室生犀星の話


 
2009年1月7日 水曜日
 
 
室生犀星とふるさと
 
 

室生 犀星 (むろう さいせい)

本名: 室生 照道(てるみち)
1889年(明治22年)8月1日に生まれる
1962年(昭和37年)3月26日に肺ガンのために亡くなる。
石川県金沢市生まれの詩人・小説家。
 
1889年、加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とハルという名の女性の間に私生児として生まれた。
生後まもなく、生家近くの、真言宗寺院雨宝院住職室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、その妻の私生児として照道の名で戸籍に登録された。
住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであり、この際室生照道を名乗ることになった。

私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響を与えた。
「お前はオカンボ(妾を意味する金沢の方言)の子だ」と揶揄された犀星は、生みの母親についてのダブルバインド(二重束縛)を背負っていた。
『犀星発句集』(1943年)に見える次の句は50歳を過ぎた後も、犀星がこのダブルバインドを引きずっていたことを示している。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

抒情小曲集の次の詩句が有名である。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

この句の通り、文壇に名を轟かすようになった後も金沢にはほとんど戻ることがなく、そのかわり犀川の写真を貼っていたという。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今日は室生犀星と金沢のお話でござ~♪~ますか?


 
なんだか卑弥子さんは、つまらなそうな表情を浮かべていますねぇ~。。。金沢では不満なのですか?

別に不満だと言う訳ではござ~♪~ませんわ。ただ、日本はまだ三賀日気分が抜けないので、お正月にちなんだ話題の方がこの記事を読んでくださる方に悦ばれるかもしれないと思ったまでのことでござ~♪~ますわ。

お正月にちなんだ話題ですよう。

でも、タイトルにはお正月にかかわるようなものは何も見えてませんわ。

タイトルはお正月とは関係ないのですよう、でも、日本はまだ正月気分なので僕も少しでも正月にちなんだ話しをしようと、これでも苦労しているのですよう。うへへへへ。。。

それで、金沢とお正月にちなんだ話って、いったい何でござ~♪~ますか?

卑弥子さんは“お盆と正月が一緒に来たようなものどすえ”と言うのを聞いたことがありますか?

ええ。。。もちろんありますえ~。

ほおォ~。。。京都弁になると、体のしぐさまでがなよなよと柔軟になって、急にしおらしくなるのですねぇ~。うしししし。。。

あたくしをからかうつもりで京都弁を持ち出して来たのどすか?

いや、違いますよう。関東でも、とりわけ賑わいを見せたり、予想以上にうれしい事があった時など“盆と正月が一緒に来たようだ”と言うのですよう。

。。。んで、その事と金沢がどう関係あるのどすう?

金沢には昔、マジで「盆正月」と言う行事があったのですよう。

それって、ほんまの話どすゥかぁ~?

ほんまですがなぁ~

デンマンさんまでが関西弁を使わなくてもよろしおすえ~。。。んで、その「盆正月」って、どのようなものでござ~♪~ますか?

昔、加賀藩の時代に、大きな慶事があった場合。。。、たとえば藩主の継承があった時とか、または、お殿様の官位が昇進した時とか、あるいは、世子が誕生した時とか。。。、そういう時には、城下の市民がこぞって祝ったのですよう。

祝うってどのように。。。?

だから、城下の商人や町人は、すべて仕事を休みにするのですよう。それで、家々では祝い幕をかかげ、各町内では造り物をこしらえ、獅子舞や、祇園ばやしなども出て、藩主はこの催し物を特設の物見台より見物したのですよう。

つまり、「盆正月」と言う行事は、いついつにすると言うように、日にちが決まっている訳ではないのでござ~♪~ますわねぇ。

決まってないのです。正月と言う名が付いているけれど、1月にあるわけではないのですよう。記録によると、盆正月の始まりは、五代藩主・前田綱紀(つなのり)の頃からだったらしい。はっきりと記録に残っているのでは、延享2年(1745)前田宗辰(むねとき)が藩主になったのを祝って、8月11・12日に町奉行がお触れ書きを出して「盆正月」を執り行ったと記(しる)されているのです。

現在、金沢では「盆正月」は行われていないのでござ~♪~ますか?

明治2年(1869)に最後の加賀藩主・前田慶寧(よしやす)が恩賞を受けたときが最後の「盆正月」だった。それまでに40回以上行われたらしい。

金沢では、もうやらないのでござ~♪~ますか?

