パール判事とゴーマン


 

2011年3月18日 (金曜日)

 

パール判事とゴーマン

 


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本書(『平和の宣言』)では、判決書では語られなかった、日本の戦争に対するパールの考えも読み取ることができる。 300年続いたイギリスによる殖民統制下のインドに生まれ育ったパールは、平和主義者でありながら日露戦争の日本の勝利に喜び、民族の誇りが目覚めたと言い、インドをはじめアジア各地の独立運動はここから始まったと言ってもいいと述べている。

 (中略)

だがその一方では、パールは絶対平和主義者であり、世界連邦を提唱し、日本の再軍備反対を唱えたことも事実である。 現在の価値観では、なぜそれが両立するのか理解できないだろう。 これには、時代の背景を考えなければならない。
大規模な戦争の後には、戦争を二度と起こさないための平和運動や平和機構の提唱が行われるのが歴史の常であり、未曾有の大惨事となった第二次世界大戦の後には、世界中で同時多発的に「世界連邦」の思想が生まれた。
これは各国間の主権と軍備を制限して、世界連邦という国際法による法治共同体の一員として秩序づけようというものである。 誤解されがちであるが、国家を解消して単一の世界国家を作ろうというものではない。

 (中略)


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パールが再来日した1952年は朝鮮戦争の真っ最中であり、第三次世界大戦、核戦争、人類滅亡という恐怖はすぐそばにある現実だと、誰もが思っていた。 パールも、核兵器の登場によって戦争も武器も無意味になってしまったと考え、核戦争への恐怖が、人類は団結しなければならないという「紐帯(ちゅうたい)」になったと期待したのだ。

パールは戦前に関しては「アジア開放の戦い」にも共感しているが、戦後に関しては一切の武力を否定している。 戦前と戦後の間に断絶があるといってもいいだろう。 それは一見矛盾しているようだが、核兵器の登場によって世界史は一変し、戦争の意味合いも全く変わってしまったと考えられていた当時としては、それなりに筋が通った思想だったのである。 さすがに人類が核の恐怖にすら慣れてしまうという事態は、パールにも想定外だったのだ。

 (中略)

「戦争のために死ぬ命なら、平和のために死ぬ覚悟を示してもらいたい。恐怖の観念を捨てよ。命を投げ出すとき、そこには恐怖はない」と言っている。「命こそすべて」の日本の反戦平和とは正反対の思想である。 これこそがガンジー主義の真髄なのだ。 ガンジー主義とは、平和のためなら恐怖心もなく自らの命を投げ出さねばならぬという、大変な危険思想なのである。 日本の平和主義者がそこまでの覚悟をした上で、日本国民にも非暴力で死ねと説得できるだろうか。

残念ながらいま見ればパールの平和主義は破綻したと言わざるを得ない。 パールがガンジー主義に基づく平和国家を貫くと信じていた当のインドでさえ、今やNPT(核拡散防止条約)体制を無視したまま、堂々の核保有大国である。


105-107ページ 『パール新論』
著者: 小林よしのり
2008年6月28日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 小学館

デンマン注:写真はデンマンが貼り付けました。
強調のための赤字もデンマンが施(ほどこ)しました。



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デンマンさん。。。オイラをお呼びですか?


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おおォ~。。。マンガ家! 首を長くして待っていたんだよォ。

今日はパール判事のことですか?

そうだよ。 オマエの『パール真論』をじっくりと読んだよ。

マジで。。。?

もちろんだよ! 最初のページから最後のページまでじっくりと読んだよ。

でも、デンマンさんがオイラの本をじっくりと読んだとは思いません。 もし、じっくりと読んだのであればデンマンさんの読解力には問題があると思うのですよ。

オマエはどうしてそのように思うの?

だってぇ、デンマンさんは次のように書いてましたよ。


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過ちはもう繰り返しません

 

広島の原爆死没者慰霊碑には、このように書かれている。 つまり、あのような悲惨な戦争は日本人として2度とやりませんという誓いの言葉だよ。

だから。。。?

だから、この言葉の裏には当然のことながら大東亜戦争を否定する気持ちが込められている。 ところが、オマエは大東亜戦争を肯定している。 そうだろう?

そうです。

なぜ、オマエは大東亜戦争を肯定するの?

デンマンさんはオイラの本をじっくりと読んだのでしょう?

そうだよ。

だったらオイラの大東亜戦争肯定論が理解できたでしょう?

もちろん理解できたよ。 だから、こうしてオマエを呼び出して批判しようとしているんじゃないか!


『漫画家の壁』より
(2011年3月10日)

大東亜戦争肯定論を理解しているのにデンマンさんはオイラを批判するのですか?

あのさァ。。。、正しく理解する事と賛成する事は全く別な事だよ!

つまり、デンマンさんはオイラの大東亜戦争肯定論を愚劣だと決め付けるのですか?

そうだよ!! オマエの知性を僕は疑うよ。 オマエが愚劣だと主張している日本の言論人・知識人よりもオマエの方が愚劣だと僕には思える。

デンマンさんはオイラの『戦争論』が65万部以上売れたのを知っているでしょう?

もちろん、知っている。

2011年までの販売部数を計算すれば100万部を突破しているはずですよ。

つまり、『戦争論』が現在までの販売部数で100万部を突破したからオマエの大東亜戦争肯定論が日本人に迎えられていると、オマエは素直に信じているの?

