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文学と歴史とウソ

2017年5月31日

 

文学と歴史とウソ

 


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白拍子というのは、平安時代後期に活躍した、
一口で分かりやすく申し上げるならば、
芸者のような者でござ~♪~ますわ。


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このように白の水干(すいかん)に
立烏帽子(たてえぼし)、白鞘巻(しろさやまき)という男装で
「今様」と呼ばれる歌を謡(うた)いながら、
男舞と呼ばれる舞を舞うのでござ~♪~ます。

白拍子であった祗王(ぎおう)は、
時の権力者・平清盛の寵愛を受け、
彼の館で幸せに暮らしておりました。

あるとき、清盛に歌舞を披露したいという
別の白拍子が現れたのです。
その者が仏御前だったのですわ。

ただの白拍子に過ぎない仏御前を清盛は追い返そうとしました。
でも、遠路はるばるやってきた彼女を見かねて、
心の優しい祗王がとりなしたのでござ~♪~ますわ。

それで、仏御前は清盛に舞を見せることになりました。
しかし、これを見た清盛は心を奪われ、
仏御前を寵愛するようになってしまったのでござ~♪~ます。

皮肉なものでござ~♪~ますわねぇ~。
男と言うのは本当に浮気なものでござ~♪~ますわ。
祗王の座を奪う気持ちのない仏御前は辞退しようとしました。

しかし、それに気づいた清盛は、
邪魔な祗王を追放してしまったのですわ。
本当に悲しい事でござ~♪~ますゥ。


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萌え出づるも

枯るるも同じ

野辺の花

いづれか秋に

あわではづべき

館を出る祗王がせめてもの忘れ形見にと
詠んだ句でござ~♪~ます。

さらに翌春、清盛は退屈している仏御前を慰めるためといって、
祗王に仏御前の前で舞を披露することを強要したのです。
祗王は、あまりの屈辱に死を決意するのでござ~♪~ました。

しかし、五逆罪になることを母親が説き、
やむなく祗王は清盛の館へ向かうのです。


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仏もむかしは凡夫なり

われらも遂には仏なり

いずれも仏性具せる身を

隔つるのみこそ悲しけれ

このように謡(うた)いながら舞い踊り、
諸臣の涙を誘ったのでござ~♪~ます。

祗王は都に居れば、
また同じような思いをしなければならないと、
母、妹と共に尼となり、嵯峨の山里で仏門に入るのでした。

当時、祗王21歳、妹の祇女は19歳、
母の刀自(とじ)は45歳でござ~♪~ました。

ところが、ある秋の夕べ、仏御前は祗王の元を訪れたのです。
なぜ。。。? どうした事でござ~♪~ましょうか?


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実は、祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、
仏御前は、清盛の館を抜け出して
尼となっていたのでござ~♪~ます。

それからのち、祗王一家と仏御前は、余念無く仏道に励み、
みな往生の本懐を遂げたのでござ~♪~ます。

小百合さん、いかがでござ~♪~ますか?
女の身として涙なくしては読めないですよね。
おほほほほ。。。


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それにしても、祗王寺のお庭は
苔がとっても美しいですことォ~。。。
見とれてしまいますわぁ~。

あああぁ~。。。デンマンさんとご一緒に見たいわぁ。。。
うしししし。。。

 


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『愛憎と苔寺』より
(2008年10月7日)

デンマンさん。。。 どういうわけで、白拍子の祗王と平清盛のお話を持ち出してきたのでござ~ますかァ?

“文学と歴史とウソ”について卑弥子さんと語り合うためですよ。。。

つまり、上のお話の中にウソがある、とデンマンさんは主張するのですか?

ウソだと断定できないかもしれないけれど、『平家物語』をじっくり読むと、どうやら仏御前の話は清盛さんを貶(おとし)めるための創作だという気がしてきたのですよ。

清盛さんを貶(おとし)めるための創作。。。?

そうですよ。

でも。。。 でも。。。 どうして清盛さんを貶(おとし)める必要があるのでござ~ますか?

あのねぇ~。。。、平清盛は日本史上「悪者」として評価され続けてきたのですよ。 たとえば、あの有名な道鏡もそうですよ。 だから道鏡などは未だにエロい冗談が巷の間で次のように囁(ささや)かれている。


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つまり、清盛さんも日本史の時間に悪者として教えられたのでエロい話がたくさんあるとデンマンさんは言うのですか?

そうですよ。

でも、誰がそのように清盛さんを貶めたのですか?

もちろん、平家を滅ぼした源氏ですよ。 源氏は正義の味方として悪者の平清盛とその一族を滅ぼしたということを宣伝したのですよ。 歴史では何度も繰り返されてきたことです。 つまり、勝てば官軍なのですよ。

でも、清盛さんを貶めるために仏御前が利用されたのでござ~ますか?

僕は『平家物語』の「祗王」を何度も繰り返して読んでみて、その思いを強くしたのです。

それは、いったいどこでござ~ますか?

次の箇所を読んでみて下さい。


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また京都に白拍子の名手がひとり現れた。
加賀の国(石川県南部)の生まれ、名を仏という。
歳は16とのことである。
京都の人は、上も下も、昔から多くの白拍子は見たが、これほど上手な舞は見たことがないと、しきりにもてはやす。

ある時、仏御前は、
「わたしは、世にもてはやされてはいるが、当世栄(は)えめでたき平家太政(だいじょう)の入道清盛公に召されぬことばかりが心のこり。
遊び女のならいなれば、かまわぬはず。
こちらより、おしかけてみようか」
とある時自分から、西八条の清盛の邸へ伺った。

取り次ぎの者が、「いまは都に名の聞こえた仏御前が参りました」と言上すると、清盛は気色をそこねて、
「なんと、そのような遊び女は、人に召されてくるものだ。
かってに推参(すいざん)する法があるか。
神であろうと、仏であろうと、祗王のおるところへは参ってはならぬ。
早々に追い払え」
と言う。

仏御前はすげないその言葉に、やむなく帰りかけたが、その時、祗王が清盛公に、
「遊び女が自分から参りましたのは、世の常のならわし、それもまだ年端(としは)のゆかぬ者、たまたま思い立って参りましたものを、すげなく申されて帰すのはふびんでございます。
いかばかりはずかしいことか、はた目にも気の毒です」

(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)


31-32ページ 『平家物語(上)』
2004年10月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社

今で言えば仏御前はこの時、満15歳ですよ。

そうですわねぇ~、 昔は歳は数(かぞ)えでしたから。。。

仏御前が清盛の屋敷に行ったのは、ちょうどアイドル歌手の熱狂的なファンがアイドルの家に押しかけて行ったようなものですよ。

そうかしら。。。?

だから、清盛も初めは「招きもしないのに来きやがってぇ~。。。んもおォ~。。。 非常識だ!」と気分を損ねたのですよ。。。 『平家物語』にも、そう書いてある。。。

。。。で、それがどうしたのでござ~ますか?

それで仏御前は祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、清盛の館を抜け出して尼となって、祗王が住んでいた庵(いおり)を尋ねたのですよ。 この時、仏御前は次のように言った。

あなたが襖障子(ふすましょうじ)に、「いづれか秋にあはで果(は)つべき」と書きおかれたお言葉、まことにその通りだと心にひしと感じておりました。
いつぞやあなたが屋敷に召されて、今様をおうたいなされたときも、つくづくと浮かれ女の身のつらさを、思い知らされました。

そののちは、いずこへお住まいかぞんじませんでしたが、このほど噂によれば、母子三人様姿を変え、ごいっしょに念仏されている由(よし)、聞くにつけてもうらやましゅうぞんじて、いつもおいとまを願い申しましたが、入道殿はいっこうにおゆるしになりませぬ。
ひとり思いあわせてみますと、この世の栄華は夢の中の夢、楽しみ栄えたとてなんになりましょう。

人の身に生まれ出ることはむずかしく、仏の御教(みおし)えにあう機会もめったにございません。
このたび地獄におちましたなら、いかに生まれ変わり死に変わりましても、ふたたび人間界に浮かび上がることはむずかしゅうございます。

老少不定(ろうしょうふじょう: 老人と若者のどちらが先に死ぬかわからない)の世の中ですから、年が若くともたのみになりませぬ。
出る息のはいる間も待つ暇とてもなく、かげろうや稲妻よりも、なおはかない命—いちじの栄華を誇って、後生知らずと言われんも悲しく、今朝ひそかに館を抜け出して、このような姿になって参りました。


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(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)


45-46ページ 『平家物語(上)』
2004年10月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社

仏御前が祗王に向かって申し述べた上のお言葉がどうだとデンマンさんは言うのでござ~ますか?

いくらなんでも、この話はできすぎているでしょう! 満15歳のミーハーが、まるで60歳の老婆のような悟りを開いている。 「老少不定の世の中、年が若くともたのみになりませぬ。出る息のはいる間も待つ暇とてもなく、かげろうや稲妻よりも、なおはかない命—いちじの栄華を誇って、後生知らずと言われんも悲し」い、と15歳や16歳の女の子が言えるわけがない。 この言葉はこのエピソードを創作した作者の言葉です。 仏御前に成り代わって書いているのですよ。

そうでしょうか? あたくしは『平家物語』に書いてある通りに素直に受け取れましたわ。

『平家物語』というのは初めから清盛を悪者に仕立てて書き始めているのですよ。

マジで。。。?

だってそうでしょう! 「祗園精舎の鐘の声。。。」のあとで秦(しん)の趙高(ちょうこう)、漢の王莽(おうもう)、梁(りょう)の周伊(しゅうい)、唐の禄山(ろくざん)のような中国の悪者の名を挙(あ)げて、清盛もこの男たちと同じように「旧主先皇の政治に学ばず、快楽に走り、諫言(かんげん)を受け入れず、天下の乱れや民の愁いも知ることがなかったために滅んだ」と書いてあるのですよ。

つまり、デンマンさんは掌(てのひら)を返したように今では清盛さんのお味方をしたいのですか?

いや。。。もちろん違いますよ。 僕が言いたいのは必要以上に他人を貶(おとし)めるためのエピソードをでっち上げるのは悪いことだと言ってるのですよ。。。 真実を曲げることです。。。 偽ることです。。。 それはウソですよ!

つまり、『平家物語』の「祗王」のエピソードはでっち上げだとデンマンさんは断定なさるのですか?

もちろん、すべてがすべて、でっちあげだと言うつもりはありません。 「火のない所に煙は立たず」ですからね。 でもねぇ、少なくとも仏御前は一人じゃない。 二人の白拍子の話を組み合わせて話をでっち上げたのですよ。 だから、仏御前の話を読むと、60年生きてきた白拍子が人生の悟りを開いたようなことを言っている。 それは『平家物語』の作者の声ですよ。

でも。。。でも。。。、それはデンマンさんの個人的な意見でしょう?

