか儀礼から離れて息抜きをしていたのでしょう。
僕はそう思うのですよ。

どの画家にも「ガス抜き」や「息抜き」が必要だったと思いますね。
精神を健康に保つためにも。。。

それは伊藤若冲にも言える事だと思うのです。
彼は次のような絵を描いています。


(ito002.jpg)

これは「野菜涅槃図」と呼ばれるものです。
「涅槃図」というのは、もともとお釈迦様が亡くなられる様子を書いたものなのです。


(nehan02.jpg)

この絵からも解るように決してユーモアやふざけた気持ちで描く絵ではありません。
それを敢(あ)えて野菜を使って伊藤若冲は「涅槃図」を描いています。

大根をお釈迦様に見立て、その大根が亡くなるのを見守るように他の野菜たちが大根を囲んでいる絵です。
「涅槃図」がどのようなものなのか?
それを知っていれば、「野菜涅槃図」はユーモラスで可笑し味のある絵です。

では、伊藤若冲はどうして「野菜涅槃図」を描いたのか?

「美の巨人たち」には次のように書いてあります。

若冲がある画題に愛情を覚え始めるのは、60を過ぎてからのことです。
それが野菜でした。
ちょっと不思議な絵を描いたのです。
「野菜涅槃図」という題がつけられています。
かつて青物問屋の主だった男は、野菜の中にいったい何を見つめていたのでしょうか?

涅槃図は釈迦の入滅の模様を描いた絵です。
悟りを開いた釈迦は、沙羅双樹の下で穏やかに体を横たえ、その生涯を終えました。
周囲には、釈迦の十大弟子や菩薩たちが、支えを失ったように悲しみに暮れています。
若冲は、その涅槃図を野菜で描きました。
その心は……、「野菜愛」。

豊作を祝う京都北野天満宮のずいき祭。
担ぐ神輿は野菜で作られています。
京都は独特の野菜文化を育んできた都です。
その中心に(若冲が生まれ育った)錦小路がありました。

江戸時代、京都周辺のみならず、遠くは中国から実にさまざまな野菜が集まってきました。
若冲は、その錦小路で生まれ育った人です。
商いは苦手でしたが、野菜には人一倍の愛着があったのかもしれません。

「野菜涅槃図」には、実に多くの野菜や果物が描かれています。
お釈迦様に見立てたのは大根です。
沙羅双樹の木は、トウモロコシの茎です。
ライチやランブータンという中国から輸入された珍しい果物もあります。
その数は66種類。
若冲は、この絵にどんな思いを込めたのでしょうか?

(デンマン注: 読み易くするために改行を加えています。
赤字はデンマンが強調)


58-59ページ
『小林薫と訪れる「美の巨人たち」』
編者: テレビ東京
2005年1月28日 1版2刷発行
発行所: 日本経済新聞社

伊藤若冲の生涯は『ウィキペディア』には次のように書いてあります。

伊藤若冲

正徳6年(1716年)、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」(家名と併せて通称「枡源(ますげん)」)の長男として生を受ける。
問屋の仕事は小売ではなく、生産者や仲買・小売の商人に場所を提供して販売させ、彼らの関係を調整しつつ売場の使用料を徴収する流通業者である。
桝屋は多数の商人を管轄していたらしく、商人たちから場所代を取れば十分な利益を上げることが出来たという。
23歳のとき、父・源左衛門の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名する。

「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常から与えられたと推定される居士号であり、老子45章の「大盈若沖(冲は沖の俗字)」から採られた。
大典の書き遺した記録「藤景和画記」(『小雲棲稿』巻八)によると、若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。
商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。

商人時代、若冲は家業を放棄して2年間丹波の山奥に隠棲してしまい、その間、山師が枡源の資産を狙って暗躍し、青物売り3千人が迷惑したという逸話が残る。

齢40となった宝暦5年(1755年)には、家督を3歳下の弟・白歳(宋巌)に譲り、名も「茂右衛門」と改め、はやばやと隠居する(当時、40歳は「初老」であった)。
宝暦8年(1758年)頃から「動植綵絵」を描き始め、翌年10月、鹿苑寺大書院障壁画を制作、明和元年(1764年)には金刀比羅宮奥書院襖絵を描く。
明和2年(1765年)、枡屋の跡取りにしようと考えていた末弟・宗寂が死去した年、「動植綵絵」(全30幅のうちの)24幅と「釈迦三尊図」3幅を相国寺に寄進する。
このとき若冲は死後のことを考えて、屋敷一箇所を高倉四条上ル問屋町に譲渡し、その代わり、問屋町が若冲の命日に供養料として青銅3貫文を相国寺に納めるよう契約した。


出典: 「伊藤若冲」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。
でも、絵を描くことには夢中になった人なのです。
事実、商売熱心でない青物問屋「枡屋」の主人が書いたとは思えないような絵を描いた。


(ito009.jpg)

このような素晴らしい絵を描いた伊藤若冲が60歳を超えて「野菜涅槃図」にどんな思いを込めたのでしょうか?
死人に口無し!
今となって本人に聞き出すことはできないけれど、
それはジュゼッペ・アルチンボルドにも歌川国芳にも共通することだったと思うのですよ。
つまり、人生の「ガス抜き」「息抜き」。
僕はそう思いますね。

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
そうでしょうか?
人生の「ガス抜き」「息抜き」でユーモアが感じられる絵を描いたのでしょうか?
あなたはどう思いますか?

