カン違い大岡越前


   
  
2013年5月24日 (金曜日)
 
 
カン違い大岡越前
 
 





あ~♪~らァ。。。 デンマンさん。。。あたくしと大岡越前様を縦に並べてくださったのでござ~♪~ますか?

いけませんか?

いけないどころか昔のいい男と並べてくださって、あたくしは天にも昇る心地がするのでござ~ますわア! うふふふふふ。。。

そんなに喜ばないでくださいよう。

だってぇ~、大岡越前様は日本史の中でも、とっても尊敬されているいい男ですものォ~。 その殿方と一緒にデンマンさんの記事に出てこれるなんて女冥利(おんなみょうり)に尽きますわァ~。。。 おほほほほほ。。。

あのねぇ~、大岡越前は必要以上に美化されているのですよう。

あらっ。。。 そうなのですか? どうしてでござ~ますか?

かつて僕は大岡越前のことで調べたことがあったのですよ。 その時の記事から書き出しますから卑弥子さんも読んでみてください。


(hakuseki2.gif)

「ある時(新井白石は)母親に尋ねたそうだ。『母上、おなごというものは、一体いくつになるまで殿方と閨房にて睦み事をなさりたいと思うので御座いますか?』とね。実は、新井白石は、父が57歳、母が42才の時に生まれた子供だった。今日でさえ大変な高齢時の出産といわれる。だから、昔は40才過ぎた母親から生まれると“恥かきっ子”と呼ばれ、からかわれたりした。そういうわけで、白石の頭のどこかで、そのことが気になっていたのかもしれない」

「それでお母さんは何と答えたの?」

「それが昔のことだからね、母と息子がセックスの話などするなんてとても考えられない。お母さんも、わが息子が大真面目な顔して、そんなことを尋ねられたものだから、さぞかしビックリしたに違いない」

「それで?」

「お母さんは、どのように答えようかと困ってしまった。昔の女性のことだから、その年になってもポッと頬を染め、うつむいてモジモジと火鉢の中に眼をおとし、火箸で灰の中に『の』の字を書いた」

「『母上、いかがなもので御座いましょうか?』と、息子は返事をさいそくする。お母さんは、うつむいたままモジモジと灰の中に『の』の字を書く。そのうち、頭脳明晰な新井白石には、ハッと閃くものがあった」

「どういうこと?」

「新井白石はおじぎをすると、『ありがとうございました』とお礼を言った」

「答えてくれたの?」

「そうさ。ちゃんと答えた」

「なんと言って?」

「言葉にだしては何も言わなかった」

「分からないわ。どういうこと?」

「『この母ありて、この子あり』 頭脳明晰な新井白石のお母さんだから、やはり頭のよい人だった。お母さんは、ちゃんと仕草で答えを表していたんだ。白石はちゃんと気付いた。あとでお母さんの部屋から出ながら、口の中でつぶやいた。『灰になるまでか!』」

「あたし、まだ分からないわ。どういうこと?」

「ジューンさんは、こういう風習には、あまり馴染みがないかもしれないけれど、日本では、たいてい人が死ぬと遺体を焼くんだ。だから、『灰になるまで』とは、“死ぬまで”という意味だ」

「それ本当にあった母と息子の対話なの?」

「出どころをインターネットで調べたけれど、ついに分からなかった。でも僕と同じように、この話をどこかで聞いたとみえて、ページに載せている人がいた。そのひとのページにはこんな風に紹介されている」


(karesusuki.gif)

近代史解釈:
歴史は夜、つくられるとゆー
その昔、新井白石は母に問うた
「女性の性欲は、何時までありますか」
 .....灰文字

       

「それだけ?」

「そう。この人のページにも、どこでこの話を聞いたのかは書いてない」

「デンマンさんはどこでこの話を知ったの?」

「若い頃、落語で聞いた覚えがある。もし、どなたか出どころを知っていたら教えて欲しい」


『大岡越前とセックス』
(2005年10月6日)

あらっ。。。 ジューンさんと、このようなエロいお話をなさったのでござ~♪~ますか?

別に、それ程エロいとは思いませんけどねぇ~。。。

でも、大岡越前様が出てこないじゃありませんかァ。

あのねぇ~、この記事をすでに無くなってしまった Realog の『デンマンのブログ』に2005年の10月5日に投稿したのですよ。 そしたら、なんと10分後にRealogのメンバーであるBogyさんから次のようなコメントをもらったのです。 その早さに驚きました! これほど早くコメントをもらったのは初めてのことです。 卑弥子さんも読んでみてください。

はじめまして!
「新井白石」は「大岡越前」では?

