Posts Tagged ‘日本の古典’

徳子と小督の悲話

2013年4月18日

 

徳子と小督の悲話

 


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デンマンさん。。。 「悲話」というタイトルが見えてますけれど上の画像を見ていると、なんとなくエロい雰囲気が漂ってくるのでござ~♪~ますわァ~。。。


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。。。ん? エロい雰囲気ですか?

そうですわ。。。 3枚目の画像ですわよう。。。 どう見てもエロいではござ~♪~ませんか! だからボカシが入っているのですわ。 そうでしょう?

卑弥子さんはエロい画像ばかりに注目するからですよ。

だってぇ、どうしてもエロい画像に目が釘付けになってしまうのですわ。 うふふふふふ。。。

それは卑弥子さんがエロい事に興味があるからですよ。

あらっ。。。 デンマンさんは、あたくしがエロい女だと思っているのでござ~ますか?

違うのですか?

んもおおおォ~。。。 ムカつきますことォ~!。。。 あたくしは、これでも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授でざ~ますわ。 言うに事欠いてエロい女などとォ~。。。 あたくしの母親が聞いたら涙を流して悲しみますわよう。。。

そうでしょう。。。 そうでしょう。。。 だから、今日は悲話の話しをするのですよ。

あらっ。。。 エロいお話ではないのでござ~♪~ますか?

あれっ。。。 卑弥子さんは、エロい話の方がいいのですか?

だってぇ。。。、だってぇ~。。。 デンマンさんがせっかくエロい画像を貼り付けたのでござ~ますから、あたくしはかまいませんけれど、エロい画像を見た世界のネット市民の皆様の多くがエロいお話を期待していると思うのでござ~ますわ。

あのねぇ~、何も卑弥子さんが他のネット市民の皆様のエロい興味の事を考える必要はないのですよ。 卑弥子さん自身はどうなのですか? エロい話の方がいいのですか?

デンマンさん! いい加減にしてくださいましなァ! 出だしからこのような下らない事でガタガタ言わないで細木数子のようにズバリ!と本題に入ってくださいましなァ。 んもおおおォ~!

分かりました。 卑弥子さんがそのように言うのであれば、まず次のリストを見てください。


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赤い枠で囲んだ本をバンクーバーの市立図書館から借りて読んだのでござ~ますか?

その通りですよ。 よく分かりましたね。

だってぇ~、昨日も上のリストを持ち出したではござ~ませんか!


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この本はなかなか読み応え、見応えのある本ですよ。 素晴らしい写真がたくさん貼ってあるので眺めているだけでも飽きないのです。 バンクーバーでこの本を手にとって眺めていると京都の風景が本当に懐かしくなってきますよ。

あらっ。。。 それほど京都の風景が懐かしいのでござ~ますか?

そうです。。。 京都生まれで京都育ち。。。、 しかも、京都にある女子大学でエロい腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を教えている卑弥子さんが実に羨(うらや)ましいですよう。

「エロい腐女子」が余計でござ~ますわ。 それで、上の御本の中に「徳子と小督の悲話」が出てくるのでござ~ますか?

そうなのですよ。 ちょっと次の小文を読んでみてください。

『平家物語』で歩く紅葉名所

建礼門院徳子は、平家全盛の頃清盛の次女として生まれ、15歳で高倉天皇の中宮になる。
その後、西海壇ノ浦で我が子の安徳天皇と平家一門の悲劇を目の当たりにする。

都へと戻された彼女は、安徳天皇と平家一門の菩提を弔うために剃髪し出家した。
それが落飾の地・東山の長楽寺(ちょうらくじ)で本堂の左手に建礼門院の落飾の塔ともいう、燃えるような紅葉に包まれた供養等が建っている。


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 (中略)

一方、小督(こごう)の悲恋物語は『平家物語』の中に描かれる女人の話として哀切極まるものである。
高倉天皇の寵愛を受けた小督が徳子より先に子を生む。
すると清盛は怒り、小督を無理やり尼にして追放した。

黒染めの衣をまとった小督は最初嵯峨野に隠れ、その後、東山清閑寺(せいかんじ)に籠もって、23歳で死去したと伝えられている。
境内には小督塚が舞い落ちる紅葉を受けて建っている。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


88ページ 『花物語で歩く京都』
著者: 川端洋之
2006(平成18)年3月15日 第1刷発行
発行所: 株式会社 淡交社

僕は『平家物語』を現代語訳で一通り読んではいたのだけれど、なぜか小督さんの悲話を見逃していたのですよ。

なぜでござ~ますか? エロいお話ではないので読み飛ばしていたのですわね。 うふふふふふ。。。

やだなあああァ~。。。 卑弥子さんは僕をエロい男だと思っているのですか?

殿方はすべてエロい生き物でござ~ますわよう。 おほほほほほ。。。

確かに、男はエロい話が好きですからね。。。 言われてみれば建礼門院徳子さんには次のようなエロ話が伝わっているのですよ。

私に合わせて腰を上下に

徳子が結婚したのは18歳、夫はわずかに12歳だったし、その夫婦生活もたったの9年だから、真の快美を知らぬのも無理はなかった。
まして閨技など、義経に教えられるまで、こんな世界があるなんて思いもよらない。
「私は怨むわ。 あなたのお節介を。 でも、これを知らないで死んだら、どんなにか悔いることでしょうね」うわごとのように、くり返す。

義経は半身を起こして、玉唇の紫龍をくわえる様を、つらつらと眺める。
徳子は恥ずかしく、脱いだ衣を集めて半身をおおう。
義経はわざと激しく出没させる。
「ああ、やめて」と止めるのも聞かず、かえって一の指を玉中に加え、「私のは細いから、これでちょうど良くなりましょう」とからかう。
徳子は両手で顔をおおい、悶えた。
「痛い。 裂けるわ。 やめて」
「お産の時は、もっと広げたでしょうに」
「恥を捨てて任せたのに、更に辱めるのですか」
「とおっしゃるなら、別の方法もありますよ。 教えてあげよう」


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右手に徳子の腰を、左手に肩を抱えて身を起こす。
自分はあぐらをかき、その上に徳子の尻を載せ、跨(またが)らせる。
「ああ、何をするの?」

義経は手をのばし襯衣(シャツ)を取り、徳子の背にかぶせた。
徳子の方は夜具を引き、これまた義経をおおう。
義経は襯衣(シャツ)の外から背を抱き、もう一方の手で尻を、こちらは襯衣(シャツ)の内から抱えた。
徳子は両手で義経の首につかまる。
彼の顎をおのが肩に載せさせる。
顔を傾ければ唇は斜めに義経の口に接した。
舌と舌で互いの口中を洗う。
股間の陽は陰をつき、陰は陽を噛まんとする。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)


44-46ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社

『徳子はエロカワ?』に掲載
(2013年1月25日)

あらっ。。。 もろにエロいお話でござ~♪~ますわ。 うふふふふふ。。。

卑弥子さん!。。。 鼻息が荒くなって。。。 眼が。。。 眼がギラギラと輝いてますよ! あのォ~。。。 そんなに近づかないでくださいよ。 卑弥子さんの鼻息が僕の顔に吹きかかるのですよ!

デンマンさん!。。。 悪い冗談はお止めになってくださいましなァ! どうして私の鼻息が京都からバンクーバーに吹きかかるのですかァ~?

とにかく、徳子さんには、このようなエロい話が伝わっているのですよ。

。。。んで、小督(こごう)さんのエロ話は。。。?

それが無いのですよ。

マジで。。。? どういう訳で小督さんにはエロいお話が無いのでござ~ますか?

だから、なぜだろうと思って僕はこの記事を書くことにしたのですよ。 

でも、探せばどこかに小督さんにのエロいお話があるでしょうに。。。?

それが無い! 探したけれど、どこにも見当たらないのですよ。 ただ、次のような悲しい物語だけが伝わっているのです。

小督哀話


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『嵯峨野の月』(月岡芳年『月百姿』)源仲国と小督時は平氏全盛の平安朝最末期、時の帝であった高倉天皇は最愛の寵姫を亡くし悲嘆に暮れていた。
見かねた中宮(清盛の娘である建礼門院徳子)は天皇を慰めようと、美貌と音楽の才能で名高かった中納言・藤原成範の娘を紹介する。

宮中に上がった成範の娘は小督局と呼ばれ、天皇の寵愛を一身に受けた。

しかし、中宮の父である平清盛は、天皇が中宮である娘を差し置いて小督に溺れる事に怒り狂い、小督を宮中から追い出してしまった。

小督は清盛を恐れて嵯峨に身を隠し、天皇とも音信不通となってしまう。
天皇の嘆きは深く、密かに腹心の源仲国(宇多源氏・源仲章の兄)を呼び出して小督を秘密裏に宮中に呼び戻すよう勅を賜った。


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ちょうど仲秋の夜のこと、月が白々と照る中を嵯峨野に出かけた仲国は、小督が応えることを期待して得意の笛を吹いた。
すると、見事な「想夫恋」の調べがかすかに聞こえてくるので、音のするほうに向かうと、果たして粗末な小屋に小督が隠れ住んでいた。


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最初、小督は清盛を恐れて宮中に帰るのをしぶるが、「想夫恋」の曲で彼女の真意を悟っていた仲国に押し切られこっそりと天皇の元に帰ってきた。
2人はひっそりと逢瀬を重ねるが、清盛におもねる者から秘密が漏れて、小督は無理やり出家させられてしまう。

能の「小督」はこのうち嵯峨野の場面に取材したもので、伝金春禅竹作の四番目物。
現在も比較的盛んに上演される、美しくも哀切な名作である。


出典: 「小督(こごう)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

確かに、悲しいお話ですわ。 小督さんには何の落ち度も無いのに宮中から追い出されて、しかも天皇とこっそりと逢っているのが知れると平清盛によって無理やり尼さんにされてしまう。 本当に悲しいお話だと思いますわ。

ほおォ~。。。 卑弥子さんが目に涙まで溜めて悲しむなんて珍しいですねぇ~。。。

だってぇ~、 小督さんの身になって考えると本当に悲しいことですわ。。。んで、あたくしに悲しいお話を聞かせて涙ぐませるために小督さんの悲話を持ち出してきたのでござ~ますか?

いや、違いますよ。。。 そうじゃないのですよ。

では、なぜ。。。?

あのねぇ~、徳子さんにはエロ話があって、小督さんにはない。

それがデンマンさんにとって、それほど不思議なのでござ~ますか?

そうですよ。 だってぇ、考えてみてください。 小督さんは徳子さんよりも明らかに美人で音楽の才能もあった女性ですよ。。。 言ってみれば、男にとってこれ以上の魅力的な女性は居ないと思える。 実際、高倉天皇は徳子さんよりも小督さんに惹きつけられてしまった。 だから、小督さんは美人である以上に性格も良い女性であったに違いない。 男がそれほど恋い焦がれてしまう女性にもかかわらず小督さんにはエロ話がない。 

どうしてでござ~ますか?

つまり、小督さんの悲話は余りにも悲し過ぎるのですよ。 だから誰しもが同情してしまう。

でも、徳子さんのお話だって充分に悲しいと思いますわ。

確かに、徳子さんの話も悲しい物語に違いない。 でもねぇ、大きな違いがある。 小督さんの運命を狂わせたのは、そもそもが徳子さんの父親の平清盛なのですよ。 だから、徳子さんのエピソードも小督さんの哀話も悲しいものには違いないのだけれど、平清盛が徳子さんの父親であるために、民衆は小督さんの味方になったのですよ。

つまり、小督さんをネタにエロ話をするには、余りにも可哀想だと。。。 あまりにも恐れ多いと。。。 それで、徳子さんの方がエロ話のネタにされたと言うことでござ~ますか?

まず間違いなく、そういうことだと思うのですよ。


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【小百合の独り言】


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ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?

確かに、徳子さんだってずいぶんと悲しい目にあっているのですわよね。
でも、小督さんは、徳子さんのお父さんである平清盛のために悲運に泣くことになったのです。
それで、民衆は徳子さんよりも小督さんに同情を寄せたのでしょうね。

ところで、お話は変わりますけれど、私の祖先は百済から難民としてやってきたのです。

ええっ。。。? どうして、そのようなことが解ったのかってぇ~。。。?
実は、デンマンさんに教えていただいたのですわ。
それまで全く知りませんでした。

百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったようです。
でも、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって、デンマンさんの祖先と一緒に武蔵国まで行ったのですってぇ~。

ええっ。。。? 「それはデンマンがでっち上げた御伽噺」だとおっしゃるのですか?

とにかく、私の実家は館林にあるのですわ。
デンマンさんのご実家から車で20分から30分です。
ホントに、目と鼻の先です。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんと私は日本で出会ったことがなかったのです。
不思議な事に、私がデンマンさんに初めてお会いしたのはカナダのバーナビー市でした。
私が13年間借りていた“山の家”で巡り合ったのですわ。


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バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。
上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。


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この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に私が借りていた“山の家”が会ったのですわ。


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この家でデンマンさんと15年ほど前に初めてお会いしました。


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この上の写真は、デンマンさんがコラージュしてでっち上げたのですけれど、ちょうど、このように寅さんのような格好をしていたのですわ。
うふふふふふ。。。
それだけに、私は強烈な第一印象を持ちました。

でも、どうして私の祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たの?

私にはよく理解できなかったのです。
デンマンさんは、おっしゃいました。

DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですってぇ。
デンマンさんと同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、私は館林から佐野を経由してカナダのバーナビーに渡ったのです。
そして、デンマンさんと“山の家”で出会ったのでした。

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かぎろいの謎

2013年3月26日

 

かぎろいの謎

 


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デンマンさん。。。どうして「かぎろい」を持ち出してきたのですか?


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あのねぇ~、夕べ、たまたま『なぜ万葉集は古代史の真相を封印したのか』という本を読んだのですよ。

それが「かぎろい」と関係あるのですか?

もちろんですよ。 その本の中で柿本人麻呂が詠んだ、あの有名な「かぎろい」の歌が出てきたのですよ。

それで、今日「かぎろい」を取り上げる気になったのですか?

そうですよ。。。 小百合さんは忘れてしまったのですか?

何をですかァ~?

