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行田物語 古代蓮

2017年8月10日

 

行田物語 古代蓮

 


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デンマンさん。。。 今日は古代蓮の行田物語ですかァ~。。。


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そうです。。。 いけませんか?

別にかまいませんけれど、もう古代蓮のお話しは出尽くしたのではありませんかァ~?

確かに、千年以上の眠りから覚めて芽を出し きれいな蓮の花を咲かせた古代蓮の話は、今更 特に珍しい話題じゃないけれど、人によっては「古代蓮」と聞いて さまざまな思い出があるものですよ。。。

それで、今日はその懐かしい思い出話というわけですか?

そういうことです。。。 実は、ごく最近 多佳子・叔母から手紙を受け取ったのですよ。。。 ちょっと読んでみてください。


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デンマンさん 元気にしてますか?
この前と言ってもいつ頃かはっきりしませんが「帰省」を“キショウ”と読んでいました。
ちょっと信じられないような誤読かもしれません。

今でも一呼吸して脳に指令を出さないと間違えます。
いろいろな意味で30~40代頃が私の脳内物質が活発化していて、こんな間違いはなく“キセイ”と正確に読んでいました。

近頃、認知力が問われる中、最初にインプットされた“キショウ”が優先して また一呼吸する始末。
これって認知症の走りなのでしょうか。

この7月17日、朝日新聞、朝刊に行田市の記事がありました。

天声人語

 

いつからかハスは神秘的な音を立てて咲くものと思い込んでいた。

石川啄木に

 


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しづけき朝に

 

音立てて

 

白き蓮の

 

花さきぬ

 

 


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…という断定調の詩がある。

博物学者 南方熊楠(みなみかた くまぐす)も、ハスの開く音を聞きに出る習俗について論考を残した。

「本当に音がしますか、何時ごろ鳴りますか、という問い合わせをいただく。 でも私ら職員は一度も聞いたことがありません」。

埼玉県行田市にある公園「古代蓮の里」で働く山子(やまね)学さん(47)は話す。
実際に聞くのは「花が散って葉に落ちたときのドサッという音」。
風情の乏しい音らしい。

山子さんの実感によれば、ハスの名所とレンコンの産地はあまり重ならない。
花で名高い地のレンコンは食感がいまひとつ。
レンコン産地で花の群舞を見る機会も多くないという。

天が二物を与えなかったのは人だけではないようだ。

行田市では1973年、ゴミ焼却場の建設地で桃色の大輪が見つかった。
埼玉大の研究者らが調べ、推定1400~3千年前の地層に眠っていた種子が掘削で目を覚ましたと推定した。

主産業の足袋作りが下り坂にあった市は1995年、ハスを核にした公園を開く。
「ふるさと創生」をうたって全国の市町村に交付された1億円をいかした。
街はにぎわいを取り戻す。

ふるさと創生と聞くと金塊や純金のこけしが浮かぶ。
盗まれたり売られたり、哀れな結末も見た。
ばらまき政治の見本のごとく語られることが多いけれど、
将来を見すえて種をまいた自治体も少なからずあったようである。

2017-07-17

いまの この辺りは、デンマンさんの知る行田市ではないかもしれませんが、長い国外生活の中で多少なりとも望郷の思いがあるのではと推察し、あるいは逆にかき立ててしまうかも知れませんが 書き出してみました。

私の家は、ここ鴻巣から目と鼻の先、望郷なんて響きのよい思い入れはありませんが、それでもあの旧南河原村(現在行田市に編入)犬塚地区の夢を時々見ます。

デンマンさんの場合、いくらテクノ時代といっても、行田は万里の彼方。
感傷的にならずとも夢は見るのでは?

フロイトのような夢哲学は私には難しすぎますが、1年ほど前NHKラジオで草柳大蔵氏の著書の紹介がありました。
夢は無意識の中の意識であるというようなことを聴いたことがあります。
そのうち読んでみよう…がまだ実現していません。

この夏は世界中あちこちで異常気象らしいですが、カナダはいかがですか?
熊谷気象管区の表示によると、ここ2週間 35℃のラインを行ったりきたり。
よほどの気力がないと負けそうです。

それにしてもデンマンさんの母親の芳江さんは偉い!
犬塚の両親も今から振り返ってみれば、良くぞ長寿を全(まっと)うしたと思います。
私にはとても長寿の自信がありません。

ところで、冒頭に戻って「帰省」を改めて辞書で引いてみました。
「父母の安否をたずねて故郷に帰ること」
それならば帰郷という言葉もありますよね。

今、日本では政界がおもしろい。
山崎豊子さんが生存していたならば、すごいドキュメンタリードラマが編纂されていたかもしれません。

新聞の記事に触発されて まとまりのないことを書きましたが あしからず。

また視力が弱くなり書く文字に かすみがかかり乱字で申し訳ありません。
時間があったら、メールで返事を書いてください。
待ってます。

 

かしこ。

2017年7月24日


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九条多佳子

多佳子・叔母さんは デンマンさんにとっては“お姉さん”のような人なのですわねぇ~。。。

そうなのです。。。 僕の母親の一番下の妹で。。。 20歳も年が離れていたので、まるで母親と娘のように親しくしていました。。。 僕と叔母とは6歳しか年が離れていないのですよ。。。 僕が生まれて間もない頃、お袋が実家の田植えの手伝いに行ったら、7歳の叔母が小さな僕を見て どうしても僕をおぶるんだと言ったらしのですよ。。。

それで、デンマンさんを背中に おぶったのですか?

ちょっと危なげだったけれど、どうしてもと言って聞かないので、仕方なく お袋が おんぶさせたというのです。。。


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それ以来、デンマンさんは実のお姉さんのように親しく付き合っているのですか?

そういうことです。。。

私も、一度だけ多佳子・叔母さんを遠くから見たことがありましたけれど。。。

そういうことがありました。。。 小百合さんが運転する車で鴻巣市の叔母の家まで行ったのですよ。。。 でも、小百合さんは、どういうわけか 「ちょっと今日は遠慮しておきますわ」と言って、会わなかった。。。

デンマンさんが、急に行こうと言い出したので、私には心の準備ができてませんでしたから。。。

そういうものですか?

それで、叔母さんに返信のメールを出したのですか?

メールを書いて送信しました。。。 読んでみてください。。。 

健康だけは充分に気をつけながら

ルンルン気分で過ごしてます。。。:-)


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From: denman654@gmail.com
To: takako987@yahoo.co.jp
Date: Sat., Aug. 5, 2017 5:17 PM

 

8月3日にメールボックスを開けたら多佳子さんからの手紙が届いてました。
毎日、毎日メールボックスを開けているわけでないので、
消印を見ると7月24日なので
バンクーバーの郵便屋さんが配達したのは7月31日頃だったかもしれません。

異常気象のことが書いてありましたが、確かに最近、バンクーバーも異常気象の影響を受けてます。
8月4日の無料タウン情報紙を見たら、
1958年以来の最悪の山火事件数を記録したそうです。。。

自然発火もありますが、たいていタバコの火の不始末が多いのですよ。
でも、260箇所で山火事が起こっているのだから、
異常気象で 乾燥によるものが多いのでしょう。。。

BC州だけで 4,910平方キロメートル焼けたそうです。。。
70キロの正方形の山林が焼けたということだから、すごいですよ。。。


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その影響で、煙がバンクーバーの上空にやって来て、太陽がうっすらと赤紫色をしているのですよ。。。
日中の最高気温は26度から28度だけれど、ムッとするような熱気が感じられます。。。
それでも、日本の夏よりはまだマシです。。。

埼玉県北部の熊谷市あたりでは35度前後の気温ですか!?
学生服を着て夏休み前の7月中旬に熊高(県立熊谷高等学校)に通っていた当時の あの暑苦しさを思い出します。

鴻巣市でも熊谷市とほとんど変わらない気温でしょう!
熱射病などにならずに健康に暮らしてください。。。

5,6年前でしたか、パリの気温がべらぼうに上昇して、
熱射病により老人がバタバタ死んだニュースがありました。

高齢者になると、体温調節機能も衰えるのでしょうか?
多佳子さんには、そのようなことがないように祈ってます!

「天声人語」を読みました。
「古代蓮の里」へは軽井沢タリアセン夫人の小百合さんと一緒に3度ほど訪ねたことがあります。

いつも訪れるのは10月から11月にかけてですから、
蓮の花は咲いてません。
時期が外れているので参観者も少なく、
地元野菜や工芸品の直売店も閑散としていました。

まだ展望台には登ったことがありません。
無料じゃないのですよ。。。
時期外れに行ったら、面白いところじゃありません!

それでも「古代蓮の里」のことでは、いくつかブログの記事を書いてます。



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『古代蓮と軽井沢タリアセン夫人』

ところで、4月29日にメールの最後に次のように書きました。

人生は、マジで儚いものだと つくづく思うこのごろです。。。
だからこそ、自分の思い、気持ちというものをしっかりと持って生きてゆく、と言う事しかないでしょう!

多佳子さんも悔いが残らないように 自分の心に忠実に暮らしてください。。。
お互いに、30年、40年も生きられる人生ではありません。

今年の秋は、そういう意味からも多佳子さんのために うれしい“プレゼント”を用意したいと思います。
体調が悪いと この“プレゼント”は楽しめないと思いますので
くれぐれも体調を整えながら 元気で過ごしてください。。。

葬式の疲れを できるだけ早く取りさってください。
では、今年の秋に またお目にかかるのを楽しみにしています。


『行田物語 母の懐』より
(2017年6月14日)

このプレゼントはモノではありません。
サービスです。。。

初めに考えたのは、フランスのレイモン・ルフェーブル楽団の東京公演で 生の映画音楽を多佳子さんと一緒に聴こうと計画しました。
しかし、レイモン・ルフェーブルは2008年6月27日に亡くなってるのですよ。
楽団が解散してなくて2017の秋に東京公演があるとしても、無理だということが分かりました。


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かつて多佳子さんにも話しましたけれど、小用が近くなっているのですよ。。。
1時間半で膀胱が一杯になるようです。。。
2時間は持ちません。
演奏途中で席を立つのはエチケット違反ですから、演奏会は無理ですよねぇ~。。。

では、他に何が。。。?
かつて加代ちゃんと「とらや」の娘と3人で港を遠望する丘の上に立っていた品川プリンスホテルでフランス料理のフルコースを食べたことがあります。。。

どういわけか、あの広いレストランに客が3人だけで、ウェーターとウェイトレスが入れ替わり立ち代り給仕をするので、
まるでイギリス王室のプリンスが、ガールフレンド二人を接待しているような気分になりました。 (微笑)
7万円でした。
今なら少なくとも2倍はするでしょう!
しかし、旨かったという印象はありません。。。

そういうわけで、多佳子さんの憧れのホテルのレストランでフランス料理のフルコースというのはどうでしょうか?
たとえば、帝国ホテルとか?


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あるいはスカイツリーのタワーのてっぺんのホテルで

夜景を見ながらフレンチ料理か?

あるいはイタリアン料理を食べるとか?


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はたまた、室内四重奏楽団が

イタリアの作曲家・アントニオ・ヴィヴァルディ

によって作曲された、ヴァイオリン協奏曲「四季」の演奏を

聴きながらフルコースを食べるとか。。。(モナリザの微笑)


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とにかく、多佳子さんが主客なので、僕が考え企画しても、多佳子さんにとって当てが外れてしまったら意味がないので、
今年の秋までに、多佳子さん自身が自分のために、最高の企画を考えてください。。。

では、よる年波にもめげずに、健康管理に万全を期して元気に過ごしてください。。。
秋には、お互いに元気で再会しましょう。

 

デンマンより


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あらっ。。。 私のことまで書き込んだのですわねぇ~。。。

いけませんか?

『古代蓮と軽井沢タリアセン夫人』には、どのようなことを書いたのですか?

読んでみてください。。。


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Subj:ハッピー、バレンタイン!


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日本時間: 2014年2月14日(金)午前9時9分
Date: Thurs. 13/02/2014 16:09
(バンクーバー時間)
Pacific Standard Time
From: sayuri@hotmail.com
To: denman@coolmail.jp
CC: barclay1720@aol.com

デンマンさん、お元気ですか?
早いものですね。
去年の10月にお会いしたと思っていたら、もうバレンタインですね!

“ルート66の奇跡”でデンマンさんは死ぬほど驚いたようですが
ちょっとオーバーですよ。


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『ルート66の奇跡』

でも、デンマンさんのおかげで
日本では手に入らないアイリッシュ・クリーム・フレーバーの待望のコーヒーがいただけて
懐かしいバンクーバーを思い出しながら
香りと味を充分に楽しみましたわァ。


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デンマンさんが滞在した1ヶ月は
“光陰矢のごとし”
なんだか アッという間に過ぎてしまったような気がします。

「さきたま古墳公園」でのピクニックが昨日のように
思い出されます。

私が「ツナ缶のLemon味も忘れずに!」とメールに書いたので
デンマンさんが わざわざlemon-pepper味のツナ缶を
日本へ持ち帰ってくれました。
ありがとう!


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10月16日の水曜日は、とっても天気がよくて
まさに秋晴れの行楽日和でした。
デンマンさんが lemon-pepper 味のツナをのせた“カナペ”を作ったのには驚かされましたよ。


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私も ウキウキして白ワインなどを持ち出して
“とっても美味しいわァ! 素敵だわァ~!”なんちゃってぇ~。。。 
うふふふふふ。。。

。。。というわけで、お返しと言っては何ですけれど、
デンマンさんのためにバレンタインの小包を
船便で送りました。

ちょっと遅れるかもしれませんけど
近いうちにお手元に届くと思います。

\(*^_^*)/

では。。。


『失われたバレンタイン』より
(2014年3月23日)

でも、これは「古代蓮の里」ではなく「さきたま古墳公園」のことではありませんかァ!

このあとで すぐに「古代蓮の里」が出てきます。 

件名:おはよう!昨日はお袋を見舞った後で、

叔母と「つるや」で手打ち蕎麦を食べました。

きゃはははは。。。♪┌(・。・)┘♪


(foolw.gif)

日付: Sun, 01 Nov 2009 12:32:49 +0900
差出人: “denman@coolmail.jp”
宛先: “sayuri@hotmail.com”
CC: “barclay1720@aol.com”

10月30日の金曜日は盛りだくさんの一日になりました。
僕の実家の近くにある「とんでん」で食べた“茶蕎麦”はメチャうまかった。
10年ほど前に親父がまだ生きていた頃、両親と一緒に食べた茶蕎麦の味でした。


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本当に懐かしかった。
小百合さんは伝統的な昔ながらの蕎麦を食べたけれど、今度は、ぜひ僕の好物の茶蕎麦を食べて行田の思い出を懐かしんでね。

蕎麦を食べてから「古代蓮の里公園」へ行って直売店で行田市で取れるいろいろな野菜やお土産物を見たけれど、改めて行田の豊かさを感じましたよう。

“ふるさとは遠くにありて思うもの”

うん、うん、うん。。。室生犀星の言葉だけれど、
こうして故郷にやって来ると改めて故郷の豊かさに気づきます。
小百合さんと一緒に古代蓮の神秘的な花を見ながら語り合えたら、さらに幸せな気分に浸ることができたかもしれません。
残念ながら古代蓮の花は咲いてなかった。
8月だけでなく、秋にも咲く古代蓮を作れないものか?


