小泉八雲と音楽


 
2011年1月8日 (土曜日)
 
 
小泉八雲と音楽
 
 
ミューズィック

  

 
 

Subj:小百合さん、おはよう!

夕べ小百合さんの夢を見ましたよう!

きゃはははは…

From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 28/11/2010 5:29:09 PM
Pacific Standard Time
日本時間:11月29日(月)午前10時29分

 
 

パリのセーヌ川の右岸を小百合さんと一緒に歩いているのです。
空は抜けるように青くて
どこからともなくイヴ・モンタンの歌う「枯れ葉」が聞こえてくるのですよう。
もう、僕は感激ですよう!

「シャンソン - 枯葉」

ロマンチックでもあり、またメランコリックでもあり、
何とも言えなく いいですよねぇ~。

僕は、当然、小百合さんの腰に手を回すのですよう。
うししししし。。。

「デンマンさん!くすぐったいから、お尻に手を当てないでねぇ~」
小百合さんは、半分白けたように僕を見つめて、そう言うのですよう。
でも、僕は何と言われようと、もう、うれしくて、うれしくて仕方がないのですよう。
パリのセーヌ川のプロムナードを小百合さんと一緒に散歩しているのですからねぇ。
これ以上のロマンはないのではないかと、僕はもうウキウキ、ドキドキ、ウハウハしているのです。
きゃはははは。。。

夢を見ているのに、僕自身はマジで現実のつもりなのですよう。
夢を見ているなんて、僕自身は少しも思っていない!
そのくせ、夢の中で、「これは夢じゃないの!?」
そう思っているのだから、今から思い出すと、しまりのない夢でしたよう。

「小百合さん、せっかくパリにやって来たのだから、この辺で Hよりも感じるハグをしませんか?」
僕が、そう言うと、小百合さんはニッコリするのだけれど、僕が抱きしめようとすると、するりと僕の腕から抜け出てしまうのですよう。
「小百合さん。。。そのように恥ずかしがらなくてもいいではありませんか? 僕も小百合さんもパリに居るのですから。。。さあ、記念に心を込めてハグしましょうね」
僕がそう言うと、小百合さんは、ちょっとムカついて言うのですよう。

「デンマンさん! 日本人の団体の観光客の人たちがジロジロ見てるわ。 ほら、あそこ。。。だから、おやめになってぇ~」
小百合さんの指差す方を見ると、旗を振っている添乗員の後を、山梨県の山奥の方からやって来た、団体のおじさん、おばさんたちが、僕と小百合さんを確かにジロジロ見てるのですよう。

やっぱり、パリも日本人の観光客の人たちで、ごった返しているのですよう。うもお~~。

「あらっ。。。デンマンさん。。。こんな所にインドカレーのお店がありますわ」
小百合さんが、そう言ったので指差す方を見ると、なんと、利根川を渡った所にある千代田町の本場のインドカレーの店があるではないですか!
小百合さんは、パリでも本場のインドカレーが食べられると、大喜びで店の中に入ってしまいました。

パリに来てまでインドカレーはねえだろう!?

僕は、カレーを食べ飽きているので心の中で、そう叫びましたよう。
でも、小百合さんが店の中に入ってしまったので、僕が一人で外に居るのもバカバカしいので、仕方なく入りましたよう。
そしたら、なんと千代田町のあの店に居たナナさんが居るではありませんか!
ナナさんは、インド生まれインド育ちなのに、日本語がうまいのですよう。
小百合さんと楽しそうに再会を喜び合っているではありませんか!

「ナナさん、いつパリに支店を出したの?」
「あらっ。。。デンマンさんもパリにやって来たのですか? パリのこのお店が本店で、日本の千代田町にあるお店の方が支店なのですわよう」
相変わらず愛嬌があって、ニコニコと笑顔を振りまいている様子は、インドの「愛の女神」かと思うほど、彼女の愛の精神が伝わってきますよう。

「デンマンさん。。。あの時は“激辛”を食べたのに、あまり辛くはないと言ってましたよね。 だから、今日は“超激辛”を食べてみてくださいな」
もう、こうなったら、“超激辛”でも、“めちゃ超激辛”でも、ナナさんの薦める物を何でも食べようと思いました。

その時、近くのテーブルで食べている女性二人が楽しそうに笑いながら僕を見ているのに気づいたのですよう。
なんと、ブルックリンのマリアさんと、カナダのマルサの女・ナンシーさんですよう。
いくらなんでも、これはできすぎているよ!

