久美子さんと野田研究室


 
2009年1月9日 (金曜日)
 
 
久美子さんと野田研究室
 
 
思い出の曲とふるさと
 
 

私が室生 犀星(むろう さいせい) のことを書いたからって
無理に調べなくって いいのですよ。
私も作品を全部読んだわけでは 無いのです。
長女の室生 朝子さんは やはり子供のころ
軽井沢で過ごしたらしく 
細かく 様子が書いてあったのです。

お手伝いさんがいたものの、
洋風かぶれしたのが嫌いな父・犀星に厳しく育てられて、
父(肺癌)を見送るまでの事、
いろんな作家との 交流 が書いてありました。
きっと デンマンさんには 面倒な本ですから
記事で取り上げなくてイイですよ、

室生犀星のことは、いつか書いてみたいと思っていました。
僕にもちょっとした思い出がありますよう。
その事を含めて、万葉集の歴史編の後に書こうと思っています。

昭和25年ごろの手書きのマップを見つけ
コピーして 今大切に見てます。
大きくして額に入れようかな~ 

本当に 雲場池のところに ニュー グランドホテル
と書いてあった。

1度見てみたい 竈岩(かまどいわ)
白人はジャイアントチェアー と呼んでいたらしい。
南のプリンススキー場の裏側なので 見たこと無いです
ごめん ごめん 私の事ばかり

うん、うん、うん。。。
小百合さんの事を、もっともっと書いてくれてもいいよう。

私 今月末と思ったら 10月末 よね。
ネットカフェ・コンコルドであわてて
デンマンさんの旅程表を見たから
勘違いしてました。
あと1ヶ月ですね。

まだ1ヶ月以上ありますよう。
でも、1ヶ月なんてすぐに経ってしまいますからね。

僕は1ヶ月分の記事を用意しなければならないので、
この1ヶ月間は大変です。

これ SUBMIT できるかな
何だか お気に入りが減ってるし、マウスはどっか
無くなってるし やりずらいなー

これが 現実の世界ですよ、今日も次男坊と
喧嘩がはじまりそうー。

では 今日も洗たく 掃除…
今から始めます。

では、また。。。

小百合より

そうですよう。そうですよう。
軽井沢は、小百合さんにとって“今一つの世界”なのですよう。

日常茶飯事から開放されて、小百合さんの“夢とロマンの生活”を軽井沢に求めているのですよう。
つまり、それこそ小百合さんの“女の世界”です。
デンマンの“ロマンポルノ天国”と重なると思うのですよう!
うしししし。。。

行田で元気に再会しましょうね。
“恍惚のハグ”を楽しみにしていますよう!
じゃあね。


投稿日時: 2008/09/22 07:16 (ロンドン時間)
日本時間: 9月22日 午後3時16分
バンクーバー時間: 9月21日 午後11時16分

『帰省スレッド』より
ロンドンの“ビーバーランド e-XOOPS”


『室生犀星と卑弥子さんと悪徳ブログ (2008年10月1日)』より

デンマンさん。。。今日もまた室生犀星のことですか?

卑弥子さんは、もう室生犀星の話にはうんざりしてしまったのですか?

別に、うんざりした訳ではござ~♪~ませんけれど、もう他の話題にしてくれぇ~、と思っている人だって多いと思いますわ。

だから、僕だって、卑弥子さんが退屈しないようにと、これでもかなり気を遣っているのですよう。

それで、今日は音楽とふるさとの事でござ~♪~ますか?

そうですよう。室生犀星と言えば、何と言っても次の詩句が有名ですからね。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

室生犀星は、この句の通り、文壇に名を轟かすようになってからも金沢にはほとんど戻らなかったのですよう。そのかわり犀川の写真を貼っていたそうです。

デンマンさんも、ふるさとの写真をバンクーバーのマンションに貼ってあるのでござ~♪~ますか?

