ちょっと心にしみる音楽の話


 
2009年11月27日 金曜日
 
 
ちょっと心にしみる音楽の話
 
 
La Campanella
 
 

『小百合物語』の原点

デンマンさんは、私がレンゲさんのような

ロマンチックな女だと期待しているようですが、

私は、そのような女っぽい女ではないのですゥ。

主人は私のことを「中性脂肪」だと言います。

つまり、女っぽくない脂肪の塊だと。。。


『夢とロマンの軽井沢 (2008年7月19日)』より

小百合さんは夫から「中性脂肪」と言われて悲観して自殺した訳でもない。

もちろんでござ~♪~ますわ。もし、小百合さんが自殺していたら、デンマンさんとの再会もなかったはずでござ~♪~ますから。

つまり、小百合さんは夫の言ったことを半分は聞き流していたのですよう。

要するに、旦那さんが言ったことを半分だけ受け止めていたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

どうしてデンマンさんに、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?

小百合さんは次のように書いていましたよう。

(13年間)バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした。

あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。

ここには、「中性脂肪」だと言われた妻が、鏡子夫人とは異なり「行動」を起こしている。つまり、夏の期間、夫と離れてバーナビーの“山の家”で過ごしながら、家事をやり、子育てをして自分にだって“女らしいことができる事”を行動して自分で確かめているのですよう。

その事を、小百合さんは“(心の)支えの時間”だったと言っている訳なのでござ~♪~ますか?

そうですよう。「中性脂肪」のエピソードを読んで、小百合さんのメールを読み返した時に、僕は小百合さんが心の支えを見出すために“山の家”を持ったような気がしたのです。

そうでしょうか?

漱石の孫の房之介さんがおばあちゃんの鏡子夫人の事について“太母的なものを感じた”と書いているように、もし、小百合さんの子供たちが成人してから小百合さんのバーナビー時代の事を振り返って書けば、“母は充分によい妻であろうとしたし、子供にとって充分に良き母親でした”。。。このように子供たちは書くだろうと、僕は信じていますよう。


『夫婦関係 (2008年8月2日)』より

デンマンさん。。。1年以上前の記事を持ち出してこられましたが、今日のタイトルはフランス語でござ~♪~ますか?

いや。。。イタリア語ですよう。

そのイタリア語と『小百合物語』の原点が関係あるのでござ~♪~ますか?

話せば長くなるのですよう。卑弥子さんは次のような諺を聞いたことがあるでしょう?

風が吹けば桶屋が儲かる

風が吹くと土埃が目に入る。

すると目を悪くする人が増える。

そうなると、いつもの仕事はできなくなるから、

三味線でも抱(かか)えて

家々の玄関前で歌でも歌って

お金や食べ物をもらって歩こうという気になる。

それで三味線が売れるようになる。

三味線の胴には猫皮が使われている。

それで猫が減って、鼠が増える。

そうなると、鼠が桶をかじって穴を開ける。

だから、桶屋に注文がくる。

それで、風が吹くと桶屋が儲かる。

もちろん、聞いたことがありますわよう。でも今どき、風が吹いて目が悪くなって、いつもの仕事ができなくなったからと言って、三味線を抱えて家々の玄関前で歌を歌ってお金や食べ物をもらうなんて事をする人は居ませんわよう。第一、江戸時代でもないのに三味線が弾ける人なんて1000人のうちで一人か二人ぐらいですわ。

うん、うん、うん。。。確かにそうですよう。一つ一つの連鎖が起きる可能性は、おそらく、どれも1%もないでしょう。

つまり、「風が吹けば桶屋が儲かる」というお話は“ありえない話”と言うことでござ~♪~ますわね。。。んで、La Campanella と『小百合物語』の原点が関係ある、と言うデンマンさんのお話も、こじつけのようなお話なのでござ~♪~ますか?

僕が長々と説明すれば、卑弥子さんはきっと「風が吹けば桶屋が儲かる」ような話ですね、と言うだろうと僕は思ったのですよう。

でも、あたくしはまだ、その説明を伺っておりませんわ。それよりも、La Campanella と言うのは、どういう意味でござ~♪~ますか?

Campanella はイタリア人が発音すると、“ネ” にアクセントを置いて “カンパネッラ” と言います。でも、日本語では、普通「カンパネラ」と書きますよう。意味は「小さな鐘」です。

大きな鐘は。。。?

campana(カンパーナ)が普通の鐘の意味で使われます。一語で大きな鐘を意味する単語はないようです。

。。。んで campanella と言うのは、どのような鐘でござ~♪~ますか?

