日本は植民地だった?


 
2011年2月17日 (木曜日)
 
 
日本は植民地だった?
 
 
よく考えた?
 
 

私が、古代の有名人を何が何でも朝鮮半島に結びつけるのではないだろうかと、疑問をもたれる方が居ると思うので、本題に入る前に、一言二言付け加える必要があると思います。先ず、ひと言で言うならば、遠い昔、日本の原住民と考えられている、アイヌ民族でさえ、大陸から渡ってきた人たちです。その当時は、日本と大陸は陸続きでした。

それでは、なぜ、そういうことが言えるのか?それは、ある程度、というよりほぼ間違いない程度に科学的に実証されています。
もちろん、完璧ということは望めないので、今でも異を唱える学者が居ます。しかし、判断を下すのは、あなたですから、以下の説明を読んでもらえば、納得が行くと思います。

The human beings come from the same ancestor. (afroeve.gif-440x360)

上の地図で示されるように、人類が始めて現れたのは、アフリカだと考えられています。もちろん、それまでには、気の遠くなるような年月がかかって、類人猿から進化したわけです。この我われ人類の祖先が、地図で示したように、世界に広まっていったと考えられるようになりました。
それぞれの人種に分かれ始めたのは、10万年ほど前だと推定されています。

どうしてこういう結論が出たかというと、アメリカのカリフォルニア大学、バークレー校の研究者たちが遺伝子を調べることに因って解明したからなんです。

A tree of relatedness (evolute.gif--440x360)

上の表は、我われ人類の人種間において、遺伝子が一体どのように類似しているのだろうか、ということを図に示したものです。これで見ると分かるように、東アジア人とイヌイト、いわゆるエスキモー人は一緒のグループです。

次に東アジア人とよく似ているのが、いわゆるアメリカン・インディアンです。これは、外見だけを見てもよく分かるわけですが、遺伝子の配列が、よく似ているということです。この遺伝子の配列の状態を調べることによって、我われがたどってきた、枝分かれの様子が、上の図に示すように分かってきたわけです。

詳しいことは、このページ (我われ、現代人は同じ祖先から枝分かれして来た。) を見てください。

この流れは、いわば、人類史、言い換えれば人間の歴史の大動脈のようなものであって、この流れを変えるということは我われ人間の『言い伝え』、あるいは、『教え』では可能でも、『科学』に因っては不可能です。
日本でも最近、この遺伝子(特にDNA)の研究が盛んになって日本人が一体どこからやってきたのかを解明しようとしている研究者が出てきましたが、非常によいことです。
そのうち科学的にも、朝鮮半島との関連が裏付けられることと思います。

振り返って、日本史を考えるとき、たとえば、あなたが学校で日本史を教わった時のことを思い出してもらえばよいのですが、「古事記によれば。。。」、「日本書紀によれば。。。」、ということで古代史の勉強が終わってしまったと思うのです。
ところが、この古事記や日本書紀が、当時の支配者の都合のよいように書かれた『教え』であるわけです。
したがって、科学的に授業を進めてゆけば、当然、今まで述べてきたようなことを先ず始めに『教え』なければならないはずです。

ところが、そうしないばかりに、古代日本史には謎が多い。たいてい有名人を調べてゆくと、出生地だとか、いつ誕生したとか、そういうことがぼやかされている場合が実に多いわけです。すでに述べた、継体天皇などはその最たるものです。
時代が古いばっかりに、はっきりとは断定できない場合もあるでしょうが、状況から判断して、明らかに、朝鮮半島から渡ってきたと考えられるような場合にも、そうは書かない。
あくまでも、日本古来の祖先から連綿と続いているかのような書き方をしている。たとえば、これから述べる藤原氏の祖先のように、そこに作為の跡を見ることができるわけです。

何も、このことは、古代に限ったことではありません。何も日本史に限ったことでもありません。時の「支配者」というのは、しばしば作為を持って、歴史的事実を変えようとします。
最近の例を挙げれば、ケネディー大統領の暗殺がよい例です。真相を究明しようにも、この事件の重要証拠や資料が75年間封印されてしまっています。そういうわけで真相が分かるのは、現在生きている我われがほとんど死んでからのことになります。
こういうことを、民主主義の本家といわれているアメリカがやっているのですから、本当に理解に苦しみます。もっと分からないことは、アメリカ市民が、このようなことを見逃しにしているということです。
ケネディー大統領の暗殺の裏に、隠された陰謀があったのかどうか、関心のある方は、このページ (Gemstone File) を読んでください。

だいぶ前置きが長くなりました。ここでは、そういう古代日本の「支配者」の作為の痕をのぞいてみたいと思います。

Fujiwara (nakatomi) kamatari (kamatari.gif--187x187)

聖徳太子と共に、日本書紀において分からない人物は藤原鎌足(614-669)です。
藤原氏の基礎を築いた人だというにもかかわらず、この藤原鎌足、すなわち中臣鎌足という人物についてはよく分かっていません。
一体どんな素性の、どんな生まれの人であるのか、このへんのところが、ぼやかされています。もちろん、この辺りに作為の跡があると言いたいわけです。
何しろ、藤原家というのは、日本の政権に、500年以上もかかわりを持ってきました。世界に例がないほど、息の長い家系だといえます。
しかも武士が政権を取ってからも、家系が耐えることなく続き、昭和になって、近衛文麿という首相を出しているほどです。

Konoe Fumimaro 1891-1945 (konoe01.gif--217x269)

これほどの類まれな家系の基礎を築いた人だというのに、藤原鎌足の生まれはよく分かっていない。
もちろん、いろいろな説がありますが、これといって、決定的なものがないというのが実情のようです。

まず、神話において、藤原氏の先祖と言われているアメノコヤネノミコトは天孫ニニギノミコトの側近第一号であり、藤原氏が祭るタケミカズチ,フツヌシの神は国土平定の大功績をたてたことになっています。
とすれば、当然そういう大功績があった神の子孫が神武帝以後の実際の歴史で活躍するのではないかと、おそらく誰もが期待を持つはずです。
しかし、中臣氏は古事記には全く姿を現さない。

