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マルタ島のロマン

2014年8月15日

 

マルタ島のロマン

 


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(medmap.png)


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デンマンさん。。。 今日は地中海の島巡りのお話ですか?


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ジューンさんも僕と一緒に旅した地中海の旅が懐かしいでしょう!?

でも、そういう個人的な旅のお話ってぇ、この記事をお読みになるネット市民の皆様には退屈だと思いますわァ。

だから、個人的な話をするつもりはないのですよ。

だったら、どうして わたしが写っているマルタ島の写真などを貼り付けたのですか?

ジューンさんのファンがたくさんいるからですよ。 (微笑)

つまり、わたしはデンマンさんの記事のカバーガールですか?

いけませんか?

そんな事より、どうして急にマルタ島のロマンを持ち出してきたのですか?

あのねぇ~、実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら 次の箇所に出くわしたのですよ。

地中海の底が見えていた


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豆知識: 地中海は、今から500~600万年前に干上がってしまったことがある。 (74ページ)

人類への進化

およそ500万年前、チンパンジーに進化する類人猿と人類へと進化する猿人(アウストラロピテクスなど)が分かれた。
なぜ類人猿と人類は別々の進化の道をたどったのだろうか?
これに対して、「イーストサイド物語」と名付けられた仮説が有力視されている。

人類の祖先の化石は、多くがアフリカの大地溝帯やその東側の乾燥したサバンナで見つかっている。
一方、類人猿は西側の森にしか生息していない。

アフリカの大地溝帯の形成は、今から1000万年前~500万年前に始まっており、人類誕生とほぼ同一の時代なのだ。
大地溝帯は、マントルのホットプルームのはたらきで火山活動が活発になって大地が隆起し、次いで中心が溝になって東西に分裂し始めている場所である。
大西洋からの西風が運んでくる湿った気流は、大地溝帯の高地の西側で上昇気流となって雨を降らせてしまい、東側へきたときにはすでに乾燥してしまう。

このため、大地溝帯とその東側の森は、サバンナに変わった。
森が縮小したため住んでいた類人猿は、サバンナに降りて食べ物を探す必要が生じ、二足歩行や手の使用が始まった。
ここから人類への進化が始まったというわけである。


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豆知識: 2002年にアフリカ中央部のチャドで、600~700万円前の人類化石「サヘラントロプス・チャデンシス」が発見され、「イーストサイド物語」に異論を唱える説が現れている。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)


84-85ページ 『地球のしくみ』
編者: 新星出版社編集部
2007年11月25日 発行
発行所: 株式会社 学研パブリッシング

地中海が、今から500~600万年前に干上がった事実と“マルタ島のロマン”が関係あるのですか? 

もちろんですよ。 だから、上の本の中から僕が気になった箇所を引用したのです。 

でも、そもそも“マルタ島のロマン”ってぇ、どういうことですか?

あのねぇ~、ジューンさんと、かれこれ10年ほど前にクレタ島とマルタ島の古代文明について語り合ったことがあるのですよう。 もう忘れてしまったでしょう!?

デンマンさん。。。 ネットで3年前は一昔ですわ。 10年も前のことは大昔ではありませんかァ! 覚えてませんわ。

じゃあ、ジューンさんのためにも ここに書き出しますから、じっくりと読んでみてください。

クレタ島のパリジャンヌ


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“Ladies in Blue”—fresco from Knossos, 16th century BC.

上の写真に見るとおり、今から4000年前のクレタ島の女性は、結構ナウい、ファッショナブルな女だったんですよ。 クレタ文明を発掘した考古学者アーサー・エヴァンズがフラスコ画に描かれていた彼女たちを見て、思わず“可愛いパリジェンヌ”と叫んだというエピソードが伝わっているほどです。 4000年前とは思えないほど現代的なセンスを持っていると思いませんか?

言われてみれば確かに現代的なファッションを感じさせますね。

でしょう?


(parisienne5.gif)

Cretan Parisienne in full view

全身を表すとこんな感じになりますよ。 どうですか?

ちょっとスカートが長すぎるようですね。

確かに長いですよ。 でもね、19世紀のパリの本物のパリジェンヌと比べてみてください。


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どちらの女性と喫茶店に入りたいですか?と問われれば、僕はおそらくクレタ島の女性に声をかけるでしょうね。

そうですか?

そうですよ。 第一、こんなでかい幅広のスカートをはいた女性と喫茶店へ入ってみてくださいよ。 周りの人が迷惑そうな顔をしますよ。

確かに、近頃の喫茶店ではテーブルが、バタバタと倒れてしまうでしょうね。

とにかく、上の二人の格好を見比べると19世紀のパリジェンヌの方がダサいですよ。クレタ島の女性の方がモダンな感じがしませんか?

そうですね。。。

19世紀の女性と比較するのでは、時代が違いすぎるので、同じ時代のエジプトの女性と比べてみましょう。 次の絵の中の女性たちは 今から3500年から3000年前の服装をしています。 上のクレタ島の“パリジェンヌ”とほぼ同じ時代です。


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一目見ただけでも、エジプトの女性の方がシンプルですよね。。。というか、言葉は悪いですが“土人スタイル”ですよね。 クレタの女たちよりも原始的な感じがします。我々の眼には、どう見てもクレタ島の女性の方が現代的な印象を与えます。 そう思いませんか?

確かにこの写真で比べるとそうですね。

僕がクレタ文明にロマンを感じるのはそのような理由ですよ。 ヘアスタイルといい現代風なスカートといいセックスアピールする胴着といい、19世紀のパリジェンヌよりもパリジェンヌらしいところがありますよ。

フープ・スカートは、どう見ても時代遅れなので、そのように映るのではないですか?

それだけじゃなくて、例えば当時上流社会で流行していた胸を見せる短い胴着(bolero)を身に着けていますよ。当時も細いウエストが好まれたそうです。

確かにファッションを見ると現代的なところがありますね。でも、それだけでは女性のパラダイス、女神の国とは言えないのではないですか?

もちろん、それだけで決め付けるつもりはありません。他にも理由があるんですよ。

どんな?

クレタ文明が栄えた紀元前18世紀から16世紀には実権を持っていたのは王ではなく大巫女だったんだ。

大巫女ですか?

そう。 英語で言うならHigh priestessですよ。

つまり女王ということですか?

女性だから、女王と言ってもいいんだけれど、やはり宗教的な性格が強かったらしい。中世のローマ法王のような権力を持っていたと思えば間違いないよ。

王様は居なかったのですか?

形式的な王様は居たらしい。 でも、実権はなかったようです。

でも、ミノアと言う名前はそもそも王様の名前でしょう?

そのとおりです。

 (中略)

クレタ島は母系社会だったんです。話せば長くなるんですが、紀元前4000年頃までは、 ヨーロッパは全域にわたって母系社会だったんですよ。

どうしてそのようなことが言えるのですか?

実は、他のページにこのことを書いたんですよ。でも、英語なんです。まだ訳していません。とりあえず、写真だけここに貼り付けます。


(huyukmother.jpg)

Enthroned Birthing Goddess

from Çatal Hüyük 5700 BC.

(The head was restored.)


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わああ、すごーく太った女性が出てきましたね。

この女神は紀元前5700年頃、人が住んでいたチャタル・ヒュユク(Çatal Hüyük)と呼ばれる集落の遺跡から出てきたんですよ。場所は上の地図の小アジアの中に見つけることができます。

この女神が出てきたから母系社会だというのですか?

この女神だけじゃなく、とにかく圧倒的に女神が多いんですよ。ジューンさんはこの小アジアがアナトリア(Anatolia)と呼ばれていることを知っているでしょう?

ええ、知ってますよ。

じゃあ、その意味は何だと思いますか?

意味があるのですか?

あるんですよ。“女神がたくさん居る土地”と言う意味なんです。とにかく母系社会だということを考古学者が出土品からも確認しています。

アナトリア以外からもこのような女神は出てきたのですか?

マルタ島からも見つかっています。


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“Venus of Malta”


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“The Sleeping Venus of Malta”

マルタ文明もやはり母系社会だったのですか?

そうです。

それがどうして父系社会になってしまったのですか?

すでに言ったように、紀元前4000年頃を境にヨーロッパには人類の大移動があったんですよ。

やはり気候と関係あるのですか?

そうらしい。この時は半農半牧を営むインド=ヨーロッパ語族の祖先がヨーロッパ中・東部に侵入・定住したんです。 ジューンさんの遠い祖先の皆さんですよ。 もちろんこの人たちは現在と同様、父系社会を形成していました。

そうなんですか?

そうですよ。 現在は男女同権といわれていますが、基本的には父系社会ですよね。 たいてい父系の姓を名乗ります。 この父系社会というのは戦争が強いんです。 アナトリアの社会でもクレタの社会でも、大きな戦争と言うものがなかった。その事は遺跡からも確認されています。

つまり戦いに弱い母系社会は戦争に強い父系社会の集団に追われるような形でクレタ島やマルタ島に移り住んだと言うわけですか?

そういうことです。

では、クレタ島のミノア王はどう説明されるのですか?

ミノア王の伝説はアカイア人がギリシャ本土から乗っ取りに来てからできた話なんですよ。 それまではミノア王みたいな男の権力者は居なかったんです。

つまり、大巫女さんが実権を握っていたと言うわけですか?

その通りですよ。


『ラピスラズリと美女アメニア(クレタ島)』より
(2005年7月13日)

“クレタ島のロマン”は“パリジェンヌ”が出てくるので、なんとなく解るような気がしますが、マルタ島の“ビーナス”はデンマンさんの好みのタイプではないでしょう!?

ちょっと、と言うよりも、かなり太っていますよねぇ~。 うへへへへへ。。。

それなのに、どうして“マルタ島のロマン”なのですか?

あのねぇ~。。。 そこですよ。。。 上の本を読んでいたら、地中海は、今から500~600万年前に干上がってしまったことがあると書いてある。

だから。。。?

もう一度次の地図を見てください。


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クレタ島の北に“サントリー二島”という小さな火山島があるのですよ。


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ああらっ。。。 懐かしいですわあああァ~。。。

ジューンさん!。。。 懐かしんでいる場合じゃないのですよ。 “マルタ島のロマン”ですからねぇ~。。。

このサントリーニ島が“マルタ島のロマン”と関係あるのですか?

大有りですよ。 このサントリーニ島が あの伝説の“アトランティス”じゃないか!?と考えている人が結構たくさんいる。

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デンマンさんもサントリーニ島が あの伝説の“アトランティス”だと考えているのですか?

