おばさんパンツと源氏物語


 
2009年6月16日 (火曜日)
 
   

おばさんパンツと源氏物語
 
 
愛の形とおばさんパンツ
 
 

デンマンさん。。。また、おばさんパンツでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。よ~くタイトルを見てくださいよう。初めに“愛の形”と書いてあるでしょう!

でも未練がましく、その後に“おばさんパンツ”が続いていますわ。

いけませんか?

“愛の形”について書きたいのであれば、“愛の形”だけのタイトルにすれば良いのでござ~♪~ますわア!?どうして。。。、どうして、未練がましく、その後に“おばさんパンツ”を付ける必要があるのですか?

つまり。。。、つまり、卑弥子さんもレンゲさんのように、僕がおばさんパンツにこだわっていると信じきっているのですね?

あたくしだけではござ~♪~ませんわ。

他に。。。、他にも。。。、あのォ~。。。僕がおばさんパンツにこだわっていると信じきっている人が居るのですかぁ~?

おりますわよう。。。んも~~。。。ジューンさんだって、小百合さんだって、ジュンコさんだって、べティーさんだって。。。、それに安子さんまでがデンマンさんは「おばさんパンツ・マニア」だと言っておりましたわア。

マジで。。。?

おおマジですわよう!。。。んも~~。。。

あのねぇ~、お願いだから、そのような根拠のないことを言わないでくださいよう。初めてこの記事を読む人は僕がおばさんパンツにこだわっているとマジで信じ込んでしまうではないですかア!も~~。。。

続けてデンマンさんの記事を読んでいる日本語が分かる世界のネット市民の皆様は、間違いなくデンマンさんがおばさんパンツ・マニアであることを信じて疑っておりませんわ。

分かりましたよう。卑弥子さんが、それほどまでにおばさんパンツを強調するのであれば、僕はここでおばさんパンツにこだわってないという証拠を見せますよう。

早く見せてくださいな。

2つのキーワードを入れて

GOOGLEで検索した結果

日本 デンマン : 41,000件

音楽 デンマン : 39,100

ネット デンマン : 28,900

愛 デンマン : 23,600

歴史 デンマン : 18,100

結婚 デンマン: 18,000

レンゲ デンマン : 15,500

家庭 デンマン : 12,900

小百合 デンマン : 8,160

漢字馬鹿 デンマン : 5,810

詩 デンマン : 4,310

源氏物語 デンマン : 2,460

はてなダイアリー デンマン : 98

軽井沢 デンマン : 97

おばさんパンツ デンマン : 90


GOOGLEでの検索結果
(2009年6月7日現在)

『おばさんパンツが並んだ』に掲載
(2009年6月11日)

僕はねぇ~、日本がもっと住み良い国になればと念願しながら記事をたくさん書いているのですよう。だから、日本とデンマンを入れて検索すると最も多いのですよう。その次にロマンチックな音楽のこと、僕の初恋にちなんだ音楽のこと。。。そうゆう夢とロマンについて書いている記事が多いのですよう。

信じられませんわ。

信じられなかったらGOOGLEに文句を言ってくださいよう。上のような結果が出たのは僕の責任ではなくて、GOOGLEの管理人の責任ですからね。。。

つまり、おばさんパンツのことを書いた記事が最も少ないとデンマンさんは主張するのですわね?

いや。。。僕は、そのようなことは言ってませんよう。卑弥子さんが上の検索結果を見て言っているのですよう。うしししし。。。

分かりましたわ。。。んで、どうして未練がましく“愛の形”の後に“おばさんパンツ”が続いているのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、僕はおばさんパンツに未練があるわけじゃないのですよう。も~~。。。

。。。んで、何に未練があるのでござ~♪~ますか?

未練がましくおばさんパンツというキーワードに惹かれて僕の記事を読みにやって来る熱心な読者の皆様方に僕は未練があるのですよう。。。うしししし。。。

なんだかデンマンさんのお話し振りを聞いていると、読者の方を愚弄するような言い方でござ~♪~ますわア。失礼ではござ~♪~ませんかア!