要するに、ここに作為の跡が見えるわけです。もし、本当に、藤原氏が、天皇家と同じぐらい古い家系であったならば、古事記にも登場して、もっと、もっと活躍するはずです。しかし、あまり根も葉もないことを書くと、嘘がすぐにばれてしまう。
それでは、元も子もないわけで、そのぐらいの見識はあったと思われます。書きたくとも書けないという、ジレンマがあったことでしょう。

しかし、日本書紀には、中臣氏は、神話時代を除き、鎌足の父とされる御食子(みけこ)以前に、4度登場します。
その第一番目に、中臣氏の人間の時代における最初の子孫、中臣連大鹿嶋(むらじ・おおかしま)という形で登場します。
『大鏡』には、中臣鎌足は鹿島の生まれであると書かれています。
しかし、これは、中臣連大鹿嶋の鹿嶋と地名の鹿島の音が似ていることから、後になって考え出されたものだと私は思うのです。その理由は、この後述べるように、鹿島ではないという、もっと強力な資料があるからです。

2番目に中臣氏が登場するのは、仲哀紀から神功紀にかけてです。ここで中臣烏賊津連(なかとみのいかつのむらじ)という男が登場します。仲哀9年、突然に仲哀帝が亡くなります。
その時神功皇后は大臣武内宿禰と相談して、この天皇の死を内緒にして天皇を葬ります。この宮が豊浦宮です。今でもこの宮は、一週間の間、忌祭をします。
それは火をたかず、物音を立てず、つまり内緒で行う葬式です。ここで中臣烏賊津連は、この内緒の葬式の命令を承るものとして登場するのです。

この中臣烏賊津連は次の神功皇后紀では、以下に示すように重要な役割を担当します。

「皇后、吉日を選びて、斎宮(いはひのみや)にはいりて、親(みづか)ら神主(かむぬし)と為(な)りたまふ。則ち武内宿禰に命(みことのり)して琴撫(みことひ)かしむ。中臣烏賊津使主(おみ)を喚(め)して、審神者(さには)にす」

つまり中臣烏賊津連は審神者となり、神の託宣の真意を知る役をするというわけです。中臣というのは神と人との間に立って、神の言葉を人に伝え、人の言葉を神に伝える役目です。もちろん、ここで神と言うのは天皇のことです。それゆえ中臣の役割は、天皇の言葉を臣下に伝え、臣下の言葉を天皇に伝える役目をするということです。

ここで神功皇后は新しい神、住吉の神の教えによって新羅征伐を決意します。その意味で、この託宣は、古代日本の運命を決めることになり、この託宣の審神者となった中臣烏賊津連は、実に大切な役割を果たしたはずです。
しかし、不思議なことに、その後の神功皇后紀には、彼の名前は出てこないのです。

先ほど、中臣鎌足の鹿島出身説に触れましたが、それに関連して、ここで『続日本紀』の光仁天皇の天応元年(781)7月の項の次の記事について考えてみたいと思います。

「右京の人正六位上栗原勝子公言す。子等が先祖伊賀都臣(いかつのおみ)は、是中臣の遠祖、天御中主命20世の孫,意美佐夜麻(おみさやま)の子なり。
伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、彼の土の女を娶りて,二男を生み、名づけて本大臣、小大臣といふ。
はるかに本系を尋ねて聖朝に帰す。
時に美濃国不破郡栗原の地を賜ひて以て居らしむ。その後、居に因って、氏を命じて、遂に栗原勝の姓を負へり。
伏して乞らくは、中臣栗原連を蒙り賜はむと。是に於いて子公等男女十八人請に依って、改めて之を賜ふ」

ここに中臣栗原連の先祖として中臣伊賀都臣が顔を出します。そして、その人を説明して言います。
この伊賀都臣(いかつのおみ)は、中臣の遠祖にあたる天御中主命20世の孫,意美佐夜麻(おみさやま)の子であると。
要するに、神代の天御中主命を持ち出してきて、ここに、中臣氏が、古来から、日本に土着した氏族であることを印象付けています。

しかし、すでに述べたように、古事記において、中臣氏が、いかに古い氏族であるか、しかも天皇家と並ぶほど古い家系であるか、ということを、それとなく述べています。
しかし、具体的にどのようなことをしたかと言うことは、書きたくても書けなかったと言うのが真相でしょう。
変なことを書くと嘘がばれますから。
それでも、そこ、ここで、それとなく、小出しに、日本古来の氏族であることを述べています。
ほとんど、くどいくらいに繰り返されています。20世と言うと、一世代が20年とすると400年、30年とすれば、600年です。
仮に私が、「400年前の私の祖先は加藤清正です」と言ったら、あなたは信じますか?私の知る限りでは、それは事実ではないようです。
わたしの家には、家系図は伝わっていませんから。しかし、誰が一体、確信を持って、私が、加藤清正の子孫ではないと言いきることができるでしょうか?
私の体の中には、400年という年月の間に加藤清正の子孫の血が、一滴か二滴ぐらいは混じっているかもしれません。

上の記述で延べていることは、言ってみれば、そのような程度のことです。
それを、すでに見てきたように、くどくどと言っているわけです。
もちろん、それが、『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』の編集に携わってきた藤原氏の狙いです。

「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。
我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。
そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、もう誰も思うまい」

そういう作為が感じ取れます。

伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。
その子供たちがやがて成長して、日本にやってきた。その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと、さらりと述べています。
注意して読まないと、読み飛ばしてしまいそうな箇所です。
しかし、この意味は非常に重要だと私は思います。