いや。。。 無理にサントリーニ島と あの伝説の“アトランティス”を結びつける必要はないのですよ。 “アトランティス”は実際にあったと僕は思うのです。 でも それは、伝説のように大西洋の沖にあったのではなくて、地中海の底に 今でも遺跡として横たわっていると、僕は考えているのです。 つまり、地中海が干上がったことは何度かあった、と僕は仮定しているのですよ。 その何度目かに、高度に発達した文明が地中海の底近くにあった。


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地中海の底にあった“アトランティス”

ところが、やがて氷河が溶け出して大西洋の水位が上がって、閉まっていたジブラルタル海峡の上を乗り越えて海水が滝のように流れ込んだ。


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大洪水となって“アトランティス”の住民を押し流してゆく。


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そして、現在、“アトランティス”の遺跡は地中海の底にある。

(atlantis2.jpg+cleoani.gif)

この生き残った人たちの子孫が、あるグループはマルタ島に残って巨石文明を、他のグループはクレタ島に残ってミノア文明を、また エジプトに渡った人たちはピラミッドを作ったのですよ。 僕は、そう考えたのです。 これが僕の“マルタ島のロマン”ですよ。


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【デンマンの独り言】

ところで、エジプトのギザのピラミッドは誰が何のために造ったのか?
伝統的な歴史家の解釈では、古代エジプト人がファラオのお墓にするために造ったということになっています。

しかし、最近、人類学者、地質学者、土木技術者、天文学者、地球物理学者、考古学者、自称歴史学者などによる、新たな発掘や、発見などから、ピラミッドがファラオのお墓であるという解釈は退(しりぞ)けられています。
少なくとも、ギザのあの3つのピラミッドは墓ではないという見方が大勢を占めています。

それに、いつ頃 あのギザのピラミッドが造られたのか?
いわゆる“エジプトロジー学会”の言うところではピラミッドは 2575BC から 2150 BCにかけて造られたということになっています。

しかし、この考え方にも疑問を持っている研究者は多数います。
例えば、ギザの三大ピラミッドおよびナイル川の(当時の)流れ、そして他の多数のピラミッドとの配置に着目し、ピラミッド群は現在から1万500年前の天体の配置を模したものであるという説もあります。
すなわち、ナイルが天の川で、三大ピラミッドがオリオン座のベルト、即ち中央を横切る三つ星に相当、他のピラミッドも星の位置に対応しそれを反映しているということです。
三大ピラミッドのうち、メンカウラー王のピラミッドが他の2つの頂点を結んだ線からずれている点、大きさも他の2つよりも小さいことについて説明する有力な説とも言われています。
ただし、この説はいわゆる“エジプトロジー学会”では認められていません。

ちなみに、聖書は地球の年齢を約6,000年と教えています。
おそらく一部の狂信的な聖書信奉者を除いて、地球の年齢が約6,000年だと考えている人は居ないでしょう!
つまり、ダーウィンの『種の起源』が1859年に出版される以前は、多くの人が地球の年齢が約6,000年だと考えていたのです。
それから、まだ200年経っていません!

要するに、“エジプトロジー学会”の定説は、言ってみれば“聖書の教え”のような教条主義に陥(おちい)っているようです。
そのような教条主義から脱却して、意欲的で、自由な、創造的な発想でエジプトロジーを考える動きがすでに始まっています。
次に示すビデオ・クリップは3時間以上に渡る長いものですが、そのような人たちによる 新しいエジプトロジーの動きです。
英語ですが、映像がふんだんにあって、講義はありません。
実に興味深いビデオです。
3時間見る価値があります。

どうでした?
上のビデオを見ると、最近のエジプトロジーの動向と未来が見えてくると思います。

ところで、ジューンさんと僕の対話の記事は他にもたくさんあります。
時間があったら、下の記事も読んでみてください。
じゃあねぇ~。


ジューンさんの熟女下着
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『あらっ、パンツが…』

『わたし的にはOKです』

『国際感覚ダントツ』

『下つき肥後ずいき』

『おばさんの下着』

『海に佇むロトの妻』

『紅のおばさんパンツ』

『白人女性志向』

『肥後ずいきとおばさんパンツ』

『ジューンさんとトイさん』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
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『国際化でおばさんバンザイ!』

『真夜中の乙女たち』

『熟女下着』

『熟女下着に見るSEO』

『ノートルダムからジェーン・エア』

『ジューンさん、人気が出てますよ』

『ジューンさんの下着姿』

『脳と恋とチョコレート』

『ジューンさんの人気』

『白い下着の熟女』

『床上手な女と塩野七生』

『白い熟女の誘惑』

『寒中水泳 女の子』

『ヤノマミの1万年』

『レダの卵』

『おばさんパンツ熟考』

『べティーさんの優雅なお尻』

『ん?デンマンの正体?』

『臭いにチョーこだわる人』

『目が痛いの?』

『自動翻訳ダメなの?』

『まりちゃんの夢と希望』

『まりちゃんの希望の翼』

『世界に散らばる日本人の輪』

『カナダの式典は2倍長いの?』

『黒い白鳥』

『カスカディアと自己顕示欲』

『ハワイからいいね、いいね』

『瓜とジューンさん』

『プロメテウスの黒い白鳥』

『ジャズ・フェスティバル』

『仲間はずれはどれ?』

『FBI捜査官のツブヤキ・ガイド』

『147歳の誕生日』

『均質的思考は日本人のクセなの?』

『今、おばさん下着がアツイ!』

『きびしい暮しの中のロマン』

『下着女装ブログ』

『BCデーと日本の花火』

『小役人が日本を滅ぼす』

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださね。

じゃあ、またァ~。。。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事



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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


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『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『天智天皇は暗殺された』
(2003年7月14日)

『アナクロニズム(2011年3月27日)』


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吉田兼好とアレクサンダー

2014年1月21日

 
 
 
吉田兼好とアレクサンダー
 

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デンマンさん。。。 吉田兼好というのは『徒然草』の作者でござ~ますか?


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それ以外にはちょっと考えられないでしょう!?

でも、アレクサンダーがあの有名なアレクサンダー大王だとすると、二人の間には何も接点がないじゃござ~ませんかァ~!

一見、何も接点がないように見えて実はあるのですよ。

でも、二人の生きていた時代が全く違うではござ~ませんかァ!

あのねぇ~、生きていた時代が違っていても思想的に、あるいは観念的に接点がある場合もありますよ。 例えば、仏教の開祖・ガウタマ・シッダールタと聖徳太子は生きていた時代は違っていても、聖徳太子がガウタマ・シッダールタを篤(あつ)く敬(うやま)っていたという点で二人には接点があるのですよ。

つまり、吉田兼好はアレキサンダー大王を篤く敬っていたとデンマンさんは言うのですか?

いや。。。 そのような事実はないと思いますよ。 まず間違いなく、吉田兼好はアレクサンダー大王が歴史的人物であったことも知らなかったと思うのですよ。

それなのに、どうして「吉田兼好とアレクサンダー」というタイトルのしたのでござ~ますか?

だから、二人の間には観念的に接点があるからですよ。

その観念的に接点があるというのは一体どういうことでござ~ますか?

あのねぇ~、実は、バンクーバー市立図書館から本を借りて読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。

一芸の極みは慎重にあり


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兼好法師は、道を究めた人の話が好きで、40歳過ぎになって書かれた後半部分にその記載が多いのは、齢をとるにしたがって見えてくるものを伝えたかったのであろう。
達人・名人話は王道へつながる。

まず、第185段に乗馬の達人の話が出てくる。
城陸奥守泰盛(じょうのむつのかみやすもり)という馬乗りの名人がいた。
馬を引き出させたときに、足を揃えて門のしきいをひらりと飛び越えるのを見て、「これは気の荒い馬だ」と言って乗らなかった。
また、馬が足を伸ばしたままで、しきいに蹴あてると、「これは鈍感な馬で、こんな馬に乗ったら失敗するだろう」と言って乗らなかった。
というエピソードを紹介して、次のような感想を述べている。

道を知らざらん人、かばかり恐れなんや

(乗馬の道に通じていないような人は、どうしてこれほどまでに用心するだろうか)

物をよく知っているからこそ、慎重になる。
ごく当たり前のことでありながら、われわれが実生活の中で見過ごしてしまいがちなことを、兼好はここでも説いている。


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NHK まんがで読む古典

徒然草 19段前半

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


36-37 ページ 
『転ばぬ先の転んだ後の 「徒然草」の知恵』
著者: 嵐山光三郎
2012年4月10日 第1刷発行
発行所: 株式会社 集英社

つまり、上の文章を読んで、このエピソードこそ王道へつながる達人・名人話だと思ってデンマンさんは感動したのでござ~ますか?

いや。。。 違うのですよ。 吉田兼好は上のエピソードを紹介するような人物だから“王道”から外れた人生を歩んだと思ったのですよ。

“王道”から外れた人生とは、一体どういうことでござ~ますか?

あのねぇ~、吉田兼好はウィキペディア(Wikipedia)には次のように書かれている。

吉田 兼好


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弘安6年(1283年)頃-文和元年/正平7年(1352年)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。
治部少輔卜部兼顕の子。
本名は卜部兼好(うらべ かねよし)。

卜部氏の嫡流は後の時代に吉田家、平野家などに分かれ、兼好は吉田家の系統であったことから江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。
また出家したことから兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「兼好法師」と表している。
日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者であり、また私家集『兼好法師家集』がある。

経歴

卜部氏は古代より卜占を司り神祇官を出す神職の家柄であり、父兼顕も吉田神社の神職であった。
母や生年は明らかでないが、一般には弘安6年ごろの出生と考えられている。
堀川家の家司となり、正安3年(1301年)に後二条天皇が即位すると、天皇の生母である西華門院が堀川具守の娘であったことから六位蔵人に任じられる。
従五位下左兵衛佐にまで昇進した後、30歳前後に出家遁世するが、その詳細な時期や理由は定かでない。

『徒然草』に最初に注目したと言われる正徹の歌論書『正徹物語』以来、後宇多法皇の死を悲しんで発心したとする説もあったが、1324年の法皇崩御のはるか以前、1313年以前には遁世していたことが文書から確認されており、後宇多院崩御を契機とする説は現在では否定されている。
法名としては、俗名を音読した兼好(けんこう)を名乗った。

出家した後の兼好の生活については修学院や比叡山横川などに籠り仏道修行に励む傍ら和歌に精進した様子などが自著から窺われるがあまり明確ではない。
鎌倉には少なくとも2度訪問滞在したことが知られ、鎌倉幕府の御家人で後に執権となる金沢貞顕と親しくしている。
その時、現在の神奈川県横浜市金沢区の上行寺の境内に庵があったと伝えられる。

二条為世に和歌を学び、為世門下の和歌四天王の一人にも数えられる。
その詠歌は『続千載集』・『続後拾遺集』・『風雅集』に計18首が収められている。
また、散文で思索や見聞した出来事を記した『徒然草』は、室町時代中期以降、高く評価され、現代においても文体や内容が文学的に評価されているだけでなく、
当時の社会風潮などを知るための貴重な史料ともなっている。

室町幕府の九州探題である今川貞世(了俊)とも文学を通じて親交があった。
また晩年は、当時の足利氏の執事高師直に接近したとされる。

逸話

『太平記』巻二十一の艶書(ラブレター)を代筆した話が知られる。
足利幕府の執事高師直は、侍従という女房から塩冶高貞(塩谷判官)の妻が美人であると聞いて、急に恋心を起こし侍従に取り持ちを頼むが上手くいかない。
いっそう思いを募らせた師直は「兼好とひける能書の遁世者」に艶書の代作をさせ、使者に届けさせる。
しかし判官の妻は、その手紙を開けもせず庭に捨ててしまったので、師直は怒って兼好の屋敷への出入りを禁じてしまったのだという。
この話は真偽はともかく、江戸時代の『仮名手本忠臣蔵』を代表として芝居や小説などの素材に数多く採り上げられ、兼好の恋の道もわきまえた「粋法師」としてのイメージを形成する上で大きな影響を与えている。


出典: 「吉田兼好」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、兼好法師は30歳前後に出家遁世するのですよ。 要するに、京都修学院や小野の辺りの山里に隠棲し、30代後半には比叡山・横川に庵(いおり)を構えて世捨人(よすてびと)になったのです。

要するに冒険を好まず、危険を回避して慎重過ぎる生活態度が兼好さんに“世捨人”の道を選ばせたとデンマンさんは言うのでござ~ますか?

