フジ子の人生訓


 
2010年9月16日 (木曜日)
 
 
フジ子の人生訓
 
 
キネマの脇女
 
 

Subj:小百合さん、おはよう!

食欲の秋!

お元気ですか?

きゃはははは。。。

Date: 11/09/2010 11:44:48 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間:9月12日(日曜日)午前3時44分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com

9月11日のメールを送ろうとしたらパソコンがシャットダウンですよう。

んもお~~

何度か再起動させたけれど、まったく言うことを聞かないので
フジ子・ヘミングの『運命の力』を読み始めました。
フジ子さんの本は、飾らないざっくばらんな言葉で書いてあるので読みやすいんだよね。
それに写真やイラストがたくさんあるので見ていても面白い。
文章が、なんとなく詩になっている。

私は29歳でドイツに留学した。
世間一般から見て、これは遅いでしょう。
でも、遅すぎることはないと思っているわ。
何歳になっても、夢に向かえばいい。
今よりよくなる、前進してみせるって。
明日こそ、来週こそ。
私はもっとうまい演奏をするって
いつも思っていた。
不思議にだいたいそうなるのよ。
耳が聴こえないほうが、
人生楽しいと思えるようになった。
私がうるさいと思うような音、
悪口なんか聞こえないから、
かえって静かでいい。
どんなことでも、ひがんじゃいけない。
それを受け入れていくのが、人生よ。

(25ページ)

う~~ん。。。いいね。
次のもいいよ。

恋の楽しさは、ドキドキすること、
きょう逢えるかと、
朝からその人のことばかり考えて。
いつも、夢中になって
好きな人を追いかけていた。
だけど結婚して、
ずうっと一緒に暮らしたいとは思わなかった。
素晴らしいことだとは思うけれど。
私はピアノを弾くために、
恋をしていたのかもしれない。
人を好きになるなら、
物理的にも精神的にも、
適度な距離が大切なんだと思う。

(57ページ)

う~~ん。味わい深いよね。

私の歩んできた道は、困難に見えるかもしれない。
インタビューを受けて昔の事を聞かれたりする。
なかには思い出したくないこともある。
人間は何のために生きるのかって考えるけれど、
人生はいろんな苦難を乗り越えていくためにあると思う。
なにもしないで、生きていくのはダメ。

人に名を知られるようになって生活は変わったけど、
私自身はなにも変わらない。
今も昔も嫌なことは嫌と言うし。
それで去ってゆく友達もいる。
嫌なところがあっても、お互いに認め合うことが大事ね。
私自身も、昔はなにかあるとすぐ友達に絶交状を送りつけたこともあった。
もったいないことをしたと、今は思う。

トルストイのいった言葉、
「他人に対して、どうあるべきかを押し付けてはいけない」
をよく思い出す。
人間は身近な関係から、違うところを認め合っていかないといけないわね。

若いときはちょっとちたことでもしゃくにさわって、人を傷つけたりしたこともあった。
それで、夜も眠れないくらいに悩んだこともある。
でも、嫌なことは乗り越えていけばいいのよ。
淡々と空でも見て。
人間がそんな気持ちになれば、戦争も起こらなくなるでしょうに。

(124-125ページ)

う~~ん。。。分かるよね。
いいね。

。。。と言う訳で、一気に一冊読んでしまいました。
だので、夕べは、もうパソコンのことも忘れてぐっすりと眠りました。

今朝起きたらパソコンもぐっすりと眠ったようで一発で再起動してくれましたよ。

きゃははははは。。。

それで、9月11日のメールも一緒に小百合さんに書いたのでした。
 
時間があったら気分転換に
次の記事でも読んでね。

『あら、見たのね』

(2010年9月8日)

タグ: あら、見たのね, おそめ, 秋日和, 秋日和秘話, 秋日和裏話, 原節子, 夜の蝶, 小津安二郎, 昭和30年代, 東京物語秘話

カテゴリー: コミュニケーション・人間関係論, デンマンさんが登場, 人生論・人生哲学, 卑弥子さんが登場, 小百合さんが登場, 小百合さんのメール, 小百合物語, 愛の形と色・異性のタイプ, 文学論・芸術論, 日本人・日本文化・生活様式, 日本映画, 読書

映画『秋日和』の裏話です。結構、面白いよ。  
じゃあ、またねぇ。

 

件名:デンマンさんの帰省も

まじかですね

差出人: “sayuri@hotmail.com”
受取人: “denman@coolmail.jp”
日付: 2010/09/13 18:52
バンクーバー時間: 9月13日(月)午前2時52分

