性愛の未来
2011年5月21日 (土曜日)
性愛の未来
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質問115:
愛の営み(愛する人とのセックス)に夢中になれる人となれない人が居ますか?
夢中になれないセックスと、
愛のないセックスは
ほぼ同じだと思います。
なので、セックスとは愛ありき。
それって、あくまで理想ですけどね(苦笑)
質問117:
レンゲさんは清水君と坂田さんの二人と関係を持っていますが、同じような関係にめれんげさんが身をおいたとして、二人の男と関係を持つ事に違和感がありますか?
もちろん!
どっちつかずな関係から、何が得られるのか?
レンゲさんは、自らのセックスの質を
落とすような性行動をとっていると思います。
質問118:
めれんげさんの場合、清水君に求める愛と坂田さんに求める愛はどういうものですか?
うーーーん??
恋愛で求めるものを、
複数の人に分散はできないですね。
「相手のことが好き」
わたしはそれしか考えていないのです。
質問119:
めれんげさんの場合、清水君から愛される愛と坂田さんから愛される愛は、どういうものを期待しますか?
むむむむむむ…。
「おたがいに理解しあって、誠実でありましょう」
誰に対しても、そう思います。
質問120:
めれんげさんが16才当時、坂田さんのような人は居なかったのですか?つまり、レンゲさんのような愛し方で男性にアプローチした事はないのですか?
要するに、包容力のある男の愛を求めていたとか。。。?
まったくなかったです…
同級生に片想い。
告白する勇気もない。
包容力なんてことを意識するほど、
精神的に早熟ではありませんでした。
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質問121:
それよりも、むしろ、知的好奇心からセックスにはまったのですか?
「はまった」は、言いすぎですよおー。コラッ!!
でも、知的好奇心を満たすことが、
初体験の目的でした。
質問122:
めれんげさんは性的欲求不満からヒステリーを起こした事がありますか?
ないですね。
セックスで満たされることとは、
精神的に満たされることなので、
肉体的欠乏感に苦しむことは、ないのです。
だってね…
わたしは自慰行為すらしたことがないんですよね。
しようとも思わないし。
セックスとは、愛する人との大切な
コミュニケーションだから、
性欲をひとりで処理するのは、
わたしにとっては、無意味なのです。
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質問123:
大人の体になってから、とりわけ“したい”と思わなくなったと書いていたけれど。。。
それは、性欲が衰えたわけじゃないでしょう?
要は、やりがいのある充実した満ち足りたセックスをしたいと言う事だと思うのだけれど。。。、
つうことわあああ。。。10代の頃は好奇心と性の目覚めでセックスのためにセックスをしていた事もあるわけ。。。?
はい!
新しい遊びを知った子供のようでしたね…
恋愛自体には、おくてでしたから、
恋愛とセックスを結びつけて考えてませんでした。
…と書くと、ひどい遊び人のようですが、
若気のいたりと、受け止めてください…
質問124:
最近のめれんげさんは寂しくなってセックスしたい、なんて思うことはないですか?
さすがに学習しましたよ!
寂しさを埋めるためにセックスしたとしても、残るのは、虚しさやらバカバカしさだけ。
そんなセックスは、愚か者の自慰みたいなもの…
というのが、わたしの考えです。
質問125:
愛を基盤にしたセックスこそ、めれんげさんにとって重要なはず。
現在、めれんげさんはセックスの基盤になる“愛”人が居ますか?
いるような、いないような…(あいまいやなあ)
ただ、愛のないセックスは、しませんね!
質問126:
居るとするならば、その愛人とも、やっぱり一生一緒に居られるとは思わないのですか?
居ないのであれば、そのような相手が居ると想定した時に、めれんげさんは、その人と一生一緒に居る事が出来ると思いますか?
わたしには、誰かの人生に責任を持つほどの力がないと思うのです。
簡単にプロポーズを受けることもできません。
この世に絶対などなく、今の真実が未来において、嘘になりうることもあるならば、無責任な約束もできないのです…しょぼん。
質問127:
一生一緒に居られそうもないというその理由は。。。?
めれんげさんが性格的に飽きっぽいからなのか。。。?
より良い相手を探すために自由で居たいためか。。。?
ただ単に“束縛感”を嫌うためなのか。。。?
