Archive for the ‘日本史’ Category

愛de擬人法

2017年9月14日

 

愛de擬人法

 


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デンマンさん。。。 なんだか妙なタイトルを掲(かか)げやはったけど、あんさんは何を言おうとしやはるのォ~?


(kato3.gif)

実は、新宿に住んでいる 相沢 由里香(あいざわ ゆりか)さんが めれちゃんのことを気にかけていたのやがなァ~。。。

どないなわけで由里香さんは わたしのことを気にかけているわけやのォ~。。。?

めれちゃんがブログを更新しなくなってからすでに3年になろうとしてるのやでぇ~。。。

もう、そないになりますのォ~。。。

そうやんかァ~。。。。 “光陰矢のごとし!”と昔の人は言うたけど、マジで月日の経つのは早いのやでぇ~。。。

そいで、由里香さんは、どないしやはったん?

ちょっと次のリストを見てみィ~なァ~。。。


(liv70912a.png)


『拡大する』

『愛の擬人法』

これは ライブドアの わての『徒然ブログ』の9月11日の午前11時9分から午後3時58分までの約5時間の「生ログ」の一部やねん。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。

あらっ。。。 9月11日の午前11時50分にGOOGLEで検索して 由里香さんは『愛の擬人法』を読みはったのやねぇ~。。。

そういうことやがなァ~。。。 

。。。で、またIPアドレスを調べて由里香さんが読んだと突き止めはったん?

そういうことやァ~。。。


(ip547b.png)

『拡大する』

。。。で、どないして記事を見つけやはったん?

つぎのように検索しやはってん。。。


(gog70912c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

『愛の擬人法』

あらっ。。。 「愛の擬人法」と入れて検索しやはったのねぇ~。。。

そういうこっちゃがなァ~。。。

そやけど、どないなわけで由里香さんはタイトルそのものをキーワードとして入れはったん?

由里香さんはめれちゃんの『即興の詩』サイトをたびたび訪れていたのやがなァ~。。。 そやけど、しばらくめれちゃんはブログを更新してへんさかいに、由里香さんは、わてのブログを見るようになったのやァ。。。 それで、かつて“愛の擬人法”というタイトルの記事を読んだように思ったわけやァ。。。 そやけど、あまり記憶に自信がないさかいに、検索してみたというわけやァ。。。

そいで上の検索結果の赤枠で囲んである記事を読みはったん?

そういうわけやがなァ~。。。

そいで、相沢 由里香(あいざわ ゆりか)さんは“愛の擬人法”を見出しはったん?

そうやァ~。。。 次の箇所を読んで改めて考えさせられたのやがなァ~。。。

果たして、それは擬人法か?

『万葉集』の巻1に、天智天皇(在位668~671)が、皇太子時代に作ったとみられる歌が収められている。

中大兄(なかのおほえ)[近江宮(あふみのみや)に天(あめ)の下治(をさ)めたまひし天皇]の三山(みつやま)の歌一首

香具山は 畝傍(うねび)ををしと

耳成(みみなし)と 相争(あひあらそ)ひき

神代(かみよ)より かくにあるらし

古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ

うつせみも 妻を 争ふらしき

反歌

香具山と 耳成山と あひし時

立ちて見に来(こ)し 印南国原(いなみくにはら)

[第二反歌、左注省略] (巻1の13、14)

香具山、畝傍山、耳成山は、大和三山と呼ばれる山々であり、三山の性別については、8百年にも及ぶ論争のあるところだが、仮に訳すと、


(kaguyama2.jpg)

香具山

香具山は畝傍山を横取りされるのが惜しいと、耳成山と争った……

神代からこうなので

いにしえもそうだっら

今の世も妻を争うらしい

(まして、自分も)

(略) 注意してほしいのは、「香具山は……」と、突然歌いだすことである。
山が恋をするということについて、何の説明もない。
そればかりか、この歌は、人も恋するように山も恋をするのだろうというようには、歌っていないのである。
逆だ。

神代から三山は互いのツマを争った。
古もそうだった。
だから、今もそうなのだ、というのである。
神代から山も恋をする。
だから、今も人は、恋をするのだ、という論法である。
今日のわれわれの考え方から見ると、人と人以外のもの、生命を持つものと生命を持たないものの垣根が、きわめて低いのである。


(unebi2.jpg)

畝傍山


(miminashi2.jpg)

耳成山

 (中略)

万葉学徒の多くは、こういう擬人化は、中国文学の影響を受けたからだと説く。
しかし、私には、疑問だ。
仮に中国文学の影響によって、こういう表現が生まれたとしても、もともとの思考法と合致したから、意識せずに受け入れられたと考えるべきだ。
擬人化の技巧を学んで表現したと考える必要などないのではないか。

 (中略)

有名な持統天皇(在位690~697)の歌の解釈も、われわれはどうも誤ってきたようだ。

天皇の御製歌(おほみうた)

春過ぎて 夏来(きた)るらし 白たへの

衣(ころも)干したり 天(あま)の香具山

(巻1の28)

通説では「春が過ぎて夏がやって来たらしい。 真っ白な衣が干してある。 天の香具山を見ると」ないし「香具山に」と解釈される。
しかし、素直に歌をみると、「干したり」は「干している」ということだから、誰か人が香具山に衣を干したとは、書かれていない。

この点に着目した、万葉研究の俊英・鉄野昌弘は、「春が過ぎて、夏がやって来たらしい。 真っ白な衣を干している、天の香具山が」と解釈し、少なくとも中世においては、香具山が白い衣ないし、白い衣のようなものを纏(まと)うと解釈されてきたことを明らかにした。
つまり、「香具山自身が、白い衣を干す」のである。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


20-25ページ
『日本人にとって聖なるものとは何か』
著者: 上野誠
2015年1月25日 初版第1刷発行
発行所: 中央公論新社

 

つまり、本の著者は「香具山自身が、白い衣を干す」のは“擬人法”ではのうてぇ、奈良時代の人は 心から素直に、そう思っていたと言うてるわけやねぇ~。。。

そういうこっちゃがなァ~。。。

でも、それは可笑しいと思うわァ~。。。

なして めれちゃんは、可笑しいと思うのやァ~。。。?

ハイキングなどして、山の中の深い林などに入ると、ひんやりとして、どこか うら寂しゅうなってぇ~、妙に不安と言うか、恐ろしいと言うかァ~。。。 深い林のどこかに妖精か神様が居るような。。。 そんな気にもなりますやん。。。 それに。。。、大きな、大きな岩などが山の中や、海岸に突き出ているのを見ると、何かいわくがあって、神様がそこに置いたような。。。 “山の精”か、“海の精”がその大きな岩の中に宿っているような気もしますねん。

うん、うん、うん。。。 確かに、そのような“恐れ”や“不思議な感覚”を わても体験したことがある。。。

そうですやろう!?。。。 それは人間なら、誰しも体験することやと思いますねん。。。 それは、“擬人化”と言うよりは、人間が自然に感じる“恐れ”や“不思議な感覚”を“妖精”や“神様”と感じる素直な感性やァ、とわたしは思いますねん。

なるほど。。。、なるほど。。。、

そやけど、「香具山自身が、白い衣を干す」のは“擬人法”やァ、と思いますゥ。

それは、どないなわけやねん?

「香具山自身が、白い衣を干す」には、香具山に手も足も生えており、衣を洗濯して、その衣を絞って、それで両手で持って広げて、香具山の麓に。。。、つまり、自分自身のお腹の辺りに広げて干すということですやん。。。 

確かに、そういうことやなァ~。。。

それは、人間が自然に感じる“恐れ”や“不思議な感覚”を“妖精”や“神様”と感じる素直な感性とちゃいますやん。。。 人間の想像の産物やと思いますねん。。。 つまり、あまりにも“擬人化”してますやん。。。 手足がなければ、洗濯することも、干すこともできしまへん。。。 子供のように、素直な目で山を見れば、とても手と足があるようには見えへん。。。 つまり、「香具山自身が、白い衣を干す」のは大人のイマジネーションですやん。

ほおォ~。。。 なるほど。。。、なるほど。。。、めれちゃんの言わんとすることが わてにも分かるような気がしてきたわァ~。。。

そうですやろう?。。。 ところで、あんさんは どないなわけで上の文章を引用しやはったん?

有名な持統天皇(在位690~697)の歌の解釈も、われわれはどうも誤ってきたようだという箇所に わては引っかかったのやがなァ~。。。

その歌のどこに引っかかりはったん?

あのなァ~、本の著者は次のように書いている。

万葉研究の俊英・鉄野昌弘は、

「春が過ぎて、夏がやって来たらしい。 

真っ白な衣を干している、天の香具山が」と解釈し、

少なくとも中世においては、

香具山が白い衣ないし、

白い衣のようなものを纏(まと)うと

解釈されてきたことを明らかにした。

わてに言わせてもらえば、香具山が白い衣を纏っていようが、香具山に白い衣が干してあろうが、そないなことは枝葉末節のことやねん! 歌の肝心なところは、そないな所にはあらへん!

あんさんの言わはる肝心な所ってぇ、いったいどこやねん?

ちょっと次の小文を読んで欲しいねん。


(think20.jpg)


私たちが生きてゆく過程で必要なのは、

すでに分かりやすい形に

加工されている情報を摂取し、

頭を太らすことだけでなく、

情報という形になっていない情報を、

どのくらい自分の力で噛み砕き、

吸収していくかということなのである。

それは、うまく世の中を渡れる知識を

手っ取り早く獲得することとは一線を画し、

いかに自分が人間として、

生き生きした時間を開拓するか

ということにつながっているのである。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


257ぺージ 『考えの整頓』
著者: 佐藤雅彦
2012(平成24)年1月27日 第3刷発行
発行所: 暮らしの手帳社

つまり、あんさんは 加工されている情報を摂取し、頭を太らすことだけではダメだと言わはるのォ~?

その通りやがなァ~。。。 歌の表面的なところだけを捉(とら)えたところで、歌の本当の意味は解らへん。。。 香具山が白い衣を纏っていようが、香具山に白い衣が干してあろうが、そないなことは どうでもええねん。

つまり、あんさんは情報という形になっていない情報を、自分の力で噛み砕き、吸収した、と言わはるのォ~?

そうやがなァ~。。。

それやったら、余計な事は言わんでもええさかいに、細木数子のようにズバリ!ズバリ!とその肝心な所というのを言うてくれへん?

あのなァ~、万葉集には歴史的な意味が込められた和歌が、実は、たくさん載せられているのやがなァ。。。 万葉集には藤原氏、あるいは、当時の実力者に対する批判が込められた和歌がたくさん載せられておるねん。。。 そのような観点から歌の意味を考えると実に面白い読み物なのやァ。

。。。で、あんさんによると上のお歌の意味はどないになるのォ~?

上の歌の本当の意味を探るには、まず次のニュースを読む必要があるねん。

(wisgolf6.jpg+seisho05.gif)


 女帝誕生

 

讚良(さらら)皇女が

 

皇位を継ぐ。

 

殺人鬼の父親の陰謀により祖父が自決。
祖母も祖父と共に自殺。
母親は二人の死が夫の陰謀だと知って
半狂乱になる。
その夫の子供を宿していたが、
建皇子(たけるのみこ)を出産すると
幼少の讚良皇女に我が子を託して
二人のあとを追うように自殺。

建皇子は家庭の暗い影の下で
唖者として生まれ
体も不自由だった。
8才の短い命を閉じた。

讚良皇女は女帝になったが、
その生い立ちは不幸の連続だった。

(mhead2.gif)

あらっ。。。 このような新聞が当時あるわけあらへん。。。 あんさんがデッチあげたのですやろう?

わてが劇的に書いてみたのやがなァ~、わてが当時生きており、しかも日本新聞の編集長やったら、このような新聞を出していたかもしれへん。 これは歴史家が誰も言うてないことやけど、わては讚良皇女、つまり 後の持統天皇が境界性人格障害者やったと信じてるねん。

でも。。。、当時、そのような病名はなかったのとちゃうん?

もちろん、なかったのや。 でもなァ~、わての話を聞けば、めれちゃんも納得すると思うのやァ~。。。

どないな話やのォ~?

あのなァ~、讚良皇女は4才の時に可愛がってくれたおじいさんとおばあさんが亡くなってしもうたのやがなァ~。。。 しかも、お母さんは半狂乱になって精神に異常を来たし、二人のあとを追うように自殺してしもうたァ。

マジで。。。?

このような悲惨な事件を満5才になるかならないかのうちに讚良皇女は経験したのやでぇ~。。。 この悲劇が幼少の頃の讚良皇女の心に与えたトラウマは、境界性人格障害となって後の彼女の性格形成に大きな影響を与えたのやァ。

ホンマかいなァ~。。。?

ホンマやでぇ~。。。 成長するにつれて父親(後の天智天皇)が行った非情な所業のことも讚良皇女は知るようになるねん。 この父親の生涯は、敵対する者や皇位継承のライバルを謀略でもって抹殺する歴史やったァ。 その手にかかって亡くなった相手には、次のような人たちがおるねん。

● 蘇我蝦夷

● 蘇我入鹿

● 古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)

● 有間皇子

● 蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)

  。。。

あらっ。。。 この人たちは天智天皇によって命を奪われたのォ~?

そうやがなァ~。。。 ところで、讚良皇女は満12才の時に、姉の大田皇女(満13才)と共に大海人皇子に嫁いだのやでぇ~。。。 もちろん、政略結婚やァ。 中大兄皇子(後の天智天皇)にとって一番のライバルは大海人皇子やった。 何とかして大海人皇子を自分の協力者にしたい。 言ってみれば、二人の娘を人質として大海人皇子に渡したようなものやァ。 それほどまでにして中大兄皇子は大海人皇子を懐柔しようとしたのやがなァ。

。。。で、大海人皇子は懐柔されはったん?

