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乙女の祈りと老人

2016年2月2日

 

乙女の祈りと老人

 


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哀れで愚かで孤独で可哀想な

太田将宏老人


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デンマンさん。。。、ちれいで可愛い“乙女の祈り”と並べて よぼよぼの老人のオイラをどうして呼び出したのですか?


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オマエは僕に呼び出されるのが嫌なのォ~?

だってぇ~、呼び出されるたびに いつでも、コテンコテンにデンマンさんに馬鹿にされるのでオイラは気分が落ち込んでしまうのですよ。

でも、今日は“乙女の祈り”についてオマエと語ろうと思い 呼び出したのだよ。

あれっ。。。 マジっすかあああァ~。。。 ちれいでかわゆい“乙女”を よぼよぼの老人のオイラに紹介してくれるのですかァ~?。。。 もしかして。。。、もしかして。。。、その ちれいでかわゆい“乙女”というのは“真由美ちゃん”のことですかァ~?


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(gog60202a.png)

『現時点での検索結果』

どうして僕がオマエのような意地悪爺さんに真由美ちゃんを紹介しなければならないのォ~?

デンマンさんとオイラの仲じゃないですかァ~。。。 どうか ちれいでかわゆい“乙女”の真由美ちゃんをオイラに紹介してください。

あれっ。。。 オマエと僕は絶交状態じゃなかったのォ~?

デンマンさんが真由美ちゃんを紹介してくれるのならば、オイラは絶交状態を解消しますゥ。。。 うへへへへへへ。。。

あのさァ~、僕はオマエが境界性人格障害を患っている老人だと認めて精神科のお医者さんに診てもらうまで、しばらく絶交状態を続けようと思うのだよ。

でも。。。、でも。。。、デンマンさんは、こうしてオイラを呼び出して真由美ちゃんを紹介しようとしているじゃありませんか!

あのなァ~、今日のタイトルの“乙女の祈りと老人”は、真由美ちゃんとは関係ないのだよ!

関係ないのに、どういうわけで そのような紛(まぎ)らわしいタイトルをつけたのですか?

オマエが 去年の11月12日に僕のGOOのブログに次のコメントを書いたからだよ!

Identity theft をした

デンマンこと加藤明へ (Ⅵ)

コメント記入者: V. T.

2015-11-12 05:11:58 その四:

 

以上の加藤氏の狼藉にも拘らず、

心優しい私たち貴族の夫婦は、

彼と一緒にスキーをした事もあった、


(canski02.jpg)

彼が私たちをアルゴンキン パークに

ドライヴしてくれたこともあった、


(algon02.jpg)

とか、まがりなりにも、私を一晩、彼の部屋に泊めて、

ヴァンクーヴァを案内してくれた事もあった、


(mayumi40.jpg)

とか良かったことだけを憶えていて、嫌な事は最近まで忘れていたので、私は、ついつい、彼に出来立ての私の本を送ってしまった、という次第だったのです。

聞くも涙の物語でしょう(満場、シーンとして声もなし)。

加藤氏は、その私の本の最初の反応として、私への断りも無しに、私の文を、一部ではありますが、このBBSに転載して、さらに彼の<乙女の祈り>にまつわるsentimentalな駄文を付け加えて、彼の言う仮想の<世界>、つまり仲良しクラブに発表したのです。

それでも、心優しい私は、事後処置でありますが、私の作品を引用してもいいよ、と言ってやった次第でした(失笑)。

あの、加藤氏の<乙女の祈り>についての文章は、そんな事は、自分だけの胸だけに秘めておけばいい、という以外の何ものでもないではないですか。

読んでいる方が恥ずかしくなるような駄文ですねぇ(失笑)。

それと、あそこで引き合いにだされた女性、恵美子さんという方は、気の毒ですねぇ。


(cute0015.gif)

戸惑いを通り越して迷惑に思っているのではないか、と同情いたしました(ため息、そして失笑)。

彼を、無神経と言わなければ、無神経な人などは、世界中を捜してもいませんよねぇ(ため息、そして、失笑、又、ため息)。

その加藤さんが、自分史を書いているとか、書くとか、といっているのですよ。<世界>の皆様、身震いしませんか(ついに爆笑)。

それらを思いつつ、私は、また、新たに確認しました。

加藤氏は、無礼とか何とか言う以前の、まだ乳離れの出来ていない幼児が、際限なくダダをこね続けている様なものなのではないか、と。


『親愛なる将宏ちゃんへ』のコメント欄より
(2006年12月28日)

あれっ。。。 この恵美子さんが その“乙女”だと言うのですか?

そうだよ。。。 この恵美子さんのエピソードというのは次のようなものだよ! オマエの感想が病的なものだということをネット市民の皆様に解ってもらうために、ここに書き出すからオマエも もう一度読んでごらんよ!

ん? クラシックで片思い?


(violin03.gif)


そうなんですよね。
僕は多分、恵美子さんに片思いしていたと思うんですよ。


(cute0015.gif)

中学校に入学して間もなくだった頃だと思いますが、
全校生徒が体育館に集まった時に
同学年の恵美子さんが“乙女の祈り”をピアノで独奏したのです。

僕はその時初めてこの曲を聴いたのですが、すばらしいと思いました。
感動しました。

曲も良かったけれど、あの恵美子さんが弾いたのだという事も感動的でした。
この恵美子さんは小学校のとき6年間隣のクラスに居た可愛い女の子だったのです。

よく目にした事はあっても口をきいたことが一度もなかったのです。
初恋の人ではなかったのですが、僕の気に入った女の子でした。
遠くから見ていて、可愛い女の子だなぁ~と思っていたのです。

小学校ではクラス替えがなくて6年間同じメンバーだったのですが、
中学校では学年毎にクラス替えがあったので、この恵美子さんと同じクラスになる事を期待していたのです。

しかし、とうとう同じクラスになる事はありませんでした。
(こういう思い通りにならない事って、人生にはずいぶんとあるものですよね?)

