歴史を散歩させる食べ物
2009年5月1日 金曜日
歴史を散歩させる食べ物
佐野の白羊羹
焼きそばチャーハンを作って食べました!
旨かった!きゃはははは。。。
Date: 02/04/2009 2:25:16 AM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間: 4月2日 木曜日 午後6時25分)
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com
今日は朝から小雨が降っていて、外へ出るのが億劫になりました。
しかも安子さんの記事を書き始めて、乗り乗りに乗ってきました。
途中で止める訳にはゆきませんでした。
そう言う訳でサッポロラーメンを買出しに行けませんでした。
それで、いつものように、たまねぎとオレンジの皮と缶詰のハムで焼きそばチャーハンでした。
即席チャーハンだったけれど、旨かったですよう。きゃはははは・・・
小百合さんの心のこもった贈り物は1ヵ月半楽しむ事ができました。
ありがとう!
そればかりではありません。
あの贈り物の箱は“竜宮城の乙姫様からもらった玉手箱”でしたよう。
中から出てきたのは、もちろん煙ではありません。
“仙台辛味噌ラーメン”がもたらした懐かしい仙台の青春の思い出でした。
恵子さんと奈緒子さんが玉手箱から飛び出してきましたよう!
うしししし。。。
仙台の思い出の後には、佐野の思い出が続きます。
小百合さんが“金禄(きんろく)”の「佐野絵巻」という白い羊羹(ようかん)を一つ入れてくれました。多分、僕が歴史好きだと思って、入れてくれたのだと思います。
羊羹の包みの裏に万葉集の歌が2首書いてあって、佐野の歴史と風土が簡略に書いてありました。
唐沢山神社の事が書いてありましたが、小百合さんの「山の家」に行くバスを待つ間に時間があったので唐沢山が見えるあたりまで歩いていったのですよう。
平将門(まさかど)を討った藤原秀郷(ひでさと)が唐沢山神社に祀(まつ)られているとは思いませんでした。
そう言う事が羊羹の包みの裏に書いてあったのですよう。
また、渡良瀬川の鉱毒事件で有名な田中正造のことも書いてありました。
小百合さんもこの羊羹の包みの裏を読んで、それで、この羊羹を一つだけ入れたのだと思うのですよう。
果たして、どうかな?うへへへへ。。。
甘すぎる羊羹が苦手な僕には、羊羹一つがちょうどよかったですよう。
この羊羹の包みのことで、また思い出が書けそうです。
ありがとう。
あの贈り物からは、仙台辛味噌ラーメンがもたらした仙台の思い出だけでなく、佐野の思い出も書けそうです。
小百合さんも楽しみにして待っててね。
はい、はい、はい。。。払戻金は、この前と同じ小百合さんのTD銀行の口座に入金します。
4月中旬にでもゆっくりと春の日差しを浴びながら、歩いて行ってきます。
ついでに、また図書館に足を伸ばして10冊ぐらい借りてきます。
今度は、小百合さんの「愛の手」が、どのような本を選ぶのか?楽しみです。
また記事が書けますよう!ありがとう!
大長寺の桜もそろそろ咲くでしょうね。
僕の分までじっくりと見てきてくださいね。
ゼリーフライも僕の分まで食べてきてくださいね。
うへへへへ。。。
でも、食べ過ぎてマルサの女のように太り過ぎないように!
じゃあね。
今日は小百合さんからもらった佐野の白羊羹のお話でござ~♪~ますか?
そうですよう。卑弥子さんも白羊羹が好きだから楽しみでしょう?
デンマンさんは、あたくしの好物を良くご存知ですわねぇ~?
卑弥子さんの好物ぐらい知ってますよう。
あらっ。。。じゃあ、他に何が好物なのかご存知ですか?
白アン最中(もなか)ですよう。
あらっ。。。本当に知っているのですわねぇ。。。他には。。。?
もちろん、京都の名菓、生八ツ橋ですよう。
あらっ~。。。それだけ知っていながら、あたくしにはどれ一つとしてお土産に下さった事がありませんわよねぇ~?!
あのねぇ~。。。僕はカナダのバンクーバーに居るのですよう。どれもバンクーバーから送ったら、カビが生えてしまうし、第一、バンクーバーから送るような食べ物ではないのですよう。
だったら、カナダのメープルシロップだとか、メープルシロップ入りのチョコレートでもいいですわ。
あのねぇ~。。。僕は小百合さんと違って、小包を作って郵便で送るような手間がかかって煩わしい事をするのが嫌いなのですよう。
どうして。。。?