考えてみると、誰にも「ガス抜き」「息抜き」が必要ですわ。

ええっ。。。あたくしですか?
もちろん、ときたま「ガス抜き」「息抜き」をしておるのでござ~♪~ます。
たとえば。。。


(curtain5.jpg)

あたくしは、このような姿になって自分を鏡に映してみとれるのが「ガス抜き」「息抜き」なのでござ~ますわ。
うふふふふふふ。。。

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。
じゃあ、またねぇ。。。


(hand.gif)


(surfing9.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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下着・ランジェリーを見つけませんか?』

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(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

わたしの「ガス抜き」と「息抜き」は

ハーブティーを味わうことですわ。

日本のハーブティーは、なんといっても桜湯だそうですけれど、


(sakurate.jpg)

カナダ、アメリカ、イギリスではハーブティーとして

ローズティーが好まれています。

普通、ローズヒップティーと呼ばれます。

ローズヒップ(rose hip)とは

バラ科バラ属の植物の果実。

つまり、バラの実です。

ローズヒップ生産のため、バラの特定品種、

特にRosa canina(ドッグ・ローズ)が栽培されています。

ハイビスカスとブレンドしたハーブティとして飲用されることもあります。

また、ローズヒップオイルは食用油として、

ジャム、ジェリー、マーマレードにも用いられるほか、

スキンケアにも用いられます。

こんなエピソードがありました。

第二次世界大戦中、

イギリスはドイツ海軍Uボートの海上封鎖により

オレンジの輸入がストップしたのです。

ビタミンCの補給ができなくなったのです。

それで、英国の学童たちは生垣に生えている

ローズヒップの採集を命じられました。

ローズヒップティーにして飲んで

ビタミンCを補給したのですって。。。


(rosehip.jpg)

なんだか信じられないようなお話ですよね。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。


(juneswim.jpg)


(byebye.gif)

ムカつく写真狩り

2011年8月11日

 
ムカつく写真狩り
 
  


 
 

『写真狩りでワロタ』

(2011年8月8日)

デンマンさん。。。あんさんの記事が、また写真狩りに遭(あ)いはったん?

そうやァ。 まったくムカつくでぇ~。。。

ムカつくだけ損やんかァ。

さよかァ~。。。?

そやかてアメブロで言葉狩りや写真狩りに遭(お)うているブロガーは延べ 614,000人も居(お)りますのやでぇ~。。。

あれっ。。。めれちゃんも調べてみたのんかァ?

調べてへん。 あんさんと小百合さんが対話している次の記事を読みましてん。

『写真狩りでワロタ』

(2011年8月8日)

この上の記事の中に検索結果が出てましてん。 要するに、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人さんが教養のない愚かな人物やということですやん。

めれちゃんも、そう思うのか?

そやかて、次の記事は他のサイトでは問題にされてへんのやろう?

“Amazing Grace”

(August 5, 2011)

その通りやがなァ。 まったく問題にされておらんのや。 その証拠に次の記事をクリックすると、すべて公開されてるねん。


“Amazing Grace” (Denman Blog)
(August 5, 2011)

“Amazing Grace” (次郎のブログ)
(August 6, 2011)

“Amazing Grace” (徒然ブログ)
(August 6, 2011)

“Amazing Grace(PART 1 OF 3)”
(August 6, 2011) (デンマンのブログ)

“Amazing Grace(PART 2 OF 3)”
(August 6, 2011) (デンマンのブログ)

“Amazing Grace(PART 3 OF 3)”
(August 6, 2011) (デンマンのブログ)

“Amazing Grace(PART 1 OF 3)”
(August 6, 2011) (EXBLOG)

“Amazing Grace(PART 2 OF 3)”
(August 6, 2011) (EXBLOG)

“Amazing Grace(PART 3 OF 3)”
(August 6, 2011) (EXBLOG)

“Amazing Grace” (アニセン ブログ)
(August 6, 2011)

“Amazing Grace” (Edita ブログ)
(August 6, 2011)

“Amazing Grace” (Blogspot ブログ)
(August 6, 2011)

他のサイトではまったく問題にされておらんのに、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)ではアカンのやろォ~?

