ヒトラーの姪


 

2016年3月10日 (木曜日)

 

ヒトラーの姪

 


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デンマンさん。。。 急に どうして“ヒトラーの姪”について語り合うのでござ~ますかァ~?


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卑弥子さんは“ヒトラーの姪”が嫌いなのですか?

嫌いも何も、あたくしはヒトラーに姪がいたことを知りませんでしたわァ。

あのねぇ~、実は、ライブドアの僕の『徒然ブログ』のアクセス解析をしていたら、次のようなリストに出くわしたのですよ。


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『拡大する』

これは3月1日から9日までの「リンク元URL」のリストですよ。。。 赤枠で囲んだ 28番に注目してください。

あらっ。。。 Yahoo!で画像検索して デンマンさんの『徒然ブログ』で『ん?ヒトラーはベジタリアン?』を読んだネット市民が 3人いたということでござ~ますわねぇ~。。。

そういうことです。。。


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『ん?ヒトラーはベジタリアン?』

。。。で、上の28番のリンクをクリックすると どのような画像が検索結果に出てくるのでござ~ますか?

卑弥子さんのためにソフトカメラで撮っておいたのでここに貼り付けます。。。 じっくりと見てください。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 たくさんの違う女性が出てくるではありませんか! どの女性がヒトラーの姪なのでござ~ますか?

①番の写真はエヴァ・ブラウンですよ。。。 ②番は横顔ではっきりしないけれど、たぶんヒトラーの姪です。。。 ③番、⑦番、⑩番もヒトラーの姪です。。。

⑥番は。。。?

エヴァ・ブラウンですよ。

つまり、上の写真はすべてデンマンさんが記事の中で使った写真なのでござ~ますかァ~?

いや。。。 僕はじっくりと上の写真の一枚一枚を眺めたのだけれど、僕が記事の中で使った写真とは、どこかが違っているのですよ。

でも。。。、でも。。。、デンマンさんの『徒然ブログ』で『ん?ヒトラーはベジタリアン?』を読んだネット市民は上の写真のどれかをクリックして記事を読んだのでしょう!?

そういうことです。。。

。。。ということは、上の写真のどれかは間違いなくデンマンさんの記事に中で使われていたということではござ~ませんかァ!

そういうことなのですよ。。。 だから、僕も試しに上の写真を一つづつクリックしていったのです。。。 でもねぇ~、トップの列の写真を すべてクリックしたのだけれど、『徒然ブログ』の記事は出てこない。。。 すべての写真をクリックするのは時間がかかりすぎるので、次のように画像検索したのですよ。。。 その検索結果を見てください。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

『徒然ブログ』のURL (blog.livedoor.jp/barclay1720) を付け足して検索したのですよ。。。 こうすれば、僕のブログの中で使われた写真が出てくるはずです。 左上の赤枠で囲んだ写真に注目してください。

あらっ。。。 この写真もヒトラーの姪なのでござ~ますか?

いや。。。 この写真はヒトラーの一番若い秘書ですよ。。。 この写真には見覚えがある。。。 なぜなら、僕が記事の中で使った写真だからです。。。 この写真を見て、⑧番の写真をクリックして僕のブログにやって来たことが判ったのですよ。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

。。。で、上の⑧番の写真をクリックするとデンマンさんが書いた記事が出てくるのでござ~ますか?

そうです。。。 ⑧番の写真をクリックすると次のページが出てくる。


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赤枠で囲んだリンクをクリックすると次の記事が出てくるのですよ。


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『実際の記事』

あらっ。。。 先ほど紹介された記事『ん?ヒトラーはベジタリアン?』とは違っていますわねぇ~。

そうです。。。 実は、2014年の3月5日に投稿した記事『えっ、ヒトラーはベジタリアン?』がオリジナルなのですよ。。。 『ん?ヒトラーはベジタリアン?』は2015年3月17日に再度投稿したものです。

。。。で、ヒトラーの姪というのはどのような女性だったのでござ~ますか?

