平和を愛し仲良く暮らしていた古代日本人


 
 
2006年6月26日 (月曜日)
 
  
平和を愛し仲良く暮らしていた

古代日本人。

万物に神が宿ると信じ、

平和に感謝して生きる民族。


それが古代日本人で
ござ~♪~ますのよ!

そして現在、
北海道の片隅で
生活しているアイヌ人です。

この人たちこそ、
直系の古代日本人の
子孫ですわぁ。

おほほほほ。。。。

デンマンさんが
出ろっつうんでぇ~
また、出てまいりましたのよ!

戦争を無くす事は
できますよね?!

ん?
あなたは、そう思えないのねぇ~?

思いなさいよォ~!
信じる者は救われると
言うざ~♪~ますでしょう?
おほほほほ。。。。

卑弥子さんも、そのように言っているので、この際、信じることにしましょうね。
ところで、僕が6月21日にフルーツ・ブログで書いた記事(『万物に神が宿ると信じ、平和に感謝して生きる民族』)にメンバーのじゅぁきさんから次のようなコメントをもらいました。
いつものことですが、ありがとね。


またコメントしに来ました^^;;。
なんか自分だけコメントしてるの申し訳ないのですが・・・。

今回の記事で、歴史的な問題が
非常にわかりやすく書かれていて大変興味深く読ませていただきました。
多少、何かの雑学本で読んだ内容だったので、なるほどと思いました。

前にアイヌの信仰を知ってると書きましたが、
何で知ってるのか全然記憶がなかったのですが、
急に思い出しました^^;;。

小学校の頃によくいっていたラーメン屋がどさん子といい、
そこの暖簾にアイヌの言葉が書いてあったんですね。
もう忘れてしまっていますが^^;;。
で、アイヌに興味持って、図書館で調べたと思います。
その時にアイヌの信仰を知ったと思います。

それがいつの間にか、自分の信仰になっているのかもしれません。
小学校3,4年の頃なので影響があったんでしょう(笑)。
また、機会があればよろしくお願いします。

by じゅぁき ◆ starclew 2006/06/23 17:00

僕はさっそく次のような返信を書きました。

> またコメントしに来ました^^;;。

いつでもどうぞ。
大歓迎ですよ。
じゅぁきさんのコメントから何度かインスピレーションをもらって、
結構記事が書けましたからね。
感謝感激で~♪~す!

(*^_^*)キャハハハ。。。

ありがとね。
(^_^)キャハハハ。。。

> なんか自分だけコメントしてるの申し訳ないのですが・・・。

いやいや。。。
遠慮しないでくださいね。
申し訳ないことなんてないですよ。
もう、どんどんコメント付けちゃって下さいね!
(^Д^)ギャハハハハ。。。。

待ってますよ!
(⌒∀⌒)ノキャハハハ。。。

> 今回の記事で、歴史的な問題が非常にわかりやすく書かれていて
> 大変興味深く読ませていただきました。
> 多少、何かの雑学本で読んだ内容だったので、
> なるほどと思いました。

そうですかああああ~
そう言ってもらえるとうれしいですよ。
(^v^)

これからも分かりやすく面白い記事を書くつもりですよ。
じゅぁき さんも時たまコメントを書いて、
僕にインスピレーションを与えてくださいね。
そうすれが、ルンルンル~♪~ン♪┌(・。・)┘♪
気分で楽しく書けますからね。
うへへへへ。。。。。

> 前にアイヌの信仰を知ってると書きましたが、
> 何で知ってるのか全然記憶がなかったのですが、
> 急に思い出しました^^;;。
> 小学校の頃によくいっていたラーメン屋がどさん子といい、
> そこの暖簾にアイヌの言葉が書いてあったんですね。

ほ~~~。。。
ラーメン屋でねええええ~~
なかなか面白いお話ですね。

> もう忘れてしまっていますが^^;;。
> で、アイヌに興味持って、図書館で調べたと思います。
> その時にアイヌの信仰を知ったと思います。
> それがいつの間にか、自分の信仰になっているのかもしれません。
> 小学校3,4年の頃なので影響があったんでしょう(笑)。

