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白子屋お熊事件

2016年6月5日

 

白子屋お熊事件

 


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デンマンさん。。。 どうして“白子屋お熊事件”に わたし呼び出したのですかァ~?


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もちろん、ジューンさんにも関係あるからですよ。。。 ちょっと次のリストを見てください。


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『拡大する』

これはライブドアの6月1日から4日までの4日間の「リンク元URL」のリストですよ。。。 赤枠で囲んだ 1番と25番に注目してください。。。

あらっ。。。 GOOGLEで検索して デンマンさんの徒然ブログで『大岡越前とセックスと白子屋お熊事件』を読んだネット市民が この4日間に合わせて22人いたということですわねぇ~。。。 ダントツですわァ~。。。

そういうことです。。。 次の記事を読んだのですよ。


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『実際の記事』

でも、どうしてわたしが“白子屋お熊事件”に関係しているのですか?

ジューンさんが上の記事の中に出てくるからですよ。

マジで。。。?

ジューンさんは、すっかり忘れてしまったのですねぇ~。。。 思い出すように、ここに書き出しますからジューンさんも しばらくぶりにじっくりと読んでみてねぇ~。。。


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「ある時(新井白石は)母親に尋ねたそうだ。『母上、おなごというものは、一体いくつになるまで殿方と閨房にて睦み事をなさりたいと思うので御座いますか?』とね。実は、新井白石は、父が57歳、母が42才の時に生まれた子供だった。今日でさえ大変な高齢時の出産といわれる。だから、昔は40才過ぎた母親から生まれると“恥かきっ子”と呼ばれ、からかわれたりした。そういうわけで、白石の頭のどこかで、そのことが気になっていたのかもしれない」


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「それでお母さんは何と答えたの?」

「それが昔のことだからね、母と息子がセックスの話などするなんてとても考えられない。お母さんも、わが息子が大真面目な顔して、そんなことを尋ねられたものだから、さぞかしビックリしたに違いない」

「それで?」

「お母さんは、どのように答えようかと困ってしまった。昔の女性のことだから、その年になってもポッと頬を染め、うつむいてモジモジと火鉢の中に眼をおとし、火箸で灰の中に『の』の字を書いた」

「それで?」

「『母上、いかがなもので御座いましょうか?』と、息子は返事をさいそくする。お母さんは、うつむいたままモジモジと灰の中に『の』の字を書く。そのうち、頭脳明晰な新井白石には、ハッと閃くものがあった」

「どういうこと?」

「新井白石はおじぎをすると、『ありがとうございました』とお礼を言った」

「答えてくれたの?」

「そうさ。ちゃんと答えた」

「なんと言って?」

「言葉にだしては何も言わなかった」

「分からないわ。どういうこと?」

「『この母ありて、この子あり』 頭脳明晰な新井白石のお母さんだから、やはり頭のよい人だった。お母さんは、ちゃんと仕草で答えを表していたんだ。白石はちゃんと気付いた。あとでお母さんの部屋から出ながら、口の中でつぶやいた。『灰になるまでか!』」

「あたし、まだ分からないわ。どういうこと?」

「ジューンさんは、こういう風習には、あまり馴染みがないかもしれないけれど、日本では、たいてい人が死ぬと遺体を焼くんだ。だから、『灰になるまで』とは、“死ぬまで”という意味だ」

「それ本当にあった母と息子の対話なの?」

「出どころをインターネットで調べたけれど、ついに分からなかった。でも僕と同じように、この話をどこかで聞いたとみえて、ページに載せている人がいた。そのひとのページにはこんな風に紹介されている」


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近代史解釈:

歴史は夜、つくられるとゆー

その昔、新井白石は母に問うた

「女性の性欲は、何時までありますか」

 .....灰文字

       

「それだけ?」

「そう。 この人のページにも、どこでこの話を聞いたのかは書いてない」

「デンマンさんはどこでこの話を知ったの?」

「若い頃、落語で聞いた覚えがある。 もし、どなたか出どころを知っていたら教えて欲しい」


『大岡越前とセックスと白子屋お熊事件』より
(2007年4月22日)

でも。。。、でも。。。、上のエピソードの中には“白子屋お熊事件”は出てこないではありませんか!

あのねぇ~、確かに上の話の中には“白子屋お熊事件”は出てこないのですよ。。。 でもねぇ~、上の記事の中には出てくる。

どのように。。。?

あのねぇ~、昔 “ワブログ (Wablog)”というブログがあったのですよ。。。 ちょうどライブドアのようなものです。。。 でもねぇ~、経営が悪化したのか。。。? それとも会社の方針なのか。。。? このブログは閉鎖されてしまった。

そのブログ・プロバイダーのサイトに、デンマンさんはブログを立ち上げたのですか?

そうです。。。 10年ぐらい前ですよ。。。 ネットで3年は一昔ですからねぇ~。。。 10年前というと、もう大昔ですよ。。。 (微笑) そのブログ・プロバイダーのサイトに立ち上げたブログの名前が『宇宙の摂理ブログ』というのです。

なんだか壮大な名前ですわねぇ~。。。

そうです。。。 そのブログでの当時の「キーワードランキング表」が次のリストですよ。


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あらっ。。。 2007年の4月20日現在のランキングなのですわねぇ~。。。

そうです。。。 見れば解るように、この時ランキングの1位が「白子屋お熊事件」なんですよ。。。 僕は 名前だけは聞いた覚えがあったのだけれど、この事件について記事を書いた覚えがなかった。

でも。。。、でも。。。、他の記事の中に、この事件を引用したのではありませんか?

そうに違いないと僕も思ったのです。。。 それで、考えてみたのだけれど、たぶん「阿部定事件」の事を書いた時に、この事件を引用したと思いあたった。

。。。で、「白子屋お熊事件」というのは、どのような事件だったのですか?

確か。。。、金に目がくらんだ50代の女が栃木県鬼怒川のホテルオーナーを色仕掛けでおびき出して殺した。。。 そんな風にうろ覚えに記憶していたのですよ。。。 キーワードランキングで1位になるような事件だから、かなりショッキングな事件だったに違いない。。。 ところが、「白子屋お熊事件」というのは江戸時代に起こった事件だったのです。。。 ちょっと次の検索結果を見てください。


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『現時点での検索結果』

「白子屋お熊事件」を入れてGOOGLEで検索すると上のような検索結果になるのです。

あらっ。。。 ライブドアのデンマンさんの『徒然ブログ』に掲載された記事『大岡越前とセックスと白子屋お熊事件』が9番目に出てくるのですわねぇ~。。。

そうです。。。 で、「白子屋お熊事件」というのは、 トップに出てくるウィキペディアの記事に書いてあるように、次のような事件なんですよ。

白子屋お熊事件

享保11年10月17日の早朝、就寝中であった新材木町の材木問屋「白子屋」の娘・くまの夫である又四郎が、白子屋の下女・きく(当時16歳)に頸部を剃刀で切りかかられて抵抗したところ、頭部に傷を負った。
又四郎の傷は浅く、きくを取り押さえた後助けを呼んだため、大事には至らなかった。

白子屋側は、又四郎の実家に示談を持ちかけたが、同家は又四郎・くま夫婦の不仲が噂になっていること、きくの犯行動機が不明であることから白子屋を怪しみ、10月20日に、町奉行所に事件の調査を訴え出た。
奉行所が下手人であるきくを取り調べたところ、きくはつねに犯行を教唆されたことを自白した。
きくの証言を得た奉行所が、つね・くま母子を問い詰めると、又四郎の殺害計画を自供した。

そもそもくまと又四郎の婚約は、当時資金繰りに苦しんでいた白子屋が、大伝馬町の資産家の息子であった又四郎の結納金目当てで取り決めたことであった。
くまは夫を嫌い、結婚後も古参の下女・ひさに手引きをさせて手代の忠八と関係を持っており、母のつねも娘の密通を知りながらこれを容認していた。

くまは離縁を望んでいたが、又四郎と離縁すれば金を返さねばならず、「又四郎を病死に見せかけて殺せば、金を返さず忠八と結婚できる」と考え、共に殺害計画を練るようになった。

最初は病死に見せかけた毒殺を計画し、出入りの按摩であった横山玄柳という盲人を騙して又四郎に毒を盛らせたが、彼は体調を崩すに留まり、死に至らなかった。
毒殺計画が失敗したことによって焦ったつねとくまは、きくを脅して又四郎に切りかかるように仕向けたが、これも前述の通り失敗して殺害計画が露見、白子屋の関係者は各々裁かれることとなった。

妻子の監督を怠り、世間を騒がした罪を問われた店主・庄三郎と、事件に加担した按摩の横山玄柳は江戸所払いとなり、下手人のきくは死罪、密通をそそのかした罪でひさは町中引廻しの上死罪、密通の罪で手代忠八は町中引廻しの上獄門、従犯のつねは遠島、主犯であるくまは密通と夫の殺害未遂という重罪を問われ町中引廻しの上獄門と仕置が下った。


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くまは結婚前から日本橋中でも美貌で知られており、引廻しの際は評判の美貌の悪女を一目見ようと沿道に観衆が押し掛けた。
裸馬に乗せられたくまは観衆の期待に応えるように、白無垢の襦袢と中着の上に当時非常に高価であった黄八丈の小袖を重ね、水晶の数珠を首に掛けた華やかな姿で、静かに経を唱えて落ち着いた様子であったという。

殺害が未遂に終わったとはいえ、主犯のお熊の美貌や処刑時の派手なパフォーマンスなどから江戸で大変な波紋を呼び、『近世江都著聞集』、『享保通鑑』、『兎園小説余録』、『江戸真砂六十帖広本』、『武江年表』などに事件が取り上げられている。


出典: 「白子屋お熊」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。 ずいぶん 酷(ひど)い事件ではありませんかァ!

確かに、人間の醜さが、これでもか。。。、これでもか。。。、というように出ている事件ですよ。。。

。。。で、デンマンさんが勘違いした“50代の女が栃木県鬼怒川のホテルオーナーを色仕掛けでおびき出して殺した”という事件は、どのようなものだったのですか?

あのねぇ~、小林カウという女が起こした一連の事件なんですよ。。。 この小林カウという女も酷い女で 塩原温泉の“ホテル日本閣”で起こした事件がもとで、それまでの一連の事件が発覚したのです。。。 この温泉は、栃木県那須塩原市の塩原地区内にある温泉で、箒川沿いの谷間を中心に点在する11の温泉の総称なのです。。。

。。。で、その小林カウは、どのような女性なのですか?