やだなあああァ! 。。。 小百合さんと「かぎろい」について語り合ったのですよ。

まさかァ~。。。!?  覚えていませんわ。

次の記事ですよ。


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『怒りの柿本人麻呂』

(2011年6月23日)

もう2年も前の記事ではありませんか!

小百合さんは忘れてしまったのですか?

すぐには思い出せませんわ。

じゃあ、次の小文を読んでみてくださいよう。

人麿が見た「かぎろい」とは何か

『万葉集』巻(まき)1の48番に柿本人麿(かきのもとひとまろ)の有名な「かぎろい」の歌がある。

東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ

歌意は「東方の野には曙(あけぼの)の光がさしそめるのが見えて西を振りかえると月が傾いて淡い光をたたえている」(『万葉集』日本古典文学大系、岩波書店)というものだ。 ここで「かぎろひ」は「曙の光」とあるが、人麿が見たのはどんな現象なのだろうか。


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「かぎろい」は『古語辞典』(岩波書店)では、まず「揺れて光る意。 ヒは火。 炎」とあり、また「立ちのぼる水蒸気に光があたり、光がゆらめいて見えるもの」とし、「陽炎(かげろう)、地面が熱せられたときに見られる」の意をあげている。

さて日の出前には日中われわれがよく見る陽炎のようなものは出現しないので、「陽炎説」は成立しない。 「かぎろい」は万葉集では「炎」という字があてられていることに注目したい。 「かぎろい」にはこれまで天文学的に意味のある説が二つある。

その一つは、戦前、中山正実画伯が「かぎろい」にちなむ大作「阿騎野(あきの)の朝」を描くにあたってなされた考証にもとづくものである(中山説)。 それによれば柿本人麿の「かぎろひ体験」は、場所(東経135°.9、北緯34°.4)だけでなく、日時をも特定できるという驚くべき説で、持統天皇の朱鳥(しゅちょう)6年11月17日(ユリウス暦ではA.D.692年12月31日)、午前5時50分(日本標準時、日の出前約1時間)、月は望(満月)をわずかに過ぎて西の地平線の上10°の高さにあったという。 中山説はこのときの東の空の現象が「かぎろい」だとするものである。

もう一つは黄道光(こうどうこう)説である。 黄道光とは、太陽系の地球の公転軌道の付近に分布している固体微粒子が太陽光を受けて散乱しているものである。 この説を提唱している斉藤国治氏によれば、古天文学にもとづき、「かぎろひ」とは、季節は黄道光がもっとも見えやすい秋の朝とし、東の空に「舌」のような形で、日の出約1時間前に「立って見える炎状の光体」という形であらわれるというものである。

この二つの説はどちらも、主要点として「かぎろひ」は日の出前1時間の東の空の現象としているが、この日の出現象という一連の過程からみると、つぎのような疑問がわいてくる。 日の出前1時間というのは、日本列島の地理的位置を考慮すると、平均して太陽が地平線下12°にあるときということになる。 そのころ、東の空では薄明がはじまってはいるものの、よほど暗く、その色もせいぜい薄く青白いという程度で、当然ながら空全体が静かで何らの動きも感じられない。 また、黄道光も実際にはぼうっとした白っぽいもので、じっとしたまま動きもなく、日本のようにしめっぽい空ではそれを見分けることさえたやすくない。 まして「炎」ないしは「炎が立つ」というような強烈な印象には欠けるように思われる。

ここで私の「曙光説」を挙げてみたい。 私にとっての「かぎろひ」とは、太陽が地平線下約8°から6°にあるあいだで、数分間持続する空の現象の動的過程である。 時間でいえば、日本の各地、季節を平均して、日の出前約40分から数分間ほどになる。 このとき、東の空では、地平線上にまさに暗黒の天と地を切り裂くように、鮮やかな赤い光の帯が真横にあらわれる。 その上に橙色や黄色の帯がつづく。 光の帯はみるみる発達して、その幅も明るさも増し、さらに空気が澄んでいるときには、東の空高く、のし上がるように高度にして50°ぐらいにもおよぶ明るい大きな円形の発光が見えることがある。 その色は透明な赤橙色ないしはサーモン・ピンクで、まさに「炎」ないしは「炎が立つ」というのはこういう光景を指すのではないかと思われる。 「かぎろい」の歌には、火のようにゆれた燃え輝くものに直面したときに湧きいでる歓喜の心情が率直に歌われていると思う。 日の出前40分ころの東の空で一瞬一瞬にあらわれる劇的な変化こそ、それにこたえうるものと思う。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)


17 – 19ページ 『空の色と光の図鑑』
著者: 斉藤文一・武田康男
2002年8月1日 第8刷発行
発行所: 株式会社 草思社

どうですか、小百合さん。。。 この上の文章を読んで思い出しましたか?

確かに、上の写真を見たら読んだような記憶がありますわ。

やだなあああァ~。。。 まだ鮮明に思い出せないようですね。 次の写真を見てくださいよ。


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柿本のおっさんは、こうして「かぎろい」を見ながら歌を詠んだのですよ。

。。。で、ムカついたのですか?

いや。。。 顔に出してムカついたわけではないけれど、心の中ではムカついていたのですよ。


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顔に出さなくても柿本人麻呂は心の中ではこうしてムカついていたのですか?

その通りですよ。

でも、どうして。。。?

やだなあああァ~。。。 その事で小百合さんと上の記事の中で語り合ったのですよ。 夕べ、本を読みながら、それを僕は思い出して今日こうして小百合さんと話し始めたというわけですよ。

デンマンさんは記憶力がいいのですわね。

あのねぇ~、2年前のことですよ。 10年前ならば忘れてしまうこともあるかもしれないけれど、2年前ぐらいではそう簡単に忘れないでしょう!?

そうかしら。。。? デンマンさんは歴史に興味があるから覚えているのでしょうけれど、私は歴史は。。。

興味がないのですか?

どちらかと言えば歴史よりも食べ物の方がいいですわ。 おほほほほ。。。

あのねぇ~、小百合さんは「軽井沢タリアセン夫人」としてネットでは有名になりつつあるのですよ。 まず、2011年6月18日当時の検索結果を見てください。


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『軽井沢タリアセン夫人』の現在の検索結果

デンマンさんがムキになって「軽井沢タリアセン夫人」の記事を書いたから 5、050件もの記事がヒットするのですわ。 でも、最近ではデンマンさんもへたばっているのでヒットの数が落ちているのでしょう?

そんなことはありませんよ。 ついさっき調べたので最新の記録を見てくださいよ。


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最近でも僕は「軽井沢タリアセン夫人」の記事を書いているのですよ。 だから、相変わらず 18,900件もヒットしますよ。

だから、どうだと言うのですか?

だから、小百合さんが僕と語り合った話題ぐらい2年前でも覚えていて欲しいのですよ。

分かりましたわ。 忘れないように心がけますわ。 それで、デンマンさんは何が言いたいのですか?

だから、タイトルにも書いたように今日は「かぎろいの謎」に迫るのですよ。

ネット市民の皆様は関心を持つかしら?

ここまで書いてくれば「かぎろいの謎」とは、いったいどのようなものなのか? 絶対に興味を持つと思いますよ。

でも、私が忘れてしまうくらいですから。。。 おほほほほ。。。

あのねぇ~、ネット市民の皆様が「柿本人麻呂」にも「かぎろい」にも関心が無いと、小百合さんが言うと身も蓋もなくなってしまうのですよ。 僕の立場も無くなってしまうのですよ。

分かりましたわ。 じゃあ、予定通りにお話を進めてくださいな。

次の画像を見てください。


(shoko06.jpg->shoko05)

これが僕がイメージしている「かぎろい」ですよ。

つまり、この事が言いたくて、これまでクダクダと御託を並べてきたのですか?

いや。。。もちろん、それだけではありませんよ。 次の歌ですよ。

東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ

この歌が、どうだとおっしゃるのですか?

『万葉集』日本古典文学大系によると、上の歌の意味は次のようだと書いてある。


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東方の野には

曙(あけぼの)の光が

さしそめるのが見えて

西を振りかえると

月が傾いて

淡い光をたたえている

デンマンさんは、この歌の解釈が気に喰わないのですか?

いや。。。人麿の歌の意味を表面的に解釈すれば、確かに上のような意味になるでしょう。 でもねぇ、はっきり言って、このような和歌ならば誰にだって詠めるのですよ。 僕は初めて上の歌を見たときから、この歌が『万葉集』に取り上げられる程に素晴らしい和歌だとはどうしても思えなかった。 小百合さんはどうですか?

私はもともと和歌には関心が極めて薄いので『万葉集』のことはほとんど知らないのですわ。 うふふふふふ。。。

やだなあああァ~。。。このような時に「うふふふふふ。。。」と言って笑って済まさないでくださいよ。 日本人のミーちゃん、ハーちゃんが国際的に一番嫌われる悪い癖ですよ。

でも、マジで上の和歌が良いものとも、ダサいものとも私には分かりませんわ。

あのねぇ~。。。、冷静になって考えてみてくださいよ。 上の和歌が素晴らしいなんて思う人は、まず居ないと思うのですよ。 もう一度上の和歌の意味を読んでみてください。


(shoko05.jpg->kaki005)

東方の野には

曙(あけぼの)の光が

さしそめるのが見えて

西を振りかえると

月が傾いて

淡い光をたたえている

何度読んでみても、とりわけ心が揺さぶられるような素晴らしい歌ではないのですよ。

それはデンマンさんの個人的な意見ですわ。

あのねぇ~、小百合さんも、もう一度マジで読んでみてくださいよ。 いったい、どこに『万葉集』に載せるほどの魅力があると言うのですか?

だから。。。いいと思った人が昔に居たのですわ。

でもねぇ、その良さを『万葉集』日本古典文学大系を書いた人は全く理解してないのですよ。 だから、月並みな説明をしているだけ。。。 しかも「東方の野に 曙の光が見えて 西を振りかえると 月が傾いて淡い光をたたえている」というような、正に月並みなことしか書いてない。 バカバカしい! こんなバカバカしいことしか書けないから、日本のミーちゃんハーちゃんは万葉集など読まないのですよ。

デンマンさんは、なんだか上の和歌の本当の素晴らしい意味が分かっているようなことを言ってますわね?

そうですよ。。。僕は上の和歌の真意を理解しているのですよ。

マジで。。。?

このような時に冗談やウソが言えますか!?

分かりましたわ。 それで、その真意って一体どのようなものなのですか?

あのねぇ~、それを説明するには、ちょとばかり歴史を知らないと理解できないのですよ。 小百合さんのためにここに書き出しますから読んでみてね。

高市皇子(たけちのみこ)

生年:654年(白雉5年)?
没年:696年8月13日(持統天皇10年7月10日)

日本の飛鳥時代の人物で、天武天皇の皇子(長男)である。
後皇子尊(のちのみこのみこと)と尊称される。

672年の壬申の乱勃発時、高市皇子は近江大津京にあり、挙兵を知って脱出し父に合流した。
若年であったが美濃国の不破で軍事の全権を委ねられ、乱に勝利した。

679年に天武天皇の下で吉野の盟約に加わり、兄弟の協力を誓った。
この後には他の皇子とともにしばしば弔問に遣わされた。
686年に持統天皇が即位すると、太政大臣になり、以後は天皇・皇太子を除く皇族・臣下の最高位になった。

天武天皇の第一皇子で、胸形尼子娘を母とする。
母の父は胸形君徳善である。
正妃は天智天皇皇女御名部皇女(元明天皇の同母姉)で、この間の子が長屋王である。
他に子供は鈴鹿王、河内女王、山形女王。
また万葉集によれば異母妹但馬皇女が邸内にいたという。
これが事実とすると但馬皇女は高市皇子の妻または養女であった可能性がある。
また、異母姉で弘文天皇妃の十市皇女が急死した際に情熱的な挽歌を詠んだために、十市皇女に対して好意を抱いていた(または、恋人、夫婦であった)のではないかとの説もある。

壬申の乱

大海人皇子は高市皇子に、「近江朝では、左右大臣と智謀の群臣が一緒に議を定めている。今朕はともに事を計る者がない。幼少の子供がいるだけだ。どうしたものか」と言った。
高市皇子は腕まくりをして剣を握りしめ、「近江の群臣は多いといえども、どうして天皇の霊に逆らえますか。天皇独りであっても、ここに臣高市、神祇の霊を頼り、天皇の命を請け、諸将を率いて征討します。これをどうやって防げましょうか。」と答えた。
大海人皇子は誉めて高市の手をとり背を撫でて、「慎め、怠るな」といった。
そこで鞍馬を与え、軍事をすべて委ねた。

高市皇子は和蹔(わざみ)に帰り、大海人皇子は野上に行宮を作った。
和蹔は和蹔原(和射見が原)のことで、後の関ヶ原盆地を指す。
不破関はその西方の入り口、野上は東の端にある。
各地から来た大海人皇子の軍勢は、和蹔に集結して高市皇子に掌握されたと考えられる。

28日に大海人皇子は和蹔に出向いて軍事を検校して帰った。
29日にも和蹔に行き、高市皇子に命令を与え、軍衆に号令して、また野上に帰った。
日付は不明だが、6月末か7月初めに、敵の小部隊が玉倉部邑を衝いたが、出雲狛が撃退した。

7月2日、大海人皇子はそれぞれ数万の二つの軍を送り出した。
一方は伊勢から倭(大和)に向かって大伴吹負軍の増援となり、もう一方は不破から出て近江に直に入った。
これ以後の戦闘で、高市皇子の名は見えない。
近江進攻軍とともにあり、指揮の実際は諸将に委ねたとみるのが自然だが、なお和蹔にあってさらに遠方から来る軍を受け入れたとみることも不可能ではない。

7月23日に大友皇子(弘文天皇)が自殺したことで、壬申の乱は終わった。
8月25日に、大海人皇子は高市皇子に命じて、近江の群臣を処罰させた。

天武天皇の時代

乱の終結した直後、高市皇子を除く他の皇子たちはまだ幼く(最年長の忍壁皇子でも10歳前後)、天武天皇の皇親政治のもと、高市皇子が重要なポストを占めていたことは間違いないだろう。
『日本書紀』天武天皇4年(675年)11月4日の条には既に、高市皇子より以下、小錦より以上の大夫らに衣、袴、褶、腰帯、脚帯、机、杖を賜う」とある。この時点で皇族・臣下の序列としては既に最高位だったのかもしれない。