万物に神が宿るという信仰は、考えてみれば戦争反対信仰でしょうね。
つまり、万物に神が宿るから、戦争を起こす事ができないわけですよね。戦争というのはもともと破壊が目的ですからね。
精神的にも肉体的にも物質的にも相手を破壊する。
近頃はテポドンで日本は騒いでいるようですが、
テポドンなど万物破壊兵器の見本みたいなものですよね。
まさに、アイヌ人の信仰には受け入れがたいものでしょうね。

> また、機会があればよろしくお願いします。

こちらこそ。
また気が向いたらコメントを書いてくださいね。
じゃあね。

by デンマン 2006/06/16 18:27

『万物に神が宿ると信じ、平和に感謝して生きる民族。(2006/06/21 Wed)』のコメント欄より

じゅぁきさんのコメントがいつものように僕にインスピレーションを与えてくれました。
ラーメンで思い出しましたが。。。
僕はラーメンが好きなんですよ。
僕の好物は仙台の五右衛門ラーメンです。

これは食べ残しの写真ですけれどね。。。うへへへ。。。
手打ちの太い麺を使ったもので、
味噌味、塩味、しょうゆ味の3種類がありました。
僕の好物は味噌味のモノです。

仙台は僕の第2のふるさとなんですよ。

僕はこの新しい駅ができる前の古い駅を知っています。
高校生の頃、仙台に立ち寄ったのですが、旅費を稼ぐためにこの旧駅舎で一晩夜を明かした事があります。
僕の他にも10数人一晩夜を明かした人たちがいましたよ。
ほとんどの人が“田舎の人たち”という印象を与える表情をしていました。

つまり、苦労が顔のシワに現れているような純朴そうな人の顔ですよ。
ああいう素朴で苦労人の表情が最近の日本人の顔からなくなっていますよね。
もちろん、僕自身も苦労を知らない顔をしていますよ。うへへへへ。。。。

でも、僕は違う苦労をしています。
それは、冒険による苦労です。
贅沢な苦労ですよね。うひひひひ。。。。

でも、死ぬ思いを10本の指では数え切れないほどしています。
今、生きているのが不思議なほどですよ!

高校生の頃の自分には想像もつかないような人生を歩んできてしまいました。
とにかく30カ国近い国を放浪したのですから。。。
この町の仙台商業高校で後年、教育実習をやることになり、数学を教えるとは夢にも思っていませんでした。

。。。仙台駅の事ですが。。。
寒くてベンチでは眠れなかったですよ。
それでも、駅舎を閉めずに待合室に居させてくれただけ良かったです。
北海道の小樽駅で、僕が一晩駅舎で明かそうとしたら、
当時の(あのレンガ造りの)小樽駅ではドアを閉めて、待合室では夜を明かすことができませんでした。
つまり、11時頃の最終列車が出ると追い出されてしまったわけです。

現在の小樽駅の建物は3代目で昭和9年に建てられた。
道内では木造駅舎の札幌、函館に先んじた鉄筋コンクリート造りの近代的駅舎。
東京の上野駅に似ており、同時期に建てられた小樽市庁舎ともそっくり。
僕の記憶の中ではレンガ造りなんですよね。
これとは形も違っている。
僕は他の建物と勘違いしていたのだろうか????

仙台駅では、駅員がお客を追い出すような事はしませんでした。
でも、とにかく寒くてベンチにゴロッと横になっても眠れませんでしたね。
スチームのパイプにわずかなぬくもりが残っていて、
僕は母親の肌のぬくもりを求める幼児のように
身を摺り寄せながら、スチームのパイプに体をこすり付けるようにして震えていたものです。
今から思えば懐かしいですよ。

寒くて空腹な僕が、まず朝一番に食べたのがラーメンだったのですよ。
うまかったですねええええええ~~~。
でも、味なんかどうでも良かったんですよ。
とにかく、腹に入って体がぬくもるもの。。。
それだけ。。。
ぬくもりを求めてラーメンを食べました。

その時食べたのは五右衛門ラーメンではありませんでした。
ごく、当たり前のラーメンでした。

杜の都仙台。
その名の通り緑の多い街が仙台です。
この文字通り“青葉通り”を歩いて1番町まで行きます。
そこで小さな路地裏の店に入ると五右衛門ラ-メンが食べられました。
今でもあるのかどうか?