この上の写真の三角屋根の中にあるような洋風の鐘や、お寺で鳴らしている和風の鐘、それに、木魚の横に置いてある「チ~♪~ン」も、すべてカンパネラです。

要するに、「鐘」が付けばイタリア語では campanella でござ~♪~ますか?

そうですよう。それに対して、campana というのは「吊り鐘」、「金管楽器のベル」、「シンバル中央部のドーム部分」を言うようです。campana はイタリアでは6世紀ごろから使われた言葉です。

なぜ6世紀なのでござ~♪~ますか?

『ヴィーナスがギリシャから

イタリアへ行ったという話』

あのねぇ、ヴィーナスもギリシャからやってきたように campana も語源はギリシャ語なのですよう。古い時代の鐘は、金属板を折り曲げて作られていた。そう言う訳で campana(カンパーナ)は、 kampto(折り曲げる)、または kampoulos(折り曲げられた) に由来しています。

それで、あのォ~。。。campanella (小さな鐘) が『小百合物語』の原点と関係あるのでござ~♪~ますか?

いや。。。「小さな鐘」は『小百合物語』の原点とは全く関係ないのですよう。

それなのに、こうしてクドクドと campanella が 「小さな鐘」であることを説明したのでござ~♪~ますか?

聞き流せば良いものを卑弥子さんがクドクドと尋ねるから、僕もクドクドと説明したまでですよう。うししししし。。。

分かりましたわ。。。んで、『小百合物語』の原点と関係ある campanella とは、どのようなものでござ~♪~ますか?

音楽ですよう。

campanella が音楽と関係あるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。 実は、La Campanella というのはクラシックの曲の名前です。

ラ・カンパネッラ

ラ・カンパネッラ (la Campanella) はフランツ・リストが作曲した6曲から成る『パガニーニによる大練習曲』の第3番嬰ト短調。
日本語では「ラ・カムパネッラ」「ラ・カン(ム)パネラ」、「ラ・カン(ム)パネルラ」などとも表記される。
Campanella とはイタリア語で「鐘」を意味している。
その名の示すとおりニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調(Opus 7)、第3楽章のロンド『ラ・カンパネッラ』を主題にリストが作り上げた。

この作品の前にリストはすでにこの主題を用いて、イ短調のピアノ作品『パガニーニの「鐘」によるブラヴーラ風大幻想曲』を1831年から32年にかけて作曲している。
彼はこの作品を改作し、『パガニーニの主題による超絶技巧練習曲』の第3番変イ短調とした。
有名な超絶技巧練習曲とは別の作品である。
この版ではパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調(Opus 6)、第3楽章のロンドの主題も用いている。

最終版である『パガニーニによる大練習曲』の第3曲は今日最も有名な版であり、異名同音の嬰ト短調で書かれている。
リストが最初にピアノ曲に編曲したカンパネラはあまりにも難しすぎるために、やや簡単にしてあるのが現在の譜面である。
前2版の『パガニーニによる超絶技巧練習曲』も非常に技巧的で、リスト以外の人間には弾きこなせないと言われるほどの超難曲であり、録音に成功しているピアニストは、作曲から約170年経っている2009年現在で僅か4名のみである。
そのため、最終版では他のピアニストにも弾けるように難易度を落としている。

軽快な速度で演奏され、1オクターブより広い音程を含む跳躍がある。
全体として、器用さ、大きい跳躍における正確さ、弱い指の機敏さを鍛える練習曲として使うことができる。
最大で15度の跳躍があり、この跳躍を16分音符で演奏した後に演奏者に手を移動する時間を与える休止がないまま2オクターブ上で同じ音符が演奏される。
ほかにも薬指と小指のトリルなどの難しい技巧を含む。

ラ・カンパネッラは他の作曲家・演奏家によっても再編されており、フェルッチョ・ブゾーニによるものなどが有名である。

この曲の演奏者としても名高いピアニスト:

あ行

 (中略)

は行

フジコ・ヘミング
 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

デンマンさん。。。日本語では普通「カンパネラ」と書かれるとおっしゃっていましたけれど、上の説明では「カンパネッラ」と書いてござ~♪~ますわ。

そうですよう。でもねぇ、よく読むと「カンパネラ」でも書かれると書いてあるでしょう。

だけれども、表題に「カンパネッラ」と書いてありますわ。

あのねぇ、日本人の中にもイタリア語にハマッテいる人とか、イタリア語にかぶれている人が居るのですよう。そういう人は、どうしてもイタリア語の発音に近いようにカタカナで書いてしまうのですよう。

