Posts Tagged ‘冷血頼朝’

見ちゃだめ!

2017年9月11日

 

見ちゃだめ!

 


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デンマンさん。。。 和服姿の女性のお尻に惹かれるのでござ~♪~ますか?


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ん。。。? 僕が和服姿の女性の尻に惹かれている、と卑弥子さんは思うのですか?

だってぇ~、上のイラストを見ると、そうとしか考えられないじゃありませんかァ!

あのねぇ~、僕は別に和服姿の女性の尻に興味があるわけじゃないのですよ。。。

じゃあ、どういうわけで和服姿の女性のお尻を貼り出したのでござ~ますかァ?

だから、和服姿の女性が“あらっ、じっと見ちゃいやよ!”と言っているわけです。。。

デンマンさんが女性のお尻をじっと見るから、そう言われてしまうのですわァ~。。。

実は、僕の Denman Blog のホームページを見たのですよ。。。


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『拡大する』

『Denman Blog』

ホームページの下の方に人気リンクというサイドバーがあるのです。。。 この人気リンクのトップをクリックすると次の記事が表示されるのですよ。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

『見ちゃだめよ!』

人気リンクのトップをクリックすると 上のリストの赤枠で囲んだトップの記事へ飛ぶのですよ。。。

つまり、和服姿の女性のお尻に興味があるネット市民がたくさん居るということでござ~ますわねぇ~。。。

初め、僕も そう思ったわけです。。。

でも、違うのですか?

だから、僕は調べてみたのですよ。。。 次の検索結果を見てください。。。


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『現時点での検索結果』

『冷血頼朝』

「”■ 『見ちゃだめよ!』” デンマン」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

そうです。。。 このようにして検索すれば、Denman Blogのどの記事を読んだのか?。。。 それが判るのではないか?。。。 そう思って検索してみたのですよ。。。

。。。で、上のリストの赤枠で囲んだ『冷血頼朝』の記事の中に『見ちゃだめよ!』の記事のリンクが貼ってあるのでござ~ますかァ?

次のように貼ってあるのです。。。

【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。
頼朝さんは落馬が原因で死亡したと言われています。
でも、詳しい事は分かっていません。

源頼朝さんは、確かにあまり良いことは言われないようですわよね。
それでも、自分の妻子には甘かったそうですわ。
富士の巻狩りで12歳の息子・頼家が鹿を仕止めた時は喜んで妻の北条政子に報告の使いを送ったそうです。

でも、それを聞いた政子は「武士の子なら当たり前だわ」と言われてしまったそうです。
政子さんは、かなり男勝(まさ)りな人ですわね。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

『漢字で体操ざ~ます』

『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『オバマ大統領と継体天皇』

『色男不比等』

『目の前で米軍のヘリが落ちた』

『見ちゃだめよ!』

『白い鯛焼き』

『真夜中のマリア』

『女に溺れる清盛』

『北本から見る富士』

『エロい源氏物語』

『ロマンと弥勒と阿修羅』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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『冷血頼朝』という記事の本文中のリンクではなくて、あたくしが登場する面白い記事の紹介の中に貼りだしたリンクの一つなのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。

。。。で、どなたが『見ちゃだめよ!』を読んだのでござ~ますかァ?

新宿に住んでいる正徳 多恵(しょうとく たえ)さんですよ。


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『拡大する』

どうして正徳 多恵(しょうとく たえ)さんが読んだと突き止めたのでござ~ますかァ?

IPアドレスを調べたのです。。。 それに多恵さんは僕のブログの常連さんの一人です。。。 東京の文京区目白台にある日本女子大学の文学部史学科の4年生なのですよ。。。


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卑弥子さんも覚えているでしょう!? 次の記事の中で紹介したことがあります。。。


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『聖徳太子のチューター』

確か、日本古代史の聖徳太子で卒論を書こうとしているのでござ~ますわねぇ~。。。

そういうことです。。。

。。。で、『見ちゃだめよ!』を読んで 正徳 多恵(しょうとく たえ)さんは、何か感銘を受けたのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、『雨月物語』を改めて観て 感動したと言うのですよ。。。

雨月物語


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『雨月物語』は、上田秋成によって江戸時代後期に著わされた読本(よみほん)の代表作。
5巻5冊。明和5年(1768年)序、安永5年(1776年)刊。

日本・中国の古典から脱化した怪異小説9篇から成る。
近世日本文学の代表作で、現代でも引用されることが多い。

 

