アインシュタインの結婚観


 
2011年5月17日 (火曜日)
 
 
アインシュタインの結婚観
 
 
あなただけに…

 

性愛の野性的現実

1951(昭和26)年7月、マリアナ諸島のアナタハン島から20人の残留日本人が帰国した。 戦後6年間、日本の敗戦を信じず、島に身を潜めていたものたちである。

当初その島には、31人の男たちと一人の女がいた。 しかし、島で生活している間に、6人が殺害され2人が病死し、3人が原因不明の死を遂げた。 原因は食料ではなく、ただ一人の女とただ一丁の拳銃であった。 性欲のために女を奪い合い、独占しようとした男たちは次々に殺された。 その後、女は全員の協議で、指名された男と交互に同棲するようになった。 しかし、その間も、女は他の男と恋愛し、情を交わし続けたのである。

昭和25年4月、女は突然、姿を消した。 女がいると今後も誰かが殺される。 いっそ彼女を消してしまえ。 そんな声に恐怖した彼女はアメリカ軍に投降したのである。

デンマンさん。。。あんさんは上の物語をでっち上げはったん?

ちゃうわい。。。上の事件はマジであったのやがなァ。 ウソやと思うのやったら、「アナタハンの女王事件」で検索してみたらええやん。 これは実際にマリアナ諸島のアナタハン島で起こった事件なのやがなァ。

こないな、しょうもない事件を持ち出してきて、あんさんは何を言おうとしやはるのォ~?

女が少なくなると男ちゅうもんは女をめぐって野性的な争いを繰り広げるのや。 この点ではサルとあまり変わらへん。 しかも、一夫一婦制の人間社会も、実は建前で、野性的な生活になれば、上の事件で見るとおり女は他の男と恋愛し、情を交わし続けたのやがなァ。

それは特殊な事情があったからやないかいなァ。 上の事件は普通の人間社会で起こったものとちゃうねんでぇ~。

そやけど、人間が野生の本性をむき出しにすればサルとあまり変わりがないことを物語っておるねん。 つまり、一夫一婦制というのは、上のような事件が起こらんように人間が無理して作った制度やと、わては思うねん。

そうやろか? 無理して作ったのやろか?

あのなァ~、20世紀の大天才のアインシュタインも次のように言うてるねん。

結婚とは、ひとつの偶然から

永続的なものを作りだそうという、

成功するはずのない試みだ。

—アルバート・アインシュタイン

こないな、えげつない事をアインシュタインのおっさんがマジで言わはったん?

冗談で言ったのではないのやでぇ~。。。めっぽうマジやんか!

そやけど、なぜ、そないな事を言うたのやろか?

それわなァ~、アインシュタインの恋愛生活を覗いてみると判るねん。

アインシュタインは1897年、スイスのチューリッヒにある連邦工科大学で学んでいたとき、最初の妻になる女性と出会い、恋に落ちた。 その女性はミレーヴァ・マリッチ。

ミレーヴァ・マリッチとアインシュタイン

アインシュタインと同じ講座の学生で、生まれつき足が悪かった。 二人に共通していたのは、コーヒーとソーセージが好きということだった。 彼女と知り合ってまもないころ、アインシュタインが書いた手紙には、ミレーヴァを呼ぶ愛称がこれでもかとばかりに登場する。 僕のかわいこちゃん、僕の子猫ちゃん、僕の愛する魔女、僕の小さなすべて……そして愛の告白もあった。 1900年、アインシュタインが21歳のときの手紙にはこう書かれている。 「哀れな人間たちの群れのなかで生きてゆこうと思ったら、君のことを思わずにはいられない」