その通りですよ。 兼好法師は物をよく知っているからこそ、慎重になる性格だったと僕は思うのです。 少なくとも人生を慎重に歩みたいと願っていたのでしょうね。 だから、上の乗馬の名人・エピソードを敢(あ)えて『徒然草』の中に書き入れたのですよ。

そうでしょうか?

だってぇ、上のエピソードに感動しない限り吉田兼好は『徒然草』に取り上げませんよう。

。。。んで、兼好法師さんはマジで足利幕府の執事・高師直さんのラブレターを代筆したのでござ~ますか?

いや。。。 僕はそうは思いませんね。 兼好法師が感動した上のエピソードを読めば「君子危うきに近寄らず」というのが兼好法師の生活信条だと思うのですよ。 だから、あとで面倒なことになりそうなラブレターの代筆など兼好法師は絶対にしなかったというのが僕の考えですよ。

じゃあ、ラブレターの代筆は後世の作り話でござ~ますか?

僕はそうだと思いますね。 吉田兼好が恋の道もわきまえた「粋法師」として語りたいための作り話だと思うのですよ。

そうだとしても、アレクサンダー大王がどこにも出てきませんわ。 一体、吉田兼好さんとアレクサンダー大王がどのように関係しているのでござ~ますか?

あのねぇ~、ちょっと次の映画を見てください。


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Alexander the Great

アレクサンダー大王

ドキュメンタリー(2時間15分)

あらっ。。。 すべて英語ではござ~ませんかァ! あたくしは英語は苦手なのでござ~ますわァ。

じゃあ、日本語の次のクリップでも見てください。

アレクサンダー大王が生きた世界

上の日本語のクリップを見ても、吉田兼好さんとアレクサンダー大王がどのように関係しているのか? あたくしには理解できませんわァ。

あのねぇ~、アレクサンダー大王には愛馬・ブケパロス(Bucephalus)との間に有名なエピソードがあるのですよ。

ブケパロス


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紀元前355年? – 紀元前326年6月

アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)が愛馬とした1頭の軍馬。
その名はラテン語形では Bucephalas(ブーケパラース/現羅:ブケファラス)もしくは Bucephalus(ブーケパルス/現羅:ブケファルス)と表記される。
日本語ではブケファロスとの表記も多い。

大きな黒い馬で、額の星(ウマの額にある毛模様)が牛の角の形であったことから「ブーケパロス(雄牛の頭)」と呼ばれた。
牡馬であったとされているが、語尾変化を論拠に牝馬であったという説もある。
また、伝説では星ではなく角が生えていたともいわれ、ポンペイ遺跡から出土した壁画にも角が描かれている。
また、偽カリステネスの『マケドニア人アレクサンドロスの生涯』系統伝説は、人食い(英語版)馬であったと記している。

プルタルコスの『プルターク英雄伝』によると、ブケパロスはペラスギティス産(テッサリアの馬の産地)でアレクサンドロスの父ピリッポス2世への貢物であったが、暴れ馬で誰も乗りこなすことはできなかったという。
若きアレクサンドロス王子(のち、アレクサンドロス3世)はブケパロスが彼自身の影に怯えていることに気付き、父と賭けをし、馬の視線を太陽の方向へ向かせることで落ち着かせ、見事に騎乗馴致してみせたという。

以来、ブケパロスはアレクサンドロスの愛馬となる。


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Alexander & Bucephalus

紀元前326年、アレクサンドロス3世軍とポロス王の軍がぶつかったヒュダスペス河畔の戦いにて、ブケパロスは戦死した。
戦いに勝利したアレクサンドロス3世は、愛馬を丁寧に埋葬し、この地に築いた新都市(アレクサンドリア都市)をブケパロスにちなんで「アレクサンドリア・ブケパロス」と名付けた。


出典: 「ブケパロス」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上のYouTube のクリップを見れば解るように暴れ馬で誰も(ブケパロスを)乗りこなすことはできなかった。 しかし、若きアレクサンダーはブケパロスが彼自身の影に怯えていることに気付き、父と賭けをし、馬の視線を太陽の方向へ向かせることで落ち着かせ、見事に騎乗馴致してみせたのですよ。 つまり、『徒然草』に出てくる乗馬の名人は慎重すぎてブケパロスには乗らなかったでしょうね。

つまり、本当の“王道”は慎重過ぎてはダメだと言うことでござ~ますか?

そうですよ。 アレクサンダー王子が『徒然草』の中に出てくる乗馬の名人だったら、アレクサンダー大王にな成れかったと思うのですよ。 だから、事実、城陸奥守泰盛(じょうのむつのかみやすもり)という馬乗りの名人は織田信長や豊臣秀吉のような男にはなれなかった。


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ですってぇ~。。。
確かに、そうかもしれませんわ。
織田信長ならば、まず間違いなくブケパロスを乗りこなそうとしたでしょうね。
でも、振り落とされて殺してしまったかも知れませんわ。

ホトトギス 鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

。。。ですものねぇ。

だから。。。

ブケパロス おとなしく乗せろブケパロス
俺を乗せぬなら 殺してしまうぞブケパロス

。。。ですよね。

とにかく、あなたも吉田兼好さんとアレクサンダー大王の違いを今夜じっくりと考えてくださいまし。

ところで、吉田兼好さんもアレクサンダー大王も それなりに面白いのですけれど、
ぜひ次の平安史、古代史の記事もお読みくださいまし。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


(surfing9.gif)


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ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

『漢字で体操ざ~ます』

『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『紅のボートピープル』

『蕎麦屋と忠臣蔵』

『ピンクと桃色』

『妻の不貞』

『卑弥子さん、ご指名ですよ!』

『カン違い大岡越前』

『ロマンのカシオペア』

『カシオペアの現実』

『エロい徳子を探して』

『紫式部と皇国史観』

『エロい道鏡と薬師如来』

『天平の麗しき淑女』

『元からの饅頭』

『なぜ唐に留まったの?』

『下着美人』

『一所懸命』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ効果』

『遊女と三つ子』

『布袋さんの魅力』

『今、エジプトに?』

『鍋かむり祭り』

『日本人はどこから来たの?』

『卑弥子も待ってます』

『卑弥子の源氏物語』

『源氏物語もエッチなのに』

『失意の紫式部』

『めちゃムカつく足枷』

『床上手な女になりたい』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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(byebye.gif)

塩野七生批判

2013年7月22日

 
  
塩野七生批判


(shiono9.jpg)

ケイトー。。。 塩野七生さんに対してムカついているの?

いや。。。 僕は塩野七生さんと出会ったこともなければ、個人的に知っているわけでもないから感情的に反発しているとか恨みを抱いているとか。。。そのような無駄なエネルギーは持ち合わせていませんよ。

でも。。。、上のイラストを見るとケイト-はムカついているように見えるわ。

やだなあああァ~。。。 ムカついているのは僕ではありませんよう。 「批判」するという事は一般的に日本では悪いことのように思われているので上のイラストを使ったまでです。

。。。で、どうして「塩野七生批判」というタイトルにしたのォ~?

ちょっと次のリストを見てください。


(ame30711b2.gif)

あのねぇ~。。。、これは7月11日のアメブロの僕のブログの「アクセス元URL」のリストなんですよ。 緑の枠で囲んだ 15番、16番、27番に注目してください。

あらっ。。。 BING 検索エンジンで 「塩野七生批判」と入れて検索して、その結果の中からタイトルをクリックしてケイトーのブログにやって来た人が 3人いるのね。

そうなのですよ。

。。。で、その検索結果というのはどうなってるの?

15番のURLをクリックすると次のページが表示されるのですよ。


(bin30721.gif)

5番目に出てくるのがケイトーのブログの記事なの?

いや。。。 実は、このページは「塩野七生批判」 というテーマの記事を集めたページなのですよ。 クリックすると次のページが表示されます。


(ame30722t.gif)

『実際のテーマのページ』

16番と27番の検索結果はどうなっているの?

ほぼ同じ検索結果ですよ。 上のテーマのページが検索結果の中に表示されるのです。

。。。で、「塩野七生批判」 で検索してケイトーのブログにやって来る人は他の日にもいるのォ~?

いますよ。 次のリストを見てください。


(ame30718b.gif)

これは7月18日の「リンク元URL」のリストです。 11番に注目してください。 この人は BIGLOBE の検索エンジンで 「塩野七生批判」 と入れて検索してやって来たのですよ。 11番のURLをクリックすると次の検索結果が表示されます。


(big30721.gif)

あらっ。。。 やっぱり同じテーマのページが14番目に表示されるのね。

そうです。

。。。で、ケイトーは塩野さんのことでずいぶんと批判しているのォ~?

昨日、GOOGLEで次のように検索してみましたよ。


(gog30721.gif)

あらっ。。。 Ameblo (アメブロ) にも「塩野七生批判」というテーマがあるけれど、Denman Blog でも「塩野七生批判」というテーマを設けているのね。

そうです。 青枠のリンクをクリックすると次のページが表示されます。


(wp30721.gif)

『実際のテーマのページ』

。。。で、上のページは読まれているのォ~?

日本語が解かる86ヵ国のネット市民の皆様に読まれているのですよ。

 
 
海外からのアクセス
 
 

(wp30717map.gif)


(wp30717.gif)

『Denman Blog』

でも、そもそも、どういう訳でケイトーは塩野七生さんを批判したわけなのォ~?

どういう訳ってぇ~。。。 僕の座右の銘が閃(ひらめ)いたからですよ。 (微笑)

批判のないところに進歩なし!

批判なき愛は盲目にして

愛なき批判は空虚なり。

これがケイトーの座右の銘なの?

いけませんか? (苦笑)

いいえ。。。いけないとは言わないわ。 どのような語句を並べ立ててもいいけれど、いったい、塩野七生さんのどこに進歩がないと思ったの?

あのねぇ~、僕はたまたま塩野さんの本の中で次の箇所を読んだのですよ。

クレオパトラは浅薄な女

クレオパトラは、世界史上の有名人である。 当代きっての権力者二人までも、モノにした女であるということで。 そのうえ、強大なローマ帝国に刃向かったということでも。
だが私には、勝負に打って出るという度胸に対してならば共感しても、それ以外では浅薄な女にしか見えなかった。

しかし、歴史に名を残した女たちの多くはバカな女である。 その理由は、記録を残すのが男たちであったからではないかとさえ思っている。
男は、女としては魅力豊かでもオツムの中は浅薄な女を書いているほうが、安心できるからではないだろうか。
キャリアウーマンを自認する女たちは覚えておいたほうがよい、これが人間性の現実なのである。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


34ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

『女に冷たい女(2011年8月20日)』に掲載

この部分を読んでケイトーはムカついたわけなのねぇ~?

いや。。。 僕はムカついたわけじゃないけれど、そういう見方は塩野さんの個人的な独断と偏見的な見方であって、文化人類学的には進歩の無い見方ではないかと。。。 うへへへへへ。。。

それで塩野さんを批判したわけなのォ~?

いけませんかァ~?

いいえ。。。 言論の自由があるし、表現の自由もあるし。。。 こうしてネットという便利なものもあるから、いろいろな人がいろいろな意見を述べることは世界の文化と芸術の発展にとっていいことだと思うわ。

そうでしょう!? だから、僕は「愛の心を忘れずに批判」したのですよ。

「愛の心を忘れずに批判」することってぇ、どういうことなの?

あのねぇ~、その事についてはすでに書いたので僕とクレオパトラの対話を聞いて欲しいのですよ。

あなたは私が貪欲で残酷な女だと思っているの?

いや。。。そうは思ってないけれど、クレオパトラが善良なだけの女だとも思っていない。

歴史って勝者の歴史だということをあなただって知っているでしょう?