藤原氏が政治の舞台に踊り出てきたのは、なんと言っても、大化の改新からです。
これが、古代における、一大イベントだということは、おそらく誰もが認めることでしょう。
しかも、このとき以降、藤原氏は、実権を握ってゆくことになります。教科書では、なぜこのイベントが重要かというと、氏族制から、先進国中国で行われている律令制に移行したからだ、という事になっています。
確かに、それは重要だったかもしれません。
しかし藤原氏の、本当の狙いは、このことよりも、その後に行われる新羅征伐にあったと私は信じています。
つまり“祖国”を救うことです。

すでに述べたように、中臣氏というのは、天皇と、臣下の間に立って命令を伝達したり、臣下からの言葉を取り次いだりする立場にありました。
つまり、天皇の側近であり、したがって、天皇に対して、強い影響力を持つことができます。

事実、神功皇后が、住吉の神の教えによって新羅征伐を決意した時の、取り次ぎ役が中臣烏賊津連です。
しかも、実際に、百済へ援助の手を差し伸べ、日本軍が、新羅と唐の連合軍と戦うために、指揮を執ったのは、天智天皇でした。
この天智天皇の知恵袋が、大化の改新を一緒にやった中臣鎌足、後の藤原鎌足です。
おそらく、この時、鎌足の強い説得力がなかったなら、天智天皇は、新羅征伐をやらなかったかもしれません。
なぜなら、あまりにもリスクが多きかったからです。
実際、この時の、白村江の敗戦に因って、天智天皇への批判は強まります。
しかも、初めから、新羅派であった天武天皇へ周囲の者がなびいてゆきました。

そして後で見るように、壬申の乱に因って、この天武天皇が政権を取ることになります。
しかも、これだけの対立があったにもかかわらず、藤原氏は、決して失脚しませんでした。
それはどうしてか?
大雑把に言って2つの理由があったでしょう。
ひとつは、藤原氏の力なくしては、天武天皇には政権が維持できなかった。
そしてもうひとつは、藤原氏には、しぶとく生き残ってゆくための、いわばバイブルが、代々受け継がれていたということです。
それをバイブルと呼んだら、バイブルの方が、きっと迷惑するぐらいに、すさまじい処世術書です。

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


コメント
 
 

投稿日時:Sep 14 2009 / 17:22:23
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:9月15日 火曜日 午前9時22分)

お名前: はぁ?
Emailアドレス: 空白
御評価: 最低

御感想:

韓子(現地女性に産ませた子)がルーツであるとして
「半島から来た」にはならないぜよ。
結局、半島系であるという根拠を何も示してない。

 

投稿日時:Sep 15 2009 / 15:12:10
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:9月16日 水曜日 午前7時12分)

お名前: Akira Kato (a.k.a. デンマン)
Emailアドレス: barclay1720@aol.com
御評価: 空白

御感想:

まずは、コメント書いてくれてありがとう。
このサイトではコメントを書いてくれる人が極めて稀なのだよう。

実は、オマエのことを僕は、てっきり“成りすまし馬鹿”だと思ってしまった。もし、成りすまし馬鹿のことが分からなかったらGOOGLEで検索してみてね。
僕が書いた記事がたくさん表示されます。

ところで、どうしてオマエの事を“成りすまし馬鹿”だと思ってしまったのか?
理由は簡単な事なんだよう。
このサイトで、つい最近、成りすまし馬鹿が2度ほどコメントを書いてくれた。だから、オマエの短いコメントを見て、また成りすまし馬鹿が書いたのだと思ってしまった。(微笑)

でも、大きな違いにすぐに気づいた。
成りすまし馬鹿は、これまでに記事の内容について批判めいた事を書いた事が無い。
たいてい根拠の無い誹謗中傷か、非難めいた事を書くだけだったのだよう。

ところが、オマエのコメントは記事の内容についてコメントしている。
念のために、オマエのIPアドレスを調べたら、次のような事が分かった。

219.106.61.132
nt11-ppp2418.osaka.sannet.ne.jp

ネットワーク名: SANNET

プロバイダー:
SANNETインターネットサービス

組織名:
SANNET INTERNET SERVICES

上位情報:
株式会社エヌ・ティ・ティ・データ三洋システム
(NTT DATA SANYO SYSTEM CORPORATION)

成りすまし馬鹿の IPアドレスは次の通り。

成りすまし馬鹿の IPアドレス:

122.131.139.184

FL1-122-131-139-184.osk.mesh.ad.jp

プロバイダー: BIGLOBE


『成りすまし馬鹿のふるさと』より
(2009年8月6日)

見てすぐに分かるようにオマエの IPアドレスとは全く違う。もちろん、プロバイダーも違う。ところが偶然にも アクセスポイントが大阪。
オマエも、おそらく大阪市内に住んでいるのだと思う。

どうして、オマエの書いたコメントに対して、このように IPアドレスまで晒して返信を書いているのか?
オマエに分かるか?
オマエはコメントを真面目に書いてないのだよう!

理由は2つ。
まず第一に、僕はかなり真面目に記事を書いている。
その記事に対してオマエは、名前の欄にハンドル名を書かずに、おどけて“はぁ?”と書いている。
愚かなオマエが2ちゃんねるでネットを覚えたと言う事を自分で晒しているようなものだよう!(爆笑)

“文は人なり!”

オマエも聞いた事があるだろう?!
オマエの書き方から、オマエが真摯な態度でコメントを書いているようには全く見えない。
それで、僕は、オマエを“成りすまし馬鹿”のような立派な反面教師にしようと思ってこうして返信を書いているわけ。うししししし。。。
つまり、オマエのふざけたコメントの書き方が、僕にこのような書き方を誘発したわけ。

第2の理由は、オマエは、自分では歴史についてかなり分かっているつもりになっているけれど、文章の読み方も満足に理解していない。
オマエは、愚かにも次のように書いた。

「結局、半島系であるという根拠を何も示してない」

僕はちゃんと根拠を書いている。
ところが、オマエには文章の読解力が無いために、その根拠を見逃してしまった。
そして、愚かにも上のような理解力の無さを自分で曝(さら)け出すようなコメントを書いてしまった。
オマエのコメントは、オマエの愚かさをはっきりと示している。

オマエは自分の書いたコメントに対して自信が持てないから、無意識のうちにオマエはハンドル名を書かずに“はぁ?”なんて、とぼけた事を書いている!
馬鹿丸出しになっているのだよう!(爆笑)
ここは2ちゃんねるではないのだよう!
2ちゃんねるで遊んでいるつもりになって、コメントを書いちゃダメだよう!

