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源氏物語の性描写

2016年7月19日

 

源氏物語の性描写

 


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デンマンさん。。。 今日はどういうわけでエッチな話題を取り上げたのでござ~ますかァ~?


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卑弥子さんが喜ぶと思ったのですよ。。。 うしししししし。。。

そのような下卑(げび)た笑いを浮かべながら、実は、デンマンさんご自身がエッチな話題が何よりもお好きなのでしょう!?

やだなあああァ~。。。 卑弥子さんは僕がそれほど性に飢えていると信じ込んでいるのですかァ~?

だってぇ~、タイトルを見れば、そうとしか考えられませんわァ~!

あのねぇ~、実は、エッチな話題を取り上げたのは僕ではないのですよ。

でも。。。、でも。。。、上のタイトルを書くのはデンマンさん以外にはおりませんわァ~。。。

信じられないのならば、ちょっと次のリストを見てください。


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『拡大する』

あのねぇ~、これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の7月1日から17日までの約2週間の「人気検索キーワード」のリストですよ。。。 赤枠で囲んだ 10番に注目してください。

あらっ。。。 「源氏物語 性描写 現代語訳」を入れて検索してデンマンさんのブログにやって来られたネット市民の方が 3名いたのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 だから、その人たちのために“源氏物語の性描写”というタイトルにしたわけですよ。。。 そういうわけで僕も「源氏物語 性描写 現代語訳」と入れてGOOGLEで検索してみました。。。 その結果を見てください。


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『現時点での検索結果』

あらっ。。。 280,000件もヒットするのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 2013年2月8日に僕と卑弥子さんで語り合った記事『エロい源氏物語』が 6番目に表示されるのですよ。


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『実際の記事』

上の記事の中に、現代語訳された性描写が出てくるのでござ~ますかァ?

だから僕も調べてみました。。。 次の箇所が、その“性描写”に最もふさわしい所ですよ。。。

音勢(おとせ)は夜に入っても帰らない。

(母親の)浅香の酌で酒を飲んだ吉光公は、

したたかに酔い、横になる。

浅香がまめまめしく尽くす。

当然のなりゆきとなる。

 (ここからは読み下し文)

浅香は久しく男の傍らを、遠ざかりつることなれば、

歳はとっても何となく、初々しさに気もときめき、

自由になれば吉光は、やがて抱きしめ手をやつて、

山繭の腰巻を、探りひらきて内股へ、

わり込み給へば思ひの外、肌ざわりさへすべすべし、

毛はふつさりと房やうじを、並べていぢる如くなる、


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だんだん奥へさしこむ手先に、紅舌(さね)はさはれどこの辺り、

吐淫ぬらぬら溢れ出て、滑(ぬめ)りて紅舌もつままれず、

況(ま)して陰門の両淵は、流るるばかりのありさまに、

吉光もはや堪(たま)りかね、両手でぐつと内股を、

おし広げて足を割込み、鉄火に等しき一物をあてがひて

二腰三腰、おせば下より持ち上げる、

はずみにぬるぬる毛際まで、何の苦もなく押し込めば、

その開(ぼぼ)中の温かさは、いふも更なり忽地(たちまち)に、

子宮(こつぼ)ひらけて鈴口を、しつかと咥(くわ)へて内へひく、

その心よさ気味よさは、何に喩(たと)へんものもなく、

吉光は目を細くなし、口をすぱすぱ吸いながら、

大腰小腰九浅一深、上を下へとつき立て給ふに、

浅香は子供を二三人産みたる開(ぼぼ)にて、

さまざまの道具だてさへ多ければ雁首(かりくび)より胴中へ、

ひらひらしたもの巻きついて出しいれのたび玉茎(たまぐき)を

しごくやうにてえも言はれず、吉光あまたの側室を抱へ、

いろいろ楽しみたりといへど、かかる稀代の上開(ぼぼ)は、

いまだ覚えぬばかりにて、それいくいくア、またいくと、

浅香が背中へ手をまわし、力一ぱい抱きしめて、

嬌(よが)り給へばさらぬだに、浅香は誠に久しぶり、

殊(こと)には太く逞しき、一物に突きたてられ、

ヒイヒイフウフウム、フウと、声をも立てず最初から、

精をやりつづけて息もはづみ、正体もなき折からに、


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アアソレいくよまたいくよと、男に嬌(よが)りたてられて、

何かは以(もっ)てたまるべき、五臓六腑を絞るばかり、

陰水どろどろずるずると限りもあらず流れ出て、

昔を今にかへり花、たのしく其夜を明したり。

 (ここから現代文)

そもそも浅香は色好みの性で、

15歳で大納言蟻盛卿のおそば勤め中にお手がつき、

というより浅香の方から手を取りて、

あげくは妊娠、卿は実家に帰らせる。


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産まれたのが音勢である。

世間の手前、出産前に婿を迎えたが、

とんでもない食わせ物で、すぐさま離縁した。


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(読み易いように改行を加えました。
赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


158-160ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社

でも、この部分は紫式部が書いた『源氏物語』には出てこないのでござ~ますわァ。

卑弥子さんが そのような事を言ったら、せっかく上の文章を読んで刺激を受けたネット市民の皆様がガッカリするではありませんかァ!

でも。。。、でも。。。、あたくしは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授として、本当の事を申し上げねばなりませんわァ。

確かに、卑弥子さんの言う通りなのですよ。。。 上に引用した文章は、実は、「国貞三源氏」の一つである『正写相生源氏』のエピソードなのですよ。。。 昭和30年4月10日に原文が伏字無しで初めて出版されたのです。

つまり、映倫に引っかかるような極めてエロい。。。 うふふふふふ。。。 猥褻な。。。 ヤ~らしい文章で書かれているのでござ~ますか?

そうなのです。。。 エロに厳しかった昭和30年代としては勇気のいる出版だったのですよ。

。。。んで、『源氏物語』のどの帖と関係あるのでござ~ますか?

それが『源氏物語』の54帖のどれとも直接のかかわりはない。。。 ただし「ここに何れの御時にや。。。」と『源氏物語』の書き出しに似せて始まっているのです。 京は北嵯峨のあたりに、表に冠木の門を構え、築山(つきやま)や川の流れを備えた庭のある洒落(しゃれ)た屋敷があり、40歳ばかりの未亡人と14歳のひとり娘、それに二、三人の女中、老僕が住んでいるのですよ。

それで。。。?

母を浅香(あさか)といい、娘を音勢(おとせ)というのです。 家屋敷は借金の抵当(かた)に入っている。 つまり、この母と娘は貧乏な暮らしをしているのですよ。 でも、娘がチョ~美人で京の都では評判になっている。 その噂を聞きつけた21歳になる光源氏ならぬ吉光公(よしみつこう)が御所に上げよと言ってきた。

。。。で、母親はお金に目がくらんで娘を御所に上げるのでござ~ますか?

そうしないと話が進まない。。。 この母親がどこからか吉光公の噂を聞きつけてきた。

どのような。。。?

この吉光公は好色で、その上、巨根の持ち主だという。。。 まだ初潮を迎えたばかりの音勢(おとせ)には荷が重過ぎる。 そこで母親は近所のお金持ちで弓削道足(ゆげのみちたる)という名の50歳になる男に性教育を頼んだのですよ。

あらっ。。。 なんとなく、あの有名な弓削道鏡をもじったような名前ですわねぇ~。。。

それもそのはず。 この弓削道足(ゆげのみちたる)という男も巨根の持ち主なのですよ。

あらっ。。。 50歳になる巨根の持ち主に14歳の娘の性教育を頼んだのでござ~ますか?

そうなのです。 娼家では生娘(きむすめ)を店に出す前に、世慣れた年寄りに「水揚(みずあ)げ」をしてもらう。 つまり、男女の道を実地に教えるわけですね。 この初老の男は、かなり乗る気で「10両出すからぜひワシにやらせてくれ」と言う。 母親はお金が欲しいから二つ返事でお願いしますと言った。

でも、14歳の娘には、母親は何と言って説得したのでござ~ますか?

御殿勤めに必要な作法だから一生懸命に勉強するようにと。。。

なんだか、はしたないお話ですわねぇ~。。。 だから、このようなエロいお話は本物の『源氏物語』にはないのでござ~ますわァ~。。。

確かに、卑弥子さんの言うことはもっともなことなのですよ。。。 だから、その事については検索結果のトップに出てきた青枠で囲んだYahoo!知恵袋でも言及しているのですよ。

どのように。。。?

卑弥子さんのためにここに書き出しますから、じっくりと読んでみてください。


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源氏物語の性描写って

そんなにすごいんですか?

例えばどのように描写されてるんですか?

学校でも習わなかったので。

lady3chさん 2011/12/620:33:40


ベストアンサーに選ばれた回答

eldorado992002さん 2011/12/1214:16:43

あの尾木ママがテレビで『源氏物語』の性描写はスゴイ、などと言ってしまったので、ますます誤解を招いているようですが…

結論から言うと、『源氏物語』にはスゴイというほどの性描写はありません。

エロ小説やポルノ画像に囲まれている現代人にとっては、物足りないどころか「何もしていない」に等しい描写しかありませんよ。

性描写横溢説をとる人たちは、物語に出てくる様々なものを、やれ男性器(ファルス)の暗喩(メタファー)だ、やれ肛門期の性的不安だ、などと象徴づけたがるのですが、こういう牽強付会を許してしまうと、すべての物語はポルノ小説となるでしょう。……フロイト学説の、誤った応用です。

『更級日記』には、伯母からもらった『源氏物語』に耽読していた少女時代の筆者が記されていますが、当時の筆者は14歳程度でしょう。

そんな少女にポルノまがいの物語をプレゼントする伯母がいますか?

いかに当時の婚期が現代人より早いとは言え、夫婦の夜の営みの解説書を贈呈する風習など、当時だってありません。

つまり、当時の人たちも『源氏物語』を大河ドラマとして受け取っていたわけです。

性描写がリアルな古典なら、もっとエグイのがありますよ。

『源氏物語』が未だにポルノ小説呼ばわりされているのは、みなウワサばかり信じてそもそもの本文を読んでいないからです。

尾木ママは読んでいるとは思いますが、あの発言はテレビ用ですから。 ←つまりウワサの助長ですね。

彼のあの発言は、世の人が『源氏物語』に少しでも触れる機会がありますように、という教育者のご親切な動機付けじゃないでしょうか。


注: イラストとYouTubeはデンマンが貼り付けました。

『Yahioo!知恵袋』より

その通りなのでござ~ますわァ~。。。 『源氏物語』にはスゴイというほどの性描写はありません。 尾木ママは、世の人が『源氏物語』に少しでも触れる機会がありますように、という教育者のご親切な動機付けなのでござ~ますわよう。

確かにその通りなのですよ。。。 でもねぇ~、よ~く考えてみると、上のエピソードが書かれた『正写相生源氏』が出版されたのは、『源氏物語』では物足りないものを補(おぎな)うつもりだったのですよ。。。 要するに、『源氏物語』が無ければ生まれることのなかった作品です。

つまり、『源氏物語』からインスピレーションを受けて『正写相生源氏』が生まれ出たということでござ~ますかァ?

そういうことですよ。。。 かつて、司馬遼太郎先生が言ってました。


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“作品は作者だけのものと違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ~”

つまり、『正写相生源氏』の作者は、『源氏物語』を読んで、残りの50%の部分で上のエピソードを書いたとデンマンさんは主張するのでござ~ますか?

そうですよ。。。 “行間を読む”というのは、そういうことですよ。。。


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ですってぇ~。。。
確かに、“行間を読む”というの重要なことですわァ。。。

でも、あたくしが思うに、『正写相生源氏』の作者は妄想をたくましくしたのでござ~ますわよう。
うふふふふふふ。。。

いずれにしても、平安時代には性に関して 大変おおらかでござ~ましたわァ。。。
それで、子供に話して聞かせられないようなお話もたくさんありますわ。

ところで、あたくしにも お子様に見せられないような魅力があるのでござ~ますわァ。
あたくしの“女の魅力”ですわよう。
うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 そんな魅力が あたくしにあるのかってぇ~。。。?

それが、あるのですわよ。。。
この際、あなたにも ご覧に入れますわァ!

 

“タラァ~。。。!”

 


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あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”でござ~ますわァ~。。。

ええっ。。。 上のお写真が、あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

うふふふふふ。。。

ところで、源氏物語のお話も、大変興味深いですけれど、

他にも いろいろな面白いお話がござ~ますわァ。

たまには、日本古代の面白いお話にも関心を示してくださいまし。

あなたのために古代史の記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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愛憎と三輪山

2016年5月4日

 

愛憎と三輪山

 


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デンマンさん。。。 愛と憎しみが三輪山と関係あるのでござ~ますかァ~?


