シルヴィーとケネディ夫人


 

2011年6月15日 (水曜日)

 

シルヴィーとケネディ夫人

 


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ケネディ夫人


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政治の街、ワシントンには、二種類の人間がいる。 ジャンピエールを知っている人と彼の存在を知らない人だ。
まだほんの一握りの選ばれし者たち、エスタブリッシュメントと呼ばれる一群が、この政治・情報都市を支配していた時代、仲間内でこう囁(ささや)かれていたのである。 彼らパワー・エリートたちは、首都の地下水脈から滲み出てくる情報を一手に握り、それゆえに権力を支配することができたのだった。 情報と人脈が毛細血管のように張り巡らされたこの街の結節点に位置していたのが、高級フレンチ・レストラン「リヨン・ドール(黄金の獅子)」だった。 そして、オーナー・シェフのジャン・ピエール・ゴイエンバーレこそ、権力という名の交響楽をともに奏でる指揮者であった。

 (中略)

「思い出の賓客のなかで、たったひとりだけ、忘れえぬ人を挙げるとすれば誰でしょうか」
伝説に包まれたオーナー・シェフに、こう水を向けてみた。
ジャン・ピエールの答えは、映画『ローマの休日』で記者会見に臨んだオードリー・ヘップバーン扮する王女のようだった。


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「そりゃどのお客様も、それぞれにじつに印象深い方々ばかりでした。 どなたか、ひとりだけと言われましてもね。 とてもお答えできるものでは……」

そう言いかけて、ジャン・ピエールは言葉を呑みこんだ。
「いや、やはり、ジャクリーヌ・ブーヴィエ・ケネディ夫人でしょう

彼はきっぱりと言い切った。 フランス姓のミドル・ネームまで丁寧に言い添えて。
「なんと申し上げても、あの方を措いて他にはありますまい」
「リヨン・ドール」の入り口に現れたその瞬間から、店内はぱっと明かりが灯ったようだったという。


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「なんとも華がおありでした」
オーナー・シェフは、往時を懐かしんだ。

「私には時々フランス語で話しかけてくださることもございました。 なんとも典雅な所作は、そりゃ、今でも隅々まで思い起こすことができます」
ほっそりと伸びた指で操る、そのフォークさばきは、上品このうえなかったという。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


26 – 32ページ
『葡萄酒か、さもなくば銃弾を』
著者: 手嶋龍一
2008年6月4日 第3刷発行
発行所: 株式会社 講談社


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ケイトー…どうして私とケネディ夫人の写真を並べて貼り出したの?


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あのねぇ~、シルヴィーがまだインドネシアに居る頃にアメリカが当時のスカルノ大統領に接近していたのですよ。

どうして。。。?

当時はアメリカとソ連が冷戦の真っ最中だった。 インドネシアには次のような問題があった。 シルヴィーも知っているでしょう?

1949年のハーグ協定によってオランダがインドネシア独立を認めた際に、最後まで難航したのはオランダ植民地であったニューギニアの帰属であった。
オランダはニューギニアの住民はマレー系民族のインドネシアとは異なる別民族であると主張していた。
1910年にオランダは蘭領東インドからニューギニアを切り離して別個の植民地にしたこともありインドネシア領土の対象外であるとした。

インドネシアの民族主義者たちは全オランダ領がインドネシアとして独立することを望んでいた。
結局、ニューギニア問題は棚上げにしてハーグ協定は締結されたが、その間にオランダはジャワ島、スマトラ島からニューギニアへのオランダ人の入植者を募った。
1961年12月1日、オランダ領は国連暫定統治に置かれたが、オランダは新たに国旗、国歌を制定しパプア国としてニューギニアを独立させる準備をすすめた。


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スカルノ大統領と周恩来首相と

デヴィ夫人 ムルデカ宮殿(1964年)

(Merdeka Palace in Jakarta)

