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オルフェと聖徳太子

2014年9月6日

 

オルフェと聖徳太子

 


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『黒いオルフェ』 主題歌

『黒いオルフェ』 (予告編)

『黒いオルフェ』 (全編 フルムービー)


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デンマンさん。。。 今日は マジでロマンチックな映画のテーマ音楽で始まりましたけれど、“聖徳太子”とは時代も何も全く関係ないじゃござ~♪~ませんかァ!


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あのねぇ~、全く関係ない事を僕が持ち出すはずがないでしょう!

つまり、“黒いオルフェ” と “聖徳太子” が関係あるのでござ~ますかァ~?

もちろんですよ。 あのねぇ~、もうずいぶん以前のことになるのだけれど、バンクーバー市立図書館の分館で Joe Fortes Library というのが僕のマンションの近くにあるのですよ。


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日本で言えば公民館の中にある図書館でござ~ますわねぇ~。。。

そうです。 その分館で もう古くなって要らなくなった本をダンボールの箱の中に詰めて“どうぞご自由にお持ち帰りください”という札をつけて入り口の近くに置いてあった。

そのダンボールごとデンマンさんはマンションに持ち帰ったのでござ~ますか?

いや。。。 それほどあつかましいことは僕にはできませんよ。 30冊ぐらい あったのだけれど、その内のいくつかを手にとって 興味のある本を5冊ほど持ち帰ったのですよ。 その内の一冊に“The Age of Fable”という本があった。


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“神話の時代” あるいは “おとぎ話の時代”とでも言うのですか?

そうです。 Thomas Bulfinch というおっさんが書いた本なのだけれど、初版が出たのが なんと 1855年。。。 今から 159年も前のことですよ。

そのタダの本をデンマンさんは読み始めたのでござ~ますか?

そうなのですよ。 10年ぐらいほったらかしにしておいたのだけれど、たまたま1週間ほど前に手にとって見たのですよ。 そしたら、けっこう面白い。 その話の中に“オルフェとユリディス(Orpheus and Eurydice)”の話が出てきたのです。 もう著作権が切れてパブリックドメインで公開されているようで、ネットで調べたら次のサイトで ほぼ全文が公開されていましたよ。

Orpheus and Eurydice


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ORPHEUS was the son of Apollo and the Muse Calliope.
He was presented by his father with a Lyre and taught to play upon it, which he did to such perfection that nothing could withstand the charm of his music.
Not only his fellow-mortals but wild beasts were softened by his strains, and gathering round him laid by their fierceness, and stood entranced with his lay.
Nay, the very trees and rocks were sensible to the charm.
The former crowded round him and the latter relaxed somewhat of their hardness, softened by his notes.

Hymen had been called to bless with his presence the nuptials of Orpheus with Eurydice; but though he attended, he brought no happy omens with him.
His very torch smoked and brought tears into their eyes.
In coincidence with such prognostics, Eurydice, shortly after her marriage, while wandering with the nymphs, her companions, was seen by the shepherd Aristæus, who was struck with her beauty and made advances to her.
She fled, and in flying trod upon a snake in the grass, was bitten in the foot, and died.
Orpheus sang his grief to all who breathed the upper air, both gods and men, and finding it all unavailing resolved to seek his wife in the regions of the dead.
He descended by a cave situated on the side of the promontory of Tænarus and arrived at the Stygian realm.
He passed through crowds of ghosts and presented himself before the throne of Pluto and Proserpine.


SOURCE: “Orpheus and Eurydice”

話の前半部を書き出したのだけれど、日本語に訳すと“あらすじ”は次のようになるのですよ。


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オルフェの妻ユリディスが毒蛇にかまれて死んだとき、オルフェは妻を取り戻すために冥府に入った。

彼の弾く竪琴の哀切な音色の前に、ステュクスの渡し守カローンも、冥界の番犬ケルベロスもおとなしくなり、冥界の人々は魅了され、みな涙を流して聴き入った。

ついにオルフェは冥界の王ハーデースとその妃ペルセポネーの王座の前に立ち、竪琴を奏でてユリディスの返還を求めた。

オルフェの悲しい琴の音に涙を流すペルセポネに説得され、ハーデースは、「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付け、ユリディスをオルフェの後ろに従わせて送った。

目の前に光が見え、冥界からあと少しで抜け出すというところで、不安に駆られたオルフェは後ろを振り向き、妻の姿を見たが、それが最後の別れとなった。

あらっ。。。 このお話は 日本の神話の“イザナギとイザナミ”のお話と瓜二つではござ~ませんかァ!

京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授も そう思いますか?

そうですわ。 そのお話を知らないネット市民の皆様のために あたくしが書き出しますから、知らない人は読んでくださいまし。

イザナギとイザナミ


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イザナギ神は、亡き妻に会いたい気持ちが募り、
とうとう死者の国である黄泉国(冥界)まで
イザナミ神を追って行きました。

そして、黄泉の国の御殿の内側にいる
妻のイザナミ神に向かって、言いました。

「いとしい妻よ。
私とオマエで作っている国は、
まだできあがっていない。
どうか、帰ってきておくれ。」

「残念です。あなたが なかなか来なかったので、
私は、黄泉の国で作った食べ物を
食べてしまいました。 だから、もう帰れません。
でも、いとしい夫のあなたが来てくれたので できたら帰りたい。
黄泉の国の神と相談しますわ。
その間、けっして私を見ないでください
そう言って、イザナミ神は御殿の奥に入ってゆきました。

イザナギは、ずいぶん長い間待ちましたが、
イザナミ神は現れません。

待っていられなくなったイザナギ神は、
ついに髪の左のみづらにさしていた、
くしの歯を一本折って火をともし、
御殿の中に入ってゆきました。

そこで見たイザナミ神の姿には、
なんと、イザナミの体にはうじ虫がたかり、
頭、胸、腹などには雷神がいました。

それを見たイザナギ神は恐れおののき、
黄泉の国から逃げ帰ろうとしました。

すると、イザナミ神は、
「よくも私に恥をかかせましたね。」
と言って追いかけてきました。

イザナギ神は、千人で引くほどの重い大きな岩で、
黄泉比良坂を塞ぎ、イザナミ神と、
その岩を間に置いて向かい合って立ちました。

イザナミ神は、言いました。
「いとしい私の夫よ。
あなたがこのようなことをするのなら、
あなたの国の人を一日千人、殺しましょう。」

イザナギ神が応えました。
「いとしい妻よ。
あなたが千人殺すなら、
私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」
こういうわけで、
一日に必ず千人死に、
千五百人が生まれるのです。

こうしてイザナミ神は、
黄泉津大神という名になりました。

この話に出てくる黄泉比良坂は、
出雲国の「伊賦夜坂」 のことであると言われています。


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どうして2つの話が これほど似ているのか? 卑弥子さんは どう思いますか?

偶然ですわ。

あのねぇ~、偶然にしてはできすぎているのですよ。

だってぇ~、“オルフェとユリディス(Orpheus and Eurydice)”のお話はギリシャの神話でしょう! 「イザナギとイザナミ」のお話は日本の古代の神話ですわ。 ギリシャと日本という距離を考えれば、偶然だとしか言いようがござ~ませんわァ。

あのねぇ~、よ~く考えてみてください。 時間も距離も越えて『黒いオルフェ』という映画か 1959年に作られた。 つまり、“オルフェとユリディス(Orpheus and Eurydice)”という話には、それほど人の心に訴えるものがある。

つまり、ギリシャ神話の“オルフェとユリディス”というお話が  「イザナギとイザナミ」のお話の出所だとデンマンさんは言うのですか?

もちろんですよ。 ちょっと次の小文を読んでみてください。

なぜ厩戸王子なの?