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関係ないように見えても関係あるのですよ。。。 関係なかったら、上のようなタイトルを書けませんからねぇ~。。。

。。。んで、どういうわけで“愛憎と三輪山”というタイトルにしたのでござ~ますか?

あのねぇ~、実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りた本を読んでいたら次の箇所にぶち当たったのですよ。

額田王が近江に下向する時の歌


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明日香や藤原で生活していた人びとは、円錐形の三輪山を東に望んで生活していた人びとであった。
その三輪のミモロ、カムナビ(土地の神様がおられる所: デンマン注)を、額田王(ぬかたのおおきみ)が、奈良盆地の北の遥か奈良山から歌っている歌がある。

題詞によれば、近江に下向する時に歌われた歌だという。
だとすれば、一時的な別れであるにせよ、永遠の別れであるにせよ、大和を去るにあたって歌われた歌ということになる。

額田王、近江国に下る時に作る歌、井戸王の即ち和ふる歌


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味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に

い隠るまで 道の隅 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを

しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや

反歌

三輪山を 然も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや


上の二首の歌は、山上憶良大夫の類聚歌林に曰く、「都を近江国に遷す時に、三輪山を御覧す御歌なり」といふ。
日本書紀に曰く、「六年丙寅の春三月、辛酉の朔(つきたち)の己卯(きぼう)に、都を近江に遷す」といふ。

[和ふる歌省略]    (巻1の17、18)

まさに、故郷を離れる人々の心情を読み取ることのできる歌である。

万葉ファンなら、一度は読んだことのある歌だろう。

(略) 訳すと、

額田王が近江国に下った時に作った歌、そして井戸王がすぐに唱和した歌


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うまい酒といえば三輪 その三輪山を 青土がよいという 奈良の山の 山の向こうに

隠れゆくまでに 道の曲がり角の 見えなくなるまでに 幾重にも幾重にも重なってゆくまでに

思う存分に 見続けながら旅立ってゆきたいのに…… 幾たびも幾たびも眺めてゆきたい山だのに……

つれなくも その三輪山を雲が 隠してよいものか

(そんなことが許されてたまるものか……)

反歌

三輪山を そんなにも隠してよいことか せめてせめて雲だけでも わが思いを察してほしい

隠してよいものか (私はいつまでも見ていたいのだ……)


上の二首の歌については、山上憶良大夫の『類聚歌林』に、「近江国に遷都した時に、三輪山をご覧になって天智天皇がお作りになったお歌である」と記されている。

『日本書紀』には、「天智天皇の6年3月19日」、近江に遷都したと記されている。

[和ふる歌省略]

。。。となろうか。
奈良山から見る三輪山は、遥か南に望むことができる小さな山だ。

しかも、竜王山などの山影に隠れ、その全体が見えるわけでもない。
山並みの一つで、よほど注意深く見なくては、あれが三輪山だと気づくことはない。

だから、わざわざ奈良山に登って三輪山を見ようとする人などいない。
いるとすれば、『万葉集』の愛好家だけだ。

 (中略)


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この歌の左注は、山上憶良大夫の『類聚歌林』という書物と『日本書紀』を引用して、歌が歌われた事情について、編纂者の考えを述べている。
『類聚歌林』は、今日、残念ながら現存しないのだが、『万葉集』の編纂にあたって中心的に用いられていた資料と異なる伝えもあった。
その場合、編纂者は、『類聚歌林』をみますと、別の伝えもあるのですよ、と引き合いに出すのである。

この歌の場合、天智天皇が都を近江に遷した時に作った歌との伝えもあったようだ。
この『類聚歌林』の伝えを確認せんがために、編纂者は『日本書紀』を引用して、年月日を確認しているのである。
『類聚歌林』の伝えを信じれば、当該歌は額田王の作ではなく、遷都にあたっての、天智天皇の御製歌ということになる。


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 (中略)

なぜ、作者は、繰り返し繰り返し、三輪山を見たいと歌ったのだろうか?
私は、故郷の山たる三輪山への哀惜の念と、三輪山に対する畏敬の念があったからだろう、と信じる。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


190-195ページ
『日本人にとって聖なるものとは何か』
著者: 上野誠
2015年1月25日 初版第1刷発行
発行所: 中央公論新社

あらっ。。。 額田王(ぬかたのおおきみ)の長歌と反歌でござ~ますわねぇ~。。。 とっても素敵なお歌でござ~ますわァ~。。。

あれっ。。。 卑弥子さんは、この長歌と反歌の素晴らしさが解るのですかァ~?

デンマンさん! 失礼でござ~ますわよう! こう見えても、あたくしは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を教えているのですわァ~。。。 この程度のお歌は、あたくしにとって朝ご飯の前なのですわァ~。。。 うふふふふふふ。。。

それを言うなら“朝メシ前”と言ってくださいよ。

つまり、額田王(ぬかたのおおきみ)の長歌と反歌を持ち出してきて、デンマンさんは あたくしの古代文学の素養を試そうとしたのですわねぇ~。。。?

卑弥子さんは、そのようカングッタのですかァ~?

それ以外に考えられないじゃござ~ませんかア!

。。。で、上の歌のどこに卑弥子さんは感銘を受けたのですか?

本の著者が書いてるではござ~ませんかア! 額田王(ぬかたのおおきみ)は故郷の山たる三輪山への哀惜の念と、三輪山に対する畏敬の念があったために、繰り返し繰り返し、三輪山を見たいと歌ったのでござ~ますわァ。。。 誰が上のお歌を読んでも、そのようなところに感動するものですわァ~。。。 おほほほほほ。。。

卑弥子さんはマジでそう思うのですかァ~?

デンマンさんは、そうじゃないとおっしゃるのでござ~ますかァ。。。!?

あのねぇ~、僕は他の記事の中で次のように書いたことがある。


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私たちが生きてゆく過程で必要なのは、

すでに分かりやすい形に

加工されている情報を摂取し、

頭を太らすことだけでなく、

情報という形になっていない情報を、

どのくらい自分の力で噛み砕き、

吸収していくかということなのである。

それは、うまく世の中を渡れる知識を

手っ取り早く獲得することとは一線を画し、

いかに自分が人間として、

生き生きした時間を開拓するか

ということにつながっているのである。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


257ぺージ 『考えの整頓』
著者: 佐藤雅彦
2012(平成24)年1月27日 第3刷発行
発行所: 暮らしの手帳社

『愛の擬人法』に掲載
(2016年4月28日)

なるほどォ~。。。 情報という形になっていない情報を、どのくらい自分の力で噛み砕き、吸収していくか? そのことが大切だとおっしゃるのでござ~ますわねぇ~。。。

その通りですよ。。。 生前、司馬遼太郎さんも、次のように言ってたのです。。。


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“作品は作者だけのものと違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ~”

名言だと思います。。。 つまり、卑弥子さんが読者として、上の額田王の長歌と反歌をどれほど理解できるか? 要するに、残りの50%の分を どれほど読みつくすことができるか? それが問題だということですよ。

あらっ。。。 デンマンさんは、あたくしの読みが足りないと言うのでござ~ますかァ?

だってぇ、そうでしょう! 卑弥子さんは本の著者が言うままに 額田王の長歌と反歌の良さをオウムのように繰り返しただけですよ。。。 卑弥子さんは京都の女子大学で橘卑弥子・准教授として教鞭をとっているのですよ。。。 当然の事だけれど、卑弥子さんの これまでの人生経験と、これまで学んできた国文と、日本史と、すべてを噛み砕いた上で 全身全霊の力を込めて理解すべきなのですよ。。。

つまり。。。、つまり。。。、あたくしの理解力が足りないとデンマンさんは主張するのでござ~ますかァ~?

そうです。。。 本の著者の言っていることは通り一遍の解釈に過ぎない! 卑弥子さんは、僕をうならせるような解釈をして欲しかったのですよ。

。。。ということは、デンマンさんには あたくしを うならせるような解釈ができると言うことでござ~ますわねぇ~?

そうです。。。

分かりましたわァ。。。 デンマンさんが そのように言うのでしたら、さっそく その あたくしを“うならせるような解釈”とやらを聞かせてくださいましなァ~。。。

じゃあ、まず次の記事を読んでみてください。

僕は中学校の歴史の時間に“大化の改新”について学んだことがありました。
僕はとりわけ歴史が好きなわけではなかった。数学とか物理の方が好きだった。
本当に歴史が面白くなったのは社会人になって、松本清張さんとか司馬遼太郎さんの歴史小説を読むようになってからのことです。

でも、中学校の歴史の時間は面白かった。先生が歴史が好きな事が良く分かった。その話し方も熱を帯びて、僕は引き込まれるように聞き入ってしまうことも多かった。
“大化の改新”の話しも面白く聞いたものでした。
今から思えば、その先生は後に天智天皇になる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の熱烈なファンだったようです。

大化の改新を日本史の上でも大変重要な出来事として評価していたし、この皇子に関しては、ベタ褒(ほ)めにしていたものです。
先生の話を聞いて、確かにすばらしい人物だと言う事が僕にも良く理解できたものでした。
だから、僕も、中大兄皇子は聖徳太子よりもすばらしい人物だと思っていたものでした。

ところが、高校の古文の時間に額田女王の歌を読んだ。
僕にしてみれば、あれほどすばらしい中大兄皇子を選ばずに、額田女王は、後に天武天皇になる大海人皇子(おおあまのおうじ)を選んだ。
僕にはこの点が理解できなかった。
古文の先生も、その辺のところは良く説明しなかった。

そういうわけで、この事は僕には謎めいた事としてずっと後まで不思議な事としてオツムの片隅に残っていた。
ところが、高校を卒業して20年ほどたった頃に、僕は次の歌に出くわしました。


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金木(かなき)つけ

わが飼ふ駒は

引き出せず

わが飼ふ駒を

人見つらむか

これは孝徳天皇が詠(よ)んだ歌です。分かりやすいように背景を説明します。
天智天皇と実の妹は恋愛関係にあったという歴史学者が居ます。

僕は、そのような事もありうるとは思っていますが、天智天皇と実の妹が“恋愛”していたとは思いません。
一口で言えば、天智天皇は女性にモテルようなタイプではなかったからです。

しかも、実の妹を本当に愛していたなら、孝徳天皇に監視役として嫁がせるようなことは、初めから決してしないと僕は信じているからです。
孝徳天皇は中大兄皇子(後の天智天皇)の叔父にあたります。
つまり、皇子の母親の弟です。

大化の改新をやり遂げた中大兄皇子と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が相談して、いろいろな事情から、中大兄皇子がすぐに天皇にならない方が良いという事になり、後ろから操りやすい叔父を天皇にしたのです。
その監視役として皇子は妹をこの叔父に嫁がせました。
ところが、だんだんとこの叔父が皇子の言うことを聞かなくなった。

大化の改新より8年後の653年、孝徳天皇は遷都の問題で中大兄皇子と対立します。
孝徳天皇は都は現在の難波のままでよいと言うのですが、中大兄皇子は強引に大和へ都を移してしまいます。

孝徳天皇は天皇とはいえ、実権は中大兄皇子が握っています。
つまり、孝徳天皇は実権を持たないお飾り天皇です。

しかし、いかに傀儡(かいらい)とはいえ、天皇です。
しかも皇子の母親の実の弟(叔父)です。
その天皇を皇太子に過ぎない中大兄皇子が置き去りにしたのです。

その時、皇子は実の妹の間人(はしひと)皇后を無理やり連れて行ってしまったのです。
もちろん、これは僕の解釈ですが。。。


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確かに事情はよく分かる。

しかし、結局お前は、夫であり、叔父である、私よりも、実の兄である、中大兄皇子の言うことに従って、私を見捨ててゆく。


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人の世は、決してそういうものではないと私は思う。

だが、今となっては、嘆いたところで仕方がなかろう。


(koutoku3.jpg)

間人(はしひと)皇后は無理矢理連れて行かれたのだから、それも仕方がないのだろう。
孝徳天皇は、そのように諦めたのでしょうね。

僕がここで言いたい事は、政治と言うのは政治力、言い換えれば、権力だけで推し進めてもうまく行くものではないですよね。
結局、その政治家の人間性が問題になってきます。

ここで中大兄皇子の人間性を詳しく述べる事はしません。
関心のある人は次の記事を読んでください。

『定慧(じょうえ)出生の秘密』

要するに、中大兄皇子には実行力とやる気があるので、中臣鎌足がこの皇子と組んで実行したのが大化の改新だった。
しかし、もともと鎌足が目をつけたのは孝徳天皇になる軽皇子(かるのみこ)の方だったのです。

でも、実行力とやる気がイマイチだった。
それで、中大兄皇子の方と組むと言う経緯(いきさつ)があったのです。

何事かを起こすには、やはり実行力とやる気ですよね。
しかし、政治を行うと言うことになると人間性が問題になってきます。

この人間性を象徴する意味で僕は上の歌を引き合いに出したのです。
つまり、中大兄皇子(天智天皇)は、このようは非情な事をする人です。

この天智天皇の政治や生い立ちを調べてゆくうちに、いろいろな事が分かってきました。

『天武天皇と天智天皇は同腹の兄弟ではなかった』

『天智天皇は暗殺された』

『天智天皇暗殺の謎』

僕が、この人物を調べながら感じた事は、天智天皇の人間としての非情さが浮き彫りにされてゆくんですよ。
それで、ハタっ。。。と思い当たったのが額田女王の歌だったわけです。
20年ぶりで額田女王の歌を調べなおしてみました。

すると、ジグゾーパズルの抜けていた箇所が埋め合わされてゆくように、天智天皇の人間像が額田女王の歌からも、よりはっきりと浮かび出てくるのです。
額田女王が、なぜ中大兄皇子ではなく大海人皇子を選んだのか?
20年以上、僕のオツムの片隅で不思議であったこの謎が氷解してゆくような思いでした。

額田女王は建前で“性の平等”を詠(うた)っていたのです。
でも、本音では天智天皇の政治を嘆いていたんですよね。
つまり、批判していたのです。

額田女王は、やはり人間を見極める目を持っていた才媛だったのです。
僕はそう思ったものですよ。

額田女王の相手になる人物は、二人とも後に天皇になる人物です。
言ってみれば政治的人物です。

だから、政治的な背景を無視して人物を選んだとしたら、その女性は余程の愚か者としか言いようがありません。
しかし、額田女王は“美しく、才知にあふれ、強く情熱的な女性”だった。
どの解説書を読んでも、この女性が愚かだったとは書いていません。


『性と愛と批判』より
(2006年5月8日)

あらっ。。。 デンマンさんは10年前に、こんな事を書いていたのでござ~ますかァ?