あのねぇ~。。。僕は感謝しているのですよう。どのようなキーワードであれ、そのキーワードに惹かれて僕の記事を読んでもらえるということは実にうれしいことですよう、記事を書いた甲斐があったというものです。だから、僕は感謝しているのですよう。

。。。んで、おばさんパンツがどうだとおっしゃるのですか?

GOOの次のアクセス記録を見てくださいよう。

あらっ。。。6月11日のアクセスランキングが1000位内に突入したのでござ~♪~ますわね?

そうなのですよう。何週間ぶりかに3桁になったのですよう。

。。。んで、6月11日の記事の中におばさんパンツが出てくるのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。タイトルに、もろにおばさんパンツが出てくるのですよう。

『おばさんパンツが並んだ』

 (2009年6月11日)

つまり、おばさんパンツがタイトルに含まれていたので、それを目当てに読みに来る人がグッと増えたとデンマンさんは信じているのでござ~♪~ますか?

そうですよう。REALOGの僕のブログでは次のような統計が出ているのですよう。

要するに“おばさんパンツ”で検索して読みに来る人がいたのです。541人のうち40人から50人がそうやって“おばさんパンツ”で検索して読みにやって来た人です。

それで、デンマンさんはルンルン気分になって今日の記事を書き始めたのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。、僕は言ったでしょう!。。。おばさんパンツにこだわっているわけじゃないとォ~。。。?

。。。んで、どうして“愛の形”と“おばさんパンツ”が結びつくのでござ~♪~ますか?

僕は、たまたま次の記事を読み直していたのですよう。

『愛の形 (2009年6月6日)』

この記事の中に源の典侍(げんのないしのすけ)の話が出てくるのですよう。ちょっと読んでみてください。

好色な老女官(ろうにょかん)をめぐる

恋のさやあて

頭の中将は「源氏に、自分だと気づかないうちに、ここを抜け出そう」と、無言のまま、怒り狂ったふりをして、太刀を抜くと、源の典侍(げんのないしのすけ)は「あなた様、あなた様。どうかお助けを」と、中将に向かって手をすり合わせるので、もう少しで吹き出すところだった。

典侍(ないしのすけ)は、色っぽく若作りしているので、うわべは何とか見られるが、57、8歳の女がだらしない姿でうろたえて、しかも二十歳(はたち)の若者たちの間で震えているのは、なんともぶざまだ。

頭の中将は、別人をよそおい、恐喝(きょうかつ)するふりを演じて見せたが、源氏はかえって目ざとく見抜いてしまった。「自分と知ってわざとやったんだ」と気づくと、ばかばかしくなった。「頭の中将だな」とわかると、おかしくてたまらず、太刀を握った腕を捕らえて、ぎゅっとつねった。中将のほうも、見破られてしゃくに障るものの、我慢しきれず、吹き出してしまった。

(pp.86-87)

頭の中将が、源氏と老女官の寝ている部屋に忍びこみ、屏風(びょうぶ)をがたつかせて脅(おど)す場面である。
『源氏物語』の滑稽譚(こっけいたん)の最たるものだ。女性は、早いと30代で床離れするのが、当時の夫婦生活である。
当然、この老女官は淫乱症として、徹底的に嘲笑されることになる。


源の典侍(げんのないしのすけ)は

紫式部の兄嫁か?

源の典侍は、50半ばの好色な老女として描かれている。徹底的に戯画化して描かれ、彼女の登場は笑いを誘わずにはおかない。
ところが、この源の典侍にはモデルがあって、なんと、作者紫式部の兄嫁だというから驚く。当時の公家日記に照合すると、確かに源明子という典侍が実在し、年齢も同じ50半ばだという。
しかも、『源氏物語』の評判を恥じて、辞表まで出したと推測されている。もし事実ならば、紫式部という小姑(こじゅうと)の底意地の悪さは相当なものだ。
もっとも、事の真相は不明だが。


(pp.88-89) 『源氏物語』より
角川書店編 (504ページ)
ビギナーズ・クラシックス
2001(平成13)年11月25日初版発行

思い出しましたわ。『源氏物語』の中では最も滑稽な小話でござ~♪~ますわ。上の単行本では、ミーちゃんハーちゃんが興味を示すように女性週刊誌的に書いてあるのでござ~♪~ますわね。うふふふふ。。。