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もし、秋に古代蓮が咲いているなら、
今度は古代蓮を見ながら“Hよりも感じるハグ”をして
再会を喜び合いたいものです。

\(^ヮ^)/ ギャハハハハ。。。

「古代蓮の里公園」でのんびりと散策した後で「水城公園」へ行きました。
まさか小百合さんがまた“とうもろこし”を焼いてくれるとは思いませんでした。
簡易コンロを持ってきて、刷毛(はけ)でタレを塗りながら旨そうに焼けた“とうもろこし”は小百合さんの真心の味がしました。
マジで。。。!

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。


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公民館の前の池の端(はた)で、何も知らない人が見たらホームレスのカップルが貧しい夕食を取っているように見えたかもしれません。
ちょうで池に住む一匹のガチョウのために近所で暮らす30代の女性が餌をやりにやって来ていました。
パンの耳とレタスをガチョウにあげていたけれど、とうもろこしの焼ける旨い匂いがガチョウの食欲をそそるのか?小百合さんがコンロでとうもろこしを焼いている池の端(はた)に寄ってくるのでした。


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“チョウ助”も、とうもろこしが食べたいの?”

その女性はそんなことを冗談で笑いながら言っていたけれど、小百合さんが答えて言いました。

“このガチョウは、とうもろこしを食べませんよね(笑)”


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そうなんだよね。10月16日に小百合さんが初めて水城公園にやって来た時、Pure Whiteのとうもろこしを僕に焼いてくれたけれど、その前に、生のとうもろこしを COB からとって僕は“チョウ助”に食べさせようとしたのでした。
でも、食べなかった。
たぶん、量が少なかったのでガチョウには良く見えなかったのかも?

水城公園で黄色い“とうもろこし”を食べてから小百合さんと一緒にイオン(eaon)モールへ行きました。
“シナモンメルツが食べたいわ。”
小百合さんは、かなりこだわっているようでした。
僕は、別に食べたいとは思わなかったけれど。。。

でも、モールの中にあるマクドナルドの店でのんびりと語り合うことができました。
カナダで食べるシナモンメルツとは形や感じがちょっと違うんだよね。
ほんの少しだけシナモンメルツを小百合さんが食べさせてくれたけれど、
味はシナモンロールとあまり変わらなかった。

小百合さんによると、サワークリームに砂糖を混ぜてあるらしい。
そう言われて味わってみると、確かにサワークリームのすっぱさが舌に感じられたような。。。
でも、言われなければ分からないすっぱさでした。

マクドナルドでコーヒーを飲んだ後で小百合さんと一緒にお袋を見舞いに行田中央総合病院へ行きました。
小百合さんと再会してお袋も喜んでいましたよう。
小百合さん、ありがとう!
お袋は、小百合さんと再会して元気をもらったようでした。

昨日(10月31日)は、叔母と一緒にお袋を見舞いました。
その後で「つるや」で手打ち蕎麦を食べました。
小百合さんも手打ち蕎麦にこだわっているけれど、叔母も蕎麦にはかなりのこだわりを持っています。


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それで、10月30日に小百合さんと一緒に見つけた手打ち蕎麦の「つるや」に行ったのですよう。
蕎麦屋らしい昔ながらのインテリアに、日本に居る事を実感させられました。

「つるや」のあとで行田中央総合病院の近くのBelc の敷地内にある Mos Burger でコーヒーとコロッケを食べながら2時間ほど粘(ねば)って積もる話をしたのでした。

ところで、昨日、行田観光協会のフライマップには出ていないゼリーフライの店を見つけました。
お袋を見舞いに小百合さんと行田中央総合病院へ行ったけれど、まだ小百合さんの記憶にあると思います。
国道125号線からそれて病院の駐車場へ行く、その道の角。
つまり、駐車場の前の道に進入する角のすぐ近くの肉屋さんでゼリーフライを作っていますよ。
一枚60円です。
買って食べなかったけれど、多分、衣(ころも)にはパン粉が入っているかも?
今度、行田へ行く機会があったら食べてみたらいいよ。

大体書き終わったので、これから「ネットカフェ・ミルミル」で牡蠣フライカレーを食べ、その後でウィンナコーヒーを飲みながらブログの記事を書きます。
記事のタイトルは「心のぬくもりを感じさせる医療」
小百合さんと再会した幸せを噛み締めながら。。。


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ヽ(´ー`)ノ きゃはははは。。。

ありがとう。

じゃあね。

(V__/)
(+’.’+)
(“)_(“)


『タリアセン夫人と再会』より
(2011年10月13日)

でも、古代蓮のことについては、特に詳しく書いてないではありませんかァ~!

このあと卑弥子さんが出てきて詳しく「古代蓮」のことを話すのですよ。。。

行田は古代ハスの

ふるさとです


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おほほほほ。。。。

今日は、もう、始めから

現れてしまいましたわぁ~、

あなたにお会いしたかったので

ござ~♪~ますわよゥ。

懐かしい京都もよいですけれど、

デンマンさんが生まれ育った

行田にも行きたいのですわよ。

ええっ?どうしてかって?

それはね、デンマンさんは

もちろんですけれど、

あたくしにとって行田とは

切っても切れない縁が

あるのでござ~♪~ますのよ。

どうしてだか、お分かりになりますか?

行田は古代ハスの

ふるさとなのでござ~♪~ますのよ。


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きれいでしょう?

あたくしの初恋の花でござ~♪~ますのよ。

ええっ?どういうわけかってぇ。。。?

実は、八ツ橋を売るお店に、

かわゆい男の子が居たのでござ~♪~ますのよ。

おほほほほほ。。。

その男の子にあたくしが

恋をしたのでござ~♪~ますわ。

ええっ?その話しはすでに聞いたって。。。?

だから、あたくしがその男の子に

きれいなハスのお花を手渡したのですわよ。

ええっ?なぜかって。。。?

あたくしの愛の告白のつもりでしたのよ!

うふふふふふふ。。。。

そういうわけで今日は古代ハスの

お話をしようと思ったのでござ~♪~ますのよ。

どうか、しばらくの間付き合ってくださいませませ。。。

うししししし。。。。


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行田市の“天然記念物”に指定されている行田蓮(古代蓮)は
原始的な形態を持つ1400年から3000年前の蓮なんですってよ。
この古代蓮が発見された行田市の小針と言う地区は、
なんとデンマンさんが生まれ育ったところから歩いて30分ぐらいの所にあるんですって。

今から約2000年前、この古代蓮の里一帯は、
たくさんの水生植物が茂る湿地帯だったそうです。
そのとき咲いていた蓮の実が地中深くもぐり、
ふたたびあたたかい陽射しをあびる日まで長い長い眠りについたのですね。

1971年(昭和46年)、行田市では小針地区に新しい焼却場施設を建設するために造成工事を始めたのです。
掘削によってできた場所に水がたまって池となり、
地中深く眠っていた蓮の実が静かに目覚めたのです。

1973年(昭和48年)、池の水面に
多くの丸い葉が浮いているのが発見されたのです。
その後、葉の数もふえつづけ、ついに7月13日、
長い眠りから覚めた古代蓮が可憐なピンクの花を咲かせたのです。

ハスの種子は殻が硬く発芽させにくいのですよね。
でも、そういうわけで、条件が良ければかなり長期間保存が効くのです。
だから、2000年前の地層から発見されたハスの種子が、
発芽することもあるのですわ。
ハスの種が、いかに長寿であるかが実に良く分かるエピソードですよね。

行田市ではその後、小針地区に“古代蓮の里”を立ち上げました。
“古代蓮”をシンボルとする公園です。
古代蓮の自生する付近に憩いの場として、
子どもからお年寄りまで楽しめる公園になっていますよ。
ホームページは次のリンクをクリックしてみてくださいね。

■ 『古代蓮の里 ホームページ』

では、ここで万葉集の中の蓮を詠んだ歌を紹介します。
ちょっと面白い歌ですよ。

 

原文: 勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之

作者: 女性だけれど名前は不明です。

よみ: 勝間田(かつまた)の、池は我れ知る、蓮(はちす)なし、
  しか言ふ君が、鬚(ひげ)なきごとし
 

意味: 勝間田の池は、私も知っていますよ。
  でも、蓮(はす)はありませんわ。
  そのようにおっしゃるあなた様に
  ひげがないのと同じように。うふふふふ。。。

新田部皇子(にいたべのみこ)が勝間田の池に咲く蓮の花を見て感動したのですね。
その事をこの歌の作者である女性に語ったわけです。
それを聞いて、その女性が戯(たわむ)れに詠んだ歌なのですわ。


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外出先で美しいハス(=美人)でも目にしてきたのでしょう、
。。。と皇子の話を聞いた女性がからかったわけなのですよね。
蓮の字は「恋」に通じることから、
この歌には他にもいろいろ恋情にかかわる諸説があるようですわ。

蓮は、スイレン科、熱帯産、多年草の水生植物で、
花托(花の中心部:実がなる)が蜂の巣の形に似ていることから、
「はちす」と呼ばれていたのです。

仏教との関わりもあり、その巨大な花は極楽浄土に咲くとされ、
そのイメージは仏像の台座に使われています。

ところで、現在各地で栽培されているハスは、
仏教の本家インドの原産なんですよ。
縄文末期に日本に渡来していたことがわかっています。

あなたも、懐かしいふるさとの花を探しに
久しぶりにふるさとに戻ってみては。。。?


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『卑弥子さんと古代ハス』より
(2009年7月22日)

どうですか? ここまで読んできて小百合さんも「古代蓮の里」が懐かしくなったでしょう?

そうですわねぇ~。。。 卑弥子さんの学識豊かな説明を読んで 改めて“古代蓮”の素晴らしさを認識しましたわァ~。。。 デンマンさんも たまには秋ではなく 古代蓮が咲き誇っている頃に帰省してはいかがですか?

そうですねぇ~。。。 考えておきます。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~~

小百合さんに褒められて あたくしも満足いたしましたわァ。。。

あなたもお暇と金銭的な余裕があったら、

「古代蓮の里」へ足を運んでくださいねぇ~。。。

そして千年以上の眠りから覚めた神秘的に美しい「古代蓮」をご覧になってくださいまし。。。


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いかがでしたかァ~。。。?

あなたも、なんだか急に出かけたくなったでしょう!?

ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。

なぜ。。。?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(sayuri201.jpg)

■ 『パリからバレンタイン』

■ 『ジャズ@バンクーバー』

■ 『タイからバレンタイン』

■ 『たまご麺@バレンタイン』

■ 『愛犬とゴッド』

■ 『ザ・バレンタイン女』

■ 『週刊誌deヌード』

■ 『愛と天の夕顔』

■ 『ジェミマおばさんのシロップ』

■ 『夏日に、お帰りなさい』

■ 『コイ、鯉、恋がいっぱい!』

■ 『スープカレーなのね』

■ 『忍城時代まつり』

■ 『夜道のルート66』

■ 『上を向いて歌おう』

■ 『霧積温泉のロマン』

■ 『元気が一番!』

■ 『行田のスープカレー』

■ 『パンツとブラジャーと餃子』

■ 『軽井沢を文学散歩する』

■ 『ばァ~の面影』

■ 『バレンタイン@行田』

■ 『軽井沢タリアセン夫人@遠藤家』

■ 『桃の節句@天国』

■ 『古代米カレー』

■ 『愛のジェローを探して』

■ 『コーヒーと愛の香り』

■ 『愛の馬車道』

■ 『亀姫と香芽子さん』

■ 『愛の夕顔を探して』

■ 『ケネディ暗殺の謎』

■ 『行田物語 ピラミッド』

■ 『由梨さん@コルシカ』

■ 『黒い行田市長』

■ 『ヒシしようよ』

■ 『天の川de思い出』


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こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


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デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


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九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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死海

2017年7月29日

 

死海

 


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デンマンさん。。。 何で急に死海を取り上げるのでござ~♪~ますか?

実は、香港島の中西区に住んでいる劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんが中国の検索エンジンから僕のブログの記事を読みにやって来たのですよ。。。

中国の検索エンジンってぇ、いったいどの検索エンジンですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。


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『拡大する』

あらっ。。。、死海で浮いている女性が香港に住んでいる劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんですか?

そうです。。。 劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは女優の卵なんですよ。。。 コマーシャルの撮影で死海へ行ったのです。。。 そのときの写真だそうです。。。 リストの赤枠で囲んであるリンクから僕の Denman Blogの記事を読みにやって来たのですよ。。。

劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんが香港に住んでいると、どうやって突き止めたのですか?

IPアドレスを調べたのです。。。


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『拡大する』

IPアドレスを調べても プライバシーを保護するためにアクセス者の名前まではゲットできないはずでござ~ますわァ~。。。

ガーリンさんが記事を読んで面白かったので、その事を書いて僕にメールをくれたのです。。。

。。。で、リファラ(リンク元URL)の中の赤枠で囲んであるリンクをクリックすると どの検索エンジンが出てくるのでござ~ますかァ~?

次の検索結果が出てくるのです。


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『拡大する』

『日本の死海文書』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは『日本の死海文書』を読んだのですかァ~?

そういうことです。。。


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『拡大する』

あらっ。。。 劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんが四海で楽しんでいる写真が出てますわねぇ~。。。 赤枠で囲んだところに記録が出ているのですわねぇ~。。。 でも、死海に行く前なら検索して死海に関する記事を読む理由が分かりますけれど、旅行から帰ってきてどうして検索して『日本の死海文書』を読むのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、旅行に行く前も、旅行最中も仕事のことで頭がいっぱいで、それに撮影する間も忙しくて劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんはガイドブックを読む暇もなかったのですよ。。。

それで、旅行から帰ってきて、死海について調べる気になったのですか?

そういうことです。。。

でも。。。、でも。。。、『日本の死海文書』というタイトル見たら、イスラエルとヨルダンの間にある死海の事じゃないと すぐに分かりそうなものじゃござ~ませんかァ!

あのねぇ~、ガーリンさんは香港中文大学で英語と日本語を勉強したのですよ。。。 だから、英語も日本語もかなり話せます。。。 そういうわけで『日本の死海文書』というタイトルを見た時に、すぐに興味が湧いてきたわけです。。。

。。。で、記事のどういうところに興味を持ったのでござ~ますかァ?

まずねぇ~、次の記事のタイトルを見てちょっと驚いたのですよ。。。


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『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

“日本へ、紀元前のメイフラワー号”というタイトルに惹かれてこの記事も読んだわけです。。。

あらっ。。。 劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは、ずいぶんと好奇心が旺盛なのですわねぇ~。。。

とにかく、将来は日本でもハリウッドでもデビューしようという夢を持っているから、何事も勉強だと思って、彼女は意欲的に知識を吸収しているのですよ。。。 卑弥子さんは死海に行ったことはあるのですか?

ありませんわァ~。。。 あたくしも“死海”で体を浮かせて見たいですわァ~。。。

じゃあねぇ~。。。 次のクリップを見て疑似体験してください。。。

 


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死海で浮いてみた

 

そもそも、“死海文書”というものは、どのようなものなのでござ~ますかァ?