いけませんか? うししししし。。。

笑っている場合じゃござ~ませんわァ~。。。 つまり、額田王が詠んだ長歌と反歌は、実は、天智天皇が詠んだものだったのでござ~ますかァ~?

そうですよ。。。 だから、『万葉集』の編纂者だった大友家持が わざわざ子供の頃の自分の家庭教師だった山上憶良が書いた『類聚歌林』を持ち出してきて、「近江国に遷都した時に、三輪山をご覧になって天智天皇がお作りになったお歌である」と引用したのですよ。。。 更に、『日本書紀』まで持ち出してきて、「天智天皇の6年3月19日」、つまり、653年に大和から近江に遷都したと確認している。

でも、デンマンさんが書いた上の記事では、大化の改新より8年後の653年、孝徳天皇は遷都の問題で中大兄皇子と対立し… 孝徳天皇は都は現在の難波のままでよいと言うのですが、中大兄皇子は強引に大和へ都を移してしまったのですわねぇ~。

そうです。。。 孝徳天皇は天皇とはいえ、実権は中大兄皇子(後の天智天皇)が握っていたのです。 つまり、孝徳天皇は実権を持たないお飾り天皇だったのですよ。 しかし、いかに傀儡(かいらい)とはいえ、天皇です。 しかも中大兄皇子の母親の実の弟、つまり皇子の叔父さんです。 それなのに、孝徳天皇を皇太子に過ぎない中大兄皇子が置き去りにしたのです。 しかも、皇子は実の妹の間人(はしひと)皇后を無理やり連れて行ってしまったのです。

あらっ。。。 天智天皇は、ずいぶんと酷(ひど)い事をなさったのでござ~ますわねぇ~。。。 でも、それは653年の出来事で 上の三輪山のお歌は 667年に天智天皇が詠んだお歌でござ~ますわァ。

だから、大和から近江に都を移すにあたって、14年前の653年に、無理やり叔父さんを難波に置き去りにして、叔父さんの妻になっていた実の妹を無理やり連れてきたことを思い出しながら、三輪山を、つまり、大和の都を振り返って詠んだのが 上の長歌と反歌ですよ。 意味は次のようになります。


(miwa05.jpg)

三輪山には いろいろな思い出がある。

だから、こうして大和を去るにあたって、見えなくなるまで

幾たびも幾たびも眺めてゆきたい山だ……

しかし、つれなくも その三輪山を雲が 隠してしまった。

想えば、14年前に、私もつれないことをしたものだ。


(koutoku3.jpg)

無理やり叔父さんを難波に置き去りにして、

叔父さんの妻になっていた実の妹を無理やり連れだしてきたのだ。


(hashihi02.jpg)

こうして、三輪山を 雲が隠しているのは、

その時の報(むく)いなのかもしれない。

でも、あの時は そうするより仕方がなかったのだ。

 


(miwa06.jpg)

だから、こういう思いを込めて 天智天皇は詠んだのですよ。


(foolw.gif)


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますかァ~?

天智天皇は、もうずいぶん昔にお亡くなりになりました。

でも、本当のところは、天地天皇に訊いてみないと解りませんわよねぇ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、
実は、あたくしは毎日ジムに通って女の魅力を鍛えたのでござ~ますわ。

ええっ。。。 どんな女の魅力かってぇ~。。。?

“ヴィーナスのえくぼ”でござ~ますわよう!

うふふふふふ。。。

あなたは信じられないでしょう?

じゃあ、ここでお見せしますわねぇ~。。。


(buttdimp5.jpg)

どうでござ~ますかァ?

この魅力によって あたくしの人気が出てきたのだと思うのですわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

天智天皇のお話は、大変興味深いでしょう?

他にも いろいろな面白いお話がござ~ますわァ。

だから、あなたのために古代史の記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいまし。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『寅さんの本棚』

『平成の紫式部』

『心にしみるウンチ』

『念願のトップページへ』

『愛とロマンの昔話』

『愛とロマンのアクセス解析』

『兄妹の恋のつづき』

『源氏物語エロいの?』

『酒が行って着物目変境』

『日本は外人に乗っ取られたの?』

『ん?ヒトラーはベジタリアン?』

『ふるさとの選挙と黒い霧』


(hama10.jpg)

『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)

歴史が大嫌いだったの?

2011年11月25日

   
 
歴史が大嫌いだったの?
 
 

あなたも歴史に目覚めてね
 
 
そうすれば、あなたも
 
 
こんな気持ちになるんだから…

デンマンさん…歴史ってぇ、それほど面白いものでござ~♪~ますか?

やだなあァ~。。。京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授がそのような寝ぼけた事を言ってもらっては困るのですよ。

あたくしは寝ぼけていませんわ。

源氏物語といえば歴史的にも優れた文学作品なのですよ。 それを教えている卑弥子女史が「歴史ってぇ、それほど面白いものでござ~♪~ますか?」はないでしょう!? 面白いから卑弥子さんも源氏物語に飛びついたのでしょう?

あたくしは歴史の中の「源氏物語」というよりも、源氏物語そのものに惹かれたのでござ~♪~ますわ。

卑弥子さんは、そのように言うかもしれないけれど「源氏物語」は文学の歴史の中では極めて重要な位置を占めているのですよ。 僕が言わなくても卑弥子女史ならば十分すぎるほど理解しているでしょう!?

まあ。。そうですけれど。。。タイトルは、あたくしに向けられたものなのでござ~♪~ますか?

いや。。。実は、卑弥子さんがマスコットギャルをやっている『新しい古代日本史』サイトの記事にコメントをもらったのですよ。

どのようなコメントでござ~♪~ますか?

読んでみてください。

あらっ。。。このコメントをお書きになったトムさんという方が歴史が大嫌いだったのでござ~♪~ますわね。

そうなのですよ。 でも、歴史に目覚めて現在では歴史にハマっているようです。

。。。で、デンマンさんはご返事を書いたのですか?

もちろんですよ。 僕の返信を読んでみてください。

Subj:
コメントありがとう!

バンクーバーのデンマンです。

Date: 23/11/2011 11:57:16 PM
Pacific Standard Time
日本時間: 11月24日 午後3時57分
From: greenok8@infoseek.jp
To: ******@ae.auone-net.jp
CC: barclay1720@aol.com

トムさん、コメントありがとうございます。
大嫌いだった歴史に最近目覚めているようで何よりです。
僕も中学生、高校生の頃は歴史と言えば受験のための教科だと思っていました。
。。。で、大学受験では日本史を選択したような記憶があります。
とにかく、歴史と言えば暗記科目で、僕もうんざりした覚えがありますよ。

好き嫌いというよりも、受験のために否応なく歴史を勉強したのが実情です。
うんざりした記憶だけが鮮明に残っているので、好きな科目ではなかったようですね。
実際、今思い出すと数学や物理と比べたらイヤな科目でしたよ。
歴史に興味を持つようになったのは松本清張の「日本の黒い霧」あたりからです。

それから司馬遼太郎の歴史小説に魅せられました。

歴史が面白く感じるようになったのは社会人になってからで。。。、それでも好きというほどではなく、受験勉強から離れて、マジで興味を惹かれるようになったのでした。
本当に歴史が面白いと思うようになったのはカナダにやって来てからです。
歴史が好きになるのは、どうやら社会人になってから。。。、という人が多いようですね。

僕の記事にコメントをもらうことは少ないのですが、それでも「学校を出てから歴史が好きになった」という。。。確かアメリカ人の女性からコメントをもらったこともありました。

とくに姓氏の成りたち
それぞれの姓氏の歴史について
この辺りから歴史がこじ開けられそうです

なるほどね。
確かに「姓氏の成りたち」は興味深いですね。
藤原氏は、元々は中臣氏という事になっていますが、大化の改新以降に政治にかかわる者たちが「藤原氏」と名乗るようになって、神祇省にかかわる「中臣氏」とは袂を分かって政治家集団を形成したようです。
しかし、元をただせば中臣鎌足の父親は、まず間違いなく百済からやって来て婚姻関係を結んで中臣一族の仲間入りをしたと僕は信じているのです。

中央が鎌足

右が長男の定慧(じょうえ)

左が次男の藤原不比等

中臣鎌足の父親は、元来が政治家だったのですよ。
百済からやって来た人物が日本古来の“神祇”など、初めから胡散臭いものだと思っていたことでしょう!?
だから、もともと中臣氏のやっている事に興味はなかったはずです。

では、なぜ中臣氏と婚姻関係を持ったのか?

当然、中臣氏と婚姻関係を持つことが当時の大和朝廷の中枢に近づき易いと考えたからでしょう!?
元々政治好きですから。。。
だからこそ、後に政治家集団として中臣氏から独立したのだと僕は信じているのです。
もともと「政治」を日本に持ち込んだのは半島からやって来た「蘇我氏」と「藤原氏」ですよ。
原日本人(アイヌ人の祖先)は自然と仲良くする人たちで、政治にはあまり関心がなかった。
だから、「蘇我氏」や「藤原氏」のように血なまぐさい争いごとをしなかった。

『魏志倭人伝』にも次のように書いてあります。

どうして、あなたがた原日本人は集落の周りに、我々中国人の街のように城壁で囲まないの?

これでは、盗賊や殺し屋やゴロツキどもに、どうぞ私の部落に盗みにやって来てください、と無言で招いているようなものじゃないの!?

かなり意訳しましたが(微笑)、原日本人の無防備さに呆れたり驚いたりしているのが、ひしひしと伝わってきますよ。
元々戦いを好まなかったアイヌ人は大陸からやって来た我々(現日本人)の祖先たちによって追いやられて、現在では北海道の北の方で、ひっそりと暮らしています。
これが「アイヌ人が平和を愛する民族」だということの何よりの証拠だと僕は信じています。

『平和を愛したアイヌ人』

我々(原日本人)の祖先、つまり、大陸から海を渡ってやって来た人たち、あるいは半島づたいにやって来た人たちが、いかに好戦的だったかということが分かります。
この好戦的な人たちによって、日本は歴史時代に突入したというのが僕の見解です。

とにかく、トムさん、コメントありがとうございました。
トムさんのメールと僕の返信を使って11月25日に記事を書きます。
次のリンクをクリックして読んでみてください。

『歴史が大嫌いだったの?』

https://denman705.wordpress.com/historia/tom/

日本時間で11月25日のお昼頃には投稿を済ませているはずです。
では、歴史を面白く楽しんでください。

いつものように自分勝手な事を書いていますわね。

言論の自由・表現の自由を満喫しているのですよ。 うへへへへへ。。。

コメントが書かれた記事というのは、どの記事なのでござ~♪~ますか?

次の記事ですよ。

『藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた』

トムさんがコメントを書く気になるほど面白い記事なのですか?

卑弥子さんも読んでみてくださいよ。 愚か者のコメントも書いてあって、そのコメントに対して僕が噛み付いているのですよ。 (爆笑)

それが面白いのですか?