つまり、上の説明を書いた人はイタリア語にかぶれているのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。日本語でなら、「カンパネラ」と書いた方が次数も少ないし、すっきりしているのですよう。でもねぇ、僕はどのように書こうとも、こだわりません。「カンパネラ」でも「カンパネッラ」でも、オツムの中では La Campanella を思い浮かべるでしょうからね。このイタリア語が思い浮かぶように書けば問題はないのですよう。

。。。んで、どうして、この曲をデンマンさんは、取り上げる気になったのでござ~♪~ますか?

『結婚行進曲 (2009年11月23日)』

実は、11月23日の記事の中でも紹介した太田将宏老人の書いた本を読んだのですよう。

デンマンさんは太田将宏老人とは絶交したのでしょう?

いや。。。僕の方から絶交したのではなく、太田老人は頑固で一度思い込んだら、なかなか思い込みを変えないのですよう。

つまり、太田老人が誤解からデンマンさんを絶交したとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い!

このような諺があるけれど、僕は頑固な太田老人と、彼が書いた興味深い本とは別個の存在だと思っていますからね。

つまり、太田老人の頑固な性格は憎むけれど、太田老人が書いた興味深い本には敬意を払っているとデンマンさんはおっしゃるのですか?

その通りですよう。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い!」。。。このような諺があるけれど、僕はたとえ坊主が憎くても、袈裟までは憎みませんよう。坊主と袈裟は全く関係ないですからね。うへへへへ。。。

分かりましたわ。。。んで、太田さんが書いた本の中に La Campanella という曲が出て来るのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。たいへん興味深い事が書いてある。卑弥子さんも読んでみてください。

2.2 Georg Friedrich Händel

(1685-1759)

Intelligence とは、例えば、討論している場合に、どのような結論に至るにしても、結論の当否以前に、その process を見守る能力のことを言うのではないか。
これは、自己対話のときでも同じであろう。

同様に、intellect とは、実際に書かれてあることや、実際に語られていることと、それに伴う自己の類推や連想を区別する知性をいうのではないか、と私は考える。

 (中略)

コーダ (蛇足):

多くの音楽(史)の書籍に、特に、目次を見ると、 Bach – Händel の順序で書かれているが、それは、この二人の生年月日を視て見ても適当ではない。
あの時期は、ユリウス暦からグレゴリアン暦への切り替えの混乱時ではあったが、いずれにしても、両者の生年は同じであっても月日は Händel の方が先である。
学者や評論家の文章としては、intellectual でないばかりか、intelligent ですらない。

また、ついでではあるが、 Bach の “Konzert für vier Klaviere in a-moll” とか F. Liszt の“La Campanella” などという呼び方も適当ではない。
後者には微妙なところがあるが、まあ、どちらも編曲であり、各々、A.Vivaldi と N.Paganini の作曲である。
これも、評論家の文章としては、intellectual でないばかりか、intelligent ですらない。

また、話題は音楽から逸れるが、F.M.Dostoyevsky の『罪と罰』について書かれた日本の著名なロシア文学者の論文の中で、“ソーニャ”などという呼称が“ソフィアマルメラァードヴァ” (草子地: 私は、ロシア文字を知らないので、ここで、嫌々ながらカタカナを使っている。許されたい。)の代わりに、無神経にも、幾度も幾度も幾度も使われてあった。
これでは“ソフィアちゃん”であろう。
これも、学者の文章としては、intellectual でないばかりか、intelligent ですらない。

偉い人の悪口を言っても始まらないか?
自分で考えることは、それ以上に楽しいことである。


29-30ページ 『後奏曲集 (後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

注: Händelの写真はデンマンが加えました。
更に、改行を加え読み易くしました。
文中の Canpanella は明らかに誤字なので Campanella に書き改めました。
あしからず。

太田さんは intellectual と intelligent を使い分けているのでござ~♪~ますわね。

そうなのですよう。僕も上の小文を読んで改めて考えさせられましたよう。僕は2つの単語とも同じように「知的な」と言う意味で訳していた。特に使い分けていなかったように思うのですよう。

辞書ではどうなっているのでござ~♪~ますか?

