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クラシック鑑賞 1

2017年12月17日

 

クラシック鑑賞 1

 


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デンマンさん。。。、どういうわけでオイラを呼び出したのですかァ~?


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タイトルに書いたとおりだよ!

あれっ。。。 もしかしてクラシックを鑑賞するために オイラを呼び出したのですか?

そうだよ。。。

マジで。。。? デンマンさんとオイラとマジでクラシックを鑑賞するつもりなのですかァ?

オマエは不満なのォ~?

いいえ。。。 デンマンさんと共にクラシックを鑑賞することができるなんてぇ~、天にも昇るよな気持ちですよ。。。 この際、スキップして喜んでもいいですか?

あのさァ~、いくらなんでも、それはオーバーじゃないのォ~? オマエが以前のようにスキップして喜んだら、この記事を読みに来たネット市民の皆様が呆れて他のブログへ飛んでしまうのだよ!

分かりました。。。 じゃあ、スキップして喜びたいのですけれど、デンマンさんが そのように言うのであれば、じっと我慢したいと思います。。。で、いったいどのよなクラシックの曲を鑑賞するのですか?

オマエが“後奏曲集”の中で書いていた記事から選んだのだよ。。。 ちょっと読んでごらんよ!

4.7 Franz Joseph Haydn (1732-1809)

F.J. Haydnの<<Missa in tempore belli>>(Hob. XXII : 9、Paukenmesse>>を聴いて、まず、その手際よさに感銘を受けた。Textの繰り返しは少ないのではあるが、W.A. Mozartの<<Messe in c-moll>>(K. 317、Krönungsmesse>>のようには、慌しくはない。
この作品は、あの有名な<Agnus Dei>の処だけではなく、全曲にわたってtimpaniの音が響いている。<Kyrie>は、ソナタ形式であるが、それからして、timpaniとtrumpetが使用されているような作品は珍しいのではないか。
<Gloria>のなか、Qui tollis peccata mundからQui sedes ad dexteram Patris, miserere nobisまで、celloの独奏を伴っての、三回の独唱から合唱への推移は印象深い。
<Credo>は、三部になっていて、Et vitam venturi saeculi. Amenはコーダのような扱いになっているが、自由フーガである。三部の中間の、Et incarnatus est の終りからCrucificusの終りまでの半音階的な進行、そして木管楽器による不協和音の響きが注目される。
<Agnus Dei>は、timpaniの為の協奏曲か、と思われるほど、それが活躍している。
ついでに書いておくと、私のCD は、J.E. Gardinerの指揮、Monteverdi ChoirとEnglish Baroque Soloistsの演奏による演奏(Philips 470 819-2)による。
F.J. Haydnの<<Missa Sancti Bernardi von Offida>>(Hob. XXII : 10、Heiligmesse>>を聴いて、まず、その手際よさに感銘を受けた。Textの繰り返しは少ないのではあるが、W.A. Mozartの<<Messe in c-moll>>(K. 317、Krönungsmesse>>のようには、慌しくはない(草子地:PCを使って文章を書くと、このように繰返すことができるし、繰返してしまう)。
<Gloria>は、ほとんどがvivaceであり、その最後は二重フーガで終っている。
<Credo>は、三部になっていて、Et vitam venturi saeculi. Amenはコーダのような扱いになっているが、三部の中間の後半、Crucificusには、三声のcanonのEt incarnatus est の旋律が短調に転調され、変形されて、それに続けられている、更に、繰返された時には、それが長調に戻り、ほとんど前と同じ旋律になって回帰しているのが注目される。そして、Et incarnatus estは女声で、Crucificusは男声で唱われて対比させられているのである。
もう一つ、この作品では、ソナタ形式の<Benedictus>は<Sanctus>とは別扱いになっているように見受けられるが、そのHosanna in excelsisに移る時の、その流れが真に綺麗で、このような流暢な曲創りを、私は他のmissaでは知らない。これは、指揮者の功績かも知れないので、ついでに書いておくと、J.E. Gardinerの指揮、Monteverdi ChoirとEnglish Baroque Soloistsの演奏によるCD(Philips 470 819-2)である。
当時、HaydnのMessenには、いろいろな批判があったとのことであるが、私には、それが解るような気がする。やはり、上記の素晴しい例外を除いては、missaのordinariumの意味と音楽が調和していないのではないか、と首を傾げざるを得ない処が多いのである。彼は、無意識にも、交響的な音楽の進行の必然に、より多く引かれているからではないか。そのあたり、Mozartは、もう少し器用であった。しかし、HaydnのMessenほど、合唱の処でさえも言葉が聴き取りやすい作品は珍しい。
六曲ある、晩年のF.J. HaydnのMessenの最後のMesse <<Missa in B-dur>>(Hob. XXII : 14、Harmoniemesse>>を聴いた。この作品は、他のに較べても長大で、<Kyrie>だけでも8分7秒かかっている。演奏は、R. Hickoxの指揮するCollegium Musicum 90によるのであるが(Chandos 0612)、ちなみに、前述の二つのmissaでの<Kirye>では、それぞれ、4分48秒と4分21秒であって、異なる演奏家による違いがあっても、その比較は大差ないであろう。
このMesse、Hob. XXII : 14は、実質的には、Haydnの最後の作品と言ってもいい作品であるが、私のCDで43分13秒の壮大な演奏である。音楽作品として、Haydnのコンツェルタント形式としての完成された姿を見せて、聴かせている。彼の晩年の七年間の、さらなる成長には、眼を、耳を見張るものがある。有終の美、とは、こういう作品を指すのではないか。
<Gloria>と<Credo>の終りはフーガである。この作品には、効果的な繰り返しが多いのであるが、<Credo>の中の、et homo factus estが繰返されて、しばらくたってのet sepultus estが繰返されているのが、私には印象的である。
さすがに、この作品には、批判が少なかったのではないか、と思われるのであるが、molt allegroの<Benedictus>はどうであったのであろうか。ここでは、通常の独唱者たちによる抒情的な曲創りではなくして、コンツェルタント様式が、そのまま適用されている。これほどの騒々しい<Benedictus>は、他にはないのではないか。しかし、美しいことは美しい。
<Agnus Dei>が属調のG-durで始っているのも印象的である。静かに始まり、timpanoも加わっての華やかで肯定的なDona nobis pacemで作品を閉じている。
これらHaydnの三つのMessenで、Et incarnatus estとCrucifixusが一曲として纏められているのが珍しく思れるのであるが、他に例があるのであろうか。
コーダ (蛇足):
私には<Gloria>の文が誰によっていつ書かれたかのか、どの時代に成立したのかも不明であるが、常々、疑問に思っている一節がある。Gratias agimus tibi propter magnum gloriam tuamである。超越に対しての感謝が、その恵み、祝福や救済であったのなら解る。しかし、その栄光に感謝する、などというのは典型的な悪文ではないか。英語では、このような文を、It does not make senseと言う。


92-93ページ
『後奏曲集―後書きばかり-作品 3』より

振り返ってみると、デンマンさんと共にクラシックを鑑賞するなんて生まれて初めてのことですねぇ~。。。

確かに、そうなのだよ!

これまで、デンマンさんは、オイラの文章を引用して、オイラをさんざ馬鹿にしてきましたからねぇ~。。。

つまり、オマエは僕を恨んでいるのォ~?

当たり前でしょう! デンマンさんのおかげで オイラはネットで悪名を轟(とどろ)かせてしまったのですよ!


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

あのさァ~、実は、オマエがクラシックに関して造詣が深いことに僕は尊敬の念を抱いているのだよ。。。

その割には、これまでにオイラをさんざ馬鹿にしてきましたねぇ~。。。

あのさァ~、人間は誰でも完璧ではないのだよ。。。 当然、僕もオマエも完璧ではない! 50の長所があれば50の短所もある。。。 オマエの長所の一つがクラシックに関する造詣の深さだよ。。。

デンマンさんはオイラのクラシックの知識に対してマジで感心しているのですか?

そうだよ。。。 でもなァ~、オマエの表現の仕方は まったく自分本位で、読む人のために書いてない! オマエの上の文章には何が書いてあるのか? クラシックに興味のない人にとっては、まるでデタラメな外国の文章を読んでいるようで、何がなんだか さっぱり理解できないのだよ!

つまり、デンマンさにとっても、理解できないのですか?

その通りだよ。。。 だから、僕はクラシックに興味のない人でも、少しは読んで理解できるように、次のように書き直したのだよ。。。

4.7 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン

   (1732-1809)


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ハイドンの<<ミサ、テンポール・ベリ>>(ティンパニの劇的な使用のためにポウケンメッセとしても知られている)を聴いて、まず、その手際よさに感銘を受けた。


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 (ミサ、テンポール・ベリ)

 

テキストの繰り返しは少ないのではあるが、モーツァルトの<<コロネーション・マス>>(K. 317、Krönungsmesse)のようには、慌しくはない。


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 (コロネーション・マス)

 

この作品は、あの有名な<アニュス・デイ(Agnus Dei) ラテン語で“神の小羊”>の処だけではなく、全曲にわたってティンパニの音が響いている。
<キリエ(Kyrie) キリスト教の礼拝における重要な祈りの一つ “主、憐れめよ”>は、ソナタ形式であるが、それからして、ティンパニとトランペットが使用されているような作品は珍しいのではないか。
<栄光の聖歌(Gloria)>のなか、Qui tollis peccata mund(世の罪を除きたもう)からQui sedes ad dexteram Patris, miserere nobis(父の右に座したもう主よ、我らをあわれみたまえ)まで、チェロの独奏を伴っての、三回の独唱から合唱への推移は印象深い。