天武天皇8年(679年)5月6日に、天皇、皇后(持統天皇)、草壁皇子、大津皇子、高市皇子、川島皇子、忍壁皇子、志貴皇子は、吉野宮で互いに助け合うことを約束した(吉野の盟約)。
10日に六皇子が大殿の前で天皇を拝した。
天武天皇が自らの死後に壬申の乱のような皇位継承争いが起こることを恐れたためとされる。

この頃から高市皇子は天武天皇の皇子の中で3番目とされるようになった。
皇女を母にもつ草壁皇子、大津皇子に次ぐ。
母親の身分による序列では10人中8番目。

太政大臣

天武天皇が亡くなった直後、皇太子につぐ皇位継承資格を持つと見られていた大津皇子が謀反の罪で死刑になった。
続いて皇太子の草壁皇子が持統天皇3年(689年)4月13日に薨去した。
そのためそれまで天武天皇の皇后として政務を執っていた鸕野讚良皇女が翌年(690年)1月1日に即位した。持統天皇である。
この年の7月5日に全面的な人事異動があり、高市皇子は太政大臣に任命された。このときから薨去まで、高市皇子は皇族・臣下の筆頭として重きをなし、持統政権を支えた。

持統天皇4年(690年)10月29日、高市皇子は多数の官人を引き連れて藤原宮の予定地を視察した。

持統天皇5年(691年)1月13日、高市皇子の封が2000戸を増し、前のとあわせて3000戸になった。持統天皇5年(691年)1月4日、高市皇子の封が2000戸を増し、前のとあわせて5000戸になった。

持統天皇7年(693年)1月2日に浄広壱の位に進んだ。

持統天皇10年(696年)7月10日薨去。『延喜式』諸陵によれば墓は「三立岡墓」で、大和国広瀬郡にあり、東西6町南北4町で守戸はなし。だが、高松塚古墳の被葬者を高市皇子とする説もある。

挽歌

万葉集巻第2の199~202番に柿本人麻呂作の高市皇子への、万葉集中最長の壮大な挽歌が収められている。


(kaki004.jpg->kaki199.jpg)

ここに「高市皇子尊」「後皇子尊」と尊称されている。
この尊称から高市皇子が立太子されていたのではないかとの説がある。
また柿本人麻呂がこれほど壮大な挽歌を寄せていることから、この2人は親交があったのではないかと言われている。

高市天皇説

上記の挽歌、高市皇子の長男・長屋王の邸宅跡から発見された「長屋親王宮鮑大贄十編」の木簡、政治情勢、壬申の乱における功績、母の実家の勢力、莫大な資産などから彼が天皇であったという説もあるが、はっきりとはしていない。(参考:九州王朝説)

高市皇子の歌

•万葉集巻第2 156~158番(高市皇子作の十市皇女への挽歌)
自作の歌はこの3首のみ

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、上の和歌の本当の意味と高市皇子が関係しているのですか?

もちろんです。 だから高市皇子の略歴を持ち出したのですよ。

もしかしてデンマンさんは高市皇子が天皇になっていたと考えているのではありませんか?

確かに、そのような説があるのですよ。 上の略歴を読んでも天武天皇の子供の中では「壬申の乱」で高市皇子が一番活躍したのですよ。 だから、天皇になっていたとしても不思議じゃなかった。

天武天皇の長男だったのに、どうして天皇になれなかったのですか?

高市皇子のお母さんが天皇の娘ではなかったからですよ。 母親の身分による序列では10人中8番目だった。 でも、実力はナンバーワンだった。

それで柿本人麻呂が高市皇子を尊敬していたのですか?

そうですよ。 だからこそ、万葉集の中で最長の挽歌を高市皇子のために柿本人麻呂が詠んだのですよ。 つまりねぇ、高市皇子を天皇にしたいと思っていた人がかなり居たということですよ。

実力主義でなかったので高市皇子が天皇になれなかったのですわね?

いや。。。そう言う訳でもない。 実際、天武天皇が天皇になたのは「壬申の乱」というクーデターによって天智天皇の長男である大友皇子を破って天皇になったのですよ。 要するに実力によって天皇になったということですよ。 だから、高市皇子が天皇になっても不思議じゃなかったのですよ。

でも、そうならなかったのはなぜですか?

天武天皇の第一夫人の力が強かったのですよ。 現在で言えばクリントン夫人のようなものです。

クリントン夫人って、それほど実力があるのですか?

クリントンが大統領になたのもクリントン夫人がついていたからですよ。 夫人が居なかったらまず大統領にはなれなかった。

。。。で天武天皇の第一夫人って誰ですか?

天武天皇のすぐ後で持統天皇になった鸕野讚良皇女ですよ。

つまり、クリントン夫人のような、でしゃばっている夫人が居たために高市皇子は天皇になれなかったのですか?

そのとおりですよ。 持統天皇は自分の子供に天皇になって欲しかった。 だから、自分の子供が天皇になる間だけ自分が天皇になって時間稼ぎをしたというわけですよ。

つまり、その間に柿本人麻呂を含めたグループが高市皇子を天皇にしようという動きがあったのですか?

その通りです。

でも、失敗してしまったのですか?

その通りですよ。

どうしてデンマンさんは、そうだと思うのですか?

あのねぇ、そういう動きに参加していたために柿本人麻呂は持統天皇に睨(にら)まれて左遷され、一生を棒に振ってしまったのですよ。

マジで。。。?

もちろんですよ。 柿本人麻呂の略歴を読んでみてください。

柿本人麻呂


(kaki003.jpg)

660年頃 – 720年頃

柿本人麻呂は、飛鳥時代の歌人。
名は「人麿」とも表記される。
後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。
また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。

出自・系譜

柿本氏は、孝昭天皇後裔を称する春日氏の庶流に当たる。
人麻呂の出自については、父を柿本大庭、兄を柿本猨(佐留)とする後世の文献がある。
また、同文献では人麻呂の子に蓑麿(母は依羅衣屋娘子)を挙げており、人麻呂以降子孫は石見国美乃郡司として土着、鎌倉時代以降益田氏を称して石見国人となったされる。
いずれにしても、同時代史料には拠るべきものがなく、確実なことは不明とみるほかない。

彼の経歴は『続日本紀』等の史書にも書かれていないことから定かではなく、『万葉集』の詠歌とそれに附随する題詞・左注などが唯一の資料である。
一般には天武天皇9年(680年)には出仕していたとみられ、天武朝から歌人としての活動をはじめ、持統朝に花開いたとみられることが多い。
ただし、近江朝に仕えた宮女の死を悼む挽歌を詠んでいることから、近江朝にも出仕していたとする見解もある。

賀茂真淵によって草壁皇子に舎人として仕えたとされ、この見解は支持されることも多いが、決定的な根拠があるわけではない。
複数の皇子・皇女(弓削皇子・舎人親王・新田部親王など)に歌を奉っているので、特定の皇子に仕えていたのではないだろうとも思われる。
近時は宮廷歌人であったと目されることが多いが、宮廷歌人という職掌が持統朝にあったわけではなく、結局は不明というほかない。
ただし、確実に年代の判明している人麻呂の歌は持統天皇の即位からその崩御にほぼ重なっており、この女帝の存在が人麻呂の活動の原動力であったとみるのは不当ではないと思われる。
後世の俗書では、持統天皇の愛人であったとみるような曲解も現れてくるが、これはもとより創作の世界の話である。

『万葉集』巻2に讃岐で死人を嘆く歌が残り、また石見国は鴨山での辞世歌と、彼の死を哀悼する挽歌が残されているため、官人となって各地を転々とし最後に石見国で亡くなったとみられることも多いが、この辞世歌については、人麻呂が自身の死を演じた歌謡劇であるとの理解や、後人の仮託であるとの見解も有力である。
また、文武天皇4年(700年)に薨去した明日香皇女への挽歌が残されていることからみて、草壁皇子の薨去後も都にとどまっていたことは間違いない。藤原京時代の後半や、平城京遷都後の確実な作品が残らないことから、平城京遷都前には死去したものと思われる。

代表歌

•天離(あまざか)る 鄙(ひな)の長道(ながぢ)を 恋ひ来れば 明石の門(と)より 大和島見ゆ

東(ひむがし)の 野にかげろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ

•ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉(もみぢば)の 過ぎにし君が 形見とぞ来し

•近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ

また、愛国百人一首には「大君は神にしませば天雲の雷の上に廬(いほり)せるかも」という天皇を称えた歌が採られている。

官位について

各種史書上に人麻呂に関する記載がなく、その生涯については謎とされていた。
古くは『古今和歌集』の真名序に五位以上を示す「柿本大夫」、仮名序に正三位である「おほきみつのくらゐ」と書かれており、また、皇室讃歌や皇子・皇女の挽歌を歌うという仕事の内容や重要性からみても、高官であったと受け取られていた。

人麻呂にまつわる異説・俗説

その通説に梅原猛は『水底の歌-柿本人麻呂論』において大胆な論考を行い、人麻呂は高官であったが政争に巻き込まれ刑死したとの「人麻呂流人刑死説」を唱え、話題となった。
また、梅原は人麻呂と猿丸大夫が同一人物であった可能性を指摘する。
しかし、学会において受け入れられるに至ってはいない。
古代の律に梅原が想定するような水死刑は存在していないこと、また梅原がいうように人麻呂が高官であったのなら、それが『続日本紀』などになに一つ残されていない点などに問題があるからである。
なお、この梅原説を基にして、井沢元彦が著したものがデビュー作『猿丸幻視行』である。

『続日本紀』、元明天皇の和銅元年(708年)4月20日の項に柿本朝臣猨(エン、さる?)の死亡記事がある。
この柿本サルこそが、政争に巻き込まれ、皇族の怒りを買い、和気清麻呂のように変名させられた人麻呂ではないかとする説もある。
しかし、当時、藤原宇合(うまかい)・高橋虫麻呂をはじめ、なまえに動物・虫などのを含んだ人物は幾人もおり、「サル」という名前が蔑称であるとは考え難いことはすでに指摘されている。
このため、井沢元彦は『逆説の日本史』で、「サル」から人麻呂に「昇格」したと述べている。
しかし、「人」とあることが敬意を意味するという明証はなく、梅原論と同じ問題点を抱えている。
柿本サルについては、ほぼ同時代を生きた人麻呂の同族であった、という以上のことはわからないというべきであろう。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上の略歴に手がかりがあるのですか?

そうですよ。 人麻呂は高官であったが政争に巻き込まれと書いてあるでしょう? 僕は人麻呂が刑死したとは思わないけれど、間違いなく政争に巻き込まれ、持統天皇ににらまれて左遷されたと思っているのですよ。

その根拠は。。。?

あのねぇ、『万葉集』を編纂したのは大伴家持なのですよ。 大伴家持も柿本人麻呂も日本では「歌人」として知られているけれど、当時の文人は中国の伝統に則(のっと)って、現在の感覚で言えば政治家としての活動もしていた。 その政治家としての活動の部分が日本史では取り上げられてない。 脱落している。 特に柿本人麻呂の略歴からは政治的活動はすっぽりと脱落している。

大伴家持の場合には政治的活動も略歴の中に書かれているのですか?

書かれてますよ。 だから、そのことで僕は『万葉集』は単なる歌集ではなくて、政治的批判の書であると次の記事の中で書いたことがある。


(temple53.jpg)

『万葉集の謎と山上憶良』

 (2006年7月1日)


(sayuri55.gif)

つまり、柿本人麻呂が高市皇子を天皇にするための政治的活動をして、それが持統天皇の知るところになって、人麻呂は左遷されて一生を棒に振ったとデンマンさんは信じているのですか?


(kato3.gif)

そうですよ。

持統天皇はそのような事をする人なのですか?

する人なのですよ。 子供の頃に不幸な事件が度重(たびかさ)なってぇ心にトラウマを受け、権力に人一倍こだわるようになってしまった不幸な女性なのですよ。 その事で僕は次の記事を書いたのですよ。 ぜひ読んでみてくださいよ。


(bond010.gif)

『古代のある女の悲劇』

 (2006年7月3日)

『愛と怨霊』

 (2007年6月9日)

『いにしえの愛とコミュニケーション』

 (2007年1月8日)

。。。で、柿本人麻呂の詠んだ「かぎろい」の和歌は、実は、政治批判の歌だとデンマンさんはおっしゃるのですか?

その通りですよ。


(kaki104.jpg->shoko07.jpg”)

 

東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ

上のつまらない和歌が『万葉集』の中に柿本人麻呂の代表的な歌として載せられている。 なぜだと思いますか?

どうしてですか?

万葉集を編纂した大伴家持が歴史の真相を後世の我々に知って欲しかったからですよ。

その歴史の真相ってぇ何ですのォ~?

だから、高市皇子を天皇にするための政治的活動があったということですよ。

でも、そのような事を歴史の時間に先生は言いませんでしたわ。

多分、そのような事を言った人はあまり居ないでしょうね?

でも、デンマンさんはマジで柿本人麻呂が高市皇子を天皇にする政争に巻き込まれたと信じているのですか?

そうですよ。

。。。で、上の和歌の真意はどのようなことになるのですか?

次のようになるのですよ。


(shoko07.jpg->shoko05.jpg)

実にきれいな日の出です。
この太陽が天照大神(あまてらすおおみかみ)のシンボルです。
そしてまた女帝・持統天皇のシンボルでもある。

どうして。。。?