「白子屋お熊事件」のお熊さんよりも ひどい女ですよ。

小林カウは1908年、埼玉県大里郡玉井村(現・熊谷市)の農家に生まれた。
カウの家は集落の中では旧家だったが、例によって貧窮な家庭だった。
カウは7人兄弟の5番目の次女。
小学校を4年で終えて、5年ほど家事を手伝い、やがて都会に憧れて東京・本郷の旅館に女中奉公に出た。

1930年、カウ22歳の時、熊谷の在に嫁いだ姉の口利きで、新潟県柏崎市出身の林秀之助(当時27歳)と見合い結婚した。
秀之助は身長160センチもない貧弱な体格で、青黒いような顔をした青年だった。
結婚してみると、秀之助は慢性胃腸病と慢性淋病の持つ主で、カウは性的にも満足が得られなかった。

夫婦で熊谷市中で雑貨商を営んでいた1931年、長男が誕生するがまもなく死亡。
その後、娘が誕生した。

そのうち商売がうまくいかなくなり、夫婦は熊谷を離れ、東京近辺を転々とした。
この間、戦争が本格化し、秀之助も兵隊にとられるが、体を壊して戻ってきた。
以来、秀之助は気力のない中年男になっていた。

戦争が終わると、夫婦は熊谷に家を建て、自転車のタイヤのブローカーをする傍ら、ゴム、米、砂糖などの禁制品も扱い始める。
またカウは内職で 菓子の五家宝づくりを手がけた。


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さらに観光地向けの辛子漬や芋のつるの砂糖漬の土産物製造卸売りを始め、病みがちな夫に代わって、カウの働きで生計が支えられていた。
この頃からカウは金を稼ぐ楽しさを知り、物欲が強まっていった。

精力旺盛なカウは愛人づくりもマメであり秀之助はそれに気づいていたが黙認していた。

ある時、近くの交番の若い巡査が戸口調査簿を手に小林家に現れる。
この男の名は中村又一郎(当時25歳)。
独身ですらりとした男前だった。
闇物資を扱うカウの家では、この訪問は何か気味が悪い。

そこでカウはこの中村巡査に手厚いおもてなしをした。
中村は気をよくして、親しくカウの家を出入りするようになった。
当初、カウは中村を娘の婿に、と考えていた。
ところが欲望が満たされていくなかで唯一性的な満足がなかった40代の女と、おもてなしを好意と受け取った20代の男、そんな2人の関係ができあがってしまうのに時間はかからなかった。

2人の関係は続き、カウは中村と一緒になりたいと考える。
秀之助に「財産は何一ついらないから。暇をもらいたい」と頼んだが、聞き入れられなかった。

1952年10月2日、秀之助が突然異様な唸り声をあげて死んでしまった。
その声にびっくりした隣人が駆けつけると、カウは夫の死に顔を撫でていたという。
秀之助のかかりつけの医師は、保健所の医師立会いの元で脳出血と診断した。
カウ夫妻はたびたび派手な喧嘩をしていたことから、近所でもその死を疑う噂が流れたりしたが、熊谷署は捜査を打ち切った。

その後まもなく、カウは中村を家に引き入れて同棲を始める。
中村は以前からその行状が上司に知られており11月6日に懲戒免職となった。
しかし、そんな同棲生活も2年で終結する。
中村は母親ほどの女性に嫌気がさしたのか、カウを追い出し、若い娘と結婚したのだ。

やがてカウは 近県の温泉地をまわり、1954年、事件の舞台となった栃木県・塩原温泉郷に初めてやってきた。


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1956年春、カウはホテル明賀屋前の小店を一軒、1年分の家賃をポンと前払いして借り、「那珂屋物産店」の看板をあげた。
ここでカウは最初の一旗をあげた。

カウの商売魂はおさまらず、翌年春には隣りの店を買いとって、小食堂「風味屋」をひらいた。
店の売上は伸び、銀行預金を増やし、土地も買い、資産300万円ほどになっていた。
成功を手にしていながら、カウはさらに上を見る。

そして「温泉宿をひとつ持ちたい」と思うようになった。
旅館の仕事ならば女中奉公のキャリアがあるし、女主人はカウの理想であるステイタスだった。

1958年秋、カウは「ホテル日本閣」が安値で売りに出ていることを知る。
ホテル日本閣は名前こそ立派だが、実際は三流クラスの小旅館だった。
この日本閣が経営不振で3、400万円で投げ出すという噂があり、カウは飛びつくように交渉した。
しかし、主人である生方鎌助は まるで売る気はなく、話はいったん立ち消えた。

生方鎌助は温泉番頭などを経て、1957年春、ホテル日本閣の看板を掲げた。
しかし、やや強引に開業してしまったために温泉組合からはじき出され、引き湯の権利がとれなかった。
自費で送湯管を敷いたが湯が冷えて、ボイラーで沸かしなおした。

当然ながら、経営は厳しく、閑古鳥はなくばかりだった。
鎌助はおかげで一時気がおかしくなり、宇都宮の精神病院に入院した。
1958年夏に退院したが、誇大妄想に悩まされるようになっていた。

いっそのこと温泉宿は廃業にして出なおそう、と鎌助の妻・ウメは言った。
しかし、鎌助は聞かず、創価学会のご利益に頼って、1959年春には新館の増築にかかった。
だが途中で資金が尽き、未完成のみっともない姿に壊そうにも金がかかり、鎌助は途方にくれることになった。

ここで鎌助は前年交渉にきたカウを思いだし、すぐに融資をもちかけた。
この時の条件は「妻・ウメに対する手切れ金50万を出してくれれば、後釜に迎えてやる」というものだった。
カウは「50万で温泉旅館の内儀さんの座が買える」とこの生方鎌助という男に賭けてみる事にした。
しかし、手切れ金を30万に下げたところ、ウメは50万円を譲らなかった。
「どうせウメは承知しないだろう、こうなれば一文も手切れ金をだすのが惜しい」とカウはウメ殺害を考えた。

1960年1月中旬、カウは日本閣の雑役をしていた大貫光吉(当時36歳)にウメ殺害を命じた。
「手間賃2万円、成功したら抱いてやる」と言ってカウは大貫の手をとり股にはさんだ。
女ッ気のほとんどない大貫は思わずうなずいた。

2月8日、怖くなり殺害を躊躇しつづけていた大貫に、今度は鎌助が励ましの言葉をかける。
「ウメは体が弱っていて、ちょっと絞めればイチコロだから、今夜は間違いなくやってくれよ」
そしてこの夜、大貫はひとり寝ていたウメを首を麻紐で締めて殺した。

その後、カウは今度は邪魔になった鎌助を殺そうと思い立つ。
1960年の大晦日、日本閣の帳場の炬燵で3人はテレビを見ていた。
午後5時過ぎ、カウは夕食の仕度で台所に立ち、忍び足で戻ると、背後から鎌助の首を細引で絞めつけた。
そこへ大貫が鎌助にとびかかる。
カウの持っていた細引がぷつんと切れ、そこで大貫は鎌助を押し倒し首を絞めた。
カウが包丁を差し出すと、大貫は必死に抵抗する鎌助の首に刺し、殺害した。

しかし、悪事はやがて露見するもので、2月20日、ついに小林カウと大貫光吉は逮捕となった。
この時、カウ52歳、それでも小太り丸顔でチャーミングなところがあったという。


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やっぱり悪事は いつか露見してしまうものですよ。。。 逮捕されてから、カウは夫も自分で殺したと白状したのです。

。。。で、その後は どうなったのですか?

もちろん、裁判で死刑の判決がでたのです。。。 でもねぇ~、カウは「私は女だから、絶対に死刑執行はない。。。、いずれ減刑されて釈放されるわァ」と思い込んでいたのです。。。

あらっ。。。 マジで。。。?

釈放されたら、伊豆の大島に土地を買って 老人ホームを運営するんだという夢を抱き続けていたそうです。。。 なかなか頭がいい女なのですよ。。。 当時、すでに高齢化社会を見越して刑務所に居ながら金儲けのことを考えていたというのですからねぇ~。。。

。。。で、釈放されたのですか?

いや。。。 カウは15年ぐらいで出てこられると思っていたようだけれど、世の中は、なかなか思い通りには行かないものですよ。。。 1970年に死刑が執行され、女性では戦後初めて 絞首刑にされた死刑囚になったのです。

やっぱり、悪い事はできないものですわねぇ~。。。

そうですよ。。。 ネットでも、最近、素朴で純情なネット市民を騙して金儲けしようと企んでいる“コメン・トスパマー”や“いいねスパマー”。。。 更には“URLスパマー”や“お気に入り登録スパマー”までが出てきましたからねぇ~。。。


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『拡大する』

『きさ☆51ヶ国訪問中に注意!』

これはアメブロの僕のブログの5月24日から30日までの1週間の「リンク元URL」のリストなのですよ。。。 このリストを見ただけでも、拝金主義に凝り固まって 金儲けを企んでいる馬鹿なブロガーが多数発生しているのです。。。

でも。。。、でも。。。、まだ人殺しまではしてないでしょう?

その内、始めるかもしれません。。。

デンマンさんが、真っ先にターゲットにされるのではありませんかァ~?

大丈夫ですよ。。。 僕は、この愚か者たちから遠く隔たった所に居ますからねぇ~。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
確かに、“白子屋お熊”さんのように 魅力ある女性って怖いですよねぇ~。。。

実は、あたくしも、ちょっと心配になっているのですわァ~。

なぜかってぇ~。。。?

なぜならば、“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたので、このところネットで あたくしに人気が集まっているのでござ~ますわよう。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。
うふふふふふふ。。。

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよゥ。


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。
信じてくださいましなァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


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『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、
ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
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『やっぱり処女とおばさん』

『ウンコで走るバス』

『レダの卵』

『正月の熟女』

『新春画ネット散歩』

『愛と下着の美学』

『モナリザもビックリ』

『象が泣く』

『国際化に加速』

『美しき未亡人』

『ジューンさん、バイザイして』

『ジューンさん“いいね”が付いてるよ』

ジューンさんの熟女下着
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『床上手なのねぇ~』

『外国人SEXデンマン』

『外国人SEXデンマン再び』

『大きいことはいいことじゃない』

『デンバー直行便でジューンさんの下着』

『ジューンさんのヌードを探して』

『半分のお尻で…』

『プーフィードレス』


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『万夜一夜物語』

『ゆかじょうず』

『日本語じょうず』

『モナリザがニーハオ』

『おばさんの下着がいいの?』

『なぜ、ヤノマミ?』

『マタハラ』

『マタハラとrundll32』

ジューンさんの熟女下着
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『お尻のえくぼ』

『なぜカウチポテト?』

『あなたの混浴』

『夢の出会いを求めて』

『乙女と処女』

『戦場に行くことを教えた女教師』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
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『桜井の別れと母上様』

『ダイアモンドは女の親友』

『愛のコリーダを訳す』

『マルタ島のロマン再び』

『大前研一 奇妙な検索』

『ついに千夜一夜』

『いいね攻略と良妻賢母』

『批判が無いとヒトラーがのさばる』

『混浴入浴風景』

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『9日間の女王』

『あなたは敬語?』

『原節子とジューンさん』

『モナリザの妹』

『ナイアガラとマリリンモンロー』

『おばさんパンツ@大晦日』

『ヴィーナスのえくぼ@ジューン』

『乳房振動とブラの研究』

『G線上のアリア』

『悲愴と白鳥』

『ブッダと千夜一夜物語』

『絹の道と千夜一夜物語』

『ヤノマミの乙女』

『ジャータカと今昔物語』

『白木屋お熊とセックス』

『パンツを売る乙女』

『床上手な女@マルタ島』

『宮沢りえとおばさんパンツ』

『マチュピチュとインディー・ジョーンズ』

『映画を愛する薄命の女』

『ベニスの騒動』

『アンネとハンナ』

『名器たこつぼ』

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


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こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)


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ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ


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加藤清正ブーム?

2016年4月25日

 

加藤清正ブーム?

 


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デンマンさん。。。 “加藤清正ブーム”なのでござ~ますかァ~?


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だから、それを僕が訊きたいために京都に住んでいる卑弥子さんを呼び出したのですよ。

あたくしは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を教えていますけれども、加藤清正はあたくしが教える範囲ではござ~ませんわァ~。。。

でも。。。、でも。。。、京都に住んでいる卑弥子さんならば、たいていテレビのニュースだとか、“お馬鹿番組”を見ているので、その類(たぐい)のことはちゃんと知っているでしょう!?

あたくしは“お馬鹿番組”など見て馬鹿笑いなどしておりませんわァ~。。。

でも。。。、でも。。。、“地獄耳”を持つ卑弥子さんのことだから、何か加藤清正のことで情報をゲットしているでしょう!?

そう言われてみれば、確か。。。 あたくしの甥のター坊がパソコンでゲームに夢中になっていましたわ。

それで。。。?