残念ながら、現在、やってないのですよう。でも、この「盆正月」を再開しようと考えている人たちも居るそうですよう。

。。。んで、この「盆正月」と室生犀星が何か関係あるのでござ~♪~ますか?

何か関係はないものかとずいぶん調べたのだけれど、全く関係がないのですよう。うへへへへ。。。

うへへへじゃござ~♪~ませんわ。それでは、無理やり「正月」と言う文字を持ち出しただけで終わりじゃござ~♪~ませんかア!

でも、少しは正月にちなんだ、おめでたい話になっているでしょう。。。うしししし。。。

もう、よろしいおすゥ。今日のタイトルに戻ってお話してくださいな。

あのねぇ~、実は、正月と言えば、僕はもう日本の正月を30年以上味わってないのですよう。

マジで。。。?

大真面目ですよう。

つうことわあああぁ~。。。紅白歌合戦も30年以上も見てないと言うことでござ~♪~ますか?

見てません!見たいとも思ってません!

それって。。。それって。。。ちょっと異常ではござ~♪~ませんか?

どうしてですか?

日本の大晦日と言えば、紅白歌合戦。。。紅白歌合戦と言えば日本の大晦日でござ~♪~ますわア。

卑弥子さんも毎年、大晦日になると紅白歌合戦を見るのですか?

見ませんわ。

どうしてですか?日本の大晦日と言えば、紅白歌合戦。。。紅白歌合戦と言えば日本の大晦日なのでしょう?

そうでござ~♪~ますわア。

それなのに、卑弥子さんは見ないのですか?

だってぇ~。。。見ると言ったら、デンマンさんに馬鹿にされるのですものォ~。。。典型的なオツムの足りない日本のミーちゃんハーちゃんだってぇ~。。。デンマンさんは、きっと。。。、きっと、あたくしを馬鹿にするのですわア~。

それで。。。、それで、見ているのだけれど、大きな声で見たと言わないのですか?

うふふふふ。。。

うふふふじゃないですよう!んも~~。。。正月早々、日本人特有の“本音と建前”を使い分けないでくださいよう!正直に答えてくださいよう!正直にィ~。。。

分かりましたわ。。。んで、デンマンさんは30年も日本のお正月を味わってなくて、何が一番恋しいのでござ~♪~ますか?

小百合さんから次のよなメールをもらうと、やっぱり、おせち料理が懐かしくなりますよう。

[504] Re: ○ 門松とロマンポルノ ○ 2009年1月3日 
Name: sayuri E-MAIL
Date: 2009/01/02 00:55
(バンクーバー時間: 1月1日午前7時55分)

2009 おめでとう ございます。
元旦の夜は新年会で親戚一同が集まります。
お刺身 かに お寿司 PIZZA おせち 色々用意して
やっと よっぱらいも さっき帰りました。

疲れた~ ( ̄Д ̄;)
自分の好きな事は 疲れないけど
あ~ おさんどん は疲れるー。
台所のゴミがすごいので 明日まとめます  これが現実。
では またね。


『RE: 門松とロマンポルノ (2009年1月2日)』より

だったら、お正月に帰省なさればよいでしょうに。。。?

あのねぇ~、大晦日も元旦も、日本では、皆、てんやわんやですよう。飛行機は混むし、航空券は高いし、どこへ行っても騒がしい。疲れるだけです。小百合さんの上のメールを読んでも分かるでしょう?だから、小百合さんに逢うどころじゃない。。。

つまり、日本に帰省するのは小百合さんにお逢いになるのが第一の目的なのでござ~♪~ますか?

もちろん、小百合さんにも逢いたいのですよう。でもねぇ、一番の目的は、老い先短い母親に会うことですよう。あとで次のような後悔をしたくないからですよう。

“親孝行したい時には親は無し”

つまり、犀星さんがふるさとに足を運ばなかったのは、お母様が居なかったと言う事でしょうか?

違うと思いますよう。

どう違うのでござ~♪~ますか?

例え、室生犀星の産みの母親が生きていたとしても、当時、里子に出した産みの親は、我が子とは絶対に会わない、という事を心に誓ったものですよう。だから、産みの母親が金沢に住んでいたとしても犀星とは会わなかったでしょう。

犀星さんもそう思って、ふるさとに帰らなかったのでしょうか?

複雑な気持ちだったと思いますよう。

どのように複雑だったのでござ~♪~ますか?

だから、犀星の次の句に、その複雑な心境が表れていると思うのですよう。

『犀星発句集』(1943年)に見える次の句は50歳を過ぎた後も、犀星がこのダブルバインドを引きずっていたことを示している。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

この句がどうだとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているのですよう。分からないはずがないでしょう!