相手の本当に好きなものを送る事ができればいいけれど、送っても、カビが生えたり、形が崩れたり。。。、受け取る方だって、迷惑する事もあるのですよう。
たとえば。。。?
好きでない物を受け取っても、カビが生えていたとしても、形が崩れていても、社交辞令で「素晴しい物を送ってくださってありがとう」と心にも無い事を言わねばならない。さらに、それ相応の品物をお返ししなければならない。僕はそう言う事が大嫌いなのですよう。
つまり、デンマンさんは本当に心のこもった贈り物ができないと言うことですわね?
。。。まあ、早い話が、そう言う事なのですよう。手間、暇かけて小包を作って、郵便局へ行って、料金を払って送る。受け取った人が開けたら、カビが生えていて、形がくずれて、中味を見てくだらない物が入っていて、迷惑そうな表情が見えてくる。そういう事を考えるだけで、僕は小包を作る気になれない。
でも、小百合さんはデンマンさんに心のこもった贈り物をしたのでござ~♪~ますわ。
そうなのですよう。だから、僕は一つ一つをしみじみと味わいながら、小百合さんの心のぬくもりをじっくりと感じ取ったのですよう。。。それで、こうして感謝の気持ちを込めて記事を書いているのですよう。
でしょう?。。。小百合さんの心のぬくもりを感じ取ったのであれば、デンマンさんだって、心のこもった贈り物を小百合さんに返すべきですわ。。。それに。。。それに。。。2年近くも『小百合物語』のホステス役としてお手伝いしてきたあたくしにも、ついでに心のこもった贈り物をすべきなのですわ。
それ。。。それが。。。そのついでの事が卑弥子さんは言いたかったのですねぇ~?
うふふふふ。。。
うふふふじゃないですよう!。。。あのねぇ~。。。僕は小包を作るような手間のかかる事が嫌いだから、心を込めて「軽井沢タリアセン夫人」を書き上げて、小百合さんに読んでもらおうと思っているのですよう。
それってぇ、ヤ~らしいロマンポルノなんでしょう?
違いますよう。格調高い愛の物語ですよう。
分かりましたわ。。。では、小包は結構でござ~♪~ますから、あたくしにも「京都タリアセン夫人」を書いてくださいましなぁ~。
ヤダよう!
どうして。。。、どうして。。。、イヤなのでござ~♪~ますか?
過激な卑弥子さんが「京都タリアセン夫人」を読んだら、ますます過激になって、僕の手に負えなくなってしまうからですよう!んも~~。
決して、そのような事はござ~♪~ませんわ。
卑弥子さん!。。。いい加減にしてくださいよう!。。。今日は「京都タリアセン夫人」の話ではないのですよう!
分かりましたわ。。。それでは、白羊羹のお話を続けてくださいな。
あのねぇ~。。。“金禄(きんろく)”の「佐野絵巻」という白い羊羹(ようかん)の包みの裏に万葉集の歌が2首書いてあったのですよう。
どのような。。。?
次のような歌ですよう。じっくりと読んでみてください。

下毛野(しもつけの)
みかもの山の
小楢(こなら)如(の)す
目細(まぐは)し児(こ)ろは
誰(た)が笥(け)か持たむ
by 詠み人知らず
万葉集 巻第十四 3424
【解説】 「みかもの山」は栃木県佐野市街の東にある山です。
下毛野(しもつけの)
安蘇(あそ)の河原よ
石踏まず
空ゆと来(き)ぬよ
汝(な)が心告(の)れ
by 詠み人知らず
万葉集 巻第十四 3425
【解説】 「安蘇」は、栃木県安蘇郡と佐野市あたり。
どちらの歌も、あたくしのように美しい女性のことを想いながら詠んだのでござ~♪~ますわね。都から遠く離れた田舎に、この上のような歌を詠む男が居たなんて信じられない思いがいたしますわ。
そうでしょう?。。。僕も歌の意味を調べたら、おや、おや。。。意外や。。。意外!。。。という感に打たれたのですよう。
この万葉集の二首が、どうして羊羹の包み紙の裏に書いてあるのでござ~♪~ますか?