いや。。。、その甲斐もなく、やがて天智天皇は大海人皇子によって暗殺されてしまうねん。 目には目を歯には歯を! この当時の必然やったァ。

そのような話は歴史の時間に聞いたことがあらへん。

ここでは詳しく話をする時間があらへん。。。、めれちゃんも ぜひ次の記事を読んでみて欲しいのやァ。


(kamata02.jpg)

『天武天皇と天智天皇は同腹の兄弟ではなかった』

『天智天皇は暗殺された』

『天智天皇暗殺の謎』

頭の良い讚良皇女は、そのような事も充分に知っていた。 この皇女は父親を憎み恨みながらも、自分が父親の血を最も濃く受け継いでいる事も知っておった。 後に、讚良皇女が甥の大津皇子を死に追いやった事件では、正に天智天皇と同じやり方で抹殺してるねん。

あらっ。。。 讚良皇女は為政者として父親と同様に冷徹な非情さと冷酷さを持っていたのォ~?

そうなのやァ。。。 とにかく、讚良皇女、後の持統天皇は独占欲の強い人やった! それは、天武天皇の血を引く天皇後継者の息子たちがたくさん居たにもかかわらず、持統天皇は断固として、自分の血が流れていない者には皇位に就(つ)かせなかったことからも実に良く表れているねん。


(keizu03.gif)

上の系図を見て欲しい。 青枠で囲んであるのが持統天皇の血がつながった子孫やがなァ~。。。 この人たちに皇位が渡されてゆくねん。。。 それを藤原不比等が自分の娘を皇室に入れてサポートしたのやがなァ~。。。

つまり、この点で、この二人の権力独占志向の人間の気持ちがひとつになりはったん?

その通りやァ。。。 幼少の頃から、この二人は、信じることのできるものは“権力”しかないということを身にしみながら自分の目で見てきたのやがなァ。

讚良皇女の幼少の頃の事件を

もう一度振り返ると。。。

乙巳の変(いっしのへん)から4年後の649年3月、
当時右大臣であった蘇我倉山田石川麻呂が謀反を企てていると、
石川麻呂の弟の日向が中大兄皇子に告げ口したのが事件の始まりとなった。

石川麻呂は当時の孝徳天皇に身の証をして助けを求めたのだけれど、聞き入れてもらえなかった。
中大兄皇子と石川麻呂では政治的に意見が対立していたので中大兄皇子はさっそく兵を石川麻呂の邸宅に向かわせた。

危険を察した石川麻呂は飛鳥の自宅である山田寺にすでに逃げていた。
しかし、その山田寺もやがて包囲され、石川麻呂は観念して妻(讃良皇女にとってはおばあちゃん)とともに自害してしまう。

事件はそれだけではすまなかった。
やがて陰謀が夫の中大兄皇子のしわざと知った遠智娘(おちのいらつめ)は半狂乱の状態になってしまう。
無実の罪を着せられて、夫に父親を殺されたと思い込んでいる遠智娘は、身重な体を抱えながら心が晴れないままに日を送った。
“父親殺害者”の子を宿していたのだった。

その年の暮れに建皇子を生み、“この子を頼むわね”と満4才の讚良皇女に言い残して20代半ばの短い人生に終わりを告げて遠智娘は命を絶ってしまったのだった。
後に、中大兄皇子は義理の父である石川麻呂の忠誠の心を知り、死に追いやった事を後悔したという。

ところで、当時の結婚は“妻問い婚”が普通でした。
男性が女性宅を訪れ一夜の契りを結べばそれが結婚となり夫婦になるわけです。
男はその家にとどまることなく自由に女の家を出て自分の家に帰り、
女は男のまたの訪問を待ちます。

子供が生まれればその子は妻の家で養育し、父が子供に会うのは女性宅を訪れる時だけです。
その子供の養育費はすべて女性任せで、子供は女性の実家で養育される事になります。
当然の事ですが、子供はたまに会う父よりも、母方の祖父母への愛着が深くなります。

したがって、優しいおじいさんとおばあさんが一緒に亡くなり、そのあとを追うようにお母さんが亡くなってしまった。
満4才の童女は、当時そのことは知らなくとも、やがて自分の父親が祖父母と母の三人を“殺した”と知ることになります。

可愛がってくれていた3人が死んでしまった。しかも、父親の陰謀がその背景にあった。
その衝撃はトラウマになって、その後の讚良皇女の人格形成に大きな影響を与えた事は想像に難(かた)くありません。

しかも、この生まれてきた建皇子は唖者でした。つまり、生まれつき言葉が話せなかった。
体も不自由だったらしい。
母親が受けた精神的なショックで胎児にも悪い影響が出た事も充分に考えられますよね。
建皇子は、生まれながらの犠牲者でした。
おじいさんとおばあさんと母親の死。そして、弟をそんな悲劇に巻き込んだのは、ほかの誰でもない、父の中大兄皇子であると讚良皇女は知ることになります。

斉明天皇も、この不幸せな孫をずいぶんと可愛がったようです。
でも、建皇子は658年5月に亡くなっています。8年の短い命でした。

つまり、讃良皇女は、幼少の頃、次々と身近の人の悲劇にあったのです。
政略結婚で、姉大田皇女と共に大海人皇子に嫁いだ後、大田皇女も幼い子どもたちを残して亡くなっています。

大海人皇子にはたくさんの妻があり、大田皇女亡き後、身分は一番高くなったものの大海人皇子の心は
万葉集の歌を読んでも分かるように、
讃良皇女にあるのではなく、額田女王に向けられていたようですよね。
このことについては次の記事に書きました。

『日本で最も有名な三角関係』

つまり、讃良皇女は幼い頃から愛してくれる人、愛している人を奪われ続けてきたんですよね。
ある意味で“家庭崩壊”の中で生きてこなければならなかった。
そこに僕は境界性人格障害の病根を見るのですよ。

“愛”を奪われる人生だった。
幼い頃は、父親の中大兄皇子の陰謀が基でが近親者が亡くなって行く。
その父親の政略で大海人皇子に嫁がされてからも、皇子の愛は讃良皇女には注がれない。

そんな中で讃良皇女の心の支えは子の草壁皇子だけだった。
この我が子の将来を脅かす存在になったのが姉から預かった子、大津皇子だった。

大津皇子は実力も人気もあり、草壁皇子の皇太子としての地位を脅かす最大の存在になっていた。
天武天皇亡き後、皇后として最初に行なったことが大津皇子を謀反の疑いで逮捕、刑死させることだった。

しかしその後、皮肉にも、あれ程皇位につかせたかった我が子の草壁皇子が病気で亡くなり、
讃良皇女が持統天皇として即位することになります。
高市皇子を補佐役にし、藤原京への遷都を進める。

持統天皇は在位中頻繁に吉野に行幸しました。
それは天武天皇とともに過ごした数少ない愛の日々を
思い出すためだったのでしょうか?

草壁皇子亡き後、期待をかけたのが草壁皇子の忘れ形見、軽(珂瑠)皇子でした。
そして、この孫を天皇につけたのです。文武天皇です。
持統はその名の通り、皇統にこだわった人だったのです。

聡明で非情である持統天皇が

なぜ怨霊を恐れるのか?

ここで持統天皇が詠んだ和歌をもう一度読んでみて欲しい。


(kaguyama2.jpg)

春すぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の

 衣(ころも)ほしたり 天(あめ)の香具山

この有名な持統天皇の歌は、ただ単に四季の移り変わりに感興を催(もよお)して詠んだのではないねんでぇ~。。。

それやったら、何を感じて詠みはったん?

これまでの持統天皇の波乱に満ちた人生を考えたのやがなァ~。。。 愛する人を奪われ続けてきたこの女性の性(さが)と業(ごう)を考えるとき、わては次のようにしか解釈できへん。

春が過ぎて夏が来たようだ。

天の香具山に美しく真っ白な衣が

干してあるなあぁ~

でも、私の心はあの山の裏にある

磐余(いわれ)の池を見ているのです。


(iware01.jpg)

大津皇子が自害する前に池の端で

辞世の歌を読んだという。

自害の後で、皇子の妻であり、

私の腹違いの妹でもある山辺皇女が

髪を振り乱し、裸足で駆けて行き、

共に殉死したという。

痛ましいには違いない。

しかし私は、ああせねばならなかったのです。

怨霊になって

私を憎んでいるのかもしれないけれど、

私には他にとるべき道はなかったのです。

どうか、心安らかに眠っていて欲しい。

上の歌を持統天皇は藤原京の宮殿から香具山を見て詠んだやがなァ~。。。


(fujiwara3.gif)

この地図で見れば分かるように、香具山の裏に磐余(いわれ)の池があるねん。 この池の端で大津皇子は辞世の句を詠んだのやがなァ~。。。 現在では、ほとんどの歴史家が大津皇子は持統天皇の陰謀によって死なされたと見てるねん。

ホンマかいなァ~。。。?

わては次のように考えておるねん。

つまり、持統天皇は結果として自分と血のつながりがある甥の大津皇子と腹違いの妹を死に追いやったわけです。
この当時は怨霊ということがマジで信じられていた。

“怨霊の崇り”ということが現在でいえば“テポドンで攻撃を受ける”程度に怖いこととして考えられていた。

持統天皇だって、テポドンを宮殿に打ち込まれたくないので怨霊を鎮魂するために上の歌を詠んだ。
それが僕の解釈ですよ。うへへへへ。。。。
僕の知る限り、このような解釈をする人をこれまでに見た事がありません。

では、なぜ持統天皇はここまでする必要があったのか?
そしてなぜ、彼女は怨霊をそれほどまでに恐れねばならないのか?

天武天皇が亡くなれば皇太子が皇位を継承するのが順序であり、
皇后の実子である草壁皇太子が即位する事は約束されていた事です。
この時点で、大津皇子は皇位継承権第2位でした。
それにもかかわらず、皇后はこの甥である大津皇子を排除しようとした。

なぜか?

草壁皇子は病弱だったのです。
大津皇子と比べると歌においても人望においてもすべての面で劣っていたようです。
それが証拠に草壁皇子のことはたった1行『日本書紀』に記載があるのみです。

それに比べ、大津皇子については『万葉集』にも『懐風藻』にも記載があります。
それも、大津皇子の才能をほめたたえ、その人柄を偲んでいるような書き方になっています。
詳しくは次の記事を読んでください。

『万葉集の謎と山上憶良 – 万葉集の中の政治批判』

つまり、当時の誰が見ても大津皇子の方が天皇にふさわしいと見ていた事が実に良く表れているのです。
草壁皇子が即位すれば皇太子として草壁皇子の異母弟である大津皇子を立てなければなりません。
なぜなら、草壁皇子の長男の軽皇子(かるのみこ)は当時4歳で皇太子にするにはふさわしくない。

ところが、病弱な草壁には、いつ不測の事が起こるかも知れず、その時には大津皇子が皇位につくことになってしまう。
そうなると、皇統が大津皇子に移ってしまう。

つまり、讃良皇女の血を受け継いだ後継者が、そこで絶えてしまう。
独占欲の強い讃良皇女には、このことは絶対に容認できない事です。

この事は持統天皇として即位してから、自分の血に固執したこの女性の性(さが)と業(ごう)を考えれば、容易に察しがつきます。
上の系図を見れば、そのことが良く分かります。
この独占欲と権勢欲は讃良皇女の生い立ちを考えない限り理解できません。

しかも、この女性はその先例を父親の天智天皇と自分の夫である天武天皇との間に見ているのです。
つまり、この場合なら、草壁皇子が天智天皇にあたり、大津皇子が天武天皇にあたります。
天智天皇の皇太子になったのが大海人皇子(後の天武天皇)だったのです。

このような状況を許せば、大海人皇子が天智天皇を暗殺して、その子の大友皇子を亡き者にしたように
大津皇子が草壁皇子を暗殺して皇位につくかもしれない。

その“禍の芽”を摘み、取り除くために大津皇子を亡き者にしなければならなかったのです。

なぜ大津皇子の怨霊を恐れたのか?