パリに千代田町のインドカレーの店があり、
しかも、ナナさんが居るのは偶然としても、
こともあろうに、ブルックリンのマリアさんが居るのは偶然にしてはできすぎている。
さらに、小百合さんがパリにやって来たのをかぎつけて、カナダのマルサの女・ナンシーさんまでがパリにやって来たなんて、絶対に信じられない。

「小百合さん。。。これは絶対に夢だよう! 夢か現実か?見極めるために、ちょっと僕のほっぺたをつねってみてよ」
僕は小百合さんに向かって、そう言ったのです。
「分かりましたわ」 小百合さんは、そう言うと思いっきり僕のほっぺたをつねったのですよう。んもお~~。。。
その痛さで目が覚めたと言う訳です。
うしししし。。。

考えてみたら、小百合さんにメールを書いてまで話すような夢ではなかったですよね。(爆笑)

でも、夢の中で小百合さんに会えてうれしかったですよう。
小百合さんも、軽井沢タリアセン夫人になりきって、たまには僕の夢でも見てね。
きゃはははは。。。

じゃあねぇ。
 


『パリの空の下で (2010年12月1日)』より

デンマンさん。。。去年のメールなどを持ち出してきて、何を始めるつもりなのですか?

あのねぇ~、たまたま上のメールを読んだのですよう。 急に懐かしくなってね。

懐かしくなったも何も、まだ1ヶ月ほど前のメールではありませんか!?

そうですよう。 でもねぇ、『小泉八雲と日本』を読んでいたら、偶然と言うには、ちょっと不思議なのだけれど、やっぱり音楽のことが出てきたのですよう。

それは、不思議でも何でもなくて、ただの偶然ですわ。

小百合さんは、まったく夢もロマンもないような味気ないことを言うのですね。

だってぇ~、夢のような事を書いてメールを寄越すのですもの。。。ちょっとうんざりしたというか、げっそりしましたわ。

そんな事はないでしょう。。。面白かったでしょう?

別に、それほど面白いとは思いませんでしたわ。 夢の話など、本人以外は、さして面白くないものですわ。。。それで、見慣れない『ミューズィック』などというタイトルを貼り付けて、デンマンさんは一体何を始めるのですか?

あのねぇ、すでに書いたように、最近、僕は『小泉八雲と日本』を読んでいるのですよ。

上のリストの中のどの本ですか?

13番ですよう。

でも、もうずいぶん前のリストですわ。

僕は、また借りてきたのですよう。

確かに、近頃、デンマンさんの記事の中に、その本からの引用が多いですわね。 デンマンさんは小泉八雲にハマッてしまったのですか?

最近読んだ本の中では、最も興味深い人物なのですよう。

どういうところが。。。?

日本人の女性と結婚して、しかも日本に帰化した。それも明治29(1896)年1月に帰化したのですよう。。。日清戦争が終わった翌年のことですよ。 外国人が日本に帰化して、現在、日本人の間で知られている人物は、おそらく小泉八雲以外に居ないのではないか? 小百合さんは小泉八雲以外の人物を知っていますか?

いいえ。。。知りませんわ。

当時は人種差別が当たり前のような時代だったから、日本人の女性と正式に結婚するだけでも変わり者と思われていたのに、白人とは文化的にも人種的にも一段も二段も低いと見なされていた日本人が住む日本に帰化するなんて例外中の例外だと思いますよ。

つまり、小泉八雲は仲間から村八分にされてしまったのですか?

実際に仲間から排斥されたわけではないけれど、それ以来、八雲の外国人仲間との交際範囲が急に狭くなったそうですよ。

八雲が、そういう“変人”だから、デンマンさんは逆に興味を持つのですか?

そうですよ。。。僕は人生の半分以上を海外で暮らしてきましたからね。 だから、小泉八雲の気持ちや考え方に共感する部分がかなりありますよう。

たとえば、どんなところですか?

共感するというより、まず感心するのは、当時、日本は西洋文化の全盛時代だったのに小泉八雲は人種差別を越えて、数段低いと見なされていた日本文化を見下すこともなく、日本人以上に日本人になってしまったところがあった。

たとえば。。。?

明治25(1892)年2月12日、八雲はチェンバレン氏に次のような手紙を書いているのですよ。

私が次のように申しあげるのをお聞きになったら、貴男はさぞ、ぞっとなさるでしょう。 つまり私には洗練された音楽的感覚というものが全然ないので、ワーグナーや知的な音楽を楽しみことが出来ないということです。 音楽的感覚というものは、勉強と機会によって徐々に習得されねばならないと聞いております。 これだけ申しあげてしまったのですから、もう少し申しあげましょう。

私は、日本人のプロの音楽、即ち、声楽を好きになれないのです。 私は、農民の震える声が、時々奇妙に絶叫するかのように破裂し、各所で途切れてメロディが小間切れになる、あの長く尾を引く哀調が好きなんです。 私は、これら歌の中には、非常に美しい、蝉や野鳥の歌さながらに、自然に思われる強烈なものを感じます。

(中略)

農民の歌には、庶民の心が感じられますが軍歌にはそれがありません。


232 – 233ページ 『小泉八雲と日本』
編著者:西野影四郎
2009年2月15日発行
発行所:株式会社 伊勢新聞社

この手紙に、八雲が日本人以上に日本人になってしまったところがあるのですか?