いけませんか? (満足そうな爆笑)


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だからオマエは愚劣だと僕は言うのだよ! 少なくともオマエの読者の一人である僕はオマエの本を数冊読んだけれど大東亜戦争肯定論を読んでオマエが見下している日本の言論人・知識人よりもオマエの方が愚か者だという事を僕はしみじみと理解できたよ。

デンマンさんはオイラがミリオンセラーを出したので、その事が気に喰わないのですか?

愚かな事を言うなよ。 あのなァ、オマエの大東亜戦争肯定論など、僕は端(はな)からおバカタレントの“たわごと”だとしか思えなかった。

それなのにデンマンさんはオイラの本をじっくりと読んだのですか?

そうだよ! なぜなら、オマエは本の中で次のように書いていた。

わしの本も読まずに

愚かな言論人知識人が

わしを批判し自らの底の浅い知識を

曝け出している。

確かにオマエの本を読まずに批判したとしたら、そういう人物は愚人だとしか言いようがないよ。 オマエの『パール真論』を読んだ時に“日本の言論人・知識人”と自他共に認めている人間が、いかに愚人かという事を僕はオマエと一緒に苦笑したものだよ! うししししし。。。

デンマンさんもオイラに同感したのですか?

うん。。。そいつらの本が1万部ぐらいしか売れないのが良く分かったよ。

だったら、オイラの本がミリオンセラーになった事はメチャすごいでしょう!

オマエはバカだねぇ~。。。百万部売れようが千万部売れようが僕はビックリしないんだよ!

なぜ。。。?

オマエの「大東亜戦争肯定論」は所詮売り上げを伸ばそうというキャッチフレーズでしかない。 「売れないでもともと、もしかすると奇抜なキャッチフレーズに飛びつく読者がいるかも。。。?」 オマエはおそらく、このように考えたのだよ! そうだろう?

デンマンさん。。。それこそ愚者のかんぐりですよ。 オイラの本を読んだのであれば、オイラがマジで大東亜戦争肯定論に全力を傾けて書いたということが理解できるはずですよ。

そうだよ! その通りだよ! オマエが大東亜戦争肯定論に全力を傾けて書いたという事が僕にも十分に理解できたよ。

それなのに「大東亜戦争肯定論」は「売り上げを伸ばすための単なるキャッチフレーズ」だと言うのですか?

あのなァ、オマエ、冷静になって考えてごらんよ! オマエの視点は日本国内を出ていない! 僕はすでに人生の半分以上を海外で暮らしてきた。 これまでにソ連、中国、アメリカ、ヨーロッパを含めて34カ国を放浪してきた。 行ってないのは南極大陸だけ。。。北極圏に近いイエローナイフにも2年近く滞在したことがある。

だから。。。?

だから、僕の視点は常に海外と言うか。。。世界にあって。。。日本はその中に含まれている一地方に過ぎない。

だから。。。?

だから、僕がオマエならば「大東亜戦争肯定論」など言い出さない。

どうして。。。?

中国の人口がどれほどか? オマエ、知ってるだろう?

13億人。

日本人は。。。?

多く見積もっても2億人どまり。

中国では反日教育が20年以上行われている事をオマエも知っているだろう?

もちろん、知ってますよう。

だったら「大東亜戦争肯定論」は“数の論理”から言えば、絶対に否定されるのだよ!

どうして。。。?

あのなァ、たとえ日本人すべてが肯定したとしても、せいぜい2億人どまり。 中国の反日教育の成果を考えれば、少なくとも10億人以上が大東亜戦争を否定している! 10億人が大東亜戦争を否定しているのに対して、肯定論はおそらく日本には1000万人も居ないだろうよ。 オマエの大東亜戦争肯定論の本が売れたと言っても、せいぜい100万部留まりだよ! 中国一国だけを取り上げても、これだけ否定論者が多い! 世界の人々に「大東亜戦争を肯定しますか?」と尋ねれば50億近い世界の市民は大東亜戦争を否定するに違いない! もし、オマエの視点がグローバル化しているならば「大東亜戦争肯定論」など端から書かないものだよ!

つまり、絶対多数でオイラの「大東亜戦争肯定論」は反対されるとデンマンさんは主張するのですか?

オマエは「大東亜戦争肯定論」を書いて本が売れればいいと思っている。 でもなァ、読者をナメるなよ!

デンマンさん。。。やっぱり、分かってしまいますか?(微笑しながら苦笑)

だから、オマエは愚か者だと言うんだよ!

でも、日本の愚かな言論人・知識人が出す本は、せいぜい1万部が売れればいいところ。。。自慢する奴でも5万部留りですよ。 ところが、オイラの『戦争論』は、これまでに百万部を突破していますからね。 自慢じゃないけれど大東亜戦争肯定論に共感する読者は多いんですよ!

オマエは、だから、浅はかだと言うんだよ! 読者をナメるなよ!

読者をナメてません!

ナメてるじゃないか! この僕も、その百万部の中の一読者なんだよ!

マジで。。。?

オマエの本を読まずに批判できるわけね~だろゥ!? だから僕もオマエの本をじっくりと読んだ。 それで僕はオマエを愚か者だと思った。 大東亜戦争肯定論など屁のツッパリにもならないと思ってるんだよ。 うへへへへ屁。。。

デンマンさん!。。。真面目にやってくださいよ! 理不尽にオイラをバカにすればマジで東京地方裁判所に「名誉毀損」でデンマンさんを訴えますよ。

オマエは東京地方裁判所が好きだねぇ~?