いったい、どのようなゲームに夢中になっているのか?。。。 そう思って覗いてみると次のゲームに夢中になっていましたわァ~。


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  戰國無雙 4-Ⅱ

  加藤清正 秘武取得

なるほどォ~。。。 加藤清正が、こういうゲームになって登場していたのですねぇ~。。。!?

ところで、いったいデンマンさんはどういうわけで“加藤清正”がブームなのか?と思ったのでござ~ますか?

ちょっと次のリストを見てください。


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『拡大する』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の4月1日から23日までの約3週間の「リンク元URL」のリストですよ。。。 赤枠で囲んだ 4番に注目してください。

あらっ。。。 GOOGLEで検索してデンマンさんが書いた『加藤清正の本当の子孫』を読んだネット市民が41名居たということですわねぇ~。。。

そういうことですよ。。。 しかも、上のリストの下の方に出てくる 23番も GOOGLEで 別のキーワードで検索して 『加藤清正の本当の子孫』を読んだのです。

25番では マイクロソフトのBINGで検索して 『加藤清正の本当の子孫』を読んだネット市民が 5名いたということですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 ライブドアの次の記事が読まれたのですよ。


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『実際の記事』

あらっ。。。 ページの下の方にコメントを書いた人が居ますわねぇ~。。。

この記事へのコメント


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俺、本当に加藤清正の子孫ですよ( ̄ー ̄)

Posted by 五月雨 at 2007年06月02日 11:37



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この項を見ました。
加藤清正の子孫の存在は知っています。

して小生その清正公の家臣の子孫です。
飯田才八(角)兵衛と井上勘兵衛の血を継ぐものです。
明治の子爵井上毅の生家は飯田家です。

角兵衛の直系の子孫です。
井上勘兵衛の実兄加藤重次(佐敷城代)の子孫も熊本に在中だと思います。
以上です参考いただければ。

Posted by kazu-891 at 2008年02月20日 15:14



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はじめまして。
私の父から、私の祖母は加藤なかといいますが、
加藤清正の本家の出と聞かされていました。

私には何も証拠がないのですが、新橋に加藤家があって
家具を売る商売をしていた。父の母の家なので
父はよく遊びに行った、祖母の父の名前は清正公にも
名前があって、どうのこうのと言っていました。

でも父もあまりそのことは話していませんでした。

私にとってはいい話なので信じてはいますが、人前で
自慢できるほど確証はありません。

Posted by 石原 at 2008年08月23日 23:48



(doctor23.gif)

佐敷城代加藤重次の子重季に子がいないので

加藤重次本家は断絶、

弟の勘兵衛の子孫は現存です。

Posted by bourbon007 at 2009年06月06日 14:00



(sato001.jpg)

子孫です

Posted by 佐藤 彰大 at 2010年10月02日 15:17


『加藤清正の本当の子孫』のコメント欄より
(2007年3月29日)

いろいろと面白い人たちが面白い事を書いていますわねぇ~。。。 で、いったい、どのようなキーワードを入れて検索したのでござ~ますか?

次のリストを見てください。


(liv60423d.png)

『拡大する』

リストのトップを見てください。。。 なんと「加藤清正 子孫」と入れて検索したのですよ。

つまり、加藤姓の人たちが、自分は加藤清正の子孫ではないか?。。。 そう思って調べ始めたのでござ~ますか?

だから、そういう人たちも居るということですよ。

。。。で、実際に検索してみると、どうなるのでござ~ますか?

僕も検索してみましたよ。。。 その結果を見てください。


(gog60424c.png)

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 リストの7番目にデンマンさんが投稿した記事が出てくるのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。

つまり、加藤姓を名乗る人たちが 自分の生い立ちを調べ始めたということでござ~ますかァ~?

でも、そういうことだったら、加藤清正が急に浮上してくることはないでしょう!

。。。で、どうして加藤清正が急に人気が出てきたのでござ~ますか?

だから、それが知りたくて卑弥子さんを呼び出したわけですよ。

あたくしに分かるわけがないじゃござ~ませんかァ!

卑弥子さんの“地獄耳”には すでに情報が達していると思ったのだけれど、甥のター坊が加藤清正のゲームをしていたことだけしか情報をゲットしてないのですかァ~?

そうですわ。。。 特に加藤清正のブームが起こっているとは思いませんわァ~。。。 デンマンさんにも何も思い当たることがないのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、加藤清正で最も有名なエピソードは、何と言っても朝鮮出兵の折の“トラ退治”ですよ。

でも、それは伝説で、実際には、そのような事はなかったのではござ~ませんかァ~?

確かに、『ウィキペディア』には次のように書かれています。


(kiyoma5.jpg)

清正は朝鮮の民衆から「鬼(幽霊)上官」と恐れられた。

なお、朝鮮出兵中に虎退治をしたという伝承(本来は黒田長政とその家臣の逸話であるが、後世に清正の逸話にすりかえられている)が残り、そこから虎拳という遊びの元になった。

セロリを日本に持ち込んだとされており、セロリの異名の一つが「清正人参」である。


出典: 「加藤清正」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本来は黒田長政とその家臣の逸話であるが、後世に清正の逸話にすりかえられていると書いてありますわねぇ~。。。

そうです。。。 でもねぇ~、ネットで調べると次のような事実にも出くわすのですよ。

1592年文禄・慶長の役(秀吉の朝鮮出兵)のころ、清正の陣の近くで人食い虎が出没し、馬を連れ去られたり家臣を殺されるということが相次ぎました。

これに怒った清正は山狩りを行い、1匹の虎を見つけます。

家臣は鉄砲で虎を狙いますが、清正は自分の槍でその虎の喉元をついて殺した。

これが知られている清正の虎退治伝説の概要です。


(kiyomasa2.gif)

あくまで伝説ですので色々な説がありますが、まとめると上記のようなお話になります。

何故虎退治を行ったかなのですが、これは虎「退治」という説と、虎「狩り」という説があります。

危害があるので退治したか、日本にいない虎を腕試しで捕らえたのか?

ですが、秀吉が虎の肉を健康のための薬として欲しており、捕らえた虎を塩漬けにして日本に送り、実際に秀吉はそれを食したと伝えられています。

ですので、秀吉の覚えめでたくなるために虎狩りを行った、とも言えるでしょうね。

清正だけが虎退治を行っていたわけではないのです。

つまり、その真相を確かめるために検索した人が多かったと。。。?

だから、急にそういう人が増えたということも考えられるのですよ。

どうしてデンマンさんは、そう思ったのですか?

NHKの『その時歴史が動いた』でも、加藤清正が取り上げられていましたからねぇ~。。。


(sonotoki01.jpg)

。。。。で、上の番組でも真相を明かしているのでござ~ますかァ?

当時、秀吉は 病状がかなり悪化していたようなのです。。。 その事が清正にも気がかりだった。。。 それで、秀吉の健康回復のために 虎を槍で捕らえて その肉を塩漬けにして日本へ送り届けたと番組でも言ってますよ。

マジで。。。?

信用できないのなら、卑弥子さんも上のビデオクリップを見てください。


(foolw.gif)


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
では、いったい、朝鮮半島の虎はいつ絶滅したのでござ~ましょうか?

Yahoo!知恵袋には次のように書いてありますわ。

朝鮮半島のトラが絶滅したのはいつ頃でその理由は何ですか?

虎退治の加藤清正など日本人が乱獲したせいだと韓国では教えているとか?

答え:

朝鮮人たちがトラを食糧としたからです。

自分たちが喰って他人のセイにするのが彼らのやり方なのです。

朝鮮人も中国人も歴史的に人肉料理を好んだ民族なので、トラの肉も贅沢の一品だったのです。


『Yahoo!知恵袋』より

あなたは、どう思いますか?

ところで、話は変わりますけれど、
実は、あたくしは毎日ジムに通って女の魅力を鍛えたのでござ~ますわ。

ええっ。。。 どんな女の魅力かってぇ~。。。?

“ヴィーナスのえくぼ”でござ~ますわよう!

うふふふふふ。。。

あなたは信じられないでしょう?

じゃあ、ここでお見せしますわねぇ~。。。


(buttdimp5.jpg)

どうでござ~ますかァ?

この魅力によって あたくしの人気が出てきたのだと思うのですわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

加藤清正のお話も、大変興味深いですけれど、

日本の古代にも いろいろな面白いお話がござ~ますわァ。

だから、あなたのために平安史、古代史の記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいまし。
では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『寅さんの本棚』

『平成の紫式部』

『心にしみるウンチ』

『念願のトップページへ』

『愛とロマンの昔話』

『愛とロマンのアクセス解析』

『兄妹の恋のつづき』

『源氏物語エロいの?』

『酒が行って着物目変境』

『日本は外人に乗っ取られたの?』

『ん?ヒトラーはベジタリアン?』

『ふるさとの選挙と黒い霧』


(hama10.jpg)

『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)

日本は外人に乗っ取られたの?

2015年3月15日

 

日本は外人に乗っ取られたの?

 


(uncle006.gif)

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(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 どうしてショッキングなタイトルを持ち出したのでござ~♪~ますのォ~。。。?


(kato3.gif)

僕もちょっとビックリしたのですよ。

つまり、どなたかが デンマンさんに、そう尋ねたのでござ~ますかァ?

いや。。。 実は次のリストを見たのです。


(wp50314d.png)

これは Denman Blog の 3月13日の「人気記事リスト」なのですよ。

あらっ。。。 いつものように次のヤ~らしい記事が 293人に読まれてダントツですわねぇ~。。。


(kiss007.gif)

『床上手な女の7つの見分け方』

ヤ~らしい記事じゃありませんよゥ!。。。とっても ためになる記事です。。。 だから、たくさんのネット市民の皆様に読まれているのですよ。。。 でもねぇ~、僕がビックリしたのは 上の記事がダントツで読まれているからではないのです。

つまり、赤枠で囲んである『外人に乗っ取られた日本?』という記事が 3人に読まれているので“日本は外人に乗っ取られたの?”と、デンマンさんもマジで そう思ったのでござ~ますかァ?


(wp40321e.png)

いや。。。 僕が『外人に乗っ取られた日本?』という記事を書いたのですからねぇ。。。 だから、とりわけ驚いたわけじゃないのだけれど、どうして今になって また読まれているのォ~?。。。と、ちょっと意外だったのですよ。

でも、それほど意外なことではござ~♪~ませんわァ~!

あれっ。。。 卑弥子さんには、どうして『外人に乗っ取られた日本?』が読まれたのか? その理由が解っているのですか?

もちろんですわ。

卑弥子さんは 国際政治にも関心があるのですか?

日本に住んでいれば、いやでも海外からのニュースが これでもか。。。、これでもかァ~!。。。と、言うように飛び込んできますから、いやでも国際感覚が研(と)ぎ澄(す)まされてしまうのでござ~ますわァ。

それで、上の3人は どういうわけで『外人に乗っ取られた日本?』を読んだのですか?

ちょっと次の写真をご覧になってくださいましなァ~。


(nakasone99.jpg)


(down11.gif)


(kokusai90.jpg)

かつて中曽根首相の時代には、日本は国際社会の中でも かなり重要な位置を占めていたのですわ。 だから、写真で見ても解るように中曽根首相がレーガン大統領と隣同士で写っているのですわよう。

なるほど。。。、なるほどォ~。。。

ところが 最近では日本の存在は影が薄くなっているのでござ~ますわよう。 安倍首相は前から2列目の向かって右から4番目に写っているのですわ。

なるほど。。。、なるほど。。。

つまり、この調子で進んでゆくと、やがて、日本の影はもっと薄くなって、やがては外人に乗っ取られてしまうのではないかと。。。 そのように心配する日本人も出てきているのですわよ。。。 実際、最近では、海外から投資が増えて、日本の大手の企業が外人に乗っ取られたかのように、社長が外国人であるところも珍しくなくなってきているのですわァ。

うん、うん、うん。。。 なるほどォ~。。。

だから、『外人に乗っ取られた日本?』が読まれのも不思議ではござ~ませんわァ。

でもねぇ~。。。 考えてみると、もともと日本は“外人”に乗っ取られた国なのですよ。

あらっ。。。 どうしてデンマンさんは、そのような身も蓋も無い事を言うのでござ~ますかァ~?