久しぶりにメールを開けました
返信おそくてスイマセン
んー、フジ子 へミングさん
あの方も 年に一度位、
日本を訪れてコンサートをやってますね
CDが欲しい

義父の事とか、実母の事とか、
老人介護で何かと心配なことがあります。
子供の事でも いろいろと気がかりなこともあって、
ゆっくりとクラシックを聞いている時間の余裕も
心のゆとりも無いほどです。

そういえば帰国近し…、
デンマンさんもふるさとが懐かしいでしょう?
ゼリーフライや
行田のフライ
それに焼きそばも…
もうすぐ食べられますね。

ところで、私、欲しいものが(買い物、食料品)
あるんですよ。
動いてもらえますか?
ダメなら いいですよモウ

やってくれるのなら、メールと電話で細々
説明したいのですが
コマーシャル・ストリートとブロードウェイの方まで行ける?
デンマンさんも忙しいでしょうから
一日で終わるリストにします。
では…

デンマンさん。。。ふるさとの味が懐かしいでしょう?

う~~ん。。。ゼリーフライ、行田のフライ、「かどや」の焼きそば。。。懐かしいねぇ~。。。

。。。で、私の欲しい物買ってもらえますか?

小百合さんのためならば、たとえ火の中、海の底。。。うへへへへへ。。。いいですよう。

マジで。。。?

いや。。。もちろん、まだ死にたくないから、火の中や海の底は無理だけれどねぇ。。。うしししし。。。

。。。で、『キネマの脇女』というタイトルの本もあるのですか?

やだなあああァ~。。。そんなタイトルの本があるわけ無いでしょう!?

だったら、紛(まぎ)らわしから書かないでくださいな。

でも、『キネマの美女』というタイトルの本があるのだから、『キネマの脇女』というのも面白いでしょう。。。そのうち誰かが脇役だけの女優さんを集めて本を出すかも知れませんよう。

。。。で、今日は名脇役のお話ですか?

高橋とよさんのエピソードを脚本家の石堂淑朗さんが書いていたので、僕の記憶が甦(よみが)えってきたのですよう。

友人鬼居る

カチンコを初めて叩いたのが有馬稲子さんのクローズアップで、その有馬さんとまったく馬が合わなかった岡田茉莉子さん、あるいは山田五十鈴さん、淡路千景さん、岸恵子さんといった大スターの花の容貌に酔いながらそこそこに働いた。

しかし映画がこういった看板女優さんだけで出来るわけもない。脇役あっての主役である。文学座の高橋とよさんは小津さんに可愛がられた名脇役の一人で、不朽の名作「東京物語」のプロローグとエピローグで味のある演技を披露している。他の作品では料亭の女将に扮して小津独特のジョークの漣(さざなみ)を楽しげに浴びてもいる。

 (中略)

そんな時、撮影の合間、セットの片隅で相手は確か同期の助監督だったと思うが、新劇絡みの話で議論していたことがある。何かあればすぐに議論する年頃であった。
そこへ高橋とよさんが割り込んできた。

大した役ではなかったので、退屈していたらしい。小津組ほどの緊張感もなかったし、もともと文学座だから新劇話は専門である。
ユージンオニールを巡ってあれこれと話が咲いた後、突然貧乏が話題になった。

と高橋さんがにやにや笑い出して、
わたしたちの周りにも貧乏人だらけ、友人鬼居る、なーんてね

勿論ユージンオニールに引っ掛けてのことだが、余りにも冴えない言い換えだから、私たちは答えようがなくて顔を見合わせた。

たったそれだけのことだが、今も不思議に記憶に残っている。覚える気もないのに何時までも残る言葉もプルースト言うところの無意識的記憶に違いない。


石堂淑朗
昭和7年、広島県生まれ。東京大学卒。
昭和30年松竹大船撮影所演出部に入り、渋谷実監督に師事。
昭和35年独立プロを結成。
フリーのシナリオライター、小説家として活躍


高橋とよ (高橋豊子)
1903(明治36)年、東京に生まれる。
演劇活動の傍ら「理想郷の禿頭」(古海卓二監督1935年作品)でデビューするも、本格出演は昭和21年松竹と契約以降。
押し出しのよさで母親役&オバサン役に重宝がられた。
1981(昭和56)年没。
夫は俳優・伊達信。
代表作: 「お早よう」(小津安二郎監督1959年作品)
オススメ作: 「見上げてごらん夜の星を」(番匠義彰監督1963年作品)


84ページ 『キネマの女』 編者: 文藝春秋
発行所: 株式会社 文藝春秋
1999年5月30日 第1刷発行

私はユージンオニールって知りないのですけれど、その人物を知ると、さらに面白いのですか?

いや。。。特にこのエピソードには関係ないのですよう。。。ただ、名前の中にユージン(友人)が含まれていたので高橋さんが持ち出してきたのだと思いますよう。

ただ、それだけのことですか?

