梅から桜の国へ


 
 
2012年9月6日 (木曜日)
 
 
梅から桜の国へ
 
 


(dazaifu2.jpg)

 

Subj:小百合さん、おはよう!

春ですね。

元気にお目覚めですか?

From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: Thu, Apr 5, 2012 9:51 am
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間: 4月6日午前1:51分)

小百合さん、元気ですか?

春ですね。
大長寺の桜も きれいに咲き始めている頃でしょう。

忍川の堤に二人で並んで座りながら2匹の白鳥を眺めたことがまるで御伽噺の一風景のように思い出されてきますよ。
あんな現実離れした事が本当にあったのだろうか?


ところで、昔、昔、。。。もう遠い童話のような世界になってしまいましたが。。。
僕が、まだ4つか5つぐらいでしたでしょうか?
僕の親父(オヤジ)が初めて釣りをしたのを見たことがあります。
一人で釣りをするのは間が持たないと思ったのか。。。?
僕の手を引いて小百合さんと並んで座って白鳥を眺めた辺りで釣りを始めたのですよ。
桜が咲いていた頃ではなかった。
でも天気はよかった。
10人以上の釣り人が土手に並んで釣りをしていましたよ。

しばらくして大きなフナがかかりました。
ところが、そのフナを釣上げて手で受け取ろうとしたところで釣竿が真ん中あたりでポキリと折れてしまったのです。
フナはピチピチ跳(は)ねながら水面にポッチャリ!と落ちた。
針を呑んだままだったから、たとえ水に戻っても、あのフナは長くは生きられなかったかもしれない。
親父は大きな獲物を逃して僕の顔を見てテレ笑いというか?苦笑していましたよ。

でも、それ程の後悔はなかったようで。。。
しかし、釣竿が折れて他の釣り人の注目を集めて格好が悪いと思ったのでしょうね。
それで釣りを止めて、僕の手を引いて家に帰ったのです。

親父が釣りをしたのを見たのは、それが初めで最後になりました。
僕は、そんな親父を見たからか。。。?
たぶん、それがトラウマとなったわけではないけれど、
今まで釣りをしたことがないのですよ。
きゃはははは。。。

小百合さんと見た白鳥と。。。
親父が釣り逃がしたフナが。。。なんとなくダブって僕の記憶に戻ってきたのです。

そして。。。バンクーバーの春の記憶と言えば
ロブソン・スクエアに面した美術館の裏の青空喫茶ですよ。

バンクーバー市立中央図書館に歩いてゆくたびに通る道すがら、晴れた日には決まって目にする青空喫茶が見えてくると、そこのテーブルに小百合さんが座って微笑んでいるのですよ。
現実にはなかった光景なのに、なぜか鮮明に僕のオツムのスクリーンに浮かんでくる。
幻想。。。デジャブ。。。既視感。。。?

ハローストリートの桜並木にきれいに桜が咲き誇っています。
淡いピンクの花がトンネルを作っているのですよ。
そのトンネルの中を歩いていると、
メルヘンの世界にいるようで。。。、まるで夢の中です。

たまたま図書館で借りた1983年市川崑・監督作品の『細雪(ささめゆき)』を観ました。
映画の初めに出てくる嵯峨野の花見のシーンはきれいでしたねぇ~。。。

『細雪』

(The Makioka Sisters)

バンクーバーで見ると、あの映画の中にきれいな日本が箱庭のようにして見えてくる。
昭和13年と字幕に出ていたけれど、昔の日本が御伽噺のように出てくる。
桜と小百合さんと昔の日本が、メルヘンの中で混ざり合いました。

小百合さんも、しばらくぶりに大長寺で桜の花を見ながらバンクーバーを懐かしんでね。
じゃあ、また。。。


『桜のメルヘン』より
(2012年4月8日)

『細雪』は私も観ましたわ。 嵯峨野の花見のシーンが実にきれいでしたわ。

おおっ。。。小百合さんも観たのですかァ~。。。バンクーバーで観ると日本が。。。と言うか、館林の「つつじが岡公園」で小百合さんと見た冬桜が懐かしく思い出されてくるのですよ。 うへへへへへ。。。

 館林 つつじが岡公園

  冬桜

取って付けたようなことを言わないでくださいな。。。ところで、「梅から桜の国へ」というのは日本のことですか?