とにかく、僕が気に入っていた“乙女”が弾いた“乙女の祈り”が忘れられなくて、僕はどうしてもこの曲が弾きたくなった。
大学に入学して下宿から通うようになった頃、下宿にピアノがあったので楽譜を買ってきて、独習で弾き始めたのです。

とにかく、一生懸命に独習したので、何とか全曲を弾けるようになったのです。
自分では結構マシに弾けると思ったので、ぜひ恵美子さんに聞いてもらいたいなぁ~と思い始めたんですよ。


(piano2.jpg)

そう思ったら、何が何でも恵美子さんに聞いてもらいたいと思うようになった。
それで、夏休みに帰省した時に思いきって恵美子さんに電話したのです。

当時、恵美子さんは音楽大学に通っていました。
恵美子さんはビックリするだろうと思ったのですが、極めて落ち着いて冷静に受け答えしていたので僕のほうがその落ち着き方に内心ビックリしたほどでした。


(breakup0.gif)

これまでに一度も言葉を交わしたことのない女性に初めて電話して僕のピアノの演奏を聞いて欲しいと言ったのですからね。
もちろん、どうしてそういう気持ちになったのか、かいつまんで説明しましたが、
今から思うと“すっご~い心臓”を持っていたものだと、自分ながら呆れる思いです。

その後、恵美子さんがコンサートピアニストになったのかどうか、僕は、もうぷっつり連絡していないから全く分からないのです。
僕は社会人になると間もなく海外へ出てゆきましたから。。。

当時、彼女の家にはグランドピアノがあって、その頃でもピアノ教室が別棟にあって、そこで子供たちに教えていました。
とにかく、恵美子さんに会ったのは前にも後にもそれっきりなんですよね。
電話した事もなければ、手紙を書いたこともない。
本当にその時会ったのが初めで最後!

まず、このように書いても誰も信用してくれないと思いますが、これは実話です。
恵美子さんの名前は本名です。
僕の生まれは行田市です。

もしかして、この記事を恵美子さんが読む事があれば、すぐに僕が誰かと言う事が分かるはずです。
もちろん、僕は恵美子さんにまた会いたくなったから、と言うのでこの記事を書いているわけではありませんよ。

小学生のときに芽生えた“乙女”に対する思いが僕の“乙女の祈り”の演奏を聴いてもらう事によって完結した。
言ってみれば、そのような儚(はかな)くも淡い“恋”ではなかったのか?

もちろん、それは“片思い”にすぎなかったのだけれども、僕はその片思いをあのような形で完結したのだと。。。
今から思い返すと、そう思えるのです。

しかし、ずいぶんと下手くそで間違った演奏を聞かせたものだと、気恥ずかしくなりますよ。
この記事を恵美子さんがもし読む事があったら、夢のような馬鹿ばかしい思い出として、苦笑しながら思い出すことでしょう?

お恥ずかしい事ですが、クラシックだと言われている“乙女の祈り”を誰が作曲したのか?
この記事を書くまで知らなかったという“おまけ”までがついていますよ。うへへへへ。。。。
ついさっき調べたら次のような事が分かりました。


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1856年作曲

乙女の祈り (La prière d’une vierge)

テクラ・バダルジェフスカ (Tekla Badarzewska)

(1834年1月1日~1861年9月29日)

生誕地:ワルシャワ、 ポーランド

なんと、この人物は27歳で亡くなっているんですよね。
冥福を祈りたいですね。

とにかく、この人物が“乙女の祈り”を作らなかったら、僕は恵美子さんに会うことはなかったんですよ。

小学生の時に、恵美子さんのことを可愛い女の子だなぁ~と思っていただけで、一生会って言葉を交わす事はなかったはずです。

クラシックの“威力”なのでしょうか???

実は、この片思いの事は6月13日に書いた記事の一部です。全文はもっと長いのですよ。
興味があったら次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
クラシックに限らず音楽好きの人なら面白く読めると思います。

『ん? クラシック興味ある?』

Realogで書いた、この記事に対してRealogのメンバーの藤守美愛さんから次のようなコメントをもらいました。
ありがとね。 (デンマン注: 残念ながら、Realogは閉鎖・消滅しました。)


(gal06c.jpg)

初です☆
クラシック好きなので、
タイトルに釣られて来てしまいました。
コントラバスしてたんですか?
私はペットとパーカッション&ドラムしてました(^O^)

乙女の祈りはエレクトーンで弾いたので懐かしい~
独学でピアノは大変ですよね。
とても素敵な想い出だと思います=^▽^=

 

by 藤守美愛 2006/06/14 03:45


『ん? クラシックで片思い?』より
(2006年6月19日)

普通、クラシックに関心のある人ならば、上のエピソードを読んで、藤守美愛のような感想を持つのだよ!

いえ、それは違います。。。 普通の神経を持っている人なら、恥ずかしくって とてもデンマンさんのようには書けないものですよ。。。 うへへへへへへ。。。

あのさァ~、そうやって、無理に笑いでごまかしている場合じゃないのだよ!。。。 オマエは、どういうきっかけで絶交状態になったのか、そのことを覚えているかァ~?

いいえ。。。 覚えてません。

そうだろう!?。。。 実は、僕も全く覚えてないのだよ。。。 要するに、きわめて些細なことだったに違いない。。。 だから、オマエも僕もその絶交することになった“事件”を忘れてしまっているのだよ。。。 それなのに、オマエは次のように楽しかった事をはっきりと覚えている!

太田将宏の楽しい思い出

コメント記入者: V. T.

2015-11-12 05:11:58 その四:

 

心優しい私たち貴族の夫婦は、

彼と一緒にスキーをした事もあった、


(canski02.jpg)

彼が私たちをアルゴンキン パークに

ドライヴしてくれたこともあった、


(algon02.jpg)

とか、まがりなりにも、私を一晩、彼の部屋に泊めて、

ヴァンクーヴァを案内してくれた事もあった、


(mayumi40.jpg)

ところが、オマエは絶交することになった“事件”を忘れてしまっているのだよ。

デンマンさんだって忘れているではありませんかァ!

そうだよ!。。。 僕はオマエがどうしてムカついて腹を立てたのか?。。。いまだに理解に苦しんでいるのだよ!

それで、オイラが“境界性人格障害”を患っていると思ったのですか?

そうだよ。。。

どうして、そう思うのですか?