あのねぇ~、僕は、最近 バンクーバー図書館で再び『平家物語』を手にとって読んでみたら、解説に次のように書いてあった。

『平家物語』 解説


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ところで『平家物語』の作者・成立時期・成立事情などが、いまなおはっきりしていないことは冒頭で述べたとおりであるが、実は、『平家物語』そのものが、もともとどのようなものであったのかも謎に包まれたままなのである。

今日、通常『平家物語』と呼ばれ、学校教育の場などで用いられているテキストは、南北朝時代、明石覚一(かくいち)という琵琶法師が、それまでの詞章を整理し、物語を再構成した、いわゆる覚一本の系統に属するが、こうした『平家物語』諸本(異本)は50種類以上も伝わっており、『平家物語』研究の難しさをこの点に求める場合も少なくない。
しかし多くのテキストが存在することは、『平家物語』の世界をより豊かにし、『平家物語』を読む楽しさを、一層、増してくれもするのである。

本書から屋島の合戦の一齣を描いた「巻十一 嗣信(つぎのぶ)最期」を例にとってみよう。
そこでは主君 源義経の矢楯となった嗣信が、死に臨んで次のように述べたと記されている。

弓矢取る身の敵矢(かたきや)に当たって

死ぬるは覚悟の前、ことにも

「源平の合戦に、奥州の

佐藤三郎兵衛嗣信と申す者が、

讃岐の国 屋島の磯べで、

主君の御命にかわって射たれた」と、

末代までの物語にされることは、

今生(こんじょう)の面目、

冥土(めいど)の思い出、

これに上越す誉(ほま)れはございませぬ。

この言葉は、主君に対する武士の献身の道徳を示す例として、しばしば取り上げられるが、別のテキストでは、「奥州に残してきた老母に今一度会えないことが心残りです」と母子の情愛を優先しており、さらに別のテキストでは、主君の身代わりとして死ぬことを名誉とする文言も、老母のことも見えないのである。

中世武士の主従倫理をどのように考えればよいのか。
相異なる『平家物語』のテキストは重要な課題を提起してくれていると言えよう。

本書で『平家物語』の面白さや魅力に出会われた読者には、よく言われるように、ぜひとも原文にも挑戦していただきたいが、その際、もう一度踏み込んで、いくつかのテキストの読みくらべもおすすめしたいと思う。

いま一点、付け加えておきたいのは、『平家物語』における史実と虚構に関してである。
たしかに『平家物語』は歴史資料としても十分に有益であるが、しかし、あくまで物語であって、そこには虚構・創作も含まれていることは当然であろう。
たとえば「巻一 殿下(てんが)の乗合(のりあ)い」を見てみよう。

この話は、父清盛と違って、温厚で知られる重盛の次男資盛(すけもり)が、鷹狩りの帰途、礼儀を欠くふるまいをしたとして、摂政 藤原基房(もとふさ)の一行から散々に痛めつけられたことに激怒した清盛が、報復のため、今度は武士たちに基房一行を襲わせ、『平家物語』作者をして「これぞ、平家悪行(あくぎょう)の初めである」と述べさせているものであるが、史実はまったく違うのである。
すなわち実際に基房一行への報復を命じたのは、清盛でなく『平家物語』では、わが子をたしなめ清盛をいさめている重盛なのである。

こうした逆転がなされたのはなぜか。
異なるテキストの読みくらべとともに、史実と虚構というテーマにも挑戦していただきたいものである。

専修大学非常勤講師・樋口州男(くにお)

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


349-352 ページ 『平家物語』 (下)
現代語訳者: 中山義秀
2004年12月20日 初版発行
発行所: 河出書房新社

つまり、『平家物語』を読むと、長男の重盛は心優しい素晴らしい武士として語られているのに対して、父親の清盛は、子供の悪行までを引き受けさせられて、すっかり悪者にされているのですよ!

だから、それは『平家物語』があくまでも物語で、創作であるので、仕方がないのでござ~ますわァ~。。。

ところが、物語ではなく“史書”として、すでに2000年以上もの間 歴史書として信じられている『史記』にもウソが書いてある。

史記


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『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。
正史の第一に数えられる。
二十四史のひとつ。
計52万6千5百字。
著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までである。
このような記述の仕方は、中国の歴史書、わけても正史記述の雛形となっている。

二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の評価を得ているものであり、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されている。

『史記』のような歴史書を作成する構想は、司馬遷の父司馬談が既に持っていた。
だが、司馬談は自らの歴史書を完成させる前に憤死した。司馬遷は父の遺言を受けて『史記』の作成を継続する。

紀元前99年に司馬遷は、匈奴に投降した友人の李陵を弁護したゆえに武帝の怒りを買い、獄につながれ、翌年に宮刑に処せられる。
この際、獄中にて、古代の偉人の生きかたを省みて、自分もしっかりとした歴史書を作り上げようと決意した。

紀元前97年に出獄後は、執筆に専念する。
結果紀元前91年頃に『史記』が成立した。

『史記』は司馬遷の娘に託され、武帝の逆鱗に触れるような記述がある為に隠されることになり、宣帝の代になり司馬遷の孫の楊惲が広めたという。


出典: 「史記」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。 おチンチンを切られてしまった司馬遷のおじ様が書いた『史記』にマジでウソが書いてあるのでござ~ますかァ~? あたくしは、そのように主張するデンマンさんのお言葉が信じられませんわァ。。。

あのねぇ~、僕が言い始めたわけじゃないのですよ。。。 ちょっと次の小文を読んでみてください。。。

熒惑(火星)


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『史記』によれば(国内巡行)に出発する直前の始皇36(前211)年には不吉なことが続いた。
まず熒惑(けいわく:火星)が東方の心宿(しんしゅく:サソリ座)の位置に留まったという。
赤く輝く熒惑は災害や兵乱を招く星であった。

サソリ座の心臓にあたるアンタレスは赤色巨星の一等星であり、中国では青龍の心臓にあたる、不吉な星とされていた。
そこに赤い熒惑が近づいて留まった。
このときの火星は東に向かって順行し、しばらく停止してから西に逆行し、またしばらくして東に順行する。

中国古代では1年間の太陽の軌道である黄道(こうどう)に28宿(しゅく)の星座を配置した。
太陽、月、五星(惑星)の動きを測る座標軸のようなものである。
東方の空の7宿のうち6つを結ぶと青龍が夜空に浮かび上がる。

龍の角が角宿、首は亢宿(こうしゅく)、胸は氐宿(ていしゅく)、原は房宿、心臓は心宿、尾は尾宿(びしゅく)となる。

 (中略)

中国古代の天文暦法の研究者によれば、火星がアンタレスに近づいて留まるのは前211年ではなく、翌年の前210年であるという。
しかも小沢賢二氏が近年明らかにしたことは、前210年の始皇帝の死去の8月丙寅(へいいん:21日)の日に、再順行した火星がアンタレスに最接近しているというのである。

実は、私は始皇帝の死は7月ではなく、8月丙寅であると考えている。
そうであれば46年周期のこの特異な現象は、始皇37年の始皇帝の無くなった年の亡くなった日に起こったことになる。
この偶然の事実をどのように考えたらよいのだろうか。

8月丙寅の夜空で起こった不吉な天文現象を見た人びとは大勢いただろう。
その日まさに始皇帝が亡くなったことは極秘にされていたとはいえ、当時始皇帝が病中にあることを知るならば、その死を連想したかもしれない。

少なくとも『秦記』という秦の本来の史書には、皇帝の死の日付は正確に記されていたはずである。
しかし『史記』の記述はそうなっていない。

皇帝の死を1ヶ月さかのぼらせて7月丙寅の日に死去したと書き改め、また熒惑守心(けいわくしゅしん)を1年も前の天文現象としたのは一体だれか。


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おそらく同時代の人びとの改竄ではなく、始皇帝の死を前年の予兆からはじまるストーリーとして構築した者の作為であろう。
それが司馬遷であるのか、司馬遷が依拠した何らかの書籍であるのか、断定することはまだできない。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


157-161 ページ 『人間・始皇帝』
著者: 鶴間和幸 2015年 初版発行
発行所: 株式会社 岩波書店

当時、火星がアンタレスに近づいて留まる年には不吉なことが起こるということが信じられていたのですわねぇ~。。。

そうです。。。 それは、現在で言えば、地動説が正しいと思われているほど常識的な事だった。。。 それで、実際には、火星がアンタレスに近づいて留まったのは始皇帝が亡くなった紀元前210年なのだけれど、その当時の常識と食い違わないように、1年前の紀元前211年だと『史記』には書いてあるのですよ。。。

要するに、始皇帝の死を前年の予兆からはじまるストーリーとして構築した者の作為であろう、と『人間・始皇帝』の著者は言うのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。

でも、それが「司馬遷であるのか、司馬遷が依拠した何らかの書籍であるのか、断定することはまだできない」と書いてありますわねぇ~。。。

僕は司馬遷が 当時の人々の常識に合うように そうしただろうと思うのですよ。。。

その根拠は。。。?

上の本にも書いてあるように『秦記』という秦の本来の史書には、皇帝の死の日付は正確に記されていたはずなのですよ。。。 そうであるならば、司馬遷も すべてを知っていたはずですからね。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたはデンマンさんの言うことを信じることができますかァ~?

考えてみると、“Nobody is perfect!” という英語の格言がござ~ますけれど、

確かに、司馬遷のおじ様も完璧な人間ではござ~ませんでしたから、

始皇帝の死を前年の予兆からはじまるストーリーとして創作したことも十分に考えられますよねぇ~。。。

歴史書と信じられているものでも、

すべてを事実として信じることは かなり危険なことなのかもしれません。。。

歴史は、たいてい勝者が書くものでござ~ますから。。。

ところで、あたくしには紫式部の血も流れているのでござ~ますわァ。。。

信じられないでしょう?

では、あたくしの次のお話を読んでくださいませぇ~。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが“平成の紫式部”だと納得がゆきましたかァ~?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でもねぇ~、あたくしは 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますゥ。

だけど、どういうわけか結婚相手が 現れないのですわよゥ。

あたくしは別に高望みはしていないのでござ~ますう。

“寅さん”のような人でもいいのです。。。

ついでだから、寅さんの映画でも見てください。


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代の話も心にしみます。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


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『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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安徳帝は生きていた

2017年4月16日

 

安徳帝は生きていた

 


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安徳天皇と守貞親王

 


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ところで、守貞親王と入れ替わった安徳帝は、その後どうなったのでしょう。

まずまず無事に守貞親王に化けおおせ、治部卿局(じぶきょうのつぼね)たちとともに都に戻り、法皇との対面ののち、上西門院の猶子(ゆうし)となって成長、そして承久の乱勃発後、太上天皇(だいじょうてんのう)として再び政治の座についたのです。

泉下の平家一門はどれだけ喜んだでしょう。

しかし46歳にして惜しくも崩御されてしまいました。

この事実を、治部卿局以外、誰も知らなかったとは考えられませんが、なんの破綻もなく、これまでおさまったのは、天佑神助(てんゆうしんじょ)のたまものというべきでしょうか。

 


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


197ページ 『義経』
著者: 宮尾登美子
2004(平成16)年11月25日 第1刷発行
発行所: 日本放送出版協会

 


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幼かった安徳天皇が おばあちゃんの二位尼(平時子)に抱き上げられて 一緒に瀬戸内海の波間に沈んでいったのではなく、そのおばあちゃんが抱いていたのは、身代わりになった守貞親王で、実は、安徳天皇は生きていて 承久の乱勃発後、太上天皇(だいじょうてんのう)として再び政治の座についた、とデンマンさんは信じているのでござ~♪~ますか?


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いや。。。 実は、僕は初めて そのような事を信じている人がいるのを知って ちょっと驚いたのですよ。。。 もう亡くなってしまったけれど、宮尾登美子さんが書いた上の本をバンクーバー図書館で借りて読んでいたら、上の箇所に出くわしたというわけです。。。

そのような事はありえないと、デンマンさんは考えているのですかァ~?

だから、それをちょっと確かめてみたくなって卑弥子さんを呼んだのですよ。。。

あたくしは、そのような事を考える人たちが居ても 決して不思議ではないと思いますわァ~。。。

卑弥子さんは、どうしてそう思うのですか?