あなたは、きっとそう思うでしょうね。
天孫降臨(てんそんこうりん)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫である瓊瓊杵尊(邇邇藝命・ににぎ)が、葦原中国平定を受けて、葦原中国の統治のために降臨したという日本神話の説話です。
なぜ、この説話を持ち出してきたのか?と言えば、持統天皇がちょうど同じようにして孫に皇位を継がせている。
その事を正当化するために「天孫降臨」を『古事記』や『日本書紀』に書かせたことも十分に考えられます。

政治家としての持統天皇は、天武天皇から我が子の草壁皇子、そして孫の珂瑠(軽)皇子(かるのみこ)に皇位を伝えることに拘(こだわ)った。
持統天皇は草壁皇子が天武天皇の後を嗣(つ)ぐことを望み、夫に働きかけて草壁皇子を皇太子に就け、夫の死後に草壁皇子のライバルであった大津皇子を陰謀によって排除した。

天武天皇の葬礼が終わったあとに草壁皇子を即位させるつもりだった。
しかし、その実現前に皇子が死んだために、やむなく自分が即位して孫の珂瑠皇子が文武(もんむ)天皇として皇位につくまでの時間稼ぎをした。

系図で見ると次のようになります。


(keizu03.gif)

つまり、珂瑠(軽)皇子が文武(もんむ)天皇として輝く。
それが上の日の出の光景です。

でも、「壬申の乱」を見れば、誰でも高市皇子の活躍を無視するわけにはゆかない。
だから、天武天皇の長男であり、実力もナンバーワンの高市皇子が次期天皇になるのが当然だと思った人が居たとしても不思議じゃない!
その一人が柿本人麻呂だった。
高市皇子が次期天皇になるように支援し協力したのです。
だから持統天皇に睨(にら)まれて左遷されてしまった。


(kaki105.jpg->shoko07.jpg)

「かぎろい」とは太陽が昇る前の上のような光景です。

ここで私の「曙光説」を挙げてみたい。 私にとっての「かぎろひ」とは、太陽が地平線下約8°から6°にあるあいだで、数分間持続する空の現象の動的過程である。 時間でいえば、日本の各地、季節を平均して、日の出前約40分から数分間ほどになる。 このとき、東の空では、地平線上にまさに暗黒の天と地を切り裂くように、鮮やかな赤い光の帯が真横にあらわれる。

その上に橙色や黄色の帯がつづく。 光の帯はみるみる発達して、その幅も明るさも増し、さらに空気が澄んでいるときには、東の空高く、のし上がるように高度にして50°ぐらいにもおよぶ明るい大きな円形の発光が見えることがある。 その色は透明な赤橙色ないしはサーモン・ピンクで、まさに「炎」ないしは「炎が立つ」というのはこういう光景を指すのではないかと思われる。

「かぎろい」の歌には、火のようにゆれた燃え輝くものに直面したときに湧きいでる歓喜の心情が率直に歌われていると思う。 日の出前40分ころの東の空で一瞬一瞬にあらわれる劇的な変化こそ、それにこたえうるものと思う。

(注: 赤字はデンマンが強調)


19ページ 『空の色と光の図鑑』 株式会社 草思社

火のように揺れ、燃え輝いている「かぎろい」こそ、人麻呂の眼には、持統天皇の野心と陰謀に映る。
当然、人麻呂はムカついているのです。

そして、西を振りかえると月が傾いて淡い光をたたえている。
つまり、高市皇子が次期天皇になるという望みは完全に絶たれてしまった。
やがて沈んでしまう月のように。。。
要するに歌の意味は次のようになるのですよ。

東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ

 


(kaki003.jpg->kaki005.png)

 

ああ、何ということだ
持統天皇の野心と陰謀は
ついに、ここまで剥(む)き出しにされ
大津皇子は自殺に追いやられてしまった。

この分では高市皇子が皇位につくこともあるまい。
命を永らえることさえ危(あや)ういのだ。

高市皇子の運命は、今、まさに沈もうとする
月のようではないか…。

確かに持統天皇は野望を実現させたけれど、
まさか自分が死んだあとに、天皇の実権が藤原氏に移るとは想像もしていなかったに違いない。

庇を貸して母屋を取られる

藤原不比等は持統天皇以上の野望を胸に秘めていた。
持統天皇に協力していると見せかけて、
実は、藤原氏は天皇から実権を奪い取ろうと着々とその計画を進めていた。

天皇にはなれなかったけれど、高市皇子は実際に実力を持った人物だった。
その実力は長男の長屋王に引き継がれてゆく。


(keizu901.png)

藤原氏に対抗して天皇を中心とした政治を行おうとした長屋王は、藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)の陰謀に遭って自殺しなければならなかった。
これが世に言う「長屋王の変」である。

高市皇子は持統天皇の野望に破れ
その子の長屋王は藤原氏の陰謀によって自滅しなければならなかった。
このようにして藤原氏の政権は確立されていった。

ずいぶんと長ったらしい説明ですわ。 柿本人麻呂の和歌に上のような歴史的事実が込められているという根拠があるのですか?

ありますよ。 あのねぇ~、柿本人麻呂の和歌を選んだのは万葉集・編集長の大伴家持なのですよ。 この人は万葉集の最後に自分の歌を載せている。


(yakamo3.jpg)

 

新しき 年の初めの 初春の

今日降る雪の

いやしけ吉事(よごと)

 

新しい年の始めの初春の

今日降る雪のように、

これからの世には

よい事がいっぱいありますように…。

これは天平宝字3(759)年の元旦に詠んだ歌なのですよ。 でもねぇ、大伴家持の願いとは裏腹に、このあと家持には良い事は起こらなかった。 むしろ悪い事が待っていた。

どのような。。。?

あのねぇ~、この歌を詠んでから26年後の延暦4(785)年8月28日に、大伴家持は奥州の多賀城で68歳の生涯を閉じたのです。 ところが、藤原氏は家持が死んだ後も、そっとしておいてはくれなかった。

大伴家持が亡くなってからって。。。死んでからでは何もできないでしょうに。。。

でも藤原政権はしつこいのですよ。。。翌年、京都で藤原種継(たねつぐ)暗殺事件が起きた。

その事件と大伴家持が関係あるのですか?

大いに関係がある。 権力を握る藤原氏によって大伴家持は、その事件の首謀者の一人に仕立てられてしまったのですよ。 しかも、大伴家持の遺骨は掘り返されて隠岐(おき)の島に流刑にされてしまった。

わざわざ遺骨を掘り起こして隠岐(おき)の島まで持っていったのですか?

そうなのですよ。 現在から見れば常識では考えられないような事をした。 つまり、それほど大伴家持は睨まれていた。

なぜ。。。?

だから、大伴一族は藤原氏に抵抗する集団と考えられていた。

どうして。。。?

なぜなら、大伴家持のお父さんの大伴旅人(たびと)は長屋王に協力していた。 当然のことだけれど、長屋王の父親・高市皇子や、その協力者・支援者だった柿本人麻呂の事なども大伴家持は、お父さんの旅人から聞かされていた。

つまり、大伴家持は柿本人麻呂が高市皇子を天皇にしようという政治活動に参加していたこと、それがもとで持統天皇に睨まれて左遷されてしまった事などをお父さんの旅人から聞かされていたとデンマンさんは主張するのですか?

その通りですよ。 だからこそ、一見つまらなそうに見える柿本人麻呂の和歌を大伴家持は『万葉集』に取り上げたのですよ。

要するに、何百年後に生きているデンマンさんのような歴史馬鹿に、歴史の真実を知ってもらおうとして『万葉集』の中に柿本人麻呂の「かぎろい」の和歌を取り上げたのですか?

そうですよ。。。でも「歴史馬鹿」だけ余計ですよ。(苦笑) とにかく、歴史の事実をはっきりとは書けなかった。 だから、柿本人麻呂は当たり障りのない「かぎろい」を詠む事によって歌の中に歴史の真実を読み込んだのですよ。 僕の言おうとしていることが小百合さんにも分かるでしょう?

もちろん、デンマンさんのお話を聞けば、そうなのかな?とも思いますけれど、歴史的には証拠がないのでしょう?

あのねぇ~、歴史にハマッている僕の歴史的仮説ですよ。 この記事を読んでくれる人の中に上の説明を読んで、そのような事も大いにあったかも知れないと思ってくれる人が居れば、こうして小百合さんと話した甲斐があるのですよ。

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
あなたは上のデンマンさんの説明を読んで信じることができますか?
信じられないでしょう?
ええっ。。。そのような事は、どうでもよいのでござ~♪~ますか?

だったら、どうしてここまで読んできたのよう?
ええっ。。。他に何もすることがなかったのォ~?
あなたも暇人なのねぇ。
だったら、下に面白い記事のリンクをたくさん貼っておいたから、どれでも好きなものを読んでみてね。

とにかく、また、あさっても面白くなりそうですわ。
だから、あなたも暇があったら読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

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(june09b.jpg)

こんにちは。ジューンです。

確かに『万葉集』には歴史的な事実が

隠されている歌がたくさんあるようですわ。

次の歌もデンマンさんが興味深い解釈をしています。


(kaguyama2.jpg)

春すぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の

 衣(ころも)ほしたり 天(あめ)の香具山

この有名な持統天皇の歌は、

ただ単に四季の移り変わりに

感興を催(もよお)して詠んだのではないのですって…。

持統天皇の波乱に満ちた人生が

込められているそうですわ。

讃良皇女として少女時代をすごしてきた

持統天皇は幼い頃から愛してくれる人、

愛している人を奪われ続けてきたのですって…。

ある意味で“家庭崩壊”の中で

生きてこなければならなかったのですわ。

つまり、“愛”を奪われる人生だったのですね。

幼い頃は、父親の中大兄皇子の陰謀が基で

近親者が亡くなってゆく。

父親の政略で大海人皇子に嫁がされてからも、

大海人皇子の愛は讃良皇女には注がれない。

そんな中で讃良皇女の心の支えは

我が子の草壁皇子だけだったのです。

この我が子の将来を脅かす存在になったのが

姉から預かった子、大津皇子だったのですね。

大津皇子は実力も人気もあり、

草壁皇子の皇太子としての地位を

脅かす最大の存在になっていたのですわ。

天武天皇亡き後、讃良皇女が最初に行なったことが

大津皇子を謀反の疑いで逮捕して、

刑死にさせることだったのです。

つまり、デンマンさんによると

上の和歌は次のような意味になるというのです。

春が過ぎて夏が来たようだ。

天の香具山に美しく真っ白な衣が

干してあるなあぁ~

でも、私の心はあの山の裏にある

磐余(いわれ)の池を見ているのです。


(iware01.jpg)

大津皇子が自害する前に池の端で

辞世の歌を読んだという。

自害の後で、皇子の妻であり、

私の腹違いの妹でもある山辺皇女が

髪を振り乱し、裸足で駆けて行き、

共に殉死したという。

痛ましいには違いない。

しかし私は、ああせねばならなかったのです。

怨霊になって

私を憎んでいるのかもしれないけれど、

私には他にとるべき道はなかったのです。

どうか、心安らかに眠っていて欲しい。

上の歌を持統天皇は藤原京の宮殿から

香具山を見て詠んだのです。


(fujiwara3.gif)

この地図で見れば分かるように、

香具山の裏に磐余(いわれ)の池があるんですよね。

この池の端で大津皇子は辞世の句を詠んだのです。

現在では、ほとんどの歴史家が大津皇子は

持統天皇の陰謀によって死なされたと見ています。

つまり、持統天皇は結果として

自分と血のつながりがある甥の大津皇子と

腹違いの妹を死に追いやったわけです。

この当時は怨霊ということが

マジで信じられていたようです。

“怨霊の崇り”ということが現在でいえば

“テポドンで攻撃を受ける”程度に

怖いこととして考えられていたのです。

持統天皇だって、テポドンを

宮殿に打ち込まれたくないので

怨霊を鎮魂するために上の歌を詠んだのです。

あなたは、どう思いますか?

ところで、これまで書いた小百合さんの記事を集めて

デンマンさんが一つにまとめました。

もし、小百合さんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

『小百合物語 特集』


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしてくださいね。

じゃあね。


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エロい源氏物語

2013年2月8日

 

エロい源氏物語

 


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デンマンさん。。。 「源氏物語」をエロいと決め付けるのは非常識というものでござ~♪~ますわア。


(kato3.gif)

。。。ん? 非常識。。。?

そうでござ~ますわ。。。 非常識でないならば教養が無いということですわ。

あのねぇ~。。。 「エロい源氏物語」というのは僕が言っているわけではないのですよ。

どなたが言っているのでござ~ますか?

古本屋のおっさんですよ。 ちょっと次の小文を読んでくださいよ。


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昔、「須磨返り」という言葉があって、『源氏物語』を通読しようとした者の大抵が、12帖目の「須磨」の巻あたりで息切れし、いやになって投げだしたという。
そんな自嘲(あるいは、ひやかしか)の語が流行するくらいだから、54帖全巻を読み通した者は稀なのであろう。

 (中略)

江戸時代はどうだったのだろう。
国学者はともかく、一般庶民は、この世界最古の長編小説を読んでいたのだろうか?
庶民文芸の川柳に、次のような句が見える。
「又文(またふみ)か そこらへ置けと 光る君」
「膳立(ぜんだて)を してはよばれる 光る君」

いずれも女性にもてもての主人公を詠んでいる。
文はラブレター、二句目の膳立は、女性のお誘い。
「据え膳」のことである。

 (中略)

江戸人はどこで『源氏物語』を知り、読んだのだろう?
現代のように、手軽に原文が入手でき、読めるような時代ではない。
川柳に詠むほどの知識を、どこから得たか。

庶民にとって最も身近な情報源、といえば、貸本屋だろう。
風呂敷に書物を包んで、家々を回った。
しかし、これらの貸本屋は、いわゆる古典は持ち歩かない。
ほとんど読み物である。
古典の引き合いは、まず無かったのではないか。
かわりに、備えていた本がある。
春本である。
江戸の貸本屋は実はこちらで稼いでいた節がある。

そうだ、江戸っ子は、春本で紫式部を知り、『源氏物語』を学んだのではないだろうか。
「本歌取り」を得手とする春本だから、貴公子の恋の遍歴『源氏物語』は、格好の種本ではあるまいか。

そこで調べてみた。 ある、ある。
『亥中(いなか)源氏須磨琴(ごと)』 『偽紫(にせむらさき)女げんじ』 『偽勢(にせ)紫浪華(なにわ)源氏』 『源氏思男貞女(しなさだめ)』 ……
いづれも枕絵といわれる春画本(艶本〔えほん〕という)である。
『艶紫娯拾余帖(えんしごじゅうよじょう)』 『花鳥余情吾妻源氏』 『正写(しょううつし)相生(あいおい)源氏』


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  『艶紫娯拾余帖』


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  『花鳥余情吾妻源氏』


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  『正写相生源氏』

この三冊は、浮世絵師、不器用亦平(ぶきようまたへい)こと歌川国貞の枕絵本で、「国貞三源氏」と呼ばれ有名である。

(読み易いように改行を加えました。
赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


146-149ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社

あらっ。。。 江戸の庶民は春本によって『源氏物語』を知ったというのでしょうか? 京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している身にとって、この事実はいささか不本意でござ~ますわ。

でもねぇ~、あんな長編の物語を庶民が読むのは無理ですよ。

そうでしょうかしら?