浅茅が宿

「浅茅が宿」の原拠は、『剪灯新話』「愛卿伝」と、それを翻案した浅井了意『伽婢子』「藤井清六遊女宮城野を娶事」である。
戦国時代の下総国葛飾郡真間郷に、勝四郎と妻の宮木が暮らしていた。

元々裕福な家だったが、働くのが嫌いな勝四郎のせいで、家勢はどんどん傾いていき、親戚からも疎んじられるようになった。
勝四郎は発奮し、家の財産をすべて絹にかえ、雀部曽次という商人と京にのぼることを決める。
勝四郎は秋に帰ることを約束して旅立っていった。

関東はそのうち、享徳の乱によって乱れに乱れることになる。
宮木の美貌にひかれた男共が言い寄ることもあったが、これを退けるなどして、宮木は心細く夫の帰りを待ちわびる。
だが、約束の秋になっても、勝四郎は帰ってこないのだった。

一方夫の勝四郎は京で絹を売って、大もうけをした。


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そして関東のほうで戦乱が起きていることを知って、急ぎ故郷に帰る途中、木曽で山賊に襲われて財産を全て奪われてしまった。
また、この先には関所があって、人の通行をゆるさない状態だと聞く。

勝四郎は宮木が死んでしまったと思い込み、近江へと向かった。
ここで勝四郎は病にかかり、雀部の親戚の児玉の家に厄介になることになる。
いつしかこの地に友人もでき、居つくようになり、七年の月日が過ぎた。

近頃は近江や京でも戦乱がおき、勝四郎は宮木のことを思う。
そして、故郷に帰ることにした。
十日余りで着いたのは、夜になってのことだった。
変わり果てた土地で探すと、やっと我が家にたどり着いた。

よく見ると、隙間から灯がもれている。
もしやと思って咳をすると、向うから「誰(たそ)」と声がしたのは、しわがれてはいるけれどまさしく妻、宮木のものだった。

扉の向うからあられた妻は、別人かと思われるほど、変わり果てたすがたであった。
宮木は勝四郎のすがたをみて、泣き出し、勝四郎も思わぬ展開に動転するばかり。

やがて、勝四郎はことの経緯、宮木は待つつらさを語り、その夜はふたり、ともに眠った。
次の朝勝四郎が目がさめると、自分が廃屋にいることに気づいた。


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一緒に寝ていたはずの宮木のすがたも見えない。
勝四郎はやはり妻は死んでいたのだ、と分かり、家を見てまわっていると、元の寝所に塚がつくられているのがあった。

そこに、一枚の紙があった。
妻の筆跡で歌が書いてある。

「さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か」
これをみて、勝四郎は改めて妻の死を実感し、伏して大きく泣いた。

 


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雨月物語 (映画)


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1953年製作の日本映画。
監督溝口健二。
「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編を川口松太郎と依田義賢が脚色した。
出演は京マチ子、水戸光子、田中絹代、森雅之、小沢栄など。
舞台は近江国と京に設定されている。
ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞した。


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出典: 「雨月物語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

正徳 多恵(しょうとく たえ)さんは上の文章を読んで感動したのですか?

違いますよ。。。 図書館でDVDを借りて 全編を観て感動したのですよ。。。

何で、そのようなことまでデンマンさんには解るのでござ~ますかァ~?

もちろん、多恵さんが僕にメールを寄越したのです。。。

信じられませんわァ~。。。

卑弥子さんは疑り深いのですねぇ~。。。 昔の人は“信じる者は救われる!”と言ったのですよ。。。 だから、卑弥子さんも素直に信じて救われてねぇ~。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも、素直には信じられないでしょう?

でも、『雨月物語』は確かに感動する映画ですわ。。。

あなたも、まだ観たことがないのならば、ぜひDVDを借りて観てくださいねぇ~。。。


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雨月物語 (映画)


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あたくしも感動いたしましたわァ~♪~。。。

ところで、話は変わりますけれど、日本の平安時代、あるいは古代にも あなたの知らないミステリアスな面白いお話があるのですわよう。。。

あなたのために平安史、古代史の興味深い記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


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『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』


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『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』


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『おばさんパンツ@サンホセ』

『聖徳太子のチューター』

『オナラの曲芸』

『死海』

『漱石とオナラ』

『絵里香さん』

『美女とオナラ』

『アンバパーリー』

『ゆっくりと愛し合う』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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冷血頼朝

2013年2月19日

 

冷血頼朝

 


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デンマンさんは源頼朝が嫌いなのでござ~♪~ますか?