もちろんですよ。 カナダじゃありません。

いつ頃から梅から桜の国になったのですか? 

先日、『花見と桜』という本を読んでいたら次のように書いてありましたよ。

数え方にもよるが、奈良時代に編まれた『万葉集』には梅を詠んだ歌が100首前後あるのに対し、桜を詠んだ歌はおよそその3分の1くらいである。
ところが『古今集』ではその位置が逆転し、断然桜が多くなる。
しかも前後関係から考えて、桜を詠んでいると思われるものがただ「花」と表現されていることが多いのである。
本居宣長は古典についての教養からこの感じをつかんでいたのだろう。

一方、唐代の中国の詩文には、圧倒的に梅が多く現れる。
その影響で、外来植物である梅が、奈良朝の貴族にとっては、花を代表するものだったようだ。
それが平安朝に至り、梅に代わって桜の花見が、貴族の重要な行事になる。
歌に詠まれる花も桜が多くを占めるようになる。
つまり貴族文化においては、奈良朝から平安朝にかけて、春の花見の対象は梅から桜へと銃身が移行する。

赤字はデンマンが強調)


19ページ 『花見と桜』
著者: 白幡洋三郎
2000年4月4日 第1刷発行
発行所: PHP研究所

つまり、『万葉集』から『古今集』にかけて日本が梅の国から桜の国になったと言うことですか?

そういうことになるでしょうね。 『万葉集』は、7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集で、『古今集』は、醍醐天皇の勅命により『万葉集』に撰ばれなかった古い時代の歌から撰者たちの時代までの和歌を撰んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に天皇の手元に差し出されたことになってますよ。

西暦750年から900年にかけて日本人の好みが梅から桜に変わったのでしょうか?

そういう事になりますね。

梅の花はきれいなのに、どうして梅から桜に変わったのでしょうか?

春〜梅の花咲く

1本の梅の木に紅白の花が咲いている

確かに梅の花もきれいですよ。 梅から桜の国になたのはどうしてか? あのねぇ~、僕も調べてみたのですよ。

。。。で、その理由が解りましたの?

いや。。。残念ながら、その理由をはっきりと書いてあるものには出くわしませんでした。 でもねぇ、僕が調べた限りで最もそれらしい理由は菅原道真の事件がきっかけではないかと思えるようになりました。

菅原 道真

誕生: 承和12年6月25日(845年8月1日)
没年: 延喜3年2月25日(903年3月26日)

菅原道真は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。
参議・菅原是善の三男。
官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。

忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。
しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ権帥として左遷され現地で没した。
死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。
現在は学問の神として親しまれる。

醍醐天皇の治世でも道真は昇進を続けるが、道真の主張する中央集権的な財政に、朝廷への権力の集中を嫌う藤原氏などの有力貴族の反撥が表面化するようになった。
また、現在の家格に応じたそれなりの生活の維持を望む中下級貴族の中にも道真の進める政治改革に不安を感じて、この動きに同調するものがいた。
昌泰2年(899年)、右大臣に昇進し右大将を兼任。
翌年、三善清行は道真に止足を知り引退して生を楽しむよう諭すが、道真はこれを容れなかった。
延喜元年(901年)、従二位に叙せられたが、斉世親王を皇位に就け醍醐天皇から簒奪を謀ったと誣告され、罪を得て大宰権帥に左遷される。
宇多上皇はこれを聞き醍醐天皇に面会してとりなそうとしたが、醍醐天皇は面会しなかった。
長男高視を初め、子供4人が流刑に処された(昌泰の変)。
この事件の背景については、時平による全くの讒言とする説から宇多上皇と醍醐天皇の対立が実際に存在していて道真がそれに巻き込まれたとする説まで諸説ある。