外国の方に、「叙情的」な日本語の表現は、説明が難しいですね!

by Bogy 2005/10/05 15:50

ん? 大岡越前? まさかあああ! 僕は実際そう叫んでしまったほどです。 あり得ない事のように思えたのですよう。 しかし、全く予期しなかった事とはいえ、わずか10分後にわざわざ無意味なコメントを書く人もあり得ないと思ったので、とにかく調べてみようと思ったのです。 せっかく親切にコメントを書いてくれたので無視するのは申し訳ない! そのようなわけで、さっそくGOOGLEで検索してみた。 結果は次のリンクをクリックしてみてください。(新しいウィンドーが開きます。)

GOOGLEで「大岡越前 性欲 女性 灰 面白い」を検索した結果

僕が2005年の10月に調べたときには、445件のヒットがあったのです。 さっき調べてみたら次のような結果が得られた。


(gog30524.gif)

なんと。。。 2013年5月24日現在で 9,170件ヒットしましたよ。 8年の間にずいぶんと増えたものです。 ちなみに大岡越前を新井白石に変えて検索してみたらどうなるか?

GOOGLEで「新井白石 性欲 女性 灰 面白い」を検索した結果

僕が2005年の10月に調べた時には 56件のヒットでした。 さっき調べたら次のような結果になりました。


(gog30524b.gif)

驚きましたねぇ~。。。 なんとォ~、71,400件ですよ! すっかり同じ条件で検索したのですよ。 現在では新井白石の方がマジで多くなっているのです! 信じられませんねぇ~。 これを読んでいるあなたも信じられないでしょう! 8年という月日は、これだけの違いを産むのですねぇ~。。。! 信じられない人は上の検索結果のトップのページをクリックして読んでみてください。

読むと、どうなるのでござ~ますか?

あのねぇ~、SO-NETのブログは不具合が生じて、ブロガーである僕自身が管理ページに入れなくなっている。

どうしてでござ~ますか?

なぜかパスワードが変わってしまった。

SO-NETの管理人に言ってパスワードを更新すればよいではござませんか!

ところがテクニカルな事が全く解らない人物が応対に出て、埒が開かなかった。 だから僕は2007年以来SO-NETのブログを更新できない状態のままですよ。

つまり、上の検索結果に表示されたページは投稿した時から全く更新していないのでござ~ますか?

その通りです。 だから、本文中のGOOGLE検索のURLも2005年に投稿した時のままです。 つまい、僕が検索結果を故意に増やすためにURLを変えてないことが理解できると思うのです。 とにかく、大岡越前にも新井白石にも同じようなエピソードがある。 しかし、検索結果から見れば、2005年の10月の時点では、大岡越前の方が8倍も多かったのですよ。 数字の上から見れば、もう間違いなく大岡越前なんですよね。

確かに、そうでござ~ますわね。

ところが8年後の現在では、新井白石の方が8倍多い! 逆転してしまったのですよ! 驚きました。 とにかく、僕はどうしても新井白石とこのエピソードを切り離しては考えられないのです。 このエピソードは新井白石とお母さんで無ければならないような気がするのです。

どうしてでござ~ますか?

例えばですよ。 寅さんは渥美清が演じなければしっくりきませんよね。 あの寅さんを加山雄三が演じたら全くイメージが壊れてしまいますよね。 寅さんは渥美清、渥美清は寅さん。 卑弥子さんだって、そう思うでしょう?

そうですわねぇ~。。。 寅さんを加山雄三が演じたら、全くサマにならないと思いますわ。

でしょう!? 僕の頭の中で、上のエピソードは新井白石と彼のお母さんでなければならなかった。 急に大岡越前と言われたって、僕の頭の中ではイメージを切り替える事ができないんですよね。 それほど新井白石と彼のお母さんが火鉢の灰の上に『の』の字を書くシーンが僕の脳裏に焼きついてしまっていた。 そういうわけで、僕は大岡越前についてもう一度調べ直してみようと思い立ったのです。 僕の調べた結果を次に示します。 卑弥子さんも、じっくり読んでみてください。

本名は忠相(ただすけ)。越前守だったことから「大岡越前」と呼ばれる。
1677年に旗本の家に生まれる。旗本大岡美濃守忠高の4男。
1686年(貞享3年)10歳のとき同族の大岡忠真(大岡忠右エ門忠真)の養子となる。
養父病死のため、1700年(元禄13年)家督を継ぐ。寄合旗本無役。
24歳で家督を継いで35歳で重大事件を審議・裁判する評定所の一員となった。
その後41歳で江戸町奉行に任命され、8代将軍徳川吉宗の命をうけてからは、裁判だけでなく江戸火消しの「いろは四十八組」を創設したり、小石川養成所などを開設するといった行政面での業績を残した。
1736年、寺社奉行。
1748年、三河国西大平(現岡崎市)1万石を領し大名に。町奉行から大名となったのは、江戸時代を通じて忠相一人だけである。
1751年、病気により辞し、同年6月吉宗が没し、12月忠相も死去。

大岡越前といえば「大岡裁き」と呼ばれる名裁判で知られ、特に2人の母親に子供を引っ張らせることで実の母親を決めたという話が有名です。
しかし、この話は大岡越前とは全く無縁の話なのです。実はこれは江戸時代「大岡政談」という小説に描かれたもので全くの作り話。
19年間の在任中裁判は3回しか行なわれず、そのうち大岡越前が執り行ったのは1回だけ!