<ミサ曲(Credo)>は、三部になっていて、Et vitam venturi saeculi. Amen(来世のいのちを待ち望みます。アーメン)はコーダのような扱いになっているが、自由フーガである。
三部の中間の、Et incarnatus est(~によって現れこの世の人となられたことを) の終りからCrucificus(十字架につけられ)の終りまでの半音階的な進行、そして木管楽器による不協和音の響きが注目される。
<アニュス・デイ>は、ティンパニの為の協奏曲か、と思われるほど、それが活躍している。

ついでに書いておくと、私のCD は、ジョン・エリオット・ガーディナーの指揮、モンテヴェルディ合唱団とイングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏による演奏(Philips 470 819-2)による。
ハイドンの<<ハイリッヒ・ミサ 変ロ長調>>を聴いて、まず、その手際よさに感銘を受けた。


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 (ハイリッヒ・ミサ 変ロ長調)

 

テキストの繰り返しは少ないのではあるが、モーツァルトの<<コロネーション・マス>>(K. 317、Krönungsmesse>>のようには、慌しくはない。
(草子地:PCを使って文章を書くと、このように繰返すことができるし、繰返してしまう)。
<栄光の聖歌(Gloria)>は、ほとんどが生き生きとして,速度が速く,明確なアクセントをもつ曲であり、その最後は二重フーガで終っている。

<ミサ曲>は、三部になっていて、Et vitam venturi saeculi. Amen(来世のいのちを待ち望みます…アーメン)はコーダのような扱いになっているが、三部の中間の後半、Crucificus(十字架につけられ)には、三声のカノン(輪唱)のEt incarnatus est(~によって現れこの世の人となられたことを) の旋律が短調に転調され、変形されて、それに続けられている、更に、繰返された時には、それが長調に戻り、ほとんど前と同じ旋律になって回帰しているのが注目される。

そして、Et incarnatus est(~によって現れこの世の人となられたことを)は女声で、Crucificus(十字架につけられ)は男声で唱われて対比させられているのである。

もう一つ、この作品では、ソナタ形式の<ミサの賛歌(Benedictus)>は<ミサ曲(Sanctus)>とは別扱いになっているように見受けられるが、そのHosanna in excelsis(いと高きところにホザンナ)に移る時の、その流れが真に綺麗で、このような流暢な曲創りを、私は他のミサ曲では知らない。

これは、指揮者の功績かも知れないので、ついでに書いておくと、ジョン・エリオット・ガーディナーの指揮、モンテヴェルディ合唱団とイングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏によるCD(Philips 470 819-2)である。

当時、ハイドンのミサ曲作品には、いろいろな批判があったとのことであるが、私には、それが解るような気がする。
やはり、上記の素晴しい例外を除いては、ミサ曲の通常文の意味と音楽が調和していないのではないか、と首を傾げざるを得ない処が多いのである。

彼は、無意識にも、交響的な音楽の進行の必然に、より多く引かれているからではないか。
そのあたり、モーツァルトは、もう少し器用であった。
しかし、ハイドンのミサ曲作品ほど、合唱の処でさえも言葉が聴き取りやすい作品は珍しい。

六曲ある、晩年のハイドンのミサ曲作品の最後のミサ曲 <<ハルモニー・ミサ曲変ロ長調>>を聴いた。


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 (ハルモニー・ミサ曲変ロ長調)

 

この作品は、他のに較べても長大で、<キリエ>だけでも8分7秒かかっている。
演奏は、リチャード・ヒコックスの指揮するCollegium Musicum 90(イギリスのバロックオーケストラ)によるのであるが(Chandos 0612)、ちなみに、前述の二つのミサ曲での<キリエ>では、それぞれ、4分48秒と4分21秒であって、異なる演奏家による違いがあっても、その比較は大差ないであろう。

このハルモニー・ミサ曲変ロ長調は、実質的には、ハイドンの最後の作品と言ってもいい作品であるが、私のCDで43分13秒の壮大な演奏である。
音楽作品として、ハイドンのコンツェルタント形式としての完成された姿を見せて、聴かせている。
彼の晩年の七年間の、さらなる成長には、眼を、耳を見張るものがある。
有終の美、とは、こういう作品を指すのではないか。

<栄光の聖歌>と<ミサ曲 クレド>の終りはフーガである。
この作品には、効果的な繰り返しが多いのであるが、<ミサ曲 クレド>の中の、et homo factus est(人と なりたまえり)が繰返されて、しばらくたって et sepultus est(葬られたまえり)が繰返されているのが、私には印象的である。

さすがに、この作品には、批判が少なかったのではないか、と思われるのであるが、molt allegro(モルトゥ アレグロ)の<ミサの賛歌(Benedictus)>はどうであったのであろうか。
ここでは、通常の独唱者たちによる抒情的な曲創りではなくして、コンツェルタント様式が、そのまま適用されている。
これほどの騒々しい<ミサの賛歌>は、他にはないのではないか。
しかし、美しいことは美しい。

<アニュス・デイ>が属調のト長調で始っているのも印象的である。
静かに始まり、ティンパニも加わっての華やかで肯定的なDona nobis pacem(われらに平和を与えたまえ)で作品を閉じている。
これらハイドンの三つのミサ曲作品で、Et incarnatus est(~によって現れこの世の人となられたことを)とCrucifixus(十字架につけられ)が一曲として纏められているのが珍しく思れるのであるが、他に例があるのであろうか。

 

コーダ (蛇足):

私には<栄光の聖歌>の文が誰によっていつ書かれたかのか、どの時代に成立したのかも不明であるが、常々、疑問に思っている一節がある。
Gratias agimus tibi propter magnum gloriam tuam(主の大いなる栄光のゆえに主に感謝したてまつる)である。
超越に対しての感謝が、その恵み、祝福や救済であったのなら解る。

しかし、その栄光に感謝する、などというのは典型的な悪文ではないか。
英語では、このような文を、It does not make senseと言う。

赤字はデンマンが強調。)


92-93ページ
『後奏曲集―後書きばかり-作品 3』より

『後奏曲集』より

僕は上の文章を何度も何度も読んで、更にYouTubu のクリップを何度か聴いたのだよ。。。 でもなァ~、ハッキリ言ってミサ曲の厳(おごそ)かな雰囲気は理解できたものの、全曲をじっくりと聴くだけの忍耐がなかった。。。 どの曲も5分も聴くと退屈になって、全曲をすべて聴く気になれないのだよ!

だから、それはクラシックに対する感受性の問題なのですよ!。。。 百姓育ちのデンマンさんには高尚なクラシックを理解するだけの教養も素養も無いという事なのですよ!

オマエがクラシックの事になると僕を馬鹿にしたい気持ちは解るよ。。。 でもなァ~、僕は百姓育ちではないのだよ!。。。 オマエのように百姓育ちを馬鹿にするということは職業により農家の人たちを差別するということなのだよ!

別に職業によりデンマンさんを差別するつもりはありません。

あのさァ~、僕は こう見えても小学生の時には合奏部に所属してコントラバスを担当していたのだよ。。。 NHKの関東甲信越の予選で行田市中央小学校の合奏部は入賞したこともあるのだよ。。。 その時の演奏曲は『美しき青きドナウ』。。。、もしかすると『ハンガリア舞曲第5番』だったかもしれない。。。 とにかく、審査委員の先生から、コントラバスの響きがよかったと褒められたことがあるのだよ! それにクラシックで恋をしたこともある!


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『ん? クラシックで片思い?』

 

マジっすかあああァ~? 信じられません。。。 そのデンマンさんがオイラが上の文章の中で紹介したミサ曲が 全く いいとは思えないと言うことですかァ~?

そうだよ。。。 ハッキリ言ってミサ曲は退屈なのだよ!。。。 僕が赤字で強調したところで オマエは感心したり、感銘を受けているようだけれど。。。、実は、僕も期待しながら曲を聴いてみたのだけれど、感心どころか、感銘も受けず、全く退屈しただけなのだよ!

だから、デンマンさんにはクラシックを堪能するだけの教養も素養も素質も無いのです。。。

それは違うと思うよ。。。 僕にだってクラシックの曲で、素晴らしいと思える曲もあるのだよ。。。

たとえば。。。?

例えば次の記事の中で紹介しているバッハの曲だよ。。。

癒しを奏でるパンツ

 


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デンマンさん。。。 なんだか格調が高いような。。。 それでいて おシモっぽいような妙なタイトルを付けましたわねぇ~。。。 いったい“癒しを奏でるパンツ”ってぇ、どういうパンツなのですか?。。。 デンマンさんは、ちょっとばかりパンツに拘(こだわ)り過ぎているのではありませんかァ~?


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あのねぇ~、僕は別にパンツに拘っているのではありませんよゥ。。。

でも、また わたしの“おばさんパンツ姿”をこの記事の冒頭に たくさん貼り付けているではありませんかァ!

あのねぇ~、ジューンさんの“おばさんパンツ姿”に拘っているネット市民がたくさんいるのですよ。。。

マジで。。。?

こういう話題の時に、僕はウソやデマカセは言いません。。。 お稲荷さんに誓って、弁天様に誓って、八幡様に誓ってウソは絶対につきませんからねぇ~。。。

分かりましたわ。。。 じゃあ、その拘っているネット市民の人たちは、どこのどなたなのですかァ~?

(中略)

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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Denman Blog でも、ジューンさんのパンツ姿が人気があるのです。。。


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『床上手な女の7つの見分け方』

『おばさんの下着姿』

でも、どういうわけで“G線上のアリア”を取り上げたのですか?