母親の穴穂部間人皇女が宮中を見回るうちに、馬屋の前で産気づき、そこで出産したからという逸話が日本 書紀などに見られます。
これはキリストの生誕を彷佛とさせます。

実際、キリスト教の一派であるネストリウス派が中国に伝わったのは唐の時代ですから、後世それを拝借して太子の誕生を脚色したのではないか、という説があります。

確証はないけれど、面白い話ですね。

上のようなウェブページを見かけますが、果たして確証がないのだろうか?私が初めてこの話に出くわした時には、 「必ず関連があるはずだ」、という思いに駆られたものです。
なぜか?
すぐに正倉院の宝物が思い浮かびました。


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世界で最も古くガラスが作られたのは,紀元前2300年代以前にさかのぼると言われています。
また、カットによってガラス容器の表面を飾る技法は、 紀元前8世紀ごろ始められたと言われています。
バビロニアのサルゴン王(紀元前722-705)の時代に透明なガラスが出来、カットの技法により削り出し、容器に仕上げる方法が発達しました。
この技法はペルシャのアケネメス王朝(紀元前558-331)のガラス工芸にも受けつがれ、素晴らしいガラス器を生み出すことになります。

ペルシャのササーン王朝時代(226-651)には、アケネメス時代のカットグラスが更に発展し、盛んに製作されるようになりました。
私たちが訪れる奈良の正倉院に現存する、上に示した紺瑠璃杯(こんるりはい)は、このササーングラスの一つです。
(現物はもう少し色が濃いです)


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正倉院というのは、ご存知のように聖武天皇の宝物などを収めた校倉(あぜくら)造りの建物です。
同天皇が没した756年にはすでに建立されていたということが、 最近の研究によって分かりました。
この上に示した紺瑠璃杯(こんるりはい)は4世紀か5世紀に作られたらしいのです。
従って、もし、4世紀に作られていたとすれば、それが、何百人かの商人の手を経て300年から400年かかって、上のシルクロードをたどりながらペルシャから大和へもたらされたことになります。

ということは、もうこの当時から、ペルシャから大和に至る人の流れがあったわけです。
物が運ばれるということは、同時に珍しい話や面白い物語なども、商人の口を通して伝わってくるわけです。
キリストが生まれたのは、紺瑠璃杯が作られた時よりも更に300年程前です。
従って、キリスト生誕にまつわる話が商人の口を通して、聖徳太子が生まれるかなり以前に日本へ伝えられたとしても、時間的に十分考えられることです。

秦氏の祖・弓月君(ゆづきのきみ)

日本書紀」応神天皇14年条に、弓月君(ゆづきのきみ)が百済より人夫120県を領(ひき)いて「帰化する」とあって、この弓月君を「新撰姓氏録」では秦氏の祖としています。
しかし、この弓月君とは、一体どういう人物だったのでしょう?
この人について調べてみたいと思います。

京都には太秦(うずまさ)と呼ばれる土地があります。
太秦(だいしん)とは中国語ではローマ帝国のことを、そう呼びます。
紀元前221年に始皇帝がうち立てた秦という国は、すでに述べたとおり、ペルシャ人を通して西アジアの文明をたっぷり取り入れています。
中国人の目には、西方にあると言う点で、太秦(だいしん)と秦は関連のある国として映っていたのかもしれません。

紀元前207年に、この秦が滅びます。
この滅亡の民の一部が朝鮮に逃れ、秦韓に住んだといわれます。
この人たちの長者が弓月君(ゆづきのきみ)で、応神天皇の時代に、この一族が大挙して日本へ渡来してきました。
弓月君は融通王とも呼ばれる秦氏の祖で、すでに述べたように、応神14年百済より帰化したと書紀に載っています。
秦の始皇帝の5世の孫ともいわれ、のち波多姓を賜っています。

秦氏は、ユダヤ人の景教徒だった?

この「弓月」には、どのような意味があるかと調べてみると、「ユヅキ」は、「ユダ」のことで、太秦の「ウズ」も同じ意味ではないかと述べている研究者がいました。
太子の死後、腹心の秦河勝は追善のため太秦に広隆寺を興しました。
この秦氏の「ハタ」も、司教を意味するヘブライ語「パトリアーク」からきたものだ、と言います。

ハタとは、ネストリウス派では全教会の総主教のことをそう呼ぶそうです。
太秦はイエスを意味するヘブライ語「イシュ・マシャ」から来たものだとも言われています。
このようなことから、秦氏は、ユダヤ人の景教徒だったのではないかと述べています。

また、広隆寺には「伊佐良井の井戸」がありますが、これはイスラエルのことだ、と言う説があります。
この寺域には、また、大酒神社という社(やしろ)があります。
もともとは大闢(だいびゃく)神社といい、この大闢とはダビデのことをいうそうです。
しかも、太秦には非常に珍しい三柱鳥居というのがあります。
ユダヤの「ダビデの星」を模したものだそうで、これは、また、キリスト教の三位一体を表すとも言われています。

なんとなく眉唾くさいと思いながら調べてゆくと、次のような記述に出くわしました。
世界中の神殿で、日本の神社に似たものは紀元前10世紀頃のイスラエル王国のものしかないそうです。

イスラエルの檜づくりの神殿には鳥居に似た二本の柱が立っていました。

神官は禊(みそぎ)をし、白の着物を着て、神に酒と初穂を捧げました。

また、柏手(かしわで)を打って拝みます。

しかも、清めに塩を使い、榊(さかき)に似た小枝でおはらいをしました。

こうしたことから、 日本神道は古代のユダヤ人が持ち込んだと、昭和初期、小谷部全一郎という人が言い出しました。


『なぜ厩戸王子なの?』より
(2003年8月3日)

どうですか、卑弥子さん。。。 古代のユダヤ人が“オルフェとユリディス”という話を持ち込んだとしても決して不思議じゃないでしょう!?

つまり、古事記を編纂させた藤原不比等が その話を基にして 「イザナギとイザナミ」の話を作らせたのでござ~ますか?

そうですよ。

でも、なぜ。。。?

だってぇ、考えてもみてください。 1959年に“オルフェとユリディス”を基にして『黒いオルフェ』を映画にした人が居るじゃないですかァ~! 藤原不比等も、この話を『古事記』に載せれば“ウケル”と思ったのですよ。

でも、それは ちょっと考えすぎではござ~ませんかァ~?

いや。。。 これまでの話を素直に読んでくれば 卑弥子さんだって なるほどと納得できるでしょう!? 


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
あなたは どう思いますか?

ところで、エジプトのギザのピラミッドは誰が何のために造ったのか?
知っていますか?
伝統的な歴史家の解釈では、古代エジプト人がファラオのお墓にするために造ったということになっています。

でも、最近、人類学者、地質学者、土木技術者、天文学者、地球物理学者、考古学者、自称歴史学者などによる、新たな発掘や、発見などから、ピラミッドがファラオのお墓であるという解釈は退(しりぞ)けられているのでござ~ますわ。
少なくとも、ギザのあの3つのピラミッドは墓ではないという見方が大勢を占めています。

それに、いつ頃 あのギザのピラミッドが造られたのか?
いわゆる“エジプトロジー学会”の言うところではピラミッドは 2575BC から 2150 BCにかけて造られたということになっています。

しかし、この考え方にも疑問を持っている研究者は多数いるのでござ~ますわ。
例えば、ギザの三大ピラミッドおよびナイル川の(当時の)流れ、そして他の多数のピラミッドとの配置に着目し、ピラミッド群は現在から1万500年前の天体の配置を模したものであるという説もあります。
すなわち、ナイルが天の川で、三大ピラミッドがオリオン座のベルト、即ち中央を横切る三つ星に相当、他のピラミッドも星の位置に対応しそれを反映しているということです。
三大ピラミッドのうち、メンカウラー王のピラミッドが他の2つの頂点を結んだ線からずれている点、大きさも他の2つよりも小さいことについて説明する有力な説とも言われています。
ただし、この説はいわゆる“エジプトロジー学会”では認められていません。

ちなみに、聖書は地球の年齢を約6,000年と教えています。
おそらく一部の狂信的な聖書信奉者を除いて、地球の年齢が約6,000年だと考えている人は居ないでしょうね!
つまり、ダーウィンの『種の起源』が1859年に出版される以前は、多くの人が地球の年齢が約6,000年だと考えていたのでござ~ますわ。
それから、まだ200年経っていません!
驚きですわ。

要するに、“エジプトロジー学会”の定説は、言ってみれば“聖書の教え”のような教条主義に陥(おちい)っているようですわねぇ。
そのような教条主義から脱却して、意欲的で、自由な、創造的な発想でエジプトロジーを考える動きがすでに始まっています。
次に示すビデオ・クリップは3時間以上に渡る長いものですが、そのような人たちによる 新しいエジプトロジーの動きです。
英語ですが、映像がふんだんにあって、講義はありません。
実に興味深いビデオです。
3時間見る価値がありますわァ。

