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ロマン・ロランも理解した

2011年5月22日

 
ロマン・ロランも理解した

デンマンさん。。。上の写真は花魁(おいらん)の写真ではありませんか?

そうですよ。。。よく分かりましたね?

女性の服装を見ればすぐに判るではありませんか!

うん。。。確かに、そうですよ。

あのォ~、フランス人のロマン・ロランが日本へやって来て花魁と遊んだことがあるのですか?

いや。。。ロマン・ロランは日本に来たことはないですよ。

それなのに、どうして花魁の写真などを持ち出してきたのですか?

実は、倉田百三の『出家とその弟子』を僕は読んだのですよ。

それってぇ、ずいぶん昔の戯曲でしょう!?

あれっ。。。小百合さんは知っているのですか?

戯曲のタイトルだけは有名だから知っていますわ。 でも読んだことはありません。

僕も読む気はなかったのだけれど、たまたま、「あらすじで読む日本の名著」の中に入っていたのですよ。 その冒頭に倉田百三のことが書いてあったのですよ。

倉田百三 (1891 – 1943)

広島県生まれ。 劇作家・評論家。
旧制一高在学中に西田幾多郎に師事する。
数編のエッセーを発表するが結核を患い退学。
帰郷してキリスト教や仏教を学び、思索に励んだ。
自由な恋愛観と宗教観を描き、作品は世に評価されるに至るが、今度はカリエスで病床に臥す。
その生活の中から戯曲に『俊寛』『布施太子の入山』、感想文集『愛と認識との出発』などを生み出した。

作品の背景

病魔と闘いながらも、26歳のとき(1917年)、この戯曲を発表。
たちまちベストセラーとなり、当時の親鸞ブームを巻き起こし、大正宗教文学流行の機縁をつくった。
その反響は海外にまで及び、英訳を読んだロマン・ロランは「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つである」と評した。
なお、同作品は親鸞の弟子である唯円が書いた『歎異抄』に取材したものである。

(注: 赤字はデンマンが強調)

つまり、英訳を読んだロマン・ロランは「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つである」と評したのでデンマンさんも読む気になったのですか?

その通りですよ。 しかも、僕はかつてマンガの解説書『歎異抄』を読んで親鸞と唯円のことを記事で取り上げたことがあるのですよ。

それ程、極楽浄土が

素晴しいのなら、

なぜ今すぐに逝かないの?

唯円(ゆいえん)、今日のおまえはおかしいぞ。いったいどうしたのじゃ。

こんなことを申し上げると、もしかして聖人さまのお側(そば)におられないかもしれませんが、どうか私の心の内を聞いてくださいませ。

帰ってからではいかんのか?

いえ、意を決した今こそ、お聞きせねば!

よくよくのことじゃな。申してみよ。

私は聖人の教えを信じお念仏しております。救われるはずのない私が救われるわが身をありがたく思っております。しかし、本当にそう信じているなら踊りあがってこの上もない喜びをかみしめることでしょう。なのに私はいつまでたってもそこまでの喜びがわき上がってまいりません。さらには娑婆(しゃば)が無明(むみょう)の世界と知りながら一刻も早くお浄土へ参りたいという心が起こってこないのです!唯円は。。。唯円は。。。聖人のお側におりながら心底(しんそこ)み教えをいただいておりませぬのか?!

もはや私には阿弥陀様のお心が届いておらぬのではと毎日毎日苦しむばかりです。(号泣)

唯円よ。私もそれをいぶかしく思っておったが、そなたも同じ心であったか。

“同じ心”でございますか?

そうじゃよ。唯円よく申してくれた。ありがとうよ。

聖人さま、もったいない!

よくよく考えて見ると躍り上がるほど喜ばねばならぬことを喜ぶことのできないわが身を思うにつけ、いよいよ往生(おうじょう)が定まった身といただけるのう。

なぜでございます?!阿弥陀様のお救いにあずかりながら、それにふさわしい喜びがわいてこないのは本当に救いを求めていないからではありますまいか?

そうじゃな。それはどうしようもない恩知らずで浅ましいことじゃ。

うわぁ。。。やっぱり。。。

ここにも、そういう恩知らずがおるがな。

そんなぁ。。。聖人さまは違いますぅ。

唯円よ、悲しいのう。。。

はっ。。。?

この世におると愛憎の渦に巻き込まれ欲得にふりまわされる。右も左も煩(わずら)わしいことだらけじゃ。

ですから。。。

まあ聞きなさい。お釈迦様はそんなものを捨て去って真実に目覚めなさいとお示しくださった。

ハイ。

しかし、愛憎の中でしか生きていけないのも事実。。。誰も彼もむなしい名利(みょうり)にすがってこの世に執着(しゅうちゃく)しておる。真実、すなわち阿弥陀様のみ光、に背を向け煩悩(ぼんのう)の闇へ闇へと向かっていくのが。。。

凡夫(ぼんぷ)。。。でございますね。

そうじゃ。そのあわれな凡夫を阿弥陀さまは見捨てられたかの?

い。。。いえっ。。。あっ。。。!もしかして私が急いでお浄土にお参りしたいと思わないのは煩悩のせいだとおっしゃるのでしょうか?!

おーっ、さすがじゃ、唯円。尊いみ教えをいただきながら喜べないのは、まさしく煩悩のせいじゃ。じゃが、そんなことはずっとずっと前から阿弥陀様はお見通しじゃよ。。。よいか唯円。その凡夫だからこそ阿弥陀様の救いの目当てなのじゃ!

(ガーーン)。。。阿弥陀様は急いで参りたいとも思わない私のような迷いとまどう者こそ不憫(ふびん)と思うてくださる。。。そうですね。

のう唯円。。。私たち凡夫も娑婆という所も一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないのじゃ。愛する者と出会(でお)うたかと思えば別れ。。。今上(こんじょう)の喜びを得たと思うたら、それ以上の苦しみがくる。。。なんとか命ながらえたと思えば老いてゆく。ただ老いるのではないぞ。病にもかかるし税金も払わにゃならん。

ホンマ、つらいですね。

しかし、お浄土は安らかな所じゃ。早く行きたくならんか?

イエ。。。ですから。。。その。。。それでも娑婆に。。。その。。。未練(みれん)が。。。

やっぱり、一筋縄ではいかないのう。。。はっはっはっ。。。

面目ありません。

いやいや。。。そういう者のための阿弥陀様の救いじゃ。おまえのように仕事も一生懸命な者ほどこの世にしがらみは多いじゃろ。

ハァ。。。

私がもし、お念仏の教えをいただいてすぐ「ああ、お浄土はすばらしい!早く参りたい!」と思ったならば、もしかして自分には煩悩はないのだろうかと、かえっていぶかしく思うのではないか。。。のう、唯円。

ハイ!

お念仏の教えをそれこそ何万遍(なんまんべん)も聞かされながら「急いでお浄土に参りたいという気持ちが起こらない」という問いは、一見お念仏をいただいていないように思えるが、お念仏をいただいたからこそ、このような浅ましい本当の自分の姿が見えてきたと思わんか?凡夫と気づいたのは阿弥陀様のみ教えが心に響(ひび)いてきたからじゃないのか。。。どうじゃ?

ああっ。。。

愛憎の煩悩に惑(まど)わされて、いそいでお浄土に参りたいという心が起こらない浅ましい身に気づくならば、その身をなげくより、そんな私を捨てずに救うという阿弥陀様の大悲(だいひ)のたのもしさを仰(あお)ぎ「わが往生は一定(いちじょう)なり」と思いとるがよい。

はい!

ありがたいのう。ナマンダブ、ナマンダブ。唯円よ。名残り惜しくも娑婆と縁がつきたその時こそ、お浄土に共に参らせてもらおうじゃないか。

ありがたいことです。聖人さま、唯円を救っていただきありがとうございます。

なにを言う。私も凡夫じゃ。救ってくださったのは阿弥陀様じゃよ。

【デンマン注: 読み易く句読点を加えてあります。
画像はすべてデンマンの趣味により加えてあります。
赤字はデンマンが強調】


199-211ページ 『漫画 歎異抄』
作: 岡橋徹栄 画: 広中建次
発行: 本願寺出版社
2003年9月30日 第二刷発行

『愛憎と極楽浄土 (2008年10月9日)』に掲載

親鸞と唯円が出てくるのでデンマンさんは読む気になったのですか?

うん。。。そういう事なのだけれど、ロマン・ロランが評した「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つ」とはどういうものなのか? 僕は興味が湧いてきたわけですよ。

ロマン・ロランってぇ、それほど有名な人ですか?

あれっ。。。小百合さんはロマン・ロランの作品を読んでいないのですか?

読んでませんわ。 名前がロマンチックだったので覚えていましたけれど、どのような作品を書いた人なのかも、まったく知りませんわ。 うふふふふふ。。。

そうだったのですか。。。

。。。で、デンマンさんはロマン・ロランの作品を読んだことがあるのですか?