卑弥子さんのために ちょっとばかりウィキペディアから概要を引用しますよ。

死海文書


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死海文書はヘブライ語聖書の最古の写本を含んでいて、宗教的にも歴史的にも大きな意味を持ち、第二神殿時代後期のユダヤ教の実情をうかがわせるものでもある。
文書は大部分がヘブライ語で書かれており、二割ほどのアラム語文書と、ごくわずかなギリシア語文書およびアラム語の方言であるナバテや語の文書を含んでいる。
多くは羊皮紙であるが、一部パピルスもある。
文書の成立は内容および書体の分析と放射性炭素年代測定、質量分析法などから紀元前250年ごろから紀元70年の間と考えられている。
死海文書を記したグループ(以後、クムラン教団と呼ぶ)については、伝統的にエッセネ派と同定する意見が主流だが、エルサレムのサドカイ派の祭司たちが書いた、あるいは未知のユダヤ教内グループによって書かれたとする意見もある。


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1946年の終わりから1947年の初めのいずれかの時期に、ベドウィンのターミレ族の羊飼いムハンマド・エッ・ディーブ(Muhammed edh-Dhib、「狼のムハンマド」の意)とその従兄弟がヒベルト・クムランと呼ばれる遺跡(遺跡自体は19世紀から知られていた)の近くの洞窟の中で古代の巻物の入った壷を発見した。
最初の発見に関しては「子ヤギを追いかけていて、洞窟の中に石を投げ入れたところ、何かが割れる音がしたので入ってみた」などさまざまな逸話が語られるが、どこまでが真実かはもはやわからない。


出典: 「死海文書」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、「死海文書」というのは、ヘブライ語聖書の最古の写本ということでござ~ますわね。。。 つうことは、日本の最古の書物というのは『古事記』でござ~ますから、「日本の死海文書」は『古事記』のことですか?


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あのねぇ~、『古事記』が日本の最古の書物だということは中学生でも知ってますよ。

。。。つうことわあああァ~。。。、つまり、『古事記』よりも古い書物が見つかったのでござ~ますか?

いや。。。 そういう話は聞いたことがないです。

だったら、おもわせぶりな事を言わないで「日本の死海文書」とは何のことなのか? 端的に細木数子のようにズバリ!とおっしゃってくださいましなァ!

あのねぇ~、実は、僕も「日本の死海文書」が具体的にどの書物を指しているのかは解らないのです。 でもねぇ~、近い将来「日本の死海文書」が発見されるだろうと信じているのですよ。

要するに、ヘブライ語聖書の最古の写本ならぬ、日本古来の神道の聖書とも言うべき最古の写本が発見されると、デンマンさんはおっしゃるのでござ~ますか?

いや。。。 日本古来の神道の聖書かどうかは解りませんよ。 むしろ、そんなものはないでしょう!?

だったら、どう言う訳で「日本の死海文書」としたのでござ~ますか?

あのねぇ~、“死海文書”は放射性炭素年代測定、あるいは質量分析法などから紀元前250年ごろから紀元70年の間に書かれたものだと考えられている。

つまり、日本でも、その頃に書かれたものが発見されると、デンマンさんはおっしゃるのでござ~ますか?

その通りですよ。

でも。。。、でも。。。、日本には紀元前250年ごろには文字の文化などないのですわ。

だから、僕はこのページの始めに『日本へ、紀元前のメイフラワー号』を持ち出したのですよ。

あらっ。。。 つまり、徐福さんとそのグループが古代中国から持ち込んだ書物が日本のどこかの洞窟に眠っているということでござ~ますか?

死海の近くの洞窟で“死海文書”が発見されたのですよ。 日本でも、徐福さんたちが持ち込んだ書物が洞窟に隠されたということも充分に考えられるのですよ。

でも、日本では徐福さんの伝説でさえ歴史的事実とは考えられてきませんでしたわ。

その通りですよ。 藤原氏が歴史を捻じ曲げてしまいましたからね。

つまり、徐福さんたちが古代中国からやって来た事実は藤原氏によって緘口(かんこう)令がしかれて記録から抹殺されたのでござ~ますか?

その通りですよ。

でも、どうして。。。?

藤原氏にとって徐福さんたちの存在は邪魔だったのですよ。  藤原氏は自分たちが日本古来から伝わる正統な家系の末裔で、政権の正当な担当者であることを後世に示したかったからですよ。

つまり、『古事記』、『日本書紀』を藤原氏が作るときに、他の書物をすべて焼き捨てさせたのでござ~ますか?

その通りですよ。 だから、徐福さんたちから引き継がれた書物を焼き捨てることは忍びないと思って有志が“死海文書”のように洞窟に隠すか? あるいは銅鐸のようなものと一緒に土中に埋めたということが充分に考えられるのですよ。

でも。。。、でも。。。、そのような事が記録に残っているのですか?

あのねぇ~、藤原氏が鵜の目、鷹の目のようにして警戒していたから、日本の書物には徐福さんたちが持ち込んだ書物が隠されたことは記録に出ていないのですよ。 でもねぇ、徐福さんたちがやって来たことは藤原氏の目を盗んで書かれている。

あらっ。。。 そのような書物があるのでござ~ますか? 

あるのですよ。 徐福さんの名前は書けなかったのだけれど、どうしても歴史に残さねばならないと考えた人がいて 9世紀に編纂された『新撰姓氏録』に書いてあるのですよ。 応神(ホムタワケ)天皇の時代に秦氏の長者が中国から127県の住民を率いて渡来したと書いてある。 つまり、『古事記』でも『日本書紀』でも藤原氏は意図的に徐福さんを無視したのですよ。 だから、当然、藤原氏に反発する人たちも出てくる。

。。。んで、どなたが『新撰姓氏録』に書き込んだのでござ~ますか?

だから、反藤原氏の歴史家ですよ。 でも、歴史に残そうとして徐福さんの名前を書くと藤原氏にイジメられるので、技術集団として秦氏の名前を記録に残したのですよ。

だけど、徐福さんたちがもたらした書物が どこかに隠されたということは記録に残ってないのでしょう?

確かに、日本にはそのような記録はない。

あらっ。。。 つうことわあああァ~。。。中国には記録に残されているのでござ~ますか?

あるのですよ。 11世紀に活躍した北宋の詩人で、欧陽脩(おうようしゅう)という人物が「日本刀歌」という詩の中で、「秦代に焚書坑儒を逃れた書が日本に残った」と書いているのですよ。

焚書坑儒


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秦の始皇34年(紀元前213年)、博士淳于越は郡県制に反対し、いにしえの封建制を主張した。
『史記』によると、丞相の李斯は、儒者たちが古(いにし)えによって現政府を批判していると指摘し、この弾圧を建議した。
始皇帝はこの建議を容れて挟書律(医学・占い・農業以外の書物の所有を禁じた令)を制定した。

これにより、民間人が所持していた書経・詩経・諸子百家の書物は、ことごとく郡の守尉に提出させ、焼き払うことが命じられた(焚書)。
李斯は、秦の歴史家によるものを除いてすべての史書は燃やすべきであると主張し、各諸派によって書かれた書物は、地域の官僚に処分をするよう命令が出された。
儒教の経典である六経のうちの『楽経』はこの時失われ、漢代に五経として確立された。

翌年(紀元前212年)、廬生や侯生といった方士や儒者が、始皇帝が独裁者で刑罰を濫発していると非難して逃亡したため、咸陽の方士や儒者460人余りを生き埋めにし虐殺した(坑儒)。
ただし、その後も秦に仕えた儒者はおり、陳勝・呉広の乱が起きた際に二世皇帝胡亥が儒者の叔孫通に諮問している。

紀元前206年、漢の高祖劉邦が秦を滅ぼしたが、依然として挟書律は現行法であり、その後恵帝4年(紀元前191年)11月になってようやく廃止された。
また、『韓非子』和氏篇には商鞅に仮託して、挟書を政策として採用すべきだと議論しており、李斯の独創ではなく、戦国末期には法家によって議論されていた現実的な政策であった。
始皇帝はそれを採用したに過ぎず、劉邦政権が踏襲したことによっても、挟書律が少なくとも為政者にとっては現実的な政策であったことが分かる。


出典: 「焚書坑儒」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、徐福さんは、名目は「不老長寿の薬を求めるため」と言いながらも、実は、秦の始皇帝の圧制から逃れようと画策したのですよ。

それで、日本へ渡航する時に、ついでにたくさんの書物も船に運び入れたのでござ~ますか?

だから、それが巷の噂になって11世紀に欧陽脩さんの耳にも達したわけですよ。

。。。んで、その「日本の死海文書」はどこに隠されたのでござ~ますか?

実は、そのことで僕は以前に記事に書いたのですよ。 ちょっと読んでみてください。

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

それは、歴史編纂の目的で、大和朝廷が、昔の地方王朝に伝わる歴史書をすべて集めさせたからです。
その集めたものがどうなったかというと、すべて焼き捨ててしまったのです。

ご存知のとおり、中国では、これ以前に、秦の始皇帝が焚書坑儒ということをやっているわけです。
つまり、民間に広まっている儒教の本を焼き捨て、多数の儒学者を殺しているわけです。
地方の歴史編纂者を殺せ、とは藤原不比等は言わなかったでしょう。
しかし、大和朝廷の正史、つまり、古事記と違ったことが書いてある、昔の地方王朝の歴史書が、地方に残っていることは、まずいわけです。

藤原不比等が、この点について、天武天皇に、いろいろと中国史を話して聞かせたことでしょう。
「六韜(りくとう)」を愛読している不比等にとって、そのような、大和朝廷に、邪魔になる地方の王朝の史書を焼き捨てるのは当然のことです。
したがって、古事記編纂の目的の一つに、地方に伝わる歴史書を焼き捨てるということがあったわけです。

地方の歴史研究者が、たまには、神社に伝わる古い史書などを発見することがありますが、古事記よりも古い時代のものだ、などと言うと、先ず歴史学会からは無視されているようです。
しかし私は、まだまだ未発見の、古事記よりも古い史書が、かなりの数,地下で眠っていると信じています。
というのは、当時の大和政権が、強制的に地方王朝の歴史書を差し出すように命令を発したとしても、必ず、反抗して、そういったものを隠してしまう者が居たはずだからです。
そんなわけで、地方へ行けば行くほど、つまり、大和朝廷の権威が届いていない地方ほど、そのような史書が残っている可能性があります。


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まだ遺跡発掘などがあまり活発に行われていない、日本海沿岸の新潟県や秋田県あたりに、未発見の古書がかなり眠っているはずです。
上の地図からも分かるとおり、このあたりには、大陸からの難民がたくさん漂着していたはずだからです。


『古事記より古い書物がどうして残っていないの?』より
(2003年7月17日)

。。。で、劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは 記事を読んで面白かったとデンマンさんにメールを書いたのでござ~ますかァ?

そうですよ。。。 で、日本の古典にも興味があるので、今度日本へ行く時にはぜひ卑弥子さんに紹介して欲しいと言うのです。。。

マジで。。。?

“平成の紫式部”と言われている卑弥子さんから じかに『源氏物語』のお話を伺いたいと言うのですよ。。。

あらっ。。。 あたくしは香港でも有名なってしまったのでござ~ますかァ? 

とにかく、劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは卑弥子さんを かなり尊敬しているようです。

分かりましたわァ~。。。 ガーリンさんがやって来たら ついでに、あたくしが京都をご案内いたしますわァ~。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

香港では、けっこう日本語がブームになっているのだそうですわァ。。。

それで、あたくしも香港では人気が出ているようなのでござ~ますゥ。。。

ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が最近、日本語が解る香港の男性に注目されているのですわよう。。。

香港でも、“ヴィーナスのえくぼ フィーバー”が起こっているのですわァ。

ええっ。。。 マジで信じられないのですかァ~?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、香港からも あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよ。


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、古代にはあなたの知らない雄大な、あるいはミステリアスな面白いお話があるのですわよう。。。

あなたのために平安史、古代史の興味深い記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


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『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』


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『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

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『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』

『おばさんパンツ@サンホセ』

『聖徳太子のチューター』

『オナラの曲芸』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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聖徳太子のチューター

2017年7月12日

 

聖徳太子のチューター

 


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デンマンさん。。。、聖徳太子のチューターは女性だったのでござ~♪~ますかァ~?


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いや、違います。。。 卑弥子さんを呼び出したついでに、卑弥子さんに似た人を貼り出したまでです。。。 深い意味はないのですよ。。。

でも、どういうわけで急に聖徳太子のチューターというタイトルにしたのでござ~ますかァ?

実は、東京に住んでいる 正徳 多恵(しょうとく たえ)さんが僕の記事を読みにやって来たのです。。。 次のリストを見てください。。。


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『聖徳太子の家庭教師』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の7月9日の午後3時から午後8時23分までの約5時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。

あらっ。。。 7月9日の午後3時19分にGOOGLEで検索して『聖徳太子の家庭教師』を読んだのでござ~ますわねぇ~。。。

そうです。。。

IPアドレスを調べて 東京に住んでいる 正徳 多恵(しょうとく たえ)さんが『聖徳太子の家庭教師』を読んだと突き止めたのでござ~ますかァ?

その通りです。。。


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『拡大する』

でも、IPアドレスを調べてもアクセス者の名前まではゲットできないのですわァ~。。。

卑弥子さんは、また きびしいツッコミを入れるのですかァ~?

だってぇ~、事実は事実ですものォ~。。。 上の結果を真に受けて、IPアドレスを調べると、個人情報までゲットできるような間違った印象をネット市民の皆様に与えるのはよろしくござ~ませんわァ。

あのねぇ~、正徳 多恵(しょうとく たえ)さんは『聖徳太子の家庭教師』を読んで、とっても面白かったというメールを僕に寄越したのです。。。

つまり、、正徳 多恵(しょうとく たえ)さんも デンマンさんのブログの常連さんの一人だと言いたいのでござ~ますかァ?

そうです。。。 僕が自作自演をしているのではないということを示すために、わざわざIPアドレスを公開しているのですよ。

。。。で、多恵さんは、どのようにしてデンマンさんの記事を探しだしたのでござ~ますかァ?

もちろん、GOOGLEで次のように検索したのですよ。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「聖徳太子 家庭教師」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

そうです。。。 42,700件ヒットするのですよ。。。

正徳 多恵(しょうとく たえ)さんは赤枠で囲んだ記事を読んだのでござ~ますか?

そういうことです。。。

でも。。。、でも。。。、多恵さんは、どういうわけで聖徳太子に家庭教師がいたことを知っていたのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、多恵さんは東京の文京区目白台にある日本女子大学の文学部史学科の4年生なのですよ。。。


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つまり、日本古代史の聖徳太子で卒論を書こうとしているのでござ~ますかァ?

そういうことです。。。

。。。で、卒論のヒントを得るためにGOOGLEで検索したのでござ~ますかァ?

その通りです。。。

。。。で、何が参考になったのでござ~ますかァ?

多恵さんは次の箇所を読んでオツムに閃(ひらめ)くものがあったのですよ。。。

4) 聖徳太子の母親はペルシャ人だった


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宇宙の摂理ブログ聖徳太子の母親はペルシャ人だった? 聖徳太子の母親は ペルシャ人だった? 渡来人 聖徳太子とその時代を考えるとき、私たちは日本古代史の中で考えようとします。昔の日本で起こったことを考えるのだから、それも当然のことのように思えます。 …

http://barclay.wablog.com/4.html – 95k

5) 聖徳太子の個人教授には

  ペルシャ人がいた

宇宙の摂理ブログ確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになり … ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居た …

http://barclay.wablog.com/3.html – 98k


(2008年7月10日午後4時現在)

『「聖徳太子 ペルシャ人」 の検索結果』

つまり、聖徳太子にはペルシャ人の血が流れたいたのかもしれない、と多恵さんは関心を深めたのですか?