店主が次のように書いているのですよう。
気品に富んだお菓子は、
必ず受ける方に心から喜ばれ、
贈る方の奥床しさが通じ
心と心がつながります。
店主敬白
有限会社金禄(きんろく)
佐野市江戸街道
つまり、万葉集から下野(しもつけ)にちなんだ歌を二首選んで羊羹の包み紙の裏に書いた和菓子屋の店主は、「風流」と言うか「奥床しさ」をちゃんと理解しているのですよう。
そうでしょうか?
そうですよう。。。だって、小百合さんの心のこもった贈り物の一つとして、僕はこうして金禄の白羊羹を記事で取り上げているのですよう。卑弥子さんだって、これまでの記事を読めば、小百合さんが贈ってくれた心のこもった品物を通して僕と小百合さんの心と心がつながったのが理解できるでしょう?。。。うしししし。。。
そのような事は、デンマンさんご自身が言うべき事ではないのですわよう。
分かってますよう。でもねぇ、卑弥子さんが言ってくれそうも無いので、僕は自分で言う事にしたのですよう。うへへへへ。。。
そうゆうのって、「奥床しい」とは言わないのでござ~♪~ますわ。
。。。で、何と言うのですか?
「あつかましい」と言うのでござ~♪~ますわ。おほほほほ。。。
でもねぇ、小百合さんは僕が歴史が好きだという事を知っている。しかも僕がメレンゲさんと短歌の交換をしていると言うことも知っている。小百合さんは、かつて次のように書いたことがあるのですよう。

デンマンさんへ
3月のホワイトデー前頃に買って
1ヶ月が経ってしまいます。
どこで買ってもチョコなのですが
ちょうどこのホテルのチョコを見つけたので送ります。
もしかすると日本の郵便局で暖められたり、
機内で冷やされたり
表面が白くなってたらすいません。
その他、いろいろと雑に入れましたが。。。
マメ、ガム、Pinky は 最近気に入って、
カバンに入れて持ち歩いてます。
デンマンさんの迷惑そうな顔が思い浮かびますが、
たまには女の子の気分になってみてくださいね。
うららかな春のバンクーバーの街を歩きながら。。。
フードストアに向かう買いものついでに
かんでください。
きっと、いい短歌が作れるでしょう。
小百合より
2008年4月1日
僕がめれんげさんと短歌の交換をしている事を知っていながら、めれんげさんと僕が末永く仲睦まじいようにと、あたかも激励し、応援するかのように万葉集の和歌が2首書かれている白羊羹を小百合さんは、それとなく一つ贈り物の小包に潜(ひそ)ませたのですよう。。。どうですか。。。?
どうですかって。。。どう言う事ですのォ~?
「奥床しい」でしょう?!
小百合さんの手紙を引用して、デンマンさんは「奥床しさ」を強調したいのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
。。。んで、その包み紙には他にどのような事が書かれていたのでござ~♪~ますか?
ちょっと読んでみてください。
“佐野”はこうした自然に恵まれた人情こまやかな土地柄です。
縄文・弥生を経てやがて都から藤原氏が下向(げこう)し、のちに平将門(たいらのまさかど)を討って武名を挙げた藤原秀郷(ひでさと)は明治になって唐沢山神社に祀(まつ)られたのです。
田沼駅と唐沢山周辺の地図
秋山川より
唐沢山(標高241メートル)を望む
唐沢山より田沼駅方面を望む
戦国時代に佐野氏の拠(よ)った唐沢山城は天険を利用した難攻不落の名城として関東七名城の随一に挙げられています。
高い石垣や幾重にもめぐらされた堀切に当時の様がしのばれます。
僕が沼田駅に着いたのは2008年の11月23日でした。ちょうどお昼頃で、小春日和ののどかな日でしたよう。
小百合さんの“山の家”にすぐに行かなかったのですか?
あのねぇ~、まず駅前から電話したのですよう。
ローカル色豊かな田沼駅
この駅が、いかにも“のどか”だと言う感じでしょう?!
無人駅でござ~♪~すか?
写真で見ると無人駅のように見えるけれど、東武佐野線を走っている特急電車が止まるのですよう。
。。。んで、小百合さんは何と言ったのでござ~♪~ますか?
露天風呂の釜の具合が悪くて、うまく火が付かないので、修理していると言うのですよう。
小百合さんが自分で故障を直していたのですか?
そうなのですよう。とにかく、木工だとか電気修理など、小百合さんは、すべて自分でするのですよ。橋まで作ってしまうのだから。。。
マジで。。。?