現在は“境界性人格障害”を克服したレンゲさんがかつて次のように書いていたのだよ。。。

オマエと対話しないのは、

わたしはオマエが嫌いやからです。

2005 01/09 08:56 編集 返信

オマエに暴言吐かれてバカにされて憶測でわたしを非難した。

オマエのコロコロ変わる態度も不安感を与えてるんや、
今は耳障りのいい言葉を使ってるけど、
いつお気に召さないことがあって
コテンパンにやられるかって不安な相手と付き合いたかないやろ。


(angry13.gif)

オマエと対話するって事は、
一か八かのバクチみたいなもんや。
わたしはおべんちゃら言う気はないからな。

でもオマエは自分の周りに、
耳ざわりのいい事ばかり言ってくれるおべんちゃらの上手な、
オマエの思い通りになる、ふぬけばっかり集めたいんやろ?
太鼓もちみたいな人間、
それでいて対話してて手応えのある知性も兼ね備えた人材がほしいんとちゃうか?

甘いな。
そんなヤツおらへんわ。

頭のいいヤツは、そんなバカげた輪の中には、はいらへん。
入ってもすぐ気付いてどっかいってまうわ。
残ってるのは、かしこくない・気がついてない人間とちゃうか?

それに、何も裏づけもないのに、
わたしの事決め付けて余計なこと書くのもやめや。

オマエ、わたしに対話を申しこんでるんやろ?
あんだけクソミソに書かれて、
オマエのことなんか考えたくなくなるんちゃうん。
普通の神経やったらな。

あいかわらずの北風さんやな。
上着ぜったいぬがへんわ。

オマエの価値観、人に押し付けて洗脳でもしたいん?
オマエのせいで、「精神的な苦痛」を与えられ続けてるの、わかる?

告訴したろか?
さっきの不法アクセスの事も含めて。

 

by レンゲ


『性と愛と後悔』より
(2006年6月30日)

つまり、レンゲさんはデンマンさんを絶交したのではありませんか!

そうだよ。。。

つまり、デンマンさんは絶交されるような人物なのじゃありませんか!

違うのだよ!。。。 レンゲさんは“境界性人格障害”を克服して、今では僕とも仲直りしている! でも、絶交した時には、レンゲさんはオマエのように極めて些細なことでムカついたのだよ!。。。 そして僕のブログを読んで同じように些細なことでムカつかれて絶交された人から次のようなコメントをもらった!

ハジメマシテ。
鐵からデンマンさんのblogを聞き、少し見させて頂きました。

俺は少し前までレンゲさんと似た感じの女性と友達でした。
俺は付き合いを続けるうち訳がワカラナクなり、縁を切ってしまいました。

切ってから彼女のblogには暫くの間、
俺への誹謗中傷が長々書いてましたが、
付き合いがあった時同様支離滅裂。


(multi20.jpg)

彼女も自分の中に何人か別の人格が居ることを認識していました。

俺も理解をするというか、
自分なりに努力してましたが解ってもらえず、逆に潰される羽目に…。
俺は彼女を見捨ててしまった…。

唐突なコメントでスイマセン。

 

by 真新主 2006/06/22 16:11


『性と愛と後悔』より
(2006年6月30日)

つまり。。。、つまり。。、“境界性人格障害”を患うと、支離滅裂な事を長々と書いたりするのですか?

そうだよ!。。。 ちょうどオマエのように。。。 だから オマエも“境界性人格障害”を患っているのだよ!。。。 それで僕のGOOの記事に精神を病んでいるのではないか?と思われるほどの長~い長~い病的に長~♪~いコメントを書き込んだのだよ!

でも。。。、でも。。。、レンゲさんは“境界性人格障害”を患っていることを認めたのですか?

認めたのだよ。。。 それで次のように書いた。


(lonely15.jpg)

愛憎と苦悩

投稿日時: 2004-9-8 11:45

わたしは精神障害者です。
しかも、誰もが関わりたがらない
境界性人格障害者です。
時に、感情の爆発という
発作も起こります。

愛憎にあやつられる人生です。
わたしの世界には、
シロかクロしかありません。

誰かに愛着をかんじすぎると、
怖いのです。
見捨てられ感、迫害妄想で、
全面的に愛していた人のことを、
全面的に否定してしまうのです。

そのうえ、わたしはある人に対して、
“ほれこむ”ということも、よくあります。
でも、その場合でも、
相手から見れば全く理不尽な
理由で、ほれこんでいた人のことを、
全否定してしまうのです。

これらは、精神の発達が
未熟であるのはもちろん、
幼少時の体験によって
「見捨てられる恐怖」が、
頭にこびりついていて、
見捨てられる(つらさを味わう)くらいなら、
こっちから先に、
相手との関係を絶つ、という
逃げの行動なのです。

わたしは、この障害で苦しんでいます。
わたしに関わったことで、
理不尽な気持ちで去ってゆく
“被害者”の方々も、多いと思います。
治せるものなら治したい。
でも、幼い頃の心の傷が、
真人間になることを、
かたくなに拒み続けます。
二度と傷つきたくないから、
防衛するのです。
この硬い殻を、どうすればこわせるのか・・・

治療はうけていますが、今は目先の“うつ”
の治療が主です。
それも、最近容態が悪いようで、
心理テストなどばかり受けています。

長々と書いてしまいましたが、
こんな(迷惑な)人間もいるのだということを、
書き連ね、より自虐的に、とことんどんぞこまで
落ち込み、自分への罰としたいとおもいます。

 

by レンゲ


『性と愛と後悔』より
(2006年6月30日)

でも。。。、でも。。。、オイラは“境界性人格障害”を患ってません。。。

あのなァ~、オマエは自覚がないようだけれど、客観的に見ても、オマエは典型的な“境界性人格障害者”なのだよ!

どうして、そのような根も葉もないことをデンマンさんは言うのですか?

第一、オマエは二人の娘とも妻とも絶交状態なのだよ! しかも、僕の知る限り多くの古い友人たちとも オマエは絶交状態なのだよ! そもそも、オマエがカナダに移住したきっかけは、小さなソフトウェア会社で課長にまでなったオマエが人間関係をこじらせて絶交して会社を辞めたのだよ。。。

あれっ。。。 デンマンさんは、そんなことまで知っているのですか?

僕がトロントに居る時に オマエが僕に話したのだよ!

マジで。。。?

すでに何度も公開しているけれど、オマエ自身が次のようにも書いている!

私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。

長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。

私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。

しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。


【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家


56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)

つまり、孤立するような人間は“境界性人格障害”を患っている人に多いのですか?

そうなのだよ!

オイラはどうしたらよいのでしょうか?