二人はともに勉強し、音楽を楽しむうちに、友達から恋人へと関係を進んだ。 同級生からミレーヴァの足のことを問われ、僕なら不具の女と結婚などできないと言われたアインシュタインは、「でも彼女はすばらしい声をしている」と答えた。 最後には二人の関係は破局を迎えるのだが、そこにいたる事情は深く複雑なものだった。 自分の心はミレーヴァのものだと言っているときから、アインシュタインはいろいろな意味で遠い存在だった。 離ればなれで暮らした時期も長く、研究のことしか頭にないアインシュタインには、子供のいる雑然とした生活は耐えがたいものだった。 結婚前に生まれた娘ルイーズは養子に出され、その後もアインシュタインとミレーヴァの間には、二人の男の子が生まれている……のちにハンス・アルバートは水力学の専門家になり、次男エドゥワルドは精神分裂病で施設に入った。 そのかたわら、アインシュタインはいとこのエルザに求愛するようになり、二人はやがて結婚する。

エルザとアインシュタイン

1913年、ミレーヴァとの離婚が成立する5年以上も前に、アインシュタインはこんな手紙をエルザに書いている。「私にとって妻は、クビにできない雇い人のようなものです。私は寝室も別にして彼女を避けています……私と、私の人生を支配できるのは自分以外の誰でもありません」

エルザは夫の研究にいっさい口出ししなかったし、知性面で夫と張りあおうという気持ちもさらさらなかった。 そんな二番目の妻に対しても、アインシュタインは同じことを繰りかえしてしまう。 夫婦の間から愛もセックスも消えうせ、アインシュタインはほかの女性に盛んに言いよりはじめる。 友人によると、その様子は「磁石が鉄粉に引きよせられるようだった」という。 またしても寝室が別になり、妻は雇い人に等しい存在になりさがった。 ただし海外旅行や映画のプレミアのときは、夫と行動をともにすることが許された。 アインシュタインはエルザに、「きみの話、私の話をするならいい。だが『私たち』のことは一切話題にしないでくれ」と申しわたしている。

年を経るにつれて、アインシュタインは女性を苦々しく思うようになった。 彼にとって、愛は偽りの概念に過ぎないし、生涯の結びつきなどという理屈はもっと始末におえないものだった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーから)


39 – 41ページ
『アインシュタインをトランクに乗せて』
著者: マイケル・パタニティ(Michael Paterniti)
訳者: 藤井留美
2002年6月20日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社ソニー・マガジンズ

つまり、あんさんもアインシュタインのように愛は偽りの概念に過ぎないし、生涯の結びつきなどという理屈はもっと始末におえないものだと考えてはるのォ~?

いや。。。わては、そのようなえげつない事を考えているわけではないねん。

マジで。。。?

あのなァ~、アインシュタインがいかに大天才であろうとも、人間は誰もが神様のように完全ではありえないのや。 その証拠が上のアインシュタインの言葉やと、わては思うてるねん。

さよか。。。? あんさんはマジでそなないに思うておるのォ?

わてがウソを言うかいな!

それが大ウソやんかァ! 誰でもウソを言うねん。

めれちゃんこそ、えげつない事を言うやんか! このような時に冗談もウソも、わてはよう言えん!

つまり、あんさんは「愛による生涯の結びつき」があると、マジで信じてはるのォ~?

もちろんやァ!

「アナタハンの女王事件」や「アインシュタインの結婚観」に毒されていない「愛による生涯の結びつき」が現実の世界にもマジであるのやろか?

あるねん。

どこに。。。?

めれちゃんは『東京物語』を観たことがあるか?

ずいぶんと古い映画よってに、まだ観たことあらへん。

その映画に出てくる原節子さんと小津安二郎監督の結びつきが、わてには「愛による生涯の結びつき」のように思えるねん。

     原節子

    「東京物語」撮影の一コマ

     笠智衆 小津安二郎・監督 原節子
   

この作品(『東京物語』」)を通じて最も強く感じたのは小津と原節子の間にくりひろげられた一種の暗闘だった。
原節子というと“大輪の花”のようなという枕詞(まくらことば)がよく使われた。だが、私の思い出す原節子は違う。 背骨をはさんで二列にびっしりとトクホンが貼ってあった。 背中がうつる本番前には必ず私を手招きして、念を押すように、
「高橋さん、背中、大丈夫ね」
という原節子だった。