だってぇ、そうでしょう。。。とにかく明治時代になると文明開化で、日本的なものが見捨てられて、何でもかんでも西洋的なものを貴重なものとして受け入れていたのですよう。 チョンマゲは切るし、刀は駄目だということになり、猫もミーちゃんハーちゃんも西洋的なものを真似して着るようになった。 鹿鳴館などは、その最たるものですよう。 いわゆる日本の上流社会の人たちがドレスや燕尾服を着て社交ダンスを踊ったりした。 イギリスの大衆新聞などでは、日本人が猿真似していると馬鹿にしていた。

つまり、そのような西洋志向な風潮の中で八雲が農民の間で歌われている民謡に、素晴らしいものを感じていることに、デンマンさんは感動したのですか?

そうですよう。 日本人が日本の伝統的なものを捨てて、何でもかんでも西洋的なものを真似しようとしているときに、八雲は日本の素晴らしいものを見い出していた。

それは、外国人にとって日本の風物や伝統的なものが珍しいと思える程度のことではないのですか?

あのねぇ~、確かに外国人にとって日本の浮世絵とか民謡などは珍しいでしょう。 でもねぇ、同じ外人でも、たいていの人はチェンバレン氏のように考えていたようです。 彼は次のように書いてるのですよう。

もしミューズィックという美しい言葉を、東洋人が楽器をギーギー鳴らしたり、声をキーキー張り上げることまで意味するほど低下させて用いなければならぬとするならば、日本には神話時代から音楽が存在したと考えてもよい。

 (中略)

日本はいつの日にか、新しい第九交響曲を持って世界の人たちを魅了することがあるであろうか。 それとも、ただ俗悪な歌曲に沈溺して終わるであろうか。 著者はここに大胆な予想をするつもりはないが、期待されるところはきわめて少ないといわざるをえない。 イタリアの洗練された享楽主義も、ドイツ人の心からの誠実さも、スラヴ人の元気にあふれた感激性も、この国の人々の魂には根をおろそうとは思われないのである。


233ページ 『小泉八雲と日本』
編著者:西野影四郎
2009年2月15日発行
発行所:株式会社 伊勢新聞社

要するに、東洋音楽は、雑音以外の何ものでもない。 日本人には高尚な音楽は無縁だと言っているのです。

つまり、日本の音楽を理解する点でも八雲は例外中の例外だったとデンマンさんは信じているのですか?

そうですよう。 とにかく、たいていの外人が、日本の文化や日本人の知的レベルが西洋人、西洋文化と比べると数段低いと見下していたのですよう。

でも、文明開化で、西洋文化を吸収し、西洋に追いついて追い越せという日本人の熱意があったから、日本は昭和時代になって西洋社会と肩を並べて、やがて経済大国にもなったのでしょう?

そうです。。。僕が言いたいことは、日本には伝統的なものでも素晴らしいものがあった。 それにもかかわらず、西洋文化なら、何でも素晴らしいと思い込んで、日本的なものを何でも捨てて、西洋的なものを貪欲に吸収した。

でも、浮世絵などは、フランス人の画家などによって見出されたでしょう?

確かに、そうです。 でもねぇ、それは例外ですよう。 日本の音楽などは、チェンバレン氏が書いているように、楽器をギーギー鳴らしたり、声をキーキー張り上げたりする俗悪なものと考えられて、まったく無視されたようなものですよう。

だけど、民族的な音楽は特に理解するのが難しいのではありませんか?

うん、うん、うん。。。民族に特有な音楽。。。たとえば民謡などがありますよう。。。民謡の良さを日本人のように聞いて理解するのは難しいでしょうね。。。音楽は世界共通の言葉などではないと、かつて太田将宏さんも書いていました。

音楽は、世界共通の言語か?

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、そもそも、いったい何であったのだろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
 世界のどこにもいるものである。)、
音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。
かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

(中略)

いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の “Bolero” を聞き比べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

(中略)

わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。
大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。

芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。

(注: イラストはデンマンが貼り付けました。改行を加えて読みやすくしてあります。)


pages 5 & 6
『間奏曲集 (主題なき変奏) その2』 
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月


『お願い、骨まで愛して』に掲載
(2006年10月15日)

でもねぇ、すべての人々とは言わないけれど、八雲のような、ある一部の人にとっては、民族特有の民謡といえども理解できるのですよう。

どうして、デンマンさんに、それが分かるのですか?