僕の英和辞書で調べてみました。

intellectual

【形容詞】 知力の、知的な、知性のある、頭脳を使う

【名詞】 知識人、識者


intelligent

【形容詞】 知能の高い、賢い、物わかりのよい、気のきいた


出典: 三省堂『最新コンサイス英和辞典』

似たようなものでござ~♪~ますわね?

そうなのですよう。でも、太田さんは使い分けようとしている。なるほどと思いながら読まされたのですよう。

でも、デンマンさんには何か異論でもあるのでござ~♪~ますか?

いや。。。特に異論があるわけじゃないけれど、言葉は厳密に言えば、人それぞれによって少しづつ定義が変わっていると思うのですよう。人間である以上、その人の知的経験は、みなそれぞれ違いますからねぇ。「犬」と「猫」の区別がつかない人は居ないけれど、intellectual と intelligent の区別がつかない日本人は、たくさん居ると思いますよう。 もちろん、綴りが違うのは分かるけれど、意味がどう違うのか?それをはっきりと認識するのは、その人の知的能力と、知的経験によって違ってきますよう。

太田さんは、知的能力と知的経験において、すごいとデンマンさんは思うのでござ~♪~ますか?

思いますね。でもねぇ、太田さんは思い込みうが激しいから、その考え方に固執すると誤解を招くのです。

そのような誤解が原因で太田さんはデンマンさんを絶交したのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。上の文章を読んでも、太田さんが理屈っぽいと言う事が良く分かるでしょう?僕も理屈っぽい方だけれど、太田さんは特に理屈っぽい。それで、太田さんが自分の定義にこだわると、話相手に誤解を招くことになる。その相手の話を聞いて、さらに太田さんが誤解する。そう言う訳で、友達との誤解が原因で太田さんは友達を失っている。さらに、実の娘とも絶交状態にある。

今日は、太田さんとの誤解のことでござ~♪~ますか?

いや。。。もちろん、La Campanella のことですよう。うへへへへへ。。。

それで、La Campanella がどうなったのでござ~♪~ますか?

F. Liszt(リスト)が “La Campanella” を作曲したように言う人が居るけれど、太田さんは “La Campanella” には微妙なところがあるけれど、もともと N.Paganini が作曲したものであり、リストは編曲者だと言っているのです。

太田さんの小文を引用して、デンマンさんはその事が言いたかったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。ウィキペディアの説明を読むと確かに次のように書いてある。

ラ・カンパネッラ (la Campanella) はフランツ・リストが作曲した6曲から成る『パガニーニによる大練習曲』の第3番嬰ト短調。

つまり、この事実を言うために、これまで長々と話してきたのでござ~♪~ますか?

もちろん、これだけのためではありません。

他に何が。。。?

上のウィキペディアの説明の中に、この曲の演奏者としても名高いピアニスト:と言う項目があるのですよう。

それで。。。?

フジコ・ヘミングという名前が僕の目を引いた。

なぜ。。。?

おそらく日系人でしょう。何か、いわくのある人だという直感があって、僕は調べてみたのですよう。すぐに分かりました。ウィキペディアに出ていましたからね。

フジコ・ヘミング

ピアニスト
本名: Ingrid Fuzjko Von Georgii-Hemming(イングリッド・フジコ・フォン・ゲオルギー=ヘミング)
日本名:大月フジ子(12月5日生- 血液型:A型)

ロシア系スウェーデン人の画家・建築家のジョスタ・ジョルジ・ヘミングと、日本人ピアニストの大月投網子の間にベルリンで生まれる。
スウェーデン国籍
長らく無国籍の状態が続いた。
俳優大月ウルフは実弟。

幼少時代

5歳の時に日本に帰国。
当時、戦争への道にひた走り軍事色が濃くなる日本に締め出されるかのように、ほどなく父ジョスタは家族3人を残し、一人スウェーデンに帰国してしまう。
以来、母と弟と共に東京で暮らし、母、投網子の手ほどきでピアノを始める。
また、10歳から、父の友人であり、ドイツで母のピアノを師事したロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツァーに師事。
以後、芸大在学時を含め、長年の間、クロイツアーの薫陶を受ける。

学生時代

小学校3年生の時にラジオに生出演し、天才少女と騒がれる。
青山学院高等部在学中、17歳で、デビューコンサートを果たす。
東京芸術大学在学中の1953年には新人音楽家の登竜門である、第22回NHK毎日コンクールに入賞をはたし、さらに文化放送音楽賞など、多数の賞を受賞した。
東京芸術大学卒業後、本格的な音楽活動に入り、日本フィルなど多数のオーケストラと共演。
かねてよりピアノ留学を望んでいたフジ子だったが、パスポート申請時に無国籍であった事が発覚する。