なぜ。。。?
かつて、戦争のない平和な世界を出現させた高度な文明を持った人たちが、この地球上にいたのですわ。
その人たちのことが次のビデオクリップには出てきます。


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どうでした?
上のビデオを見ると、最近のエジプトロジーの動向と未来が見えてくると思いますう。

ところで、エジプト文明も面白いですけれど、日本の古代も面白いですわよ。
たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいね。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。
ぜひ 覗いてみてください。

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『紅のボートピープル』

『蕎麦屋と忠臣蔵』

『ピンクと桃色』

『妻の不貞』

『卑弥子さん、ご指名ですよ!』

『カン違い大岡越前』

『ロマンのカシオペア』

『カシオペアの現実』

『エロい徳子を探して』

『紫式部と皇国史観』

『エロい道鏡と薬師如来』

『天平の麗しき淑女』

『元からの饅頭』

『なぜ唐に留まったの?』

『下着美人』

『一所懸命』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ効果』

『遊女と三つ子』

『布袋さんの魅力』

『今、エジプトに?』

『鍋かむり祭り』

『日本人はどこから来たの?』

『卑弥子も待ってます』

『卑弥子の源氏物語』

『源氏物語もエッチなのに』

『失意の紫式部』

『めちゃムカつく足枷』

『床上手な女になりたい』

『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

『日本の死海文書』

『今さら聞けない、床上手』

『兄妹の恋と大乱』

『えっ、ヒトラーはベジタリアン?』

『外人に乗っ取られた日本?』

『失われたバレンタイン』

『軽井沢夫人@日本王国』

『都知事になれなかった男』

『落選男の正体?』

『カナダはカエデの国なの?』

『海外飛躍遺伝子』

『ふるさとは遠きにありて…』

『芭蕉と遊女の出会い』

『芭蕉と遊女が…あれぇ~!』

『宮沢りえと3723人の観客』

『血のつながり』

『チョー有名な三角関係』

『日本の真ん中』

『デンマンの死@玉淀』

『血の絆』

『イジメられたら?』

『アタマにくる一言をかわすには』

『顔文字がダメなら?』

『日本の一番長い日』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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日本の死海文書

2014年2月5日

 
 
 
日本の死海文書
 

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デンマンさん。。。 1月28日には『日本へ、紀元前のメイフラワー号』を書いて、今日は『日本の死海文書』でざ~♪~ますか?

いけませんか?


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『日本へ、紀元前のメイフラワー号』


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あのねぇ~、上の記事は人気があるのですよ。

マジでござ~♪~ますか?

ちょっと次のリストを見てください。


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これはアメブロの僕のブログの1月28日から2月2日までの1週間の「人気記事リスト」なのですよ。

あらっ。。。 『日本へ、紀元前のメイフラワー号』がダントツで読まれているではござ~ませんかア!

だから言ったでしょう! 「紀元前のメイフラワー号」が日本へやって来たということがネット市民の皆様には刺激的に聞こえたのでしょうね。

それで、今日は「日本の死海文書」という衝撃的なタイトルにすれば、またネット市民の皆様がワクワクしながら読みにやって来ると思って付けたのでござ~ますか?

いけませんか?

「同じ柳の木の下にドジョウはいない!」と申しますわァ。。。 うふふふふふ。。。 デンマンさんの思い通りにはなりませんわよ。 『日本へ、紀元前のメイフラワー号』を読んだネットサーファーの皆さんは きっとガッカリしているはずですわ。

どうしてガッカリするのですか?

だってぇ~、徐福さんがリーダーになって日本へやって来た人たちは 「メイフラワー号」とは全く関係ないではありませんかァ!

むしろ、「メイフラワー号」よりも衝撃的な出来事じゃありませんか! 船団を組んで 5、000人以上の人たちがやって来たのですよ。 だから、ダントツで読まれているのですよ。

。。。んで、今日の「日本の死海文書」というのは、 「紀元前のメイフラワー号」に劣らないほど衝撃的なのでござ~ますか?

僕は、そう思いますよ。 体が浮いてしまう“死海”に興味がある人はたくさんいると思うから、「日本の死海文書」というタイトルに興味を惹かれる人は多いと思うのですよ。


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死海で浮いてみた
 
 

でもねぇ~、“死海文書”がどういうものか? 全く知らずに読みにやって来た人も居ると思うので ちょっとばかりウィキペディアから概要を引用しますよ。

死海文書


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死海文書はヘブライ語聖書の最古の写本を含んでいて、宗教的にも歴史的にも大きな意味を持ち、第二神殿時代後期のユダヤ教の実情をうかがわせるものでもある。
文書は大部分がヘブライ語で書かれており、二割ほどのアラム語文書と、ごくわずかなギリシア語文書およびアラム語の方言であるナバテや語の文書を含んでいる。
多くは羊皮紙であるが、一部パピルスもある。
文書の成立は内容および書体の分析と放射性炭素年代測定、質量分析法などから紀元前250年ごろから紀元70年の間と考えられている。
死海文書を記したグループ(以後、クムラン教団と呼ぶ)については、伝統的にエッセネ派と同定する意見が主流だが、エルサレムのサドカイ派の祭司たちが書いた、あるいは未知のユダヤ教内グループによって書かれたとする意見もある。


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1946年の終わりから1947年の初めのいずれかの時期に、ベドウィンのターミレ族の羊飼いムハンマド・エッ・ディーブ(Muhammed edh-Dhib、「狼のムハンマド」の意)とその従兄弟がヒベルト・クムランと呼ばれる遺跡(遺跡自体は19世紀から知られていた)の近くの洞窟の中で古代の巻物の入った壷を発見した。
最初の発見に関しては「子ヤギを追いかけていて、洞窟の中に石を投げ入れたところ、何かが割れる音がしたので入ってみた」などさまざまな逸話が語られるが、どこまでが真実かはもはやわからない。


出典: 「死海文書」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、「死海文書」というのは、ヘブライ語聖書の最古の写本ということでござ~ますわね。。。つうことは、日本の最古の書物というのは『古事記』でござ~ますから、「日本の死海文書」は『古事記』のことですか?


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あのねぇ~、『古事記』が日本の最古の書物だということは中学生でも知っていますよ。

。。。つうことわあああァ~。。。、つまり、『古事記』よりも古い書物が見つかったのでござ~ますか?

いや。。。 そういう話は聞いたことがないですよ。

だったら、おもわせぶりな事を言わないで「日本の死海文書」とは何のことなのか? 端的に細木数子のようにズバリ!とおっしゃってくださいましなァ!

あのねぇ~、実は、僕も「日本の死海文書」が具体的にどの書物を指しているのかは解らないのですよ。 でも、近い将来「日本の死海文書」が発見されるだろうと信じているのですよ。

要するに、ヘブライ語聖書の最古の写本ならぬ、日本古来の神道の聖書とも言うべき最古の写本が発見されると、デンマンさんはおっしゃるのでござ~ますか?

いや。。。 日本古来の神道の聖書かどうかは解りませんよ。 むしろ、そんなものはないでしょう!?

だったら、どう言う訳で「日本の死海文書」としたのでござ~ますか?

あのねぇ~、“死海文書”は放射性炭素年代測定、あるいは質量分析法などから紀元前250年ごろから紀元70年の間に書かれたものだと考えられている。

つまり、日本でも、その頃に書かれたものが発見されると、デンマンさんはおっしゃるのでござ~ますか?

その通りですよ。

でも。。。、でも。。。、日本には紀元前250年ごろには文字の文化などないのですわ。

だから、僕はこのページの始めに『日本へ、紀元前のメイフラワー号』を持ち出したのですよ。

あらっ。。。 つまり、徐福さんとそのグループが古代中国から持ち込んだ書物が日本のどこかの洞窟に眠っているということでござ~ますか?

死海の近くの洞窟で“死海文書”が発見されたのですよ。 日本でも、徐福さんたちが持ち込んだ書物が洞窟に隠されたということも充分に考えられるのですよ。

でも、日本では徐福さんの伝説でさえ歴史的事実とは考えられてきませんでしたわ。

その通りですよ。 藤原氏が歴史を捻じ曲げてしまいましたからね。

つまり、徐福さんたちが古代中国からやって来た事実は藤原氏によって緘口(かんこう)令がしかれて記録から抹殺されたのでござ~ますか?