もちろん。。。読んだことはありませんよ。 うししししし。。。

じゃあ、私と同じではありませんか!

まあ。。。そう言う事ですよね。 ロマン・ロランのことを知らずに読んでも面白くないだろうから、調べたことをここに書き出しますよ。

ロマン・ロラン(Romain Rolland)

誕生: 1866年1月29日
死没: 1944年12月30日
代表作 『ジャン・クリストフ』、『ベートーヴェンの生涯』
ノーベル文学賞(1915年度)

ロマン・ロランは、フランスの、理想主義的ヒューマニズム – 平和主義 – 反ファシズムの作家。
戦争反対を世界に叫び続け、国際的に多くの知友を持った。

級友のポール・クローデルと音楽会に通い詰め、1886年(20歳)に2年後れてエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)へ進学し、哲学と歴史を学ぶ傍ら文学・美術・音楽に没頭しピアノをよくした。1887年にはトルストイ『戦争と平和』を読んで、トルストイと文通までしている。
1889年に高師を卒業すると同時に歴史の教授資格試験に合格、1891年までローマのフランス学院へ留学する。そこでドイツの女流作家、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク(Malwida von Meysenbug(1816 – 1903))と知己となり、彼女を介してニーチェやワーグナーに関心を持つと共に、国際関係に目を開いた。

1892年(26歳)に言語学者ミシェル・ブレアルの娘クロチルド(Clotilde)と結婚するが、1901年に離婚。
1894年からアンリ4世高等中学(Lycée Henri-IV)で、翌年からルイ大王高等中学で教鞭をとる。
1895年に『近代叙情劇の起源』と『16世紀イタリア絵画の凋落』とにより文学博士の学位を取得、エコール・ノルマルの芸術史講師となった。
この頃から、戯曲や音楽評論を発表し始める。1902年からは、「社会学大学」(École des hautes étude sociales)で音楽史を担当した。

1903年(33歳)、高等師範学校時代の教え子であるシャルル・ペギーの個人雑誌『半月手帖』(Cahiers de la Quinzaine)に『ベートーヴェンの生涯』を発表。
これが反響を呼び、翌1904年にソルボンヌで音楽史を担当し始めると共に、『ジャン・クリストフ』を『半月手帖』に掲載し始め1912年に脱稿。
同じ頃にヨーロッパ各地を旅行し、シュヴァイツァー、ヴェルハーレン、R.シュトラウス、ツヴァイク、リルケ、シンクレアらと知り合う。
1910年(44歳)にレジオンドヌール勲章を受章、1912年に『ジャン・クリストフ』を脱稿すると、文学に専心すべくソルボンヌを辞しスイスの雑誌に芸術時評を書き始める。
1913年には『ジャン・クリストフ』が『アカデミー・フランセーズ文学大賞』を受賞する。

1914年8月に勃発した第一次世界大戦に対しては、たまたま滞在中のスイスから、仏独両国へ「戦闘中止」を訴える。このことから祖国への反抗と受け取られて帰国できない状態になったが、その反面アルベルト・アインシュタインやヘルマン・ヘッセ、エレン・ケイらと意を通じ合うことになる。
こうした国際的には評価される一方で、母国では好感されぬ傾向は、生涯にわたることになる。
1916年(50歳)に1915年度のノーベル文学賞を受賞。
1917年にロシア革命が勃発すると早くも支持を表明し、レーニンの死やロシア革命10周年に際してはメッセージを送った。
白色テロに反対する『国際赤色救援会』(International Red Aid)にも参加し、『ソ連邦建設科学アカデミー』の名誉会員に選ばれるなど、ソビエト連邦や共産党への共感を鮮明にした。
2度目の妻(1934年に再婚)マリー・クーダチェヴァ(Maria Koudacheva)はロランがモスクワから招いた秘書であり、再婚の翌年には夫妻同道でソ連を訪問し、マクシム・ゴーリキー宅に滞在してスターリンとも会見。

戦後の1919年(53歳)に母親が死去したことから一時パリへ戻り、1921年タゴールを迎えたりしたが、1922年、父および妹マドレーヌと共にスイスのレマン湖東岸ヴィルヌーヴ(Villeneuve))に定住。
1923年に雑誌『ヨーロッパ』(Europe)が創刊した際にはこれを援助し、ロンドンの国際ペンクラブ大会にも出席した。
翌1924年にはマサリク大統領に招かれてプラハを訪れ、ジュネーヴの国際連盟総会に出席。
その一方でムッソリーニの『ファシスト党』の暴行を非難している。
1926年、雑誌『ヨーロッパ』が生誕60年記念号を出した。
タゴールやネルーがロランの許を訪問。
1927年にはアンリ・バルビュスの反ファシズム宣言に賛同者として名を連ね、1932年にアムステルダムの『反戦全世界大会』が挙行されると、バルビュスと共に主導役となっている。

1936年にアラゴン、アンドレ・マルローらの発議、アンドレ・ジッドの司会により、生誕70年の祝賀会がパリで挙行。
レオン・ブルムの第一次人民戦線内閣の後援のもとに『七月十四日』がパリで上演され、ミヨー、オネゲルが曲を付し、ピカソが幕絵を描いた。
1938年(72歳)にスイスからフランスへ帰国し、故郷に近いヴェズレーを終生の住処とする。
ミュンヘン会談における仏英の弱腰に抗議し、1939年にナチス軍がチェコスロバキアへ侵入すると、ダラディエ首相に非難書簡を送っている。

第二次世界大戦が勃発すると、ヴェズレーはナチス占領地域内となり沈黙を強いられるものの、それでも旧友のクローデルが来訪している。1943年から病床に就き、1944年のパリの解放を知り、ソヴィエト大使館の十月革命祝賀会に出席。レジスタンス犠牲者追悼会にメッセージを送り、年末には原稿の校正を終えると永眠した。
故郷クラムシーで葬儀が行われ、近くのブレーヴ(Bréves)の墓地に埋葬された。

日本人との交流

1918年、成瀬正一が、日本人として初めて、ロランを訪れたと言われる。
1925年、高村光太郎、倉田百三、尾崎喜八、片山敏彦、高田博厚らが『ロマン・ロラン友の会』を作り、一部はロランと文通した。
1928年には中村星湖が、1929年には片山敏彦や松尾邦之助が、1930年には片山に連れられた高田博厚が、ヴィルヌーヴのロラン邸を訪ねた。
高田は翌年あらためて招かれ、ガンジーに引き合わされた。塑像作りを頼まれた。

1937年、倉田百三の『出家とその弟子』の仏語訳を松尾邦之助らが出版したときは、ロランが序文を寄せた。
みすず書房第3次全集、第43巻に訳文あり。

1971年、仏文学者の宮本正清が『ロマン・ロラン研究所』を設立し、現在に至っている。

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤字はデンマンが強調。

ノーベル賞をもらっているのですわね。。。それに、名前も日本語だとロマンチックに響くから有名なはずですわね。

たぶんねぇ。。。僕は作品は読んでいないけれど、ロマン・ロランが平和主義、戦争反対を貫いていることには好感を持っていましたよ。

。。。で、1918(大正7)年に戯曲が発表されると、たちまちベストセラーとなり、当時の親鸞ブームを巻き起こし、大正宗教文学流行の機縁をつくったと書いてありますけれど、『出家とその弟子』はどのように始まるのですか?

第一幕は次のように始まるのですよ。

第一幕 日野左衛門の屋敷

左衛門の妻・お兼が息子・松若の正月の晴着を縫っている。 そこに松若が帰宅、書道の帰りに小作の子にいじめられたと嘆く。 お兼は、その原因が父・左衛門の横暴さの仕返しであることに気づき胸を痛めた。

吹雪の中、左衛門が帰宅する。 手酌で酒をチビリチビリ飲みながら、強引に小作の家の集金をしてきたことを話す。 お兼は「あなたは昔はそんな人ではなかった」と諭すが、左衛門は「今までは人がよすぎて騙された。今度は悪人になってしたたかに生きよう」と豪語する。

家の外は吹雪が続いている。 托鉢行脚中の親鸞と弟子の慈円と良寛が、左衛門の家に一夜の宿を請う。 しかし、左衛門は「あいにく私は坊さんが嫌いでしてな」と、かたくなに拒むばかりである。 仕方なく親鸞と弟子たちは戸外で石を枕に眠る。

家の中では、左衛門が夢にうなされている。 お兼が揺り動かすと、恐ろしい不気味な夢を見たという。 酔いも醒め、、ひどいことをしたと恥じた左衛門は、親鸞一行を家に招き入れる。

左衛門: どうそ、上がって下さい。 昨夜は心の中に不思議な力があって、私にそのような所業をさせてしまいました。お許しください。

親鸞: それを業(ごう)の催しというのです。 人間が罪を犯すのは皆その力に強いられているのです。 あなたはむしろ純な人です。 でも外に出されたとき、私の心は怒りと肉体的な苦痛で圧倒されそうでした。

左衛門: あなたのお話はこれまでのお坊さんと違います。 あなたは自分を悪人のようにお話されます。 ご出家、教えてください。 極楽と地獄はほんとうにあるのでしょうか。

親鸞: 私はあると信じています。 私は他の運命を傷つけたとき、、私を鞭打ってくださいと叫びたい気がするのです。 これは私の魂の実感です。 地獄はなければならぬと思いますが、同時にそこから逃れる道がなくてはならぬと思うのです。 その道は愛です。 許しです。 仏様は私たちを悪いままで助けてくださいます。 罪を許してくださいます。

左衛門: 今夜はうれしいです。 何年か私の心を去っていた平和が帰ってきたような気がします。

お兼: ほんとうにそうですわ。……ところで、あなたにはお子様がおありですか。

親鸞:はい、京に残してあります。 (松若に) おいくつにおなりかな。

松若: 十一。

親鸞: よいお子じゃの。 大きく偉くおなりなさいよ。 私は皆様をけっして忘れません。

(注: 写真とイラストはデンマン・ライブラリーから)


58 – 59ページ
『出家とその弟子』 倉田百三・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館

この戯曲は史実に基づいて書かれたのですか?

