愛に揺らぐ女


 
2011年7月4日 (月曜日)
 
 
愛に揺らぐ女
 
 

早咲きの天才

(青木繁)は21歳の若さで画壇にデビューした。 1904年に東京美術学校を卒業し、夏には絵描き仲間4人と千葉の布良(めら)海岸に赴いた。

この旅は民家の一室を借りての合宿のようなものだったらしいが、青木繁の人生にとってふたつの点でとても重要である。 ひとつはここで《海の幸》の着想を得たこと、もうひとつは旅に同行した女性とのあいだに子供ができたことである。

    《海の幸》

その女性は栃木の出身で福田たねといった。 男ばかりの旅に女ひとりで加わったのだから、大胆な女性であることはまちがいない。 たねは日光出身の小杉放庵の師、五百城文哉の元で絵を学び、そこで小杉と親しくなる。

  福田たね

小杉が上京したときに たねも東京に出て不同舎に入る。 絵の上のことだけでなく恋愛感情が絡まっていたものと思われるが、その恋が実らずに終わると、つぎにときどき不同舎にぶらっとやてくる青年に心を寄せた。 それが青木繁である。 ふたりは間もなく付き合いだした。

 (中略)

青木は現実をそのまま絵に移すのではなく、想像を加えて象徴的に描くのを好んだ。 神話から多くの作品を生んでいるのも、物語によって想像をかき立てられたからだった。…それでは、男の顔が女性に変えられ、前向きだったのが横向きに直されたのはなぜだろう。 また他の人物は褐色なのに、彼女と中央の男の肌だけが光っているのも気になる。 まるで物語の主人公のような雰囲気だ。…友人の証言によると、加筆されたのは1906年ころだという。 《海の幸》が描かれた1904年と、その後の2年間にはいろいろなことが起きている。
 
 (中略)

1905年8月には、たねが男の子を出産。 出産費用はたねの実家に頼っている。 『古事記』のオオナムチノミコトの受難の物語を題材にした《大穴牟知命》や、翌1906年には《日本武尊》など大作を仕上げているが、美術界の評価はいまひとつだった。

《大穴牟知命(おおなむちのみこと)》

尊大であろうが、傲慢であろうが、世間の注目さえ得られれば、青木のなかでバランスがとれたはずだ。 だがさまざまな不調がかさなって歯車が噛み合わなくなり、夢と現実とに引き裂かれるような思いだったろう。

そんなとき布良(めら)でのふたりの輝かしい記憶を、絵の中に込めようとして筆を入れたのではないだろうか。

ここでどうしても気になるのはふたりの表情のちがいだ。 男のほうは自信に満ちた顔で、女のほうは不安げである。 

まるでその視線をキャンバスのこちら側にいる画家に投げかけ、無言で問いかけているかのようだ。 いたい、わたしたちはどうなってしまうのかと。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


128 – 130ページ
『あの画家に会いたい個人美術館』
著者: 大竹昭子
2009年5月25日
発行所: 株式会社 新潮社

デンマンさん。。。あんさんは、どないな訳で青木繁の絵を取り上げはったん?

あのなァ~、上の《海の幸》の絵を見て、それから福田たねさんのことを読んでいると、なんとのう、めれちゃんの不安そうな表情が思い浮かんできよったのやがなァ~。。。

どうして、わたしの不安げな顔が思い浮かんできやはったん?

次のめれちゃんの手記を思い出したのやァ。

夢のバンクーバー
 
 
2004-8-16 19:46


 
 
ご苦労様、
ありがとうございます。
バンクーバーでのわたしは、
デンマンさんに
エスコートされて、
のびのびした表情をしていますね。
ここ大阪では考えられません。

わたしの精神年齢は32歳ですか?
大人ですね。
昔から思索にふけることが
多かったのですが、
そういった時に、
わたしは大人に
なれるのかもしれません。

でも、妄想にふける
中学生のわたしもいますが。
もうひとつ言えば、
不安にさまよう
4歳のわたしもいます。

わたしの詩・・・
(自分では自慰行為と呼んでいますが)
人に見せるのも、まして批評していただけるなんて、
全く初めてだったんです。

デンマンさんが感想を書いて下さって、
冗談ぬきで、舞い上がるようないい気持ちです。
ネットで公開してよかった・・・

デンマンさんは少々わたしのことを、
買いかぶっておられるんじゃないかと、
少し不安です。

わたしがデンマンさんの“心の恋人”足り得るか・・・
いつか、ガッカリさせてしまうのではないかと、
自分自身の内面を省みて、心配になっています。

それにしても、わたしは幸せ者ですね。
この、“夢のバンクーバー”で、
わたしはデンマンさんを独占してしまったのですから
本当にありがとうございます。

質問の方もできるだけ早く、残りをお答えしますね。
 
 
by レンゲ


『どうしたら大人の恋になるのですか?』より
 2006年01月17日(火)

デンマンさん。。。あんさんは古いモノを持ち出してきやはりましたなァ。。。これは、わたしが2004年の8月に書いたものですやん。

そうやァ。。。

あんさんは、わたしの書いたモンならば、何でも保存してましたん?