忠相が町奉行時代に実際に裁いたのは「白子屋お熊事件」のみであり、現代に「大岡裁き」として伝えられているものの多くは、関東郡代等他の奉行のものや中国の故事などに基づいている。
しかし、忠相が名奉行として人々に記憶されていたことの証(あかし)にはなっている。
つまり、名裁判官でなければこのような言い伝えが残らなかったと言うわけです。

これだけ調べて、僕は、なるほど~、そういうことだったのかと思い当たりました。

何に思い当たったのでござ~ますか?

つまりですよ、大岡越前が町奉行時代に実際に裁いたのは「白子屋お熊事件」のみなんですね。 卑弥子さんは加藤剛が演じる『大岡越前シリーズ』をテレビで見たことがありますか?

デンマンさんが見た『大岡越前シリーズ』は戦前でしょう? あたくしは、まだ生まれてませんわよう。 うふふふふ。。。

何を言ってるんですかア! 戦前にはテレビはありませんよう! とにかく、もし歴史に忠実に脚本を書いたら、あのシリーズはたった一回で終わりなんですよ。 ところが、あのシリーズの中では大岡越前が50回以上事件を裁いてますからね。

マジで。。。?

要するに、大岡越前と言う人は人気があった。 だから、他の人のエピソードであっても、江戸市中のミーちゃんハーちゃんは面白そうなエピソードをこの人に結び付けてしまったのではないか?

つまり、新井白石のエピソードが大岡越前様のエピソードとして組み込まれてしまったとデンマンさんは言うのですか?

そうですよ。。。 新井白石は1657【明暦3年】に生まれて1725【享保10年】に亡くなっています。 つまり、大岡越前よりも20年前に生まれています。 だから、この人のエピソードが庶民の間では人気があった大岡越前のエピソードとして受け入れられたのですよう。

そうかしら。。。?

あのねぇ~。。。、しかも、大岡越前と言う人は養子に入ったのですよ。 エピソードの中の母親は実母でないと面白みが半減してしまいます。 養母ではアカの他人ですからね、息子と実の母親の間で交わされるセックスにまつわる会話の緊張感・羞恥心が希薄になってしまいます。 このようなことを考えると、やはり、上のエピソードは新井白石と実母の間で交わされた会話ではなかったのか!? つまり、お母さんが灰の中に『の』の字を書いたエピソードは、もともと新井白石のお母さんの話だったのですよう。

でも、どうして2005年の記事のことを今頃になってデンマンさんは持ち出してきたのでござ~ますか?

あのねぇ~、先日、バンクーバー市立図書館で本を借りて読んだのですよう。


(lib30509c.gif)

上のリストの赤枠で囲んだ本でござ~ますか?

そうです。 その中に次のようなことが書いてあった。

名裁判


(saiban02.jpg)

ある大阪の商人が、使用人が500両を横領したとして奉行所に訴えている。
この金額はおよそ700ポンドに相当する。
使用人は無実を主張したが、他の奉公人がその訴えを補強する証言をしていた。
使用人には不利な状況だったが、奉行は有罪にするか無罪放免にするか判断に迷った。
そこでとりあえず勾留を続けていた。
数日後、商人を呼び出し、訴えを書面にさせた。

長治(ちょうじ)は“とも屋”の奉公人であったが、主人から500両をくすねた。
見せしめのために死罪に処していただきたい。

とも屋きゅうごろう親戚一同

元文元年7月 押印

この書類を確認すると、奉行である河内守はとも屋に向かって、「下がって正しいお裁きになることを期待しておれ」と言った。
訴えが聞き入れられたと思った一同は喜んで帰っていった。
しかし、しばらくすると、別の罪人がその罪を自白してしまった。
とも屋一同はすぐさま奉行に呼び出されている。

「お前たちの間違った訴えで、無実の人間を殺してしまうことになったのがわかるか。
これで、逆にお前たちの命が危ういぞ。
とも屋、女房、奉公人、みなが刑場に行くこともあるぞ。
覚悟しておれ」