あのねぇ~、僕は音楽が専門ではない。 また、音楽は好きだけれど、クラシックは苦手ですよう。 さらに、八雲のように洗練された音楽的感覚というものがないので、ワーグナーやほとんどのクラシックを素直に楽しむことが出来ないのですよう。 でもねぇ、次の文章を読むと八雲が日本の民謡を理解できる素養や感性があったことが、僕にも理解できるのですよう。

神戸で、盲目の門(かど)つけが八雲邸で三味線を弾きながら唄を歌うが、その時に、

「醜い不恰好(ぶかっこう)の唇から奇蹟のような声、即ち、心にしみ通るような甘さをもった若く、深味のある、名状しがたいほどの感動を与える声が、さざ波を打って迸(ほとばし)り出た。一見物人は、『女か、それとも森の妖精か』とたずねた。 だが彼女は、ただの女だ。 恐らく西洋の音譜には書かれていない、非常に細かい節(ふし)で、セミや藪(やぶ)うぐいすから習った声で歌った。 そして彼女が歌っていると、聞いている人々は黙って泣きはじめた。 私には言葉の意味は、はっきり分からなかった。 だが私は、日本の生活の悲しみや、苦しみが彼女の声とともに私の心の中に入り込んでくるのを感じた。 それは決してこの世にはない何物かを悲し気に求めているものであった」

と述べて、名もなき流しの唄歌いの旋律に、人間自然の原点とも言うべき真・美を見出している。

民俗音楽については、八雲はチェンバレンより一歩先を歩いていた。 在米当時、既にこの道のエキスパートであった。 音楽評論家クレイビールと一緒に、世界の民族音楽を収集したり、西インド諸島でも採集した民謡を、『西インド諸島の2年間』に掲載している。 ニューオリンズ万博時、出版した案内書にも、クレオールのリトル・ソングが書かれている。

 (中略)

またチェンバレンは、八雲が文中に日本語の感嘆詞「アラッ」や、擬声語の「ピチャ、ピチャ」、その他日本人の生活感覚を表現する言葉「甚よ、甚よ!こっちへ来い こっちへ来い」 「あのね!卵はありませんか」などを、ローマ字化することに批判的だったが、これはハーンが日本語でなければ日本人の感覚が伝わらぬものとして使ったものだった。 かくて対立は年の経過と共に深まる。


234 – 235ページ 『小泉八雲と日本』
編著者:西野影四郎
2009年2月15日発行
発行所:株式会社 伊勢新聞社

つまり、デンマンさんにも八雲のように民謡を理解できる素養や感性があると、言いたいのですか?

うしししし。。。小百合さんが僕の言いたいことを言ってくれましたよ。 そうですよう。 僕はかつて記事の中で次のように書いたことがあるのですよう。

クラシックというのは当然の事ですが大衆音楽ではないですよね。
では大衆音楽というのはどのようなものなのか?
まず民謡があげられるでしょうね。

つまり文字通り英語で訳せば“folk song”ということになりますよね。
“民の歌”です。

でも、“歌”と“謡”の違いとは?
歌はあなたにも分かりきっていますよね。
歌謡曲の“歌”です。
でも、この“歌謡曲”の中にも“謡”が含まれています。

この“謡”とはいったい何なのか?
実は僕も詳しく知りません。
“謡”と聞いて、すぐに連想したのがテレビの大河ドラマで見たシーンです。

織田信長が桶狭間の合戦に出陣する前に、
例の“人間~♪~五十年~♪~。。。”と歌いだして踊るあの謡曲のことでした。
これを歌い終わるや、死を覚悟して奇襲に望むというものでした。
現在の我々には、あまり縁のない、あの唸(うな)るように歌う謡曲です。

ちょっとネットで調べたら次のように説明されていました。

謡とは。。。
歌舞劇である「能」のセリフとコーラス部分を独自の節に合わせて歌うもので、古くから稽古事として人気を博しています。


『1から始める謡』より

つまり、「能」のセリフとコーラス部分を独自の節に合わせて歌うものの事です。

つまり民謡とは、民話や当時の事件や出来事を物語風にして独自の節に合わせて歌うもののようです。

では、クラシックとは何だろう?

ここで、太田将宏さんの本から引用します。

そもそも、昔は、作曲された音楽はorder-madeであったのだ。
それが不特定多数の市民が対象とされるようになって、音楽はprêt à porterとなった。
作曲と演奏が分離、分業になったのは、このころではなかったか。
その方が生産、販売共に効率が良かったのであろう。

現代では、音楽は大量生産され有料、無料で配布されている。
身尺に合わないready-madeのお仕着せに、どのような音楽を聴いてもambivalentな気持ちがするのは、私だけではあるまい。

それはまた、一つ一つの製品に限った話ではない。
私は、演奏会や音楽会を提供する側、製品に付加価値をつけようとする側のarrangement、

つまりprogrameについても同様に感じる故に、めったに演奏会場に足をはこばないのである。
そうした違和感は、皮肉なことではあるが、自分で選択した音楽を、自分で配列した順序でレコードで聴けば、幾分かは軽減される事に私は気がついた。
それ以上を求めるのならば、自作自演をして、つまり自分で作曲をして自分で演奏して自分で耳を傾けるしか手が無いであろう。

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。
しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。
この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えない、という気持ちである。
だから、私は久しくPacific231に対しても反感すら持っていた。