オランダの対応に業を煮やしたスカルノ大統領は総力をあげてトリコラといわれるイリアン奪回を宣言した。
そして1961年12月、マンダラ作戦と称する軍事行動を開始した。
海戦で砲火を交え、落下傘部隊の降下作戦を指揮したのは後に大統領になるスハルト将軍であった。


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スハルト将軍

さらにインドネシアは強硬策を講じ国内のオランダ資産を没収した。

事態の進展に憂慮したアメリカの支援をえて外交交渉の結果、1962年のニューヨーク協定でニューギニアのオランダ領の暫定統治はインドネシアに委任され、数年後に住民の意志を確認した後にインドネシアに
併合されることになった。

デヴィ夫人が写真に写っている1964年当時、私はまだ小さかったのよ。 上に書いてあるような事件は全く知らなかったわ。。。で、アメリカのケネディ大統領がインドネシアに好意的だったの?

あのねぇ、当時のケネディ大統領がインドネシアに好意的だったのは、ニューギニア帰属問題でスカルノ大統領を怒らせるとインドネシアがアメリカから離れて中国とソ連側の共産党陣営につくことを恐れたからですよ。

。。。で、ケネディ夫人がニューギニア帰属問題にからんでいるの?

いや、直接絡んでなかったけれど、この当時、ケネディ家にもいろいろと問題があってねぇ。。。

どのような。。。?

ちょっと読んでみてくださいよ。

(ケネディ夫人の実家)ブーヴィエ家の高貴な血は偽りだった。
フランスのドフィーネ地方の名家ブーヴィエと何のつながりもなかったのである。
ジャクリーヌの祖父に当たるジョン・ブーヴィエ・ジュニアが、大枚をはたいて「虚構の家系図」を買い取ったのだった。
後に歴史家がその事実を詳しく考証している。

(中略)

作家スコット・フィッツジェラルドが『華麗なるギャツビー』で描いた、あの豪勢な世界に住みたければ、富と権力を兼ね備えた男をつかまえることよ。
これが、実の母、ジャネット・リーが身を以って娘に教えた人生訓だった。
ミス・ポーターズ校の学費にさえ、事欠いてしまう。
実の父が投機で失敗し、仕送りも滞りがちになったからだ。
母の再婚によってオーチンクロス家の片隅に加えられはしたが、その目くるめくような資産の相続には与(あずか)れなかった。
ジャクリーヌもまた自力で富のある男を探さねばならなかった。
その標的こそ、ケネディ財閥の独裁者、ジョセフ・P・ケネディ・シニアだった。

華やかなパーティの席上で、ある日、ジョセフの次男ジョン・フィッツジェラルド・ケネディに出会う。


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彼はすべての人を虜(とりこ)にしてしまう魅力に溢れていた。
自分の内面を怜悧に見つめる内省的な知性、自らを貶(おとし)めて相手を笑わせる独特のユーモア。
ジャクリーヌ・ブーヴィエもたちまち彼に魅せられてしまった。

 (中略)

ジョンの父ジョセフは、女優グロリア・スワンソンを公然の愛人にしていただけではない。


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この親子は、寝室を共にした女の数を競い合い、同じ女性を融通することまでしていたのだった。
ジョンはジャクリーヌを娶(めと)った後も、合衆国大統領の座を目指しながら、一方で、女優、人妻、客室乗務員、秘書、ジャーナリスト、コールガールと、おびただしい数の女性と関係を持ち続けていた。
ジャクリーヌは、次第にそうした一族の秘密を知るようになる。


33 – 37ページ
『葡萄酒か、さもなくば銃弾を』
著者: 手嶋龍一
2008年6月4日 第3刷発行
発行所: 株式会社 講談社

でも、これはJFKが大統領になる前のことでしょう?

いや、前にも話したとおり女性問題はJFKが大統領になってからもホワイトハウスに持ち込まれたのですよ。

。。。で、ケネディ大統領とインドネシア動乱(9.30事件)が関係あるの?