(futakami2.jpg)

現身(うつそみ)の 

人なる吾(われ)や 

明日よりは 

二上山を 

弟背(いろせ)とわが見む 

(巻2-165)

この世に生き残った私は、

明日からは、

弟が葬られている

二上山を弟と思い見て、

慕い偲ぶことにしよう。

上の歌は大津皇子の死体を飛鳥の墓から掘り出して、
葛城(かつらぎ)の二上山(ふたかみやま)に移して葬った時に、
大津皇子の実の姉である大伯皇女(おおくのひめみこ)が痛ましい思いに駆られて詠んだ歌です。

死体を掘り起こして他の場所に埋めなおす。
なぜそのような酷(むご)いことをしなければならないのか?
大伯皇女も、そう思って心が痛んだことでしょう。

つまり、大津皇子を偲んで大伯皇女が詠んだ歌を大伴家持が万葉集に取り上げた本音には、
この事実を後世に伝え“謀反”が持統天皇の“でっち上げ”であった事を暗に伝えるためだった。
僕はそう信じることができます。

大伯皇女は、大津皇子が自害した15年後、
大宝元年(701年)に独身のまま41歳で亡くなっています。
彼女は天武2年(673年)に父・天武天皇の指図に従って
伊勢神宮に奉仕する最初の斎王(いつきのみこ)となり、
伊勢の斎宮(いつきのみや)に移ってお勤めをするようになったのです。
しかし、大津皇子が自害した1ヶ月余りの後に、
弟の罪により斎王の任を解かれて飛鳥に戻ったのです。

平安時代の長和4年(1015年)に書かれた『薬師寺縁起』には次のように書かれています。

大津皇子の霊が龍となって崇りを起こしたため、

大津皇子の師であった僧の義淵(ぎえん)が

皇子の霊を祈祷によって鎮めた。

つまり、大津皇子は無実の罪を着せられて自害させられたのですね。
その罪を着せたのは誰あろう持統天皇なのです。
そして、大津皇子の死体を二上山に移して、
皇子の霊を飛鳥から15キロ離れた山の中に閉じ込めたのも持統天皇のしたことです。

持統天皇の心にも“後ろめたさ”があったのでしょうね。
だからこそ大津皇子の霊に恐れを感じた。

しかも、“大津皇子の霊が龍となって崇りを起こし”ていると言うもっぱらのうわさが流れている。
持統天皇が大津皇子の死体を掘り起こし
二上山にその怨霊と共に閉じ込める気持ちが分かるような気がします。

怨霊信仰


(dokuro3.gif)

非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、
これを融和してその崇りを免れ安穏を確保しようとする信仰。

原始的な信仰では死霊はすべて畏怖の対象となったが、わけても怨みをのんで死んだものの霊、その子孫によって祀られることのない霊は人々に崇りをなすと信じられ、疫病や飢饉その他の天災があると、その原因は多くそれら怨霊や祀られざる亡霊の崇りとされた。

『日本書紀』崇神天皇七年・・天皇が疫病流行の所由を卜して、神託により大物主神の児大田田根子を捜し求めて、かれをして大物主神を祀らしめたところ、よく天下大平を得たとあるのは厳密な意味ではただちに御霊信仰と同一視し難いとはいえ、その心意には共通するものがあり、御霊信仰の起源がきわめて古きにあったことを思わしめる。

しかし一般にその信仰の盛んになったのは平安時代以後のことで、特に御霊の主体として特定の個人、多くは政治的失脚者の名が挙げられてその霊が盛んに祭られるようになる。

その文献上の初見は『三代実録』貞観五年(863)「所謂御霊者 崇道天皇(早良親王)、伊予親王、藤原夫人(吉子)及観察使(藤原仲成か)、橘逸勢文室宮田麻呂等是也。・・・」ものと注せられているが、この六所の名については異説もあり、後世さらに吉備大臣(真備)ならびに火雷神(菅原道真)を加えてこれを八所御霊と呼ぶようになった。・・・」


SOURCE: 国史大辞典

持統天皇は怨霊信仰に基づいて大津皇子の霊を祈祷によって鎮めて、
後でまた崇りをしないようにと二上山に皇子の霊を閉じ込めたわけです。

つまり、これは持統天皇が無実の罪を着せて大津皇子を殺したことの何よりの証拠なんですよね。
大伴家持は大伯皇女を万葉集に取り上げることによって、
この事実を我々に伝えようとしたわけです。
僕はそう信じているんですよ。

では、ここで 司馬遼太郎さんの言葉を書くよってに、めれちゃんも読んで欲しいねん。。。 生前、司馬遼太郎さんは、このようなことを言っておったのやでぇ~。。。


(shiba3.gif)

“作品は作者だけのものと

違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが

作品なんやでぇ~”

名言だと思うねん。。。 あなたが読者として、どれだけ50%の分を読みつくすか? それが問題やねん! 大伯皇女が全身全霊の力を込めて詠(うた)ったのがこのページの上で示した歌やァ。 あなたも、全身全霊の力を込めて。。。 あなたの人生経験と、これまで学んできた国文と、日本史と、すべてを噛み砕いた上で理解すべきなのかもねぇ~。 大伯皇女は、それを期待しながら、1300年後に生まれるだろうあなたに、この当時の波乱に満ちた政治の真相を伝えようと、上の歌を詠(うた)ったのかも知れまへん。

それで、大伴家持は一読者として大伯皇女の歌を充分に読み取った上で万葉集に載せた、とあんさんは言わはるのォ~?

当然やなァ~。。。

つまり、持統天皇は怨霊を恐れるあまりに鎮魂の歌として“春すぎて 夏来たるらし”の歌を詠んだわけやのォ~?

そうとしか わてには考えられへん。


『愛の擬人法』より
(2016年4月28日)

デンマンさんは、ずいぶん長い文章を引用しやはったけど、相沢 由里香(あいざわ ゆりか)さんは 結局、“愛の擬人法”について何を悟りはったん?

そやから、由里香さんは、“愛の擬人法”も大切やけど、情報という形になっていない情報を、どのくらい自分の力で噛み砕き、吸収していくかということがマジで大切やと改めて考えさせられたのやがなァ~。。。

マジで。。。?

由里香さんは わてにメールを寄越して、そのように感想を述べていたのやがなァ~。。。

ホンマかいなァ~。。。?

あのなァ~、めれちゃん。。。 昔の人は“信じる者は救われる!”と言うたのやでぇ~。。。 そやから、めれちゃんも わての言うことを信じて救われたらええやん。。。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたは、デンマンさんのお話を信じることができますかァ~?

ちょっと眉唾物ですよねぇ~。。。

でも、確かに、情報という形になっていない情報を、どのくらい自分の力で噛み砕き、吸収していくかということはマジで大切だと思いますわァ~。。。

ところで、こう見えても あたくしは一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

腐女子の間では、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますゥ。

あなたは信じられないのでござ~ますかァ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。


(genjiero4.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

そうでしょうねぇ~。。。 

でも、最近 あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”がネットで人気が出ている、ということは信じられるでしょう?

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 それも信じられないというのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよ。


(buttdimp5.jpg)

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、

かつて、めれんげさんは 一生懸命にブログを更新していたのでした。

でも、時には、他のことに夢中になって、会費を滞納したことがあったのでござ~ますわァ。。。

そのために、サイトを削除されてしまったのです。

それでも、2013年の6月にライブドアで『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよねぇ~。。。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。

でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


(gog30928a.png)

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。


(seo001.png)

『おばさんの下着に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


(hand.gif)


(surfing9.gif)

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こんにちはジューンです。

卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ


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美女とオナラ

2017年8月18日

 

美女とオナラ

 


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あらっ。。。 あなたァ~。。。

そこに居たのねぇ~。。。

知らなかったわァ~。。。

ついでだから、残りのオナラも

聞かせてあげるわねぇ~。。。

わたしのオナラの連発を聞いてね!

あなたのために

日本創世記をイメージした

「狂屁曲ヘ長調 創世記」です!

お楽しみくださいませ。 (笑)

 


(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 初めから馬鹿バカしいほどにも限度というものがござ~ますわァ~?


(kato3.gif)

あれっ。。。 卑弥子さんは面白くないのですかァ~?

美人を登場させて オナラを連発させて 品がないとは思わないのでござ~ますかァ~?

あれぇ~ やだなあああァ~。。。 卑弥子さんから「品がない!」と言われるとは思わなかったなあああァ~。。。

それは、どういう意味でござ~ますかァ?

だってぇ~、卑弥子さんこそ品のないことをしているではありませんか!

【卑弥子の独り言】


(himiko92.jpg)

あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が最近、日本語が解る世界の男性にも注目されているのですわよう。。。

香港でも、ニューヨークでも“ヴィーナスのえくぼ フィーバー”が起こっているのですわァ。

ええっ。。。 マジで信じられないのですかァ~?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、香港からも あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよ。


(buttdimp5.jpg)

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。


『絵里香さん』より
(2017年8月9日)

セックスアピールあふれた“ヴィーナスのえくぼ”を ネット市民の皆様にご覧に入れて、どこが品がないのでござ~ますかァ~!? オナラの連発よりも、よっぽど上品でござ~ますわァ~。。。

分かりました。。。 分かりました。。。 ここで言い合っていると長い記事が更に長くなるので、とにかく次の小文を読んでみてください。。。

静女の身投げ


(sekifall2.jpg)

宮崎県都城市・関之尾の滝

 

今から約650年ほど前の昔、庄内町(都城市)の関之尾の滝で、島津の殿様が仲秋の夜を選んで、月見の宴を張った。
月を愛で、虫の音を聞きながら、家臣一同は静かに盃を重ねていたが、そのうち誰か、放屁した者がある。
あたりの雰囲気にあまりにも似つかわしくない無作法である。

「いやしくも殿の御前で無礼であろう」
殿様の不興を恐れて、粗忽者の詮議が始まった。

そして腰元のなかでも最も美しい静女に嫌疑がかかった。

静女は、身に覚えがないことを言い張ったが、取調べの係りの者は容易に聞き入れてくれぬ。

翌朝、静女は無実の罪を恨んで、滝壷に身を投げた。
入水にあたって、静女は、殿にお酌をしたときの盃を、形見に袖に忍ばせていた。

月見が行われた9月14日の夜、その夜になると定紋入りの盃が、今でも滝壺に浮き上がるといわれている。

 

 

書きおくも

形見となれや

筆の跡

又逢う時の

しるしなるらん

 

 

付近の石に上のような歌が刻みこまれてあるが、この歌は静女の辞世であると伝えられている。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


135-136ページ 『落書きに歴史を読む』
著者: 三上喜孝
2014(平成26)年4月1日 第1刷発行
発行所: 株式会社 吉川弘文館

つまり、上の本を読んだので、デンマンさんも急にオナラのことが また書きたくなったのですかァ~?

そうです。。。 いけませんかァ~。。。

つまり、デンマンさんはオナラにハマっているのですわねぇ~?

いや。。。 僕は別にオナラに関心があるわけではないのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、これまでにも、ずいぶんとオナラの記事を書いてますわァ~。。 7月19日には『オナラの曲芸』、そして 8月1日には『漱石とオナラ』という記事を書いたばかりではござ~ませんかァ~!


(onara13.jpg)


『オナラの曲芸』

『漱石とオナラ』

 

8月1日に『漱石とオナラ』を投稿してから、まだ1ヶ月も経ってないのでござ~ますわァ~。。。

あのねぇ~、今日はオナラの話というよりも美人に生まれると 大変な目に遭うという話ですよ。。。

つまり、上のエピソードの静女さんは腰元のなかでも最も美しいために、オナラをしたという嫌疑をかけられた、とデンマンさんは断定するのですか?

その通りですよ。。。 静女さんは、美人であり、人柄も良かったので、求めに応じて殿様にお酌をしたわけですよ。。。 だから静女さんも嬉しかった。。。 それで盃を記念にと思って袖に忍ばせたわけです。。。 ところが、それを見ていたブスの腰元は、ムカついたわけですよ。。。 それで、取調べの係りの者に、このブスの腰元が、本当は自分が ものすごい“すかしっぺ”をしたのに「静女がやったのよ!」と告げ口したのですよ。。。

それで取調べの係りの者が静女さんがやったと決め付けたのでござ~ますか?

そうですよ。。。 この取調べの係りの者は、かつて静女さんをナンパしようとしてフラれたものだから、この機会に“敵討ち”をしようと、静女さんがやったことにしたわけです。。。

この取調べの係りの者は、デンマンさんの祖先ではありませんか!

僕の祖先は、その殿様ですよ。。。(微笑) 僕の祖先には静女さんを悪者にしようというようような下衆(げす)の者はいません。。。

でも。。。、でも。。。、このエピソードだけで、美人に生まれると 大変な目に遭うというのは あまりにも軽率な結論ではありませんか?

だったら、次のエピソードを読んでください。。。

松江城


(matsue2.jpg)

 

工事中の二の丸広場で盆踊りが行われたときのこと、老若男女うちついどい、夜も更けるまで踊る輪の中で、ひときわ美しく踊りの上手な乙女が堀尾吉晴の目にとまり、この乙女が城内に連れ去られて人柱とされたという。


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吉晴は城の完成を見ることなく没し、堀尾氏三代、京極氏一代につづいて、寛永15年(1638)2月、越前宰相忠直の弟松平直政が入封、工事は引き継がれた。
直政が、城検分のために天守閣に上ると、最上階の天狗の間に妖しいまでに美しい女が座っており、
「この城は妾(わらわ)の城じゃ。 そなたはだれじゃ。 城は渡すまいぞ」という。

女の亡霊がたびたび現れるので、「この城」に未練があるのであろうと、直政は宍道湖で獲れる「鰶(このしろ)」を供えて鎮めた。

以来代々の城主も襲封の折には、荒神櫓に鰶を供える習慣ができたという。

この美しい女が人柱になった霊であると伝えられている。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


207-208ページ 『日本の城ハンドブック新版』
監修者: 小和田哲男
2005年11月3日 第1刷発行
発行所: 株式会社 三省堂

つまり、ひときわ美しく踊りの上手な乙女が居たので、人柱にするために連れ去られたというのでござ~ますか?

そういうことですよ。。。

でも。。。、でも。。。、これはその当時の人々の間で語り継がれた伝承ですわ。。。 単なる噂話かもしれませんわ。。。 名前も伝わってないではありませんか!

分かりました。。。 だったら、名前が伝わっている伝説があるのですよ。。。

「早百合(さゆり)」と言う美しい側室がいたとされる。


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成政はこの早百合を深く寵愛してはばからず、早百合は懐妊する。
それが嫉妬を呼んだか、ある時成政が城を留守にした時に、「早百合が密通している。お腹の中にいる子どもは成政様の子ではない」と言う噂が流れた。

帰城した成政はこれを聞いて烈火の如く怒り、有無を言わさず早百合を神通川の川沿いまで引きずり、髪を逆手に取り宙に引き上げ、殺してしまった。
それだけでなく、早百合の一族18人全ての首をはね、獄門に磔にしてしまう。

早百合は死ぬとき、「己成政此の身は此処に斬罪せらるる共、怨恨は悪鬼と成り数年ならずして、汝が子孫を殺し尽し家名断絶せしむべし」(『絵本太閤記』)と叫んだ。

また、早百合姫は「立山に黒百合の花が咲いたら、佐々家は滅亡する」と呪いの言葉を残して死んだとも言う(黒百合伝説)。

佐々瑞雄(成政の甥、佐々直勝の子孫)によると、母に「わが家では、絶対ユリ科の花は活けてはいけません」と言われていたという。
早百合が殺された神通川の辺りでは、風雨の夜、女の首と鬼火が出るといい、それを 「ぶらり火」と言った。

その他にも無念の死を遂げた早百合にまつわる話は数多く残されている。
この話以外にも、成政の死後、その影響力からか勝家と同じく評判を貶めるための数多の真偽不明な逸話が残されている。

 


出典: 「佐々成政」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

どうですか。。。 この話は、ちゃんと名前が伝わっているのですよ。。。 佐々成政という武士は歴史上の実在の人物です。。。

つまり、早百合さんが美人であったばっかりに、このような悲惨な事件が起きたとデンマンさんは主張するのですか?