どこにも貼ってません。

つまり、ふるさとなど、どうでも良いのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。どうでもよくないですよう。僕だってふるさとが懐かしいのですよう。

でも、写真をどこにも貼ってないのでしょう?

だから、ブログに貼っていますよう。この記事にも貼ってあるでしょう。

小百合さんと大長寺のロマンスポットで並んでいるところをいつものようにコラージュして、でっち上げたのですわね。。。

いけませんか?

これって、あたくし、見飽きましたわ。

分かりました。卑弥子さんが飽きているようだから、今日の本題に入りますよう。去年の暮れに卑弥子さんと対話した時の事を思い出してくださいね。

矢ヶ崎川

矢ヶ崎川にかかる二手橋

室生犀星の文学碑は旧軽井沢にあるのですよう。あの有名な軽井沢銀座通りを東北の方向に歩いてゆくのですよう。「つるや旅館」を左手に見て、10メートルぐらい歩いてゆくと右手に芭蕉の句碑が見えてきます。左手には、これも有名なショー記念館が見えてきます。さらに歩いてゆくと二手橋にでるのですよう。

二手橋なんて、どうして、そのような名前がついたのでござ~♪~ますか?

その橋から先へ歩いてゆくと、やがて旧碓氷峠にでるのです。昔、旅人と村人はここで二手に別れたのですよう。

それで、二手橋なのでござ~♪~ますか?

そうですよう。二手に別れたから二手橋なのですよう。言われてみれば卑弥子さんだって、なるほどと思うんでしょう?

。。。んで、文学碑ってお地蔵さんが2つある、と言う事でござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。国文学の准教授ともあろう卑弥子さんの言葉とも思えませんねぇ~?もう少し文学的な発想が思い浮かばないのですか?

だってぇ~。。。デンマンさんも、そのような事を上の対話の中で言ってますやんかあああぁ~

ん。。。?僕がお地蔵さんを持ち出しましたか?

持ち出しましたわ。石像って言ってますやん!

お地蔵さんとは言ってませんよう。

同じようなものでござ~♪~ますわ。。。んで、室生犀星文学碑って、デンマンさんが取り上げるほど見ごたえのあるものなのでござ~♪~ますか?

もちろん、人によってすごいと思う人もあれば、猫に小判の人もあるでしょうね。

。。。んで、デンマンさんにとって何がすごいのでござ~♪~ますか?

確かにお地蔵さんのような可愛らしい石像があるのだけれど、それだけではないのですよう。

。。。と言うと。。。?

次の詩を刻み込んだ石碑が建っているのですよう。

我は張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す

我はそれらの輝けるを見たり

斯る花にあらざる花を愛す

我は氷の奥にあるものに同感す

我はつねに狭小なる人生に住めり

その人生の荒涼の中に呻吟せり

さればこそ張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す

昭和三十五年十月十八日  室生犀星之建


詩集『鶴』巻頭詩「切なき思ひぞ知る」より

これがねぇ、犀星みずから建てた文学碑なのですよう。面白いのは、ここを訪れる人が休むように、土手の岩をくりぬいたような休息所が作ってあったのですよう。

この上の写真の右側にちょっとばかり見えます。僕は学生の頃、夏休みに下北半島から北上してフェリーで北海道に渡った事があるのだけれど、恐山の近くだったと思う。。。、道路沿いのバス停に、同じような休息所が板で作ってありましたよう。おそらく冬、バスを待つ間に雪が体に積もるのを防ぐためのものだったのでしょう。当時、僕はバイクの無銭旅行で下北半島を北上していたのです。その休息所の長椅子の上に寝て一夜を明かしたものです。僕は、その頃を思い出し、室生犀星が休息所として作ったその“小屋”の石の長椅子に座りながら、忘れかけていた無銭旅行の思い出を懐かしく思い出したものですよう。

それが。。。、あのォ~♪~。。。それが良かったのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。文学碑の詩が良かったのですよう。

どういうところが良いのでござ~♪~ますか?

室生犀星の人生哲学に触れたような気持ちになりましたよう。

人生哲学でござ~♪~ますか?