あのねぇ~、“G線上のアリア”という題名はチョー有名だけれど、もともと“G線上のアリア”という曲があったわけじゃないのですよ。


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『管弦楽組曲第3番』BWV1068第2楽章「アリア」をピアノ伴奏付きのヴァイオリン独奏のために編曲したものの通称。

原曲はJ・S・バッハ作曲、編曲者はヴァイオリニストのアウグスト・ウィルヘルミ。

通称はニ長調からハ長調に移調されているため、ヴァイオリンの4本ある弦の内の最低音の弦、G線のみで演奏できることに由来する。

オリジナルの管弦楽組曲は、バッハにより彼のパトロンであるレオポルト (アンハルト=ケーテン侯)のために1717年~1723年の間に作曲されたと一般に信じられてきた。

しかし、現存最古の楽譜は後年のバッハのライプツィヒ時代のものであり、現在は、ライプツィヒにおけるコレギウム・ムジクムの公演のために書かれたものであろうと考えられている。

曲名は、19世紀のヴァイオリニスト、アウグスト・ウィルヘルミによる編曲からきている。

ウィルヘルミは編曲後の曲をG線のみで演奏することができた。

後年、この曲はG線のみで演奏することを目的につくられたという誤った説が広まった。


出典: 「G線上のアリア」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。 そうだったのですか? 知りませんでしたわ。。。 じゃあ、ヴァイオリン以外の楽器で演奏したものもあるのですか?

あるのですよ。。。 次の演奏は浜松市立高等学校マンドリン部の皆さんが演奏したものです。


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マンドリンで演奏すると、ヴァイオリンの演奏とは ちょっとばかり感じが違いますわねぇ~。。。 でも、どちらも弦楽器だから、似ているといえば似ていますよねぇ~。。。 弦楽器以外で演奏したものもあるのですか?

あるのですよ。。。 次の演奏はジューンさんも呆れるほど面白い演奏ですよ。


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あらっ。。。 ヒモパンで演奏したのですわねぇ~。。。 うふふふふふ。。。

そうなのです。。。 黒いTバックや白いレースのゴージャスな下着などいくつかのパンティを組み合わせて美しいメロディを奏でる変態さんはアンドリュー・ファンというカナダ人なのですよ。

若い頃のデンマンさんかと思いましたわァ~。。。 (微笑)

いや。。。 僕は それほどの才能はありません。 「G線」に掛けて「Gストリング」で演奏するというアホな目論見なのですよ。。。 でもねぇ~、Gストリングで4オクターブの音域が出たのを発見したそうです。

つまりも。。。、つまり。。。、“G線上のアリア”を奏でる“ひもパン”が“癒しを奏でるパンツ”なのですかァ~?

その通りです。。。

でも。。。、でも。。。、どうして 取って付けたように急に“ひもパン”で奏でる“G線上のアリア”を持ち出してきたのですかァ~?

だから、まずジューンさんの“おばさんパンツ姿”がネットでは極めて人気が出てきたことを前半で強調したのです。。。 そのあとで、真由美ちゃんの“ひもパン”で僕も“G線上のアリア”を演奏しようと思い立ったのです。。。

あらっ。。。 デンマンさんはマジで真由美ちゃんの“ひもパン”で“G線上のアリア”を演奏するつもりなのですかァ~?

でもねぇ~、考えてみたら、2番煎じでは面白くないのですよ。。。 もうすでに、バンクーバーの変態さんが“ひもパン”で“G線上のアリア”を演奏してしまったのですよ。。。 だから、僕はベートーヴェンの“第九”を“ひもパン”で演奏しようと思うのです。

あらっ。。。 あの有名な合唱付のベートーヴェン作曲、交響曲第9番ニ短調作品125をデンマンさんは“ひもパン”で演奏するのですかァ~?

そうです。。。 でもねぇ~、問題があるのですよ。。。

問題とは。。。?

あのねぇ~、真由美ちゃんの“ひもパン”はどれも繊細でこじんまりとしているのです。。。 だから、あのベートーヴェンの第九の強烈な“ダダダダ~♪~ん”という出だしは、真由美ちゃんの“ひもパン”では切れてしまうのです。。。

マジで。。。? それで、どうするつもりなのですかァ~?

だから、ジューンさんの“ひもパン”以外に 第九を演奏するだけの強靭な“ひもパン”はないのですよ。。。


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つまり。。。、つまり。。。、余計な事をクドクドと書き並べたあとで、結局、わたしの“ひもパン”で“第九”を演奏したいと言うのですかァ~?

そうですよ。。。 うへへへへへへ。。。 ジューンさんの熟女のパンツがこれだけ人気が出てきたのですよ。。。 だから、ジューンさんの“ひもパン”でベートーヴェンの第九を演奏したら、これは絶対にネット上で大ヒットすると思うのです。。。 ジューンさん。。。 芸術のためですよ。。。 今年の夏に着用した“ひもパン”を今夜にでも 僕に手渡してくださいねぇ~? お願いしますゥ。。。


『癒しを奏でるパンツ』より
(2016年9月25日)

つまり、バッハの“G線上のアリア”がデンマンさんにとってクラシックの中で素晴らしい曲だと言うために わざわざジューンさんの“おばさんパンツ”まで持ち出してきたのですかァ~?

そうだよ!。。。 あれっ。。。、僕がクラシックを冒涜しているとでも言いたげな表情を浮かべてるねぇ~。。。

当たり前でしょう! だから、デンマンさんと一緒にクラシックを鑑賞したくないのですよ!


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【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。

そういうわけで太田さんはデンマンさんに対して かなり辛辣な批判を浴びせています。

しかも、太田さんは次のサイトで抗議録を公開しているほどです!


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『実際の抗議録』

デンマン注:太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトも消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)

あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

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下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』

■ 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

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軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Godiva Sayuri
(godiva05.jpg)

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(yuri02.jpg)

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(yuri03.jpg)

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■ 『女3人で姦しい』


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『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


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女3人で姦しい

2017年12月6日

 

女3人で姦しい

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで“女3人で姦しい”というタイトルでオイラを呼び出したのですかァ~?


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あれっ。。。 オマエは“姦しい3人の女”に悩まされていたんじゃないのォ~?

デンマンさんは、どうしてそう思ったのですか?

だってぇ オマエはかつて、そのように書いていたじゃないかァ!

マジで。。。?

信じられないのだったら、オマエが“間奏曲集”として投稿した中の「ヘンリー・パーセル」に関する記事を見てごらんよ!

3.2 Henry Purcell (1659 – 1695)

長女が日本語の勉強をしながら、ひとり言を言っている。それも大声で。黙って聞いていると、次のようなことをしゃべっていた。
あれえ!安い、という字には女が入っているぅ。It’s not fair!…、だけど…、勇ましい、という字には男が入っている。じゃあいいか。
分かってないんだなあ、と思って説明を始めると、勇ましいというのは、やかましいということだ、と言張ってきかない。姦しいという字には、女が三つも入っているよ、と言って早々とひきあげたが、私は、良い父親であろうか。
家内を含めて、そうした女三人に囲まれて過ごしている私ではあるが、それでも女性(少女)ばかりで途惑う音楽作品がある。何と、コーラスを別にしても、七人のソプラノ、一人のメッツオ ソプラノと唯一人のバス バリトンによるオペラである。その作品は、H. Purcellの<<Dido and Aeneas>>である。この少女歌劇を第一級のオペラとすることには、私も異論、異存がないが、さて、それを聴く段になると、持て余してしまうのである。
日本も英国も島国である。後者は、世界を荒らし回ることに成功したが、前者は、結局は、失敗した。しかし、そんなことは、今、本質的なことではあるまい。もっと共通しているのは、ある種の感傷癖であろう。J. Dawlandの<<Lachrynae or seven Tears figured in seven passionate Pavans>>以来のsentimentalismのことを私は言っているのである。
次女は、Act I の<Harm’s our delight>>だとか、Act IIIの<Destruction’s our delight>のlibrettoを読んで笑っていた。今どき、女学生が感傷的だ、などと言ったなら笑いとばされるであろう。わが娘たちの世代が、Act IIIの<When I am laid in earth>を聴いて涙ぐむ、などとは私の想像の彼方である。ただ、ああいう素材を男子学生が上演しよう、などという発想は、現在に於いても、過去に於いても皆無である(あった)であろう、ということは考えられよう。
雄々しい、という言葉が何か肯定的であり、女々しい、という言葉に否定的な感触があるのは、性差別以外にも理由があるのではないか。例えば、boyishな少女には、それなりの魅力があっても、girlishな男について、何か異様なものを感じるのは、むしろ、我々の感性が健全であるからであろう。私は、やはり、人類の意識の中で、或いは、古代以来の無意識の中で、男の性を人の標準とする(した)事には、根拠がある(あった)と思わざるを得ない。
これを言うと、私の娘、特に長女は怒る。パパは二人の娘がありながら、と息巻くのである。標準は、標準であって、優越性は必ずしも意味しない、というようなことを言ってごまかすが、いまだ不満げな顔をしているのである。
このオペラでは、Sailorをソプラノが美しく唱っている。
この作品には、紛失した一曲を含めて、九曲ものダンスが入っている。それらの短い挿入曲は、学芸会の雰囲気をいやがうえにも盛り立てている。いわば、高級なお遊戯、とでもいった作品ではあるが、私としては、父兄でもないのにもかかわらず、ChelseaのJosias Priest’s Boarding Schoolに紛れ込んだような居心地の悪さを感じないわけではない。
言葉を変えて言えば、このオペラは、それほどまでに出演者、演奏家にそって書かれた職人芸としての傑作である、とも言えよう。
蛇足(コーダ):
家内についても何かを書かないと彼女が僻むかもかもしれないので一言:
―― 僕は、僕の曲をどのように弾いて下さっても構わない。やっぱり、それは演奏家のなかで自分自身を新めてぶつけるわけだから、それは、僕にとって嬉しいというほかの何ものでもない。ただね、例えば、三分十五秒にあるフレーズがあるとするでしょう。それは、やっぱり、始まってから三分十五秒という音楽的な体験を経てきたうえでなければ、絶対に演奏できないフレーズなんだな。その意味で、ここからここまでを取ってつなぐというやつ、あれは、どうしても、辛いね。―― 三善晃がレコーディングについて語った言葉である。
その通りであろう。そして、それは、聴き手にとっても同様である。愚妻には、これが解らない。この人は非常に不思議な人で、私が、今は家の中が静かだから音楽を聴こう、として聴き始めると、必ず(草子地:必ずである。)、二回からトコトコと降りてきて皿洗い等をし始めるのである。そして、音楽が一時中断された後には、どうしてそれが聴き続け難いのか、それを理解できかねるらしいのである。多分、Sokratesの奥方に近い人柄の女ではないか、と私は、密かに推察している次第である。
そういえば、Purcellは、夜、帰宅したときに、奥方の締め出しにあって、それがもとでの肺炎で死亡した、と伝えられている。男性は、女性よりも繊細である、ということか。