過去に相思相愛のカップルが別れたのをたくさん見てきたので、めれんげさん自身、一生相思相愛で居ることが不可能と思えるのか。。。?
上記でのこたえが全てです…
少々、厭世感が強いのかもしれませんが、この世のすべては、あまりにも無常なので…
質問128:
セックスから愛が生まれる事もある、とめれんげさんはかつて書いていたけれど、最近はどうですか?
セックスを基盤にした愛があると思いますか?
あるならば、それを信じる事が出来ますか?
むむむ。
これはペンディングにさせてくださいませー。
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質問129:
現在のめれんげさんに欠落しているものとは。。。?
欠落しているものがわからない。
そのことが、わたしに欠落しているものだと思います。
質問130:
その欠落部分はセックスのない愛で埋め合わせる事が出来ると思いますか?
完璧にno!ですぅ。
質問132:
その欠落部分は愛とセックスの両方がないとダメなのか?
(めれんげさんは欲張りね!うへへへへ。。。両方欲しいと言うに決まっているよね?)
それも違うと思います…
質問133:
その欠落部分は輝かしいキャリアウーマンになる事で埋め合わせる事が出来ますか?
(恋人無し、愛人無しの独身で通す)
社会生活での成功が、精神的な充足をもたらすとは思えないんですよね。
答えは自分の中にしかないのですから。
質問134:
その欠落部分はお金持ちと結婚する事で埋め合わせる事が出来ますか?
それも、外的なことですよね。
リッチな生活はしたいですけどね!
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by めれんげ
『愛と性と脳』より
(2007年4月23日)
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デンマンさん。。。あんさんは、どうしてわたしのプライバシーを守ってくれへんのォ~?
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めれちゃんの気持ちも、めれちゃんのプライバシーも、わては尊重しておるねん。
そやったら、わたしの回答を公開せんで欲しかったわ。
うん、うん、うん。。。めれちゃんの、その気持ちもよう分かるねん。 そやけどなァ、すでに公開していることやし、めれちゃんの回答は素晴らしいねん。 そやからなァ、文学と芸術のために。。。それに性愛の未来のために、堪(こら)えて欲しいねん。
その「性愛の未来」ってぇ、どういうことやのォ~?
めれちゃんが上の回答の中で「性愛の未来」を示唆(しさ)してるねん。
まさかァ~。。。?
いや。。。マジで、めれちゃんは「性愛の未来」を先取りしてるねん。
わたしのどの回答が「性愛の未来」を先取りしてるん?
セックスとは、愛する人との
大切なコミュニケーション
この言葉やがなァ。
この言葉が「性愛の未来」やのォ~?
そういうことなのやァ。
誰がそのような事を言うてるん?
この記事を最後まで読むと分かることになってるねん。
あんさん!。。。お預(あず)けせんで早(はよ)う言うて欲しいわア。
あのなァ~、物事には順序があるねん。 順序どおりに進めんでズバリ!ズバリ!と言うてしまうと、細木数子のように番組から降ろされてしまうねん。 うししししし。。。わてはこのブログから降ろされとうないからなァ。。。そやから、順序通りに分かり易く話を進めにゃあっか~ん。
分かりましたわ。。。。で、何から始めるん?