いや。。。史実というよりも倉田百三が『歎異抄』を勉強して書いたのですよ。

つまり、ほぼ史実に近いのですわね?

うん。。。そう言えるかもしれないけれど、厳密には創作ですよ。

つまり、実際にあった事と言うよりも、事実がかなり脚色されているということですか?

僕は、そう思いますね。 第二幕以降を見てください。

第二幕 西の洞院御坊

15年後、左衛門の息子・松若は唯円と名を改め親鸞の弟子になっている。 秋の法然上人御法会(ごほうえ)も盛況に終わったあと、唯円が柱に身を寄せ、ぼんやり下の道を見ている。

親鸞: 唯円、そんなところでなにをしている。

唯円: ぼんやり街を通る人を見ていました。

親鸞: ここから世のさまざまな相が見られるな。 私は昔から通行人を見ていると淋しい気がしてな。

唯円: 私もさっきからそのような気がしていました。 今日もひとりでに涙が出てきました。

親鸞: 淋しいのがほんとうだよ。 淋しいときは淋しがるがいい。 運命がおまえを育てているのだよ。 ただ何事も一筋の心で、まじめにやれ。 ひねくれたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。 運命にまっすぐに向かえ。 智慧は運命だけが磨き出すのだ。 (両人しばらく沈黙。 本堂より読経の声が聞こえる)

唯円: お師匠様、あの……恋とはどのようなものでございましょうか。

親鸞: 苦しいものだよ。

唯円: 恋は罪の一つでございましょうか。

親鸞: この世で罪をつくらずに恋をすることはできないのだ。 しかし、だれも一生に一度は恋をするものだ。 人間の一生の旅の途中にある関所のようなものだよ。 まじめにこの関所にぶつかれば、人間は運命を知る。 愛を知る。 すべての智慧の芽が一時に目ざめる。


第三幕 三条木屋町・松の家の一室

親鸞の息子・善鸞は、その不幸な境遇と諸天の恵みに浴している父への反抗心から身を持ち崩し、黒染めの衣のまま遊郭・松の家に入りびたっている。 唯円は親鸞父子の和解を企てようと遊郭に親鸞を訪ね、慰め、さらに親鸞に会って懇願する。

唯円: あなたの愛にすがって頼みます。 善鸞様を許してあげてください。 善鸞様は淋しいのです。

親鸞: 人生の淋しさは、酒や女で癒されるような浅いものではないからな。 強い人はその淋しさを抱きしめて生きていかねばならぬ。 その淋しさを内容として生活を立てていかねばならぬ。 宗教生活とはそのような生活のことをいうのだ。 耽溺と信心との分かれ道はきわどいところにある。 しかし、私は許しているのだよ。 あの子を裁くものは仏様のほかはないのだ。 私は朝夕あの子のために祈ります。 ああ仏様。 どうそ、あの子を助けてやってくださいませ。


第四幕 黒谷墓地

善鸞に会いに松の家に行った唯円は、遊女かえでと出会い恋に陥ってしまう。 一年後の春の午後、二人は墓地で忍び会っている。

かえで: 私はあなたと付き合っているうち、だんだん娘らしい願いがよみがえってきました。 雨のようにあなたの情けに潤って、私の胸の願い、喜び、いのちが一時に綻(ほころ)びました。 しかし、あなたの玉のような運命を傷つけてはなりません。 私はあきらめます。 楽しい夢の思い出を守って生きてゆきます。 

唯円: 夢ではありません。 私は私たちの恋をなによりも確かに実在にしようと思っているのです。


第五幕 親鸞上人居間

僧たちは唯円に、遊女などを相手にして僧として浅ましいと責め立てる。 その声は親鸞にも届く。

親鸞: おまえたちが唯円を非難するのを聞きながら、私の罪が責められるような気がした。 しかし、裁かずに許されなければいけない。 ちょうどおまえたちが仏様に許していただいているように。 私は唯円のために祈る。 縁あらば二人を結びたまえ。

(注: 写真とイラストはデンマン・ライブラリーから)


59 – 61ページ
『出家とその弟子』 倉田百三・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館

ここに描かれたことは事実というよりも創作だとデンマンさんは言うのですか?

あのねぇ、ロマン・ロランが「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つ」と言っている事からも明らかなように、“純粋”と言う事は世間的な汚れがないということで、現実には有り得ないと受け取ることもできる。

実際には上のようなことはなかったとデンマンさんは主張するのですか?

あったかもしれないけれど、事実は脚色されていると僕は思いますね。 終わりの第六幕を見るとその事が良く判りますよ。

第六幕 親鸞上人病室

かえでは唯円と結婚して入信し、勝信と名乗り二人の娘をもうけた。 親鸞の臨終が近づき、弟子たちが周りを取り囲んでいる。

親鸞: ああ、永遠の安息が近づいている。 私は一生の間、運命を素直に受け取って、それを愛してきた。 そして冠が今私の頭に載せられる。 私は尊い聖衆の中の一人に加えられるのだ。 なんという平和であろう。

唯円: お師匠様の百年のご寿命を祈りたてまつるのでございますけれど。

勝信: 美しく輝く冠ほど、聖人様にふさわしい。 (小声で)それにしても善鸞様の遅いこと。

善鸞: (急ぎ登場)父上。 会いとうございました。 許してください。

親鸞: おお、善鸞か。 許されているのだよ。 裁く心と誓う心は悪魔から出るのじゃ。 私はもうこの世を去る。 おまえは仏様を信じるか。

善鸞: (苦悶の表情)

親鸞: お慈悲を拒んでくれるな。 わしの魂が天に帰る日に安心を与えてくれ……。

善鸞: 私の浅ましさ……。 わかりません……。 決められません。 (前に伏す)

親鸞: おお (目をつむる) それでよいのじゃ。 みな助かっているのじゃ。 善い、調和した世界じゃ。 おお平和! 最も遠い、最も内の。 (尊き感動。 親鸞の魂、天に帰る)

(注: 写真とイラストはデンマン・ライブラリーから)


61ページ
『出家とその弟子』 倉田百三・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館

どこが脚色されているのですか?

ハッピーエンドにしているのですよ。 現実にはハッピーエンドではなかったに違いない。

どのような不幸があったとデンマンさんは考えているのですか?

善鸞は、さらに深い苦悩の中に落ち込んだかもしれない。 また、唯円と勝信(かえで)の間にも深い溝ができて離れることになったかもしれない。。。

なぜ、デンマンさんはそのように考えるのですか?

親鸞上人は次のように言っている。

この世で罪をつくらずに

恋をすることはできないのだ。

我われのような平成時代に生きている人間には、このような考え方は理解できないですよ。 恋をしながら罪を犯しているなんて、たぶん現在の日本人は誰もそのように信じていないでしょう。

昔の人は罪を犯していると感じながら恋をしていたのですか?

そうですよ。 戦前の昭和時代だって、罪を犯していると感じながら恋をしていた人は、けっこう沢山居たのですよ。

マジで。。。?

例えばあの有名な詩人の北原白秋ですよ。 白秋は隣家に住んでいた松下俊子さんと恋に落ちたのですよ。 彼女は、当時、夫と別居中の人妻だった。 でも、夫は姦通罪で告訴したのですよ。

あらっ。。。姦通罪があったのですか?

太平洋戦争まで姦通罪があったのですよ。 日本が戦争に負けていなければ、現在でも姦通罪が生きていたかもしれませんよ。 だから、唯円と勝信(かえで)の自由な恋愛結婚を謳歌した『出家と弟子』は、たちまちベストセラーになって当時の若者にメチャ読まれたのですよ。

。。。で、ロマン・ロランが『出家と弟子』の中に「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つ」を見たのはなぜですか?