デンマンさんはオイラが書いた次の部分を読みましたか?

膨大な批判が出たことは出たけれど、まず言いたいのは、まともに『戦争論』を読みもせず、ただレッテル貼りしようってだけの論調が多すぎる!ってこと。
読者をナメてるんだよね。
そんな本いくら出したって、売れるはずないのに。
何冊批判本が出たって、どーしたって1万部にも達しなくて、同じ人間がどの本もどの本も買ってて、左翼が書いて左翼が読んで、内輪だけでぐるぐるぐるぐる回ってるって状態でしょ。

わしの『戦争論』では65万の人間が涙し、感動し、「目からウロコが落ちた」って、今までの戦後民主主義の感覚から雪崩(なだれ)を打つように転向している。
そんな状況すらあるんだよ。
それに対して、批判する側はわしの主張を突き崩し、状況を挽回しようと本気で思っているのかどうか、わしにはそれすらわかんないんだよね。
なにしろ向こうが新刊で出す批判本の全部の部数よりも、『戦争論』の1回の増刷の部数の方が多いくらいなんだから(笑)。

(注: 赤字はデンマンが強調)


28 – 29ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎

もちろん、この部分を読んだよ。 それがどうだと言うんだい?

65万の人間が涙し、感動し、「目からウロコが落ちた」って、言うんですよ!

だからオマエは愚か者だと僕は言うんだよ。 読者をナメるなよ! その読者の一人が僕なんだよ! 僕はオマエが愚か者だと笑って涙を流したよ(微笑)。 でもなァ、感動したわけでも、目からウロコが落ちたわけでもない。 それどころか、2011年の2月まで僕はオマエの名前も知らず、オマエの本を一冊も読んでない。 ところがバンクーバー図書館でオマエの本を読んだら呆れるほどの愚論を恥ずかしげもなく得意げに展開している。 僕は「平和が正義」だ!という格言に肩を押されて、こうして批判しているわけなんだよ。 65万人の読者の中には僕のように批判的な人間もかなり居ると思うよ。 ところで、「宮台クン」の次の「数値的分析」は興味深かった。

宮台氏の「分析」によると、『戦争論』が発行50万部なら、うち1~2割りは書店の棚にあるから実売は40万+α。
そこから神社本庁や遺族会の「組織票」を差し引き、さらに年長の世代を引くと、若者層(10代後半~20代後半)に売れたのは最大に見積もって15万部、しかも「メディア戦略の成功」で「アンチ」の読者も相当入っているから、若者世代で『戦争論』に賛同したのはたかだか8万~9万、若者2百人に1人、0.5パーセントいるかいないか、意見分布としては「統計誤差の枠内」で「絶対数が多く見えても、まったく問題ない数字であり、少しも危ない現象は生じていません」だそうです。

(注: 赤字はデンマンが強調)


323 – 324ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎

つまり「宮台クン」の分析によると大東亜戦争肯定論に賛同したのは、たかだか8万から9万。 若者200人に一人という分析結果を出している。

デンマンさんも、そのような下らない分析結果を信じるのですか?

いや。。。僕は信じているわけじゃない。 参考にしているだけ。。。でも、オマエ自身が無意識に信じているのだよ!

何を根拠に、そのような愚かな事をデンマンさんは言うのですか?

だってぇ、オマエは次のように書いていた。

『戦争論』には5000通以上の読者カードが返ってきていて、その年代別集計も公表しているし、「組織票」だの「アンチ」だのって何の根拠もなく言ってるだけじゃないか。
分析間違っているよ。もう一度幻冬舎行ってそろばん弾き直してきなさいって。

(注: 赤字はデンマンが強調)


324ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎

5000通以上だと言うことは6000通未満だよなァ!?

そうです。

…と言うことは、実際に感動して涙して、読者カードを投函した人は多くても6000人以下だと言うことだろう? その中にはムカついてオマエのことを軍国主義者!とか、国粋主義者!とか、ナチスよりひどい!とか。。。アクタレを書いたカードもあるはずだよな!?

まあ。。。ほんのわずかですが、そういうカードも確かにありましたよ。

ウソつけ! ほんのわずかじゃないだろう? オマエは次のようにも書いていたぞ!

『戦争論』では司馬氏についてはたったの一コマ、
「あの司馬遼太郎だって『日清・日露までの日本人は偉かった 立派な国だった 昭和が魔法にかかったように愚かでダメだった』
そりゃ負けたから言ってるだけだ」
と描いたのですが、「司馬史観」の信奉者からは轟々(ごうごう)たる抗議の手紙が届きました。

(注: 赤字はデンマンが強調)


359ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎

あのなァ、『戦争論』で司馬さんについてオマエが一コマ描いただけでも『司馬史観』の信奉者からは轟々たる抗議の手紙が届いたと書いてある。 つまり、オマエの本を読むと日本の言論人・知識人からの反対ばかりか、オマエの考え方に反対する者とか抗議する者が読者の中にはかなり居ることが分かる。 こう言う僕自身もオマエの愚かな考え方に批判的な読者の一人なんだよ!