赤字はデンマンが強調)

41-42ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

あのさァ~、いつも言うようだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やラテン語が入り混じっている。。。

デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

 

海外からのアクセス@Denman Blog

 


(wp71201map.png)



(wp71201.png+wp71201b.png)

『葛飾北斎と太田将宏』@Denman Blog

 

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。

3.2 ヘンリー・パーセル (1659 – 1695)


(purcell02.jpg)

 

長女が日本語の勉強をしながら、ひとり言を言っている。

それも大声で。黙って聞いていると、次のようなことをしゃべっていた。


(gal767.jpg)

 

あれえ!い、という字には女が入っているぅ。

It’s not fair!…、

だけど…、ましい、という字には男が入っている。

じゃあいいか。

分かってないんだなあ、と思って説明を始めると、勇ましいというのは、やかましいということだ、と言張ってきかない。

姦しいという字には、女が三つも入っているよ、と言って早々とひきあげたが、私は、良い父親であろうか。

家内を含めて、そうした女三人に囲まれて過ごしている私ではあるが、それでも女性(少女)ばかりで途惑う音楽作品がある。
何と、コーラスを別にしても、七人のソプラノ、一人のメッツオ ソプラノと唯一人のバス バリトンによるオペラである。
その作品は、ヘンリー・パーセルの歌劇<<ディドーとエネアス>>である。

この少女歌劇を第一級のオペラとすることには、私も異論、異存がないが、さて、それを聴く段になると、持て余してしまうのである。
日本も英国も島国である。
後者は、世界を荒らし回ることに成功したが、前者は、結局は、失敗した。

しかし、そんなことは、今、本質的なことではあるまい。
もっと共通しているのは、ある種の感傷癖であろう。

ジョン・ダウランドの<<Lachrynae or seven Tears figured in seven passionate Pavans(ジョン・ダウランドが作曲した楽器音楽の集まり)>>以来のセンチメンタリズムのことを私は言っているのである。
次女は、第1幕 の<害なす ことは われらが よろこび>>だとか、第3幕の<打ち壊す ことは われらが よろこび>の歌劇の歌詞を読んで笑っていた。
今どき、女学生が感傷的だ、などと言ったなら笑いとばされるであろう。
わが娘たちの世代が、第3幕の<私が地に横たわる時(歌劇「ディドーとエネアス」の17曲目)>を聴いて涙ぐむ、などとは私の想像の彼方である。

ただ、ああいう素材を男子学生が上演しよう、などという発想は、現在に於いても、過去に於いても皆無である(あった)であろう、ということは考えられよう。
雄々しい、という言葉が何か肯定的であり、女々しい、という言葉に否定的な感触があるのは、性差別以外にも理由があるのではないか。

例えば、男っぽい少女には、それなりの魅力があっても、女っぽい男について、何か異様なものを感じるのは、むしろ、我々の感性が健全であるからであろう。
私は、やはり、人類の意識の中で、或いは、古代以来の無意識の中で、男の性を人の標準とする(した)事には、根拠がある(あった)と思わざるを得ない。
これを言うと、私の娘、特に長女は怒る。
パパは二人の娘がありながら、と息巻くのである。
標準は、標準であって、優越性は必ずしも意味しない、というようなことを言ってごまかすが、いまだ不満げな顔をしているのである。

このオペラでは、船乗りの役をソプラノが美しく唱っている。
この作品には、紛失した一曲を含めて、九曲ものダンスが入っている。
それらの短い挿入曲は、学芸会の雰囲気をいやがうえにも盛り立てている。

いわば、高級なお遊戯、とでもいった作品ではあるが、私としては、父兄でもないのにもかかわらず、チェルシーのジョージアス・プリーストの寄宿学校に紛れ込んだような居心地の悪さを感じないわけではない。
言葉を変えて言えば、このオペラは、それほどまでに出演者、演奏家にそって書かれた職人芸としての傑作である、とも言えよう。

 

蛇足(コーダ):

家内についても何かを書かないと彼女が僻むかもかもしれないので一言:


(miyoshi3.jpg)

 

僕は、僕の曲をどのように弾いて下さっても構わない。
やっぱり、それは演奏家のなかで自分自身を新めてぶつけるわけだから、それは、僕にとって嬉しいというほかの何ものでもない。

ただね、例えば、三分十五秒にあるフレーズがあるとするでしょう。
それは、やっぱり、始まってから三分十五秒という音楽的な体験を経てきたうえでなければ、絶対に演奏できないフレーズなんだな。
その意味で、ここからここまでを取ってつなぐというやつ、あれは、どうしても、辛いね。

三善晃がレコーディングについて語った言葉である。
その通りであろう。
そして、それは、聴き手にとっても同様である。

愚妻には、これが解らない。
この人は非常に不思議な人で、私が、今は家の中が静かだから音楽を聴こう、として聴き始めると、必ず(草子地:必ずである。)、二回からトコトコと降りてきて皿洗い等をし始めるのである。

そして、音楽が一時中断された後には、どうしてそれが聴き続け難いのか、それを理解できかねるらしいのである。
多分、ソクラテスの奥方に近い人柄の女ではないか、と私は、密かに推察している次第である。

そういえば、ヘンリー・パーセルは、夜、帰宅したときに、奥方の締め出しにあって、それがもとでの肺炎で死亡した、と伝えられている。
男性は、女性よりも繊細である、ということか。


赤字緑字はデンマンが強調)

41-42ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

つまり、上のように書くべきだとデンマンさんは主張するのですか?

そうだよ。。。 その方がクラシックを知らないネット市民の皆様にとっても読み易いのだよ! それに、こういう細かい事は言いたくないのだけれど、すぐ上の文中で赤字にした二回は、明らかに二階と書くべきだったのだよ!、

誰にだって、その程度の書き間違いはありますよ。。。 デンマンさんだって、時々 書き間違ってますよ。。。

確かに、書き間違いは誰にでもある。。。 でも、僕は最低でも3度は自分の書いた記事を見直すのだよ。。。 だから、書き間違いは極めて少ないはずなんだよ。。。

オイラの書き間違いが多いとデンマンさんは言いたいのですか?

それよりも、そもそも、オマエの文章は下書きの段階で ネットで公開しているのだよ。。。

それは、デンマンさんの個人的な意見です。。。

いや。。。 オマエの上の下書きを見せられた「ボイジャー」社長の鎌田純子さんも、下書きに違いないと思って掲載を断わったのだよ。。。 それなのに、オマエは自分の欠点を棚に上げて 「ボイジャー」の社長に次のように文句を言っている! 

太田将宏著作集 (E-Book Mode)

告発状以下の筆者自身の著作がボイジャー、ロマンサー(社長:鎌田純子)の一方的な暴挙で読めなくなりました。

その一切の経過につき、筆者の告発文書、<<ボイジャー、ロマンサーへの抗議録>>を
上の告発状をclickして御参照願います。


Ⅰ あれかこれか

哲学 (実践知性批判、Sartreを中心に)、

神学(純粋意識批判、Kierkegaardを中心に)


Ⅱ 愛と生命の摂理

文学(ドストエフスキーを中心に)


Ⅲ 前奏曲集 第一集

音楽(あるアマチュアの覚書、(批評の批評 ⅰ)


Ⅳ 前奏曲集 第二集

音楽(私はアマチュアである、(批評の批評 ⅱ)


Ⅴ 間奏曲集

音楽(主題なき変奏、(言葉と音楽 ⅰ)


Ⅵ 後奏曲集

音楽(後書きばかり、(言葉と音楽 ⅱ)


Ⅶ 瞬間

書簡集


『EBOOK MODE』より

『失意の太田将宏』にも掲載
(2015年12月12日)

オマエは太田将宏の著作がボイジャー、ロマンサー(社長:鎌田純子)の一方的な暴挙で読めなくなりましたと書いたけれど、重要な2つのことでオマエは間違いを犯している。

その重大な 2つの間違いとは、いったい何ですか?

まず、オマエは“著作”と書いているけれど、オマエの書いたものは“下書き”なのだよ!。。。 作品というには程遠い。。。 「ヘンリー・パーセル」についての文章を見れば一目瞭然なのだよ!

やっぱり、日本語が理解できる人のために解り易く できるだけ日本語で書くべきですか?

当たり前だろ! 普通のネット市民の皆様が読むようには書かれてない! 英語の単語がやたらに散りばまられて、しかも、似非ドイツ語や、似非ラテン語までが注釈なしに散りばめられている。。。 極めて読みづらい。。。 改行がなく、やたらに長い持ってまわった言い回しになっている。。。 オマエの文章を見ると読む気がしなくなるのだよ!

。。。で、2番目の重大な間違いとは。。。?

だから、すでに言ったように、オマエは自分の欠点を棚に上げて 「ボイジャー」の社長に文句を言っている! 悪いのは 「ボイジャー」の社長じゃなく、オマエの未熟な“下書き”なのだよ!  「ボイジャー」の社長は当然のことをしたまでだよ! オマエの“下書き”はネット市民の皆様に公開されるには 未熟で未完成なのだよ!

それは、デンマンさんの個人的な意見ですよ!

僕の個人的な判断じゃなくて、現に 「ボイジャー」の社長の鎌田純子さんが掲載を拒否したのだよ! 当然のことだよ! しかも、止せばいいのに、僕に対する抗議文までネットで公開している!