もしあなたが仙台の人なら、教えてくださいね。
ぜひコメントに書いてください。
当時、250円か350円ほどだったと思います。
30円か50円出すと大盛りにしてくれましたよ。

しかし、このラーメンの話は余談なんですよ。
じゅぁきさんのコメントからもらったインスピレーションはラーメンではないのです。
“アイヌの言葉”です。

じゅぁきさんはラーメン屋の暖簾にアイヌの言葉を見たと書いていました。
僕の知る限りアイヌ人には書き言葉がないんですよ。
つまり、アイヌ字がないはずです。
たぶん、日本語のひらがなか、カタカナを使って書かれていたんでしょうね。
たいてい、次の引用で示すようにカタカナを使って書いているようですよね。

アイヌ語を奪われたアイヌ人

イランカラプテ。
この言葉を教わったのは、農家に嫁ぎ、二風谷のアイヌ語教室に通っている女性からだった。

「あなたの心にそっと触れさせて下さい」

そんな慎ましやかな意味をもつ言葉をアイヌは挨拶のときにかわす。
和語の「はじめまして」と同じように、である。
私には「イランカラプテ」がアイヌ語との最初の出会いだったけれども、
アイヌの、心の奥行きを見たようだった。

私は数ヶ月ぶりにアイヌ語教室を訪ねた。
開講して11年目を迎えたアイヌ語教室・子供の部に、
今年はちょっとした出来事があったと聞いた。

久しぶりの教室には、自分たちの想い出がつまったビデオを見る子供たちの騒がしい声に包まれていた。
「ああ、あの人だ!」と誰かが画面を指さして、皆の歓声が「爆発」する。
ビデオには、五月の連休にカナダの先住民を訪ねたとき、そこで出会った人たちが映っている。

先住民として、誇り高く生きる人々。
子供たちは、その生きざまと暮らしに触れて帰ってきた。

ここに来ているアイヌの生徒たちは、アイヌ語を母語として受け継ぐことはなかった。
母語とは、母が子に乳を与えるように、周囲に囁きかけられながら、知らず知らずのうち身につけていく言葉だとすれば、高齢者でも、母語・アイヌ語を獲得した人は、少ない。

「滅びゆく言語」と、実際を無視していわれた時期があった。
言葉をここまで追いつめた歴史を辿ると、アイヌ自身が自ら言葉を放棄せざるをえないほど、有形無形の社会的な圧力が存在していたことがわかる。

明治政府はアイヌから一方的に生きる基盤を奪い、彼らが貧窮してもそのまま「放置」していた。
だが、天皇制国家である以上、その子弟は「教育」し、皇民化しなければならない体面もあった。
「教育」とは民族の否定、同化を指向した。

アイヌ集落に建てられた「旧土人学校」は、アイヌに多大な影響を及ぼした。
「アイヌの言葉を喋ると、先生にひどく叱られた。
殴る先生がとても恐かった」と、ある老人は当時を語る。
また、アイヌ系児童の成績が良いと、「アイヌのくせに、そんなにできるはずはない」と叱り、シャモの子には、「アイヌでさえできるのにお前達はなぜできない!」と教師が渇を入れたとも聞いた。

子供たちは出口のない袋小路にいた。ひたすら、民族の誇りを奪われ、劣等感を植えつけられていく。

「悲しむべし今のアイヌはアイヌをば
 卑下しながらにシャモ化してゆく」

そう歌ったのは、昭和4年、27才で逝ったアイヌの歌人、違星北斗である。
容赦のない、同化への圧力が働いていた。
目には見えない、凍りつくような差別の空気。
真綿で首をしめていくような重たい圧迫感。

父や母、祖父母たちもアイヌのことを伝えられない。
口をつぐむぎ、わが「血をうすめる」ことが子供の幸せと考えるほかなかったからだ。
母語の灯は、自らの吐息で一つ一つ、ふき消されていった。