Arthur Honegger (1892-1955)自身はこの作品について、彼はこの曲で内燃機関の騒音を模倣しようとしたのではなく、むしろ視覚的印象や身体的快感を表現した、と語っていた。


page 69
『前奏曲集 作品1の1』
(あるアマチュアの覚書)
著者: 太田将宏

つまり、クラシックというのは、
昔、ヨーロッパのお金持ちの貴族や王族が
お抱え“音楽士”に作らせた曲だったわけですよね。
当然の事ですが、その“音楽士”は注文してくれた紳士の好みに合った曲を作るはずです。

要するに大衆向けの曲を作るのではなく、
その注文主の好みに合った、趣味に合った、感性に合った曲を作る。
まさに、order-madeだったわけでしょうね。

だから、ある人のorder-madeの服を僕が身につけた場合、袖が長すぎたり、襟首が窮屈だったりしますよね。
僕は、このことを考えた時に、どうしてクラシックが僕のオツムの中に感覚的にすっきりと入ってこなかったのかが理解できたよう気がしました。

要するに、クラシックとはヨーロッパの貴族の感覚と好みに合わせて作った服のようなものです。
そんな服を僕が着たとて身尺に合わないことなど分かりきっていますよね。
まずダブダブだろうと思います。
江戸時代に和服だけしか来たことがない日本人が初めて洋服を身に着けるようなものですよ。

ところが、日本人の中には、いかにもクラシックが分かっているような気になって“高尚な気分”に浸(ひた)っている“文化的田舎者”がたくさん居るように思います。
たとえば、ウィーン・フィルハーモ二ーが演奏するモーツァルトの曲の演奏会が東京オペラシティコンサートホールであるとします。
2万円の特別席を予約した。

何のためか?

この特別席を予約した28才の山田太郎君は26才の花子さんに自分の“文化的な面”を印象付けるために4万円を支払ったのです。
つまり、4万円のデートです。

太郎君はモーツアルトが分かっているわけでもない。
クラシックを聴くなんて1年に1度か2度です。
それも、たまたまテレビでやっていたベートンベンの第五を見るようなものです。
最後まで見ないで途中でサッカーの実況放送にチャンネルを切り替えてしまいました。

花子さんだって、モーツアルトが分かっているわけじゃない。
でも、モーツアルトの名前には、いかにも“文化的な香り”が漂っている。
演奏会に行くなんて花子さんには経験が無い!
しかも、モーツァルトの曲を世界でも有名なウィーン・フィルハーモ二ーが演奏する。
東京オペラシティコンサートホールへ行くなんてカッコイイ。
しかも、モーツァルトという名前が“高尚”である。

最高級のGUCCIの香水をつけるような、なんとも言えない文化的な香りが漂っている。

もちろん、それが太郎君の思惑(おもわく)なのです。
そうやって、太郎君が花子さんとのデートを演出したわけです。
つまり、たくさんの人が東京オペラシティコンサートホールへ高い入場料を払って聴きに行った。
しかし、そのうちの一体何人が本当にクラシックを理解して聴きに行ったのか?

たぶん、80%の入場者は太郎君のような“下心”を持って相手を誘って出かけて行ったのではないでしょうか?
腹の中では、音楽なんかどうでも良いと思っているのですよね。
うへへへへ。。。

こういう考え方をするのは、僕がクラシックが分からないので、ひがんでいるのでしょうか?
それで、このような心の曲がったことを書いているのでしょうか?
あなたはどう思いますか?

ところで、演奏会で思い出しましたよ。
僕にも似たような思い出があるのです。
でも、状況はまったく違うものでした。
誘ったのは僕の方ではなく、女性から誘われたのです。うへへへへ。。。。

。。。と言っても、鼻の下を伸ばすような話ではないんですよ。残念ながら。。。

当時、ぼくは“ナショナルソフト”という
松下通信工業が100%出資していたソフトウェアの子会社で働いていました。
日本が経済大国に向かって伸びている時だったので、ソフトウェア業界は人手不足でした。

そのようなわけで、僕はその会社にストレートで引きぬかれて、“無試験”で松下産業の正社員となり、
出向で松下通信工業に配属され、
そのまた出向でナショナルソフトに出向いて働いていたのです。
この“ナショナルソフト”は間もなく“パナファコム”に吸収合併されてなくなりますが。。。

僕を誘った女性は松島優子(仮名)さんでした。
僕よりも1年前に入社した早稲田大学の理工学部数学科を卒業した人でした。
どちらかと言えば目立たない地味な人でした。
“お友達と一緒に見に行くつもりが、急に行けなくなったのだけれど、一緒に行きませんか?”
当日そのように言われたんですよ。

もちろん、僕が“お目当て”で、そのような手の込んだことをする人か?と言えば、決してそのようなレンゲさんタイプの女性ではないんですよ。
確か神奈川県民ホールだったと思います。
当時そのホールはできて間もなかったと思います。
海岸通りにありました。
今、ネットで調べたら次のように出ていました。

神奈川県民ホールは1975年に全国屈指の大型文化施設として、県立音楽堂は1954年、日本初の本格的音楽専用ホールとして誕生。
以来国際レベルの音楽や舞台芸術など、多彩なプログラムを提供しております。