たまたま ネットをサーフィンしていたら 次のビデオ・クリップにぶち当たったのですよ。


(fujiwa80.jpg)

【歴史ミステリー】大化の改新はなかった?

あらっ。。。 大化の改新はなかったというのは ホントでござ~ますか?

あのねぇ~。。。 何を以(も)って「大化の改新」と言うのか? それによって答えはイエスともノーともなるのじゃないか!?。。。と僕は思うのですよ。 645年に「乙巳(いっし)の変」という事件が起こった。 蘇我入鹿が殺された事件のことを指して「大化の改新」と言うこともできるのですよ。

でも、たいてい クーデターである「乙巳の変」の後に行われた一連の政治改革が「大化の改新」だと言われていると思いますわ。

あれっ。。。 卑弥子さんは けっこう詳しいのですねぇ~。。。

だってぇ、その程度の事は学校で教わりましたわァ。

とにかく、僕も いろいろと調べてみたのだけれど、この いわゆる「大化の改新」には謎が多いのですよ。 それで、上のテレビ番組でも【歴史ミステリー】として取り上げているわけですよ。

でも、当時の日本が外人に乗っ取られていたなんて、上のビデオ・クリップでは一言も触れてないでしょう!?

その通りです。 日本が外人に乗っ取られていたなんて言ってません。

それなのに、デンマンさんは当時の日本は外人に乗っ取られていたと主張するのですか?

そうですよ。 当然のことですよ!

でも。。。 でも。。。 そのような事を学校では教わりませんでしたわ。

でもねぇ~、証拠はたくさんあるのですよ。 ほとんどの人は知らないだけなのですよ。 あるいは、認めようとしないのですよ。

その証拠というのは。。。?

例えば、上のビデオ・クリップでも次のように説明していますよ。


(fujiwa90.jpg)

「乙巳(いっし)の変」を決行した重要人物は二人。 後の天智天皇になる中大兄皇子と中臣鎌子(鎌足)ですよ。 この中臣鎌足は後に藤原氏の姓をもらうわけです。 この鎌足の次男が藤原不比等ですよ。 不比等の4人の子供たちが藤原四兄弟として、それぞれ武智麻呂の南家、房前の北家、宇合の式家、麻呂の京家の4家に分かれ、藤原四家の祖となったわけですよ。 つまり、この時から藤原氏は 日本史の表に出たり裏に引っ込んだりしながら、日本を牽引(けんいん)してゆくのですよ。

でも、鎌倉幕府が出来てからは藤原氏は没落したのでしょう!?

表面的には没落したように見えるけれど、裏では影響力を現在まで持ち続けたのですよ。

マジで。。。?

あのねぇ~、藤原氏の一族は、奈良時代から平安時代までは本姓の「藤原」を名乗ったけれど、鎌倉時代以降は姓の藤原ではなく、「近衛」「鷹司」「九条」「二条」「一条」などの苗字に相当する家名を名のり、公式な文書以外では「藤原」とは名乗らなかったのですよ。 でもねぇ~、例えば戦前に総理大臣になった近衛文麿は、この「近衛」家の歴代の当主のひとりですよ。

あらっ。。。 そうだったのでござ~ますかァ~?

藤原氏は、日本では皇室に次いで大きな広がりと歴史を持つ家系ですよ。 指揮者・作曲家で貴族院議員を務めた近衞秀麿は異母弟、徳川家正は従弟にあたる。 また、第45・46代熊本県知事や第79代内閣総理大臣を務めた細川護煕や、日本赤十字社社長や国際赤十字赤新月社連盟会長を務める近衞忠煇は近衛文麿の孫にあたるのです。

でも。。。、でも。。。、この藤原氏の祖先は マジで外人だったのでござ~ますかァ?

当然でしょう!

当然でしょうってぇ~、学校ではそのようには教わりませんでしたわ。

もちろんですよ。 戦前の皇国史観が戦後もある分野では根強く残っていましたからね。 それに、大化の改新当時はどうであれ、今では近衛文麿を外人だと思う人は、この日本には誰もいないでしょう! でもねぇ、藤原鎌足は外人だった。

あらっ。。。 マジで。。。?

それに、卑弥子さんの祖先も外人だったのですよ。

あらっ。。。 そのような事は母からも父からも聞いてませんわア。

やだなあああァ~。。。 だってぇ、京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授の祖先は藤原不比等の妻になった橘三千代(県犬養三千代)なのですよ! それに、僕の祖先も百済からやって来ましたからね。 


(himiko40.gif)

『デンマンの祖先は

百済からやって来た』

やはり、僕の祖先も 元をただせば外人だったのですよ。

。。。で、藤原鎌足が外人だという証拠は。。。?

そのことなら、僕はかつて記事に書いたのですよ。 ちょっと次の小文を読んでみてください。

『日本書紀』に隠された真実の声

この事件(乙巳の変)の後で、現場に居合わせた古人大兄皇子は人に語って言います。
「韓人(からひと)、鞍作臣(くらつくりのおみ)を殺しつ。吾が心痛し」
つまり、「韓人が入鹿を殺してしまった。ああ、なんと痛ましいことか」 

しかし、「韓人」とは一体誰をさして言ったのか、ということでこの事件に関する研究者の間では、いろいろな説が出ています。
入鹿を殺したのは、中大兄皇子です。
その計画を立てたのが中臣鎌足。
それに手を貸したのが佐伯連子麻呂と葛城稚犬養連網田です。
ところが、この中には従来の古代史研究者の間で「韓人」と信じられている人は居ません。

「韓人」とは、もちろん韓(から)からやって来た人のことです。
下の地図で見るとおり、紀元前1世紀の朝鮮半島には馬韓・辰韓・弁韓という3つの「韓国」がありました。


(korea03.gif)

これらの国は、国といっても部族連合国家のような連合体です。
大まかに言えば、このうち辰韓と弁韓は紀元前57年に融合して新羅になります。
一方、馬韓は百済になります。

要するに「韓人」とは朝鮮半島の南部からやって来た人をそのように呼んだわけです。
従って、この当時で言えば百済か新羅からやって来た人のことです。

実は、中臣鎌足は百済からやってきたのです。
少なくとも、彼の父親の御食子(みけこ)は、ほぼ間違いなく百済から渡来した人間です。
中臣という姓は日本古来の古い家系のものですが、この御食子は婚姻を通じて中臣の姓を名乗るようになったようです。
藤原不比等は当然自分の祖父が百済からやってきたことを知っています。
しかし、「よそ者」が政権を担当するとなると、いろいろと問題が出てきます。
従って、『古事記』と『日本書紀』の中で、自分たちが日本古来から存在する中臣氏の出身であることを、もうくどい程に何度となく書かせています。

なぜそのようなことが言えるのか?という質問を受けることを考えて、次のページを用意しました。ぜひ読んでください。


(fuhito02.jpg)

『藤原氏の祖先は

朝鮮半島からやってきた』

『日本書紀』のこの個所の執筆者は、藤原不比等の出自を暴(あば)いているわけです。
藤原氏は、元々中臣氏とは縁もゆかりもありません。
神道だけでは、うまく政治をやっては行けないと思った時点で、鎌足はすぐに仏教に転向して、天智天皇に頼んで藤原姓を作ってもらっています。
その後で中臣氏とは袖を分かって自分たちだけの姓にします。
元々百済からやってきて、仏教のほうが肌に合っていますから、これは当然のことです。

この辺の鎌足の身の処し方は、まさに『六韜』の教えを忠実に守って実行しています。
彼の次男である不比等の下で編纂に携わっていた執筆者たちは鎌足・不比等親子の出自はもちろん、彼らのやり方まで、イヤというほど知っていたでしょう。

執筆者たちのほとんどは、表面にはおくびにも出さないけれど、内心、不比等の指示に逆らって、真実をどこかに書き残そうと常に思いをめぐらしていたはずです。
しかし、不比等の目は節穴ではありません。
当然のことながら、このような個所に出くわせば気が付きます。
不比等は執筆者を呼びつけたでしょう。


(fuhito03.jpg)

「きみ、ここに古人大兄皇子の言葉として『韓人、鞍作臣を殺しつ。吾が心痛し』とあるが、この韓人とは一体誰のことかね?」


(yakunin8.jpg)

「はっ、それなら佐伯連子麻呂のことですが」

「彼は韓からやって来たのかね?」

「イエ、彼本人は韓からではなく、大和で生まれ育ちました。しかし、彼の母方の祖父が新羅からやってきたということです。何か不都合でも?」

「イヤ、そういうことなら別に異存はないが。しかし、君、古人大兄皇子は、実際、そんなことを言ったのかね?」

「ハイ、私が先年亡くなった大伴小麻呂の父親から聞きましたところ、はっきりとそう言っておりました。中国の史書を見ると分かるとおり、歴史書を残すことは大切なことだから、古人大兄皇子の言葉としてぜひとも書き残してくださいということで、たってのお願いでした。何か具合の悪いことでも?」

「イヤ、そういうことなら、そのままでいいだろう」

恐らくこんな会話が、編集長・藤原不比等としらばっくれた、しかし表面上はアホな顔つきをしていても、内心では反抗心の旺盛な執筆者との間で交わされたことでしょう。


(shotoku03.gif)

執筆者の中にも気骨のある人がいたでしょうから、不比等と張り合って上のような狸とイタチの化かし合いの光景が見られたことでしょう。
この古人大兄皇子は上の聖徳太子の系譜で見るように、蘇我氏の血を引く皇子です。
蘇我入鹿とは従兄弟です。
また、中大兄皇子とは異母兄弟に当たります。
古人大兄皇子が次期天皇に目されていました。
しかし野望に燃える中大兄皇子のやり方を知っている皇子は、身の危険を感じて乙巳の変の後出家して吉野へ去ります。
しかし、中大兄皇子は、それでも安心しなかったようです。
古人大兄皇子は謀反を企てたとされ、645年9月に中大兄皇子の兵によって殺害されます。
これで、蘇我本宗家の血は完全に断たれることになったのです。

古人大兄皇子が実際に「韓人(からひと)、鞍作臣(くらつくりのおみ)を殺しつ。吾が心痛し」と言ったかどうかは疑問です。
野望に燃える中大兄皇子の耳に入ることを考えれば、このような軽率なことを言うとは思えません。
しかし、『日本書紀』の執筆者は無実の罪で殺された古人大兄皇子の口を借りて、真実を書きとめたのでしょう。
「死人に口なし」です。

このようにして『日本書紀』を見てゆくと、執筆者たちの不比等に対する反抗の精神が読み取れます。
中大兄皇子と中臣鎌足にはずいぶんと敵が多かったようですが、父親のやり方を踏襲した不比等にも敵が多かったようです。
中大兄皇子が古人大兄皇子を抹殺した裏には、鎌足が参謀長として控えていました。
この藤原氏のやり方はその後も不比等は言うに及ばず、彼の子孫へと受け継がれてゆきます。
後世、長屋王が無実の罪を着せられて藤原氏によって自殺へ追い込まれますが、このやり方なども、古人大兄皇子が殺害された経緯と本当に良く似ています。


『韓人(からひと)」とは誰か?』より
(2003年9月24日)