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

つまり、オマエは、文章の中だけじゃなくて、どこへ行っても人間関係を破綻に導いているのだよ!

要するに、オイラは反省が足りないので家族関係も破綻していると言いたいのですか?

その通りだよ! オマエは「(私の家内は)ソクラテスの奥方に近い人柄の女ではないか、と私は、密かに推察している次第である」と書いている。 しかも、「姦しいという字には、女が三つも入っているよ、と言って早々とひきあげたが、私は、良い父親であろうか。 家内を含めて、そうした女三人に囲まれて過ごしている」とも書いている。。。 つまり、うるさい女3人に囲まれて騒々しい人生を送っているという被害妄想に陥っているのだよ!

そうでしょうか?

当たり前だろう! それが理解できないので、オマエは女性系家庭で孤立してしまうのだよ!

私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。

長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。

私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。


(kierke02.jpg)

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。

しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。


【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家


56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)

デンマンさん! いったい何度この手記を引用すれば気が済むのですかァ~?

あれっ。。。 オマエは覚えてるのォ~?

覚えてますよう! これまでに上の手記をデンマンさんは何度も何度も記事の中で引用したのですよ!

とにかく、オマエは性格的に人間関係をうまくやってゆくことができないのだよ。

そのように決め付けないでください。。。

とにかく、これからは長女と次女と心優しい奥さんの言う事に素直に耳を傾けて、反省しながら、仲良く暮らすことだよ!


(foolw.gif)

【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも信頼の置けない 怪しげなサイトにお金を払ってまで 掲載を依頼しないでくださいね。

信頼が置ける安全で 無料で掲載を引き受けるサイトがたくさんあります。

ところで、デンマンさんは太田さんのことを取り上げて かなり辛辣な批判を浴びせています。

そういうわけで、太田さんとしても次のサイトだけは残しておきたいのかもしれませんわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトも消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)

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■ 『後奏曲集@危険』


(juneswim.jpg)


『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


(byebye.gif)

後奏曲集@危険

2017年12月1日

 

後奏曲集@危険

 


(kousou02.jpg)


(ireba03.jpg)


(laugh16.gif)


(ohta03.png)

デンマンさん。。。、どういうわけで“後奏曲集@危険”というタイトルでオイラを呼び出したのですかァ~?


(kato3.gif)

オマエと“後奏曲集@危険”について語り合いたくなったのだよ。

でも、それってぇ どういう意味なのですか?

読んで字のごとくだよ。。。 つまり、オマエが投稿した“後奏曲集”が危険というレッテルを貼られて 見られないようになっているのだよ!

マジっすかァ~。。。?

僕はオマエを呼び出してまで悪い冗談を飛ばすような暇はないのだよ。。。 とりあえず、オマエが“後奏曲集”として投稿した中の「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」に関する記事を見て欲しいのだよ!

1.12 Johann Sebastian Bach (1685 – 1750)

種々、数々あるミサ曲を、いろいろな演奏で聴くときに、私が、習慣的に、注意する箇所がいつの間にか出来てしまった。その一つは<Credo>のなかの、Et incarnatus est、の部分である。これは、もしかすると、吉田秀和のW.A. Mozartの<<Messe in c-moll>>(K. 427)とL.v. Beethovenの<<Missa Solemnis>>(in D-dur, Op. 123)の該当部分を比較した文章を、いつか、どこかで、読んだとき以来のことかも知れない。まったく、Mozartの作品では、Raffaelloの絵画のような色彩のなかで、甘美な、sinfully sweet(草子地:この言葉は日本語では表現し難い。これは、実は、chocolateのcommercialから借用したのである。しかし、適材適所でここに収めたのは、かく言う私である。)とでも言ったらよいような旋律がソプラノで木管と共に唱れていく。私のLPでは、Maria Staderがそれを唱っているのであるが、彼女の天真爛漫な声が(草子地:多少、あの映画<オーケストラの少女>のような感じがしないでもないが)、楽園の世界に響き渡っているようだ。私は、この曲は教会音楽としては相応しくない、という見方にくみする方ではあるが、と言って、この曲の繊細さ、優美さを否定するつもりは全くない。
ところで、J.S. Bachの場合は、如何であろうか。彼の<<Messe in h-moll>>(BWV 232)では、Jesusの受肉である誕生を受難の始り、として表出しているのは確実である、と思うのであるが、どうであろうか。(草子地:以下の記述は、N. Harnoncourtの演奏によるLPに準拠している。J. RifkinによるCDでは、様子が異なっているが、このpostludeの大筋には、さしての影響はないので、このまま続ける)。
ここで、Bachは、少し奇妙なことをしているのだ。Et in unum Dominumの部分で、既にEt homo factus estまで曲を進めておきながら、後戻りをさせるように、Et incarnatus estを改めて始めているのである。そして、曲はCrucifixusのpassacagliaに続けられていくのである。これで、説明は、充分であろうか。これ以上、この例をもとにして更に深入りをすると、深読みのしすぎ、ととられる懸念が出てくる。私が言おうとしていることは、Messeのtextの繰り返しの一つ一つを取り出せば、こじつけとも言われようが、その繰り返し(複数)のあり方の全体を見ると、作曲者Bachのニケヤ信条の理解が透けて見えてくる、ということである。その驚異的な筆跡に、彼には、現代に於ける神学すらを踏まえた新、旧約の理解すらもあるふしを私は感じるのである。
二つだけ残されたBachの受難曲を聴くときには、Bachの音楽を通して、福音書の解釈に耳を傾けているのだ、と言っても過言ではないであろう。その一点に於いて、Bachは、W.A. Mozartはおろか、C. Monteverdiとすら異なった次元に存在している。要するに、あたかも神の領域を見てきたような、或いは、神がかった、或いは、神を味方に引き入れたような嘘を、Bachは一つも言ってはいない、ということである。超越の世界と、人間の世界を峻別し、謎は謎として自らは沈黙する。そして、そのうえで、自らの新、旧約への共感を唱いつくしているのである。それを検証するのは、無論、容易ではないが、後者の例として、あの有名なPetrusの否認に対する作曲家の明らかな同情(Sym-pathie)がある。あの例外的にmelismatikなEvangelistのRezitativと、それに続くAriaは周知の聴きどころであった。前者の例としては、Jesusが息をひきとったときの沈黙の効果である。常套的、と言ってしまえばそれまでであるが、私は、これ程までに彼我を峻別した沈黙の深さを他には知らない。K. Richterの演奏が、それを証明している。この前後の谷間に沈む静けさは、前の音の消え方、絶妙な間としてのGeneral Pause、そして次の音の立ち上りの姿によって、聴き手自身が息を呑んでいるのを聴き手自身に自覚させないほどの効果をもたらしている。
BachとRichter、そして、総ての演奏者の職人的な、しかし、無私、無心のなさせる奇跡的と言ってもよいほどの業が、眼の前に繰り広げられていたことに、後になって目覚めるのである。常套的、とも書いたが、いや、これは、むしろ、それが正道を行く曲創りであったからこそ、そして、それを徹底して在るがままに演奏したからこそ、この高み、いや、この深みの音楽に達していたのではなかったか。
ところで、Bachには、更に、その先があるのである。<<Misse in h-moll>>に話を戻す。それも、また、あのEt in carnatus estにである。この雰囲気は一体全体何であろう。思いあたるのは<<Aria mit verschiedenen Veranderungen>>(BWV 988)の第15変奏にもあるような雰囲気、とりわけG. Gouldの晩年の演奏に於いて感じられるそれである。と言うことは、これは、Bachの音楽のなかでは、とりわけ例外的でもない、ということになるが、この希薄な空気の中に漂うような音楽に耐えられ、Bachのそうした一面に共感し、考察できるようになるのは、私にとっては、いつになることであろうか。今の私は、そうした音楽に出会うと、耳の方が耐えられずして、いつしか、音楽から逸れてしまうのである(草子地:ここは、神秘的ではあるが、私は、敢えて、それに触れなかった。ドイツ的な合理主義は、究極的には、神秘主義に通じる、という見方があるからである。そんな次元での話ではなかったはずであり、J.S. Bachは、少なくとも、そんなものは乗り越えている、と私は信じている)。ただ言えることは、この息苦しさは、Crusifixusの苦悩、苦痛に拮抗している、ということである。
さて、私がミサ曲の中で気にする箇所は、他にもあるのである。例えば、<Sanctus>と<Benedictus>に続くHosannaの繰り返しの、作曲者の処理の仕方である。我ながら、意地の悪い注目の仕方ではあるが、Bachのこの作品のそれは、とりわけ無様ではないか。その不器用な繰り返しを、それに輪をかけて不器用に演奏しているH. Harnoncourtは、実に、Bachに忠実である。Messeのtextの中では、このBenedictusから戻るOsanna(草子地:これは綴りの間違いではない)が、唯一の繰り返しであるところが、皮肉にも面白い。
S.D.G.
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赤字はデンマンが強調)

27-28ページ
『後奏曲集―後書きばかり-作品 3』より

あのさァ~、いつも言うようだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やラテン語が入り混じっている。。。

デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

 

海外からのアクセス@Denman Blog

 


(wp71201map.png)



(wp71201.png+wp71201b.png)

『葛飾北斎と太田将宏』@Denman Blog

 

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。

1.12 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

(1685 – 1750)


(bach001.jpg)

 

種々、数々あるミサ曲を、いろいろな演奏で聴くときに、私が、習慣的に、注意する箇所がいつの間にか出来てしまった。

その一つは<クレド – ミサ曲の構成要素>のなかの、五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス;ロ短調、アンダンテ・マエストーソ、3/4拍子) の部分である。

これは、もしかすると、吉田秀和のモーツァルトの<<大ミサ曲 ハ短調>>(K. 427)と


(moza002.jpg)

 

それと、ベートーヴェンの<<ミサ・ソレムニス>>(in D-dur, Op. 123)の該当部分を比較した文章を、いつか、どこかで、読んだとき以来のことかも知れない。