いや。。。記事そのものも面白いですよ。

ところで、「アメリカ人の女性からコメントをもらった」と書いてありますけれど、マジですか?

返信の中にウソや「デマカセ」を書けませんよ。 僕も書いてから気になって調べたのだけれど、アメリカ人の女性ではなくてカナダ人でしたよ。

どのようなコメントをもらったのでござ~♪~ますか?

去年(2010年)の2月にもらった次のようなコメントです。 卑弥子さんも読んでみてください。

Subj: Beaverland Net Form Processor
Date: 04/02/2010 7:02:19 AM
Pacific Standard Time
From: jen_parrell04@canada.com
To: barclay1720@aol.com

MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted: Feb 04 2010 / 07:02:15

userid = barclay1720
tripod = hist-iceage-good
Your_Name = jennifer parrell

Your_Email_Address = jen_parrell04@canada.com

Comments:

This article was good!
For any other person that actually listened in school it would be excellent, but of course i didnt’t.

I’m 24 years old and only now getting interested in the history of the world!
i don’t know why it only interests me now

but lately i find myself searching different web sites to find out different things about the history in which me live in.

If you could help me out in finding some research about it, books or websites
it would be great!

jennifer parrell

この記事読み応えがあったわよ。
学校でお勉強している人が読んだら、きっと、もっと読み応えがあったでしょうね。
でも、私は学校から離れて、しばらくたつのよ。

実は、私ってぇ、24才なのよう。(もう、お勉強する年ではないのよう。)
どうして、今になって世界史に興味を持ったのか?自分でも分からないわ。

でも、最近、どう言う訳か、自分がこれまで生きてきた世界の歴史を知ろうとして、ウェブサイトを探していることが多いのよね。
それで、違った見方で歴史を見ようとしている自分に気づくのよ。

もし、そういう私に助けになるような本だとか、ウェブサイトをあなたが知っていたら、教えていただけませんか?
もし、教えていただけるなら、とっても助かるわ。

ジェニファー・パレル

【デンマン意訳】

『氷河からの女』より
(2010年2月6日)

あらっ。。。メールアドレスを見ると、マジでカナダからですわね。 でも、このメールアドレスは実際のものでござ~♪~ますか?

ジェニファーさんのプライバシーを守るために変えてありますが、実物も間違いなくカナダのメールアドレスでしたよ。

デンマンさんのことですから返信も書いたのでしょう?

よく分かりますね。 読みたいですか?

読みたくないと言ってもデンマンさんのことですから書き出すのでしょう?

よく分かりますね? うへへへへへ。。。 とにかく読んでみてください。

Subj: Thanks for your comment! From Vancouver
Date: 04/02/2010 9:16:19 PM
Pacific Standard Time
From: Barclay1720@aol.com
To: jen_parrell04@canada.com

Hi, Jennifer.

Thanks millions for reading my article and leaving a comment.
Yeah, I think it quite interesting to find out the history from a different viewpoint.
I don’t really remember exactly what book I read to write my story.
If I remember correctly, however, it is the history book published by “Lifetime Books”.
If you’re lucky enough, you could probably fint the title on the Net.

By the way, I’ve lately found “Underworld” fascinating.
It is a history book written by Graham Hancock, who is a best-seller writer and amature archaeologist.
You might have heard his name.
He is quite famous among history buffs.
And I’m one of those. he, he, he…
His homepage is http://www.grahamhancock.com.
In his book, you can for cure find quite a diferent viewpoint toward (or backward) our history.

Again, thanks a lot for reading my article and leaving a comment.
I’m looking foward to hearing from you someday.

Akira Kato
(a.k.a Denman)

ジェニファーさん、こんにちは。

僕の記事を読んでくれて、しかもコメントまで書いてくれて本当に、本当にありがとね。
うん、うん、うん。。。そうだよねぇ~。歴史を違った見方で見直すことってぇ、マジで面白いよね。
どの本を読んで記事を書いたか、僕はすっかり忘れてしまって思い出せないよう。
でも、記憶をさかのぼってみると、確か”Lifetime Books”社が出版した歴史書だと思うよう。
運が良ければネットで探し出せると思うよう。

ところで、最近、”Underworld”と言う本を読んだのだけれど、ジェニファーさんが読んでもハマッてしまうほど面白いよ。
あのベストセラー作家でアマチュアの考古学研究家のグラハム・ハンコックさんが書いた本だよう。
(日本語のタイトルは「神々の世界」です。)

おそらくジェニファーさんも名前ぐらいは、聞いたことがあるかもしれない。
ハンコックさんは、歴史にはまり込んでいる“歴史バカ”の間では有名ですよう。
僕も、その“歴史バカ”だけれど。。。うししししし。。。

彼のホームページの URL は次の通りです。
http://www.grahamhancock.com

ハンコックさんの本を読むと、マジでこれまでとは違った見方で世界史を読むことができると思う。
読んでみてね。

くどいようだけれど、僕の記事を読んでくれて、しかもコメントまで書いてくれて本当にありがとね。
またいつか、ジェニファーさんからコメントをもらえることを期待しています。
じゃあね。

Akira Kato

別の名をデンマンと言います。

『氷河からの女』より
(2010年2月6日)

デンマンさんが歴史にハマッていて、いろいろな本を手当たり次第に読んでいるという事が、なんとなく分かりますわ。

卑弥子さんにも判りますか?

判りますわよう。 あたくしだって『源氏物語』を研究している“専門バカ”の一人でござ~♪~ますから。。。おほほほほほ。。。同じ穴の狢(むじな)ですわよ。

【卑弥子の独り言】

あなたは最近、歴史の本を読みましたか?
ええっ。。。歴史の本ってつまらないから読まないの?

じゃあね、源氏物語を読んでみたら?

ええっ。。。源氏物語って昔の言葉で書いてあるから読んでも分からないと、あなたは、のたまうのでござ~♪~ますか?

現代語で書いてある本もたくさんありますわよ。
あのねぇ~、結構エロい事が書いてあって、その辺に転がっているポルノ雑誌よりもインスピレーションを与えられて、めちゃエロい気持ちになったりして、すっご~♪~く癒されることがあるのでござ~♪~ますわ。 うふふふふふ。。。

ええっ。。。それは変態的な読み方だと、あなたは、のたまうのでござ~♪~ますか?

とにかく、その辺で売っている週刊誌を読むのよりも、ずっと教養と文化の香りが身につくのですわ。
わりい事は言わないから、歴史の本を読まないのだったら、せめて源氏物語の現代語訳ぐらいは読んでくださいましね。

いづれにしても、興味深い記事が続くと思います。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあ、またね。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

デンマンさんのパソコンが約1年ぶりに立ち上がったそうです。

でも、マウスは動かないままですって。

マウスなしで、どうやってパソコンを使うのかしら?

わたしが尋ねたらキーボードのテンキーをマウスとして使うのですって。

このテンキーをどうやってマウスとして使うのかしら?

あなたも知りたいでしょう?

次の記事を読んでくださいね。

『キーボードをマウスとして使う』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあ、また。。。

海外志向とおばさんパンツ

2011年8月5日

 
海外志向とおばさんパンツ

【幼少時の観絵経験】

作家・司馬遼太郎(1923-1996)は、幼いころ(おそらくは満州事変勃発前後)、自宅にあった洛中洛外図屏風を虫眼鏡で眺めるのをつねとしていた、と回想している。
そのときとりわけ心ひかれたのは、金の極彩色の画面に点景人物として現れるポルトガル人(南蛮人)だったという。

「この点景人物がいなければ洛外洛中図は成立しない。 日本の犬でない犬も歩いている。 必ず歩いているのです。 それからアフリカ人のような者もいる場合がある。 それは南蛮人が従者としてつれている。 南蛮的な点景が入らないと花の都にはならない」(『日本人と日本文化』中公新書、1972年、ドナルド・キーンとの対話)

司馬が後年、紀行『街道をゆく』において、国内の諸街道から歩みをすすめて、フランスとスペイン国境のバスク地方にまで足跡をのばすことになる原点は、この幼少時の観絵経験にもとめられるのかもしれない。 江戸期につくられた洛中洛外図屏風のうち三点は、現在京都国立博物館に所蔵されている。

(野口良平)

(注: 赤字はデンマンが強調
イラストと写真はデンマン・ライブラリーより)


127ページ 『京都異国遺産』
編著者: 鶴岡真弓
2007年6月10日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 平凡社

ケイトーはどうして「海外志向とおばさんパンツ」といタイトルにしたの?

あのねぇ~、おととい『京都異国遺産』を読んでいたら、たまたま上の箇所に出くわしたのですよ。

つまり、「幼少時の観絵経験」がケイトーを日本から脱出させたの?

そうなのですよ。

それで、ケイトーの場合にも「洛中洛外図屏風」を虫眼鏡で見たことで大人になってからヨーロッパに行ってみたくなったと言う訳なの?

いや。。。「洛中洛外図屏風」ではなかった。

いったい、どの絵を見たの?

あのねぇ~、僕の祖母の実家が羽生市の今泉というところにあったのですよ。 僕がまだ6歳か7歳の頃、祖母に連れられてしばしば遊びに行ったものでした。

そこでケイトーに海外志向を与えた忘れられない絵を見たの?

いや。。。一枚の絵じゃなくて「世界の七不思議絵本」のような子供向けの本だった。

それがケイトーのおばあさんの実家にあったのォ?

いや、その実家から歩いて15分ぐらいのところに祖母の弟が住んでいる家があったのです。 その弟は、すぐそばの羽生市立井泉小学校の校長先生をしていた。 その娘に信子さんという僕よりも2歳年上の女の子が居たのですよ。 僕の親父の従妹にあたるのです。 この信子さんが僕が遊びにゆくと新しい弟ができたような気分になって僕を家来にして遊ぶのですよ。 (微笑)

その信子さんはケイトーのお父さんの従妹にしてはずいぶんと年が下なのね。

子供たちの中では一番末っ子だったのですよ。

それで信子さんがケイトーに「世界の七不思議絵本」を見せたの?

この上のような本だったですよ。 僕は初めて日本以外にも海を越えた遠いところに、たくさんの国があることを知ったのです。 しかも見たこともないような不思議な建物や自然がたくさんあった。

どんな物に興味を惹かれたの?

ピラミッド、ナイアガラの滝、エンパイア・ステート・ビルディング、アンコールワット。。。そういうものでしたよ。

世界の七不思議はピラミッドだけじゃないの。。。

だから、そういう世界の珍しい建物や自然を絵本にしたものを信子さんが僕に見せたのですよ。

つまり、カナダのナイアガラの滝が見たくってぇ初めて日本を飛び立った行き先がトロントだったのね?

いや。。。必ずしも意識していた訳じゃないけれど、今振り返ってみると、絵本の中にナイアガラの滝を見た記憶があるのですよ。

でも、小さい頃の事をよく覚えているわね?

あのねぇ~、僕は1歳の頃の記憶まで断片的に覚えているのですよ。

マジで。。。?

その事については以前に記事を書いたことがある。

『星空の記憶』

(2011年4月4日)

一歳の頃の記憶なんて普通の人にはないのよ。 たぶん、ケイトーはある時期に見た事があると思い込んでしまったのよ。

そうだとしても、ここで問題にしているのは僕の5歳から6歳の頃の記憶ですよ。 シルヴィーにだって5歳の頃の思い出は、はっきりと覚えているだろう?

まあ、そうね。。。それで、信子さんが見せてくれた絵本がそれほどケイトーの海外志向に決定的な影響を与えたの?

そうなのですよ。 信子さんは僕があまりにも熱心に絵本を眺め回していたので、その絵本を僕にくれたのです。

それでケイトーも虫眼鏡で見るように何度も何度もその絵本を眺めたの?

その通りですよ。 多分、その頃に海外に行って自分の目で不思議な建物や自然を見てみたいという気持ちが芽生えたと思うのですよ。

でも、その事とおばさんパンツがどのように関係しているの?

あのねぇ、僕と信子さんは気が合ったというのか。。。5歳から6歳の頃は祖母に連れられて実家に遊びに行くといつも仲良く遊んだものです。 でもねぇ、6歳の夏だと思うけれど、近くの小川で泳ごうと信子さんが言い出したのです。

それで一緒に泳いだの?

僕は水泳パンツを持ってゆかなかったから泳ぎたくても泳げない。

それで。。。?

信子さんが「あたいのパンツを貸してあげるから、これを穿きなさい」と言って太股の所にゴムの入ったパンツをもって来たのですよ。

あらっ。。。信子さんってぇ素敵な方じゃないの?

これは僕のオツムの中でイメージした成人した信子さんの姿ですよ。 その信子さんが差し出したパンツはポケットは付いてなかったけれど、ちょうど上のように太腿の所にゴム紐が入っている白い女児用のパンツだったのですよ。

それをケイトーは穿いて泳いだの?