あのさァ~、実は、めれんげさんも“境界性人格障害”を患っていたのだけれど、それを克服したのだよ! そして次のような手記を書いた。

2006-11-02 18:08:07
posted by merange

ちょいとマジな話やねんけど・・・

(テーマ:日記のつもり)


(merange42.jpg)

反省しきり。

わたし気がついたんやけど、
自分のことをずーっと考えてくれてる人の気持ちを、もっと冷静になって、考える必要があったよ・・・

固定観念にしばられて、自分の尺度で相手のことを、評価するのは、あまりにも心のせまいことやった。
人それぞれの個性を考慮せずに、好きだの嫌いだの、いいとか悪いとか、決め付けたまんまで、態度を硬化させて、そのまんまで、再考しようともしなかった自分は、なんちゅー視野のせまい人間やったことか。

いくら相手に理解を求めても、いっこうに気持ちがつたわらないことがある。
それはお互いの個性が、相容れないものであって、どれだけの言葉をつくしても、関係は平行線のまんま。
まして相手が他人の性格や表現様式を、理解できなければ、気持ちをつたえることは、あまりにもむずかしい。


(pray08.gif)

わたしは長年、固定された評価でしか、その人の自分への気持ちを考えずにいた。
確かに人間として、相容れない部分はある。

でも、自分のものさしで、その人を判断して、その判断を、見直そうともせずに態度を硬化させたままだった。
人それぞれの表現法や、思考の違いを考慮せずに、一度拒絶の気持ちを持ったら、それを頑なに変えようとせず、そのままで、思考をストップさせたままだった。

自分のことを、どんなかたちであれ、考え続けてくれるということの意味を、もっと尊重すべきだったことに、ようやく気がついた。

あらためて「ごめんなさい」と言います。
少なくとも、あなたを精神的に拒絶することをやめます。
わたしの存在を忘れずにいてくれる人がいるということを、素直に受け入れるようにします。

それ以上のことは、
わたしにはできないけれど、
感謝の気持ちを忘れないようにしようと思います。


(girl100.jpg)


【デンマン注】 原文には全く手を加えていませんが、構成、背景や画像はデンマン流に変えてあります。

『めれんげの原材料』より

『出会い系の悪魔』に掲載
(2008年9月10日)

(mereheart2.jpg)

つまり。。。、つまり。。。、めれんげさんのように反省して デンマンさんと仲直りすべきだと言うのですか? そんな事ができるわけないじゃありませんかア! んもおおおォ~。。。!

あのさァ~、僕と仲直りしなくてもいいけれど、オマエの娘さんと奥さんとは仲直りしろよ!

しかし。。。、しかし。。。、今更そんなことが。。。

あのなァ~、最近、バンクーバー市立図書館で借りた別の本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのだよ!


(onoyoko.jpg)

70歳になったときは、とても嬉しかった。
よくぞ70歳まで生きながらえたと思いました。

 (中略)

不運か幸運か私の人生には、激しい出来事ばかりが起こったので年齢のことを考えている余裕がありませんでした。
ですから、60歳になったときも、
「あなたも60歳ですね」
などと人から言われても、
「あれ、そお?」
なんて、ぐあいでした。

ところが、70歳を迎えたときはまったく違う感触でした。
ここまで生きながらえたことに対して誇りみたいなものを感じたのです。

 (中略)

自分がやりたい仕事がまだたくさんあります。
「あと50年ちょ~だい」
と言いたい。

自分というものをもっと生きてみたい。
今は私の人生のプロセスだと思っています。
私にとって人生はまだまだ未知数なのです。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


51-54ページ 『今あなたに知ってもらいたいこと』
著者: オノ・ヨーコ
2010年1月15日 第2刷発行
発行所: 株式会社幻冬舎

この文章を読んだときに僕はオノ・ヨーコさんが哀れで愚かで孤独で可哀想な70歳を過ぎた太田将宏老人のような人物を励ますために書いたのではないかと思ったわけだよ。

デンマンさんは、マジでそう思ってくれたのですか?

そうだよ! だから、少しは めれんげさんのように反省して、オマエの事を心配している人のことを想えよゥ!


(smilerol.gif)


わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

デンマンさんがオイラの気分を

つに高揚させてくれましたァ~。。。

しかもデンマンさんのおかげで

オイラは日本語が分かる

123ヵ国のネット市民の皆様にも

知れ渡ってしまうかも。。。

さらに、デンマンさんがオイラの気分を

ウハウハさせてくれました!

こうなったら、もうスキップしてしまおう!


(smilejp.gif)

ワぁ~♪~ うれしいなあああァ~。。。

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン

もひとつおまけにィ~

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン


(laugh16.gif)

やれやれぇ~。。。

馬鹿とは付き合いきれません。

あなただってそう思うでしょう!?

【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。
あたしは、太田さんの娘さんにも、奥様にもお会いした事はありません。
でも、娘さんは、二人とも カナダで女医さんになっているほどですもの。。。
娘さんにしても、奥様にしても、決して悪い人ではないと思いますわ。

それなのに、太田さんは 娘さんとも、奥様ともうまくやっていないという事は、
太田さんに、問題があると思うのです。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。
太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。
また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。
また、スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って 読者に登録してしまったりするものですわァ。
どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと
てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、
メールアドレスで登録したりすると、
あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには騙されないと思い込んでいるでしょう?
でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。
あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。
では。。。


(hand.gif)

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■ 『殺意を振りまく女』


(yuri03.jpg)

■ 『アメブロのウザい女』

■ 『ネット馬鹿の不満』

■ 『スパマー石原誠二』

■ 『eeepaiotsuバカ』

■ 『西海岸からのスパム』

■ 『シドニーの悪女』

■ 『相変わらず馬鹿か?』

■ 『馬鹿やめたのね?』

■ 『馬鹿やめて久しぶり』

■ 『馬鹿やって人気?』

■ 『悪事千里を走る』

■ 『悪縁を断つ』

■ 『失意の太田将宏』

■ 『悪縁を切れ!』

■ 『心の平穏』

■ 『レモンと孤独な老人』


(juneswim.jpg)