インドネシア動乱(9.30事件)が起こったのでシルヴィーは家族と一緒にオランダに逃げ出したのだけれど、もしケネディ大統領が暗殺されなかったら、CIAが裏で動いたインドネシア動乱(9.30事件)は起こらなかったかもしれない。 つまり、動乱が起こらなかったらシルヴィーと僕はカナダで出会うことはなかったかもしれない。。。

ケイトーは、どうしてそう思うの?

ちょっと次の文章を読んでみてね。

ケネディ政権


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ケネディ政権には、国家の安全保障を委ねられるにふさわしい「最も聡明にして賢明な者たち」が結集しているとされた。
国家安全保障担当大統領補佐官には、ハーバード大学の学長を努めたマクジョージ・バンディが、また国防長官にはフォード社長からロバート・マクナマラが起用された。
「若いながらも、当代切っての」と謳われた逸材が綺羅星のように居並んでいた。

だが、大統領が核戦争の淵に立たされたとき、縋(すが)るようにして頼ったのは、ワシントン政界の奥深く棲むフクロウといわれた老政客(ロバート・ロベット翁)だった。

 (中略)

すでに空軍を中心に軍部は不穏な動きを見せていた。
ペンタゴンでは、キューバへの空爆の準備を着々と進めていたのだった。
大統領の最終的な命令が下れば、直ちに爆撃機を発進できるように空爆目標の選定もほぼ終わっていた。
……主戦論の中核にいたのが、空軍参謀長、カーティス・ルメイだった。
この主戦派は、かつてドイツと日本への戦略爆撃を指揮し、空の英雄と呼ばれていた。
戦後もアメリカン空軍に君臨して、膨大な軍事予算を握り、多数の国防族議員まで要して巨大な政治集団を形成していた。

そのため、ジョン・F・ケネディは、カーティス・ルメイを頂点とする空の制服組を抑えるため、ロベット翁の隠然たる政治的権威を必要としたのだった。

 (中略)

ジョン・F・ケネディは、軍部の空爆論を抑えて、海上封鎖に傾いていった。
キューバへの海上航路を遮断し、ソ連がこれ以上のミサイルを持ち込むことを断じて許さないという決意を示そうとしていた。
だが、空からの奇襲を強く主張する空軍を率いるカーティス・ルメイは、武力行使に同調しない大統領に詰め寄った。

「私は大統領とは違い、キューバを爆撃しても、ソ連がベルリンを攻撃することはないと考えております。
 空爆を断念することは、ミュンヘンの宥和主義とおなじくらい悪しき選択です」

ミュンヘン宥和主義。 ケネディ一族に対して毒を含んだ物言いだった。
1938年のミュンヘン会談で、イギリスはチェコスロバキアのズデーテン地方をヒトラーに分け与えることで一時の平和を保とうとし、それが第二次世界大戦に道を開いてしまったといわれた。
当時駐英大使だったケネディの父ジョセフは、このミュンヘンの宥和主義を支持したと批判されていたからだ。
だが、カーティス・ルメイの挑発をしりぞけて、大統領は海上封鎖に心を決めていた。

「諸君の見解は尊重する。 なぜ、海上封鎖を選択するのか。 それは全面核戦争へのエスカレーションを避けなければならないからだ

ジョン・F・ケネディがこういい残して退席したあと、将軍たちが若き大統領をあしざまに罵る様子が「ケネディ・テープ」に録音されている。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


107 – 111ページ
『葡萄酒か、さもなくば銃弾を』
著者: 手嶋龍一
2008年6月4日 第3刷発行
発行所: 株式会社 講談社

カーティス・ルメイは大変な人物なのですよ。 しかも、この空の英雄は自分でもやってはいけない事をしたと認識していた。

ケイトーはどうしてそのようなことを平気で言えるの?

