室生犀星を旅する


 
2008年12月28日 (日曜日)
 
 
室生犀星を旅する
 
 

投稿日時: 2008/09/22 03:58 (ロンドン時間)
日本時間: 9月22日 午前11時58分
バンクーバー時間: 9月21日 午後7時58分

私が室生 犀星(むろう さいせい) のことを書いたからって
無理に調べなくって いいのですよ。
私も作品を全部読んだわけでは 無いのです。
長女の室生 朝子さんは やはり子供のころ
軽井沢で過ごしたらしく 
細かく 様子が書いてあったのです。

お手伝いさんがいたものの、
洋風かぶれしたのが嫌いな父・犀星に厳しく育てられて、
父(肺癌)を見送るまでの事、
いろんな作家との 交流 が書いてありました。
きっと デンマンさんには 面倒な本ですから
記事で取り上げなくてイイですよ、

室生犀星のことは、いつか書いてみたいと思っていました。
僕にもちょっとした思い出がありますよう。
その事を含めて、万葉集の歴史編の後に書こうと思っています。

昭和25年ごろの手書きのマップを見つけ
コピーして 今大切に見てます。
大きくして額に入れようかな~ 

本当に 雲場池のところに ニュー グランドホテル
と書いてあった。 
1度見てみたい 竈岩(かまどいわ)
白人はジャイアントチェアー と呼んでいたらしい。
南のプリンススキー場の裏側なので 見たこと無いです
ごめん ごめん 私の事ばかり

うん、うん、うん。。。
小百合さんの事を、もっともっと書いてくれてもいいよう。

私 今月末と思ったら 10月末 よね。
ネットカフェ・コンコルドであわてて デンマンさんの旅程表を見たから
勘違いしてました。
あと1ヶ月ですね。

まだ1ヶ月以上ありますよう。
でも、1ヶ月なんてすぐに経ってしまいますからね。

僕は1ヶ月分の記事を用意しなければならないので、
この1ヶ月間は大変です。

これ SUBMIT できるかな
何だか お気に入りが減ってるし、マウスはどっか
無くなってるし やりずらいなー

これが 現実の世界ですよ、今日も次男坊と
喧嘩がはじまりそうー。

では 今日も洗たく 掃除…
今から始めます。

では、また。。。

小百合より

そうですよう。そうですよう。
軽井沢は、小百合さんにとって“今一つの世界”なのですよう。

日常茶飯事から開放されて、小百合さんの“夢とロマンの生活”を軽井沢に求めているのですよう。
つまり、それこそ小百合さんの“女の世界”です。
デンマンの“ロマンポルノ天国”と重なると思うのですよう!
うしししし。。。

行田で元気に再会しましょうね。
“恍惚のハグ”を楽しみにしていますよう!
じゃあね。


投稿日時: 2008/09/22 07:16 (ロンドン時間)
日本時間: 9月22日 午後3時16分
バンクーバー時間: 9月21日 午後11時16分

『帰省スレッド』より
ロンドンの“ビーバーランド e-XOOPS”


『室生犀星と卑弥子さんと悪徳ブログ (2008年10月1日)』より

デンマンさん。。。、今日も室生犀星のお話でござ~♪~ますか?

卑弥子さんは、やっぱりパンツの話の方がイイのですか?

あたくしはパンツの事など申し上げておりませんわ。

でも、なんだか僕が室生犀星を取り上げる事が卑弥子さんには不満のようですね。

あたくしは念のためにデンマンさんにお尋ね申し上げたのでござ~♪~ますわ。

つまり、卑弥子さんも室生犀星に関心があるのですか?

もちろんでござ~♪~ますわ。

卑弥子さんは、どういうところに興味があるのですか?

小百合さんが次のように書いておりましたわ。

長女の室生 朝子さんは やはり子供のころ
軽井沢で過ごしたらしく 
細かく 様子が書いてあったのです。

お手伝いさんがいたものの、
洋風かぶれしたのが嫌いな父・犀星に厳しく育てられて、
父(肺癌)を見送るまでの事、
いろんな作家との 交流 が書いてありました。

あたくしも同性として長女の朝子さんが室生犀星にどのように厳しく育てられたのか関心がござ~♪~ますわ。

つまり、室生犀星よりも朝子さんに興味があるのですね?