まず、次の映画の解説を読んで欲しいねん。
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『どですかでん』は、黒澤明監督の映画作品。
原作は、山本周五郎の『季節のない街』。
黒澤映画初のカラー作品である。
『赤ひげ』以来、5年ぶりの監督作品。
この間、『トラ・トラ・トラ!』の監督降板騒動などで神経を削ったこともあってか、本作ではそれまでの三船敏郎とのコンビによる重厚な作品路線から一転、貧しくも精一杯生きている小市民の日常を明るいタッチで描いている。
撮影は東京都江戸川区南葛西の1万坪もあるゴミ捨て場で、廃材を使って行われた。
当時のシナリオには、黒澤自身の手による、画家のマルク・シャガール風の、死んだ乞食の子供が天に昇っていく絵コンテが描かれている。
当時の興行成績は明らかな失敗で、以降、黒澤は『デルス・ウザーラ』を挟んで10年間にわたって日本映画界の中心から遠ざかることになる。
企画・製作にある「四騎の会」とは、黒澤、木下惠介、市川崑、小林正樹の4人からなる芸術家集団で、邦画低迷の時代に4人の力を合わせてこれを打開しようとの意図で結成されたが、うまく機能せず、製作映画は本作と『化石』(1975年、小林正樹監督)に留まった。
脚本家・俳優の宮藤官九郎は、本作を「すべての映画で一番好き」と語っている。
あらすじ
とある郊外の街の貧しい地域。知的障害のある六ちゃんは、毎日近所に出かけては、他人には見えない電車を運転している。
内職職人の良太郎は、妻が浮気性なため、子供をたくさん背負っている。
穏やかな性格の島さんは、会社の同僚を家に連れてくるが、無愛想な妻の文句を言われて激怒する。
乞食の父親は、いつも息子に夢想話を語っている。
平さんは物静かで謎の多い人物。
街の長老・たんばさんは、家に押し入った泥棒に金を恵む。
ここに暮らす人たちは、変わった人ばかりである。
六ちゃんはその中で電車を走らせ、日は暮れてゆく。
キャスト
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•六ちゃん:頭師佳孝
•おくにさん:菅井きん
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•島悠吉:伴淳三郎
•ワイフ:丹下キヨ子
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•沢上良太郎:三波伸介
•沢上みさお:楠侑子
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•お蝶:奈良岡朋子
•平さん:芥川比呂志
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•乞食の父親:三谷昇
•その子:川瀬裕之
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•益夫:井川比佐志
•たつ:沖山秀子
•初太郎:田中邦衛
•良江:吉村実子
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•綿中京太:松村達雄
•妻・おたね :辻伊万里
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•姪・かつ子 :山崎知子
•岡部少年(酒店員):亀谷雅彦
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•たんばさん:渡辺篤
•老人:藤原釜足
•絵描き:加藤和夫
•野本:下川辰平
•くまん蜂の吉:ジェリー藤尾
•くまん蜂の女房:園佳也子
•渋皮のむけた女:根岸明美
•屋台のおやじ:三井弘次
•小料理屋の女将:荒木道子
•レストランの主人:桑山正一
•ウェイトレス:塩沢とき
•泥棒:小島三児
•刑事:江角英明
•みさおに声をかける男:人見明
•みさおに声をかける男:二瓶正也
•みさおに声をかける男:江波多寛児
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
写真はデンマン・ライブラリーより
『どですかブログ』に掲載
(2011年5月13日)
デンマンさん。。。どないな訳で『どですかでん』が「性愛の未来」と関わってるん?
この映画は山本周五郎の『季節のない街』に基づいて作られた映画なのやァ。 山本さんの作品の中には性愛に囚(とら)われている女、あるいは、かつて囚われていた女が登場する作品が結構あるねん。
『どですかでん』の中にも、そないな女が登場すると、あんさんは言わはるのォ?
そうやァ。。。
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•お蝶:奈良岡朋子
奈良岡さんが演じている「お蝶」さんが、かつて「性愛」に取り付かれて過ちを犯してしもうたのやがなァ。 それで、「平さん」に許してもらおうと彼が一人で住んでいる「季節のない街」のボロ小屋に訪ねてきよるねん。
。。。で、平さんはお蝶さんを許してあげるん?
それがなァ~。。。平さんは聾唖者(ろうあしゃ)ではないのやけど、映画の中では一言もしゃべらんのやァ。
どないな訳で話をせ~へんのォ~?
つまり、平さんは信頼していた妻のお蝶さんが一時の過ちにせよ、他の男と愛欲の限りを尽くしたことが許せんで、すっかり人間不信に陥ってしもうたのやがなァ。 まるで生ける屍(しかばね)のようになってしもうて、見ていても気味が悪い程やねん。
それで、お蝶さんが訪ねてきても一言もしゃべらへんのォ~?
そうなのやァ。。。お蝶さんにしてみれば、ヘビの生殺しに遭(お)うているような気分なのやがなァ。。。結局、映画の中では和解せずに二人は全く打ち解けへんで、また来た時と同じようにお蝶さんは後悔と失意と惨めな気持ちのどん底に落ち込みながら帰ってゆくねん。
。。。で、お蝶さんが他の男と愛欲の限りを尽くしてはるシーンが見られるん?
そないなシーンを画面に出せるわけがないやろう!? アダルトビデオになってしもうがなア。
それで、お蝶さんの愛欲が「性愛の未来」と関係あるのォ~?