『東京物語』は真夏の話である。原は純白のブラウス一枚で出演することが多かった。当時、衣装の下をすかして体の線を狙うような照明は使われなかった。薄物一枚でも衣服は衣服としてうつす。背中のトクホンがうつる心配は絶無といっても良かったが、そこは演技の質といい、人気の高さといい、並ぶ者のない地位にあった原の誇りが許さなかったのだろう。

 (中略)

初めての日、トクホンの白さを見た時私はわれにもなく立ち止まってしまった。原が背中ごしに振り仰いだ。
「お願い、気をつけてほしいの」
あの、全国を魅了した、音を立てて来るような笑いがその言葉に続いた。トクホンへの説明は一切なかった。だが、二列で確か八枚のトクホンは原の癒しようのない疲労の深さを如実に感じとらせた。
小津の死に殉ずるかのように原はあらゆる公的な場から身を退(ひ)いてしまった。

 (中略)

あらゆる人との接触を頑(かたく)なに拒む背後になにがあるのか。それはもう探りようもないだろう。
しかし、誰にも疑いをさしはさむ余地のない事実がひとつだけある。
小津安二郎あっての原節子であり、原あっての小津だったということだ。

世に監督と俳優のコンビは少なくない。
溝口健二と山田五十鈴。同じ溝口と田中絹代。
黒澤明と三船敏郎。黒澤と志村喬。
木下恵介と高峰秀子。
小林秀樹と仲代達也。
小津自身にも、笠智衆があり杉村春子があった。
だが、二人のどちらが欠けても駄目であった例は小津と原以外にない。
意外なことだが笠の演技賞は総て他の監督との組合せで得られた。
この事実が示すように笠は小津以外との仕事でも力を発揮した。
しかし、原には小津以外にこれぞ原節子という仕事はなく、小津の戦後の傑作は悉(ことごと)く原によって作り得たものだった。
それだけの二人であれば、なにもかも呑み込み合って、僅かな水洩れもない関係が想像される

(注: 赤字はデンマンが強調)


61-62ページ 「絢爛たる影絵 – 小津安二郎」
著者: 高橋治 2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社講談社

『厳しさの中の愛の絆』に掲載
(2010年8月20日)

つまり、原さんと小津監督は「愛による生涯の結びつき」を持っていたと、あんさんは思いはるん?

そうやァ。

それで、二人は結婚しやはったん?

二人とも独身を通したのやがなァ。

マジで。。。?

もちろん、わては二人に会ったこともあらへん。。。実際にどのような生活をしていたのかも、わてには分からへん。 でもなァ、二人とも生涯、結婚しなかったことは事実なのやでぇ~。。。

。。。で、小津監督の死後、原さんはどうしてあらゆる人との接触を断ってしまいはったん?

もちろん、わてに原さんの本当の理由が分かるわけがない。。。でもねぇ、わては中国の故事を思い出すのやァ。

どのような故事やのォ?

「琴の緒を断つ」という故事やがなァ。 断琴(だんきん)とか絶弦(ぜつげん)とも言われる故事やねん。

琴の緒絶ゆ(ことのおたゆ)

中国の春秋時代、琴の名人伯牙(はくが)が、友人の鍾子期(しょうしき)が死んだとき、もはや自分の琴を理解する者が居ないと言って琴の緒を絶ち、生涯琴を弾かなかったという。
「呂氏春秋」本味の故事から
親友・知己に死別するたとえ。
琴の緒を断つ。
伯牙断琴(はくがだんきん)
伯牙絶弦(はくがぜつげん)


 
めれちゃんも聞いたことがあるやろう?

ありますう。 原さんにとって自分を本当に理解してくれる人は小津監督しか居ないと思いつめはったのやろか?