そうです。。。 それで次の部分をじっくりと読んだのです。。。

 

聖徳太子の個人教授には

ペルシャ人がいた


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太子は、高句麗からの渡来僧・慧慈(えじ)を個人教授として内教(仏教)を学んだとされています。さらに外典(そとふみ)を覚袈(かくか)から学んだそうです。仏教から外典というと、その中には儒教、道教、景教、拝火教、バラモン教、つまり仏教以外のさまざまな経典が含まれます。この覚袈が渡来人であったと言われていますが、どこの国からやって来たのか、については確証がありません。

聖徳太子は、蘇我氏の一員だと言っても過言ではないほど、蘇我氏とは切っても切れない繋がりを持っています。また、蘇我氏は渡来人を支配することによって実力をつけてきたということからも分かるように、渡来人の集団とは強い絆で結ばれています。私は、蘇我氏自身も高句麗りからやって来たとみています。このことについては、このページ (蘇我氏は高句麗からやってきた) で説明しています。

要するに、聖徳太子は、小さな頃から渡来人に取り囲まれて生活していたと言うことは、まず間違いないようです。従って、成長してからも彼の回りには実に渡来人が多いのです。先ほど述べた高句麗からの渡来僧・慧慈(えじ)と外典(そとふみ)を教えた覚袈(かくか)は、太子に影響を与えた数多い渡来人の中のたった二人に過ぎません。

太子の個人教授にはこの二人の他に慧聡(えそう)がいます。この人は、実は慧慈(えじ)と同じ年に百済から来朝しています。『書紀』 に 「慧慈、慧聡は内教を弘演(ひろめ)て並(ならび)に三宝の棟梁となる」、とあります。これら名僧は、飛鳥寺を造り終えると同時に、飛鳥寺の住僧となっています。

しかし、この当時の国際関係を考えると、一見、不思議な感じがします。交戦を続ける高句麗と百済の敵国同士の両僧が、同時に来朝し、飛鳥寺に共に居住して、仏教の二大棟梁となる、ということは、常識的には考えられません。こじつけて、説明しようとするならば、高句麗の慧慈を通して北朝仏教を、一方百済の慧聡を通して南朝仏教をともに導入しようとした、ということが言えるでしょう。しかし、これとても、もう一つ説得力に欠けます。そこで、この当時の坊さんの役目を考えてみる必要があります。

一言で言ってしまえば、言葉の響きは良くありませんが、坊さんは頭を丸めたスパイです。仏教を国教とする時代です。しかも、「推古女帝と聖徳太子」のページで述べているように、蘇我馬子の宗教観には、仏教を思想面で受け入れると言うよりも、政治に利用するという意図がありありと見て取れます。したがって、慧慈、慧聡、覚袈は、太子の宗教の専門の師であるばかりでなく、高度の政治外交の顧問格でもあったわけです。しかも、スパイとしての役目を担っていますから、「同時に来朝し、飛鳥寺に共に居住して、仏教の二大棟梁となる」ことは、不思議でもなんでもない。むしろ、この二人にとっては、好都合だったと言えるでしょう。居ながらにして情報交換ができるのですから。

後年、慧慈(えじ)は高句麗へ戻っています。もちろん、時の高句麗王に報告のためです。坊さんになってスパイ活動をしたという良い例は、藤原鎌足の長男・定慧(じょうえ)です。この人のことは、このページ (藤原鎌足と長男・定慧) で詳しく述べています。あまり出過ぎたことをしたために、天智天皇の命令で殺されています。

百済は高句麗や新羅にたえず攻められるため、大和朝廷に幾度も軍事援助を求めています。派兵の代償として、五経博士などの文化使節を送ってきたわけで、慧聡(えそう)もそうした文化使節の一員です。その記事は 『日本書紀』 の「継体紀」 「欽明紀」や 『百済本紀』 に書かれています。しかし、文化使節とは、表向きのはずで、慧聡(えそう)のような僧侶は、時の権力者に近づく機会が多いわけで、よく言えば、百済大使、悪く言えばスパイの親分として活動していたことは、いわば当然のことです。

五経博士の「五経」とは儒教の易・書・詩・礼・春秋で、これとともに医博士、暦博士、採薬師施(くすりかりのはかせ)や僧侶など、各分野の専門家を送って来ており、諸博士の人名も中国の南朝人と分るものもあり、時の大和朝廷は百済のみならず、百済を介して南朝文化の導入も意図していたことがうかがわれます。

ここで、このページのタイトルについて考えてみましょう。覚袈(かくか)は果たしてペルシャ人だったのだろうか?覚袈は外典(そとふみ)を太子に教えたのです。外典とは儒教、道教、景教、拝火教(ゾロアスター教)、バラモン教を含めた仏教以外のさまざまな経典ですから、儒教と道教については百済人や高句麗人でも教えることができたかもしれません。しかし、景教、拝火教、バラモン教となると、百済人や高句麗人では手に負えなかったのではないでしょうか?このように考えれば、覚袈がペルシャ人であったとしても不自然ではありません。

 

聖徳太子の一族に

ペルシャ人が居たの?

ここで考えなければならないことは、これらの高度の文化を、一体、大和朝廷の誰が受容できたのであろうか?と言うことです。語学の素養もない、外国文化に触れたこともない一般の官吏ではまず無理です。つまり、これらの高度の文化を受け入れることができるのは語学の素養もあり、外国文化に触れたこともある東漢人(やまとのあやひと)や今来漢人(いまきのあやひと)などの渡来人です。

この人たちを掌握していたのは一体誰か?蘇我氏です。従って、蘇我氏の中にもまた語学の素養があり、外国文化に明るい人たちがたくさん居ないと、彼らを掌握し切れません。このことからも、蘇我氏が渡来系の氏族であったということがよく分かります。

上に述べたような理由で蘇我氏のもとには渡来人がたくさん集まってきます。渡来人の中には、もちろんペルシャ人も居ました。当然のことながら、蘇我氏を頼って行ったでしょう。

ここで、前のページからの本題に入ります。聖徳太子の母親はペルシャ人だったのか?


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当時ペルシャ人をハシ人と呼び、波斯人と書きました。太子の個人教授の一人である覚袈(かくか)がペルシャ系の人ではないかという推測は、太子の母が穴穂部間人(あなほべのはしひと)と書かれている事と、大いに関係があります。間人(はしひと)とは波斯人(はしひと)でペルシャ人のことではないか!と、言うわけです。太子が赤い髪の毛をしていたと言う伝承があります。この伝承に真実が隠されているのではないか?もしそうだとするなら、太子の母親がペルシャ人であると言う事も決して荒唐無稽な事ではありません。


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聖徳太子の父は用明天皇、母は蘇我稲目の孫娘です。この稲目の父は高麗(こま)で、高句麗からやってきたのですが、実はこの人がペルシャのサカ族の出身だと言う研究家も居ます。しかし、そんな遠いところにペルシャ人を持ってゆかなくてもよいのです。私はその説よりも、むしろ穴穂部間人の母親、つまり小姉君(おあねぎみ)がペルシャ人の血を受け継いでいるのではないか、とみています。

もし当時、ペルシャ人が日本へやってきて、どの一族を頼りにするかといえば、当然、飛ぶ鳥を落とす勢いの蘇我氏の元を訪れたことでしょう。その頃、渡来人を掌握していたのが蘇我氏だからです。ペルシャ人の中には、蘇我氏との絆を確固なものにするために、蘇我稲目に娘を側室として差し出す親も現れたでしょう。そのようにして穴穂部間人が生まれた、と考えるわけです。

小姉君の父はたしかに稲目なのですが、母親の出自について日本書紀は沈黙しています。なぜ沈黙する必要があるのか?その答えを出すには誰が日本書紀を書いたかが分かれば簡単です。天武天皇の息子の舎人親王が編集長だったと言うように書かれていますが、彼はむしろ発行人であり、実際に編集に当たっていたのは藤原不比等です。藤原氏は、元、中臣氏ということで、日本古来の氏族となっていますが、不比等のおじいさんの御食子(みけこ)は百済からやって来ました。従って、自分たちが「よそ者」であるということを書きたくなっかたように、穴穂部間人の出自についても沈黙していたのです。

では、なぜ、不比等は自分の名前を編集長として書紀に書かなかったのか?それには、これまた事情があります。そのことについてはこのページ (『壬申の乱』は天智帝暗殺で始まった) で説明しています。

しかし、この説を採ると、飛び越えねばならないハードルがあります。どういうことかというと、実は、小姉君の母親が物部氏出身と思える節があるのです。

というのは、当時の皇子・皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通でした。そして育った土地の名前をつける慣習がありました。飛鳥で育った大王の娘なら飛鳥皇女と呼ばれるわけです。すると穴穂部間人皇女の穴穂も地名に由来することになります。大和周辺に穴穂の地名は河内と奈良の石上にあります。皇女がどちらで育ったか分りませんが、どちらも物部氏の領地なのです。

つまり小姉君は蘇我稲目の娘であると同時に、物部氏の娘でもあったのです。しかも穴穂部間人皇女は物部の土地で成長しました。しかし、ご存知のように、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏は対立し、それまでの史上最大の戦闘を繰り広げました。したがって、このようなことがあり得るだろうかと、あなたは疑問に思うかもしれません。

ところが、それ以前、朝廷で権力を握っていた大伴氏を退けるため、蘇我氏と物部氏は手を握り合ったことがあります。どういうことかというと、小姉君は、蘇我氏と物部氏が宮中で勢力を伸ばす方策として、互いに婚姻関係を結んでいた当時の産物ということになります。「友情の証」として、蘇我稲目かあるいは彼の父親の高麗が自分の側室の中から美しいペルシャ人の娘を物部の氏の長者に与えたのでしょう。このようなことは、この当時よくあることでした。軽皇子(後の孝徳天皇)が小足姫(おたらしひめ)を中臣鎌足(藤原鎌足)に与えたのもこのような例です。このことについては、このページ (藤原鎌足と軽皇子) で述べています。

そのお返しに、今度は、物部氏がペルシャ人の女性から生まれた娘を蘇我稲目の側室として与えたわけです。その娘から生まれたのが小姉君だというわけです。したがって、小姉君の体内にはペルシャ人の血が4分の1流れていたわけです。彼女の娘が穴穂部間人皇女です。確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになります。太子が赤い髪の毛をしていたという伝承は、このことによって説明がつきます。

また、後に推古天皇を生む堅塩媛(きたしひめ)と小姉君の間の確執も、このことによっていっそう良く理解することができます。つまり、この腹違いの姉妹は共に欽明天皇の後宮に入ります。ところが、若くてきれいな小姉君へと天皇の愛は傾いてゆきます。それも分かるような気がします。エキゾチックなペルシャ人の血を引いている小姉君は、天皇の目には、さぞかし魅惑的に映ったことでしょう。

しかし、堅塩媛(きたしひめ)にしてみれば我慢のならないことです。このようなことを身近に見て来た娘の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)も、当然、この混血児の叔母のことを良く思うはずがありません。母親からずいぶんとグチをきかされたことでしょう。この豊御食炊屋姫が推古帝です。

推古天皇は、後年、この小姉君の血を引き継いでいる皇子(聖徳太子も含めて)が天皇になることを極力避けようとしています。推古帝の身になってみると、2重の意味でこのような皇子を排除したかったでしょう。先ず「よそ者」の血が流れているということ。しかも、この混血児の叔母のために、自分の母親がつらい目にあってきたということ。このように考えてゆくと、つまり小姉君にペルシャ人の血が流れているとすれば、このあたりの事情が非常にすっきりと説明できます。

しかし、これだけに止まりません。なぜ、聖徳太子は厩戸王子と呼ばれたのか?母親の穴穂部間人皇女が宮中を見回るうちに、馬屋の前で産気づき、そこで出産したからという逸話が日本書紀などに見られます。これはキリストの生誕を彷佛とさせます。しかし、納得ゆくような説明が見当たりません。

ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居たことを考えると、このことも、非常にうまく説明がつきます。では、次のページでもっと詳しくこのことを見て行こうと思います。


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http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/persia3.html


リンク元(referer)

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Google.co.jp ペルシャ人
Google.co.jp 聖徳太子 ペルシャ人

(2008年7月13日現在)


『聖徳太子の個人教授にはペルシャ人がいた』より
 (2005年6月2日)

どうですか、卑弥子さん?。。。 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文学と源氏物語」を講義している卑弥子さんにとっても 面白いと思えるでしょう?

いつものようにデンマンさんの理屈に引き込まれそうでござ~♪~ますわ。

僕は理屈を捏(こ)ね回しているわけではないのですよう。

根拠に基づいているとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

もちろんですよう。 上の記事の中に貼ってあるすべてのリンクをたどって僕が書いた記事を読めば、納得できるように書いてあるのです。

デンマンさん。。。、あのですねぇ~。。。よほど暇がある人でない限り、デンマンさんが書いた記事をすべて読むなんて無理でござ~♪~ますわ。

でもねぇ、僕も驚いたのだけれど、上の中で引用されている記事は結構読まれているのですよう。

どうして分かるのですか?

アクセス解析で訪問者の数が分かるのですよう。 僕と同じように聖徳太子の時代に、壮大な歴史ロマンを感じている人が結構、たくさん居るのですよう。 上の記事を読むだけでも、国際的な広がりを感じませんか? 僕は源氏物語より面白いと思いますね。

デンマンさん!。。。あたくしは、これでも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している者でござ~♪~ますわ。

知ってますよう。

そのあたくしに向かって、“源氏物語よりも聖徳太子物語の方が面白い!”。。。デンマンさんは、そう宣(のたま)うのでござ~♪~ますか?

宣(のたま)うなんて、すごい事を言いますねぇ~ うへへへへ。。。

デンマンさん!。。。笑いで誤魔化さないでくださいな。 あたくしは真面目に腹を立てているのでござ~♪~ますわ。

分かりました。。。 僕は源氏物語がつまらない、と言っているのではないのですよう。。。 もちろん、源氏物語は世界的にも認められている素晴しい小説ですよう。。。 でもねぇ~、「聖徳太子物語」は、それ以上に歴史ロマンを感じさせる壮大な絵巻だと思っているのですよう。

でも、そう言う絵巻はござ~♪~ませんわ。

だから、僕がネットで立ち上げようかと。。。 『壮大なる歴史ロマン・聖徳太子物語』。。。 『レンゲ物語』と『小百合物語』に引き続いて、この歴史的大ロマンをスタートさせてみようかと。。。 うへへへへ。。。

デンマンさん。。。マジですか?

夕べ、そう言う夢を見たのですよう。

夢のお話でござ~♪~ますか?。。。 んで、上の“リンク元”と言うのは、どう言う事でござ~♪~ますか?

これは僕が書き加えたものではないのですよう。

誰が書き加えたのでござ~♪~ますか?

『宇宙の摂理ブログ』では、記事を読みにやって来た人のリンク元を上のように最新10個だけ記録するのです。つまり、10個の URL を自動的に書き込むようになっているのですよう。そういう機能が WABLOG のブログにはついているのです。 (デンマン注: WABLOG プロバイダーは 2010年以前に すでに店じまいしました!

「リンク元」に記録されている URL はデンマンさんの記事を読みにやって来る前に、ネットサーファーが居たページの URL でごさ~♪~ますか?

そうですよ。上の10人は、すべて検索エンジンで検索した結果の中に表れた僕の記事のタイトルをクリックして読みにやって来たのです。

それで、その人たちの IP アドレスまで分かるのでござ~♪~ますか?