だってぇ、そうでしょう。。。 もし、早百合さんがブスだったら、そもそも「早百合が密通している。お腹の中にいる子どもは成政様の子ではない」と言う噂が流れませんよ。。。 常日頃から、正妻や他の側室が無視されていたから、その者たちの恨みを買って、早百合さんを誹謗・中傷する噂が流れたのですよ。

でも。。。、でも。。。、イマイチ納得できませんわァ~。。。

分かりました。。。 では、卑弥子さんも納得できるようなエピソードがあります。。。

それは、どなたのエピソードでござ~ますか?

京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している平成の紫式部である 橘卑弥子・准教授も良く知っている人物のエピソードですよ。。。

だから、それはどなたですかァ~?

和泉式部さんです。。。


(seisho05.gif)

 

和泉式部に生み捨てられた子が、やがて比叡山に預けられ、道命阿闍梨(どうみょうあじゃり)と呼ばれる法師になった。
あるとき、法華八講をつとめるために宮中に赴いたところ、そこにいた年上の女性を見初めてしまう。
後日、柑子(こうじ)売りとなって宮中に入りこんだ道命は、その女性が自分の母親とも知らずに、一夜の契りを交わしてしまうのである。

翌朝、和泉式部は、道命が持っていた守刀に気づき、この守刀の由来を尋ねる。
「女性の身ならともかく、あなたのように男性が守刀を持っているのは、どういうわけですか」

これに対して道命が答える。
「これは、わけのある刀でございます。 どういうわけかと申しますと、私は、五条の橋の捨て子でございますが、養子の父より育ててもらったのでございます。 また、私にこの刀を添えて捨てられたその刀なので、これを母と思い、肌身離さずもっているのです」

心当たりのある和泉式部は、道命に次々と尋ねる。
「それでは、あなたは何歳におなりですか」
「子供の頃に捨てられたと聞いております。 今はもう、大きくなりました」

さらに、「産衣は何でございますか」とたずねたところ、道命は「菖蒲の小袖の褄に、一首の歌が書かれておりました」といって、

 

 

百年に

また百年は

重ぬとも

七つ七つの

名をば絶えじな

 

 

…という歌を答えたのである。

和泉式部は、自分の子を捨てたとき、鞘をわが身のかたみと思い、これを肌身はなさず持っていた。
その鞘を取り出して合わせてみると、疑いもなくもとの鞘であった。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


84-85ページ 『落書きに歴史を読む』
著者: 三上喜孝
2014(平成26)年4月1日 第1刷発行
発行所: 株式会社 吉川弘文館

これは室町時代に成立した『御伽草子(おとぎぞうし)』のなかの「和泉式部」という物語に出てくるエピソードです。

つまり、和泉式部が美人だったので、こういう話が生まれたとデンマンさんは断定するのでござ~ますか?

そうです。。。 彼女がブスだったら、こういう話は生まれないのですよ。。。

そうでしょうか?

あのねぇ~、和泉式部は明らかに美人で性格も当時としては自由奔放であったようです。。。 それで、恋愛方面でも活躍した。。。 ウィキペディアには次のように書いてあります。

和泉式部


(izumi01.jpg)

 

長保元年(999年)頃までに和泉守・橘道貞の妻となり、夫と共に和泉国に入る。
後の女房名「和泉式部」は夫の任国と父の官名を合わせたものである。

道貞との婚姻は後に破綻したが、彼との間に儲けた娘・小式部内侍は母譲りの歌才を示した。
帰京後は道貞と別居状態であったらしく、冷泉天皇の第三皇子・為尊親王との熱愛が世に喧伝されるが、身分違いの恋であるとして親から勘当を受けた。

紫式部は和泉式部を評して「和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ」と『紫式部日記』に記されている。

為尊親王の死後、今度はその同母弟・敦道親王の求愛を受けた。
親王は式部を邸に迎えようとし、正妃(藤原済時の娘)が家出する原因を作った。

敦道親王の召人として一子・永覚を設けるが、敦道親王は寛弘4年(1007年)に早世した。
寛弘年間の末(1008年 – 1011年頃)、一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として出仕。

長和2年(1013年)頃、主人・彰子の父・藤原道長の家司で武勇をもって知られた藤原保昌と再婚し夫の任国・丹後に下った。
万寿2年(1025年)、娘の小式部内侍が死去した折にはまだ生存していたが晩年の動静は不明。

娘を亡くした愛傷歌は胸を打つものがある。

「暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遙かに照らせ 山の端の月」は、性空上人への結縁歌であり、式部の勅撰集(拾遺集)初出歌である。
仏教への傾倒が伺われる。歌の返しに性空から袈裟をもらい、それを着て命を終えた。

 

人物

恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。

また同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評された(『紫式部日記』)。

真情に溢れる作風は恋歌・哀傷歌・釈教歌にもっともよく表され、殊に恋歌に情熱的な秀歌が多い。

逸話や墓所と伝わるものは全国各地に存在するが、いずれも伝承の域を出ないものも多い。
柳田國男は、このような伝承が各地に存在する理由を「これは式部の伝説を語り物にして歩く京都誓願寺に所属する女性たちが、中世に諸国をくまなくめぐったからである」と述べている。


出典: 「和泉式部」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

このエピソードは明らかにギリシア神話のオイディプースの日本版のようなものですよ。。。

まさかァ~。。。 時代も違うし、場所も遠く離れた古代ギリシアの土地ですわァ。。。

室町時代までには、ギリシア神話は中国を通して日本にも伝えられたはずです。


(oedipus02.jpg)

 

スピンクスを倒したオイディプースは、テーバイの王となった。

そして実の母であるイオカステーを、母であるとは知らずに娶って二人の男児と二人の女児をもうけた。

二人の男児はそれぞれエテオクレースとポリュネイケースといい、二人の女児はそれぞれアンティゴネーとイスメーネーという。


出典: 「オイディプース」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、室町時代の知識人がオイディプースの神話を和泉式部を登場させて日本語版としたのでござ~ますかァ~?

それまでに登場した歴史上の女性で、和泉式部が最もその物語の悲劇のヒロインとしてふさわしいのですよ。。。 それは、彼女が美人であるとともに、藤原道長からは「浮かれ女」だと言われ、紫式部からも「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と言われたのですからねぇ~。。。

和泉式部はそれほど嫌われ者だったのでござ~ましょうか?

あのねぇ~、ちょっと藤原道長関連の家系図を見てください。。。


(michitree2.jpg)

あのねぇ~、この当時の貴族は家格を維持するために、政略結婚が当たり前だったのですよ。。。 その最もいい例が藤原道長が企んだ政略結婚です。。。 赤枠で囲んだ威子(いし)に注目してください。。。 寛仁3年(1019) 道長は54歳になります。。。 この年、後一条天皇に三女の威子が入内します。。。 つまり、11歳の甥と20歳の叔母の結婚です。。。 現在ならばありえない政略結婚ですよ。。。 でも、当時は、こういう結婚はごく普通に行われていた。

あたくしは政略結婚でもいいから、早く結婚したいですわァ~。。。 (モナリザの苦笑)

こういう時に、自由恋愛をした和泉式部は当然のことながら冷泉天皇の第三皇子・為尊親王との熱愛が世に喧伝されるが、身分違いの恋であるとして親から勘当を受けたのですよ。。。 それで、藤原道長からは「浮かれ女」だと罵(ののし)られ、紫式部からも「素行には感心できない」とシカトされたのですよ。。。

それで和泉式部を 忌み嫌われる悲劇的な母子相姦の物語に登場させれば、誰もが納得すると作者は思ったのでござ~ましょうか?

その通りですよ。。。 恋多き自由奔放な和泉式部は、それほど同性からも妬(ねた)まれたのですよ。。。 でも、卑弥子さんの場合には、そういう心配がないから、幸せな人生を送ることができます。。。 あの世に逝ってからも、悲劇のヒロインにされることもありません!

つまり、あたくしはブスなので、そういう心配がないと、デンマンさんは断定するのですかァ~?

いや。。。 僕は卑弥子さんがブスだとは言ってません。。。 卑弥子さんは“ヴィーナスのえくぼ”をゲットした美人だけれど、悲劇のヒロインにされるほど美人ではないと言っているだけですよ。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

デンマンさんは あたくしを褒めているようでいて、

心の中では貶(けな)しているような感じを受けるのですわァ。。。

あなただってぇ、そう思うでしょう!?

ところで、話は変わりますけれど、和泉式部のエピソードだけではなしに、

平安時代、あるいは古代には あなたの知らない雄大な、あるいはミステリアスな面白いお話があるのですわよう。。。

あなたのために平安史、古代史の興味深い記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


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『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』


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『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』


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『おばさんパンツ@サンホセ』

『聖徳太子のチューター』

『オナラの曲芸』

『死海』

『漱石とオナラ』

『絵里香さん』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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死海

2017年7月29日

 

死海

 


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デンマンさん。。。 何で急に死海を取り上げるのでござ~♪~ますか?

実は、香港島の中西区に住んでいる劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんが中国の検索エンジンから僕のブログの記事を読みにやって来たのですよ。。。

中国の検索エンジンってぇ、いったいどの検索エンジンですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。


(wp70726a.png)

『拡大する』

あらっ。。。、死海で浮いている女性が香港に住んでいる劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんですか?

そうです。。。 劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは女優の卵なんですよ。。。 コマーシャルの撮影で死海へ行ったのです。。。 そのときの写真だそうです。。。 リストの赤枠で囲んであるリンクから僕の Denman Blogの記事を読みにやって来たのですよ。。。

劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんが香港に住んでいると、どうやって突き止めたのですか?

IPアドレスを調べたのです。。。


(ip7220b.png)

『拡大する』

IPアドレスを調べても プライバシーを保護するためにアクセス者の名前まではゲットできないはずでござ~ますわァ~。。。

ガーリンさんが記事を読んで面白かったので、その事を書いて僕にメールをくれたのです。。。

。。。で、リファラ(リンク元URL)の中の赤枠で囲んであるリンクをクリックすると どの検索エンジンが出てくるのでござ~ますかァ~?

次の検索結果が出てくるのです。


(so70727a.png)


『拡大する』

『日本の死海文書』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは『日本の死海文書』を読んだのですかァ~?

そういうことです。。。


(wp70726d.png)

『拡大する』

あらっ。。。 劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんが四海で楽しんでいる写真が出てますわねぇ~。。。 赤枠で囲んだところに記録が出ているのですわねぇ~。。。 でも、死海に行く前なら検索して死海に関する記事を読む理由が分かりますけれど、旅行から帰ってきてどうして検索して『日本の死海文書』を読むのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、旅行に行く前も、旅行最中も仕事のことで頭がいっぱいで、それに撮影する間も忙しくて劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんはガイドブックを読む暇もなかったのですよ。。。

それで、旅行から帰ってきて、死海について調べる気になったのですか?

そういうことです。。。

でも。。。、でも。。。、『日本の死海文書』というタイトル見たら、イスラエルとヨルダンの間にある死海の事じゃないと すぐに分かりそうなものじゃござ~ませんかァ!

あのねぇ~、ガーリンさんは香港中文大学で英語と日本語を勉強したのですよ。。。 だから、英語も日本語もかなり話せます。。。 そういうわけで『日本の死海文書』というタイトルを見た時に、すぐに興味が湧いてきたわけです。。。

。。。で、記事のどういうところに興味を持ったのでござ~ますかァ?

まずねぇ~、次の記事のタイトルを見てちょっと驚いたのですよ。。。


(jofuku10.jpg)


(jofuku11.jpg)

『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

“日本へ、紀元前のメイフラワー号”というタイトルに惹かれてこの記事も読んだわけです。。。

あらっ。。。 劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは、ずいぶんと好奇心が旺盛なのですわねぇ~。。。

とにかく、将来は日本でもハリウッドでもデビューしようという夢を持っているから、何事も勉強だと思って、彼女は意欲的に知識を吸収しているのですよ。。。 卑弥子さんは死海に行ったことはあるのですか?

ありませんわァ~。。。 あたくしも“死海”で体を浮かせて見たいですわァ~。。。

じゃあねぇ~。。。 次のクリップを見て疑似体験してください。。。

 


(deadsea4b.jpg)


(deadsea3.jpg)

 

死海で浮いてみた

 

そもそも、“死海文書”というものは、どのようなものなのでござ~ますかァ?