アカンのやァ。 そやさかいに次のように写真狩りされて未公開にされてしもうてるのやァ。

ホンマやわァ~。。。アメブロ(http://ameblo.jp/)の管理人さんは愚かな事をやっていることがどうして分からへんのやろか?

自分では正しい事をしておると思い込んでおるねん。 つまり、太平洋戦争中に言論統制をしやはった日本帝国の愚かな役人と変わりがないねん。

お粗末な言論統制

日本帝国政府と表現の自由

昭和15(1940)年3月、(日本帝国)政府は映画会社やレコード会社に、芸名が「ふまじめ」「不敬」「外国人と間違えやすい」ものを改名するように命じました。 国粋主義で徹底しようというわけですね。

漫才師のミス・ワカナ、歌手のディック・ミネ、東宝映画の藤原釜足(かまたり)、日活の映画の尼(あま)リリスなどがだめで、ディック・ミネはたしか、「三根耕一(みねこういち)」と改名したと思います。 黒澤明監督の『七人の侍』などに出演した藤原釜足も、後に元に戻しましたが、戦争中は藤原鶏太(けいた)と改名したはずです。

また戦争なんかしていないのに、「敵性言葉」を使うな、というのでプラットフォームは「乗車廊(じょうしゃろう)」、ビラは「伝単(でんたん)」、ラグビーは「闘球(とうきゅう)」、パーマネントは「電髪(でんぱつ)」、ペニシリンは「碧素(へきそ)」、カビだから緑なんですね。 またアメリカンフットボールは「鎧球(がいきゅう)」、スキーは「雪艇(せきてい)」、野球のスタルヒン投手は須田博(すだひろし)と変えられました。

ストライクは「よし」、ボールは「だめ」、というのは有名な話ですが、実際そこまでやったかはさだかでないものの、少なくとも横文字は片っ端から禁止と槍玉にあげられた記憶があります。 とにかくすべては国粋主義でいかねばならなくなった。

また時局にあわない不真面目なことはいかん、という命令が出て、落語協会までが、あるまじきことながら「自粛」して、遊郭、妾(めかけ)、不義、好色など53の噺を演じないことにし、浅草本法寺に「はなし塚(づか)」をつくて葬ってしまいました。 いやはや、お粗末な話でした、というしかありません。

(注: イラストはデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)


276 – 277ページ
『昭和史 (1926-1945)』
著者: 半藤一利
2009年6月11日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 平凡社

ホンマに笑えますやん。 うふふふふふ。。。それやのにアメブロ(http://ameblo.jp/)の管理人さんは自分が愚かな事をやっているのがマジで分からへんのやろか?

分からへんねん。 そやからドアホなのやァ。 それで愚かな言葉狩りや写真狩りをやって 614,000件もの記事を未公開にしてしもうたのやがな。

あんさんがアメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんにも分かり易いように説明してあげたらどうなん?

そうやなァ~。。。でもなァ、アメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人は、わてが噛んで含めるように説明したとて理解できへんと思うでぇ~。。。

そないな事を言わんでアメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんにも理解できるように説明してあげてぇ~なァ!

あのなァ~、ジューンさんがアメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人にも分かるように説明してあげてるねん。

どこで。。。?

次のようにジューンさんがアメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人にも分かるように説明してあげてたのやがなァ。

こんにちは。ジューンです。

何をもって言葉狩りとするのでしょうか?

差別そのものと同様、

言葉狩りは、用語が使用された場合ごとの

関係者の主観に基く部分が大きいですよね。

規制が過剰あるいは

不適切な場合が多いようです。

たとえば、かつて、フルーツブログでは

「セックス」が禁止語でした。

「セックス」を禁止用語にするなんて、

ちょっと考えられませんよね。

呆れて開いた口がふさがりませんわ。

葛飾北斎の漫画を表示禁止にするのも

「セックス」を禁止用語に指定するほど

滑稽だと思います。

あなたも、滑稽な事をすることはあっても、

愚かな人間にだけはならないでくださいね。

うふふふふふ。。。


 
ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』


『写真狩りでワロタ』より
(2011年8月8日)

あらっ。。。ホンマやわ。 つまり、アメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんの主観に基づいて写真狩りの基準が過剰か不適切になっておるねんなァ。

その通りや。

そやけど、その証拠でもあるのォ~?

もちろんやァ。 実は次の写真が問題になってるねん。

この上にはたくさんの写真が貼ってあるやん。 これすべてが一つの写真になってるのォ~?

そうなのやァ。

つまり、素っ裸になっているおっちゃんが居るのでアメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんがアッカ~ンと言うてるねんなァ。

そうやァ。。。でもなァ~、これはギャグやねん。 言ってみればユーモアやがなァ~。。。青少年の精神衛生上に害悪を催すようなものではあらへん。 そやから、他のサイトではまったく問題にされておらんのやァ。

つまり、アメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんの判断基準が愚かで可笑しい、笑えると、あんさんは言わはるの?