『イランカラプテ』より

当時の明治政府はアイヌ人同化政策のためにアイヌ人からアイヌ語を奪ってしまったんですよね。
同じような事を明治政府は台湾人、それに当時の朝鮮人に対してもしたんですよね。
明治政府が推し進めた“義務教育”は昭和になってから日本が“経済大国”になる原動力になったけれど、
その影で民族の言葉を奪われてしまったアイヌ人が居たわけです。

このようなことは2度としてはならない事ですよね。

では、以前に紹介したじゅぁきさんのコメントをもう一度。。。


アイヌの話はどこかで聞いた事があって、
正直すばらしい民族だと思いました。
確か宗教も万物に神が宿り、
全てに感謝して生きるというものだったと記憶しています。
もし、この文化が根付いていれば
戦争なくなる第一歩なんですが。

それと戦争インフラはものすごくわかります。
明らかに日本の政府は取り込まれてますよね?
ケネディがそうだったという噂はありますが、
まぁ内心事実と思っていますが、
一応証拠ないですので^^;;。

お金儲けのために何でもありの武器商人。
でもアメリカだけでなく三菱系や住友重工系でも武器って作ってませんでしたっけ?
こういった戦争インフラが戦争を好むんですよね?
どうやって失くせばいいんでしょう・・・。

最近は戦争とずれますが、
障害者自立支援法案という悪法が通ってしまいました。
無力を感じたできごとでした。

まずは声を出して言うことから始めるしかないですかね?
黙っていても何も変わらないのはわかってるし。

今はそんな気分です(笑)。

by じゅぁき 2006/06/16 09:19

『戦争を無くす事はできますよね。(2006/06/15 Thu)』のコメント欄より

大和朝廷は明治政府よりも、

もっとひどい事を

アイヌ人に対してやったのです

これはかなり血なまぐさい絵ですよね。
実は、この絵は板蓋宮(いたぶきのみや)における蘇我入鹿(そがいるか)の暗殺の場です。

この暗殺によって、現代の日本の“基礎”ができあがった!
。。。と言っても決して言い過ぎではない程の事件なのです。

なぜか?

太刀を振り上げているのが中大兄皇子(後の天智天皇)。
つまり、入鹿の首をたたき切ったのが後の天智天皇だったのです。
弓を手にしているのが中臣鎌足(後の藤原鎌足)です。

この鎌足こそ藤原不比等の父親なのです。
この不比等は日本史ではもちろんのこと、世界史でも他に例がないほどの“とんでもないこと”をやり遂げた人物なのです。
詳しい事は次のリンクをクリックして読んでみてください。
『愛なき批判は空虚にして、批判なき愛は盲目なり – 歴史書を私物化することは許されないということ!』

この首を切られた入鹿の父親の名前が蝦夷(えみし)なのです。
つまり、当時の“アイヌ人”という意味です。

“蝦夷(えぞ)征伐”をするために、当時の大和朝廷は古代アイヌ人を悪者に仕立て上げた。
『日本書紀』には古代アイヌ人のことを太平洋戦争時代の“鬼畜米英”というスローガンのように、悪口だけしか書いてありません。
つまり、何が何でも古代アイヌ人を悪者に仕立て上げてしまった。

この『日本書紀』の編集長こそ藤原不比等です。
一口に言えば、蘇我氏を滅ぼした事を正当化し、“藤原政権”を確立すための書物が『日本書紀』と『古事記』だと言う事ができると思います。

詳しい事は次の記事を読んでみてください。

■ 『真理は作られた?日本書紀と古事記』

■ 『なぜ、蝦夷という名前なの?』

つまり、蘇我蝦夷という人物は“蝦夷”の他にも名前を持っていた。
しかし、藤原不比等はこの人物を “蝦夷のように悪いやつ” という事を印象付けるために、そのように呼んだ訳です。
要するに、“蘇我氏という氏族はアイヌ人のように悪い奴らなんだよ!”という事を読む人に訴えたわけです。
そうやって、蘇我氏を滅ぼしたことを正当化しようとした。