次のような女性だったのですよ。

ゲリ・ラウバル


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(1908年6月4日 – 1931年9月18日)

ゲリ・ラウバルは、アドルフ・ヒトラーの異母姉アンゲラ・ヒトラーの第二子で、ヒトラーの姪にあたる。
ゲリはニックネームで、本名はアンゲリカ(Angelika Maria Raubal)、もしくはアンゲラ(Angela Maria Raubal)とも表記される。

兄のレオ、妹のフリードルの三人兄妹であった。
8歳の時に父親が死亡し、母親の手で育てられることになった。
その後、母親がヒトラーの身の回りを世話するようになったため、ゲリは叔父と緊密な生活を送ることになる。
1928年にはヒトラーが別荘ベルクホーフを入手すると、ゲリは母親、フリードルとともに住居するようになった。

突然の死

1931年9月にはオーストリア人の画家と交際するようになったが、ヒトラーは姉アンゲラと協力し、二人を別れさせた。
9月半ば、ゲリがウィーンに行って間もなくすると、ヒトラーからミュンヘンにあるアパートに帰ってくるように命じられた。

しかしゲリが帰ってくると、ヒトラーはニュルンベルクでの幹部会のためにすぐ出発することになっていた。
「それでは帰ってきても何にもならない」とゲリは激怒した。

9月17日、ヒトラーとゲリは二人だけの昼食の席で激しい口論をした。
ゲリは明らかに興奮しており、ヒトラーがニュルンベルクに向かうために出発した後、「私とおじさんの間には共通点が何もないわ」と家政婦に告げた。

この後、家政婦の一人アニー・ヴィンター夫人はゲリが紙を4つに破く姿を目撃した。
ヴィンター夫人があとで紙をつなぎ合わせてみると、それはエヴァ・ブラウンからヒトラーへのラブレターであった。

ゲリは邪魔をしないようにと言い残すと、部屋に閉じこもった。
ヴィンター夫人は帰宅し、もう一人の家政婦ライヒェルト夫人とその娘が宿泊した。
夜中、ライヒェルト夫人は何か鈍い物音を聞いたが、気にせずそのまま就寝した。

翌9月18日の朝、起きてこないゲリを心配したライヒェルト夫人は、マックス・アマンに呼んでもらった錠前屋にカギを外させて中に入った。
そこで夫人が見たものは、胸から血を流して倒れていたゲリと、傍らに転がる拳銃であった。
弾丸は心臓を貫通しており、すでに死亡していた。

その頃ヒトラーは、ホフマンとともに自動車でニュルンベルクに向かっていたが、ホテルのメッセンジャーボーイが「ホテルに電話が入っている」と連絡してきたため、ホテルに戻った。
ホテルに電話をかけてきたのはアマンから連絡を受けたルドルフ・ヘスであり、ゲリの異変を告げた。
ヒトラーらは猛スピードでミュンヘンに戻ったが、すでに遺体は警察によって運び出されていた。


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死にまつわる論議

ゲリは遺書を残しておらず、またヒトラーが有名な政治家であったために、9月20日に新聞がゲリの死を報じ出すと、様々な解釈が行われた。
ミュンヒナー新報は「歌手としての自信を喪失したための自殺」と推測した」。

ドイツ社会民主党系の日刊紙ミュンヒナー・ポスト紙はゲリとヒトラーが頻繁に口論しており、ゲリの遺体には複数の打撲痕があり「鼻が折られていた」という長い記事を掲載している。
ヒトラーの側近者達は「夜中に物音を聞いて慌てて胸を撃った」か、「拳銃の手入れ中に暴発した」事故であると主張した。

エヴァ・ブラウンは後にヒトラーから聞いた話として、「ゲリは胸を撃ったのではなく、布で包んだ銃を口に入れて発射した」と記録している。
またヒトラーの異母兄アロイス・ヒトラーの妻であり、ウィリアム・パトリックの母親ブリジット・ダウリングは、ゲリがリンツのユダヤ人芸術家と交際して妊娠したので自殺したと述べている。
ただしこの妊娠説はヒトラーの又従兄弟に当たるハンス・ヒトラーが否定している。

また、当時のバイエルン州法相フランツ・ギュルトナーはヒトラーの支持者であったために、彼が真相を隠蔽したのだという噂も流れた。
しかし、ニュルンベルクに向かっていたヒトラー自身にはアリバイがあった上に、殺害場所にヒトラーのアパートを選ぶのはあまりに不自然であるとして、トーランドや児島襄は自殺と結論している。

