厳しさの中の愛の絆


 
2010年8月20日 (金曜日)
 
 
厳しさの中の愛の絆
 
 

     原節子

    「東京物語」の一コマ

杉村春子 笠智衆 山村聡 大坂志郎 原節子 香川京子

大坂(志郎)の歩く演技も同じだった。小津は駄目を出し続ける。十月も半ばを過ぎていたが、大坂は全身汗みずくだった。小津のワイシャツもしぼるほどの汗にぬれている。
「ほう、脂汗かいな。じゃ、汗ふいて、もう一度」

大坂にテストのやり直しを命じておいて、小津はそっぽを向いている。このシーンに出番がある原はセットの隅に座ったままである。
「大坂、大物になったな、原節子さんを待たしてるんだものな」

小津の厭味(いやみ)は回を増すごとにひどくなった。
「原さん、余り気の毒だから麻雀の牌でも持って来させましょうか」
大坂は遂に自分の手足も思うように動かない羽目に追い込まれた。

その頃になって、やっと小津が演出家らしいことをいった。_
「大坂、ついこの間も平山家のセットで君の芝居を注意しただろう」
「はい」
「いってみろ、なんていわれた」
「僕の芝居は全部説明で、人にわからせようわからせようとする」
「その通りだよ。わからせるのは俺の仕事で君の領分じゃない」
「はい」
「ちょっと考えてみろ、君のおふくろが死んだ、友達がお母さん亡くなったそうだねという。君はなんと答える。そうなんです、おふくろが可哀相でとおいおい泣いてみせるか」
「いいえ」
「いやあ、おふくろももう年でしたからと微笑するんじゃないか」
「そうです」
「笑っちゃったら悲しみが消えるか」
「消えません」
「悲しみをこらえて笑っているから、人はぐっと来るんじゃないのか」
「…はい」
「人間ってものはな、感情をモロに出すことは滅多にないんだ。逆に感情のバランスをとろうとする。この場面だって同じことだ。頼むから科白の先読みをしないでくれ。来て座る。出そうな涙をこらえている。だから悲しみが客に伝わる。お前さんに悲しみぶら下げたチンドン屋みたいな顔で来られたんじゃ全部ぶちこわしだ。ちょっと最後の科白喋ってみろ」
「いま死なれたらかなわんわ…。さればとて墓に蒲団は着せられずや…」
「それ、涙ながらにやってみろ、追っかけて来た原さんは一体なにすりゃ良いんだ」
「…わかりました」

大坂は心身共に疲れきったように座ったままで立てなかった。カメラの脇で小津と厚田の密談が始まった。
「どうだい」
「ええ、どうやら、ウトウトと、二、三時間ってとこですね」
「行ってみるか」
「もう二、三度」
うなづいて小津は立ち上がった。
「じゃ、テスト」

大坂は力なえた体を引きずるようにセットの奥へ向かった。見送りながら小津が私にいった。
「大坂は良い役者になるよ。でも、あいつは昨夜ぐっすり寝たんだよ。夜行でも死に目に間に合わなかった、通夜も眠れなかった顔になってねえだろう」
「はあ」
「厚田家はこわいよ。睡眠時間一時間の顔になるまで撮らねえっていうんだ」
このカットでは本番前に大坂の座る畳一枚をとり替えた。大坂の汗でぐっしょりぬれて畳の色が変わってしまったのだ。しかし、大坂の顔に漂った一種のやつれは、甘えさせてもらった三男の母への思いを実に雄弁に語っていた。


58-61ページ 「絢爛たる影絵 – 小津安二郎」
著者: 高橋治 2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社講談社

『厳しさの中の名演 (2010年8月18日)』に掲載

 

小津監督は大坂志郎さんに対してずいぶん厳しいのですね。

あのねぇ、大阪さんに対して特に厳しいと言う訳ではなかったらしい。

もしかして原節子さんに対しても厳しかったのですか?

映画を作ることに関しては誰に対しても厳しい人だったようですよう。

大坂さんにしたように、原節子さんに対しても特訓したのですか?

