兄妹の恋と大乱
2014年2月13日 (木曜日)
兄妹の恋と大乱
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デンマンさん。。。 今日は なんだかメチャ悩ましい話題と残虐な話題のかけ合わせでござ~ますわねぇ~。。。
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京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授には極めてふさわしい話題だと思うのですが どうですかァ?
「兄妹の恋」なんてぇ~、なんだか胸騒ぎがしてきましたわァ。 うふふふふふ。。。
卑弥子さんにも そのような経験があるのですか?
残念ながら、あたくしは女ばかり3人で育ちましたから、そのようなワクワクする経験はござ~ませんわァ。。。んで、今日の“兄と妹の恋”というのはデンマンさんと妹さんの恋でござ~ますかァ?
いや。。。 僕も残念ながら、男ばかり3人の兄弟で育ちましたからねぇ、“兄と妹の恋”というのは望んでもかなえられない恋なのですよ。
じゃあ、いったいどなたの禁断の恋なのでござ~ますかァ?
卑弥子さんも、実は、知っているはずですよ。
あらっ。。。 あたくしが知っているはずの禁断の恋ざ~ますかァ?
あの有名な木梨軽皇子と実の妹の軽大娘皇女の恋ですよ。
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木梨軽皇子(きなしの かるのみこ)は、允恭(いんぎょう)天皇の第一皇子であり、皇太子でした。
母は皇后の忍坂大中津比売命(おしさかの おおなかつのひめのみこと)。
同母弟に穴穂皇子(あなほのみこ、後の安康天皇)がいました。
一番下の弟が大泊瀬稚武皇子(おおはつせの わかたけるのみこ) つまり、後の雄略(ゆうりゃく)天皇です。
『古事記』によれば、木梨軽皇子は允恭23年に立太子します。
しかし、同母妹の軽大娘皇女(かるの おおいらつめ)と情を通じ、それが原因となって允恭天皇の崩御後に廃太子され伊予国へ流されます。
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その後、あとを追ってきた軽大娘皇女と共に自害したと言われます。(衣通姫伝説)
『日本書紀』では、情を通じた後の允恭24年に軽大娘皇女が伊予国へ流刑となり、允恭天皇が崩御した允恭42年に穴穂皇子によって討たれたと言われています。
四国中央市にある東宮古墳が木梨軽皇子の墓といわれ、宮内庁陵墓参考地とされています。
出典: 「木梨軽皇子」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
でも、“大乱”というのは どういうことでござ~ますか?
あのねぇ~、たいていの人が“兄妹の恋”に気をとられて、その裏事情を全く忘れさっているのですよ。
その裏事情というのが“大乱”なのでござ~ますか?
そうですよ。。。 実は、僕も最近まで知ってはいたけれど、それほど大きな大乱だとは思っていなかった。 やっぱり、“兄妹の恋”の方に気をとられていたのですよ。
。。。んで、その大乱というのはどういうことでござ~ますか?
ちょっと次の図を見てください。
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これは木梨軽皇子(きなしの かるのみこ)と軽大娘皇女(かるの おおいらつめ)の家族関係を図示したものですよ。
あらっ。。。 自殺した人と殺された人がたくさんいるではござ~ませんかア! 木梨軽皇子(きなしの かるのみこ)には どうして自殺マークと他殺マークが付いているのでござ~ますか?
『古事記』によると木梨軽皇子は伊予国へ流されて、あとからやって来た軽大娘皇女と心中したことになっているのですよ。 でもねぇ、『日本書紀』では、伊予国で弟の穴穂皇子によって殺されたことになっている。
どちらが正しいのでござ~ますか?
僕の考えでは木梨軽皇子は穴穂皇子によって殺されたと思いますねぇ~。。。
デンマンさんはどうして、そう思うのでござ~ますかァ?
上の殺人事件を見てゆくと権力闘争に絡んで、お互いが不信と猜疑にかられて、殺し合いに発展して行ったのが手に取るように解るのですよ。 まず、安康天皇というのが問題な男なのです。
どのように問題なのでござ~ますか?
安康天皇が、仁徳天皇の子である大草香皇子に、妹の草香幡梭姫皇女を同母弟である即位前の雄略天皇の妃に差し出すよう命令したのですよ。
上の図で見ると安康天皇は仁徳天皇の孫ですから、大草香皇子と草香幡梭姫皇女は父系の叔父と叔母にあたりますわね。
その通りですよ。
つまり、安康天皇は叔父さんに命令して叔母さんを雄略天皇の妃に差し出すように言ったということでござ~ますかァ?