道真は延喜3年(903年)、大宰府で薨去し同地に葬られた(現在の太宰府天満宮)。
道真が京の都を去る時に詠んだ次の和歌は有名。

東風(こち)吹かば

匂ひをこせよ

梅の花

主なしとて

春な忘れそ

【現代語訳】

私がいなくなっても、春が来るたび忘れること無く、

梅の木よ、芳しい花を咲かせておくれ。

その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅伝説」も有名である。


出典: 「菅原道真」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「飛梅伝説」というのはマジなのでしょうか?

もちろん、伝説ですよ。 京都から一晩にして九州に住む道真の屋敷の庭へ梅の花や梅の木が飛んでいけるわけがないでしょう! 伝説とは、当時のミーちゃん、ハーちゃんが、そのようにこじつけて物語を作るものですよ。

でも、「飛梅」と呼ばれる樹齢1,000年を超える白梅の古木が、実際に九州の太宰府天満宮にあると聞いたことがありますわ。

おおっ。。。小百合さんも結構知っているではありませんか!

耳学問ですわ。。。うふふふふふ。。。

いやいや。。。謙遜しなくてもいいですよ。 耳学問だとしても「飛梅」を知ってるなんて、なかなかすごいことですよ。 卑弥子さんでも知らないと思うのですよ。 うしししし。。。

そのような事を卑弥子さんが聞いたら絶対にムカつきますわ。。。ところで、どうして菅原道真の事件がきっかけで日本人が梅よりも桜を好むようになったのですか?

あのねぇ~、菅原道真は894(寛平6)年、遣唐大使に任ぜられたのですよ。 でも、道真は遣唐使は意味が無くなったから止めたほうがいいと天皇に提案したのです。

どうして。。。?

唐では、それ以前に、つまり、755年から763年にかけて安禄山の乱(あんろくざんのらん)という大規模な反乱が起きて国が乱れた。 「そのような乱れた国から学ぶものは、あまりありません」と言ったわけですよ。 それで、天皇もそれを聞いて尤(もっと)もだと思って唐に遣唐使を送ることを止めてしまった。 唐代の中国の詩文には、圧倒的に梅が多く現れると上で引用した本の中にも書いてあるけれど、もう中国から学ぶものはないと言うことになったから当然、梅を和歌の中で詠むことも流行しなくなったわけですよ。 しかも、菅原道真が「東風吹かば。。。」の歌を読んだ。

だからどうだと言うのですか?

つまり、左遷された者が梅を詠んだわけだから、なんとなく梅と左遷が結び付けられて不吉なものを感じたのでしょうね。。。とにかく、怨霊信仰がミーちゃん、ハーちゃんの間でも信じられていたのだから、道真の怨霊と梅が結びつけられて、次第に梅を和歌の中に取り上げることを不吉だとして避けるようになったと僕は思うのですよ。

そうでしょうか?

それに貴族社会が次第に武士の時代になってゆく。 そうすると梅よりも桜の方がパッと散る潔(いさぎよ)さに武士の間で珍重されるようになる。 つまり、武士道と桜ですよ。

武士道と桜の花

桜の名所 弘前公園

新渡戸稲造は、その後欧米の日本観に多大な影響を与え続けた『武士道』を1899年に出版した。
その序文にラフカディオ・ハーン、サトウ、チェンバレンと並べてフレイザー夫人の名を挙げ、これらの人々に混じって日本について英文で記述することは気が重い、と書いている。
サトウやチェンバレンは、日本を情緒的にというよりは、その歴史や風俗を客観的に叙述し、紹介したというのが当たっている。
ハーンはむしろ日本の昔話や怪談を通じて民族的な情緒や精神面に焦点を当てた。
この3人の著書は、その後も日本に関心をもつ人々の読み物として広く流布したが、それに比べればフレイザー夫人の書物は、流通した範囲が限られるように思う。
にもかかわらず、新渡戸稲造がなぜここに名前を挙げて言及したのだろうか。
おそらくしれは、桜への愛着を語り日本びいきの言葉を連ねるフレーザー夫人の叙述に新渡戸稲造が強く印象づけられれ、頭からそのことが離れなかったためではないか。