京都の女子大学とは関係ござ~♪~ませんわ。

あのねぇ~、日本語が母国語でないジューンさんだって次のように言っているのですよう。

こんにちは。ジューンです。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

なんとなく意味は分かりますよね。

でも、わたしは“匹婦”という言葉を

初めて見たのでした。

“匹”は動物を数えるときに使いますよね。

“婦”は成人女性のことです。

だから、“動物的な女性”だろうと

わたしは直感的に意味を考え出したのです。

念のために辞書を引いてみました。

ひっぷ 【匹婦】

身分の低い女。
また、道理をわきまえない卑しい女。

【用例】 
「欲にのみふける匹婦の情/人情本・梅児誉美(後)」

三省堂「大辞林 第二版」より

なるほどね~。

男性の場合は“匹夫”です。

ところで、“匹”は何をかたちどって

出来た漢字だと思いますか?

なんと、馬のお尻だそうです。

そう言われてみれば、

馬のお尻のようにも見えますよね。(爆笑)

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


『室生犀星を旅する (2008年12月28日)』より

つまり、犀星さんは自分の産みの母親を“身分の低い、道理をわきまえない卑しい女”だと俳句の中で詠んだのでござ~♪~ますわね?

そうですよう。犀星は自分の出生について50歳を過ぎた後でも、心の底に重くわだかまっているものを感じないでは居られなかったのですよう。

そのわだかまりとは。。。?

犀星を生んだお母さんは、実は小畠弥左衛門吉種の正妻ではなかった。

どういう方だったのでござ~♪~ますか?

木畠家に仕えていた奉公人だったのですよう。

つまり、お手伝いさんだったのでござ~♪~ますか?

まあ、分かり易く言えば、そういうことなのですよう。犀星は、祝福されながら生まれたわけではないのですよう。ハルさんは当時32歳だった。木畠家は、とりわけ裕福である訳ではないから、水子にして処分しないのであれば、後は里子に出すしかなかったのですよう。

つまり、他の人に赤ん坊を貰ってもらうのですわね?

そうですよう。それで、生後まもなく雨宝院住職の室生真乗の内縁の妻、赤井ハツさんにもらわれたのですよう。

つまり、この赤井ハツさんも、世間で言うところの“お妾(めかけ)”さんだった訳でござ~♪~ますか?

そうなのですよう。

“人の口に戸は立てられない”

諺にもあるように出生の秘密というのは、どういうわけか漏れてしまう。それで、上の略歴にも書いてあるように、犀星は「お前はオカンボ(妾)の子だ」と馬鹿にされたのですよう。

でも、犀星さんは赤井ハツさんの子供ではないのでしょう?

そうですよう。噂というものは、いい加減なものだという事ですよう。真実を知る人は少ない。でも、“妾の子”と馬鹿にされただけでも子供心には、深い心の傷になってしまう。

つまり、ダブルバインドという事は、“お妾さんの産んだ子”だと馬鹿にされた事とは別に、自分の父親が奉公人の女に手をかけて産ませた子だという事実を犀星さんは知ったということですか?

その通りですよう。要するに自分の出生にまつわる2重の苦しみの種を抱えてしまったのですよう。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

その苦しみ、悩みがこの俳句に詠み込まれていると、デンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう。50歳を過ぎた後でも、犀星はこのダブルバインドを引きずっていた、と言うのですよう。

つまり、自分の産みの親を憎んでいたのでござ~♪~ましょうか?

憎んだ事もあったでしょうね?

つうことわぁ~。。。犀星さんがこの句を詠んだ時には、もう産みの親を憎んでいなかったと。。。?

上の句を詠んだ時には、犀星は産みの親を憎んでいなかったと僕は思いますよう。

どうして、そのようなことがデンマンさんに分かるのでござ~♪~ますか?

犀星は生みの母に会った事がないのですよう。だから、なおさら憎めなかったのでしょうね。

どうして会えなかったのですか?

当時、我が子を里子に出したら産みの親は2度と別れた子に会うべきではない、というのが里子に出した産みの親の守るべき事だと言われていたのですよう。

つまり、会ってはいけないと。。。?