もちろん、調べる気になれば分かりますが、そこまで記録するようにはなっていません。 だから、上の記録だけでは 読みにやって来た人の IP アドレスまでは分かりません。

。。。んで、多恵さんは卒業論文に聖徳太子を書くことに決めたのでござ~ますかァ?

そうです。。。 女性らしく、“聖徳太子の母親がペルシャ人だった可能性について”という題目で卒論を書こうと決めたのです。


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マジで。。。?

僕はウソと卑弥子さんの尻はつかないことにしているのですよ。。。


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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。

最後のオチは、かなり下品なオシモのオチですわァ~。。。

なんだかオチの意味が解らないネット市民の皆様は、深く考えないようにしてくださいねぇ~。。。


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多恵さんは卒業論文に“聖徳太子の母親がペルシャ人だった可能性について”という題目で書こうと決めたようでござ~ますけれど

あなたは、聖徳太子のママにペルシャ人の血が混ざっていたと考えられますか?


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マユツバものだと思うでしょう?

あたくしだってぇ、ちょっと信じられませんわよう。。。

むしろ、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が最近、男性の目の保養になっているという事実の方が信じられると思うのですわァ~。

あなたは信じられないかもしれませんけれど、

最近、“ヴィーナスのえくぼ フィーバー”が起こっているのですわよう。。。

ええっ。。。 マジで信じられないのですかァ~?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよ。


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、古代にはあなたの知らない雄大な、あるいはミステリアスな面白いお話があるのですわよう。。。

あなたのために平安史、古代史の興味深い記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』

『おばさんパンツ@サンホセ』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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源氏物语中的性描写

2017年6月29日

 

源氏物语中的性描写

 


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デンマンさん。。。 タイトルの中に中国語の簡体字である“语”という文字が入っていますわねぇ~。。。


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あれっ。。。 卑弥子さんは現代中国語も知っているのですかァ~!?

この程度のことは いわば常識でござ~ますわァ~。。。 

その辺でアイドルを追っかけているミーちゃん、ハーちゃんは知りませんよゥ。。。

あたくしと その辺でトグロを巻いて遊んでいるミーハーと一緒にしないでくださいましなァ~。。。 つまり、上の中国語のタイトルは、日本語に訳すと“源氏物語の中の性描写”ということになるのですわねぇ~。。。

さすがは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授ですねぇ~。。。 おみそれしましたァ。。。

その程度のことで、あたくしを煽(おだ)てないでくださいなァ~。。。 で、いったい どう言う訳で中国語のタイトルを持ちだしたのでござ~ますかァ?

実は、北京市に住む周杰伦(ジョウ・ジエルン)君が中国の検索エンジンを使って検索して僕の Denman Blog にやって来たのですよ。。。


(ip216116b.png)

『拡大する』

IPアドレスを見せられても、それが証拠にはなりませんわ。。。

じゃあ、Denman Blog の6月26日の記録を見てください。。。


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『拡大する』

上のリストの赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。 このリンクをクリックすると次の検索結果が出てくるのですよ。。。


(so70627a.png)


『拡大する』

『源氏物語の性描写』

『現時点での検索結果』

上のリストの赤枠で囲んだリンクをクリックしてデンマンさんの Denman Blog へやって来たのでござ~ますかァ?

そういうことです。。。 ちゃんと次の記録にも出ています。


(wp70627b.png)

『源氏物語の性描写』

赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。

あらっ。。。 でも。。。、でも。。。、『源氏物語の性描写』をお読みになったのは たったの2名ですわねぇ~。。。 相変わらず『床上手な女の7つの見分け方』がダントツですわァ~。。。


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『床上手な女の7つの見分け方』

でも、北京市に住む周杰伦(ジョウ・ジエルン)君は 迷わずに『源氏物語の性描写』を読んだのですよ。。。


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『源氏物語の性描写』

周杰伦(ジョウ・ジエルン)君は、どういうわけでダントツで読まれている『床上手な女の7つの見分け方』ではなく 『源氏物語の性描写』を読んだのでござ~ましょうかァ?

もちろん、“床上手な女”よりも 『源氏物語』の“性描写”に関心があったのですよゥ。。。

文学的な関心よりも“性描写”に興味を持って『源氏物語』を読むというのは邪道でござ~ますわァ。。。

あのねぇ~、『源氏物語』がこれほど世界的に知られるようになったのは、作品の中に“性描写”が書かれているという期待を持っている読者が多かったからなのですよゥ。。。

それは、デンマンさんの独断と偏見ですわァ~。。。

決して僕の独断と偏見ではないのですよ。。。 もう一度中国の検索エンジンの結果をじっくりと見てください。


(so70627a.png)


『拡大する』

『源氏物語の性描写』

『現時点での検索結果』

上のページは検索結果の5ページ目なのですよ。。。 つまり、北京市に住む周杰伦(ジョウ・ジエルン)君はトップのページから 一つづつ記事を読みながら2ページ目、3ページ目、4ページ目と順々に記事を見て、5ページ目の 8番目に やっと探していた記事に出くわしたというわけですよ。。。 しかも、僕の記事以外はすべて中国語の記事です。。。

つまり、周杰伦(ジョウ・ジエルン)君は、日本語もしゃべれるのでござ~ますか?

そうです。。。 彼は北京にある日本語学校で日本語を学んだのですよ。。。

『源氏物語』の中の“性描写”を読みたいために、日本語を勉強したのでござ~ますかァ?

そうですよう。。。

信じられませんわァ~。。。

あのねぇ~、この広い世の中には、『源氏物語』の中の“性描写”を読みたいと思っているネット市民がたくさんいるのです。。。

まさかァ~。。。?

口に手を当てて、そのように目を剥(む)き出してビックリしないでくださいよゥ。。。

その証拠でもあるのでござ~ますかァ?

もちろんですよ。。。 根拠もなく、いい加減な事を言えば、卑弥子さんが僕に寄せる信頼をすべて失ってしまいますからねぇ~。。。 僕は、そのような愚かな真似は絶対にしないつもりです。。。

分かりましたわァ。。。 余計な事は言わなくても結構ですから、その証拠というものを見せてくださいましなァ~。。。

では、次の検索結果を見てください。


(gog70627c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

「源氏物語の性描写」を入れてGOOGLEで検索したのですよ。。。

あらっ。。。 36、200件もヒットするのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。 

どうでもよいですけれども、どうして あたくしが上の結果の中に“おばさんズロース”を穿いて登場するのでござ~ますかァ?

卑弥子さんが僕に呼び出されて出てくれたので、ご褒美のつもりですよ。。。

このような時に ダサい“おばさんズロース”を あたくしに穿かせないでくださいなァ~。。。 んもおおおォ~。。。

卑弥子さん、“おばさんズロース”のことで話していると 長い記事が更に長くなるので本題に入りたいのですけれどォ~。。。

分かりましたわァ。。。 で、赤枠で囲んだ記事のタイトルが その証拠だとデンマンさんは言うのでござ~ますかァ~?

その通りですよ。。。 つまり、“源氏物語の性描写って そんなにすごいんですか?”と興味をもっているネット市民が北京市に住む周杰伦(ジョウ・ジエルン)君以外にも たくさんいるわけですよ。。。 「それほどすごい性描写が載っているのなら、あたしもぜひ読んでみたいわァ~」とlady3chさんも思ってYahoo知恵袋に質問を寄せたわけです。

源氏物語の性描写って

そんなにすごいんですか?


(question8.png)

例えばどのように描写されてるんですか?

学校でも習わなかったので。

lady3chさん 2011/12/620:33:40


 

あの尾木ママがテレビで『源氏物語』の性描写はスゴイ、などと言ってしまったので、ますます誤解を招いているようですが…

結論から言うと、『源氏物語』にはスゴイというほどの性描写はありません。

エロ小説やポルノ画像に囲まれている現代人にとっては、物足りないどころか「何もしていない」に等しい描写しかありませんよ。

性描写横溢説をとる人たちは、物語に出てくる様々なものを、やれ男性器(ファルス)の暗喩(メタファー)だ、やれ肛門期の性的不安だ、などと象徴づけたがるのですが、こういう牽強付会を許してしまうと、すべての物語はポルノ小説となるでしょう。……フロイト学説の、誤った応用です。

『更級日記』には、伯母からもらった『源氏物語』に耽読していた少女時代の筆者が記されていますが、当時の筆者は14歳程度でしょう。

そんな少女にポルノまがいの物語をプレゼントする伯母がいますか?

いかに当時の婚期が現代人より早いとは言え、夫婦の夜の営みの解説書を贈呈する風習など、当時だってありません。

つまり、当時の人たちも『源氏物語』を大河ドラマとして受け取っていたわけです。

性描写がリアルな古典なら、もっとエグイのがありますよ。

『源氏物語』が未だにポルノ小説呼ばわりされているのは、みなウワサばかり信じてそもそもの本文を読んでいないからです。

尾木ママは読んでいるとは思いますが、あの発言はテレビ用ですから。 ←つまりウワサの助長ですね。

彼のあの発言は、世の人が『源氏物語』に少しでも触れる機会がありますように、という教育者のご親切な動機付けじゃないでしょうか。


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Yahoo!知恵袋
『源氏物語の性描写ってそんなにすごいんですか?』より

『源氏物語』はポルノ小説ではないのだから、ミーちゃん、ハーちゃんが期待するようなムンムン、ムレムレの強烈な性描写などあるはずがないのですよ。。。

でも、そのように期待するネット市民がたくさんいるのでしょうか?

そうですよ。。。 lady3chさんも その一人です。。。

でも。。。、でも。。。、どうして、ネット市民の多くの皆様は そのように期待してしまうのでしょうか?

例えば、次のような本が世間に出回っているのですよ。。。

音勢(おとせ)は夜に入っても帰らない。

(母親の)浅香の酌で酒を飲んだ吉光公は、

したたかに酔い、横になる。

浅香がまめまめしく尽くす。

当然のなりゆきとなる。

 (ここからは読み下し文)

浅香は久しく男の傍らを、遠ざかりつることなれば、

歳はとっても何となく、初々しさに気もときめき、

自由になれば吉光は、やがて抱きしめ手をやつて、

山繭の腰巻を、探りひらきて内股へ、

わり込み給へば思ひの外、肌ざわりさへすべすべし、

毛はふつさりと房やうじを、並べていぢる如くなる、


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だんだん奥へさしこむ手先に、紅舌(さね)はさはれどこの辺り、

吐淫ぬらぬら溢れ出て、滑(ぬめ)りて紅舌もつままれず、

況(ま)して陰門の両淵は、流るるばかりのありさまに、

吉光もはや堪(たま)りかね、両手でぐつと内股を、

おし広げて足を割込み、鉄火に等しき一物をあてがひて

二腰三腰、おせば下より持ち上げる、

はずみにぬるぬる毛際まで、何の苦もなく押し込めば、

その開(ぼぼ)中の温かさは、いふも更なり忽地(たちまち)に、

子宮(こつぼ)ひらけて鈴口を、しつかと咥(くわ)へて内へひく、

その心よさ気味よさは、何に喩(たと)へんものもなく、

吉光は目を細くなし、口をすぱすぱ吸いながら、

大腰小腰九浅一深、上を下へとつき立て給ふに、

浅香は子供を二三人産みたる開(ぼぼ)にて、

さまざまの道具だてさへ多ければ雁首(かりくび)より胴中へ、

ひらひらしたもの巻きついて出しいれのたび玉茎(たまぐき)を

しごくやうにてえも言はれず、吉光あまたの側室を抱へ、

いろいろ楽しみたりといへど、かかる稀代の上開(ぼぼ)は、

いまだ覚えぬばかりにて、それいくいくア、またいくと、

浅香が背中へ手をまわし、力一ぱい抱きしめて、

嬌(よが)り給へばさらぬだに、浅香は誠に久しぶり、

殊(こと)には太く逞しき、一物に突きたてられ、

ヒイヒイフウフウム、フウと、声をも立てず最初から、

精をやりつづけて息もはづみ、正体もなき折からに、


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アアソレいくよまたいくよと、男に嬌(よが)りたてられて、

何かは以(もっ)てたまるべき、五臓六腑を絞るばかり、

陰水どろどろずるずると限りもあらず流れ出て、

昔を今にかへり花、たのしく其夜を明したり。

 (ここから現代文)

そもそも浅香は色好みの性で、

15歳で大納言蟻盛卿のおそば勤め中にお手がつき、

というより浅香の方から手を取りて、

あげくは妊娠、卿は実家に帰らせる。


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産まれたのが音勢である。

世間の手前、出産前に婿を迎えたが、

とんでもない食わせ物で、すぐさま離縁した。


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(読み易いように改行を加えました。
赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


158-160ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社

でも、この部分は紫式部が書いた『源氏物語』には出てこないのでござ~ますわァ。

もちろんですよ。。。 さっき言ったように『源氏物語』はポルノ小説ではないのだから。。。 上に引用した文章は、実は、「国貞三源氏」の一つである『正写相生源氏』のエピソードなのですよ。。。 昭和30年4月10日に原文が伏字無しで初めて出版されたのです。

つまり、映倫に引っかかるような極めてエロい。。。 うふふふふふ。。。 猥褻な。。。 ヤ~らしい文章で書かれているのでござ~ますか?

そうなのです。。。 エロに厳しかった昭和30年代としては勇気のいる出版だったのですよ。

。。。んで、『源氏物語』のどの帖と関係あるのでござ~ますか?

それが『源氏物語』の54帖のどれとも直接のかかわりはない。。。 ただし「ここに何れの御時にや。。。」と『源氏物語』の書き出しに似せて始まっているのです。 京は北嵯峨のあたりに、表に冠木の門を構え、築山(つきやま)や川の流れを備えた庭のある洒落(しゃれ)た屋敷があり、40歳ばかりの未亡人と14歳のひとり娘、それに二、三人の女中、老僕が住んでいるのですよ。

それで。。。?

母を浅香(あさか)といい、娘を音勢(おとせ)というのです。 家屋敷は借金の抵当(かた)に入っている。 つまり、この母と娘は貧乏な暮らしをしているのですよ。 でも、娘がチョ~美人で京の都では評判になっている。 その噂を聞きつけた21歳になる光源氏ならぬ吉光公(よしみつこう)が御所に上げよと言ってきた。

。。。で、母親はお金に目がくらんで娘を御所に上げるのでござ~ますか?

そうしないと話が進まない。。。 この母親がどこからか吉光公の噂を聞きつけてきた。

どのような。。。?

この吉光公は好色で、その上、巨根の持ち主だという。。。 まだ初潮を迎えたばかりの音勢(おとせ)には荷が重過ぎる。 そこで母親は近所のお金持ちで弓削道足(ゆげのみちたる)という名の50歳になる男に性教育を頼んだのですよ。

あらっ。。。 なんとなく、あの有名な弓削道鏡をもじったような名前ですわねぇ~。。。

それもそのはず。 この弓削道足(ゆげのみちたる)という男も巨根の持ち主なのですよ。

あらっ。。。 50歳になる巨根の持ち主に14歳の娘の性教育を頼んだのでござ~ますか?

そうなのです。 娼家では生娘(きむすめ)を店に出す前に、世慣れた年寄りに「水揚(みずあ)げ」をしてもらう。 つまり、男女の道を実地に教えるわけですね。 この初老の男は、かなり乗る気で「10両出すからぜひワシにやらせてくれ」と言う。 母親はお金が欲しいから二つ返事でお願いしますと言った。

でも、14歳の娘には、母親は何と言って説得したのでござ~ますか?