でも、多くの読者はオイラの「大東亜戦争肯定論」に賛成してますよ。

それも当てにならない! 仮に5000通から6000通のカードを出した人が感動して涙を流して賛同したとしても65万の読者の何パーセント?。。。ほんの1パーセント未満なんだよ!

つまり、オイラの本の読者のほとんどが大東亜戦争肯定論に反対だとデンマンさんは思い込んでいるのですか?

そうだよ。。。しかも、オマエ自身が自分の書いた本の内容に対して懐疑的なのだよ!

まさか!

だってぇ、オマエは次のように書いていたじゃないか!

香山(リカ)氏の発言なんですけど、「心理学に少し通じたものなら、『洗脳』の基本は『現実の否定』と『単純で明快な教義の呈示』、ということを連想するかもしれない」って、『戦争論』は「洗脳の書」だということまで示唆しているのですが。

小林: そこまでの洗脳の効果が、作品、本一本にあるって認めてくれるんだったら、それはそれですごい賛美だけどね。
そんなものすごい書物を書いた人間なんか、なかなかいないでしょう。

(注: 赤字はデンマンが強調)


71ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎

それは言葉のアヤで内心ではオイラは“奇跡の書”を目指して書いていますよ!

いや。。。それはオマエの日和見主義だよ。

その根拠は。。。?

もともとオマエはギャグマンガ家なんであって、あえて大東亜戦争肯定論を仕掛けてみたに過ぎない!

だから、その根拠は。。。?

オマエは評論家の佐藤貴彦氏の次の分析を見事だと、その通りだと言っている。

ギャグ漫画の本質とは「定式化された物語を破綻させる」ことである。 例えば大人社会のタテマエが崩れてホンネがかいま見えた時、人は笑う。
優れたギャグ漫画家・小林よしのりはこういうことは得意である。

 (中略)

戦後民主主義の物語と『戦争論』の物語は両極に位置し、おのれの物語を維持するためには相手の物語を完全に粉砕するしかない。
ところがどちらも相手の物語性を叩けば叩くほど、おのれの拠(よ)って立つ物語性を妙に浮き上がらせてしまう。
そうしたジレンマが『戦争論』には最初から仕掛けられているというわけです。
宮崎哲弥氏は「これはギャグではないか」と言ったが、『戦争論』自体がギャグではなく、『戦争論』をめぐる騒ぎの全体の構造がギャグなのであり、宮崎氏はそれに気づかず、一時ギャグのストーリーの中に完全にハマっていた、そう佐藤氏は言います。

確かに、今まで見てきたとおり、『戦争論』を批判した者は、そのことによって自分がどんな物語の上に立脚しているのかを見事にさらけだしている、そんな気がします。

(注: 赤字はデンマンが強調)


394 – 395ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎

分かるだろう? たかがマンガ家が、偉そうな事を言う日本の言論人・知識人の底の浅い知性を結果として暴(あば)いて見せたギャグなんだよ! 大東亜戦争肯定論は、そのギャグを見せ付けるための仕掛けなんだよ!

でも、その事はすでに佐藤氏が言っていることですよ。 それを再度繰り返して言うためにデンマンさんはオイラを批判しているのですか?

もちろん、僕の「物語」を語るためにオマエを批判してみようと思い立ったわけだよ。

そのデンマンさんの「物語」とは。。。?

あのなァ、大東亜戦争肯定論の先に何があるのか?

何があるのですか?


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“平和は正義!”

 

これがあるのだよ! “日本の平和”ひいては“世界の平和”を建前(たてまえ)で謳(うた)いあげて日本帝国は“一億玉砕”を日本臣民の心に植えつけて大東亜戦争を戦い抜こうとした。

その通りですよ。 だからオイラは大東亜戦争を肯定したのですよ。

でも、それは間違っている!

どうして。。。?

あのなァ、僕が尊敬している世界の James Herriot さんは次のように言っている。


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“It’s not what you do,

it’s the way that you do it.”


200 page “The Real James Herriot”
by his son, Jim Wight
published in 1999
by McClelland & Stewart Inc.

つまり、何を成し遂げるかも重要なのだけれど、もっと重要なことがある。 それは、どのように成し遂げるかだ、と言うのだよ。

要するに、日本の平和、ひいては世界の平和を達成するために大東亜戦争をしたことは間違っていたとデンマンさんは主張するのですか?

そうだよ!

大東亜戦争が間違っているという根拠は。。。?

次のエピソードの中の悲惨な少女の姿を思い浮かべてみろよ!


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アメリカの空襲を受けて、東京をはじめ都市部はどこも焼け野原。
おまけに政府は戦争を続けるために国債を大量に乱発していたので、敗戦直後はものすごいインフレになった。
物価は数十倍になって、戦前に貯めていた貯金や財産は無に等しくなった。
おまけに空襲で家をなくし、人びとは食糧不足で苦しんだ。


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1945年3月の東京大空襲で

焼け野原になった江東区。

「約310万人が死んだ」とか簡単にいうけれど、一人の人間が死ぬことは、遺族や縁者に、大きな傷を残すことだった。
作家の夢野久作の長男だった杉山龍丸という人は、敗戦直後に復員事務の仕事に就いていたときのことを回想して、こう述べている。

「私達は、毎日毎日訪ねてくる留守家族の人々に、貴方の息子さんは、御主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた」。
「留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装が多かった」。
杉山はある日、小学校二年生の少女が、食糧難で病気になった祖父母の代理として、父親の消息を尋ねにきた場面に出会った経験を、こう書いている。