分かるよな?
オマエが僕の記事にコメントを書くのは、まだ10年早い!
歴史を勉強する前に、オマエは、まず人生勉強をする必要があるぜよう!きゃはははは。。。

でも、僕もふざけてばかりいては、この記事をここまで読んできた人に対して失礼だから、一応、根拠を示します。
その根拠とは次の箇所です。

「右京の人正六位上栗原勝子公言す。子等が先祖伊賀都臣(いかつのおみ)は、是中臣の遠祖、
天御中主命20世の孫,意美佐夜麻(おみさやま)の子なり。伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、
彼の土の女を娶りて,二男を生み、名づけて本大臣、小大臣といふ。はるかに本系を尋ねて聖朝に帰す。
時に美濃国不破郡栗原の地を賜ひて以て居らしむ。その後、居に因って、氏を命じて、遂に栗原勝の姓を負へり。
伏して乞らくは、中臣栗原連を蒙り賜はむと。
是に於いて子公等男女十八人請に依って、改めて之を賜ふ」

 

伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。その子供たちがやがて成長して、
日本にやってきた。その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと。
さらりと述べています。注意して読まないと、読み飛ばして
しまいそうな箇所です。

 

しかし、すでに述べたように、古事記において、中臣氏が、いかに古い氏族であるか、しかも天皇家と並ぶほど古い
家系であるか、ということを、それとなく述べています。しかし、具体的にどのようなことをしたかと言うことは、書きたくても書けなかったと言うのが
真相でしょう。変なことを書くと嘘がばれますから。それでも、そこ、ここで、それとなく、小出しに、日本古来の氏族であることを
述べています。ほとんど、くどいくらいに繰り返されています。20世と言うと、一世代が20年とすると400年、30年とすれば、600年です。
仮に私が、「400年前の私の祖先は加藤清正です」と言ったら、あなたは信じますか?私の知る限りでは、それは事実ではないようです。
わたしの家には、家系図は伝わっていませんから。しかし、誰が一体、確信を持って、私が、加藤清正の子孫ではないと言いきることができるでしょうか?
私の体の中には、400年という年月の間に加藤清正の子孫の血が、一滴か二滴ぐらいは混じっているかもしれません。

上の記述で延べていることは、言ってみれば、そのような程度のことです。それを、すでに見てきたように、くどくどと言っているわけです。
もちろん、それが、『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』の編集に携わってきた藤原氏の狙いです。「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。
我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、
もう誰も思うまい」 そういう作為が感じ取れます。

大阪の歴史馬鹿のはぁ~ちゃん!
オマエは一体どこに目をつけているのだよう?
僕は上に示した通り、根拠を示している!
藤原氏は次のように後世の我われに語りかけたかったのだよう!
つまり。。。

藤原氏の祖先は、伊賀都臣の時代の500年前に生存していたと思われる天御中主命の血を引き継いでいます。
(建前で、このように藤原氏が日本古来の氏族と結びついているように書いている。でも、言っているだけで、根拠を示してない。)

伊賀都臣と呼ばれた我われ藤原氏の祖先が、神功皇后の時代に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。その子供たちがやがて成長して、
日本にやってきた。この者たちが我われ藤原氏の直接の祖先です。
(本音で、このように藤原氏の直接の祖先が百済から来ていることを書いている。)

では、藤原氏は百済人を祖先に持つの?
このように尋ねられた時の用意に、
「いえ、違いますよう。藤原氏は、伊賀都臣の時代の約500年前に生存していたと思われる日本人の天御中主命の血を引き継いでいます」と書いた。

つまり、日本人の血など全く持っていなかったために、このようにクドクドと20世前の天御中主命を持ち出してきたのですよう。

大阪の歴史馬鹿のはぁ~ちゃん!
オマエは、僕に根拠を示せという前に、『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』の編集に携わってきた藤原氏に向かって

伊賀都臣(いかつのおみ)が20世前(約500年前)の天御中主命の血を引き継いでいる根拠を示せ!

そう尋ねるべきだったのだよう!
 

 
『藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた』より
(2003年7月14日)

【草加の歴史馬鹿】
(IPアドレス: 114.146.240.83)

デンマンさん。。。オイラをお呼びですか?

そうだよ。 首を長くして待っていたんだよ。

でも、どうしてオイラのことが判ったのですか?

何を寝ぼけた事を言ってるんだよ!。。オマエは、下らないコメントを書いたじゃないか!

あれっ。。。よく判りましたね。 でも、オイラは上のコメントの中に出てくる「成りすまし馬鹿」でも「大阪の歴史馬鹿」でもないですよ。

分かっているよ。 オマエのことは調べが済んでいるんだよ。

マジで。。。? オイラがどこに住んでいるのか分かりましたか?

分かったよ。 オマエは埼玉県の草加市に住んでいるんだな。。。僕と同郷なんだよ。

あれっ。。。デンマンさんも草加市の出身ですか?

違うよ。。。オマエは埼玉県に住んでいる。 僕もかつて埼玉県で生まれて高校まで埼玉県で過ごしたのだよ。 そう言う訳で、僕とオマエは同郷だと言った訳なんだよ。

でも、どうしてオイラが草加市に住んでいると分かったのですか?