そのとおりやァ。 しかも、アメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人だけでは、あまりにも調べる記事が多いので、愚かな管理人は手下を使っておるねん。

どうして、あんさんにそないな事が判りはるのォ?

つまり、愚かな管理人と、そのスタッフの判断基準がまちまちやから。。。、要するに自分勝手に、その場の気持ちで判断しているのやァ。 そやから『Amazing Grace』では禁止されている同じ写真が『Roly-poly in the North』では問題にされておらん。

マジで。。。?

ウソだとおもうなら、次のリンクをクリックして読んでみィ~なァ。

“Roly-poly in the North”

(2011年7月31日)

あらっ。。。ホンマやわ。 素っ裸になっているおっちゃんの写真が出てきますやん。

そうやろう!?。。。それにもかかわらず、アメブロ(http://ameblo.jp/)の管理人もスタッフも自分の気の向くままに他の記事では“amebaの健全なサイト運営にふさわしくない表現”と勝手に決め付けておるねん。 つまり、明確な判断基準をアメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人は設定しておらんのやァ。 そやから、どの写真が写真狩りに遭(あ)ったのかも明確に表示しておらへん。 要するに、やる事が大日本帝国の言論統制の役人よりもお粗末なのやがなァ。 そやから、わてはアメブロ(http://ameblo.jp/)の管理人が愚かで教養がなく芸術が全く理解できないダメな人間だと言うてるねん。

あんさん。。。そのように、はっきりと言うたらアッカ~♪~ン!

どうしてアカンのやァ~?

アメブロ(http://ameblo.jp/)のアホな管理人さんが気い悪くしやはる。

あのなァ~。。。アメブロ(http://ameblo.jp/)の愚劣な管理人のおかげで、わてこそムカついて気を悪くしてるねん。

それほどムカつくのやったら、アメブロに投稿するのを止めればええやん?

あのなァ~、わては言論の自由と表現の自由を守りたいねん。

愚かな管理人さんが居るアメブロ(http://ameblo.jp/)以外のほとんどのサイトではちゃんと言論の自由と表現の自由を守っていますやん。

そやけどな、アメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人のようなダサい人間が増えては困るのやァ。 そやから、わてはこないに批判しておるねん。 この愚かな管理人は歴史を学んでおらへん。

歴史を学ばない者は

過去の過ちを繰り返す

そやから太平洋戦争中の大日本帝国の役人のような愚かな過ちを犯してるねん。 戦前の日本人の3分の2が戦争は避けられると思っていたのにもかかわらず、あの悲惨な戦争に走ってしまったのはアメブロ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人のようなダサい人間が言論統制をしたことによって、日本人の多くの人が知るべき真実を知らされなかったのやがなァ。

不穏(ふおん)表現取締り

その年(昭和15年)の12月頃、雑誌「文藝春秋」が「日米戦争は避けられるか」というアンケートをしました。
掲載は翌年1月号で、回答は「避けられる」412人、「避けられない」262人、「不明」11人。
この時すでに約3分の1の日本国民は、もはや戦争は避けられないと思っていたのですが、逆に3分の2の人はまだ避けられると考えていたわけです。
ただ、雑誌がこんなことをやっていたのもこの頃までで、昭和16年に入りますと統制は厳しさを増します。
治安維持法、国家総動員法、言論出版集会等臨時取締法、軍機保護法、不穏(ふおん)文章臨時取締法、戦時刑事特別法など、マスコミはありとあらゆる法令によってがんじがらめとなり、息もつけないような状態になるのです。

(注: イラストはデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)


319ページ
『昭和史 (1926-1945)』
著者: 半藤一利
2009年6月11日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 平凡社

分かるやろう!? 本来ならば、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人のような人物こそ、言論の自由や表現の自由を守らなければならない。 そやけど、ドアホなことに、教養のない、芸術がどういうものか理解できないアメブロの管理人は太平洋戦争中の日本帝国政府の愚かな役人に成り下がってしもうた。

そうやろか?