高橋さんの本の中では次のように書いてありますよう。

小津は冗談のように言っている。
「脚本を書いているときが一番楽しい。それを配役する段になってがっかりする。現場で俳優を動かしてみてもう一度がっくりと来る」

おそらく本音だろう。
小津の脚本は発送の段階から俳優に当てはめて書かれたというが、空想の中では俳優はどんな顔も作るし、どんな動きもする。だが、生身の人間が動けば、必ずそれは破れる。はみ出す。つまり、小津の演出とは、脚本でこれまでと見きって計算したものに、俳優の演技をいかに削りとってはめこむかにかかっていた。
その上に小津独特の審美観が加わった。感情の激するままに泣くことは醜であって、歓びをかすかな微笑に表現することが床(ゆか)しさなのである。
原にとってこの抑制は地獄の責苦だったろう。しかもそれが三ヶ月続く。

「背中が泣いていない」
『秋日和(あきびより)』の撮影中、そういって小津が原をいじめぬいた話がある。勿論、小津のことだから、嗚咽(おえつ)をこらえるように背中を動かせといっているのではない。
カメラに向けたまま動かさぬ背中で泣くことを表現しろと注文したのだ。 原は無限に繰り返されるテストに耐えて小津の要求するものを出した

小津はいっている。
「原さんはいい人だね。こういう人があと四、五人いるといいのだがね」
だが、この信頼を小津が原にわからせていたとは思えない。小津にすれば、映画は監督の作るものであって、俳優の理解の上に立つ協力を期待するなどは恥ずべき所業なのだった。


73-74ページ 「絢爛たる影絵 – 小津安二郎」
著者: 高橋治 2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社講談社

嗚咽(おえつ)をこらえるように背中を動かして“泣く”のは理解できますけれど、カメラに向けたまま背中を動かさないで“泣く”ってぇ。。。いったい、どのようにするのでしょうか?

あのねぇ~、僕に尋ねても分かりませんよう。

デンマンさんは『秋日和(あきびより)』の中で原さんが背中で泣くのを観たのですか?

多分、観てないと思うのですよう。観たとしたら僕の記憶に焼きついているはずです。。。ちょうど、大坂さんが畳一枚を汗でぬらすほどの稽古を積んで演技したように。。。

原は無限に繰り返されるテストに耐えて

小津の要求するものを出した。

このように書いてありますけれど、畳を一枚濡らして取り替えるほどの苦労を原さんがしたようには見えないのですわ。。。具体的にどのような苦労をしたのですか?

本には次のように書いてありますよう。

この作品(『東京物語』」)を通じて最も強く感じたのは小津と原節子の間にくりひろげられた一種の暗闘だった。
原節子というと“大輪の花”のようなという枕詞(まくらことば)がよく使われた。だが、私の思い出す原節子は違う。背骨をはさんで二列にびっしりとトクホンが貼ってあった。背中がうつる本番前には必ず私を手招きして、念を押すように、
「高橋さん、背中、大丈夫ね」
という原節子だった。

『東京物語』は真夏の話である。原は純白のブラウス一枚で出演することが多かった。当時、衣装の下をすかして体の線を狙うような照明は使われなかった。薄物一枚でも衣服は衣服としてうつす。背中のトクホンがうつる心配は絶無といっても良かったが、そこは演技の質といい、人気の高さといい、並ぶ者のない地位にあった原の誇りが許さなかったのだろう。

 (中略)

初めての日、トクホンの白さを見た時私はわれにもなく立ち止まってしまった。原が背中ごしに振り仰いだ。
「お願い、気をつけてほしいの」
あの、全国を魅了した、音を立てて来るような笑いがその言葉に続いた。トクホンへの説明は一切なかった。だが、二列で確か八枚のトクホンは原の癒しようのない疲労の深さを如実に感じとらせた
小津の死に殉ずるかのように原はあらゆる公的な場から身を退(ひ)いてしまった。