卑弥子さんのために ちょっとばかりウィキペディアから概要を引用しますよ。

死海文書


(shikai01.jpg)

死海文書はヘブライ語聖書の最古の写本を含んでいて、宗教的にも歴史的にも大きな意味を持ち、第二神殿時代後期のユダヤ教の実情をうかがわせるものでもある。
文書は大部分がヘブライ語で書かれており、二割ほどのアラム語文書と、ごくわずかなギリシア語文書およびアラム語の方言であるナバテや語の文書を含んでいる。
多くは羊皮紙であるが、一部パピルスもある。
文書の成立は内容および書体の分析と放射性炭素年代測定、質量分析法などから紀元前250年ごろから紀元70年の間と考えられている。
死海文書を記したグループ(以後、クムラン教団と呼ぶ)については、伝統的にエッセネ派と同定する意見が主流だが、エルサレムのサドカイ派の祭司たちが書いた、あるいは未知のユダヤ教内グループによって書かれたとする意見もある。


(deadmap2.gif)


(shikai02.jpg)

1946年の終わりから1947年の初めのいずれかの時期に、ベドウィンのターミレ族の羊飼いムハンマド・エッ・ディーブ(Muhammed edh-Dhib、「狼のムハンマド」の意)とその従兄弟がヒベルト・クムランと呼ばれる遺跡(遺跡自体は19世紀から知られていた)の近くの洞窟の中で古代の巻物の入った壷を発見した。
最初の発見に関しては「子ヤギを追いかけていて、洞窟の中に石を投げ入れたところ、何かが割れる音がしたので入ってみた」などさまざまな逸話が語られるが、どこまでが真実かはもはやわからない。


出典: 「死海文書」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、「死海文書」というのは、ヘブライ語聖書の最古の写本ということでござ~ますわね。。。 つうことは、日本の最古の書物というのは『古事記』でござ~ますから、「日本の死海文書」は『古事記』のことですか?


(kojiki02.jpg)

あのねぇ~、『古事記』が日本の最古の書物だということは中学生でも知ってますよ。

。。。つうことわあああァ~。。。、つまり、『古事記』よりも古い書物が見つかったのでござ~ますか?

いや。。。 そういう話は聞いたことがないです。

だったら、おもわせぶりな事を言わないで「日本の死海文書」とは何のことなのか? 端的に細木数子のようにズバリ!とおっしゃってくださいましなァ!

あのねぇ~、実は、僕も「日本の死海文書」が具体的にどの書物を指しているのかは解らないのです。 でもねぇ~、近い将来「日本の死海文書」が発見されるだろうと信じているのですよ。

要するに、ヘブライ語聖書の最古の写本ならぬ、日本古来の神道の聖書とも言うべき最古の写本が発見されると、デンマンさんはおっしゃるのでござ~ますか?

いや。。。 日本古来の神道の聖書かどうかは解りませんよ。 むしろ、そんなものはないでしょう!?

だったら、どう言う訳で「日本の死海文書」としたのでござ~ますか?

あのねぇ~、“死海文書”は放射性炭素年代測定、あるいは質量分析法などから紀元前250年ごろから紀元70年の間に書かれたものだと考えられている。

つまり、日本でも、その頃に書かれたものが発見されると、デンマンさんはおっしゃるのでござ~ますか?

その通りですよ。

でも。。。、でも。。。、日本には紀元前250年ごろには文字の文化などないのですわ。

だから、僕はこのページの始めに『日本へ、紀元前のメイフラワー号』を持ち出したのですよ。

あらっ。。。 つまり、徐福さんとそのグループが古代中国から持ち込んだ書物が日本のどこかの洞窟に眠っているということでござ~ますか?

死海の近くの洞窟で“死海文書”が発見されたのですよ。 日本でも、徐福さんたちが持ち込んだ書物が洞窟に隠されたということも充分に考えられるのですよ。

でも、日本では徐福さんの伝説でさえ歴史的事実とは考えられてきませんでしたわ。

その通りですよ。 藤原氏が歴史を捻じ曲げてしまいましたからね。

つまり、徐福さんたちが古代中国からやって来た事実は藤原氏によって緘口(かんこう)令がしかれて記録から抹殺されたのでござ~ますか?

その通りですよ。

でも、どうして。。。?

藤原氏にとって徐福さんたちの存在は邪魔だったのですよ。  藤原氏は自分たちが日本古来から伝わる正統な家系の末裔で、政権の正当な担当者であることを後世に示したかったからですよ。

つまり、『古事記』、『日本書紀』を藤原氏が作るときに、他の書物をすべて焼き捨てさせたのでござ~ますか?

その通りですよ。 だから、徐福さんたちから引き継がれた書物を焼き捨てることは忍びないと思って有志が“死海文書”のように洞窟に隠すか? あるいは銅鐸のようなものと一緒に土中に埋めたということが充分に考えられるのですよ。

でも。。。、でも。。。、そのような事が記録に残っているのですか?

あのねぇ~、藤原氏が鵜の目、鷹の目のようにして警戒していたから、日本の書物には徐福さんたちが持ち込んだ書物が隠されたことは記録に出ていないのですよ。 でもねぇ、徐福さんたちがやって来たことは藤原氏の目を盗んで書かれている。

あらっ。。。 そのような書物があるのでござ~ますか? 

あるのですよ。 徐福さんの名前は書けなかったのだけれど、どうしても歴史に残さねばならないと考えた人がいて 9世紀に編纂された『新撰姓氏録』に書いてあるのですよ。 応神(ホムタワケ)天皇の時代に秦氏の長者が中国から127県の住民を率いて渡来したと書いてある。 つまり、『古事記』でも『日本書紀』でも藤原氏は意図的に徐福さんを無視したのですよ。 だから、当然、藤原氏に反発する人たちも出てくる。

。。。んで、どなたが『新撰姓氏録』に書き込んだのでござ~ますか?

だから、反藤原氏の歴史家ですよ。 でも、歴史に残そうとして徐福さんの名前を書くと藤原氏にイジメられるので、技術集団として秦氏の名前を記録に残したのですよ。

だけど、徐福さんたちがもたらした書物が どこかに隠されたということは記録に残ってないのでしょう?

確かに、日本にはそのような記録はない。

あらっ。。。 つうことわあああァ~。。。中国には記録に残されているのでござ~ますか?

あるのですよ。 11世紀に活躍した北宋の詩人で、欧陽脩(おうようしゅう)という人物が「日本刀歌」という詩の中で、「秦代に焚書坑儒を逃れた書が日本に残った」と書いているのですよ。

焚書坑儒


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秦の始皇34年(紀元前213年)、博士淳于越は郡県制に反対し、いにしえの封建制を主張した。
『史記』によると、丞相の李斯は、儒者たちが古(いにし)えによって現政府を批判していると指摘し、この弾圧を建議した。
始皇帝はこの建議を容れて挟書律(医学・占い・農業以外の書物の所有を禁じた令)を制定した。

これにより、民間人が所持していた書経・詩経・諸子百家の書物は、ことごとく郡の守尉に提出させ、焼き払うことが命じられた(焚書)。
李斯は、秦の歴史家によるものを除いてすべての史書は燃やすべきであると主張し、各諸派によって書かれた書物は、地域の官僚に処分をするよう命令が出された。
儒教の経典である六経のうちの『楽経』はこの時失われ、漢代に五経として確立された。

翌年(紀元前212年)、廬生や侯生といった方士や儒者が、始皇帝が独裁者で刑罰を濫発していると非難して逃亡したため、咸陽の方士や儒者460人余りを生き埋めにし虐殺した(坑儒)。
ただし、その後も秦に仕えた儒者はおり、陳勝・呉広の乱が起きた際に二世皇帝胡亥が儒者の叔孫通に諮問している。

紀元前206年、漢の高祖劉邦が秦を滅ぼしたが、依然として挟書律は現行法であり、その後恵帝4年(紀元前191年)11月になってようやく廃止された。
また、『韓非子』和氏篇には商鞅に仮託して、挟書を政策として採用すべきだと議論しており、李斯の独創ではなく、戦国末期には法家によって議論されていた現実的な政策であった。
始皇帝はそれを採用したに過ぎず、劉邦政権が踏襲したことによっても、挟書律が少なくとも為政者にとっては現実的な政策であったことが分かる。


出典: 「焚書坑儒」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、徐福さんは、名目は「不老長寿の薬を求めるため」と言いながらも、実は、秦の始皇帝の圧制から逃れようと画策したのですよ。

それで、日本へ渡航する時に、ついでにたくさんの書物も船に運び入れたのでござ~ますか?

だから、それが巷の噂になって11世紀に欧陽脩さんの耳にも達したわけですよ。

。。。んで、その「日本の死海文書」はどこに隠されたのでござ~ますか?

実は、そのことで僕は以前に記事に書いたのですよ。 ちょっと読んでみてください。

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

それは、歴史編纂の目的で、大和朝廷が、昔の地方王朝に伝わる歴史書をすべて集めさせたからです。
その集めたものがどうなったかというと、すべて焼き捨ててしまったのです。

ご存知のとおり、中国では、これ以前に、秦の始皇帝が焚書坑儒ということをやっているわけです。
つまり、民間に広まっている儒教の本を焼き捨て、多数の儒学者を殺しているわけです。
地方の歴史編纂者を殺せ、とは藤原不比等は言わなかったでしょう。
しかし、大和朝廷の正史、つまり、古事記と違ったことが書いてある、昔の地方王朝の歴史書が、地方に残っていることは、まずいわけです。

藤原不比等が、この点について、天武天皇に、いろいろと中国史を話して聞かせたことでしょう。
「六韜(りくとう)」を愛読している不比等にとって、そのような、大和朝廷に、邪魔になる地方の王朝の史書を焼き捨てるのは当然のことです。
したがって、古事記編纂の目的の一つに、地方に伝わる歴史書を焼き捨てるということがあったわけです。

地方の歴史研究者が、たまには、神社に伝わる古い史書などを発見することがありますが、古事記よりも古い時代のものだ、などと言うと、先ず歴史学会からは無視されているようです。
しかし私は、まだまだ未発見の、古事記よりも古い史書が、かなりの数,地下で眠っていると信じています。
というのは、当時の大和政権が、強制的に地方王朝の歴史書を差し出すように命令を発したとしても、必ず、反抗して、そういったものを隠してしまう者が居たはずだからです。
そんなわけで、地方へ行けば行くほど、つまり、大和朝廷の権威が届いていない地方ほど、そのような史書が残っている可能性があります。


(japan05.gif)

まだ遺跡発掘などがあまり活発に行われていない、日本海沿岸の新潟県や秋田県あたりに、未発見の古書がかなり眠っているはずです。
上の地図からも分かるとおり、このあたりには、大陸からの難民がたくさん漂着していたはずだからです。


『古事記より古い書物がどうして残っていないの?』より
(2003年7月17日)

。。。で、劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは 記事を読んで面白かったとデンマンさんにメールを書いたのでござ~ますかァ?

そうですよ。。。 で、日本の古典にも興味があるので、今度日本へ行く時にはぜひ卑弥子さんに紹介して欲しいと言うのです。。。

マジで。。。?

“平成の紫式部”と言われている卑弥子さんから じかに『源氏物語』のお話を伺いたいと言うのですよ。。。

あらっ。。。 あたくしは香港でも有名なってしまったのでござ~ますかァ? 

とにかく、劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは卑弥子さんを かなり尊敬しているようです。

分かりましたわァ~。。。 ガーリンさんがやって来たら ついでに、あたくしが京都をご案内いたしますわァ~。。。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。

香港では、けっこう日本語がブームになっているのだそうですわァ。。。

それで、あたくしも香港では人気が出ているようなのでござ~ますゥ。。。

ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が最近、日本語が解る香港の男性に注目されているのですわよう。。。

香港でも、“ヴィーナスのえくぼ フィーバー”が起こっているのですわァ。

ええっ。。。 マジで信じられないのですかァ~?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、香港からも あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよ。


(buttdimp5.jpg)

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、古代にはあなたの知らない雄大な、あるいはミステリアスな面白いお話があるのですわよう。。。

あなたのために平安史、古代史の興味深い記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

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平和を愛したアイヌ人

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古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

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藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 

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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』

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『聖徳太子のチューター』

『オナラの曲芸』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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オナラの曲芸

2017年7月19日

 

オナラの曲芸

 


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これが世界一のオナラの威力だ!


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(fartx02.jpg)


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アタイのオナラの連発を聞いてね!

あなたのために

日本創世記をイメージした

「狂屁曲ヘ長調 創世記」です!

お楽しみくださいませ。 (笑)


(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 どういうわけで、こういう極めて馬鹿バカしい話題を取り上げたのでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

いけませんか?

だってぇ~、あんまりにも馬鹿バカしいじゃござ~ませんかァ~! オナラの連発はデンマンさんがブッパなしたのでござ~ますかァ~!?

ネット市民の皆様の前で 僕は そのようなはしたない真似は絶対にしませんよう。。。

とにかく、どういうわけでオナラの話題を取り上げたのでござ~ますかァ~?

実は、北京市に住む周杰伦(ジョウ・ジエルン)君が中国の検索エンジンを使って検索して僕の Denman Blog にやって来てオナラの記事を読んだのです。。。


(ip216116b.png)

『拡大する』

IPアドレスを見せられても、それが証拠にはなりませんわァ。。。

じゃあ、Denman Blog の7月16日の記録を見てください。。。


(wp70716a.png)

『拡大する』

上のリストの赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。 このリンクをクリックすると次の検索結果が出てくるのですよ。。。


(so70717a.png)


『拡大する』

『曲屁(きょくべ)』

『現時点での検索結果』

上のリストの赤枠で囲んだリンクをクリックしてデンマンさんの Denman Blog へやって来たのでござ~ますかァ?

そういうことです。。。 ちゃんと次の記録にも出ています。


(wp70716d.png)

7月16日の人気記事のリストですわねぇ~。。。 

そうです。。。

相変わらず『床上手な女の7つの見分け方』がダントツで読まれてますわねぇ~。。。


(kiss007.gif)

『床上手な女の7つの見分け方』

卑弥子さんも読みましたか?

読みましたけれど、上のオナラの「狂屁曲ヘ長調 創世記」とくらべると あまり面白くありませんでしたわァ~。。。

つまり、卑弥子さんは“極めて馬鹿バカしい!”と言いながら「狂屁曲ヘ長調 創世記」を楽しんだのですねぇ~。。。

そんなことよりも北京市に住む周杰伦(ジョウ・ジエルン)君は どういうわけで『曲屁(きょくべ)』を読んだのでござ~ますか?