私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島(フィリピン)のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは—」
といいかけて、私は少女の顔を見た。 やせた、真っ黒な顔。
伸びたオカッパの下に切れの長い眼を、一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。
私は少女に答えねばならぬ。
答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです。」
といって、声がつづかなくなった。
瞬間 少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。


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…しかし、少女は、
「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。 おとうちゃまが、戦死していたら、係りのおじちゃまに、おとうちゃまが戦死したところと、戦死した、ぢょうきょう(状況)、ぢょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの。」

私はだまって、うなずいて……やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
涙一滴、落さず、一声も声をあげなかった。
肩に手をやって、何か言おうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを血が出るようにかみしめて、カッと眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、
「おひとりで、帰れるの。」と聞いた。 少女は、私の顔をみつめて、
「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。 だから、行けるね、となんども、なんども、いわれたの。」
…と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。

帰る途中で私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。 おかあさんも、しんだの。 だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。 あたしは、泣いてはいけないんだって。」
…と、小さな手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
どうなるのであろうか、私は一体なんなのか、何が出来るのか?

(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました)


84 – 88ページ 『日本という国』
著者: 小熊英二
2006年3月3日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 理論社


『漫画家と平和』に掲載
(2011年3月6日)

小学校2年生の少女をこのような悲惨な状況に追い込んだから大東亜戦争は間違いだとデンマンさんは主張するのですか?

そうだよ。

でも、それ以外に方法は無かったのですよ。

あったじゃないか! 日本は一億玉砕に向かって竹槍だけでも米軍と戦おうとした。 建前(たてまえ)では天皇と皇統を守るために一億玉砕しようとした。 しかし、昭和天皇は一億玉砕をする愚に気づいた。


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天皇陛下はどうなさっているのかという国民の声なき声がある、一億玉砕を叫び立て、本土決戦をおこなうことになり、多数の非戦闘員が殺されることになれば、陛下にたいする怨みは噴出すると、二人(高木八尺と南原繁)は言うのだ。

自分にたいする怨みの感情が国民のあいだに起きるという、初めて聞く話に、天皇は当惑し、混乱しはしたものの、理解できたにちがいない。

 (中略)

林のあいだの小道を歩きながら、天皇は南原と高木が説いたとおりだと重ねて思ったにちがいない。
戦争を早くやめなければ「皇室護持」の(元駐日大使)グルーの力は弱まり「皇室抹殺」派の力が強まる。

 (中略)

そのときから13日、昭和20年6月22日、天皇は6人の政府、統帥部の首脳に向かって、戦争終結の決意を述べた。

(注: 写真はデンマンライブラリーから貼り付けました)


149 – 150ページ
『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』
著者: 鳥居民
2005年6月7日 第1刷発行
発行所: 株式会社 草思社


『漫画家と平和』に掲載
(2011年3月6日)

でも、大東亜戦争を始めたからこそ天皇の上の英断があったのですよ。

何を愚かな事を言ってるんだよ! その英断を太平洋戦争開戦する前にすべきだったのだよ! 310万人が死んだ後で天皇は大東亜戦争、太平洋戦争の愚に気づいた。

やってみなければ分からなかったのですよ!

あのなァ、日本とアメリカの物量の違いを計算して日本がアメリカと戦争をすると負けます、と戦前の経済企画庁のような役所のお偉いさんが分析していたのだよ! でもなァ、陸軍の愚か者が日本は神の国であるから絶対に勝つといって合理的な分析結果など「屁のツッパリにもならない!」と嘲笑しただけだった! 冷静に、合理的に考える人にとって太平洋戦争は負けることが分かっていた。 負けることが分かっていた戦争をあえて断行したのは、オマエの言う「士風」のためだったのだよ!

でも、オイラはあえて言います! 日本民族にとって「士風」は大切です。

オマエが書いた次の愚論を僕もじっくりと読んだよ。


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福沢(諭吉)は『瘠我慢(やせがまん)の説』で三河武士の士風の美を讃え、幕府のために戦って死ななかった勝海舟や、一度は箱根に籠城したのに、負けた後、新政府で出世してしまった榎本武揚(たけあき)を批判しているんだ。
それは徹底的に忠君愛国の武士道の「瘠我慢」を支持しているんだからね。
冒頭、出てくる「立国は私なり、公に非ざるなり」というのは、単なる「自分のことしか考えない私を寄り集めたら国ができる」なんて話じゃないからね。
世界大で見れば、立国は徹底した自己本位の私情を貫くことに他ならない。
他国の利益を考えてやるような公共心は世界大では通用しないという、恐るべきナショナリズムのことなんだよ。
これを戦後の文学者も批評家もすべて読み誤っている。

福沢はまず一般的な人の持つ疑問を並べ立ててみせるんだよ。
人と人はなんで国境を決めて争うんだろう、君主を立てるんだろう。
こんなものはすべて、人間の私情から生じたものなのに、と。
そして現実論を言い始める。
そうは言っても、現実は開国以来、世界中を見てみれば、各種の人民相別れて一群を成し、国や政府を作って忠君愛国が最上の美徳となっている。
忠君愛国は世界大の哲学からみれば人類の私情なんだが、やはり今日までの厳しい世界事情の中では美徳であり、「立国の公道」と言わざるを得ない。
…そういうふうに話は逆転してくるんだ。
そして、ついに福沢は、こう言い始める。

