ロマンの昔話


 

2016年5月17日 (火曜日)

 

ロマンの昔話

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで“ロマンの昔話”というタイトルにしたのですか?


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実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。

墨田の渡し


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古代には関東から奥州を往来するには、この隅田川上流北端のところが交通の要所で、河水の難所でもあった。
そここに水神を祀ったのはその意味からだった。

この流域には、ヤマトタケル伝説から流罪となった平安貴族や、「更級日記」を書いた菅原孝標の女(すがわらたかすえのむすめ)、また源頼朝と関東武士や真言と天台僧たちの足跡が残っていて、だれもがここを通過しなくてはならなかった。
業平が川を渡って名高い言問いの歌を詠んだのは、じつは言問橋がかかるところではなくこの地であり、橋の名は後から付けられたものだ。

(中略)

梅若伝説 その哀しみの岸辺

春の墨田の渡しで、塗り笠ををかぶって笹を手にした狂女が船に乗る。
東岸には大勢のひとが集まっている。

何事かとたずねる乗客に渡し守が、ちょうど昨年の今日、人買いに連れられみちのくへ下っていく12,3歳の少年が行き倒れ、ここに柳を植えて葬られたという。

それを聞いた狂女は、それこそ都・北白河の吉田の某(なにがし)の一子、わが子の梅若だと気がつく……

伝説によると梅若は吉田少将惟房(これふさ)の子で、信夫の藤太に買われ、捜し求めた末に母は狂ったのだった。

梅若は「たずねきて問わばこたえよ都鳥 隅田川原の露と消えぬ」と詠んで息絶えた。
能の名作「隅田川」ではシテの狂女は、“深井”とよばれる老いはじめた中年女性の面(おもて)をつけて舞う。


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この梅若の塚を守るために建てられた木母寺(もくぼじ)は、墨田神社の北に隣接している。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


163-165 ページ 
『スカイツリー下町歴史の散歩道』
著者: 東京遊歩連
2012年12月10日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 山川出版社

あれっ。。。 『スカイツリー下町歴史の散歩道』という本があるのですか?。。。 私もスカイツリーの近辺を散歩しようと思っていましたわ。。。

マジで。。。? 僕が本を引用したので、取ってつけたようにスカイツリーの近辺を散歩したいと思ったのではありませんか?

そんな事はありませんわァ~。。。 お台場へは三男とよく出かけるのですけれど、何度も何度も足を運ぶのはつまらないし、最近 次はどこか他の所へ行こうと。。。 それでスカイツリーの近辺でも散策するのも面白いかと。。。 そう思っていたところですわァ~。。。

そうですかァ。。。 それは ちょうどよかったですねぇ~。。。

以心伝心ですわねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。 で、どのようなロマンの昔話を聞かせてくれるのですか?

小百合さんは何か思い当たることはありませんか?

いいえ。。。

あのねぇ~、実は 以前にも『愛とロマンの昔話』という記事を書いたことがあるのですよ。

私のことが その記事の中に出てくるのですか?

そうなのです。。。 卑弥子さんと語り合っているのだけれど、その一部を取り出すので ちょっと読んでみてください。

13歳の少女と「武士」の出会い


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旅の始まりで『更級日記』にふれます。
父の任地である東国で生まれた13歳の少女が、任期が満ちて京に帰る父に連れられて草深い武蔵野国を通ったのは寛仁四(1020)年のことでした。
たまたま望見した名も知らぬ人物について書き記します。

「馬に騎りて弓持(もち)たる」人物についてです。
広々とした空の下、馬に乗った武人はやがて草むらに消えて行きます。
点景のように草原に現れたこの人物のことを彼女が書きとどめたのは、よほどそのときの光景があざやかだったからに違いありません。


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さりげなく書かれたこの一節が司馬さんの記憶に止まります。
そしてその時代から一挙に時間を360年ほど溯(さかのぼ)ります。

それより360年前の西暦663年。
朝鮮半島。
百済(くだら)が滅亡の危機に瀕(ひん)していました。
百済の救援に向かった約二万七千の日本軍は白村江(はくすきのえ)の海戦で大敗北。敗戦の混乱の中で多くの百済遺民を伴って帰国します。
百済人は長年、ツングース系の高句麗騎兵と戦っており、騎射に長じていました。
司馬さんの想像力は、少女が見た「馬に騎りて弓持たる」人物が、土着人と混血した360年後の百済人の子孫ではないかと見るのです。当時、武蔵野には二千余人の百済人が移住し、土着しました。
そして、中国的な国家の「かたち」である律令制を倒し、1192年に鎌倉幕府という日本的な政権を作った新興勢力である坂東(ばんどう)武士団とは、この人たちの後裔(こうえい)ではないかと考えるのです。

