『トリエステの坂道』


 
2009年1月27日 (火曜日)
 
  
『トリエステの坂道』
 
 
ウィーンの空の下で
 
 

お見舞いありがとう

投稿日時: 2008/05/17 01:11 (ロンドン時間)
日本時間: 5月17日午前9時11分
バンクーバー時間: 5月16日午後5時11分


メールでのお見舞い ありがとう ございました。
昨日よりも とても 元気ですよ。 あと5日間
薬を飲んで 遠出 はさけます。

昨日はコーヒーもまずく、 でも今日は3杯飲みました。
胃も回復、 ずーっと うどんと おかゆ 
でした。 今日は 何か 食べたい気分ですが
油 甘いもの 野菜はさけます。
たまごサンド ぐらい かな?
デンマンさんは どんな サンドイッチ が好きですか?

次男坊も くつ下 ワイシャツ 体操着 た~くさん
の洗濯物とおみやげ を持ち帰って 来ました。
静養 メルヘンの恋 も読みましたからね。
では ブログに はげんで ください。
返信 あわてなくて OK です。

小百合より


Fuji & Kato Private Forum 『風邪っ子』スレッド
“Beaverland e-XOOPS”

 

こんにちは。デンマンですよう。

メールでのお見舞い ありがとう ございました。
昨日よりも とても 元気ですよ。 あと5日間
薬を飲んで 遠出 はさけます。

そうです。そうです。。。
無理をしないようにして、充分に休養を取ってくださいね。

昨日はコーヒーもまずく、 でも今日は3杯飲みました。

うん、うん、うん。。。
小百合さんは、本当にコーヒーが好きなんですね。

僕も必ず毎日コーヒーを飲みますよう。
好きだと言うよりも習慣になってしまいましたね。
でも、日本のお茶よりは好きですね。
うしししし。。。

ロマンチックな気分に浸りたいときには
ヴィエンナ・コーヒーを入れますよう。

。。。んで、ジューンさんとウィーンのサイドウォーク・カフェで一緒に飲んだ時の事などを懐かしく思い出すのですが。。。

小百合さんの「軽井沢の夢とロマン」を書いていると。。。

万平ホテルのカフェテラスで小百合さんとヴィエンナ・コーヒーを一緒に飲む日がおとづれることを祈りながら飲むのですよう!
うしししし。。。

でもねぇ~、万平ホテルのカフェのメニューを見るとヴィエンナコーヒーは書いてないのですよね。
生クリームがあれば、簡単に作れると思うので、リクエストすれば作ってくれるかもね。。。

胃も回復、 ずーっと うどんと おかゆ 
でした。 今日は 何か 食べたい気分ですが
油 甘いもの 野菜はさけます。
たまごサンド ぐらい かな?
デンマンさんは どんな サンドイッチ が好きですか?

うん、うん、うん。。。
そのことで5月18日の記事を書いたのですよう。
あす、ライブドアで読んでね。
すでに予約投稿してありますよう。

■ 『ベーグルとロマン (2008年5月18日)』

このちじれっ毛のマリアさんが作ってくれたのですよう。

なんとォ~

サモン・トマト・スイスチーズの

ベーグルサンドウィッチ

じゃじゃ~♪~ん

明日の記事にも出てきますよう!

ベーグル好きの小百合さんもメチャ楽しめるように一生懸命に書きました。

明日の記事を読めば、笑って、楽しくなって、食欲が湧いて来て
小百合さんが元気になること間違いありませんよう!
ぜひ読んでみてね。

次男坊も くつ下 ワイシャツ 体操着 た~くさん
の洗濯物とおみやげ を持ち帰って 来ました。

はい、はい、はい。。。
小百合さんは良い子宝にも恵まれていますよう!

静養 メルヘンの恋 も読みましたからね。
では ブログに はげんで ください。
返信 あわてなくて OK です。

はい、はい、はい。。。
僕にとって返信を書くのは決して負担ではありませんよう。
それどころか、こうして返信を書くことは僕の励みになっているのですよう。
小百合さんからたくさんのインスピレーションをもらう事ができますからねぇ~

明日の記事も、小百合さんからもらったインスピレーションで書いたのですよう。

ベーグルが、僕のオツムの中で眠っていたブルックリンの懐かしい思い出を掘り起こしてくれました。

そう言う訳で、

小百合さんありがとう!