だってぇ~、源義経が亡くなったのは、実は、影武者が殺されたので 本人は生きていて後にジンギスカンになって大陸で活躍したというお話は多くの人が信じていますわァ。

でもねぇ~、その伝説は今では学術的に完全に否定されてるのですよ。。。

義経の伝説


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優れた軍才を持ちながら非業の死に終わった義経の生涯は、人々の同情を呼び、このような心情を指して判官贔屓というようになった。
また、義経の生涯は英雄視されて語られるようになり、次第に架空の物語や伝説が次々と付加され、史実とは大きくかけ離れた義経像が形成された。

義経伝説の中でも特に有名な武蔵坊弁慶との五条大橋での出会い、陰陽師・鬼一法眼の娘と通じて伝家の兵書『六韜』『三略』を盗み出して学んだ話、衣川の戦いでの弁慶の立ち往生伝説などは、死後200年後の室町時代初期の頃に成立したといわれる『義経記』を通じて世上に広まった物語である。
特に『六韜』のうち「虎巻」を学んだことが後の治承・寿永の乱での勝利に繋がったと言われ、ここから成功のための必読書を「虎の巻」と呼ぶようになった。

また後代には、様々な文物が由緒の古さを飾るために義経の名を借りるようになった。
例えば、義経や彼の武術の師匠とされる鬼一法眼から伝わったとされる武術流派が存在する。

 

不死伝説

後世の人々の判官贔屓の心情は、義経は衣川で死んでおらず、奥州からさらに北に逃げたのだという不死伝説を生み出した。
このような伝説、あるいは伝説に基づいて史実の義経は北方に逃れたとする主張を、義経北方(北行)伝説と呼んでいる。
この伝説に基づいて、寛政11年(1799年)、蝦夷地のピラトリ(現・北海道沙流郡平取町)に義経神社が創建された。

義経北方(北行)伝説の原型となった話は、室町時代の御伽草子に見られる『御曹子島渡』説話であると考えられている。
これは、頼朝挙兵以前の青年時代の義経が、当時「渡島(わたりしま)」と呼ばれていた北海道に渡ってさまざまな怪異を体験するという物語である。
未知なる地への冒険譚が、庶民の夢として投影されているのである。

このような説話が、のちに語り手たちの蝦夷地のアイヌに対する知識が深まるにつれて、衣川で難を逃れた義経が蝦夷地に渡ってアイヌの王となった、という伝説に転化したと考えられる。
またアイヌの人文神であるオキクルミは義経、従者のサマイクルは弁慶であるとして、アイヌの同化政策にも利用された。
またシャクシャインは義経の後裔であるとする(荒唐無稽の)説もあった。
これに基づき、中川郡の本別町には義経山や、弁慶洞と呼ばれる義経や弁慶らが一冬を過ごしたとされる洞窟が存在する。

 

義経=ジンギスカン説


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この北行伝説の延長として幕末以降の近代に登場したのが、義経が蝦夷地から海を越えて大陸へ渡り、成吉思汗(ジンギスカン)になったとする「義経=ジンギスカン説」である。

この伝説の萌芽もやはり日本人の目が北方に向き始めた江戸時代にある。
清の乾隆帝の御文の中に「朕の先祖の姓は源、名は義経という。その祖は清和から出たので国号を清としたのだ」と書いてあった、あるいは12世紀に栄えた金の将軍に源義経というものがいたという噂が流布している。
これらの噂は、江戸時代初期に沢田源内が発行した『金史別本』の日本語訳が発端である。

このように江戸時代に既に存在した義経が大陸渡航し女真人(満州人)になったという風説から、明治時代になると義経がチンギス・カンになったという説が唱えられるようになった。
明治に入り、これを記したシーボルトの著書『日本』を留学先のロンドンで読んだ末松謙澄はケンブリッジ大学の卒業論文で「大征服者成吉思汗は日本の英雄源義経と同一人物なり」という論文を書き、『義経再興記』(明治史学会雑誌)として日本で和訳出版されブームとなる。

大正に入り、アメリカに学び牧師となっていた小谷部全一郎は、北海道に移住してアイヌ問題に取り組んでいたが、アイヌの人々が信仰する文化の神・オキクルミの正体は義経であるという話を聞き、義経北行伝説の真相を明かすために大陸に渡って満州・モンゴルを旅行した。
彼はこの調査で義経がチンギス・カンであったことを確信し、大正13年(1924年)に著書『成吉思汗ハ源義經也』を出版した。
この本は判官贔屓の民衆の心を掴んで大ベストセラーとなる。
現代の日本で義経=ジンギスカン説が知られているのは、この本がベストセラーになったことによるものである。

こうしたジンギスカン説は明治の学界から入夷伝説を含めて徹底的に否定され、アカデミズムの世界でまともに取り上げられることはなかったが、学説を越えた伝説として根強く残り、同書は昭和初期を通じて増刷が重ねられ、また増補が出版された。
この本が受け入れられた背景として、日本人の判官贔屓の心情だけではなく、かつての入夷伝説の形成が江戸期における蝦夷地への関心と表裏であったように、領土拡大、大陸進出に突き進んでいた当時の日本社会の風潮があった。

現在では後年の研究の結果や、チンギス・カンのおおよその生年も父親の名前も「元朝秘史」などからはっきりと判っていることから、源義経=チンギス・カン説は学術的には完全に否定された説である。


出典: 「源義経」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

こういう話は、昔から“判官贔屓(はんがんびいき)”と言って よく伝説には付き物なんですよ。。。 どう考えたって、義経がジンギスカンになったという話は、荒唐無稽(こうとうむけい)なのですよ。。。

どうしてデンマンさんは荒唐無稽と決め付けるのでござ~ますか?

あのねぇ~、僕がジンギスカンの下で命令を受けて戦うモンゴル人のデンマン将軍だとします。。。

あらっ。。。 面白そうな例えでござ~ますわねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。 で、もし、そうだとしたらどうなったと言うのでござ~ますかァ?

義経がジンギスカンになったとしたら、彼は30才をすぎてから大陸に渡ったことになるのですよ。。。 つまり、そうなると、誰もがジンギスカンはモンゴル人じゃなくて日本人だということを知っている。。。 すると、日本人のために命をかけてまで戦う気にならない! 僕は、日本人のジンギスカンを暗殺して自分がモンゴル人の棟梁になろうとしますよ。。。

つまり、モンゴル人のデンマン将軍が日本人のジンギスカンを暗殺して歴史は変わってしまったというのでござ~ますかァ?

その通りですよ。。。 あのねぇ~、現在だって、アメリカの大統領になるにはアメリカで生まれてないと成れない! どこの国でも移民の大統領など居ませんよ。。。 移民は、その国ではせいぜい縁の下の力持ちになる程度で、決してその国の長には成れない! そんな事は移民をしてみればすぐに理解できる事なのですよ。。。

つまり、義経がモンゴルに移民してジンギスカンになることは デンマンさんの経験上からありえないという事ですわねぇ~。。。

いや。。。 僕の経験からも言えることだけれど、そのような事は歴史を見ればすぐに理解できる事ですよ。。。 フジモリ大統領だってぇ、ペルーの第91代大統領になったけれど、移民したわけじゃない。。。 ペルーの首都リマのミラフロレス区で仕立物屋を営む父・直一と母・ムツエの間に生まれたのですよ。。。 要するに、その国で生まれ育った人物でなければ、その下で働く人たちの意欲が湧かないのですよ。。。 だから、日本から30才過ぎてやってきた義経に従ってモンゴル人が命をかけて戦うなんて、とてもありえない!

モンゴル生まれのデンマン将軍によって暗殺されてしまうのですか?

僕が、その当時モンゴルで生まれて義経将軍の下で戦うモンゴル人の将軍になったら、まずそうする事になったと思いますよ。。。

分かりましたわ。。。 でも、安徳天皇の場合は、お話が違うと思うのでござ~ますわァ。。。

どう違うのですか?

だってぇ~、安徳天皇はモンゴルに移住したわけではありませんわァ。。。 守貞親王が安徳天皇の身代わりになって海に沈んだのですわ。。。 だから、安徳天皇は守貞親王として、都で暮らし、やがて承久の乱勃発後、太上天皇(だいじょうてんのう)として再び政治の座についたのでござ~ますわァ。

卑弥子さんもマジで それを信じているのですかァ~?

だってぇ~、そうでも考えないと、安徳天皇があまりにも お可哀想ですわァ~。。。 


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最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた おばあちゃんの二位尼(平時子)は安徳天皇を抱き上げました。

「おばあちゃん、僕をどこへ連れてゆくのォ~」

二位尼は涙をおさえて 諭(さとし)します。

「坊ちゃんは 前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁により、御運はもはや尽きてしまいました。 この世は辛く厭(いと)わしいところです。

これから、このバアが、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのですよ」

「楽しいところなのォ~」

「そうですよ。。。 これからバアと一緒にゆきます。 だから、この世にさようならをしましょうねぇ~」

 


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すると、幼い天皇は小さな手を合わせ、東を向いて伊勢神宮を遙拝し、続けて西を向いて念仏を唱えました。

二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じたのでした。

安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳と4か月)で崩御したのです。


『平家物語』「先帝身投」より卑弥子が現代語に意訳しました。

卑弥子さんは意外に涙もろいのですねぇ~。。。

この場面を想い浮べると、あたくしは涙無しにはおられないのでござ~ますわァ。。。

卑弥子さん。。。 涙が鼻水になって、鼻からずいぶん出てますよ。。。 ハンカチでは間に合わないからタオルを持ってきますねぇ~。。。

デンマンさん! 愚かな事を言ってないで話の先を進めてくださいなァ~。。。

あのねぇ~、よく考えてくださいよ! 安徳天皇が満6歳と4か月で おばあちゃんと一緒に瀬戸内海の海の底に沈んだから、そうやって卑弥子さんの涙がドバドバと出てくるのですよ。。。 もしですよゥ。。。 そうじゃなくて守貞親王が安徳天皇の身代わりになっていたとしたら、『平家物語』の上の箇所は、涙をそれほど誘わないのですよ。。。 むしろ、現在の倫理観としたら、人権無視もはなはだしい! もしもですよ、卑弥子さんが 守貞親王のお母さんだとしたら、安徳天皇の身代わりに自分の幼い息子を差し出しますかァ~?

いいえ。。。 絶対にイヤでござ~ますわァ~。。。

でしょう!?。。。 だから、安徳天皇は本人が おばあちゃんと一緒に入水したのです。。。 そうでないと日本文学の素晴らしい『平家物語』が安っぽい話になってしまうのですよ。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは どう思いますか?

安徳天皇は壇ノ浦で入水せず、つまり、おばあちゃんだけが “ねんねこ”をかかえて、さも安徳天皇を抱くようにして、一人で入水したのだと信じている人たちも居るのですわよう。。。

それから、安徳天皇は平氏の残党に警護されて地方に落ち延びたと言うのでござ~ますわァ。

だから、九州や四国地方を中心に全国に20か所あまりの伝承地があるのですわよ。

では、高知県の山の中に墓があるというミステリーをご覧くださいませぇ~。。。


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上のクリップを観てあなたはどう思いましたか?

話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。

つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。

“寅さん”のような人でもいいですわ。

旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。

あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいね。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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エロい徳子を探して

2013年6月28日

 

エロい徳子を探して


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今日はデンマンさんがエロい徳子さんを探して歩くお話でござ~♪~ますか?


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。。。ん? どうして僕がエロい徳子さんを探して歩かなければならないのですか?

だってぇ~、タイトルにそのように書いてあるではござ~ませんかア!

あのねぇ~、確かに、タイトルを読むと卑弥子さんのように考えるネット市民の皆様がいるかもしれませんけど、僕がこれからエロい徳子さんを探して歩くわけではないのですよう。

じゃあ、一体どなたがエロい徳子さんを探して歩くのでござ~ますか?

ちょっと次のリストを見てください。


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これはアメブロの僕のブログで記録された6月23日の「リンク元URL」のリストなのですよ。 赤枠で囲んだ 12番に注目して欲しいのです。

あらっ。。。 「徳子 エロ」と入れてGOOGLEで検索してデンマンさんのブログにやって来た人がいるのですわね。

そうなのですよ。 12番のURLをクリックすると次の画面が表れるのです。


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あらっ。。。 マジで「徳子 エロ」と入れて検索したのですわね。。。

そうなのです。 ネットの世界に建礼門院徳子さんは、実は、エロかったのではないか? エロい建礼門院徳子の方が面白いと思っている人がいるのですよう。 それで誰かがエロい徳子さんについて書いていないか?。。。 そう期待して「徳子 エロ」と入れて検索したわけですよ。

でも、これはデンマンさんが御自分で「徳子 エロ」を入れて検索したのではござ~ませんか? うふふふふふ。。。

どうして。。。、 どうして、僕が「徳子 エロ」を入れて検索しなければならないのですか?