うん。。。確かに歴史が勝者の都合のいいように歪められることはよくあることだよ。

ギリシアやローマの歴史家たちは勝者であるローマ帝国初代皇帝・アウグストゥス(オクタヴィアヌス)の業績を讃(たた)えるために、彼の敵であった私とアントニウスを必要以上に悪く書いているのよ。 でもねぇ、私に手厳しかったローマの歴史家・ディオン・カッシオス(紀元150年頃ー235年頃)でも、次のように書いているのよ。

彼女は見た目も美しく、

彼女の話は魅力的で、(中略)

恋に抵抗する人や、

情熱を忘れた老人の心まで

征服することができた。

でもプルタコスは「クレオパトラの美しさは、それだけで並はずれたものではなく、見る人に衝撃を与えるという質のものではなかった」と、書いている。

あなたは、この私を見てどう思うの?

あのねぇ、プルタコスは次のようにも書いていた。 つまり、クレオパトラは不思議なほど人を惹きつける力があったと。。。僕はクレオパトラが受けた教育を眺め渡したときに、ただ美貌だけで男を惹き付けた女ではないと思いましたよ。

あなたが、そう言ってくれて嬉しいわ。

。。。で、あなたが、これまで男に言った言葉の中で一番印象に残っている“殺し文句”って何?

そのような事はあまり言いたくないわね。。。でも、あなたは、まだ私がクレオパトラだとは信じていないようだから話してあげるわ。 そもそも、オクタヴィアヌスにとってアントニウスは邪魔者だったのよ。 それでオクタヴィアヌスは私が彼を殺したら私の命を助けてくれると言ったの。

確か、クレオパトラはオクタヴィアヌスの申し出を拒否した。。。そうだったよね?

そうよ。。。私は拒否したわ。

どうして。。。? 誰だって自分の命が一番大切だと思っている。 そうでしょう!?

あなたは、いつだったか“生きることって愛すること”という記事を書いていたでしょう?

『生きることって愛すること?』

(2010年12月18日)

『生きることって愛することだよね』

(2010年12月26日)

うん、うん、うん。。。確かに上の2つの記事を書きましたよ。 よく覚えていますね?

だってぇ、私は2つの記事とも読んだのよ。 あなた自身は“生きることって愛すること”だと信じていないの?

もちろん、信じてますよ。

だからこそ、私はあえて、この殺し文句のエピソードをあなたに話すのよ。

。。。で、アントニウスの間に何があったのですか?

恐らくアントニウスもオクタヴィアヌスの申し出について、それとなく気づいていたと思うのよ。

でも、クレオパトラはオクタヴィアヌスの申し出を断固として拒絶した。 そうでしょう?

アントニウスも、あなたのように疑い深かったのよ。 うふふふふふ。。。

それで。。。?

私は何とかして私の真心をアントニウスに知って欲しかったのよ。

。。。で、どうしたのですか?

オクタヴィアヌスの申し出があってから1週間ほどして、私はいつにも増して着飾って食卓に着いたの。

アントニウスと食事をするために。。。?

そうよ。。。アントニウスが喉が渇いたと言って葡萄酒の入ったグラスを手にしたの。 でも私は彼の注意を引くように飼い馴らされたライオンの話をしたの。

それで。。。?

アントニウスは私の話に耳を傾けたわ。 彼が面白そうに聞いている時に、私は冠(かんむり)から花を摘んでアントニウスのグラスに入れたの。。。

どうして。。。?

その花には毒薬がふりかけてあったのよ。

つまり、葡萄酒に毒が混ざった。。。それで。。。?

私の話が終わるとアントニウスは喉の渇きを思い出したようにグラスを口に近づけようとしたわ。

もちろん、アントニウスは飲んだわけじゃないでしょう!?

私はグラスを彼の手からとったわ。

どうして。。。?

侍女のカルミオンに言いつけて死刑囚を一人連れて来るように言ったの。。。

死刑囚。。。?

そうよ。 アントニウスのグラスを渡し、葡萄酒を飲むように言ったの。

それで。。。死刑囚は死んだ?

死ぬ宿命にあった人だから、遅かれ早かれ死なねばならなかったのよ。 葡萄酒を飲んであの世に逝けたのだから儲けものだったのよ。

それで。。。?

私はアントニウスに向かって言ったわ。 「もし、あなたが居なくても生きて行けるなら、私はグラスをあなたの手から奪わなかったのよ」と。。。

なるほど。。。アントニウスはあなたの真の心が分かって、以前にも増してあなたを愛し始めたと言うわけ?

うふふふふふ。。。あなたも、やっと私がクレオパトラだと判ったようね?


『アレクサンドリアのクレオパトラ』より
(2011年1月27日)

なるほどォ~。。。、つまり、アントニウスを毒殺して彼の首をオクタヴィアヌスに差し出せば、クレオパトラは自分の命が助かるばかりかオクタヴィアヌスとローマ帝国を自分のものにできるかもしれない。 クレオパトラは、そう考えたこともあったのね。

その通りですよ。

でも、クレオパトラは、そうしなかった。

そうです。 クレオパトラはアントニウスを毒殺しなかった。

要するに、クレオパトラにとってオクタヴィアヌスは彼女が愛することができるような人物ではないと見極(きわ)めていたのね。。。 ケイトーは、そう言いたいのォ?

シルヴィーにも分かりますか? つまりねぇ、クレオパトラは塩野さんが考えているような「浅薄な女」でも「バカな女」でもなかったのですよ。

でも、それはケイトーの個人的な考えでしょう?

もちろんですよ。。。 僕の人生経験とこれまで歴史を学んできたその結果に基づいてクレオパトラという人物を僕は理解しようとしたのですよ。

でも、やっぱり、上のクレオパトラ観はケイトーの、あくまでも個人的な見解だわよ。

その通りです。 僕は自分の考えを他人に押し付けようとしているのではないのですよ。 ただねぇ、塩野さんがクレオパトラを「浅薄な女」で「バカな女」だと決め付ければ、いや。。。そのように決め付けるのは塩野さんの「人となり」で判断しているだけのことですよ。 つまり、“文は人なり”と言いたいだけのことです。

【ジューンの独り言】

ですってぇ~。。。
どうですか?
デンマンさんの批判の意味があると思いますか?

ところで、あなたは1963年の『クレオパトラ』をご覧になりましたか?
エリザベス・テーラーが主演した映画ですわ。
とっても素敵な映画でした。
見なかった人は次の予告編を覗いてみてください。

クレオパトラ (1963年) 予告編

もし、お近くの図書館でDVDがあたら、ぜひ借りてぜひ見てくださいね。

ところで、シルヴィーさんの事をもっと知りたかったら次の記事を読んでください。


『アッシジからの平和(2011年11月5日)』

『中国からの怪電話(2011年11月9日)』

『気になる英単語(2011年11月18日)』

『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』

『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』

『山形とバンクーバー(2011年12月8日)』

『ねえ、ねえ、ねえ見て(2011年12月10日)』

『URL スパマー(2011年12月20日)』

『坂の上の平和(2012年1月4日)』

『平和と武士道(2012年1月10日)』

『スカートをはいた兵隊(2012年1月15日)』

『レモン戦争(2012年1月16日)』

『常連さん、こんにちは(2012年1月23日)』

『チョコレートと軍産複合体(2012年1月28日)』

『壁に耳あり障子に目あり(2012年2月3日)』

『チョコレートと世界銀行(2012年2月10日)』

『チョコレートと甘い権力(2012年2月22日)』

『CIAの黒い糸(2012年3月6日)』

『CIAの黒い手(2012年3月12日)』

『平和が一番(2012年3月29日)』

『オツムの中の英語(2012年4月17日)』

『誰?あなたなの?(2012年5月5日)』

『ジャンボのエンジンが全部停止!』
(2012年5月15日)

『日本の良心は停止したの?』
(2012年5月17日)

『愚かな詭弁を弄する東電』
(2012年8月16日)

『僕のお父さんは東電社員』
(2012年8月20日)

『小学生でも知っている国のウソ』
(2012年8月25日)

『ん?オバマ大統領暗殺?』
(2012年9月3日)

『なぜ戦争するの?(2012年9月15日)』

『なぜ原発作ったの?(2012年9月19日)』

『国際感覚ダントツ(2012年11月11日)』

『国際化できてる?(2012年11月19日)』

『国際化とアクセスアップ(2012年11月23日)』

『国際化とツイッターと国際語(2012年11月27日)』

『お百度参りも国際化(2012年12月1日)』

『期待される人間像(2012年12月13日)』

『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『フランス人妻不犯(2013年4月4日)』

『ツイッターの国際化(2013年4月25日)』

『アダムとイブはバナナを食べた』
(2013年6月5日)

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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下着・ランジェリーを見つけませんか?』

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アッと驚くマキアベリ!

2012年11月5日

 
アッと驚くマキアベリ!

Niccolo Machiavelli (machiavelli.jpg--172x216)

Denman Barclay or Akira Kato

上の絵の中のおっさんがマキアベリです。
フルネームは次のとおりです。
Niccolo di Bernardo Machiavelli
1469年に生まれ、1527年に亡くなってます。

多分知っていると思いますが、念のために、ちょっとひと言。
日本の戦国時代に当たりますが、当時の、イタリアは、
フィレンツェ市国(公国)の役人をしていた人物です。

1513年に、“The Prince” というタイトルの本を書きます。
これはいわば、政権の座にある者のための、
治世の書とも言われるもので、現在の考え方からすると、ひどくエゲツナイやり方で国を治める方法が書いてあります。
したがって,マキアベリズムと言う場合、たいてい、悪い意味に使われることが多いようです。

そういう本を書いたマキアベリもびっくりする、というのですから、藤原鎌足が愛読していた「六韜(りくとう)」という兵書がどのようなものであったか、大体想像がつくでしょう。
たぶんマキアベリは、この兵書を読んでいなかったでしょう。
私の知る限り、マキアベリが「六韜」を参考にしたとは、どこにも書いてありません。
この「六韜」のどこがすごいかと言うと、例えば、

■権力者がいたら側近になって徹底的におだてろ、そうすれば彼は反省を失い判断力が鈍るだろう。

■寵姫がいたらもっと美しいライバルを送り込め、そうすれば宮廷は二つに分かれて大変なことになるだろう。


(yang103.jpg)

■外交使節に隣国から優秀な人物が交渉にきたら話をまとめるな、愚鈍な人物のときにまとめろ、そうすればその人物が重んじられ優秀な人物は失脚し、隣国は弱まるだろう。

というわけで、政略、謀略を通して、
時の政治をどのように操って行けばよいかということが書かれているマニュアル本だったのです。

これには、さらに、「八徴の法」という人物の本性を見抜く八つ
の方法がのっています。

  1. 質問してみて理解の程度を観察

  2. 追及してみてとっさの反応を観察

  3. 間者をさしむけて内通を誘い誠実かどうかを観察

  4. 秘密を打ち明けてその人徳を観察

  5. 財政を扱わせて正直かどうかを観察

  6. 女を近づけてみて、人物の堅さを観察

  7. 困難な任務を与えてみて勇気があるかどうかを観察

  8. 酒に酔わせてみてその態度を観察

エゲツナイといえば、確かに、その通りには違いないわけですが、人間の弱いところ、痛いところを見極めて、なかなか意味のあることを言っています。
もちろん、まともなことも、たくさん書いてあります。
くだらないことばかり書いてある本だとしたなら、藤原鎌足が見向きもしなかったでしょうし、結局現代まで、伝わらなかったでしょう。

この六韜(りくとう)は、周の太公望の撰とされ、「荘子-徐無鬼」という本に「金版六囁」(「囁」は「とう」で「韜」に同じ)と出ています。
現存するものは、それに仮託して3世紀以降に作られた偽作であるという説もあります。
文韜・武韜・竜韜・虎韜・豹韜・犬韜の6巻からなっています。
ちなみにこのうちの「虎韜」から派生した言葉が、今日よく耳にする「虎の巻」という慣用語です。

また三略(さんりゃく)と呼ばれる兵書もあり、これは3巻からなる兵書です。
これも周の太公望の撰で、黄石公(こうせきこう)が土橋の
上で漢の張良に授けたと伝えられています。
しかし、これとても、後世の偽撰書だとする学者が居ます。
老荘思想を基調にした治国平天下の大道から戦略・政略の通則を論述したものですが、日本には遣唐使上毛野真備が初めて伝えたということになっており、「六韜」と併称して、「六韜三略」と呼ばれることが、よくあります。
 
 

日本人とは何か?