カーティス・ルメイの略歴を見ると分かりますよ。

カーチス・ルメイ

キューバ危機勃発時には、キューバ空爆をジョン・F・ケネディ大統領に提案したが却下された。
ルメイら空軍首脳部は圧倒的な兵力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。
実際にはキューバ危機の時点ですでにキューバに核ミサイルが数十基配備済みであったことは、第三次世界大戦を招きかねない完全な見当違いであった。

ベトナム戦争では空軍参謀長の任にあり、「(北)ベトナムを石器時代に戻してやる」と豪語して北爆を推進した。
なお、北爆が開始された1965年に除隊した。

叙勲と波紋

1964年航空自衛隊創立10周年に、航空幕僚長の浦茂の招待を受け来日、航空自衛隊創設時の戦術指導に対する功績により、日本政府より勲一等旭日大綬章を授与された。
これは参議院議員で元航空幕僚長源田実と小泉純也防衛庁長官からの強力な推薦によるものであった。
なお勲一等に叙する勲章は本来、授与に当たって直接天皇から渡される(天皇親授)のが通例であるが、昭和天皇はルメイと面会することはなかった。

ルメイは第二次世界大戦時に日本の都市に対する無差別戦略爆撃を立案・指揮者であることから、日本国内では叙勲に対し「勲章は誰の血であがなわれた物か」と批判が根強くあり、国会でも社会党などを中心として反対論があった。
批判が強い状況での叙勲の経緯については、源田実の特攻隊戦術の責任不問との交換材料など、さまざまな推測がなされている。
なお、ルメイは叙勲について自ら進んで公表することはなかったが『NHK特集 東京大空襲』でのNHKの取材にインタビューには応じず、勲章を見せ(間接的に)責任不問を示した。
現在でも授章を取り消し・返還をするべきだと批判する意見がある。

退役後

1965年2月に退役。1968年には、ベトナム戦争の推進を支持し、人種差別的な綱領を掲げた前アラバマ州知事、ジョージ・ウォレス大統領候補とともにアメリカ独立党 (American Independent Party)の副大統領候補として出馬するが落選。
1990年10月1日没。

評価

ルメイの行為は、多くの罪の無い民間人を殺戮したことに加え、貴重な文化財(寺院・仏閣・城郭など)を灰燼に帰す結果をもたらしたために、特に対日作戦について、前任者であるハンセル准将と違い、一部政治家、文化財研究家からは強く非難されている。
特に日本では、ルメイは残虐な無差別戦略爆撃の父として評価が定まっている。
右派においてもアメリカに批判的な者の場合、小林よしのりのように、著作で批判的に取り上げる例がある。
また、ルメイに近い戦勝国で計画を進める側の立場にあったマクナマラも『フォッグ・オブ・ウオー』で「勝ったから許されるのか?私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」とも述べている。

しかしルメイの立場から見れば、その戦略はあくまでも戦争において敵の損失を最大化させるという爆撃部隊における合理性と効率を追求したものであるという。


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ルメイ自身は「アメリカが敗戦するなら自分は戦争犯罪人として処せられる」と述べている。

また、ドイツ本土への爆撃に赴く搭乗員に対して次のようにも述べている。


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君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まれたとしよう。
そんなときはきっと、何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供のうえに崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ三歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。
正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたのなら、そんなものは忘れることだ。


ドイツ空襲の意見を聞かれて
『戦略・東京大空襲』
E・バートレット・カー著・大谷勲訳

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アメリカが敗戦するなら

自分は戦争犯罪人として処せられる

カーティス・ルメイはこのように言っていた。 つまり、やってはいけない事を自覚していたのですよ。

でも、戦争というのは人間がやってはいけない事をするのがそもそも戦争でしょう?

だったら戦争が終わった後でニュールンベルグ裁判や東京裁判をやって敵国人の将軍を死刑にするのはヤバイと思うよね。 勝ったアメリカの将軍だって人間としてやってはいけない事をやったのだから。。。

でも、「勝てば官軍」と日本の諺にもあるじゃない。 戦争に勝てばどこの国だって勝手な事をやるものなのよ。

シルヴィーってぇ、けっこうドライに割りきってしまうんだね。

だってぇ、歴史を見れば、そういうことでしょう。 負けたら悲惨な目にあうのよ。

つまり、インドネシア動乱(9.30事件)が起こったのでシルヴィーは家族と一緒にオランダに逃げ出したのだけれ、別にシルヴィーはなんとも思ってないの?