ロマン・ロラン(Romain Rolland)

親鸞の姿勢と態度だと思いますよ。 つまりねぇ、何でも受け入れて仏様が許しを与えるという考え方がロマン・ロランの平和主義にマッチしたのだと思います。 親鸞の考え方は「みな助かっているのじゃ。 善い、調和した世界じゃ。 おお平和!」というものだった。 だからロマン・ロランは対立や憎しみや争いよりも、幸福を求める親鸞や唯円の考え方の中に純真なものを感じたのですよ。

でも、そういう考え方にデンマンさんは脚色されたものを感じるのですか?

そうですよ。。。あのねぇ~、親鸞上人は唯円に次のように言っていた。

愛憎の煩悩に惑(まど)わされて、いそいでお浄土に参りたいという心が起こらない浅ましい身に気づくならば、その身をなげくより、そんな私を捨てずに救うという阿弥陀様の大悲(だいひ)のたのもしさを仰(あお)ぎ「わが往生は一定(いちじょう)なり」と思いとるがよい。

はい!

ありがたいのう。ナマンダブ、ナマンダブ。唯円よ。名残り惜しくも娑婆と縁がつきたその時こそ、お浄土に共に参らせてもらおうじゃないか。

ありがたいことです。聖人さま、唯円を救っていただきありがとうございます。

親鸞上人はこのようにおっしゃっていますけれど、現実はこうではなかったとデンマンさんは思っているのですか?

親鸞上人が生きていた時代は苦しみ多い世の中だったから、苦労だけが多い現世に別れを告げて早くあの世に行きたいと思った人たちが居たかも知れませんよ。 それでも唯円さんは、極楽浄土に早く行きたいという気持ちになれないと告白した。 でもねぇ、平安時代や鎌倉時代から比べれば、平成時代の世界は極楽浄土のようなものですよ。 

『平安時代は決して平安ではなかった』

だから、今、「名残り惜しくも娑婆と縁がつきた」なんて考える人なんて、まず居ませんよ。 

どうして、デンマンさんは、そう考えるのですか?

あのねぇ、僕が帰省していた時に、お袋が救急車で運ばれて行田中央病院へ入院したことがあったのですよ。

そうでしたわね。 私もお見舞いに行きましたわ。

母が救急車に運ばれて…

。。。んで、デンマンさんは、お医者様に何か苦情をおっしゃったのでござ~♪~ますか?

あれっ。。。卑弥子さんは良~く分かりますねぇ~!。。。そうなのですよう。僕は冷静なつもりでも、かなり感情的になって苦情を。。。いや。。。病院の医療体制、それに、付き添いの人に対する医師の態度・意識に対して批判したのですよう。

めれんげさんのように感情を爆発させてしまったのでござ~♪~ますか?

いや。。。めれんげさんほど感情をむき出しにしなかったと思いますゥ。

マジで。。。?

もちろんですよう。。。お袋の命にかかわることだから僕は冷静になろうと努力しながらナース・ステーションへ行って看護婦さんに「担当のお医者さんに会いたい」と申し出たのですよう。

そしたら。。。?

お袋の担当医は二人居るのですよう。一人は当日(10月28日水曜日)「休んでいる」と言うのです。

。。。んで、もう一人の担当の先生は。。。?

「ただいま巡回中です」と言うのです。30分から1時間以内に会えるでしょうか?と僕が尋ねたら、検査がすべて済んでから、担当の医師からご家族の方へご連絡がゆきますから、その時、先生にお聞きください、と言ったのですよう。

それがデンマンさんには不満だったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、僕のお袋は10月26日(月曜日)の午後3時半に救急車で行田中央総合病院へ搬送されたのです。

。。。んで、デンマンさんは生まれて初めて救急車に乗ってお母様と一緒に病院へ行かれたのでござ~♪~ますか?

そうなのです。僕の叔父が救急車で病院へ搬送され診断ミス・医療ミスで亡くなった事があったから、お袋にはそのような事が無いようにと僕はかなり心配していたのですよう。

『診断ミス・診療ミスによる死亡例』

デンマンさんの叔父様は行田中央総合病院で亡くなったのでござ~♪~ますか?

いや、別の町の病院です。詳しいことは上の記事に書きました。

それで、デンマンさんは何が不満だったのでござ~♪~ますか?

お袋は救急医療室で手当てを受けたのです。

それで。。。?

救急担当の医者に聞いたら、「これから検査をします。それからですね」と言った。意識障害と狭心症という診断で2週間の予定で入院することになった。手続きは翌日にすることにして、とりあえず5時半に僕は実家に戻った。

それで。。。?

翌日(27日)、お袋の病室に見舞いに行ったけれど、状態は快方に向かっているように見えた。しかし、亡くなった叔父も病状が急変して死亡したように、お袋の病状も急変するかもしれない。だから、僕は心配だった。それで担当の看護婦さんに担当医と会って話がしたいと言ったら同じ返事が返ってきた。つまり、検査がすべて済んでから担当医の方から連絡がゆくから、その時にお会い下さいと言う事だった。

。。。んで、デンマンさんはどうなさったのでござ~♪~ますか?

28日の午後3時にお袋の病室に見舞いに行った時に、どうしても担当の先生に話がしたいと思ったのですよう。

やっぱり、心配になったのでござ~♪~ますか?

当然でしょう!僕の叔父は診断ミス・医療ミスで亡くなったのですからね。そうならないように僕は担当医にしっかりとお袋の病状を尋ねようと思ったのですよう。

それでナース・ステーションに行ったのですか?

そうですゥ。

それで。。。?

看護婦さんは、やっぱり同じ事を言ったのですよう。「検査がすべて済んでから担当医の方から連絡がゆきます。その時にお会い下さい」と言うのです。

。。。んで、デンマンさんはどうなさったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、お袋が病院に搬送されてからすでに48時間が経過していたのですよう。その間、僕は看護婦からも担当医からも何の説明も受けてなかった。

つまり、デンマンさんは心配のあまり、かなりムカついたのでござ~♪~ますわね?

当然でしょう!たとえばねぇ、外来患者として歩いて病院へ行って検査を受けて、その結果を待つ、と言うのなら48時間何も連絡が無くても我慢できるかもしれない。だけど、お袋の場合には救急車で病院へ搬送されたのですよう。僕はお袋が死んでしまったのではないだろうか?そう思ってテーブルにうつ伏せているお袋の肩を揺らした。そうしたら弱々しいけれど意識があった。それで、緊急を要すると思って救急車を呼んだ。それなのに48時間、僕は看護婦からも担当医からも何の説明も受けてない。

それでデンマンさんはムカついてしまったのでござ~♪~ますか?

だから、僕はなるべく冷静になって、めれんげさんのような見苦しいヒステリー状態にならないようにと最善の努力を払ったのですよう。んも~~

それで。。。?

僕は看護婦さんに言いましたよう。救急医療を必要としている救急患者が今、どのような状態なのか?付き添いの人は心配している。それなのに48時間も何の説明も無く放置されていたら、付き添いの人はどれほど心配になっているか?あなたには、そういう付き添いの人の心理が理解できないのですか?!僕は必死になって長いブログを書くような心の状態で懇切丁寧に、その時の僕の心配のほどを説明しましたよう。

それで。。。?

看護婦さんは、僕の話を聞いても、また同じ事を繰り返すのですよう。僕は冷静になろうとしたけれど、自分の頬が怒りでピクピク痙攣するのを感じましたよう。

。。。んで?

看護婦さんも僕が異常に怒っているのが判ったと見えて「お待ちください。先生に連絡してみますから」。。。そう言って出てゆきました。

それで。。。?

僕はお袋の病室で10分ぐらい待ちました。看護婦さんがやって来て、「先生がお見えになりましたから、どうぞ」と言う。

それで。。。?

看護婦さんは僕をナース・ステーションに案内した。そこで副院長が僕を待っていた。僕は副院長と話をしたいわけじゃない。担当医と話がしたい、と言った。

そしたら。。。?

担当医は巡回中で僕には会えないと言う。「担当医でないあなたには僕のお袋の病状は分からないでしょう!」。。。僕がそう言うと「いいえ、あなたのお母さんの検査結果を私も見ているから、あなたにご説明できます」と言う。

それで、副院長様はデンマンさんに、ご説明し始めたのでござ~♪~ますか?

その前に僕は行田中央総合病院の緊急医療体制には問題があると批判し始めたのですよう。

マジで。。。?

もちろんですよう。副院長はギョッとしたような表情を浮かべたけれど、あくまで冷静でした。(デンマン注: あとで分かったことだけれど、この先生は院長先生だった!

デンマンさんは、またお医者様に対して文句を言ったのでござ~♪~ますか?

文句ではないのですよう。批判です。

緊急医療体制の問題なんて。。。飛躍過ぎているのではござ~♪~ませんか?