いや。。。ゴム紐が入っているブルマーのような女児用のパンツを穿いて泳いだら、それこそ当時の子供たちの間で物笑いにされてしまうのですよ。 そのような恥ずかしい事をするくらいならば死んだ方がましだと言う気持ちが、すでに6歳の僕にも固定観念としてあった。

それで。。。?

信子さんは、それにもかかわらず、しつこく「パンツを穿いて泳ぐのよ!」と言ってゆずらない。

それで仕方なくケイトーは信子さんのパンツを穿いて泳いだの?

いや。。。死んでも絶対に穿きません!と6歳の僕は断固として頑張りぬいたのですよ。

それで。。。?

信子さんは元気で、はきはきとした男勝(まさ)りの女の子だったのです。 「あたいの言うことが聞けないの!」 そう言う。 僕も腕白でガキ大将のタイプだったから、結局、喧嘩になってしまった。 僕はムカついてきたので、彼女の髪をつかんでポカポカなぐった。

あららああ~。。。それってぇ乱暴だわよ!

信子さんも負けん気が強い女の子だったから「もう二度と来るな!」 結局、それ以来信子さんとは絶好ですよ。

あらっ。。。マジで絶交してしまったの?

そうなのですよ。 僕が大学生の頃、一度だけ行田市の僕の実家に訪ねてきたことがあったけれど、そのとき僕は仙台に居たから会えなかった。

結局、6歳の時から一度も会ってないの?

そうなのですよ。 現在、埼玉県鴻巣市の小学校で校長先生をしているとか、お袋が言ってました。

あらっ。。。ケイトーのお母さんまでがその事を知っていたの?

子供時分の気性の激しい僕に手を焼いた祖母が、すべてを僕のお袋に話して「あの子には困ったものだよ」と愚痴をこぼしていたものです。 今から思えば些細な事だったのけれど当時の僕にとって「女児用のゴムのはいったパンツなんて死んでも穿けるか!」という重大な問題だった。 信子さんにとっても、自分の弟と思って可愛がっていた僕が牙を向いて抵抗してきたのでアタマにきたらしい。 僕に殴られて火がついたように喚(わめ)いて泣き叫(さけ)んだ。 ヒステリックに泣き叫ぶのを見て、ちょっとやり過ぎたとは思ったけれど、 それ程、僕にとっては反抗すべき重大な事だった。

でも、女児用のゴムのはいったパンツは出てきたけれど、おばさんパンツが出てこないじゃない。

あのねぇ~、この記事を書こうと思い立って、たまたまデンマン・ブログ(https://denman705.wordpress.com)の統計情報を調べたのですよ。

これはねぇ、8月4日までの1年間の人気記事を表示したものです。

『床上手な女の7つの見分け方』

あらっ。。。上の記事が1年間で延べ10,268回も読まれたの?

そうなのですよ。 つまり、1日につき平均で約30回読まれているのですよ。 しかも、それと同じように「おばさんパンツ」を含んでいるタイトルが断然、人気記事の上位を占めている。

『おばさんパンツの誘惑』

(2009年6月4日)

どうして、これ程「おばさんパンツ」が読まれるのかしら?

あのねぇ~、おばさんパンツを穿いたジューンさんが人気のようなのですよ。 (微笑)

「おばさんパンツ」って、それ程男性にとって魅力的に映るの?

僕は「女児用のゴムのはいったブルマー・パンツ」で嫌な思いをしたから、「おばさんパンツ」にも、それほど魅力を感じないのだけれど、ジューンさんのおばさんパンツ姿は、見ごたえがあると思いますよ。

あのねぇ~、上の統計情報は7月27日までの1年間の記録なのだけれど、わずか1週間の違いなのに、『床上手な女の7つの見分け方』も『おばさんパンツの誘惑』も確実に増えている。

どうしてなのかしら?

あのねぇ~、僕はたまたま『ヨーロッパ・カルチャーガイド 北欧』という本を読んでいた。 その本の中に次のような箇所がありましたよ。 シルヴィーもちょっと読んでみてよ。

フリーセックスを卒業した北欧社会

北欧というと「フリーセックス」を連想する日本人がいまだに多い。 マスコミがその連想を定着させてしまったわけで、罪深いことだなあと思う。 フリーセックスという言葉は、北欧では「自立」とか「男女平等」に結び付く。 性は深く自分の生き方に関わることだから、ないがしろにせず、自分で決めて、自分で責任を持てということなのだ。

ところが日本人の多くが、マスコミのせいで、誰とでも寝るとか、ポルノが自由に買えるといった、まるで下世話な意味にとってしまったわけだ。 その意味では、日本の方がずっと「フリーセックス」社会である。 女子高生が携帯電話を持って、白昼堂々と売春交渉できる国など、そうあるものではない。

 (中略)

昨年(1997年)、デンマークの新聞社ベアリングスチゼネとギャロップが共同で、デンマークの性生活に関するアンケート調査を行った。 15~69歳の男女654人(もちろん、ホモセクシャル、バイセクシャルを含む)を対象に、設問は50項目ほどあるが、全体を通しての分析の結論は、「デンマーク人はもっとセックスがしたい」であった。

しかし、これはデンマーク人に盛りがついているという意味ではない。 「自立」や「男女平等」を背景に、性に関するあらゆるタブーを排除してきたが、それが最近は「ただ腰を動かすだけのセックス」になってしまった。 そうではなくて、自分の価値を高めたり、自分の人生に自信がもてるような「心を動かすセックスをもっとしたい」ということなのである。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


122ページ 『ヨーロッパ・カルチャーガイド 北欧』
(白夜の国に魅せられて)
編集: ECG編集室
2001年2月26日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 トラベルジャーナル

この文章がどうだとケイトーは言うの?

あのねぇ~、『床上手な女の7つの見分け方』がどうしてダントツで読まれるのか? それを考えた時に日本人も、やっぱり「心を動かすセックスをもっとしたい」のではないか? 日本人も腰を動かすだけのセックスに飽き飽きしているのではないか! それで、男は「床上手な女」を求め、女性は「床上手な女」になりたいと思いつつ『床上手な女の7つの見分け方』を読んでいるのではないか?

それで、『床上手な女の7つの見分け方』には「心を動かすセックス」の仕方が書いてあるの?

残念ながら書いてありません。 (微笑)

つまり、『床上手な女の7つの見分け方』を読んでがっかりする人が多いのね。

いや。。。がっかりするような記事だったら読む人がこれほど多くはありません。

要するに、ちょっとばかり心に響くようなことが書いてあるの?

だから、シルヴィーが自分で読んでみて判断したらいいよ。 (微笑)

分かったわ。。。読んでみるわ。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
あたくしも読んでみましたわ。 うふふふふ。。。
確かに考えさせられましたわ。
あなたも、ぜひ一度読んでみてね。

ここにリンクを貼り出しておきますわ。

『床上手な女の7つの見分け方』

何を迷っているのよ!
ここまで読んできたのだから、思い切って上のリンクをクリックして読んで御覧なさいよ。
あなたの人生が素晴らしいものになるのでござ~♪~ますから。。。
だから、騙されたと思って、あなたも読んでみてね。
うししししし。。。

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいまし。

『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

わたしの「おばさんパンツ」姿がそれ程に男性の読者を

惹きつけているのでしょうか?

太腿の所にゴムの入ったパンツが登場しましたが

ブルマーの起源を知ってますか?

19世紀の女性解放運動家の

アメリア・ジェンクス・ブルーマーが

考え出したと言われています。

そう言う訳で、ブルマーの名称は

彼女の名前に由来しています。

ブルマーは、コルセットでお腹を締めるような

当時の下着に反発したブルーマー女史によって、

自由度が高くゆとりのある下着として

考案されました。

拘束型衣服からの女性衣服の転換という

革新的なものでした。

後に、スポーツをする運動着として

使えるように改良されました。

当時は女性用の適当な運動着はなく、

この発明は極めて画期的なものでした。

初めの頃のブルマーは

ニッカーボッカーズボンのように

だぶつきがあり、膝あたりまで丈がありました。

戦後日本で流行した“ちょうちんブルマー”よりも

日本の“モンペ”に似たようなものでした。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいですから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

星空の記憶

2011年4月4日

星空の記憶

(須田剋太画伯は)2歳のころ、母君に抱かれて隣村の祭礼に行き、帰路が夜になった。

満天の星が、金の鋲(びょう)のように大きかったということを、70歳前にモンゴル高原に行って、包(パオ)のなかで夜になったとき、突如、画家はきのうのことのように思いだした。

噴きあがるような感情とともに、この人は星の下でそのことを夢中で私に話した。


(注: 写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)

108ページ
『別冊 太陽 日本のこころ – 130
司馬遼太郎』
2004年8月20日 初版第1刷発行
編集人: 湯原公浩
発行所: 株式会社 平凡社

デンマンさん。。。「夜空の記憶」って須田剋太(こくた)画伯が2歳の頃に見た星空の記憶ですか?

うん。。。まあ、そう言う事なのだけれど、僕は「2歳のころ見た星空が、突如、思いだ」されたというところにハッとしたのですよ。

どうしてですか?

2歳というのは、須田さんの年頃の人が言うのだから、多分、数え年だと思うのですよ。 そうであるならば、満1歳ですよ。

満1歳が重要なのですか?

あのねぇ、「三つ子の魂百までも」と言うでしょう!? 三歳未満の子供には記憶がないんだ、というようなことを僕はしばしば耳にしたことがある。

デンマンさんには1歳のころの記憶があるのですか?

あるのですよ。。。その事について以前に記事を書いたことがあるのですよ。 小百合さんも読んでみてください。

あのねぇ~、僕が覚えている最も古い記憶というか。。。思い出が、母親の背におんぶされて観た映画なのですよう。

つまり、一才に満たないで観た映画をデンマンさんは未だに覚えているのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。

でも、一才までの記憶は思い出に残らないと言いますわ。

僕も、そのような事を聞いたことがありますよう。でもねぇ、なぜか鮮明に覚えているのですよう。間違いなく母親の背中におんぶされて見た映像でした。

どの映画館で見たのかも覚えているのでござ~♪~ますか?

覚えていますよう。「大正座」という映画館でした。おそらく、名前から判断して大正時代にできたのだと思いますよう。当時、行田市には映画館が3つあったと思うのです。現在の行田市駅の前に「中央映画館」があった。 また、中央小学校から歩いて10分ぐらいのところに「忍館(しのぶかん)」という映画館がありました。 僕が中学生になる前に、どの映画館も廃業して取り壊されたと思うのですよう。

どうしてですか?

テレビが普及したので映画館に映画を見に行く人が激減したので、もう商売にならなかったのですよう。 僕の家では、僕が小学校3年生のときにテレビを買いました。 だから、その後映画館に行ったことがなかった。

中学生のときには、全く映画館に行かなかったのでござ~♪~ますか?

一度だけ熊谷市の熊女(熊谷女子高校)のすぐそばにあった「文映」にジェームズボンドの「ゴールドフィンガー」を見に行ったと思うのですよう。

その時だけですか?

そうですよう。 高校の時には映画館に行った記憶がなくて、大学になってからですよう。 洋画を映画館で見るようになったのは。。。

高校3年生の恵子さんとデートした時に観た映画が「ベンハー」だったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。次の記事で書いたとおりです。

■ 『杜の都の映画 (2009年3月8日)』

■ 『杜の都のデート (2009年3月10日)』

デンマンさんのお母様はデンマンさんをおんぶしながら一人で観に行ったのですか?

もちろん、その当時、母親が一人で映画を見に行くなんて、できませんでした。

どうして。。。?

まだ1ドルが360円の時代でした。 自由化前の、日本がまだ貧しかった時代ですよう。 経済大国を目指して、日本中のお父さんやお母さんが一生懸命働いていた時代です。 僕が赤ん坊の頃には、核家族は多くはなかった。 おばあさん、おじいさんが、たいていの家に居たものですよう。

つまり、嫁と姑の問題などがあった時代なのですね?

そうですよう。 だから、嫁が一人で映画を観て遊んでいる事なんて、中流階級以下の家庭ではまずできなかった。

。。。で、デンマンさんのお母様はどなたと映画を見に行かれたのですか?

だから、僕の祖母ですよう。。。今から思い出すと、羽生市に住んでいた僕の伯母(僕の父親の姉)が、遊びにやって来た時だったと思うのですよう。

つまり、お母様はデンマンさんを背負いながら、おばあ様と伯母様と一緒に映画を観に出かけたのですか?

そうですよう。僕の母親が映画館に行った事なんて、その時が初めで最後だったと思うのですよう。

。。。んで、その時観た映画って、いったいどのようなものだったのでござ~♪~ますか?

『愛染かつら』ですよう。

その題名まで覚えていたのですか?