昔の事をとやかく言っても仕方がないでしょう。 もう過去に後戻りすることはできないのだから。。。

だから、そのような惨めな事が二度と再び起こらないように、こうして僕とシルヴィーが語り合っているんじゃないか!

でも、悪い人たちは権力とお金を求めて戦争を起こすものなのよ。

だから、そういう人たちが戦争を起こさないように、僕とシルヴィーが語り合っているんじゃないか!

語り合うだけで戦争が起きないとしたら国際連合なんていらないわよ。

あのねぇ、シルヴィーは、そう言うけれど、国際連合があっても戦争は起きているんだよ。

だから、こうして語り合っても何にもならないのよ。 誰もが戦争を嫌がるけれど、戦争はなくなっていない。 起きるものは起きるのよ。

いや。。。誰もが戦争を嫌がるわけじゃない。

戦争が好きな人なんて居ないわよ。

それが居るんだよ!

どこに。。。?

「ケネディ政権」の引用の中に書いてあるでしょう!?

(空の英雄は)戦後もアメリカン空軍に君臨して、

膨大な軍事予算を握り、

多数の国防族議員まで要して

巨大な政治集団を形成していた。

この集団こそ戦争を起こそうと考えていた主戦派だったのですよ。 つまり、戦争の好きな人たちだったのですよ。 かつてアイゼンハワー将軍も苦々しく思っていたのですよ。

マジで。。。?

ジューンさんも次のように書いていましたよ。


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こんにちは。ジューンです。

「軍産複合体」って聞いたことがありますか?

1961年1月、アイゼンハワー大統領が

退任演説の中で

「軍産複合体」の存在を指摘しました。

米国での「軍産複合体」は、軍需産業と

軍隊の総元締めである国防総省

それに政府(議会、行政)が結びついたものです。

第41代および第43代米国大統領を

生み出したブッシュ家は、

軍産複合体を生業としてきました。

第43代米大統領の曽祖父のサミュエル・ブッシュは

オハイオ州で兵器を製造していた

バッキー・スティール・キャスティング社を

経営していました。

祖父のプレスコット・ブッシュは東京大空襲で

大量に使用された焼夷弾である

集束焼夷弾E46の製造を

行なっていたドレッサー・インダストリーズ社に

関与していたのです。

第41代ブッシュ大統領は

このド社の石油部門で働いていたのです。

その後、第41代ブッシュ大統領はCIA長官、

副大統領、大統領時代において、

海外との兵器貿易を押し進めており、

副大統領時代には

イラン・コントラ事件が起きています。

この事実だけを見ても、

「軍産複合体」の動きが見えてきますよね。


(vanc700.jpg)

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』


(laugh16.gif)

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。


(sync.gif)


『軍隊のない国家』
(2011年3月21日)


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つまり、ほとんどの市民は戦争が嫌いだけれど、「軍産複合体」を支持している人たちは戦争が大好きだとケイトーは言うのォ~?


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その通りですよ。

つまり、ケネディ大統領が邪魔になったので「軍産複合体」の狂信的な一部の人が暗殺計画を立てて遂行したとケイトーは言うのォ~?

シルヴィーもやっと僕の言おうとしている事が判ってきたようだね。

でも、ケネディ大統領を暗殺したのはオズワルドということで決着がついてるじゃない。

決着はついてませんよ。 ちょっと『ウィキペディア』の暗殺の箇所を読んでみてくださいよ。

ジョン・F・ケネディ


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ケネディは1963年11月22日に、遊説先のテキサス州ダラスの市内をオープンカーでのパレード中に狙撃され、暗殺される。
まさにその日行われた初の日本とアメリカ間のテレビ中継実験(衛星通信)を通じ、日本にも即座に報じられた。
暗殺者と暗殺理由は多くの説があり、以下のように有力な説はあるものの、いまだに結論が得られていない。
その主な原因は、証拠物件の公開が政府によって2039年まで不自然に制限されたり、また大規模な証拠隠滅が行われたと推測できる事象が多くあるためである。