めれちゃん。。。そないに、せかせたらあかんがなァ~。。。
まだ他に言う事があるのォ?
そうなのやァ。 物事には順序があるさかいになァ。 次の『赤ひげ』も読んで欲しいねん。
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『赤ひげ』は、1965年(昭和40年)4月3日に東宝が封切り公開した映画である。
監督は黒澤明。185分、白黒、東宝スコープ作品。
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山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を原作とする。
黒澤明監督は「日本映画の危機が叫ばれているが、それを救うものは映画を創る人々の情熱と誠実以外にはない。私は、この『赤ひげ』という作品の中にスタッフ全員の力をギリギリまで絞り出してもらう。そして映画の可能性をギリギリまで追ってみる。」という熱意で、当時のどの日本映画よりも長い2年の歳月をかけて映画化した。
前半はほぼ原作通りに進むが、後半はドストエフスキーの「虐げられた人々」を取り入れて構築されている。
完成した作品を観た山本周五郎をして「原作よりいい」と言わしめ、興行も大ヒットを収めたが、黒澤はこの作品の制作費の調達のために抵当に入れていた自宅を売却することになる。
当初、1964年(昭和39年)末封切の予定であったが、制作の遅れから不可能となり、代わりにゴジラシリーズの『三大怪獣 地球最大の決戦』(本多猪四郎監督)が制作された。
公開予定が延期に次ぐ延期となり、この作品でプロデューサーを務めた田中友幸は責任をとって「三回辞表を書いた」と語っている。
黒澤ヒューマニズム映画の頂点ともいえる名作とされ、国内のみならず、海外でもヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジュ賞などを受賞した。
主演の三船敏郎もヴェネツィア国際映画祭最優秀男優賞を受賞したが、同時にこれが黒澤映画における最後の「白黒映画作品」「三船出演作品」「泥臭いヒューマニズム作品」となった。
翌1966年(昭和41年)、黒澤は東宝との専属契約を解除し、海外の製作資本へと目を向けることになる。
主人公「赤ひげ」役の三船敏郎は白黒映画にもかかわらず、本当にひげを赤く染めた。
なお、劇中では薬品のため赤っぽく変色しているという説明がされるが、原作では「ひげが赤いわけではないのに何故か赤ひげと呼ばれている」という設定である。
題名は『赤ひげ』であり、トップクレジットも赤ひげを演じる三船敏郎だが、ストーリーは加山雄三演じる保本登の視点で進行しており、実質的な主人公は保本である。
この『赤ひげ』に出演するまで加山は、それまで俳優を続けようか辞めようか悩んでいたが、本作の出演をきっかけに生涯俳優として生きていくことを決意したという。
保本の両親役には笠智衆と田中絹代がキャスティングされた。
黒澤監督は、自身の先輩である小津安二郎監督作品の看板役者であった笠と、溝口健二作品に多数出演した田中を自らの映画に出演させる事により、2人の日本映画の巨匠監督への敬意を込めたと語っている。 おくにを演じた根岸明美は、10分近い長い台詞を本番1回でOKにした。
しかし本人はそのラッシュのフィルムを見ている最中に撮影中の事を思い出して感極まり、試写室を飛び出してしまった。
以来、映画本編を未だ一度も見ていないという。
二木てるみ演じる少女「おとよ」は、山本周五郎の原作からは離れて、ドストエフスキーの『貧しき人々』のネリーをもとにした映画オリジナルの設定となっている。
あらすじ
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主人公の青年、保本登(加山雄三)が小石川養生所へ続く坂を上り角寸の巨大な門をくぐっていく場面から映画が始まる。
養生所の責任者である新出去定(にいできょじょう:三船敏郎)に会うように言われてきた保本だが、知らない間に養生所の医師として働くように段取りがつけられていた。
長崎へ遊学(留学)した保本は、帰ってくれば父の友人である天野源伯が推薦し、幕府の医学機関へ出仕と天野の娘で許嫁のちぐさ(藤山陽子)との結婚が決まっていた。
だが、ちぐさは保本の遊学中に他の男と恋仲になり、子供まで生んでいた。
納得できない保本だが、幕府からの辞令であるため勝手に出て行けない。
