愛の呉服


   
2010年2月25日 木曜日
 
 

愛の呉服

デンマンさん。。。あたくしは質問があるのでござ~♪~ますわ。

ん。。。?質問。。。? 急に改まって、いったい何を質問しようとするのですか?

先日、めれんげさんとデンマンさんは次のようなお話をしていたのでござ~♪~ますわ。

武蔵塚公園

宮本武蔵の銅像と「新免武蔵居士石塔」と記された墓石があり、剣聖宮本武蔵の墓所の一つ。
武蔵広場ゾーン、日本庭園ゾーンなど5つのゾーンがあり憩いの場として親しまれている。

武蔵は天正12年(1584)美作国(岡山県)宮本村で生まれ、21歳の時の京都の吉岡一門との勝負や、29歳での佐々木小次郎との巌流島の決闘などが知られている。

武蔵が、藩主細川忠利の客分として、熊本に来たのは、寛永17年(1640)、57歳のときだった。
剣を通して人生を探求し続けた武蔵は、晩年の5年を熊本で過ごした。

60数回の勝負に1度も負けたことが無かったという「二天一流(通称二刀流)の偉大な剣豪」は晩年、熊本で、人生の集大成と言うべき「五輪の書」を書き著した。

宮本武蔵の銅像は、あんさんが勝手に探しやはったんですやろう?

あのなァ~、確かに熊本には加藤清正の銅像もあるねん。だから、銅像は武蔵の銅像だけやあらへん。そやけどなァ、加藤清正の銅像を取り上げても、今日の話題と関係あるのやでぇ~。

どうして。。。?

わての本名は加藤やがなァ~。

そやかてぇ~、加藤という姓を持つ人は日本には掃いて捨てるほど居ますのやでぇ~。。。あんさんが加藤清正の子孫だという確固とした証拠は無いのですやろう?

あのなァ~、わての祖先のことは次の記事の中で書いたのや。

■ 『夢とロマンと昔話』

(2008年9月11日)

でも、あんさんの祖先は百済から関西経由で関東に下って行ったのですやろう?

そうやねん。めれちゃんはよく覚えているなァ~。

だったら、あんさんの祖先と熊本は関係ありませんがなァ。

実は、百済から一緒にやってきた親戚の家族には病人が居て九州にとどまったのやがなァ~。

。。。で、その人たちが熊本に住み着いたと言わはるのぉ~?

そうなのやァ~。

家系図でも残っていやはるのぉ~?

そんなモノあるかいなァ!

それなのに、あんさんはどうして見て来たようなウソを言わはるのぉ~?

あのなァ~、わてのおばあちゃんが言うてたのやァ。

。。。で、おばあさんの情報の出所は。。。?

おじいちゃんやがなァ。。。、んで、そのおじいちゃんは、ひいおじいちゃんから聞いたと言ったそうやでぇ~、うししししし。。。

千年以上も前のことを加藤家では何十世代にもわたって語り継いできたと、あんさんは言わはるのぉ~?

そうなのやァ。。。めれちゃんは信じられへんやろう?

信じられるかいなア!。。。誰だって信じられへんわァ~。


『武蔵と出会い馬鹿 (2010年2月14日)』より

うん、うん、うん。。。そうですよう。宮本武蔵と出会い馬鹿について、めれんげさんと話したのですよう。。。あのォ~。。。、なんですか。。。また、小百合さんのように批判するのは程ほどにしなさいと卑弥子さんも僕に注意したいのですか?

いいえ、違いますわ。あたくしは、そのような無駄な事はいたしませんわ。注意したところでデンマンさんが批判を止めるはずがないのでござ~♪~ますわ。

うん、うん、うん。。。卑弥子さんは良く分かっていますねぇ~。。。で、批判のことでないとすると、いったい何ですか?

千年以上も前のことを加藤家では何十世代にもわたって語り継いできたと、デンマンさんはおっしゃっていましたわ。

そうですよう。。。卑弥子さんも信じることができないのでしょう?!

あたくしは信じても良いと思っているのですわ。

あれっ。。。卑弥子さんは、うれしい事を言ってくれますねぇ~。。。めれんげさんとは違いますねぇ~。。。

だってぇ~、あたくしの家系もあの有名な橘美千代から連綿(れんめん)として1300年以上も続いている息の長い家系でござ~♪~ますわ。おほほほほ。。。

そう言えば次の記事の中でも自慢していましたよね。

すぐ近くに万平ホテルがあるのですよう。

そのホテルはそれ程素晴しいのでござ~♪~ますか?