新渡戸は、この著書の冒頭で武士道を桜の花とともに日本固有の「花」にたとえて語る。
「武士道は、日本の象徴である桜と並んで、同じく日本の土壌に固有の花であります」

このように書き出されている。
フレイザー夫人の桜の記述を新渡戸稲造が意識していたことは間違いない。
新渡戸は、武士道の情緒的な側面を桜の花にたとえて語った。
また本居宣長の「敷島の大和心……」の歌や、国学の比喩を使った。
『武士道』の副題である「ソウル・オブ・ジャパン(日本人の心)」を説明するとき、桜をどうしても引き合いに出さずにはおれなかった。
桜を愛で、花見を楽しみ日本人への共感を叙述したフレイザー女史の英文の書物は、海外へ日本を紹介しようとする新渡戸稲造にとって、大きな意味を持つ参考書だったのである。

日本一長い桜並木多磨霊園・東京

宮城県の船岡城址公園一目千本桜


79-80ページ 『花見と桜』
著者: 白幡洋三郎
2000年4月4日 第1刷発行
発行所: PHP研究所

それで、武家政治が始まるとともに日本人の好みが梅から桜へと移っていったのですか?

そういうことだと思うのですよ。 しかも桜はシドモア女史によってアメリカにも伝えられてゆく。

ポトマック河畔の桜

ポトマック河畔の桜が誕生する直接のきっかけは、明治42(1909)年にさかのぼる。
当時ワシントンは、都市の改造計画が進められ、ポトマック河畔一帯の埋め立てが終わったころだった。
その後ここを整備して公園にすることは計画案に載せられていた。
都市改造の目標を環境整備に置く考え方は、第27代の大統領に就任したばかりのウィリアム・ハワード・タフトの夫人へレンが熱心だった。
このヘレンと長年のつきあいをしていたのがシドモア女史だった。

タフトが大統領に就任した年、1909年の春、シドモア女史はポトマック公園に日本の桜を植樹することを大統領夫人に提案した。
女史は、自分自身が体験した上野や向島の花見のすばらしさを語った。
そして日本から桜を移植して、ポトマック河畔に桜並木をつくり出すプランを提案したのである。
水辺の公園という立地からしても、おそらくシドモア女史の頭の中には、東京の桜、とくに向島の桜のイメージがあったのだろう。
彼女自身が「客種としては上野より劣る1万人の大衆のためのものだ」(『日本・人力車旅情』)と述べた向島の桜、すなわち日本の庶民の花見がモデルになっているはずだ。

シドモア女史から提案を受けたヘレン夫人は、この案にすぐに賛意を示し、実現に向けて行動を開始した。
当初、彼女は桜をどこかから購入しようとしたらしい。
ところがこの話が、ニューヨーク在住の高峰譲吉やニューヨーク総領事の水野孝吉の耳に入った。
高嶺譲吉はタカ・ジアスターゼやアドレナリンの発見者として著名な薬学者・化学者で、アメリカ人の夫人をもち、日米友好に尽くしていた。
彼らとシドモア、ヘレン、あるいは外務省、東京市長尾崎行雄らのやりとりがあり、そこから東京市が苗木を寄贈する案が生まれた。

 (中略)

ポトマック河畔へ最初に植えられた桜が残っているとすれば、西暦2000年には88歳になる。
ソメイヨシノや「サトザクラ」と総称される観賞用の桜の品種の寿命は、40~60年といわれる。
ワシントンの1世はほぼなくなったであろうと想像される。