そうやァ。。。このような時に、こうして引用できると思うたのやがなァ。 (微笑)

マジかいな? 2004年に、あんさんはマジでそないに思いましたん?

マジやがなァ。。。めれちゃんの詩や、短歌や手記に触れ、わては、なんとのう消し去りがたい感銘に打たれたのやがなァ。

あんさん。。。ホンマにマジかいなァ?

このような時にウソや冗談が言えるかいなァ!

なんぼでも言えますやん。。。口は重宝なものですねん。

あのなァ~。。。青木繁の有名な《海の幸》の絵まで持ち出してきたのやでぇ~。。。ウソや冗談で、この記事を汚すわけにゆかんがなァ~。

それで、タイトルの「愛に揺らぐ女」というのは、もしかして、わたしのことを言うために書きはったん?

そうやァ。。。

それは、あんさんの独断と偏見やと思いますわ。

つまり、めれちゃんは不安になることは、めったにないと言うのんかァ~?

そうですう。。。わたしは次のようにルンルン気分になることも、けっこうあるねん。

朝のキモチ

昔、好きな人と会える日は、

朝、目が覚めた瞬間に、

身体中にしあわせが

いっぱいになって、

踊るように

出かける仕度をして、

出かけていったなあ。

あの頃のわたしは、

多分、今の100倍

キレイだったと思う・・・
 
 
by レンゲ  

2004/12/10 07:33


『心の痛みを話す気になりましたか?』より
 (2005年11月26日)

確かに、めれちゃんがルンルン気分になってスキップしながらボーイフレンドに会いに出かけて行く姿が見えるようやけど。。。、でもなァ~、上の詩から受ける印象は、その想い出を追憶している寂しそうなめれちゃんの姿やんかァ。

上の詩を読んで、あんさんはそないにしか受け留めることができへんのォ~?

あのなァ~、めれちゃんには陽気でルンルン気分のときもあるかもしれへん。。。でもなァ~、これまでのめれちゃんの書いたものを読むと、どこかに不安な面影が潜んでいるように思うたのやァ。

それでタイトルを「愛に揺らぐ女」としやはったん?

そうやァ。

そやけどそれは、あんさんの極めて個人的な受け留め方やと、わたしは思うねん。

いや。。。決してそないな事はあらへん。

その証拠でもあるのォ~?

あるがなァ。 次の検索結果を見てほしいねん。

あらっ。。。こないにしてわたしの不安な気分を確かめはったん!?

そうやァ。。。15,100件も、めれちゃんの不安が記事に取り上げられておるねん。 上の検索結果に現れている10件の記事は、すべてめれちゃんの不安が表現されている詩や、短歌や手記についての記事やんかァ。

リストの記事すべてが、わたしについて、あんさんが書きはった記事やのォ?

もちろんやァ。。。ウソやと思ったら自分で上のリストの中のURLをブラウザに入れて、それぞれの記事を調べてみたらええやん。

つまり、わたしが「愛に揺らぐ女」やと、あんさんは決め付けたいん?

いや。。。そないに決め付けようとしているわけではあらへん。 わてはただ《海の幸》を観て、冒頭の文章を読んで改めて青木繁と福田たねという女性の関係に、ちょっとばかり関心を持ったのやがなァ。。。

青木繁

(1882年7月13日 – 1911年3月25日)

日本の明治期の洋画家である。
『海の幸』の作者として知られる繁は、近代日本美術史の上でもっとも著名な洋画家の一人である。
若くして日本美術史上に残る有名作を次々と描き上げた後、放浪生活に入り、満28歳の若さで没した繁の生涯は半ば伝説化している。
短命だったこともあって残された作品の数は決して多くはなく、代表作『海の幸』を含め多かれ少なかれ未完成の作品が多い。
しかし、日本の古代神話などをモチーフにした浪漫的色彩の濃い画風は西洋美術の物まねではない独自のものとして高く評価されている。

少年時代

繁は今の福岡県久留米市に、旧有馬藩士である青木廉吾の長男として生まれた。
武士の系譜を引く父は厳格な人物で息子の画家志望を聞かされた時、「美術だと。武術の間違いではないのか」となじったという逸話が残っている。
繁は同じ久留米生まれの洋画家・坂本繁二郎とは同年で両者は小学校の同級生でもあり、終生の親友でありライバルであった。
同時代人の証言や繁自身による『自伝草稿』によれば、繁は歴山帝(アレクサンドロス大王)に憧れる早熟な文学少年であったようである。
繁は絵画のほかに短歌もよくし、短い生涯に多くの文章を残している。