そうなのですよう。それで、円地文子さんは文学としては低俗だからと言うので、「日本の古典5」の本では、たった1行で済ませてしまったと思うのですよう。

源氏は正三位参議となり、頭(とう)の中将は正四位下に昇進した。
ふたりは相変わらず仲良く、源の典侍という色好みの老女官に戯れたりした。


(45ページ) 『源氏物語』より
現代語訳者: 円地文子
現代語訳 日本の古典5 (196ページ)
1979(昭和54)年6月22日初版発行
株式会社学習研究社 発行

デンマンさんは低俗だとは思わないのでござ~♪~ますか?

僕は時代を越えた「女性の性の真理」が戯画化されて「源の典侍(げんのないしのすけ)」の小話に書かれていると思うのですよう。

その「女性の性の真理」とは、どのようなものでござ~♪~ますか?

三十しごろ

四十させごろ

五十ござむしり

六十ろくに濡れずとも

あらっ。。。なんかァ~、エロいですわねぇ~、うふふふふ。。。

ほらねぇ~、卑弥子さんの目がランランと輝いてきたでしょう!

あらっ。。。いやでござ~♪~ますわァ~。。。デンマンさんは、あたくしを好色な女に思わせたいのでござ~♪~ますか?

とにかくねぇ、この「源の典侍(げんのないしのすけ)」の物語は『源氏物語』の中でも僕はきわめて重要だと思っているのですよう。

どうしてでござ~♪~ますか?

僕はすでに言ったように、『源氏物語』は藤原道長がプロデューサーになって一条天皇に読んでもらうために紫式部に指図して完成させたものですよう。

道長の娘の彰子の話が

クライマックスに近づくと

「続きはまた明日ね」と言って

彼女は話を打ち切った。

一条天皇は次の話が聞きたくて

別の女性に伽(とぎ)をさせるのを

思い留まり、

それが毎夜続くようになって

将来、天皇になる二人の皇子を

お生みになったのでした。


『紫式部は妾か? (2009年6月2日)』より

分かりましたわ。これがデンマンさんの仮説でござ~♪~ますわね。

そうですよう。

それで、なぜ「源の典侍(げんのないしのすけ)」の物語が重要なのでござ~♪~ますか?

円地文子さんは文学として低俗だと思って「日本の古典5」の本では、たった1行で済ませてしまったのですよう。もし重要だと思うならば、角川書店編の単行本と同じ程度の語数を費やしていたはずです。

だから、なぜ重要なのですか?

僕は大島本の原典に当たってみたのですよう。そうしたら「源の典侍(げんのないしのすけ)」の物語の出だしは次のように書かれているのですよう。

第四章 源典侍の物語

老女との好色事件

[第一段 源典侍の風評]

帝のお年、かなりお召しあそばされたが、このような方面は、無関心ではいらっしゃれず、采女、女蔵人などの容貌や気立ての良い者を、格別にもてなしお目をかけあそばしていたので、教養のある宮仕え人の多いこの頃である。
ちょっとしたことでも、お話しかけになれば、知らない顔をする者はめったにいないので、見慣れてしまったのであろうか、「なるほど、不思議にも好色な振る舞いのないようだ」と、試しに冗談を申し上げたりなどする折もあるが、恥をかかせない程度に軽くあしらって、本気になってお取り乱しにならないのを、「真面目ぶってつまらない」と、お思い申し上げる女房もいる。
年をたいそう取っている典侍、人柄も重々しく、才気があり、高貴で、人から尊敬されてはいるものの、たいそう好色な性格で、その方面では腰の軽いのを、「こう、年を取ってまで、どうしてそんなにふしだらなのか」と、興味深くお思いになったので、冗談を言いかけてお試しになると、不釣り合いなとも思わないのであった。
あきれた、とはお思いになりながら、やはりこのような女も興味があるので、お話しかけなどなさったが、人が漏れ聞いても、年とった年齢なので、そっけなく振る舞っていらっしゃるのを、女は、とてもつらいと思っていた。


『紅葉賀 (大島本)』より

つまり、天皇は熟年になったが、好色な方面でも無関心ではいられない、と言う出だしなんですよう。道長の娘の彰子さんが、このように話を始めれば、「おォ~、朕(ちん)のことが書いてあるのだろうか。。。?」と、一条天皇は思って、身を乗り出すように聴き始めるのですよう。

それで。。。?