だから、今日の記事を書くためですわよ。

あのねぇ~、自作自演して、わざわざ「徳子 エロ」を入れて検索しなくても、記事を書くネタならば掃いて捨てるほどあるのですよう。 僕には、「徳子 エロ」を入れて検索して遊んでいる暇はないのですよう。

でも、あたくし以外にもデンマンさんが自作自演で「徳子 エロ」を入れて検索したと思っている方もあると思いますわ。

じゃあ、次のリストを見てくださいよう。


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これは6月23日の「検索キーワード」のリストですよ。

でも、デンマンさん以外の人が「徳子 エロ」を入れて検索したとは、どこにも記録されていませんわ。 

あのねぇ~、僕が言いたいのは「徳子 エロ」で記事を書くよりも「主婦の悦楽物語」で記事を書く方がよっぽど面白いのですよう。 あるいは「シンガポール」を取り上げた方が格調高い面白い記事が書けるかもしれない。

だったら、そうすればよかったではありませんか!

それなのに、なぜ「徳子 エロ」を取り上げる気になったのか? その事を卑弥子さんは考えてみましたか?

もちろんですわ。 デンマンさんがエロい建礼門院徳子さんに関心があったからですわ。 うふふふふふ。。。

だから、卑弥子さんには素晴らしいボーイフレンドが現われないのですよう。

なんで。。。、なんで。。。、どうして。。。、「徳子 エロ」と、あたくしに素晴らしいボーイフレンドが現われない事実と関係あるのでござ~ますか?

あのねぇ~、僕は京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子さんのために『平家物語』に出てくる建礼門院徳子を取り上げる気になったのですよう。

でも、それが。。。、それが。。。、どうして。。。、、あたくしに素晴らしいボーイフレンドが現われない事実と関係あるのでござ~ますか?

僕の思いやりの気持ちが卑弥子さんには全く理解できなかった。 しかも、こともあろうに、わざわざ今日の記事を書くために自作自演でGOOGLEに「徳子 エロ」を入れて検索したというような、さもしい考えしか持てなかった。 つまり、人の思いやりを卑弥子さんは、そのようにして踏みにじってしまうのですよう。。。 分かるでしょう! 卑弥子さんにプロポーズする男性が、これまでに何人となく現れたかもしれない。 でも、卑弥子さんが余計な事を言ってしまうために、プロポーズしようと思っていた男性が引いてしまうのですよう。

それが、あたくしに素晴らしいボーイフレンドができない原因だとデンマンさんは断定するのですか?

だってぇ、そうでしょう! 上の検索キーワードリストを見てくださいよう。 「徳子 エロ」などよりも面白そうなキーワードが他にもたくさんある。 それなのに、品がないとか、格調が低いと思われてしまう「徳子 エロ」をどうして取り上げるのか? それは、卑弥子さんが京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している。 それに見合うように『平家物語』に出てくる建礼門院徳子を取り上げれば、卑弥子さんの出番が多くなる。 そうなれば、この記事を読む男の中に卑弥子さんの才媛ぶりに気づいてプロポーズする気になるかもしれない。。。 これは。。。、これは。。。、僕のブログを手伝ってくれる卑弥子さんに対する僕の思いやりの気持ちなのですよう。

マジで。。。?

それなのに、「マジで。。。?」などという、頓珍漢(トンチンカン)な受け答えをするから、プロポーズしようとする男も引いてしまうのですよう。

そうかしら。。。?

ほらあああァ~。。。 ま~だ僕の言おうとする事が卑弥子さんには理解できない! だから、プロポーズする男が引いてしまうのですう。

デンマンさんは、あたくしのためにマジで「徳子 エロ」を取り上げたのですか?

そうですよう! 上の検索キーワードのリストを見てください。 僕はどちらかと言えば「主婦の悦楽物語」を取り上げたかった。 でも、ボーイフレンドが欲しいと常日頃からボヤいている卑弥子さんのために出番を多くしようと思って「徳子 エロ」を取り上げたのですよう。 出番が多くなれば、それだけ卑弥子さんの姿が男の目に触れるのですよう。

でも。。。、でも。。。、「徳子 エロ」を取り上げると、どうしてあたくしの出番が多くなるのでござ~ますか?

ほらあああァ~。。。、 また、そのような昼行灯(ひるあんどん)のような答え方をする! ダメですよう!

どこがダメなのでござ~ますか?

あのねぇ~。。。 もう一度GOOGLEの検索結果を見てください。


(gog30625m.gif)

この画像検索の結果を見て、何か思い当たることがありませんか?

そう言われてみると。。。 エロい画像がありますわね。。。 ボカシがはいっているヤ~らしい春画がありますわ。 うふふふふふ。。。

そんな事を訊(き)いているのではありませんよう! んもおおおォ~。。。 でも、せっかく卑弥子さんが「ボカシがはいっているヤ~らしい春画」と言ったから、その画像をクリックすると次のページが表示されるのですよう。


(gog30625p.gif)

このページに思い当たることはありませんか?

きれいで可愛らしい女性が下の方にかすんで見えますわね。

そうですよう。。。 何か他に思い当たることはありませんか?

ボカシがはいって。。。ヤ~らしいですわ。 うふふふふふ。。。

あのねぇ~、そんな事はどうでもいいのですよう。 じゃあ、検索結果の左上の画像をクリックして見ました。 これはどうですか?


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このページにも、きれいで可愛らしい女性が下の方にかすんで見えますわねぇ~。。。

何か他に思い当たることはありませんか?

他にですかァ~。。。? そうですわねぇ~。。。

じゃあ、次のページはどうですか?


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あらっ。。。 このページにも、きれいで可愛らしい女性が下の方にかすんで見えますわねぇ~。。。

何か他に思い当たることはありませんか?

他にですかァ~。。。?

じゃあ、次のページはどうですか?


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あらっ。。。 このページにも、きれいで可愛らしい女性が下の方にかすんで見えますわねぇ~。。。

あのねぇ~、卑弥子さん! 。。。 いつまでも、同じ事を続けるわけには行かないのですよう! きれいで可愛らしい女性のことはどうでもいいのですよう! どれも同じ記事がバックグラウンドに出てくる。 その記事のタイトルを思い出して欲しかったのですよう!

そんなのォ~、覚えているはずがないじゃありませんか!

あのねぇ~、よく見れば記事のタイトルがすべての画面に出てきたのですよう。

どれですか?

やだなあああァ~、んもおおおォ~。。。 画面の右上の方に『徳子と小督の悲話』と書いてあるでしょう!


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『徳子と小督の悲話』

(2013年4月18日)

どうして僕がこの記事を選んだと思いますか?

どうしてでござ~ますか?

ほらあああァ~。。。 また、そのような昼行灯(ひるあんどん)のような答え方をする! ダメですよう! 卑弥子さんがこの記事に登場するのですよう!

小督哀話


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『嵯峨野の月』(月岡芳年『月百姿』)源仲国と小督時は平氏全盛の平安朝最末期、時の帝であった高倉天皇は最愛の寵姫を亡くし悲嘆に暮れていた。
見かねた中宮(清盛の娘である建礼門院徳子)は天皇を慰めようと、美貌と音楽の才能で名高かった中納言・藤原成範の娘を紹介する。

宮中に上がった成範の娘は小督局と呼ばれ、天皇の寵愛を一身に受けた。

しかし、中宮の父である平清盛は、天皇が中宮である娘を差し置いて小督に溺れる事に怒り狂い、小督を宮中から追い出してしまった。

小督は清盛を恐れて嵯峨に身を隠し、天皇とも音信不通となってしまう。
天皇の嘆きは深く、密かに腹心の源仲国(宇多源氏・源仲章の兄)を呼び出して小督を秘密裏に宮中に呼び戻すよう勅を賜った。


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ちょうど仲秋の夜のこと、月が白々と照る中を嵯峨野に出かけた仲国は、小督が応えることを期待して得意の笛を吹いた。
すると、見事な「想夫恋」の調べがかすかに聞こえてくるので、音のするほうに向かうと、果たして粗末な小屋に小督が隠れ住んでいた。


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最初、小督は清盛を恐れて宮中に帰るのをしぶるが、「想夫恋」の曲で彼女の真意を悟っていた仲国に押し切られこっそりと天皇の元に帰ってきた。
2人はひっそりと逢瀬を重ねるが、清盛におもねる者から秘密が漏れて、小督は無理やり出家させられてしまう。

能の「小督」はこのうち嵯峨野の場面に取材したもので、伝金春禅竹作の四番目物。
現在も比較的盛んに上演される、美しくも哀切な名作である。


出典: 「小督(こごう)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

確かに、悲しいお話ですわ。 小督さんには何の落ち度も無いのに宮中から追い出されて、しかも天皇とこっそりと逢っているのが知れると平清盛によって無理やり尼さんにされてしまう。 本当に悲しいお話だと思いますわ。

ほおォ~。。。 卑弥子さんが目に涙まで溜めて悲しむなんて珍しいですねぇ~。。。

だってぇ~、 小督さんの身になって考えると本当に悲しいことですわ。。。んで、あたくしに悲しいお話を聞かせて涙ぐませるために小督さんの悲話を持ち出してきたのでござ~ますか?

いや、違いますよ。。。 そうじゃないのですよ。

では、なぜ。。。?

あのねぇ~、徳子さんにはエロ話があって、小督さんにはない。

それがデンマンさんにとって、それほど不思議なのでござ~ますか?

そうですよ。 だってぇ、考えてみてください。 小督さんは徳子さんよりも明らかに美人で音楽の才能もあった女性ですよ。。。 言ってみれば、男にとってこれ以上の魅力的な女性は居ないと思える。 実際、高倉天皇は徳子さんよりも小督さんに惹きつけられてしまった。 だから、小督さんは美人である以上に性格も良い女性であったに違いない。 男がそれほど恋い焦がれてしまう女性にもかかわらず小督さんにはエロ話がない。 

どうしてでござ~ますか?

つまり、小督さんの悲話は余りにも悲し過ぎるのですよ。 だから誰しもが同情してしまう。

でも、徳子さんのお話だって充分に悲しいと思いますわ。

確かに、徳子さんの話も悲しい物語に違いない。 でもねぇ、大きな違いがある。 小督さんの運命を狂わせたのは、そもそもが徳子さんの父親の平清盛なのですよ。 だから、徳子さんのエピソードも小督さんの哀話も悲しいものには違いないのだけれど、平清盛が徳子さんの父親であるために、民衆は小督さんの味方になったのですよ。

つまり、小督さんをネタにエロ話をするには、余りにも可哀想だと。。。 あまりにも恐れ多いと。。。 それで、徳子さんの方がエロ話のネタにされたと言うことでござ~ますか?

まず間違いなく、そういうことだと思うのですよ。


『徳子と小督の悲話』より
(2013年4月18日)

こうして僕は記事の中で卑弥子さんの情にもろいというか。。。涙もろいというか。。。非常に女性的な面を際立(きわだ)たせて、たくさんの男に大和撫子(やまとなでしこ)の魅力をアピールしたのですよう。 そうすれば、中には卑弥子さんにプロポーズをしようという奇特な男が現れるかもしれない。。。 そう思ったわけですよう。

マジですか?

もちろんですよ。

でも。。。、でも。。。、

でも、何ですか? モジモジしないで、はっきりと言ってくださいよう!

あたくしは、やっぱり「徳子 エロ」よりも「主婦の悦楽物語」の方が興味があるのですけれど。。。

あのねぇ~、せっかく卑弥子さんの大和撫子(やまとなでしこ)の魅力を上の記事でアピールしたのに、卑弥子さん本人が「主婦の悦楽物語」の方がいいなどと言ったら、プロポーズしようと思っても、男は引いてしまうのですよう。

でも、「主婦の悦楽物語」で検索した人はどの記事を読んだのでござ~ますか?

やだなあああァ~。。。、んもおおおォ~。。。! 自分で検索して探してくださいよう!