ストライキを起こし、新出が自分を追い出すまで勤務にもつかず不貞寝を決め込む。
新出が不在の夜、養生所の敷地に建てられた寮の座敷牢に閉じ込められた若い狂女(香川京子)が、保本の部屋に忍び込んでくる。
何人もの男を殺した娘と知りながら、喩えようもない美しさに惑わされ、隙を見せた保本が殺されかけるが、間一髪で新出に救われる。
怪我を負った保本を新出は叱らず「恥じることはないが、懲りるだけは懲りろ」と治療をする。
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勤務に復帰した保本は、新出の往診に同行する。
松平壱岐(千葉信男)や和泉屋徳兵衛(志村喬)といった実力者の上前をハネて、裏長屋にすむ最下層の人間たちの治療費にあてる新出は、同時に社会が貧困や無知といった矛盾を生み、人間の命や幸福を奪っていく現実から目を逸らしていなかった。
許嫁のちぐさに裏切られるなど心の傷を負っていた保本は成長を遂げ、ちぐさの妹であるまさえ(内藤洋子)との結納の席で、天野の推薦で決まった幕府への出仕はせず、小石川養生所で勤務を続けたいが同意してくれるかと、まさえに問い、彼女の気持ちを確かめる。
ラスト、保本は新出と小石川養生所へ続く坂を上りながら、己の決意を伝えている。
自分が決して尊敬されるべき人物でなく、無力な医師でしかないと新出は語り、保本の情熱を無軌道なものと拒絶するが、保本はあきらめず、最後に新出は保本へ忠告する。
(注: 赤字はデンマンが強調)
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
写真はデンマン・ライブラリーより
デンマンさん。。。あんさんは、どないな訳で『赤ひげ』を持ち出してきやはったん?
この映画も山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を基にして作ってあるねん。
この映画にも、お蝶さんのような女が出てくるのォ?
そうなのやァ。 「座敷牢に閉じ込められた若い狂女」というのがその女なのやァ。 赤ひげ先生は“色情狂”やと言うてる。
ホンマに色情に狂うてしまいはったん?
実は、その狂女は小さな頃に店の奉公人に性的にいたずらされたのやがなァ。 それがトラウマになって、この女は“色情狂”になったと言うねん。 たいていの男がこの狂女に興味を示すのやァ。
どないなわけで。。。?
きれいな女やさかいになァ。 それに“色情狂”という言葉は衝撃的やんかァ! それで男は興味をそそられて近づくわけやァ。
つまり、男というのんは、根がすけべ~ということやねんなァ。 それで、どうなるん?
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男に向かうと、女は小さい頃にいたずらされた事を切々と語りだすのやがなァ。 そのうち女は殺意を抱いて上の写真にあるように男に襲いかかるねん。
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そうやってぇ、何人もの男を殺しやはったん?
そうなのやァ。。。なまめかしい話しなんやけど、なんとのう怖い話でもあるねん。
それで、その事が「性愛の未来」と関係あるのォ~?
めれちゃん。。。、そないに、せかせるとアカンでぇ~。。。
あんさん!。。。いいかげんにせんかいなア!。。。まだ他に話さねばならんことがあるん?
そうやァ。。。次の映画も観て欲しいねん。
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あらすじ
江戸・深川の岡場所にある日、一人の若い侍(吉岡秀隆)が逃げ込んでくる。
刃傷沙汰を起し追っ手に追われているという。自らの居室にかくまった娼婦のお新(遠野凪子)は、その後も何かとお新の元に通う侍に恋をするが、若侍はただ居心地がいいから通っていただけで恋心など毛頭ない事を知り打ちひしがれる。
やがて、貧困ゆえに過酷な人生を歩んできた町人・良介(永瀬正敏)と再び恋に落ちるが、ある嵐の夜、置屋で度々問題を起していた客が娼婦の姉さん分である菊乃(清水美砂)をめぐって暴れだす。
そこに居合わせた良介は人の良さから止めようとして問題を起した男と激しく揉み合い殺してしまう。
誰の目にも非は問題の男にあることは明白であったが、役人の処罰は必至であり、既に将来を約束するお新と良介は一転、悲劇へと突き落とされてしまう。
しかし、折からの豪雨が激しさを増し、海から溢れた水がついには岡場所全体を飲み込んでしまう。