僕も信じられなかったのだけれど、山の家には小百合さんが自分で作ったものがたくさんあるのですよう。猟銃の免許も持っているほどですからね。。。自給自足の生活も、やればできそうですよう。熊が出たこともあったそうです。
マジで。。。?それで、デンマンさんはどうなさったのですか?
せっかく来たのに露天風呂に入れないのではつまらないので修理を続けてもらって、僕は駅前からバスで途中まで行くことにしたのですよう。
。。。んで、そこへ小百合さんが軽トラックで迎えに行くことになったのですか?
そうです。でも、バスが出るまで2時間も待たねばならなかった。
それで、唐沢山へ行こうとしたのですか?
そうですよう。駅から出て5分も歩くと、小さな町なのに、りっぱな近代的な美術館のようなものが建っていた。
何だったのでござ~♪~ますか?
たぬま ふるさと館
郷土の産物などを紹介する博物館・展示館のようなものですよう。そこで地図をもらって駅から東の方向にある山を目指して歩いて行ったのですよう。
唐沢山って険しい山なのでござ~♪~ますか?
上の説明を読むと「難攻不落の名城として関東七名城の随一」と書いてあるから、険しそうな山かと思うかもしれないけれど、標高241m 比高200mなのですよう。秋山川の岸辺から見る唐沢山は、山と言うよりも丘と言った感じでしたよう。
険しくないのでござ~♪~ますか?
いや。。。険しいようには見えなかった。僕が戦国時代の武将ならば、半日で山の上にある城が落とせるのではないか?そう錯覚するほど、ちょっとした丘のようにしか見えませんでした。ちょっと期待はずれでしたよう。
佐竹城、宇都宮城、唐沢山城、金山城、
前橋城、忍城、川越城
僕のふるさとにある忍城が関東七名城に入っているのを知っていたから、「関東七名城の随一」と書いてあったので唐沢山城は仙台の青葉城を想わせるような、すごい場所に建っているのかと思ったのですよう。
仙台の青葉城はそれ程すごいところに建っているのでござ~♪~ますか?
青葉城は広瀬川の絶壁の上にありますからね。しかも背後には龍の口(たつのくち)渓谷があって、とても近寄りがたい。。。見るからに難攻不落という構えをしているのですよう。
唐沢山城は、デンマンさんの目には、すぐに落ちてしまいそうに見えたのですか?
そうなのですよう。城そのものを見ていないから何とも言えないのだけれど、山の形を見る限り、難攻不落という構えには見えなかった。
忍城は難攻不落だったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。豊臣秀吉の命令を受けて石田三成が忍城を水攻めしたけれど、ついに落とす事ができなかったのですよう。「忍の浮き城」として名を轟(とどろ)かせたのですよう。
秀吉から後北条氏の支城の館林城、忍城攻撃を命じられる。
忍城攻めでは元荒川の水を城周囲に引き込む水攻めが行われ、その際の遺構が周囲に現存している。
関東各地の後北条氏のほとんどの支城は本城である小田原城よりも先に陥落したが、忍城では小田原開城後の7月初旬まで戦闘が続いた。
そのため、この城攻めは三成の戦下手の証拠であるとする書物が多いが、これには異説もある。
なお三成は、常陸の佐竹義宣が秀吉に謁見するのを斡旋したり、奥州仕置の後、奥州の検地奉行を務めるなど着実に実績を重ねており、有能な行政官僚としての功績は相変わらず大きかった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
僕の夢とロマンでは、この小田原征伐の時に僕の祖先と小百合さんの祖先は後北条氏の一味として、それぞれ忍城と館林城を守って戦ったのですよう。
確証でもあるのでござ~♪~ますか?
いや。。。確証はありません。。。でもねぇ~、考えてみると、小百合さんと知り合ってから、どこへ行っても小百合さんと僕は昔からの因縁で結ばれているような気がするのですよう。うへへへへ。。。
たとえば。。。?
だから、以前にも書いたでしょう。僕の祖先と小百合さんの祖先は、実は百済からやって来て奈良の都から関東に入植して野武士になったと。。。
そう言えば、デンマンさんは次の記事の中でそのような事を書いていましたわね。
僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。
それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?
後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。
つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?
難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。
それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?
そう言う事ですよう。
。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?
そんなモノは残っていませんよう。
。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?
僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。
その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?
“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。
つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?
その通りですよう。
。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?
全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。

。。。んで、小百合さんの祖先も百済からやって来て武蔵国に定住したのでござ~♪~ますか?