もちろん、その時には、覚えていませんよう。 第一、1才未満じゃ字が読めませんからね。うしししし。。。

どうして題名を覚えていたのでござ~♪~ますか?

白樺林の中を白衣を着た医師と看護婦がなにやら悲しそうに向き合っている。。。そのシーンだけが一才に満たない僕のオツムのスクリーンに焼きついたのですよう。

それで、そのシーンから、大人になって題名を推測したのですか?

そうなのですよう。 白樺林と白衣を着た男女。。。その映像が、なぜか僕の記憶に焼きついたのですよう。 しかも、『愛染かつら』という映画は太平洋戦争前に空前のヒットを飛ばした映画だったのですよう。

あのォ~。。。デンマンさんは戦前生まれでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。僕は戦後生まれですよう。 終戦後、何の娯楽もなくて、ようやく食糧難も収まって、娯楽が何もなかった町に映画館が復興し始めた。 それで、戦前のヒットした映画を見せ始めたのだろうと思うのですよう。

『愛染かつら』という映画は、それ程ヒットしたのでござ~♪~ますか?

もちろん、戦前の事は、僕は生まれてないのだから知る由もないけれど、大学生になって記憶を確かめようと思って映画史を見たら『愛染かつら』が出ていた。 あらすじを読んだら、すぐに白樺林の中を白衣を着た医師と看護婦が向き合っていたシーンが、ありありと僕の記憶に蘇(よみがえ)ってきましたよう。

『愛染かつら』

上原謙(加山雄三の父親)、田中絹代主演で一世を風靡した松竹製作のヒット映画。
1938(昭和13)年に作られた。

【あらすじ】

津村病院に勤務する美人の高石かつ枝は、よく働き仲間からも好かれ看護婦の仕事に励んでいた。
病院長の長男である若い医師・津村浩三は彼女の人柄と美しさに強くひかれる。
かつ枝には若いころ死別した夫との間に6歳になる女の子がいた。
しかし、かつ枝は浩三にも仲間たちにも秘密にして、姉夫婦に預け自活の道を歩んでいた。

休日のある日、公園で親子の姿を仲間の看護婦に見られ、子供があることがばれてしまう。
そのことが職場の仲間たちの噂になり、かつ枝は子持ち勤務のことでののしられ、その誤解を解くために看護婦仲間の前で自分の身の上を説明する。

かつ枝は早くから親同士のゆるした許婚(いいなずけ)があった。
かつ枝が18の時、父がある事業に失敗すると、それがもとで婚約もそのまま解消しなければならないことになった。
その時、婚約者は一家の反対を押し切ってかつ枝を連れて東京へ出てゆく。
でもその結婚生活は決して幸せではなかった。
結婚して一年経った19の春、夫はその頃はやった悪い風邪におかされ、たった4,5日床について亡くなってしまう。
その時かつ枝は妊娠8ヶ月の身体だった。
子供が生まれると姉夫婦に預けて、かつ枝は看護婦募集に応募する。
幸いにも合格して、津村病院に勤務することになったのだった。

かつ枝の身の上話を聞くと同僚の看護婦たちは、それまで彼女をののしったことを後悔し、かえって同情するようになる。

ある日、津村病院院長の息子・津村浩三の博士号授与祝賀会が開かれる。
アトラクションの席上で、高石かつ枝は独唱することになった。
かつ枝は無伴奏で歌う予定だったけれど、突然、浩三がピアノの伴奏を申し出る。
こうして、かつ枝は浩三のピアノ伴奏で「ドリゴのセレナーデ」を独唱した。

そんなある日、車での往診の帰りにかつ枝は浩三に誘われて外に出た。
月光の美しい夜だった。
浩三の菩提寺は谷中の墓地を抜ける途中にあった。
浩三にさそわれ、かつ枝は菩提寺へむかった。
その菩提寺には本尊よりも名高い「かつらの木」があった。
その気のそばに愛染堂があった。
本尊は愛染明王。
昔から「愛染カツラ」と言われて、その木につかまりながら恋人同志が誓いをたてると、一時は思い通りにならなくても将来は必ず結ばれるという言い伝えがあった。
浩三にうながされ、二人はこの愛染かつらの樹に手を添えて永遠の愛を誓うのだった。

しかし、しょせんは病院の後継者と看護婦。
その当時のことだから二人はそう簡単に結ばれない。
母から反対された浩三は、二人で新しい生活に踏み切るべく家を出て京都で結婚することを決意する。
だが、京都に向かおうとした丁度その夜、娘の敏子がハシカで高熱を出し新橋駅での待ち合わせ時間に遅れてしまう。
新橋駅の階段を駆け上がる彼女の目の前を、浩三を乗せた列車は発ち去ってゆく。
ここで霧島昇、ミス・コロンビアが歌う、あの有名な主題歌「旅の夜風」の前奏が始まり、哀しいすれ違いのうちに前編が終わる。

「旅の夜風」

作詞: 西條八十
作曲: 万城目正
唄: 霧島昇、ミス・コロンビア

1 花も嵐も 踏み越えて
  行くが男の 生きる途(みち)
  泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
  月の比叡(ひえい)を 独(ひと)り行く

2 優しかの君 ただ独り
  発(た)たせまつりし 旅の空
  可愛い子供は 女の生命(いのち)
  なぜに淋しい 子守唄

3 加茂の河原に 秋長(た)けて
  肌に夜風が 沁みわたる
  男柳が なに泣くものか
  風に揺れるは 影ばかり

4 愛の山河(やまかわ) 雲幾重(くもいくえ)
  心ごころを 隔てても
  待てば来る来る 愛染かつら
  やがて芽をふく 春が来る

デンマンさんは上のあらすじを読んで、幼児の時、お母様の背中におんぶされて観た映画が『愛染かつら』だと分かったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。それ程有名な映画だったからこそ、お袋も見に行ったのでしょうね。とにかく、僕が記憶する限り、お袋が映画館に行ったのはその時が最初で最後ですよ。もちろん、お袋と映画館へ行ったのも、その時一度だけです。

でも、本当にそのような事があるのでしょうか?

僕だって信じられないほどですよう。でもねぇ~、背中におんぶされて観たということだけは、はっきりと覚えている。背中におんぶされるくらいだから、まず一歳未満ですよね。

そうでしょうね。

。。。んで、白樺林の中を白衣を着た医師と看護婦がなにやら悲しそうに向き合っているシーンだけしか覚えていないのですか?

そうなのですよう。それ以外のシーンは全く覚えてないのですよう。

あららあああぁ~。。。この上の写真はデンマンさんと小百合さんでござ~♪~ますわ。

僕の記憶にあるイメージをコラージュして作ってみたのですよう。ちょうどこんな感じなんですよう。若先生の津村浩三と看護婦の高石かつ枝が、このようにして病院の裏の白樺林で、人目を盗んで会って話をしている場面なのですよう。

。。。んで、この映画は誰の小説を基にして脚本が書かれているのでござ~♪~ますか?

第一回の直木賞を受賞した川口松太郎が書いた「愛染かつら」を基にしているのですよう。

映画のストーリーは小説の内容と同じですか?

僕は原作を読んだことはないけれど、ほとんど変わらないようです。


『おんぶされて観た映画』より
(2009年4月29日)

つまり、1歳のころの記憶も残るものだということを須田剋太(こくた)画伯のお話から改めてデンマンさんは確信したのですか?

そうなのですよ。

ただ、そのことを言うためにこの記事を書き始めたのですか?

もちろん、それだけではありません。

他にどのような理由があるのですか?

あのねぇ、須田画伯は僕の高校の先輩なのですよ。 もちろん、須田画伯が在学した当時は旧制の熊谷中学だった。

須田剋太(こくた)

(1906年5月1日 – 1990年7月14日)

当初具象画の世界で官展の特選を重ねたが、1949年以降抽象画へと進む。
力強い奔放なタッチが特徴。
司馬遼太郎の『街道をゆく』の挿絵を担当、また取材旅行にも同行した。
道元禅の世界を愛した。

略歴

•1906年
埼玉県北足立郡吹上町(現:鴻巣市)で、須田代五郎の三男として生まれる。
本名 勝三郎。

•1927年
埼玉県立熊谷中学校(旧制、現・埼玉県立熊谷高等学校)卒業。
その後浦和市(現:さいたま市)に住み、ゴッホと写楽に傾倒する。
東京美術学校(現東京芸大)を4度受験するもいずれも失敗。
独学で絵を学ぶ。

•1936年
文展で初入選。

•1939年
文展で「読書する男」が特選。

•1949年
抽象絵画の旗手長谷川三郎と出会い、国画会に入り抽象画の道へ進む。

•1950年
森田子龍編集の「書の美」に論文を発表する。以後「墨美」や墨人会同人との交流を通して書に深く傾倒。

•1955年
第3回日本抽象美術展に出品。

•1957年
第4回サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展に出品。

•1960年
第1回個展(大阪フォルム画廊)。

•1961年
現代日本絵画展に出品。カーネギー国際現代絵画彫刻展(アメリカ)に出品。

•1962年
西宮市民文化賞を受賞

•1971年
司馬遼太郎に同行しながら、「街道をゆく」の挿絵を描き始める。

•1983年
「街道をゆく」の挿絵で第14回講談社出版文化賞を受賞。

•1990年
7月14日午後5時28分、兵庫県神戸市北区の社会保険中央病院にて84歳で死去。

•1990年
油彩画45点、グワッシュ320点、挿絵1858点の計2223点の作品を大阪府に寄贈。

(注: 写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

デンマンさんは須田画伯の絵にハマっているのですか?

いや。。。正直言うと須田さんの絵は僕の好みの絵じゃないのですよ。 だから、須田さんのどの絵を見ても特に感動したことはない。 ただ、須田さんの人間としての魅力を知るにつけ、須田さんの絵を改めて味わいのある絵だと思うようになりましたよ。 東京美術学校(現東京芸大)を4度受験して、いずれも失敗したのが分かります。 多くの人に認められるような絵じゃないと僕は思いますよ。

それなのに司馬遼太郎さんが「街道をゆく」の挿絵画家として15年も須田さんと仕事をしたというのはどうしてですか?

須田さんの人間としての魅力に司馬さんが惹かれたのだと僕は思います。

どういうところが。。。?

次の須田さんの小文を読むと分かりますよ。

司馬さんと旅して

須田剋太

「街道をゆく」の連載が「週刊朝日」で始まってもう14年、ずっと絵のほうを受け持ってきましたので、ずいぶん司馬さんとは取材旅行を御一緒しました。 司馬さんは最初から、事々しいことはよして、ありのままにぶつかりましょう、須田さん、トボトボ歩きましょう、とおっしゃって、この方針は一貫してつらぬかれてきたんじゃないでしょうか。
名のある人に会うわけではなく、タクシーの運転手さんやその辺のオバちゃんに話しを聞いたりして。。。

 (中略)

九州へ行ったときのことでしたか、飛行機の中でスチュワーデスがおもちゃの飛行機を子供たちに配った。 私、それが欲しくて頼んだんですけれど、大人はいけません、といってスチュワーデスはツンツンしている。 これはお書きになってますね。 でも続きがあるんです。 司馬さんはそれを見てましてね、内緒で掛け合ってくれて、あとで、ハイッ、須田さん、ておもちゃを渡してくれたんです。 断られたときのあの須田さんの絶望的な顔! そして今のうれしそうな顔! って笑うんですけれど、いつもこういうやさしい心遣いをしてくれる人なんです。

大分私の方が年上なんですが、非常識なところがあって、助けられてばかりいるんです。 宇和島へ行ったときでしたかね。 司馬さんの友人のKさんが一緒だったんですが、私、Kさんがカメラを持ってらしたんで、あとで絵を描くために、あそこを撮ってくれ、こっちも撮って欲しいって、頼んでいたんです。
そのあと司馬さんにうんとたしなめられましてね。 Kさんはあなたの写真を撮るために来たんじゃないんですよ、須田さん、私はあなたのことをよく知っているからそうは思わないけれど、他の人にはずいぶんえらそうな人だと誤解されますよ、と。。。
私、どうもこういうことに気がつかなくて、親でも言ってくれないことを言ってくれて、本当にありがたいことだと感謝しました。
あの人は権力風をふかす人が身震いするほど大嫌いなんです。 人を愛すること、これだけですべてが成就する、と考えている人なんです。

 (中略)

司馬さんと出会えたということは、私は本当にめぐまれていると思う。
道元に同事ヲ知ルトキ自他一如ナリ、という言葉がありますけれど、いっしょに仕事をしておりますと、心が深いところで響きあって、自他の区別がなくなる、そういう瞬間を、おこがましいけれど司馬さんにある時ふっと感じるんです。
司馬さんも、私がとにかく一所懸命に絵を描いていることだけは認めてくれているんだと思います。 そうでなくてはこんなに長く続かなかった、と考えているのですけれども。

(注: 写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)

110ページ
『別冊 太陽 日本のこころ – 130
司馬遼太郎』
2004年8月20日 初版第1刷発行
編集人: 湯原公浩
発行所: 株式会社 平凡社

なるほど。。。「断琴の交わり」なのですわね。

あれっ。。。小百合さんは粋(いき)な言葉を知ってますね。

デンマンさんがどこかで書いていましたわ。

そうです。 次の記事の中で書いたのですよ。

琴の緒絶ゆ(ことのおたゆ)

中国の春秋時代、琴の名人伯牙(はくが)が、友人の鍾子期(しょうしき)が死んだとき、もはや自分の琴を理解する者が居ないと言って琴の緒を絶ち、生涯琴を弾かなかったという。
「呂氏春秋」本味の故事から
親友・知己に死別するたとえ。
琴の緒を断つ。
伯牙断琴(はくがだんきん)
伯牙絶弦(はくがぜつげん)


『厳しさの中の愛の絆』より
(2010年8月20日)

つまり、この事が言いたかったのですか?