だってねぇ、正直に言うと僕だって源氏物語の54帖全巻を読んでませんよ。

あらっ。。。 でも、デンマンさんは知ったような事を記事に書いているではござ~ませんかア?

実は、54帖全巻には目を通しましたよ。 でもねぇ~、僕は現代文のダイジェストを読んだだけなのですよ。 原本で読む気はさらさら起こらない。

でも、高校生の頃、古文で勉強したのでしょう?

だから、その時、先生に源氏物語の本の一部を読まされたけれど、まったく面白くなかった。 それで、食わず嫌いになったのですよう。 第一、『源氏物語』の原文を読むことは現代日本人にとって、かなり難しい。 他の王朝文学と比べても語彙は格段に豊富で、内容は長くて複雑で、専門的な講習を受けないと『源氏物語』の原文を理解するのは難しいのですよ。

だったら、谷崎さんや、円地文子さん。。。あるいは瀬戸内寂聴さんの現代語訳を読めばいいではありませんか!?

源氏物語に関しては評論やエッセーや、いろいろなものを読んだから、もう知ったつもりになってしまったのですよ。 だから、「今更、原文を読むなんてぇ~。。。」という気持ちになってしまって、駄目ですよう。 とても読む気になれません。

ダイジェストで済ませているなんてぇ古典を勉強する邪道ですわ。

でも、何も読まないよりはダイジェストでもいいでしょう。 アメリカには、ちゃんとリーダーズ・ダイジェストという会社がありますよう。

アメリカはアメリカですわ。 日本には日本の古典という素晴らしい物が存在するのでざ~ますう。 だから、原文で読まなくても、せめて現代語訳で54帖全巻を読むべきですわ。

あのねぇ~、源氏物語は、昭和初期には「皇室を著しく侮辱する内容がある」との理由で、不敬の読み物だとされていた。 光源氏と藤壺女御の逢瀬などを二次創作物に書き留めたり上演したりすることなどを大日本帝国の政府は厳しく禁じたのですよ。

それは軍国主義が華やかな頃でござ~ますわ。 一時的な現象ですう。 そのような狭い考え方に凝り固まっている人たちが大日本帝国の政府に居たから戦争に負けてしまったのでござ~ますわ。 デンマンさんも書いていたではござ~ませんか!

ん。。。? 僕が。。。? なんてぇ~。。。?

アメリカは戦争に勝つためには日本人の心と文化を研究しなければならないと一生懸命に日本語を情報将校に学ばせたにもかかわらず、日本では英語の使用を大日本帝国政府が禁止してしまったと。。。

うん、うん、うん。。。 確かに日本では軍国主義や皇国史観に毒された人たちが政治や文化を主導していた時期には源氏物語はワリを喰ったのですよ。 でもねぇ~、室町時代や江戸時代にだってぇ、『源氏物語』は猥褻な書物であり、子供に読ませてはならないというような事を言ったり書いた人が居たのですよ。

つまり、江戸時代に源氏物語の春本が出回らなかったら、『源氏物語』は死滅したとデンマンさんは言うのでござ~ますか?

いや。。。 そこまでは言いません。 でもねぇ~、古本屋のおっさんが書いていたように春本に惹かれて『源氏物語』を知った人は江戸時代の庶民にはたくさん居たと思いますよ。

。。。んで、今日はその『源氏物語』の春本のエピソードをデンマンさんが披露するのでござ~ますか?

卑弥子さんだってぇ京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているのだから興味があるでしょう?

あたくしはエロいお話には興味がありませんわ。

卑弥子さん。。。 無理しなくてもいいのですよ。 ネット市民の皆様にバレてしまうからってぇ、そのような心にもないことを言わないでくださいよ。

デンマンさん!。。。 いい加減にしてくださいましなア! んもおォ~。。。! あたくしに「エロい女」のレッテルを貼り付けないと気が済まないのでござ~ますか? 

いや。。。 そう言う訳ではありませんよ。 僕はただ卑弥子さんの心の内が解っているから、そう言ってるまでですよ。

まるで解ってませんわア!

とにかく、せっかくここまで話を進めてきたのだから「エロい源氏物語」の話をしないことにはこの記事を終わりにすることはできないのですよ。

解りましたわ。 じゃあ、あたくしに遠慮なしにお話を進めてくださいな。

そう言いながら卑弥子さんも興味があるのでしょう!?

そのようなことはどうでもよろしいのですわ。 ガタガタ言わずに早く話してくださいなァ。

解りました。 じゃあ、「国貞三源氏」の一つである『正写相生源氏』のエピソードを話しますよ。 昭和30年4月10日に原文が伏字無しで初めて出版されたのですよ。

つまり、映倫に引っかかるような極めてエロい。。。 うふふふふふ。。。 猥褻な。。。 やらしい文章で書かれているのでござ~ますか?

卑弥子さん。。。、鼻息を荒々しくして、そのように身を乗り出さなくてもいいですよ。 ちょっと近寄りすぎです。 もう少し離れてください。 卑弥子さんの鼻息が僕の顔にマジで吹きかかっているのですよう。 んもおォ~。。。 歌川国貞の枕絵は4枚のみ。。。 でもねぇ、ノーカットで掲載されているのです。 エロに厳しかった昭和30年代としては勇気のいる出版だったのですよ。

。。。んで、『源氏物語』のどの帖なのでござ~ますか?

あのねぇ~、それが『源氏物語』の54帖のどれとも直接のかかわりはないのですよ。 ただし「ここに何れの御時にや。。。」と『源氏物語』の書き出しに似せて始まっているのです。 京は北嵯峨のあたりに、表に冠木の門を構え、築山(つきやま)や川の流れを備えた庭のある洒落(しゃれ)た屋敷があり、40歳ばかりの未亡人と14歳のひとり娘、それに二、三人の女中、老僕が住んでいるのですよ。

それで。。。?

母を浅香(あさか)といい、娘を音勢(おとせ)というのです。 家屋敷は借金の抵当(かた)に入っている。 つまり、この母と娘は貧乏な暮らしをしているのですよ。 でも、娘がチョ~美人で京の都では評判になっている。 その噂を聞きつけた21歳になる光源氏ならぬ吉光公(よしみつこう)が御所に上げよと言ってきた。

。。。で、母親はお金に目がくらんで娘を御所に上げるのでござ~ますか?

そうしないと話が進まない。 でも、この母親がどこからか吉光公の噂を聞きつけてきた。

どのような。。。?

この吉光公は好色で、その上、巨根の持ち主だという。 まだ初潮を迎えたばかりの音勢(おとせ)には荷が重過ぎる。 そこで母親は近所のお金持ちで弓削道足(ゆげのみちたる)という名の50歳になる男に性教育を頼んだのですよ。

あらっ。。。 なんとなく、あの有名な弓削道鏡をもじったような名前ですわね。

それもそのはず。 この弓削道足(ゆげのみちたる)という男も巨根の持ち主なのですよ。

あらっ。。。 50歳になる巨根の持ち主に14歳の娘の性教育を頼んだのでござ~ますか?

そうなのですよ。 娼家では生娘(きむすめ)を店に出す前に、世慣れた年寄りに「水揚(みずあ)げ」をしてもらう。 つまり、男女の道を実地に教えるわけですね。 この初老の男は、かなり乗る気で「10両出すからぜひワシにやらせてくれ」と言う。 母親はお金が欲しいから二つ返事でお願いしますと言った。

でも、14歳の娘には、母親は何と言って説得したのでござ~ますか?

御殿勤めに必要な作法だから一生懸命に勉強するようにと。。。

あらっ。。。 そのようなことを。。。? マジでござ~ますか?

そのように話が進んでゆくのですよ。

あのォ~。。。 前置きはこのぐらいでけっこうでござ~ますから。。。 あのォ~。。。 エロいお話をしてくださいなァ。 うふふふふふ。。。 そろそろこの記事を読んでくださっているネット市民の皆様も退屈していると思うのでござ~ますわァ。

あれっ。。。 卑弥子さんも退屈し始めているのですか?

あたくしの事はどうでもよいのですわ。 それよりも、この記事を読んでくださっているネット市民の皆様にエロいお話をしないといけませんわ。 「エロい源氏物語」というタイトルを掲げたのですものォ~。。。、エロいお話がないと誇大広告になってしまいますわァ。

解りました。 じゃあ、すぐにエロい場所に飛躍しますね。 卑弥子さんもじっくりと読んでみてください。

音勢(おとせ)は夜に入っても帰らない。
(母親の)浅香の酌で酒を飲んだ吉光公は、したたかに酔い、横になる。
浅香がまめまめしく尽くす。
当然のなりゆきとなる。

 (ここからは読み下し文)

浅香は久しく男の傍らを、遠ざかりつることなれば、歳はとっても何となく、初々しさに気もときめき、自由になれば吉光は、やがて抱きしめ手をやつて、山繭の腰巻を、探りひらきて内股へ、わり込み給へば思ひの外、肌ざわりさへすべすべし、毛はふつさりと房やうじを、並べていぢる如くなる、


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だんだん奥へさしこむ手先に、紅舌(さね)はさはれどこの辺り、吐淫ぬらぬら溢れ出て、滑(ぬめ)りて紅舌もつままれず、況(ま)して陰門の両淵は、流るるばかりのありさまに、吉光もはや堪(たま)りかね、両手でぐつと内股を、おし広げて足を割込み、鉄火に等しき一物をあてがひて二腰三腰、おせば下より持ち上げる、はずみにぬるぬる毛際まで、何の苦もなく押し込めば、その開(ぼぼ)中の温かさは、いふも更なり忽地(たちまち)に、子宮(こつぼ)ひらけて鈴口を、しつかと咥(くわ)へて内へひく、その心よさ気味よさは、何に喩(たと)へんものもなく、吉光は目を細くなし、口をすぱすぱ吸いながら、大腰小腰九浅一深、上を下へとつき立て給ふに、浅香は子供を二三人産みたる開(ぼぼ)にて、さまざまの道具だてさへ多ければ雁首(かりくび)より胴中へ、ひらひらしたもの巻きついて出しいれのたび玉茎(たまぐき)をしごくやうにてえも言はれず、吉光あまたの側室を抱へ、いろいろ楽しみたりといへど、かかる稀代の上開(ぼぼ)は、いまだ覚えぬばかりにて、それいくいくア、またいくと、浅香が背中へ手をまわし、力一ぱい抱きしめて、嬌(よが)り給へばさらぬだに、浅香は誠に久しぶり、殊(こと)には太く逞しき、一物に突きたてられ、ヒイヒイフウフウム、フウと、声をも立てず最初から、精をやりつづけて息もはづみ、正体もなき折からに、


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アアソレいくよまたいくよと、男に嬌(よが)りたてられて、何かは以(もっ)てたまるべき、五臓六腑を絞るばかり、陰水どろどろずるずると限りもあらず流れ出て、昔を今にかへり花、たのしく其夜を明したり。

 (ここから現代文)

そもそも浅香は色好みの性で、15歳で大納言蟻盛卿のおそば勤め中にお手がつき、というより浅香の方から手を取りて、あげくは妊娠、卿は実家に帰らせる。


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産まれたのが音勢である。
世間の手前、出産前に婿を迎えたが、とんでもない食わせ物で、すぐさま離縁した。

(読み易いように改行を加えました。
赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


158-160ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社

デンマンさん。。。 どうして読み下し文を現代文になさらないのでござ~ますか?

「読み下し文」そのままの方が、なんだかずっとエロいのですよう。 卑弥子さんも、そう思いませんか?

そうかしら? でも、娘の「水揚げ」の場面がないではござ~ませんか?

あのねぇ~、 この場合、娘の音勢(おとせ)よりも色好みの母親・浅香の方がエロっぽいのですよう。

それはデンマンさんの個人的な意見でざ~ますわ。 音勢(おとせ)のことを思わせぶりに語っておきながら、「水揚げ」の場面がないので、この記事をお読みになっているネット市民の皆様方はガッカリしていると思いますわ。

あのねぇ~。。。、音勢(おとせ)の場面を読みたい人は地元の図書館で『春本を愉しむ』を借りて読んでみてください。

【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。
わたしもバンクーバー図書館で『春本を愉しむ』を借りて読んでみたいと思いますわ。

歌川 国貞(うたがわ くにさだ)は1786(天明6)年に生まれ、1865(元治元)年に亡くなっています。
79歳でした。
のちの三代目・歌川豊国のことです。
墓所は亀戸の光明寺にあり、墓も現存しています。
明治維新になる3年ほど前に亡くなったのですわね。

作品の数は浮世絵師の中で最も多いそうです。
その作品数は1万点以上に及ぶと言われています。

柳亭種彦『偐紫田舎源氏』の挿絵は「源氏絵」ブームを巻き起こし、歌舞伎にも影響するほどでした。
また国貞時代の春画も彼の力量を良く伝えるものです。
代表作として「浮世名異女図会」、「思事鏡写絵」、「当世美人合」、「当世美人流光好」、「時世江戸鹿子」、「江戸名所百人美女」、「星の霜当世風俗」などといった美人画シリーズに秀作があります。
春画もたくさん描いたのですわね。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

『漢字で体操ざ~ます』

『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『オバマ大統領と継体天皇』

『色男不比等』

『目の前で米軍のヘリが落ちた』

『見ちゃだめよ!』

『白い鯛焼き』

『真夜中のマリア』

『女に溺れる清盛』

『北本から見る富士』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


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『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』


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『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』


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エロチカ平家物語

2013年1月15日

 

  
エロチカ平家物語


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デンマンさん。。。 どうして急に「エロチカ平家物語」なのでござ~♪~ますか?

いけませんか?

だってぇ、見え透いておりますわ。 「エロチカ」でネット市民の皆様を引き付けようとしているのでざ~ますわア。

そのようないけ好かない事を僕が考えると卑弥子さんはマジで思っているのですか?