その通りですよ。

でも、どうして。。。?

藤原氏にとって徐福さんたちの存在は邪魔だったのですよ。  藤原氏は自分たちが日本古来から伝わる正統な家系の末裔で、政権の正当な担当者であることを後世に示したかったからですよ。

つまり、『古事記』、『日本書紀』を藤原氏が作るときに、他の書物をすべて焼き捨てさせたのでござ~ますか?

その通りですよ。 だから、徐福さんたちから引き継がれた書物を焼き捨てることは忍びないと思って有志が“死海文書”のように洞窟に隠すか? あるいは銅鐸のようなものと一緒に土中に埋めたということが充分に考えられるのですよ。

でも。。。、でも。。。、そのような事が記録に残っているのですか?

あのねぇ~、藤原氏が鵜の目、鷹の目のようにして警戒していたから、日本の書物には徐福さんたちが持ち込んだ書物が隠されたことは記録に出ていないのですよ。 でもねぇ、徐福さんたちがやって来たことは藤原氏の目を盗んで書かれている。

あらっ。。。 そのような書物があるのでござ~ますか? 

あるのですよ。 徐福さんの名前は書けなかったのだけれど、どうしても歴史に残さねばならないと考えた人がいて 9世紀に編纂された『新撰姓氏録』に書いてあるのですよ。 応神(ホムタワケ)天皇の時代に秦氏の長者が中国から127県の住民を率いて渡来したと書いてある。 つまり、『古事記』でも『日本書紀』でも藤原氏は意図的に徐福さんを無視したのですよ。 だから、当然、藤原氏に反発する人たちも出てくる。

。。。んで、どなたが『新撰姓氏録』に書き込んだのでござ~ますか?

だから、反藤原氏の歴史家ですよ。 でも、歴史に残そうとして徐福さんの名前を書くと藤原氏にイジメられるので、技術集団として秦氏の名前を記録に残したのですよ。

だけど、徐福さんたちがもたらした書物が どこかに隠されたということは記録に残ってないのでしょう?

確かに、日本にはそのような記録はない。

あらっ。。。 つうことわあああァ~。。。中国には記録に残されているのでござ~ますか?

あるのですよ。 11世紀に活躍した北宋の詩人で、欧陽脩(おうようしゅう)という人物が「日本刀歌」という詩の中で、「秦代に焚書坑儒を逃れた書が日本に残った」と書いているのですよ。

焚書坑儒


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秦の始皇34年(紀元前213年)、博士淳于越は郡県制に反対し、いにしえの封建制を主張した。
『史記』によると、丞相の李斯は、儒者たちが古(いにし)えによって現政府を批判していると指摘し、この弾圧を建議した。
始皇帝はこの建議を容れて挟書律(医学・占い・農業以外の書物の所有を禁じた令)を制定した。

これにより、民間人が所持していた書経・詩経・諸子百家の書物は、ことごとく郡の守尉に提出させ、焼き払うことが命じられた(焚書)。
李斯は、秦の歴史家によるものを除いてすべての史書は燃やすべきであると主張し、各諸派によって書かれた書物は、地域の官僚に処分をするよう命令が出された。
儒教の経典である六経のうちの『楽経』はこの時失われ、漢代に五経として確立された。

翌年(紀元前212年)、廬生や侯生といった方士や儒者が、始皇帝が独裁者で刑罰を濫発していると非難して逃亡したため、咸陽の方士や儒者460人余りを生き埋めにし虐殺した(坑儒)。
ただし、その後も秦に仕えた儒者はおり、陳勝・呉広の乱が起きた際に二世皇帝胡亥が儒者の叔孫通に諮問している。

紀元前206年、漢の高祖劉邦が秦を滅ぼしたが、依然として挟書律は現行法であり、その後恵帝4年(紀元前191年)11月になってようやく廃止された。
また、『韓非子』和氏篇には商鞅に仮託して、挟書を政策として採用すべきだと議論しており、李斯の独創ではなく、戦国末期には法家によって議論されていた現実的な政策であった。
始皇帝はそれを採用したに過ぎず、劉邦政権が踏襲したことによっても、挟書律が少なくとも為政者にとっては現実的な政策であったことが分かる。


出典: 「焚書坑儒」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、徐福さんは、名目は「不老長寿の薬を求めるため」と言いながらも、実は、秦の始皇帝の圧制から逃れようと画策したのですよ。

それで、日本へ渡航する時に、ついでにたくさんの書物も船に運び入れたのでござ~ますか?

だから、それが巷の噂になって11世紀に欧陽脩さんの耳にも達したわけですよ。

。。。んで、その「日本の死海文書」はどこに隠されたのでござ~ますか?

実は、そのことで僕は以前に記事に書いたのですよ。 ちょっと読んでみてください。

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

それは、歴史編纂の目的で、大和朝廷が、昔の地方王朝に伝わる歴史書をすべて集めさせたからです。
その集めたものがどうなったかというと、すべて焼き捨ててしまったのです。

ご存知のとおり、中国では、これ以前に、秦の始皇帝が焚書坑儒ということをやっているわけです。
つまり、民間に広まっている儒教の本を焼き捨て、多数の儒学者を殺しているわけです。
地方の歴史編纂者を殺せ、とは藤原不比等は言わなかったでしょう。
しかし、大和朝廷の正史、つまり、古事記と違ったことが書いてある、昔の地方王朝の歴史書が、地方に残っていることは、まずいわけです。

藤原不比等が、この点について、天武天皇に、いろいろと中国史を話して聞かせたことでしょう。
「六韜(りくとう)」を愛読している不比等にとって、そのような、大和朝廷に、邪魔になる地方の王朝の史書を焼き捨てるのは当然のことです。
したがって、古事記編纂の目的の一つに、地方に伝わる歴史書を焼き捨てるということがあったわけです。

地方の歴史研究者が、たまには、神社に伝わる古い史書などを発見することがありますが、古事記よりも古い時代のものだ、などと言うと、先ず歴史学会からは無視されているようです。
しかし私は、まだまだ未発見の、古事記よりも古い史書が、かなりの数,地下で眠っていると信じています。
というのは、当時の大和政権が、強制的に地方王朝の歴史書を差し出すように命令を発したとしても、必ず、反抗して、そういったものを隠してしまう者が居たはずだからです。
そんなわけで、地方へ行けば行くほど、つまり、大和朝廷の権威が届いていない地方ほど、そのような史書が残っている可能性があります。


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まだ遺跡発掘などがあまり活発に行われていない、日本海沿岸の新潟県や秋田県あたりに、未発見の古書がかなり眠っているはずです。
上の地図からも分かるとおり、このあたりには、大陸からの難民がたくさん漂着していたはずだからです。


『古事記より古い書物がどうして残っていないの?』より
(2003年7月17日)


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ですってぇ~。。。
あなたは信じることができますか?
確かに、古代には大陸からの難民がたくさん日本海沿岸に漂着していたはずです。
だから、もしかすると島根県、富山県、新潟県や秋田県あたりに、未発見の古書がかなり眠っているかもしれませんよね。
あなたも、お暇だったら、その辺を発掘してみてください。
古事記よりも古い書物の発見者として一躍有名になるかもしれませんわ。
うふふふふふ。。。

とにかく、あなたも真剣に考えてみてください。
もし興味があったら、ぜひ次の平安史、古代史の記事もお読みくださいまし。
あなたも、きっと、このお話ならば、納得がゆくと思いますわァ。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『紅のボートピープル』

『蕎麦屋と忠臣蔵』

『ピンクと桃色』

『妻の不貞』

『卑弥子さん、ご指名ですよ!』

『カン違い大岡越前』

『ロマンのカシオペア』

『カシオペアの現実』

『エロい徳子を探して』

『紫式部と皇国史観』

『エロい道鏡と薬師如来』

『天平の麗しき淑女』

『元からの饅頭』

『なぜ唐に留まったの?』

『下着美人』

『一所懸命』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ効果』

『遊女と三つ子』

『布袋さんの魅力』

『今、エジプトに?』

『鍋かむり祭り』

『日本人はどこから来たの?』

『卑弥子も待ってます』

『卑弥子の源氏物語』

『源氏物語もエッチなのに』

『失意の紫式部』

『めちゃムカつく足枷』

『床上手な女になりたい』

『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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紫式部と皇国史観

2013年7月6日

   
 
紫式部と皇国史観

デンマンさん。。。 今日はあたくしを試そうとするのでござ~♪~ますか?