【小百合の独り言】


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ですってぇ~。。。
卑弥子さんは、やっぱり、大和撫子と言うよりも楽しい卑弥子さんですわよね。
無理して大和撫子になる必要はありませんわ。

「主婦の悦楽物語」で検索した人は、どの記事を読んだと思いますか?

次の検索結果を見てください。


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赤枠で囲んだテーマをクリックしたのですね。
次のページが表示されますわ。


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『実際のテーマ』

興味があったら上のリンクをクリックして読んでみてください。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

『漢字で体操ざ~ます』

『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『紅のボートピープル』

『蕎麦屋と忠臣蔵』

『ピンクと桃色』

『妻の不貞』

『卑弥子さん、ご指名ですよ!』

『カン違い大岡越前』

『ロマンのカシオペア』

『カシオペアの現実』


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メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを

夢見る小百合さんの物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』

■ 『あなたもワクワクする新世代のブログ』


(june888.jpg)

■ 『バンクーバーの寒中水泳』

『お受験と教育ママ(2009年9月8日)』

『四季桜(2009年9月14日)』

『熊校の思い出(2009年9月16日)』

『「田舎教師」と行田(2009年9月18日)』

『小百合さんの存在感(2009年9月20日)』


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『大阪の歴史馬鹿(2009年9月22日)』

『「蒲団」と「田舎教師」(2009年9月24日)』

『卑弥子さんの存在感(2009年9月26日)』

『ロマンとデジャヴ(2009年9月28日)』

『夫婦風呂(2009年9月30日)』

『露悪趣味(2009年10月2日)』

『カプリ島と香水(2009年10月10日)』

『小百合さんの香水(2009年10月14日)』


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美貌の女院

2013年4月22日

   
 
美貌の女院


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(lotus64d.jpg)

デンマンさん。。。 「美貌の女院」ってぇ、もしかして、あたくしのことでござ~♪~ますかァ~。。。? おほほほほほ。。。

。。。ん? 卑弥子さんは自分が「美貌の女院」だと思っているのですか?

いけませんか。。。?

いや。。。、あのォ~。。。 どう思おうと卑弥子さんの勝手ですけれど。。。

んもおおおォ~。。。 デンマンさん! はなから気分を悪くするようなことを言わないでくださいましなァ~!

僕は卑弥子さんの気分を害するよなことを言ってませんてばあああァ~!

でも、「美貌の女院」ってぇ、あたくしのことではないのでしょう!?

分かりました。 卑弥子さんも、たまには「美貌の女院」になりたいのでしょうから、この際、卑弥子さんのためにコラージュして待賢門院・卑弥子の写真を作ってあげますよ。


(himiko66.jpg)

どうですか? これで卑弥子さんも「美貌の女院」待賢門院・卑弥子になった気分になれたでしょう?

どうして蓮の花があたくしの頭の上に載っているのでござ~♪~ますか?

不満なのですか?

だってぇ~、ちょっと滑稽ですわよゥ。 もう少し格調高くコラージュしてくださいましなァ~。 これではなんだか喜劇の女院ではござ~ませんかア!

じゃあ、これではどうですか?


(himiko67.jpg)

これじゃあ、一寸女院・待賢門院・卑弥子ではござ~ませんかァ! んもおおおォ~!

蓮の花がとってもきれいで。。。 卑弥子さんまでが、まるで蓮の女王のように見えるじゃありませんか! これでも卑弥子さんは「美貌の女院」になった気持ちがしないのですか?

もうどうでもいいですわよう。。。 んで、今日は待賢門院璋子様のお話でござ~ますか?

あれっ。。。 よく分かりましたねぇ~。。。

これだけ蓮の花が出てくれば見当もつくものでござ~ますわ。

実は夕べ、バンクーバー市立図書館から借りてきた本を読んだのですよ。 次のリストを見てください。


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赤い枠で囲んだ本をバンクーバーの市立図書館から借りて読んだのでござ~ますか?

その通りですよ。 


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この本はなかなか読み応え、見応えのある本ですよ。 素晴らしい写真がたくさん貼ってあるので眺めているだけでも飽きないのです。 バンクーバーでこの本を手にとって眺めていると京都の風景が本当に懐かしくなってきますよ。

あらっ。。。 それほど京都の風景が懐かしいのでござ~ますか?

そうです。。。 京都生まれで京都育ち。。。、 しかも、京都にある女子大学でエロい腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を教えている卑弥子さんが実に羨(うらや)ましいですよう。

「エロい腐女子」が余計でござ~ますわ。 それで、上の御本の中に待賢門院璋子様のお話が出てくるのでござ~ますか?

そうなのですよ。 ちょっと次の小文を読んでみてください。

美貌の女院が造った浄土の庭に咲く

平安末期、待賢門院璋子(たいけんもんいんしょうし)はたぐいまれな美貌で白河法皇の養女となり、法王の孫の鳥羽天皇に嫁ぐ。
中宮となった璋子は、天皇との間に男児を出産。
だが、この男児は法皇の子だったともいわれている。

やがて鳥羽天皇は譲位し、男児は幼くして崇徳天皇となる。
そして時代が下り、璋子が生んだもう一人の子である後白河天皇との間に、皇位を巡って戦争が起こることになった。
このことが後に源平の争乱へとつながっていき、やがて武家社会へと体制を変えるきっかけとなる。

このような戦乱の中で、璋子は煩わしい骨肉の争いを避け、亡き法皇の菩提を弔うために双ヶ岡の山裾に寺院を建立した。


(taiken00.jpg)

 法金剛院

 (中略)

それはまさに、極楽浄土もかくやと思わせるにふさわしい、壮麗な伽藍が美しさを競う一角であった。 (略) この寺に伝えられる彼女の肖像画からは、権力者を虜にしたという美貌をしのぶことができる。


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浄土の庭にふさわしい蓮の花は本堂前に据えられた鉢から華麗な姿を見せ、池面には数多くの蓮の花と葉が群れるように揺らめいている。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


70ページ 『花物語で歩く京都』
著者: 川端洋之
2006(平成18)年3月15日 第1刷発行
発行所: 株式会社 淡交社

あまりに美貌な女性は罪作りなのですよ。

あらっ。。。 あたくしのことでござ~ますか? うふふふふふ。。。

。。。ん? 卑弥子さんは、自分では「あまりに美貌で罪作りな女」だと思っているのですかァ~?

だってぇ~、あたくしがちょっとセクシーな姿を見せると殿方は心臓麻痺を起こしてあの世へ逝ってしまうのですわ。 うふふふふふ。。。

あれっ。。。 卑弥子さんが着ている十二単(じゅうにひとえ)の中には、このようなすっげぇ~肉体が隠されているのですかあああァ~。。。!?

デンマンさん!。。。 呼吸が乱れていますわよう。 心臓の方は大丈夫ですか? うふふふふ。。。

あのねぇ~、 多分、待賢門院璋子さんも卑弥子さんのように素晴らしい肉体の持ち主ではなかったのかァ!?。。。僕はそう思っているのですよ。

どうして。。。?

だってぇ、白河法皇は当時は、もうおじいさんですよ。 そのおじいさんが待賢門院璋子さんを見て、あまりにも美貌でセクシーだったのでムラムラとなってぇ、子供を作ってしまったのですよ。

デンマンさん! そのようにヤ~らしい発想はしないでくださいましなァ。 待賢門院璋子さんの品格が下がってしまいますわァ~。。。

とにかく、生まれた子供は法皇の子だったともいわれたことから、やがて皇位を巡って戦争が起こることになった。 このことが後に源平の争乱へとつながっていき、やがて武家社会へと体制を変えるきっかけとなったのですよ。 つまり、待賢門院璋子さんが居なかったら歴史はずんぶんと変わっていたかもしれないのですよ。 鎌倉幕府はなかったかもしれない。

歴史に「もしも」はありませんわ。。。 んで、この事が言いたかったので、デンマンさんはわざわざ待賢門院璋子さんを持ち出してきたのでござ~ますか?

いや。。。 璋子さんの美しさにも改めて驚いたけれど法金剛院の蓮の花の美しさも素晴らしいと思ったのですよ。


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あらっ。。。 本当に美しゅうござ~♪~ますわァ。 つまり、蓮の花の美しさに心を奪われてこの記事を書き始めたのでござ~ますか?

もちろん、法金剛院の蓮の花も素晴らしいのですよ。 でもねぇ、この蓮の花を見たら僕はふるさとが懐かしくなったのですよ。

あらっ。。。 「古代ハスのふるさと」でござ~♪~ますか? うふふふふふ。。。

その通りですよ。

行田は古代ハスのふるさとです

おほほほほ。。。。

今日は、もう、始めから

現れてしまいましたわぁ~、

あなたにお会いしたかったので

ござ~♪~ますわよゥ。

懐かしい京都もよいですけれど、

デンマンさんが生まれ育った

行田にも行きたいのですわよ。

ええっ?どうしてかって?

それはね、デンマンさんは

もちろんですけれど、

あたくしにとって行田とは

切っても切れない縁が

あるのでござ~♪~ますのよ。

どうしてだか、お分かりになりますか?

行田は古代ハスの

ふるさとなのでござ~♪~ますのよ。

きれいでしょう?

あたくしの初恋の花でござ~♪~ますのよ。

ええっ?どういうわけかってぇ。。。?

実は、八ツ橋を売るお店に、

かわゆい男の子が居たのでござ~♪~ますのよ。

おほほほほほ。。。

その男の子にあたくしが

恋をしたのでござ~♪~ますわ。

ええっ?その話しはすでに聞いたって。。。?

だから、あたくしがその男の子に

きれいなハスのお花を手渡したのですわよ。

ええっ?なぜかって。。。?

あたくしの愛の告白のつもりでしたのよ!

うふふふふふふ。。。。

そういうわけで今日は古代ハスの

お話をしようと思ったのでござ~♪~ますのよ。

どうか、しばらくの間付き合ってくださいませませ。。。

うししししし。。。。

行田市の“天然記念物”に指定されている行田蓮(古代蓮)は
原始的な形態を持つ1400年から3000年前の蓮なんですってよ。
この古代蓮が発見された行田市の小針と言う地区は、
なんとデンマンさんが生まれ育ったところから歩いて30分ぐらいの所にあるんですって。

今から約2000年前、この古代蓮の里一帯は、
たくさんの水生植物が茂る湿地帯だったそうです。
そのとき咲いていた蓮の実が地中深くもぐり、
ふたたびあたたかい陽射しをあびる日まで長い長い眠りについたのですね。

1971年(昭和46年)、行田市では小針地区に新しい焼却場施設を建設するために造成工事を始めたのです。
掘削によってできた場所に水がたまって池となり、
地中深く眠っていた蓮の実が静かに目覚めたのです。

1973年(昭和48年)、池の水面に
多くの丸い葉が浮いているのが発見されたのです。
その後、葉の数もふえつづけ、ついに7月13日、
長い眠りから覚めた古代蓮が可憐なピンクの花を咲かせたのです。

ハスの種子は殻が硬く発芽させにくいのですよね。
でも、そういうわけで、条件が良ければかなり長期間保存が効くのです。
だから、2000年前の地層から発見されたハスの種子が、
発芽することもあるのですわ。
ハスの種が、いかに長寿であるかが実に良く分かるエピソードですよね。

行田市ではその後、小針地区に“古代蓮の里”を立ち上げました。
“古代蓮”をシンボルとする公園です。
古代蓮の自生する付近に憩いの場として、
子どもからお年寄りまで楽しめる公園になっていますよ。
ホームページは次のリンクをクリックしてみてくださいね。

■ 『古代蓮の里 ホームページ』

では、ここで万葉集の中の蓮を詠んだ歌を紹介します。
ちょっと面白い歌ですよ。

原文: 勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之

作者: 女性だけれど名前は不明です。

よみ: 勝間田(かつまた)の、池は我れ知る、蓮(はちす)なし、
  しか言ふ君が、鬚(ひげ)なきごとし

意味: 勝間田の池は、私も知っていますよ。
  でも、蓮(はす)はありませんわ。
  そのようにおっしゃるあなた様に
  ひげがないのと同じように。うふふふふ。。。

新田部皇子(にいたべのみこ)が勝間田の池に咲く蓮の花を見て感動したのですね。
その事をこの歌の作者である女性に語ったわけです。
それを聞いて、その女性が戯(たわむ)れに詠んだ歌なのですわ。

外出先で美しいハス(=美人)でも目にしてきたのでしょう、
。。。と皇子の話を聞いた女性がからかったわけなのですよね。
蓮の字は「恋」に通じることから、
この歌には他にもいろいろ恋情にかかわる諸説があるようですわ。

蓮は、スイレン科、熱帯産、多年草の水生植物で、
花托(花の中心部:実がなる)が蜂の巣の形に似ていることから、
「はちす」と呼ばれていたのです。

仏教との関わりもあり、その巨大な花は極楽浄土に咲くとされ、
そのイメージは仏像の台座に使われています。

ところで、現在各地で栽培されているハスは、
仏教の本家インドの原産なんですよ。
縄文末期に日本に渡来していたことがわかっています。

あなたも、懐かしいふるさとの花を探しに
久しぶりにふるさとに戻ってみては。。。?