ヒトラーへの影響

事件当日は土曜日であったため、新聞記事になるのはまだ先であったが、すでにヒトラーがゲリを殺したなどの様々な噂が流れていた。
テゲルンゼーにあるアドルフ・ミューラーの別荘に姿を隠したヒトラーは目に見えて憔悴しており、ハンス・フランクに「恐るべき中傷キャンペーンに葬り去られるかと思うと、もう新聞も読む気がしない。以後政治から足を洗って、公の場には顔を出さないようにしたい。」と告げるほどであった。

側近の運転手ユリウス・シュレックは自殺を防ぐためにヒトラーの拳銃を隠した。
ヒトラーは食事も取らずに2日間も歩き回った。

9月20日、ゲリの埋葬がウィーンで行われた。
ヒトラーはオーストリア政府に入国を禁止されていたために葬儀に参列できなかった。
近親者のほかエルンスト・レーム、ハインリヒ・ヒムラー、ミューラーらが立ち会った。

しかしその日の深夜、ヒトラーは密かに自動車でオーストリアに潜入し、ゲリの墓に参った。
その後、ヒトラーは再び政治について語りだし、1933年までに政権を取ると決意を示した。

ヘルマン・ゲーリングら党幹部は「我が総統の胸はドイツで充満している。一人の女の死の痕跡が占める余地はない」と安堵したが、一両日後の朝、朝食の席でヒトラーはハムを食べることを拒否した。
「いわば死体を食べるようなものだ!」
以降ヒトラーは、レバーダンプリングのほか、一切の肉を食べることを拒否した。

若かりし頃のヒトラーには芸術家になる希望があり、政界に入った後も思い出したように絵を描くことがあった。
戦火を逃れた彼のヌードスケッチのうちの少なくとも一つはゲリをモデルとしたものである。


出典: 「ゲリ・ラウバル」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

。。。で、ヒトラーの姪は 周りの人からは、どのように見られていたのでござ~ますか?

ルドルフ・ヘス夫人イルゼは「取り立てて美人というのではないが、 (略) いわゆるウィーン風の魅力を備えていた」と言っていた。

あらっ。。。 魅力的な人だったのですわねぇ~。。。

でもねぇ~、ナチ党の海外広報部長エルンスト・ハンフシュテングルは「頭の空っぽなお転婆娘、下女のように粗野で、頭も悪いし人柄も良くない」とボロクソにこきおろしていた。

いったい、どちらだったのでござ~ましょうか?

あのねぇ~、ゲリをこき下ろしたハンフシュテングルの妻は「感じの良い、とても真面目な子」だと思っていた。 それに、ナチ党のお抱え写真家であったハインリヒ・ホフマンも「天真爛漫な立居振る舞いですべての人の心をとりこにするかわいい娘」だと好意的に見ていたのです。

じゃあ、けっこう感じのよい人だったのではありませんか!

でもねぇ~、ホフマンの娘ヘンリエッテは「粗野で、挑発的で、向こう気が強い」と言っていた。。。 それでも、「抗し難い魅力を持った」人だったと思っていた。

やっぱり、どこか魅力的だったのですわねぇ~。。。

第二次世界大戦後、ゲリの従兄弟であるウィリアム・パトリック・ヒトラーはオーバーザルツベルクで初めて彼女を見た印象を「若い娘というより、子供のようだった。美しいわけではないが、人を惹きつける自然な魅力があった。普段は帽子を被らないで外に出たり、プリーツスカートに白ブラウスというような普通の服を着ていた。 叔父であるヒトラーからもらった金の鉤十字以外は宝石らしきものは身に着けることも無かった」と言っていたそうですよ。

とりわけ美しいわけではないにしても、魅力的な女性であったことは確かなようですわねぇ~。。。 ヒトラーはどのように思っていたのでござ~ますか?

ヒトラーはナチ党のお抱え写真家であったホフマンに対して「私はゲリを愛している、だが彼女との結婚は望めない」と語っていたのですよ。 通常の叔父姪の関係を超えた愛情を注いでいることは周囲の人物も一致していたようです。。。 ただし、具体的にどの程度の関係であったかは誰もはっきりとは知らなかったようです。

ヒトラーは、いったいどのようにゲリを愛していたのでござ~ましょうか?