オマエのIPアドレスを調べたのだよ。

IPアドレス: 114.146.240.83
ホスト名:
p1083-ipbf2303souka.saitama.ocn.ne.jp

接続回線: 光
都道府県: 埼玉県
コンタクトポイント: 草加市
ネットワーク名: OCN
組織名: オープンコンピュータネットワーク

上位情報:
エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社
(NTT COMMUNICATIONS CORPORATION)

あれっ。。。よく調べましたね? でも、個人情報を公開するのは良くないと思いますよ。

あのなァ~、ここはオマエが好んで遊んでいる2ちゃんねるではないんだよ。 オマエは2ちゃんねるがインターネットだと思っているようだけれど、2ちゃんねるで書くような落書きは世界のネットでは通用しないんだよう。

つまり、オイラのコメントは落書きだとデンマンさんはおっしゃるのですか?

その通りだよう。 とやかく言うよりもオマエが書いたコメントをここに書き出すよう。 これが何よりの幼稚な落書きの証拠だよ。

Beaverland Net Form Processor

From: servicemail
servicemail@bravenet.com

To: barclay1720
barclay1720@aol.com

Date:Wed, Feb 9, 2011 3:01 pm.

MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

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Feb 09 2011 / 15:01:39

userid = barclay1720
FreeCity = oldhist-nakatomi-worst
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Comments:

永遠にノーベル賞に無縁な理由がわかりますわ

2月9日の午後3時1分にオマエは上のようなコメントを書いた。

これがオイラの落書きだとデンマンさんは言うのですか?

人を馬鹿にしたような落書きだろう!? ハンドル名も書いてなければ、オマエのブログやホームページのURLも書いてない。 もちろん、メールアドレスも書いてない。 つまり、名無しのゴンベイが2ちゃんねるで書くような人を馬鹿にした落書きを書いているということじゃないか!

要するにハンドル名とオイラのブログのURLを書かなかったことがデンマンさんには気に喰わないのですか?

いや、それだけじゃない! オマエは、じっくりと僕の記事を読まなかったばかりか、よ~く考えた後でコメントを書いてもいない!

どうして、そんな事までが判るのですか?

オマエは、愚かにも上のコメントを書いてから、書かなくてもよい事を馬鹿丸出しで5分後に、また次のような事を書いた。

Beaverland Net Form Processor

From: servicemail
servicemail@bravenet.com

To: barclay1720
barclay1720@aol.com

Date:Wed, Feb 9, 2011 3:06 pm.

MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted:
Feb 09 2011 / 15:06:40

userid = barclay1720
FreeCity = oldhist-nakatomi-worst
Your_Name = あ
Your_Email_Address =

Comments:

何か倭国が百済の植民地だったから白村江の戦いで援助したとか言ってたけど・・・
近い年代の中国の歴史書隋書倭国伝には
新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。
って書いてんだよね。
植民地である倭国を百済も新羅も大国と見なして尊敬していたっての?
ノーベル賞が取れる日も近いね。

5分後に、オイラがまた書いたからデンマンさんはオイラの事を愚か者と呼ぶのですか?

いや、5分後に書いたからオマエが愚か者だと言ってるんじゃないんだよ。 この書き方を見ても、オマエが十分に考えた末に書いたコメントじゃないことが実によく分かる。 つまり、僕の記事もじっくりと読んでいないと言う事も、オマエの愚かな書き方によって十分に類推することができるのだよ。

5分後に書いたことがそれほど愚かなことですか?

あのなァ~。。。そればかりじゃないんだよ。。。2度目のコメントにはオマエの名前として“あ”と書いてある。 オマエ、草加せんべいを食べ過ぎて頭がおかしくなってしまったのか!?

草加せんべいを食べ過ぎると頭がおかしくなるのですか?

やだなあああァ~。。。だから、僕がオマエに聞いているんだよ! オマエ、1度目のコメントを書いた後で草加せんべいを口の中に5枚ぐらいぶち込んだのではないのかァ? うへへへへへ。。。

デンマンさん!。。。馬鹿にしないでくださいよ。 オイラは、そのような行儀の悪いことをしませんよう!

行儀の悪い事をしているじゃないか! つまり、ネチケットをわきまえずに2ちゃんねるで書くような愚かな落書きを書いている! 名前に“あ”と書くようなところが、まさに2ちゃんねる出身であることが実によく判る。 しかも、オマエは十分に調べずに資料を持ち出してきている。

どこか間違っていますか?

「隋書倭国伝」じゃなくて「隋書東夷伝 第81巻列伝46」だろう!?

「倭国伝」も「東夷伝」も同じようなものですよ。

同じじゃないよ! 資料を持ち出すときには、その出所は間違わずに書くべきだよ。

でも、やっぱり、個人情報を公開するのはまずいと思いますよ。

あのなァ~。。。それならどうして下らないコメントを書いたの? コメントと言うよりも落書きなんだよ! 落書きをもらっても誰も喜ばないんだよ。

言論の自由があるから書きたいことを書いたまでですよ。

確かに言論の自由・表現の自由がある。 だから、オマエが落書きを書いても自由だよ。 だけどなァ~。。。自由、自由、と言ってもコインに裏表があるように、自由の裏には責任・義務(ネチケット)がある。 オマエは書きたいことだけを書いて大切なネチケットを忘れているんだよ。 ハンドル名も、まともに書いてないじゃないか!

“あ”と書きました。

だからオマエは愚か者だと言うんだよ! オマエは、町できれいな可愛い子から「お名前を教えてください」と言われたら、“あ”と言うのか?

相手がきれいでかわゆい女の子だったら本名と、住所と電話番号を全部教えてしまいますよ。 うへへへへへ。。。

そうだろう! それなのに僕の記事には、どうして“あ”だけしか書かないの?

書きたくなかったからです。

だから、オマエはネチケットも守れない利己主義者なんだよ! “あ”という名前で落書きがしたいのならば、2ちゃんねるでやれよ! 僕の記事は2ちゃんねるではない。

だから、オイラの個人情報を晒すのですか?