もちろん、犀星にも興味があるのですわ。朝子さんは犀星の長女ですもの。

どうして卑弥子さんが朝子さんに興味を持ったのか?僕には分かるような気がするのですよう。

あらっ。。。お判りになりますか?

たぶん、朝子さんの結婚の事に関心があると思うのですよう。卑弥子さんも結婚の事では悩んでいる様子でしたからね。。。

えっ。。。あたくしが、結婚の事で悩んでいるなんてぇ~。。。デンマンさんはご存知でしたの?

だってぇ。。。おととい卑弥子さんは涙をにじませながら僕を恨めしそうに見つめましたよね?

卑弥子さんと結婚

卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授ですよう。

あたくしの職業を持ち出さないでくださいましな。

僕は卑弥子さんが日本の王朝文学を研究している文学者だと言いたかったまでですよう。

でも、“准教授”などと言う言葉を持ち出されると、あたくしのイメージがとっても硬くなってしまって。。。ますますお嫁に行けなくなってしまうのですわア。。。人によると、あたくしを妬(ねた)んだり、嫉(そね)んだり、悪感情を持つ人だって居るのでござ~♪~ますわ。あたくしにとって、決してプラスになる事ではないのでござ~♪~ますう。

それは卑弥子さんの考えすぎですよう。僕が卑弥子さんを大学の先生だと紹介すれば、いつも卑弥子さんの可笑しな部分ばかりを見せられている読者にとって、改めて卑弥子さんを見直す機会にもなるのですよう。つまり、卑弥子さんにとってイメージアップのプラスになるのですよう。

この記事をお読みになっている、日本語が分かる世界のネット市民の皆様は、デンマンさんがおっしゃるようにあたくしを見直してくれますかしら。。。?

見直しますよう。。。絶対に見直しますよう。。。いつもバカやっている卑弥子さんが、まさか京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているなんて、絶対に思いつかないことですからね。。。うしししし。。。

あのォ~♪~。。。デンマンさんは。。。デンマンさんは。。。あたくしがいつも馬鹿やっていると思っているのでござ~♪~ますか?

いや、いや。。。なんと言うか。。。それは。。。、なんですよう。。。あくまでも仮定の話ですよう。。。そう思う人も1000人に一人ぐらいは居るかもしれないという話でしてぇ。。。うへへへへ。。。

ごまかさないでくださいなア~。んも~~。。。デンマンさんは、間違いなくそう信じ込んでいるのですわ。あたくしが馬鹿やっているとォ~。。。

いや、誤解しないでくださいよう。僕は卑弥子さんが文学者である事を常日頃から尊敬しているのですよう。だから、いつも『小百合物語』のホステス役として手伝ってもらっているので、感謝の印として同じ文学を志した室生犀星のことを持ち出せば、卑弥子さんにも悦んでもらえると思ったのですよう。。。それなのに。。。それなのに。。。卑弥子さんは“つまらない”と言う。。。それは、一体なぜですか?

だってぇ~。。。急にパンツの話から話題を変えてしまいましたわ。

『セスナとパンツ』

(2008年12月24)

あれぇ~。。。卑弥子さんは。。。卑弥子さんは、おばさんパンツの話題の方がいいのですか?こうやって、おばさんパンツを穿いて暖炉の前で、ヘラヘラ笑っている卑弥子さんのことを話題にされた方が気分がルンルンになるのですかぁ~?

あたくしは。。。あたくしは。。。おばさんパンツを穿いて、ミーちゃんハーちゃんのようにルンルン気分になっているのではござ~♪~ませんわ。

でも、上の写真を見たら誰だって、そう思いますよう!

あたくしは、おばさんパンツを穿いて、このようにへらへら笑った事は一度としてござ~♪~ませんわ。デンマンさんがコラージュで、このような写真をでっち上げてしまうのですわ。あたくしは被害者ですわア。

ん。。。?被害者。。。?

『女子高生とはなし』

(2008年9月15日)

そうですわ。この上の生々しい写真を見てくださいましなア~♪~。。。んも~♪~。。。あたくしが妊娠した写真までがデンマンさんによってコラージュされてしまってぇ。。。この写真と上のお話がネットに出回っているために、。。。あたくしは。。。、あたくしは、ますますお嫁に行けなくなっているのでござ~♪~ますわア。。。(卑弥子さんが涙をにじませながら)。。。あたくしは。。。あたくしは。。。、一体どうすればよろしいのでしょうか?