御殿勤めに必要な作法だから一生懸命に勉強するようにと。。。

なんだか、はしたないお話ですわねぇ~。。。 このようなエロいお話は本物の『源氏物語』にはないのでござ~ますわァ~。。。

でもねぇ~、何も知らないネット市民は、 『正写相生源氏』の中にエロい“性描写”があるから、『源氏物語』の中にもエロい“性描写”があるに違いないと 早合点(はやがてん)してしまうのですよ。。。 上のエピソードが書かれた『正写相生源氏』が出版されたのは、『源氏物語』では物足りないものを補(おぎな)うつもりだったのですよ。。。 要するに、『源氏物語』が無ければ生まれることのなかった作品です。

つまり、『源氏物語』からインスピレーションを受けて『正写相生源氏』が生まれ出たということでござ~ますかァ?

そういうことですよ。。。 要するに、Yahoo!知恵袋のベストアンサーにも書いてあるように、尾木ママは世の人が『源氏物語』に少しでも触れる機会がありますように、という教育者のご親切な動機付けのためにテレビで『源氏物語』の性描写はスゴイ、などと言ってしまったわけです。。。

源氏物語の性描写って そんなにすごいんですか?と思うネット市民は、尾木ママの影響を受けたのでござ~ますわねぇ~。。。

僕は、断定するつもりはありませんが、彼の影響は無視できないと思いますゥ。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、どう思いますか?

たとえ、尾木ママがテレビで『源氏物語』の性描写はスゴイ、などと言ってしまったとしても、

その話を真に受けて『源氏物語』を読み始めるのは邪道ですわよう。。。

絶対、読んでからガッカリしてしまうのでござ~ますわァ。。。

あとで、ガッカリしないためにも、他に面白いお話がるのですわよう。。。

あなたのために平安史、古代史の面白い記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


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『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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百人一首ミステリー

2017年6月5日

 

百人一首ミステリー

 


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デンマンさん。。。 百人一首にどのようなミステリーがあるのでござ~ますかァ?

卑弥子さんは これまでに百人一首のミステリーについて質問を受けたことがないのですかァ~。。。

あたくしは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しておりますので、質問といえば当然、源氏物語に集中しておりますわァ~。。。

あれっ。。。 「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授とは思えないような軽率なことを言うのですねぇ~。。。

あらっ。。。 あたくしが、何か可笑しなことでも のたまいましたかしらァ~。。。 おほほほほ。。。

卑弥子さん。。。 うっかりだとしても、忘れてもらっては困りますよう。。。 「百人一首」に『源氏物語』の作者の紫式部の次の歌が57番の歌として入っているではありませんかァ!

57. 紫式部

 


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めぐり逢(あ)ひて

見(み)しやそれとも

わかぬ間(ま)に

雲(くも)がくれにし

夜半(よは)の月かな

 

あらっ。。。 うっかりしていましたわァ~。。。 平成の紫式部と言われる あたくしとしたことが、マジでぇど忘れしていましたわァ。。。 そうです。。。 そうですとも、平安時代の中頃、宮廷中心の貴族文化は全盛を迎えるのでござ~ますわァ~。。。 文学の世界では、女性の活躍が目ざましく清少納言が『枕草子』、紫式部が『源氏物語』を書いたのでしたァ。。。 それゆえに『百人一首』にも、和泉式部、大弐三位、赤染衛門、小式部内侍、伊勢大輔といった宮廷の才女の歌が載っているのですわァ~。。。

そうですよ。。。 だからこそ、わざわざ百人一首ミステリーというタイトルを掲げて卑弥子さんに登場してもらったのですよゥ。。。 卑弥子さんも、これまでに百人一首ミステリーという言葉を聞いたことがあるでしょう!?

いいえ。。。 初耳ですわァ~。。。

マジで。。。?

だってぇ~、あたくしが教えている腐女子たちは『源氏物語』はもとより、『百人一首』についても、まず質問するということがないのですわよう。。。

まさかァ~。。。?

本当でござ~♪~ますわァ~。。。

それは、きっと卑弥子さんの講義が面白くないからですよ!。。。 だから、質問する腐女子学生がいないのですよう! 講義ノートに書いてあることを、卑弥子さんは毎年、毎年、読み上げているだけなんでしょう!? 僕が学生時代にも、そういう無気力な教授がいたものですよ。。。

デンマンさん! んもおおおォ~。。。! 失礼な事を言わないでくださいましなァ~。。。! あたくしの『源氏物語』の講義は“平成の紫式部が送る白熱のラブラブ源氏物語”として学内でもチョー人気がある講義になっておりますわァ~。。。

だったら、質問の一つや二つは出てくるでしょう!?

もちろん、出てきますわよう。。。 でも、その質問は“百人一首”とは全く関係ない質問なのですわァ。。。

例えば、どういう質問がでるのですかァ?

そうですわねぇ~。。。 あたくしの印象に残っているのは、「紫式部が生きていた頃はディ~プキスがあったのか?」とか、「避妊は、どのようにしていたのか?」とか、「もし、避妊がうまくゆかなくて、おろす場合には、産婆さんがおろしてくれたのか?」とか。。。 たいてい、そういう質問でござ~ますわァ~。。。

それは、ちっとも文学とは関係ない質問じゃありませんかァ~!

だから、『百人一首』のことで質問する腐女子など、これまでに一人もいませんでしたわァ。。。

そういうわけで、卑弥子さんも『百人一首』に紫式部の歌が出てくるのを忘れていたのですかァ~?

そうでござ~ますわァ。。。 おほほほほほほ。。。

あのねぇ~、それでは、未来のお母さんになる腐女子から生まれる子供のことが心配ですよう! 卑弥子さんは、日本の未来のことを考えて、もう少し腐女子たちを教養のある、品のある女性に育て上げてくださいよう!

分かりましたわ。。。 現代の腐女子のことで議論していると日が暮れてしまいますので、本題に入ってくださいなァ~。。。 そもそも、百人一首ミステリーってぇ、どういうことでござ~ますかァ?

ちょっと次の画像を見てください。。。


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あらっ。。。 これは、もしかして平安時代の田園風景を描いたものでござ~ますかァ?

さすがですねぇ~。。。 さすが京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているだけのことはありますよう! あのねぇ~、実は 上の絵は「百人一首」そのものなのですよ。。。

上の絵は「百人一首」そのものォ~。。。?

そうですよ。。。

でも。。。、でも。。。、どこにも歌が書いてありませんわァ~。。。

だから、それが百人一首ミステリーなのですよう!

どういうことですか? デンマンさんが言おうとしていることが全く理解できませんわァ~。。。

あのねぇ~、上の絵は次のように『百人一首』の歌を縦10枚、横10枚にきれいに並べると浮き上がってくる絵なのです。。。


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『拡大する』

マジで。。。? 『百人一首』の歌を 上のように縦10枚、横10枚 きれいに並べると浮き上がってくる絵があるのでござ~ますかァ?

あるのです。。。 京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義してい橘卑弥子・准教授を わざわざ呼び出してまで僕がウソをつくと思いますかァ~?

でも。。。、でも。。。、そのようなお話を あたくしはこれまでに聞いたことがござ~ませんわァ~。

それは、“平成の紫式部”と言われている卑弥子さんの勉強不足ですよ。。。 『ウィキペディア』にも ちゃんと書かれている。。。

歌織物説


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歌織物説とは、百人一首の歌が 隣りに来る歌どうしが上下左右に何らかの共通語をふくみ合う形で結び合わされ、タテ10首、ヨコ10首の枠内に並べることが出来るという、百人一首研究家・林直道の説

並べられた100首の歌と歌をつなぐ合せ言葉を絵におきかえると、美しい景色が浮きあがることから「歌織物」説という。

■百人一首には歌の名人・定家が何万何千という歌の中からよりすぐった百の歌だというわりには平凡な歌が多いことや、同じような言葉を用いたの歌が多いことなどから、ある意図された並びが存在するのではないかと言われていた。

■「歌織物説」とは、和歌の世界でさかんに行なわれていた言葉遊びを、百人一首の中に技術的なシステムとして組み込もうという考えのもとに歌を撰び出し、隣りに来る歌どうしが上下左右に何らかの共通語をふくみ合う形で結び合わされ、タテ10首、ヨコ10首の枠内に並べることが出来るというものである。

■そして、並べられた100首の歌と歌をつなぐ合せ言葉(山、川、紅葉、雲、花、桜、菊、鳥、鹿、瀬、滝、松、等々)を絵におきかえていくと、掛軸のような山紫水明の美しい景色が浮きあがることから「歌織物」と名付けられた。

 

歌織物の構図

■上記のようにタテ10首、ヨコ10首に並べたところ、四隅の角に位置する4つの歌が、右下に定家の歌、左下には後鳥羽院、右上には順徳院、左上には式子内親王となっており、その配置は「曼荼羅の四天王」を連想させる。

■この、謎をはらんだ歌集の意味をときほぐす重要な鍵は、定家の自撰歌にあると筆者は考えており、それは「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ」である。

■ここで「松」は待つの掛け詞であり、「凪」は泣きに通ずる。この歌は、誰か帰り来ぬ人に向って、定家が悶々たる思慕の情を述べるのが百人一首の基本点だったという推測を成り立たせる。

■つまり、鎌倉幕府と戦って敗れ、隠岐と佐渡に幽閉され、帰り来ることを許されぬ二人の帝と、薨去してこの世には二度と帰り来ぬ薄幸の美女・式子内親王という、三人の「来ぬ人」に向って「あなたをお待ちして泣きながら身もこがれる思いだ」と訴える構図なのではないかと考える。


出典: 「歌織物説」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。 このような事をマジで言い出した人が居るのでござ~ますかァ?

そうなのです。。。 実は、僕はバンクーバー図書館で本棚の前で どれを読もうかと探していたら、たまたま百人一首研究家・林直道さんの本を見つけたのですよ。。。

あらっ。。。 偶然ですわねぇ~。。。 それで、デンマンさんは、「そのようなことはないだろう!? ウソだろう?」と思いながら読んでみたのですかァ?

その通りですよ。。。 すると、次のようなことが書いてあった。

定家の懊悩とその解決


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百人一首が後鳥羽院・順徳院・式子内親王らにたいする焦がれる思いを表わしたものだ、という主張にたいしては、式子・順徳についてはともかく後鳥羽院にかんするかぎり、とても賛成できないという意見が寄せられている。
その反対意見によれば、定家と後鳥羽院とはたがいに反目しあい憎みあっていた仲であって、その定家が後鳥羽院追慕、後鳥羽院讃歌の歌集をつくったなどというのは、あまりにも無理な解釈だというのである。

たしかに、表面的には後鳥羽院と定家とは仲たがいしたまま生を終えた形となっている。
後鳥羽院が承久の乱に敗れ隠岐に島流しになったあと、定家のとった態度は、じつに冷淡そのものであった。
家隆をはじめ多くの公卿たちが、隠岐へ見舞いの手紙を出し、慰めの品物を贈ったのに、定家は一通の手紙も一片の品物も贈らなかった。

後鳥羽院のほうでも定家の冷酷さに我慢ならず、隠岐で書いた歌論書『後鳥羽院御口伝』のなかで、定家の歌には「心がない」とこきおろしている。


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定家がこうした冷酷な態度をとったのには公私両面での理由がある。

第一に、定家は、承久の乱のおこる直前に歌会で発表した歌が後鳥羽院の怒りにふれ、「勅勘(ちょくかん)」をうけ、以後、自宅で謹慎せよ、公の席へ出ること罷(まか)りならぬという処罰をうけた。
ところがその処罰令を出した後鳥羽院自身が鎌倉幕府によって島流しにされ、隠岐に幽閉されてしまったから、定家は後鳥羽院から勅勘を解除されることなく、形の上ではずっと処分をいけつづけているという関係にあった。

第二に、クソ真面目な定家は、自由奔放な後鳥羽院と性格が合わなかったうえに、わが子の為家が後鳥羽院によって蹴まりの遊び相手として独占され、家業である歌の勉強を妨げられたこと、また後鳥羽院が定家の才能と律儀な仕事ぶりに目をつけ、新古今集の編纂などで存分に利用しておきながら、身分の昇進については配慮せず、いつまでも少将という低い身分に据(す)えおいたこと、などの点で恨みを抱いていた。

こうしたことから、承久の乱ののち、定家が公私両面で後鳥羽院とのつながりを断ち、別世界の人間として疎遠な関係に立とうとしたのは、ある意味で当然の成りゆきであった。

 (中略)

じつのところ、定家としては、後鳥羽院が勢力をもり返して幕府をたおし、ふたたび権力の座につくことをもっとも強く恐れていたのかもしれない。
そのときは彼自身、後鳥羽院がたから、手ひどい報復処罰をうけることが予想されたからである。

このようにみてゆくと、定家が(百人一首を作ることによって)後鳥羽院讃歌の歌織物をつくったなどという主張は、ますますもって不可解なものに思われるであろう。


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だが、じつは、晩年にいたって定家はある事件にまきこまれ、そのことによって大きな心理的軌道修正をよぎなくされたのである。
寛喜2年(1230年)、定家は、後堀河天皇から、新しい勅撰集を編纂せよという内意を受けた。

 (中略)

後鳥羽院・順徳院の歌をどう扱えばよいのか。
もしも入れるとすれば、(略) 鎌倉幕府から (略) とがめをうけるだろう。 (略)
「たとえ鎌倉に忌み嫌われている人物」だとはいえ、あえてその歌を勅撰集に撰入したというところに、定家の歌人としての誇りと自負と意地があったわけである。

ところが、定家苦心のこの草稿は、案の定、責任者である政治的実力者、関白・藤原道家からクレームをつけられた。
鎌倉幕府の怒りにふれることをおそれた道家は、草稿中の後鳥羽院・順徳院の歌 (略) をのこらず削除せよと指示したのである。

 (中略)

そこで定家は、鎌倉幕府にたいする反逆の意味を持った作品をつくらねば、気がおさまらなくなり、(百人一首をつくり) こういう報復をすることで、歌人としての失われた誇りをとりもどそうとしたのではなかろうか。 (略)
それよりももっと強烈にかれの心臓を握りつぶしたのは、後鳥羽院の祟(たた)りをうけるのではないかという恐怖感であった。


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承久の乱以後、かれのとりつづけた冷酷な態度が、院の恨みを買ってきたことは自分にも痛いほどわかっている。
そこへさらに、今回、たとえ上層部から命じられたとはいえ、後鳥羽院・順徳院の歌 を勅撰集から切り削る直接の下手人(げしゅにん)となった。
隠岐の怨霊(おんりょう)の祟りをこうむるのはもはや必定(ひつじょう)ではないか。
このままでは自分は未来永劫、地獄に堕(お)ちてしまう。

そこで定家は、院の祟りを免れるために唯一の手段として、院を讃美し、院の生霊(いきりょう)を慰める内容を盛り込んだ、何か奇想天外な巨大作品をつくり上げようと異常なまでの熱意に燃えたのではなかろうか。

このようにして、歌人定家は、勅撰集の独力撰進という、歌人として上りつめた栄光の頂点において、(略)挫折からの活路を求めて、百人一首歌織物という空前の大傑作をつくり上げるにいたったのである。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


165-172 ページ
『百人一首の世界』 新装版
著者: 林 直道
2003年12月17日 第1刷発行
発行所: 株式会社 青木書店

つまり、デンマンさんは上の御本を読んで 説得されてしまわれたのでござ~ますかァ?