間違いなく、県民ホールです。
ただ、ハンガリー国立フィルハーモ二ーだったか?
ウィーン・フィルハーモ二ーだったか?
とにかく有名な交響楽団で指揮者も有名な人だったですよ。
カラヤンだったろうか?
調べてみたけれど、そこまでは分かりませんでした。

僕はクラシックにハマッテいたわけではありません。
でも(2006年)6月13に日に書いた記事(『ん? クラシック興味ある?』)の中で述べたように、クラシックとまったく無縁であったわけでもありません。
有名なフィルハーモニーの演奏を聴きに行くと言うよりも、
優子さんに誘われたと言うことが僕には“衝撃的”なことだった。
仕事が終わる頃に誘われたのでした。
彼女の方が1年先輩のわけですし、それまで親しく話しをしたと言うわけでもない。
でも、優子さんにまったく関心が無かったか。。。?と言えば、やはり関心がありましたよね。

当時、同期に入社した女性が3人居ました。
東京学芸大学を出た良子(仮名)さん、
学習院を出た淳子(仮名)さん、
それに横浜国立大を出た小百合(仮名)さん。
この中で最も僕と気が合って、よく話をしたのは良子さんでした。

この3人は、どちらかと言えば、まだ子供っぽいところがあって、僕もけっこう馬鹿やるほうですから、面白おかしく楽しくやっていましたよね。
でも、優子さんは1年先輩だと言うだけなのに、“お姉さん”という印象を与える人でした。
とっつきにくいと言うわけではない。
でも、ベラベラ話をすることもないし、
ゲラゲラ笑うことも無く、おっとりとして、地味で静かな人でした。

そういう人から誘われたわけですよね。やっぱり、意外というか。。。

“ん? 僕とですか。。。?”
“ええ、他に用事でも。。。?”
“いや、別に。。。”

そういうわけで、その日残業もせずに優子さんと東横線の綱島駅から出かけたわけです。
でも、無料の残業食は松下通信工業のカフェテリアで食べてから出かけたように記憶しています。

。。。で、あまり話をしない人かと思っていたけれど、話し始めれば、優子さんはいろいろと話題の豊富な人でした。
話をしていても、話題に事欠かなかったし、きまづい沈黙などまったくありませんでしたね。

でも不思議なことに音楽のことはほとんど話さなかったですね。
意識して話さなかったわけではなく、話題が音楽とは関わりの無い方向に行っていたと言うことです。
優子さんが常に“お姉さん”のように、おっとりと構えていたので僕も気楽に話をすることができました。
その時の曲目が何であったのか、まったく記憶にありません。
そういうわけですから、曲を聴いた感動もまったく無い!
きれいサッパリ音楽の思い出はまったく無いんですよね。
今、振り返ってみても、自分で馬鹿らしくなるほど、音楽の記憶がまったく無い!

自分でチケットを買って行くのなら、音楽を聴きに行くと言うつもりにもなったのでしょうが、誘われて音楽を聴きに行く。
はっきり言って、当時僕にとってクラシックなんてどうでも良かったですからね。

なぜ、出かける気になったのか?
意外にも優子さんに誘われたと言うことと、この人ってどういう人なんだろうか?
それだけが動機だったと言っていいのです。

ただはっきりと記憶に残っているのは、演奏会が終わった後、僕は夜食をとろうと言い出して彼女を誘ったのです。
それまで、僕は1円も出していませんでしたから、
お礼を兼ねて食事でも。。。というつもりでした。
当時、僕は松下通信工業の男子寮に居ました。
門限は12時ですが、僕の部屋は1階にありましたから12時を過ぎても問題は無いんですよ。
窓から入れますから。。。

彼女は自宅から通っていました。
つまり、両親の家から通っていました。
“もう、遅いから家に帰りますわ。また別の機会に。。。”
良家の子女の“たしなみ”。。。
そういう事が、ごく普通に守られていた時代だったんですよね。

もちろん、食事をしてから温泉マークに行くことなど僕は考えてもいませんでしたよ。
そういう考え方が全くオツムに思い浮かばなかったのか?
それは考えとしてそういうこともあるよなあああ~。。。とは思いましたよ。
しかし、考えることと、実際に行動を起こすこととは、全く次元の違う話です。

あなたと僕が思うことをすべて実行にうつしただけでも、この地球上は私生児であふれかえってしまいますからね。

優子さんと個人的に話したことは、それが初めで最後でした。
僕は間もなく会社をやめて海外に出てゆきましたから。。。
“別の機会”は、あれから20年以上になりますが、まだありません。

上の記事の中で書いた恵美子さんの場合もそうですが、僕と音楽との思い出には必ずと言っていいほど女性がつきものなんですよ。
ところが、なぜか最初で最後。。。と言うことになっているケースがほとんどなんですよね。
女性と音楽。。。
ロマンの題材としては面白いのですが、
音楽に関する限り、女性がつきものであるにもかかわらず僕には女性との縁が無いのです。

なぜこのようなことを書く気になったのか?
それは、僕とクラシックの関係を象徴しているように思えたからです。
それを敷衍(ふえん)すれば、クラシックと民謡の関係もうまく説明できるのではないのか?