小百合さん!ばんざ~♪~い!!

早く元気になって、インスピレーションを感じさせるカキコをたくさん書いてね。


投稿日時: 2008/05/17 04:14 (ロンドン時間)
日本時間: 5月17日午後0時14分 (お昼)
バンクーバー時間: 5月16日午後8時14分

 

元気ですよう

投稿日時: 2008/05/18 02:41 (ロンドン時間)
日本時間: 5月18日午前10時41分
バンクーバー時間: 5月17日午後6時41分


はい デンマンさん
元気ですよ。
ベーグルのブログ楽しみだな~
後で見ますね。

日曜の朝は ゆっくり です。
ジェーンさんが座っている OPEN Cafe は
ギャスタウン かと 思いました。 
古い町並みの 石だたみ の道路わきで レストラン
のような カフェのような ところが ありましたね。

今は朝だから 甘いもの Aunt Jemima のおばあちゃんの顔のついてる
ボトルのパンケーキ シロップを
べとべと かけて ホットケーキか スコーンを 
がぶりつきたいです。
この シロップも 底をついて きました。
では 洗濯 干し 干し ★☆

小百合より

 

こんにちは。デンマンですよう。

はい デンマンさん
元気ですよ。
ベーグルのブログ楽しみだな~
後で見ますね。

はい、はい。。。ぜひ見てくださいね。
5月18日の記事(『ベーグルとロマン』)の続きを書き終わりました。
5月20日の記事の題名は『ベーグルの恋は水色』ですよう。

■ 『ベーグルの恋は水色 (2008年5月20日)』

ベーグルのロマンが広がって、マリアさんとアンナさんが仲良くでてきますよう。

胸元のハートがかわゆいでちゅねぇ。うしししし。。。
本物のマリアさんは、この画像よりもかわゆい感じですよう。

アンナさんは、ジューンさんに似ていますが、良く見ると髪の色が違います。
でも、かわゆいところは同じです。
もちろん、僕がコラージュして作った画像ですよう。
本物のアンナさんは、かなりの近視で眼鏡をかけていました。
でも、眼鏡をとるとビックリするような美人でした。
ちょうど上のような感じですよう。

5月20日にはエピソードが書ききれずに、
面白いエピソードは5月22日にまた延びました。
題して『ニューヨークの混浴露天風呂』です。

■ 『ニューヨークの混浴露天風呂 (2008年5月22日)』

“山の家”に露天風呂を持っている小百合さんが読んだら、めちゃ楽しめるお話ですよう。
22日の『小百合物語』も、ぜひ時間を作って読んでみてね。

日曜の朝は ゆっくり です。

そうですよう。
ゆっくりと休養してくださいね。
早く風邪を治してね。

ジェーンさんが座っている OPEN Cafe は
ギャスタウン かと 思いました。 
古い町並みの 石だたみ の道路わきで レストラン
のような カフェのような ところが ありましたね。

小百合さんに言われて僕も、う~~ん、と唸(うな)ってしまいましたア。
その通りですよう。
ちょうどこのようなカフェが Gastown にあるのですよう!

でも、この写真はオーストリアのウィーンの OPEN Cafeです。
ジューンさんが座っている店の看板には Cafe と書いてありますが、
その隣の店の看板を大きくすると次のようになります。

STEMPEL – SCHILDER

オーストリアではドイツ語が話されています。
そうなんですよね。
上の単語はドイツ語です。
このお店は 標札、門標、名札を書いて売っているお店です。

ジェーンさんが座っている OPEN Cafe は
ギャスタウン かと 思いました。 
古い町並みの 石だたみ の道路わきで レストラン
のような カフェのような ところが ありましたね。

そうですよ。そうですよ。
確かにそのような所がバンクーバーの Gastown にはあります。

例えば次のようなカフェです。

これは Water Street Cafe です。

上の Steam-powered clock (蒸気機関車のように蒸気で動く時計)から、そう離れていない場所にありますよう。

小百合さんもこの写真を見れば懐かしいでしょう?