そうですよう。おそらく、百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったけれど、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって一緒に武蔵国まで行ったのですよう。
どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?
小百合さんの実家は館林にあるのですよう。僕の実家から車で20分から30分ですよう。目と鼻の先ですよう。
そのような近くに住んでいたのにデンマンさんは日本で小百合さんにお会いした事は無かったのでござ~♪~ますか?
不思議な事に小百合さんと僕が初めて出会ったのはカナダのバーナビー市で小百合さんが13年間借りていた“山の家”だったのですよう。
バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。
この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に小百合さんが借りていた“山の家”があるのですよう。
この家でデンマンさんは10数年前に小百合さんと初めてお会いになったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。次のように小百合さんの“山の家”の応接間で会ったのですよう。
これって、またデンマンさんがコラージュしてでっち上げたのでござ~♪~ますわね?
確かに、上の写真は僕がでっち上げたのだけれど、現実でもねぇ、僕は、こうやって小百合さんと会ったのですよう。
でも、どうして小百合さんの祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たと分かるのですか?
小百合さんの DNA にも“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですよう。僕と同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、小百合さんは佐野からカナダのバーナビーに渡ったわけですよう。そして僕と“山の家”で出会ったのですよう。
ただ、それだけの事でござ~♪~ますでしょう?
ただ、それだけじゃないですよう。ちょっとジューンさんの言ったことを思い出してくださいよう。

こんにちは。ジューンです。
袖触れ合うも他生の縁
(そでふれあうもたしょうのえん)
聞いたことがあるでしょう?
なかなか味わいのある諺ですよね。
袖が触れ合うようなちょっとしたことも、
前世からの深い因縁によって
起こるものである、と言う事です。
わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”
だと思ったのですわ。うふふふふ。。。
つまり、袖が触れ合ったのは、
全く偶然ではなくて、少しは
そうなる運命にあったのよう。。。
私は、そのように思い込んでいたのです。
でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。
「他生」というのは「前世」の事だと、
デンマンさんに教わったのですわ。
調べてみたら、「他生」とは
「前世」と「来世」の事を言うのですって。
上の諺では、文脈から
「前世」となる訳ですよね。
この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。
そう言えば「今生の別れ」と言う語句を
何度か耳にしたことがありました。
仏教の輪廻(りんね)と
関係のある諺なのでしょうね。
わたしは英語ではこの諺は
無いと思っていたのですけれど、
調べてみたら、次のようなものがありましたわ。
A chance acquaintance
is a divine ordinance.
Even a chance meeting is
due to the karma in previous life.
つまり、「偶然の出会いは神の定め」
と言う事なのです。
多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。
カナダでは耳にしたことがありませんわ。
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
僕と小百合さんの出会いは、偶然の出会いのように見えて偶然ではないのですよう。つまり、小百合さんと僕に共通するモノが実にたくさんあるのですよう。
“海外飛躍遺伝子”でござ~♪~ますか?
それも一つですよう。まず、車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、僕と小百合さんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだった。僕の祖先と小百合さんの祖先が1400年程前に百済から日本に一緒に渡ってきた事が分かるような気がしますよう。小百合さんの祖先の娘は、やがて武蔵国から現在の栃木県の栗山村へ嫁にゆき、上の昔話を伝える事になったのですよう。どうですか?
確かに、そのような可能性があったかもしれませんわ。だってぇ~、デンマンさんの祖先の中には、きっとお話に出てくるような「ばか息子」が居たでしょうからねぇ~。。。うしししし。。。
一人ぐらい変わり者が居たかもしれませんよう。。。とにかく、このように見てゆくと、すべての話がここで丸く収まるのですよう。卑弥子さんも、そう思いませんか?
。。。んで、佐野でデンマンさんが小百合さんと再会した時には、どのような因縁を感じたのでござ~♪~ますか?
たまたま僕は偶然に唐沢山を見ることになったのだけれど、調べてみれば、小百合さんが現在住んでいる佐野市にある唐沢山城も、僕の実家がある行田市にある忍城も、共に関東七名城のうちの2つなのですよう。
でも、別にその事とデンマンさんの祖先と小百合さんの祖先が関係あるわけではないでしょう?
全く関係無いと断定できないでしょう。。。むしろ、これまでの記事を読めば、かつて後北条氏の一味として戦った双方の祖先の因縁が僕と小百合さんを佐野で引き合わせたと考える事もできますよう。
しかし、確証は無いのでしょう?