そうやと、わては思うでぇ~。。。

そやけど、それほどお互いに理解してはるなら、どうして結婚しなかったのやろか? 映画界の中では女優さんと監督との結婚は、はいて捨てるほどに見られますやん。

そうやァ。。。でもなァ、わてには小津監督の死後、原さんが映画界から去ってしまった事が分かるような気がするねん。

やっぱり、「琴の緒絶ゆ」ということやのォ~?

そう言う事やなァ~。 原さんは“銀幕の愛”を大切にしたかったのやろなァ。 鶴岡淑子さんも『憂国』で三島由紀夫と共演し、三島が自決して死んでしまうと映画界から消えてしまったのやァ。

あらっ。。。そないな事がありはったん?


 
この映画は三島さんが脚本を書いて自分が主演して、しかも監督までやってのけて完成した作品なのやァ。 上のDVDには40年前に製作に当たったスタッフの人たちの座談会の模様も映像として含まれているねん。

鶴岡淑子さんは、どないな理由で映画に出演することになりはったん?

その座談会の中でプロデューサーがその辺の事情を語ってるねん。 その話によると、三島さんが演じる主人公の武山信二中尉の貞淑な新妻・麗子を演じる女優を探すのを頼まれたという。

それで、どないしやはったん?

三島さんは日本女性の美しさを強調できるような女優さんが望みだったと言うねん。 それで俳優養成所の所長にそのことを話すと新人の中から鶴岡淑子さんを選ばれたと言うことやァ。

それで。。。?

プロデューサーがホテル・ニュージャパンで初めて鶴岡淑子さんを三島さんに紹介したそうやァ。 その時に面白いエピソードがあるねん。

どないなエピソードやのォ?

『憂国』は1966(昭和41)年にたった2日間で撮影されて終わった。 当時、三島さんはノーベル賞に候補者として名前が挙(あ)がるくらいに世界的にも知られていたのやァ。 ところが鶴岡さんはマジで三島さんを知らなかったという。

それで。。。?

それで、家に帰ってから、母親に「今日、なんだかヤクザみたいな人と会ったわ。でも偉い人みたいだったわ」と言ったというのやァ。 そのことを後でプロデューサーから聞かされて三島さんは涙が出るほど笑ったそうやァ。

どうして、それほど笑いはったのやろか?

まさか自分の名前を知らない人が居るとは三島さんには考えられへんかったと思うでぇ~。。。つまり、極めて珍しい女優さんに会えたということと、自分の「うぬぼれ」と「自尊心」を突かれた気持ちがしたのやでぇ~。

それで、三島さんは鶴岡さんが気に入りはったん?

そうなのやァ。 映画界や世間の汚れに馴染んでいない純真な役者に会えて、武山信二中尉の貞淑な新妻・麗子を演じるには最適な人物と思えたようやァ。

。。。で、その事と鶴岡さんが映画界からその後消えていったことが関係あると、あんさんは見ているの?

そうやァ。 『憂国』は三島さんが遺書として作った映画なのや。 「至誠」や「葉隠(はがくれ)」の事を聞かれて、三島さんの50分にわたる英語のインタヴューの中でも「『憂国』を観てもらえば分かるはずだ」と言うてるねん。 つまり、それほどの熱意を込めて『憂国』を作ったわけや。 スタッフの人たちにも命を燃焼するほどの意気込みが感じられたそうやでぇ。

要するに1970年の自決を予告するような映画やったわけやァ。 鶴岡さんに対する三島さんの演出も、まさに主人公の武山信二中尉が貞淑な新妻・麗子に向かうような思いが込められていた。 それだけに鶴岡さんが受けた指導は、たった2日間やったけれど、ぬぐいきれない程の強烈な印象を受けたに違いない。 しかも、映画制作から4年後の1970年に三島さんはマジで『憂国』の武山信二中尉と同じように自決している。 そのニュースを聞いた時の鶴岡さんの衝撃が分かるような気がするねん。

その衝撃が原因で鶴岡さんは、その後、映画界から消え去ったと。。。?