Denman Barclay or Akira Kato

藤原鎌足が、なぜ六韜を愛読するようになったのか?
そんな疑問が頭をもたげませんか?
その疑問に答える前に、ここで日本とは何か?
日本人とは何か?をちょっとばかり考えてみたいと思います。
そうでないと、なぜ藤原鎌足が六韜を愛読していたのか、また、それを実践したのか、がよく理解できません。

まず、よく考えなくても分かることなのですが、日本へやってきた人はどういう人たちかというと、それ以前は強い人たちだったかもしれませんが、
戦争に敗れて逃げてきたか、自分が住んでいるところが、戦地になって追い出されてきたか、飢饉や、病気が蔓延して作物がなく、喰いっぱぐれて、着の身着のままでやってきたかの、いづれかです。

もっと時代をさかのぼって、人類史の上から見れば、アジア人がどうして体が小さいかということも、上のような理由で説明がつきます。

つまり、アフリカで、我われの祖先が生まれたわけですから、前のページの地図で見るように、そこから四方八方に広がっていったわけです。


(afroeve.gif)

では、どういう人たちが広がって行ったかといえば、端的に言えば、弱い人たちです。

この「弱い」にも二通りの意味があります。
肉体的に弱いのと、頭脳的に弱いということです。
当時のアフリカ人は肉体的にも、
頭脳的にも強かった。
したがって、肉体的に弱かった人たちが、ヨーロッパやアジアへと、生存競争に敗れ、新天地を求めて去って行ったわけです。

好奇心を満たすために、よその土地へ行くとか、旅行気分で他国へ行くとか、そういうことは、20世紀の後半になってからの話で、
それまでは、99パーセントまでが、喰うために他所へ移っていったわけです。
これは、アメリカの移民史を見ればすぐに分かることです。

アジア人は、そういうわけで、アフリカからアジアへと移住していった。
日本の原住民といわれるアイヌ人でさえ、祖先をたどってゆけば、
そういうアジア人のなかで生活していた時期があったはずです。
ところで、その当時、逃げていった人たちのたどり着いた土地に、
誰も居なかったのか?といえば、決してそうではなかったわけです。
どういう人たちが住んでいたかと言えば、ネアンデルタール人のような人たちが居たわけです。

最近の遺伝子の研究に見るように、
どうやら、我われは、
この人たちから進化してきたのではない事が分かってきました。
それでは、ネアンデルタール人は一体どういう人たちかといえば、もちろん、我われアジア人とは比べものにならないくらいに、肉体的には頑強です。
脳味噌の量も我われとほぼ同じぐらい持っていました。
量だけから言えば、中には、我われよりも、多くの脳味噌を保持していた人も見つかっています。

しかし決定的に我われよりも劣っていた点がありました。
それは何かというと、最近の研究に因って、彼らが言葉をうまく操れなかったということが分かってきたのです。

解剖学的に調べると、彼らの、喉の構造から、余りよく発声ができなかった。
つまり、そのような理由で、たくさんの言葉を持っていなかったらしい。
このことは、戦争のような、
団体行動をとる時には、致命的な欠陥です。

コミュニケーションがよくできないということは、戦略、謀略が効果的に使えないということになります。

これはどういうことかといえば、体の小さなアジア人が、肉体的に頑強なネアンデルタール人に対して、『六韜』を実践することに因って、勝ちぬいてきたようなものです。

そうすることで彼らの土地を奪って、生存競争に生き残ったわけです。
おそらく、生存競争に敗れて絶滅したネアンデルタール人から見れば、
我われホモ・サピエンス・サピエンスは、全く、ずるがしこい人間に見えたでしょう。
ちょうど今の我われが、『六韜』を読んでエゲツナイと感じるように。

ここで、日本に焦点を当てて考えてみたいと思います。
気の遠くなるような年月を経て、ようやくアイヌ民族が東の果てに、到達しました。

果てしのない生存競争に勝ち抜いて、やれやれと思ったことでしょう。
もうこれより東へは行くことができない。
大陸には、もっともっと広い土地があるのに、
どうしてこんな地の果てにやってきたのか?
理由は簡単です。
このアイヌ民族は、もともと好戦的な民族ではなかったからです。

大陸では、町の周りに城壁をめぐらせて、同じアジア人同士が果てしもない戦いを繰り広げている。
アイヌ民族は、もう戦争に懲り懲りした民族だったでしょう。

町の周りに城壁をめぐらすことなど、はなから、ばかげたことだと思っていたようです。
それよりも、みんなで仲良くして、作物でも作って、のんびりと暮らそうじゃないか、と。

したがって、聖徳太子の『和の精神』こそは、先住民族のアイヌ人から受け継いだに違いないのです。
絶対に大陸的発想ではありえない。

その証拠に、魏志倭人伝には、日本では、町の周りに城壁をめぐらしてないということが書かれ、大陸人はびっくりし、あきれています。

いずれにしても、戦争を避けて、暮らそうとすれば、アイヌ民族のように、僻地を選んで生活するしかないわけです。
しかし、いつまでも、そのようなアイヌ民族を、そおっとしておいてくれない。

前に書いたように、戦争に敗れて逃げて来るものが後を絶たない。
自分が住んでいるところが、戦地になって追い出されて来る者も居る。
飢饉や、病気が蔓延して作物がなく、喰いっぱぐれて、着の身着のままでやってくる人たちもいる。
日本はさしずめ、そういう人たちの、吹き溜まりのようになってしまった。

迷惑するのは、先住民族のアイヌ人たちです。
この後の、アイヌの歴史というのは、現在の日本人の先祖に追い立てられて、北海道の片隅に押し込められた歴史です。
したがって、アメリカ・インディアンが、現在のアメリカ人たちの祖先に追われていった歴史と全く同じといっていい。
「歴史は繰り返す」、と言われているとおり、このことは、まさに、その言葉を実証しているものです。

したがって、先住民族のアイヌ人を原日本人と見なす場合、現在日本に住んでいる日本人の95パーセント以上の人たちは、原日本人ではないことになります。

むしろ、在日百済人の子孫、在日新羅人の子孫、在日高句麗人の子孫、在日呉人の子孫というべきところです。
『呉服』という言葉を知っていると思いますが、
これは、呉人が着ていた服のことです。
呉というのは、もちろん下に示す地図で見るとおり中国にあった国です。

Three Kingdoms in China (3goku2.gif--450x368)
(3goku.gif)

Denman Barclay or Akira Kato

さきほど、引き合いにだした魏志倭人伝というのは上の地図に見える、魏という国の人が、倭人、つまり、その当時の日本人について書いた
文章です。
日本人が使っている漢字の読み方には、漢音、呉音、唐音、宋音と大体この4通りの読み方があります。
もちろん、すべての漢字に4通りの読み方があるというわけではありません。
とにかく、日本語で使われている漢字の読み方に、漢音と呉音が多いということを考えれば、いかに、この時代に、日本と中国の交流が激しかったかがよく分かります。
ということは、当然、文物だけではなく、多くの人間が、漢や呉からやってきたわけです。
もちろん、その多くの人たちが、古代の朝鮮半島を経由してやってきたはずです。

おそらく、現在日本に住む99パーセントの日本人は『呉服』という言葉を知っているでしょう。
しかし、聖徳太子が生まれる300年以上も前から、この呉からやってきた人たちが、今で言うなら、最新流行のパリのファッションとでも呼ぶべき、呉服を持ち込んだということは,すっかり忘れていることでしょう。
しかし、日本語としてすっかり定着して、いまだに、呉服屋さんという人たちが居ます。

じゃあ、今、日本に

住んでいる人は

日本人でないの?

これは重要な問題です。
ページを改めて、お話したいと思います。

次のリンクをクリックして読んでみてください。

『一体、日本人とは?』


『マキアベリもビックリ、藤原氏のバイブルとは?』より
(2003年7月17日)


デンマンさん!。。。どうして『新しい日本古代史』の中から上の記事を書き出したのですか?

上の記事にコメントをもらったのですよ。

あらっ。。。珍しいことですわね?

そうですよ。 僕の記事にはめったにコメントをがつきませんからね。

それで、どのようなコメントをいただいたのでござ~♪~ますか?

次のようなコメントです。

From: servicemail@bravenet.com
To: barclay1720@aol.com
Date: Fri, Nov 2, 2012 12:18 am

MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted: Nov 02 2012 / 00:18:28

userid = barclay1720
FreeCity = oldhist-rikutou-superb
Your_Name =
Your_Email_Address =

Comments :

面白い読み物です

Thank you for using Bravenet Email Form Processing!

あらっ。。。コメントってぇ、たったのこれだけですか?

そうですよ。

これはイタズラではありませんか!?

あのねぇ~、イタズラをするような愚か者は上の記事にはコメントを書かないのですよ。

どうしてデンマンさんは、そのように断定なさるのですか?

卑弥子さんもコメントを書けば解るけれど、投稿すると英語のサイトに誘導されるのですよ。 だから、真面目にコメントを書く人以外は、引いてしまうのですよ。

。。。んで、身元はわかったのですか?

IPアドレスから静岡県に住んでいる人だということが判りました。

IPアドレス: 203.95.50.***

ホスト名 fj***.net203095050.thn.ne.jp
IPアドレス割当国: 日本 ( jp )
都道府県: 静岡県

プロバイダー: TOKAI-NET

組織名: 株式会社TOKAIコミュニケーションズ
Organization:
TOKAI Communications Corporation
登録年月日: 2004/06/30
割当年月日: 2006/06/28
最終更新: 2012/07/11 17:20:08(JST)
ドメイン名: THN.NE.JP
ネットワークサービス名: THN CATVインターネットサービス
Network Service Name:
THN CATV Internet Service

でも、これだけではイマイチ説得力がありませんわ。

どういう意味ですか?

デンマンさんが自作自演していると考える読者が居るかもしれませんわ。

なぜ僕が自作自演しなければならないのですか?

だから、この記事を書くためですわよ。

あのねぇ~、そんな手の込んだことまでして「珍しくコメントがついた!」なんて騒ぎはしませんよ。

でも、“ウラ”が欲しいのですわ。

新聞記者のようなことを言わないでくださいよ。。。卑弥子さんがそれほどまでに言うのであれば“ウラ”を見せますよ。 ちょっと次の地図を見てください。


(hg21103.gif)

これは9月30日から11月3日までに「デンマン・シンジケート」の18のブログと1つのウェブページにアクセスしたネット市民を都道府県別に表示したパイグラフと地図ですよ。

あらっ。。。35日間にたったの 2,914人でござ~ますかァ?? 少ないではありませんか!

あのねぇ~、都道府県が判別できる読者の皆さんだけを表示したものなのですよ。 例えば海外からのアクセスは当然だけれど含まれていないのですよ。

海外からのアクセスもあるのですか?