ちょうど、学生の頃、無銭旅行した頃の事が思い出されてきて。。。なんと言うか、時間の流れをしみじみと思い起こしながら、34カ国を放浪し、いろいろな所で、いろいろな人に出会ってきたものだと。。。、そばを流れるせせらぎの音を聞きながら、しばし感慨にふけったものですよう。

。。。んで、その人生哲学とは。。。?

悪く言えば「井の中の蛙人生」。。。よく言えば、「孤独を愛した孤高の人生」でしょうか。。。


『室生犀星と軽井沢と小百合さん (2008年12月26日)』より

どうして、また上の対話を持ち出したのですか?

文学碑の脇には休息所のようなものが作ってあった。その中の長椅子に腰掛けた時に僕は、学生のときに同じような小屋の中で長椅子に横になって一夜を過ごした時の事を思い出したのですよう。

そこで一夜を過ごしてから、恐山へ登ったのでござ~♪~ますか?

苦労して登った記憶が無いから、たいして高い山ではなかったはずです。日本三大霊場の一つで、とにかく有名だったから、一度は行ってみたいと思っていた場所でした。

恐山

恐山(おそれざん)は、下北半島の中央部に位置する外輪山、霊場であり、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つである。

恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。
外輪山は釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。
「恐山」という名称の単独峰はない。
火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。

寺名は恐山菩提寺、本坊はむつ市田名部にある曹洞宗円通寺である。
本尊は延命地蔵菩薩。

開山は貞観4年(862年)。
開祖は天台宗を開いた最澄の弟子である慈覚大師円仁。

円仁が唐に留学中、夢で「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。
地蔵尊一体を刻しその地に仏道を広めよ」という御告をうけた。
円仁はすぐに帰国し、夢で告げられた霊山を探し歩いた。
苦労の末、恐山にたどり着いたといわれる。

その中に地獄をあらわすものが108つあり、全て夢と符合するので、円仁は6尺3寸の地蔵尊を彫り、本尊として安置したとされている。

地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られる。
下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられている。
恐山大祭や恐山秋詣りには、イタコマチ(イタコがテントを張って軒を連ねている場所)に多くの人が並び、イタコの口寄せを聞く。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
それで、恐山はすごく良かったのでござ~♪~ますか?

ゴツゴツした白い岩肌が頂上付近に広がっていて、イタコのおばあさんの周りに人だかりができていましたよう。僕は、おばあさんには興味が無かったから、別に近くで見ようとは思わなかったけれど、とにかく、今でもはっきりと覚えているのは宇曽利湖の「極楽浜」ですよう。

本当に極楽のような浜なのでござ~♪~ますか?

極楽から帰ってきた人が居る訳ではないから、はっきりと極楽だと断定できる人は居ないでしょう。でもねぇ、あの水の色だけは、まるで南国の楽園という印象を与えるのですよう。それまで海外に出たことの無い僕は、あの水の色には本当にビックリしました。日本に、しかも東北地方に“南国の楽園”があろうとは夢にも思わなかった。

円仁が唐に留学中、夢で「霊山あり」と告げられ、すぐに帰国し、夢で告げられた霊山を探し当てたという事でござ~♪~ますが、それ程に夢のような極楽浜だったのでござ~♪~ますか?

もちろん、当時、僕は円仁の事など全く知りませんでしたよう。でもねぇ、こうして調べてみて円仁が夢で告げられたと知ると、あの極楽浜を見た時に、円仁は初めて、夢の中で告げられた霊山はここだと実感したと思いますよう。それ程、あの極楽浜は現実離れしたところですよう。

それ程すごいのでござ~♪~ますか?