『人のための医療 (2009年10月30日)』より

この入院中に僕が院長に苦情を言ったものだから、念のためにMRI(核磁気共鳴画像法)検査を受けてくださいと言うことになったのですよ。 ところが、お袋はその検査機械を以前どこかの病院で見たとみえて、「あのような騒々しい発動機のような機械に入ったら死んでしまう」と子供のように怯(おび)えたのですよ。 まるで死刑囚が絞首台に行くのを拒むような怯え方だったのですよ。 80歳を過ぎて「いつ、お迎えが来ても私には悔いはない…」なんて言っていたのに、その時には本音を漏らしましたよ。 「あのねぇ~、やっぱり、まだ死にたくはないよ。 いくつになろうと生きていたいものなんだから。。。」

デンマンさんのお母さんが、そのような事を言ったのですか?

そうなのですよ。

80歳を越えてからも、人ってぇ、それほど生きることに執着するものなのかしら?

あのねぇ~、僕は最近、黒澤監督の『夢』をDVDで観たのですよ。

『夢』(英題:Dreams)

『夢』は、1990年に公開された黒澤明による映画作品である。
日本とアメリカの合作。

「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の8話からなるオムニバス形式。
黒澤明自身が見た夢を元にしている。
各エピソードの前に、「こんな夢を見た」という文字が表示されるが、これは夏目漱石の『夢十夜』における各挿話の書き出しと同じである。
黒澤映画の中では「デルス・ウザーラ」同様、国内でのフィルム上映の機会に恵まれない作品である。

あらすじ

水車のある村

撮影に使われた大王わさび園水車小屋旅先で、静かな川が流れる水車の村に着く。
壊れた水車を直している老人に出会い、この村人たちが近代技術を拒み自然を大切にしていると説かれ、興味を惹かれる。
老人の初恋の人であった老婆の葬式が行われた。
村人は嘆き悲しむ代わりに、良い人生を最後まで送ったことを喜び祝い行進するのであった。

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤字はデンマンが強調

『性愛の未来(2011年3月27日)』に掲載

最後の「水車のある村」のエピソードで103歳の老人を演じていた笠智衆(りゅうちしゅう)さんが言ってましたよ。

「人は年を取ると、この世に未練がないような事を言うが、

それは見せかけじゃよ。

誰もが長生きしたいものじゃ。

生きるということはいいもんじゃよ」

臨終の床に就いた親鸞上人も本音はまだ生きたかったとデンマンさんは考えているのですか?

そうですよ。 そこに建前と見せかけを感じましたね。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
そのようなものでござ~♪~ましょうか?
あたくしは根が楽天的なのか?
未だに死ぬ事を身近なものとして感じたことは一度もないのですわ。
幸せなのかもしれません?
もしかすると、ノー天気なのかもしれませんわ。
おほほほほほ。。。

とにかく次回も面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

『夢』は楽しい映画でしたわ。

わたしは「鴉(カラス)」のエピソードが

一番気に入りました。

美術館で主人公が、あの有名な

「吊り橋」の絵をみているのです。

やがて、その絵の中に主人公が入ってゆくのです。

川で洗濯しているフランス人の女性が

活き活きと動き始めます。

「絵描きのゴッホ先生はどこにいるのでしょうか?」

「ああ。。。あの人ならばさっき畑の方に歩いてゆきましたよ。

でもねぇ、ちょっとオツムがいかれているから気をつけてね」

女たちが笑い転げます。

ゴッホは「カラスのいる麦畑」に居ました。

ショパン「雨だれの前奏曲」が流れているのが

印象的でした。

黒澤監督の映画もいいですけれど、

わたしは寅さんの映画が好きですわ。

嫌いな人に言わせると、

“あんなワンパターンの映画のどこがいいの?”

と言います。

でも、そのリフレーンがいいのですよね。

歌でも同じ言葉やリズムの繰り返しが

イヤではなく、むしろ快く響く事ってありますよね。

寅さん映画のテーマの繰り返しは

例えて言えば、歌のリフレーンのように快く響きます。

基本的には人情喜劇なんですよね。

寅さんという「非日常」を登場させることによって、

社会や家庭、人間が持っている普遍的な悩みを

浮き彫りにさせ、家族のあり方や人間の生き方を

考えさせてくれるのですよね。

そう思いませんか?

自分の恋は成就しなくとも、

結果的に周りを幸せにする寅さんは、

ピエロとして描かれています。

寅さんという自由人は、

平凡な人にも幸せな気分を味合わせてくれるような

化学で言う“触媒(しょくばい)”ですよね。

自分は変わらないのに相手が変わって行く

“幸せの触媒”です。

ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

国民不在

2010年1月24日

 

国民不在

 


(ran02.jpg)


(rashomon42.gif)


(sayuri2.gif)

件名:忙しい中 ありがとうございます

差出人: “domini@yahoo.co.jp”
受取人: “green@infoseek.jp”
日付: 2010/01/15 19:30

忙しい中 ありがとうございます。
後で電話します。

ところで 私がバーナビーの“鹿の湖(Deer Lake)”の湖畔で
「山の家」を借りていた頃に TD銀行に貯金していました。
利子を受け取ったのですが 10%の税金をカナダ政府に払いました。
日本では その利子に対して 20%の税金を取られました。

これって 国際的に見て
ちょっと不公平ではないでしょうか?

昨日 たまたま毎日新聞を読んでいたら 次のような記事に出くわしました。

ハイチ大地震:

各国、支援急ぐ 米は空母を派遣


(haiti3.jpg)

【ワシントン小松健一、ヒマニ(ドミニカ共和国)庭田学】

大地震の発生から一夜明けたハイチでは、時間を追うごとに甚大な被害状況が明らかになりつつある。
地元の救急医療体制がほぼ壊滅状態とみられる中、米欧各国や国際機関、非政府組織(NGO)などは現地での緊急援助活動を急いでいる。

オバマ米大統領は13日、「迅速で組織的かつ積極果敢な救援活動にあたるよう政府に指示した」と述べ、行方不明者の救出活動と緊急支援に取り組む姿勢を強調。
災害救援チームに加え、米空母を現地へ差し向けるとともに、海兵隊の現地派遣も検討するなど、04年のインド洋大津波以来の大規模な支援に乗り出した。

ハイチには約4万5000人の米国人が滞在し、負傷したり連絡の取れない米国人が多数いる模様だ。
オバマ大統領は「生存者を救い、惨事を拡大させないために最初の数時間、数日が決定的に重要だ」と語った。

米政府によると、ハイチの空港滑走路は使用可能だが、管制機能がダウンしているため、救援機を多数受け入れることが難しい。
このため、カリブ海や中南米を所管する米南方軍のフレーザー司令官は13日、管制機能などインフラ復旧を支援するとともに、空母「カールビンソン」にヘリコプターを積載し、14日から現地で空輸支援にあたる方針を明らかにした。

また、国連平和維持活動のハイチ安定化派遣団(約9000人)本部が壊滅状態になったことを受け、フレーザー司令官は治安状況について「相当な懸念がある」と指摘。
救援と治安維持を目的に2000人規模の海兵隊派遣を検討していることを明らかにした。

一方、AP通信によると、米赤十字社の報道担当者は「現地にある(米赤十字社の)医療品は底をついた。
新たな物資を送っているが、到着がいつになるかは分からない」と述べた。
また、町のいたる場所に積み上げられている遺体の処理が問題となっており、世界保健機関(WHO)は遺体撤去のため専門家を派遣。
国際赤十字社は遺体袋を積載した飛行機を出発させた。


(canadafg.gif)

ハイチの旧宗主国フランスは13日、がれき撤去の専門家65人と行方不明者の捜索犬6頭を派遣。
カナダ軍の偵察部隊やイスラエル軍の救援部隊、アイスランドなどの捜索救援隊も派遣された。
キューバは、既存のハイチ国内の野戦病院でこれまでに数百人の被災者の治療にあたったことを明らかにし、「国境なき医師団」は被害を受けた病院の近くにテントを張り、数百人を治療したという。

毎日新聞 2010年1月14日 東京夕刊

カナダの銀行に貯金して その利子に対して
私は10%の税金を カナダ政府に払いました。
日本の税務署は その利子に対して 20%も税金を取ったのです。

上の新聞を読むと カナダ政府は ハイチ地震の救済にと
偵察部隊を派遣しています。


(hanshin2.jpg)

日本は地震国なのにもかかわらず
しかも 阪神淡路大震災の時には 海外からの援助をたくさん受けたにもかかわらず
ハイチ地震の被害者に 日本政府は 迅速な援助の手を差し伸べていないのです。

日本は ハイチ から遠い国かもしれません。
でも、 それならば イスラエルだって アイスランドだって
ハイチから遠い国です。

日本にあるのではない カナダの銀行の利子に対して
日本の税務署は カナダの2倍の税金を取っておきながら
ハイチ地震の被害者には 日本政府は無関心としか思われません。

日本政府は そういう意味で 国際的に きわめて自分勝手だと思い
私は かなり ムカついています。
デンマンさんは どう思われますか?