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どうも好きにはなれない人物ですよ。

どうしてでござ~ますか?

冷淡で、非情で、極めて自分よがりなところがあると思うのですよ。

たとえば。。。?

例えば『平家物語』に次のような場面があるのです。


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NHK大河ドラマでの平重盛

小松殿重盛のお子・丹後侍従忠房(ただふさ)は、屋島の戦の折、おちのびて行方も知れず姿を隠しておられたが、紀伊国の住人・湯浅権守宗重をたのんで、湯浅城にたてこもられた。

 (中略)

鎌倉殿の命により熊野別当湛増が、二、三ヵ月の間に八度攻めよせて戦った。
城兵は命を惜しまずに防いだので、寄手は毎回追い散らされ、熊野法師が数多く討ち死にする。
別当の湛増は頼朝公へ急使を走らせ、(略) と申し出ると、鎌倉殿は、
「(略) 城にたてこもる兵はさだめし山賊、海賊のたぐいであろう。
彼らの取締りをきびしくして、城に出入りができないよう口を固めて守るがよい」
と言われた。

その仰せどおりにすると、案のじょう後には一人も城に姿をみせないようになった。
頼朝公はなおも計をめぐらせて、
「小松殿重盛のお子がたの中、一人でも二人でも生き残られた者がおるならば、命はお助けしよう。
理由は池禅尼(いけのぜんに)の使いとして、私の命を助け流罪にしたのは、ひとえにかの内府重盛殿の芳恩によるからだ

この計にのせられて、丹後侍従(忠房)が京の六波羅へ自首して出た。
そして鎌倉へ護送されると、頼朝は忠房に対面して、
「都へお帰りなさい。 京近くの田舎に、お住いすることを考えておきました」
そう騙して京へのぼらせ、後から人をやり、勢田の橋のほとりで、忠房を斬らせてしまった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています)


279-280ページ 『平家物語 (下)』
著者: 中山義秀 現代語訳
2004年12月20日 初版発行
発行所: 河出書房新社

源頼朝は平重盛の子供を助けようと言ってるのですよ。 なぜなら池禅尼(いけのぜんに)の使いとして、平清盛の嫡男である重盛が口をきいてくれたので殺されずに伊豆に流罪になったというのです。 だから、重盛の子供を助けたいと。。。でも、それは頼朝の本心ではなかった。 ただ、そのような噂を流しただけ。。。

その噂を聞きつけて重盛の子供である平忠房(ただふさ)が自首して出て来たのでござ~ますか?

その通りですよ。 ところが面と向かって頼朝は命を助けると言っておきながら勢田の橋のほとりで忠房を斬らせた。 つまり、恩を仇(あだ)で返したことになるのですよ。 このようなところに僕は頼朝に冷血漢を見るのです。

でも、戦国時代にはそのような事はよくあったことなのでしょう?

あのねぇ~、この当時はまだ後の戦国時代ほど世は乱れてなかった。 現に、平清盛は頼朝を殺そうとしたけれど、継母の池禅尼が命だけは助けてあげてくださいと頼んだので、頼朝を助けてあげたのですよ。 それなのに頼朝は、重盛の子供たちを一人でも二人でも助けると言っておきながら、騙して忠房を斬らせた。 それも、いかにも親切そうに「都へお帰りなさい。 京近くの田舎に、お住いすることを考えておきました」なんて、おためごかしな事を言っている。

それはちょっとやりすぎですわよね。

卑弥子さんだって、これはちょっと酷(ひど)いと思うんでしょう!? 殺される忠房の身になって考えてみてくださいよ。 命が助かると思って忠房は京都の六波羅へ自首して出た。 それから鎌倉へ送られて頼朝と対面した。 甘い言葉をかけられてから、また京都へと。。。 ところが勢田の橋までやって来ると、「この場で死んでもらいます」と言われる。 「どうして。。。、なぜ。。。? 頼朝殿は命を助けると言ったのですよ! ああそれなのに、それなのに。。。」 騙されたと知った、その時の忠房の気持ちを考えると、僕は頼朝という人間が血も涙もない冷酷な殺人鬼に思えてくるのですよ。

でも、そのような事は武士の世界には付き物だったと思いますわ。

あれっ。。。 卑弥子さんは凶悪な冷血動物の源頼朝を庇(かば)うのですか?