 (中略)

あらゆる人との接触を頑(かたく)なに拒む背後になにがあるのか。それはもう探りようもないだろう。
しかし、誰にも疑いをさしはさむ余地のない事実がひとつだけある。
小津安二郎あっての原節子であり、原あっての小津だったということだ。

世に監督と俳優のコンビは少なくない。
溝口健二と山田五十鈴。同じ溝口と田中絹代。
黒澤明と三船敏郎。黒澤と志村喬。
木下恵介と高峰秀子。
小林秀樹と仲代達也。
小津自身にも、笠智衆があり杉村春子があった。
だが、二人のどちらが欠けても駄目であった例は小津と原以外にない。
意外なことだが笠の演技賞は総て他の監督との組合せで得られた。
この事実が示すように笠は小津以外との仕事でも力を発揮した。
しかし、原には小津以外にこれぞ原節子という仕事はなく、小津の戦後の傑作は悉(ことごと)く原によって作り得たものだった。
それだけの二人であれば、なにもかも呑み込み合って、僅かな水洩れもない関係が想像される
だが実情は違っていた。
信頼を持つゆえの厳しさを、小津は原に対して常に持ち続けていたように見える。


61-62ページ 「絢爛たる影絵 – 小津安二郎」
著者: 高橋治 2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社講談社

トクホンが原さんの気苦労のすべてを物語っているのですわね。

その通りですよう。 トクホンを背中に貼れば撮影の時にフィルムに映ってしまうかもしれない。それを原さんもかなり気にしていたのですよ。 女優の誇りとして、トクホンなど貼りたくなかったに違いない。それにもかかわらず、トクホンを貼らずにはいられないというところに、特訓を受けた大坂さんの汗で畳一枚を取り替えねばならなかったほどに、原さんも精神的な気苦労を感じていたのだと僕は思うのですよう。

小津の死に殉ずるかのように

原はあらゆる公的な場から

身を退(ひ)いてしまった。

ところで、小津監督の死後、原さんはどうしてあらゆる人との接触を断ってしまったのですか?

もちろん、僕に原さんの本当の理由が分かるわけがない。。。でもねぇ、僕は中国の故事を思い出すのですよう。

どのような故事ですか?

「琴の緒を断つ」という故事ですよう。断琴(だんきん)とか絶弦(ぜつげん)とも言われる故事です。

琴の緒絶ゆ(ことのおたゆ)

中国の春秋時代、琴の名人伯牙(はくが)が、友人の鍾子期(しょうしき)が死んだとき、もはや自分の琴を理解する者が居ないと言って琴の緒を絶ち、生涯琴を弾かなかったという。
「呂氏春秋」本味の故事から
親友・知己に死別するたとえ。
琴の緒を断つ。
伯牙断琴(はくがだんきん)
伯牙絶弦(はくがぜつげん)


 
上の説明を読めばレンゲさんにも分かるでしょう?

つまり、原さんにとって自分を本当に理解してくれる人は小津監督しか居ないと思いつめたのですか?

高橋さんも本の中で次のように書いていますよう。

二人のどちらが欠けても駄目であった例は

小津と原以外にない。
 
つまり、タイトルの“厳しさの中の愛の絆”というのは、原さんと小津監督が働く現場で感じ取っていた信頼に育(はぐく)まれた愛情なのですか?

そうですよう。。。僕はそのつもりでタイトルに選んだのですよう。

でも、それだけの愛の絆を感じていながら、小津監督は独身を通し、原さんとも結婚しようとはしなかったですよね?

そうです。

なぜですか?

う~~ん。。。核心にせまる質問ですねぇ。。。もちろん、僕に真相が分かるはずがないじゃありませんか。

でも、答えが見つからなかったら、デンマンさんはこの記事を書き始めなかったはずですわ。

ほおォ~。。。さすがに丸々6年の付き合いのレンゲさんですね。僕のことが良く分かるようになりましたね。うししししし。。。

そのような事はどうでも良いですから、細木数子さんのようにズバリ!とおっしゃってくださいな。

あのねぇ、長くなったのでパソコンがシャットダウンする前に、これまでの内容を一まとめにして予約投稿しますよう。続きは、また次回と言う事で、レンゲさんも楽しみにして待っててね。

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
パソコンがシャットダウンするので、デンマンさんは気が気ではないようですわ。
仕方ありませんわ。
でも、どうして新しいパソコンを買わないのかしら?