今は朝だから 甘いもの Aunt Jemima の
おばあちゃんの顔のついてる ボトルのパンケーキ シロップを
べとべと かけて ホットケーキか スコーンを 
がぶりつきたいです。
この シロップも 底をついて きました。

はい、はい、はい。。。
小百合さんのグルメ振りには、いつもいつも感心させられたり
びっくりさせられたりしていますよう。

そろそろ、小百合さんのシロップが底をつく頃だと思ったので買ってきましたよう。
どうぞ!

ジェミマおばちゃんのパンケーキミックスで美味しいパンケーキをたくさん作ってね。

それで、シロップをたくさんかけて食べてねぇ~。
僕には甘すぎるので遠慮しておきますよう。
僕の分までたくさん食べてね。
うしししし。。。

では 洗濯 干し 干し ★☆

はい、はい。。。

たくさん食べて、ゆっくり休んでから洗濯物を取り込んでね。

では、また。。。

投稿日時: 2008/05/18 09:59 (ロンドン時間)
日本時間: 5月18日午後5時59分
バンクーバー時間: 5月18日午前1時59分


『グルメの閑話 (2008年6月3日)』より

おとといは“イタリアの空の下”で、今日は“ウィーンの空の下”でござ~♪~ますかぁ~?

『イタリアの空の下で』

(2009年1月25日)

いけませんか?

どうして、そのようにコロコロと場所を移してしまうのでござ~♪~ますか?

あのねぇ、トリエステという町は、昔はオーストリア領だったのですよう。

あらっ。。。そうだったのでござ~♪~ますか?でも、トリエステの隣の国はスロベニア(Slovenia/Slovenija)と書いてござ~♪~ますわ。

その国もかつては、オーストリア領だったのですよう。

オーストリアって昔は大きな国だったのでござ~♪~ますか?

1800年代の初頭にはイタリア北部も領土の一部だった。当時はオーストリア・ハンガリー帝国(Austro-Hungarian Empire)と呼ばれた強大な国だったのですよう。

それで、トリエステは今でもウィーンの影響を受けているのでござ~♪~ますか?

受けているのですよう。須賀敦子さんの本にも次のように書いてありますう。

ウィーンとトリエステ

ユーゴスラヴィアの内部に、細い舌のように食い込んだ盲腸のようなイタリア領土の、そのまた先端に位置するトリエステは、先史時代から中部ヨーロッパと地中海沿岸の諸地方を結ぶ交通の要所だった。
というのも、紀元前二千年すでに、バルチック海沿岸の琥珀をギリシアやエトルスクの諸都市に運ぶ、「琥珀の道」と呼ばれた商業路のひとつが、トリエステを通過していたといわれる。
さらに中世以来、オーストリア領となり、地中海に面した帝国の軍港として栄え、十八世紀から十九・二十世紀にかけては商港として繁栄の頂点をきわめた。

とはいっても、言語的にいうと、トリエステ人の多くは、ローマ時代このかた(この地方がヴェネツィア・ジュリアと呼ばれるのは、ジュリアス・シーザーの覇権がおよんだ土地を指すからだ)、イタリア語の方言を話し、ドイツ語を話しても、自分たちをイタリア民俗と考えてきた。
そのため、とくに支配層に属さない大多数のトリエステ人にとって、イタリア統一運動がさかんになった十九世紀末には、一日もはやくオーストリアの隷属から開放され、イタリアに帰属することが精神の支えになった。

じっさいにイタリア領になったのは第一次世界大戦のあと、1919年のことで、解放運動では多くの犠牲者を出している。
だが、皮肉なことに、トリエステのイタリア復帰論者が念願をはたしたのを境として、この都市は経済的に行きづまり、ながい下降線をたどることになる。
地中海にいくつものすぐれた港をもつイタリアの領土になってからは、港湾都市としてのトリエステの存在意義は根底から揺さぶられ、イタリア東端の都市という空虚な政治的意味だけしか持つことができないのだ。

文化の面からいっても、トリエステは特異な都市といえる。
ドイツ語文化圏との精神的なつながりを全面的に断ち切るにはいたらず、トリエステ人は尊敬と憧れと憎しみの入り組んだ感情で、これもすでに過去のものとなったウィーンの文化や人々を眺めている。
北の国々とのつながりをもつことが、この町にとっては精神的にも死活の問題であるのに、言語的=人種的には、たえずイタリアにあこがれるという二重性がトリエステ人のアイデンティティー感覚をたぐいなく複雑にしている。