ふるさとの懐かしい花を求めて、
散策の旅に出てはいかがですか?



 
『卑弥子さんと古代ハス』より
(2009年7月22日)

あああァ~、あたくしも懐かしいですわァ~。。。 もう4年前ですわねぇ~。。。 あたくしはデンマンさんのために、こうして一生懸命にお手伝いしていたのでござ~♪~ますわァ。

そうですよう。。。そうですよう。。。僕は感謝していますよう。。。だから、卑弥子さんに素晴らしいお婿さんが来るように、僕も一生懸命にお手伝いしているのですよう。 うしししし。。。

デンマンさんは、マジでござ~♪~ますか?

もちろんですよう。。。 僕は大真面目で卑弥子さんの幸せを願っているのですよう。

。。。んで、どうして上の記事を思い出したのでござ~ますか?

REALOGに投稿した上のページを見て、なんと、ダ・ヴィンチさんから次のようなコメントをもらったのですよ。 卑弥子さんも覚えているでしょう?

私は茨城ですが、県の花は薔薇。
しかし、本来は茨の花を昔は多かったと聞く茨城県ですけどね。
未だ茨って見た事無いんです。
既に見るのは園芸品種が野放しで野生化したモノばかり。
原型と言うか原種が気に成ります。

古代ハス。
最近植物園で見ました。
蓮根のハスなんかと違い神秘的な色合いと大きさが印象的でしたわ。

素敵な画像に溜め息出ちゃうわ。
羨ましい行田市。

by ダ・ヴィンチ

2006-09-26 17:08:05


『行田は古代ハスのふるさとです』のコメント欄より
(2006年9月26日)

ええ、ええ、ええ。。。 覚えていますわ。 ダ・ヴィンチさんは再婚なさったと聞いてますけれど、今どのように過ごしておられるのでしょうか?

きっと幸せに暮らしていると思いますよ。 このハスの花のように。。。


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【小百合の独り言】

ですってぇ~。。。
古代ハスの里には私も何度も伺っていますけれど本当にきれいなハスの花が咲いていましたわ。

古代ハスと言えば、実は、私の祖先は百済から難民としてやってきたのです。

ええっ。。。? どうして、そのようなことが解ったのかってぇ~。。。?
実は、デンマンさんに教えていただいたのですわ。
それまで全く知りませんでした。

百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったようです。
でも、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって、デンマンさんの祖先と一緒に武蔵国まで行ったのですってぇ~。

ええっ。。。? 「それはデンマンがでっち上げた御伽噺」だとおっしゃるのですか?

とにかく、私の実家は館林にあるのですわ。
デンマンさんのご実家から車で20分から30分です。
ホントに、目と鼻の先です。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんと私は日本で出会ったことがなかったのです。
不思議な事に、私がデンマンさんに初めてお会いしたのはカナダのバーナビー市でした。
私が13年間借りていた“山の家”で巡り合ったのですわ。

バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。
上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。

この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に私が借りていた“山の家”が会ったのですわ。

この家でデンマンさんと15年ほど前に初めてお会いしました。

この上の写真は、デンマンさんがコラージュしてでっち上げたのですけれど、ちょうど、このように寅さんのような格好をしていたのですわ。
うふふふふふ。。。
それだけに、私は強烈な第一印象を持ちました。

でも、どうして私の祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たの?

私にはよく理解できなかったのです。
デンマンさんは、おっしゃいました。

DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですってぇ。
デンマンさんと同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、私は館林から佐野を経由してカナダのバーナビーに渡ったのです。
そして、デンマンさんと“山の家”で出会ったのでした。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

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『徳子と小督の悲話』

 
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徳子と小督の悲話

2013年4月18日

 

徳子と小督の悲話

 


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デンマンさん。。。 「悲話」というタイトルが見えてますけれど上の画像を見ていると、なんとなくエロい雰囲気が漂ってくるのでござ~♪~ますわァ~。。。


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。。。ん? エロい雰囲気ですか?

そうですわ。。。 3枚目の画像ですわよう。。。 どう見てもエロいではござ~♪~ませんか! だからボカシが入っているのですわ。 そうでしょう?

卑弥子さんはエロい画像ばかりに注目するからですよ。

だってぇ、どうしてもエロい画像に目が釘付けになってしまうのですわ。 うふふふふふ。。。

それは卑弥子さんがエロい事に興味があるからですよ。

あらっ。。。 デンマンさんは、あたくしがエロい女だと思っているのでござ~ますか?

違うのですか?

んもおおおォ~。。。 ムカつきますことォ~!。。。 あたくしは、これでも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授でざ~ますわ。 言うに事欠いてエロい女などとォ~。。。 あたくしの母親が聞いたら涙を流して悲しみますわよう。。。

そうでしょう。。。 そうでしょう。。。 だから、今日は悲話の話しをするのですよ。

あらっ。。。 エロいお話ではないのでござ~♪~ますか?

あれっ。。。 卑弥子さんは、エロい話の方がいいのですか?

だってぇ。。。、だってぇ~。。。 デンマンさんがせっかくエロい画像を貼り付けたのでござ~ますから、あたくしはかまいませんけれど、エロい画像を見た世界のネット市民の皆様の多くがエロいお話を期待していると思うのでござ~ますわ。

あのねぇ~、何も卑弥子さんが他のネット市民の皆様のエロい興味の事を考える必要はないのですよ。 卑弥子さん自身はどうなのですか? エロい話の方がいいのですか?

デンマンさん! いい加減にしてくださいましなァ! 出だしからこのような下らない事でガタガタ言わないで細木数子のようにズバリ!と本題に入ってくださいましなァ。 んもおおおォ~!

分かりました。 卑弥子さんがそのように言うのであれば、まず次のリストを見てください。


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(lib30413e.gif)

赤い枠で囲んだ本をバンクーバーの市立図書館から借りて読んだのでござ~ますか?

その通りですよ。 よく分かりましたね。

だってぇ~、昨日も上のリストを持ち出したではござ~ませんか!


(hana009.jpg)

この本はなかなか読み応え、見応えのある本ですよ。 素晴らしい写真がたくさん貼ってあるので眺めているだけでも飽きないのです。 バンクーバーでこの本を手にとって眺めていると京都の風景が本当に懐かしくなってきますよ。

あらっ。。。 それほど京都の風景が懐かしいのでござ~ますか?

そうです。。。 京都生まれで京都育ち。。。、 しかも、京都にある女子大学でエロい腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を教えている卑弥子さんが実に羨(うらや)ましいですよう。

「エロい腐女子」が余計でござ~ますわ。 それで、上の御本の中に「徳子と小督の悲話」が出てくるのでござ~ますか?

そうなのですよ。 ちょっと次の小文を読んでみてください。

『平家物語』で歩く紅葉名所

建礼門院徳子は、平家全盛の頃清盛の次女として生まれ、15歳で高倉天皇の中宮になる。
その後、西海壇ノ浦で我が子の安徳天皇と平家一門の悲劇を目の当たりにする。

都へと戻された彼女は、安徳天皇と平家一門の菩提を弔うために剃髪し出家した。
それが落飾の地・東山の長楽寺(ちょうらくじ)で本堂の左手に建礼門院の落飾の塔ともいう、燃えるような紅葉に包まれた供養等が建っている。


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 (中略)

一方、小督(こごう)の悲恋物語は『平家物語』の中に描かれる女人の話として哀切極まるものである。
高倉天皇の寵愛を受けた小督が徳子より先に子を生む。
すると清盛は怒り、小督を無理やり尼にして追放した。

黒染めの衣をまとった小督は最初嵯峨野に隠れ、その後、東山清閑寺(せいかんじ)に籠もって、23歳で死去したと伝えられている。
境内には小督塚が舞い落ちる紅葉を受けて建っている。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


88ページ 『花物語で歩く京都』
著者: 川端洋之
2006(平成18)年3月15日 第1刷発行
発行所: 株式会社 淡交社

僕は『平家物語』を現代語訳で一通り読んではいたのだけれど、なぜか小督さんの悲話を見逃していたのですよ。

なぜでござ~ますか? エロいお話ではないので読み飛ばしていたのですわね。 うふふふふふ。。。

やだなあああァ~。。。 卑弥子さんは僕をエロい男だと思っているのですか?

殿方はすべてエロい生き物でござ~ますわよう。 おほほほほほ。。。

確かに、男はエロい話が好きですからね。。。 言われてみれば建礼門院徳子さんには次のようなエロ話が伝わっているのですよ。

私に合わせて腰を上下に

徳子が結婚したのは18歳、夫はわずかに12歳だったし、その夫婦生活もたったの9年だから、真の快美を知らぬのも無理はなかった。
まして閨技など、義経に教えられるまで、こんな世界があるなんて思いもよらない。
「私は怨むわ。 あなたのお節介を。 でも、これを知らないで死んだら、どんなにか悔いることでしょうね」うわごとのように、くり返す。

義経は半身を起こして、玉唇の紫龍をくわえる様を、つらつらと眺める。
徳子は恥ずかしく、脱いだ衣を集めて半身をおおう。
義経はわざと激しく出没させる。
「ああ、やめて」と止めるのも聞かず、かえって一の指を玉中に加え、「私のは細いから、これでちょうど良くなりましょう」とからかう。
徳子は両手で顔をおおい、悶えた。
「痛い。 裂けるわ。 やめて」
「お産の時は、もっと広げたでしょうに」
「恥を捨てて任せたのに、更に辱めるのですか」
「とおっしゃるなら、別の方法もありますよ。 教えてあげよう」


(bond010.gif)

右手に徳子の腰を、左手に肩を抱えて身を起こす。
自分はあぐらをかき、その上に徳子の尻を載せ、跨(またが)らせる。
「ああ、何をするの?」

義経は手をのばし襯衣(シャツ)を取り、徳子の背にかぶせた。
徳子の方は夜具を引き、これまた義経をおおう。
義経は襯衣(シャツ)の外から背を抱き、もう一方の手で尻を、こちらは襯衣(シャツ)の内から抱えた。
徳子は両手で義経の首につかまる。
彼の顎をおのが肩に載せさせる。
顔を傾ければ唇は斜めに義経の口に接した。
舌と舌で互いの口中を洗う。
股間の陽は陰をつき、陰は陽を噛まんとする。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)


44-46ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社

『徳子はエロカワ?』に掲載
(2013年1月25日)

あらっ。。。 もろにエロいお話でござ~♪~ますわ。 うふふふふふ。。。

卑弥子さん!。。。 鼻息が荒くなって。。。 眼が。。。 眼がギラギラと輝いてますよ! あのォ~。。。 そんなに近づかないでくださいよ。 卑弥子さんの鼻息が僕の顔に吹きかかるのですよ!

デンマンさん!。。。 悪い冗談はお止めになってくださいましなァ! どうして私の鼻息が京都からバンクーバーに吹きかかるのですかァ~?