そないな愚かな管理人が多くなると、日本はますます悪い方向に進んでゆくねん。

見れども見えず

昭和10年代の日本人は、世界そして日本の動きがシカと見えていなかったのじゃないか。 そう思わざるをえない。
つまり時代の渦中にいる人間というものは、まったく時代の実像を理解できないのではないか、という嘆きでもあるのです。 とくに一市民としては、疾風怒濤の時代にあっては、現実に適応して一所懸命に生きていくだけで、国家が戦争へ戦争へと坂道を転げ落ちているなんて、ほとんどの人は思ってもいなかった。

これは何もあの時代にかぎらないのかもしれません。 今だってそうなんじゃないか。
なるほど、新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、われわれは日本の現在をきちんと把握している、国家が今や猛烈な力とスピードによって変わろうとしていることをリアルタイムで実感している、とそう思っている。 
でも、それはそうと思い込んでいるだけで、実は何もわかっていない、何も見えていないのではないですか。
時代の裏側には、何かもっと恐ろしげな大きなものが動いている、が、今は「見れども見えず」で、あと数十年もしたら、それがはっきりする。

歴史とはそういう不気味さを秘めていると、私には考えられてならないんです。 ですから、歴史を学んで歴史を見る眼を磨け、というわけなんですな。 いや、これは駄弁に過ぎたようであります。

(注: イラストはデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)


267 – 268ページ
『昭和史 (1926-1945)』
著者: 半藤一利
2009年6月11日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 平凡社

つまり、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんは「言論の自由」も「表現の自由」も、その大切さが分からへんと、あんさんは主張しやはるのォ~?

その通りやァ。 歴史を学んでへんから、「言論の自由」と「表現の自由」を守らなければならない立場にある者が、愚かにも「表現の自由」を自分で統制してるねん。 自分で自分の首を絞めてることが、愚かだから理解できへん。

そやったら、あんさんが直接アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんに注意すればええやん?

あのなァ~、言っても愚かな管理人には分からへん。

その根拠は。。。?

なぜなら、これまでにも、わてはGOOGLE検索結果を何度も記事の中で表示してるねん。

『あなたが読んでいる現時点での検索結果』
( ↑ ここをクリック!)

当然、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人も、この検索結果を見てる。 それやのに、未だに分からへん。 とにかく、表現の自由を認めず、言葉狩り・写真狩りをしているようなサイトからはメンバーが離れてゆくねん。 

そやけど、何をするのもアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人さんの自由やん。

その通りやァ。 でもなァ、自分が愚かな事をしていると気づいていれば、写真狩りなどやらへん。

そやけど、どうしてくどくどとアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんを話題にしやはるのォ~?

あのなァ~、わてはアメブロの管理人のためと言うよりも、他のサイトで管理人をしているネット市民の皆様のために書いてるのやァ。 表現の自由を認めず、言葉狩り・写真狩りをしているようなサイトの管理人は、その教養が疑われるねん。

人の振り見て我が振り直せ!

アメブロの愚かな管理人は、太平洋戦争中の愚かな言葉狩りや、“不真面目統制”をしていることが未だに分からへん。 本人は教養がないから芸術的に価値のある、国際的にも認められている葛飾北斎の絵まで記事の中に表示することを禁止してはる。

そやけどど、10年も経ってみィ~なァ。。。、いや、3年も経ってみれば、自分がアホな事やっていたと判るようになるねん。

そやろか?

それが教養を身につけた大人になるということやねん。 (微笑)

そやけど、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の愚かな管理人さんに分かる時がくるやろか?

いずれ分かる時がくるねん。。。わては人間の良識を信じてるからなァ。。。(苦笑)

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
確かにそうですよね。
葛飾北斎の絵は国際的にも認められている芸術性の高い作品です。
その絵をポルノチックだと思うのは個人の自由ですけれど、その絵を管理人として表示できないようにしてしまうのは、人間として極めて愚かなことだと思います。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

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『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』

こんにちは。ジューンです。

かつて、フルーツブログでは「セックス」が禁止語でした。

「セックス」を禁止用語にするなんて、

ちょっと考えられませんよね。

呆れて開いた口がふさがりませんわ。

葛飾北斎の漫画を表示禁止にするのも

「セックス」を禁止用語に指定するほど

滑稽だと思います。

北斎の絵師としての地位は

「富嶽三十六景」の発表により、

不動のものとなっただけでなく、

風景画にも新生面を開いたのです。

北斎の業績は、読本(よみほん)・挿絵芸術に

新機軸を見出したことや、

『北斎漫画』を始めとする絵本を多数発表したこと、

毛筆による形態描出に敏腕を奮ったことなどは、

絵画技術の普及や庶民教育にも

益するところが大きかったのです。

葛飾派の祖となり、後には、

フィンセント・ファン・ゴッホなどの

印象派画壇の芸術家を始め、

工芸家や音楽家にも影響を与えました。

1999年には、アメリカ合衆国の

雑誌『ライフ』の企画で

「この千年で最も重要な功績を残した

世界の人物100人」をピックアップしました。

日本人として唯一ランクインしたのが葛飾北斎です。

つまり、このような葛飾北斎の作品を

健全なサイト運営にふさわしくない表現”と

決め付ける言葉狩り・写真狩りは

愚かな事だと思います。

あなたも、滑稽な事をすることはあっても、

愚かな人間にだけはならないでくださいね。

うふふふふふ。。。


 
ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

愛に揺らぐ女

2011年7月4日

 
愛に揺らぐ女

早咲きの天才

(青木繁)は21歳の若さで画壇にデビューした。 1904年に東京美術学校を卒業し、夏には絵描き仲間4人と千葉の布良(めら)海岸に赴いた。

この旅は民家の一室を借りての合宿のようなものだったらしいが、青木繁の人生にとってふたつの点でとても重要である。 ひとつはここで《海の幸》の着想を得たこと、もうひとつは旅に同行した女性とのあいだに子供ができたことである。