。。。ん? 僕が卑弥子さんを試そうと。。。?

だってぇ~、タイトルに紫式部と皇国史観と書いてあるではござ~ませんかア!

そうです。。。 でも、まさかァ~、僕が卑弥子さんを試そうなんてぇ~。。。 そのような大それた事をするはずがないじゃありませんか。

じゃあ、どう言う訳で「紫式部と皇国史観」というタイトルにしたのでござ~ますか?

卑弥子さんは紫式部女史が出て来ると、かなり精神的に過敏に反応するのですね?

もちろんでござ~ますわァ! あたくしは、これでも京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのですもの。。。 デンマンさんだって、この事は充分にご存知のはずでござ~ますわァ。 それにもかかわらず、あえて「紫式部と皇国史観」というような非常にセンシティブなタイトルをあたくしの目の前にたたきつけたのでござ~ますもの。。。 これは、デンマンさんがあたくしの足元をすくいあげようと画策しているのか? あるいは、あたくしに対する挑戦を挑(いど)んでいるのか? 事と場合によると由々しき問題に発展することになると。。。

あのねぇ~。。。 卑弥子さんは過敏に反応しすぎですよう。 僕は何も橘卑弥子・准教授に対して知的な戦闘を挑(いど)もうとしているわけではないのですよ。

でも、あたくしの専門分野に対する挑戦としか受け取れませんわ。

僕はたまたまバンクーバー市立図書館から次の本を借りてきたのですよう。


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上のリストの赤枠で囲んだ御本でござ~ますか?

そうです。

でも、これは「古代史事典」ではござ~ませんかァ!

そうですよ。

あらっ。。。 デンマンさんは事典を小説のようにお読みになるのでござ~ますか?

いけませんか?

だけどォ~「広辞苑」を小説のように毎日読む人はおりませんわよう。。。 うふふふふふ。。。

いや。。。 居るかも知れませんよう。。。 そういう物好きな人も。。。

でも、いくら歴史に興味があるといっても、まさか事典は毎日読むほど面白いとは思えませんわ。

あのねぇ~、それがこの『ゼロからの古代史事典』というのは、なかなか面白いのですよ。

あらっ。。。 ギャグやパロディーが本の中にたくさん挿入されているのでござ~ますか?

いや。。。 そういうお笑いは一つも書いてありません。

それなのに面白いのでござ~ますか?

そうです。。。

例えばどういうところが。。。?

次のような箇所ですよ。


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早くも11世紀、「にほん紀の局」といわれた紫式部は『源氏物語』蛍の段で、玉かづらに対して光源氏にこう言わせている。
玉かづらが退屈しのぎに読んだ物語をけなしたのに対して、源氏は、「にほん紀などはただ片そばぞかし。」と語った。

どうやら皇族、貴族のトップには日本紀はつくりものという伝承がずっとあったようである。


233ページ 『ゼロからの古代史事典』
編著者: 藤田友治・伊ヶ崎淑彦・いき一郎
2012年8月10日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 ミネルヴァ書房

このような箇所がデンマンさんにはそれほど面白いのでござ~ますか?

じゃあ。。。卑弥子さんにとって、上の箇所はつまらないのですか?

もちろん、『源氏物語』を専門に研究している者にとって、紫式部が『日本書紀』を取り上げたということは確かに注目に値することですわ。

そうでしょう!? 卑弥子さんにとっても、この事実は興味を引くことだと僕は思ったのですよ。 うへへへへへ。。。

それで、わざわざこうして記事で取り上げたのでござ~ますか?

もちろんですよ。 卑弥子さんの感想をぜひ聞きたいと思ったからですよ。

そのように「よいしょ」をするような煽(おだ)てをかまして、実は、あたくしの足元を掬(すく)うのがデンマンさんの狙いではござ~ませんのォ? (苦笑)

やだなあああァ~。。。 悪い方に悪い方に解釈しないでくださいよう。 京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を教えている卑弥子さんの専門知識を値踏みするというような大それたことは考えていません。

でも、デンマンさんの前では用心しないわけにはゆきませんわ。

あのねぇ~、それ程緊張しなくてもいいのですよう。 僕は卑弥子さんと嵐山の辺りを散歩するつもりで話題にしているだけなのですから。。。

それで、あたくしに何をお尋ねになるのですか?

だから。。。 玉かづらが退屈しのぎに読んだ物語をけなしたのに対して、源氏が「にほん紀などはただ片そばぞかし」と語ったと。。。 ここの所を卑弥子さんはどのように捉(とら)えているのですか?

これは真面目なご質問なのですか?

もちろんですよう。 僕は橘卑弥子・准教授をからかうつもりなど全くありません。

解りましたわ。 では、あたくしがその箇所を現代語に訳してお目にかけますわ。

長雨が例年よりもひどく続いて、晴れるときがなく手持ち無沙汰なので、六条院の女君たちは絵や、物語などを慰みにして夜を明かし暮らしていらっしゃる。
明石の君は、そういう物語に趣向を凝らして仕立てられて、(明石の)姫君にさし上げられる。
西の対の玉鬘の姫君は、なおさら珍しく興味のあることなので、明け暮れ(物語を)読んだり写したりしていらっしゃる。
(ここには物語を写すのを)得意にしている若い女房も大勢いる、(物語には)世にも珍しいさまざまな(主人公の)身の上などを、本当なのか嘘なのか、たくさん集めてあるが そういう中でも、〈わたしのような(波瀾に富んだ)身の上はなかった〉と(姫君は)ご覧になっている。
『住吉物語(継子いじめの物語)』の姫君がさまざまな悲惨な目にあったその当時はもちろん、現在でもやはり評判は格別のようだが、(物語の中で)主計頭(かぞえのかみ)がもう少しで(姫君を)奪おうとしたところなど、あの大夫監(たゆうのげん)の恐ろしさと比べていらっしゃる。  

源氏の君も、こういう絵や物語などがあちこちに散らばっていて、目につくので、(姫君に)


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困ったものだな。女は面倒がりもしないで、人にだまされるために生まれてきたらしい。
たくさんある物語の中に本当のことはすごく少ないのに、それをよくわかっていながら、こういうつまらない話に心を奪われて、真に受けて、この暑苦しい五月雨どきに、髪の乱れてるのも気づかないで書き写していらっしゃるとは…  

とおっしゃって、笑われるものの、また、

でもこういう昔の物語がないと、実際紛らわしようもない(この頃の)手持ち無沙汰を慰めることもできないな。
それにしてもこういう数々の作り話の中に、〈なるほどそういうこともあるだろう〉としみじみとした表現で、もっともらしく書いてあると、一方では、嘘だとはわかっていながらも、無性に興味をそそられて、(物語の主人公である)可愛い姫君が悲しみに沈んでいる様子に多少は心が惹かれるものだ。
また〈こんなことはあるはずがない〉 とわかっていながらも、大げさな誇張した表現にかえって魅了されて、落ち着いてもう一度読み直すときにはつまらないにしても、ふと感心させられることもあるだろう。
この頃明石の姫君が、女房などに時々(物語を)読ませているのを立ち聞きすると、〈口のうまい者が世間にはいるものだな。(こんな話は)嘘ばっかり言っている人の 口からのでまかせだろう〉 と思うが そうでもないかな…

とおっしゃると、(姫君は)


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おっしゃるように嘘ばっかり言っている人は、そんなふうにいろいろと思われるかもしれません。
(わたしには)本当のこととしか思われません。

と言って、硯を押しやられるので、(源氏の君は)

失礼なことを言って(物語を)けなしてしまったね。
(物語は)神代から世の中に起こったことを書き残したものです。
(それに比べると)日本紀(『日本書紀』)などはほんの一部分にすぎないのです。
こういう物語にこそ道理にかなった細かいことが書いてあるでしょう。