その通りですよ。
それも現在では近親相姦ですわよねぇ!?
そうです。
仲介役の坂本臣等の祖である根臣が、大草香皇子の「お受けする」との返答に付けた押木玉鬘(おしきのたまかつら)を横取りするために、安康天皇に「大草香皇子は拒否した」とウソついたのです。 それで、安康天皇は怒って大草香皇子を殺してしまった。
あらっ。。。 叔父さんを殺してしまったのでござ~ますか?
そうなのですよ。 しかも、叔父さんの妃である中蒂姫命を奪って自分の皇后にしてしまった。 ところが、中蒂姫には大草香皇子との間に産まれた眉輪王(まよわのおおきみ)という子供があった。 この子を連れて安康天皇の所へ行ったのです。
つまり、連れ子ですわね。
そうですよ。
お父さんを殺された眉輪王は安康天皇を憎んでいたでしょうね!?
その通りですよ。 案の定、眉輪王は安康天皇を殺してしまったのですよ。
あらっ。。。 マジで。。。?
当時は、まだ大泊瀬稚武皇子と呼ばれていた後の雄略天皇は この暗殺事件を聞いて驚いた。 もしかすると自分も殺されるのではないか? そう思ったのですよ。 それで眉輪王は、まだ幼かったから一人では殺さなかっただろうと。。。 兄たちを疑ったのですよ。
それでどうしたのでござ~ますか?
後に天皇になる大泊瀬稚武皇子は八釣白彦皇子が暗殺の黒幕だと疑い、まず八釣白彦皇子を生き埋めにして、殺した。 『古事記』の表現では、腰のところまで土をかけて埋められる途中で、両目が飛び出して死んだらしい。
そういうことがマジであるのでござ~ましょうか?
現代医学的では説明できない不思議な現象だそうです。
それで、その後 大泊瀬稚武皇子はどうしたのでござ~ますか?
めんどうなので、境黒彦皇子と眉輪王も殺そうとしたのですよ。 殺されてはたまらないから、この2人は葛城氏の葛城円大臣宅に逃げ込んだ。
それで。。。?
後の雄略天皇になる大泊瀬稚武皇子は、ついでだと思ったのか、3人とも焼き殺してしまった。
あらっ。。。 雄略天皇というのは、ずいぶんとむごい人なのでござ~ますわねぇ~!
この時点で、自分が天皇になろうという野望を持っていたらしい。 さらに、従兄弟にあたる市辺押磐皇子と その弟の御馬皇子(みまのみこ)をも殺して、政敵を一掃して、11月にヤマト王権の大王の座に就いたのですよ。
それで、叔母さんはどうなったのでござ~ますか?
大王に即位すると、叔母さんの草香幡梭姫皇女を皇后にしたのです。 つまり、このような血なまぐさい事件が“兄と妹の恋”の裏に隠されているわけなのですよう。
あらっ。。。 何人も殺した挙句に近親相姦で叔母さんと結婚した雄略天皇は オナラのツッパリにもならないような“兄と妹の恋”にカモフラージュされていたのですわねぇ!?
そういうことなのですよ。
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ですってよう!
大変な歴史が日本にはあったのですわねぇ。
あなたも驚いてしまうでしょう?
草香幡梭皇女(くさかのはたびのひめみこ)は履中天皇の皇后だとも言われていますわァ。
古事記には幡日之若郎女(はたびのわかいらつめ)とでていますう。
父は応神天皇、母は日向泉長媛。
中蒂姫命(大草香皇子の妃・眉輪王の母、後に安康天皇の皇后)の母です。
履中天皇元年7月4日(400年8月9日)、草香幡梭皇女は葛城黒媛(磐坂市辺押磐皇子・青海皇女を産む)と共に履中天皇の妃となりました。
それから 同5年9月19日(404年11月7日)の皇妃黒媛の死を受け、翌同6年1月6日(405年2月20日)に履中天皇の皇后に立てられましたわ。
古来より、雄略天皇の皇后である草香幡梭姫皇女と同一人物であるとする説もあるのですう。
血なまぐさい事件は古代の日本には結構 頻繁に起こっていますわ。
もっと知りたかったら、ぜひ次の平安史、古代史の記事もお読みくださいまし。
では。。。
同腹の兄弟ではなかった。
どうして残っていないの?
日本人でないの?
藤原氏のバイブルとは?
とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。
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ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
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