(angry13.gif)

かなり ムカついている さゆりより


(laughx.gif)


(foolw.gif)

Subj:はい。。。ムカつかないように

頑張ってね。

Date: 15/01/2010 1:02:54 PM
Pacific Standard Time
(日本時間:1月16日土曜日午前6時2分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com

小百合さんがムカつく気持ちを僕は充分に理解できますよう。
小百合さんの立場なら、僕は鳩山首相に苦情の手紙を書きます。

日本は確かに国際的に身勝手だと思いますよう。
小百合さんのような善良な日本市民がカナダの銀行に貯金した利子に対して
日本はカナダの2倍の税金を取る。

ハイチ地震に対してカナダ政府は迅速な援助の手を差し伸べた。
しかし、日本政府は、新聞を読む限り、ハイチ地震の被害者に対して無関心のように見えます。

確かに、小百合さんが指摘したように、阪神淡路大地震の時には、海外からのたくさんの支援を日本は受けたのでした。
地震国にもかかわらず、今回、ハイチ地震の被害者に対して支援が遅れていることは、確かに、日本が国際的には、非常に身勝手だという印象を与えますよね。
だから、小百合さんがムカつくのも良く分かります。

考えてみると、今の日本の政治家は自分の事しか考えていないのですよう。
民主党幹事長の小沢さんを見ていると、日本の政治家の体質が実に良く分かります。

1に選挙! 2に選挙! 3に選挙!

。。。ですからね。
選挙に勝つためならば何でもするのですよう。

でも、ハイチ地震の被害者に救援の手を差し伸べても、選挙に勝つことに直接つながらないので、無視されてしまうのでしょう!?
とにかく、日本の政治家は国際的に見ると、マジで片田舎の村会議員とほとんど変わりがありません。
実に哀れむべきことです。

だから、小百合さんもムカつかないでください。
ムカつくだけ損です。

ムカついてきたら、僕のようにブログに記事を書いて憂さを晴らしてくださいね。
いや。。。憂さを晴らすと言うよりも、日本が素晴らし国になるように、小百合さんもブログを作って批判してくださいね。

とにかく、ムカついたら、僕のブログを読んでね。
気持ちが治(おさ)まるはずですよう。

『Denman Blog』
https://denman705.wordpress.com/

これは最近作ったブログです。

『ゼリーフライと黒い霧』
https://denman705.wordpress.com/zenifry/

これはゼリーフライの記事です。
行田市の第2回B級グルメ大会のことも書いてあります。


(poster10.jpg)

これを読めば、ムカついた小百合さんの気持ちも治まるでしょう。
なぜなら、小百合さんの好きなゼリーフライが出てきます。


(zenifry3.gif)

バンクーバーは今朝も小雨が降って、今は、ちょっと止んだようです。
なんとなくジメジメしています。

バンクーバー冬季オリンピックまで、あと28日だとラジオが言ってます。
じゃあね。元気で頑張ってね。


(denman01.gif)


『ハイチ地震 (2010年1月18日)』より


(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。今日は18日の記事に引き続いてハイチ地震のことでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

いや。。。ハイチ地震のニュースは世界を走りましたからね。もう充分だと思うのですよう。それよりも僕は日本の政治の方が気になるのですよう。

小百合さんも、ずいぶんと不満げですわね?

そうですよう。。。小百合さんの身になって考えれば、確かに不満を感じるでしょうね。。。で、卑弥子さんは日本の政治に不満は無いのですか?

あたくしは源氏物語の研究に忙しくて、とても日本の政治の事まで頭が回らないのでござ~♪~ますわ。おほほほほほ。。。

やだなあああァ~。。。まるで自分が住んでない他国の政治について話しているようですねぇ~?

だってぇ~。。。ほとんどの日本人は、政治の事など、どうでもよいと思っていますわよう。誰が首相になっても、日本はこれ以上良くならないだろうと諦めきっている人がほとんどでござ~♪~ますわァ。

卑弥子さん。。。!それわねぇ~、卑弥子さんの極めて個人的な意見なのですよう。。。それを、日本人全体に当てはめようとするような言い方は偏見だとしか僕には見えませんね。。。

あらっ。。。デンマンさんはカナダ生活が長いので日本の現状について、全くご存知ではないのですわね?

あのねぇ~、国際化、グローバル化の時代ですよう。。。たとえ日本に住んでいなくても、日本の情報など、ネットにアクセスすれば、いくらでもゲットする事ができるのですよう。

だったら、お伺いいたしますが、日本にはアメリカの大統領が誰になるかと関心を持ってテレビの報道ニュースを見る人は、結構たくさん居るのでござ~♪~ますわ。でも、誰が日本の首相になるか?好奇心を持ってテレビを見る人が日本人の中で、いったいどれほど居るのか?デンマンさんは考えてみた事がござ~♪~ますか?

うん、うん、うん。。。確かに、日本人にとって、誰が首相になるのか?党関係者以外は、全く他人事で関心の無い人が多いでしょうね。アメリカ大統領選挙は国民投票の結果決まるけれど、日本の首相は国民投票の結果選ばれるわけじゃないからね。

そうでしょう!。。。政治のシステムからして、日本人は政治に対して無関心になるようにできているのでござ~♪~ますわ。

卑弥子さんも、見かけによらずに結構、政治に関心があるのではないですかァ~!?

そうでござ~♪~ますわ。。。おほほほほほ。。。でも、首相を国民投票で選ばないので、あたくしにとって、日本の政治はつまらないのでござ~♪~ますわ。。。んで、デンマンさんは、どうして黒澤明監督の映画の『乱』のポスターと羅生門の写真をこのページのトップに貼り付けたのでござ~♪~ますか?

実は、僕は去年の11月、日本に帰省していた時に、大変興味深いテレビ番組を見たのですよう。

日本の政治についての番組でござ~♪~ますか?

そうなのですよう。番組のタイトルを見たら、見ないでは居られないほど興味を引かれて3夜連続で見ましたよう。

それは、どのような番組だったのでござ~♪~ますか?

僕の他にも、たくさんの人が見たと思うけれど、まだ見たことがない人のために概要を書きだしますよう。

証言ドキュメント

永田町・権力の興亡

第1回 1993~1995

“政権交代” 誕生と崩壊の舞台裏

2009年11月1日(日) 午後9時00分~10時08分 総合テレビ

国民のためという目的を持って政権を変える…それ自体が権力闘争であり政局だ――」。
自民党を飛び出して16年。
幾多の権力闘争の末、ついに政権交代を果たした民主党幹事長・小沢一郎は、NHKの単独インタビューでこう語った。

16年前――。1993年6月18日、宮沢内閣への不信任決議。それに続く自民党の分裂。
自民党を飛び出した男たちと、とどまった男たちの、政権を巡る長い戦いの始まりだった。

冷戦終結、グローバル化の嵐、〝一流国〟からの転落・・・。
時代が、世界が、日本が、激変したこの16年。
私たちは何を選び、何が失われてきたのか?
「55年体制」に代わる「新たな政治」模索の道のり。
権力を巡る攻防のドラマを、中枢にいた20人を越える政治家たちの生々しい証言で綴(つづ)る。

3回シリーズの第1回は、原点である「16年前の政権交代」。
小沢一郎が仕掛けた細川政権成立のドラマ。
短命に終わった〝ガラス細工の政権〟の内実。
そして自民党・執念の政権奪還劇…。道のりの始点、10か月の政権攻防に迫る。

出典:
http://www.nhk.or.jp/special/onair/091101.html


第2回 1996~2000

漂流5年 “数”をめぐる攻防

2009年11月2日(月) 午後10時00分~10時49分 総合テレビ

55年体制で対決してきた、社会党の委員長を総理に擁立することで政権を奪還した自民党。
10か月の野党体験は、「与党であり続けること」の重みを自民党に刻みつけた。
一方、自ら作った細川政権が、1年足らずで崩壊してしまった小沢一郎。
今度は野党を結集して「新進党」を結成。
二大政党制、そして政権交代を目指した。

戦後システムの制度疲労、押し寄せるグローバル化の波。
日本社会が激震に見舞われる中、過半数の安定政権は生まれず、自民党と小沢の対決は〝数を巡る攻防〟になっていった。

自民党で先陣に立ったのは、かつて小沢がいた「経世会」の、新たな実力者・野中広務。
数の確保を狙う「引き抜き工作」。
互いに思惑を秘めた「自自連立」。
攻守様々に入れ替わる駆け引きは、激しさを増していった。
混迷する政局の果て、自民党で起きたのは「五人組の密室劇」、そして「加藤の乱」。いま証言で初めて明かされるその内実と秘話とは?