そうです。。。 いけませんかァ~?

デンマンさんが素直に説得されるなんてぇ、珍しいことですわねぇ~。。。

あのねぇ~、もう一度 紫式部の歌を読んでみてください。。。

57. 紫式部

 


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めぐり逢(あ)ひて

見(み)しやそれとも

わかぬ間(ま)に

雲(くも)がくれにし

夜半(よは)の月かな

 

この上の歌を読んで、卑弥子さんは何か感動するものがありましたかァ~?

特に感動しませんでしたけれど、『百人一首』の中に選ばれたほどの歌なのですから、良い歌にきまってますわァ~。。。

だから、そういう考え方が間違ってるのですよ。。。 僕は、上の歌を読んで、特に素晴らしい歌だとは思えなかった。。。 紫式部には、もっと感動を呼ぶような歌があるはずですよ。。。

でも。。。、でも。。。、とにかく、『百人一首』の中に選ばれたほどの歌なのですから、良い歌なのでござ~ますわァ。

藤原定家は素晴らしい歌だから上の歌を選んだわけじゃないのですよ。。。 歌織物を作るために藤原定家の都合のよい歌を選んだだけなのです。。。 そうしない限り歌織物を作ることができない!

でも。。。、でも。。。、“歌織物説”というのは、百人一首研究家・林直道さんの言い出した仮説ですわァ~。。。

僕は、それは真実だと信じることができる。。。

その根拠は。。。?

藤原定家は どうしても歌織物を作らねばなかなかった! なぜなら、定家は、院の祟りを免れるために唯一の手段として、院を讃美し、院の生霊(いきりょう)を慰める内容を盛り込んだ、何か奇想天外な巨大作品をつくり上げねばならなかったのですよ。。。

そのような事が、その時代、あるいは、それ以前にもあったのでござ~ますかァ?

あったのです。。。 『百人一首』の2番の歌として入っている 持統天皇が詠んだ次の有名な歌を読んでみてください。


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春すぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の

 衣(ころも)ほしたり 天(あめ)の香具山

この歌は、たぶん 『百人一首に』入っているから有名になったのだと思うのだけれど、決して感動を誘うような歌ではないですよ。。。 歌そのものの言葉を解釈すれば、「春が過ぎて夏がやってきた。 香具山に白い衣が干してある」。。。 ただ、これだけのことを言っているに過ぎない! 小学生でも詠めるような他愛無い歌ですよ。。。

そうでしょうか?

卑弥子さんは、マジで素晴らしい歌だと思いますかァ~?

だってぇ~、『百人一首』に選ばれたのだから、素晴らしい歌に違いないと思いますわ。。。

だから、それが先入観なのですよ。。。 藤原定家は確かに歴史的に有名な歌人だけれど、持統天皇の上の歌が素晴らしいから選んだわけじゃない! 歌織物を作るのに都合がいいか定家が選んだだけなのですよ。。。

だから、それは百人一首研究家・林直道さんの言い出した仮説にすぎないのですわァ~。。。

地動説も初めは仮説だったのですよ。。。 ガリレオが生きて居た時代には、99%の人々が天動説を信じていた。。。 でも、現代人の99.9%の人々が地動説を信じている!

つまり、デンマンさんにとっても『歌織物説』は真実だと信じることができるのですか?

そうです。。。

その根拠は。。。?

あのねぇ~、持統天皇の上の歌は、ただ単に四季の移り変わりに感興を催(もよお)して詠んだのではないんですよ。。。 これまでの持統天皇の波乱に満ちた人生を考えるとき、愛する人を奪われ続けてきたこの女性の性(さが)と業(ごう)を考えるとき、僕は次のようにしか解釈できません。

春が過ぎて夏が来たようだ。

天の香具山に美しく真っ白な衣が

干してあるなあぁ~

でも、私の心はあの山の裏にある

磐余(いわれ)の池を見ているのです。


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大津皇子が自害する前に池の端で

辞世の歌を読んだという。

自害の後で、皇子の妻であり、

私の腹違いの妹でもある山辺皇女が

髪を振り乱し、裸足で駆けて行き、

共に殉死したという。

痛ましいには違いない。

しかし私は、ああせねばならなかったのです。

怨霊になって私を憎んで

いるのかもしれないけれど、

私には他にとるべき道はなかったのです。

どうか、心安らかに眠っていて欲しい。

上の歌を持統天皇は藤原京の宮殿から香具山を見て詠んだのです。


(fujiwara3.gif)

この地図で見れば分かるように、香具山の裏に磐余(いわれ)の池があるんですよね。 この池の端で大津皇子は辞世の句を詠んだのです。 現在では、ほとんどの歴史家が大津皇子は持統天皇の陰謀によって死なされたと見ています。 僕もそう考えています。

つまり、持統天皇は結果として自分と血のつながりがある甥の大津皇子と腹違いの妹を死に追いやったわけでござ~ますかァ?

そうです。。。 この当時は怨霊ということがマジで信じられていた。。。 “怨霊の崇り”ということが現在でいえば“北朝鮮からミサイルの攻撃を受ける”程度に怖いこととして考えられていた。

それで、持統天皇は天からミサイルを宮殿に打ち込まれたくないので怨霊を鎮魂するために上の歌を詠んだのでござ~ますかァ?

そうですよ。。。 それが僕の解釈です。 うへへへへ。。。。

でも。。。、でも。。。、そのような事を言っている人は デンマンさん以外におりませんわァ~。。。

あのねぇ~、地動説も初めは一人が勇気を持って世間に広めようとしたのですよ。。。 そのつもりで、僕も記事を書いたので、卑弥子さんも読んでみてくださいねぇ~。。。

では、なぜ持統天皇はここまでする必要があったのか?
そしてなぜ、彼女は怨霊をそれほどまでに恐れねばならないのか?

天武天皇が亡くなれば皇太子が皇位を継承するのが順序であり、
皇后の実子である草壁皇太子が即位する事は約束されていた事です。

この時点で、大津皇子は皇位継承権第2位でした。
それにもかかわらず、皇后はこの甥である大津皇子を排除しようとした。
なぜか?

草壁皇子は病弱だったのです。
大津皇子と比べると歌においても人望においてもすべての面で劣っていたようです。
それが証拠に草壁皇子のことはたった1行『日本書紀』に記載があるのみです。

それに比べ、大津皇子については『万葉集』にも『懐風藻』にも記載があります。
それも、大津皇子の才能をほめたたえ、その人柄を偲んでいるような書き方になっています。
詳しくは次の記事を読んでください。

 


(manyo986.jpg)

『性と愛の影に隠れて -

 万葉集の中の政治批判』

 

つまり、当時の誰が見ても大津皇子の方が天皇にふさわしいと見ていた事が実に良く表れているのです。
草壁皇子が即位すれば皇太子として草壁皇子の異母弟である大津皇子を立てなければなりません。
なぜなら、草壁皇子の長男の軽皇子(かるのみこ)は当時4歳で皇太子にするにはふさわしくない。

ところが、病弱な草壁には、いつ不測の事が起こるかも知れず、その時には大津皇子が皇位につくことになってしまう。
そうなると、皇統が大津皇子に移ってしまう。

つまり、讃良皇女の血を受け継いだ後継者が、そこで絶えてしまう。
独占欲の強い讃良皇女には、このことは絶対に容認できない事です。

この事は持統天皇として即位してから、自分の血に固執したこの女性の性(さが)と業(ごう)を考えれば、容易に察しがつきます。
上の系図を見れば、そのことが良く分かります。
この独占欲と権勢欲は讃良皇女の生い立ちを考えない限り理解できません。

しかも、この女性はその先例を父親の天智天皇と自分の夫である天武天皇との間に見ているのです。
つまり、この場合なら、草壁皇子が天智天皇にあたり、大津皇子が天武天皇にあたります。

天智天皇の皇太子になったのが大海人皇子(後の天武天皇)だったのです。
このような状況を許せば、大海人皇子が天智天皇を暗殺して、その子の大友皇子を亡き者にしたように
大津皇子が草壁皇子を暗殺して皇位につくかもしれない。

その“禍の芽”を摘み、取り除くために大津皇子を亡き者にしなければならなかったのです。

 

なぜ大津皇子の怨霊を恐れたのか?


(futakami2.jpg)

現身(うつそみ)の 

人なる吾(われ)や 

明日よりは 

二上山を 

弟背(いろせ)とわが見む 

(巻2-165)

この世に生き残った私は、明日からは、

弟が葬られている二上山を弟と思い見て、

慕い偲ぶことにしよう。

上の歌は大津皇子の死体を飛鳥の墓から掘り出して、
葛城(かつらぎ)の二上山(ふたかみやま)に移して葬った時に、
大津皇子の実の姉である大伯皇女(おおくのひめみこ)が痛ましい思いに駆られて詠んだ歌です。

死体を掘り起こして他の場所に埋めなおす。
なぜそのような酷(むご)いことをしなければならないのか?
大伯皇女も、そう思って心が痛んだことでしょう。

つまり、大津皇子を偲んで大伯皇女が詠んだ歌を大伴家持が万葉集に取り上げた本音には、
この事実を後世に伝え“謀反”が持統天皇の“でっち上げ”であった事を暗に伝えるためだった。

僕はそう信じることができます。

大伯皇女は、大津皇子が自害した15年後、
大宝元年(701年)に独身のまま41歳で亡くなっています。

彼女は天武2年(673年)に父・天武天皇の指図に従って
伊勢神宮に奉仕する最初の斎王(いつきのみこ)となり、
伊勢の斎宮(いつきのみや)に移ってお勤めをするようになったのです。

しかし、大津皇子が自害した1ヶ月余りの後に、
弟の罪により斎王の任を解かれて飛鳥に戻ったのです。

平安時代の長和4年(1015年)に書かれた『薬師寺縁起』には次のように書かれています。

大津皇子の霊が龍となって崇りを起こしたため、

大津皇子の師であった僧の義淵(ぎえん)が皇子の霊を祈祷によって鎮めた。

つまり、大津皇子は無実の罪を着せられて自害させられたのですね。
その罪を着せたのは誰あろう持統天皇なのです。

そして、大津皇子の死体を二上山に移して、
皇子の霊を飛鳥から15キロ離れた山の中に閉じ込めたのも持統天皇のしたことです。

持統天皇の心にも“後ろめたさ”があったのでしょうね。
だからこそ大津皇子の霊に恐れを感じた。

しかも、“大津皇子の霊が龍となって崇りを起こし”ていると言うもっぱらのうわさが流れている。
持統天皇が大津皇子の死体を掘り起こし
二上山にその怨霊と共に閉じ込める気持ちが分かるような気がします。

怨霊信仰


(dokuro3.gif)

非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、
これを融和してその崇りを免れ安穏を確保しようとする信仰。

原始的な信仰では死霊はすべて畏怖の対象となったが、わけても怨みをのんで死んだものの霊、その子孫によって祀られることのない霊は人々に崇りをなすと信じられ、疫病や飢饉その他の天災があると、その原因は多くそれら怨霊や祀られざる亡霊の崇りとされた。

『日本書紀』崇神天皇七年・・天皇が疫病流行の所由を卜して、神託により大物主神の児大田田根子を捜し求めて、かれをして大物主神を祀らしめたところ、よく天下大平を得たとあるのは厳密な意味ではただちに御霊信仰と同一視し難いとはいえ、その心意には共通するものがあり、御霊信仰の起源がきわめて古きにあったことを思わしめる。

しかし一般にその信仰の盛んになったのは平安時代以後のことで、特に御霊の主体として特定の個人、多くは政治的失脚者の名が挙げられてその霊が盛んに祭られるようになる。

その文献上の初見は『三代実録』貞観五年(863)「所謂御霊者 崇道天皇(早良親王)、伊予親王、藤原夫人(吉子)及観察使(藤原仲成か)、橘逸勢文室宮田麻呂等是也。・・・」ものと注せられているが、この六所の名については異説もあり、後世さらに吉備大臣(真備)ならびに火雷神(菅原道真)を加えてこれを八所御霊と呼ぶようになった。・・・」


SOURCE: 国史大辞典

持統天皇は怨霊信仰に基づいて大津皇子の霊を祈祷によって鎮めて、
後でまた崇りをしないようにと二上山に皇子の霊を閉じ込めたわけです。

つまり、これは持統天皇が無実の罪を着せて大津皇子を殺したことの何よりの証拠なんですよね。
大伴家持は大伯皇女を万葉集に取り上げることによって、
この事実を我々に伝えようとしたわけです。
僕はそう信じているんですよ。

では、恒例になりましたが、司馬遼太郎さんの言葉を書きますね。

生前、司馬遼太郎さんは、このようなことを言っていましたよ。

 


(shiba3.gif)


“作品は作者だけのものと

違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが

作品なんやでぇ~”

名言だと思いますねぇ~~。

あなたが読者として、どれだけ50%の分を読みつくすか?
それが問題ですよね!

大伯皇女が全身全霊の力を込めて詠(うた)ったのがこのページの上で示した歌です。

あなたも、全身全霊の力を込めて。。。あなたの人生経験と、これまで学んできた国文と、日本史と、すべてを噛み砕いた上で理解すべきなのかもねぇ~。

大伯皇女は、それを期待しながら、1300年後に生まれるだろうあなたに、この当時の波乱に満ちた政治の真相を伝えようと、上の歌を詠(うた)ったのかも知れませんよ。 へへへへ。。。。

大伴家持は一読者として大伯皇女の歌を充分に読み取った上で万葉集に載せたのだと思いますね。

では。。。


『愛と怨霊』より
(2006年7月5日)

でも。。。、でも。。。、このお話が“地動説”のように、世間に広まるでしょうかァ?

“歌織物説”と一緒に世の中に広まりますよ。。。 考えても見てください。。。 『百人一首』の中に取り上げられた持統天皇の歌は 表面的にはつまらない歌ですよ。。。

でも、やがて 深く理解する人が現れるとデンマンさんは信じているのござ~ますかァ?

そうです。。。 それが百人一首のミステリーです。。。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。

あなたはデンマンさんの言うことを信じることができますかァ~?

考えてみると、確かに持統天皇の歌は表面的にはつまらない歌ですよねぇ~。。。

 


(shiba3.gif)


“作品は作者だけのものと

違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが

作品なんやでぇ~”

生前、司馬遼太郎さんは、上のように言ったそうですけれど、

確かに、一理あるようでござ~ますわァ。

ところで、あたくしには紫式部の血も流れているのでござ~ますわァ。。。

信じられないでしょう?

では、あたくしの次のお話を読んでくださいませぇ~。。。


(genjiero4.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが“平成の紫式部”だと納得がゆきましたかァ~?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でもねぇ~、あたくしは 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますゥ。

だけど、どういうわけか結婚相手が 現れないのですわよゥ。

あたくしは別に高望みはしていないのでござ~ますう。

“寅さん”のような人でもいいのです。。。

ついでだから、寅さんの映画でも見てください。


(tora019.jpg)

ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代の話も心にしみます。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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ん?佐伯今毛人

2017年5月28日

 

ん?佐伯今毛人

 


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デンマンさん。。。どうして急に佐伯今毛人(さえきのいまえみし)を取り上げたのでござ~♪~ますか?