とにかく、徳子さんには、このようなエロい話が伝わっているのですよ。

。。。んで、小督(こごう)さんのエロ話は。。。?

それが無いのですよ。

マジで。。。? どういう訳で小督さんにはエロいお話が無いのでござ~ますか?

だから、なぜだろうと思って僕はこの記事を書くことにしたのですよ。 

でも、探せばどこかに小督さんにのエロいお話があるでしょうに。。。?

それが無い! 探したけれど、どこにも見当たらないのですよ。 ただ、次のような悲しい物語だけが伝わっているのです。

小督哀話


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『嵯峨野の月』(月岡芳年『月百姿』)源仲国と小督時は平氏全盛の平安朝最末期、時の帝であった高倉天皇は最愛の寵姫を亡くし悲嘆に暮れていた。
見かねた中宮(清盛の娘である建礼門院徳子)は天皇を慰めようと、美貌と音楽の才能で名高かった中納言・藤原成範の娘を紹介する。

宮中に上がった成範の娘は小督局と呼ばれ、天皇の寵愛を一身に受けた。

しかし、中宮の父である平清盛は、天皇が中宮である娘を差し置いて小督に溺れる事に怒り狂い、小督を宮中から追い出してしまった。

小督は清盛を恐れて嵯峨に身を隠し、天皇とも音信不通となってしまう。
天皇の嘆きは深く、密かに腹心の源仲国(宇多源氏・源仲章の兄)を呼び出して小督を秘密裏に宮中に呼び戻すよう勅を賜った。


(kogo3.jpg)

ちょうど仲秋の夜のこと、月が白々と照る中を嵯峨野に出かけた仲国は、小督が応えることを期待して得意の笛を吹いた。
すると、見事な「想夫恋」の調べがかすかに聞こえてくるので、音のするほうに向かうと、果たして粗末な小屋に小督が隠れ住んでいた。


(kogo2.jpg)

最初、小督は清盛を恐れて宮中に帰るのをしぶるが、「想夫恋」の曲で彼女の真意を悟っていた仲国に押し切られこっそりと天皇の元に帰ってきた。
2人はひっそりと逢瀬を重ねるが、清盛におもねる者から秘密が漏れて、小督は無理やり出家させられてしまう。

能の「小督」はこのうち嵯峨野の場面に取材したもので、伝金春禅竹作の四番目物。
現在も比較的盛んに上演される、美しくも哀切な名作である。


出典: 「小督(こごう)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

確かに、悲しいお話ですわ。 小督さんには何の落ち度も無いのに宮中から追い出されて、しかも天皇とこっそりと逢っているのが知れると平清盛によって無理やり尼さんにされてしまう。 本当に悲しいお話だと思いますわ。

ほおォ~。。。 卑弥子さんが目に涙まで溜めて悲しむなんて珍しいですねぇ~。。。

だってぇ~、 小督さんの身になって考えると本当に悲しいことですわ。。。んで、あたくしに悲しいお話を聞かせて涙ぐませるために小督さんの悲話を持ち出してきたのでござ~ますか?

いや、違いますよ。。。 そうじゃないのですよ。

では、なぜ。。。?

あのねぇ~、徳子さんにはエロ話があって、小督さんにはない。

それがデンマンさんにとって、それほど不思議なのでござ~ますか?

そうですよ。 だってぇ、考えてみてください。 小督さんは徳子さんよりも明らかに美人で音楽の才能もあった女性ですよ。。。 言ってみれば、男にとってこれ以上の魅力的な女性は居ないと思える。 実際、高倉天皇は徳子さんよりも小督さんに惹きつけられてしまった。 だから、小督さんは美人である以上に性格も良い女性であったに違いない。 男がそれほど恋い焦がれてしまう女性にもかかわらず小督さんにはエロ話がない。 

どうしてでござ~ますか?

つまり、小督さんの悲話は余りにも悲し過ぎるのですよ。 だから誰しもが同情してしまう。

でも、徳子さんのお話だって充分に悲しいと思いますわ。

確かに、徳子さんの話も悲しい物語に違いない。 でもねぇ、大きな違いがある。 小督さんの運命を狂わせたのは、そもそもが徳子さんの父親の平清盛なのですよ。 だから、徳子さんのエピソードも小督さんの哀話も悲しいものには違いないのだけれど、平清盛が徳子さんの父親であるために、民衆は小督さんの味方になったのですよ。

つまり、小督さんをネタにエロ話をするには、余りにも可哀想だと。。。 あまりにも恐れ多いと。。。 それで、徳子さんの方がエロ話のネタにされたと言うことでござ~ますか?

まず間違いなく、そういうことだと思うのですよ。


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【小百合の独り言】


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ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?

確かに、徳子さんだってずいぶんと悲しい目にあっているのですわよね。
でも、小督さんは、徳子さんのお父さんである平清盛のために悲運に泣くことになったのです。
それで、民衆は徳子さんよりも小督さんに同情を寄せたのでしょうね。

ところで、お話は変わりますけれど、私の祖先は百済から難民としてやってきたのです。

ええっ。。。? どうして、そのようなことが解ったのかってぇ~。。。?
実は、デンマンさんに教えていただいたのですわ。
それまで全く知りませんでした。

百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったようです。
でも、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって、デンマンさんの祖先と一緒に武蔵国まで行ったのですってぇ~。

ええっ。。。? 「それはデンマンがでっち上げた御伽噺」だとおっしゃるのですか?

とにかく、私の実家は館林にあるのですわ。
デンマンさんのご実家から車で20分から30分です。
ホントに、目と鼻の先です。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんと私は日本で出会ったことがなかったのです。
不思議な事に、私がデンマンさんに初めてお会いしたのはカナダのバーナビー市でした。
私が13年間借りていた“山の家”で巡り合ったのですわ。


(burnamap2.gif)

バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。
上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。


(burnamap3.gif)

この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に私が借りていた“山の家”が会ったのですわ。


(deerlak3.jpg)


(house22.jpg)


(house23.jpg)

この家でデンマンさんと15年ほど前に初めてお会いしました。


(room007.jpg)

この上の写真は、デンマンさんがコラージュしてでっち上げたのですけれど、ちょうど、このように寅さんのような格好をしていたのですわ。
うふふふふふ。。。
それだけに、私は強烈な第一印象を持ちました。

でも、どうして私の祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たの?

私にはよく理解できなかったのです。
デンマンさんは、おっしゃいました。

DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですってぇ。
デンマンさんと同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、私は館林から佐野を経由してカナダのバーナビーに渡ったのです。
そして、デンマンさんと“山の家”で出会ったのでした。

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冷血頼朝

2013年2月19日

 

冷血頼朝

 


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デンマンさんは源頼朝が嫌いなのでござ~♪~ますか?


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どうも好きにはなれない人物ですよ。

どうしてでござ~ますか?

冷淡で、非情で、極めて自分よがりなところがあると思うのですよ。

たとえば。。。?

例えば『平家物語』に次のような場面があるのです。


(shigemori.jpg)

NHK大河ドラマでの平重盛

小松殿重盛のお子・丹後侍従忠房(ただふさ)は、屋島の戦の折、おちのびて行方も知れず姿を隠しておられたが、紀伊国の住人・湯浅権守宗重をたのんで、湯浅城にたてこもられた。

 (中略)

鎌倉殿の命により熊野別当湛増が、二、三ヵ月の間に八度攻めよせて戦った。
城兵は命を惜しまずに防いだので、寄手は毎回追い散らされ、熊野法師が数多く討ち死にする。
別当の湛増は頼朝公へ急使を走らせ、(略) と申し出ると、鎌倉殿は、
「(略) 城にたてこもる兵はさだめし山賊、海賊のたぐいであろう。
彼らの取締りをきびしくして、城に出入りができないよう口を固めて守るがよい」
と言われた。

その仰せどおりにすると、案のじょう後には一人も城に姿をみせないようになった。
頼朝公はなおも計をめぐらせて、
「小松殿重盛のお子がたの中、一人でも二人でも生き残られた者がおるならば、命はお助けしよう。
理由は池禅尼(いけのぜんに)の使いとして、私の命を助け流罪にしたのは、ひとえにかの内府重盛殿の芳恩によるからだ

この計にのせられて、丹後侍従(忠房)が京の六波羅へ自首して出た。
そして鎌倉へ護送されると、頼朝は忠房に対面して、
「都へお帰りなさい。 京近くの田舎に、お住いすることを考えておきました」
そう騙して京へのぼらせ、後から人をやり、勢田の橋のほとりで、忠房を斬らせてしまった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています)


279-280ページ 『平家物語 (下)』
著者: 中山義秀 現代語訳
2004年12月20日 初版発行
発行所: 河出書房新社

源頼朝は平重盛の子供を助けようと言ってるのですよ。 なぜなら池禅尼(いけのぜんに)の使いとして、平清盛の嫡男である重盛が口をきいてくれたので殺されずに伊豆に流罪になったというのです。 だから、重盛の子供を助けたいと。。。でも、それは頼朝の本心ではなかった。 ただ、そのような噂を流しただけ。。。

その噂を聞きつけて重盛の子供である平忠房(ただふさ)が自首して出て来たのでござ~ますか?

その通りですよ。 ところが面と向かって頼朝は命を助けると言っておきながら勢田の橋のほとりで忠房を斬らせた。 つまり、恩を仇(あだ)で返したことになるのですよ。 このようなところに僕は頼朝に冷血漢を見るのです。

でも、戦国時代にはそのような事はよくあったことなのでしょう?

あのねぇ~、この当時はまだ後の戦国時代ほど世は乱れてなかった。 現に、平清盛は頼朝を殺そうとしたけれど、継母の池禅尼が命だけは助けてあげてくださいと頼んだので、頼朝を助けてあげたのですよ。 それなのに頼朝は、重盛の子供たちを一人でも二人でも助けると言っておきながら、騙して忠房を斬らせた。 それも、いかにも親切そうに「都へお帰りなさい。 京近くの田舎に、お住いすることを考えておきました」なんて、おためごかしな事を言っている。

それはちょっとやりすぎですわよね。

卑弥子さんだって、これはちょっと酷(ひど)いと思うんでしょう!? 殺される忠房の身になって考えてみてくださいよ。 命が助かると思って忠房は京都の六波羅へ自首して出た。 それから鎌倉へ送られて頼朝と対面した。 甘い言葉をかけられてから、また京都へと。。。 ところが勢田の橋までやって来ると、「この場で死んでもらいます」と言われる。 「どうして。。。、なぜ。。。? 頼朝殿は命を助けると言ったのですよ! ああそれなのに、それなのに。。。」 騙されたと知った、その時の忠房の気持ちを考えると、僕は頼朝という人間が血も涙もない冷酷な殺人鬼に思えてくるのですよ。

でも、そのような事は武士の世界には付き物だったと思いますわ。

あれっ。。。 卑弥子さんは凶悪な冷血動物の源頼朝を庇(かば)うのですか?