当然でしょう! 僕のブログには英語の記事も含まれていますからね。 次の Denman Blog (denman word press) のリストを見てください。
 
 
海外からのアクセス
 
 

(wp21019map.gif)


(wp21019.gif)

あらっ。。。今年の2月25日からアメリカ人が957人。。。カナダ人が 317人。。。75カ国からアクセスがあったのでござ~♪~ますか?

見てのとおりです。

。。。でも。。。、でも。。。、都道府県の地図を見ると静岡県がないじゃありませんか!


(hg21103.gif)

上の地図を見ると静岡県は出てません。 この地図は「デンマン・シンジケート」全体のアクセス数ですから。。。

じゃあ、コメントがついた記事が載っているサイトの地図ならば出ているのですか?

そうです。 『新しい日本古代史』サイトは “Beaverland Web” にあるのですよ。 そのウェブーページのアクセス地図を貼り出しますから卑弥子さんもじっくりと見てください。


(hg21103b.gif)

あらっ。。。 静岡県から ”Beaverland Web” にアクセスした人は2人居るのですわね。

そうです。 東京都、大分県、香川県、千葉県に続いて5番目ですよ。

でも、”Beaverland Web” 全体で 27人だけしか居ないのですわね。 どうして少ないのですか?

都道府県が IPアドレスからでは判別できない人たちも居るし、海外からのアクセスは載ってないから、実際には3桁のアクセス数があるはずですよ。

それでも少ないですわよ。

あのねぇ~、歴史のサイトを覗くネット市民が少ないということなのですよ。

つまり、その少ない閲覧者の中からコメントが付いたのでデンマンさんは自慢したいわけなのですか?

いや。。。、別に自慢したいわけじゃないけれど、コメントが付くと、やっぱりうれしいですよ。 上の記事は2003年に書いたものです。 もう10年ほど前になるのですよ。 今でも読んでくれる人が居るのだと思うと、やっぱり記事を書いていてやりがいがありますよ。

【ジューンの独り言】

ですってぇ~。。。
確かに10年前に書いた記事が読まれていると知ると、更に記事を書く励みになるかもしれませんよね。

あなたはブログを書いていますか?
途中で諦めないで書き続けてくださいね。
書き続けていれば徐々に読者は増えてゆくものです。

ええっ。。。その証拠でもあるのかってぇ。。。?

ありますわよ。
次のグラフを見てくださいな。


(hg20831q.gif)

デンマンさんは、ほぼ毎日記事を書いているのです。
上のグラフを見ると毎月ごとに読者が増えてゆくのが判るでしょう?
だから、あなたも毎日ブログを更新すればネット市民の皆様があなたのブログを読むようになりますわ。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

『漢字で体操ざ~ます』

『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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下着・ランジェリーを見つけませんか?』

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『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』

哀れなネアンデルタール

2012年7月27日

 

哀れなネアンデルタール

 


(nean02.jpg)

「六韜」とは何か?


(machiavelli.jpg)

マキアベリ (Niccolo di Bernardo Machiavelli 1469-1527) の事は、多分知っていると思いますが、念のために、ちょっとひと言。
日本の戦国時代に当たりますが、当時の、イタリアは、フィレンツェ市国(公国)の役人をしていた人物です。

1513年に、“The Prince” というタイトルの本を書きます。
これはいわば、政権の座にある者のための、治世の書とも言われるもので、現在の考え方からすると、ひどくエゲツナイやり方で,国を治める方法が書いてあります。
したがって,マキアベリズムと言う場合、たいてい、悪い意味に使われることが多いようです。


(kamatari2.jpg)

大きな人物が藤原鎌足

左が次男の藤原不比等

右が僧になった長男の定慧

そういう本を書いたマキアベリもびっくりする、というのですから、藤原鎌足が愛読していた「六韜(りくとう)」という兵書がどのようなものであったか、大体想像がつくでしょう。
たぶんマキアベリは、この兵書を読んでいなかったでしょう。
私の知る限り、マキアベリが「六韜」を参考にしたとは、どこにも書いてありません。

この「六韜」のどこがすごいかと言うと、例えば、

「権力者がいたら側近になって徹底的におだてろ、そうすれば彼は反省を失い判断力が鈍るだろう」

「寵姫がいたらもっと美しいライバルを送り込め、そうすれば宮廷は二つに分かれて大変なことになるだろう」

「外交使節に隣国から優秀な人物が交渉にきたら話をまとめるな、愚鈍な人物のときにまとめろ、そうすればその人物が重んじられ優秀な人物は失脚し、隣国は弱まるだろう」

というわけで、政略、謀略を通して、時の政治をどのように操って行けばよいかということが書かれているマニュアル本だったのです。

これには、さらに、「八徴の法」という人物の本性を見抜く八つの方法がのっています。

   「八徴の法」

1) 質問してみて理解の程度を観察

2) 追及してみてとっさの反応を観察

3) 間者をさしむけて内通を誘い誠実かどうかを観察

4) 秘密を打ち明けてその人徳を観察

5) 財政を扱わせて正直かどうかを観察


(girl0006.jpg)

6) 女を近づけてみて、人物の堅さを観察

7) 困難な任務を与えてみて勇気があるかどうかを観察

8) 酒に酔わせてみてその態度を観察

エゲツナイといえば、確かに、その通りには違いないわけですが、人間の弱いところ、痛いところを見極めて、なかなか意味のあることを言っています。
もちろん、まともなことも、たくさん書いてあります。
くだらないことばかり書いてある本だとしたなら、藤原鎌足が見向きもしなかったでしょうし、結局現代まで、伝わらなかったでしょう。

この六韜(りくとう)は、周の太公望の撰とされ、「荘子-徐無鬼」という本に「金版六囁」(「囁」は「とう」で「韜」に同じ)と出ています。
現存するものは、それに仮託して3世紀以降に作られた偽作であるという説もあります。
文韜・武韜・竜韜・虎韜・豹韜・犬韜の6巻からなっています。
ちなみにこのうちの「虎韜」から派生した言葉が、今日よく耳にする「虎の巻」という慣用語です。

また三略(さんりゃく)と呼ばれる兵書もあり、これは3巻からなる兵書です。
これも周の太公望の撰で、黄石公(こうせきこう)が土橋の上で漢の張良に授けたと伝えられています。
しかし、これとても、後世の偽撰書だとする学者が居ます。
老荘思想を基調にした治国平天下の大道から戦略・政略の通則を論述したものですが、日本には遣唐使上毛野真備が初めて伝えたということになっており、「六韜」と併称して、「六韜三略」と呼ばれることが、よくあります。 

日本人とは何か?

藤原鎌足が、なぜ六韜を愛読するようになったのか? そんな疑問が頭をもたげませんか?
その疑問に答える前に、ここで日本とは何か?日本人とは何か?をちょっとばかり考えてみたいと思います。
そうでないと、なぜ藤原鎌足が六韜を愛読していたのか、また、それを実践したのか、がよく理解できません。

先ず、よく考えなくても分かることなのですが、日本へやってきた人はどういう人たちかというと、それ以前は強い人たちだったかもしれませんが、戦争に敗れて逃げてきたか、自分が住んでいるところが、戦地になって追い出されてきたか、飢饉や、病気が蔓延して作物がなく、喰いっぱぐれて、着の身着のままでやってきたかの、いづれかです。

もっと時代をさかのぼって、人類史の上から見れば、アジア人がどうして体が小さいかということも、上のような理由で説明がつきます。
つまり、アフリカで、我われの祖先が生まれたわけですから、次の地図で見るように、そこから四方八方に広がっていったわけです。


(afroeve.gif)

では、どういう人たちが広がって行ったかといえば、端的に言えば、弱い人たちです。
この「弱い」にも二通りの意味があります。
肉体的に弱いのと、頭脳的に弱いということです。
当時のアフリカ人は肉体的にも、頭脳的にも強かった。
したがって、肉体的に弱かった人たちが、ヨーロッパやアジアへと、生存競争に敗れ、新天地を求めて去って行ったわけです。
好奇心を満たすために、よその土地へ行くとか、旅行気分で他国へ行くとか、そういうことは、20世紀の後半になってからの話で、それまでは、99パーセントまでが、喰うために他所へ移っていったわけです。
これは、アメリカの移民史を見ればすぐに分かることです。

アジア人は、そういうわけで、アフリカからアジアへと移住していった。
日本の原住民といわれるアイヌ人でさえ、祖先をたどってゆけば、そういうアジア人のなかで生活していた時期があったはずです。
ところで、その当時、逃げていった人たちのたどり着いた土地に、誰も居なかったのか?といえば、決してそうではなかったわけです。
どういう人たちが住んでいたかと言えば、ネアンデルタール人のような人たちが居たわけです。


(nean02.jpg)


(neanmap.jpg)

ずるがしこい現代人の祖先

最近の遺伝子の研究に見るように、どうやら、我われは、この人たちから進化してきたのではない事が分かってきました。
それでは、ネアンデルタール人は一体どういう人たちかといえば、もちろん、我われアジア人とは比べものにならないくらいに、肉体的には頑強です。
脳味噌の量も我われとほぼ同じぐらい持っていました。
量だけから言えば、中には、我われよりも、多くの脳味噌を保持していた人も見つかっています。

しかし決定的に我われよりも劣っていた点がありました。
それは何かというと、最近の研究に因って、彼らが言葉をうまく操れなかったということが分かってきたのです。
解剖学的に調べると、彼らの、喉の構造から、余りよく発声ができなかった。
つまり、そのような理由で、たくさんの言葉を持っていなかったらしい。
このことは、戦争のような、団体行動をとる時には、致命的な欠陥です。
コミュニケーションがよくできないということは、戦略、謀略が効果的に使えないということになります。

これはどういうことかといえば、体の小さなアジア人が、肉体的に頑強なネアンデルタール人に対して、『六韜』を実践することに因って、勝ちぬいてきたようなものです。
そうすることで彼らの土地を奪って、生存競争に生き残ったわけです。
おそらく、生存競争に敗れて絶滅したネアンデルタール人から見れば、我われホモ・サピエンス・サピエンスは、全く、ずるがしこい人間に見えたでしょう。
ちょうど今の我われが、『六韜』を読んでエゲツナイと感じるように。

『マキアベリもビックリ、藤原氏のバイブルとは?』より)



(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。どうして急に「ネアンデルタール人」や「六韜」を持ち出してきたのでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

あのねぇ~、久しぶりに『新しい古代日本史』の記事にコメントをもらったのですよ。


(oldhist2.jpg)

どのようなコメントをいただいたのですか?

ここに引用するので卑弥子さんも読んでみてください。

From: ******@yahoo.co.jp
To: barclay1720@aol.com
Date: Fri, Jul 20, 2012 3:28 am
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間: 7月20日 午後7時28分)

MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted: Jul 20 2012 / 03:28:24

userid = barclay1720
FreeCity = oldhist-rikutou3-superb
Your_Name = 椿原
Your_Email_Address = ******@yahoo.co.jp

Comments:

興味深い事実の数々とても面白かったです。

ですが、ネアンデルタール人の進化系が現代人だとはとても信じられません、まあ諸説ありますが。。。

Thank you for using Bravenet Email Form Processing!

たった2行のコメントでござ~♪~ますか?

たった2行というけれど、コメントを書いてくれたということは大変なことなんですよう。

2行のコメントを書くことぐらい3分もあれば誰だって出来るではござ~♪~ませんか!