あのねぇ~、ヒトラーの秘書のクリスタ・シュレーダーが、「エヴァ・ブラウンと どうして結婚しないのですか?」と尋ねたことがあったんだってぇ~。。。

。。。で、ヒトラーは何と答えたのですか?

「エヴァは好ましい女性だ。 しかし、私の生涯で本当に情熱をかき立てさせられたのは、ゲリだけだ。 エヴァとの結婚は考えられない。 生涯を結びつけることができる女性は、ただ一人、ゲリだけだった」と答えたのですよ。

あらっ。。。 ヒトラーは、近親者を愛する以上にゲリを愛していたのですわねぇ~。。。 で、ヒトラーがベジタリアンになったのは、マジでゲリの自殺と関係あるのでしょうか?

『ウィキペディア』には次のように書いてありますよ。

菜食主義者としてのヒトラー


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溺愛した姪のゲリ・ラウバルの自殺後は菜食主義者となったとされるが、実際にはレバーのダンプリングを食べることもあった。

伝記作家のロバート・ペインによると、特にソーセージは好物であり、ヒトラーが厳格な菜食主義者であったとする神話は、ゲッベルスによる印象操作であるとしている。

戦時中には菜食主義者団体を弾圧したという説があったが、アメリカベジタリアン協会の歴史アドバイザーであるリン・ベリー等に否定されている。

詳細は「アドルフ・ヒトラーのベジタリアニズム」を参照


出典: 「アドルフ・ヒトラー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。 「厳格な菜食主義者」だというのはゲッベルスによる印象操作であるとかいてありますけれど、溺愛した姪のゲリ・ラウバルの自殺後はマジでベジタリアンになったようでござ~ますわねぇ~。。。

そうらしいですよ。

ところで、デンマンさんはベジタリアンなのでござ~ますかァ?

僕も「厳格な菜食主義者」じゃないけれど、肉はあまり食べません。 自分で豚肉だとかビーフを買ってきて料理したことは これまでに一度もないのですよ。

あらっ。。。 じゃあ、かなりのベジタリアンではござ~ませんかァ~!?

でもねぇ~、友達の家で、食卓にビフテキとか、鳥のから揚げとかが出されれば、食べますよ。 食べられないということじゃなくて、選んで食べる場合には、肉料理はあまり食べたくないのですよ。 でも、サラミなどはスーパーで買ってきて、よく食べるし、魚類はよく食べますよ。 卑弥子さんは肉は好きですか?

あたくしは、お肉ならば なんでも好きでござ~ますわァ。 でも、最近は、四足のお肉は健康のために良くないと言われているので、なるべくならば食べないようにしているのでござ~ますわァ。

あのねぇ~、アヒルを2匹飼っていたことがあって、ずいぶん可愛がっていたのだけれど、ある日、死んでしまったのですよ。。。 その後、しばらくは アヒルの肉や鶏肉は食べられませんでしたよ。

あらっ。。。 野良猫に食べられてしまったのですか?

いや。。。 雛から大人に成長しましたよ。 でもねぇ~、1匹は車にはねられて即死したのです。 もう1匹は、僕の両親が密かに近所の肉屋さんに持っていって、さばいてもらったのですよ。

あらっ。。。 食べてしまったのですかァ~?

そうなのです。 食卓に、そのアヒルの肉が出てきて、弟たちは旨い旨いと言って食べてしまったけれど、僕は食べることができませんでした。

それはそうでしょう! 可愛がっていたアヒルの肉が「北京ダック」になってテーブルにのっていたら、誰だって食べられませんわ。 それにしても、息子が可愛がっていたアヒルを肉屋さんで解体してしまったなんて、デンマンさんのご両親は血も涙もないのですわねぇ~!?

この話をすると、たいていの人がビックリするのだけれど、でもねぇ~、親父は動物が嫌いだったけれど、母親は、動物が好きでしたよ。

それなのに、どうして肉屋さんで解体してしまったのですか?

エサを食べさせるのは子供だけで充分で、アヒルにまでエサ代を使うのがもったいないというのが、母親の本音だったようです。

でも、それにしても。。。??