そうすると、源の典侍の面白い物語が始まるのですよう。

「続きはまた明日ね」と言って

彰子は話を打ち切った。

一条天皇は次の話が聞きたくて

別の女性に伽(とぎ)をさせるのを

思い留まり、

それが毎夜続くようになって

将来、天皇になる二人の皇子を

お生みになったのでした。

こうなるわけですよう。うしししし。。。

デンマンさん。。。これって、マジなお話でござ~♪~ますか?

大真面目ですよう。

。。。んで、この源の典侍の物語が『愛の形』と関係あるのでござ~♪~ますか?

関係ありますよう。つまり、源の典侍の面白い物語は、一条天皇と彰子中宮の“愛の形”のためのセレナーデのようなものだったのですよう。

つまり、お二人の愛を萌え上がらせるようなバックグラウンドミュージックだったのでござ~♪~ますか?

僕は、そう思っているのですよう。

。。。んで、どこにおばさんパンツが出てくるのでござ~♪~ますか?

だから、僕は思ったのですよう。一条天皇と愛し合う彰子中宮。。。それに光源氏と戯れていた源の典侍。。。この二人は、その時、おばさんパンツを穿いていたのだろうか?

デンマンさんはマジでそのような疑問を抱いたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。。。僕が不思議に思ってはいけませんか?うしししし。。。

馬鹿馬鹿しい疑問でござ~♪~ますわ。

それほど馬鹿馬鹿しい疑問ですか?

そうですわ。デンマンさんともあろうお人が、彰子中宮。。。それに源の典侍がおばさんパンツを穿いていたのだろうか?。。。そのような戯(たわ)けた事を考える。。。まったくアホらしい事ですわア。

それほどアホらしいのですか?

アホらしいですわよう。あたくしは半ば呆れてしまいましたわ。

どうしてですか?

だってぇ、女がパンツを穿き出したのは歴史的に申し上げれば、ごく最近の事でござ~♪~ますわ。

そうだったのですか?

とぼけないでくださいな。歴史馬鹿のデンマンさんともあろうお方が白木屋の火事のエピソードを知らないはずがござ~♪~ませんわア。。。

ん。。。?白木屋の火事。。。?江戸時代の有名な“振袖(ふりそで)火事”のことですか?

違いますわよう、んも~~。。。

白木屋 (デパート)

白木屋(しろきや)とは東京の日本橋一丁目に存在した、かつて日本を代表した百貨店の一つである。
法人自体は現在の株式会社東急百貨店として存続しており、1967年に商号・店名ともに「東急百貨店日本橋店」へと改称した。
その後、売れ行き不振のため1999年1月31日に閉店し、白木屋以来336年の永い歴史に幕を閉じた。
跡地にはコレド日本橋が建設されている。
 
白木屋は、京都の小間物・呉服問屋として名が知られていた。
1662年(寛文2年)に江戸の日本橋通三丁目に進出し、大村彦太郎によって創業。
江戸支店が開かれた。
江戸時代初期に小間物商から大呉服店となり、町人から大名・大奥までをも顧客とした。

店内にあった白木観音や白木名水、日本橋店舗の一角にてソニーが創業したことなどでも知られる。

現在、白木屋の商標は、アメリカ・ハワイ州ホノルルのアラモアナセンターにあるShirokiyaのみとなっており、ハンガーのような形のロゴシンボルも同店に現存している。

白木屋大火

白木屋大火は日本の都市災害史に残る大火災の一つ。
1932年(昭和7年)12月16日午前9時15分頃、4階の玩具売り場で火災が発生。
地下2階、地上8階の建物の4階から8階までを全焼して午後12時過ぎに鎮火した。
この火災で逃げ遅れた客や店員ら14人が死亡し500人余りが重軽傷を負うなどして、日本初の高層建築物火災となった。