お新・菊乃・良介はそれぞれ避難するが、見渡す限り水没した町の景色は、まるで、過酷な人生を歩んできた二人を海が見守っていたかのごとく、事件の証拠を全て隠してしまうのであった。
エピソード
•元々黒澤明監督により撮影される予定であったが、ラストの洪水のシーンで莫大なコストがかかることが原因で、製作に至らなかった作品である。
後年、遺志を継いだ熊井監督の手で、黒澤の本来の意図よりは縮小した形だが、東宝の砧撮影所の撮影用大型プールを使い撮影が実現した。
黒澤はお新=宮沢りえ、菊乃=原田美枝子のキャスティングで撮影するつもりであり、二人には脚本も渡されていた。
なお房之助=吉岡秀隆は黒澤の意向通りの配役である。
•脚本の前半と後半のエピソードのつながりに問題があると指摘(黒澤久雄)されたため、黒澤は脚本をさらに改稿するつもりだったが、製作実現の目途が立たなかったためにそのままになっていた。
そのためもあり、クレジットには明記されてないが熊井啓が脚本に自ら手を入れている。
•黒澤が全編ラブストーリーで構成される作品を執筆したのは大変珍しく、映画の予告編では「最後に黒澤が撮りたかったのはラブストーリーであった」とセンセーショナルに紹介した。
•建物のセットや衣装、小物、髪結方法まで徹底的にリアリティを追求し、また江戸の粋といった時代風俗も丹念に描いた作品であり、ストーリーだけでなく映像の美しさや歴史考察の上でも完成度が高い作品といえる。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『愛しの山河』に掲載
(2011年5月8日)
どないな訳で黒澤監督はこの映画を作らへんかったん?
実は、作るつもりやったのやがなァ。 83歳になった黒澤明が自分で監督して映画を作るつもりでシナリオを書いたのや。 でもなァ、作り始める前に亡くのうてしもうたのや。 それで遺族の人たちが熊井啓監督を指名して製作した作品なのや。
つまり、黒澤監督の最後の作品になる映画やったのやねぇ?
そうやァ。。。映画『夢』で自伝的な映画を作ったのやけど、最後にもっと素晴らしい愛の人間賛歌を残そうとしたらしいのやァ。
それで、また山本周五郎さんの小説を基にしてシナリオを書きはったん?
そうなのやァ。 この映画は、山本周五郎の『つゆのひぬま』と『なんの花か薫る』の二つの作品に基づいてるねん。
そやけど、黒澤監督はどうして山本周五郎さんの作品にこだわるねん?
いい作品が多いからやないかいなァ。 わても山本周五郎作品にハマッていた時期があって、UBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)のアジア図書館で全集をすべて読んだのやでぇ~。
マジで。。。?
こないな時に嘘や冗談が言えるかいなア!
そやけど、黒澤監督が好んで作っていた『七人の侍』とか『蜘蛛巣城』というような男っぽいアクション映画と違いますやん。
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『蜘蛛巣城』のシーン
あのなァ~、『海は見ていた』を作ろうと企画した時に黒澤監督は言うてたらしい。
何てぇ。。。?
俺はずっと「女を描くのが下手だ、下手だ」と言われ続けていたから、死ぬ前に一度、女の映画を撮ってやろう。 黒澤監督は、そう言っていたということやァ。
。。。で、この映画にも「性愛に囚(とら)われている女」が出てきやはるのォ?
出てくるねん。 ヒロインの「お新」の姉御(あねご)役である菊乃さんやがなァ。
どう言う訳で性愛に囚(とら)われているん?
嫌な男がヒモになってるねん。 その男から離れたいのに離れられない。 つまり、菊乃さんの体の寂しさがその男でないと満たされない。 そう言う訳で菊乃さんは「性愛に囚(とら)われている女」になってしもうたのや。 映画の中では、そないな設定になっておるねん。 でもなァ、その設定がちょっとイマイチなのやァ。 そやから、『海は見ていた』を黒澤監督に作ってもらいたかったと、わては残念でたまらん。
どうして、あんさんは、そないに思いはるのォ?
もちろん、熊井監督の映画も悪くないんやけど、黒澤監督が作ったシナリオにかなり手を入れたらしい。 黒澤監督が『赤ひげ』を作ったときに、原作者の山本周五郎さんが観て「原作よりいい」と言ったというのやァ。 そやから、黒澤監督が『海は見ていた』を作っていたら、もっと素晴らしいものができていたに違いない。
あんさんは熊井監督の作品が不満やのォ~?