あのなァ~。。。オマエの人格的な欠陥は、まず、文章を読む時にじっくり読まない。 また、書く時に充分に考えた後で書かない。 何事においても衝動的に行動するような傾向にある。 そう言う事がオマエの書いた落書きを見ると実に良く判る。 じっくりと考えて書くような性格ならば、1行の落書きを書いてから、また5分後に下らないコメントを書くような愚かな事はしないものだよ。

でも、やっぱり個人情報をバラすのは悪い事だと思います。
 
 
自業自得(じごうじとく)
 
 
オマエ、上のような格言があるのを知っているだろう?

もちろん、聞いたことがありますよ。

それにも拘(かかわ)らずオマエはIPアドレスを公開された事をぼやくの?

だってぇ、オイラのIPアドレスを公開されることはブラックリストに載るようなものですよう。 これからネットをやるのに、メチャやりにくくなりますよ。

あのなァ~、それがオマエの2番目の人格的な欠陥なんだよ。

どういうことっすかァ?

敵を知り己を知れば百戦危うからず

オマエは『孫子の兵法』の中の上の言葉を聞いたことがあるだろう?

何度か耳にしたことがありますよ。

だったら、上の兵法の常道を実践すればいいじゃないか!?

IPアドレスと「敵を知り己を知れば百戦危うからず」が、どういう関係にあるのですか?

あのなァ~。。。オマエは僕の記事を読んだのだろう?

もちろんですよう!

だったら、分かっただろうに!? 「成りすまし馬鹿」も「大阪の歴史馬鹿」も僕の記事の中でIPアドレスを晒されている。 僕の記事をじっくりと読めば「いい加減なコメントを書くと晒される」ということが分かるはずなんだよ。 つまり、「敵を知る」ということは、そう言う事だよ。 だから、下らない落書きを書くと晒されるのが分かっているから、常識的な人は、僕の記事に、めったに下らないコメントを書かない。

でも、まさか、オイラのIPアドレスが晒されるとは思いませんでしたよ!

僕の記事をじっくりと読まずに衝動的に感情的に落書きを書いたからだよ! つまり、身から出たサビだよ! 自業自得と言うことだよ! IPアドレスが公開された理由が分かっただろう?

つまり、デンマンさんの記事をじっくりと読まなかったオイラの落ち度だとおっしゃるのですか?

そうだよ! オマエも、けっこう理解力があるじゃないか!

妙な所でおだてないでくださいよ。 オイラは落書きをしたのではなく、まともな批判をしたつもりでいるのですよ。 それを落書きと言われるのは心外ですね。

あのなァ~。。。、オマエが独断と偏見で、そう思い込んでいても、オマエの愚かな文章を読むと、とても真面目な批判とは思えない。 衝動的に、感情的に書いた落書きとしか見えない!

どうしてっすかァ?

まず、“あ”というような人を小馬鹿にするような名前を書いている。 更に、ノーベル賞などを持ち出してきて人をおちょくっている! まだある! オマエが引用した資料の出所は「東夷伝」ではなく「倭国伝」と間違えて書いている。 資料の出所は俗説に従うのではなく正確に書くべきだよ! 日本史を理解しているつもりになっているオマエは、実は「歴史とは何か?」について全く理解していない!

それこそデンマンさんの独断と偏見っすよゥ! 人間は不完全だから間違いをすることは誰にでもあります。 「倭国伝」と俗説に従って書いたぐらいでオイラの人格を攻撃することは愚劣で軽率な事ですよ。

オマエも、けっこう、減らず口をたたくんだね。

とにかく、“あ”だとか「倭国伝」がどうのこうのと。。。そんな事は枝葉末節な事ですよ。 デンマンさんが「日本は植民地だった」と書いたことこそ独断と偏見に凝り固まった大きな間違いですよ。 そのような重大な間違いを脇においてオイラの人格攻撃をするのは卑劣なやり方です!

分かった。 オマエがそれ程までに「植民地」に拘(こだわ)るのならばオマエにも良く分かるように説明するよ。 まずなァ~、随書に書かれている当時の日本が独立国だったのか?

随書の中の「倭国」は独立国に決まっているでしょう!

オマエはアインシュタインの次の言葉を聞いたことがあるの?

おほほほほ。。。

卑弥子でござ~♪~ますわよ。

くどいようですけれど、また現れましたわ。

やっぱり、ジューンさんぱっかりに任せていると

退屈するのよねぇ~。

それで。。。つい、つい、出て来てしまうので

ござ~♪~ますわよ。

ええっ。。。?余計な事は

言わなくてもいいから、

さっさと言いたいことを言って消えろ!

あららあああぁ~

あなたはそのような厳しいことをあたくしに

言うのでござ~♪~ますか?

いけすかないことォ~♪~

分かりましたわ。

では、今日の一言を。。。

うふふふふ。。。

The most important thing is

not to stop questioning.

— Albert Einstein

最も重要な事は質問する事を

止めないことです。

分かるわよねぇ~。

アインシュタインが言うから、意味があるのよねぇ~。

凡人が言うと、キザに聞こえるのでござ~♪~ますわよ。

それに、質問しにくい事もあるのよねぇ~。

でも、いい言葉でしょう?

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね、バ~♪~イ。


『Down And Dirty (2010年5月7日)』より

アインシュタインの言葉など持ち出してきて欲しくないですよ! 全く関係ないじゃないですか!

オマエだってぇ、全く関係ないノーベル賞を持ち出してきたじゃないか! だから、僕はノーベル賞でインスピレーションが湧いてアインシュタインの上の言葉が思い浮かんできたのだよ。 ちゃんと関係しているんだよ。

つまり、オイラが何事においても疑問を持たないとデンマンさんはおっしゃりたいのですか?

その通りだよ! オマエは、けっこう理解力があるんだね。

また、取って付けたようなお世辞を言わないでくださいよ。
 
 
“馬鹿の一つ覚え”
 
 
昔の人が上のように言ったのをお前も知っているだろう?