当時、白木屋は歳末大売出しとクリスマスセールが重なり、店内は華やかな飾りつけがなされていた。
開店前の点検でクリスマスツリーの豆電球の故障を発見し、開店直後に男性社員が修理しようとした時、誤って電線がソケットに触れたためスパークによる火花が飛び散り、クリスマスツリーに着火。
火は山積にされたセルロイド人形やおもちゃに燃え移り瞬く間に猛烈な火炎をあげた。
この社員は消火活動をしているうちに煙に巻き込まれて死亡した。
4階にいた客や店員は驚いて避難を開始したが、火の勢いは益々大きくなり、エレベータや階段が煙突の役割をして4階から最上階の8階までが猛煙に包まれた。
警視庁消防部(当時)は通報を受けてポンプ車29台、ハシゴ車3台などを出動させて消火活動にあたったが、ハシゴ車は4階までしか届かず、ポンプも送水圧力が上がらないため4階以上への放水は出来なかった。
パニックに陥った客や店員らは、売り場にある布やカーテンを結んでロープ代わりにしたり、女性店員の帯を結んで脱出を試みたが、途中で切れて転落死した。
また、消防部が地上で張った救助ネットをめがけて7階から飛び降りて助かった客や店員が80人前後いたが、目測を誤って地面に激突して死亡した人もいた。

消防隊は猛炎の中に飛び込み窓からロープを垂らし救助を開始。隊員の指示で店員の女性達が次々にロープを伝って下に降りていったが、途中で転落した者が続出した。この転落について、長らく以下の内容の話が言い伝えられてきた。

「ロープを伝って脱出している真下には大勢の野次馬がいた。
当時の女性は和服で長襦袢のためにズロース(パンツ)は穿いていない。
一般的に女性がズロースを着けるようになったのは終戦後のことであり、当時は和装の女性が下着を着用することはなかった。
命が掛かっていても、女性の恥じらいを重んじた女性店員達はロープから手を離してまでも裾を押さえた。

この火災の報道は写真も含めて世界中に配信され、特に欧米諸国では女性の恥じらいを重んじて死んでいった女性店員への同情と涙を誘った。
その後、白木屋は女性店員にはズロースを穿くことを義務付け、翌年には和服から洋装を奨励した」

しかし、この「白木屋火災が女性の洋風下着が普及するきっかけとなった」とする説に対して、井上章一は朝日新聞社より出版した『パンツが見える。――羞恥心の現代史』で考察を加え、事実無根であるとして強い疑問を唱えている。
「記録によると、1人を除いて犠牲者は全て飛び降りや帯・避雷針などで降りようとして失敗したことによる転落死だったことに加え、多くの従業員が消防士の救助で助かっている」「羞恥心のありようが現在とは異なっており、現代視点・西洋風視点から解釈を加えるのは誤りにつながる」などと指摘している。
しかしながら、井上の著作発表以後もその指摘を踏まえないままに「白木屋火災が女性の洋風下着が普及するきっかけとなった」という説が、テレビ番組などで「事実」として放送されることは少なくない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

このような痛ましい火事があったのでござ~♪~ますわ。

でも、事実はそうではなかったと反論している人が居ますよう。

たとえ誰がなんと言おうとも女性にとって、この火事の教訓は説得力があったのでござ~♪~ますわ。確かに記録では「1人を除いて犠牲者は全て飛び降りや帯・避雷針などで降りようとして失敗したことによる転落死だった」かも知れません。でも、「命が掛かっていても、女性の恥じらいを重んじた女性店員達はロープから手を離してまでも裾を押さえた」というお話は女性の共感を呼ぶのでござ~♪~ます。だから、白木屋火災があってから女性がパンツを穿くようになったということは十分に説得力があるのですわ。

つまり、それまでは日本の女性のほとんどはパンツを穿いてなかったのですか?