卑弥子さんも呆れてしまうでしょう!? 僕だってぇ、両親に対して怒って抗議するというよりも、呆れてしまいましたよ。 僕がずいぶん可愛がっていたから、後ろめたい気持ちがあったのでしょうね。 僕が呆れたように母親の目を見ると、正視できずに目をそらしましたよ。

それは、そうでしょうねぇ~。。。 で、今でも「北京ダック」は食べられないのでござ~ますか?


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いや。。。 「北京ダック」は僕の好物の一つですよ。 うへへへへへ。。。 でもねぇ~、ヒトラーがベジタリアンだったというのは本当に意外でしたよ。

どうして。。。?

ちょっと次のビデオクリップを見てくださいよう。


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これだけ激しくエネルギッシュに演説する人ならば、毎晩 食卓で 血の滴(したた)るようなビフテキを食べていたと思うじゃありませんかア!

言われてみれば、確かにそうですわよねぇ~。 野菜と果物だけを食べていたら、ヒトラー総統のようなエネルギーは出てかないような気がしますわァ。

。。。でしょう!? だから 僕も、いったいどうなっているのかァ? 不思議に思ってネットで調べていたら 次の面白い、興味深いビデオ・クリップに出くわしたのですよ。


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ヒトラーは自分がベジタリアンだと

言われているのを知る。

あたくしはドイツ語も英語も苦手なので、どういうことだか良く解らないのですけれど。。。

あのねぇ~。。。、ヒトラーはマジで怒っているのですよ。

だから、どうしてでござ~ますか?

ヒトラーは「自分が厳格な菜食主義者であるという噂は、国民啓蒙・宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルスによる印象操作だよ!」と喚(わめ)いているのですよ。 「あのアホンダラがァ~~!」とまで罵倒しているのですよ!

つまり、「自分はベジタリアンじゃない!」と言っているのでござ~ますか?

そうなのですよ。

では、いったい、ヒトラーはどちらだったのでしょうか?

あのねぇ~、僕も不思議に思って更にバンクーバー市立図書館で調べたのですよ。 そしたら次のDVDをゲットできたのですよ。


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『実際のカタログページ』

あらっ。。。 ヒトラーの私設秘書のうちで 最も若かった トラウデル・ユンゲ(Traudl Junge)さんのインタビューの DVD ですわね。 

そうです。 トラウデルさんというのは、次のような女性なのですよ。

トラウデル・ユンゲ


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1942年12月に東プロイセンの総統大本営ヴォルフスシャンツェで、長期休暇に入るゲルダ・クリスティアンの代わりとなる秘書の採用試験を受けた。
彼女自身は舞踏家への夢を捨てきれず秘書職は一時的なものと考えていたが、そのため気楽でナーバスになっていなかったこと、そしてミュンヘン生まれであることが採用の決め手であったという。
この後、ベルヒテスガーデンの山荘ベルクホーフ、タウヌス山地のアードラーホルスト、ベルリンの総統官邸でごく身近からヒトラーの私的な時間をつぶさに目撃した。
その生活はヒトラーのスケジュールに合わせ、遅くに起きて昼食を採り、何度ものコーヒー休憩を挟んで遅い夕食をとったのちに映画を見てから仕事にかかり、深夜に仕事を続けて午前5時頃に就寝するというものだった。
1943年6月19日、ヒトラーの従卒であるハンス・ヘルマン・ユンゲ親衛隊中尉と職場結婚する。
夫は第12SS装甲師団ヒトラー・ユーゲントの一員として1944年8月にノルマンディで戦死した。


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   (夫と共に)

ベルリン市街戦のさなか、退避を勧めるヒトラーの言葉に従わず最後まで総統地下壕に残った。
4月28日、ヒトラーとエファ・ブラウンの結婚式に立ち会う。
その直後にヒトラーの遺言書をタイプした。
ヒトラーは4月30日午後3時半頃に自殺したが、そのとき彼女は隣の部屋でヨーゼフ・ゲッベルスの6人の子供たちと食事中だった。
本人はその後しばらくの記憶がないと述べているが、直後に地下壕を脱出して故郷バイエルンに逃れたものとみられる。
連合国軍に逮捕されたが、彼女が何者だったのか充分調査されることもなく、また彼女がまだ25歳と若かったため、ナチスとの共謀罪とみなされず解放された。
ナチス活動審査委員会で審問されたが罪は問われなかった。
戦後はゲルダ・アルトという変名で暮らし、フリーランスジャーナリストとして働いていた。