(pp.15-17)
『トリエステの坂道』 著者・須賀敦子(すが あつこ) みすず書房
1996年5月20日 第4刷発行

【デンマン注】

読み易いように改行をたくさん加えました。
また、注意を促すために赤字・青字で強調した箇所があります。
しかし、文章自体には手を加えていません。
上の写真は本の中にはありません。僕が加えたものです。

。。。んで、デンマンさんはジューンさんとウィーンへ行ったついでに足を伸ばしてトリエステにも行ったのでござ~♪~ますか?

そうです。

ジューンさんも、ご一緒だったのでござ~♪~ますか?

実は、ジューンさんと一緒にトリエステを訪ねてみたかったのですよう。

つまり、デンマンさんがあまりにも田舎者丸出しだったのでジューンさんは呆れてしまい、デンマンさんとは別行動をしたのでござ~♪~ますわね?

どうして。。。、どうして卑弥子さんは、そのような偏見の目で僕とジューンさんを見ようとするのですか?

だってぇ~、ウィーンまで一緒に行ったのに、トリエステには一緒に行かなかったというのはジューンさんがよほどデンマンさんを嫌ったという事でござ~♪~ますわ。

あのねぇ~。。。仕事の都合ですよう。ジューンさんは旅程を早く切り上げてバンクーバーに帰らねばならない仕事が舞い込んできたのですよう。

つまり。。。、そのような口実を設けてまで、ジューンさんはデンマンさんと別行動をとったのでござ~♪~ますわね?

やだなあああぁ~、んも~~。。。僕の言葉を素直に受け取ってくださいよう。

分かりましたわ。。。んで、トリエステにもウィーンのような格調高い場所があるのでござ~♪~ますか?

あるのですよう。『トリエステの坂道』を読んで僕はうなってしまったのですよう。

どうしてでござ~♪~ますか?

須賀さんが入ったカフェに僕も入ったのですよう。もちろん、須賀さんの方が僕よりも前にトリエステを訪ねたと思うのだけれど。。。

どうして、そう思うのでござ~♪~ますか?

須賀敦子さんは次のように書いているのですよう。

なぜ自分はこんなにながいあいだ、サバにこだわりつづけているのか。二十年まえの六月の夜、息をひきとった夫の記憶を、彼と一緒に読んだこの詩人にいまもまだ重ねようとしているのか。

p.14 『トリエステの坂道』

須賀さんの夫のペッピーノさんが41歳で亡くなったのが1967年です。つまり、須賀さんがトリエステを訪れたのは、その時から20年後だから1987年ですよう。僕がトリエステへ行ったのは1997年です。須賀さんが亡くなる1年前です。

須賀さんが訪ねてから10年後ですわねぇ~。

そうですよう。だから、それ程変わっていなかったのだと思いますよう。

。。。んで、そのカフェが本の中に出てくるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。その箇所を引用します。読んでみてください。

カッフェ・トリネーゼ・ディ・ヴェルムット

(ヴェルムットのトリノふうカフェ)

とてつもなく愛国的で、とてつもなく長ったらしい屋号のコーヒー店の看板に、一日中歩きとおした自分をねぎらう気持ちと、イタリア統一運動の中心地だったトリノへの夢と郷愁をこめたその名に惹かれ、入り口のドアを押して入って、私は目を瞠(みは)った。
未知の都市とはいっても、たかがコーヒー店であれほどのとまどいを覚えたことはなかった。

間口の狭さに比して、中はひろびろとしていた。
奥の一段高くなったところには、壁面のすべてが鏡で囲まれた広間があり、そこにいたる通路の部分には、帝政時代様式というのか、絹を張った座席の固い長椅子をかこむようにして、マホガニー色の光沢のある椅子と、白地にイチゴをあしらった模様のクロスを掛けた小さな丸テーブルがならんでいる。
ヴェネツィアのガラスではなくバッカラ系のクリスタルのシャンデリアの下を、いずれも髪の銀色がめだつ、白い手袋をはめた給仕たちが、テーブルのあいだを優雅な身のこなしで縫って歩く。
だが、なによりも私をうならせたのは店にあふれる顧客たちの容姿だった。
そのすべてが、裕福、と定義してよい階層の人たちで、そのうえ、おおむねが老人だった。
七十代と思えるカップル、あるいは何人かの老婦人が、ひとり、あるいはふたりの老紳士をかこんで、声をひそめて話し合っている。
男たちの着ている背広の仕立てにも、女たちが身につけている毛皮も宝石も、彼らがみずからの手をよごして得たのではない、ひそやかな美しさが光を放っていた。