その通りでござ~♪~ますわ。だから、平安時代に「源の典侍(げんのないしのすけ)」がおばさんパンツを穿いていたなんて全く考えられないことでござ~♪~ますわ。

でも、何か穿いていたでしょう?。。。たとえば、ひもパンツのようなものを。。。うへへへへ。。。

穿いてない、と言ったら、穿いてないのでござ~♪~ますわア!んも~~。

卑弥子さん!感情的にならないでくださいよう。。。そう言えば、思い出したことがありましたよう。。。

何を。。。?

もう3年か、4年前になるけれど、めれんげさんの日記を読んでいたら、正月に晴れ着を着るときに、おばあちゃんの言いつけで、パンツをはかなかったと書いていたのですよう。

そうでござ~♪~ますわ。伝統を重んじる家風では、和服を着ている時にはパンツを穿かないと言うことをきちんと守っている女性たちも居るのでござ~♪~ますわ。

卑弥子さんは。。。?

あたくしは、もちろん、和服を着るときにはノーパンですわよう。京都生まれで京都育ちのあたくしは、平安時代からの女の掟を堅く守っているのでござ~♪~ます。

あれっ。。。パンツを穿かないのは京都の旧家の掟なのですか?

そうでござ~♪~ますわ。

つうことわあああぁ~。。。もしかして。。。もしかして。。。十二単を着ている卑弥子さんは、今、マジでノーパンなのですか?

うふふふふ。。。バレてしまいましたわねぇ~。

あのォ~。。。ホントかどうか?ちょっと。。。ちょっとだけ。。。椅子の上にあがって裾をまくって見せてくれませんか?うへへへへ。。。

【卑弥子の独り言】

いやぁ~ねぇ~。。。
男ってすぐに調子に乗ってふざけるのですわよねぇ~。
十二単の裾って12枚もあるので重たいのですわよう。
椅子の上にあがれっこないじゃありませんかア~!

まったく呆れ返ってしまいますわよう、んも~~。
あなただって、馬鹿馬鹿しいと思うんでしょう?
でもねぇ、あたくしは、今でも着物を身に着けるときにはノーパンですわ。
京都には、マジで、そのような伝統を堅く守っている女性たちが居るのですわよう。
信じてねぇ。

とにかく、まだ面白い話が続きますう。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、またねぇ。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

西洋でも女性がパンツを穿くようになったのは

比較的最近のことです。

それでも、ルネッサンス時代にまで

さかのぼることができます。

イタリアのメディチ家からフランス王家に嫁ぎ、

アンリ2世の王妃になった

カトリーヌ・ド・メディチが取り入れた流行です。

自分のスマートなおみ足がご自慢だった彼女は、

お上品ぶったご婦人たちの

横ずわりというヤボな馬の乗り方にかわって、

『アマゾン式』という新しい乗り方を考え出したのです。

左足を鐙にかけ、右足は折り曲げて

鞍の前輪に乗せるという、けっこうイキな乗り方でした。

これだと馬を走らせるあいだ、

彼女のみごとな脚線美がスカートの間から

チラチラ見えるのです。

男たちは大喜びで、カトリーヌのふくらはぎに

目が釘付けになって、

狩りどころではなくなったということです。

このアマゾン式乗馬はたちまち大流行して、

宮中の貴婦人たちがまねをするようになりました。

ところが困ったことが一つあったのです。

この時代、まだ女たちは

パンティーをはいていなかったので、

スカートの下はすっぽんぽんでした。

ときにはスカートがまくれて、

あらぬところが見えてしまいます。

そこで女性たちは、『カルソン』と呼ばれ、

それまで男性専用のものだったパンツを、

いわゆるパンティーとして

身につけるようになったのです。

忽ちカルソンも宮廷の女性たちの間で大流行しました。

しかし、覗きの楽しみを奪われた男たちは、

正直いっておもしろくありません。

パンティーを穿くことを認めるかどうかの議論が、

約一ヶ月にわたって宮廷で

まじめに戦わされたということです。

詳しいことは次の記事を読んでくださいね。

『パンティーはいつ頃から穿くようになったの?』


 
ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。
 


 

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