そうですよう。いわば暗黙の掟(おきて)のようなものだったのですよう。

犀星さんは、さぞかし産みのお母様にお会いしたかったでしょうね。あたくしは、いつも『徳光和夫の感動再会”逢いたい”』を見て感動しているのでござ~♪~ますわ。もし明治時代にあの番組があったならば、犀星さんも産みのお母様にお会いできたかもしれませんわよねぇ~。(卑弥子さん、番組の感動シーンを思い出しながら目頭に熱いものがこみ上げてくる。。。)

ちょっと、卑弥子さん!。。。涙を浮かべて。。。それではまるで司会の徳光さんのようじゃないですかア~

デンマンさんは。。。、あのォ~。。。日本に帰省した時に、その番組をご覧になりませんでしたのォ~?

実は、僕のお袋があの番組が好きでしてねぇ~。僕も、仕方なしに一緒にみましたよう。

産みのお母さんとの再会なんて、実に感動的でござ~♪~ますでしょう?

卑弥子さんもTBSテレビで見たのですか?

あたくしは関西でござ~♪~ますから毎日放送(MBS)ですわ。。。んで、犀星さんは一生、産みのお母様にお会いしなかったのでござ~♪~ますか?

会えなかったのですよう。お母さんは行方不明のままだったのですよう。それで、室生犀星は生涯にわたって、この「見えない母」を思慕しつづけたのですよう。

どうして。。。、どうして、そのような事がデンマンさんに分かるのでござ~♪~ますか?

長編小説『杏(あんず)っ子』を書いあとで、犀星は次のような率直な感想を書いていたのですよう。

「ただ、このような物語を

書いているあいだだけ、

(母に)お会いすることが出来ていた。

物語をつづるということで、

生ける母親に会うことのできるのは、

これは有難いことのなかの

特に光った有難さなのである」

卑弥子さんも、これを読めば分かるでしょう!?会えない産みの親というのは男にとって“心のふるさと”なのですよう。

そう言うものなのでしょうか?。。。でも。。。でも、それならばなぜ、犀星さんは産みのお母様を侮辱するような次の句を読んだのでござ~♪~ましょうか?

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

だから、そこですよう。

どこでござ~♪~ますか?

犀星が書いた次の詩をじっくりと読んでみてくださいよう。

我は張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す

我はそれらの輝けるを見たり

斯る花にあらざる花を愛す

我は氷の奥にあるものに同感す

我はつねに狭小なる人生に住めり

その人生の荒涼の中に呻吟せり

さればこそ張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す

昭和三十五年十月十八日  室生犀星之建


詩集『鶴』巻頭詩「切なき思ひぞ知る」より

産みの親を“匹婦”と呼んでいたけれど、それは決して母親を侮辱したり憎んでいるために、そう書いたわけではないのですよう。

でも、“匹婦”とは、ジューンさんが調べたように、とっても悪い意味でござ~♪~ますわ。産みの親が、デンマンさんのおっしゃるように男にとって“心のふるさと”であるならば、犀星さんは絶対にそのような悪い言葉を使わないはずでござ~♪~ますわ。

だから、その言葉は産みの母親に向けたわけではないのですよう。

。。。では。。。では。。。いったい、どなたに向けた言葉なのでしょうか?

室生犀星自身に向けた言葉ですよう。

犀星さんご自身に向けた言葉でござ~♪~ますか?

その通りですよう。

それならば、匹婦ではなくて匹夫になるはずですわ。

でもねぇ、匹夫と書いたのでは、全く馬鹿馬鹿しい句になってしまう。普通の人が読んで誰でも分かるようにするには、やはり匹婦と書かざるを得ないのですよう。

でも、あたくしには、まだ良く分かりませんわ。

あのねぇ、次のような諺を卑弥子さんも聞いたことがあるでしょう?

“三つ子の魂百までも”

ええ。。。聞いたことがありますわ。

人間は三歳までにいろいろ経験したことが、その後の性格を形成する、というのですよう。つまり、幼い時に培われた性格は、いくつになっても変わらない、とのたとえです。

犀星さんの場合、具体的には、どう言う事なのでござ~♪~ますか?

三歳という年齢にこだわる必要はないのですよう。問題は、傷つきやすい時期に犀星は「お前はオカンボ(妾)の子だ」と言われ、馬鹿にされたり、イジメられたりした。犀星に落ち度があるわけじゃない。犀星自身は、何も悪い事をしたわけじゃない。犀星にはどうする事もできない事で、馬鹿にされたり苛められたりした。

その経験が。。。嫌な思い出が50過ぎても、犀星さんの心の底に重く沈んでいたとデンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう。それで、次の句を読んだのですよう。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

でも、この句を詠んだ時の犀星は、もはや少年の頃の犀星ではない。犀星の生い立ちの事で馬鹿にする人も居なければ、苛める人も居ない。冷静に考えれば、犀星自身は、何も悪い事をしたわけじゃない。犀星にはどうする事もできない事だった。でも、“三つ子の魂百までも”。。。子供の頃、苛められたり馬鹿にされた悪夢は、心のどこかに残っている。

その事に対して犀星さんは素直に向き合って上の句を読んだと。。。?