別に頼朝を庇おうとしているのではござ~ませんわ。 ただ、ウィキペディアを見たら『平家物語』とは違うことが書いてありましたわ。

池禅尼


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長治元年(1104年)頃に生まれる。
長寛2年(1164年)頃に亡くなる。
平忠盛の正室。
平清盛の継母に当たる。

平治元年(1159年)の平治の乱においては複雑な政争を勝ち抜いた清盛が勝利し、その結果、源義朝ら他の軍事貴族が駆逐された。
翌永暦元年(1160年)2月、義朝の嫡男で13歳の頼朝が池禅尼ならびに頼盛の郎党である平宗清に捕えられた。
この際、池禅尼は清盛に対して助命を嘆願したと言われている。
また頼朝の助命の為に池禅尼が断食をし始めたため、清盛も遂に折れて伊豆国への流罪へと減刑したとも言われている。

上記内容を記している『平治物語』では頼朝が、早世した我が子家盛に生き写しだったことから池禅尼が助命に奔走したとするが、実際には頼朝が仕えていた上西門院(待賢門院の娘、後白河の同母姉)や同じ待賢門院近臣家の熱田宮司家(頼朝の母方の親族)の働きかけによるものと推測される。

その後、池禅尼は死去したと言われているが、正確な没年は不明である。

頼朝は池禅尼の恩を忘れず、伊豆国で挙兵した後もその息子である頼盛を優遇し、平家滅亡後も頼盛の一族(池氏)は朝廷堂上人および幕府御家人として存続する。


出典: 「池禅尼」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

このように頼朝は池禅尼の恩を忘れず、伊豆国で挙兵した後もその息子である頼盛を優遇し、平家滅亡後も頼盛の一族(池氏)は朝廷堂上人および幕府御家人として存続すると書いてありますわ。 平忠房を殺したけれど、池禅尼の息子である頼盛を助けているのですわよ。 そればかりか幕府御家人として優遇しているのですわよ。 だから、池禅尼に対して恩返しをしているのですわ。

もしかして卑弥子さんの家系には源頼朝の血が入っているのですか?

いいえ。。。 あたくしの家系は主に藤原氏の血が濃いのでざ~ますわ。 あたくしの知る限り頼朝とご先祖様とは何の関係もありませんわ。

だったら、頼朝を弁護する必要はないじゃありませんか! どうして頼朝の肩を持つのですか?

別に頼朝さんの肩を持っているわけではござ~ませんわ。 たまたまウィキペディアを見たら『平家物語』とは違うことが書いてあったのですわ。

あのねぇ~、そもそも『平家物語』とは、「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しで始まって平家の滅亡を描いた物語ですよ。

存じ上げておりますわ。

つまり、平家が滅んだのは、武士にもかかわらず貴族の真似をして、おごり高ぶったからだと言うバックグラウンド・ミュージックのようなものが全編を通して流れている。 要するに、平家を悪く言う物語なのですよ。

だから、どうだと言うのでござ~ますか?

だから、平家の者どもが悪く言われるのは当たり前なのですよ。 それで『平家物語』では平清盛が必要以上に悪者にされている。 そんな中で僕が引用した場面では頼朝が清盛以上に悪い人間として。。。人を騙す冷血漢として描かれている。 つまり、『平家物語』の作者を含めて、この当時の人は義経に対しては好感を持っていても、頼朝に対しては好感を持ってないのですよ。 『平家物語』では、むしろ作者は源頼朝を冷血動物を見ているような書き方をしている。

でも、ウィキペディアを見たら『平家物語』とは違うことが。。。

あのねぇ~、ウィキペディアを書いている人は現在に生きている人ですよ。 『平家物語』を書いた人は、実際に平清盛や頼朝が生きていた時代を知っている人です。 だから、『平家物語』の作者の意見の方を尊重すべきだと僕は思うのですよ。

そうでしょうか?

それに、頼朝は人間として見ても、とりわけ素晴らしいと思わせるようなところがない。

まるで、見てきたような事をデンマンさんは言いますわね?

あのねぇ~、僕は生まれ故郷の行田市に帰省していた去年の11月にNHK大河ドラマの『平清盛』を楽しみにしながら観ていたのですよ。


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その中で描かれた北条政子と源頼朝のやり取りを見ていると、頼朝は政子よりも1段も2段もランクが下のような人物にしか見えない。 その後、尼将軍として権勢を振るった政子の方が頼朝よりも“将軍”らしい。

でも、それはデンマンさんの個人的な受け取り方ですわよう。

あれっ。。。 卑弥子さんは大河ドラマの中でも頼朝に肩を持つのですか?