「この集団が、日本史上、われわれが誇る、最も典型的な日本人集団とされる坂東武者に変わってゆくことを思うと、東アジアの人間の交流や、文化の発生にかぎりないおもしろさを覚える。」(『街道をゆく』1)

日本人の原型体質とは、坂東武士団の中から結晶のように煮詰って現われ出た生き方であり、その広がりはアジア的スケールを持っていたかもしれないのです。
かれら坂東武士団のモラルこそ、「名こそ惜しけれ」でした。「坂東」とは箱根の東ということです。


(84-87ページ) 『司馬遼太郎の「武士道」』
著者・石原靖久 発行・平凡社
2004年8月25日 初版第一刷発行



『愛とロマンの昔話』に掲載
 (2014年11月17日)

つまり、『更級日記』を書いた菅原孝標の女(すがわらたかすえのむすめ)が“墨田の渡し”を通ったことが『スカイツリー下町歴史の散歩道』に出てきたので、『愛とロマンの昔話』という記事を書いたことを思い出したのですか?

そういうことですよ。。。

。。。で、私も その記事の中に出てくるのですか?

そうです。。。 だから、今日 小百合さんを呼び出したわけです。。。 その部分を読んでみてください。

デンマンの祖先は百済からやって来た


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僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのです。 家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。 僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。

それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?

後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。 つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。

つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?

難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。

それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?

そう言う事ですよう。

。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?

そんなモノは残っていませんよう。

。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?

僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。

その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?

“海外飛躍遺伝子”ですよう。 うしししし。。。

つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。 それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?

全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。

。。。んで、小百合さんの祖先も百済からやって来て武蔵国に定住したのでござ~♪~ますか?

そうです。 おそらく、百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったけれど、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって一緒に武蔵国まで行ったのですよ。

どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?

小百合さんの実家は館林にあるのです。 僕の実家から車で20分から30分ですよう。 目と鼻の先です。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんは日本で小百合さんにお会いした事は無かったのでござ~♪~ますか?

不思議な事に小百合さんと僕が初めて出会ったのはカナダのバーナビー市で小百合さんが13年間借りていた“山の家”だったのですよう。


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バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。


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この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に小百合さんが借りていた“山の家”があるのです。


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この家でデンマンさんは10数年前に小百合さんと初めてお会いになったのでござ~♪~ますか?

そうです。 次のように小百合さんの“山の家”の応接間で会ったのです。


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これって、またデンマンさんがコラージュしてでっち上げたのでござ~♪~ますわね?

確かに、上の写真は僕がでっち上げたのだけれど、現実でもねぇ、僕は、こうやって小百合さんと会ったのですよう。

でも、どうして小百合さんの祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たと分かるのですか?

小百合さんの DNA にも“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのです。 僕と同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、小百合さんは佐野からカナダのバーナビーに渡ったわけですよ。 そして僕と“山の家”で出会ったのです。

ただ、それだけの事でござ~♪~ますでしょう?

ただ、それだけじゃないですよう。 ちょっとジューンさんの言ったことを思い出してください。


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こんにちは。ジューンです。

袖触れ合うも他生の縁

(そでふれあうもたしょうのえん)

聞いたことがあるでしょう?

なかなか味わいのある諺ですよね。

袖が触れ合うようなちょっとしたことも、

前世からの深い因縁によって

起こるものである、と言う事です。

わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”

だと思ったのですわ。うふふふふ。。。

つまり、袖が触れ合ったのは、

全く偶然ではなくて、少しは

そうなる運命にあったのよう。。。

私は、そのように思い込んでいたのです。

でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。

「他生」というのは「前世」の事だと、

デンマンさんに教わったのですわ。

調べてみたら、「他生」とは

「前世」と「来世」の事を言うのですって。

上の諺では、文脈から「前世」となる訳ですよね。

この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。

そう言えば「今生の別れ」と言う語句を

何度か耳にしたことがありました。

仏教の輪廻(りんね)と関係のある諺なのでしょうね。

わたしは英語ではこの諺は無いと思っていたのですけれど、

調べてみたら、次のようなものがありましたわ。

A chance acquaintance is a divine ordinance.

Even a chance meeting is

due to the karma in previous life.

つまり、「偶然の出会いは神の定め」と言う事なのです。

多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。

カナダでは耳にしたことがありませんわ。


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ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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『出会い系の悪魔』より
 (2008年9月10日)

僕と小百合さんの出会いは、偶然の出会いのように見えて偶然ではないのですよう。 つまり、小百合さんと僕に共通するモノが実にたくさんあるのです。

“海外飛躍遺伝子”でござ~♪~ますか?

それも一つですよう。 まず、車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、僕と小百合さんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだった。僕の祖先と小百合さんの祖先が1400年程前に百済から日本に一緒に渡ってきた事が分かるような気がしますよう。小百合さんの祖先の娘は、やがて武蔵国から現在の栃木県の栗山村へ嫁にゆき、上の昔話を伝える事になったのですよう。どうですか?