わては原作の『つゆのひぬま』と『なんの花か薫る』を読んでるねん。 本と比較すると、あの映画が原作以上だとはどうしても思えんのやァ。
そやかて、黒澤監督は亡くなってしもうたのやから、仕方があらへん。。。で、「性愛の未来」はどうなってるん?
そうや。。。そのことやがなァ。。。次の文章を読んで欲しいのや。
(中略) 地球の大変革は近づいている。 人類は、地球の歴史に習い、すでに準備を終えた植物を手本にしてその変革に備えるべきであろう。 ただしここから先はすべて、空想の産物であることを断っておく。
まずは、バーナード・ショウと女優との会話のように、ある点で優秀なもの同士が交配しても、その子孫が両者の優秀さをともに持つ保証はないことについて。 人類がもし生物的にはもう進化の余地がないのならば、セックスはコミュニケーションの手段としてだけ、あるいは娯楽としてだけ残し、増殖は自分自身の細胞を培養して、残すべきなのかもしれない。 動物に対するバイオテクノロジー技術はまだ細胞を増やす段階止まりだが、近い未来、ヒトの形を作れるところまで到達するかもしれない。 歴史はくり返すというが、生物は最初は性を持っていなかった。 分裂によって己を二つに分けて、命をつないでいた。 それに戻るのも、一興かもしれない。 実を結ばない花を咲かせながら、根で繁殖している植物が自然界に存在するのだから、それも将来へのひとつの選択である。
(中略)
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バイオテクノロジーの技術を使えば、ヒトとすべての生物のDNAは、融合可能なのだから、ヒトが天使になる可能性もある。 ヒトに鳥の遺伝子を組み込んでそれにトライしてみる。 鳥では手がなくなってしまうから、トンボやチョウの遺伝子を組み込む方がよいかもしれない。 エネルギー資源枯渇にそなえ、デンキウナギのような発電能力を持つとか、葉緑体を組み込んで食料の真の自給自足を目指すとか、さまざまな可能性の模索が考えられよう。
(注: 赤字はデンマンが強調
イラストはデンマン・ライブラリーから)
270 – 273ページ
『チョウのフェロモン、キリンの快楽』
著者: 赤池学・田仲義弘
1998年12月16日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社
分かるやろう、めれちゃん。。。将来的にはセックスはコミュニケーションの手段として残しておくと言うてるねん。
そやけど、それは「人類がもし生物的に、もう進化の余地がないのならば」という前提の上でのことやんかァ! まだ進化の余地はあると、わたしは思うねん。
確かに、そうやァ。。。しかしなァ、進化の余地があっても、セックスが生殖の目的だけに行われるわけではないと思うねん。 やっぱり、将来的には、クローン技術によって人間が増えるようになってからも、めれちゃんが言うたように、セックスは、愛する人との大切なコミュニケーションになるだろうと、わては思うたわけなのやァ。
そやけど、黒澤監督にとっての「性愛の未来」ってぇ、どのようなものやったのやろか?
実は、黒澤監督は『海は見ていた』の中で、「性愛の未来」を描き出そうとしたのやァ。 わては、そう信じてるねん。
どないな訳で、あんさんは、そのように言わはるのォ~?
