Posts Tagged ‘アルチンボルドと伊藤若冲’

伊藤若冲ブーム?

2016年4月11日

 

伊藤若冲ブーム?

 


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デンマンさん。。。 “伊藤若冲”に なんで あたくしのズロース姿を貼り出したのでござ~ますかァ~?


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いけませんか?

だってぇ~、伊藤若冲は女性のズロース姿なんてぇ描いたことがござ~ませんわァ~。。。

僕はぜひ伊藤若冲に卑弥子さんのズロース姿を描いて欲しいと思っているのですよゥ。

でも、もうとうの昔に亡くなってしまいましたわァ。。。 

伊藤若冲

(1716年3月1日 – 1800年10月27日)

正徳6年(1716年)、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」(家名と併せて通称「枡源(ますげん)」)の長男として生を受ける。
問屋の仕事は小売ではなく、生産者や仲買・小売の商人に場所を提供して販売させ、彼らの関係を調整しつつ売場の使用料を徴収する流通業者である。
桝屋は多数の商人を管轄していたらしく、商人たちから場所代を取れば十分な利益を上げることが出来たという。
23歳のとき、父・源左衛門の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名する。

「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常から与えられたと推定される居士号であり、老子45章の「大盈若沖(冲は沖の俗字)」から採られた。
大典の書き遺した記録「藤景和画記」(『小雲棲稿』巻八)によると、若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。
商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。

商人時代、若冲は家業を放棄して2年間丹波の山奥に隠棲してしまい、その間、山師が枡源の資産を狙って暗躍し、青物売り3千人が迷惑したという逸話が残る。

齢40となった宝暦5年(1755年)には、家督を3歳下の弟・白歳(宋巌)に譲り、名も「茂右衛門」と改め、はやばやと隠居する(当時、40歳は「初老」であった)。
宝暦8年(1758年)頃から「動植綵絵」を描き始め、翌年10月、鹿苑寺大書院障壁画を制作、明和元年(1764年)には金刀比羅宮奥書院襖絵を描く。
明和2年(1765年)、枡屋の跡取りにしようと考えていた末弟・宗寂が死去した年、「動植綵絵」(全30幅のうちの)24幅と「釈迦三尊図」3幅を相国寺に寄進する。
このとき若冲は死後のことを考えて、屋敷一箇所を高倉四条上ル問屋町に譲渡し、その代わり、問屋町が若冲の命日に供養料として青銅3貫文を相国寺に納めるよう契約した。


出典: 「伊藤若冲」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊藤若冲さんは1716年にお生まれになって 1800年にお亡くなりになったのですわ。。。 そういうわけで今年、2016年は伊藤若冲さんの生誕300年なのでござ~ますわァ~。。。


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あれっ。。。 卑弥子さんは意外に江戸時代の美術に関しても詳しいのですねぇ~。。。

これでも京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を教えている橘卑弥子・准教授なのでござ~ますわ。。。 おほほほほほほ。。。 んで、どういうわけで伊藤若冲さんを取り上げたのでござ~ますか?

ちょっと次のリストを見てください。


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『拡大する』

これはアメブロの僕のブログの4月2日から8日までの1週間の「リンク元URL リスト」ですよ。。。 赤枠で囲んだ 36番に注目してください。

あらっ。。。 Yahoo!で「伊藤若冲」を入れて画像検索して デンマンさんのブログにやって来たネット市民の皆様が 3名ほど居たのでござ~ますわねぇ~。。。 それで、どの記事をお読みになったのでござ~ますか?

36番のリンクをクリックすると 次の検索結果が出てくるのですよ。


(yah60410a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

つまり、デンマンさんの記事の中に上の画像のどれかが出てくるのでござ~ますわねぇ~。。。?

そういうことです。。。 でもねぇ~、上の画像を一つづつ見ていったのだけれど、どの画像も僕の記事では使ったことがないものなのですよ。。。

でも、デンマンさんの書いた記事の中で どれかを使ったから Yahoo!で画像検索して その結果の中から一つの画像をクリックしてデンマンさんの記事を読んだということでしょう!?