(op123.jpg)

 

まったく、モーツァルトの作品では、ラファエロの絵画のような色彩のなかで、甘美な、罪深いほど甘い(草子地: sinfully sweet この言葉は日本語では表現し難い。これは、実は、チョコレートの宣伝文句から借用したのである。しかし、適材適所でここに収めたのは、かく言う私である。)とでも言ったらよいような旋律がソプラノで木管と共に唱れていく。

私のLPでは、マリア・シュターダーがそれを唱っているのであるが、彼女の天真爛漫な声が(草子地:多少、あの映画<オーケストラの少女>のような感じがしないでもないが)、楽園の世界に響き渡っているようだ。
私は、この曲は教会音楽としては相応しくない、という見方にくみする方ではあるが、と言って、この曲の繊細さ、優美さを否定するつもりは全くない。

ところで、バッハの場合は、如何であろうか。
彼の<<ミサ曲 ロ短調>>(BWV 232)では、イエス・キリストの受肉である誕生を受難の始り、として表出しているのは確実である、と思うのであるが、どうであろうか。
(草子地:以下の記述は、ニコラウス・アーノンクールの演奏によるLPに準拠している。
ジョシュア・リフキンによるCDでは、様子が異なっているが、この後奏曲の大筋には、さしての影響はないので、このまま続ける)。

ここで、バッハは、少し奇妙なことをしているのだ。
Et in unum Dominum (And in one Lord) の部分で、既に「天の聖霊はこの世界の上を飛び回って、自分のやろるべきものを探し求める」(Et homo factus est)まで曲を進めておきながら、後戻りをさせるように、パワー(Et incarnatus est)を改めて始めているのである。
そして、曲はCrucifixus(信条)の パッサカリア(17世紀初期にはギターで和音を奏するリトルネッロ:歌の前奏・間奏などの器楽演奏部分)に続けられていくのである。
これで、説明は、充分であろうか。

これ以上、この例をもとにして更に深入りをすると、深読みのしすぎ、ととられる懸念が出てくる。
私が言おうとしていることは、ミサのテキストの繰り返しの一つ一つを取り出せば、こじつけとも言われようが、その繰り返し(複数)のあり方の全体を見ると、作曲者バッハのニケヤ信条の理解が透けて見えてくる、ということである。

その驚異的な筆跡に、彼には、現代に於ける神学すらを踏まえた新、旧約の理解すらもあるふしを私は感じるのである。
二つだけ残されたバッハの受難曲を聴くときには、バッハの音楽を通して、福音書の解釈に耳を傾けているのだ、と言っても過言ではないであろう。
その一点に於いて、バッハは、モーツァルトはおろか、クラウディオ・モンテヴェルディとすら異なった次元に存在している。

要するに、あたかも神の領域を見てきたような、或いは、神がかった、或いは、神を味方に引き入れたような嘘を、バッハは一つも言ってはいない、ということである。
超越の世界と、人間の世界を峻別し、謎は謎として自らは沈黙する。
そして、そのうえで、自らの新、旧約への共感を唱いつくしているのである。
それを検証するのは、無論、容易ではないが、後者の例として、あの有名なシモン・ペトロの否認に対する作曲家の明らかな同情がある。

あの例外的にメリスマ様式のテノールのパート朗唱と、それに続くアリアは周知の聴きどころであった。
前者の例としては、イエス・キリストが息をひきとったときの沈黙の効果である。
常套的、と言ってしまえばそれまでであるが、私は、これ程までに彼我を峻別した沈黙の深さを他には知らない。

カール・リヒターの演奏が、それを証明している。
この前後の谷間に沈む静けさは、前の音の消え方、絶妙な間としての全部の楽器が休止、そして次の音の立ち上りの姿によって、聴き手自身が息を呑んでいるのを聴き手自身に自覚させないほどの効果をもたらしている。
バッハとカール・リヒター、そして、総ての演奏者の職人的な、しかし、無私、無心のなさせる奇跡的と言ってもよいほどの業が、眼の前に繰り広げられていたことに、後になって目覚めるのである。
常套的、とも書いたが、いや、これは、むしろ、それが正道を行く曲創りであったからこそ、そして、それを徹底して在るがままに演奏したからこそ、この高み、いや、この深みの音楽に達していたのではなかったか。

ところで、バッハには、更に、その先があるのである。
<<ミサ曲 ロ短調>>に話を戻す。
それも、また、あのミサ歌詞にである。

この雰囲気は一体全体何であろう。
思いあたるのは<<ゴルトベルク変奏曲>>(BWV 988)の第15変奏にもあるような雰囲気、とりわけグレン・グールドの晩年の演奏に於いて感じられるそれである。
と言うことは、これは、バッハの音楽のなかでは、とりわけ例外的でもない、ということになるが、この希薄な空気の中に漂うような音楽に耐えられ、バッハのそうした一面に共感し、考察できるようになるのは、私にとっては、いつになることであろうか。

今の私は、そうした音楽に出会うと、耳の方が耐えられずして、いつしか、音楽から逸れてしまうのである
(草子地:ここは、神秘的ではあるが、私は、敢えて、それに触れなかった。ドイツ的な合理主義は、究極的には、神秘主義に通じる、という見方があるからである。そんな次元での話ではなかったはずであり、バッハは、少なくとも、そんなものは乗り越えている、と私は信じている)。
ただ言えることは、この息苦しさは、Crusifixus(信条)の苦悩、苦痛に拮抗している、ということである。

さて、私がミサ曲の中で気にする箇所は、他にもあるのである。
例えば、<サンクトゥス>と<ベネディクトゥス>に続くホサナ《神を賛美する叫び[言葉]》の繰り返しの、作曲者の処理の仕方である。
我ながら、意地の悪い注目の仕方ではあるが、バッハのこの作品のそれは、とりわけ無様ではないか。
その不器用な繰り返しを、それに輪をかけて不器用に演奏しているニコラウス・アーノンクールは、実に、バッハに忠実である。

ミサのテキストの中では、このベネディクトゥスから戻るオザンナ(草子地:これは綴りの間違いではない)が、唯一の繰り返しであるところが、皮肉にも面白い。

ただ神にのみ栄光を!

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赤字はデンマンが強調)

27-28ページ
『後奏曲集―後書きばかり-作品 3』より

。。。で、上の記事が危険に晒されているということですか?

そうだよ。。。

でも、危険ってぇ、具体的にはどういうことなのですか?

まず、次の検索結果を見て欲しい。


(gog71129a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

つまり、オマエの上の記事が出てくるサイトを見つけようとして「間奏曲集―主題なき変奏-作品 2 太田将宏」と入れて検索したのだよ。。。

あれっ。。。 水色の枠で囲んであるのはデンマンさんが投稿した記事ですねぇ~?

そうなのだよ。。。 僕はこれまでに オマエの『後奏曲集』の中からいくつかの作品を引用して記事を書いたのだよ。。。 たまたま赤枠で囲んだ箇所が目に付いた。。。 これは確かにオマエが書いた記事なのだよ! その証拠に引用した文中の赤字で書いた箇所が出ている!

。。。で、リンクをクリックするとオイラが投稿した記事が出てくるのですか?

まず次のページが出てくるのだよ!


(pap71129a.png)


『拡大する』

『実際のページ』

これはオイラがアップロードした『後奏曲集』を表示しようとしている画面ですねぇ~。。。

そうなのだよ。。。 ところが30秒ほど待っても『後奏曲集』は表示されないで、次の画面が出てくる。


(pap71129b.png)


『拡大する』

『実際のページ』

あれっ。。。 オイラの『後奏曲集』をアップロードしたサイトは何者かがマルウェアかトロイの木馬を忍び込ませて、あくどい事をしようとしたのですか?

まず間違いなくマルウェアが忍び込んでサイトを台無しにしてしまったのだよ!

マルウェア


(malw01.jpg)

 

マルウェア (malware) とは、不正かつ有害に動作させる意図で作成された悪意のあるソフトウェアや悪質なコードの総称で、コンピュータウイルスやワームなどがある。

悪意のコード(malicious code)、悪意のソフトウェア(malicious software)、悪意のある不正ソフトウェア、有害なソフトウェア、不正プログラムとも呼ばれる。

マルウェアの行う活動としてはデータの破壊やデータの盗難などがあるが、こうした「悪意のある」行動をするソフトのみならず、ユーザの望まない広告を勝手に出すアドウェアのような「迷惑ソフト」の中で悪質なものもマルウェアの範疇に含める場合がある。

マルウェア(malware) は、「悪意のある」という意味の英語「malicious(マリシャス)」と「software」を組み合わせて創られたかばん語である。

類義語としてクライムウェアがあり、これはマルウェアの中で特に犯罪(crime)に使われるものを指すとするものもあるが、必ずしもこれを要件としないものもあり、マルウェアとの関係は判然としない。

 

種類

1) ワームはウイルス同様自己増殖するが、ホストプログラムを持たず、単体で存在するプログラムの事を指す。

2) バックドアとは外部からコンピューターを操るために作られたコンピューターへの不正な侵入経路の事でRAT(Remote Administration Tool)とも呼ばれる。
バックドアをしかけるマルウェアをバックドア型と呼ぶ。

3) トロイの木馬は一見無害なファイルやプログラムに偽装した上でコンピューターに侵入したあと悪意のある振る舞いをするものを指すことが多いが、偽装を行わずにOS等の脆弱性を悪用して勝手にインストールされてしまうもの(ドライブバイダウンロード)もトロイの木馬に含める場合がある。
狭義のウイルスと違い自己増殖機能は持たない。
またトロイの木馬の定義として単体で存在し宿主を必要としないことを要件に加えるものもあるが、これを要件としない場合もある。
トロイの木馬の定義として、コンピューター内部に侵入したあと攻撃者による外部からの命令で悪意のある振る舞いをする事やバックドア型である事を要件にする場合もある。

4) スパイウェアは情報収集を主な目的とし、コンピューターの内部情報を外部に勝手に送信するソフトウェアで、ユーザーが気づかないうちにパソコンにインストールしているパターンが多い。
IPAとJNSAの定義によればスパイウェアとは「利用者や管理者の意図に反してインストールされ、利用者の個人情報やアクセス履歴などの情報を収集するプログラム等」のことである。
スパイウェアはマルウェアの一種とみなすことが多いが、シマンテックはスパイウェアをマルウェアに含めていない(クライムウェアには含めている)。


出典: 「マルウェア」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オイラはどうしたらよいのでしょうか?