黒澤監督は『夢』で「死の未来」を描いたのや。
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『夢』は、1990年に公開された黒澤明による映画作品である。
日本とアメリカの合作。
「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の8話からなるオムニバス形式。
黒澤明自身が見た夢を元にしている。
各エピソードの前に、「こんな夢を見た」という文字が表示されるが、これは夏目漱石の『夢十夜』における各挿話の書き出しと同じである。
黒澤映画の中では「デルス・ウザーラ」同様、国内でのフィルム上映の機会に恵まれない作品である。
あらすじ
日照り雨
突然の日照り雨。少年の私は母から「外へ出ていってはいけない。
こんな日には狐の嫁入りがある。見たりすると怖いことになる」と言われるが…。
桃畑
姉の雛祭りに遊びに来た友人にお団子を運ぶ。
友人は5人来たのに部屋には4人しかいない。
姉は間違いだというが戸口に1人の少女が立っている。
逃げる少女を追って桃畑に辿りつく…。
雪あらし
雪山で遭難した。3人の山仲間と共に3日間歩き続けたあげく幻覚に襲われる。
朦朧とした意識の中で雪女が現れた…。
トンネル
一人の陸軍将校が戦地から戻り、人気のない山道を歩いているとトンネルに差し掛かる。
そのトンネルから犬が出てきて威嚇してきた。犬に怯えながらも無事にトンネルを出られたが…。
鴉(カラス)
ゴッホはどこにいるのか。ゴッホの絵画を見ているとその絵の中でゴッホを探していた。彼は「カラスのいる麦畑」にいた…。
この章では、ショパン「雨だれの前奏曲」が使用されている。
赤冨士
大勢の人々が逃げ惑っている。何があったのかわからない。
目の前では赤く染まった富士山が大噴火を起こしている。原子力発電所が爆発したという。
目の前に迫る色のついた霧は着色された放射性物質であった…。
鬼哭
霧が立ち込める荒野を歩いていると後ろから誰かがついてくる。
1本角の鬼である。彼は昔人間だったが核汚染でこの世界は荒野と化し、彼は苦しみに苛まれるという…。
水車のある村
(dream02.gif)
撮影に使われた大王わさび園水車小屋旅先で、静かな川が流れる水車の村に着く。
壊れた水車を直している老人に出会い、この村人たちが近代技術を拒み自然を大切にしていると説かれ、興味を惹かれる。
老人の初恋の人であった老婆の葬式が行われた。
村人は嘆き悲しむ代わりに、良い人生を最後まで送ったことを喜び祝い行進するのであった。
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出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤字はデンマンが強調
つまり、「水車のある村」の中で黒澤監督は「死の未来」を描いたと、あんさんは言わはるのォ?
その通りやァ。 そやから、最後の作品となるはずやった『海は見ていた』で黒澤監督は「性愛の未来」を描こうとしたと、わては信じてるねん。
その根拠は。。。?
あのなァ~、黒澤監督も山本周五郎作品をすべて読んでいると思うねん。 女性が出てくる山本作品には、たいてい伏線として“性愛”が塗りこめられている。 『どですかでん』、『赤ひげ』、それに『海は見ていた』も例外ではあらへん。 しかも、山本さんは女性を書かせては右に出るものがないと言われるほど女性心理を描くのがうまかったのやァ。 そやから、黒澤監督は『海は見ていた』の中で原作を上回る作品にしようという意欲を持って望もうとしたと、わてには思えるねん。
つまり、「性愛の未来」を原作以上に表現しようとしたと。。。?
そうやァ。。。そやから、黒澤監督が『海は見ていた』を作らずに亡くのうてしもうた事は、返す返すも残念なことや。。。
(manila07.gif)
ですってぇ~。。。
そうですよね。
黒澤監督が作った『海は見ていた』をぜひ観たいですよね。
でも、それは叶わない事ですわ。
作る前に黒澤監督は亡くなってしまったのですから。。。
しかし、もし作品が完成したら「性愛の未来」のコンセプトは、めれんげさんが言ったようなものになったのではないかしら?
(renge720.gif)
セックスとは、愛する人との
大切なコミュニケーション
とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。
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こんにちは。ジューンです。
黒澤監督は世界的に認められている
優秀な監督ですけれど日本の映画会社には
ずいぶんと敬遠されていたようです。
明治生まれの人らしく、かなり頑固で
納得できる映画ができるまで
予算など無視して製作にかかりきりになったそうです。
要するに映画会社の言うことを聞かなかったのですね。
そのような訳で『赤ひげ』と『どですかでん』を作ってからは
たいてい海外の映画人の協力で
映画が作られています。
『夢』も例外ではありません。
当初、合成場面は、すべて光学合成で行うつもりでしたが
フランシス・フォード・コッポラの助言があったそうです。
日本にやって来た“コッポラ”と“天ぷら”食ってる時に
ハイビジョン(デジタル)合成を
『夢』で導入することを決めたそうです。
鴉(カラス)がそれです。
また特殊効果にはジョージ・ルーカスの
視覚効果特撮工房ILMも協力参加しました。
「日照り雨」や「赤冨士」の中のシーンに
この特殊効果が使われています。
ハイビジョン(デジタル)合成は
『八月の狂詩曲』や『まあだだよ』でも使われました。
(aug02.jpg)
ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
楽しいから、ぜひ読んでみてくださいね。
(himiko22.gif)
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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