だから石堂淑朗さんも次のように書いているわけですよう。

余りにも冴えない言い換えだから、

私たちは答えようがなくて

顔を見合わせた。

つまり、議論していた石堂さんと同期の助監督は、そのダジャレを聞いて全く白けてしまったと言う訳ですよう。。。その白けた様子が見えるようですよう。。。うししししし。。。

でも、それだけではないと思いますわ。

あれっ。。。別の意味があると言うのですか?。。。でも、小百合さんはユージンオニールを知らないのでしょう?

名前だけは聞いたことがありますわ。

ユージン・オニール

Eugene O’Neill

(1888年10月16日 – 1953年11月27日)

Carlotta(3度目の妻)と

アメリカ合衆国の劇作家。
アメリカの近代演劇を築いた劇作家として知られる。
1936年、ノーベル文学賞受賞。
父親はアイルランド系で俳優のジェームズ・オニール(James O’Neill)。

1888年10月16日、ニューヨーク市のホテルで誕生する。
父は当時の有名舞台俳優で、母は女子修道院学校時代にはピアニスト志望だったこともある専業主婦。
ユージン・オニールの家族はコネティカット州のニューロンドンに夏別荘を所有していた。オニールの最初の記憶は、夏の間そこで過ごしたことである。

幼児期、オニールは父親の旅公演について過ごした。
カトリック系の寄宿学校をでて、プリンストン大学に入学するが中退。
ニューヨーク市職員となるがすぐに退職。その後、性急に結婚。
金鉱発掘の助手、父親の劇団の俳優や助手、ニューロンドンの新聞記者など、様々な職を転々とした。
船乗りとして働いたこともあり、その時期の経験は初期のオニールの戯曲中に題材としてたびたび取り上げられている。

1912年、結婚の破綻、ままならぬ自立などを抱えて、自己嫌悪に駆られ2月に自殺を図るが未遂。
10月に離婚成立。
軽度とはいえ当時は死にいたる病であった結核と診断され12月入院、6ヶ月ほど療養生活を送った。
療養中に戯曲を書くことを思い立ち、処女作『クモの巣』(The Web)を執筆する。
退院後、1914年から1915年の間、ハーバード大学の演劇学教授ジョージ・ピアス・ベイカーが主催する「47ワークショップ」に入り、劇作を学んだ。
このワークショップは、多数の劇作家、演出家、舞台美術家を世に送り出し、アメリカ演劇の発展に貢献した。

デビューからブロードウェイ進出まで

19世紀から20世紀初頭にかけてのアメリカ演劇は、ブロードウェイを中心とする商業主義・娯楽主義の支配下で停滞しており、世界的に注目されるような卓越した作品がほとんど生まれなかった。
演劇人側から、停滞を打破し芸術的改革を行おうとする動きはあった。
そのアメリカ演劇が、ヨーロッパのようにリアリズムを作劇に取り入れて具体的に「近代化」するのは、劇作家ユージン・オニールの登場と時期を同じくする。

1916年、マサチューセッツ州プロヴィンスタウンに拠点を置く小劇場劇団を、オニールは自作の戯曲を持って訪れた。
劇団員による朗読の後、オニールは熱烈に迎え入れられ、その戯曲を上演することになった。
これが、演劇の改革を志していた劇団の一つ「プロヴィンスタウン・プレイヤーズ」とユージン・オニールの出会いである。
メンバーの中にはスーザン・グラスペルがいた。

その時朗読された作品が、オニールのデビュー作『カーディフを指して東へ』(Bound East for Cardiff)である。
オニール本人もこの劇に出演した。
英国のカーディフ港に向かう貨物船の船倉を舞台とする一幕劇。主人公の老水夫は死の床の中、人生に絶望している。
主人公は見果てぬ夢を抱いたまま、カーディフに着く前に死に至る。
劇作家自らが船員だった経験を活かし、その生活を当時としては革新的なリアリズムの手法で提示しつつ、夢、希望、友情、孤独、絶望などについて描いている。
この戯曲は同年に埠頭を改造した小劇場で上演され、大好評をもって観客に受け入れられた。

この成功を足がかりに、プロヴィンスタウン・プレイヤーズはオニールと共にニューヨークへ進出。
グリニッジ・ヴィレッジに劇場をつくり、オニール作の一幕劇を次々に発表し劇団・劇作家共に注目を集めていった。
その多くは、船員時代の経験に題材を取ったものだった。
この活動は、後にオフ・ブロードウェイ運動の始まりの一つであるとみなされるようになった。
この時期、交友仲間のひとりである作家志望のアグネス・ボウルトンと再婚。

1920年、オニールにブロードウェイでの上演の機会が訪れた。
三幕劇『地平線の彼方』(Beyond the Horizon、執筆は1918年) である。
この戯曲はブロードウェイのモロスコ劇場で160回上演された。
人生に失敗した主人公が夜明けと共に死を迎えるという暗い内容のリアリズム劇にもかかわらず、ブロードウェイで成功を収めたことは、当時としては特筆に値する。
オニールはこの戯曲でピュリッツァ賞を受賞した。

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高橋さんの駄洒落には言外の意味が含まれていると思うのですわ。

あれっ。。。小百合さんはユージンオニールを知らないと言っておきながら、実は知っていたのですか?