つまり、今度はオイラを更に馬鹿にするのですか?

いや。。。馬鹿にしているのではなくて、批判しようとしているのだよ。 オマエは、古い古い日本史を何の疑いもなく信じ込んでいる。 「日本史」は絶対不変のものではない! 時代と共に解釈の仕方や「歴史の真実」は変わってゆく。

それはデンマンさんの独断と偏見ですよ!

いや、違う! 僕が尊敬するカール・ポパーさんは次のように言ったのだよ。

There is no certainty in science

Karl Popper(1902-1994) realized that if the centuries of corroboration received by the Newtonian science had not provided it to be true, nothing was ever going to prove the truth of a scientific theory. So-called scientific laws were not incorrigible truths about the world after all; they were theories, and as such they were products of the human mind.

If they worked well in their practical application then that meant they must approximate to the truth, yet it was always possible, even after hundreds of years of pragmatic success, for someone to come along with a better theory that was closer still to whatever the truth was.

The Open Society

Only after he had worked them out with regard to the natural science did he fully realize that they applied to the social science as well.

(…)

Certainty, he agreed, was no more available in politics than in science, and therefore the imposition of a single viewpoint is never justified.

The most undesirable and indefensible forms of modern society are those in which centralized plannning is imposed, and dissent disallowed.

Criticism is the chief way in which social policies can be improved before they are implemented; and the noting of undesirable consequences is the promptest cause of their modification or abandonment after they have been implemented.

(…)

In politics, as in science, we are continually replacing established ideas with what we hope are better ideas. Society too is in a state of perpetual change, and the pace of that change is increasingly fast.

(…)

So what we are engaged in is perpetual problem-solving.


pp.222-224
“The Story of Philosophy” by Bryan Magee
Published in Canada in 1998
by the Reader’s Digest Association (Canada) Ltd.

つまり、ポパーさんは科学にも、また歴史や社会科学、政治にも“絶対不変の真理”なんてものは無い!と言っているんだよ。 常に批判の目で物事を見ることが最も重要なことだと言っている。 つまり、アインシュタインが言った Don’t stop questioning! と同じようなことを言っている。 何事においても批判する態度が大切だと言うことだよ。

要するに、随書の中の「倭国」が独立国家であるということにも疑問を持て! 植民地であったことも充分に考えられる! デンマンさんは、そう主張するのですか?

その通りだよ! アインシュタインが生きていたら、おそらく僕の言うことを応援してくれると思うよ! 「倭国」は純然たる“植民地”では無かったかもしれないけれど、決して現在我々が考えているような独立国家ではなかった。

その証拠は。。。?

ネットサーフィンしていたら次のような掲示板が目に付いた。

倭国(猿の国日本)は

百済(文明人の国朝鮮)の属国

1 :日本人の公式名称=日猿:2007/11/22(木)
23:22:44.56 ID:t6CPeEpx

古代からの東アジアの情勢
九州(野蛮な猿の国)→百済(文明人の国)の属国
本州(野蛮な猿の国)→中国(超大国)の植民地
これが事実。朝鮮の偉人が蛮族の日猿人どもに知恵を授けたわけだ。
文化、儒教、道教、律令制度、貨幣制度、宗教、文字、文学、文明技術・・・・・
つくづく日本って国は朝鮮や中国からの貰い物で出来上がった国だとわかるな。
まさに朝鮮様様、中国様様というわけだ。
アジアの政治・経済・文化の中心であった中国からすれば日本はまさに東の最果ての辺境国だったわけだ日本人が勝手に独自の文化だと思い込んでる伝統芸能や風習や文学なんかもその大半は朝鮮を通って伝えられた中国のパクリだったりするからな
天皇という名称や元号なんかもその典型が・・・


『倭国は百済の属国』より

マジで、こんな酷(ひど)い事が書いてあるのですか?

ウソだと思ったら上のリンクをクリックして確かめてみたらいいよ。

でも、これは証拠にはなりませんよ! 一つの意見に過ぎません! いや。。。独断と偏見ですよ! もしかしてデンマンさんが書いた自作自演じゃないっすかァ?

やだなあああァ~。。。僕が自作自演までしてオマエに反論するわけが無いだろう! 第一、上の文章は2007年の11月に書かれたものだよ! はっきり言うけれど、僕が書いたものじゃない! 弁天様に誓って、天神様に誓って、お稲荷様に誓って、僕はウソをついていないことをここに宣言するよ!

もし、それがウソだとしたら。。。。?

だとしたら、僕に針千本を飲ませてもいいよ!(微笑)

つまり、「倭国」が植民地でなかったとしたら百済の「属国」だったとデンマンさんは主張するのですか?

その通りだよ! そもそも「倭国」という呼び方は日本人が付けた国名じゃない! 中華思想に基づいて当時の中華人が付けた国名だよ! 「随書 東夷伝」を書いた著者の目に、当時の日本は「野蛮な猿の国」以上でも以下でもなかった。 ところが、オマエは中国の史書を鵜呑(うの)みにして次のような文章を引用した。

新羅、百濟皆以倭為大國、

多珍物、並敬仰之、恒通使往來。

新羅・百濟は、みな倭を大国だと見なし

珍しい物が多いと思い

並(なら)びに これを敬(うやま)い仰(あお)いで、

恒(つね)に使いを通わせ往来(おうらい)すと

【デンマン意訳】

このどこが間違っているのですか?

だから、オマエは文章をじっくりと読んでいないと僕は言っているのだよ! オマエは中国の戦国時代の故事を良く理解していないので上のような頓珍漢(とんちんかん)な事を書いてしまった。

その中国の戦国時代の故事ってなんっすかァ?