    《海の幸》

その女性は栃木の出身で福田たねといった。 男ばかりの旅に女ひとりで加わったのだから、大胆な女性であることはまちがいない。 たねは日光出身の小杉放庵の師、五百城文哉の元で絵を学び、そこで小杉と親しくなる。

  福田たね

小杉が上京したときに たねも東京に出て不同舎に入る。 絵の上のことだけでなく恋愛感情が絡まっていたものと思われるが、その恋が実らずに終わると、つぎにときどき不同舎にぶらっとやてくる青年に心を寄せた。 それが青木繁である。 ふたりは間もなく付き合いだした。

 (中略)

青木は現実をそのまま絵に移すのではなく、想像を加えて象徴的に描くのを好んだ。 神話から多くの作品を生んでいるのも、物語によって想像をかき立てられたからだった。…それでは、男の顔が女性に変えられ、前向きだったのが横向きに直されたのはなぜだろう。 また他の人物は褐色なのに、彼女と中央の男の肌だけが光っているのも気になる。 まるで物語の主人公のような雰囲気だ。…友人の証言によると、加筆されたのは1906年ころだという。 《海の幸》が描かれた1904年と、その後の2年間にはいろいろなことが起きている。
 
 (中略)

1905年8月には、たねが男の子を出産。 出産費用はたねの実家に頼っている。 『古事記』のオオナムチノミコトの受難の物語を題材にした《大穴牟知命》や、翌1906年には《日本武尊》など大作を仕上げているが、美術界の評価はいまひとつだった。

《大穴牟知命(おおなむちのみこと)》

尊大であろうが、傲慢であろうが、世間の注目さえ得られれば、青木のなかでバランスがとれたはずだ。 だがさまざまな不調がかさなって歯車が噛み合わなくなり、夢と現実とに引き裂かれるような思いだったろう。

そんなとき布良(めら)でのふたりの輝かしい記憶を、絵の中に込めようとして筆を入れたのではないだろうか。

ここでどうしても気になるのはふたりの表情のちがいだ。 男のほうは自信に満ちた顔で、女のほうは不安げである。 

まるでその視線をキャンバスのこちら側にいる画家に投げかけ、無言で問いかけているかのようだ。 いたい、わたしたちはどうなってしまうのかと。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


128 – 130ページ
『あの画家に会いたい個人美術館』
著者: 大竹昭子
2009年5月25日
発行所: 株式会社 新潮社

デンマンさん。。。あんさんは、どないな訳で青木繁の絵を取り上げはったん?

あのなァ~、上の《海の幸》の絵を見て、それから福田たねさんのことを読んでいると、なんとのう、めれちゃんの不安そうな表情が思い浮かんできよったのやがなァ~。。。

どうして、わたしの不安げな顔が思い浮かんできやはったん?

次のめれちゃんの手記を思い出したのやァ。

夢のバンクーバー
 
 
2004-8-16 19:46


 
 
ご苦労様、
ありがとうございます。
バンクーバーでのわたしは、
デンマンさんに
エスコートされて、
のびのびした表情をしていますね。
ここ大阪では考えられません。

わたしの精神年齢は32歳ですか?
大人ですね。
昔から思索にふけることが
多かったのですが、
そういった時に、
わたしは大人に
なれるのかもしれません。

でも、妄想にふける
中学生のわたしもいますが。
もうひとつ言えば、
不安にさまよう
4歳のわたしもいます。

わたしの詩・・・
(自分では自慰行為と呼んでいますが)
人に見せるのも、まして批評していただけるなんて、
全く初めてだったんです。

デンマンさんが感想を書いて下さって、
冗談ぬきで、舞い上がるようないい気持ちです。
ネットで公開してよかった・・・

デンマンさんは少々わたしのことを、
買いかぶっておられるんじゃないかと、
少し不安です。

わたしがデンマンさんの“心の恋人”足り得るか・・・
いつか、ガッカリさせてしまうのではないかと、
自分自身の内面を省みて、心配になっています。

それにしても、わたしは幸せ者ですね。
この、“夢のバンクーバー”で、
わたしはデンマンさんを独占してしまったのですから
本当にありがとうございます。

質問の方もできるだけ早く、残りをお答えしますね。
 
 
by レンゲ


『どうしたら大人の恋になるのですか?』より
 2006年01月17日(火)

デンマンさん。。。あんさんは古いモノを持ち出してきやはりましたなァ。。。これは、わたしが2004年の8月に書いたものですやん。

そうやァ。。。

あんさんは、わたしの書いたモンならば、何でも保存してましたん?