何しろ創業が江戸時代ですよう。このホテルのホームページを開くと書いてありますよ。なんと、もともとの起こりは1764年、明和元年です。 この頃、佐藤万右衛門なる人物が、旅籠「亀屋」を開業したと言うのですよ。万平ホテルの歴史が産声を上げた、と書いてあります。この起源から計算すると今年(2008年)は創業244年目ですよ。

でも、あたくしは橘 卑弥子でござ~♪~ますわア。あたくしの家系は奈良時代から続く橘家でござ~♪~ますのよ。和銅元年、西暦708年に朝廷から橘の姓を賜(たまわ)ったのですわ。その橘美千代があたくしの遠い祖先でござ~♪~ますわ。。。んで、708年から計算すると、あたくしは橘氏の家系を守って今年が1300年目でござ~♪~ますわ

つまり。。。つまり。。。卑弥子さんは、疑わしい家系図を持ち出してきて、1300年も続いている家系だと言って自慢したいのですか?

デンマンさんが万平ホテルが歴史のあるホテルだとおっしゃったので、それならば、あたくしの家系はもっと古いと言ったまででござ~♪~ますわ。

んもお~~。。やりにくいなあああァ~。。。こういう時には、素直に、“それは、とっても、とっても、すっご~♪~いですわア~♪~”と言って卑弥子さんは驚いたり感心したりするのですよう。それが『小百合物語』のホステスである卑弥子さんの役目じゃないですかあああァ~。

あたくしは、そういう見え見えの事はしたくないのでござ~♪~ますわ。それでは、まるで、デンマンさんが一人二役やっているように見られてしまうのですわ。

でもねぇ~、こういう所で卑弥子さんが、そのようなどうでも良い事を言うと、また記事が長~~くなってしまうのですよう。んもお~~

分かりましたわ。それで。。。それで。。。他に、どういうことが素晴しいのでござ~♪~ますか?

あのねぇ、万平ホテルはジョン・レノンが気に入っていたホテルなんですよう。

ええっ? ジョン・レノン。。。?

あの。。。あの。。。ビートルズの

ジョン・レノンでござ~♪~ますか?


 
 
きゃ~!
 
 
ステキ~!

  
 


『ジョンレノンと万平ホテル』より
(2008年4月6日)

あらっ。。。ちょうど良くなるところでお止めになってしまいましたわねぇ~。。。この後を読みたくなる人がきっと居ますわよう。

あのねぇ~、今日はビートルズの話題ではないのですよう。記事が長くなるから、卑弥子さんが1300年続く家系を持ち出してきた理由を言ってくださいよう。

あたくしの家系は誰でも知っている有名な橘美千代の血を引き継いでいる家系のなのでござ~♪~ますわ。

だから。。。?

だから、1300年もの間、語り継がれてきたのでござ~♪~ますう。でも、デンマンさんの家系は、そうではござ~♪~ません。百済から難民として逃げ出してきた、どこの馬の骨とも分からない不幸な家族の子孫ですわ。

つまり、名もない不幸な家族の子孫だから、1000年以上もの間、代々語り継がれたことなど考えられないと言うのですか?

そうですわ。

つまり、歴史に残る有名な人物の子孫でもない限り、代々語り継がれる事などありえないと卑弥子さんは言うのですね?

そうですわ。

それは卑弥子さんの独断と偏見ですよう。

だってぇ、もし、そうでなかったら、その辺でコスプレして遊んでいるミーちゃん、ハーちゃんまでが「私の祖先は聖徳太子です」と言い始めますわ。

あのねぇ~、どうして加藤家では代々語り継がれてきたのか?。。。それには訳があるのですよう。

どのような訳でござ~♪~ますか? 

卑弥子さんは“呉服”という言葉を知っていますか?

もちろん知っていますわ。日本人ならば誰だって知っていますわ。「呉服屋」さんというように使われいますわよう。

でも、この言葉はもともと“呉という国の服”という意味だったのですよう。

呉という国はどこにあるのでござ~♪~ますか?