あのねぇ~、周杰伦(ジョウ・ジエルン)君は北京にある日本語学校を優秀な成績で卒業したのですよ。。。 だから、日本語の読み書きは日本人と変わらないのです。。。 それで、当然「放屁」ということは知っていた。。。 でもねぇ~、「曲屁」という言葉をこれまでに見たことも聞いたこともなかったのですよ。。。

曲屁


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曲屁(きょくべ)とは、音の高さや長さ、強さをさまざまに変えながら放屁することにより、聞き手を楽しませる行為のことである。

曲放(きょくひり)ともいう。

興行として曲屁を行った事例は世界各地に存在し、日本では安永年間に霧降花咲男を称する者が興行を行った記録があるほか、19世紀末のフランスでムーラン・ルージュを中心に活動したル・ペトマーヌ、近年ではイギリスのミスター・メタンなどが知られる。

 


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  ミスター・メタン

 

こうした興行では、放屁の長さや連発といった単純な放屁技能の誇示や、「若い女の屁」「紳士の屁」などさまざまな設定で放屁し分けることで笑いを誘うもの、放屁単独もしくは別の楽器を伴った音楽の演奏などが行われた。

また放屁そのものを聞かせる芸以外に、肛門に管をつないで別の楽器を演奏する、放屁で離れたところにあるろうそくを吹き消す、といった芸も行われた。


出典: 「曲屁」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、好奇心に駆られて『曲屁(きょくべ)』を読んだのでござ~ますか?

そういうことです。。。

それでフランスにはル・ペトマーヌという曲屁の芸人がマジでいたのですかァ?

いたのですよ。。。

ル・ペトマーヌ (Le Pétomane)

 

ル・ペトマーヌはフランスの曲屁師(放屁芸人)であったジョゼフ・ピュジョル(Joseph Pujol, 1857年6月1日 – 1945年)の芸名である。

腹部の筋肉に加える力を調整することにより、意のままに放屁しているかのように見せる芸で知られる。

芸名はフランス語の動詞péter(放屁する)に接尾辞-mane(…狂)を加えた形で、「放屁狂」を意味する。


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なおピュジョルの芸は本物の屁を用いた芸であると思われがちであるがそうではなく、直腸に向かって空気を吸い込み、この空気を肛門括約筋を加減しつつ放出していた、というのが真相である。
こうした実態は、ピュジョルが芸を披露し始めた初期、軍隊時代に同僚兵に向かって行った際の記録にも示されている。

軍に入隊したピュジョルは、同僚兵に自分の特殊能力について語り、平鍋に張った水を直腸に吸い込み、その水を肛門からあたり一面に撒き散らす芸を座興として何度も披露した。
やがてピュジョルは水だけではなく空気も吸ったり出したりできることに気付いた。

除隊してパン屋になったピュジョルは、肛門からの空気で楽器のような音を出してみせ、顧客を楽しませた。
ピュジョルはこの芸で舞台に上がってみたいと決意、1887年、マルセイユで放屁芸の公演を始めた。
この芸は好評で、1892年にはパリに移り、ムーラン・ルージュで芸を披露するようになった。

公演の目玉は大砲の砲撃音や雷鳴の音を出すもののほか、肛門とオカリナをゴム管でつなぎ、『オー・ソレ・ミオ』や『ラ・マルセイエーズ』を演奏するなどというものもあった。
何メートルも離れたところからろうそくを吹き消すこともできた。
アルバート・エドワード王太子、ベルギー国王レオポルド2世、ジークムント・フロイトといった人々も、ピュジョルの芸を観た。

しかし1894年、経済的に困窮した友人を助けようと即興で芸を披露したことが原因で、ピュジョルはムーラン・ルージュの興行主から訴えられてしまう。
ムーラン・ルージュ側は勝ったものの、たった3000フランを得ただけで、1回の公演で20000フランを稼ぐ呼び物であったピュジョルを失うことになった。

ムーラン・ルージュを去ったピュジョルはテアトル・ポンパドゥールの名で旅回りの一座を組んだ。
この時期、ピュジョルは芸を洗練し、もっと上品なものにしようと力を注いだ。
得意の演目は農場を描いた自作の詩に、肛門から出す動物の声を交えたものであった。

しかし第一次世界大戦が勃発、戦乱の残酷さに直面して意欲を失ったピュジョルは舞台をやめ、マルセイユのパン屋に戻った。
後にトゥーロンでビスケット工場を開いた。

1945年、ピュジョルは88歳で死んだ。
遺体はラ・ヴァレット=デュ=ヴァールの墓地に埋葬され、今でもそこに墓が残る。
死後、多額の金と引き換えに遺体を調べたい、という申し出が医学校からあったが、遺族が申し出を受け入れることはなかった。

ピュジョルの至芸はその後も長く語り継がれ、その人生を元に小説・音楽・映画などさまざまな芸術作品が制作された。

 


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ジョゼフ・ピュジョルの人生を描いた映画


出典: 「ル・ペトマーヌ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。うふふふふふ。。。これはチョンボじゃござ~ませんか! 本物のオナラではないのですわね。

そうなのですよ。 直腸に向かって空気を吸い込み、この空気を肛門括約筋を加減しつつ放出するのですよ。

かなり特殊な技(わざ)ですわね。

でもねぇ、僕はこの部分を読んで不意に思い当たる事があった。 実は、僕は高校時代に体操部に居たことがあって、床運動の練習をしている時に仰向けになって両脚を顔の上に持ってくる。 そうなると、尻がグッと持ち上げられて、ある角度になると、直腸に向かって空気が吸い込まれることを偶然に発見したことがあった。

あらっ。。。マジで。。。? 。。。んで、その吸い込まれた空気をオナラのようにしてブッとぶっ放すことができたのでござ~ますか? うふふふふふ。。。

いや。。。音までは出そうとしなかったけれど、今でも空気を直腸に出し入れできますよ。 音を出そうと思えば、多分できると思うのですよ。 ただ、そのような馬鹿らしい事をする気にならないだけです。 うへへ屁へへ。。。

あらっ。。。訓練すればデンマンさんもバンクーバーの「ル・ペトマーヌ」として世界的に有名になれるのではござ~ませんか?

いや。。。たとえ出来るようになったとしても、そのようなバカバカしい事をしてまで金儲けしようとも、有名になろうとも思いませんよ。

。。。で、日本でも曲屁の芸人さんが いたのでござ~ますか?

もちろんですよ。。。

庶民の生業(なりわい)

江戸は百万都市でございます。
その人口の約半分近くが庶民ですから、それはそれは様々な職業がございます。
しかし、誰もが好き勝手に江戸に住み、自由に商売ができるわけではございません。
庶民は人別帳で管理され、基本的には親の仕事を受け継ぎます。

それでも、新しく江戸の住人になる者もたくさんおります。
次男以下の者や遊女など、弟子入りや年季奉公で江戸に来る場合などです。
彼らが一人前になったり年季が明けますと、江戸で自分で商売をして暮らすことができます。
ただし、商売のほとんどが株や鑑札が必要ですので、請人や町役人の保証がなければ棒手振にも簡単になれません。

曲屁(きょくべ)


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どうにも品のない芸ですが、三味線や小唄に合わせて屁を放(ひ)る曲芸を申します。
梯子屁(はしごっぺ)、祇園囃子(ぎおんばやし)、犬の鳴き声など様々な技があり流行りましたが……「江戸文化」などと申して真似などなさいませんように。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


101、132ページ
『絵でみる江戸の町とくらし図鑑』
善養寺ススム 文・絵
江戸人文研究会 編
2011年6月1日 初版第1刷発行
発行所: 廣済堂あかつき株式会社

この本は220ページの本なのですよ。 図鑑といっても厚い大きな本じゃなくて片手でパラパラめくれるような比較的小さな本です。 その本の半分近くが江戸時代の職業を紹介している。

江戸時代には「曲屁」を商売にしていた人がそれほど居たのでござ~ましょうか?

意外にたくさん居たようです。

でも、オナラを自由自在にぶちかますなんてぇ、人の技(わざ)とは思えませんわ。 それほど自由に出るものでござ~♪~ましょうか?

あのねぇ~、誰もがそのような疑問を持つと思うのですよ。 自由に屁を出すなんて、考えただけでもできるわけがないのですよ。

それなのに、自由にオナラを出してそれを商売にする人たちが居たというのは、どういうわけなのでござ~ますか?

だから、多くの芸人は ジョゼフ・ピュジョルさんのように直腸に向かって空気を吸い込み、この空気を肛門括約筋を加減しつつ放出したと思うのですよ。。。 卑弥子さんも試してみたらどうですか?

そんなことをしたら、ますますお婿さんになりてが居なくなりますわァ~。。。


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【卑弥子の独り言】


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とにかく、今日は 極めて馬鹿バカしいお話でしたわ。。。

あなたも 馬鹿バカしいと思いながら 涙を浮かべて笑ったでしょう!?

うふふふふふふふ。。。

ところで、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が最近、男性の目の保養になっているという事実の方が信じられると思うのですわァ~。

あなたは信じられないかもしれませんけれど、

最近、“ヴィーナスのえくぼ フィーバー”が起こっているのですわよう。。。

ええっ。。。 マジで信じられないのですかァ~?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


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どうでござ~ますかァ?

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あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

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信じてくださいましなァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、古代にはあなたの知らない雄大な、あるいはミステリアスな面白いお話があるのですわよう。。。

あなたのために平安史、古代史の興味深い記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


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『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』


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『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』

『おばさんパンツ@サンホセ』

『聖徳太子のチューター』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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や~らしか方言@坊さん

2017年7月17日

 

や~らしか方言@坊さん

 


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デンマンさん。。。 あんさんはどないなわけでエッチな方言と坊さんを並べやはったん?


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あきまへんかァ~。。。

そやかて、坊さんがこれを見たらムカつきますやん。。。

あのなァ~、坊さんかてぇ 人間やでぇ~、ええ坊さんもおれば エッチな坊さんもおるねん。。。

つまり、あんさんはエッチな坊さんのことをしゃべりはるん?

あきまへんかァ~。。。 (モナリザの微笑)

そやかてぇ~、この記事を読みはる真面目な坊さんはムカつきはりますやん。。。

あのなァ~、真面目な坊さんかてぇ 心のどこかにエッチな心が疼(うず)いているものなのやがなァ~。。。

あんさん! 見てきたようなことをぬかしはると、坊さんの総連合会の会長さんに訴えられますでぇ~。。。

この程度のことで坊さんの総連合会の会長さんはムカつきますかいなァ~。。。

。。。で、どないなわけで、急にや~らしか方言@坊さんというタイトルにしやはったん?

あのなァ~、龍谷大学に学んでいる熊谷勅円(くまがい ちょくえん)君が わての『徒然ブログ』にやって来たのやがなァ~。。。

マジでぇ~。。。?

まず、次のリストを見て欲しいねん。。。


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『拡大する』

『や~らしか方言』

これはライブドアの わての『徒然ブログ』の7月14日の午後7時37分から15日の午前3時10分までの約7時間半の「生ログ」の一部やねん。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。

7月14日の午後8時48分にGOOGLEで検索して『や~らしか方言』を読みはったのねぇ~。。。 で、上のリストに貼り出したイラストが熊谷勅円(くまがい ちょくえん)君の似顔絵やのォ~?

そういうこっちゃ~。。。 IPアドレスを調べると次のようなことが分かるねん。。。


(ip195111b.png)

『拡大する』

あんさんは いつもIPアドレスを調べるけど プライバシーの保護のためにアクセス者の名前までは よう判らんようになってるねんでぇ~。。。

そないなことぐらい わてにも分かっておるねん。。。 熊谷勅円(くまがい ちょくえん)君は わてのブログの常連さんやさかいに、「ごっつう 面白かったですう」というメールを書いてくれたのやがなァ~。。。

ホンマかいなァ~? 。。。で、どないして熊谷勅円(くまがい ちょくえん)君は『や~らしか方言』の記事を探しやはったん?

もちろん、次のようにしてGOOGLEで検索しやはってん。。。


(gog70503a.png)


『拡大する』

『や~らしか方言』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「や~らしか方言」と入れて検索したのやねぇ~。。。

熊谷勅円(くまがい ちょくえん)君は、かつて わてのブログで『や~らしか方言』という記事を読んだことがあったのやがなァ~。。。

どうしてまた探して読む気になりはったん?