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いや。。。 僕が取り上げたわけじゃないのですよ。。。

でも、タイトルを書くのはデンマンさん以外にいませんわァ。。。

確かに、タイトルを書いたのは僕ですけれど、“佐伯今毛人”を持ち出したのは僕じゃありません。。。

じゃあ、どなたが“佐伯今毛人”を持ち出したのでござ~ますかァ?

ちょっと次のリストを見てください。。。


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『拡大する』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で5月25日の午後3時8分から午後7時50分までの約5時間の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しいのです。。。

あらっ。。。 5月25日の午後3時17分にGOOGLEで検索して『佐伯今毛人は臆病者か?』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そうです。。。 立命館大学で日本古代史を専攻している佐伯 亜利素(さえき ありす)さんが読んだのです。。。

あらっ。。。 またIPアドレスを調べたのですかァ~?

そうです。。。


(ip1692b.png)

『拡大する』

どうしてデンマンさんのブログには おきれいな女性たちが群がってくるのでござ~ますかァ~?

あのねぇ~、GOOGLEで検索してやって来たのですよゥ。。。 たまたま佐伯 亜利素(さえき ありす)さんが美人だというだけのことです。。。 特に、きれいな女性だけが僕のブログにやって来るわけではないのですよ。。。

じゃあ、どういうわけで佐伯 亜利素(さえき ありす)さんの写真をゲットしたのでござ~ますかァ?

だから、佐伯 亜利素(さえき ありす)さんが『佐伯今毛人は臆病者か?』を読んだら、卑弥子さんが出てきたので調べたら京都の女子大学で「日本文学と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授だと知ってわけです。。。 それで、『源氏物語』にも関心がある亜利素(ありす)さんは、ぜひ卑弥子さんの研究室にお邪魔してお話を伺いたいというメールを僕に送ってきたのです。

なぜ、あたくしに直接メールを送ってくださらなかったのですかァ~?

それでは、失礼に当たると思ったのですよ。。。 僕から紹介されて、初めて卑弥子さんに京都の女子大の卑弥子さんの研究室で会うのが順当なエチケットだと亜利素(ありす)さんは言うわけです。。。

信じられませんわァ。。。 それは、デンマンさんの見え見えの作り話でござ~ますわァ~。。。

つまり、これだけの材料を揃えてまで、僕が作り話をしていると卑弥子さんは断定するのですかァ~?

デンマンさんと、ここで議論する時間は無いのでござ~ますわァ。。。 ただでさえ長いデンマンさんの記事が、さらに長~♪~くなってしまいますわァ~。。。 この記事を読んでくださっているネット市民の皆様が他のブログへ飛んでしまう前に、本題に入ってくださいなァ~。。。 佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは、いったい どのようなキーワードを入れてGOOGLEで検索したのでござ~ますかァ?

次のようにして検索したのです。。。


(gog70526a.png)


『拡大する』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。「佐伯今毛人 臆病者」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

そうです。。。

でも。。。、でも。。。、それは、ちょっとばかり でき過ぎているのではござ~ませんかァ?

何ができ過ぎているのですか?

だってぇ~、「佐伯今毛人 臆病者」と入れて検索して『佐伯今毛人は臆病者か?』を読んだということは、偶然にしては、でき過ぎていると誰だって思いますわよう!

あのねぇ~、たまたま、そのようにして検索したからこそ 佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは僕のブログへやって来たのですよ。。。 他のキーワードを入れていたら、僕のブログにはやって来なかったはずです。。。 そんなことは検索エンジンの常識ですよ!

そうでしょうかァ~?

卑弥子さんは、僕が作り話をしていると疑っているから、そのような余計な考えに取り付かれているのですよ!

そうでしょうかしら。。。?

もっと素直な気持ちで僕の話を聞いてくれませんかァ~。。。

分かりましたわァ。。。 んで、どうして佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは「佐伯今毛人は臆病者なのかしら?」と疑ってネットで調べ始めたのでござ~ますかァ?

卑弥子さんは、平安時代に多くの日本人が遣唐使船に乗って唐に行ったということを知ってますよねぇ~。。。

もちろん、あたくしは存じ上げておりますわ。。。

それなら話は簡単ですよ。。。 遣唐使船に乗るということは生きるか死ぬかという危険が付きまとっていた。 生きて唐に着くか? 生きて日本へ帰れるか? その成功確率は50%ほどだった。 まさに、100円硬貨を空に投げて手に受け取り、裏が出るか?表が出るか?という確率だったのですよ。 当時でも、勇気のない男は尻込みして名誉の遣唐使にさえ就くのを辞退した。

そのように尻込みして遣唐使を辞退した人がマジで居たのでござ~♪~ますか?

居たのですよ。 それが宝亀6年(775年)の遣唐大使に任命されたのが佐伯今毛人(さえきのいまえみし)だった。 宝亀8年(777年)4月、節刀を賜り再度(前年は大宰府から引き返している)出発したが羅城門までくると病になり渡航を断念し摂津に留まることとなったのですよ。。。

あらっ。。。 病気になってしまったのでござ~ますか?

でも、卑弥子さんのように疑り深い世間では 素直に そのようには受け止めなかった。

つまり、佐伯今毛人(さえきのいまえみし)さんは、仮病を使って遣唐使になることを渋った、とその当時の世間の皆様は疑ったのでござ~ますかァ?

その通りですよ。。。 当時、遣唐使になるには、それほど勇気が必要だったということです。

それで、その時の遣唐使船はどうなったのでござ~♪~ますか?

仕方がないので、この時は副使の小野石根(おののいわね)が佐伯今毛人に代わって大使の任務を代行した。 でも、小野石根が乗った遣唐使船の第1船は帰路遭難して亡くなってしまったのですよ。

やっぱり、遣唐使船に乗るのは命がけなのですわねぇ~。。。

そうです。。。 だから、 佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは「佐伯今毛人はマジで臆病者だったのかしら?」と思って調べ始めたというわけですよ。。。

。。。で、佐伯 亜利素(さえき ありす)さんはデンマンさんの記事を読んで その答えを見い出したのですか?

そうです。。。 実は、僕も亜利素(ありす)さんと同じような疑問を持ったのです。。。 でもねぇ~、思い当たることがあったァ~。。。


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遣唐使に命じられた佐伯今毛人は

仮病を使って役を免れたのか?

しかし、彼は「藤原良継の変」に参加し

横暴を極めた藤原仲麻呂を倒そうとした。

彼の真実の姿は。。。?

つまり、佐伯今毛人さんが臆病者だったら横暴を極めた藤原仲麻呂を倒そうという計画に参加しなかったということですか?

そうですよ。

でも、計画に参加するぐらいで、それ程の勇気が必要なのでしょうか?

あのねぇ~、「藤原良継の変」の前に、「橘奈良麻呂の乱」という大きな事件があったのです。

橘奈良麻呂の乱

橘奈良麻呂の父の左大臣橘諸兄は、聖武天皇の治世に政権を担当していた。

陰謀の計画と発覚

藤原仲麻呂の専横に不満を持ったのが、諸兄の子の奈良麻呂である。
奈良麻呂は不満を持つ者たちを集めて仲麻呂を除こうと画策する。

755年(天平勝宝7年)6月28日(7月22日)、山背王が孝謙天皇に「奈良麻呂が兵をもって仲麻呂の邸を包囲しようと計画している」と密告した。
7月2日(7月26日)、孝謙天皇と光明皇太后が、諸臣に対して「謀反の噂があるが、皆が逆心を抱くのをやめ、朝廷に従うように」との詔勅を発した。

しかし、その日の夜、中衛府の舎人上道斐太都から、前備前守小野東人に謀反への参加を呼びかけられたと仲麻呂へ密告があった。
仲麻呂はただちに孝謙天皇に報告して、中衛府の兵を動かして前皇太子道祖王の邸を包囲し、小野東人らを捕らえて左衛士府の獄に下した。

756年7月3日(7月27日)、右大臣・藤原豊成、中納言・藤原永手らが小野東人を訊問。
東人は無実を主張した。
その報告を受けて、孝謙天皇は仲麻呂を傍らに置いて、塩焼王、安宿王、黄文王、橘奈良麻呂、大伴古麻呂を前に「謀反の企てがあるとの報告があるが自分は信じない」との宣命を読み上げた。

ところが同日事態は急変する。
右大臣豊成が訊問から外され、再度、永手らを左衛士府に派遣し小野東人、答本忠節(たほのちゅうせつ)らを拷問にかけた。
東人らは一転して謀反を自白した。

その内容は、橘奈良麻呂、大伴古麻呂、安宿王、黄文王らが一味して兵を発して、仲麻呂の邸を襲って殺して皇太子を退け、次いで皇太后の宮を包囲して駅鈴と玉璽を奪い、右大臣豊成を奉じて天下に号令し、その後天皇を廃し、塩焼王、道祖王、安宿王、黄文王の中から天皇を推戴するというものであった。

過酷な処分

東人の供述により、7月4日(7月28日)に奈良麻呂を始め、道祖王、黄文王、大伴古麻呂、多冶比犢養(たじひのこうしかい)、賀茂角足(かものつのたり)ら、一味に名を挙げられた人々は直ちに逮捕され、永手らの訊問を受けた。
訊問が進むにつれ、全員が謀反を白状した。
奈良麻呂は永手の聴取に対して「東大寺などを造営し人民が辛苦している。政治が無道だから反乱を企てた。」と打ち明けた。

この後すぐに獄に移され、永手、百済王敬福、船王らの監督下、杖で全身を何度も打つ拷問が行われた。
道祖王(麻度比と改名)、黄文王(久奈多夫礼と改名)、大伴古麻呂、東人、犢養、角足(乃呂志と改名)は同日、過酷な拷問に耐えかねて次々と絶命した。
また首謀者である奈良麻呂の名が『続日本紀』に残されていないが、同じく拷問死したと考えられる。

安宿王は佐渡島、大伴古慈悲(藤原不比等の娘婿)は土佐国に配流され(両者ともその後赦免)、塩焼王は直接関与した証拠がなかったために臣籍降下(「氷上眞人塩焼」と改名)することで不問とされた。
反乱計画に直接関与していなかったものの佐伯全成は捕縛され奈良麻呂から謀反をもちかけられた顛末を自白した上で自害した。

他にもこの事件に連座して流罪、徒罪、没官などの処罰を受けた役人は443人にのぼる。
また、右大臣・藤原豊成が息子乙縄とともに事件に関係したとして大宰員外帥に左遷された。

中納言・藤原永手も、その後仲麻呂派で固められた朝廷内で政治的に孤立し逼塞を余儀なくされたと言う説がある。
豊成・永手らは反仲麻呂派であると同時に奈良麻呂らの標的とされた孝謙天皇の側近であった人々であり、天皇廃立を企てた奈良麻呂らに対して過酷な尋問や拷問を行った人々であった。

その後

仲麻呂はこの事件により、自分に不満を持つ政敵を一掃することに成功した。
758年(天平宝字2年)、大炊王が即位し(淳仁天皇)、仲麻呂は太保(右大臣)に任ぜられ、恵美押勝の名を与えられる。

そして、760年(天平宝字4年)には太師(太政大臣)にまで登りつめ栄耀栄華を極めた。
だが、その没落も早く、孝謙天皇の寵愛は弓削道鏡に移り、764年(天平宝字8年)、仲麻呂は乱を起こして敗れ、その一族は滅んだ(藤原仲麻呂の乱)。


出典: 「橘奈良麻呂の乱」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

要するに上の事件は政権闘争なのですよ。 この事件で佐伯今毛人の一族である佐伯全成は自害した。 大伴家持の一族の大伴古麻呂は、過酷な拷問に耐えかねて絶命したのですよ。

つまり、佐伯氏と大伴氏が権力闘争で敗れたのですか?

簡単に言ってしまえば、そう言う事なのです。

その後に「藤原良継(よしつぐ)の変」が起こったのですか?

そうです。 当然の事だけれど、事変が発覚すれば最悪、拷問死や自害も覚悟しなければならない。 それは「橘奈良麻呂の乱」を見れば明らかなことです。

つまり、佐伯今毛人さんが命が惜しくって仮病を使ってまで遣唐使になるのを拒む性格であれば、「藤原良継の変」に参加しなかったとデンマンさんは言うのでござ~ますか?

その通りですよ。

。。。んで、その「藤原良継の変」は成功したのですか?

残念ながら失敗したのです。 藤原良継は佐伯今毛人・石上宅嗣・大伴家持らと結託し藤原仲麻呂を暗殺する計画をたてた。 ところが計画が仲麻呂側に漏れてしまう。 763年(天平宝字7年)4人は逮捕されるてしまう。

死刑ですか?

いや。。。この当時は死刑はなかった。 この時、藤原良継(当時の名前は宿奈麻呂【すくなまろ】)は他の3人を救うために単独犯行を主張した。 一応認めれれて八虐の一つである大不敬との罪により解官の上、姓も剥奪されたのですよ。

佐伯今毛人さんは無罪放免になったのでござ~♪~ますか?

いや。。。そう簡単には事は運ばなかった。 3人は罪には問われなかったものの左遷されてしまった。 佐伯今毛人は九州に飛ばされ、大宰府営城監という役についた。 石上宅嗣は大宰少弐に、そしてあの有名な大伴家持は薩摩守に落とされた。

つまり、佐伯今毛人さんは反骨の人だったわけですわねぇ~?

そうだと思います。 佐伯今毛人が関わった事件をじっくりと見つめてみると、少なくとも彼が仮病を使って遣唐使を辞退するような人ではなかったと僕には思えるのですよ。

佐伯 亜利素(さえき ありす)さんも記事を読んでデンマンさんに同意したのですか?

そうです。。。

でも。。。、でも。。。、どうして亜利素(ありす)さんは、佐伯今毛人に興味を抱いたのですか?

あのねぇ~、卑弥子さんは、藤原不比等の後妻となった橘三千代、またの名を県犬養三千代(あがたのいぬかい の みちよ)に関心があるでしょう?

当然ですわァ~、だってぇ~、あたくしのご先祖様ですものォ~。。。

実は、佐伯今毛人は亜利素(ありす)さんのご先祖さまなのですよ。。。

マジで。。。?

佐伯今毛人さんの妻の名前を若狭郎女(わかさのいらつめ)というのです。。。


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   若狭郎女

 

 


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佐伯 亜利素(さえき ありす)さん

つまり、亜利素(ありす)さんは若狭郎女のDNAを体内に持っているので、顔が似ている、とデンマンさんは証拠のつもりで上の写真を並べたのでござ~ますかァ?

そうですよ。。。 “百聞は一見にしかず!”と言いますからねぇ~。。。 これならば、疑り深い卑弥子さんも信じると思ったのですよ。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

やっぱり、ちょっとでき過ぎていますわよねぇ~。。。

あなただってぇ、そう思うでしょう?

ところで、あたくしには紫式部の血も流れているのでござ~ますわァ。。。

信じられないでしょう?

では、あたくしの次のお話を読んでくださいませぇ~。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが“平成の紫式部”だと納得がゆきましたかァ~?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でもねぇ~、あたくしは 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますゥ。

だけど、どういうわけか結婚相手が 現れないのですわよゥ。

あたくしは別に高望みはしていないのでござ~ますう。

“寅さん”のような人でもいいのです。。。

ついでだから、寅さんの映画でも見てください。


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代の話も心にしみます。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


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『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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