だから、誤解を招くようなパンツの話を止めて、格調高く、室生犀星の話題を持ち出してきたのですよう。しかも、卑弥子さんが女子高時代のいかがわしい噂にもかかわらず、一生懸命に勉強して京都の女子大学の古典文学の准教授にまでになった努力家だと言う事を、僕はこの記事の中でも紹介したのですよう。

分かりましたわ。。。そのような事までデンマンさんが考えているのであるならば、あたくしに異存はござ~♪~ませんわ。室生犀星のお話を続けてくださいましな。


『室生犀星と軽井沢と小百合さん (2008年12月26日)』より

このように卑弥子さんは結婚の事で深刻に悩んでいたのですよね。

デンマンさんが誤解を招くような写真をコラージュするからですわ。

でも、その事とは別に、もっと本質的なところで卑弥子さんは悩んでいるのでしょう?

えっ。。。もっと本質的なことですか。。。?

そうですよう。女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているという事が、卑弥子さんのイメージを硬いものにしてしまう。。。それで、いろいろ考えた挙句、卑弥子さんはブログに登場して愚かな真似までしてイメージを和らげている。。。卑弥子さんは、そのように言おうとしたのですよね?

あたくしは、そのような事を言おうとしたのではござ~♪~ませんわ。デンマンさんが、あたくしに馬鹿をやらせているだけですわ。

。。。で、その事で僕を恨んでいるのですか?

あたくしは、ただ、誤解を招くような写真だけはコラージュしないようにとデンマンさんに申し上げたいだけなのですわ。

でも、その事と卑弥子さんがお嫁に行けない事とは、あまり関係があるようには思えないのですよう。

。。。んで。。。んで。。。あたくしの何が問題だとデンマンさんは思っているのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんには二重人格的なところがあるのですよう。

あたくしが二重人格者だとデンマンさんはおっしゃるのですか?

いや。。。二重人格者だと断定している訳じゃありません。卑弥子さんの中には、お互いに相容(あいい)れないような人格が混然としているのですよう。

どう言う事でしょうか?。。。あたくしにはよく理解できませんわ。

つまり、卑弥子さんには次のような2つのキャラクターが住んでいるのですよう。

純日本風な大和撫子(やまとなでしこ)を想わせる卑弥子さん

22世紀のミーちゃんハーちゃんを
彷彿(ほうふつ)とさせる卑弥子さん

男は卑弥子さんの中に、この2つの全く異なる人格を見て、たまげてしまうのですよう。

あたくしは、全く異なる人格をデンマンさんに見せ付けたので、デンマンさんはビックリしてしまったのですか?

そうですよう。僕は唖然としてドン引いてしまったのですよう。うしししし。。。

それって。。。それって。。。いつの事でござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。また僕に同じ事を言わせるのですか?。。。あの箱根の強羅温泉の出来事ですよう!

あたくしがデンマンさんにヨガの秘法の「鶴の舞」をお見せしたのがいけなかったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。くどくなるから、その時の出来事をここで詳しく述べる訳にはゆきません。この記事を読んでいる人の中には上の写真を見ただけで、うんざりしている人も居るはずですからね。。。初めてこの記事を読む人は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいね。

『衝撃の角度』

(2008年6月1日)

あたくしがこの時デンマンさんに2つの人格をお見せしたとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。僕と露天風呂に一緒に入る時に卑弥子さんは、とっても恥ずかしそうにして言ったものですよう。「デンマンさん。。。、あたくし。。。恥ずかしいわぁ~。。。どうか、あまりご覧にならないようにしてくださいましね」 このように言ったのですよう。

そうですわ。それが、どうかしたのでござ~♪~ますか?

それなのに、しばらくたつと、まるで別人になったかのように、ガバッと洗い場に立ち上がり急に「鶴の舞」を見せ始めたのですよう。

それほど。。。それほど。。。急な事でしたかしら。。。?

だから僕はビックリしたのですよう。

それで。。。それで。。。お風呂から出た後で、あたくしと一緒に寝所を同じくした時にデンマンさんは二人のお布団の間に“つい立て”を立てたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。僕は“ドン引き”せずには居られなかったのですよう。

つまり、あたくしの中に二人の全く違う人格をご覧になったと思い込んでしまったのですわね?

だって、そうでしょう?今まで、おしとやかに振舞っていた平安時代の貴婦人が、急に22世紀に生きているミーハーのように洗い場に飛び出して、裸でアクロバットを始めたのですよう!誰だってビックリしますよう!