衣料販売店を経営するエイブラハム・ザプルーダーによって撮られた暗殺の瞬間の8ミリ映像(「ザプルーダー・フィルム」と呼ばれている)は、映画『JFK』(オリバー・ストーン監督)、インターネットなどで容易に見ることができる。
ケネディの頭部は致命的と見られる射撃によってひどく破壊され、後方に動いている。その致命的な射撃は前方から行われたようにも見えることから、この映像はオズワルド以外の狙撃者の存在について様々な議論を生んだ。
直後にケネディ夫人が動揺した様子で後方に目を移し、オープンカーの後方部分に這い出て、護衛にすぐ引き戻されている映像が独立した複数の映像から確認できる。
ケネディ夫人自身はその行動を認め、後方に吹き飛んだケネディの頭部破片を拾うために這い出たことを後に裁判で証言している。

実際、彼女はケネディの頭部の骨片を医師に渡している。また、ケネディが撃たれた場所の前方の丘の上(グラシー・ノール grassy knoll)での不審な事象について複数の一般人の証言がある。

これらは、射撃はすべて「後方から」リー・ハーヴェイ・オズワルド一人によって行われたとする暗殺真相究明委員会(ウォーレン委員会)による政府側報告書と矛盾しており、陰謀の存在が指摘される理由となっている。

ケネディの急進的なベトナム戦争撤退の方針が政府側もしくは軍産複合体の利害と対立して、ケネディ暗殺につながったという説など、様々な主張が存在する。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、オズワルドはスケープゴートにされただけで、本当の黒幕は「軍産複合体」の一部の狂信者だとケイトーは言うのォ~?

その通りですよ。

そんな事を言うと「軍産複合体」に雇われた殺し屋にケイトーは殺されてしまうわよ。

どうせ一度は人間は死ぬのだからねぇ。。。うへへへへへ。。。

ケイトーは見かけによらず馬鹿なのね。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」というでしょう!? うしししし。。。

冗談言っている場合じゃないのよ! 「軍産複合体」と言うからには国防総省、つまりアメリカ政府も関わっているということじゃないの。

そうですよ。

アメリカ政府が大統領を暗殺する計画に関わっているはずがないじゃないの!

あのねぇ~、僕はアメリカ政府のすべてがケネディ大統領暗殺に関わったと言うつもりはないのですよ。

でも、そのように聞こえるじゃない?

アメリカ政府の役人の一部には常識では考えられない事をする人たちが過去には居たのですよ。 今だって居るに違いない!

マジで。。。? その証拠でもあるの?

ありますよ。。。このようなことを根拠も無く言ったらマジで殺されますからね。

根拠を示して言ったら、本当に殺されるわよ? ケイトー。。。命が幾つあっても足りないわよ!。。。で、その証拠と言うのは、どういうことなのよ。

ちょっと読んでみてくださいよ。

アメリカ政府の人体実験


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アメリカ政府の非倫理的研究への関与については、1972年、あるショッキングな事実が発覚し、アメリカ市民の注目をあびた。 なんと連邦公衆衛生局の指揮下で、約40年間にわたり、未治療梅毒の長期症状に関する研究が行われていたというのだ。 タスキーギ研究と呼ばれるこの研究は、1932年、アラバマ州のある田舎で始まった。……未治療梅毒の経過を観察するために399名の貧しい黒人が使われ、対照群として201名の黒人が使われたことが判明している。

 (中略)

梅毒は、放っておけば最後には身体の器官のほとんどが損なわれる可能性のある恐ろしい病気だ。顔が醜く崩れ、心臓の血管に大動脈瘤ができ、脳が冒されて痴呆になることもある。 400名の人が、なぜそんな苦しみを味わうことに同意したのだろう。

 (中略)

事件が公になったとき、公衆衛生局の役人はさまざまな方法で責任逃れをしようとした。 (中略) 1974年、集団訴訟の結果、アメリカ政府は生存者と家族に1千万ドルを支払った。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)


262 – 266ページ 『CIA洗脳実験室』
著者:ハービー・M・ワインスタイン 訳者: 苫米地英人
2010年5月4日 初版第1刷発行
発行所: WAVE出版

あらっ。。。マジでこのような酷い事がアメリカ政府の役人によって行われたの?