最近の調査は知らないが、1972(昭和47)年、これを入念に調査した日本人がいる。
賀集九平(がしゅうくへい)、アルゼンチンで桜を広めることに半世紀以上を捧げた人物だ。
彼は1915年から桜の研究をはじめた。
興津の試験場、のちの国立園芸試験場が最初の職場である。 (略) 1918(大正7)年、アルゼンチンに渡ろうと決心し、実行に移す。
それから半世紀以上にわたって、賀集はアルゼンチンに桜を広めた。

 (中略)

なお、賀集によれば、ポトマックの桜の由来は、さきに紹介したストーリーと少々異なる。
タフト大統領夫人に桜の植樹を進言したのは、植物学者のフェアチャイルドだという。
彼は電話の発明者アレクサンダー・グラハム・ベルの女婿で、ベルが家族同伴で来日した時に同行し、日本で植物を研究した。
そして帰国後フェアチャイルド夫婦が日本桜の美しさを説き、タフと夫人に進言に及んだのだという。


93-98ページ 『花見と桜』
著者: 白幡洋三郎
2000年4月4日 第1刷発行
発行所: PHP研究所

「ポトマックの桜」もずいぶんときれいですわね。。。で、デンマンさんは梅と桜ではどちらがお好きですか?

梅も桜も両方好きだけれど、やっぱり日本人の気質には桜の方があっているかも知れませんよ。

どうして。。。?

次の花火のビデオクリップを見るとよ~く判ります。

赤川花火大会 エンディング

2011.8.10


(fire900.jpg)

夜空にきれいに咲いてパッと散るところは桜の花そのものじゃありませんか!

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
あたくしだって太宰府天満宮にある「飛梅」ぐらい知っていますわよ。
んもおォ~。。。ムカつきますわ。
これでも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している教職にある身なのでござ~♪~ますわ。

ところで、「東風(こち)吹かば。。。」には2つのバージョンがあるのですわ。

東風(こち)吹かば 

匂ひをこせよ 

梅の花

主なしとて

春な忘れそ

【初出:1180(治承4)年頃の編纂と考えられる『宝物集』巻第二】

東風(こち)吹かば

匂ひをこせよ

梅の花

主なしとて

春な忘るな

【初出:1005(寛弘2)年頃に編纂された『拾遺和歌集』巻第十六 雑春】

伝説の語るところによれば、菅原道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみに暮れて見る見るうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったというのでござ~ますわ。
しかし梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んで行ったのですってぇ~。

ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろしたのだそうです。
一方、ひとり残った梅だけは見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったというのですわ。
ちょっと眉唾ですけれど。。。

飛梅伝説の現実的経緯としては、一説に、道真に仕えて大宰府にも同行した味酒保行が株分けの苗木を植えたものとも、道真を慕った伊勢国度会郡(現・三重県度会郡)の白太夫という人物が大宰府を訪ねる際、旧邸から密かに持ち出した苗木を献じたものとも言われているのでござ~ますわ。
道真が自ら梅を植えたとも考えられるこの飛梅伝説は、他の地方にも見られ、若狭国大飯郡大島(現・福井県大飯郡おおい町大島半島の大島)の宝楽寺、備中国羽島(現・岡山県倉敷市羽島)、周防国佐波郡内(現・山口県防府市松崎町)の防府天満宮などが知られているのでござ~♪~ますう。

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。
じゃあ、またねぇ。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

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日本では、よく耳にしますよね。

あなただって聞いた事があるでしょう?

もちろん外国でも

似たような諺がたくさんありますわ。

ところで、英語では何と言うのでしょうか?

考えてみた事がありますか?

次のように言えるでしょうね。

There is only a thin line

between genius and stupidity.

“天才と狂気は紙一重”

これは次のように言います。

There is only a thin line

between genius and insanity.

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

コメント / トラックバック22件 to “梅から桜の国へ”

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