分かりましたわ。あたくしはデンマンさんを驚かせてしまったようですわね?

驚かせたとか。。。ビックリさせたとか。。。そんな生易しいものではなかったのですよう。。。んもお~~。。。卑弥子さんという人は一体どのような人なのだろうか?。。。卑弥子さんの性格だとか、生い立ちだとか。。。調和と統一の欠けた卑弥子さんの精神状態を僕は改めて見直す必要に迫られたのですよう。

つまり。。。つまり。。。デンマンさんは、あたくしのオツムがイカレテしまったと思ったのですわね?

まあ。。。何と言うかぁ~。。。天と地がひっくり返ったような気がしたものですよう。

分かりましたわ。あたくしの中に精神異常者をご覧になったとおっしゃりたいのですわね?

僕は。。。僕は。。。そこまで言いませんよう。。。ただ。。。ただ。。。

今日は、あのォ~。。。デンマンさんは、あたくしの精神分析をしようとなさるおつもりなのですか?

ちがいますよう。室生犀星と長女の朝子さんのことを話そうとしたら。。。また、いつものように卑弥子さんが余計な事を話し出したから。。。このように。。。このように。。。脱線してしまったのですよう。。。うしししし。。。

うしししじゃござ~♪~ませんわ。

でもねぇ。。。脱線したようだけれど、実は、この卑弥子さんの話も室生犀星と朝子さんと全く関係が無い訳ではないのですよう。

ええっ。。。じゃあ。。。あのォ~。。。朝子さんも「鶴の舞」をあたくしのように殿方の前で。。。あのォ~。。。おヌードになって披露なさったのでござ~♪~ますか?

そんな事はしませんよう。んも~~

。。。んで、いったい、あたくしの「鶴の舞」と朝子さんのどこが関係するのでござ~♪~ますか?

つまりねぇ、室生犀星にとって彼自身が望んでいる朝子像と、現実の朝子さんの生き様(ざま)が違ってきてしまった。。。そこに朝子さんの悩みがあったのですよう。。。とにかく、父親と娘の間には、多かれ少なかれ、期待と現実の間のズレが往々にして大きな問題に発展しかねない。。。つまり、このズレは、僕が卑弥子さんに期待した卑弥子像と、現実の卑弥子さんの姿とのズレと同じようなモノなのですよう。

分かりましたわ。それで。。。具体的にはどのようなズレがあったのでござ~♪~ますか?

ちょっと次の室生犀星の略歴を読んでみてください。

室生 犀星 (むろう さいせい)

本名: 室生 照道(てるみち)
1889年(明治22年)8月1日に生まれる
1962年(昭和37年)3月26日に肺ガンのために亡くなる。
石川県金沢市生まれの詩人・小説家。
 
1889年、加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とハルという名の女性の間に私生児として生まれた。
生後まもなく、生家近くの、真言宗寺院雨宝院住職室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、その妻の私生児として照道の名で戸籍に登録された。
住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであり、この際室生照道を名乗ることになった。

私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響を与えた。
「お前はオカンボ(妾を意味する金沢の方言)の子だ」と揶揄された犀星は、生みの母親についてのダブルバインド(二重束縛)を背負っていた。
『犀星発句集』(1943年)に見える次の句は50歳を過ぎた後も、犀星がこのダブルバインドを引きずっていたことを示している。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

1902年(明治35年)金沢市立長町高等小学校を中退し金沢地方裁判所に給仕として就職。
裁判所の上司に河越風骨、赤倉錦風といった俳人があり手ほどきを受ける。
新聞へ投句を始め1904年(明治37年)10月8日付け『北國新聞』に初掲載。
この時の号は照文。
その後詩、短歌などにも手を染める。

犀星を名乗ったのは1906年(明治39年)からである。
犀星という筆名は、当時金沢で活動をしていた漢詩人の国府犀東に対抗したもので、犀川の西に生まれ育ったことからと言う。
犀星が育った雨宝院は犀川左岸にあり、犀星はこの川の風情と、上流に見える山々の景色とをことの外愛した。
1913年(大正2年)北原白秋に認められ白秋主宰の詩集『朱欒(ざんぼあ)』に寄稿。
同じく寄稿していた萩原朔太郎と親交をもつ。
1916年(大正5年) 萩原と共に同人誌『感情』を発行。
1919年(大正8年)までに32号まで刊行した。
この年には中央公論に『幼年時代』、『性に目覚める頃』等を掲載し、注文が来る作家になっていた。
1929年(昭和4年)初の句集『魚眠洞発句集』を刊行。
1930年代から小説の多作期に入り1934年(昭和9年)『詩よ君とお別れする』を発表し詩との訣別を宣言したが、実際にはその後も多くの詩作を行っている。
1935年(昭和10年)、『あにいもうと』で文芸懇話会賞を受賞。
芥川賞の選考委員となり、1942年(昭和17年)まで続けた。
1941年(昭和16年)に菊池寛賞。