あのなァ~、熊谷勅円(くまがい ちょくえん)君は埼玉県の熊谷市の出身で、あの有名な熊谷直実は、彼のご先祖さまなのやがなァ~。。。

熊谷直実


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熊谷 直実(くまがい なおざね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。
武蔵国熊谷郷(現埼玉県熊谷市)を本拠地とした。
熊谷直貞の次男。

熊谷氏は桓武平氏・平貞盛の孫・維時(これとき)の六代の孫を称するが、武蔵七党の私市党、丹波党の分かれともされ、彰かではない。
直実の祖父・平盛方(もりかた)が勅勘をうけたのち、父直貞の時代から大里郡熊谷郷の領主となり、熊谷を名乗った。

平家に仕えていたが、石橋山の戦いを契機として源頼朝に臣従し御家人となる。
のちに出家して法然上人の門徒となり蓮生(れんしょう / れんせい)と号した。

『平家物語』「敦盛最期」の段における平敦盛との一騎討ちは、直実は敦盛とともにこの故事の主人公として、能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』といった作品に取り上げられている。

『平家物語』によれば、この戦いで良き敵を探し求めていた直実は、波際を逃げようとしていた平家の公達らしき騎乗の若武者を呼び止めて一騎討ちを挑む。
直実がむんずと取っ組んで若武者を馬から落とし、首を取ろうとすると、ちょうど我が子・直家ぐらいの齢だった。
直家はこの戦いの直前に矢に射抜かれ深手を負っていたので、直実はその仇討ちとばかりにこの若武者に挑んだのである。

直実が「私は熊谷出身の次郎直実だ、あなたさまはどなたか」と訊くと、敦盛は「名乗ることはない、首実検すれば分かることだ」と健気に答えた。
これを聞いて直実は一瞬この若武者を逃がそうとしたが、背後に味方の手勢が迫る中、「同じことなら直実の手におかけ申して、後世のためのお供養をいたしましょう」といって、泣く泣くその首を切った。

その後、首実検をするとこの公達は清盛の甥・平敦盛と判明、齢十七だった。
討ち死にの折に帯びていた笛「小枝」(さえだ)は、笛の名手として知られた敦盛の祖父・忠盛が鳥羽上皇から賜ったものだという。
これ以後直実には深く思うところがあり、仏門に帰依する思いはいっそう強くなったという。

 


(kumagai02.jpg)


出典: 「熊谷直実」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

熊谷直実は坊さんになりはったのやねぇ~。。。

そういうことやァ~。。。 直実が首を取ったのは、平清盛の甥の17歳の平敦盛やったァ~。 それで後日、深く思うところがあって、坊さんなりはったということやんかァ~。。。

そないな真面目な家系に生まれながら、熊谷勅円(くまがい ちょくえん)君は どないなわけで、またエッチな『や~らしか方言』という記事を探して読みはったん?

あのなァ~、めれちゃんはタイトルからすぐにエッチな事を連想するようやけど、熊谷勅円(くまがい ちょくえん)君はエッチな事が読みたくて再び記事を探して読んだわけやあらへん。。。

それやったら、なんのために『や~らしか方言』を読みはったん?

熊谷勅円(くまがい ちょくえん)君は埼玉県出身やさかいに、関西弁がどうも苦手なのやがなァ~、そいで ときたま大阪弁と京都弁が よう分からんときがあるねん。。。 そやから『や~らしか方言』を再度探して読んだのやでぇ~。。。

それは 可笑しいやん。。。 大阪弁と京都弁の違いを知るために、どないなわけで『や~らしか方言』を読みはるのォ~?

めれちゃんは忘れてしもうたらしいけど、記事の中に次のようなことが書いてあるねんでぇ~。。。

京都弁と大阪弁、どう違う?

 

① よく出てくる尊敬の助動詞「はる」。 京都弁では「言わはる」と動詞の未然形に付きますが、大阪弁では「言いはる」と動詞の連用形に付きます。 これ、大きな違い。

② これもよく使う否定の助動詞「へん」には、京都弁だと「言わへん」と未然形の動詞が付きますが、大阪弁では「言えへん」巳然形の動詞が付きます。

③ 「来ない」は、京都では「きいひん」、大阪では「けぇへん」。


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④ 「するのだ」は、京都では「すんにゃ」、大阪では「すんねや」。

これだけでも違いがわかります。

(動画はデンマン・ライブラリーより)


67ページ 『かわいい方言手帖』
編者: ふるさとナマリ研究会
2005年9月30日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社

つまり、あんさんが記事の中で遣(つか)いはる関西弁は京都弁と大阪弁をごっちゃにしてますやん。。。

あのなァ~、めれちゃん。。。 わても埼玉県出身なのやでぇ~。。。 関西弁は、わてにとって外国語のようなものやねん。。。 そやから、京都弁と大阪弁の違いを勉強せんとあかんなァ~、と思いながら上の本を読んだのやがなァ~。。。

それやったら、もうちょっと 京都弁と大阪弁の違いをはっきりしながら、ごちゃまぜにせぇ~へんで欲しいねん。。。

めれちゃんも、可笑しな関西弁遣ってるでぇ~。。。

あんさんが、代書してはるから、そういうことになるねん。。。 

あのなァ~、言葉は生き物やさかいに、時代と共に変わってゆくねん。。。 そやから、あまり厳しいことを言わんで欲しいねん。。。

つまり、この事が言いたくて、今日の記事を書きはったん。。。

いや。。。 そればかりではないでぇ~。。。 「かわいい」のいろんな言い方が面白いと思うたのやがなァ~。。。

「かわいい」のいろんな言い方


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え~らしい

「愛らしい」のナマリで、主に小さい子どもなどをほめるときに使います。

《例》 ○○さん家の子は、え~らしいなぁ。 (大分)

えちゃけ

「いちゃけ」とも言い、「いたいけない」が変化した言葉とも。
「かわいらしい」「あどけない」というニュアンスで用います。 (石川)

かいらし

「かわいらしい」が変化したもの。
近畿、四国地方で使われています。

《例》 あのこ、ほんまに、かいらし~なぁ。 (大阪)


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みじょか

「みぞか」「みぞ~か」「んじょか」とも言い、「かわいらしい」「美しい」という意味。
ちなみに「かわいがる」は「むじょがる(みぞがる)」。 (長崎) 

むじょか

「かわいらしい」の意味で「むぞか」「むぞらしか」とも。
ちなみに佐賀では「むぞ~か」、宮崎では「むじい」を同じ意味で使います。 (熊本・鹿児島)

めんこい

語源は「めぐし(愛し)」。
福島以北の東北・北海道地域で広く使われ、「めごい」(青森)、「めんけ」(秋田)、「めんげ」(福島)、「めんごい」(山形)と変化する地域もあります。
ちなみに「お気に入りのコ」を北海道では「めんこ」。
「めんこめんこする」は頭をなでなですることです。

《例》 この子、めんこいっしょ。 めんこめんこして。 (北海道・東北)

や~らしか

「や~らしか嫁さん」と言われて「エッチな嫁さん」なんて想像してはいけません。
佐賀では、「や~らしか」は「かわいい」という意味です。

《例》 おまえ、や~らしか嫁さんばもろたらしかな。 (佐賀)


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赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストと動画はデンマン・ライブラリーより)


53-54ページ 『かわいい方言手帖』
編者: ふるさとナマリ研究会
2005年9月30日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社

ホンマに笑えますやん。 うふふふふふ。。。 「めんこい」という北海道・東北方言は聞いたことがおますけど、「や~らしか」が「かわいい」という意味の佐賀方言だというのんは初耳でしたわァ~。。。

古い言葉には都(みやこ)から遠く離れた地方ほど残ると言われてるねん。 そやから東北と九州には、今も古い言葉がようけい残っていると言うわけやァ。。。 例えば「とぜん(徒然)」という言葉がある。。。

とぜん

語源は『徒然草』(吉田兼好)でおなじみの「とぜん(徒然)」で、本来は「やることもなく退屈だ」という意味ですが、現代では「さびしい」の意味で使われます。
秋田では「とじぇね」、鹿児島では「とぜんね」と変化。

《例》 ひとりになったら、とぜんになってきた。 (宮城)


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とぜんなか

「とぜん」に「なか」をつけて、九州流の形容動詞にしたもの(「とぜん」が「ない」という意味ではありません)。
福岡、佐賀、長崎、熊本などではこちらの言い方が主流です。

《例》 なんや、夢やったとか。 とぜんなか。 (福岡、佐賀、長崎、熊本)

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真と動画はデンマン・ライブラリーより)


50ページ 『かわいい方言手帖』
編者: ふるさとナマリ研究会
2005年9月30日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社

徒然は「つれづれ」と読むもんやと思うていたけど、「とぜん」という読み方もあるねんなァ~?

わても「とぜん」なんて初めて聞いたのやァ。 とにかく、昔、京都や大阪で使い古されて化石になってしもうた言葉が九州や東北では未だに生きているということやんかァ。 言葉は生き物やと言うけれど。。。、『徒然草』の作者・吉田兼好が今、生きてたら、京都ではのうて、おそらく九州か東北の田舎に引っ越すやろなァ。

そないなことより、もっとおもろい方言はあらへんのォ~?

あるがなァ~。。。めれちゃんのために見つけたのやァ! 読んでみィ~なァ。

一生懸命のさまを表す表現


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一生懸命にも、その状態を表すさまざまな方言があります。

■ いっぺいっぺ (鹿児島)

■ ばくばく (北海道)

■ ね~らんこ~ら (沖縄)

■ ひっしもっし (岡山)

■ ひっせ~がっせ~ (島根)

■ みっちど (岩手)

■ やっさと (福岡)

(動画はデンマン・ライブラリーより)


127ページ 『かわいい方言手帖』
編者: ふるさとナマリ研究会
2005年9月30日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社

うふふふふ。。。笑えますやん。 日本語ってぇ、方言を含めると奥の深いものですねんなァ~。

そういうことやがなァ~。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも知らなかったことがあるでしょう?

ついでに、あなたが知らなかったことをもう一つ。。。

最近 あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”がネットで人気が出ているのですわよう。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないというのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


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うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、

かつて、めれんげさんは 一生懸命にブログを更新していたのでした。

でも、時には、他のことに夢中になって、会費を滞納したことがあったのでござ~ますわァ。。。

そのために、サイトを削除されてしまったのです。

それでも、2013年の6月にライブドアで『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよねぇ~。。。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。

でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


(gog30928a.png)

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。


(seo001.png)

『おばさんの下着に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


(hand.gif)


(surfing9.gif)

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『オッパイ@アクセス数』

『熱狂的なファンのぬくもり』

『愛と心の構造探して』

『初めての接吻』

『夫婦de風呂』

『私を見つけたのね』


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こんにちはジューンです。

卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ


(beach02.jpg)


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聖徳太子のチューター

2017年7月12日

 

聖徳太子のチューター

 


(taishi01.gif)

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デンマンさん。。。、聖徳太子のチューターは女性だったのでござ~♪~ますかァ~?


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いや、違います。。。 卑弥子さんを呼び出したついでに、卑弥子さんに似た人を貼り出したまでです。。。 深い意味はないのですよ。。。

でも、どういうわけで急に聖徳太子のチューターというタイトルにしたのでござ~ますかァ?

実は、東京に住んでいる 正徳 多恵(しょうとく たえ)さんが僕の記事を読みにやって来たのです。。。 次のリストを見てください。。。


(liv70710a4.png)


『拡大する』

『聖徳太子の家庭教師』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の7月9日の午後3時から午後8時23分までの約5時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。

あらっ。。。 7月9日の午後3時19分にGOOGLEで検索して『聖徳太子の家庭教師』を読んだのでござ~ますわねぇ~。。。

そうです。。。

IPアドレスを調べて 東京に住んでいる 正徳 多恵(しょうとく たえ)さんが『聖徳太子の家庭教師』を読んだと突き止めたのでござ~ますかァ?

その通りです。。。


(ip223106b.png)

『拡大する』

でも、IPアドレスを調べてもアクセス者の名前まではゲットできないのですわァ~。。。

卑弥子さんは、また きびしいツッコミを入れるのですかァ~?

だってぇ~、事実は事実ですものォ~。。。 上の結果を真に受けて、IPアドレスを調べると、個人情報までゲットできるような間違った印象をネット市民の皆様に与えるのはよろしくござ~ませんわァ。

あのねぇ~、正徳 多恵(しょうとく たえ)さんは『聖徳太子の家庭教師』を読んで、とっても面白かったというメールを僕に寄越したのです。。。

つまり、、正徳 多恵(しょうとく たえ)さんも デンマンさんのブログの常連さんの一人だと言いたいのでござ~ますかァ?

そうです。。。 僕が自作自演をしているのではないということを示すために、わざわざIPアドレスを公開しているのですよ。

。。。で、多恵さんは、どのようにしてデンマンさんの記事を探しだしたのでござ~ますかァ?

もちろん、GOOGLEで次のように検索したのですよ。。。


(gog70710c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「聖徳太子 家庭教師」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

そうです。。。 42,700件ヒットするのですよ。。。

正徳 多恵(しょうとく たえ)さんは赤枠で囲んだ記事を読んだのでござ~ますか?

そういうことです。。。

でも。。。、でも。。。、多恵さんは、どういうわけで聖徳太子に家庭教師がいたことを知っていたのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、多恵さんは東京の文京区目白台にある日本女子大学の文学部史学科の4年生なのですよ。。。


(tjkoshidaimap.png)


(tjkoshidai.jpg)


(lotus101b.jpg)

つまり、日本古代史の聖徳太子で卒論を書こうとしているのでござ~ますかァ?

そういうことです。。。

。。。で、卒論のヒントを得るためにGOOGLEで検索したのでござ~ますかァ?

その通りです。。。

。。。で、何が参考になったのでござ~ますかァ?

多恵さんは次の箇所を読んでオツムに閃(ひらめ)くものがあったのですよ。。。

4) 聖徳太子の母親はペルシャ人だった


(persian02.gif)

宇宙の摂理ブログ聖徳太子の母親はペルシャ人だった? 聖徳太子の母親は ペルシャ人だった? 渡来人 聖徳太子とその時代を考えるとき、私たちは日本古代史の中で考えようとします。昔の日本で起こったことを考えるのだから、それも当然のことのように思えます。 …

http://barclay.wablog.com/4.html – 95k

5) 聖徳太子の個人教授には

  ペルシャ人がいた

宇宙の摂理ブログ確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになり … ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居た …

http://barclay.wablog.com/3.html – 98k


(2008年7月10日午後4時現在)

『「聖徳太子 ペルシャ人」 の検索結果』

つまり、聖徳太子にはペルシャ人の血が流れたいたのかもしれない、と多恵さんは関心を深めたのですか?