だってぇ、それ以外に考えられませんわ。

つまり、卑弥子さんは僕がエロい男だと信じ込んでいるのですね?

あらっ。。。 そのような当然の事をお聞きあそばさないでくださいましなァ。 うふふふふふ。。。

うふふふふじゃありませんよ! 笑いで誤魔化(ごまか)す日本人の悪い癖を出さないでくださいよ。

そのような事よりも、どうして「エロチカ平家物語」というようなショッキングなタイトルを掲(かか)げたのでござ~ますか? ご説明してくださいな。

あのねぇ~、僕は『平家物語』を上下巻とも、じっくりと読み返しているのですよ。


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あらっ。。。 バンクーバーの市立図書館から、まだ同じ本を借りているのでござ~ますか?

いけませんか?

ケチらないで買って読んで下さいましな。

図書館で読めるのだから、わざわざ買うこともありませんよ。 僕は本を買わない主義なのですよ。

どうして。。。?

買い始めるときりが無い。 私設図書館を作るようなものですからね。 (微笑)

。。。で、英語で書かれた『平家物語』を読んでいるのでござ~ますか?

もちろん日本語ですよ。 日本語の現代語訳で書かれた『平家物語』ですよ。 かつて高校の古文の時間に先生が『平家物語』を教材にしたことがあるのです。 でもねぇ、その時、難しいという印象があったから、僕は投げ出してしまったのですよ。 だから、ずいぶん長いこと読んでなかったのですよ。

それで、現代語訳ならば読めそうだと思って読み始めたのでござ~ますか?

そうです。

。。。んで、エロチカが出てくるのでござ~ますか?

出てくるわけないでしょう!

だってぇ~、「エロチカ平家物語」というタイトルにしてあるじゃござ~ませんか!

あのねぇ~、『平家物語』の中にはエロチカは出てこないのですよ。 どちらかというと『平家物語』には陰惨な雰囲気が込められているのですよ。

陰惨な雰囲気でござ~ますか?

そうです。 もともと琵琶法師が語り継いだと言われているのですよ。 だから、次のビデオクリップを見ればわかるけれど、「エロチカ」とはかけ離れた陰惨で悲しい響きが伝わってくるのです。

平家物語 祇園精舎

(By 岩佐鶴丈)

あらっ。。。 ホントですわねぇ~。。。 なんだかお化けが出てきそうな雰囲気でござ~ますわァ。 うふふふふふ。。。

そやってぇ、笑いで誤魔化さないでくださいよ。

そんな事より、どうして陰惨な悲しい物語が「エロチカ平家物語」になるのでござ~ますか?

あのねぇ~、次のような川柳があるのですよ。


(tokuko02.jpg)

義経も 母をされたで 娘をし

あらっ。。。 やらしい川柳ですわ。。。 うふふふふふ。。。

卑弥子さん。。。 川柳というものはどこか、やらしいものですよ。 それよりも卑弥子さんには、この川柳の意味が理解できますか?

デンマンさん。。。 あたくしは、こう見えても京都にある女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授ですわよう。 この程度の川柳が理解できないと教職を追われてしまいますのよう。

ほォ~。。。 そういうものですか? じゃあ、上の川柳が一体どういう意味なのか腐女子にも分かり易く説明してください。

上の川柳の出どころは1776年~1801年頃に刊行されたという川柳集『誹風末摘花』ですわ。 同じようなエロい川柳に次のようなものが載っておりますわ。

門院は 入水のほか 濡れたまい

牛若の 目がさめますと 常盤(ときわ)言い

牛若の目がさめます

義経の幼名は牛若丸であり、母は常盤(ときわ)という。
常盤は平清盛に敗れた源義朝の妾である。
義朝との間に、三人の男児を生んだ。
七歳の今若、5歳の乙若(おとわか)、そして一歳の牛若を連れ、逃げ隠れていたが、老母が清盛に捕えられ、むごい目にあっているのを聞いて、子どもと共に自首して出た。
義朝憎しで、一族全滅を遂行していた清盛は、常盤をひと目見たとたん、カッ、と頭から熱を発した。
何しろ、「常盤と申すは日本一の美人なり」(『義経記(ぎけいき)』)
年恰好からいって、色気もふんぷんだったろう。
のぼせ上がってしまったのである。


(bond911.jpg)

清盛は、子の助命を願う常盤に、条件を出した。
自分に従うなら、助けてやってもよい。
舌なめずりしながら迫ったことであろう。
常盤は三児の将来に希望を託し、応諾した。

そこで、川柳子の登場である。
「牛若の 目がさめますと 常盤言ひ」
「義朝と おれとはどうだ などとぬれ」

この川柳をもっと露骨な文章に仕立てたのが、春本である。


(yoshitsu05.jpg)

(読み易いように改行を加えました。
イラストと写真はデンマン・ライブラリーより)


28-29 ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根 達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社

『色欲は歴史を変える』に掲載
(2012年6月23日)

あれっ。。。 卑弥子さんは、エロい川柳に詳しいのですねぇ~。。。

それほどでもありませんわよ。 おほほほほほ。。。んで、義経も 母をされたで 娘をしがどういう意味かとゆうとォ~、源義経のお母さんの常盤御前(ときわ ごぜん)を、平清盛が妾とした仕返しに、壇ノ浦の戦いで義経さんが助けた建礼門院(けんれいもんいん)を、お布団の中に誘い込んでエッチしたと言うのでござ~ますわ。 おほほほほ。。。 この建礼門院は平清盛の娘で、のちに高倉天皇の奥さんになった女性ですう。 つまり、壇ノ浦の戦で亡くなった安徳天皇のお母さんですのよォ。


(tokuko03.jpg)

寂光院と建礼門院

なるほどォ~。。。 卑弥子さんは『源氏物語』ばかりではなく、『平家物語』にも詳しいのですね。 しかも江戸時代の川柳まで知っていたとは僕は改めて卑弥子さんのエロ知識に感心しましたよ。

そんな事より、どうして「エロチカ平家物語」というタイトルにしたのでござ~ますか?

だから、「火の無い所に煙は立たず」と昔の人は言ったでしょう! つまり、『平家物語』の中にエロチカの炎がチロチロと燃えているはずだと僕は思ったわけですよ。

それで、その箇所を探したのでござ~ますか?

そうです。

デンマンさんもけっこう物好きで暇人なのですわね。。。で、その箇所が見つかったのでござ~ますか?

見つかりましたよ。 読んでみてください。

文(ふみ)の沙汰(さた)


(yoshitsu2.jpg)

平大納言時忠卿父子も、九郎判官(くろうほうがん)の宿所近くにいた。
世の中がこうなってしまったからは、どうなっても仕方がないと思わなければならないのに、大納言はなおも命が惜しくなったのであろう。
子息の讃岐中将時実を招いて、
「人に見られてはならない秘密文書を一箱、判官のもとに没収されているとのことだ。
鎌倉の頼朝に見られでもすれば、多勢の人が処刑され、私の命も助かるまい。
どうしたものであろうな」
と相談をかけると中将は、
「九郎判官は大体が情けある男であるうえ、女人(にょにん)の哀訴嘆願には、どんな大事でも、一途に突き放すようなことはしないと承っております。
この際の事だから、仕方がございません。
たくさんある娘達のうち、一人を妻にさしだして、互いに親戚になった後、何とかとる手段もありましょう」
大納言ははらはらと涙をおとして、
「私が世にときめいた折には、娘達を女御(にょうご)や后(きさき)にすることを考え、ただの人間にめあわせようなどとは、夢にも思っていなかった」
とくどかれると、中将は、
「今はそのようなことは、決して考えてはなりません。
現在の奥室の腹に生まれた、18歳の娘君がよいじゃありませんか」
とすすめたが、大納言はなおその姫君をやるのが、惜しいように思われ、前の奥方が生んだ、23歳になる姫君のほうを、義経の妻に差しだした。


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この姫君は歳こそ少しとっているが、顔かたちが美しく、品性も優雅であられたので、判官はすっかり気に入り、すでに河越太郎重頼の娘を妻にしていたけれども、この姫君のために別座敷を支度し、調度をかざって丁重なとりあつかいをした。
この姫君が秘密の文書の事を言い出されると、判官は封をといて改めようともせずに、箱ぐるみ直ぐ大納言のもとへ送った。
大納言はひどく喜んで、文書をただちに焼き捨ててしまった。
どのような文書であったのか、その内容を気にする人々もあったようである。

(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


189-191ページ 『平家物語(下)』
2004年12月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社

つまり、当時から源義経は女性に甘いと評判が立っていたのですよ。 だから、きれいな女性を遣(つか)わして頼み事をすれば叶(かな)えてくれると、もっぱらの噂になっていることが上の小文を読むと実によく解る。

義経さんは女好きだったのでござ~ますわね。

男なら、たいてい女好きですけれどね、義経さんは特にきれいな女性が好みだったのですよ。 だから『平家物語』にも上のようなエピソードが書いてるのです。

つまり、江戸時代の人は上の小文を読んで「義経も 母をされたで 娘をし」という川柳を思いついたとデンマンさんは考えているのでござ~ますか?

当たらなくても遠からずだと思いますよ。 卑弥子さんも、そう思いませんか?

【ジューンの独り言】

ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?

『平家物語』は、鎌倉時代に成立したと言われています。
だから、平家の栄華を褒(ほ)める事は書けなかったでしょう。
鎌倉幕府のお偉いさんたちに受け入れられるためには平家を貶(おとし)めないといけなかったのでしょうね。

作者については古くから多くの説があります。
吉田兼好の『徒然草』には、信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが)という人物が平家物語の作者だと書いてあります。
生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて語り手にしたとしています。

後鳥羽院の御時、信濃前司行長稽古の譽ありけるが (中略) この行長入道平家物語を作りて、生佛といひける盲目に教へて語らせけり。

(徒然草226段)

その他にも、生仏が東国出身であったので、武士のことや戦の話は生仏自身が直接武士に尋ねて記録したことや、更には生仏と後世の琵琶法師との関連まで述べているなど、その記述は実に詳細です。

この信濃前司行長なる人物は、九条兼実に仕えていた家司で中山(藤原氏)中納言顕時の孫である下野守藤原行長ではないかと推定されています。
また、『尊卑分脈』や『醍醐雑抄』『平家物語補闕剣巻』では、顕時の孫にあたる葉室時長(はむろときなが、藤原氏)が作者であるとされています。

藤原行長とする説では、信濃に縁のある人物として、親鸞の高弟で法然門下の西仏という僧とする説もあります。
この西仏という人物は、大谷本願寺や康楽寺(長野県篠ノ井塩崎)の縁起によると、信濃国の名族滋野氏の流れを汲む海野小太郎幸親の息子で幸長(または通広)とされており、大夫坊覚明の名で木曾義仲の軍師として、この平家物語にも登場します。
ただし、海野幸長・覚明・西仏を同一人物とする説は伝承のみで、史料的な裏付けはありません。

「新平家物語」よりオープニング・テーマ

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じゃあね。バーィ。

ィ~ハァ~♪~!

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かわゆらしそう

2012年12月31日

 
 
かわゆらしそう
 


(muma07.jpg)

デンマンさん。。。 あんさんは浮世絵などを持ち出してきて何をしようとしやはるのォ~?

めれちゃん。。。 上の浮世絵をじっくりと見てみィ~なァ。

母親が赤ちゃんをいかにも愛(いと)おしそうに抱っこしてはりますやん。

そうやァ。。。 右上の隅を見て欲しいねん。

何やらぼんやりとしてよう分からへんわ。

次のように書いてあるねん。


(muma07b.gif)

「かわゆらしさう」と書いてありますやん。 それで、あんさんは「かわゆらしそう」というタイトルにしやはってんなァ。

そうやァ。。。 旧仮名遣いで書くと「かわゆらしそう」は「かわゆらしさう」と書くねん。

現代仮名遣いでは「かわいらしそう」と書くのとちゃうのォ~?

わても、実は、そう思ったのやがなァ。 「内室」とは身分の高い奥さんのことをそう呼ぶねん。 つまり、身分の高い母親が赤ん坊を可愛くてたまらんようにして抱っこしているのが上の浮世絵やがなァ~。

どないなわけで上の浮世絵には「かわゆらしさう」と書いてあるん?

あのなァ~、上の浮世絵を描いたんは月岡芳年という人やねん。

月岡 芳年(つきおか よしとし)


(muma09.jpg)

生年: 1839年4月30日(天保10年3月17日)
没年: 1892年(明治25年)6月9日

日本の画家。幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師である。
姓は吉岡(よしおか)、のちに月岡。本名は米次郎(よねじろう)。
画号は、一魁斎芳年(いっかいさい よしとし)、魁斎(かいさい)、玉桜楼(ぎょくおうろう)、咀華亭(そかてい)、子英、そして最後に大蘇芳年(たいそ よしとし)を用いた。

河鍋暁斎、落合芳幾、歌川芳藤らは歌川国芳に師事した兄弟弟子の関係にあり、特に落合芳幾は競作もした好敵手であった。
また、多くの浮世絵師や日本画家とその他の画家が、芳年門下もしくは彼の画系に名を連ねている。

歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がけ、各分野において独特の画風を見せる絵師である。
多数の作品があるなかで決して多いとは言えない点数でありながら、衝撃的な無惨絵の描き手としても知られ、「血まみれ芳年」の二つ名でも呼ばれる。
浮世絵が需要を失いつつある時代にあって最も成功した浮世絵師であり、門下からは日本画や洋画で活躍する画家を多く輩出した芳年は、「最後の浮世絵師」と評価されることもある。

昭和時代などは、陰惨な場面を好んで描く絵師というイメージが勝って一般的人気(専門家の評価とは別)の振るわないところがあったが、その後、画業全般が広く知られるようになるに連れて、一般にも再評価される絵師の一人となっている。


出典: 「月岡芳年」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師やのね。

そうやァ。。。 そやから当然、旧仮名遣いで説明が書いてあるというわけやァ。

。。。んで、どないなわけで、あんさんは「かわゆらしそう」を取り上げはったん?

現在生きている日本人は「かわいらしそう」と言う人がほとんどやと思うねん。

そうですう。 「かわゆらしそう」なんて言う人はまずおまへん。

そうやろう?。。。 そやから、幕末から明治前期にかけて生きていた日本人は、どないなわけで「かわゆらしそう」と言うたのか気になったのやがなァ。

それで、こうして記事に取りあげはったん?