そうです。あの極楽浜だけは、もし海外に出たことが無いのだったら、見るだけの値打ちがありますよう。

デンマンさん。。。あたくしを連れて行ってくださいな。

卑弥子さんが自分ひとりで行けばいいじゃないですかぁ~

霊場に、か弱い女一人で行くのは怖いのですわぁ~。今年の秋に軽井沢に行くついでに連れて行ってくださいましな。

あのねぇ、卑弥子さんは軽井沢に行くついでと言うけれど、恐山は京都から軽井沢までの間にあるわけじゃないのですよう。

でも、同じ日本にあるのですから。。。

だから、軽井沢とは別に卑弥子さんが女子学生を連れて文学歴史の旅をしてくださいね。

デンマンさんは、どうしても、あたくしと一緒ではイヤなのでござ~♪~ますわね。

あのねぇ、いつまでも恐山の事にこだわっている訳にはゆかないのですよう。

あらっ。。。まだ他に面白い事をお話になるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。実は、卑弥子さんと対談した後で、僕は恐山に行った時の事を懐かしく思い出していたのですよう。クリスマスの翌日の26日は、北米ではボクシングデーで、カナダは全国的に休日です。まだクリスマスカードをロビーのメールボックスに取りに行ってなかったことを思い出して、僕は階下へ降りていったのですよう。

。。。で、何か変わったことでもあったのですか?

そうなのですよう。亡くなったと思っていた人からクリスマスカードが届いていたのですよう。。。僕は、一瞬、自分の目を疑ったほどですよう。

霊山の事をあたくしと語ったその日に、亡くなったと思っていた方からクリスマスカードを受け取ったとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。

マジで。。。?

もちろん、僕は大真面目ですよう。

なんだか、できすぎたお話でござ~♪~ますわ。

僕もそう思って驚いたのですよう。とにかく、そのクリスマスカードを読んでみてください。

前略

また年の瀬が参りました。
曲がりなりにもクリスマスにはケーキを食べ、
元旦にはお餅とオセチを食べて
人並みの新年を迎えようとしております。
それに、体の衰えを感じながらも、
いろいろな事を考えております。

昨年は貴方に出したクリスマスカードが
戻ってきてしまいました。
気分がすぐれない事もあり、
そのような時に住所を書き間違えたようです。
読み直してみると二箇所も間違いがありました。
今度からは戻ってこないように
間違いなく書きたいと思います。

貴方のお母様はお元気でしょうか?
私もできるだけ頑張って長生きしたいと思います。

この季節になると、若い頃の懐かしい思い出が
鮮やかによみがえって参ります。
貴方は、今頃どうしているかしら?
どうか良いクリスマスと、
素晴しい新年をお迎えください。

かしこ。

久美子

2008年12月16日

久美子さんって、まだお若い方なのでござ~♪~ますわね?

上の写真は、若い頃のモノですよう。卑弥子さんのお母さんと同じぐらいの年頃です。

それで、デンマンさんはどのようなお返事を出したのでござ~♪~ますか?

読んでみてください。


2009年1月元旦

2008年の12月は珍しく寒かったですよ。
12月20日の土曜日は早朝に零下15.2度を記録しました。
40年ぶりの寒さだという事でした。

しかも12月25日のクリスマスはホワイトクリスマスになったのですが、
何と39年ぶりだとか。。。
ちょっと信じがたいのですが、CNNのローカルニュースを聞いていたら、
そのように言ってました。
ホワイトクリスマスになったところで、
僕にとって別段うれしいとは思いませんが。。。(苦笑)
寒いだけ迷惑します。(微笑)

ところで、2007年のクリスマスカードが久美子さんから無かったので
ついに逝ってしまったのかと。。。
実に寂しい思いをしたものですゥ。

人間、生まれてきたからには、必ずまた大地へと戻ってゆくものですが、2007年のクリスマスは、そういうわけで、妙に寒々としたものを感じたものでした。

しかし、住所の書き間違いで僕の元に届かなかったという事なので、また、心のぬくもりが戻ったような気がいたします。

クリスマスカードがこない程度で久美子さんが逝ってしまったと結論を出すのは
まことに不謹慎ですが、
しかし、一度逝ったと思われた人は長生きすると言いますから、久美子さんは間違いなく長生きするでしょう。(快笑)