1936年にノーベル文学賞を受賞したのでしょう?

あれっ。。。小百合さんは知っているではありませんか?

今、読んだからですわ。。。うふふふふ。。。

小百合さん。。。こういう時に冗談を言わないでくださいよう。

冗談ではありませんわ。。。私は本当にユージンオニールさんの事を知りませんでしたわ。

それなのに、どうして高橋さんのダジャレに言外の意味が込められていると言うのですか?

常識ですわ。

あれっ。。。つまり。。。僕に常識が無いと言うつもりなのですか?

デンマンさん。。。うふふふふ。。。それほど深刻に受け留めないでくださいな。。。いやですわア。

分かりました。。。それで、その言外の意味というのは何ですか?

高橋さんは明治生まれの女優さんですわ。

うん、うん、うん。。。確かに明治36年生まれと書いてありますよう。

それに対して石堂淑朗さんは昭和の一桁生まれですわ。

そうです。確かに石堂さんは昭和7年の生まれです。

石堂さんと議論していた同期の助監督さんというのも、だから当然、昭和の一桁生まれですわ。

うん、うん、うん。。。確かにそうですよう。

次のように書いてありますわ。

新劇絡みの話で議論していたことがある。

何かあればすぐに議論する年頃であった。

おそらく当時の石堂さんと相手の助監督さんは20代の後半だったのですわよ。議論したい年頃ですわ。

うん、うん、うん。。。確かに僕にも覚えがありますよう。何かにつけて白熱した議論をしたい年頃なのですよう。

石堂さんと相手の助監督さんも、おそらく喧嘩が始まると思うほど議論が白熱していたのですわ。

う~~ん、なるほど。。。それで。。。?

だから、若い二人が。。。助監督といっても高橋さんの目には、まだ世間の事もよく分からない青二才に見えたわけですわ。。。それなのに、大人げも無く貧乏の事であれやこれやと白熱した議論をしている。。。言ってみれば、馬鹿らしい。

なるほど。。。つまり、貧乏の事で、今にも喧嘩が始まりそうな白熱した議論をしていたので、それを止めに入ろうとして駄洒落を飛ばしたと小百合さんは言うのですか?

そうですわ。。。それ以外に考えられませんわ。

う~~ん。。。なるほど。。。つまり、高橋さんは次のように言いたかったのですか?

あなたたち、いい加減にしなさいよう…

ユージンオニールについて

話しているのでしょう。

貧乏のことなど、

全く脇道にそれた議論じゃないの。

テーマはどうなったのよう。。。?

喧嘩が始りそうなほど唾を飛ばして

やりあっている場合じゃないでしょう?

助監督二人が仕事場で

みっともないったらありゃしないわ。

いい加減にしなさいよう。

高橋さんは内心では、そのように思ったのですわ。。。それで次のように言ったのです。

わたしたちの周りにも貧乏人だらけ、

友人鬼居る、なーんてね

なるほど。。。小百合さんってぇ、意外に文学の素養があるのですねぇ~。。。

そのように、取って付けたように煽(おだ)てないでくださいな。。。。おほほほほほ。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
確かに、小百合さんの解釈って40代のおばさんらしいのでござ~♪~ますわ。
うふふふふふ。。。
高橋とよさんの気持ちが実に良く分かるお年頃なのですわ。

とにかく、次回は、もっと面白いお話が続きますう。
だから、あなたもどうか、また明後日、読みに戻ってきてくださいましねぇ。
では、またぁ~。。。

 
メチャ面白い、

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『小百合さんの香水(2009年10月14日)』

こんにちは。ジューンです。

なるほど。。。

小百合さんの解釈は素晴らしいと思いますわ。

確かに20代の頃は何かと議論が

したい頃なのですよね。

30代になると世間ずれがしてきて

10代や20代の頃みたいに

議論したい気持ちが

失(う)せてしまうのですわ。

つまり、議論することが「青二才」、「青臭い」

そう思えてしまうのですわ。

大人になるというのは

あるいは分別盛りと言う事は

若い頃のように唾を飛ばしてまで

議論しなくなると言う事かもしれませんわ。

なんだか、そんな風に感じました。

ところで、英語の面白いお話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

■ 『心にジ~ンとくる動物感動物語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。

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