閉塞感が日本を覆っていた90年代後半、水面下で繰り広げられていた知られざる攻防に迫る。

出典:
http://www.nhk.or.jp/special/onair/091102.html


第3回 2001~2009

小泉 そして 小沢 “民意”をめぐる攻防

2009年11月3日(火) 午後10時00分~10時58分 総合テレビ

「失われた10年」と呼ばれる長い停滞。〝一流国〟からの転落。そして〝政治の漂流〟…。
閉塞感を打ち破るように登場したのが、自民党の異端・小泉純一郎だった。国民の熱狂的支持を背に〝古い自民党〟を次々と壊していった。

一方、細川政権の崩壊、新進党の分裂を経て、30名に満たない自由党を率いるようになっていた小沢。
小泉旋風の凄まじさを前に、三度目の大勝負-民主党との合併に出る。
そこには、政権交代を目指す小沢のしたたかな戦略があった。

熱狂に支えられた小泉が真に壊したものとは何か?
瀬戸際から政権交代の実現にまで持ち込んだ小沢の政治決断とは?
稀代の二人の政治家の深層に迫る。

日本政治16年を証言で綴るシリーズ最終回。
55年体制終焉(えん)後の16年とは何だったのか?
今回の政権交代とは何なのか?
小選挙区制で変質した永田町政治の攻防とは?


出典:
http://www.nhk.or.jp/special/onair/091103.html

このテレビ番組と黒澤明監督の映画の『乱』のポスターと羅生門の写真が、どのように関係しているのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、民主党の幹事長の小沢さんは次のように言ったのですよう。

国民のためという目的を持って

政権を変える…それ自体が

権力闘争であり政局だ――」

この言葉が、どうだとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、“国民のため”と言う政治家がたくさん居るけれど、建前で言っている人がほとんどなのですよう。

実際には、自分が選挙で勝つ事だけを考えているとデンマンさんは信じているのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

。。。んで、小沢幹事長が“国民のため”と言った事がデンマンさんにとって、とっても印象的だったのでござ~♪~ますか?

小沢さんが“国民のため”と言った時に、これほど白々しく響いた言葉も無かった。

どうして。。。?

小沢さんの政治目標は次のスローガンで言い切れる。

1に選挙! 2に選挙! 3に選挙!

上のテレビ番組を見終わって僕は小沢さんという人の本質を見たと思ったのですよう。

その本質とは。。。?

小沢さんにとって政治とは。。。

それは、どういうものでござ~♪~ますか?

政治家による政治家のための政治家の政治

つまり、国民不在の政治でござ~♪~ますか?

そうですよう。一言で言えば、小沢さんがやっている政治と言うのは国民不在の政治です。平安時代の庶民不在の政治とそれ程変わりが無いのですよう。

平安時代は、

決して平安ではなかった

New Rashomon (rashomon12.jpg)
(rashomon12.jpg)

黒澤明監督の、『羅生門』という映画を見たことがあるでしょうか?
原作は芥川龍之介の短編小説「藪の中」です。
戦禍に荒れ果て、疫病が流行し、天災が続いた平安時代の話しです。

先ず画面に現れるのは、激しい夕立の中、壊れかけた羅生門の下で杣売りと旅法師が雨宿りをしながら考え込んでいます。
羅生門というのは、都の正門ですから、完成したときの姿は上の写真に見るような豪華なものだったはずです。

しかし、今、言ったように、「平安」時代でありながら、現実は、庶民にとって、ずいぶんときびしい時代だったようです。
というのは、映画の中では、羅生門が、下に示すような無残な姿で現れるからです。

The ruined Rashomon (rashomon42.gif)

破れ羅生門の下で雨宿りしている二人のところへ、みすぼらしい浮浪者みたいな男が駆け込んできます。押し黙る二人、どうかしたのかと、その訳を聞きます。
二人は三日前におきた恐ろしくも不思議な話を語り始めるのです。

都のはずれで起きた殺人事件について、犯人の男、犯された女、殺された男(霊媒を通して語る)、事件を目撃した木樵がそれぞれ証言するのですが、どの話もすべて食い違うというミステリーです。
最後の最後まで事件の真相が明らかにならないことが、当時の観客や批評家には難解でした。
製作した映画会社内でも不評で、担当者は更迭されたということです。

黒澤明監督は苦境に立たされたわけですが、ヴェネチア映画祭グランプリ受賞で大逆転。
今では戦後日本映画史を代表する作品のひとつになっているわけです。
面白く(もちろん、ゲラゲラと笑うような面白さではありません)、しかも見ごたえのある映画です。見たことのない人には、ぜひ見ることを薦めます。

話がちょっとばかり、横道へそれました。
なぜ羅生門を持ち出したのか?
それは、この当時の庶民の生活と、藤原氏の生活を比べるためです。
庶民は、といえば、こういう破れ羅生門と隣りあわせに生活していたわけです。

しかし、よーく考えてみてください。
この羅生門というのは都の正門ですよ。
今なら、さしずめ東京駅か、成田国際空港でしょう。
それがもう、上の写真で見るようにボロボロです。

もちろん藤原氏が政権を握っています。
これは、戦国時代の話ではありません。
この当時、誰が政権を握っていたかというと、藤原道長の息子である藤原頼道(よりみち)です。

ところが、夜盗が、昼間から横行し、人殺し、追いはぎ、そういったものは、もう日常茶飯事です。
そこで、問題になるのが、藤原氏はどんな生活を送っていたのかということです。
この時代には、末法(まっぽう)思想が、流行歌のようにはやっていました。

要するに、この世が終わりに近づいているという考えです。
その終わりが1052年(永承7)となっていました。
そこで、藤原頼道(よりみち)は次に示すような別荘を作りました。

Byoudoin Phoenix Hall (byoudoin.jpg)
(byoudoin.jpg)

どこかで見たことがあるでしょう?
そうです。10円玉の裏に描かれている。
平等院鳳凰堂です。
要するに、世界の終わりが近づいてきたものだから、敷地内に阿弥陀(あみだ)堂を造ります。

阿弥陀堂とは何か?
それは阿弥陀如来(あみだにょらい)を奉るお堂ということです。
阿弥陀さんは、西方の極楽浄土に住んでいる教主です。
建物の形が鳳凰、つまり不死鳥(Phoenix)に似ているところから、そう呼ばれますが正式には平等院阿弥陀堂と呼ぶそうです。

つまり、都の正門がボロボロだろうが、火事で燃えて無くなろうが,そんな事は藤原氏にとっては、どうでもいいわけです。
自分だけが阿弥陀さんのそばにいれば、庶民がどうなろうと知った事ではないと思っていたわけです。

この当時は検非違使(けびいし)という現在の警察にあたるものはありましたが、正式には、法律に定められていない組織でした。
それで、都といえども、警察などあってもないようなもので、無政府状態だったわけです。
そんなわけで、人殺し、盗みはしたい放題といった状態です。
今の感覚からすれば、もうむちゃくちゃです。

これが、藤原政権のやっていることです。
要するに、庶民の事など、虫けらも同然のように考えているわけで、まともな政治なんてやっていません
平安時代というと、いかにも優雅で、雅やかな、なんとなく源氏物語絵巻などが、イメージとして浮かんできますが、とんでもない話です。
おそらくそれは、藤原氏の、ごく一部の生活模様だったでしょう。


『平安時代は決して平安ではなかった』より

これは歴史馬鹿のデンマンさんが書いたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。良く書けているでしょう?うへへへへ。。。

でも、現在の政治は、これほどひどくは無いと思いますわ。

しかし、本質は国民不在の政治なのですよう。平安時代の庶民不在の政治と、それ程変わりがないのですよう。

その根拠でもあるのでござ~♪~ますか?

ありますよう。鳩山内閣がスタートした頃の鳩山さんの所信表明を読んでみてください。

“国敗れて山河あり!”

 


(kuge01.jpg)

富士山はいいね。
やっぱり日本の自然は素晴らしい。
日本の政治が駄目でも、日本は僕のふるさとですからね。
ふるさとは、やっぱり素晴らしい。
この素晴らしさだけは、政治が駄目でも存続してほしい。

残念ながら、現在の日本は歪(ゆが)められ、病(や)んでいる。
テレビを見ていても悲惨なニュースは後を絶ってないよね!

自殺者は1年に3万人以上!

平成20年の自殺者は、

3万2249人と11年連続で

3万人を超えた。


(lonely30.gif)

10月19日には、18歳の少女がヨットスクールの屋上から飛び降り自殺した。
派遣切りに合い、仕事がなくなって、生活保護も受けられず
30代の男が一人さびしく餓死をした。

この男のことを10月8日にNHKの「クローズアップ現代」が取り上げていましたよう。
「“助けて”と言えない~いま30代に何が」
見ていて本当に悲惨な事件だと思いましたね。
働き盛りの30代が餓死している現状。

昨日(10月26日)の鳩山首相の所信表明演説の中でも、若者の自殺について触れていた。
首相が8月に衆院選の応援演説で青森県を訪問した時、職に就けずに息子が自殺した老母から
「毎年3万人以上の命が絶たれているのに政治には実感が乏しい」
と訴えられたエピソードを鳩山さんは紹介していました。

所信表明演説の中で鳩山さんは次のように言ったのでした。


(hatoyam2.jpg)

おばあさんのその手の感触。その目の中の悲しみ。
私には忘れることができないし、断じて忘れてはならない。

(中略)

『最も大切なこと』をおろそかにし続けた政治と
行政への痛烈な批判。その声に謙虚に耳を傾ける」

うん、うん、うん。。。
鳩山さんの所信表明演説は実に素晴らしかった。マジで。。。
友愛政治。
弱い者・少数派のための政治。
人間のための経済。
政治主導。
国民が主役の政治。

確かに鳩山さんが言う政治理念は素晴らしい!
よい事尽くし!
もし実現したら素晴らしい日本が出来上がるでしょう!