シャットダウンと再起動を繰り返している時間は、まったくの無駄だと思うのですよね。
あなただって、そう思うでしょう?!
とにかく、あなたと一緒に待つことにしましょうね。

どうか、あなたもまた明後日、読みに戻ってきてください。
では、また。。。

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『ぶんぶく茶釜(2009年11月21日)』

おほほほほ。。。。

卑弥子でござ~♪~ますわ。

“断琴の交わり”に似た故事に

“刎頚(ふんけい)の交わり”というのが

ござ~♪~ますわ。

これは、かなり血なまぐさい話なのですわ。

ええっ。。。?

どのように血なまぐさいのかってぇ。。。?

あなたは血に飢えているのですか?

ええっ。。。?

つべこべ言わずに早く話せ!

あなたは、そのように強い口調で

あたくしに強要するのでござ~♪~ますか?

分かりましたわ。

そのために、今日はここに出てきたのですから。。。

うふふふふふ。。。

あのねぇ、これは中国の戦国時代の

お話なのでござ~♪~ますわよう。

趙(ちょう)と呼ばれる国があったのですわ。

紀元前403年に誕生して、

紀元前228年に秦によって

滅ぼされてしまったのでござ~♪~ます。

このお話は滅ぶ前のお話ですわ。

藺相如(りんそうじょ)という

立派な大臣が居たのです。

でも、歴戦の名将である廉頗(れんぱ)は、

口先だけで大臣になったと言って

藺相如を批判したのです。

それ以降、藺相如は病気と言って

外にあまり出なくなりました。

ある日、藺相如が外出した際に

偶然、廉頗と出会いそうになったのです。

藺相如は別の道を取って廉頗を避けました。

その日の夜、藺相如の家臣たちが集まり、

主人の気弱な態度は目に余ると言って

辞職を申し出たのでした。

しかし、藺相如は、今、廉頗と自分が争っては

秦の思うつぼであり、国のために廉頗の行動に

目をつぶっているのだと諭(さと)したのです。

この話が広まって廉頗の耳にも入りました。

すると、廉頗は上半身裸になり、

いばらの鞭を持って、

これまでの無礼な行為の罰として

自分を鞭で叩くように、

と藺相如に申し出たのでした。

でも、藺相如はこれを許しました。

そして、廉頗に服を着させたのでござ~♪~ます。

廉頗はこれに感動し

「あなたに首を斬られても悔いはない」と言い、

藺相如も同様に「あなたに首を斬られても

悔いはありません」と言ったのです。

こうして二人は互いのために

頸(首)を刎(は)ねられても

悔いはないとする誓いを

結んだのでござ~♪~ますわ。

…んで、ここに「刎頸の友」という

言葉が生まれたのでした。

どう。。。? 面白かったア~?

ええっ? あまり面白くなかったの?

どうしてよう?

ええっ。。。?もっと面白いことを話せと

あなたは、あたくしに強要するのですかァ~?

いやなお方ぁああぁ~♪~

分かりましたわ。

どうよ、これ。。。?

この女の子、パンツに噛み付かれているのよ。

笑えるでしょう?

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この場を誤魔化そうとしちゃぁあ~♪~

絶対見てよねぇ~。 

貴方が面白い話をしてってぇ、

強要したのですからねぇ~。

見ないとダメよォ~

おほほほほ。。。。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。バーィ

コメント / トラックバック1件 to “厳しさの中の愛の絆”

  1. 星空の記憶 « Denman Blog Says:

    […] 『厳しさの中の愛の絆』より (2010年8月20日) […]

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