そういうことなのですよ。。。

じゃあ、もっと最後の方のページに出てくるのですわねぇ~。。。

たぶん、そうでしょう。。。 でも、一つづつ見て行くのは時間の無駄なので次のようにして検索してみたのですよ。


(yah60410b.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

アメブロの僕のブログの URL を付け足して「伊藤若冲 ameblo.jp/barclay」を入れて画像検索したのですよ。。。 すると僕の記憶にある絵が赤枠で囲んだ左上に出てくるのですよ。


(yah60410c.png)

『拡大する』

上のページの赤枠で囲んだリンクをクリックするとアメブロの僕の記事が出てくるのです。


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『実際の記事』

あらっ。。。 『アルチンボルドと伊藤若冲』という記事を読んだのですわねぇ~。。。

そういうことです。

でも、次の絵は伊藤若冲さんが描いたものなのですかァ~?


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この上の絵は歌川国芳(1798ー1861)という江戸時代の浮世絵師が描いたものですよ。。。 「寄せ絵」とよばれるトリックアートの人物画です。

どういうわけで、伊藤若冲さんとは関係ない絵を冒頭に出したのでござ~ますか?

だから、その事を上の記事の中で僕は書いているのですよ。。。 卑弥子さんもクリックしてじっくりと読んでみてください。

つまり、この事を言うために、わざわざ あたくしをお呼びになったのでござ~ますか?

いや、それだけではありません。。。 最近 卑弥子さんも人気が出てきたようなので ネットで卑弥子さんの美しい写真がどれだけ出回っているのか調べてみたのですよ。。。 その結果を見てください。


(gog60411b.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「デンマンの記事に出てくる卑弥子さん」を入れてGOOGLEで画像検索したのですよ。。。 けっこう たくさんネットに卑弥子さんが出てくるのですよ。

あらっ。。。 うれしいわあああァ~。。。 じゃあ、今年こそ結婚できるでしょうか?

まず間違いなく、素晴らしい男性が現れますよ。


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ですってぇ~。。。
確かに、最近 あたくしは人気が出てきたようなのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 信じられないのですか?

実は、あたくしは毎日ジムに通って女の魅力を鍛えたのでござ~ますわ。

ええっ。。。 どんな女の魅力かってぇ~。。。?

“ヴィーナスのえくぼ”でござ~ますわよう!

うふふふふふ。。。

あなたは信じられないでしょう?

じゃあ、ここでお見せしますわねぇ~。。。


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どうでござ~ますかァ?

この魅力によって あたくしの人気が出てきたのだと思うのですわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

戦前の“ズロース”のお話も、大変興味深いですけれど、

日本の古代にも いろいろな面白いお話がござ~ますわァ。

だから、あなたのために平安史、古代史の記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいまし。
では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

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定慧出生の秘密 

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渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

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今、日本に住んでいる人は

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マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『オルフェと聖徳太子』

『寅さんの本棚』

『平成の紫式部』

『心にしみるウンチ』

『念願のトップページへ』

『愛とロマンの昔話』

『愛とロマンのアクセス解析』

『兄妹の恋のつづき』

『源氏物語エロいの?』

『酒が行って着物目変境』

『日本は外人に乗っ取られたの?』

『ん?ヒトラーはベジタリアン?』

『ふるさとの選挙と黒い霧』


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『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』

『ズロースと戦争』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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アルチンボルドと伊藤若冲

2012年11月14日

 

アルチンボルドと伊藤若冲

 


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美術に関心のある人ならば上の絵を見て、これがウィーンの宮廷画家のジュゼッペ・アルチンボルドが描いたものではないし、また伝説的な伊藤若冲(じゃくちゅう)が描いたものでもないと、すぐに分かるでしょう。
知っている人もいると思いますが上の絵は歌川国芳(1798ー1861)という江戸時代の浮世絵師が描いたものです。
「寄せ絵」とよばれるトリックアートの人物画です。

どうしてアルチンボルドと伊藤若冲に関係のない上の絵を初めに持ち出したのォ~?
あなたは、そう思うかもしれません。

実は関係が全く無いわけではないのです。
次の絵を見てください。


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人の横顔だとすぐに見て取れます。
でも、よく見ると果物や野菜を使って人の横顔を構成しているのです。
頬には桃が使われていますし、
顎にはイチジクが使われ、
鼻はキュウリ、あるいはズキーニ(zucchini)が使われているようです。
もちろん、実物を使っているのではなく、あたかも実物を使っているように描いてあります。