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ミッチブーム

2011年4月10日

 
ミッチブーム

大田区南馬込(まごめ)の三島邸は、女優で演出家の長岡輝子の家から路地をひとつ隔てたところにあった。
陽光に映える三島趣味のヴィクトリア朝コロニアル様式の白亜館が新築されて以来、長岡とは、芝居でのつき合いというよりも、むしろご近所のつき合いがあった。
自決事件(昭和45年11月25日)からしばらくして、長岡は手作りの惣菜を持って三島邸を訪れた。
夜食でもともにして、母親の倭文重(しずえ)夫人を慰めるつもりだった。
「…でもね、由紀夫さんは、自分のなさりたいことはぜんぶ成し遂げて、それこそ藤原道長の歌じゃないけれど、「望月」の本望がかなった方じゃありません?…」
と長岡はたずねた。
すると倭文重は、ややあって、
「今度はじめて、やっとあの子が本当にやりたかったことができたのですから、その意味では、男子の本懐を遂げたことになります。…でも、あの子には、ふたつだけ叶わなかったことがあります。
ひとつは…ノーベル文学賞をもらえなかったことです」
「ノーベル文学賞はおれが取るぞって、意気込んでいらしたからね…」
「それが川端先生に決まったとき、弟の千之(ちあき)に向かって、大声で、くやしい!と叫んでいました。…
それと、もうひとつは、結婚問題です。本命の人と結婚できなかったんです。…お見合いをして、不成立の縁談で、唯一、心残りの方がありました…」
「それは…どなた?…」
倭文重の顔は紅潮していた。
長岡は、ひと言も聞きもらすまいと耳を傾けた。
のちに皇太子妃になられて、時とともにあの子の意中の人として消えがたくなっていったようです。もし、美智子さんと出遭っていなければ、『豊饒の海』は書かなかったでしょうし、自決することもなかったでしょう…」

「でも、どのみち畳の上では死ねなかった方よ。…どこかに死に場所を探されたでしょうけれど…」

(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)


7 – 9ページ
『三島あるいは優雅なる復讐』
2010年8月26日 第1刷発行
著者: 高橋英郎
発行所: 株式会社 飛鳥新社

『アナクロニズム』に掲載
(2011年3月27日)

デンマンさん…どうしてまた亡くなった三島さんのことなど持ち出してきたのですか?

あのねぇ~、僕は『三島あるいは優雅なる復讐』を読むまで三島さんが若かりし頃、現在の皇后である正田美智子さんと見合いをしていたという事実を知らなかった。

個人的なことですもの知らないのが当たり前ですわ。 私だって知りませんでしたわ。

でもねぇ、三島ファンならば、おそらく知っているだろうと思うのですよ。 小百合さんは三島ファンではないでしょう!?

そうですわね。 私は自決するような人はどうも。。。

うししししし。。。やっぱり、そうですか? 確かに熱烈に応戦している作家があのような事件で死んでもらっては困るからねぇ。 熱烈な三島ファンならば、自分の命のように三島さんの命も大切ですよ。 三島さんが自決したことで、実際、それまでの三島ファンの半分が熱が冷めたと言っていたそうですよ。

あの事件でそれ程変わるものですか?

あのねぇ~、僕は三島ファンではないけれど、やっぱりあの事件には衝撃を受けましたよ。 愚かだ! 時代錯誤だ! 気が狂ってしまったのかア! 。。。と、いろいろ取りざたされたけれど、僕は雷の直撃を食らったようなショックでしたよ。 愚かだとか?時代錯誤だとか?気が狂ったとか?。。。そう言う以前の、何か。。。動物的な。。。本能的な。。。恐れ、感動、ショックでしたね。

確か。。。デンマンさんが初めて小説を読んだのは三島さんの『潮騒』だったのでしょう?

あれっ。。。小百合さんはよく知ってますねぇ~。。。

デンマンさんが書いた次の記事を読みましたわ。

恋愛小説だとか、エロい本は身の回りに無かった。そのような本を見た事が無かったですよ。父親の本棚にあった出産の本を見たのが初めての経験でした。だから小説を初めて読んだのは中学3年生の時でしたよ。

何を読んだのですか?

三島由紀夫の『潮騒』ですよ。

本屋さんで買ったのですか?

いや、そうじゃないんですよ。僕は本を買って読むと言う事を知らない。。。。つうかあ、本を買ってまで読む気が無かったのですよ。

それで、どういうわけで『潮騒』を読む気になったのですか?

たまたま隣に座っていた同じクラスの悦子さんが読んでいた。あんまり夢中になって読んでいたものだから、一体どんな事が書いてあるのだろうかと思って、興味に駆られて盗み読みしたのがきっかけだったんですよ。

それで、その悦子さんはデンマンさんが盗み読みしたことに気づいたのですか?

そうなんですよ。気づいたのですよ。

それで。。。。?

そんなに読みたいのならば貸してあげるわ、と言ってくれたのですよ。うれしかったですよ。

それで。。。?

もちろん、あの海辺の小屋でかがり火を焚いて若い二人が裸になる。。。なんと言ってもあの場面が僕の脳裏に残りましたよ。実は、その悦子さんは僕のオナペットだったのですよ。

それで、デンマンさんは、その悦子さんに愛の告白をなさったのですか?

それが出来なかったのですよ。


『エロい文学少女』より
(2007年4月11日)

そうなのですよう。 同じクラスの悦子さんが読んでいた本が『潮騒』だったのですよ。 それを僕はこっそりと盗み読みしたようなわけです。うししししし。。。

やっぱり意中の女の子が読む本は気になりましたか?

いや。。。意中の女の子というよりも、それまでの僕は本などを読んで何が面白いのだろうか? それが小説だということも想像できなかった。 とにかく、何が面白いのか? 悦子さんは何を求めてその本を読んでいるのか? 僕は好奇心に駆られて盗み読みしたのですよ。

。。。で、読んでみて、その面白みがデンマンさんにも判ったのですか?