とおっしゃって笑われる。

(物語は)誰かの身の上を、ありのままに書くことはないが、良いことも悪いことも、この世に生きている人のありさまの、見ても飽きない聞いても聞き流せないような、後世に語り伝えたい事柄を、心におさめておけないで書き残したのが物語の始まりなのです。
(物語というものは)(作中の人物を)よく言おうとする場合、そのよいことばかりを選び出して書くことになるし、また読者の要望に応じると、ありそうもない悪いことばかりを集めて書くことになるが、(でもそれは)善悪それぞれの面で誇張しただけのことで(その事柄は)この世にないことでもない。
異朝の物語は、書き方が違うし、同じように日本の物語でも昔と今では違うだろうし、(その内容に)深い浅いの違いはあるだろうが、(物語を)まったくの作り話だと断定してしまうのも、物語の本質を無視することになる。
仏がとても立派な心から説かれた経典でも、方便というもの(虚構)があって、悟りのない者は、あちこちで矛盾しているのではないかと疑念を持つだろう、(方便の説は)方等経(ほうどうきょう)の中に多いが、突き詰めてゆくと、(結局は)同一の趣旨によっていて、菩提(悟り)と煩悩(悩み)との違いは、物語の中の、善人と悪人との違いのようなものである。
いい意味に解釈すると、すべてどんなことも無駄なものはない。

と、物語をとても大切なもののように説明された。

ところでこういう昔の物語の中に、わたしのように律儀な愚か者の話はありますか。
ひどく人間離れした、物語の姫君でも、あなたのように冷たくて、知らないふりをしている人もいないだろう。
さあ、(二人のことを)世にも珍しい物語にして、後世に伝えさせよう。

と、近くに寄り添っておっしゃるので、(姫君は)顔を襟に引き入れて、

それでなくても、こんな珍しい関係は、後世の語り草になるでしょう。

とおっしゃると、(源氏の君は)

(あなたも)珍しいと思われますか。
(わたしもこんな気持ちは)またとないと思います。

とおっしゃって寄り添っていらっしゃる様子は、まったくけじめがない。

う~ん。。。 さすがは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授ですね。 やっぱり、こうして卑弥子さんの説明を聞くだけの値打ちがありましたよ。

あらっ。。。 そうでござ~ますかァ? でも、あまり煽(おだ)てないでくださいましなァ。 おほほほほほ。。。

卑弥子さんは「にほん紀などはただ片そばぞかし」を(物語は)神代から世の中に起こったことを書き残したものです。(それに比べると)日本紀(『日本書紀』)などはほんの一部分にすぎないのです。 こういう物語にこそ道理にかなった細かいことが書いてあるでしょう。と現代語に訳したのですね。

そうでざ~ますわァ。 どこか、いけないところでもござ~ますか?

いや。。。 きわめて妥当だと僕は思いますよ。 つまり、玉かづらが退屈しのぎに読んだ物語の中にこそ道理にかなった細かいことが書いてあって、『日本書紀』などのような政府の作ったものには、自分たちの政権が正当なものだという作り事が書き込まれているということを暗に言っているわけですよね。

いいえ。。。 あたくしは別に『日本書紀』が道理にかなっていない事が書かれているとは言ってませんわ。 デンマンさんは『日本書紀』が“つくりもの”だと考えているのでござ~ますか?

いや、僕だけじゃありませんよう。 『ゼロからの古代史事典』には次のように書いてありました。


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西園寺公望公爵(1849~1940)は貴族のトップにいて第二次大戦まで裕仁(昭和)天皇の首相推薦に参与した。
このよう要人中の要人が、こう書き残した。
不幸にしてこの日記は約百年、陽の目を見なかった。
西園寺は明治憲法起草者の井上毅文相を評して「妄誕(もうたん)の書(でたらめの書-古事記、日本書紀)を重んずるごときは大いに国に損あり」と記したが、100年後の1990年10月に立命館大学で発見されたものである。

この西園寺の発言は白鳥(庫吉・東京帝国大学の東洋史学科の教授)とは正反対のリベラルさをしめすもので、20世紀の日本史学者に知らせるのが遅すぎたことが惜しまれてならない。
徹底した日本書紀の否定、蔑視である。
「明治以降、78年」の狂信は「大いに国に損あり」どころではなかった。
皇国史観による国の壊滅をもたらしたといえるだろう。
歴史学は学部の一部門ではなく民族の帰趨を決める基礎の科学でなければならないことを思い知らされたのである。


233ページ 『ゼロからの古代史事典』
編著者: 藤田友治・伊ヶ崎淑彦・いき一郎
2012年8月10日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 ミネルヴァ書房

あらっ。。。 西園寺公爵は『古事記』や『日本書紀』は日本を壊滅に導くような悪書だと予言したのでござ~ますか?

今から西園寺公爵の日記を読み返せば、そう受け止められるのですよ。 でもねぇ~、西園寺自身、自分の日記を公開できないことは知っていたようです。

どうして。。。?

だってぇ、戦前、彼の日記が公開されたら狂信的な軍人か? あるいは熱狂的な右翼の人間に暗殺されていましたよ。

そうでしょうか?

それでなくとも昭和11年(1936年)の2・26事件の時には、決起将校の一部に西園寺公爵は「君側の奸」の最たるものと見なされた暗殺されるリストに載っていた。 でも、反対派の者は、西園寺を天皇とのパイプとして利用することを言い出したので、暗殺は実行されなかったと言われているのですよ。

西園寺公爵はそれ程のリベラルだったのでござますか?

明治4年(1871年)にフランスのソルボンヌ大学に留学した経験がありますからね。 フランスでリベラルな思想を身に着けたらしい。 それでいながら天皇制に反対していたわけじゃない。 むしろ天皇を守りたててゆこうという強い信念も持っていた。 でも、他の狂信的な天皇一辺倒な帝国主義者と違って、西園寺は絶対天皇制の持つ、やがては皇室の存続をも危うくさせる危険性を早くから見抜いていたのですよ。 そういう意味で皇国史観に反発していたのです。

それで、古事記や日本書紀は“でたらめな書”だと言うような過激な事を日記に書いたのでござ~ますわね。

そうらしいですよ。

それにしても紫式部さんが日本書紀の本質を見抜いていたというのはマジでござ~ましょうか?

たぶん、知る人の間では、その当時からそういう噂が根強くあったのですよ。 大伴家持が『万葉集』の中に批判めいた歌をたくさん集めたのも『古事記』や『日本書紀』に対抗するためだったのですよう。

そうかしら?

信じてください。 「信じる者は救われる」と言うでしょう!?

【小百合の独り言】

ですってぇ~。。。
卑弥子さんの『源氏物語』の知識は、やっぱり相当なものですわ。
感心しました。

西園寺公爵は1849年12月7日、旧暦では嘉永2年10月23日に清華家の一つ徳大寺家の次男として誕生しています。
4歳の時に、同族で清華家の西園寺家へ養子に入り家督を相続しました。
幼少時には、住まいが御所に近く、年齢も近かったことから、祐宮(後の明治天皇)の遊び相手として、たびたび召されました。

岩倉具視や三条実美と異なり、幕末期における政治的功績はほとんどありませんでした。
ただ鳥羽・伏見の戦いがはじまると、朝廷ではこれを徳川家と島津家の私闘と見なす意見が出る中にあって、積極的な関与・主戦論を主張し岩倉ら倒幕派公卿に注目されました。
以後の戊辰戦争では山陰道鎮撫総督、奥羽征討越後口大参謀として各地を転戦します。
その後は新潟府知事などを歴任しました。
また公卿の中で初めて散髪・洋装で宮中に参内し、大原重徳ら未だ多く残る攘夷派公卿の怒りを買ったエピソードも自著(『陶庵随筆』)に書いています。

官を辞した西園寺はフランス留学を考えるようになり、東京や長崎でフランス語の勉強を始めました。
やがて大村益次郎の推薦によって明治4年(1871年)、官費でフランスに留学しました。

フランス行きの船内で、地球が球体であることをなっとくしたそうです。
また、白人少年に別れのキスを求められて戸惑うといったエピソードも手紙に書いています。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
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『笑える漢字クイズ』

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『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

『漢字で体操ざ~ます』

『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『紅のボートピープル』

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『ピンクと桃色』

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見ちゃだめよ!

2012年12月9日

 

見ちゃだめよ!

 


(curtain5.jpg

 


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デンマンさん。。。どうして、あたくしのエロい写真を貼り付けたのでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

だから卑弥子さんが「見ちゃだめよ!」と叫んでいるのですよ。

あらっ。。。いやだわ。。。 「見ちゃだめよ!」と叫んでいるのであれば、このようにニコニコしていませんわよ。 あたくしは、たくさんの殿方にこの写真を見て欲しいのでざ~ますわ。

どうして。。。?