そう思うでしょう。。。でもねぇ、卑弥子さんも上のページでコメントを書いてみれば解るけれど、英語のサイトへ飛ぶのですよ。 英語のサイトを見慣れていない人は、まず引いてしまうのですよ。

どうして。。。?

なんだか胡散(うさん)臭いサイトに飛ばされたような気がして。。。不安になったり、怖くなったりしてしまうのでしょうね。

コメントを書いてくださった椿原さんは英語のサイトを見慣れているということですか?

見慣れているというよりも物怖(ものお)じしない人でしょうね。 おそらく何度か海外旅行をして、英語だとか外国人に対して物怖じしないようになったのだと思うのですよ。

椿原さんは東京に住んでおられるのですか?

いや。。。IPアドレスを調べたら富山県に住んでいるのですよ。

IPアドレス: 202.163.162.***

ホスト名: p202163162***.tcnet.ne.jp
IPアドレス割当国: 日本 ( jp )
市外局番: 0766
接続回線: CATV
都道府県: 富山県

プロバイダー:

ネットワーク名: CORALNET
組織名: トナミインターネットサービス
TONAMI Internet Service
親会社: トナミ運輸株式会社
TONAMI TransportationCo.,Ltd.


(hg20718b.gif)


(hgjapan.gif)

上のパイグラフと地図を見ても判るように富山県から「デンマン・シンジケート」のブログとウェブページにアクセスする人は少ないのですよ。


(denmansyn.gif)


(hg20718m.gif)

だから、椿原さんがコメントを書いてくれたということはマジで貴重なのですよ。

つまり、富山県というアクセスの少ない県にも拘(かか)わらず椿原さんがコメントを書いてくれたので、デンマンさんは感激して、こうして記事で取り上げたのですか?

いや。。。それだけではないのですよ。 あのねぇ~、椿原さんは次の3つの記事を読んだ後でコメントを書いてくれたのです。


1)■『マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?』
(http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou.html)

2)■『一体、日本人とは?』
(http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou2.html)

3)■『古事記より古い書物が

どうして残っていないの?』
(http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou3.html)

椿原さんが上の3つの記事を読んだと、どうして判るのですか?

なぜなら、椿原さんがコメントを書いてくれたのは3番目の記事だからですよ。

どうして3番目の記事だと判るのですか?

もう一度コメントを見てください。

userid = barclay1720
FreeCity = oldhist-rikutou3-superb
Your_Name = 椿原
Your_Email_Address = ******@yahoo.co.jp

Comments:

興味深い事実の数々とても面白かったです。

ですが、ネアンデルタール人の進化系が現代人だとはとても信じられません、まあ諸説ありますが。。。

上のコメントの冒頭にoldhist-rikutou3と書いてあるでしょう。。。これは3番目の記事のURLなのですよ。 『新しい古代日本史』の記事のコメントはe-メールで僕のメールボックスに届くようにしてあるのです。 それで、どの記事に付いたコメントなのか? すぐに判るように URL の後半部をコメントと一緒に送信するようにしてあるのですよ。

3番目の記事にコメントを書いたとて、1番目と2番目の記事を読んだことにはならないでしょう?

確かに上のコメントを見る限り、1番目と2番目の記事のURLはどこにも書いてない。 でもねぇ、コメントの内容を見るとネアンデルタール人が出てくる。 このネアンデルタール人は3番目の記事には出てこないのですよ。 1番目の記事に出てくるのです。 だから、椿原さんは1番目の記事を読んでから2番目の記事を読んで、ついでに3番目の記事を読んだのですよ。 3つの記事を読んで「興味深い事実の数々とても面白かった」のでコメントを書く気になったのですよ。

つまり、椿原さんが3つの記事を読んでコメントを書いてくださったのでデンマンさんはこうして記事で取り上げる気になったのですか?

いや。。。それだけではないのですよ。

まだ、他にダラダラと記事を書く理由があるのですか?

もちろんですよ。 この最後の理由がなかったら僕はこの記事を書き始めなかったのですよ。

もったいぶらないで細木数子のようにズバリ!とその理由を言ってくださいな。

あのねぇ~、椿原さんは3番目の記事を読んだ後でコメントを書いてくれたのだけれど、「興味深い事実の数々とても面白かった」ので、1番目の記事の内容が椿原さんがコメントを書く時になってオツムの中で変化してしまったのですよ。

どのように変化してしまったのでござ~♪~ますか?

椿原さんはコメントで次のように書いている。

興味深い事実の数々とても面白かったです。


(nean01.jpg)


(nean02.jpg)

ですが、ネアンデルタール人の進化系が現代人だとはとても信じられません、まあ諸説ありますが。。。

この部分を読んだ時に僕はネアンデルタール人が現在人に進化したと、うっかり書いてしまったのだろうか?。。。一瞬ヤバイ!と思ったのですよ。

それで記事を読み返してみたのですか?

その通りですよ。 ネット市民の皆様が誤解しないようにと思って、改めて1番目の記事の出だしの部分をこの記事の冒頭に引用したというわけです。 やっぱり僕は正しい事を書いていたのですよ。

最近の遺伝子の研究に見るように、どうやら、我われ(現代人)は、この(ネアンデルタール)人たちから進化してきたのではない事が分かってきました。
それでは、ネアンデルタール人は一体どういう人たちかといえば、もちろん、我われアジア人とは比べものにならないくらいに、肉体的には頑強です。
脳味噌の量も我われとほぼ同じぐらい持っていました。
量だけから言えば、中には、我われよりも、多くの脳味噌を保持していた人も見つかっています。


(nean01.jpg)

しかし決定的に我われよりも劣っていた点がありました。
それは何かというと、最近の研究に因って、彼らが言葉をうまく操(あやつ)れなかったということが分かってきたのです。
解剖学的に調べると、彼らの、喉の構造から、余りよく発声ができなかった。
つまり、そのような理由で、たくさんの言葉を持っていなかったらしい。
このことは、戦争のような、団体行動をとる時には、致命的な欠陥です。
コミュニケーションがよくできないということは、戦略、謀略が効果的に使えないということになります。

これはどういうことかといえば、体の小さなアジア人が、肉体的に頑強なネアンデルタール人に対して、『六韜』を実践することに因って、勝ちぬいてきたようなものです。
そうすることで彼らの土地を奪って、生存競争に生き残ったわけです。
おそらく、生存競争に敗れて絶滅したネアンデルタール人から見れば、我われホモ・サピエンス・サピエンスは、全く、ずるがしこい人間に見えたでしょう。

この部分を読めば、ネアンデルタール人が頭はでっかくとも言葉をうまく操ることが出来なかったので生存競争に敗れて絶滅したことが良く解る。

つまり、1番目の記事をじっくりと読まずに3番目の記事でコメントを書いたので、それまでの間に、あたかもネアンデルタール人が現代人に進化したというように椿原さんのオツムの中で変化してしまったのですわね。

多分そうだと思います。 コメントを書く前に、念のために1番目の記事を読み返していたら、椿原さんは誤解したままで上のようなコメントを書かなかったと思うのですよ。

【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。
デンマンさんが書いた1番目の記事にはネアンデルタール人しか出てこなかったので、椿原さんはネアンデルタール人が現代人に進化したものと短絡的に解釈してしまったのでしょうね。

ネアンデルタール人以外に良く知られている人類化石にクロマニョン人(Cro-Magnon man)がありますよね。
南フランスで発見された人類化石です。
1868年にクロマニョン (Cro-Magnon) 洞窟で、鉄道工事をしている時に5体の人骨化石が出土しました。

ネアンデルタール人を旧人と呼ぶのに対し、クロマニョン人に代表される現代型ホモ・サピエンスを「新人」と呼んでいます。
約20万年前に誕生した現生人類を称するための用語としては、学名の「ホモ・サピエンス・サピエンス」、同じく新人の「ホモ・サピエンス・イダルトゥ」以外には、「新人」ぐらいしかないので、不正確ではあってもこの用語で代用されているようです。

クロマニョン人は骨格が頑丈で多くの点で現代人と似ています。
特にヨーロッパ人に似ていると言われます。
身長は男性で180cm前後。

クロマニョン人は後期旧石器時代にヨーロッパに分布した人類で、現代人と同じホモ=サピエンス(Homo sapiens)に属し、白色人種だと考えられています。
精密な石器・骨器などの道具を製作し、優れた洞窟壁画や彫刻を残しました。
また、死者を丁重に埋葬し、呪術を行なった証拠もあるなど、進んだ文化を持っていました。
主流派の学説ではクロマニョン人はそのまま現代人へと遺伝的に繋がっているとされています。


(5men2.gif)

一部の学者によれば、狩猟採集生活をし、イヌ以外の家畜を持たず、農耕も知らなかったため、野ウマ・ヤギュウ・マンモス等の大動物が減少・絶滅すると共に彼らも滅亡したと言われています。

クロマニョン洞窟での発見以来、同種の人類化石がヨーロッパ各地で発見されました。
南フランスでは19世紀末にシャンスラード人やグリマルディ人が発掘されましたが、発見当初、前者はエスキモー(イヌイット)に、後者は黒色人種に類似すると言われました。
でも、その後否定され、そうした類似と見えるのは個体差や、土中に埋没していた際の土圧による変形であり、いずれもクロマニョン人に含まれると現在では見なされています。


(vanc700.jpg)
 
ところで、卑弥子さんが面白いサイトを
やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして
覗いてみてください。


(bitegirl2.gif)

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(linger65.gif)

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(beach02.jpg)

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(2ndbeach.jpg)

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(rengfire.jpg)


(byebye.gif)

歴史が大嫌いだったの?

2011年11月25日

   
 
歴史が大嫌いだったの?
 
 

あなたも歴史に目覚めてね
 
 
そうすれば、あなたも
 
 
こんな気持ちになるんだから…

デンマンさん…歴史ってぇ、それほど面白いものでござ~♪~ますか?

やだなあァ~。。。京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授がそのような寝ぼけた事を言ってもらっては困るのですよ。

あたくしは寝ぼけていませんわ。

源氏物語といえば歴史的にも優れた文学作品なのですよ。 それを教えている卑弥子女史が「歴史ってぇ、それほど面白いものでござ~♪~ますか?」はないでしょう!? 面白いから卑弥子さんも源氏物語に飛びついたのでしょう?

あたくしは歴史の中の「源氏物語」というよりも、源氏物語そのものに惹かれたのでござ~♪~ますわ。

卑弥子さんは、そのように言うかもしれないけれど「源氏物語」は文学の歴史の中では極めて重要な位置を占めているのですよ。 僕が言わなくても卑弥子女史ならば十分すぎるほど理解しているでしょう!?

まあ。。そうですけれど。。。タイトルは、あたくしに向けられたものなのでござ~♪~ますか?

いや。。。実は、卑弥子さんがマスコットギャルをやっている『新しい古代日本史』サイトの記事にコメントをもらったのですよ。

どのようなコメントでござ~♪~ますか?

読んでみてください。

あらっ。。。このコメントをお書きになったトムさんという方が歴史が大嫌いだったのでござ~♪~ますわね。

そうなのですよ。 でも、歴史に目覚めて現在では歴史にハマっているようです。

。。。で、デンマンさんはご返事を書いたのですか?

もちろんですよ。 僕の返信を読んでみてください。

Subj:
コメントありがとう!