戦後は小説家としての地位を確立し、多くの秀作を生んだ。
娘朝子をモデルとした1958年(昭和33年)の半自叙伝的な長編『杏っ子』は読売文学賞、同年の評論『わが愛する詩人の伝記』は毎日出版文化賞を受賞。
古典を基にした『かげろふの日記遺文』(1959年(昭和34年))では野間文芸賞を授賞した。
この賞金から翌年、室生犀星詩人賞を設定。
1962年(昭和37年)、 肺癌の為に死去。

物語の分野では娘の室生朝子によって編まれた『室生犀星全王朝物語』(作品社)が刊行されている。

抒情小曲集の次の詩句が有名である。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

この句の通り、文壇に名を轟かすようになった後も金沢にはほとんど戻ることがなく、そのかわり犀川の写真を貼っていたという。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

室生犀星さんは不幸な生い立ちなのでござ~♪~ますわね。

確かに、平成時代に生きている我々の目には、犀星は悲惨な境遇に生まれついたと映るでしょうね。

デンマンさんが生まれた当時には、このような人はたくさん居たのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、僕は戦後生まれですよう。

日清戦争後でござ~♪~ますか?

違いますよう。んも~~。。。太平洋戦争ですよう。

それで犀星さんの娘さんの朝子さんは、いつ頃お生まれになったのでござ~♪~ますか?

朝子さんは、1923(大正12)年8月に生まれたのですよう。関東大震災の1ヶ月前です。

もう、お亡くなりになったのですか?

2002年の6月に亡くなったのですよう。79歳の誕生日を待たずに逝ってしまったのです。

朝子さんの略歴は無いのですか?

ウィキペディアには、まだ書いてないのですよう。でもねぇ、朝子さんの事は犀星が書いた長編小説『杏(あんず)っ子』を読むと分かりますよう。

どのような物語なのでござ~♪~ますか?

私生児として生まれた平山平四郎という作家が、やっと恵まれた一人娘の杏子を育てながら、父と娘の関係を書き綴ってゆくという筋書きなのですよう。

自伝小説なのでござ~♪~ますか?

そうなのです。実際の犀星がそうであったように、平山平四郎は金沢の足軽と女中のあいだに生まれた、と言う事になっています。あらすじは次のよなものですよう。

『杏(あんず)っ子』 あらすじ

平四郎は、生後まもなく寺の貰い子となって、僧侶の妻(義母)の苛酷な仕打ち受ける。
まともな家族を知らない平四郎は、かくして大人を恐れて育っていった。
彼は、大人になることは化け物になることだと思っていた。
12歳で裁判所の給仕にさせられ、何も信じられぬ日々を送って、21歳で金沢を脱出すると、ついに小説家に化けることを思いつく。

平四郎は自分に言い聞かせた。
「いっぱしの小説家に化けたのであるから、四十八手の手を用いて化けおおせなければならない」
その文士の卵で詩人である平四郎に、赤ん坊が生まれた。
看護婦が見せてくれた子はぐにゃぐにゃした「臓物のような軟膏物」に見えた。
杏子と名付けた。
その4日後に関東大震災が襲った。
親子3人は何人かに助けられ、生き延びた。

平四郎はこの時以来、「日本は内からは壊れないが、外の交渉で壊れる」という変な確信をもつ。
もうひとつ平四郎が確信というよりも、覚悟というのか、決意したことがある。
「娘というものはその父の終わりの女」であるということだ。
ヒョットコ顔の平四郎は、娘を美しい女に育てあげることによって、「自分自身のどこかにあるはずの女というもの」を、もういっぺん一から組み立てたくなっていた。