若者たちがこぞって参加したイタリア統一にちなむ少々大仰な屋号には似合わない黄金とピンクの光景をまえにして、私は、自分が幾時代かまえのウィーンにいるのではないかと錯覚しそうになりながら、父がこれを見たら、どんなによろこぶだろうと思った。
老人たちの多くは、じじつ、父が生きていたらそんな年頃だろうと思われる人たちだった。
トリエステに行ってみたいと、父が晩年よく口にしたのは、彼が若いころ、ウィーンからヴェネツィアに向けてオリエント急行で通過したこの港町で、かたちが美しいから、と愛していたロイド・トリエスティーノの大西洋航路の大型船を、自分の目で見たいからだった。
ここにいる老人たちの財産も、彼らの親、あるいは祖父の時代に、オーストリア宮廷と、その国の政府に支えられた金融資本と海運業によって築かれたものだろう。
過ぎ去った時代の、いまはわるさをしないくなった亡霊たちにかこまれて飲んだ、あたたかいミルク・ティーのカップには、ハプスブルク家の紋章であるピンクの薔薇が、小さな宝石のようにかがやいていた。

pp.27-29 『トリエステの坂道』

デンマンさんは、どんな気持ちでその老人たちの中でコーヒーを飲んだのでござ~♪~ますか?

僕は全く場違いな所にやって来てしまったと、初め、ひどく後悔して、すぐにでも立ち去ろうと思ったほどですよう。

でも、立ち去らなかったのでござ~♪~ますか?

せっかく物珍しい場所にやってきたのですよう。こういう機会は二度とないと思ったから、もう僕はピエロに徹して、誰が僕に注目しようが、うす馬鹿笑いを浮かべようと心に決めましたよう。うしししし。。。

。。。んで実際に、うすばか笑いを浮かべたのでござ~♪~ますか?

やっぱりねぇ~、上流社会の人って、ちゃんとお行儀がいいのですよう。僕は明らかに観光客で、その場の雰囲気にそぐわない。誰が見たって僕は“異物”なんですよう。でもねぇ、おそらく、これまでにも僕のような場違いな男が間違って迷い込んできた事があって、その人たちは慣れていたのかもしれません。

デンマンさんをジロジロと眺めなかったのでござ~♪~ますか?

じろじろとは見なかった。でも、“どこからかハエが飛んできたようだなぁ~。。。”という感じで、一度だけ僕の方に視線を走らせると、もうそれ以上は無視していましたよう。ウへへへへ。。。

。。。んで、デンマンさんは、どうなさったのでござ~♪~ますか?

うす馬鹿笑いを浮かべる必要はなかったのですよう。とにかく、オーストリア・ハンガリー帝国時代がそこにあったのですよう。全く驚きましたよう。博物館の中でコーヒーを飲んでいる感じですよう。でも、僕の周りの人たちは、皆、生きているのですからねぇ。まるで3次元の立体映画を見ているような不思議な気分でしたよう。

ところで、デンマンさんは、どうしてウィーンへ行って、それからトリエステへ行く気になったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ、僕は小学生の頃、外国にかぶれていたのですよう。主にアメリカだった。だから、テレビっ子の僕はアメリカのテレビドラマを飽きずに毎日毎日見ていたものですよう。

どういう番組でござ~♪~ますか?

「名犬ラッシー」、「名犬リンチンチン」、「ララミー牧場」、「ローハイド」、「ガンスモーク」。。。ほとんどがアメリカを舞台にしたシリーズ・モノでした。

アメリカの番組だけでござ~♪~ますか?

ところが、小学校5年生の頃だと思うのだけれど、『第三の男』をテレビで見たのですよう。

あのオーソン・ウェルズが出た映画でござ~♪~ますか?