バンクーバーのデンマンです。

Date: 23/11/2011 11:57:16 PM
Pacific Standard Time
日本時間: 11月24日 午後3時57分
From: greenok8@infoseek.jp
To: ******@ae.auone-net.jp
CC: barclay1720@aol.com

トムさん、コメントありがとうございます。
大嫌いだった歴史に最近目覚めているようで何よりです。
僕も中学生、高校生の頃は歴史と言えば受験のための教科だと思っていました。
。。。で、大学受験では日本史を選択したような記憶があります。
とにかく、歴史と言えば暗記科目で、僕もうんざりした覚えがありますよ。

好き嫌いというよりも、受験のために否応なく歴史を勉強したのが実情です。
うんざりした記憶だけが鮮明に残っているので、好きな科目ではなかったようですね。
実際、今思い出すと数学や物理と比べたらイヤな科目でしたよ。
歴史に興味を持つようになったのは松本清張の「日本の黒い霧」あたりからです。

それから司馬遼太郎の歴史小説に魅せられました。

歴史が面白く感じるようになったのは社会人になってからで。。。、それでも好きというほどではなく、受験勉強から離れて、マジで興味を惹かれるようになったのでした。
本当に歴史が面白いと思うようになったのはカナダにやって来てからです。
歴史が好きになるのは、どうやら社会人になってから。。。、という人が多いようですね。

僕の記事にコメントをもらうことは少ないのですが、それでも「学校を出てから歴史が好きになった」という。。。確かアメリカ人の女性からコメントをもらったこともありました。

とくに姓氏の成りたち
それぞれの姓氏の歴史について
この辺りから歴史がこじ開けられそうです

なるほどね。
確かに「姓氏の成りたち」は興味深いですね。
藤原氏は、元々は中臣氏という事になっていますが、大化の改新以降に政治にかかわる者たちが「藤原氏」と名乗るようになって、神祇省にかかわる「中臣氏」とは袂を分かって政治家集団を形成したようです。
しかし、元をただせば中臣鎌足の父親は、まず間違いなく百済からやって来て婚姻関係を結んで中臣一族の仲間入りをしたと僕は信じているのです。

中央が鎌足

右が長男の定慧(じょうえ)

左が次男の藤原不比等

中臣鎌足の父親は、元来が政治家だったのですよ。
百済からやって来た人物が日本古来の“神祇”など、初めから胡散臭いものだと思っていたことでしょう!?
だから、もともと中臣氏のやっている事に興味はなかったはずです。

では、なぜ中臣氏と婚姻関係を持ったのか?

当然、中臣氏と婚姻関係を持つことが当時の大和朝廷の中枢に近づき易いと考えたからでしょう!?
元々政治好きですから。。。
だからこそ、後に政治家集団として中臣氏から独立したのだと僕は信じているのです。
もともと「政治」を日本に持ち込んだのは半島からやって来た「蘇我氏」と「藤原氏」ですよ。
原日本人(アイヌ人の祖先)は自然と仲良くする人たちで、政治にはあまり関心がなかった。
だから、「蘇我氏」や「藤原氏」のように血なまぐさい争いごとをしなかった。

『魏志倭人伝』にも次のように書いてあります。

どうして、あなたがた原日本人は集落の周りに、我々中国人の街のように城壁で囲まないの?

これでは、盗賊や殺し屋やゴロツキどもに、どうぞ私の部落に盗みにやって来てください、と無言で招いているようなものじゃないの!?

かなり意訳しましたが(微笑)、原日本人の無防備さに呆れたり驚いたりしているのが、ひしひしと伝わってきますよ。
元々戦いを好まなかったアイヌ人は大陸からやって来た我々(現日本人)の祖先たちによって追いやられて、現在では北海道の北の方で、ひっそりと暮らしています。
これが「アイヌ人が平和を愛する民族」だということの何よりの証拠だと僕は信じています。

『平和を愛したアイヌ人』

我々(原日本人)の祖先、つまり、大陸から海を渡ってやって来た人たち、あるいは半島づたいにやって来た人たちが、いかに好戦的だったかということが分かります。
この好戦的な人たちによって、日本は歴史時代に突入したというのが僕の見解です。

とにかく、トムさん、コメントありがとうございました。
トムさんのメールと僕の返信を使って11月25日に記事を書きます。
次のリンクをクリックして読んでみてください。

『歴史が大嫌いだったの?』

https://denman705.wordpress.com/historia/tom/

日本時間で11月25日のお昼頃には投稿を済ませているはずです。
では、歴史を面白く楽しんでください。

いつものように自分勝手な事を書いていますわね。

言論の自由・表現の自由を満喫しているのですよ。 うへへへへへ。。。

コメントが書かれた記事というのは、どの記事なのでござ~♪~ますか?

次の記事ですよ。

『藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた』

トムさんがコメントを書く気になるほど面白い記事なのですか?

卑弥子さんも読んでみてくださいよ。 愚か者のコメントも書いてあって、そのコメントに対して僕が噛み付いているのですよ。 (爆笑)

それが面白いのですか?

いや。。。記事そのものも面白いですよ。

ところで、「アメリカ人の女性からコメントをもらった」と書いてありますけれど、マジですか?

返信の中にウソや「デマカセ」を書けませんよ。 僕も書いてから気になって調べたのだけれど、アメリカ人の女性ではなくてカナダ人でしたよ。

どのようなコメントをもらったのでござ~♪~ますか?

去年(2010年)の2月にもらった次のようなコメントです。 卑弥子さんも読んでみてください。

Subj: Beaverland Net Form Processor
Date: 04/02/2010 7:02:19 AM
Pacific Standard Time
From: jen_parrell04@canada.com
To: barclay1720@aol.com

MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted: Feb 04 2010 / 07:02:15

userid = barclay1720
tripod = hist-iceage-good
Your_Name = jennifer parrell

Your_Email_Address = jen_parrell04@canada.com

Comments:

This article was good!
For any other person that actually listened in school it would be excellent, but of course i didnt’t.

I’m 24 years old and only now getting interested in the history of the world!
i don’t know why it only interests me now

but lately i find myself searching different web sites to find out different things about the history in which me live in.

If you could help me out in finding some research about it, books or websites
it would be great!

jennifer parrell

この記事読み応えがあったわよ。
学校でお勉強している人が読んだら、きっと、もっと読み応えがあったでしょうね。
でも、私は学校から離れて、しばらくたつのよ。

実は、私ってぇ、24才なのよう。(もう、お勉強する年ではないのよう。)
どうして、今になって世界史に興味を持ったのか?自分でも分からないわ。

でも、最近、どう言う訳か、自分がこれまで生きてきた世界の歴史を知ろうとして、ウェブサイトを探していることが多いのよね。
それで、違った見方で歴史を見ようとしている自分に気づくのよ。

もし、そういう私に助けになるような本だとか、ウェブサイトをあなたが知っていたら、教えていただけませんか?
もし、教えていただけるなら、とっても助かるわ。

ジェニファー・パレル

【デンマン意訳】

『氷河からの女』より
(2010年2月6日)

あらっ。。。メールアドレスを見ると、マジでカナダからですわね。 でも、このメールアドレスは実際のものでござ~♪~ますか?

ジェニファーさんのプライバシーを守るために変えてありますが、実物も間違いなくカナダのメールアドレスでしたよ。

デンマンさんのことですから返信も書いたのでしょう?

よく分かりますね。 読みたいですか?

読みたくないと言ってもデンマンさんのことですから書き出すのでしょう?

よく分かりますね? うへへへへへ。。。 とにかく読んでみてください。

Subj: Thanks for your comment! From Vancouver
Date: 04/02/2010 9:16:19 PM
Pacific Standard Time
From: Barclay1720@aol.com
To: jen_parrell04@canada.com

Hi, Jennifer.

Thanks millions for reading my article and leaving a comment.
Yeah, I think it quite interesting to find out the history from a different viewpoint.
I don’t really remember exactly what book I read to write my story.
If I remember correctly, however, it is the history book published by “Lifetime Books”.
If you’re lucky enough, you could probably fint the title on the Net.

By the way, I’ve lately found “Underworld” fascinating.
It is a history book written by Graham Hancock, who is a best-seller writer and amature archaeologist.
You might have heard his name.
He is quite famous among history buffs.
And I’m one of those. he, he, he…
His homepage is http://www.grahamhancock.com.
In his book, you can for cure find quite a diferent viewpoint toward (or backward) our history.

Again, thanks a lot for reading my article and leaving a comment.
I’m looking foward to hearing from you someday.

Akira Kato
(a.k.a Denman)

ジェニファーさん、こんにちは。

僕の記事を読んでくれて、しかもコメントまで書いてくれて本当に、本当にありがとね。
うん、うん、うん。。。そうだよねぇ~。歴史を違った見方で見直すことってぇ、マジで面白いよね。
どの本を読んで記事を書いたか、僕はすっかり忘れてしまって思い出せないよう。
でも、記憶をさかのぼってみると、確か”Lifetime Books”社が出版した歴史書だと思うよう。
運が良ければネットで探し出せると思うよう。

ところで、最近、”Underworld”と言う本を読んだのだけれど、ジェニファーさんが読んでもハマッてしまうほど面白いよ。
あのベストセラー作家でアマチュアの考古学研究家のグラハム・ハンコックさんが書いた本だよう。
(日本語のタイトルは「神々の世界」です。)

おそらくジェニファーさんも名前ぐらいは、聞いたことがあるかもしれない。
ハンコックさんは、歴史にはまり込んでいる“歴史バカ”の間では有名ですよう。
僕も、その“歴史バカ”だけれど。。。うししししし。。。

彼のホームページの URL は次の通りです。
http://www.grahamhancock.com

ハンコックさんの本を読むと、マジでこれまでとは違った見方で世界史を読むことができると思う。
読んでみてね。

くどいようだけれど、僕の記事を読んでくれて、しかもコメントまで書いてくれて本当にありがとね。
またいつか、ジェニファーさんからコメントをもらえることを期待しています。
じゃあね。

Akira Kato

別の名をデンマンと言います。

『氷河からの女』より
(2010年2月6日)

デンマンさんが歴史にハマッていて、いろいろな本を手当たり次第に読んでいるという事が、なんとなく分かりますわ。

卑弥子さんにも判りますか?

判りますわよう。 あたくしだって『源氏物語』を研究している“専門バカ”の一人でござ~♪~ますから。。。おほほほほほ。。。同じ穴の狢(むじな)ですわよ。

【卑弥子の独り言】

あなたは最近、歴史の本を読みましたか?
ええっ。。。歴史の本ってつまらないから読まないの?

じゃあね、源氏物語を読んでみたら?

ええっ。。。源氏物語って昔の言葉で書いてあるから読んでも分からないと、あなたは、のたまうのでござ~♪~ますか?

現代語で書いてある本もたくさんありますわよ。
あのねぇ~、結構エロい事が書いてあって、その辺に転がっているポルノ雑誌よりもインスピレーションを与えられて、めちゃエロい気持ちになったりして、すっご~♪~く癒されることがあるのでござ~♪~ますわ。 うふふふふふ。。。

ええっ。。。それは変態的な読み方だと、あなたは、のたまうのでござ~♪~ますか?

とにかく、その辺で売っている週刊誌を読むのよりも、ずっと教養と文化の香りが身につくのですわ。
わりい事は言わないから、歴史の本を読まないのだったら、せめて源氏物語の現代語訳ぐらいは読んでくださいましね。

いづれにしても、興味深い記事が続くと思います。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあ、またね。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

デンマンさんのパソコンが約1年ぶりに立ち上がったそうです。

でも、マウスは動かないままですって。

マウスなしで、どうやってパソコンを使うのかしら?

わたしが尋ねたらキーボードのテンキーをマウスとして使うのですって。

このテンキーをどうやってマウスとして使うのかしら?

あなたも知りたいでしょう?

次の記事を読んでくださいね。

『キーボードをマウスとして使う』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあ、また。。。