これはウィーンに住んでいた宮廷画家のジュゼッペ・アルチンボルドが1573年に描いたものです。
この作品は「夏」と題されたもので 「冬」「春」「夏」「秋」、つまり、四季の連作の一枚です。


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衣服は小麦が使われており、よく見ると首に当たるところに自身の名前が書き込まれています。
Giuseppe Arcimboldo (ジュゼッペ・アルチンボルド)
また肩のところに制作した年(1573)が書き加えられています。

どうしてアルチンボルドを取り上げたのォ~?
あなたは、そう思うかもしれません。

実は、夕べ「美の巨人たち」という本を読んだのですよ。
149ページには次のように書いてありました。

「四季」の連作を完成させたアルチンボルドは、「大気」「火」「大地」「水」の四枚に着手しました。
「四大元素」と呼ばれる連作です。

その制作の途中で、フェルディナント一世は病のために亡くなってしまいます。
後を継いだのは、息子のマクシミリアン二世。
アルチンボルドは、マクシミリアン二世に「四季」と「四大元素」の連作を献上したのです。

彼は、なぜこのような作品を描いたのでしょう?

ウィーン美術館の絵画館長に解説をお願いしました。

「アルチンボルドは、『四季』と『四大元素』を何度か描いていますが、わが美術館の作品は、最初に書かれたもので、皇帝が自分のコレクションとして大切に所有していたものです。

なぜ、このような絵を描いたのか、アルチンボルドの同僚だったフォンテオの詩に基づいて、解説がなされてきました。
夏は、火のように暑く乾燥しており、冬は水のように寒く湿っているというように、『四季』と『四大元素』には、同じ性質を持つもの同士の対話があるのです。
また、森羅万象を描くことで、宇宙を含めたハプスブルク家の権威、世界観を暗示しているのです。

たとえば、「夏」。
顔に組み合わされた野菜や果物は、すべてハプスブルク帝国の領地で取れた作物が使われているといわれています。

 (中略)

アルチンボルドは、森羅万象に秘められた寓意を駆使し、世界を支配するハプスブルク家にふさわしい芸術を作り上げようと願ったのです。

(デンマン注: 読み易くするために改行を加えています。
赤字はデンマンが強調)


149-150ページ
『小林薫と訪れる「美の巨人たち」』
編者: テレビ東京
2005年1月28日 1版2刷発行
発行所: 日本経済新聞社

本に書いてあるように、果たしてアルチンボルドは、森羅万象に秘められた寓意を駆使し、世界を支配するハプスブルク家にふさわしい芸術を作り上げようとしたのか?
僕は、そのようには思わないのですよ。

なぜ?

なぜなら、もう一度歌川国芳(1798ー1861)の「寄せ絵」を見てください。


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見れば見るほどにユーモラスで面白い。
そう思いませんか?

ジュゼッペ・アルチンボルドの絵から影響されたのではないか!?
そのように言う美術史家もいますが、国芳以前から日本には「寄せ絵」の伝統はありました。
もし、国芳がアルチンボルドの絵を見ていたとするなら、多分同じように野菜や果物を使って「寄せ絵」を描いていたと思うのです。

国芳(1798ー1861)が暮らしていた江戸時代の後期には、身の回りの様々なものを組み合わせた作りものを公開する細工見世物が流行(はや)りました。
竹の篭目を編んで人物や動物を作り上げ、その大きさは時には高さ20メートルにも及んだという駕籠細工などの見世物が催されたのです。
国芳はこうした見世物からアイデアを思いついたとしても不思議ではありません。
おそらく、上の「寄せ絵」は国芳独自の発想だと思います。

実は、アルチンボルドの描いた絵の中にも次のようなものがあるのです。


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この絵などは、かなりユーモラスで面白い人物画だと思いますよね。
まさに愉快で滑稽な「寄せ絵」だと僕には見えます。

結論を言えば、アルチンボルドは「夏」を含めた「四季」の連作で森羅万象に秘められた寓意を駆使し、世界を支配するハプスブルク家にふさわしい芸術を作り上げようとしたようには思えないのです。
では、どうして上のような絵を描いたのか?