確かに、そのような可能性があったかもしれませんわ。だってぇ~、デンマンさんの祖先の中には、きっとお話に出てくるような「ばか息子」が居たでしょうからねぇ~。。。うしししし。。。

一人ぐらい変わり者が居たかもしれませんよう。。。 とにかく、このように見てゆくと、すべての話がここで丸く収まるのですよう。 卑弥子さんも、そう思いませんか?


『愛とロマンの昔話』より
 (2014年11月17日)

でも、上のお話ってぇ、なんだかデンマンさんの“こじつけ”ですわよねぇ~。。。 (苦笑)

小百合さんは僕の話を信用しないのですか?

面白い話だとは思いますけれど、おそらく ここまで読んできたネット市民の皆様も信用しないと思いますわァ。。。 で、“海外飛躍遺伝子”の事を話すために、わざわざ私を呼び出したのですか?

いや。。。 もちろん そればかりではありませんよ。。。 あのねぇ~、冒頭に引用した話の中に“梅若伝説”というのがある。。。 これは能にもなった有名な伝説ですよ。


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“墨田の渡し”の渡し守が、「ちょうど昨年の今日、人買いに連れられみちのくへ下っていく12,3歳の少年が行き倒れ、ここに柳を植えて葬られた」と言う。

なんだか とっても可哀想なお話ですわねぇ~。。。

たまたま昨日 僕はバンクーバー市立図書館でDVDを借りて 日本の古い映画『山椒大夫』を観たのですよ。



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『実際のリスト』

デンマンさんが図書館で 1308番目に観た赤枠で囲んだ DVD ですか?

そうです。。。 英語では”Sansho the Bailiff”というのですよ。


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『実際のページ』


  予告編


  全編

僕は日本にいた頃にも『山椒大夫』を観たことがあったけれど、久しぶりに観ても また感動しましたよ。

。。。で、どうして この話を持ち出してきたのですか?

あのねぇ~、平安時代の末期、陸奥国の掾(律令制四等官のうち三等官)であった平正氏は、上役の罪に連座して筑紫国へ左遷されるのですよ。 京の都から陸奥国へ行くときには、安寿と厨子王も“墨田の渡し”を通ったはずです。 不幸なことに、上役が罪を犯したので父親も左遷されて筑紫国に流刑になった。 母親と幼い姉弟は、父親に会いに行く途中、越後国で人買いに騙され、離ればなれになってしまった。。。 昔は人買いが多かったのですよ。

それで、子供たちは奴隷として売られてしまったのですか?

そうなのです。。。 丹後国の荘園領主である人扱いの荒い山椒大夫に売られたのですよ。 やがて、成長したふたりは、荘園から脱走することを考えるようになった。 そしてある日、安寿は厨子王に脱走をすすめる。 厨子王は都への上洛を果たし、関白藤原師実の知己を得て丹後に国司として赴任するのです。

偉くなったのですわね。

そうです。。。 要するに山椒大夫よりも偉くなった。 厨子王の脱走とともに入水自殺した姉の菩提をとむらうとともに、丹後一帯での人買いを禁止した。 山椒大夫はやむなく、奴隷を解放し賃金労働者として雇うようになる。 その後、母が佐渡国にいると聞きつけた厨子王は、佐渡にむかい、盲人となった母親に再会するのですよ。

どうして、この話にデンマンさんは、それほど感動したのですか?

あのねぇ~、僕が4歳か5歳の頃、よくこの話を母親から“昔話”として聞かされて育ったのですよ。。。 それでねぇ~、暗くなるまで外で遊んでいると母親はよく言ったものですよ。。。 「そんなに暗くなるまで外で遊んでいると人買いに攫(さら)われてサーカスに売られてしまうよ!」。。。 小学生の頃なら、そんな事は信じなかったけれど、そう言われた時には、サーカスに売られてしまうのやヤダと、マジで怖くなったものですよ。

それで、日が暮れる前に遊びを止めて家に帰るようにしたのですか?

そうです。。。 母親の言う事を素直に聞く けっこう“よい子”だったのですよ。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
あなたは『山椒大夫』の映画を観たことがござ~ますか?
もうずいぶんと古い映画ですよね。

あたくしは鴎外の書いたお話を小説で読んだことはござ~ますけれど、
まだ映画を観たことはござ~ませんわァ。

バンクーバー市立図書館のデンマンさんのリストを見ると、
1307番に”Like father, like son”というタイトルが見えますけれど、
これは日本語の題名は『そして父になる』ですわァ。


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『実際のページ』

とっても感動的な映画でした。
日本でも、ずいぶんと話題になりましたから、
あなたもご覧になったでしょう!?

ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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メチャ面白い、

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