あのさァ~、オマエが掲載を依頼した paperzz.com のサイトは、すべてが駄目になっているようだよ!


(pap71201a.png)


『拡大する』

『実際のページ』

オイラは、マジで どうしたらよいのでしょうか?

あのさァ~、お金を払ってまでパブリッシング・サイトに掲載を依頼する必要はないのだよ! ネット市民の記事を掲載している 無料で信頼のおける安全なサイトがたくさんあるのだから。。。!

例えば。。。?

たとえば、僕の Denman Blog が掲載されている wordpress.com だよ。。。 オマエもブログを始めて、記事を投稿すればよいのだよ!


(foolw.gif)

【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも信頼の置けない 怪しげなサイトにお金を払ってまで 掲載を依頼しないでくださいね。

信頼が置ける安全で 無料で掲載を引き受けるサイトがたくさんあります。

ところで、デンマンさんは太田さんのことを取り上げて かなり辛辣な批判を浴びせています。

そういうわけで、太田さんとしても次のサイトだけは残しておきたいのかもしれませんわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)

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(30june.jpg)

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(juneswim.jpg)


『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


(byebye.gif)

馬鹿やめて久しぶり

2015年4月30日

 

馬鹿やめて久しぶり

 


(hisashiburi.jpg)


(ohta03.png)

デンマンさん。。。、本当に久しぶりですねぇ~。。。 どうして今日 オイラを呼び出したのですかァ~?


(kato3.gif)

オマエには、何も思い当たることがないのォ~。。。

はい。。。 思い当たる事は何もありません。。。、だから、オイラを呼び出してプレゼントでもくれるのかと思いながら、期待してしまいましたァ~。。。 うへへへへへへ。。。

どうして僕がオマエにプレゼントをあげなけらばならないのォ~?

あれっ。。。 プレゼントをくれないのですかァ~?! だったら、帰らせてもらいますよ。 オイラは、これでも忙しいのです。 老後の楽しみで、毎日ピアノを弾きながら 孤独を楽しんでいるのですよ。 じゃあ、これで失礼。。。

オイ!。。。 オイ!。。。 ちょっと待てよ! せっかく やって来たのだから、もう少し僕に付き合えよ!

プレゼントをくれないのなら、いったい どういうわけでオイラを呼び出したのですか?

ちょっと次のリストを見て欲しい。


(wp50428c.png)

『拡大する』

これは僕のDenman Blogの 4月28日の「人気検索キーワード」のリストなんだよ。 赤枠で囲んだキーワードに注目して欲しい。

あれっ。。。 オイラの名前(太田将宏)を入れて検索して デンマンさんのブログにやって来たネット市民がいたのですね。

あのさァ~。。。 オマエは わざとらしく惚(とぼ)けているけれど、誰かがオマエの悪口をネットで書いているのだろうと思って、自分で名前を入れて検索したのだろう?

デンマンさんは、オイラが自分の名前を入れてGOOGLEで検索して デンマンさんが書いた悪口を読みに Denman Blog にやって来たと思ったのですか?

そうだよ。 ちょっと次の検索結果を見てごらんよ。


(gog50429a.png)

『現時点での検索結果』

あれっ。。。 オイラの名前で検索すると 2,410件もヒットするのですねぇ~。。。

わざとらしく惚けるなよ! んもおおおォ~。。。! オマエも こうして検索して赤枠で囲んである 矢印の付いているタイトルをクリックしたのだよ!

デンマンさんは、わざわざオイラの名前のタグを立ち上げて 記事を書いているのですか?

そうだよ! クリックすると次の画面が出てくるのだよ!


(wptagota.png)

『馬鹿やめたのね?』

こうして オマエも上の画面を見て 最初に表れた記事『馬鹿やめたのね?』を読んだのだよ! そうだろう!?

確かに、デンマンさんが上の記事を投稿した今年の1月に、オイラも読みましたよ。 でも。。。、でも。。。、最近 オイラはデンマンさんの記事を読んでません!

でも、オマエが「太田将宏」と入れて GOOGLE で検索して Denman Blog にやって来たことが ちゃんと記録に載っているのだよ! もう一度 Denman Blog の「人気検索キーワード」のリストを見てごらんよ!


(wp50428c.png)

『拡大する』

4月28日の「人気検索キーワード」のリストの中に 赤枠で囲んだキーワード、つまり、「太田将宏」というオマエの名前が ちゃんと出ている。

でも。。。、でも。。。、それは オイラが検索したという証拠にはなりません!

オマエが そう言うのならば、次のリストを見て欲しい。


(hg50428a.png)

これは Hit Graph という第3者のアクセス解析サービスの記録なんだよ。。。 Denman Blog の4月28日の 国別・用途別アクセス数を記録したものだよ。 4月28日には 延べ 258人のネット市民が Denman Blog にやって来た。

。。。で、オイラが上の記録のどこに現れているのですか?

赤枠で囲んだ6番に注目して欲しい。 カナダから一人のネット市民がアクセスしている。 オマエはトロントの郊外の スカーバロー (Scarborough)に住んでいる。 これが何よりの証拠じゃないか!

しかし、デンマンさん! これはオイラだという証拠にはなりませんよ! 確かに、オイラはスカーバロー (Scarborough)に住んでます。


(oht40918.png)

『実際のページ』

かつて、こうして デンマンさんはオイラのIPアドレス (72.140.219.150) と住んでいる地域をネットで晒したのですよ。

あれっ。。。 オマエは自分で晒してしまっていいのォ~?

デンマンさんが濡れ衣を着せようとしているからですよう! オイラは身の潔白を証明しなければならないので、こうして敢(あ)えて自分で IPアドレスと住んでいる地域を貼り出したのですよ。 もし、オイラが最近、Denman Blog を訪れたという証拠があるならば、オイラのIPアドレスが記録に残っているはずです。

確かに、オマエの言うとおりだよ。

だから、その記録を見せてください。

オマエが そう言うのなら次のリストを見たらいいよ。


(hg50428b.png)

これは Denman Blog の4月28日の訪問者の IPアドレス (ホスト名)の記録だよ。 233人のネット市民の皆様がやって来て、延べ258回 僕の記事にアクセスしたのだよ。

オイラの IPアドレス (72.140.219.150) は上の記録には載ってませんよ。 オイラのホスト名は CPE9cd643cf296b-CM0018680ddd68.cpe.net.cable.rogers.com ですからね。。。

オマエはホスト名までよく覚えているねぇ~。。。

だってぇ~、デンマンさんが かつてオイラのコメントを見極めて、次のように晒したではありませんかア!


(wp40506e.png)

『実際の記事』

そうだよ。。。 そうだよ。。。 オマエは上の記事に愚劣なコメントを書いたのだよ! それが そもそも オマエを幾年ぶりかで記事で取り上げることになったのだよ!

とにかく、そう言う訳で次のホスト名はオイラではありません!


(hg50428b2.png)

なるほどォ~。。。、なるほどォ~。。。、オマエもだてに 今までコンピュータの仕事をやっていたわけではないんだねぇ~。。。

やっと、デンマンさんも 解ってくれたのですかァ~。。。 で、上のホスト名(group17.vcn.bc.ca)はいったい 誰のものなのですか?

実は、僕のものなのだよ。

あれれれれぇ~。。。、つまり。。。、つまり。。。、デンマンさんがこの記事を書くために 自分で「太田将宏」を入れて検索したのですかァ~?

いや。。。 僕は、それほどの暇人じゃないよ! そんな事までして この記事を書き始めたわけじゃない! 「太田将宏」を入れて検索したのは、僕じゃないし。。。、オマエでもない!

じゃあ、いったい誰なのですか?

僕も、それを突き止めようとしたのだけれど、残念ながら、この記事を書き始めるまでに間に合わなかった。 そのうち、時間があったら、誰が「太田将宏」を入れて検索したか?。。。 突き止めようと思うのだよ!

要するに、“犯人”が解らないまま オイラを呼び出したということですか?

いや、そうじゃないんだよ。 オマエが僕のホスト名を指摘したので、この記事を書き続けることにしたわけなんだよ。

どういうことですか?

あのなァ~、僕が自宅のパソコンでネットをやるために使っているプロバイダーが vcn.bc.ca — つまり、Vancouver Community Network (VCN) in British Colombia of Canada なんだよ。


(vcn50430.png)

『実際のページ』

読んでみれば分かるように無料なのだよ。

つまり、この事が言いたかったのですか?

いや。。。、別に無料のサービスを使っている事を自慢するためではないのだよ。。。 どうして、Vancouver Community Network を取り上げたかというと、次の世界幸福度調査を見たからなんだよ。

世界158カ国の幸福度調査

(10点満点) 第3回国連調べ


(engbay02.jpg)

1 Switzerland (7.587)

2 Iceland (7.561)

3 Denmark (7.527)

4 Norway (7.522)

5 Canada (7.427)

6 Finland (7.406)

7 Netherlands (7.378)

8 Sweden (7.364)

9 New Zealand (7.286)

10 Australia (7.284)

11 Israel (7,278)

12 Costa Rica (7.226)

13 Austria (7.200)

14 Mexico (7.187)

15 United States (7.119)


(engbay03.jpg)


『市長選挙とおばさんパンツ』より
(2015年4月26日)

この幸福度調査と Vancouver Community Network と どう関わりがあると言うのですか?