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ジュゼッペ・アルチンボルドはハプスブルク家に仕えた宮廷画家でした。
見るからに真面目そうで律儀そうな宮廷画家です。
なんと3代の皇帝に仕えたのでした。
儀式、儀礼だとか「仕来(しきた)り」だとか、とにかく堅苦しい息も詰まりそうな宮廷にあって、3代の皇帝に仕えていたら、もうノイローゼになるか過労死にもなってしまいそうです。
あなたも、そう思いませんか?

だから自分なりに「ガスぬき」をしていたのだと僕は思うのですよ。
それがアルチンボルドの野菜と果物を使った「寄せ絵」になったと思うのです。

もし、野菜と果物を使った「寄せ絵」ではなく、国芳が描いたような「寄せ絵」を皇帝に献上していたらアルチンボルドの首は飛んだかもしれません。
でも、野菜と果物を使った「寄せ絵」だったので皇帝もユーモアを感じて面白いと思ったのでしょう。

実は皇帝だって宮廷の暮らしに堅苦しさを覚えて飽き飽きしていたに違いないのです。
だからこそ、皇帝はアルチンボルドの描いた「寄せ絵」を自分のコレクションとして大切に保存しておいたのだと思います。
つまり、その面白い絵を見ることで、時には宮廷の堅苦しい儀式とか儀礼から離れて息抜きをしていたのでしょう。
僕はそう思うのですよ。

どの画家にも「ガス抜き」や「息抜き」が必要だったと思いますね。
精神を健康に保つためにも。。。

それは伊藤若冲にも言える事だと思うのです。
彼は次のような絵を描いています。


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これは「野菜涅槃図」と呼ばれるものです。
「涅槃図」というのは、もともとお釈迦様が亡くなられる様子を書いたものなのです。


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この絵からも解るように決してユーモアやふざけた気持ちで描く絵ではありません。
それを敢(あ)えて野菜を使って伊藤若冲は「涅槃図」を描いています。

大根をお釈迦様に見立て、その大根が亡くなるのを見守るように他の野菜たちが大根を囲んでいる絵です。
「涅槃図」がどのようなものなのか?
それを知っていれば、「野菜涅槃図」はユーモラスで可笑し味のある絵です。

では、伊藤若冲はどうして「野菜涅槃図」を描いたのか?

「美の巨人たち」には次のように書いてあります。

若冲がある画題に愛情を覚え始めるのは、60を過ぎてからのことです。
それが野菜でした。
ちょっと不思議な絵を描いたのです。
「野菜涅槃図」という題がつけられています。
かつて青物問屋の主だった男は、野菜の中にいったい何を見つめていたのでしょうか?

涅槃図は釈迦の入滅の模様を描いた絵です。
悟りを開いた釈迦は、沙羅双樹の下で穏やかに体を横たえ、その生涯を終えました。
周囲には、釈迦の十大弟子や菩薩たちが、支えを失ったように悲しみに暮れています。
若冲は、その涅槃図を野菜で描きました。
その心は……、「野菜愛」。

豊作を祝う京都北野天満宮のずいき祭。
担ぐ神輿は野菜で作られています。
京都は独特の野菜文化を育んできた都です。
その中心に(若冲が生まれ育った)錦小路がありました。

江戸時代、京都周辺のみならず、遠くは中国から実にさまざまな野菜が集まってきました。
若冲は、その錦小路で生まれ育った人です。
商いは苦手でしたが、野菜には人一倍の愛着があったのかもしれません。

「野菜涅槃図」には、実に多くの野菜や果物が描かれています。
お釈迦様に見立てたのは大根です。
沙羅双樹の木は、トウモロコシの茎です。
ライチやランブータンという中国から輸入された珍しい果物もあります。
その数は66種類。
若冲は、この絵にどんな思いを込めたのでしょうか?