父親には、たとえ娘がスカートから大根足をころげだしていても、それを人間の体の美しさと認めることのできる「高い眼」というものがあるらしい。
平四郎はそのような娘のはらはらするような姿態は、娘のものでも父親のものでもなく、人類のものであると思うようになっていた。
そういう平四郎にいろいろの変化がおこった。
たとえば、とくに世間の美人の娘を育てた親に対して、過剰なほどに敬意をもつようになっていた。
ぺこぺこするほどだった。
ちょっとした十人並の娘の前でも、なんだか偉いようなものに出会っているようで恐縮するようになっていた。
もっと意外なのは、あれほど憎い養母について、自分に娘を大事に育てたいという動機をもたらした立派な烈婦のような印象をもつようになっていた。
 
杏子は骨っぽいところなんてひとつもない「鳥の子餅」のように美しく育っていく。
9歳になるとピアノを買ってやった。
ブルドッグも飼った。
そしてついに家を建てることにした。
なんとなく幸せが、やってきそうだった。
ただ、父親にとって恐ろしいことは「鳥の子餅の未来」だけである。

19歳になった杏子の眼を見て、平四郎はハッとした。
どうもこの眼は牛のように鈍重なのだ。
これは不気味なことだった。
父親は必ずしも幸せだけを体験するわけではなかったのだ。
けれども周囲はみんなが杏子を愛らしく思うらしかった。
男友達もできて、そのうちの一人は付き合いたいと言っている。
ただその母親が、「お宅の杏子さんがうちに来られるのをやめてほしい」と言ってきた。
久々に平四郎に怒りがこみあげた。
時まさに、日本が戦争に突入してゆく時期であった。
 
そこへ妻が倒れ、中風になってしまった。
妻のためにも、平四郎は軽井沢に引っ越すことにする。
当時の軽井沢は何もない。
田舎暮らしが始まった。


 
そんな時、杏子に接近してきた男が現れたのである。
杏子に愛を告白したのは、軽井沢に住む漆山亮吉という作家志望の青年だった。
 
平四郎の気持ちは穏やかではなかった。
亮吉に対して意外な期待をもつ一方、杏子が不幸せにならなければいいのにと心配しつづけていた。
平四郎は、自分がいっぱしの売れっ子作家になってしまっているために、まったく無名ながら懸命に作家をめざす亮吉を見る目が甘くなってしまっていた。

案の定、杏子の結婚生活はひどいものになってゆく。
あれほど実直に見えた亮吉は、まるで平凡な男にすぎず、手塩にかけて育てた杏子の無垢を傷つけるのに余りある愚かさに満ちていた。
平四郎は悔やむのだか、ふと思えば、書いても書いても原稿が売れない作家を救うものがあるとすれば、それは生活の不幸であるはずなのだ。
けれども平四郎が望んでいるのは杏子の心身の平安であるのだから、これはまるで平四郎が亮吉をダメにし、ひいては杏子の日々を低迷させているのではないか?
結局、結婚は破綻して、娘はふたたび父のもとに戻ってゆく。

杏子は次のように言う。「ここまできてみると、実になんにもないわね。空々漠々ということばがありますが、いまのわたくしがそれなのよ」。
父は言う。「みんな嚥み下したようなものだなあ」。
娘はさらに言った。「嚥んで吐いてしまったわ」。

どうですか、卑弥子さん。。。?どう思いますか?

犀星さんは本当の家庭の味を知らなかったから、朝子さんに対して「良き父」であろうと努力をしているのが良く分かりますわ。

そうですか。。。分かりますか。。。?でも、結果として朝子さんの結婚は破綻するのですよね。

あたくしは朝子さんが夫に期待していたものが大きすぎたのだと思いますわ。そこに現実との大きなズレができたのでござ~♪~ますわ。

朝子さんの夫が実際にダメな男だったかもしれないじゃないですか?

あたくしは、そうは思いませんわ。犀星さんは、必要以上に「良き父」になろうと努力したのですわ。そういう父親を見ていたために、朝子さんの中で形付けられた「男性像」が、あまりにも現実離れしてしまったのですわ。それで、夫がダメな男に見えてしまったのでござ~♪~ますう。

つまり、犀星は朝子さんにとって素晴しい男性に見えたのですね?

あたくしは、そうだと思いますわ。

僕は、違うと思うのですよう。犀星は意外に厳しい目を持っていたと思うのですよう。だから、朝子さんに対しても厳しかったと思うのですよう。

なぜ、デンマンさんはそのように思うのでござ~♪~ますか?