この幸福度調査の説明に次のようなことが書いてあったのだよ。


(kitchen906.jpg)


(kitchen902.jpg)

“Increasingly hapiness is considered a proper measure of social progress and goal of public policy,” the report says. “A rapidly increasing number of national and local governments are using happiness dat and research in their search for policies that could enable people to live better lives.”

Giving of themselves is one of the reasons Canadians are a happy lot, according to the report: Canada tops the ranking for voranteerism, with the “highest shares of population volunteering in registered organizations” at 38.1%.


調査報告書には 次のように書いてある。

幸福感が増していると市民が感じることが 政策を施行するゴールでもあり、また、社会的な進歩の正しい目安でもある。

より良い生活を市民が送ることができるように、国や市町村の役所では、幸福度を政策を決めるための尺度に取り入れているところが急速に増えている。

社会に貢献していると感じることが カナダ人が幸せな国民である理由の一つだとレポートは指摘している。

なぜなら、ボランティアで社会に貢献している人が 38.1%で、カナダでは他の国に比べて最も多いのだ。

【デンマン意訳】


Page 6 “News 24”
Friday, April 24, 2015
http://vancouver.24hrs.ca

2年ほど前に、僕はVancouver Community Networkの無料サービスを受けるためにオフィスへ登録しに行ったのだけれど、その時、担当の人と話したのだよ。 そしたら、そこで働いている人のほとんどがボランティアだと言うのだよ。

だから、どうだと言うのですか?

あのなァ~。。。、最近、僕は『真由美物語』を書いているのだけれど、その主人公の真由美ちゃんが 地域住民のために Carnegie Centre のカフェテリアのキッチンでボランティアとして働いているのだよ。


(carnegie01.jpg)


(carnegie02.jpg)


(carnegie06.jpg)

『ピラミス@美術館』

だから、どうだとデンマンさんは言うのですか?

真由美ちゃんは“社会に貢献していると感じることは 幸せにもつながる”と考えてボランティアとして働き始めたのだよ。

その事とオイラが どのように関係しているのですか?

あのさァ~、オマエも僕も、幸福度が世界で5位のカナダに住んでいるのだよ。

だから。。。?

それなのに、オマエは次のように書いていた。

私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。

長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。

私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。

しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。


【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家


56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

オイラが書いた上の小文がどうだと、デンマンさんは言うのですか?

世界で幸福度が5位の国に住んでいる人が書くような文章じゃないだろう!?

上のような文章を書いてはいけないのですか?

いや。。。 カナダは自由主義の国だし。。。 言論の自由、表現の自由は保障されているから、何を書いてもいいけれど、読む人が 落ち込んでしまうような文章だと思わないのォ~?

オイラは“男の孤独”を感じているだけです。

だからさァ~。。。 “男の孤独”を感じる事は悪いことじゃないと思うけれど、オマエは世界で幸福度が5位の国で暮らしているんだよ。 もう少し周りを見たらどうなの? オマエだってぇ~、幸福な気分に浸れるんだよ! たとえば、次のように。。。


(bus005.gif)

バスに乗り込んだ途端、ハーーイ、Mister Ota, Helloオーオ!、という女の子の大声が一番後ろの席から聞こえた。
見ると、我が家の隣のChristineが、腕を170度ぐらいに大きく振って、にこにこしている。
他の乗客は、いっせいに私を見ている。

彼女が高校生のときであった。
そして、大学に進んでドイツ文学を専攻した。

それ以来、しょっちゅうドイツに行っている。
今でも、まったく、彼女は天真爛漫である。

それが、彼女の母親、Victoriaの悩みの種なのだ。
なにせ、三ヶ月と言って出て行って、一年以上、半年と言って、一年半も家に帰って来ないのである。
大学も除籍になりかかったことがある。

叱っても、娘の返事は、“Don’t worry”だそうだ。
そして、Victoria は、Masahiro、今月の電話代いくらかかったと思う?$5,000以上よ、とこぼしていた。

Christineが collect callで掛けてよこすからであろう。
その挙句、先日は、金送れ、と言ってきたので、喧嘩してしまった、としょげていた。


145ページ Robert Schumann
『前奏曲集』 (私はアマチュアである) 作品1の2
著者: 太田将宏
初版:1989年7月 改定:2006年5月

(注: イラストはデンマンが貼り付けました。)

『紫式部の涙 (2010年2月23日)』に掲載

つまり、オマエは隣人同士の付き合い程度ならば、良い印象を与えるのだよ。。。 つまり、幸せな人間関係を築けるのだよ! ところが、親密感が増してくると、こじれる場合が多い。 その典型的な例がオマエと二人の娘と奥さんなんだよ。

要するに、オイラは親密感が増すほど、むき出しの自分の感情を見せてしまう、と デンマンさんは言うのですか?

その通りだよ! でも、普通の人は、こじれても仲直りするのだよ。

雨降って地固まる

昔の人は、このように言ったからねぇ~。。。 普通、ちょっとした感情のこじれや口喧嘩の後では、かえって以前よりもお互いの理解が進むものだよ。。。それで、以前よりも深い関係に進むことだってある。

オイラには、それができないとデンマンさんは言うのですか?

その通り! オマエにはできない。。。 オマエは一見、善良で、知的な教養人のように見える。 僕はオマエの本から結構たくさんの文章を引用している。 どの文章を読んでも知的なところが良く表れている。 ところが、オマエには 一つだけ大きな欠陥がある。

それは何ですか?

考え方をちょっと改めて、めれんげさんのように仲直りする事ができない。

2006-11-02 18:08:07
posted by merange

ちょいとマジな話やねんけど・・・

(テーマ:日記のつもり)


(merange42.jpg)

反省しきり。

わたし気がついたんやけど、
自分のことをずーっと考えてくれてる人の気持ちを、もっと冷静になって、考える必要があったよ・・・

固定観念にしばられて、自分の尺度で相手のことを、評価するのは、あまりにも心のせまいことやった。
人それぞれの個性を考慮せずに、好きだの嫌いだの、いいとか悪いとか、決め付けたまんまで、態度を硬化させて、そのまんまで、再考しようともしなかった自分は、なんちゅー視野のせまい人間やったことか。

いくら相手に理解を求めても、いっこうに気持ちがつたわらないことがある。
それはお互いの個性が、相容れないものであって、どれだけの言葉をつくしても、関係は平行線のまんま。
まして相手が他人の性格や表現様式を、理解できなければ、気持ちをつたえることは、あまりにもむずかしい。


(pray08.gif)

わたしは長年、固定された評価でしか、その人の自分への気持ちを考えずにいた。
確かに人間として、相容れない部分はある。

でも、自分のものさしで、その人を判断して、その判断を、見直そうともせずに態度を硬化させたままだった。
人それぞれの表現法や、思考の違いを考慮せずに、一度拒絶の気持ちを持ったら、それを頑なに変えようとせず、そのままで、思考をストップさせたままだった。

自分のことを、どんなかたちであれ、考え続けてくれるということの意味を、もっと尊重すべきだったことに、ようやく気がついた。

あらためて「ごめんなさい」と言います。
少なくとも、あなたを精神的に拒絶することをやめます。
わたしの存在を忘れずにいてくれる人がいるということを、素直に受け入れるようにします。

それ以上のことは、
わたしにはできないけれど、
感謝の気持ちを忘れないようにしようと思います。


(girl100.jpg)


【デンマン注】 原文には全く手を加えていませんが、構成、背景や画像はデンマン流に変えてあります。

『めれんげの原材料』より

『出会い系の悪魔』に掲載
(2008年9月10日)

(mereheart2.jpg)

つまり、オイラは頑固に自分の考えにこだわる、と デンマンさんは言うのですか?

そうだよ。。。 オツムでは分かっていても、実際に仲直りという行動にでることがができない。 それで、次のようになってしまう。

長女は、私から去った。

次女は、中立を保つ為に、

この家に寄りつかない。

家内と言えば、

日本語も通じなくなってから

何年にもなる。

たぶん、気持ちの上では仲直りができているのだけれど、オマエは「男の沽券(こけん)」にこだわって、歩み寄ることができない。 それを、オマエは“男の孤独”とよんでロマンに浸っているのだと僕は思うのだよ。

オイラは、どうしたらよいのでしょうか?

だからさァ~、仲直りをすれば、オマエもオマエの家庭も、マジで幸せになれるんだよ。 まさに幸せを絵に書いたような家庭なんだから。。。 でも、オマエは日本人の悪いところに拘っているのだよ。

その日本人の悪いところって何ですか?

「男の沽券(こけん)」だとか、“男の孤独”を持ち出してきて、問題を複雑にしているのだよ。

。。。で、オイラに、どうしろとデンマンさんは言うのですか?

だから、「男の沽券(こけん)」も“男の孤独”もかなぐり捨てて、音楽で社会に貢献するようなボランティア活動に専念すれば、オマエはもっと幸せな気分に浸ることができるのだよ!

マジっすかあああァ~。。。?

そうだよ。。。マジだよ! そうすればオマエの隣人のChristine も、腕を170度ぐらいに大きく振って、にこにこして喜ぶのだよ!


(laugh16.gif)

【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。
あたしは、太田さんの娘さんにも、奥様にもお会いした事はありません。
でも、娘さんは、二人とも カナダで女医さんになっているほどですもの。。。
娘さんにしても、奥様にしても、決して悪い人ではないと思いますわ。

それなのに、太田さんは 娘さんとも、奥様ともうまくやっていないという事は、
太田さんに、問題があると思うのです。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。
太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。
また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。
また、スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って 読者に登録してしまったりするものですわァ。
どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと
てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、
メールアドレスで登録したりすると、
あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには騙されないと思い込んでいるでしょう?
でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。
あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。
では。。。


(hand.gif)

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