画家時代

繁は1899年(明治32年)、満16歳の時に中学校の学業を半ばで放棄して単身上京、画塾・不同舎に入って主宰者の小山正太郎に師事した。
肺結核のため、麻布中学を中退。
1900年(明治33年)、東京美術学校(のちの東京芸術大学)西洋画科選科に入学し、黒田清輝から指導を受ける。
1902年(明治35年)秋から翌年正月にかけて、久留米から上京していた友人・坂本らと群馬県の妙義山や信州小諸方面へスケッチ旅行へ出かけている。
これは無銭旅行に近い珍道中だったことが坂本の書簡などから窺えるが、繁はこの旅行中に多くの優れたスケッチを残している。
1903年(明治36年)に白馬会8回展に出品した『神話画稿』は白馬会賞を受賞した。
『古事記』を愛読していた繁の作品には古代神話をモチーフにしたものが多く、題材、画風ともにラファエル前派などの19世紀イギリス絵画の影響が見られる。
1904年(明治37年)夏、東京美術学校を卒業したばかりの繁は、坂本や画塾不同舎の生徒で繁の恋人でもあった福田たねらとともに千葉県南部の布良(めら)に滞在した。
『海の幸』はこの時描かれたもので、画中人物のうちただ1人鑑賞者と視線を合わせている人物のモデルは福田たねだとされている。
この前後が繁の短い絶頂期であった。
以後の繁は展覧会への入選もかなわず、私生活にも恵まれず放浪のうちに短い生涯を終えたのである。

放浪生活

1905年(明治38年)8月、今の茨城県筑西市に滞在中、繁とたねとの間の子である幸彦(後の尺八奏者福田蘭童)が誕生した。
しかし、繁はたねとはついに正式には結婚しなかった。
1907年(明治40年)8月、郷里の父の危篤の知らせを聞いた繁は単身帰郷、これが青木とたね・幸彦母子との永遠の別れとなった。
画家としては「天才」と言われた繁であったが、父亡き後、一家を支えていく甲斐性は彼にはなく1908年(明治41年)10月には郷里の家族とも別れて天草、佐賀などを転々とする放浪生活に入った。
放浪時代にも作画を続け『月下滞船』(1908年(明治41年))のような佳作もあるが、もはや画家としての繁のピークは過ぎていたようである。
心身ともに病んでいた繁は1911年(明治44年)3月、入院先の福岡市の病院で死去した。満28歳8か月の若さであった。

ハナ肇とクレイジーキャッツの元メンバーで料理研究家の石橋エータローは蘭堂の息子、つまり繁の孫である。

代表作

•黄泉比良坂(よもつひらさか)(1903年)(東京藝術大学大学美術館)
•自画像(1904年)(東京藝術大学)
•天平時代(1904年)(ブリヂストン美術館)
•海の幸(1904年)(重要文化財、石橋美術館)
•大穴牟知命(おおなむちのみこと)(1905年)(石橋美術館)
•日本武尊(1906年)(東京国立博物館)

•わだつみのいろこの宮(1907年)(重要文化財、石橋美術館)
•朝日(1910年)絶筆(佐賀県立小城高等学校黄城会)

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、福田たねとう女性も「愛に揺らぐ女」やと、あんさんは言いたいん?

ちゃうねん。 わては福田たねさんは、本の著者が言うてるように大胆な女性であることはまちがいないと思うとる。

それなのに、どないな訳で「愛に揺らぐ女」というタイトルにしやはったん?

あのなァ~、本の著者は次のように言うてるねん。

女のほうは不安げである。 

まるでその視線をキャンバスのこちら側にいる画家に投げかけ、無言で問いかけているかのようだ。 いったい、わたしたちはどうなってしまうのかと。

それがどないやと、あんさんは言わはるの?

実は、「いったい、わたしたちはどうなってしまうのか」という問いを投げかけているのは福田たねさんではのうて青木繁自身やとわては思うねん。

そやけど、それも、あんさんの個人的な意見ですやん。

そうかもしれへん。。。でもなァ、青木繁の表面上の尊大で傲慢な性格の裏には、他人が覗けない不安と懐疑の念があったと、わては思うねん。 そやから、青木は、たねさんと正式に結婚もしなかったし、不安と懐疑のために寿命をちじめてしもうたと、わては思うねん。

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
確かに人間には表面からでは伺えない不安や懐疑が心に巣くっている場合もあると思います。
表面上の尊大で傲慢な性格の裏に、他人が覗けない不安と懐疑の念を持っていたとしても決して不思議なことではないかもしれません。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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