でも、たとえ、藤原家の祖先が百済からやって来たとしても、それだけで当時の日本が外人に乗っ取られたと言うのは、言い過ぎぎだと思うのでござ~ますわァ。

あのねぇ~、他にも証拠があるのですよ。 藤原家の祖先だけが外人ではなかったのですよ。 当時の政府には大臣や官僚に多くの外人が就いたのです。 次の小文を読んでください。

人類学者 埴原和郎(1928-2004)は80年代に日本列島の古代の人口増が同じ農耕民族とくらべて著しく大きいことに気付き、つぎのような仮説を発表した。

人口推計は小山修三(国立民族学博物館)のコンピューターシミュレーションを使用し、縄文晩期から古墳時代終末期の700年ごろまでの千年間の人口が著しく増えたことを分析した。

75,800人から 5,399,800人 (人口千年間に 70倍)

世界農耕民は年 0.1%  日本は 0.427%

社会増がある — 移民(渡来人) 3,000,000人 ほど

7世紀住民構成 縄文直系 1 – 渡来 25

平均増加率 0.1 ~ 0.2 として 渡来系 1,500,000人以上

縄文系対渡来系 最終的に 1 対 8.6


(『科学朝日』 1988年2月号)

ここで近江政権をざっと見ておこう。
663年、白村江の敗戦の後に那津(博多)をへて近江に作られた新政権はきわめて百済色の濃いものであった。
(日本書)紀によれば、翌年に百済王善光らを難波に住ませたとあり、ここまでの百済渡来(亡命)要人と併せるとひとつの政府幹部を構成するほどで、近江国に移住させた例で神前郡に男女400人(665年)、蒲生郡に700人(669年)と記した。

 (中略)

彼らは軍参謀、法務官、文部大臣を占め、近江政府からの叙勲、任官は50人を超えている(671年)

中大兄は668年になって(天智天皇として)即位した。
四男十女があった。
後の持統、元明の両女性天皇、大友王子(明治になって弘文天皇と追称)をふくむ。
なお、中大兄は葛城王子と称したが、この通称は高句麗系か。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


40ページ、298-299ページ
『ゼロからの古代史事典』
編著者: 藤田友治 伊ヶ崎淑彦 いき一郎
2012年8月10日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 ミネルヴァ書房

7世紀住民構成 を見てくださいよ。 縄文直系 1 – 渡来 25 ですよ。 渡来人が現日本人(アイヌの人たち)の 25倍ですよ。 当然のことながら、当時の首都圏に渡来人が集中して住んだでしょう! なぜなら、この人たちは文字を読んだり書いたりすることが出来る。 だから、多くの渡来人が小役人になった。 それで、都周辺には渡来人があふれていたのですよ。

つまり、アメリカ史で言えば、メイフラワー号に乗ってアメリカにやってきた英国人が やがて土着の原アメリカ人(インディアン)を西部に追いやって、東部に13州のアメリカ政府を作ったよなものだと、デンマンさんは言うのですか?

その通りですよ。 日本では渡来人が九州から関東に住むようになり アイヌ人たちを東北に追いやったのですよ。

要するに、歴史は繰り返すということですわね。

その通りですよ。

【初出: 2014年3月21日 『外人に乗っ取られた日本?』


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?

やがて、国際交流が激しくなれば、
国境なんて無くなると思うのですわよ。

今でも、ネットの社会では 国境など無いに等しくなっておりますわ。
実際、デンマンさんの Denman Blog には 114ヵ国の日本語が解るネット市民の皆様がアクセスして記事を読んでいるのですわよ。

 

海外からのアクセス

 


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“Denman Blog”

国に拘(こだわ)っているのは、その国で権力を握っている一部の政治家、
例えば プーチンだとか かつての独裁者ヒトラーだとか。。。
そういう権力志向の政治家なのですわ。

それと、例えば、アメリカの『軍産複合体』のような組織が、お金と権力を握るために、
現状維持を決め込んでいるのです。

ネットの世界では、すでに国境は取り払われて
ネット市民の国際交流は盛んに行われていますわァ。
あなただってぇ、そう思うでしょう!?

現に、デンマンさんがこの記事を書いているのは、カナダの西海岸バンクーバーなのですわ。
世界は、広いようで、狭くなっているのですわよう。
ネット市民として 国に拘っている場合じゃないのですわ。

ところで、個人的なことになりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますゥ。
信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

そうでしょうねぇ~。。。 あたくしだって、デンマンさんの お話を聞いていて なんとなく 騙されているような気になるのですものォ~。。。 

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。
つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。
“寅さん”のような人でもいいですわ。
旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。
あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。
たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。
ぜひ 覗いてみてください。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『卑弥子さん、ご指名ですよ!』

『カン違い大岡越前』

『ロマンのカシオペア』

『カシオペアの現実』

『エロい徳子を探して』

『紫式部と皇国史観』

『エロい道鏡と薬師如来』

『天平の麗しき淑女』

『元からの饅頭』

『なぜ唐に留まったの?』

『下着美人』

『一所懸命』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ効果』

『遊女と三つ子』

『布袋さんの魅力』

『今、エジプトに?』

『鍋かむり祭り』

『日本人はどこから来たの?』

『卑弥子も待ってます』

『卑弥子の源氏物語』

『源氏物語もエッチなのに』

『失意の紫式部』

『めちゃムカつく足枷』

『床上手な女になりたい』

『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

『日本の死海文書』

『今さら聞けない、床上手』

『兄妹の恋と大乱』

『えっ、ヒトラーはベジタリアン?』

『外人に乗っ取られた日本?』

『失われたバレンタイン』

『軽井沢夫人@日本王国』

『都知事になれなかった男』

『落選男の正体?』

『カナダはカエデの国なの?』

『海外飛躍遺伝子』

『ふるさとは遠きにありて…』

『芭蕉と遊女の出会い』

『芭蕉と遊女が…あれぇ~!』

『宮沢りえと3723人の観客』

『血のつながり』

『チョー有名な三角関係』

『日本の真ん中』

『デンマンの死@玉淀』

『血の絆』

『イジメられたら?』

『アタマにくる一言をかわすには』

『顔文字がダメなら?』

『日本の一番長い日』

『オルフェと聖徳太子』

『寅さんの本棚』

『平成の紫式部』

『心にしみるウンチ』

『念願のトップページへ』

『愛とロマンの昔話』

『愛とロマンのアクセス解析』

『兄妹の恋のつづき』

『源氏物語エロいの?』

『酒が行って着物目変境』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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謙信と軽井沢タリアセン夫人

2014年10月30日

 

謙信と軽井沢タリアセン夫人

 


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あらっ。。。 どうして上杉謙信と軽井沢タリアセン夫人が一緒に出てくるのでござ~ますかァ~?


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卑弥子さんならば、どうして上杉謙信と軽井沢タリアセン夫人が一緒に出てくるのか?。。。 その事はすぐに解るでしょう!

解らないからデンマンさんに尋ねているのですわ。

じゃあ、ちょっと次の記事を読んでみてください。

愛のポテトチップサンド

 


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デンマンさん。。。 ロマンチックで食欲が湧くタイトルですわねぇ~。。。

いけませんかァ~?

いけないことはありませんけれど、デンマンさんの常連さんたちは白けると思いますわァ~。。。

どうして僕のブログの常連さんたちが白けてしまうのですかァ~?

だってぇ~、デンマンさんは、また得意げに「さきたま古墳公園」でのピクニックの事を書くのでしょう?

あのねぇ~、白ける人は居ないと思いますよ。

どうしてですか?

どうしてってぇ~、上の写真を見ただけでも「さきたま古墳公園」ってぇ言うのは、日本離れした。。。ちょっと狭い日本では考えられないくらいの広々とした公園なのですよ。 初めてこの記事を読む人は、上の写真を見て「いったい ここはどこの公園だろうか?」。。。 とても日本の公園ではないだろうと思うのですよ。

そうでしょうか?

もう一度じっくりと写真を見てください。


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アメリカやカナダにある公園だと言われても納得できるくらいの広々とした公園なのですよ。

確かに、言われてみると 狭い日本には広すぎるほどの印象を与えますわねぇ~。。。

。。。でしょう!? だから、白けるどころか、上の写真を見ただけでも 何も知らない人は興味が湧きますよ。

そうでしうか?

しかも小百合さんの魅力的な写真が出てくる。


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この上の写真を見た人は、「どうして こんな格好をしているのだろうか?」。。。と、ますます興味が湧いてくるのですよ。

そうでしょか?

しかも、広い公園に小百合さんだけしか見当たらない。 「いったい、ここはどこなの?」。。。「マジで、こんな公園があるのォ~?」。。。と不思議な気持ちで読み続けるのですよ。

そうでしょうか?

そうですよ。。。 ところで、小百合さん。。。こんな広々とした公園なのに ピクニックをしている人が どういうわけで僕と小百合さんだけなのですか?

デンマンさんは知らないでしょけれど、最近、日本の公園では、火を使ってはいけないのです。 だから、バーベキューなど、公園内で してはダメなのですわ。 それで、ピクニックをする人も少ないのだと思いますわ。

でもねぇ~、昨日(10月16日)は、関東地方は素晴らしい秋晴れだったのですよ。 それなのに、バーベキューをしながらピクニックを楽しんでいるのは僕と小百合さんだけでしたからねぇ。。。 うへへへへへ・・・・ 僕は不思議な気分でしたよう。 でもねぇ、小百合さんと公園を自分の裏庭のように独り占めしている気分になって 実に楽しかったですよう。

私は公園の管理人さんが見回りに来て、「火を使うのなら出て行け!」と言われるのじゃないかと。。。気が気ではありませんでしたわ。


『愛のポテトチップサンド』より
(2014年10月17日)

小百合さんと「さきたま古墳公園」でピクニックした事と上杉謙信が関係あるのでござ~ますかァ~?

もちろんですよう。。。 関係なかったら上の記事を卑弥子さんに読んでもらうようなことはしませんよ。

だから、どのように関係しているのでござ~ますか?

ちょっと次の地図を見てください。


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赤丸で囲んだ古墳に注目してください。

“丸墓山古墳”と書いてありますわね。

そうです。。。 この丸墓山に上杉謙信がやって来たのですよう。

でも、上杉謙信は越後の国。。。 つまり、現在の新潟県上越市に住んでいたのでしょう?

そうです。。。

その謙信が丸墓山にピクニックをするためにやって来たのでござ~ますかァ~?

戦国時代に、わざわざピクニックをするために はるばる新潟県から軍団を引き連れて埼玉県までやって来るはずがないでしょう! 忍城を攻略するためにやって来たのですよう。


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。。。で、忍城は謙信の軍に攻め滅ぼされてしまったのでござ~ますかァ~?

この当時から忍城は難攻不落の城と言われていたのです。 だから、謙信も諦めて越後に帰ってしまったのですよう。

忍城を攻めたのは たったの1回だけですか?