そうやァ。。。鶴岡さんは、『憂国』の撮影2日間に三島さんの演技指導を受けながら役柄の中で“愛を燃焼させた”わけやァ。。。しかも4年後に三島さんの自決によって、それが現実になった。 これが衝撃でなくてなんであろうか!?。。。とわては、そう思うたわけやァ。

つまり、鶴岡さんは『憂国』と現実の「三島事件」の中で「愛による生涯の結びつき」を感じ取ったと。。。?

そうやァ。。。

そやけど、どうして、こないな事をわたしに話す気になりはったん?

やだなあああァ~、めれちゃん!。。。惚(とぼ)けないで欲しいねん。 めれちゃんかて「愛による生涯の結びつき」をネットの世界で、わてと感じているやろう?

まさか。。。?

あれっ。。。感じておらへんのかァ~?

感じてるわけないやん!

そやけど、めれちゃんは次のような萌え萌えの愛の短歌を詠んでいたやないかいなァ!

くちづけ
 
 

 
 
罪深き

ことと知りつつ

この夜も

きみのくちづけ

もとめて止まぬ
 
  

 
 
by めれんげ
 
2009.01.14 Wednesday 14:21


『即興の詩 冬枯れ』より

『めれんげさんと六条の御息所』に掲載
(2010年2月12日)

わたしがあんさんのことを想いながら詠んだと思いはったん?

もちろんやがなァ。。。めれちゃんと2004年からネットで育(はぐく)んできた愛を思えば、めれちゃんが「愛による生涯の結びつき」を感じても、しごく自然なことやんかァ! うししししし。。。

なにをぬかしてけつかんねん! あんさんを想って詠んだのではあらへん!

ちゃうのかァ~?

ちゃいますがなア! 誤解を生むようなことを言ったらアッカ~ン!

そやかて。。。そやかてぇ~。。。上のような熱烈な短歌をわて以外の男に向かって詠めるはずがないやろう!?

詠めますがなァ。

いったい。。。いったい誰のことを想いながら詠んだのやァ?

そないな事をここで公開できますかいなァ! いいかげんにしやへんとネットポリスを呼んできますでぇ~。。。

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
そうですよね。
デンマンさんは思い込みの激しい人なのですわ。

でも間違いなく「今一つの世界」を持っています。
その世界の中で、めれんげさんと愛し合っているのですわ。

実は、あたしにも「今一つの世界」がありますわ。
ええっ? どんな世界かってぇ。。。?

現実の世界は、なかなか思うようになりません。
あたしの「今一つの世界」は“愛とメルヘンの世界”です。

落ちこんでいる時など、その“癒しの世界”で、しばしの安らぎを得るのが、あたしのささやかな楽しみです。

ところで「今一つの世界」をどのように実現するか?
ある人にとっては空想のままでよいのかもしれません。
あたしの場合も、強(し)いて実現させようとは思いません。
でも、三島さんは「今一つの世界」を実現させようとしたのですよね。
それで、あの悲劇を生んでしまった。
あたしは、そのように感じています。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

20代の三島由紀夫の短編に『ラディゲの死』があります。

若き日の三島は、堀口大學が訳した

『ドルジェル伯の舞踏会』を読んで

感銘を受けたそうです。

『ドルジェル伯の舞踏会』は、

ラファイエット夫人が書いた

『クレーヴの奥方』を参考にして、

高度に文学的な手腕で換骨奪胎し、

別の次元の「フランス心理小説の傑作」に

ラディゲが仕立て上げました。

「夭折の天才」の名にふさわしい

文学的実力の持ち主であったことが

『ドルジェル伯の舞踏会』を読むと理解できます。

三島も、この本を読んで自己同一化する程、

多大な影響を受けました。

それで書いたのが『ラディゲの死』と言われています。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

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