うん。。。なんとなくと言うか。。。やっぱり男も女も年頃になると性的なことに興味と関心を持ち始めて、性の世界に誘(いざな)われてゆくものなんだと実感しましたよ。

でも、デンマンさんは“性の世界”と言いますけれど、悦子さんには“愛の世界”だったかもしれませんわ。

いや。。。“性の世界”であれ、“愛の世界”であれ、ワクワクするもの。。。秘密めいたものに惹かれたのですよ。。。そう言えば、小百合さんも中学生の時にエマニエル夫人の映画を見たのでしたよね。

このような事になるとデンマンさんの記憶は抜群なのですわね。うふふふふふ。。。

いや。。。小百合さんだけではないですよ。 めれんげさんだって小学生の時に「チャタレー夫人の恋人」を読んでいましたからね。

読書して怒られる

 

2006/05/11 14:16

子供のころから、
家にはたくさんの本がありました。

わたしは江戸川乱歩の少年探偵団を、
よく読んでいたのですが、
そのうち、飽き足らなくなったのか、
親が持っていた「江戸川乱歩全集」を、
愛読するようになりました。

しかし。
その全集には、
横尾忠則氏の挿絵がついていて、
えっちなんです。
なので、親には読んじゃダメと
言われていました。
(だったら、かくしといてくれ)

わたしはこっそりかくれて、
そのえっちな江戸川乱歩の本を、
読んでいたのでした。
しょっちゅう見つかって、怒られました。

さらに。
印象的なのが
「チャタレイ夫人の恋人」です。
もちろん禁止本です。
禁止されたら、読むに決まってます。

・・・ませガキ。
・・・エロガキ。

by めれんげ


「めれんげの日記」
『だれかつっこみいれて!』より

『エロい文学少女』に掲載
(2007年4月11日)

多分、誰にでも“性の世界”や“愛の世界”を知るようになったという本や映画があるのかもしれませんわね?

僕もそのように思いますよ。

ところでミッチーブームって私は知らないのですけれど、それ程すごかったのですか?

そう言えばミッチーブームの時には小百合さんはまだ生まれていなかったのですよね。 うへへへへへ。。。

そうですわ。 だから、アメリカのミッチ・ミラー合唱団のブームかと思いましたわ。

あのねぇ~、三島さんも美智子さんと結婚できなくて残念がったように、美智子さんのブームはすごかったのですよう。

ミッチー・ブーム

ミッチー・ブームとは、正田美智子(当時)が1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて、日本の皇太子・明仁親王(当時)と婚約して結婚することにより生じた社会現象。
民間人である美智子が、皇太子の「テニスコートでの自由恋愛」により結婚に至ったこと、美智子がカトリックのミッション系大学出身者であったことなどをマスメディアが報道し、大きな話題となる。
これを契機にテレビが普及するなど、戦後日本の経済、ファッション、マスメディアなどの領域で、社会に大きな影響を与えた。

第二次世界大戦後、1956年(昭和31年)の経済白書が「もはや戦後ではない」と明記し、景気が上昇していた中で、宮内庁は1958年(昭和33年)11月27日、皇室会議が日清製粉社長正田英三郎の長女・美智子を皇太子妃に迎えることを可決したと発表する。
1957年(昭和32年)に聖心女子大学英文科を卒業していた美智子は、その年の夏、皇太子と軽井沢で親善テニス・トーナメントの対戦を通じて出会い、皇太子は美智子の人柄に惹かれて自ら妃候補にと言及したと報道され、皇族か五摂家といった特定の華族から選ばれる皇室の慣例を破り、財界出身とはいえ初の平民出身皇太子妃として注目の的となった。
昭和天皇は「皇室に新しい血を」という意向だったとされている。
正田家は家柄が違い過ぎるとして当初、固辞の姿勢を見せたが、皇太子の「柳行李一つで来てください」との言葉が決め手となって決心を固めたと報道された。
しかしこの報道は事実ではなく(「ご学友」橋本明の創作)、のち2001年(平成13年)に行われた天皇の記者会見では「このようなことは私は一言も口にしませんでした」と強く否定、プライバシーと尊厳の重要性に言及し、報道のあり方に疑問を投げかけている。

美智子がテニスで着ていた白地のVネックセーターや白い服装、身につけていたヘアバンド、カメオのブローチ、ストール、白の長手袋などのいわゆるミッチースタイルと呼ばれたファッションが大流行し、ヘアバンドはミッチーバンドと名付けられている。
宮内庁で行われた11月27日の婚約記者会見で美智子が「とてもご清潔でご誠実なご立派な方で心からご信頼申し上げ」と皇太子の印象を述べた発言が大きな注目を集め、「ご清潔でご誠実」は、流行語になった。

マスメディアは「昭和のシンデレラ」あるいは「世紀のご成婚」と銘打ち、美智子の生い立ちや、皇太子との交際などを詳報、週刊誌は1956年(昭和31年)の『週刊新潮』創刊をきっかけに、1957年(昭和32年)創刊の『週刊女性』(主婦と生活社)、1958年(昭和33年)の『週刊女性自身』(光文社)、『週刊明星』(集英社)、『週刊大衆』(双葉社)、『週刊実話』などの創刊が相次ぐ「週刊誌ブーム」が起きており、週刊誌・女性週刊誌の報道競争が過熱していた。「ご成婚」は週刊誌メディアにとって格好の題材・素材となって週刊誌の売り上げが伸び、さらに週刊誌記事を通じて皇室情報が一般人に浸透することとなった。

これら社会現象は婚約発表のその年に、美智子の愛称「ミッチー」に由来して「ミッチー・ブーム」と名付けられ、以後、この呼称が社会的に定着。
同年12月1日に日本銀行が一万円券(いわゆる一万円札)を発行、股上が極端に短い新作パンティー「スキャンティー」を発表するなど女性下着ブームの火つけ役となって女性下着の歴史に画期をなしたファッションデザイナー鴨居羊子が『下着ぶんか論 解放された下着とその下着観』を上梓、インスタントラーメンの元祖チキンラーメンが発売され、またロカビリーブームが起こるなど、この年に多くの人々が景気の上昇を実感する時代を迎え、本格的な消費社会の入口にさしかかっていたことが、経済的にミッチー・ブームを支える背景となっていた。
また首都圏広域の電波送信を可能にする東京タワーが12月23日に完成、マスメディアの領域ではテレビ放送時代の幕開けの準備が整う。
このような時代背景の中で、ミッチーブームは、戦後の明るい話題として取り上げられた。

皇太子明仁親王と正田美智子の結婚の儀翌1959年(昭和34年)4月10日の、いわゆる結婚式(「結婚の儀」「御成婚」)と、実況生中継されたパレード(ご成婚パレード)で、ミッチー・ブームは頂点に達する。
皇居から渋谷の東宮仮御所までの8.18キロを馬車、あるいはロールス・ロイスのオープンカーが目抜き通りを走るパレード沿道には、53万人の群衆が詰めかけた。

パレードに先立ち、テレビのメーカー各社は競って宣伝を行なったため消費者は実況生中継を見ようとし、テレビの売り上げが急伸、パレードの一週間前に NHK の受信契約数(いわゆる普及率)は、200万台を突破。またテレビ製造メーカー、週刊誌各社は大量消費社会へのテイクオフ(離陸)を果たし、テレビコマーシャルや週刊誌の消費が伸びる契機となった。