だってぇ、頼朝に扮している岡田将生君はカッコいいんですものォ~。。。 うふふふふふふ。。。


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やだなあああァ~。。。 カッコいいとか、ハンサムだとか。。。 そういうことは大河ドラマとは関係ないのですよ。 どうでもいいことですよ。 もっと歴史的人物の本質を見てくださいよう。 んもお~~!

つまり、デンマンさんは何が何でも頼朝が嫌いなのですわね?

いや、僕は客観的に好き嫌いを考えないようにして見ているつもりです。 『平家物語』を読んでも、大河ドラマを観ても、頼朝という人物はごく平凡な人間だったのではないかと思えるのですよ。 そのような思いに駆られました。 つまり、周りの人から持ち上げられて小山の大将になっただけだと。。。 実際に動いたのは義経を含めて有能な部下たちですよ。 しかも、頼朝は完全に政子の尻に敷かれてますよ。

あらっ。。。 カカァ~天下の家庭だったのでござ~ますか?


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大河ドラマを観ていたらマジでそう思いましたよ。 つまり、頼朝という人間はごく平凡な人間だったのですよ。 だから、徳川家康などと比べると頼朝の名言というものは、ほとんど残ってない。 僕は頼朝の名言を何一つとして思い出せませんよ。 つまり、頼朝という人間は平凡でつまらない、ごく平均的な人間だったからめ名言を残さなかった。

つまり、頼朝さんは有能な部下に支えれれて鎌倉幕府を立ち上げたけれど、本人にはこれと言った才能がなかったとデンマンさんは言うのですか?

だってぇ、そうでしょう。。。!? もし頼朝がマジで才能ある人間だったら、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康のように名言を残してますよう。 卑弥子さんは頼朝の残した名言を一つでも知ってますかァ~?

知りませんわ。 そう言われてみれば不思議と頼朝さんの名言というのは歴史の教科書にも出てきませんわね。

そうでしょう!? だから、源頼朝という人物は言ってみれば東国の武士たちに「源氏の棟梁」だと持ち上げられただけの、ごく平凡な人間だったのですよ。

そうかしら。。。?

そうなのですよ。 それに、『吾妻鏡(あずまかがみ)』には次のような箇所がある。

辰刻(たつのこく)、国宗、院宣を捧げて樋口の河原に武州(北条泰時)に相逢(あ)ひ、子細を述ぶ。
武州院宣を拝すべしと称し、馬より下りぬ。
共の勇士五千余輩あり、この中に院宣を読めるものありやと、岡村次郎兵衛尉をもって尋ねたところ、勅使・河原小三郎云う。
武蔵野国の住人藤田の三郎は文の博士のものなりと。
藤田を召し出だして院宣を読ましむ。

(デンマン注: 読み易く読み下しました。
赤字はデンマンが強調)


承久3(1221)年6月15日の条
『吾妻鏡』

これは承久(じょうきゅう)の乱の出来事なのですよ。

その承久の乱ってぇどのような事だったのでござ~ますか?

鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた事件です。 鎌倉幕府の成立後、京都の公家政権と鎌倉の武家政治の二頭政治が続いていたのです。 ところが後鳥羽上皇は公家政治をやりたくて鎌倉幕府を滅ぼそうとした。

。。。んで、上の院宣というのは、この後鳥羽上皇が書いた命令書なのでござ~ますか?

そうですよ。 ところが鎌倉軍五千もの武士がいながら、北条泰時も含めて漢文で書かれた院宣が誰も読めなかった。

だから、どうだと言うのでござ~ますか?

やだなあああァ~。。。京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授ともあろう人が僕の言おうとしていることが理解できないのですか?

つまり、漢文というのは当時のアジアでの国際語で。。。 その漢文を読める人が5000人の関東武士の中に誰も居なかったとデンマンさんは言いたいのですわね?

その通りですよ。 卑弥子さんは理解しているじゃありませんかァ!

それが頼朝さんと、どのように関係しているのでござ~ますか?

あのねぇ~、もしですよ、源頼朝に「源氏の棟梁」としての実力と才能があったなら、学問や文学を疎(おろそ)かにはしなかったはずなんですよ。 ところが頼朝という人物は平凡な人間だった。 むしろ嫉妬深くて冷血な人間だった。 『平家物語』に書いてあるとおりです。 だから、その下で動いていた関東武士も漢文が読めなかった。

でも、漢文がそれほど重要だったのでござ~ますか?