その後、留学の機会を伺いつつピアニストとして音楽活動を行っていたが、30歳の時に赤十字に認定された難民として国立ベルリン音楽大学へ留学を果たした。
優秀な成績で卒業後、ヨーロッパに残り各地で音楽活動を行うも、生活面では母からの僅かな仕送りと奨学金で何とか凌いでいたという、大変貧しく苦しい状況が長らく続いた。
人間関係においても、日本でも外国でもどこに居ても外国人として疎外された。
フジ子は「この地球上に私の居場所はどこにもない…天国に行けば私の居場所はきっとある。」と自身に言い聞かせていたと話している。

ヨーロッパでのピアニスト時代

その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに師事。
作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナに才能を認められ、彼のソリストとして契約した。
しかし、貧しさで、真冬の部屋に暖房をつけることができなかったため、リサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われ、やっとの思いで掴んだ大きなチャンスを逃すという憂き目をみた。

既に16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていたが、この時、左耳の聴力も失ってしまい、耳の病のためフジ子は演奏家としてのキャリアを一時中断しなければならなくなった。失意の中、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得、以後は、ピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。現在、左耳は回復してきている。

日本への帰国後のブレイク

母の死後、1995年に日本に帰国し、母校東京芸大の旧奏楽堂などでコンサート活動を行う。

1999年2月11日にNHKのドキュメント番組、ETV特集『フジコ~あるピアニストの軌跡~』が放映されフジ子ブームが起こった。
その後、発売されたデビューCD「奇蹟のカンパネラ」は、発売後三ヶ月で30万枚のセールスを記録し、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなった。
第14回日本ゴールドディスク大賞の「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」他各賞を受賞した。

やがて1999年10月15日の東京オペラシティ大ホールでの復活リサイタルを皮切りに本格的な音楽活動を再開し、国内外で活躍することとなる。
2001年6月7日にはカーネギーホールでのリサイタルを披露。
現在、ソロ活動に加え海外の有名オーケストラ、室内楽奏者との共演と活躍は続く。

人物

ヘミングは菜食主義者、クリスチャンとして知られている。食物の中で特に好むのはじゃがいもであるとされる。

ピアノ演奏以外の趣味は絵画、裁縫、読書、水泳などで、バレエや映画の鑑賞も好んでいる。
絵に関しては幼少時から得意としており、今までに書き溜めた絵は本やCDのジャケットで使われている。
個展を開くこともある。
また愛猫家、愛犬家の動物愛護家ある。

語録

「私はミスタッチが多い。直そうとは思わない。批判する方が愚かしい」
「ぶっ壊れそうな鐘(ラ・カンパネッラの意)があったっていいじゃない、機械じゃないんだから」
「私の人生にとって一番大切なことは、小さな命に対する愛情や行為を最優先させること。自分より困っている誰かを助けたり、野良一匹でも救うために人は命を授かっているのよ。」
「一つ一つの音に色をつけて弾いている」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

すごいんだよねぇ~。読んだだけでも劇的で、ちょっと信じられない。

“真実は小説より奇なり!”

まさに小説よりも不思議な物語を読んでいるような気がしましたよう。

つまり、フジコ・ヘミングさんの不思議な物語を読んでデンマンさんは感動なさったのでござ~♪~すか?

いや。。。違うのですよう。

じゃあ。。。何に感動なさったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ。。。、たまたま日本帰省中に、これまた偶然にも、1999年2月11日にNHKで放映されたドキュメント番組、ETV特集『フジコ~あるピアニストの軌跡~』を再放送したのですよう。

マジで。。。?つまり、フジコ・ブームを引き起こしたその番組をデンマンさんはご覧になったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。10月28日の午前0時45分から45分間。

真夜中でござ~♪~ますか?

そうですよう。確かにフジコ・ブームを引き起こしただけあって見ごたえのある番組でしたよう。

。。。んで、そのフジコ・ブームを引き起こした番組を観たので感動したのでござ~♪~ますか?

違うのですよう。

違うのでござ~♪~ますか?。。。では。。。、では。。。、いったい何が感動的だったのでござ~♪~ますか?