とも屋一同は雷に打たれたように跪き、許しを乞うた。
奉行は彼らをそのまま放っておいた。
そうすることが彼らへの教訓だった。
しばらくして奉行は長治への刑がまだ執行されていないことを伝えた。

「この件については嫌疑がはっきりしないので、しばらく長治を牢に留め置くことにしたのだ。
そうすれば彼の無実がわかるときが来そうな気がしていた。
気をつけて事を進めておいてよかった。
長治をここに」

牢から出された長治を前にして奉行はとも屋に言った。

「この罪のない男を見よ。
お前の不実な訴えで死ぬところだった。
取り返しのつかないところだった。
お前の命は助けよう。
まだ長治の命は奪われておらぬからな。
しかし、彼の被った苦痛は保障しなくてはならない。
500両を支払い、奉公人としてこのまま雇うように」

奉行のこの裁きは将軍にまで伝えられている。
短期間のうちに奉行は勘定奉行、長崎奉行へと出世していった。

(デンマン注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


214-216、218ページ 『日本 1852』
著者: チャールズ・マックファーレン
訳者: 渡辺 惣樹
2010年10月1日 第1刷発行
発行所: 株式会社 草思社

あらっ。。。 これも大岡越前様の名裁判の内の一つなのでござ~ますか?

いや、違います。 この著者のマックファーレン氏は、この奉行の名前は松浦河内守信正と決めている。 「彼の人となりを慕う者は多く、西洋人の間でもその名声は伝わっている」そうなのですよ。

。。。で、松浦河内守信正はいつ頃の人なのですか?

松浦河内守信正は1740年から1746年まで大阪東町奉行として働いていたのです。 その後、1746年から1753年までは勘定奉行だった。 1748年から1752年までは長崎奉行も兼任していた。

。。。で、この名裁判が大岡越前様と関係あるのでござ~ますか?

あのねぇ~、訳者の渡辺さんが調べてみると、マックファーレン氏の語る上の事件が起きたとされる年(1736年)の大阪東町奉行は稲垣種信だったと言うのですよ。

つまり、松浦河内守信正は名前が知れわたっていたので実際には稲垣種信さんが奉行として裁いた事件も松浦河内守が裁いたとマックファーレン氏は思い込んでしまったのでござ~ますか?

そうらしい。 つまり、名声や世間の噂で、このように人間は勘違いをしてしまうのですよね。。。

要するに、マックファーレン氏の勘違いだったと言うことですか?

でもねぇ、よくよく考えてみれば、この事件が起きたのは1736年ですよ。 つまり、大岡越前がまだ江戸町奉行を勤めていた時の出来事です。

あらっ。。。 それでは、上のエピソードも『大岡越前シリーズ』のテレビ番組の一つに入っているのでござ~ますか?

僕は『大岡越前シリーズ』のすべてを観たわけじゃないけれど、多分含まれていると思いますよ。 じゃないと、大岡越前が50回以上事件を裁いたことになりませんからね。。。

【小百合の独り言】

ですってぇ~。。。
そうですわよね。 勘違いってよくあることですわ。
あなただって上のお話を聞いて納得できるでしょう?

ところで、お話は変わりますけれど、私の祖先は百済から難民としてやってきたのです。

ええっ。。。? それも勘違いじゃないのかってぇ~。。。?
あなたは、ずいぶんと、きつい冗談を言うのですわねぇ~。 うふふふふ。。。

実は、デンマンさんに教えていただいたのですわ。
それまで全く知りませんでした。

百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったようです。
でも、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって、デンマンさんの祖先と一緒に武蔵国まで行ったのですってぇ~。

ええっ。。。? 「それはデンマンがでっち上げた御伽噺」だとおっしゃるのですか?

とにかく、私の実家は館林にあるのですわ。
デンマンさんのご実家から車で20分から30分です。
ホントに、目と鼻の先です。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんと私は日本で出会ったことがなかったのです。
不思議な事に、私がデンマンさんに初めてお会いしたのはカナダのバーナビー市でした。
私が13年間借りていた“山の家”で巡り合ったのですわ。

バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。
上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。

この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に私が借りていた“山の家”が会ったのですわ。

この家でデンマンさんと15年ほど前に初めてお会いしました。

この上の写真は、デンマンさんがコラージュしてでっち上げたのですけれど、ちょうど、このように寅さんのような格好をしていたのですわ。
うふふふふふ。。。
それだけに、私は強烈な第一印象を持ちました。

でも、どうして私の祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たの?

私にはよく理解できなかったのです。
デンマンさんは、おっしゃいました。

DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですってぇ。
デンマンさんと同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、私は館林から佐野を経由してカナダのバーナビーに渡ったのです。
そして、デンマンさんと“山の家”で出会ったのでした。

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