「自国の衰退に際し、敵に対して固(デンマンは【個】だと思いますが…)より勝負なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽くし、いよいよ勝負の極に至りて、始めて和を講ずるか、若しくわ死を決するは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり」

これが福沢の言う「瘠我慢の説」だよ。
つまり合理主義を排している。
負ける戦争と分かってるものをするな、という司馬遼太郎や、最近の保守主義者が言ってるような生ぬるい感覚じゃないんだ。


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「士風こそを後世に伝えよ」と言っとるんだ。
まさに大東亜戦争にわしが共鳴するゆえんのところを福沢はすでに、この時点で言ってくれてるんだからね。

これこそが、わしが『戦争論』を描いたモチーフになっとる。
だから最初にわしは『戦争論』の中で、すもう大会のエピソードを描いたんだ。
負けるとわかっているのに、すもう大会に出ていって大恥をかく。
その非合理の中にしか倫理は生まれないだろうって。

あのエピソードと、大東亜戦争の重なりの意味を、誰も見抜けない。
それは戦後の文学者、批評家が福沢諭吉すら、ちゃんと読み解く能力がなかったからに他ならない。

(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました
赤字はデンマンが強調のために施しました)


369 – 370ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎


『漫画家と平和』に掲載
(2011年3月6日)

オマエは、まだ分からないの? その非合理な「士風」によって大東亜戦争そのものが日本に不幸をもたらしたのだよ! 第3次世界大戦でオマエが戦って戦死したら、オマエの子供は上の小学校2年生の女の子のような悲惨な体験をしなければならない!

でも、日本民族にとって「士風」は大切です!

 

歴史を学ばない者は

失敗を繰り返す

 

大東亜戦争を肯定するものは、明らかに歴史を学んでないと言う事なのだよ!

でも、デンマンさんは重要なことを見落としてますよ。

何だい? その重要なことってぇ。。。?

パール判事は原爆死没者慰霊碑を見て激怒したのですよ。


(hiroshi2.jpg)

この碑を読んでパール判事はどうしてムカついたの?

原爆を投下したという“過ち”を犯したのはアメリカなのに、なぜ日本人が日本人に向かって「過ちは繰り返しませぬ」と誤っているのか、と。

あのなァ~、確かに原爆を落としたのはアメリカ人だけれど、主語は「この地球に住む我々は」という意味なのだよ。

それはデンマンさんの解釈ですか?

いや。。。この碑文を書いた雑賀忠義さんの真意だよ。 ちょっと次の説明を読んでみろよ。

(碑文は)は、自身も被爆者である雑賀忠義・広島大学教授(当時)が撰文・揮毫したもの。
浜井信三・広島市長が述べた「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」に準じたものであった。

この「『過ち』は誰が犯したものであるか」については、建立以前から議論があった。1952年8月2日、広島市議会において浜井市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁している。同年8月10日の中国新聞には「碑文は原爆投下の責任を明確にしていない」「原爆を投下したのは米国であるから、過ちは繰返させませんからとすべきだ」との投書が掲載された。これにはすぐに複数の反論の投書があり、「広く人類全体の誓い」であるとの意見が寄せられた。浜井市長も「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない」と、主語は人類全体とする現在の広島市の見解に通じる主張がなされている。

インド人法学者のラダ・ビノード・パール(極東国際軍事裁判の判事)は、同年11月3日から4日間、講演のため広島を訪問した。慰霊碑を訪れる前日4日の講演(世界連邦アジア会議)でも、「広島、長崎に原爆が投ぜられたとき、どのようないいわけがされたか、何のために投ぜられなければならなかったか。」と、原爆投下と、投下を正当化する主張を強く批判していた。そして5日に慰霊碑を訪れた際、献花と黙祷の後に、通訳を介して碑文の内容を聞くと「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と、日本人が日本人に謝罪していると解釈し非難した。

これを聞いた雑賀は、同年11月10日パールに「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」との抗議文を送った。

このことをきっかけとして、主語は原爆死没者か日本人かアメリカ人もしくは世界人類か、「誰」が過ちを繰り返さないといっているのか。「繰返しませぬから」か「繰り返させませぬ」かといった碑文論争が行われた。

なお雑賀による碑文の英訳は「Let all the souls here rest in peace; For we shall not repeat the evil」で、主語は“We”(われわれは)、これは「広島市民」であると同時に「全ての人々」(世界市民である人類全体)を意味すると、雑賀が1952年11月に広島大学教養部での講義などで述べている。

1970年2月11日には、「碑文は犠牲者の霊を冒涜している」と主張する「原爆慰霊碑を正す会」(岩田幸雄会長、児玉誉士夫顧問、荒木武相談役)なる市民グループによって碑文の抹消・改正を要求する運動が盛り上がった事があった。また、この運動を軍国主義的・民族主義的主張であると反発する市民グループが対抗して「碑文を守る会」を結成し、激しい論戦が繰り広げられた。この運動に対して、時の市長山田節男は「再びヒロシマを繰返すなという悲願は人類のものである。主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」という見解を示した。この見解が出されて以降、碑文の意図するところは、「日本」「アメリカ」といった特定の国の枠を超えて、全ての人間が再び核戦争をしないことを誓うためのものである、とする解釈が公式見解となった。