そうやァ。。。このような時に、こうして引用できると思うたのやがなァ。 (微笑)

マジかいな? 2004年に、あんさんはマジでそないに思いましたん?

マジやがなァ。。。めれちゃんの詩や、短歌や手記に触れ、わては、なんとのう消し去りがたい感銘に打たれたのやがなァ。

あんさん。。。ホンマにマジかいなァ?

このような時にウソや冗談が言えるかいなァ!

なんぼでも言えますやん。。。口は重宝なものですねん。

あのなァ~。。。青木繁の有名な《海の幸》の絵まで持ち出してきたのやでぇ~。。。ウソや冗談で、この記事を汚すわけにゆかんがなァ~。

それで、タイトルの「愛に揺らぐ女」というのは、もしかして、わたしのことを言うために書きはったん?

そうやァ。。。

それは、あんさんの独断と偏見やと思いますわ。

つまり、めれちゃんは不安になることは、めったにないと言うのんかァ~?

そうですう。。。わたしは次のようにルンルン気分になることも、けっこうあるねん。

朝のキモチ

昔、好きな人と会える日は、

朝、目が覚めた瞬間に、

身体中にしあわせが

いっぱいになって、

踊るように

出かける仕度をして、

出かけていったなあ。

あの頃のわたしは、

多分、今の100倍

キレイだったと思う・・・
 
 
by レンゲ  

2004/12/10 07:33


『心の痛みを話す気になりましたか?』より
 (2005年11月26日)

確かに、めれちゃんがルンルン気分になってスキップしながらボーイフレンドに会いに出かけて行く姿が見えるようやけど。。。、でもなァ~、上の詩から受ける印象は、その想い出を追憶している寂しそうなめれちゃんの姿やんかァ。

上の詩を読んで、あんさんはそないにしか受け留めることができへんのォ~?

あのなァ~、めれちゃんには陽気でルンルン気分のときもあるかもしれへん。。。でもなァ~、これまでのめれちゃんの書いたものを読むと、どこかに不安な面影が潜んでいるように思うたのやァ。

それでタイトルを「愛に揺らぐ女」としやはったん?

そうやァ。

そやけどそれは、あんさんの極めて個人的な受け留め方やと、わたしは思うねん。

いや。。。決してそないな事はあらへん。

その証拠でもあるのォ~?

あるがなァ。 次の検索結果を見てほしいねん。

あらっ。。。こないにしてわたしの不安な気分を確かめはったん!?

そうやァ。。。15,100件も、めれちゃんの不安が記事に取り上げられておるねん。 上の検索結果に現れている10件の記事は、すべてめれちゃんの不安が表現されている詩や、短歌や手記についての記事やんかァ。

リストの記事すべてが、わたしについて、あんさんが書きはった記事やのォ?

もちろんやァ。。。ウソやと思ったら自分で上のリストの中のURLをブラウザに入れて、それぞれの記事を調べてみたらええやん。

つまり、わたしが「愛に揺らぐ女」やと、あんさんは決め付けたいん?

いや。。。そないに決め付けようとしているわけではあらへん。 わてはただ《海の幸》を観て、冒頭の文章を読んで改めて青木繁と福田たねという女性の関係に、ちょっとばかり関心を持ったのやがなァ。。。

青木繁

(1882年7月13日 – 1911年3月25日)

日本の明治期の洋画家である。
『海の幸』の作者として知られる繁は、近代日本美術史の上でもっとも著名な洋画家の一人である。
若くして日本美術史上に残る有名作を次々と描き上げた後、放浪生活に入り、満28歳の若さで没した繁の生涯は半ば伝説化している。
短命だったこともあって残された作品の数は決して多くはなく、代表作『海の幸』を含め多かれ少なかれ未完成の作品が多い。
しかし、日本の古代神話などをモチーフにした浪漫的色彩の濃い画風は西洋美術の物まねではない独自のものとして高く評価されている。

少年時代

繁は今の福岡県久留米市に、旧有馬藩士である青木廉吾の長男として生まれた。
武士の系譜を引く父は厳格な人物で息子の画家志望を聞かされた時、「美術だと。武術の間違いではないのか」となじったという逸話が残っている。
繁は同じ久留米生まれの洋画家・坂本繁二郎とは同年で両者は小学校の同級生でもあり、終生の親友でありライバルであった。
同時代人の証言や繁自身による『自伝草稿』によれば、繁は歴山帝(アレクサンドロス大王)に憧れる早熟な文学少年であったようである。
繁は絵画のほかに短歌もよくし、短い生涯に多くの文章を残している。