もちろんですよ。 平清盛は学問も文学も疎(おろそ)かにはしなかった。 だからこそ、中国との貿易、つまり、日宋貿易に見られるような財政基盤の開拓に励んだ。 宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築いたのですよ。 時代の矛盾に行き詰まりつつあった貴族政治を打ち破り、貴族的要素が強いとは言え、日本初の武家政権を打ち立てた。 頼朝は、清盛が打ち立てた制度を引き継いだに過ぎない。 頼朝自身はほとんど何もしなかったのですよ。 それが証拠に部下の関東武士の5000人の内に漢文が読めるものが居なかった。 つまり、国際化という点においては全く無知な人だったのですよ。

でも、当時、国際化する必要はなかったのではござ~ませんか?

やだなあああァ~! あったでしょう! 鎌倉時代に元が日本へ攻めてきたでしょう! 当時、すでに国際化の動きがあったのですよ! 鎌倉幕府の後の室町幕府を考えてみてくださいよ。 金閣寺を建てた足利義満のことを思い出してください。 義満は若年の頃から明への憧憬を深く抱いていた。 もちろん、学問や文学も疎(おろそ)かにはしなかった。 中国・明の建文帝は義満を日本国王に冊封し、同時に明の大統暦が日本国王に授与されて、両国の国交が正式に樹立されたのですよ。 日本国王が皇帝に朝貢する形式をとって明との勘合貿易が1404年(応永11年)から始まった。

でも、遣唐使の廃止以来、独自の政策を採っていた公家社会では、明皇帝の臣下となる朝貢貿易に対して不満や批判が多くあったのですわ。

あれっ。。。 卑弥子さんは何も知らないような顔をしながら知っているではありませんか!

これでも京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している身でござ~ますわ。 その程度のことは存じ上げております。

だったら、1397年(応永4年)に、西園寺家から京都北山の「北山弟」(ほくさんてい)を譲り受け、舎利殿(金閣)を中心とする山荘、つまり、のちの金閣寺を建てたことも知っているでしょう?

ええ。。。 存じ上げておりますわ。

足利義満が学問も文学も疎(おろそ)かにせず、漢文も読めたから、武家様・公家様・唐様(禅宗様)が融合した北山文化というものが日本に根付いたのですよ。 

つまり、頼朝さんは極めて平凡で冷酷な人物で、文化的には日本が誇るよな物を何も残さなかったとデンマンさんは言うのでござ~ますか?

その通りですよ。 彼自身は文化的なものを何一つ残してない! 全部他の人たちがやったことです。

でも、徳川家康さんは頼朝の事績が多く書かれている『吾妻鏡』を集めて写させ、吾妻鏡を読み頼朝の行動を学んだと言われていますわ。

あれっ。。。 知らないようでいて卑弥子さんは、そのような事まで知っているのですか?

聞きかじりですわ。 うふふふふふ。。。

あのねぇ~、僕は頼朝のすべてが悪いと言うつもりはないのですよ。 頼朝にだって長所はあったと思いますよ。 「一寸の虫にも五分の魂」と言いますからね。。。 徳川家康が、その頼朝の良い所を学ぼうとする姿が素晴らしいではありませんか! でもねぇ~、『保暦間記』(ほうりゃくかんき)という、南北朝時代に成立した歴史書があるのですよ。 作者は不明だけれど、14世紀半ば、延文元年(1356年)以前に南北朝時代の足利方の武士によって書かれたと言われているのですよ。 それによると、頼朝の死因を自らが滅ぼした源義広、義経、行家、安徳天皇の亡霊によると記している。 つまり、当時からその生涯は罪深いものとして捉えられていたのですよ。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。
頼朝さんは落馬が原因で死亡したと言われています。
でも、詳しい事は分かっていません。

源頼朝さんは、確かにあまり良いことは言われないようですわよね。
それでも、自分の妻子には甘かったそうですわ。
富士の巻狩りで12歳の息子・頼家が鹿を仕止めた時は喜んで妻の北条政子に報告の使いを送ったそうです。
でも、それを聞いた政子は「武士の子なら当たり前だわ」と言われてしまったそうです。
政子さんは、かなり男勝(まさ)りな人ですわね。

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じゃあね。バーィ。


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