ホロコーストなどのナチスによるユダヤ人の迫害と自らの関係について「当時は知らなかった。でも知らなかったでは済まされない」とコメントしているものの、レニ・リーフェンシュタール同様、自身はナチズムと無関係であるという主張を生涯崩さなかった。


出典: 「トラウデル・ユンゲ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この人は今でも生きているのでござ~ますか?

2002年2月10日に癌で亡くなりましたよ。

。。。で、トラウデルさんは、ヒトラーの菜食主義について何て言っていたのでござ~ますか?

インタビューの中で、はっきりと「ヒトラーはベジタリアンだった」と言っているのですよ。 ヒトラーの主治医の勧めもあって、胃腸のためにも肉を避けていたと言うのです。 また、オーストリア人のコック、クリューメルさんはブイヨンにわずかな肉や脂をくわえヒトラーの食事に出すことがあったというのです。 でも、「ほとんどの場合 総統はそのごまかしに気づいて、ひどくいやがり、お腹を気にしていました。 けっきょくスープはそのまま片付けさせ、マッシュポテトだけ食べたのです」と言ってるのです。

つまり、身近にいた人の目から見ても、ヒトラーは肉を避けていたということなのですねぇ。。。

どうやら、ヒトラーはマジでベジタリアンに近い食事をしていたようです。

つまり、ユダヤ人を何百万人とコンセントレーション・キャンプで虐殺したので、罪の意識から肉が食べられなくなったのでござ~ましょうか?

僕は違うと思いますよ。 あのねぇ~、ドイツ人の精神分析学者エーリヒ・フロムはヒトラーにとってのベジタリアニズムは姪であったゲリ・ラウバルの死を悼むためだと言うのですよ。 またベジタリアニズムは自分が人を殺すことなどできない人間だということを自身やまわりに証明する方法でもあったと言うのです。

でも、ユダヤ人をあれほど虐殺しているではありませんか?

ヒトラー自身はアドルフ・アイヒマンに丸投げして 虐殺をやらせていただけだから、自分では「殺していない」つもりでいたんでしょうね。

でも、普通の人の目にはヒトラーは“殺人鬼”のように映るでしょう!?

ところが、驚いたことに、トラウデルさん自身もインタビューで意外な事実として話しているのだけれど、ヒトラーは身近な人たちに対しては実に優しくて紳士的だったと言うのですよ。 演説の様子から受け取っていたイメージとは全く違っていたので、トラウデルさん自身も、初めの頃はそのギャップに戸惑ったほどだと言うのです。

あらっ。。。 じゃあ、身近に接すると、ヒトラーはマジで心の優しいおじ様だったのかもしれませんわねぇ~。 うふふふふふ。。。


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ですってぇ~。。。
あなたは、ヒトラーのおじ様のことをどう思いますかァ~?

あたくしは、できれば、おじ様でなくて、やっぱり若い殿方に あたくしの魅力を感じて欲しいと思うのですわ。

ええっ。。。 どのように魅力かってぇ~。。。?

実は、あたくしは毎日ジムに通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよう。

うふふふふふ。。。

あなたは信じられないでしょう?

じゃあ、ここでお見せしますわねぇ~。。。


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

“ヒトラーと姪”のお話も、大変興味深いですけれど、

第2次世界大戦のずっと前、日本の古代にも いろいろな面白いお話がござ~ますわァ。

だから、あなたのために平安史、古代史の記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいまし。
では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『オルフェと聖徳太子』

『寅さんの本棚』

『平成の紫式部』

『心にしみるウンチ』

『念願のトップページへ』

『愛とロマンの昔話』

『愛とロマンのアクセス解析』

『兄妹の恋のつづき』

『源氏物語エロいの?』

『酒が行って着物目変境』

『日本は外人に乗っ取られたの?』

『ん?ヒトラーはベジタリアン?』

『ふるさとの選挙と黒い霧』


(hama10.jpg)

『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


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