ところで、僕の母も元気です。
足腰が弱っており、歩行に不自由がありますが、家の中では歩く事ができます。

ただし外に出る時には車椅子を使っています。
足腰が弱くとも、胃腸は丈夫で、
栄養に気をつけながら、何でもよくかんで食べています。

まだボケていないので電話で話すのが楽しみらしくて国際電話料金が安くなったので、
最近、僕は盆、正月、5月の連休には家に電話しますが、長いときには2時間も話します。

僕の若い頃は全くお袋を省みませんでしたから、今は、罪滅ぼしのつもりで、せめて1年に1ヶ月は母親のそばにいて、親孝行の真似事をしております。
2008年にも11月に帰省しました。

年月の経つのは早くとも、精神的には年を取らないものです。
でも、若い頃のように日本をあちらこちら飛び回る気力は無くなりました。

現在、経営コンサルタントとして日系人の経理・税務のお手伝いをしています。
直接コンピューターと関係する仕事はないのですが、“昔取った杵柄(きねづか)”とは良く言ったもので、未だに、コンピューター(パソコン)に向かう事が多いのです。

2005年の2月からライブドアのブログで
パソコンに向かいながら、毎日2つの記事を書いてきました。
4年間も良く続いたものです。今も続けています。

『徒然ブログ』
http://blog.livedoor.jp/barclay1720/

久美子さんはネットをやってますか?
時間があったら、上の URL を入れて僕のブログを覗いてみてください。
僕のハンドル名は“デンマン”です。

昔の記事を読んでいたら、たまたま次の記事にぶつかりました。

『ん?クラシックで片思い』

(2006年6月19日)

ピアノを独習で覚えて『乙女の祈り』を恵美子さんに聴いてもらった、という話です。
僕が大学時代の話です。
思い返せば、久美子さんにも僕の数少ない演奏を聴いてもらったのでしたよね。

その日だったかは、はっきりと覚えていませんが、当時、野田研究室に配属されてから間もない頃だったと思います。
片平から八木山を越えて新興住宅地のアパートへ帰る途中でした。
125cc の kawasakiのバイクで大学へ通っていたので、雨が降ったらヤバかった。

ところが、その日、かなり激しく降り出して、ずぶ濡れになる事間違いなし。
仕方なく、雨宿りのつもりで久美子さんの家に寄ったのでした。

「良かったら夕飯食べていってね。。。」

久美子さんのいつもながらの優しい心づかいに甘えて夕飯まで、ご馳走になってしまったのでした。

夕飯の支度ができるまでの間だったか?
いや、多分、食べてからだったと思いましたが。。。
玄関脇の応接間で『乙女の祈り』を弾いたのでした。

今から思えば、間違いだらけの演奏でしたが、当時は、独習で覚えた事もあって、結構、得意で弾いたものでした。

間違いに気づいて、それからは人前では演奏しなくなったのですが、久美子さんは、僕の恥ずかしい演奏を聴いてもらった数少ないリスナーでした。

野田研究室に居たのは1年半ほどでしたが、久美子さんとは同じ研究室でしたので、何かと無駄話をしては仕事の邪魔をしたと思うのです。
でも、あのおやつの時間は楽しかったですよね。

あの頃の事は本当に懐かしいです。

“ふるさとは遠くにありて思うもの

そして悲しく詠うもの。。。”

室生犀星の詩の一節ですが、
仙台は僕にとって第2のふるさとです。

それゆえに、常に遠くにあって懐かしく思い出しているのかもしれません。
でも、悲しくはありませんね。
楽しい思い出が一杯ですから。。。

いつか。。。いつか。。。と思いながら、
なかなか仙台に足が向かないのが実情です。

でも、どうか久美子さんは末永く元気で居てください。
そのうち、ひょっこりと仙台に行くかもしれませんので。。。
では。。。

デンマン

久美子さんは、デンマンさんの同僚だったのですか?