また、1983年には、慰霊碑に主語としてトルーマンと記された札が貼り付けられる事件が発生、これを受けて広島市は、浜井市長の答弁を基にした説明版(日本語と英語で表記)を慰霊碑西側の池の中に設置した。説明板では「碑文はすべての人びとが、原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。」とあり、犠牲者への冥福と不戦の誓いの言葉であると解説されている。

以上の経緯を経て、「碑文の主語は人類」が公式見解となり、大きな論争は無くなったと見られたが、現在も碑文は「日本人の過ち」と解釈される、もしくは「世界市民」という思想に批判的などの理由で、広島市側の見解が受け入れられていない事例も存在している。

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

でも、やっぱりオイラは「大東亜戦争肯定論」を主張せずには居られません。

オマエは、まだその事にこだわるの?

『パール真論』を読んだのなら、デンマンさんもオイラの気持ちが分かるでしょう?


(doctor13.gif)

マスコミも学者もほとんどバカで、中島(岳志)の本を読んでもその狂いに気づかないんだ。

国語力がないから!

まあ、本の中で、小林よしのりや靖国神社が批判されていれば、大マスコミと学者どもはほとんど絶賛なんだけれどね。

ごーまんかましてよかですか?

言っておくが、わしはパールの取り合いしたり、パールを神棚に上げるために描いているのではない。

「国語力」の問題としてやっているのであり、

「権威主義」と「デマゴギー」の問題として、やっている。

そこんとこ、勘違いするなよ!


64ページ 『パール新論』
著者: 小林よしのり
2008年6月28日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 小学館

デンマン注:イラストはデンマンが貼り付けました。
強調のための赤字もデンマンが施(ほどこ)しました。

あのさァ~。。。一人でイカって熱くなっているけれど、オマエには「国語力」の問題というよりも「言葉の認識論」の問題がありそうだよ。

「言葉の認識論」の問題ってぇ何っすかァ?

「肯定」って辞書を引くと次のように出ている。

肯定

(問題となっている事柄について)その通りでまちがっていないと、認めること。

【用例】 肯定判断、肯定表現

【反対語】 否定

三省堂『新明解国語辞典』より

そのような事ぐらいデンマンさんに言われなくても分かってますよ。

だったら次の公理も理解できる?

戦争=悪

 

平和=正義

確かに日本人の多くは、そのように思っているでしょうね。

そうだろう!? オマエだってぇ、分かるだろう! それなのに「大東亜戦争肯定」と書くと、大東亜戦争はまちがっていないと、認めることになるんだよ。 良い戦争も正しい戦争もない! 戦争というものは、すべて悪いに決まっているんだよ! つまり、「戦争=悪」とは数学で言うところの公理なんだよ! だからパール判事だって上の公理を認めている平和主義者なんだよ。

でも、そんな事はパール判事は書いてませんよ!

あのなァ~、公理というのはパール判事が判決書の中にも意見書の中にも『平和の宣言』にも書く必要ないんだよ! 世界中のほとんどの人が誰に言われなくとも正しいと理解できるものが公理なんだよ。

もし、上の公理を認めない人が居たら?

そいつは、オマエのような愚か者だよ!(爆笑)

つまり、オイラが「大東亜戦争肯定」と書くのはイカン!とデンマンさんは言うのですか?

いや。。。、日本もカナダも言論の自由・表現の自由が許されているからね。 オマエが何を言っても何を書いても僕はオマエの言論の自由・表現の自由を尊重するよ。

だったら、いつまでも下らない事を書かないでくださいよ。

あのさァ~。。。オマエが、そう言うのだったらオマエこそナンセンスなことを書くなよ! だいたい、「大東亜戦争肯定」など全くのナンセンス! どのような戦争であれ、良い戦争も正しい戦争もない! 戦争はすべて悪いのだよ! だから、「大東亜戦争肯定」などという愚かな事を書けば非難や抗議がわんさと湧き上がる! オマエだってぇ、これまでに嫌と言うほどの非難や抗議を受けただろう?

でも、オイラの『戦争論』は65万部以上売れたのですよ! オイラの「大東亜戦争肯定」は日本人の読者に受けているのですよ!

あのなァ~。。。オマエは、どうしてそれ程の単細胞なの?

オイラがノー天気だとデンマンさんは信じているのですか?

もちろんだよ!

その根拠は。。。?

あのなァ~。。。最近の日本のおバカテレビ番組を見ろよ! その番組に登場するおバカタレントを見ろよ! 驚いたことに、オマエが蔑(さげす)んでいる日本の言論人とか知識人と言われている人物も、そういうおバカ番組に出てくるのだよ。 視聴率が10%としても1270万人のミーちゃんハーちゃんがテレビの前にかじりついて馬鹿笑いしているのだよ。 そういう視聴者がおバカタレントの言うことをすべて信じているとオマエは素直に思い込んでいるの?

思い込んでいません!

そうだろう? だったら、漫画家のオマエが書いたものをすべての読者が支持しているなどと、そのようなノー天気な事を言うなよ!

デンマンさんは、オイラをバカにするのですか?

いや。。。、僕は漫画家のオマエを尊敬していると何度も言ってるだろう!