違いますよ。

まだ他にも理由があるのですか?

もちろんです。 わざわざ須田さんが生まれた町を僕は略歴の中で赤字で強調したのですよ。

埼玉県北足立郡吹上町ですか?

そうです。 最近、合併して鴻巣市になったけれど、長いこと吹上町だった。 僕にも身近に感じられる町でした。

どう言う訳で。。。?

僕のオヤジは僕が行田市立中央小学校にあがるまではそこで先生をやっていたのですよ。 埼玉県の小学校では、自分の子供が入学したら先生は他の学校に移るという不文律があるようで、僕のオヤジも隣の吹上町の下忍小学校に移ったのですよう。 僕も何度か、運動会がある時など、その下忍小学校に自転車で行ったことがあったのです。

それで吹上町が身近に感じるのですか?

やだなあああァ~、それだけじゃありませんよ。

まだ他にも理由があるのですか?

小百合さんにも吹上町の思い出があるでしょう?

私にですか。。。?

そうですよう。。。やだなあああァ~。。。忘れてしまったのですか?

何を。。。?

ちょっと次のメールを読んでみてくださいよ。

Subj:小百合さん、おはよう!

栃木の田舎も紅葉が盛りだろうね。

きゃはははは…

From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date:Wed, Nov 10, 2010 2:29 pm
Pacific Standard Time
日本時間:11月11日(木)午前7時29分

 

千代田町のインドカレーに旧吹上町のインドカレー。
小百合さんがカレーにハマっていたとは。。。?!
振り返れば栃木の「山の家」で僕の創作カレー(ラヴィオリカレー)を作ったことがあったよ!
あれは、もう2年前だね。
8Kg $5.99(500円)のロング・グレインの米をバンクーバーからわざわざ持って行ったものでした。
タイ米に似ているといって「旨いわ。カレーにすごく合うわね」と小百合さんは言ってた。
食べ慣れた僕にとって、それ程旨いとは思わなかったけれど。。。

僕がわざわざ作ったので社交辞令かと思っていたけれど今年の10月に帰省した時に2度もインドカレーを食べたことを思えば、あの時のラヴィオリカレーを小百合さんはマジで旨いと思って食べたんだね。
きゃはははは。。。。

思い出を食べる軽井沢タリアセン夫人と食べたインドカレー。
あのでかい“ナン”を懐かしく思い出しています。

ところで旧吹上町の「印度市場」で昼食に印度カレーを食べる前に待ち合わせたインターネットカフェ「自遊空間」ではゴタゴタがあったのですよ!
あの店は全国展開しているネットカフェのチェーン店だという。
本社は東京にあるそうだ。
北海道にも同じ名前の店があるとか。。。
そもそも、この店を見つけたのはJR北鴻巣駅の近くに住んでいる叔母の家へ自転車をこいで行ったときだった。
県道ルート66から左に折れて国道17号をのんびりとこいで行ったら「印度市場」を左に見てから5分程こいだ所に4階建ての薄水色のビルが左側に建っていた。
国道に面しているビルの壁には“インターネット24時間”と書いてある。
しかし、“会員制”とは書いてない。

これまで、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、バンクーバー、上海、香港、。。。とネットカフェでパソコンを使ってきたけれど会員制のネットカフェなんて一つもお目にかからなかった。
だから、日本でも、会員などにならずにすぐに使えるものだと思った。
でも、残念ながら、そうではなかった。

自動車免許証も持たずに家を出たので身分証明書になるものがない。
実家に取りに戻ったら往復で一時間もかかる。
フロントの女の子に話しても埒(らち)が開かないので店長と話したいと言ったら、店長は店に居ない。
電話で呼び出してもらって、かなり執拗に説明したのだけれど店長は「規則だから会員手続きをしなければ使えません」と言う。

前日、小百合さんに電話して待ち合わせ場所に指定したものだから仕方なく、もう一度実家に戻ってパスポートと免許証を持参した。
合計2時間のロスタイム!

「栃木県からやって来られた藤島小百合さんですか?」
フロントの係員が初対面の小百合さんに向かって丁重に尋ねたのには、そのような経緯があったのですよ。
小百合さんに会費200円と最初の30分利用料金280円、合計480円を払わせるのは迷惑をかけるし、無駄なことだと思い事情を話して、小百合さんが来たら僕のブースまで係員に呼びに来てもらったのでした。

「どうして私のことを知っていたのかしら?」
午前中にやって来るお客は2,3人だったから小百合さんを見分けるのに時間がかからなかったのですよう。
それに小百合さんの容姿や容貌などを話していましたからね。。。
きゃはははは。。。

ところで、このメールは、今、バンクーバー市立図書館の無料のパソコンで書いてます。
無料で一日2時間まで使うことができます。
でも、記事を投稿するには不十分。
帰宅してからウェストエンドのコミュニティ・センターの分館で、もう一時間使えるように予約したばかりです。

小百合さんのパソコンはダウンして使えないんだったね。
最近、日本でも図書館で無料でネットを使えるようだから時間があるときにメールボックスを覗いてみてね。
じゃあね。


『不自遊空間(2010年11月14日)』より

どうですか? 思い出しましたか?

あの印度カレーのお店がある所が旧吹上町なのですか?

もちろん、あそこがけじゃないですけれどね。 うししししし。。。 でもねぇ、間違いなく小百合さんは須田画伯の生まれ育った町で印度カレーを僕と一緒に食べたのですよ。

つまり、この事を言いたかったので須田さんが2歳の時に眺めた星空を持ち出してきたのですか?

いけませんか?

(小百合さん、呆れて無言です)

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
なんだかんだと書いてきて最後には小百合さんとインドカレーを食べたことを持ち出してきたのでござ~♪~ますわ。
たぶん、その事を持ち出して小百合さんとの付き合いも司馬さんと須田さんのコンビのように長くなっていると、デンマンさんはおっしゃろうとしたようですわよう。
見え透いているのですわ。

そのような事を言い出すならば、あたくしとデンマンさんのコンビもずいぶんと長いのですわ。
でも、どう言う訳か、あたくしとのコンビの事について書いてくださらないのですわ。
いけすかないこと!

でもねぇ~、箱根の芦ノ湖の宿でデンマンさんといただいた公魚(わかさぎ)はおいしかったのですわ。

今でも思い出すとヨダレが出てくるのでござ~♪~ますう。

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

インドカレーも、たまにはいいですよね。

でも、わたしは辛いものが苦手です。

どちらかと言うと、やっぱりヨーロッパ料理ですわ。

デンマンさんが久しぶりにご馳走してくれると言うので

イングリッシュベイを散歩しながら

シルビアホテルの近くの

イタリア・フランス料理専門レストランへ行きました。

デンマンさんが、何が食べたいの?ときくので、

ちょっとおねだりして仔牛と

フォアグラのローストをリクエストしました。

う~♪~ん。 期待していた通りですう。

仔牛は、フランス語で「ヴォー」veau、

英語では「ヴィール」vealですよね。

まだ脂肪が少なくて赤い色も薄い感じです。

特徴は香りやクセがなく、

とても柔らかいのですわ。

その分、バターなどコクのある食材と

あわせる場面が多いようです。

今回は春キャベツで包んだ乳飲仔牛と

フォアグラのローストです。

マルサラ酒とリコッタチーズのソースが

とっても合っていました。

2色のアスパラガスが添えてあって、

落ち着いた感じを与えています。

フレッシュでクセの無い乳飲仔牛に合わせるのは

贅沢にも濃厚なフォアグラですう。

やわらかな春キャベツと季節のアスパラは、

お肉とぴったりと相性が合っていましたよ。

ソースはしっかり目に全体をまとめていました。

普段、口にする機会がないヴィールと

フォアグラなので、とっても期待していました。

デンマンさんが特別に注文してくれた

カクテル「楊貴妃」が、まず出てきました。

わたしが首を長くして待っている間

デンマンさんは楊貴妃の大理石像を見るために

わざわざ中国の西安に行ったときの事を、

いろいろと話してくれました。

料理が出てくるのを待ちながら、

わたしは「楊貴妃」をチビリチビリお口に運びました。

いつものようにデンマンさんは、

かなり詳しい歴史のお話をしてくれましたが、

わたしは半分、上の空で聞いていました。

うふふふふ。。。

次に出てきたのはイタリア料理の

バヴェッティーネでした。

焼穴子、あさりと松茸に、たっぷりの

芽葱(ネギのスプラウト)があしらってありました。

食べた瞬間、京都の老舗(しにせ)で味わうような

上質の和食を連想させる優しい味わいでした。

そして、デザートにはクレームエペスでした。

クレームエペスと言うのは、

フランス・ノルマンディー地方の

生クリームの一種です。

乳酸発酵させた爽やかな

酸味と芳醇なコクが特徴です。

クリーミーなヨーグルトといった感じの味わいですわ。

エペス(epaisse)とはフランス語で

「厚い」「濃い」という意味の形容詞で、

その味わいを表現しています。

なぜか、どこか懐かしいキュートなテイストでしたわ。

フレッシュな巨峰との相性が抜群でした。

お酒を絶対に口にしないデンマンさんが、

その場の雰囲気にすっかり酔ってしまったように、

わたしにちょっとベタベタした一幕もありましたわ。

「ジューンさん、ボーイフレンドと別れてから、

寂しくない?」

「あらっ。。。、どうして別れたことを

ご存知なのですか?」

「僕は地獄耳を持っているからね、

うへへへへ。。。ちょっと、このあと、

僕のマンションに寄らない。。。?」

「ええ。。。そうしたいのですけれど。。。

わたし、明日は仕事で朝が早いのですわ」

「僕が起こしてあげるから。。。うしししし。。。」

「でも、デンマンさんのところには

目覚ましがないから、

わたし、やっぱり自分のマンションに

まっすぐに帰りますわぁ」

デンマンさんはガッカリしていましたわ。

でも、思慮分別のある心の広い方ですから、

キレることもなく、ムカつく事もなく、

私のマンションまでエスコートしてくださいました。

ただし、お休みのキスは、

かな~♪~りディープになって長かったのですわ。

あまり長くなるとちょっと問題ですので、

「もうやめて」と言うつもりで、

舌を咬ませてもらいましたわ。

うふふふふ。。。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいですから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

播磨灘物語

2010年8月16日

 
播磨灘物語

件名:小百合さん、おはよう!

元気いっぱいで

楽しく夏を過ごしてね。

きゃはははは。。。

Date: 03/08/2010 12:05:38 PM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間:8月4日(水曜日)午前4時5分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com

日本の猛暑・酷暑は一つの山を越えたのだろうか?
17日間で82人が熱中症で死亡したというようなニュースを見ましたよう。

カナダでは、まだ一人も熱中症で亡くなったというニュースはないですよう。
やっぱり、猛暑・酷暑に関する限り、カナダはパラダイスですよう。
小百合さんがバンクーバーにやって来たら、もう、天国ですよう!
きゃはははははは。。。

今日のバンクーバーは晴れてはいるのだけれど、雲がうっすらとかかって、ちょうど春先の花曇といった感じですよう。
気温21度です。
空気は澄んで、実に快適ですよう。
もちろん、こうしてメールを書いている限り、汗ばむということもありません。

カラスの巣は相変わらず空っぽだけれど、その周りの青葉はお日様に照り輝いています。
セミが鳴かないので、夏らしくないのですよね。
日本の夏を知っている人には、バンクーバーの夏は物足りないかもしれない。

では、今日も一日ルンルン気分で過ごしてね。

最近、寝る前に司馬遼太郎の「播磨灘物語」を読んでいますよ。
夕べも読みました。

福岡・黒田藩を起こした黒田勘兵衛こと、小寺勘兵衛の物語だけれど、面白いですよう。
つまり、人生とは何か?
その事を語っています。

もちろん、小百合さんと夢とロマンと愛の物語を語ることこそ人生なのですよう。
きゃはははははは。。。
では、小百合さんが軽井沢タリアセン夫人になりきってルンルン気分で楽しく過ごせるように次の記事でも読んでね。

『ルンルン気分 (2009年8月3日)』

じゃあねぇ。

デンマンさん。。。今日はデンマンさんが読んだ「播磨灘物語」のお話ですか?