マジですよ。 もし、アメリカ政府がケネディ大統領暗殺に関わっていなかったら、次のような事をしないものですよ。

(ケネディ大統領暗殺)証拠物件の公開が

政府によって2039年まで不自然に制限された

あたかもソ連が関係あるかのようにオズワルドを犯人に仕立てた。 やる事が見え見えですよ。 2039年になれば犯人がはっきりしますよ。

でも、どうしてケネディ大統領が暗殺されることになったの?

ベトナムから軍隊を完全に撤退することにしたからですよ。 ちょうど、主戦派のキューバ空爆を取りやめた時のように。。。

「諸君の見解は尊重する。 なぜ、海上封鎖を選択するのか。 それは全面核戦争へのエスカレーションを避けなければならないからだ


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ジョン・F・ケネディがこういい残して退席したあと、将軍たちが若き大統領をあしざまに罵る様子が「ケネディ・テープ」に録音されている。

つまり、ケネディ大統領が生きていたらCIAが絡んでいたインドネシア動乱(9.30事件)もなかったとケイトーは言うの?

そうですよ。。。当然でしょう!

そうかしら。。。?

でもねぇ~。。。歴史にIFはないからね。。。ケネディ大統領にはすまないけれど、あの事件があったおかげで僕はシルヴィーに会うことになったのですよ。(微笑)

【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
かなりショッキングなお話ですけれど、なんだか怖いですわ。
「死の商人」たちがお金儲(もう)けのために戦争や動乱を後押ししているのでござ~♪~ますわよう。
それで戦争がなかなか無くならないのですわ。
あなただって、そう思うでしょう?

ええっ。。。そんな事ないってぇ言うのでござ~♪~ますか?

ウソだと思うなら次の記事を読めば判るわよ。
読んでみてね。


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『戦争は無くならないと思う?』

『戦争退化論』

シルヴィーさんのことが、もっと知りたかったら次の記事も読んでね。

『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

とにかく次回も面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(chiwawa5.gif)

こんにちは。ジューンです。

第41代および第43代米国大統領を生み出した

ブッシュ家は、軍産複合体を生業としてきました。

第43代米大統領の曽祖父のサミュエル・ブッシュは

オハイオ州で兵器を製造していた

バッキー・スティール・キャスティング社を

経営していました。

祖父のプレスコット・ブッシュは東京大空襲で

大量に使用された焼夷弾である

集束焼夷弾E46の製造を

行なっていたドレッサー・インダストリーズ社に

関与していたのです。

第41代ブッシュ大統領は

このド社の石油部門で働いていたのです。

その後、第41代ブッシュ大統領はCIA長官、

副大統領、大統領時代において、

海外との兵器貿易を押し進めており、

副大統領時代には

イラン・コントラ事件が起きています。

この事実だけを見ても、

「軍産複合体」の動きが見えてきますよね。

では、ここで面白いジョークをひとつ。

その大統領は誰?

アメリカのある高官が、イラク戦争についてのラジオ番組に出演した際に、こう語った。

「大量破壊兵器を使用した歴史を持つ恐怖の独裁国家は、国際社会から排除しなければならない。 あの強欲で無能な大統領を拘束することに成功した今、全世界はより安全で幸せになった」

番組終了後、ラジオ局には次のような問い合わせが殺到した。


(doctor23.gif)

「いつブッシュが捕まったんだ!?」


『バカの固定観念』より
(2011年5月26日)


(atombomb.jpg)

ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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コメント / トラックバック22件 to “シルヴィーとケネディ夫人”

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