日本の経済、ファッション、マスメディアなどの変遷を語る上でエポックとなった空前のミッチー・ブームが起きたちょうどそのころ、日本の経済は岩戸景気に突入し、高度経済成長時代を迎える。
マスメディアはその後も彼女の皇太子妃としての生活(第一子「浩宮」誕生、第二子「礼宮」誕生、子育て)などの様子を頻繁に取り上げ、美智子妃は国民にとっての「象徴」としての役割、すなわちいわば「憧れ」の対象としての地位を確立してゆく。
政治学者の松下圭一は、これら一連の「ミッチー・ブーム」社会現象を切り口にして天皇制を分析した著作「大衆天皇制論」を1959年(昭和34年)に著している。
2005年(平成17年)出版のDVDブック「昭和ニッポン」(第8巻『美智子さまブームと東京タワー』など全24巻)を共同執筆した横浜市立大学助教授の古川隆久は、ミッチー・ブーム前後のメディアの皇室報道を検証して「逆説的ですが、民間人出身の皇太子妃が誕生したことで、国民は皇室との距離を実感してしまったのではないか」と分析している。

(注: 写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

皇室が戦後になっても日本人の身近に感じられるようになったのは民間人出身の美智子さんが皇室に入ったからだと僕も思いましたよ。

あらっ。。。デンマンさんも、そう思ったのですか?

あのねぇ~、実は、僕の親父までが美智子ファンになってしまったのですよ。

マジで。。。?

僕も半分呆れていましたよ。 でも、三島さんまでが美智子さんに消し去りがたい魅力を感じたのだから、僕のオヤジが美智子ファンになっても特別不思議な事ではないとも思いましたね。

あのォ~。。。、デンマンさんのお父さんってぇ黒豚トンカツを食べた時に、お店の人にも無視されたのでしょう? うふふふふふ。。。

あれっ。。。小百合さんは、そんな事まで知っているのですか?

デンマンさんが次のように話していたではありませんか!

黒豚トンカツが旨いとみえて、あのお店は混んでいたわね。 私が最初にそのお店のドアを開けて入ったのだけれど、お店の人は誰もが忙しそうに立ち働いていて私に気づかなかった様子だったわ。 次にお父ちゃん(僕のオヤジ)がお店に入ったのだけれど、お店の人は相変わらず忙しそうで、お父ちゃんにも気づかないようなのよねぇ。 でも、次にあんた(僕のことです)が入ったと思ったら、お店の奥に居る人も、ウェイトレスも、皆、声を合わせるように「らっしゃい! イラッシャイ いらっしゃい! ラッシャイ!。。。」
まるで、どこかの大旦那が入ってきたように急に態度が変わったのよ! まったくアレッて、どういうのかしら? 私はどこかの、しょうもないバアさんだと思われたらしいわ。 全く無視されたのよ。 まあ。。。私が無視されたのは分かるけれど、小学校の校長先生まで勤め上げたお父ちゃんまでが無視されたのよ。。。
あんたには不思議なオーラがあるみたいなのよねぇ~。

お袋。。。僻(ひが)むなよ。。。商売人は誰がサイフを持っているかを見極めるカンがあるんだよ! 金を払う人に対して気持ちを込めて「いらっしゃい!」と言うんだよ。

何言ってんのよ! お金を払ったのは私なのよ。


『黒豚トンカツ(2011年3月26日)』より

そうなのですよ。。。こういう事があったのですよ。

つまり、デンマンさんのお父さんは校長先生になったけれど、あまり風采が上がらないようなタイプなのですか?

どちらかと言えば小柄で、見た目がパッとしないような。。。とりわけ人目を惹きつけるようなタイプではなかったですよ。

でも、デンマンさんだって大旦那のように見えるとは。。。私は思いませんけれど。。。うふふふふふ。。。

あのねぇ~、相対的な問題なのですよう。 黒豚トンカツ屋に入った時に、どちらが財布を出して金を払うか? 当時の親父は退職していた。 僕はカナダからやって来て、いかにも“洋行帰り”と言った感じでしたよ。 どこかしら平均的な日本人とは違って見えたのでしょうね。 お店の人の目にはオヤジよりも僕の方が常連さんになればいいな、と見えたわけですよ。

そんな感じのデンマンさんのお父さんが美智子ファンになられたのですか?

そうなのですよ。 しかも、当時は平教員だった。 美智子さんが書いた詩を基に作曲して、自分の受け持ちのクラスの生徒に歌わせて、それをテープに吹き込んで美智子さんに贈ったという、ちょっと信じられないような事をしたのですよ。

それで美智子さんは受け取ったのですか?

それが、受け取ってテープを聴いたようなのですよう。

どうして、そのような事がデンマンさんに判るのですか?

あのねぇ~、美智子さんの自筆の手紙ではないけれど、多分、宮内省から派遣されている秘書の方だと思うのですよ。 その人が丁寧にお礼の手紙を書いて僕のオヤジに送ってよこした。 その手紙が僕の実家の床の間に飾られて“これを家宝にするんだ”とオヤジがマジで得意になっていましたよ。

マジで。。。?

僕は大真面目ですよ。 多分、今でも床の間に飾られてると思いますよ。 今度、小百合さんが行田に来た時には僕が見せます。

でも、デンマンさんのお父さんは小学校だけしか出てないのでしょう?

そうですよ。 独学で小学校の教員免許を取った人なのです。

。。。で、音楽も独学だったのですか?

そうなのですよ。 音楽の先生になり手がないので、音楽を取ると先生になり易かった、というような話を直接オヤジから聞いたような覚えがありますよ。

ピアノはどうしたのですか?

先生の免許を取る前に、オヤジは僕の母校でもある行田市立中央小学校の給仕をしていた。 だから講堂にあるピアノを使って独学したのですよ。 そのピアノは僕が小学校に上がった時にもありました。 しかも家に帰ってくると、印刷された鍵盤を畳の上に広げて練習していたそうです。 先生になってからも。。。僕が生まれてからも、家ではよくその印刷された鍵盤の長い紙を広げて練習していました。 僕が2歳か3歳の頃、親父の真似をしてその紙を持ち出しては、同じように指を動かしていたと、お袋が面白そうに話していましたよ。

でも、音が出ないでしょう?

