ボンド女と挫折


  
 
2012年1月7日 (火曜日)
 
 
ボンド女と挫折
 
 




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『隠し砦の三悪人』予告編

デンマンさん。。。あんさんは、どうしてまた『隠し砦の三悪人』の予告編など持ち出してきやはったん? 「ボンド女と挫折」と関係あらへんやんかァ。

関係あるさかいに持ち出してきたのやがなァ。 めれちゃんは若林映子という女優さんを知らへんやろう?

名前を聞いたこともありしまへんわ。

わての世代の男には忘れることができへん女優さんなのやがなァ。

どないなわけで。。。?

ちょっと次の記事を読んで欲しいねん。

若林映子


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映画入りのきっかけは「隠し砦の三悪人」(黒澤明 ’58)の雪姫役に応募したことで、これには落選したが、これがきっかけで東宝に入社。
しなやかな肢体とエキゾチックな容姿を生かして、水野久美、浜美枝とともに東宝アクション映画に華を添えた。
といっても、いずれも彼女でなければできないという役柄でもなく、これといった印象はない。
むしろ彼女の魅力を生かしたのは外国映画ではないか。
長い黒髪のいかにも外国人受けする顔立ちから、多くの外国映画に出演。
伊映画「レ・オリエンターリ」(’59)では海女、
日伊合作映画「アキコ」(’61)では柔道の達者なヒロイン、
西独映画「遥かなる熱風」(’61)では日中混血のダンサー、
「007は二度死ぬ」(’67)では浜美枝扮する日本側の諜報員タイガーの秘書役を演じた。
残念なことに純粋な日本映画では実力が十分に発揮できなかった。
オリエンタルな魅力って日本では当たり前なことが、損をした理由か。

by 木全公彦


若林映子 (わかばやし あきこ)
昭和14(1939)年、東京生まれ。
「花嫁三重奏」(本多猪四郎 ’58)でデビュー。
「野盗風の中を走る」(稲垣浩 ’61)、
「暗黒街の牙」(福田純 ’62)など。
「007は二度死ぬ」(’67)の役は最初、浜美枝が演じるはずだったが、浜の英語力の問題から役が交換になったといういきさつがある。


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  浜美枝


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赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


102ページ 『キネマの美女』
編者: 文藝春秋 
1999年5月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

あらっ。。。若林さんは「隠し砦の三悪人」(黒澤明 ’58)の雪姫役に応募し、落選しやはったのやね。

そうやがなァ~。。。人生はどないなところで幸運が待ち構えているか判らへん。。。
 
 
“人間万事塞翁が馬”
 
 
まさに災い転じて福となる、ということもあるもんなんやでぇ~。。。

そやけど、浜美枝さんも「007は二度死ぬ」に出てますやん。

確かに、そうやァ。 上の説明だけでは言葉足らずやねん。 浜美枝も若林映子も「007は二度死ぬ」に出演してる。 そやけど、初め、若林映子が海女(あま)の「キッシー鈴木(Kissy Suzuki)」役で浜美枝が公安エージェントの「スキ(Suki)」役の予定だったのやァ。 そやけど、浜美枝の英語力では公安エージェント役は無理と判断されて、役柄が交換になったというわけやァ。 この時、原作の「スキ」という日本人にはなじまない名前が、若林映子(アキコ)の名前を取って「アキ」と変更されたという経緯(いきさつ)があるねん。

あんさんはボンド映画に詳しいのやねぇ~。。。ボンド映画にハマッてはるのォ~?

わてばかりではあらへん。。。世界には、よ~けいボンド・ファンがおるのやでぇ~。。。ジューンさんも次のように言うてたやないかいなァ。

こんにちはジューンです。

『スター・ウォーズ』(Star Wars)は、

多分、誰もが知っているのではないでしょうか?

ジョージ・ルーカスさんが生み出した壮大な宇宙SF物語です。

最初の映画は1977年5月25日に封切られました。

世界的な評判を生み出して

『スター・ウォーズ』カルチャーとも言える

オタク文化が広まりました。

現在までの、すべての『スター・ウォーズ』映画の興行収入は

約44億ドル($4.41 billion)と言われています。

『ハリーポッター(Harry Potter)』シリーズと

『ジェームズボンド(James Bond)』シリーズに続く

第3位の興行収入記録です。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』


『砦の女』より
(2012年1月27日)

『ジェームズボンド(James Bond)』シリーズは興行成績で、これまでに世界で第2位やからなァ。 わてばかりでのうて世界には、よ~けいボンド・ファンがおるのやァ。

さよかァ。。。でも、浜美枝さんも若林映子さんもボンドガールになりはったけど、べつに挫折してはおらへん。 どないなわけで「ボンド女と挫折」というタイトルにしやはったん?

あのなァ~、浜美枝さんは英語力がなかったと判断されたばっかりに出番の多い公安エージェント役を降ろされてしまったわけやァ。

それで浜美枝さんが挫折したと。。。?