小百合さんは、なんだかつまらなそうですね。

別に、つまらないと思っている訳ではありませんけれど、歴史に関心のない人はつまらないと思いますわ。

歴史に興味のない人でも面白い話をしますよう。

たとえば、どのような。。。?

あのねぇ、僕のふるさとの埼玉県行田市が出てくるのですよう。

マジで。。。?

もちろん、冗談でも、でまかせでもありませんよう。。。たとえウソをついても、すぐにバレてしまいますからね。

でも、播磨灘物語というのは昔の播磨の国の物語なのでしょう?

まあ。。。そう言う事ですよう。

だったら、現在の兵庫県のあたりのお話でしょう?

小百合さんも、けっこう詳しいのですね。

その程度の事ならば学校の歴史の時間に勉強しましたわ。

でもねぇ、マジで行田が出てくるのですよう。小百合さんのためにここに書き出します。読んでみてね。

余談ながら、水攻めについては後年、石田三成による関東忍城攻めのときに、秀吉の備中高松城攻めにおける成功をそのまま模倣した例がある。
まったくの模倣といっていい。
天正18年、秀吉が関東の北条氏を屈服させるために小田原城をかこんだ。
このとき北条方に加担した関東の小勢力のなかに、忍城の城主成田氏長がいる。
成田氏長はみずからは小田原籠城に参加し、家老(成田泰李ら)を守将として忍城を守らせた。城兵わずか五百余とされる。

これに対し、秀吉は一支隊を派遣し、包囲させた。
支隊とはいえその人数は関東の地元勢力を加えていたから二万を越えた。
その支隊長ともいうべき軍奉行が、秀吉によって抜擢された石田三成だった。

 (中略)

三成はそれに応えるべく気負(きお)うのだが、結局は忍城攻めで醜態ともいうべき失敗をし、豊臣家の緒将から、武の面で軽蔑される因果を背負うにいたる。
忍城は、いまの埼玉県行田市にある。

室町末期にできた城だが、もともと沼地であった土地に築かれた。城のまわりは深田であるという点、備中高松城に似ている。
—水攻め、然るべし。
と三成が決心したのは、三成の秀吉への憧れと無縁ではないかもしれない。

忍城の南を荒川が流れている。これは備中高松城における足守川であった。備中高松城では背後左右は山であるため自然の堤をなすが、忍城の場合は一望の平野である。ただ北方に利根川が流れている。三成はこの二つの川のあいだに堰堤(えんてい)を作ろうとした。堰堤の長さは三里であり、秀吉の場合の三倍であった。

 (中略)

そのうち大雨が降ったことも備中高松城における場合と同じだが、ただちがうのはその大雨で堰堤が切れ、水が逆に三成方の陣地にどっと流れこんだことが異なっている。このため逆に三成方に多数の溺死者を出し、結局、三成は忍城を無傷のまま包囲側が敗退ともいうべき撤収を行わざるをえなかった。


107-108 ページ 「播磨灘物語 (下巻)」
著者: 司馬遼太郎 発行所: 株式会社講談社
1976(昭和51)年7月3日 第15刷

デンマンさんの祖先の騎馬武者は、この時忍城の五百余名の中の一人だったのですか?

そうなのですよう。。。小百合さんはよく知ってますねぇ。

デンマンさんが書いた次の記事を読みましたわ。

デンマンの祖先は百済からやって来た

僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。

それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?

後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。

つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?

難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。

それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?

そう言う事ですよう。

。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?

そんなモノは残っていませんよう。

。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?

僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。

その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?

“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。

つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?

全く、その通りですよう。。。うしししし。。。


『韓国からようこそ!(2010年8月4日)』より

小百合さんは読んでくれたのですか?

だってぇ、デンマンさんはわざわざメールにまで書いて「読んで欲しい」と言うのですものォ~、読まないわけにはゆきませんわ。

あのねぇ、小百合さんはつまらなそうに言うけれど、忍城の水攻めの話は小百合さんとも関係があるのですよう。

私の祖先が関係していると、デンマンさんはおっしゃるのですか?

いや。。。小百合さんの祖先じゃなくて小百合さん自身ですよう。

私がどう言う訳で忍城の水攻めと関係があるのですか?

やだなあああァ~。。。もう、すっかり忘れてしまったのですね?

私が何を忘れているのですか?

やだなあああァ~。。。小百合さんはマジで忘れてしまったのですね?

だから。。。私が何を忘れているのですか?

あのねぇ~、忍城の水攻めの時に石田三成が本陣を置いたところが丸墓山だったのですよう。その場所へ僕は小百合さんを案内したのですよう。

あらっ。。。そのような事がありました?

ほらねぇ。。。小百合さんは完全に忘れてしまってますよう。んもお~~。

たまには忘れることだってありますわ。

じゃあねぇ~、次の記事を読んで思い出してくださいね。

僕が小学生の頃は、この城が建っている所は行田市本丸球場だった。球場と言ってもグランドがあるだけで、観覧席などは何もなかった。

いつ上のお城が建ったのですか?

1988(昭和63年)年の2月にグランドを移転して、その跡に行田市郷土博物館が開館した。上の御三階櫓は、その時、博物館の一部として復元されたのですよう。ただし、外観や構造は実際にあった建物とは関係ないのです。位置も史実とは異なり、内部は展望室や行田の歴史を写真や資料で紹介する展示室になっています。

お城は太平洋戦争の空襲で焼けてしまったのですか?

いや。。。違うのですよう。明治維新の後、廃藩置県で忍県ができた。埼玉県ができる前です。その時の県庁が二の丸に置かれたのですよう。お城はその時にはあった。

。。。んで、その後どうなったのでござ~♪~ますか?

忍県が埼玉県に吸収合併された時に明治政府の命令で完全に破壊しつくされたのですよう。

なぜ。。。?

あのねぇ~。。。忍城は“忍の浮き城”として難攻不落の城だった。関東七名城の一つですよう。1590(天正18)年の豊臣秀吉の小田原征伐の時、忍城を攻めたのは、あの有名な石田三成。城主の成田氏長は小田原城に出向いて忍城を留守にした。でも、家臣と農民ら三千の兵が忍城に立てこもった。総大将の石田三成は、僕が子供の頃よく遊んだ丸墓山(埼玉古墳群の一つで、日本最大の円墳)に本陣を置き、近くを流れる利根川を利用して水攻めを実行した。

  丸墓山の登り口

 山頂から忍城(おしじょう)方面を望む

  晩秋の丸墓山
  (登り口の右側より撮影)

長さ28kmにも及ぶ“石田堤”を築いて、水を流し込んだ。でも、忍城はついに落城しなかった。

それで。。。?

後北条氏の拠点である小田原城が先に落城したので、話し合いの末、開城することになった。その後、徳川家康が忍城を手に入れたのですよう。

つまり、明治政府が壊さなければ、忍城は現在まで無傷で建っていたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

それなのに、どうして明治政府は壊してしまったのですか?

明治政府は、まだ日本全国を統治する自信がなかった。もし、明治政府に反抗する者たちが忍城に立てこもって反乱を起こしたらどうなるか?

明治政府は小田原征伐の時の石田三成の失敗を思い起こしたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。事実、埼玉県では明治政府に対して大掛(おおが)かりな反乱事件が起きた。


『「田舎教師」と行田』より
(2009年9月18日)

小百合さん。。。思い出しましたか?

思い出しましたわ。。。うっかり、ど忘れしていたのですわ。うふふふふふ。。。

やだなあああァ~。。。僕は久しぶりに小百合さんと会って、小百合家とデンマン家の歴史的な深い絆を温めるために丸墓山に登ったのですよう。

そうでしたわ。。。2009年の11月でしたよね。

やっと思い出してくれましたかァ。 かつて上杉謙信も丸墓山に本陣を置いて後北条氏一族と戦ったことがある由緒ある場所なのですよう。

この事が言いたくて「播磨灘物語」を持ち出してきたのですか?

いや。。。もちろん、それだけではないのですよう。

デンマンさんは、まだ他にも言いたいことがあるのですか?

あるのですよう。。。あのねぇ、実は、「播磨灘物語」はバンクーバーの市立図書館で借りたものなんですよう。

わざわざリストまで持ち出してきて、その証拠を見せるのですか?

いや。。。証拠のためと言うよりも「播磨灘物語(上巻)」の barcode を知ってもらうために上のリストを持ち出してきたのですよう。

どうしてですか?

「播磨灘物語(上巻)」は希少本なのですよう。

希少ってぇ、何がそれほど珍しいのですか?

あのねぇ、289ページ、292ページ、それに293ページが真っ白なのですよう。一冊の本に3ページも真っ白なページがあるのは珍しいのですよう。僕はこれまでに一度も見たことがないのですよう。

それは希少本ではなくて欠陥本ですわ。

でもねぇ、このような本は常に見られるものじゃない。僕は生まれて初めて見たのですよう。うしししし。。。

でも、どうして barcode を知ってもらう必要があるのですか?

あのねぇ、 barcode で予約すれば、間違いなく僕が読んだ希少本を見ることができるのですよう。今すぐにネットで予約することができるのです。

でも、日本に居る人は借りられないのでしょう?

もちろん、日本に居る人は借りられません。 僕はバンクーバーに居る人のために上のリストを持ち出したのですよう。

バンクーバーの日本人がデンマンさんのブログを読んでいるのですか?

常連さんが居るのですよう。ちょっと見てください。

上の FEEDJIT のリストに表示されているのはバンクーバーの人ではなくてバレンシアの人ですわ。

もちろん、見れば僕だって分かりますよう。 僕は上のリストの中に表示されている、とは言ってないのですよう。 上の記事を読みにやって来た人の中にバンクーバーの常連さんが居るのですよう。  Real-time view をクリックして、詳しいリストをソフトカメラで撮っておきましたから見てください。

この上のリストのバンクーバーの人がどうして常連さんだと分かるのですか?

よく見ると Direct マークが付いているのですよう。

Direct マークは、検索エンジンの検索結果を見てやってきたのではなく、「お気に入り」や「ブックマーク」から直接やって来たことを示しているのです。バレンシアの人にも Direct マークが付いています。 上のリストを見るだけでも、3度やって来ているのが分かりますよう。

そのバンクーバーの人に欠陥本を見て欲しいのですか?

いや。。。見たくなければ見なくてもいいのだけれど、いつも読みにやって来てくれるので、感謝の印として barcode を持ち出してきたのですよう。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
確かに珍しい本かも知れませんけれど、小百合さんがおっしゃったように、希少本と言うよりは欠陥本でござ~♪~ますわ。
3ページも空白がある本なんて、あたくしは読みたくないざんすう。
あなただって、そうでしょう?

今日のお話は竜頭蛇尾になりましたわ。
あさっては、もう少し興味深い話題が続きますう。
今日の欠陥本のお話に懲りずに、あなたも明後日、また読みに戻ってきてくださいましねぇ。
では。。。

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

“百済” 

この言葉を初めて目にした時、

わたしは“ひゃくさい”と読んだのですわ。

もちろん、デンマンさんに笑われてしまいました。

日本人で歴史を勉強したら、

まず間違いなく“くだら”と読みますよね。

でも、どうして?

あなたは考えてみたことがありますか?

デンマンさんの説によると

百済は「くんなら」がつづまって

日本人に読み易いように

“くだら”になったと言いました。

“くん”とは大きな国、

“なら”とはやはり国だそうです。

つまり、「大きな国」を意味するそうです。

では、百済寺はどう読むと思いますか?

“くだらじ”ではありません。

“ひゃくさいじ”と読むのです。

このお寺は実際に滋賀県にあります。

今から1400年前の推古14年(606)に、

渡来人のために聖徳太子が建てたのだそうです。

お堂は百済の「龍雲寺」を真似て建てられました。

鎌倉時代には「天台別院」と呼ばれて

お坊さんが1,300人も住む

巨大寺院になったそうです。

ところが、織田信長に敵対する

戦争をする“僧兵”が居たために

天正元年4月11日に信長の焼討ちに遭いました。

お坊さんたちが住んでいた宿坊は

すべて焼けてしまいましたが、

往時の姿は「石垣参道」、「千年菩提樹」をはじめ

樹齢数百年の巨杉、山桜、椿などから

偲ぶことができます。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

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では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。