もちろんですよ。 要するに、指の運び方を鍵盤が印刷された長い紙の上で練習していたのですよ。

作曲まで独学ですか?

あとで親父に尋ねたら作曲は、ある先生に師事して勉強したと言ってましたよ。 その作曲家の名前までは思い出せませんが。。。

でも、どうして美智子ファンになったのですか?

あのねぇ~、親父にとって皇室は悪いイメージだったに違いない。 昭和天皇のために戦争しなければならなかった。 死ぬ目にあったのですよう。 小学校の先生になったけれど、赤紙で召集されて満州に飛ばされましたからね。。。、それから沖縄に転戦したのです。

あの激戦地にですか。。。? よく生きていましたわね?

沖縄本島ではなく宮古島に駐屯させられたので助かったと言ってましたよ。 その時、オヤジが戦死していれば、当然、戦後に僕は生まれなかったのですよ。 宮古島では食料が無くてカタツムリを食べて生き抜いたと言ってましたね。 それだけ苦労させられたのに皇室に対して好感を持っていられたのは、やっぱり民間人の美智子さんが皇室に入ったということが大きな理由なのだと僕には思えましたね。 美智子さんの実家は小百合さんが生まれ育った館林。。。行田とは目と鼻の先ですよ。

そう言われてみるとデンマンさんにもお父さんの血が流れているのが良く分かりましたわ。

ほおォ~。。。また、どうして。。。?

デンマンさんも独学でピアノを習って意中の人・恵美子さんの前で「乙女の祈り」を弾いて聞かせたと言っていたじゃありませんか!?

あれっ。。。小百合さんは、そんな事まで知っているのですか?

いやですわ。。。次の記事の中でデンマンさんは自慢そうに書いていたではありませんか!

『クラシック興味ある?』

(2006年6月13日)

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
想い返せば、あたくしも幼い時に母に言われてピアノを勉強させられたのでござ~♪~ますわ。
でも、音楽的な才能が無かったのだと思います。
まったく練習に興味がわかなくて、結局投げ出してしまったのですわ。
それ以来、クラシックには全く興味がもてなくなって、
音楽といえばビートルズでござ~♪~ましたわ。

“キャ~ 素敵ィ~♪~”

あなたはいかがですか?
ピアノを弾いたことがござ~♪~ますか?
ええっ。。。あるのォ~。。。?
仕方なく弾かされたのでしょう!?

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

黒豚トンカツが出てきましたけれど、

あたくしも日本でトンカツをいただいたことがありますわ。

美味しかったですわ。

でも、わたしはポークよりもビーフの方が好きです。

デンマンさんが久しぶりにご馳走してくれると言うので

イングリッシュベイを散歩しながら

シルビアホテルの近くの

イタリア・フランス料理専門レストランへ行きました。

デンマンさんが、何が食べたいの?ときくので、

ちょっとおねだりして仔牛と

フォアグラのローストをリクエストしました。

う~♪~ん。 期待していた通りですう。

仔牛は、フランス語で「ヴォー」veau、

英語では「ヴィール」vealですよね。

まだ脂肪が少なくて赤い色も薄い感じです。

特徴は香りやクセがなく、

とても柔らかいのですわ。

その分、バターなどコクのある食材と

あわせる場面が多いようです。

今回は春キャベツで包んだ乳飲仔牛と

フォアグラのローストです。

マルサラ酒とリコッタチーズのソースが

とっても合っていました。

2色のアスパラガスが添えてあって、

落ち着いた感じを与えています。

フレッシュでクセの無い乳飲仔牛に合わせるのは

贅沢にも濃厚なフォアグラですう。

やわらかな春キャベツと季節のアスパラは、

お肉とぴったりと相性が合っていましたよ。

ソースはしっかり目に全体をまとめていました。

普段、口にする機会がないヴィールと

フォアグラなので、とっても期待していました。

デンマンさんが特別に注文してくれた

カクテル「楊貴妃」が、まず出てきました。

わたしが首を長くして待っている間

デンマンさんは楊貴妃の大理石像を見るために

わざわざ中国の西安に行ったときの事を、

いろいろと話してくれました。

料理が出てくるのを待ちながら、

わたしは「楊貴妃」をチビリチビリお口に運びました。

いつものようにデンマンさんは、

かなり詳しい歴史のお話をしてくれましたが、

わたしは半分、上の空で聞いていました。

うふふふふ。。。

次に出てきたのはイタリア料理の

バヴェッティーネでした。

焼穴子、あさりと松茸に、たっぷりの

芽葱(ネギのスプラウト)があしらってありました。

食べた瞬間、京都の老舗(しにせ)で味わうような

上質の和食を連想させる優しい味わいでした。

そして、デザートにはクレームエペスでした。

クレームエペスと言うのは、

フランス・ノルマンディー地方の

生クリームの一種です。

乳酸発酵させた爽やかな

酸味と芳醇なコクが特徴です。

クリーミーなヨーグルトといった感じの味わいですわ。

エペス(epaisse)とはフランス語で

「厚い」「濃い」という意味の形容詞で、

その味わいを表現しています。

なぜか、どこか懐かしいキュートなテイストでしたわ。

フレッシュな巨峰との相性が抜群でした。

お酒を絶対に口にしないデンマンさんが、

その場の雰囲気にすっかり酔ってしまったように、

わたしにちょっとベタベタした一幕もありましたわ。

「ジューンさん、ボーイフレンドと別れてから、

寂しくない?」

「あらっ。。。、どうして別れたことを

ご存知なのですか?」

「僕は地獄耳を持っているからね、

うへへへへ。。。ちょっと、このあと、

僕のマンションに寄らない。。。?」

「ええ。。。そうしたいのですけれど。。。

わたし、明日は仕事で朝が早いのですわ」

「僕が起こしてあげるから。。。うしししし。。。」

「でも、デンマンさんのところには

目覚ましがないから、

わたし、やっぱり自分のマンションに

まっすぐに帰りますわぁ」

デンマンさんはガッカリしていましたわ。

でも、思慮分別のある心の広い方ですから、

キレることもなく、ムカつく事もなく、

私のマンションまでエスコートしてくださいました。

ただし、お休みのキスは、

かな~♪~りディープになって長かったのですわ。

あまり長くなるとちょっと問題ですので、

「もうやめて」と言うつもりで、

舌を咬ませてもらいましたわ。

うふふふふ。。。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいですから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。