だってぇ、いつまでも婚活を続けるのはしんどいのですものォ~。。。 そろそろ素晴らしい殿方に、あたくしのセクシーな体型をご覧になっていただいて求婚してもらいたいのでござ~ますわ。 おほほほほほ。。。

あのねぇ~、上のようなポーズではエロいと思うのですよ。 卑弥子さんだって「エロい写真」だと出端(でばな)で言っていたではありませんか!

でも、この「エロい写真」が堪(たま)らないとおっしゃる殿方だってぇいらっしゃるかもしれませんわ。 うふふふふふ。。。

そういう男が現れることを僕も期待していますよ。

つまり、今日はデンマンさんがあたくしの婚活のお手伝いをしてくださるのでござ~ますか?

いや。。。そうではないのですよ。 実は夕べ『日本の神話』という本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。

見るなの座敷」という昔話があります。
日本の各地で語られた話の一つなので、ごぞんじの方が多いでしょう。
鹿児島県の徳之島ではこの話は、こんな風に語られているのだそうです。

むかし、一人っ子でちょっとわがままなところのある若者がいました。
でもまじめな美青年だったので、妻になりたがる娘が大勢いて、親たちも早く身を固めるようにすすめていたのですが、言うことを聞かず、独身のままでいました。

親たちはしまいに、嫁を選んできて、むりに結婚させようとしました。
そうすると若者は、「妻は自分で探しますから、もうかまわないでください」と言って、家を出て行ってしまいました。

(略) 山の奥にどんどん入ってゆくうちに、日が暮れてきました。
野宿しようと思ったのですが、遠くに燈火の光が見えます。
「こんな山奥に、人が住んでいるのは、不思議なことだが、家があるのなら、木の下に寝るよりは、泊めてのらったほうがよいだろう」
こう思って行ってみますと、大きくて立派な家があり、中をのぞくと、びっくりするほどきれいな女の人が、せっせと機織をしていました。


(orihime2.gif)

「ごめんください」と声をかけると、その女の人が愛想よく立ってきて、「何かご用ですか」と鈴をふるわすような声で優しく聞いてくれたので、「道に迷って難儀をしているので、今晩一晩だけ泊めてもらえませんか」と、たのんでみました。
そうすると女の人は、「それはお困りでしょう。 こんなむさくるしいところでもおよろしければ、どうぞお泊まりになってください」と言って、家に招き入れてくれ、たくさんのご馳走をどんどん出してきて、食べるようにすすめてくれました。

(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)


56-57ページ 『日本の神話』
著者: 吉田敦彦
2002年8月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 青土社

あらっ。。。デンマンさん。。。 このお話の中に出てくる女の人はまるであたくしのようではござ~♪~ますか?

卑弥子さんは自分ではそう思うのですか?

あらっ。。。 デンマンさんの言い方には奥歯に物が挟まったような言い方に聞こえますわ。

いや。。。別に、卑弥子さんの気持ちを逆なでするようなことを僕は言いたくないけれど、そのような事を言うと、この記事を読んでいる人が白けてしまうと思うのですよ。

どうしてでござ~ますか?

だってぇ、この話に出てくる女性は次のような格好では出てこないのですよ。


(curtain5.jpg

あらっ。。。このような格好で出てきてはまずいのですか?

まずい!。。。絶対にまずいのですよ。

どうして。。。?

やはり次のようなおしとやかな格好で出てこないと話にならない。


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あらっ。。。このように和服でないとまずいのでござ~ますか?

もちろんですよ。。。 日本の昔話ですからね。

。。。んで、 その後お話はどうなるのでござ~ますか?

若者は翌朝お礼を言って出てゆこうとすると、その女性は「せっかくいらしたのですから、もう2,3日ごゆっくりしていらしてはいかがですか?」と若者を引き止めるのですよ。

あらっ。。。 あたくしと違ってかなり強引な女性なのですわね。

卑弥子さんが上の女性の立場にいたら美男子を引き留めなのですか?

あたくしならば、どこの馬の骨ともわからない男性を女一人で住んでいる家の中に引き入れないと思いますわ。

あれっ。。。 ネット市民の皆様にセクシーな身なりを披露するのにもかかわらず、卑弥子さんは意外に封建的なのですね。

だってぇ、小学校の「道徳」の先生がそのように教えたのですわ。 うふふふふふ。。。 で、その後どうなったのですか?

若者は「急ぐ用事もないから。。。じゃあ、お言葉に甘えてもう少しお世話になります」。。。 そう言って、もう二晩泊まったのですよ。 それでお別れしようと女性にお礼を述べると、その女性は「なんだかお別れするのがつらくなりましたわ。 どうか、もうしばらくお泊まりくださいませんか?」 そう言うのですよ。

あらっ。。。 かなり積極的な女性なのですわね?

卑弥子さんだって婚活しているのだから、ハンサムな若者が訪ねてくれば家に泊めて帰さないようにするのではありませんか?

いいえ。。。 あたくしは小学校の時の道徳の先生がそのようなはしたない事はしてはいけませんと教えてくださったので、どこの馬の骨だか判らない見も知らぬ男の人を家などにあげたりしませんわ。 おほほほほほ。。。

卑弥子さんは意外に超封建的なのですね。

そうかしら。。。? それで、その後どうなってゆくのでござ~ますか?

そんな事を繰り返しているうちに、結局若者はその女性と夫婦になってしまったのですよ。

あらっ。。。まあ。。。いやだわ。。。 結婚式もしないで同棲するなんてぇ~。。。 小学校の時の道徳の先生は、そのようなはしたない事をしては、大和撫子(やまとなでしこ)の名がすたると教えてくださったものですわ。

卑弥子さんは悲劇的に封建的なのですね。

あたくしは、そのようには思いませんわ。 大和撫子の純潔を守ろうと。。。そんな事よりも、その後どうなったのですか?

その女性と一緒に暮らすようになってから4,5年が瞬(またた)く間に過ぎてしまったのですよ。 その間、女性は毎日ただせっせと機織をしているだけで、どこにも売りに行くわけでもない。 買い物にも出かけません。 でも食事の時になると、山奥にあるはずのない魚や野菜などをふんだんに使った素晴らしいご馳走が山のように出てくるのですよ。

あらっ。。。 つまりその女性は魔法使いのおばあさんが変身した仮の姿だったのですわね。

あのねぇ~。。。 そのように先を急がないでくださいよ。 僕の話をおしまいまで静かに聞いてくださいよ。

わかりましたわ。。。 それで。。。どうなるのですか?

あのねぇ~。。。、ある日、その女性は若者に言うのですよ。 「用事ができて、故郷の村に行ってこなければなりません。 あたたに一つだけお願いせねばなりません。 私がいつも機織をしているお部屋の左右と奥のふすまは、どんなことがあっても決してお開けにならないでください。 もし、あなたが開けたら私はもう夫婦でいられなくなるのです」 若者はそう言われたものだから固く約束して妻を送り出したのですよ。

あらっ。。。 そのような事を言われたら、あたくしなら絶対にふすまを開けて覗いてみたくなりますわ。

そうでしょう!? 誰だって、そうなのですよ。 「見ちゃだめよ!」なんて言われたら見たくなるものなのですよ。 だから、18歳未満は見てはだめな映画を僕はよく変装して子供の頃見に行ったものですよ。

あらっ。。。 デンマンさんは子供の頃からや~らしかったのですわね!?。。。 んで、その若者はどうしたのですか?

最初の数日は我慢できたけど、やっぱり好奇心が頭をもたげてくるのですよ。 見るな!と言われたから余計に見たくなる。

それが人情と言うものでござ~ますわ。。。 それで結局覗いてしまうのですか?

そうなのですよ。 妻の部屋に入って行き右のふすまを開けたのですよ。 そしたら、なんと、そこには広い海があってさまざまな魚が泳いでいた。 左のふすまを開けると畑が広がっていて、あらゆる野菜がどっさり植わっていた。 それから奥のふすまを開けると、そこには米や大豆が山のように積んであったのですよ。 山奥にいながら、食事時には魚でも野菜でも米でも、どっさり出てきたのがこれで判った。

それで。。。?