いや。。。僕は学生でした。久美子さんは野田教授の秘書を務めていたのですよう。

部屋が一緒だったと言うのは、どういうことでござ~♪~ますか?

野田教授は、自分の教授室をほとんど使わなかったのですよう。そこは、いわば、応接室として使っていた。それで、いつも第一研究室に居たのですよう。

デンマンさんも、その研究室に居たのですか?

そうです。研究室が5つあって、おやつの時間になると、すべての研究室から学生と職員が第一研究室に集まって、お茶を飲み、お菓子を食べながら30分ほどダベるのですよう。1時間ぐらいに長引く事も珍しくなかった。

いつだったか、デンマンさんがハワイ大学の Aloha-net のプロジェクトリーダー Norman Abramson 教授の事をお話になっていましたよね?

そうです。卑弥子さんは良く覚えていますねぇ~。サーフィンが好きだった先生ですよう。アブラムソン教授がやって来て僕たちとお茶を飲みながら話したのも、この第一研究室だったのですよう。

■ 『はてなダイアリーの疑問 (2008年12月19日) とアロハネットの話』

デンマンさんは、ネットとは関係ない研究をしていたのでござ~♪~ますか?

僕はコンピューターを使ってハツカネズミをシュミレーションしながら迷路を走らせる研究をしていたのですよう。うしししし。。。

マジで。。。?

大真面目でしたよう。ウへへへへ。。。あとねぇ~、FORTRANを使って、文字だけで等身大のヌードを描いて第一研究室の壁に貼っておきましたよう。

それもマジでしたの?

もちろんですよう。僕がコンピューターで描いたヌードが1年近く壁に貼ってありましたよう。

久美子さんも見たのですか?

もちろんですよう。同じ部屋なんだから。。。

デンマンさんが居たという研究室は、なんだか、奇妙な研究室だったのですわね?

うしししし。。。そうでしょうね。僕はアパートで風呂に入らずに、いつも研究室から近くの風呂屋に行きましたからね。。。

それもマジですか?

もちろんですよう。いつもお昼ごろ研究室に行って、学食で昼飯を食べて、それから研究室の自分の机の上に置いてある手ぬぐいと洗面器を持って風呂屋に行くのですよう。もどってくるとおやつの時間で、それから研究にとりかかるのですよう。

それって、冗談でござ~♪~ますよね?

マジですよう。マジ。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
信じられませんわ。
あたくしは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している王朝文学研究者でござ~♪~ますけれど、真昼間からお風呂屋さんに行ったことなどござ~♪~ませんわ。

デンマンさんのお話しを聞いていると、小原庄助さんを思い出してしまうのですわよう。

朝寝ぇ~♪~朝酒ぇ~♪~

朝湯ゥ~♪~が大好きでぇ~

そォれでぇ~♪~シンショウ、

つゥ~ぶしたぁ~♪~。

あなたも、この歌を聞いたことがあるでしょう?
呆れましたわぁ。

とにかく、興味深い話題が続きますわ。
あなたも、どうか、また、あさって読みに戻って来てくださいね。
じゃあ、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』

こんにちは。ジューンです。

小百合さんが次のように書いています。

昭和25年ごろの手書きのマップを見つけ
コピーして 今大切に見てます。
大きくして額に入れようかな~ 

本当に 雲場池のところに
ニュー グランドホテル
と書いてあった。 

横浜のニュー グランドホテルは

海外でも知れ渡っています。

軽井沢にも昔、あったらしいのです。

でも、調べてみたのですが、

“幻のホテル”なのですよね。

なかなか見つかりませんでした。

デンマンさんに話したら、

さすがですよね。

見つけてきました。

ニューグランド ロッジ という

名前だったのですね。

現在は、ロッジが建っていた場所は

一面にコケが生えている

平地になっているそうです。

あなたも、もし雲場池を訪れる事があったら、

“幻のホテル”の場所を探してみてくださいね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。