でもねぇ、現在、それは絵に描いたモチでしかない!
実績が出ていない事を紙の上で作文して読み上げているに過ぎない!
誰にだって同じような事を言うことができる。

“政治は可能性のアート”だとビスマルクは言ったらしい。
つまり、“絵に描いたモチ”だけを並べても駄目だと言う事ですよう。
何をどのようにするのか?
具体的な政策は何なのか?
そこまで突っ込んで話せば、説得力があった。

でも、現在の民主党政権は理念に先走って、現実の政策が地に着いてない。
浮き足立っている。


(hata5.gif)

 

“無血の平成維新”

 

鳩山さんは、そう言ったけれど、やっていることを見ると“無血の平成維新”から程遠い!

なぜ?

亀井人事を見ればすぐ分かる!
民主党は『官僚の天下り・渡り禁止』と常々言っていた。
それなのに元大蔵官僚の斉藤氏を日本郵政新社長に起用したのですよう
確かに斎藤氏は官僚出身でも、民間で14年間働いていた事になっている。
しかし、今回の選挙で民主党が選ばれたのは、自民党の愚かな政治のやり方にうんざりしたから国民は民主党に期待した。
もともと亀井さんは新政府にお呼びではない人なのですよう。

どうして?

国民は民主党に期待を寄せたのです。
国民新党など“屁のツッパリにもならない”と国民は判断したのですよう。
要するに、日本国民は亀井さんの入閣などまったく期待もしていない。望んでもいないのですよう!

国民が主役の政治になってない!

亀井さんが入閣したことは日本の政治が国民の総意ではなく民主党のエゴに基づいて行われている事の証拠なんですよう。
つまり、民主党に“無血の平成維新”を決行する人が居ないことの証拠ですよう。

民主党に人が居ないから亀井さんを民主党のエゴで担(かつ)ぎ出す。
国民から期待されたわけでもない。
もともと素晴らしいビジョンを持っていない亀井さんだから、人材を発掘しようともしなければ、そのような素晴らしい民間の人材とのつながりも持っていない。
それで、旧官僚の斉藤さんを選んだ。

民主党のエゴです。

(小沢さんのエゴです!)

国民の総意を無視した人事に

なってしまっているのですよう。

2009年衆議院選挙結果


(senkyo10.jpg)

自民党があまりにも馬鹿な事をやり過ぎたから、日本国民は頭に来て反対党の筆頭である民主党に票を入れた。
このことを謙虚に受け止めている民主党議員がほとんど居ない!
それで、国民新党から国民がまったく期待もしていない亀井さんを民主党政府に大臣として迎える。

国民の気持ちを無視したやり方ですよう。

つまり、民主党の体質は

自民党と大きく変わってない!

このままのやり方を続けていたら、

また国民は民主党政権に頭にきて、

絶望的に政治から

離れてゆくかもしれない。

いづれにしても、日本の政治は暗い。民主党にも人が居ないのですよう。
この事実を明確に曝(さら)け出したのが今回の亀井人事です。

民主党政権は“コンクリートから人へ”と言っているけれど、
言っているだけ!
日本の未来を本当に素晴らしい国にしようとするビジョンを持った政治家が居ない!

ビジョンを持たないグータラな世襲の政治屋のために貴重な小百合さんの人生、家族の生活を無駄にすることはないのですよう。
いつまでも日本の駄目な政治家が国民のためではなく自分たち(政治家)のための政治をしているならば、日本に留まることはないのですよう。
世界に羽ばたく。
そういう選択もあるのです。
そして海外から日本を良くする選択だってある!

戦後の復興を立ち上げた政治家が今は居ない!
ビジョンを持たず日本を悪くする政治屋だけが馬鹿なことをやっている。
しみじみと、そう感じるこの頃です。

でも、今日もウィンナコーヒーを飲みながら
のんびりと楽しんで書いていますよう。


(daibuts85.jpg)

小百合さんと再会して幸せを噛み締めています。

ヽ(´ー`)ノ きゃはははは。。。

ありがとう。

じゃあね。

(V__/)
(+’.’+)
(“)_(“)


(denman01.gif)


『久下橋からの富士山(2009年10月29日)』より


(himiko22b.gif)

これが証拠なのでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

あのねぇ~、国民の意思を無視したやり方は、すでに去年の10月頃から明るみに出ていた。

具体的には。。。?

だいたい、亀井さんを大臣として招いたあたりは、国民の意思を無視している。国民新党の党首は落選しているのですよう。その党から内閣の大臣として亀井さんを引っ張り出すというのは、全く国民の意思を無視したやり方ですよう。

なぜそのような愚かな事をするのでござ~♪~ますか?

小沢さんの権力闘争のための政略なのですよう。国民の事など考えた人事じゃない!民主党のための人事ですよう。

マジで。。。?

だから、その反動はすでに出ている。

何ですか?。。。その反動と言うのは。。。?

国民の期待を民主党は裏切ったのですよう。

だから。。。?

だから民主党の支持率が急激に下がっている!

マジで。。。?

次の記事を読んでみてください。

支持率の急降下止まらぬ鳩山内閣

国民が望むのは「小沢幹事長の辞職」か?

2010年01月21日

1月18日、通常国会が開会したが、それに臨む鳩山由紀夫内閣の支持率の急降下は止まらない。

16、17日の朝日新聞の調査では、支持率42%、不支持率41%とほぼ並んでいる。
しかし、同時期の共同通信の調査では、支持率(41.5%)を不支持率(44.1%)がついに逆転した

下落の速度は麻生太郎内閣とそれほど違わない。

注意しなければならないのは、麻生内閣と鳩山内閣の違いである。

麻生内閣は、総選挙によって有権者の信託を受けたわけではない。
安倍晋三、福田康夫両内閣と同じように、“郵政選挙”の大勝を政権基盤としてきたから、有権者の側からすれば「自分で選んだ政権」という実感は乏しい。

ところが、有権者は、総選挙で民主党が勝てば、鳩山内閣が成立することを承知していた。
言わば、「自分が選んだ政権」「自分が選んだ首相」という気持ちが強いのだ。

だから多くの有権者は、現内閣について「自分が選んだ責任」を感じてしまう。
そうすると内閣を見限ることに慎重になり、ひたすら我慢をして好転することを期待する傾向がある。

こんな事情を差し引いて考えると、内閣支持率の急落は、麻生内閣の場合よりももっと激しいのではないか

不支持率の理由は重層的だ。

(1)鳩山首相の失言と不決断、
(2)鳩山首相と小沢一郎幹事長の「政治とカネ」の問題、
(3)重要公約(特に官僚改革)の不履行、
(4)政治と経済が目指す方向のあいまいさ、などが指摘できる。


出典: ダイヤモンド・オンライン

日本国民は、愚かな政治家たちが思っているほど愚かではないと言うことでござ~♪~ますか?

その通りですよう。日本の現在の庶民は平安時代の愚民ではありません。

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~♪~。。。
そうでござ~♪~ますわよねぇ。

あたくしたち日本国民を平安時代のような何も知らない庶民だと思って見下していると、その仕打ちが次の選挙に出てくるのですわ。
でも、民主党が駄目で、自民党がダメだとなると、いったいどこの政党に票を入れれば良いのでござ~♪~ましょうか?

まったく、日本の将来が不安で、心配になってきますわ。
源氏物語の研究どころではないですわよう。んもお~~。

とにかく、あさっては、もう少し突っ込んだお話をしようと思いますわ。
だから、あなたも、また明日読みに戻ってきてくださいねぇ。
では。。。


(smilerol.gif)

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こんにちは。ジューンです。

証言ドキュメント

永田町・権力の興亡

第1回 1993~1995

“政権交代” 誕生と崩壊の舞台裏

実は、わたしも上の番組を

デンマンさんが録画したDVDで観たのですわ。

日本語がネイティブではないわたしには

内容が難しすぎて

よく理解できなかったのですけれど、

印象に残ったのは

細川・元首相がロクロを回しながら

茶器を作っていたのです。

やはり日本的だと思いました。

アメリカの大統領やカナダの首相には

引退したあとでロクロを回すなんて

とても考える事などできないと思います。

「枯淡の境地」

ロクロを回して茶器を作っている

細川・元首相の姿を見ながら

そのような日本的な境地を

感じたものでした。


(yokan.jpg)

ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』


(laugh16.gif)

■ 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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