しかし、じっくりと歴史を見れば、決して蘇我氏は悪者ではないのですよね。
それが証拠に、大化の改新で中大兄皇子が成し遂げた事は、すでに蘇我氏が考えていた事をそのまま継承して実行したに過ぎない。
中大兄皇子は実権を握りたかった。
つまり、権力闘争だったんですよね。
その事を『日本書紀』で正当化した。

中大兄皇子は後に天智天皇になって、日本史ではすばらしい人物として教えられてきた。
僕も歴史の時間に、天智天皇はすばらしい人間だと教わった。
もちろん、現在でも、僕は天智天皇が下らない人間だったとは思っていません。
その実行力と行動力、すばらしいと信じているアイデアを実施してゆくというエネルギーとガッツには目を見張らせるモノがあります。

しかし、やりすぎてしまった。
庶民の心、アイヌ人の心を、(そして、女性の心も。。。)充分には理解していなかった!

天智天皇は、

アイヌ人にも迷惑をかけた

古代韓国で戦争に加担した。
それで、663年に白村江の戦いで敗れた!
天智帝(まだ正式には天皇ではありませんが、政治を担っています)にとっては、決定的な痛手だった。
先ず人望を失います。

これとは反対に、多くの人が、大海人皇子(後の天武天皇)になびいてゆきます。
ちょうど、太平洋戦争に負けた日本のような状態だったでしょう。
当時の大和朝廷は、まだ唐と新羅の連合軍に占領されたわけではありません。
しかし、問題は白村江で大敗したという重大ニュースです。

おそらく、天智天皇は『一億玉砕』をさけんで、しきりに当時の大和民族の大和魂を煽り立てたでしょう。
しかし厭戦気分が広がります。それを煽り立てるのが大海人皇子を始めとする新羅派です。

国を滅ぼされてしまった百済人が難民となって続々と日本へやってきます。
天智帝が援助の手を差し伸べます。
しかし戦費を使い果たした上に、さらに重税が割り当てられるのでは、大和民族にとっては、たまったものではありません。
そういう税金が百済人のために使われると思えば、ますます嫌になります。
天智天皇の人気は底をつきます。

そればかりではありません。天智天皇はもう必死になって、九州から近畿地方に至る大防衛網を構築し始めます。

664年

「甲子の宣(かっしのせん)」を出して豪族の再編成をすすめる。
対馬・壱岐・筑紫に防人(さきもり-東日本出身の兵隊)や
通信手段としての「烽(とぶひ)」を置く。
戦前に造った山城を強固にする。
博多湾岸にある那津官家(なのつのみやけ-筑紫大宰)を
南の内陸部(現太宰府市)に移転する。
百済からの亡命者の指導によって,大宰府を守るための水城を築く。

665年

新たに,大宰府の役人たちが逃げ込むための城として大野城や基肄(きい)城、
長門城などの朝鮮式山城を築く。
11月さらに大和に高安城、讃岐に屋島城,対馬に金田城を築く。

667年

飛鳥から大津に都を遷都する。

668年

中大兄皇子、正式に天智天皇として即位する。
大津遷都には多くの豪族が不満を持つ。
常に急進的な政治を行う中大兄皇子の一大決心だったが、
大和の豪族たちは大反対運動を起こす。

しかし、天智天皇は重大な間違いを犯してしまった。
唐・新羅同盟軍の侵攻を防ぐために、天智帝は上の地図で示したような、一大防衛網を築いたのです。
(現在で言うなら、テポドンに備えるようなものですよ!
その防衛網を実際に構築したんですよ!
その実行力は確かにすごい!)