画家時代

繁は1899年(明治32年)、満16歳の時に中学校の学業を半ばで放棄して単身上京、画塾・不同舎に入って主宰者の小山正太郎に師事した。
肺結核のため、麻布中学を中退。
1900年(明治33年)、東京美術学校(のちの東京芸術大学)西洋画科選科に入学し、黒田清輝から指導を受ける。
1902年(明治35年)秋から翌年正月にかけて、久留米から上京していた友人・坂本らと群馬県の妙義山や信州小諸方面へスケッチ旅行へ出かけている。
これは無銭旅行に近い珍道中だったことが坂本の書簡などから窺えるが、繁はこの旅行中に多くの優れたスケッチを残している。
1903年(明治36年)に白馬会8回展に出品した『神話画稿』は白馬会賞を受賞した。
『古事記』を愛読していた繁の作品には古代神話をモチーフにしたものが多く、題材、画風ともにラファエル前派などの19世紀イギリス絵画の影響が見られる。
1904年(明治37年)夏、東京美術学校を卒業したばかりの繁は、坂本や画塾不同舎の生徒で繁の恋人でもあった福田たねらとともに千葉県南部の布良(めら)に滞在した。
『海の幸』はこの時描かれたもので、画中人物のうちただ1人鑑賞者と視線を合わせている人物のモデルは福田たねだとされている。
この前後が繁の短い絶頂期であった。
以後の繁は展覧会への入選もかなわず、私生活にも恵まれず放浪のうちに短い生涯を終えたのである。

放浪生活

1905年(明治38年)8月、今の茨城県筑西市に滞在中、繁とたねとの間の子である幸彦(後の尺八奏者福田蘭童)が誕生した。
しかし、繁はたねとはついに正式には結婚しなかった。
1907年(明治40年)8月、郷里の父の危篤の知らせを聞いた繁は単身帰郷、これが青木とたね・幸彦母子との永遠の別れとなった。
画家としては「天才」と言われた繁であったが、父亡き後、一家を支えていく甲斐性は彼にはなく1908年(明治41年)10月には郷里の家族とも別れて天草、佐賀などを転々とする放浪生活に入った。
放浪時代にも作画を続け『月下滞船』(1908年(明治41年))のような佳作もあるが、もはや画家としての繁のピークは過ぎていたようである。
心身ともに病んでいた繁は1911年(明治44年)3月、入院先の福岡市の病院で死去した。満28歳8か月の若さであった。

ハナ肇とクレイジーキャッツの元メンバーで料理研究家の石橋エータローは蘭堂の息子、つまり繁の孫である。

代表作

•黄泉比良坂(よもつひらさか)(1903年)(東京藝術大学大学美術館)
•自画像(1904年)(東京藝術大学)
•天平時代(1904年)(ブリヂストン美術館)
•海の幸(1904年)(重要文化財、石橋美術館)
•大穴牟知命(おおなむちのみこと)(1905年)(石橋美術館)
•日本武尊(1906年)(東京国立博物館)

•わだつみのいろこの宮(1907年)(重要文化財、石橋美術館)
•朝日(1910年)絶筆(佐賀県立小城高等学校黄城会)

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、福田たねとう女性も「愛に揺らぐ女」やと、あんさんは言いたいん?

ちゃうねん。 わては福田たねさんは、本の著者が言うてるように大胆な女性であることはまちがいないと思うとる。

それなのに、どないな訳で「愛に揺らぐ女」というタイトルにしやはったん?

あのなァ~、本の著者は次のように言うてるねん。

女のほうは不安げである。 

まるでその視線をキャンバスのこちら側にいる画家に投げかけ、無言で問いかけているかのようだ。 いったい、わたしたちはどうなってしまうのかと。

それがどないやと、あんさんは言わはるの?

実は、「いったい、わたしたちはどうなってしまうのか」という問いを投げかけているのは福田たねさんではのうて青木繁自身やとわては思うねん。

そやけど、それも、あんさんの個人的な意見ですやん。

そうかもしれへん。。。でもなァ、青木繁の表面上の尊大で傲慢な性格の裏には、他人が覗けない不安と懐疑の念があったと、わては思うねん。 そやから、青木は、たねさんと正式に結婚もしなかったし、不安と懐疑のために寿命をちじめてしもうたと、わては思うねん。

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
確かに人間には表面からでは伺えない不安や懐疑が心に巣くっている場合もあると思います。
表面上の尊大で傲慢な性格の裏に、他人が覗けない不安と懐疑の念を持っていたとしても決して不思議なことではないかもしれません。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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じゃあね。