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。
しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。

ここで僕は、上の太田さんの言葉をもう一度噛み締めてみたのです。

僕は(2006年)6月13に日に書いた記事(『ん? クラシック興味ある?』)の中で次のように述べました。

“たかが音楽、されど音楽、

 それ以上でも以下でもない。”

。。。だと、僕も思いますね。
音楽は人生でもない。
人生は音楽でもない。
されど音楽、それ以上でも以下でもない。

ここで、もう一度恵美子さんに登場してもらいますが、
僕は、クラシックが何たるものか?と分からないうちに恵美子さんが演奏した“乙女の祈り”を聴いて感動したんです。
もちろん、可愛いと思っていた恵美子さんが弾いたから、中学生の僕は、なおいっそう感動したのです。

僕がピアノを独習で習い始めたのは、この経験があったからで、それがクラシックであったからではないのです。
いづれにしても、一つの曲がある人物によって演奏された事で僕に感動を引き起こした。
その感動が、僕をピアノに近づけさせた。
恵美子さんに会いたいからピアノを弾き始めたわけじゃない。
なぜなら、恵美子さんに会ったのはあの時が初めで最後。
僕の演奏を聴いてもらった事で僕の“片思い”は完結したのです。
でも、それからも、僕は時々“乙女の祈り”を弾いたものでした。

あの感動を自分のものにしたいから。。。

しかし、今の僕はすっかり忘れていて、この曲を弾く事さえできないんですよね。
あれだけハマッた“乙女の祈り”だったのに。。。

つまり僕にとって。。。
音楽は人生でもない。
人生は音楽でもない。
されど音楽、それ以上でも以下でもない。

現在、“乙女の祈り”を聞いてもジーンとこないのですよ。懐かしいとは思いますが。。。
しかし、“津軽じょんがら節”を津軽三味線で聴く時、僕の魂はゆさぶられます。


『ん? クラシック興味ある?』より

あれだけハマッタ“乙女の祈り”を聞いてもジーンとこないのに、“津軽じょんがら節”を津軽三味線で聴く時、僕の魂はゆさぶられる。
なぜなのか?
“昔の民衆の創造性”とは、具体的にどのようなものなのか?

その答えを見出すために、僕は“津軽じょんがら節”の成り立ちを遡(さかのぼ)って行ったのです。

津軽じょんがら節は津軽民謡の代名詞のようなものですが、
元は新潟・十日町市の「新保広大寺」という唄だと言われています。

これは広大寺の和尚・白岩亮端の時代に起きた農地の耕作権をめぐる土地争いが原因で、広大寺の和尚を追い出すために歌った「悪口唄」でした。
それが越後で大流行し、やがて越後瞽女(ごぜ)のレパートリーとなります。
これが全国に流行するのですが、それが津軽化したものが「じょんがら節」です。

津軽でも民衆の心に長く記憶される事件が起こりました。
慶長2(1597)年、南津軽郡浅瀬石城主・千徳政氏が、大浦為信に滅ぼされたのです。
しかし、政氏の死後も為信は追討をやめず、ついに政氏の墓まで暴こうとします。

その戦いで炎上した千徳氏の菩提寺・神宗寺の僧・常椽(じょうえん)は、それを抗議する意味をこめて本尊を背負って、上川原に身を投げたと言います。
すさまじい話なんですよね。
こうした悲劇を歌った口説節が、じょんがら節であると言います。

つまり、民衆の中から沸き起こった歌なんですよね。
11代にわたって津軽の東の山根に繁栄した千徳家が滅亡。
落城とともに神社・仏閣がすべて焼き払われる。

この時千徳家代々の菩提寺である神宗寺に奉仕していた常椽和尚が、先祖代々の位牌を背負って逃げた。
ところが、捕らえられそうになったので白岩の断崖から浅瀬石川(上川原)に身を投じて一生を終えたのです。

年を経た夏に、川原で遊んでいた子供達が常椽和尚の変わり果てた遺体を砂の中にみつけ、村人が相談して墓をつくり、ねんごろに弔ったと言われています。
その後、その場所を常椽川原(じょうえんがわら)と呼ぶようになったそうです。
それから毎年、お盆には常椽川原に集まり供養をし、代々の城主をはじめ先祖の霊を慰め、常椽和尚を偲ぶために即興で歌われたのが「津軽じょんがら節」の始まりだと言われています。

常椽川原もいつしか上川原(じょうがわら)となり、更には「じょんがら」と言われるようになったわけです。

つまり、“民衆の創造性”から生まれた唄というものは、もともとのクラシックのようにorder-madeではなかったのですよね。
民衆の中から沸き起こった歌。
血と汗と涙。。。
そのような苦労の中で民衆の口により歌い継がれて現在の我々にまで知られるようになった。

現在の僕が、あれだけハマッタ“乙女の祈り”を聞いてもジーンとこないのに、“津軽じょんがら節”を津軽三味線で聴く時、僕の魂はゆさぶられる。
それは、やはり、この唄が血と汗と涙の中で民衆によって受け継がれてきたからではないのか?