そのために、一体何十万人の人々が動員されたことか?
しかし、天智天皇の防衛計画を本当に理解している人は、おそらく10パーセントにも達しなかったでしょう。

「何でこんな無駄なことをさせられるのか?」

大多数の人は理解に苦しんだことでしょう。

魏志倭人伝に書いてあるとおり、原日本人(アイヌ人の祖先)というのは、伝統的に町の周りに城壁を築くようなことをしません。
したがって、山城を築くようなこともしません。
これは朝鮮半島的な発想です。
原日本人にとって、山は信仰の対象です!
聖域に入り込んで、山を崩したり、様相を変えたり、岩を積み上げたりすることは、神を冒涜することに等しいわけです。
このことだけをとってみても、天智天皇は土着の大和民族、古代アイヌ人から、総スカンを喰らう。
「今に見ていろ。きっとバチが当たるから!」

しかも、これだけでよせばいいのに、東国から、防人(さきもり)を徴用する。
東国には、当時アイヌ人の祖先がたくさん暮らしていた。
つまり、大和人に同化したアイヌ人もたくさん居た。
この人たちは、文字通り、万物に神が宿ると信じて、平和に感謝して生きる人たちだった。

この防人というのは、九州の防衛に狩り出される警備兵です。
そのような素朴な人たちまでもが警備兵として狩り出される。
往きは良い良い帰りは怖いです。
というのは、帰りは自弁当です。
つまり自費で帰国しなければなりません。

したがって金の切れ目が命の切れ目で、故郷にたどり着けずに野垂れ死にをする人が結構居たそうです。
それはそうでしょう、新幹線があるわけでありませんから、徒歩でテクテクと九州から関東平野までテクシーです。
ホテルなんてしゃれたものはもちろんありません。
途中で追いはぎに襲われ、身ぐるみはがれたら、もう死を覚悟しなければなりません。
さんざ、こき使われた挙句、放り出されるように帰れ、と言われたのでは天智天皇の人気が出るわけがありません。
人気どころか怨嗟の的になります。
「今に見ていろ。きっとバチが当たるゾ!」

それで、バチが当たって暗殺されたわけです。
うへへへへ。。。
失礼!天智天皇ファンには申し訳ない失笑でした。(ハンセ~~)

何代かさかのぼれば、天智天皇の祖先は古代朝鮮の任那(みまな)からやってきたんですよ。
だから、古代日本人の気持ちが充分に理解できなかった!

詳しい事は次の記事を読んでください。
『天武天皇と天智天皇は同腹の兄弟ではなかった』

つまり、僕が何を言いたいかというと。。。
古代日本人は万物に神が宿ると信じ、平和に感謝しながら生きていた、という事ですよ。
つまり、戦争など馬鹿馬鹿しくてやらなかった。
だから、中国やヨーロッパのように町を城壁で囲む事もしなかった。

万物に神が宿ると信じている!
戦争などできるはずがないんですよ!

山を崩したり、岩を押し上げたりして山城を築く事なんて神を冒涜する事ですよ。
山は聖域だった!
戦火で森や林を焼く事も神を冒涜する事です。

現在だって、素朴な農村に行けば、今でも万物に神が宿ると素直に信じているお年寄りが日本にはたくさん居ます。
我々の血の中にも、古代日本人の血が少しは流れているんですよ。


ミノア人のファッショナブルな女性たち。
クノッソス宮殿の発掘現場で
考古学者のアーサーエヴァンズが初めてこのフレスコ画を目にした時、
思わず “可愛いパリジェンヌ” と口から出たと言う、いわく付きの壁画。

このお話については次のリンクをクリックして読んでくださいね。
『ラピスラズリ と 美女アメニア (前書き)』

古代日本人はミノア人(古代クレタ人)と同じように平和を愛する民族だったんです。
現代日本人のようにアメリカの防波堤にされて、ぇへらぇへら不気味に笑うような国民ではなかったんですよ!
(これはちょっと飛躍でしたよね!えへっへへへ。。。。)

とにかく、そのようなわけで、現在、純アイヌ人は好戦的な日本人に追いやられて、北海道の北の端でひっそりと暮らしています。

でもね、どちらが幸せな民族なのか。。。?
昔ながらの伝統を守って、こじんまりと落ち着いた生活を送っているアイヌ人。

現代日本人は経済大国になったけれど、
今夜のテレビニュースを見るまでもなく、
崩壊家庭に育った若者が常識では考えられないような悲惨な事件を引き起こしている!
それも、ほとんど毎日のように!