古代の中国ですよう。

あらっ。。。そんな昔の国の服が、現在では“和服”として通用しているのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。

どう言う訳で“呉服”が“和服”になっってしまったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、この事については僕はすでに記事を書いたのですよう。同じことを書くのは疲れるし、時間がかかるのでここに要点だけ書き出します。読んでみてください。

呉人が日本へ呉服をもたらした西暦200年代というのは、気の遠くなるような古い時代です。

しかし、呉という国は、上の地図に書き込んだように、その寿命は、せいぜい50年です。
日本の長い歴史の中では、ほんの一瞬というような短い間なのに、呉人たちは、日本の文化に大きな影響を残しているわけです。
そのことは前にも書いたように、漢字の読みの呉音というかたちで、日本語の中に消しがたい足跡を残しています。
しかも、呉人のことをすっかり忘れ去っても、『呉服』という言葉をいまだに使っているように、『呉』は日本語にすっかり定着しています。

これとちょうど同じように、その当時の呉人の血は、間違いなく我われの体の中に、流れているわけです。
50年と言えば、一人の人間の一生の長さです。
一人の呉人がやってきたぐらいでは、これほどの影響はないでしょう。
ということは、国が滅んだ後に、相当数の呉人が日本へやってきたはずです。
一体、幾人の呉人がやってくると、これほどの影響が日本に残るのか?
ちょっと考えてみてください。

聖徳太子が生まれるのは、この呉の国が滅んでから、約300年後です。
しかし、見逃してならないのは、この300年というのは、大陸はもちろん、朝鮮半島も、日本も含めて、激動の時代でした。
中国では、下の年表に示すように、西晋、東晋を経て南北朝時代に入ります。

隋が中国を統一するまでに、なんと、11王朝が起こっては滅びます。
しかも平穏に王朝が交代するというようなことはありません。
必ず戦乱がつき物です。
すると、当然のことながら難民が出ます。
これは何も、古代にかぎったことではありません。
ベトナムからの難民騒ぎを覚えているでしょうか?

サイゴン(現ホーチミン市)が無血陥落(1975年4月30日)してベトナム戦争は終わりました。
しかし、その後の迫害を恐れる者、よりよい生活や自由を求める者などが小船に乗って次々とべトナムをあとにします。
いわゆる「ボートピープル」と呼ばれる大量の難民の出現です。

漂流中を漁船や貨物船、タンカーなどに救助された難民が、1977年5月28日の37人を皮切りに、日本へもやってきました。
1989年以降はベトナム難民を装った中国人の偽装難民も出現し、同年9月には、鹿児島に回航した149人もの“難民”を収容する施設がなく、神戸に再回航するというような事態も発生しました。

現代においても、このような事態が出現するわけですから、古代において、しかも、もっと身近な、中国沿岸、あるいは朝鮮半島からの、たび重なる難民の数は、相当なものだったことが容易に想像されます。
280年に呉が滅んでから、663年に百済が滅びるまでの間は、おそらく、日本史上で最も渡来人が数多く日本へやってきた時期だったでしょう。


『あなたは日本人ではない』より
(2007年3月23日)

つまり、デンマンさんの祖先が戦争に敗れて百済から日本へやって来たように、呉の国の人たちも戦争に敗れてたくさんの人が“ボートピープル”になって日本にやってきたのでござ~♪~ますか?

当然ですよう。ベトナムからだって日本に難民がやって来たぐらいなんだから、それよりももっと近い呉の国から難民が来なかったら、その事の方が不思議ですよう。

。。。んで、どうして呉服が日本人に使われるようになったのでござ~♪~ますか?

“同病相哀れむ”

実は、難民であるという境遇が似ていたことから、呉からやって来た難民の子孫と僕の祖先の男が結婚したのですよう。その呉人の血を持つ女性は、とっても手先が器用で美しかった。

あらっ。。。なんだか、あたくしに似ていますわねぇ~。。。うふふふふふ。。。んで、その女性と、デンマンさんのように美人に誘惑されやすい祖先の男性が家庭を持ったのでござ~♪~ますか?

うしししし。。。卑弥子さんには良く分かりますねぇ~。。。実は、そうなのですよう。。。それで、僕の祖先の家庭に呉の織物や着物の縫製方法が伝わったのですよう。日本人がこれまで見たこともないような素晴らしい着物を仕立てたので、評判になった。

それが、日本に呉服が広まるきっかけになったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。呉服が日本に広まる元を築いたのですよう。言ってみれば初めての呉服屋を開いたのです。

マジで。。。?

僕は冗談を言っているのではありません。

でも、どうして、デンマンさんはご存知なのですか?

だから、僕の祖先が何世代にもわたって語り継いできたのですよう。

まさかァ~。。。?

卑弥子さんは信じることができないのですか? 

だってぇ~。。。

あのねぇ~。。。「呉服」が現在でも使われているように、漢字の読み方でも、いまだに「呉音」が使われているのです。。。つまりねぇ~、いかに多くの難民が呉からやって来たかという証拠ですよう。

でも、デンマンさんの祖先だけが何世代にもわたって呉服が広まったという話を語り継いできたというのは可笑しいではござ~♪~ませんか?