芸能プロダクションがミーハーの歌手を育てて広めたわけでもない。
そうやって金儲けをするために歌われてきたわけではない。
テレビやラジオで宣伝して広めたわけでもない。
演奏会や、音楽会を開いて広めたわけでもない。
紅白歌合戦があったわけでもない。
レコード会社が儲かるからと言ってレコードに録音したわけでもない。

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。
しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。
この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えない、という気持ちである。

つまり、太田さんが言うところのこの汚染されきった世界こそ、すぐ上に書いた芸能プロダクションであり、
テレビやラジオの功利主義であり、
演奏会や音楽会の商業主義であり、
紅白歌合戦と言う馬鹿騒ぎであり、
レコード会社の儲け主義ではないだろうか?

僕が“津軽じょんがら節”を聴いて魂をゆさぶられるのは、“民衆の創造性”に僕の心の琴線が触れたからだと僕は信じています。

本尊を背負って、上川原に身を投げた常椽(じょうえん)和尚の無念な気持ち。
その和尚に同情を寄せる村人たち。
その中で和尚を悼(いた)み偲ぶ唄が生まれ、その悲劇と共に民衆に歌い継がれてゆく。
僕は、このような悲劇のことは何も知らない。
しかし、その悲劇性と、農民の気持ちが、この歌の響きの中に、旋律の中に込められている。
そして、その唄が津軽三味線で奏(かな)でられるとき、僕の魂をゆさぶる。

そういうことだと思うのですが。。。
あなたはどう思いますか?

次のリンクをクリックして、“津軽じょんがら節”を聴いてみてください。

『津軽じょんがら節』

では。。。


『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』より
(2006年7月9日)

デンマンさん。。。それらしい事を長々と引用していますけれど、結局、優子さんにコンサートに誘われたことを書きたかったのでしょう?

あれっ。。。やだなあああァ~。。。小百合さんまでが、レンゲさんのように僻(ひが)むのですか?

いいえ。。。別に僻んでいるわけではありませんわ。

僕は、ただ、八雲のように民謡を充分に理解できる素養と感性があることを言いたかったまでですよ。 うへへへへへ。。。

ただ気になることがひとつありますわ。

なんですか?

横浜国立大学を卒業した小百合さんが出てくるでしょう。。。どうして他の名前にしなかったのですか? 私と混同されてしまいますわ。

あのねぇ~、上の記事は2006年に書いたのですよう。 当時、『小百合物語』を書くつもりはなかったから、何の気なしに小百合という仮名にしたのですよう。

デンマンさんもサユリストなのですか?

いや、サユリストはサユリストでも『小百合物語』を愛するサユリストですよう。 思い返してみれば、ずっと以前から無意識のうちに『小百合物語』を書きたいと思う気持ちが潜んでいたのかもしれませんね。 うしししし。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
小百合さんが呆れていますわよう。
日本人であれば、日本の民謡を理解できる素養も感性もあるのでござ~♪~ますわ。
あなただって持っているでしょう?

ええっ。。。?
あなたには『津軽じょんがら節』のような日本の民謡を理解する素養も感性もないの?
どうしてよう?
ビートルズやローリングストーンズの方がいいのォ~?

あたくしも、実は、ジョンレノンの熱狂的なファンなのでござ~♪~ますわよう。
うふふふふふ。。。


 
 
キャ~ ビートルズ!
 
 
すてきィ~♪~!

 
 
そうよねぇ。 日本の民謡って、かな~♪~りダサいところがありますわよね。
そうですわ。。。そうですわよう。。。
やっぱり、ビートルズはいいのですわよう。
うふふふふ。。。

とにかく、次回も興味深い話題になるはずですわ。
だから、あなたもどうか読みに戻ってきてくださいませぇ。
じゃあねぇ~。。。

 
メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

文明開化のお話が出てきました。

愛(いと)しいという言葉は昔にもあったようですが、

愛(あい)すると言う用法はなかったようです。

日本では“恋しい”という言葉を使っていたのです。

英語圏でしばしば使われる

I love you. という言い方は

明治時代の文明開化の時に

イギリスからその概念“love(愛)”

を輸入したそうです。

だから、今でも愛を告白する時に、

日本人の男性は

次のように言うと思います。

「僕は君が好きだよ」

「僕はきみに惚れてしまったんだ」

「僕はきみに恋してしまったようだよう」

デンマンさんに尋ねたら、日本で暮らしている頃、

女性に対して「好きだ」と言ったことはあるけれど、

「愛している」といった事は一度もなかったそうです。

あなたはどうですか?

ところで、デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて

一つにまとめました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

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