日本はどこか狂ってしまったのではないか?
。。。こう思うのは僕だけではないと思いますよ!
でしょう?
あなただって、日本がちょっと異常になり始めていると思いませんか?

何度も言うように、政治家が年金をごまかす!
日本国民の福祉と幸せを願って国政を預かる人たちが年金をごまかす。
一体、どういう神経を持っているのか?
どういうオツムを持っているのか?

年金をごまかした国会議員のほとんどすべてが、
今でもあなたの税金を使いながら、国会議事堂の中を歩いていますよ。
うへへへへ。。。。

“デンマンさん、日本へもどってきて政治家になってください”、と言ってくれた人が居ますが、
年金をごまかすような日本のダメな政治家と国会で政治をやるなんて馬鹿らしくてできませんよ。
あの大橋巨泉さんが嫌気がさしてしまうぐらいの政治の内容なんですからね。。。。
馬鹿馬鹿しくてやってられないんでしょうね。その気持ちが分かりますよ。

だから僕は、国を越えたレベルで、世界のネット市民の一人として正しいと思うことを一人でも多くの人に読んでもらう。
それが僕のできる事だし、それが僕にとって“草の根政治”だと信じていますよ。

戦争が無くなるまであと200年はかかるでしょうね。
でもね、いつか必ず地球から戦争は無くなりますよ!

戦国時代のことを考えてみてくださいよ!
戦国時代に、マジで戦争がなくなる日本を考えた人が居たと思いますか?
でも、現在、日本国内で県と県が戦争する事なんて絶対にありえませんよね。

つまりね、まだまだ、世界レベルで政治や戦争の事をマジで考える事のできる人たちが、極めて少ないという事ですよ!
僕は早く生まれすぎたんですよ!
100年遅く生まれてきたら政治家になりますよ!
しかし、日本に年金をごまかす政治家が居る限り、馬鹿馬鹿しくて政治家なんかになれませんよ。
時間の無駄です。
意味のない事をやる事は犬死ですからね。
年金をごまかす政治家と肩を並べて政治をやるのは、僕にとって犬死に等しいですよ。
それよりも、自分の信じる事をこうしてブログで記事にして書いた方がよっぽど世界のネットの発展のためになると信じているんですよ。
うへへへへ。。。。

いつの時代にも、戦争などする事は馬鹿馬鹿しいという事は常識だったんですよ。
頭のいい民族はやらなかった。
古代ミノア人!
古代日本人!

どうして戦争をやめないのか?
戦争をすると。。。
金が儲かる人たちがいる。
権力を維持できる人たちがいる!

馬鹿を見るのは何も知らない庶民です!
僕はそのような馬鹿な庶民の一人として死にたくない。

だから、世界のネット市民の一人としてバンクーバーでこうしてブログを書いています。
Grassroots Net Politicsを実践しているつもりなんですよ。。。うへへへへ。。。。。

“grassroots net politics” を入れてGoogleで検索してみたら、一つも引っかかりませんでした。
でも、このような活動をしている人が全世界に居ますよ。
僕もそのうちの一人です。

So, let’s carry out grassroots net politics, shall we?

とにかく、時間があったら次の記事を読んでくださいね。

■ 『戦争はなくす事ができるものです』

では。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、ためになる関連記事

■ 『デンマンのブログを削除した管理人に対する公開抗議文とその面白い顛末』

■ 『日本は軍国主義への道を歩んでいるのでしょうか?』

■ 『2ちゃんねるは世界のネットのために貢献できるか?』

■ 『日本のネットではありませんよ! 世界のネットです!』

■ 『日本の皇室はどうあるべきでしょうか?』

■ 『一体、日本は良くなるの?』

■ 『どうして、こうも犯罪が増えている?警察はホントに駄目になったの?』

■ 『日本人に欠けているものは?』

■ 『日本のネットで迷惑を振りまいているウツケ者たち』

■ 『国際化・グローバル化とはあなたにとってどのようなものですか?』

■ 『日本 ☆ 日本人 ☆ 日本社会 ☆ 比較文化論』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

 

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。