謙信は忍城を3度攻めたらしい。 ものの本には次のように書いてある。

行田市内に上杉謙信の築いた城があったことを知っている人は少ない。
皿尾の雷電社がその名残りである。


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四百余年の前のことであり、完全な城ではなく砦に近いものであったらしいが、『関八州古戦録』『成田記』に“皿尾城”と記してある。

上杉謙信が忍城を攻めたことが三度ある。
天文22年(1553年)、永禄2年(1559年)、永禄3年(1560年)である。

天文22年雪どけ3月謙信は5千騎の大軍で関東に攻め入り忍城を攻めた。
成田16代長泰はかねて期していたので、本丸から全軍を指揮した。
謙信は佐間、下忍口を回る。

 (中略)

戦いらしい戦いもなく、小田原の援軍が来るのを知って謙信は引き上げた。 

第2回目は、永禄2年で館林より攻め入り、あっという間に利根川を渡り忍城に攻め入ったという。
丸墓山に櫓を組んで策戦を立て、忍城を水攻めしようとしたが、謙信の軍師宇佐美駿河守定勝は、水攻めは短時日では出来ない。
北條の援軍を考えて和睦すべきと進言、丸墓山の下の西行寺で和議をしたという。

その年(永禄3年)、謙信は9万6千を率いて小田原城を攻めた。
その時の戦勝祈願の鎌倉八幡宮の儀式の折、成田長泰のみ成田氏代々の儀礼によって馬乗のまま対面しようとしたので、謙信は怒り下馬させた。
一説には笞でなぐったとある。

成田長泰は一族をまとめ忍城へ引き返した。
関東の諸将もそれぞれ居城に引き上げたので、さすがの謙信も上州へ戻っていったという。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


198-200ページ『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社

謙信は丸墓山に櫓を組んで策戦を立て、忍城を水攻めしようとしたのですよう。 でも、謙信は石田三成よりも頭が良かったらしい。

どうして水攻めしなかったのでござ~ますか?

あのねぇ~、忍城は“忍の浮き城”と言われるくらいだから、水攻めをしたって、効果がないのですよう。 実際、石田三成は本陣を丸墓山古墳に置き、近くを流れる利根川を利用して水攻めを行った。 総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を造った。 でも、忍城はついに落城しなかった。


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石田三成が忍城水攻めのとき

陣を張った丸墓山古墳

時は天正18年(1590年)6月4日館林城を落とした石田三成の2万3千の大軍は、6日は完全に忍城を包囲したが、11日の総攻撃にも忍城を落とすことが出来ず、三成は“水攻め”を策し、7日間で白川戸西明寺から埼玉(さきたま)の丸墓山、堤根、吹上、久下(くげ)へかけて、一大堤防を築き水攻めは着々と進んだ。

16日夜陰に乗じて下忍口より出た水泳の達人十数人は、見事、新堤を切り崩したので、敵の陣地に濁流が流れ込んだ。
口碑につたわる破壊の場所は下忍の堀切橋と、渡柳の堀切橋であったので、その地名が残っているという。

水攻めの失敗で6月25日、岩槻城を攻略した軍が石田三成の軍に援軍として到着した。
しかし三成は加勢されたのでは面目が立たないと、ひそかに下忍口に攻め寄った。

しかし左右沼地と地理に不案内なので、多勢で押し寄せたが、攻め込むことは出来なかった。
忍の城兵はは全くの少数であったがよく守り抜いた。


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27日には長野口から入った石田勢は大手口まで攻め入ったが、成田氏長の娘18歳の甲斐姫の奮戦で士気が上がり、佐間口の決戦は正木丹波守の指揮で城兵は勇気百倍、2万数千の敵に千にも足りない少数で勝利をおさめた。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


186ページ『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社

18歳の甲斐姫の奮戦で士気が上がり、佐間口の決戦は正木丹波守の指揮で城兵は勇気百倍、2万数千の敵に千にも足りない少数で勝利をおさめた」と書いてありますけれど、甲斐姫は何をしたのでござ~ますかァ~?

甲斐姫は長刀(なぎなた)の達人だったのですよ。

長刀ってぇ、あの包丁のお化けのようなものでござ~ますかァ~?

そうです。


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あらっ。。。 女だてらに すっご~いざ~ますわァ。。。

卑弥子さんも長刀を始めたらどうですか?

いいえ。。。 あたくしは、このような はしたないことは出来ませんわ。

どうして。。。?

だってぇ~、長刀のお稽古を始めたら、ますます結婚できなくなりますわァ~。。。おほほほほほ。。。


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【卑弥子の独り言】


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あなただってぇ~、結婚のことを考えるならば、長刀のような危ない物を振り回していたら、男性が近寄らないと思うでしょう?!
あたくしは、やっぱり、武道よりも日本の古典に親しみたいのでござ~ますわ。

でも、甲斐姫ってすごいですわよねぇ。
ちいっとばかり あこがれますわ。


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でも やっぱり、あたくしは古風な平安女性をお手本にいたします。
こう見えても あたくしは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。
長刀の稽古を始めるよりも、源氏物語を教えていた方が、男性は安心すると思うのでござ~ます。

この際 高望みはいたしません。
“寅さん”のような人でもいいですわ。
旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

この際、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。
ついでだから、あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。


(tora019.jpg)

ところで、戦国時代のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。
たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。
ぜひ 覗いてみてください。

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『紅のボートピープル』

『蕎麦屋と忠臣蔵』

『ピンクと桃色』

『妻の不貞』

『卑弥子さん、ご指名ですよ!』

『カン違い大岡越前』

『ロマンのカシオペア』

『カシオペアの現実』

『エロい徳子を探して』

『紫式部と皇国史観』

『エロい道鏡と薬師如来』

『天平の麗しき淑女』

『元からの饅頭』

『なぜ唐に留まったの?』

『下着美人』

『一所懸命』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ効果』

『遊女と三つ子』

『布袋さんの魅力』

『今、エジプトに?』

『鍋かむり祭り』

『日本人はどこから来たの?』

『卑弥子も待ってます』

『卑弥子の源氏物語』

『源氏物語もエッチなのに』

『失意の紫式部』

『めちゃムカつく足枷』

『床上手な女になりたい』

『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

『日本の死海文書』

『今さら聞けない、床上手』

『兄妹の恋と大乱』

『えっ、ヒトラーはベジタリアン?』

『外人に乗っ取られた日本?』

『失われたバレンタイン』

『軽井沢夫人@日本王国』

『都知事になれなかった男』

『落選男の正体?』

『カナダはカエデの国なの?』

『海外飛躍遺伝子』

『ふるさとは遠きにありて…』

『芭蕉と遊女の出会い』

『芭蕉と遊女が…あれぇ~!』

『宮沢りえと3723人の観客』

『血のつながり』

『チョー有名な三角関係』

『日本の真ん中』

『デンマンの死@玉淀』

『血の絆』

『イジメられたら?』

『アタマにくる一言をかわすには』

『顔文字がダメなら?』

『日本の一番長い日』

『オルフェと聖徳太子』

『寅さんの本棚』

『平成の紫式部』

『心にしみるウンチ』

『念願のトップページへ』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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チョー有名な三角関係

2014年5月29日

 

チョー有名な三角関係

 


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デンマンさん。。。 なんだか おもろい画像でござ~♪~ますわねぇ~。 おほほほほほ。。。 でも、どうしてベッドルームが日本間なのでござ~ますか?


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だから、日本のお話ですよう。

ムカついている女性は、日本人には見えませんわ。。。んで、最近のお話でござ~ますか?

いや。。。 ずいぶんと昔の話ですよ。 卑弥子さんは最近の“チョー有名な三角関係”を知っているのですか?

いいえ。。。 あたくしは、そのような事には興味がござ~ませんわァ。

あれっ。。。 マジで。。。? 女性は、けっこう そういう事には興味があるじゃありませんかァ! 女性週刊誌が売れるのも芸能界の乱れた関係やゴシップが たくさん書いてあるからじゃないのですかァ?

。。。んで、ずいぶん昔の“チョー有名な三角関係”というのは、いったい誰のことでござ~ますかァ~?

卑弥子さんも良く知っている人物ですよ。 ちょっと次の和歌を読んでください。

茜(あかね)さす 

紫野行き

標野(しめの)行き 

野守(のもり)は見ずや 

君が袖振る

 

作者:

額田王(ぬかたのおおきみ)


現代語訳:

茜色の光に満ちている紫の野、

天智天皇御領地の野で、

あぁ、あなたはそんなに

袖を振ってらして、

野守が見るかもしれませんよ。

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あらっ。。。 このお歌は、あの有名な額田王(ぬかたのおおきみ)がお詠みになったものではござ~ませんかァ!

そうですよう。

懐かしいですわァ。 確か以前にデンマンさんは『日本で最も有名な三角関係』というタイトルで記事を書いていましたわね。


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『日本で最も有名な三角関係』

。。。んで、どう言う訳で、また額田王のお歌を取り上げたのでござ~ますか?

あのねぇ~、実は夕べ本を読んでいたら次の箇所にぶち当たったのですよ。

「天智・天武」兄弟の争いか

『日本書紀』や『万葉集』はこの二人と額田王の関係を文芸的、映像的に描くが、歴史学者や文学研究者のなかにできすぎの話とする見解が増えてきた。

天智・天武兄弟説の矛盾には「大化の改新」でも触れたが、この二人をめぐる額田王の恋歌にしても早くから白川静、沢潟久治、池田弥三郎、山本健吉らによって否定されている。

短歌の文体も初期の漢詩体ではなく数十年後の文体であり、後世の造作の疑いが大きい。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


298ページ 『ゼロからの古代史事典』
編著者: 藤田友治、伊ヶ崎淑彦、いき一郎
2012年8月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 ミネルヴァ書房

つまり、上の歌は額田王がお詠みになったのではなくて、誰か他の人が作ったというのでござ~ますか?

そうですよゥ。。。

。。。んで、デンマンさんも、そう思うのでござ~ますか?

そうです。。。 「大化の改新」だとか。。。 いろいろと考えてゆくと、この当時、不思議な謎が多すぎるのですよ。


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「大化の改新」はマジでなかったのでござ~ますかァ?

もちろん「乙巳の変(いっしのへん)」という大事件はあったのですよ。 つまり、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(藤原鎌足)らが宮中で蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏(蘇我本宗家)を滅ぼしたのですよ。 でもねぇ~、その後、中大兄皇子は体制を刷新して大化の改新と呼ばれる改革を断行したことになっている。 でも、この一連の政治改革について、歴史研究者の間で、いろいろな疑問を投げかけている人がいるわけですよ。

上のビデオクリップは、その疑問についてのことでござ~ますか?

そういうことです。

。。。んで、額田王のお歌とされているものも、「大化の改新」と関係あるのでござ~ますか?

僕は関係していると思うのです。。。 だから、こうして また“チョー有名な三角関係”を取り上げたわけなのですよ。

分かりましたわ。。。 では、その訳をさっそく 伺いたく思いますわァ~。

あのねぇ~。。。 上の引用の中で次のように書いてあることに注目してください。


(bond010.gif)


『日本書紀』や『万葉集』は

この二人と額田王の関係を

文芸的、映像的に描くが、

歴史学者や文学研究者のなかに

できすぎの話とする見解が増えてきた。

できすぎの話というのは、いったい どういうことでござ~ますか?

つまり、あまりにも都合のいいような話ということですよ。

誰にとってでござ~ますか?

もちろん、天智天皇の後に政権の座につく天武天皇に都合のいい話になっているのですよ。

そうでしょうか?

だってぇ、そうじゃありませんか!? 上の歌を読む限り額田王が 後に天武天皇になる大海人皇子に惹かれているのがよく解る。 この歌を後世の我々が読むと、どうやら人間的に見て天智天皇よりも天武天皇の方がすぐれているのではないか! だから、額田王も天武天皇の方に惹かれているのではないか! 僕は、初めて上の歌を読んだ時に、そのような印象を持ったのですよ。 ところで、この時大海人皇子(後の天武天皇)は額田王の上の歌に答えている。


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紫草(むらさき)の 

にほえる妹(いも)を

憎くあらば 

人妻ゆえに 

われ恋ひめやも

額田女王は、大海人皇子の間に十市皇女をもうけていますが、
その後、額田女王は天智天皇に召され、大海人から見れば“人妻”となったのです。
この歌は、二人の“秘めた恋心”を大胆に告白したものと解釈している人が多いですよ。
つまり、後の天武天皇が、こう詠(うた)っているんですよね。

今のオマエは天皇の妻であるかもしれない。

でも、ボカァ~、オマエのことが忘れられないんだよ。

こんなに愛してしまっているんだよ。

もう、恥も外聞もないよ。

ボカァ~、だから、オマエ見ると、どうしても、

あのように手を振ってしまったんだよ。

分かるだろう?