(デンマン注: 読み易くするために改行を加えています。
赤字はデンマンが強調)


58-59ページ
『小林薫と訪れる「美の巨人たち」』
編者: テレビ東京
2005年1月28日 1版2刷発行
発行所: 日本経済新聞社

伊藤若冲の生涯は『ウィキペディア』には次のように書いてあります。

伊藤若冲

正徳6年(1716年)、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」(家名と併せて通称「枡源(ますげん)」)の長男として生を受ける。
問屋の仕事は小売ではなく、生産者や仲買・小売の商人に場所を提供して販売させ、彼らの関係を調整しつつ売場の使用料を徴収する流通業者である。
桝屋は多数の商人を管轄していたらしく、商人たちから場所代を取れば十分な利益を上げることが出来たという。
23歳のとき、父・源左衛門の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名する。

「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常から与えられたと推定される居士号であり、老子45章の「大盈若沖(冲は沖の俗字)」から採られた。
大典の書き遺した記録「藤景和画記」(『小雲棲稿』巻八)によると、若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。
商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。

商人時代、若冲は家業を放棄して2年間丹波の山奥に隠棲してしまい、その間、山師が枡源の資産を狙って暗躍し、青物売り3千人が迷惑したという逸話が残る。

齢40となった宝暦5年(1755年)には、家督を3歳下の弟・白歳(宋巌)に譲り、名も「茂右衛門」と改め、はやばやと隠居する(当時、40歳は「初老」であった)。
宝暦8年(1758年)頃から「動植綵絵」を描き始め、翌年10月、鹿苑寺大書院障壁画を制作、明和元年(1764年)には金刀比羅宮奥書院襖絵を描く。
明和2年(1765年)、枡屋の跡取りにしようと考えていた末弟・宗寂が死去した年、「動植綵絵」(全30幅のうちの)24幅と「釈迦三尊図」3幅を相国寺に寄進する。
このとき若冲は死後のことを考えて、屋敷一箇所を高倉四条上ル問屋町に譲渡し、その代わり、問屋町が若冲の命日に供養料として青銅3貫文を相国寺に納めるよう契約した。


出典: 「伊藤若冲」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。
でも、絵を描くことには夢中になった人なのです。
事実、商売熱心でない青物問屋「枡屋」の主人が書いたとは思えないような絵を描いた。


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このような素晴らしい絵を描いた伊藤若冲が60歳を超えて「野菜涅槃図」にどんな思いを込めたのでしょうか?
死人に口無し!
今となって本人に聞き出すことはできないけれど、
それはジュゼッペ・アルチンボルドにも歌川国芳にも共通することだったと思うのですよ。
つまり、人生の「ガス抜き」「息抜き」。
僕はそう思いますね。

【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
そうでしょうか?
人生の「ガス抜き」「息抜き」でユーモアが感じられる絵を描いたのでしょうか?
あなたはどう思いますか?

考えてみると、誰にも「ガス抜き」「息抜き」が必要ですわ。

ええっ。。。あたくしですか?
もちろん、ときたま「ガス抜き」「息抜き」をしておるのでござ~♪~ます。
たとえば。。。


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あたくしは、このような姿になって自分を鏡に映してみとれるのが「ガス抜き」「息抜き」なのでござ~ますわ。
うふふふふふふ。。。

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。
じゃあ、またねぇ。。。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

わたしの「ガス抜き」と「息抜き」は

ハーブティーを味わうことですわ。

日本のハーブティーは、なんといっても桜湯だそうですけれど、


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カナダ、アメリカ、イギリスではハーブティーとして

ローズティーが好まれています。

普通、ローズヒップティーと呼ばれます。

ローズヒップ(rose hip)とは

バラ科バラ属の植物の果実。

つまり、バラの実です。

ローズヒップ生産のため、バラの特定品種、

特にRosa canina(ドッグ・ローズ)が栽培されています。

ハイビスカスとブレンドしたハーブティとして飲用されることもあります。

また、ローズヒップオイルは食用油として、

ジャム、ジェリー、マーマレードにも用いられるほか、

スキンケアにも用いられます。

こんなエピソードがありました。

第二次世界大戦中、

イギリスはドイツ海軍Uボートの海上封鎖により

オレンジの輸入がストップしたのです。

ビタミンCの補給ができなくなったのです。

それで、英国の学童たちは生垣に生えている

ローズヒップの採集を命じられました。

ローズヒップティーにして飲んで

ビタミンCを補給したのですって。。。


(rosehip.jpg)

なんだか信じられないようなお話ですよね。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。


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