いや、ちゃうねん。 黒澤監督は誰もが認める世界的に名の知れた名監督やったけれど、英語力が無いばっかりに『トラ、トラ、トラ』の監督を降ろされてしまったのやァ。

黒澤明と『トラ・トラ・トラ!』

もともと本作は、英米仏独のスタッフを結集してノルマンディー上陸作戦を描いた大作『史上最大の作戦』が成功したことに気をよくした20世紀フォックスが、ラディスラス・ファラゴのノンフィクション『破られた封印』(The Broken Seal)を原作に、日米双方の視点から真珠湾攻撃を描こうとした企画であった。
豪腕で知られた当時の社長ダリル・F・ザナックは『史上最大の作戦』をまとめあげた実績を持つエルモ・ウィリアムズを起用して製作がスタートした。

アメリカ側、日本側双方の場面を別個に撮影して組み合わせる方針であったため、日本側シークエンスの監督に誰を起用するかという意見を求められたエルモは迷わず黒澤明の名をあげた。
この話を聞いた当時の黒澤明はそれほど乗り気でなかったというが、東宝の手を離れて黒澤プロダクション(以下黒澤プロ)を完全に独立させた直後という事情もあり、黒澤プロのスタッフにとってはハリウッドと組んで大作を撮るという話は願ってもないチャンスであった。
黒澤も当時力をいれて進めていた『暴走機関車』の製作が一時中断になったことから『トラ・トラ・トラ!』の製作にのめりこんでいく。

黒澤は膨大な資料を収集した上で、小国英雄、菊島隆三と共同で脚本を執筆し、1967年5月3日に準備稿『虎・虎・虎』を完成させた。
黒澤明は脚本執筆のため阿川弘之の『山本五十六』からも多くのアイデアを得たが、後に黒澤が降板したことから阿川の名前がクレジットに入ることはなかった。

1968年12月2日、京都の太秦にある東映京都撮影所でいよいよ『トラ・トラ・トラ!』日本側シークエンスの撮影が開始された。
ところがそのわずか三週間後の12月24日、20世紀フォックスは病気という理由で黒澤の降板を発表することになる。

この三週間の間、撮影はほとんど進まなかった。
その原因として黒澤の異常なセットへのこだわり(スタッフに作り直しや塗りなおしを命じる)や黒澤の精神的不安定(スタジオ内が危険だとしてヘルメット着用やガードマンの常駐を求める)、黒澤の独特のやり方(山本五十六役の俳優がスタジオ入りするたびにファンファーレの演奏とスタッフ全員による最敬礼を求めたことなど)にスタッフがついていけなかったこと、黒澤が選んだ素人俳優たちがスタッフを満足させる演技を行えなかったこと、あるいは黒澤が酒に酔った状態で何度もスタジオに現れたことなどがあげられている。
スタッフからの不満が常に耳に入っており、現場でも黒澤の状態を確認していたエルモだったが、なんとか黒澤をフォローしながら撮影を続けさせようとした。
しかし撮影がほとんど進まなかったため、12月24日苦渋の決断を下し、黒澤に直接会ってその監督降板を伝えた。

「病気による降板」(黒澤の「病気」の問題は後に映画にかけられていた保険の支払いに関する争いにつながる)という形で行われた監督降板劇の真相はいまだに不明な点が多いが、黒澤と20世紀フォックスの間の契約に関する詳細な問題や、撮影方針の食い違い、黒澤が自らの権限に関しての認識が不十分だったことなどさまざまな問題が背景にあったとされている。
この降板劇の経緯から以後日本では、黒澤の「気難しい完全主義者」というイメージが強くなったとも言われる。

黒澤が降板したことで20世紀フォックスは新たに舛田利雄と深作欣二を日本側シークエンスの監督として起用して撮影を続けた。
日本側シークエンスの脚本の大半は黒澤らが執筆したものがほとんどそのまま使われることになったが、黒澤の強い要望から製作会社との協定が結ばれ、本編では一切黒澤の名前がクレジットに出なかった。

また、黒澤が意欲的に抜擢した素人俳優たちは撮影遅延の一因となったことから、黒澤降板後に解雇され、あらためてプロの俳優たちが起用された(山本五十六役の山村聰など)。
源田実役が予定されていた山崎努も降板し、三橋達也と交代したが、近衛公爵役の千田是也、駐米大使館書記官役の久米明らは、黒澤解任後も降板することなく撮影を続けた。

この監督解任騒動は黒澤のキャリアに大きな傷を残すことになった。
それから3年後の1971年12月22日、黒澤明は自宅で自殺を図る。
「3年も熱中していた企画を突然打ち切られたら、監督は殺されるのと同じことだ。」と語った。

赤字はデンマンが強調のため)


出典: 「トラ・トラ・トラ!」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そやけど、黒澤監督が英語力の無いために降板させられたとは上の説明の中には一言も出てまへんがなァ。

その通りやァ。

それやのに、あんさんは黒澤監督が英語力が無いために降板させられたと言わはるのォ~?

あのなァ~、上の説明にもあるように「真相はいまだに不明な点が多いが、黒澤と20世紀フォックスの間の契約に関する詳細な問題や、撮影方針の食い違い、黒澤が自らの権限に関しての認識が不十分だった」と言うことなのやがなァ。

つまり、「病気による降板」というのは黒澤監督の名誉のために建前としての理由で、本音のところでは降板の原因は黒澤監督の英語力不足にあったと、あんさんは言わはるのォ~?