確証はありません。でも、偶然にしては、あまりにも不思議な偶然なのですよう。もし、小百合さんが金禄(きんろく)の「佐野絵巻」という白い羊羹を小包の中に入れなかったら、僕は今日の記事を書くことは無かったはずですよう。
だから、小百合さんが白い羊羹を一つ小包の中に入れたのは単なる偶然ですわ。
でもねぇ~、偶然として片付けてしまうには、あまりにも関連性がありすぎる。。。つまり、偶然と言うよりも、因縁と言った方が素直に受け入れる事ができるのですよう。
あたくしは因縁と言うよりは、デンマンさんのこじ付けを感じるのでござ~♪~ますわ。
卑弥子さんは、こじ付けと言うけれど、僕は、これまでの因縁、関連性こそ、僕と小百合さんの“夢とロマン”だと言いたいですよう。
だから、それはデンマンさんだけの思い込みでござ~♪~ますわ。
卑弥子さんには、そのようにしか考えられないのかもしれません。でもねぇ、これまでの記事を読んできた人の中には、因縁や関連性を感じている人が居るかも知れないのですよう。
分かりました。デンマンさんがそれ程に、こだわるのであれば、そういう人が居る可能性をあたくしは認めてあげますわ。だから、もう理屈を捏ね回さないでくださいな。それよりも、あたくしは金禄の他のお菓子に興味があるのでござ~♪~ますわ。白アン最中(もなか)も売っているのでしょうか?
それよりも今度、僕が佐野へ行ったら卑弥子さんのために金禄で「どら焼き」を買ってあげますよう。
金禄(きんろく) どら焼き
あらっ。。。「どら焼き」もあたくしの好物なのですわよう。
そうでしょう!?ここの「どら焼き」は、他のと違うのですよう。しっとりとして奥床しい味わいの「どら焼き」なのです。
食べた事も無いのにデンマンさんにはどうして、お分かりになるのでござ~♪~ますかぁ~?
今、小百合さんが太平洋の向こうから僕に語りかけているのですよう。うしししし。。。
ですってぇ~。。。
デンマンさんの、こじつけのお話には退屈しましたわ。
でも、どら焼きと白アン最中と生八ツ橋が食べられるならば、
あたくしは、もう他には何も要りませんわ。
うふふふふ。。。
とにかく、あさっては、面白いお話が続きそうですわ。
あなたも、ぜひ、また戻ってきてくださいましね。
では、あさってお会いしましょう。
じゃあねぇ。
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
『更級日記』の作者が13才の時に
馬にまたがった武士を見たのは、
武蔵国のどの辺りだったのでしょうか?
ちょっと興味があったので
現代語訳の『更級日記』を読んでみたら
次のように書いてありました。
格別風流な景色も見えない。
浜も、「くろとの浜」と違って砂が白くもなく、
泥のようで、紫草が生えると聞く武蔵野も、
アシやオギだけが高く生えていて、
武士の、馬に乗って弓を持っている
先っちょが見えないくらいまで、高く茂っていて、
その中を掻き分けて行くと、竹芝という寺がある。
はるか先に、母荘という
荘園の領主の邸跡の礎石がある。
つまり、現在の千葉県からやって来て
隅田川を渡って竹芝寺の近くの草原で
武士を見かけたのです。
その当時の風情は、もう跡形も無いでしょうね。
当時から高貴な花の代表である紫草は
武蔵野の名産だったそうです。
ただし、紫草は夏の花なので、
秋に武蔵国を通過する作者は目に出来なかったのです。
生えているのは、アシ(葦)やオギ(荻)などの
イネ科の植物のみでした。
なお、アシが「悪し」に通じるのを嫌って逆の、
「良し」=ヨシ(葭)とも言います。
面白いですね。
紫草
ところで、英語の面白いお話を集めて
記事を書きました。
時間があったら、ぜひ覗いてみてくださいね。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
2010年2月7日 8:00 午前 |
[…] 『歴史を散歩させる食べ物 (2009年5月1日)』より […]
2010年2月9日 7:45 午前 |
[…] 『歴史を散歩させる食べ物 (2009年5月1日)』より […]
2011年11月4日 8:27 午前 |
[…] 『歴史を散歩させる食べ物』より (2009年5月1日) […]
2013年3月20日 7:23 午前 |
[…] 『歴史を散歩させる食べ物』より (2009年5月1日) […]
2013年3月24日 6:08 午前 |
[…] ■『歴史を散歩させる食べ物』 […]