そうですよう。その事が上の詩の中にも、再度表れていますよう。

どこにでござ~♪~ますか?

我はつねに狭小なる人生に住めり

その人生の荒涼の中に呻吟せり

狭小なる人生とは。。。結局、その生い立ちの柵(しがらみ)から抜け出そうとして抜け出せない自分ですよう。そのような事を考えても仕方がないのだけれど、やはり考えない訳にはゆかない。そういう心の状態が“人生の荒涼の中に呻吟せり(苦しくてうなる)”ですよう。

。。。んで、それに続く次の詩句はどういう意味なのでござ~♪~ますか?

さればこそ張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す

それを理解するためには、犀星が書いた長編小説『杏(あんず)っ子』を読むと分かるのですよう。犀星の人生は、苦しくてうなるような荒涼とした人生だったけれども、幸いな事に一人娘の朝子さんを授かったのですよう。

それで。。。?

「娘というものはその父の終わりの女」である

ということだ。

ヒョットコ顔の平四郎は、

娘を美しい女に育てあげることによって、

「自分自身のどこかに

あるはずの女というもの」を、

もういっぺん一から組み立てたくなっていた。

小説の中で犀星は、このような事を書いている。つまり、犀星は「母親とは何か?」、「我が子を里子に出さねばならない母の気持ちとはどういうものなのか?」。。。「女とは。。。?」。。。そのような事を考えない訳にはゆかなかったのでしょうね。。。自問自答しながら書いたのが『杏っ子』だった。。。それで、書き終えてから犀星が書いたのが次の感想だったわけですよう。

「ただ、このような物語を

書いているあいだだけ、

(母に)お会いすることが出来ていた。

物語をつづるということで、

生ける母親に会うことのできるのは、

これは有難いことのなかの

特に光った有難さなのである」

。。。それで。。。?

創作の中で生ける母親に会うことこそ、犀星にとって“愛すべき張りつめたる氷”だったのですよう。

さればこそ張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す

それが、犀星さんがふるさとに帰らなかった理由なのでござ~♪~ますか?

そうですよう。犀星にとってふるさとは、あまりにも生々しい記憶を呼び戻してしまう所だと思うのですよう。

つまり、“匹婦”のお母さんが住んでいる所。。。犀星さんがそのお母さんのために馬鹿にされ、イジメられたところ。。。犀星さんは、そのように感じてしまうとデンマンさんは思うのでござ~♪~ますか?

そうですよう。だから、犀星は創作の中で母親に会い、切ない思いに浸る事の方を選んだのですよう。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
確かに、犀星さんにとって、ふるさとは、あまりにも生々しいものだったのかもしれません。

でも、デンマンさんは、どうして30年もの間ふるさとのお正月を味わっていないのでござ~♪~ましょうか?
あなたは、なぜだと思いますか?
あたくし、あさってデンマンさんにお聞きしてみたいと思いますう。

とにかく、興味深い話題が続きますわ。
あなたも、どうか、読みに戻って来てくださいね。
じゃあ、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

“三つ子の魂百までも”

そうですよね。

幼児の頃の教えやしつけは

終生、その子供の心に

刻み込まれてしまいますよね。

さて、上の諺を英語で何と言うのでしょうか?

いくつか言い方がありますよ。

よく見かけるものに次の言い方があります。

The child is the father of the man.

つまり、幼児の頃のしつけが

大人になってからの性格を

形付ける、と言う事です。

次の諺は、そのものズバリを説明しています。

What is learned in the cradle is

carried to the grave.

ゆりかごで習い覚えたことは、

墓場まで持ってゆく

次の言い方も分かり易いです。

The leopard cannot change its spots.

ヒョウがもって生まれた斑点は

自分で変えることはできない。

その通りですよね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

コメント / トラックバック1件 to “室生犀星の話”

  1. 愛のしずく « Denman Blog Says:

    […] わて、今、室生犀星のおっちゃんの事を書いているんやがなぁ~。 ついさっき、『室生犀星とふるさと (2009年1月7日)』を書き終えてライブドアで予約投稿を済ませたばかりやぁ。 […]

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