あきませんか?

かめへんけど、あんさんはその理由を突き止めはったん?

そうやァ。

もったいぶらないで教えてくれへん。

あのなァ~、天照大神と関係あるねん。

てんしょうだいじんって何。。。?

めれちゃん、笑ってもらおうとして、そないに無理して読まんでもええねん。 わてのブログを読みはる人は、ほとんどすべての人が「あまてらすおおみかみ」と読むことを知っておるねん。

。。。んで、その神さんがどないしやはったん?

あのなァ~、わては、たまたまバンクーバー図書館から『平家物語』を借りて読んだのやがなァ。


(lib21228.gif)

(■『女に溺れる清盛』より)

そう言えば『女に溺れる清盛』の記事の中で、そないな事を書いてましたなァ。。。で、『平家物語』にどないな事が書いてありましてん?

ここに書き出すよってに、めれちゃんも読んでみィ~なァ。


(amate03.jpg)

ところで内侍所(ないしどころ)の神鏡というのは、むかし天照大神が天岩戸に閉じこもろうとなされた節、どうぞして自分の姿かたちを写しておき、子孫に見せてやりたいという御心から、御鏡を鋳造された。
最初のものは気にいらないというので、さらに二つめの物を造りかえられた。
最初にできた御鏡は、紀伊国日前(きいのくにひのまえ)、国懸(くにかかす: 和歌山市秋口)の社(やしろ)にまつられた。
二番目の御鏡を、御子(みこ)の天忍穂耳尊(あまのにいほみのみこと)に授けられ、「同じ御殿のうちに置きなさい」と仰(おお)せられた。

さて天照大神が天岩戸に閉じこもられ、天下がくら闇となったので、八百万代(やおよろずよ)の神々がより集まり、岩戸の口で御神楽(みかぐら)を奏したところ、天照大神が感心され、岩戸を細めにひらいて見物なされた時、神々の顔が互いにほの白く見えたことからして、面白いという言葉がはじまったと聞いている。


(uzume07.jpg)

(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


187ページ 『平家物語(下)』
2004年10月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社

『平家物語』は鎌倉時代に書かれましたのやろう?

そうやァ。

。。。つうことわァ~、鎌倉時代にも天照大神の天岩戸(あまのいわと)伝説は広く知られておりましたのやねぇ?

そういうことになるなァ~。。。 そやけど、不思議なことに天宇受売命(あめのうずめのみこと)が出てきよらん。 天下がくら闇となったので、八百万代(やおよろずよ)の神々がより集まり、その時、人気者の天宇受売命がやって来たのやがなァ。 天の香久山のひかげのかづらをたすきにかけ、まさきのかづらを髪飾りにし、魔よけの笹の葉を手に持って、ステージがわりの大きなおけを伏せてその上に乗り、とんとんリズムをとりながら面白おかしく踊り始めたのやがなァ。

あんさんは見てきたようなことを言うけれどホンマかいなァ~?

あのなァ~、この場面はチョー有名なんやでぇ~。。。そやから、たいていの人が天照大神の岩戸の伝説といえば、天宇受売命を思い出すねん。

それで、あめのうずめのみことは、どうしやはりましてん?

ドンちゃん騒ぎが始まったのやがなァ。。。 調子に乗った天宇受売命は、しだいしだいに神がかり状態になり、踊り狂い出しはった。 しかも、オッパイは左へ右へ、上へ下へと揺れ動き、裾はめくれて大切な物があらわに見え隠れしたのやがなァ。。。


(uzume05b.jpg)

あらっ。。。 この天宇受売命(あめのうずめのみこと)は卑弥子さんに似てますやん。。。

うん、うん、うん。。。 たぶん、天宇受売命は卑弥子さんのような陽気な人だったのやがなァ。 とにかく、これが日本初のストリップということになってるねん。

。。。で、そのことが「かわゆらしそう」と関係あるのォ~?

もちろんやがなァ。 関係ない事をこれほどクドクド話すかいなァ。 要するに、神々の顔が互いにほの白く見えたことからして、面白いという言葉がはじまったのやがなァ。 つまり、「面」とは顔のことやんかァ。 それに「面映い」という言葉があるねん。 めれちゃんも聞いたことがあるやろう?

おますう。

この「面映い」と言うのんは、そやから「面」は顔、「映い」は照り輝いてまぶしいと言うことやんかァ。 「面」と「顔」は同じ意味やから、「顔映い(かおはゆい)」とも言えるねん。 それが転じて「かわゆらしい」→「かわいらしい」になったということやがなァ。

ホンマかいなァ?

昔の人は、恥ずかしがっている様子を「かわいい」と思ったのやァ。

そやけど天宇受売命(あめのうずめのみこと)はんは、恥ずかしそうに踊ってえ~へんでぇ~。。。

あのなァ~、天宇受売命はんは卑弥子さんに似ておったさかいに、得意になって踊ってしもうたけど、天宇受売命はんが平安時代に生まれておったら「恥ずかしい」そうに踊るねん。 つまり、「かわいい」という感じになるわけやがなァ。

つまり、恥ずかしそうにしてへんと、「かわいい」と言ってもらえへんかったのォ~?

昔はそうらしかったでぇ~。。。 そやけど、現在では恥ずかしそうにすると「ぶりっ子」に見られてしまうので恥ずかしそうにせ~へんようになったまでやァ。

ホンマかいなァ~。。。?

【ジューンの独り言】

ですってぇ。。。
あなたも、そう思うでしょう?

ところで、月岡芳年(つきおか よしとし)は、歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がけ、各分野において独特の画風を見せた絵師です。
衝撃的な無惨絵もたくさん描いたので、「血まみれ芳年」としても知られていました。
それでも、浮世絵が需要を失いつつある時代にあって最も成功した浮世絵師です。
そのようなわけで、「最後の浮世絵師」と評価されることもあります。

また次のように奇妙な絵を描く絵師でもありました。


(muma08.jpg)

これは月岡芳年の「幽霊画」です。
奇妙でありながら面白い発想で「幽霊」を描いています。

さらに、次のように陰惨な場面も好んで描いています。


(muma05.jpg)

そのようなわけで、陰惨な絵を描く絵師というイメージが勝っており、
江戸時代後半の他の有名な浮世絵師と比べると一般的人気は振るわなかたようです。

でも、最近になって、月岡芳年の画業全般が広く知られるようになるに連れて、一般にも再評価される絵師の一人となっています。

とにかく、次回も面白い話題が続きます。
あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

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(uzume06b.jpg)

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こんにちはジューンです。

かつてデンマンさんが小泉八雲を紹介していました。

八雲(ラフカディオ・ハーン)は

次のように言っていたのです。

日本女性を道徳的、宗教的信念を持った

愛らしい倫理的創造物である

明治時代の日本の女性は、

そうであったのかもしれません。

でも、最近になって日本の女性も変わったようですね。

一つの事件を取り上げて、そう言うのも

独断過ぎると思いますけれど、

「苫小牧子殺し事件」は象徴的な事件だったと

思いますわ。そして痛ましい事件でした。

北海道・苫小牧の何処かで、3歳の長男と

1歳の三男の兄弟が鍵の掛かったアパートに

閉じ込められ放置されのですわ。

長男は生米や冷蔵庫のマヨネーズやケチャップで

飢えをしのいだのです。

三男は飢餓と低体温症で亡くなってしまいました。

昼間に自動的に入る暖房で、餓死した弟が

無残に腐食する横で、お兄ちゃんは

必死で飢えを凌ぎ生き抜いて、

ママの帰りを待ち続けたというのです。

でも、ママは新しいボーイフレンドの部屋に住み着いて

1ヶ月以上、子供たちの養育を拒み、

ボーイフレンドと遊んで暮らしていたのです。

もう、死んでいるのではないかと思って、

アパートに戻ると、長男は生きていた。

「何で生きてるの?」

冷血女性のママは長男を見て

まず、そう感じたと言うのです。

人間は、それほどまでに非情に

冷血になれるものでしょうか?!

何度読んでみても、亡くなった子供のために

涙が流れてきますわ。(めそめそ。。。)

「苫小牧子殺し事件」のことは

次の記事の中で引用されています。

『愛の進化論』

ところで、卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ

女に溺れる清盛

2012年12月29日

 

女に溺れる清盛


(bond010.gif)


(kiyomo01.jpg)


(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 どうして急に「女に溺れる清盛」というようなタイトルを貼り出したのでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

いけませんか?

だってぇ、見え透いておりますわ。

何が見え透いているのですか?

ショッキングなタイトルを掲(かか)げて、ネット市民の皆様の目を引き付けようとしていますわ。。。 そうやって記事を読んでもらおうという汚(きたな)らしい動機が見え透いているのですわ。 デンマンさんのお相手を勤めるあたくしとしては、心がとっても痛むのでござ~ますう。

マジっすかァ~。。。?

マジも、フマジもござ~ませんわ。 平清盛様が迷惑すると思うのですわ。

まさかァ~。。。

まさかも、やさかも、とさかも、ござ~ませんわ。 下心が無いのでしたら、どうして急に「女に溺れる清盛」というようなタイトルを貼り出したのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、夕べ、久しぶりに『平家物語』を上下巻とも読み終えたのですよ。


(lib21228.gif)

またバンクーバーの市立図書館から借りて読んだのでござ~ますか?

いけませんか?

ケチらないで買って読んで下さいましな。

図書館で読めるのだから、わざわざ買うこともありませんよ。 僕は本を買わない主義なのですよ。

どうして。。。?

買い始めるときりが無い。 図書館を作るようなものですからね。 (微笑)

。。。で、英語で書かれた『平家物語』を読んだのでござ~ますか?

もちろん日本語ですよ。 日本語の現代語訳で書かれた『平家物語』ですよ。 かつて高校の古文の時間に先生が『平家物語』を教材にしたことがあるのです。 でもねぇ、その時、難しいという印象があったから、僕は投げ出してしまったのですよ。 だから、ずいぶん長いこと読んでなかったのですよ。

それで、現代語訳ならば読めそうだと思って読み始めたのでござ~ますか?

そうですよ。 驚いたのは、あの有名な「祗園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声。。。」で始まってから 30ページ目に「祗王(ぎおう)」が出てくるのですよ。

30ページ目に「祗王(ぎおう)」が出て来たので驚いてしまったのですか?

だってぇ、そうでしょう! 30ページ目に「祗王(ぎおう)」の話が出てくるのを知っていれば、僕はもっと熱意に燃えて『平家物語』を読み進めたのですよ。 ところが、難しい古文で興味をかき立てない、面白くも無い平安時代の公家の名前がダラダラ、ダラダラと。。。これでもか、これでもか、というようにウンザリするほど出て来た。 「こんなのまったくおもしろくねぇ~。。。!」 そう思って僕はマジで投げ出したのですよ。 ちょっと我慢すれば、30ページ目に「祗王(ぎおう)」の話が出てくる。 それを知っていれば僕は投げ出しませんでしたよ。

つまり、女に溺れるのは清盛さんではなくてデンマンさんだってぇ、充分に女に溺れるような性格なのでござ~ますわねぇ。

あのねぇ~、男はもともと生物学的に女に溺れるようにできているのですよ。 だから、地球上を見てください。 地球の歴史が始まって約50億年。。。 地球のどこにでも人間がいる。 北極にも南極にも人間がいる。 地球始まって以来、動物で人間ほど子供を増やした種は、他には居ないのですよ。 男が女に溺れない性格だったら人間はこれほど地球上で繁栄しなかったのですよ。

生物学と文学を一緒にしないでくださいな。。。んで、『平家物語』を読んでみて改めて清盛さんが女に溺れるタチだと理解したのでござ~ますか?

違うのですよ。 僕は清盛さんに少し同情するようになったのですよ。

清盛さんに少しばかり同情するようになったとは、どういうことでござ~ますか?

僕はかつて卑弥子さんと清盛さんについて語ったことがあったのですよ。

そうでしたかしら?

ほらねぇ~。。。 卑弥子さんも忘れているくらいだから僕もすぐにはその記事のタイトルを思い出すことができなかった。 でも、間違いなく清盛さんを貶(けな)すような記事を書いたことがあるのですよ。

いったいどのような記事ですか?

どうしても思い出せないので、GOOGLEで検索してみたのですよ。 その結果を見てください。


(gog21229.gif)

「祇王 デンマン 卑弥子」を入れて検索した結果ですよ。 卑弥子さんと「祇王」について語り合った記事が99件ヒットしたのですよ。

あらっ。。。デンマンさんと共に「祇王」について99回も語り合いましたかしら?

もちろん、すべてが記事というわけではないのですよ。 赤枠で囲んだページに注目してください。 これはGOOのブログの中で「仏御前」について書いてある記事のリストなのですよ。 そのページに飛んで行ってソフトカメラで撮ってきたので、ここに貼り出しますから卑弥子さんも見てください。


(gog21229c.gif)

あらっ。。。デンマンさんの記事がリストに載っているではござ~ませんか!

その通りですよ。 『女に溺れて女で滅ぶ』平清盛さんという記事を書いていたのですよ。


(gog21229e.gif)

『女に溺れて女で滅ぶ』

あらっ。。。今年(2012年)の6月24日にGOOのブログに投稿された記事ですわね。 『女に溺れて女で滅ぶ』平清盛さんについてデンマンさんと語り合った事など、あたくしもすっかり忘れていましたわ。

卑弥子さんは次のエピソードを聞いて喜んでいたのですよ。 思い出してください。


(bond010.gif)

牛若の目がさめます

義経の幼名は牛若丸であり、母は常盤(ときわ)という。
常盤は平清盛に敗れた源義朝の妾である。
義朝との間に、三人の男児を生んだ。
七歳の今若、5歳の乙若(おとわか)、そして一歳の牛若を連れ、逃げ隠れていたが、老母が清盛に捕えられ、むごい目にあっているのを聞いて、子どもと共に自首して出た。
義朝憎しで、一族全滅を遂行していた清盛は、常盤をひと目見たとたん、カッ、と頭から熱を発した。
何しろ、「常盤と申すは日本一の美人なり」(『義経記(ぎけいき)』)
年恰好からいって、色気もふんぷんだったろう。
のぼせ上がってしまったのである。


(bond911.jpg)

清盛は、子の助命を願う常盤に、条件を出した。
自分に従うなら、助けてやってもよい。
舌なめずりしながら迫ったことであろう。
常盤は三児の将来に希望を託し、応諾した。

そこで、川柳子の登場である。
「牛若の 目がさめますと 常盤言ひ」
「義朝と おれとはどうだ などとぬれ」

この川柳をもっと露骨な文章に仕立てたのが、春本である。

(読み易いように改行を加えました。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


28-29 ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根 達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社

『色欲は歴史を変える』に掲載
(2012年6月23日)

デンマンさん、んもおォ~。。。 いい加減なことをぬかさないでくださいましなァ! あたくしは決してエロい話を聞いて喜んだりしませんでしたわ。

あれっ。。。 そうだったかなァ~。。。 かなり面白そうにしていましたよ。

そんな事よりも仏御前はどうなったのですか?