そうやァ。

そやけど、たとえ黒澤監督に英語力が無かったとしても、有能な通訳さんが居(お)れば問題は無いやんかァ~。

その有能な通訳さんが居なかったのやがなァ。 アメリカ側との交渉は、ほとんどすべてを青柳哲郎プロデューサーがとりしきっていた。

その青柳さんの英語力がイマイチやったのォ~?

英語力以前に青柳さんの性格にも問題があったようなのやァ。 もちろん、黒澤監督の性格にも問題があった。 人間は、結局、誰もが完璧やないさかいに。。。


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1968年12月24日の解任を境にして、黒澤の身辺で最も劇的に変化したことは、それまでフォックスとの連絡調整の要(かなめ)を握る自分の右腕として信頼してきた青柳哲郎プロデューサーが、監督にとって、突然「獅子身中の虫」になってしまったことである。
黒澤監督は、青柳に対して、クロサワの名において締結されたフォックスとの契約書を、すべて渡せと要求する。
青柳は言を左右にして、契約書をなかなか渡さない。
そうした中で、青柳に対する監督の疑念が次第に深まり、いつしか、青柳こそ自分を裏切り、『トラ・トラ・トラ!』から自分を降板させた“ペテン師たち”の首魁(しゅかい)であるに違いない、という“確信”に変わる。
監督解任から1ヶ月足らずの1969年1月下旬に相次いで開かれた黒澤と青柳の記者会見では、公然と互いを非難し合うという異常事態意に発展した。

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


402-403ページ
『黒澤明 vs. ハリウッド』
著者: 田草川 弘
2006年4月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

つまり、黒澤監督は契約書を見てなかったん?

そうなのやァ。 英語力が無いさかいに、すべてを青柳哲郎プロデューサーにまかせきっていたのやァ。

それで、具体的に何が問題やったのォ~?

要するに、黒澤監督も日本の黒澤ファンも「黒澤監督が総監督になって20世紀フォックスのお金で映画を作る」と思い込んでいたのやァ。


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黒沢明『虎・虎・虎』を総監督
(日本経済新聞)

黒澤明、フォックスと提携 『虎 虎 虎』総監督
日米二班で来春撮影開始
(読売新聞)

黒澤監督総指揮で『虎 虎 虎』
真珠湾攻撃がテーマ
ワシントンなどでロケ
(デイリースポーツ)

ところが、契約書には「黒澤監督が総監督」なんて書いてない。 あくまでも、黒澤監督は20世紀フォックスのプロデューサーであるエルモ・ウィリアムズの指示に従って日本側シークエンスの監督だけを務めるという文面になってるねん。

黒澤監督はその契約書を読まへんかったの?

撮影を開始してからも、解雇されてからも、一度も読まへんかった。 すべてを英語ができる青柳哲郎プロデューサーにまかせきっていたのやァ。 もし、黒澤監督に英語が理解できて読んでいたら、見苦しい降板劇は無かったかも知れへん。 挫折感にさいなまれて自殺を図るよなことも無かったかも知れへんなァ。

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
英語力が無いということは、いろいろな問題を生むのですわね。
国際化はどうしようもなく、私たちを呑み込んでいます。
国際語を知らないということは、かなりのハンディーを背負うことになるようですわ。
あたしも、もう少し英語を勉強しようと思いますう。
あなたは、いかがですか?

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

黒澤監督には『隠し砦の三悪人』で素人の上原美佐さんを

雪姫役に抜擢して成功させたという自信があり、

後に『影武者』でもオーディション公募を行なっています。

しかし、『トラ・トラ・トラ!』の撮影では以前と違って

社会人を俳優に起用したことで

思いの外に時間がかかってしまたそうです。

そのことで黒澤監督はストレスを溜め込んでしまい、

降板劇の一因になったとも言われています。

確かに、過去には素人の俳優さんだけを使って

名作を作った例があります。

1925年、ロシア革命の8年後、

当時全く無名だった27歳の新人監督・

セルゲイ・エイゼンシュタインは、オール素人俳優で

歴史に残る名作『戦艦ポチョムキン』を作りました。


(senkan2.jpg)

しかし、この映画は主役が居ない「群衆劇」であり、

無声映画でしたから台詞がうまくしゃべれなくても

問題にはなりませんでした。

1948年にはイタリアのヴィットリオ・デ・シーカ監督が

オール素人俳優の『自転車泥棒』を発表しました。

また、1955年にはフランスのロベール・ブレッソン監督が

オール素人のキャストで『スリ』を作りました。

しかし、『自転車泥棒』も『スリ』も出演者に対して

熱演や名演技は一切求めていません。

顔は無表情に近く、台詞は棒読みに近かったのです。

ところが、黒澤監督は素人俳優に対しての要求が高すぎて

そのために撮影に必要以上の時間がかかっていたと、

20世紀フォックスのプロデューサーである

エルモ・ウィリアムズ氏は言っていたそうです。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ

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