でも、オイラを尊敬しているようには見えません。

それは僕の問題じゃなくて、オマエの問題だよ! 僕本人がオマエを尊敬していると言っているのに、オマエが否定しているのだよ! ついでだから大東亜戦争も否定してよねぇ。 (微笑)

デンマンさん! 冗談は止めてくださいよ! オイラは真剣にデンマンさんと語り合っているのですから。。。

だったら、読者をナメるなよ! 

ナメてません!

ナメてるじゃないか! オマエは本の中で次のように書いていた。


(uncle006.gif)

『SAPIO』連載中、

もう中島(岳志)いじめはいい、

小者は相手にするな

パールの話はあきた、

という反応が読者からあった。

論理を徹底せず、あいまいで済ます

いかにも日本人の反応だ!

そんなことだから戦後の言論空間は

サヨクのデマに支配されたままなんだ!


172ページ 『パール新論』
著者: 小林よしのり
2008年6月28日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 小学館

デンマン注:イラストはデンマンが貼り付けました。
強調のための赤字もデンマンが施(ほどこ)しました。

つまり、読者はオイラから離れているとデンマンさんは言うのですか?

いや。。。僕がそう言ってるんじゃない! オマエが自分で本の中に書いている!

でも、一人だけですよ!

いや。。。一人だけじゃない! 非難や抗議の手紙や読書カードをオマエはたくさんもらっているはずだ! オマエの本の中にそう書いてある。

どうしてオイラは誤解されるのでしょうか?

あのなァ~。。。オマエは一人で熱くなって本の中で狂って居るからだよ!

時が、熱狂と、偏見を
やわらげた暁には、
また理性が、虚偽から
その仮面を剥ぎ取った暁には、
そのときこそ、
正義の女神はその秤を
平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに、
その所を変えることを
要求するであろう

パールが「判決書」の最後に書いたこの予言が、
実現する日は来るのだろうか?


235ページ 『パール新論』
著者: 小林よしのり
2008年6月28日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 小学館

オマエ自身が熱くなって「大東亜戦争肯定」を書いている限り正義の女神は微笑まないんだよ! パール判事は「大東亜戦争肯定」など書いてない!


(godes12.jpg)

でも、「判決書」を読めば「大東亜戦争肯定」まで、あと一歩ですよ!

しかし、「判決書」をどう読んでもパール判事は戦争を肯定しているわけではない。 あくまでも平和主義を貫いている。 ところが、オマエは重箱の隅を突っつくようにして法解釈がああだこうだと、クダクダ、クダクダと飽きもせずに書いている。

いけませんか?

ダメだね。 だから、他の読者からも「もう中島(岳志)いじめはいい、小者は相手にするな パールの話はあきた」という声があがるのだよ! つまり、オマエの議論は面白くない! しかも、前向きで建設的じゃない!

どうして。。。?

あのなァ~。。。パール判事を天国から呼び戻して原爆投下を決断したトルーマン大統領や無差別東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ将軍を被告人にして“ワシントン裁判”を開廷すれば「人道に対する罪」でアメリカは有罪になる。 

その通りですよ!

でもなァ~、そんな裁判を開こうとしても、もう不可能だよ! しかも、戦後に開こうとしたって、敗戦国の日本がどんなに叫んだところで実現不可能!

 

勝てば官軍!

 

このような事は幕末・明治維新の時にも明らかだった。 日本無罪論=ナンセンス アメリカ無罪論=ナンセンス! いつまでもそのような非建設的な議論を続けるよりも、“すべての戦争は悪だ!”という公理に従って“国際連邦”を実現させるために建設的な議論や活動を起こすことこそパール判事が望んでいたことだと僕は思うね。 

戦争=悪
 
 
平和=正義

 

【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。
デンマンさんは言いたい放題のことを言ってますよね。
ところで、あなたは小林よしのりさんが書いた『戦争論』を読みましたか?
『パール真論』を読みましたか?
デンマンさんが取り上げた『「個と公」論』も読みましたか?

『戦争論』は65万部売れたのですって。。。
出版されたのは、もう10年以上も前のことですから、現在までにはもっと売れているもしれません。
かなり話題になりましたよね。

あなたは大東亜戦争を肯定しますか?
戦争が正義か?
平和が正義か?
考えてみたことがありますか?

とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。


(hand.gif)


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

わたしもデンマンさんに薦められて

『「個と公」論』を読んでみましたわ。

インタビュー形式で対談のようになっています。

マンガは全く描いてありません。

言葉を惜しみなく駆使した実験だそうです。

インタビュアーが「時浦兼」という人物なんですね。

同書の403ページに書いてあります。

でも、「時浦兼」という人物が実在したとしても

二人の会話がそのまま活字になったのではないと

わたしは思います。

2ちゃんねる流に言えば「自作自演」ですよね。

良くてインタビューに見せかけた「創作」だと思います。

『パール真論』を読んでいたら「時浦兼」という人物は“小林漫画”スタッフの一人だと書いてありましたわ。

このような事は『「個と公」論』の中で明記すべきだと思います。

そうでないと誤解を招きますよね。

デンマンさんのこれまでの記事を読めば

分かると思いますけれど、

上の記事はデンマンさんの「自作自演」です。

マンガ家の「オマエ」と「僕」はデンマンさんが

一人で二役を演じています。

つまり、「創作」です。

ただし、記事で引用した本の内容は

小林よしのりさんが書いたそのものを引用しています。

誤解がないように老婆心から申し上げました。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』


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では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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