こんな気持ちだと思うのですよね。
この歌は、668年の蒲生野での遊猟のあと、大津宮での浜楼での宴の際に衆目の中で詠まれた、と言われています。
後に額田女王をめぐって大海人皇子と天智天皇(兄弟)との確執を招き、壬申の乱の遠因になったという歴史家も居るほどです。

この歌は、“戯れ”の歌という見方もあり、戯れの中にこそ真実が秘められているといった解釈もあります。
いずれにしてもこの古代のロマンにあふれるこの歌が、今も多くの万葉ファンを魅了していることは疑いのないことです。

天智天皇の死後、その子である大友皇子と大海人皇子の間で皇位継承をめぐって戦われたのが672年に起こった壬申の乱です。
この乱は額田女王にとって大きな悲劇でした。
大海人皇子とは十市皇女をなした仲です。
一方の大友皇子は十市皇女の夫です。

つまり、かつての愛人と娘の夫が戦ったわけです。

戦いは大海人皇子に有利に展開し、瀬田の合戦に破れた大友皇子は山背国、山前の地で首をくくり自害したのです。
十市皇女も夫の後を追って自殺したと言われています。
乱後の大海人皇子は天武天皇となり、その時、彼を側で支えたのは額田女王ではなく、天智天皇の娘(後の持統天皇)鸕野讚良(うののさらら)皇女だったのです。

その後、額田女王の身の上にどのような変化があったのかは史実としては不明ですが、彼女は自分自身の時代の終焉を悟ったに違いありません。
大津宮は遷都からわずか6年余りで廃都となりました。

額田女王は“万葉の女王”で

あるにもかかわらず、

なぜ謎の女性なのか?


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額田女王こそ、万葉集という現代人には無縁のような歌集にロマンをちりばめている日本史上屈指の女流歌人だと僕は思いますね。
また、僕だけではなく、多くの歴史家や、文学愛好家や、歌人、詩人たちがそう信じていると思います。
額田女王は大化の改新から壬申の乱にかけて活躍し、
万葉随一の女流歌人と言われた。

彼女はまた絶世の美女とも言われ、天智天皇・天武天皇に深く愛された。

激動の歴史の中で、額田女王は、ひたすら自らの思いに忠実に生きた。
美しく、才知にあふれ、強く情熱的な女性であった。

あなたもそう思いませんか?
だからこそ、万葉集の額田女王の歌はロマンを漂わせながら光り輝いている。

なぜ、光り輝いているのか?
もちろん歌そのものがロマンに満ちている。
しかし、それならば、なぜ、『日本書紀』には、額田女王の記述がたったの1行なのか?
なぜなのか?

額田女王のすばらしい業績が万葉集の中で光っている!
それなのになぜ?

僕はこのことでずいぶんと考えさせられました。
何も僕が深刻ぶって悩まなくても良いのですが、僕にとって、額田女王が、あたかも“古代のレンゲさん”のような存在になっている。

叶わぬ僕の片思いなんですよ。
つまり、“心の恋人”です。うへへへへ。。。。
僕は気が多いのですよ。

では、マジになって。。。

あれほど万葉集の中で輝いている額田女王が『日本書紀』の中では、なぜ1行の記述なのか?
それは次の天皇家の系図を見ると実に良く分かりますよ。


(keizu03.gif)

この当時の実権を握っていたのは持統天皇と藤原不比等だったんです。
この二人の結びつきがこの系図にありありと表れています。
この二人の人物は政治的に2人3脚で律令政治を確立させて実施した同志だったんですよね。

『日本書紀』の編集長は誰か?
藤原不比等です。
壬申の乱の後、大海人皇子は天武天皇となった。
その時、彼を側で支えたのは額田女王ではなく、天智天皇の娘(後の持統天皇)鸕野讚良(うののさらら)皇女だった。
天武天皇はあれほど額田女王を愛していたのに!
なぜ?

あなたにも分かりますよね?
水面下で額田女王と持統天皇との女の確執がある。
額田女王は人から愛される性格だった。
それは、この女性が二人の天皇から愛されたことでも良く分かることです。

ところが持統天皇は人から愛されるような性格ではなかったのです。
持統天皇にしてみれば、同じ女として面白くあろうはずがない!

これは歴史家が誰も言っていないことですが、僕は持統天皇が境界性人格障害者だと信じることができます。
もちろん、当時、そのような病名はない!
他に、このようなことを言う人も居ませんよ!

とにかく持統天皇は独占欲の強い人だった!

それは、天武天皇の血を引く天皇後継者の息子たちがたくさん居たにもかかわらず、持統天皇は断固として、自分の血が流れていない者には皇位に就(つ)かせなかったことからも実に良く表れています。


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上の系図を見てください。
これだけ女帝を立てたのもそのためです。
それを藤原不比等が自分の娘を皇室に入れてサポートしたんですよ。

つまり、この点で、この二人の権力独占志向の人間の気持ちがひとつになったのです。
つまり、幼少の頃から、この二人は、信じることのできるものは“権力”しかないということを身にしみながら自分の目で見てきたんですよ。
このことについては、あとで詳しく書きたいと思います。

では、万葉集の中でこれだけ額田女王を輝かせたのは誰なのか?
それは、『万葉集』の編集長の大伴家持です。
ここで大伴家持の事を書くと長くなるので書きません。
すでに次の記事の中で詳しく書いたので関心のある人はぜひ読んでみてくださいね。

『性と愛と批判—万葉集の中の政治批判?』

大伴家持は反骨精神を持った人物です。
藤原不比等が横暴の限りを尽くしたことを苦々しく思っていた人です。
大伴家持自身も“藤原政権”に反抗して時の権力者によって“逮捕”され罰を受けたこともあります。
上の記事の中で、そのことも書きました。

つまり、持統天皇のごり押しによって、額田女王の記述が『日本書紀』の中にたった1行しか書いてないことも、大伴家持は苦々しく思っていたことでしょう。
『万葉集』は大和朝廷の正史ではありません。
だから、時の権力者は見逃してしまったのでしょうね。

「愛の歌を載せたんですよ。
政治とは関係ありませんからね。。。」

“発禁処分検閲官”が調べにやってきた時に、おそらく大伴家持はそう言ったでしょうね。

「まあ、そういうことならば、いいでしょう。。。」

馬鹿な検閲官は愛の歌と聞いて見逃してしまったのでしょうね。
でも、よく読めば、この相聞歌の裏には、生々しい政治的な“三角関係”が秘められている。
つまり、天智天皇が暗殺されて天武政権が出来上がって行く過程をこの相聞歌として万葉集に載せている。

『天武天皇と天智天皇は

 同腹の兄弟ではなかった』

『天智天皇は暗殺された』

『天智天皇暗殺の謎』

持統女帝は天智天皇の娘です。
しかし、崩壊家庭に生まれ育ったこの娘は、自分の母親とおじいさんがこの非情な父親のために死に追いやられたことを恨んでいました。
この娘は、父親に利用されて、腹違いの兄(弟ではない。実は兄)、大海人皇子の妻になるようにと言われて、実の姉と共に大海人皇子の妻になったのです。
でも、大海人皇子の心は上の歌でも明らかなように額田女王を愛している。

実の姉が亡くなり、名実ともに天武天皇の皇后になったけれど、夫の心は自分にはないと分かっている。
腹の中では夫に対しても、額田女王に対しても頭にきている!
天武天皇が亡くなる。
自分の血がつながっていない夫の子供たちには、何が何でも皇位を渡したくはない!
持統女帝として、自分で皇位を継ぐ。

同志の藤原不比等が『日本書紀』の編集長になる。
持統天皇は言ったはずす。

「あのね、史(ふひと)さん、額田女王のことは1行だけ書けばいいのよ。。。
あなたにも私の気持ちが分かっているわよね。。。」

「かしこまりました。そのように手配いたします。」

女帝と藤原不比等の会話はこのようなものだったでしょうね。

しかし、万葉集の編集長の大伴家持は反骨精神に燃えています。

おまえたちの思うようにはこの世界は動かんぞ!
読む人が読めば分かるように万葉集の中に真実を載せるだけさ!
いづれ、分かる時が来るさ!

僕は大伴家持のそのような呟(つぶや)きを聞きながら万葉集を読んでいます。 うへへへへ。。。。


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ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?

古代史は遠い昔のことには違いありません。
でも、現代にも通じるような人間ドラマが秘められているように思うのでござ~ますわ。

そう考えながら読めば、新しい発見があるかもしれませんわ。
そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。
ぜひ お読みください。

では。。。

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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(sayuri5.gif)

ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『紅のボートピープル』

『蕎麦屋と忠臣蔵』

『ピンクと桃色』

『妻の不貞』

『卑弥子さん、ご指名ですよ!』

『カン違い大岡越前』

『ロマンのカシオペア』

『カシオペアの現実』

『エロい徳子を探して』

『紫式部と皇国史観』

『エロい道鏡と薬師如来』

『天平の麗しき淑女』

『元からの饅頭』

『なぜ唐に留まったの?』

『下着美人』

『一所懸命』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ効果』

『遊女と三つ子』

『布袋さんの魅力』

『今、エジプトに?』

『鍋かむり祭り』

『日本人はどこから来たの?』

『卑弥子も待ってます』

『卑弥子の源氏物語』

『源氏物語もエッチなのに』

『失意の紫式部』

『めちゃムカつく足枷』

『床上手な女になりたい』

『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

『日本の死海文書』

『今さら聞けない、床上手』

『兄妹の恋と大乱』

『えっ、ヒトラーはベジタリアン?』

『外人に乗っ取られた日本?』

『失われたバレンタイン』

『軽井沢夫人@日本王国』

『都知事になれなかった男』

『落選男の正体?』

『カナダはカエデの国なの?』

『海外飛躍遺伝子』

『ふるさとは遠きにありて…』

『芭蕉と遊女の出会い』

『芭蕉と遊女が…あれぇ~!』

『宮沢りえと3723人の観客』

『血のつながり』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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軽井沢夫人@日本王国

2014年3月28日

 

軽井沢夫人@日本王国

 


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デンマンさん。。。 小百合さんが日本王国の軽井沢夫人なのでござ~♪~ますかァ~?


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あれっ。。。 ひょっとして卑弥子さんは不満なのですかァ~?

不満とか何とかと言うことよりも、史実に照らして間違っていることをネットで広めることは公共の利益と福祉に反しているのでござ~ますわア。

やだなあああァ~。。。 卑弥子さんは急に堅苦しいことを言うのですねぇ~。。。 僕が卑弥子さんの顔を上の“軽井沢夫人”の顔に嵌め込まなかった事が不満なのですかァ~?

そうじゃありませんわア! 間違った史実をネットで広めることは青少年の教育上 良くないと申し上げているのでござ~ますう。 第一、“日本王国”などという いかがわしい名称は歴史の教科書には載っていませんわ。 それに、“軽井沢夫人”が“大和王権”があった時代に居たわけがないじゃござ~♪~ませんかァ!

あのねぇ~、卑弥子さんは思い込みが激しいのですよ。 古代日本史は、この20年の間に かなりの部分が塗り替えられようとしているのですよ。

つまり、大和王権よりも強大な“日本王国”が存在したと デンマンさんは、マジで信じているのでござ~ますか?

もちろんですよ。 卑弥子さんは知らなかったのですか?

何をでござ~ますか?