合従連衡(がっしょうれんこう)

「従」は縦、「衡」は横。
中国の戦国時代、西の強国・秦に対抗するため、南北に連なる六国の連合をめざしたのが、「合従」政策。
これに対抗するために、秦が六国と個別に(横方向に)和平を結ぼうとしたのが「連衡」政策である。
転じて、さまざまに外交政策をめぐらすことを指す。

遠交近攻(えんこうきんこう)

「合従連衡」と同様、中国の戦国時代の外交政策で、遠い国と結んでその国に牽制してもらいつつ、近い国を攻め取っていくというもの。
現在でも通用する戦略の基本である。
秦の宰相・范雎(はんしょ)が唱え、秦がこれを容れて、ついには全土を統一した。

この故事とオイラが書いた事と、どのように関わっているのですか?

あのなァ~、戦国時代の頃の戦略の定石が現在にまで四字熟語として語り伝えられてきた。 オマエが引用した「隋書東夷伝 第81巻列伝46」に書かれた事も、このような時代背景を考えないで表面的に解釈するとオマエのような浅はかな落書きになってしまう。

オイラが表面的にしか理解していないとデンマンさんはおっしゃるのですか?

もちろんだよ。 コインには表と裏がある。 オマエは表だけしか見ていない。 裏を見なければ全貌が分からない! だから、オマエは頓珍漢(とんちんかん)な事だけしか書けなかった。 当時の戦略の常識を考えるならば次のように解釈すべきなんだよ!

新羅、百濟皆以倭為大國、

多珍物、並敬仰之、恒通使往來。

新羅・百濟は、やがて隋に滅ぼされる運命にある。

だから、両国とも悪あがきをしているようだ。

それで新羅・百濟は、倭国を大国だと期待しながら

これを敬(うやま)い仰(あお)いで、

助けを求めているけれど、

すでに隋は「遠交近攻」戦略をとっている。

無駄なことをしても無駄なのだ!

新羅も百濟も隋と倭国の挟み撃ちにあって

滅びる運命なのだ。

その後で隋は倭国を滅ぼすまでよ。

あの国の「聖徳太子」という思い上がった男が

ぬけぬけと次のような国書を持って寄越した。

「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」

【日(ひ)出(いず)る処(ところ)の天子(てんし)

書を日(ひ)没(ぼ)っする処の天子に致(いた)す

恙(つつが)なきや。】

隋の皇帝と倭国の王を同列に並べるなんて

けしからん!

だから、隋にとって、あの男は気に喰わないのだよ。

【デンマンの裏を読んだ意訳】

これは、デンマンさんの考えすぎですよう! とにかく、そういう独断と偏見もあるという事がよ~く分かりました。。。で、「倭国」は一体いつ独立国家になったのですか?

だから、精神的には聖徳太子が上の国書を隋に持って行かせた時だよ。 隋と対等である「独立国家」としての気概が上の国書の一部から読み取れる。

つまり、隋の時代に「倭国」は独立国家になったとデンマンさんはおっしゃりたいのですか?

いや。。。対外的に「倭国」が独立国家になったのは、「私たちの国の名前は“倭国”ではありません。“日本国”です」と宣言した時からだよ。 そして、菅原道真が隋も唐も中華思想に凝り固まっているけれど、すでに唐の国力は衰え、日本が文化的には唐から吸収するものが無くなったから、今後は遣唐使船を派遣する必要はないと朝廷に助言した時からだと僕は思っているのだよ。 それ以降、日本独自の「カタカナ」、「ひらがな」が生まれるようになった。

つまり、その独立の気概が日本文化を生み出すようになった、とデンマンさんは主張なさるのですか?

そうだよ。 その頃の日本の独立性と比較したら現在の日本はアメリカの属国としか言えないと僕は思う。 菅原道真が今生きているとしたら、アメリカ追随の日本の現状を見て嘆くと思うのだよ。

デンマンさん!。。。日本がアメリカの属国だというのは聞き捨てなりませんよ! 必ず、オイラのような奴が、また反論のコメントを書きますよ。

うん。。。実は、それを期待しているんだよ。 うへへへへへ。。。

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
日本史の教科書には日本が植民地だったなんて書いてありませんよね。

でも、ちょっと考えてみると、日本が植民地だった、あるいは属国だったと考えた方がすごく納得できるようなこともあります。
たとえば、ある時点で、急に日本で漢字が使われ出したのですよね。
不思議なくらいに文字のない所に急に漢字が使われだした。

イギリスからメイフラワー号に乗ってアメリカ大陸に清教徒の人たちが渡ったように、朝鮮半島や中国南部の人たちが船に乗って九州に渡ったと考えると、日本もそんな風に“植民地化”していったのかな?
そう思えないこともありません。

とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

地球の歴史って、ずいぶん前から私たちは

知っていたと思いがちですけれど、

意外に知らないのですよね。

たとえば、地球はいつごろ誕生したのでしょうか?

1650年にアイルランドの

大主教・ジェームス・アッシャーが

旧約聖書などの記述を調べた結果

天地創造が紀元前4004年に成されたとしたのです。

この見解はキリスト教世界で多く採用されたのです。

でも、18世紀から19世紀になって

古い地層や化石が発見され、

地球が誕生したのはもっと古いことになったのです。

現在では46億年前に

地球が誕生したと考えられています。

太陽系の隕石や月の岩石の生成年代から、

この数字が出てきたのです。

月の形成時期は、45億5000万年前とされています。

地球が誕生して間もない45億5000万年前から

44億5000年前のマントルに由来する溶岩が、

カナダ・バフィン島とグリーンランド西部で見つかったと、

米カーネギー研究所の研究チームが

2010年8月に『ネイチャー』に発表しました。

…と言う訳で、もっと古いマントルに由来する溶岩が

見つかることも十分に考えられます。

つまり、地球が46億年前に生まれた

という地球誕生説も

より真理に近い仮説に過ぎないのですよね。

カール・ポパーさんが言ったように

“絶対不変の真理”はありません。

常に真理により近い仮説が発見されているのです。

ところで、デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて

一つにまとめました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『最近のレンゲ物語 特集』

 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

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