だから、そのことですよ。 その事が言いたくてこの記事を書こうと思ったのですからね。 卑弥子さんは次のように語ったのですよ。

白拍子というのは、平安時代後期に活躍した、
一口で分かりやすく申し上げるならば、
芸者のような者でござ~♪~ますわ。


(shira15.jpg)

このように白の水干(すいかん)に
立烏帽子(たてえぼし)、白鞘巻(しろさやまき)という男装で
「今様」と呼ばれる歌を謡(うた)いながら、
男舞と呼ばれる舞を舞うのでござ~♪~ます。

白拍子であった祗王(ぎおう)は、
時の権力者・平清盛の寵愛を受け、
彼の館で幸せに暮らしておりました。
あるとき、清盛に歌舞を披露したいという
別の白拍子が現れたのです。
その者が仏御前だったのですわ。

ただの白拍子に過ぎない仏御前を清盛は追い返そうとしました。
でも、遠路はるばるやってきた彼女を見かねて、
心の優しい祗王がとりなしたのでござ~♪~ますわ。
それで、仏御前は清盛に舞を見せることになりました。
しかし、これを見た清盛は心を奪われ、
仏御前を寵愛するようになってしまったのでござ~♪~ます。

皮肉なものでござ~♪~ますわねぇ~。
男と言うのは本当に浮気なものでござ~♪~ますわ。
祗王の座を奪う気持ちのない仏御前は辞退しようとしました。
しかし、それに気づいた清盛は、
邪魔な祗王を追放してしまったのですわ。
本当に悲しい事でござ~♪~ますゥ。


(seisho05.gif)

萌え出づるも

枯るるも同じ

野辺の花

いづれか秋に

あわではづべき

館を出る祗王がせめてもの忘れ形見にと
詠んだ句でござ~♪~ます。

さらに翌春、清盛は退屈している仏御前を慰めるためといって、
祗王に仏御前の前で舞を披露することを強要したのです。
祗王は、あまりの屈辱に死を決意するのでござ~♪~ました。
しかし、五逆罪になることを母親が説き、
やむなく祗王は清盛の館へ向かうのです。


(shira15.jpg)

仏もむかしは凡夫なり

われらも遂には仏なり

いずれも仏性具せる身を

隔つるのみこそ悲しけれ

このように謡(うた)いながら舞い踊り、
諸臣の涙を誘ったのでござ~♪~ます。

祗王は都に居れば、
また同じような思いをしなければならないと、
母、妹と共に尼となり、嵯峨の山里で仏門に入るのでした。

当時、祗王21歳、妹の祇女は19歳、
母の刀自(とじ)は45歳でござ~♪~ました。

ところが、ある秋の夕べ、仏御前は祗王の元を訪れたのです。
なぜ。。。? どうした事でござ~♪~ましょうか?


(hotoke06.jpg)

実は、祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、
仏御前は、清盛の館を抜け出して
尼となっていたのでござ~♪~ます。

それからのち、祗王一家と仏御前は、余念無く仏道に励み、
みな往生の本懐を遂げたのでござ~♪~ます。

小百合さん、いかがでござ~♪~ますか?
女の身として涙なくしては読めないですよね。
おほほほほ。。。


(giou-ji.jpg)

それにしても、祗王寺のお庭は
苔がとっても美しいですことォ~。。。
見とれてしまいますわぁ~。
あああぁ~。。。デンマンさんとご一緒に見たいわぁ。。。
うしししし。。。

 


(himiko22.gif)


『愛憎と苔寺』より
(2008年10月7日)

どうですか、卑弥子さん。。。 思い出したでしょう?

もちろんですわ。。。 鮮明に思い出しましたわ。 祗王と、その妹の祇女、そして二人の母親の刀自(とじ)。。。 それに仏御前。。。 女の悲しみが、あたくしの胸にもヒシヒシと感じられたものでござ~ますわァ。

マジで。。。?

デンマンさんは、あたくしの言うことをお疑いになるのでござ~ますか?

その。。。 急に。。。急に涙を受けべたりしてわざとらしいですよう。 うしししし。。。

そのような事を言わなければ、これをご覧になっているネット市民の皆様には、わからないのでござ~ますわ。 どうしてあたくしに恥をかかせるのですか? んもおォ~。。。! そんな事よりもデンマンさんが清盛さんに同情したというのは、どのような訳でござ~ますか?

あのねぇ~、『平家物語』をじっくりと読んで考えてみたら、どうやら仏御前の話は清盛さんを貶(おとし)めるための創作だという気がしてきたのですよ。

清盛さんを貶(おとし)めるための創作。。。?

そうですよ。

でも。。。 でも。。。 どうして清盛さんを貶(おとし)める必要があるのでござ~ますか?

あのねぇ~。。。、平清盛は日本史上「悪者」として評価され続けてきたのですよ。 たとえば、あの有名な道鏡もそうですよ。 だから道鏡などは未だにエロい冗談が巷の間で次のように囁(ささや)かれている。


(doukyoux.gif)

つまり、清盛さんも日本史の時間に悪者として教えられたのでエロい話がたくさんあるとデンマンさんは言うのですか?

そうですよ。

でも、誰がそのように清盛さんを貶めたのですか?

もちろん、平家を滅ぼした源氏ですよ。 源氏は正義の味方として悪者の平清盛とその一族を滅ぼしたということを宣伝したのですよ。 歴史では何度も繰り返されてきたことですよ。 つまり、勝てば官軍なのですよ。

でも、清盛さんを貶めるために仏御前が利用されたのでござ~ますか?

僕は『平家物語』の「祗王」を何度も繰り返して読んでみて、その思いを強くしたのです。

それは、いったいどこでござ~ますか?

次の箇所を読んでみて下さい。


(hotoke05.jpg)

 

また京都に白拍子の名手がひとり現れた。
加賀の国(石川県南部)の生まれ、名を仏という。
歳は16とのことである。
京都の人は、上も下も、昔から多くの白拍子は見たが、これほど上手な舞は見たことがないと、しきりにもてはやす。

ある時、仏御前は、
「わたしは、世にもてはやされてはいるが、当世栄(は)えめでたき平家太政(だいじょう)の入道清盛公に召されぬことばかりが心のこり。
遊び女のならいなれば、かまわぬはず。
こちらより、おしかけてみようか」
とある時自分から、西八条の清盛の邸へ伺った。

取り次ぎの者が、「いまは都に名の聞こえた仏御前が参りました」と言上すると、清盛は気色をそこねて、
「なんと、そのような遊び女は、人に召されてくるものだ。
かってに推参(すいざん)する法があるか。
神であろうと、仏であろうと、祗王のおるところへは参ってはならぬ。
早々に追い払え」
と言う。

仏御前はすげないその言葉に、やむなく帰りかけたが、その時、祗王が清盛公に、
「遊び女が自分から参りましたのは、世の常のならわし、それもまだ年端(としは)のゆかぬ者、たまたま思い立って参りましたものを、すげなく申されて帰すのはふびんでございます。
いかばかりはずかしいことか、はた目にも気の毒です」

(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)


31-32ページ 『平家物語(上)』
2004年10月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社

今で言えば仏御前はこの時、満15歳ですよ。

そうですわね。 昔は歳は数(かぞ)えでしたから。。。

仏御前が清盛の屋敷に行ったのは、ちょうどアイドル歌手の熱狂的なファンがアイドルの家に押しかけて行ったようなものですよ。

そうかしら。。。?

だから、清盛も初めは「招きもしないのに来きやがってぇ~。。。んもおォ~。。。 非常識だ!」と気分を損ねたのですよ。

そうかしら?

そう書いてあるでしょう!

。。。で、それがどうしたのでござ~ますか?

この後、卑弥子さんが話したような話へと進んでゆくのですよ。 それで仏御前は祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、清盛の館を抜け出して尼となって、祗王が住んでいた庵(いおり)を尋ねたのですよ。 この時、仏御前は次のように言った。

あなたが襖障子(ふすましょうじ)に、「いづれか秋にあはで果(は)つべき」と書きおかれたお言葉、まことにその通りだと心にひしと感じておりました。
いつぞやあなたが屋敷に召されて、今様をおうたいなされたときも、つくづくと浮かれ女の身のつらさを、思い知らされました。
そののちは、いずこへお住まいかぞんじませんでしたが、このほど噂によれば、母子三人様姿を変え、ごいっしょに念仏されている由(よし)、聞くにつけてもうらやましゅうぞんじて、いつもおいとまを願い申しましたが、入道殿はいっこうにおゆるしになりませぬ。
ひとり思いあわせてみますと、この世の栄華は夢の中の夢、楽しみ栄えたとてなんになりましょう。
人の身に生まれ出ることはむずかしく、仏の御教(みおし)えにあう機会もめったにございません。
このたび地獄におちましたなら、いかに生まれ変わり死に変わりましても、ふたたび人間界に浮かび上がることはむずかしゅうございます。
老少不定(ろうしょうふじょう: 老人と若者のどちらが先に死ぬかわからない)の世の中ですから、年が若くともたのみになりませぬ。
出る息のはいる間も待つ暇とてもなく、かげろうや稲妻よりも、なおはかない命—いちじの栄華を誇って、後生知らずと言われんも悲しく、今朝ひそかに館を抜け出して、このような姿になってまいりました。


(hotoke06.jpg)

(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)


45-46ページ 『平家物語(上)』
2004年10月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社

仏御前が祗王に向かって申し述べた上のお言葉がどうだとデンマンさんは言うのでござ~ますか?

いくらなんでも、この話はできすぎているでしょう! 満15歳のミーハーが、まるで60歳の老婆のような悟りを開いている。 「老少不定の世の中、年が若くともたのみになりませぬ。出る息のはいる間も待つ暇とてもなく、かげろうや稲妻よりも、なおはかない命—いちじの栄華を誇って、後生知らずと言われんも悲し」いと15歳や16歳の女の子が言えるわけがない。 この言葉はこのエピソードを創作した作者の言葉です。 仏御前に成り代わって書いているのですよ。

そうでしょうか? あたくしは『平家物語』に書いてある通りに素直に受け取れましたわ。

『平家物語』というのは初めから清盛を悪者に仕立てて書き始めているのですよ。

マジで。。。?

だってそうでしょう! 「祗園精舎の鐘の声。。。」のあとで秦(しん)の趙高(ちょうこう)、漢の王莽(おうもう)、梁(りょう)の周伊(しゅうい)、唐の禄山(ろくざん)のような中国の悪者の名を挙(あ)げて、清盛もこの男たちと同じように「旧主先皇の政治に学ばず、快楽に走り、諫言(かんげん)を受け入れず、天下の乱れや民の愁いも知ることがなかったために滅んだ」と書いてあるのですよ。

つまり、デンマンさんは掌(てのひら)を返したように今では清盛さんのお味方をしたいのですか?

いや。。。もちろん違いますよ。 僕が言いたいのは必要以上に他人を貶(おとし)めるためのエピソードをでっち上げるのは悪いことだと言ってるのですよ。

つまり、『平家物語』の「祗王」のエピソードはでっち上げだとデンマンさんは断定なさるのですか?

もちろん、すべてがすべて、でっちあげだと言うつもりはありません。 「火のない所に煙は立たず」ですからね。 でもねぇ、少なくとも仏御前は一人じゃない。 二人の白拍子の話を組み合わせて話をでっち上げたのですよ。 だから、仏御前の話を読むと、60年生きてきた白拍子が人生の悟りを開いたようなことを言っている。 それは『平家物語』の作者の声ですよ。

【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。
そうでしょうか?
あなたは、どう思いますか?

『平家物語』は、鎌倉時代に成立したと言われています。
だから、平家の栄華を褒(ほ)める事は書けなかったでしょう。
鎌倉幕府のお偉いさんたちに受け入れられるためには平家を貶(おとし)めないといけなかったのでしょうね。

作者については古くから多くの説があります。
吉田兼好の『徒然草』には、信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが)という人物が平家物語の作者だと書いてあります。
生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて語り手にしたとしています。

後鳥羽院の御時、信濃前司行長稽古の譽ありけるが (中略) この行長入道平家物語を作りて、生佛といひける盲目に教へて語らせけり。

(徒然草226段)

その他にも、生仏が東国出身であったので、武士のことや戦の話は生仏自身が直接武士に尋ねて記録したことや、更には生仏と後世の琵琶法師との関連まで述べているなど、その記述は実に詳細です。

この信濃前司行長なる人物は、九条兼実に仕えていた家司で中山(藤原氏)中納言顕時の孫である下野守藤原行長ではないかと推定されています。
また、『尊卑分脈』や『醍醐雑抄』『平家物語補闕剣巻』では、顕時の孫にあたる葉室時長(はむろときなが、藤原氏)が作者であるとされています。

藤原行長とする説では、信濃に縁のある人物として、親鸞の高弟で法然門下の西仏という僧とする説もあります。
この西仏という人物は、大谷本願寺や康楽寺(長野県篠ノ井塩崎)の縁起によると、信濃国の名族滋野氏の流れを汲む海野小太郎幸親の息子で幸長(または通広)とされており、大夫坊覚明の名で木曾義仲の軍師として、この平家物語にも登場します。
ただし、海野幸長・覚明・西仏を同一人物とする説は伝承のみで、史料的な裏付けはありません。

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