そのうち妻が帰ってきたのです。 それで家の中を見ながら言いました。 「あなたは、とんでもないことをなさいましたね。 あれほど固く約束なさったのに、なぜふすまを開けたのですか?」

バレてしまったのでござ~ますか?

そうなのですよ。 妻は言いました。 「もう一度ふすまを開けて御覧なさい」 言われたとおりの若者がふすまを開けてみると、あら不思議! 海も畑も米俵もすべて消えてしまった!

それで若者はどうなさったのですか?

「これからは私が働いて不自由のない暮らしをさせるから、どうか今までどおり夫婦でいてくれ」と何度も何度もお願いしたのですよ。 でも、妻の心を変えることはできなかった。 その晩、若者がふと目を覚ますと、妻は真っ白な長い衣をひらひらさせながら、天へ飛んでゆくのが見えた。 それからしばらく若者は待っていたけれど、二度と戻ってくることはなかった。 こういう話だったのですよ。

ふん、ふん、ふん。。。 多分そのようなお話だと思いましたわ。

あれっ。。。 卑弥子さんは気づいていたのですか?

だってぇ~、そのお話が書いてある本は『日本の神話』でしょう!? 『古事記』や『日本書紀』に書いてある神話の中に出てくる女神には、ちょうどお話の中に出てくるような食べ物を出す女神がいるのですわよ。

マジで。。。?

『日本書紀』には「ウケモチ」という女神が出てくるのでござ~ますわ。 「ツクヨミ」の命(みこと)という神様が訪ねてくると「ウケモチ」女神は陸の方に顔を向けてご飯を口から吐き出し、それから海の方に顔を向けて、いろいろな魚を吐き出し、その次に山の方に向いて、いろいろな鳥や獣を吐き出したのですわ。 それをおいしく料理して山のように盛り上げ、「ツクヨミ」に食べさせたのでござ~ますう。

あれっ。。。『日本書紀』にそういう話が出てくるのですか?

デンマンさんは見過ごしていたのですわ。

つまり、「見るなの座敷」の昔話は日本の各地で語られているけれど、そのネタになった話は神話の中に出てくる話だと卑弥子さんは言いたいのですか?

そうですわ。 しかも、「見るなの座敷」の話は、やがて『雨月物語』に受け継がれてゆくのでござ~ますわ。

雨月物語


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『雨月物語』は、上田秋成によって江戸時代後期に著わされた読本(よみほん)の代表作。
5巻5冊。明和5年(1768年)序、安永5年(1776年)刊。

日本・中国の古典から脱化した怪異小説9篇から成る。
近世日本文学の代表作で、現代でも引用されることが多い。

 

浅茅が宿

「浅茅が宿」の原拠は、『剪灯新話』「愛卿伝」と、それを翻案した浅井了意『伽婢子』「藤井清六遊女宮城野を娶事」である。
戦国時代の下総国葛飾郡真間郷に、勝四郎と妻の宮木が暮らしていた。

元々裕福な家だったが、働くのが嫌いな勝四郎のせいで、家勢はどんどん傾いていき、親戚からも疎んじられるようになった。
勝四郎は発奮し、家の財産をすべて絹にかえ、雀部曽次という商人と京にのぼることを決める。
勝四郎は秋に帰ることを約束して旅立っていった。

関東はそのうち、享徳の乱によって乱れに乱れることになる。
宮木の美貌にひかれた男共が言い寄ることもあったが、これを退けるなどして、宮木は心細く夫の帰りを待ちわびる。
だが、約束の秋になっても、勝四郎は帰ってこないのだった。

一方夫の勝四郎は京で絹を売って、大もうけをした。


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そして関東のほうで戦乱が起きていることを知って、急ぎ故郷に帰る途中、木曽で山賊に襲われて財産を全て奪われてしまった。
また、この先には関所があって、人の通行をゆるさない状態だと聞く。

勝四郎は宮木が死んでしまったと思い込み、近江へと向かった。
ここで勝四郎は病にかかり、雀部の親戚の児玉の家に厄介になることになる。
いつしかこの地に友人もでき、居つくようになり、七年の月日が過ぎた。

近頃は近江や京でも戦乱がおき、勝四郎は宮木のことを思う。
そして、故郷に帰ることにした。
十日余りで着いたのは、夜になってのことだった。
変わり果てた土地で探すと、やっと我が家にたどり着いた。

よく見ると、隙間から灯がもれている。
もしやと思って咳をすると、向うから「誰(たそ)」と声がしたのは、しわがれてはいるけれどまさしく妻、宮木のものだった。

扉の向うからあられた妻は、別人かと思われるほど、変わり果てたすがたであった。
宮木は勝四郎のすがたをみて、泣き出し、勝四郎も思わぬ展開に動転するばかり。

やがて、勝四郎はことの経緯、宮木は待つつらさを語り、その夜はふたり、ともに眠った。
次の朝勝四郎が目がさめると、自分が廃屋にいることに気づいた。


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一緒に寝ていたはずの宮木のすがたも見えない。
勝四郎はやはり妻は死んでいたのだ、と分かり、家を見てまわっていると、元の寝所に塚がつくられているのがあった。

そこに、一枚の紙があった。
妻の筆跡で歌が書いてある。

「さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か」
これをみて、勝四郎は改めて妻の死を実感し、伏して大きく泣いた。

 


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雨月物語 (映画)


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1953年製作の日本映画。
監督溝口健二。
「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編を川口松太郎と依田義賢が脚色した。
出演は京マチ子、水戸光子、田中絹代、森雅之、小沢栄など。
舞台は近江国と京に設定されている。
ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞した。


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出典: 「雨月物語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ほおォ~。。。 『日本書紀』から「見るなの座敷」になって、それから『雨月物語』になったのですか。。。?

当たらずとも遠からずですわ。。。おほほほほほ。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。
映画では主人公は貧農の源十郎という名前です。
近江の国琵琶湖北岸の村に暮らしています。
彼は、畑の世話をする傍らで焼物を作り町で売っています。

賤ヶ岳の戦いの前に長浜が羽柴秀吉の軍勢により占領され、賑わっていることを知った源十郎は、妻の宮木と子を残し、焼物を載せた大八車を引いて長浜へ向かいます。
義弟の藤兵衛は、侍になりたいと源十郎に同行します。
源十郎は大銭をもって村へ帰ってきます。
藤兵衛は市で見かけた侍に家来にするよう頼み込みますが、具足と槍を持って来いとあしらわれます。

源十郎は戦が続くうちに、さらに焼物を作り大儲けをしようと、人が変わったように取り組みますが、宮木は夫婦三人が幸せに暮らせればそれで充分なのに、とつぶやきます。
源十郎と藤兵衛は焼物を窯へ入れ、火を付けますが、折り悪く柴田勝家の軍勢が村へ近づいて来ます。
男は人足として徴用され、女は乱暴される。

村の人々は山へと逃げだします。
窯の火は消えていましたが、焼物は綺麗に焼けていました。
村人は裏道を使い湖畔に出て、そこから捨て船で長浜へ向かいますが、海賊に襲われたという瀕死の男が乗る船と出会い、宮木と子はやはり村へ帰ります。

ところで長浜では源十郎の焼物は飛ぶように売れました。
市で焼物を届けるように頼まれた源十郎は、若狭という上臈風の女の屋敷へ向かいますが、座敷へ上げられ、饗しを受けます。
織田信長に滅ぼされた朽木氏の生き残りであるという若狭に惹かれ、源十郎はこの家に居つくのです。

その頃、湖岸で別れた宮木と子は落武者勢に見つかり、槍を一突きされ殺されていました。

町の着物屋で源十郎は買い物をしますが、朽木屋敷へ届けるよう言うと、店の主は恐れ代金も売れとろうとしない。
帰り道では神官から死相が浮かんでいる、家族の元へと帰りなさいと諭され、死霊が触れられぬように呪文を体に書いてもらいます。

家族の元へと帰りたいと切り出した源十郎を若狭は引きとめようとしますが、呪文のために触れることができない。
源十郎は倒れ、気を失います。

翌朝、目を覚めると、朽木家の屋敷跡だという野原の中で目を覚ましているのでした。
金も侍に奪われた源十郎は村へ戻りますが、家々は荒らされ、家族の姿もないのです。
源十郎は囲炉裏で飯の用意をする妻の宮木の幻を見て、自らの過ちを悟るのでした。

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