室生犀星の文学碑には、次のような詩が刻み込まれているのですよう。

我は張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す

我はそれらの輝けるを見たり

斯る花にあらざる花を愛す

我は氷の奥にあるものに同感す

我はつねに狭小なる人生に住めり

その人生の荒涼の中に呻吟せり

さればこそ張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す

昭和三十五年十月十八日  室生犀星之建


詩集『鶴』巻頭詩「切なき思ひぞ知る」より

 
これを読むとねぇ、僕はどう言う訳か背筋がゾクゾクと寒くなってくるのですよう。読む人に温かみが伝わってくる詩ではないのですよう。

そうでしょうか?

卑弥子さんは、上の詩を読んで宝くじに当たったミーちゃんハーちゃんのようにルンルン気分になれますか?

確かに、スキップしたくなるような詩ではござ~♪~ませんわ。

そうでしょう?僕だって、ルンルン気分でスキップしたくなるような気分にはなれませんよう。

そう言えば、デンマンさんは、おととい、上の詩を読んで犀星さんの人生哲学を読むようだとおっしゃっていましたよね?

そうですよう。悪く言えば「井の中の蛙人生」。。。よく言えば、「孤独を愛した孤高の人生」ですよう。。。僕は、上の詩を読んで、そのように感じ取ったのですよう。

でも、“井の中の蛙人生”と決め付けるのは、かなり言い過ぎではござ~♪~ませんか?

しかし、犀星自身が“我はつねに狭小なる人生に住めり”と言っていますよう。

でも、“狭小なる人生”は“井の中の蛙人生”とはニュアンスが異なると思いますわ。

どのように違うのですか?

犀星さんが言おうとしているのは、狭小かもしれないけれど、自分の世界を深く深く掘り下げていって、氷のように冷たいかもしれないけれど、自分の世界の真実を見届けようとする姿勢を詩に詠んだと、あたくしには思えるのでござ~♪~ますわ。

ほおォ~。。。さすがに京都の女子大学で「日本文学と源氏物語」を講義している准教授の卑弥子さんの良識が見えるような意見ですねぇ~

このような時に、また、あたくしの職業を持ち出さないでくださいましなア。

しかし、なぜ、犀星の世界の真実は、氷のように冷たくなければならないのですか?その冷たい人生の荒涼の中で、なぜ呻吟しなければならないのですか?。。。卑弥子さんは考えてみた事がありますか?

だから、真実に直面するという事は、冷たい現実に真正面から向き合う事だからですわ。

でも、現実が冷たいとは限らないでしょう。ほっかほっかの現実だってあると思うのですよう。それなのに、どうして犀星の詩には冷たい、鋭い、痛々しいモノが詠まれているのですか?。。。卑弥子さんは考えてみた事がありますか?

なぜでしょうか?

僕は次の句に、その答えが秘められていると思いますよう。

『犀星発句集』(1943年)に見える次の句は50歳を過ぎた後も、犀星がこのダブルバインドを引きずっていたことを示している。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

 

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
なんだか急に難しいお話になってしまいましたわ。
いつものデンマンさんならば、うしししし。。。とか何とか言って面白おかしくしてしまうのですけれど、今日のデンマンさんはマジで冷たい表情を崩しませんでした。

あなたには室生犀星さんが冷たい詩を読んだ心がお判りですか?
なんだか、最後になって、きわめて哲学的な疑問を突きつけられてしまいましたわね。
あなたも、どうか、今夜じっくりと考えてみてくださいませ。

とにかく、あさっても興味深い話題が続きますわ。
あなたも、どうか、読みに戻って来てくださいね。
じゃあ、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

なんとなく意味は分かりますよね。

でも、わたしは“匹婦”という言葉を

初めて見たのでした。

“匹”は動物を数えるときに使いますよね。

“婦”は成人女性のことです。

だから、“動物的な女性”だろうと

わたしは直感的に意味を考え出したのです。

念のために辞書を引いてみました。

ひっぷ 【匹婦】

身分の低い女。
また、道理をわきまえない卑しい女。

【用例】 
「欲にのみふける匹婦の情/人情本・梅児誉美(後)」

三省堂「大辞林 第二版」より

なるほどね~。

男性の場合は“匹夫”です。

ところで、“匹”は何をかたちどって

出来た漢字だと思いますか?

なんと、馬のお尻だそうです。

そう言われてみれば、

馬のお尻のようにも見えますよね。(爆笑)

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

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