だから、大和王権よりも強大な“日本王国”が存在したことをテレビでやっていたのですよ。 ちょっと次のビデオ・クリップを見てください。


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【歴史ミステリー】謎の日本王国

あたくしは【歴史ミステリー】のようなものを信じておりませんので、こういうテレビ番組は見ないようにしているのでござ~ますわ。

あのねぇ~、卑弥子さんは 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授なのですよ。 まがりなりにも日本文化を教えている教育者が日本の歴史について無関心だということは許されないことですよゥ。

でも、【歴史ミステリー】という番組は、結局のところ 民放の“お馬鹿番組”に毛を2,3本生やしたようなものなのでしょう!?

確かに、僕も初めは馬鹿にして見ていたのですよ。 でもねぇ~、民放が作った番組で コマーシャルが入っているからといって、一概に馬鹿にできないのですよゥ。 けっこう、なるほどと思わせるような“発見”があるのですよ。

たとえば。。。?

次の「旧唐書(くとうじょ)」ですよ。


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古代史を勉強した人ならば、「旧唐書(くとうじょ)」を知らない人はいないのですよ。 しかも、「日本國者倭國之別種也」と確かに書いてある!

日本語に訳すと「日本國は倭國の別種なり」ということになるのでござ~ますか?

そう解釈する人もいるけれど、「日本國からやって来た者は倭國からやって来た人とは別種なり。 つまり、別々の2つの国からやって来たのだ」とも解釈できる。 いずれにしても「日本國」と「倭國」は違うと言っているのですよ。

でも、関東地方に日本国があったなんてぇ学校の歴史の時間に勉強しませんでしたわ。

あのねぇ~、日本史は時間と共に書き換えられているのですよ。 現在では『日本書紀』に書いてあることをそのまま史実として受け止めている歴史学者は皆無に近い。

つまり、『日本書紀』にはデタラメが書いてあるとデンマンさんは言うのですか?

いや。。。 僕が言っているのではありませんよ。 卑弥子さんは『源氏物語』を講義しているのでしょう! 紫式部も「蛍の段」で、“玉かづら”に対して光源氏に次のように言わせている。


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「にほん紀などはただ片そばぞかし」

(日本書紀はただの作り物です)

あらっ。。。 マジで そのようなことが書いてあるのでござ~ますか?

今夜、もう一度『源氏物語』を読み直してくださいよ。 それに、西園寺公望は貴族のトップにいて 第2次大戦まで昭和天皇の首相推薦にかかわっていた。 この要人中の要人が日記に次のように書いていたのですよ。


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西園寺公望(1849-1940)

「(古事記や日本書紀のような)

妄誕(もうたん)の書(でたらめの書)を

重んずるごときは大いに国に損あり」

あらっ。。。 日本を動かしていたような人物が、そのようなことを書いていたのでござ~ますか?

だから、最近では、『古事記』や『日本書紀』には、出鱈目な事も書いてあると疑って読まないといけないと、歴史家も考えるようになっているのですよ。

でも、倭國という名前が 蔑(さげす)まれているような名称だから “日の出る所” つまり、「日本國」に名前を変えたと歴史の時間に学びましたわ。


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だから、それが出鱈目な事の一つなのですよ。 倭國とは別に「日本國」、番組では「日本王国」があったと言うのですよ。

どこに。。。?

僕の実家の近くに。。。


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僕が生まれ育った行田市には「さきたま古墳群」という古墳がたくさんあるのですよ。


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しかも、古墳の数も大和王権よりも多い。


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さらに、60メートル以上の前方後円墳も日本王国の方が断然多いのですよ。


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。。。んで、どのようなわけで小百合さんが“軽井沢夫人@日本王国”として登場しなければならないのでござ~ますか?

あれっ。。。 やだなあああァ~。。。 卑弥子さんは、もう忘れてしまったのですか?

何をでござ~ますかァ~?

次の小百合さんからのメールですよ。 卑弥子さんも読んだでしょう!?


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Subj:ハッピー、バレンタイン!


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日本時間: 2014年2月14日(金)午前9時9分
Date: Thurs. 13/02/2014 16:09
(バンクーバー時間)
Pacific Standard Time
From: sayuri@hotmail.com
To: denman@coolmail.jp
CC: barclay1720@aol.com

デンマンさん、お元気ですか?
早いものですね。
去年の10月にお会いしたと思っていたら、もうバレンタインですね!

“ルート66の奇跡”でデンマンさんは死ぬほど驚いたようですが
ちょっとオーバーですよ。


(r66.gif)
 

(r66c.jpg)


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『ルート66の奇跡』

でも、デンマンさんのおかげで
日本では手に入らないアイリッシュ・クリーム・フレーバーの待望のコーヒーがいただけて
懐かしいバンクーバーを思い出しながら
香りと味を充分に楽しみましたわァ。


(gog30609b.gif)
 
デンマンさんが滞在した1ヶ月は
“光陰矢のごとし”
なんだか アッという間に過ぎてしまったような気がします。

「さきたま古墳公園」でのピクニックが昨日のように
思い出されます。

私が「ツナ缶のLemon味も忘れずに!」とメールに書いたので
デンマンさんが わざわざlemon-pepper味のツナ缶を
日本へ持ち帰ってくれました。
ありがとう!


(sakitama95.jpg)


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10月16日の水曜日は、とっても天気がよくて
まさに秋晴れの行楽日和でした。
デンマンさんが lemon-pepper 味のツナをのせた“カナペ”を作ったのには驚かされましたよ。


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私も ウキウキして白ワインなどを持ち出して
“とっても美味しいわァ! 素敵だわァ~!”なんちゃってぇ~。。。 
うふふふふふ。。。

。。。というわけで、お返しと言っては何ですけれど、
デンマンさんのためにバレンタインの小包を
船便で送りました。

ちょっと遅れるかもしれませんけど
近いうちにお手元に届くと思います。

\(*^_^*)/

では。。。


『失われたバレンタイン』より
(2014年3月23日)

どうして。。。、どうして、バレンタインが日本王国と関係あるのですかァ~?

いや。。。 バレンタインが関係あるんじゃなくて、「さきたま古墳公園」で小百合さんと僕が一緒にピクニックをしたということが関係あるのですよ。

どうしてで ござ~ますか? たまたま小百合さんとデンマンさんが去年の秋に「さきたま古墳公園」でピクニックをしたという偶然ではありませんか!

それが偶然ではない!

どういうことでござ~ますか?

次の記事を読んでみてください。

デンマンの祖先は百済からやって来た


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僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。


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それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?

後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。 つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。

つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?

難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。

それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?

そう言う事ですよう。

。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?

そんなモノは残っていませんよう。

。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?

僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。

その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?

“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。

つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?

全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。


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。。。んで、小百合さんの祖先も百済からやって来て武蔵国に定住したのでござ~♪~ますか?

そうですよう。おそらく、百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったけれど、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって一緒に武蔵国まで行ったのですよう。

どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?

小百合さんの実家は館林にあるのですよう。僕の実家から車で20分から30分ですよう。目と鼻の先ですよう。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんは日本で小百合さんにお会いした事は無かったのでござ~♪~ますか?

不思議な事に小百合さんと僕が初めて出会ったのはカナダのバーナビー市で小百合さんが13年間借りていた“山の家”だったのですよう。


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バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。


(burnamap3.gif)

この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に小百合さんが借りていた“山の家”があるのですよう。


(deerlak3.jpg)


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この家でデンマンさんは10数年前に小百合さんと初めてお会いになったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。次のように小百合さんの“山の家”の応接間で会ったのですよう。


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これって、またデンマンさんがコラージュしてでっち上げたのでござ~♪~ますわね?

確かに、上の写真は僕がでっち上げたのだけれど、現実でもねぇ、僕は、こうやって小百合さんと会ったのですよう。

でも、どうして小百合さんの祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たと分かるのですか?

小百合さんの DNA にも“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですよう。僕と同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、小百合さんは佐野からカナダのバーナビーに渡ったわけですよう。そして僕と“山の家”で出会ったのですよう。

ただ、それだけの事でござ~♪~ますでしょう?

ただ、それだけじゃないですよう。ちょっとジューンさんの言ったことを思い出してくださいよう。


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こんにちは。ジューンです。

袖触れ合うも他生の縁

(そでふれあうもたしょうのえん)

聞いたことがあるでしょう?

なかなか味わいのある諺ですよね。

袖が触れ合うようなちょっとしたことも、

前世からの深い因縁によって

起こるものである、と言う事です。

わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”

だと思ったのですわ。うふふふふ。。。

つまり、袖が触れ合ったのは、

全く偶然ではなくて、少しは

そうなる運命にあったのよう。。。

私は、そのように思い込んでいたのです。

でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。

「他生」というのは「前世」の事だと、

デンマンさんに教わったのですわ。

調べてみたら、「他生」とは

「前世」と「来世」の事を言うのですって。

上の諺では、文脈から

「前世」となる訳ですよね。

この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。

そう言えば「今生の別れ」と言う語句を

何度か耳にしたことがありました。

仏教の輪廻(りんね)と

関係のある諺なのでしょうね。

わたしは英語には、この諺は

無いと思っていたのですけれど、

調べてみたら、次のようなものがありましたわ。

A chance acquaintance

is a divine ordinance.

Even a chance meeting is

due to the karma in previous life.

つまり、「偶然の出会いは神の定め」

と言う事なのです。

多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。

カナダでは耳にしたことがありませんわ。


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『デンマンの祖先は百済からやって来た』より
(2010年8月4日)

つまり“海外飛躍遺伝子”というようなバカバカしいものを信じろ!と、デンマンさんは言うのでござ~ますか?

違いますよ。 僕の先祖は唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だったのですよ。

その事と日本王国が関係しているのですか?

もちろんですよ。 あのねぇ~、古墳の中からは“馬冑(ばちゅう)”が出土するのですよ。


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更に、馬の埴輪(はにわ)もみつかる。


(japan106.jpg)

要するに、日本王国には“騎馬軍団”が居たということですよ。

デンマンさんのご先祖様も その騎馬軍団の中に居たと言うのでござ~ますかァ~?

当然そうなるでしょうねぇ~! 次のクリップを見ると僕の先祖が出てきますよ。


(japan204.jpg)

お馬さんに乗っているのがデンマンさんのご先祖様でござ~ますか?

そうです。 卑弥子さんは信じられないのですか?

信じられませんわ。

“信じる者は救われる!”と昔の人は言ったでしょう!? 信じた方が幸せになれますよ。


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(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
あなたは信じることができますか?
あたくしは イマイチ信じられませんわ。

興味があったら次のビデオ・クリップもご覧になってくださいませぇ。

たまには、あなたも古代の日本の歴史について 覗いてみませんか?
平安史、古代史の記事を用意しました。
ぜひ お読みくださいまし。
では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『紅のボートピープル』

『蕎麦屋と忠臣蔵』

『ピンクと桃色』

『妻の不貞』

『卑弥子さん、ご指名ですよ!』

『カン違い大岡越前』

『ロマンのカシオペア』

『カシオペアの現実』

『エロい徳子を探して』

『紫式部と皇国史観』

『エロい道鏡と薬師如来』

『天平の麗しき淑女』

『元からの饅頭』

『なぜ唐に留まったの?』

『下着美人』

『一所懸命』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ効果』

『遊女と三つ子』

『布袋さんの魅力』

『今、エジプトに?』

『鍋かむり祭り』

『日本人はどこから来たの?』

『卑弥子も待ってます』

『卑弥子の源氏物語』

『源氏物語もエッチなのに』

『失意の紫式部』

『めちゃムカつく足枷』

『床上手な女になりたい』

『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

『日本の死海文書』

『今さら聞けない、床上手』

『兄妹の恋と大乱』

『えっ、ヒトラーはベジタリアン?』

『外人に乗っ取られた日本?』

『失われたバレンタイン』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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