フジコさんが陶酔しながら“La Campanella”を演奏した後で次のように言ったのですよう。

譜面どおりに弾かなくってもいいじゃない。

人間は機械じゃないんだから…

それが感動的だったのですか?

いや。。。違います。

じらさないでくださいましなァ。んも~♪~。。。いったい。。。いったい。。。何が感動的だったのでござ~♪~ますか?

僕はねぇ~、そのフジコさんの言葉を聴きながらオツムの中で反芻(はんすう)したのですよう。

フジコさんと同じ言葉をですか?

いや。。。同じ言葉を僕が反芻しても意味がないですよう。やっぱり、ちょっとばかり変えましたよう。

どのように。。。?

次のように。。。

自分の意思で

自分の思い通りに人生を生きてゆきたい。

人間は機械じゃないんだから…

つまり、デンマンさんご自身がそう思ったことに、ご自分で感動したのでござ~♪~ますか?

いや。。。自分で思ったことに自分で感動したってぇ。。。そんなことをここで言ったら、僕は馬鹿にされるだけですよう。。。卑弥子さんだって、半ば呆れた表情を浮かべながら僕を見ているじゃないですかア!

だからァ~。。。じれったいわあああァ、んも~♪~。。。何が感動的だったのでござ~♪~ますかア?。。。余計な事は言わなくても結構でござ~♪~ますから、細木数子のように、ズバリ!と言ってくださいましなア~!

あのねぇ~、フジコさんの人生が信じられないほど劇的であったように、小百合さんの人生も、よく見れば、かなり劇的なのですよう。

どのように。。。?

おそらく、小百合さんも僕のように言ったと思うのですよう。

どのようにでござ~♪~ますか?

私の意思で

私の思い通りに生きたいわ。

人間は機械じゃないんだから…

小百合さんも、このように思ったとデンマンさんは信じているのでござ~♪~ますか?

そうですよう。だからこそ小百合さんは次のように言うことができたのですよう。

(13年間)バーナビーで夏休みを過ごすことは

毎年私の支えの時間でした。

夫は「中性脂肪」だと言いましたが、

私にだって、やってやれない事はないはずです。

夏の期間、夫と離れて

バーナビーの“山の家”で過ごしながら、

家事をやり、子育てをして

自分にだって“女らしいことができる事”を

行動して自分で確かめたかったのです。

振り返ってみれば、僕と小百合さんが出会ったのも、この「鹿の湖(Deer Lake)」の畔(ほとり)にある“山の家”だったのですよう。つまり、小百合さんと僕の原点も、この“山の家”なのですよう。

つまり。。。、つまり、デンマンさんは回りくどいお話をされてきて、ここで『小百合物語』の原点と La Campanella を無理やり結びつけたのでござ~♪~ますわね?

うしししし。。。いけませんか?

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
長々と付き合わされて、最後がこれでござ~♪~ますわよう。んも~♪~
あなたは、感動しました?
あたくしは、なんだか白けましたわ。

とにかく、まだ他に面白いお話があると思いますわ。
あなたも、これに懲りずに、また、あさって読みに戻ってきてくださいましねぇ。
では、またぁ~。。。

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

「風が吹けば桶屋が儲かる」

あなたも聞いたことがあるでしょう?

英語では次のように言います。

After wind’s blowing,

basinsmiths get money.

あたかもバタフライ効果のように

思わぬ所に思わぬ物事の影響が出ることの例えです。

しかし現代では、その論証に用いられる例が

突飛であるために、

あり得なくはない因果関係を

無理矢理つなげて出来た

トンデモ理論を指すことが多いです。

経済学では、ある支出がさまざまプロセスを経て

何倍もの支出になる乗数効果や、

投資が投資を生む波及効果のたとえとして

持ち出される場合もあります。

この諺が初めて使われたのは

江戸時代だそうです。

浮世草子の『世間学者気質(かたぎ)』の中に

見つけることができます。

1768(明和5)年に書かれました。

ただし、「桶」のかわりに「箱」が使われています。

「風が吹けば箱屋が儲かる」と言うのが

元々の使い方でした。

でも、このような成句になったのは

19世紀になってからです。
 

ところで、卑弥子さんが面白い話をまとめました。

興味があったら読んでみてください。

■ 『あなたも笑って幸せになりませんか?』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

コメント / トラックバック1件 to “ちょっと心にしみる音楽の話”

  1. 愛のしずく « Denman Blog Says:

    […] 『ちょっと心にしみる音楽の話(2009年11月27日)』に掲載 (La Campanella) […]

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