いや。。。ちっとも可笑しくありません。

どうして。。。?

僕が受け継いでいる DNA の中にその秘密が隠されているのですよう。

マジで。。。?

そのことについては、またあさって話しますよう。楽しみにして待っててね。

【小百合の独り言】

ですってぇ~。。。
実は、私も祖先が百済からの難民だったなんて、デンマンさんに教えていただくまで全く知らなかったのですわ。
百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったようです。
でも、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって、デンマンさんの祖先と一緒に武蔵国まで行ったのですってぇ。

私の実家は館林にあるのです。
デンマンさんのご実家から車で20分から30分です。
ホントに、目と鼻の先です。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんと私は日本で出会ったことはなかったのです。
不思議な事に、私がデンマンさんに初めてお会いしたのはカナダのバーナビー市でした。
私が13年間借りていた“山の家”だったのです。

バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。
上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。

この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に私が借りていた“山の家”があったのです。

この家でデンマンさんと15年ほど前に初めてお会いしました。

この上の写真は、デンマンさんがコラージュしてでっち上げたのですけれど、ちょうど、このように寅さんのような格好をしていたのですわ。
うふふふふふ。。。
それだけに、私は強烈な第一印象を持ちました。

でも、どうして私の祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たの?

私にはよく理解できなかったのです。
デンマンさんは、おっしゃいました。

DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですってぇ。
デンマンさんと同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、私は館林から佐野を経由してカナダのバーナビーに渡ったのです。
そして、デンマンさんと“山の家”で出会ったのでした。

これだけでは、単なる偶然ですよね。
でも、ジューンさんは次のように言ってましたわ。

こんにちは。ジューンです。

袖触れ合うも他生の縁

(そでふれあうもたしょうのえん)

聞いたことがあるでしょう?

なかなか味わいのある諺ですよね。

袖が触れ合うようなちょっとしたことも、

前世からの深い因縁によって

起こるものである、と言う事です。

わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”

だと思ったのですわ。うふふふふ。。。

つまり、袖が触れ合ったのは、

全く偶然ではなくて、少しは

そうなる運命にあったのよう。。。

私は、そのように思い込んでいたのです。

でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。

「他生」というのは「前世」の事だと、

デンマンさんに教わったのですわ。

調べてみたら、「他生」とは

「前世」と「来世」の事を言うのですって。

上の諺では、文脈から

「前世」となる訳ですよね。

この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。

そう言えば「今生の別れ」と言う語句を

何度か耳にしたことがありました。

仏教の輪廻(りんね)と

関係のある諺なのでしょうね。

わたしは英語では

この諺は無いと思っていたのですけれど、

調べてみたら、次のようなものがありましたわ。

A chance acquaintance is

a divine ordinance.

Even a chance meeting is

due to the karma in previous life.

つまり、「偶然の出会いは神の定め」

と言う事なのです。

多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。

カナダでは耳にしたことがありませんわ。


『出会い系の悪魔 (2008年9月10日)』より

デンマンさんと私の出会いは、偶然の出会いのように見えて偶然ではないのですってぇ。
つまり、私とデンマンさんに共通するモノが実にたくさんあるのですわ。

“海外飛躍遺伝子”もその一つです。
それに、車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、私とデンマンさんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだったのです。
いろいろな話をデンマンさんから聞かされるにつけ、
デンマンさんの祖先と私の祖先が1400年程前に百済から日本に一緒に渡ってきた事が分かるような気がしてきたのです。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、まだ興味深い話題が続くと思いますわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

 
メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

海峡を挟んでバンクーバーの向かい側に

ビクトリア島と言う

日本の半分ぐらいありそうな

島があります。

そこには露天風呂があるんですよ。

でも、このように水着を着て

入らなければなりません。

わたしは一見、気持ち良さそうに

していますが、日本の温泉を

知っていますから、なんとなく

白けているのです。

情緒も何もありません。

これでは、海水浴をしているのと

あまり変わりがありませんよね。

うふふふふ。。。

日本的な感覚では、

湯の温度がぬるすぎるところが多いですよ。

やっぱり、温泉は日本に限りますわ。

露天風呂というのは裸で入って初めて、

露天風呂という“情緒”が

かもし出されるのだと思います。

ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

■ 『動物感動物語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

コメント / トラックバック1件 to “愛の呉服”

  1. 愛の呉音 « Denman Blog Says:

    […] 『愛の呉服 (2010年2月25日)』より […]

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