そうですよう。卑弥子さんは良く知っていますねぇ~。

あたくしの父も、その映画にハマッタと言っておりましたわ。

ほおォ~。。。偶然ですねぇ~。

デンマンさんもハマッテしまったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。でもねぇ~、どういうわけか僕には話の筋が分からなかった。高校生になるまでに4,5回見ていますよう。

話の筋が分からないのに、面白かったのでござ~♪~ますか?

あのテーマ音楽にハマッテてしまったのですよう。そのテーマを聴きながら見るスクリーンには、アメリカとは違った外国の雰囲気が漂っている。僕は、初めてウィーンの町をあの映画の中で見たのですよう。

それで、いつかウィーンに行ってみようと思ったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。小百合さんが中学生の時に『エマニエル夫人』を観て、社会人になってからバンコクに行ったようなものですよう。

それで、デンマンさんは未だに『第三の男』のあらすじが分からないのでござ~♪~ますか?

社会人になってから、映画雑誌で“あらすじ”を読んで初めて話の筋が分かったのですよう。

。。。んで、『第三の男』のテーマって、それ程素晴しいものでござ~♪~ますか?

実にいいですよう。これまで聴いたことがない人は次のリンクをクリックして、ぜひ聴いてみてください。

■ 『第三の男』のテーマ YouTube

デンマンさんがウィーンに関心を持ったのは分かりましたわ。『第三の男』を見たからですわね。。。んで、トリエステはどう言う訳で関心をもったのでござ~♪~ますか?

世界的に有名な二人の作家がトリエステで、ある時期暮らしていたのですよう。

その作家って誰でござ~♪~ますか?

『ユリシーズ(Ulysses)』を書いたジェームズ・ジョイス(James Joyce)と、『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』を英訳したリチャード・バートン(Richard Burton)ですよう。

そうだったのでござ~♪~ますか?知りませんでしたわ。

それで、僕は、いつかトリエステにも行ってみたいと思っていたのですよう。
 

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
『第三の男』のテーマを、あたくしも聞いたことがござ~♪~ますわ。
でも、それ程感銘を受けませんでした。
しかし、あの曲は世界的に有名になったのでござ~♪~ますわ。
それで、作曲家でもあり演奏家でもあるアントン・カラスさんは
1949年9月には英国王室の招待を受け、バッキンガム宮殿で演奏したほどです。
また、1951年にはローマ教皇の招待を受けてバチカン宮殿でも演奏しました。

カラスさんは1906年7月7日に生まれました。
亡くなったのが1985年1月10日です。
 
カラスさんはオーストリアで活動したのですが、
生粋のオーストリア人ではありませんでした。
ハンガリー人の家系である工員の息子としてウィーンに生まれ育ちました。
12歳でチターの演奏を始め、15歳の時には、すでにウィーンのホイリゲ(居酒屋)で演奏家として活躍していました。
でも、第二次世界大戦の前後を通じて、週に15ドルという安い賃金で奥さんと3人の子供を養っていたそうでござ~♪~ますゥ。

そんなカラスさんに転機が訪れたのは1948年のことでした。
ウィーンのホイリゲで演奏中に、映画監督のキャロル・リードに見出され、『第三の男』の音楽担当者に抜擢されたのです。

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまたあさって、読みに戻って来てくださいね。
じゃあ、またねぇ。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』

こんにちは。ジューンです。

わたしも『第三の男』を観ましたわ。

最後のシーンがなんと言っても

印象的ですよね。

並木道をまっすぐにアンナが歩いてきます。

ホリー・マーチンスが道端で待っているのです。

しだいに近づくアンナと舞い散る枯れ葉。

でも、アンナはマーチンスのそばまでやって来るのに、

全く彼を無視するのです。

一瞥もくれずに、そのまま歩きつづけます。

そこでチターがチャリリン…と鳴って

テーマ音楽が流れるのですよね。

この最後のシーンは映画史に残る

名場面と言われています。

実は、これは当初の予定にはなかったそうです。

通俗的なハッピーエンドとなるはずだったのだそうです。

それがハッピーエンドに終わらなかったので

逆に、深い余韻を残すようになったのでした。

あなたも観ました?

まだだったら、デンマンさんが書いた

映画案内でも見てくださいね。

■ 『第三の男 映画案内』

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。