別に頼朝を庇おうとしているのではござ~ませんわ。 ただ、ウィキペディアを見たら『平家物語』とは違うことが書いてありましたわ。

池禅尼


(zenni02.jpg)

長治元年(1104年)頃に生まれる。
長寛2年(1164年)頃に亡くなる。
平忠盛の正室。
平清盛の継母に当たる。

平治元年(1159年)の平治の乱においては複雑な政争を勝ち抜いた清盛が勝利し、その結果、源義朝ら他の軍事貴族が駆逐された。
翌永暦元年(1160年)2月、義朝の嫡男で13歳の頼朝が池禅尼ならびに頼盛の郎党である平宗清に捕えられた。
この際、池禅尼は清盛に対して助命を嘆願したと言われている。
また頼朝の助命の為に池禅尼が断食をし始めたため、清盛も遂に折れて伊豆国への流罪へと減刑したとも言われている。

上記内容を記している『平治物語』では頼朝が、早世した我が子家盛に生き写しだったことから池禅尼が助命に奔走したとするが、実際には頼朝が仕えていた上西門院(待賢門院の娘、後白河の同母姉)や同じ待賢門院近臣家の熱田宮司家(頼朝の母方の親族)の働きかけによるものと推測される。

その後、池禅尼は死去したと言われているが、正確な没年は不明である。

頼朝は池禅尼の恩を忘れず、伊豆国で挙兵した後もその息子である頼盛を優遇し、平家滅亡後も頼盛の一族(池氏)は朝廷堂上人および幕府御家人として存続する。


出典: 「池禅尼」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

このように頼朝は池禅尼の恩を忘れず、伊豆国で挙兵した後もその息子である頼盛を優遇し、平家滅亡後も頼盛の一族(池氏)は朝廷堂上人および幕府御家人として存続すると書いてありますわ。 平忠房を殺したけれど、池禅尼の息子である頼盛を助けているのですわよ。 そればかりか幕府御家人として優遇しているのですわよ。 だから、池禅尼に対して恩返しをしているのですわ。

もしかして卑弥子さんの家系には源頼朝の血が入っているのですか?

いいえ。。。 あたくしの家系は主に藤原氏の血が濃いのでざ~ますわ。 あたくしの知る限り頼朝とご先祖様とは何の関係もありませんわ。

だったら、頼朝を弁護する必要はないじゃありませんか! どうして頼朝の肩を持つのですか?

別に頼朝さんの肩を持っているわけではござ~ませんわ。 たまたまウィキペディアを見たら『平家物語』とは違うことが書いてあったのですわ。

あのねぇ~、そもそも『平家物語』とは、「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しで始まって平家の滅亡を描いた物語ですよ。

存じ上げておりますわ。

つまり、平家が滅んだのは、武士にもかかわらず貴族の真似をして、おごり高ぶったからだと言うバックグラウンド・ミュージックのようなものが全編を通して流れている。 要するに、平家を悪く言う物語なのですよ。

だから、どうだと言うのでござ~ますか?

だから、平家の者どもが悪く言われるのは当たり前なのですよ。 それで『平家物語』では平清盛が必要以上に悪者にされている。 そんな中で僕が引用した場面では頼朝が清盛以上に悪い人間として。。。人を騙す冷血漢として描かれている。 つまり、『平家物語』の作者を含めて、この当時の人は義経に対しては好感を持っていても、頼朝に対しては好感を持ってないのですよ。 『平家物語』では、むしろ作者は源頼朝を冷血動物を見ているような書き方をしている。

でも、ウィキペディアを見たら『平家物語』とは違うことが。。。

あのねぇ~、ウィキペディアを書いている人は現在に生きている人ですよ。 『平家物語』を書いた人は、実際に平清盛や頼朝が生きていた時代を知っている人です。 だから、『平家物語』の作者の意見の方を尊重すべきだと僕は思うのですよ。

そうでしょうか?

それに、頼朝は人間として見ても、とりわけ素晴らしいと思わせるようなところがない。

まるで、見てきたような事をデンマンさんは言いますわね?

あのねぇ~、僕は生まれ故郷の行田市に帰省していた去年の11月にNHK大河ドラマの『平清盛』を楽しみにしながら観ていたのですよ。


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その中で描かれた北条政子と源頼朝のやり取りを見ていると、頼朝は政子よりも1段も2段もランクが下のような人物にしか見えない。 その後、尼将軍として権勢を振るった政子の方が頼朝よりも“将軍”らしい。

でも、それはデンマンさんの個人的な受け取り方ですわよう。

あれっ。。。 卑弥子さんは大河ドラマの中でも頼朝に肩を持つのですか?

だってぇ、頼朝に扮している岡田将生君はカッコいいんですものォ~。。。 うふふふふふふ。。。


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やだなあああァ~。。。 カッコいいとか、ハンサムだとか。。。 そういうことは大河ドラマとは関係ないのですよ。 どうでもいいことですよ。 もっと歴史的人物の本質を見てくださいよう。 んもお~~!

つまり、デンマンさんは何が何でも頼朝が嫌いなのですわね?

いや、僕は客観的に好き嫌いを考えないようにして見ているつもりです。 『平家物語』を読んでも、大河ドラマを観ても、頼朝という人物はごく平凡な人間だったのではないかと思えるのですよ。 そのような思いに駆られました。 つまり、周りの人から持ち上げられて小山の大将になっただけだと。。。 実際に動いたのは義経を含めて有能な部下たちですよ。 しかも、頼朝は完全に政子の尻に敷かれてますよ。

あらっ。。。 カカァ~天下の家庭だったのでござ~ますか?


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大河ドラマを観ていたらマジでそう思いましたよ。 つまり、頼朝という人間はごく平凡な人間だったのですよ。 だから、徳川家康などと比べると頼朝の名言というものは、ほとんど残ってない。 僕は頼朝の名言を何一つとして思い出せませんよ。 つまり、頼朝という人間は平凡でつまらない、ごく平均的な人間だったからめ名言を残さなかった。

つまり、頼朝さんは有能な部下に支えれれて鎌倉幕府を立ち上げたけれど、本人にはこれと言った才能がなかったとデンマンさんは言うのですか?

だってぇ、そうでしょう。。。!? もし頼朝がマジで才能ある人間だったら、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康のように名言を残してますよう。 卑弥子さんは頼朝の残した名言を一つでも知ってますかァ~?

知りませんわ。 そう言われてみれば不思議と頼朝さんの名言というのは歴史の教科書にも出てきませんわね。

そうでしょう!? だから、源頼朝という人物は言ってみれば東国の武士たちに「源氏の棟梁」だと持ち上げられただけの、ごく平凡な人間だったのですよ。

そうかしら。。。?

そうなのですよ。 それに、『吾妻鏡(あずまかがみ)』には次のような箇所がある。

辰刻(たつのこく)、国宗、院宣を捧げて樋口の河原に武州(北条泰時)に相逢(あ)ひ、子細を述ぶ。
武州院宣を拝すべしと称し、馬より下りぬ。
共の勇士五千余輩あり、この中に院宣を読めるものありやと、岡村次郎兵衛尉をもって尋ねたところ、勅使・河原小三郎云う。
武蔵野国の住人藤田の三郎は文の博士のものなりと。
藤田を召し出だして院宣を読ましむ。

(デンマン注: 読み易く読み下しました。
赤字はデンマンが強調)


承久3(1221)年6月15日の条
『吾妻鏡』

これは承久(じょうきゅう)の乱の出来事なのですよ。

その承久の乱ってぇどのような事だったのでござ~ますか?

鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた事件です。 鎌倉幕府の成立後、京都の公家政権と鎌倉の武家政治の二頭政治が続いていたのです。 ところが後鳥羽上皇は公家政治をやりたくて鎌倉幕府を滅ぼそうとした。

。。。んで、上の院宣というのは、この後鳥羽上皇が書いた命令書なのでござ~ますか?

そうですよ。 ところが鎌倉軍五千もの武士がいながら、北条泰時も含めて漢文で書かれた院宣が誰も読めなかった。

だから、どうだと言うのでござ~ますか?

やだなあああァ~。。。京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授ともあろう人が僕の言おうとしていることが理解できないのですか?

つまり、漢文というのは当時のアジアでの国際語で。。。 その漢文を読める人が5000人の関東武士の中に誰も居なかったとデンマンさんは言いたいのですわね?

その通りですよ。 卑弥子さんは理解しているじゃありませんかァ!

それが頼朝さんと、どのように関係しているのでござ~ますか?

あのねぇ~、もしですよ、源頼朝に「源氏の棟梁」としての実力と才能があったなら、学問や文学を疎(おろそ)かにはしなかったはずなんですよ。 ところが頼朝という人物は平凡な人間だった。 むしろ嫉妬深くて冷血な人間だった。 『平家物語』に書いてあるとおりです。 だから、その下で動いていた関東武士も漢文が読めなかった。

でも、漢文がそれほど重要だったのでござ~ますか?

もちろんですよ。 平清盛は学問も文学も疎(おろそ)かにはしなかった。 だからこそ、中国との貿易、つまり、日宋貿易に見られるような財政基盤の開拓に励んだ。 宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築いたのですよ。 時代の矛盾に行き詰まりつつあった貴族政治を打ち破り、貴族的要素が強いとは言え、日本初の武家政権を打ち立てた。 頼朝は、清盛が打ち立てた制度を引き継いだに過ぎない。 頼朝自身はほとんど何もしなかったのですよ。 それが証拠に部下の関東武士の5000人の内に漢文が読めるものが居なかった。 つまり、国際化という点においては全く無知な人だったのですよ。

でも、当時、国際化する必要はなかったのではござ~ませんか?

やだなあああァ~! あったでしょう! 鎌倉時代に元が日本へ攻めてきたでしょう! 当時、すでに国際化の動きがあったのですよ! 鎌倉幕府の後の室町幕府を考えてみてくださいよ。 金閣寺を建てた足利義満のことを思い出してください。 義満は若年の頃から明への憧憬を深く抱いていた。 もちろん、学問や文学も疎(おろそ)かにはしなかった。 中国・明の建文帝は義満を日本国王に冊封し、同時に明の大統暦が日本国王に授与されて、両国の国交が正式に樹立されたのですよ。 日本国王が皇帝に朝貢する形式をとって明との勘合貿易が1404年(応永11年)から始まった。

でも、遣唐使の廃止以来、独自の政策を採っていた公家社会では、明皇帝の臣下となる朝貢貿易に対して不満や批判が多くあったのですわ。

あれっ。。。 卑弥子さんは何も知らないような顔をしながら知っているではありませんか!

これでも京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している身でござ~ますわ。 その程度のことは存じ上げております。

だったら、1397年(応永4年)に、西園寺家から京都北山の「北山弟」(ほくさんてい)を譲り受け、舎利殿(金閣)を中心とする山荘、つまり、のちの金閣寺を建てたことも知っているでしょう?

ええ。。。 存じ上げておりますわ。

足利義満が学問も文学も疎(おろそ)かにせず、漢文も読めたから、武家様・公家様・唐様(禅宗様)が融合した北山文化というものが日本に根付いたのですよ。 

つまり、頼朝さんは極めて平凡で冷酷な人物で、文化的には日本が誇るよな物を何も残さなかったとデンマンさんは言うのでござ~ますか?

その通りですよ。 彼自身は文化的なものを何一つ残してない! 全部他の人たちがやったことです。

でも、徳川家康さんは頼朝の事績が多く書かれている『吾妻鏡』を集めて写させ、吾妻鏡を読み頼朝の行動を学んだと言われていますわ。

あれっ。。。 知らないようでいて卑弥子さんは、そのような事まで知っているのですか?

聞きかじりですわ。 うふふふふふ。。。

あのねぇ~、僕は頼朝のすべてが悪いと言うつもりはないのですよ。 頼朝にだって長所はあったと思いますよ。 「一寸の虫にも五分の魂」と言いますからね。。。 徳川家康が、その頼朝の良い所を学ぼうとする姿が素晴らしいではありませんか! でもねぇ~、『保暦間記』(ほうりゃくかんき)という、南北朝時代に成立した歴史書があるのですよ。 作者は不明だけれど、14世紀半ば、延文元年(1356年)以前に南北朝時代の足利方の武士によって書かれたと言われているのですよ。 それによると、頼朝の死因を自らが滅ぼした源義広、義経、行家、安徳天皇の亡霊によると記している。 つまり、当時からその生涯は罪深いものとして捉えられていたのですよ。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。
頼朝さんは落馬が原因で死亡したと言われています。
でも、詳しい事は分かっていません。

源頼朝さんは、確かにあまり良いことは言われないようですわよね。
それでも、自分の妻子には甘かったそうですわ。
富士の巻狩りで12歳の息子・頼家が鹿を仕止めた時は喜んで妻の北条政子に報告の使いを送ったそうです。
でも、それを聞いた政子は「武士の子なら当たり前だわ」と言われてしまったそうです。
政子さんは、かなり男勝(まさ)りな人ですわね。

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