そうです。。。 それで次の部分をじっくりと読んだのです。。。

 

聖徳太子の個人教授には

ペルシャ人がいた


(taishi01.gif)

太子は、高句麗からの渡来僧・慧慈(えじ)を個人教授として内教(仏教)を学んだとされています。さらに外典(そとふみ)を覚袈(かくか)から学んだそうです。仏教から外典というと、その中には儒教、道教、景教、拝火教、バラモン教、つまり仏教以外のさまざまな経典が含まれます。この覚袈が渡来人であったと言われていますが、どこの国からやって来たのか、については確証がありません。

聖徳太子は、蘇我氏の一員だと言っても過言ではないほど、蘇我氏とは切っても切れない繋がりを持っています。また、蘇我氏は渡来人を支配することによって実力をつけてきたということからも分かるように、渡来人の集団とは強い絆で結ばれています。私は、蘇我氏自身も高句麗りからやって来たとみています。このことについては、このページ (蘇我氏は高句麗からやってきた) で説明しています。

要するに、聖徳太子は、小さな頃から渡来人に取り囲まれて生活していたと言うことは、まず間違いないようです。従って、成長してからも彼の回りには実に渡来人が多いのです。先ほど述べた高句麗からの渡来僧・慧慈(えじ)と外典(そとふみ)を教えた覚袈(かくか)は、太子に影響を与えた数多い渡来人の中のたった二人に過ぎません。

太子の個人教授にはこの二人の他に慧聡(えそう)がいます。この人は、実は慧慈(えじ)と同じ年に百済から来朝しています。『書紀』 に 「慧慈、慧聡は内教を弘演(ひろめ)て並(ならび)に三宝の棟梁となる」、とあります。これら名僧は、飛鳥寺を造り終えると同時に、飛鳥寺の住僧となっています。

しかし、この当時の国際関係を考えると、一見、不思議な感じがします。交戦を続ける高句麗と百済の敵国同士の両僧が、同時に来朝し、飛鳥寺に共に居住して、仏教の二大棟梁となる、ということは、常識的には考えられません。こじつけて、説明しようとするならば、高句麗の慧慈を通して北朝仏教を、一方百済の慧聡を通して南朝仏教をともに導入しようとした、ということが言えるでしょう。しかし、これとても、もう一つ説得力に欠けます。そこで、この当時の坊さんの役目を考えてみる必要があります。

一言で言ってしまえば、言葉の響きは良くありませんが、坊さんは頭を丸めたスパイです。仏教を国教とする時代です。しかも、「推古女帝と聖徳太子」のページで述べているように、蘇我馬子の宗教観には、仏教を思想面で受け入れると言うよりも、政治に利用するという意図がありありと見て取れます。したがって、慧慈、慧聡、覚袈は、太子の宗教の専門の師であるばかりでなく、高度の政治外交の顧問格でもあったわけです。しかも、スパイとしての役目を担っていますから、「同時に来朝し、飛鳥寺に共に居住して、仏教の二大棟梁となる」ことは、不思議でもなんでもない。むしろ、この二人にとっては、好都合だったと言えるでしょう。居ながらにして情報交換ができるのですから。

後年、慧慈(えじ)は高句麗へ戻っています。もちろん、時の高句麗王に報告のためです。坊さんになってスパイ活動をしたという良い例は、藤原鎌足の長男・定慧(じょうえ)です。この人のことは、このページ (藤原鎌足と長男・定慧) で詳しく述べています。あまり出過ぎたことをしたために、天智天皇の命令で殺されています。

百済は高句麗や新羅にたえず攻められるため、大和朝廷に幾度も軍事援助を求めています。派兵の代償として、五経博士などの文化使節を送ってきたわけで、慧聡(えそう)もそうした文化使節の一員です。その記事は 『日本書紀』 の「継体紀」 「欽明紀」や 『百済本紀』 に書かれています。しかし、文化使節とは、表向きのはずで、慧聡(えそう)のような僧侶は、時の権力者に近づく機会が多いわけで、よく言えば、百済大使、悪く言えばスパイの親分として活動していたことは、いわば当然のことです。

五経博士の「五経」とは儒教の易・書・詩・礼・春秋で、これとともに医博士、暦博士、採薬師施(くすりかりのはかせ)や僧侶など、各分野の専門家を送って来ており、諸博士の人名も中国の南朝人と分るものもあり、時の大和朝廷は百済のみならず、百済を介して南朝文化の導入も意図していたことがうかがわれます。

ここで、このページのタイトルについて考えてみましょう。覚袈(かくか)は果たしてペルシャ人だったのだろうか?覚袈は外典(そとふみ)を太子に教えたのです。外典とは儒教、道教、景教、拝火教(ゾロアスター教)、バラモン教を含めた仏教以外のさまざまな経典ですから、儒教と道教については百済人や高句麗人でも教えることができたかもしれません。しかし、景教、拝火教、バラモン教となると、百済人や高句麗人では手に負えなかったのではないでしょうか?このように考えれば、覚袈がペルシャ人であったとしても不自然ではありません。

 

聖徳太子の一族に

ペルシャ人が居たの?

ここで考えなければならないことは、これらの高度の文化を、一体、大和朝廷の誰が受容できたのであろうか?と言うことです。語学の素養もない、外国文化に触れたこともない一般の官吏ではまず無理です。つまり、これらの高度の文化を受け入れることができるのは語学の素養もあり、外国文化に触れたこともある東漢人(やまとのあやひと)や今来漢人(いまきのあやひと)などの渡来人です。

この人たちを掌握していたのは一体誰か?蘇我氏です。従って、蘇我氏の中にもまた語学の素養があり、外国文化に明るい人たちがたくさん居ないと、彼らを掌握し切れません。このことからも、蘇我氏が渡来系の氏族であったということがよく分かります。

上に述べたような理由で蘇我氏のもとには渡来人がたくさん集まってきます。渡来人の中には、もちろんペルシャ人も居ました。当然のことながら、蘇我氏を頼って行ったでしょう。

ここで、前のページからの本題に入ります。聖徳太子の母親はペルシャ人だったのか?


(pergal.jpg)

当時ペルシャ人をハシ人と呼び、波斯人と書きました。太子の個人教授の一人である覚袈(かくか)がペルシャ系の人ではないかという推測は、太子の母が穴穂部間人(あなほべのはしひと)と書かれている事と、大いに関係があります。間人(はしひと)とは波斯人(はしひと)でペルシャ人のことではないか!と、言うわけです。太子が赤い髪の毛をしていたと言う伝承があります。この伝承に真実が隠されているのではないか?もしそうだとするなら、太子の母親がペルシャ人であると言う事も決して荒唐無稽な事ではありません。


(shotoku03.gif)

聖徳太子の父は用明天皇、母は蘇我稲目の孫娘です。この稲目の父は高麗(こま)で、高句麗からやってきたのですが、実はこの人がペルシャのサカ族の出身だと言う研究家も居ます。しかし、そんな遠いところにペルシャ人を持ってゆかなくてもよいのです。私はその説よりも、むしろ穴穂部間人の母親、つまり小姉君(おあねぎみ)がペルシャ人の血を受け継いでいるのではないか、とみています。

もし当時、ペルシャ人が日本へやってきて、どの一族を頼りにするかといえば、当然、飛ぶ鳥を落とす勢いの蘇我氏の元を訪れたことでしょう。その頃、渡来人を掌握していたのが蘇我氏だからです。ペルシャ人の中には、蘇我氏との絆を確固なものにするために、蘇我稲目に娘を側室として差し出す親も現れたでしょう。そのようにして穴穂部間人が生まれた、と考えるわけです。

小姉君の父はたしかに稲目なのですが、母親の出自について日本書紀は沈黙しています。なぜ沈黙する必要があるのか?その答えを出すには誰が日本書紀を書いたかが分かれば簡単です。天武天皇の息子の舎人親王が編集長だったと言うように書かれていますが、彼はむしろ発行人であり、実際に編集に当たっていたのは藤原不比等です。藤原氏は、元、中臣氏ということで、日本古来の氏族となっていますが、不比等のおじいさんの御食子(みけこ)は百済からやって来ました。従って、自分たちが「よそ者」であるということを書きたくなっかたように、穴穂部間人の出自についても沈黙していたのです。

では、なぜ、不比等は自分の名前を編集長として書紀に書かなかったのか?それには、これまた事情があります。そのことについてはこのページ (『壬申の乱』は天智帝暗殺で始まった) で説明しています。

しかし、この説を採ると、飛び越えねばならないハードルがあります。どういうことかというと、実は、小姉君の母親が物部氏出身と思える節があるのです。

というのは、当時の皇子・皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通でした。そして育った土地の名前をつける慣習がありました。飛鳥で育った大王の娘なら飛鳥皇女と呼ばれるわけです。すると穴穂部間人皇女の穴穂も地名に由来することになります。大和周辺に穴穂の地名は河内と奈良の石上にあります。皇女がどちらで育ったか分りませんが、どちらも物部氏の領地なのです。

つまり小姉君は蘇我稲目の娘であると同時に、物部氏の娘でもあったのです。しかも穴穂部間人皇女は物部の土地で成長しました。しかし、ご存知のように、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏は対立し、それまでの史上最大の戦闘を繰り広げました。したがって、このようなことがあり得るだろうかと、あなたは疑問に思うかもしれません。

ところが、それ以前、朝廷で権力を握っていた大伴氏を退けるため、蘇我氏と物部氏は手を握り合ったことがあります。どういうことかというと、小姉君は、蘇我氏と物部氏が宮中で勢力を伸ばす方策として、互いに婚姻関係を結んでいた当時の産物ということになります。「友情の証」として、蘇我稲目かあるいは彼の父親の高麗が自分の側室の中から美しいペルシャ人の娘を物部の氏の長者に与えたのでしょう。このようなことは、この当時よくあることでした。軽皇子(後の孝徳天皇)が小足姫(おたらしひめ)を中臣鎌足(藤原鎌足)に与えたのもこのような例です。このことについては、このページ (藤原鎌足と軽皇子) で述べています。

そのお返しに、今度は、物部氏がペルシャ人の女性から生まれた娘を蘇我稲目の側室として与えたわけです。その娘から生まれたのが小姉君だというわけです。したがって、小姉君の体内にはペルシャ人の血が4分の1流れていたわけです。彼女の娘が穴穂部間人皇女です。確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになります。太子が赤い髪の毛をしていたという伝承は、このことによって説明がつきます。

また、後に推古天皇を生む堅塩媛(きたしひめ)と小姉君の間の確執も、このことによっていっそう良く理解することができます。つまり、この腹違いの姉妹は共に欽明天皇の後宮に入ります。ところが、若くてきれいな小姉君へと天皇の愛は傾いてゆきます。それも分かるような気がします。エキゾチックなペルシャ人の血を引いている小姉君は、天皇の目には、さぞかし魅惑的に映ったことでしょう。

しかし、堅塩媛(きたしひめ)にしてみれば我慢のならないことです。このようなことを身近に見て来た娘の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)も、当然、この混血児の叔母のことを良く思うはずがありません。母親からずいぶんとグチをきかされたことでしょう。この豊御食炊屋姫が推古帝です。

推古天皇は、後年、この小姉君の血を引き継いでいる皇子(聖徳太子も含めて)が天皇になることを極力避けようとしています。推古帝の身になってみると、2重の意味でこのような皇子を排除したかったでしょう。先ず「よそ者」の血が流れているということ。しかも、この混血児の叔母のために、自分の母親がつらい目にあってきたということ。このように考えてゆくと、つまり小姉君にペルシャ人の血が流れているとすれば、このあたりの事情が非常にすっきりと説明できます。

しかし、これだけに止まりません。なぜ、聖徳太子は厩戸王子と呼ばれたのか?母親の穴穂部間人皇女が宮中を見回るうちに、馬屋の前で産気づき、そこで出産したからという逸話が日本書紀などに見られます。これはキリストの生誕を彷佛とさせます。しかし、納得ゆくような説明が見当たりません。

ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居たことを考えると、このことも、非常にうまく説明がつきます。では、次のページでもっと詳しくこのことを見て行こうと思います。


この記事は次のページをコピーして編集したものです。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/persia3.html


リンク元(referer)

Google.co.jp 聖徳太子 ペルシャ人
Google.co.jp えじ えそう
Google.co.jp 聖徳太子 ペルシャ
Google.co.jp 聖徳太子 ペルシャ人
Google.com 聖徳太子 物部 鎌足
Google.com 高句麗 聖徳太子
Google.com 聖徳太子 ペルシャ人
Google.co.jp 聖徳太子はペルシャ人か
Google.co.jp ペルシャ人
Google.co.jp 聖徳太子 ペルシャ人

(2008年7月13日現在)


『聖徳太子の個人教授にはペルシャ人がいた』より
 (2005年6月2日)

どうですか、卑弥子さん?。。。 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文学と源氏物語」を講義している卑弥子さんにとっても 面白いと思えるでしょう?

いつものようにデンマンさんの理屈に引き込まれそうでござ~♪~ますわ。

僕は理屈を捏(こ)ね回しているわけではないのですよう。

根拠に基づいているとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

もちろんですよう。 上の記事の中に貼ってあるすべてのリンクをたどって僕が書いた記事を読めば、納得できるように書いてあるのです。

デンマンさん。。。、あのですねぇ~。。。よほど暇がある人でない限り、デンマンさんが書いた記事をすべて読むなんて無理でござ~♪~ますわ。

でもねぇ、僕も驚いたのだけれど、上の中で引用されている記事は結構読まれているのですよう。

どうして分かるのですか?

アクセス解析で訪問者の数が分かるのですよう。 僕と同じように聖徳太子の時代に、壮大な歴史ロマンを感じている人が結構、たくさん居るのですよう。 上の記事を読むだけでも、国際的な広がりを感じませんか? 僕は源氏物語より面白いと思いますね。

デンマンさん!。。。あたくしは、これでも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している者でござ~♪~ますわ。

知ってますよう。

そのあたくしに向かって、“源氏物語よりも聖徳太子物語の方が面白い!”。。。デンマンさんは、そう宣(のたま)うのでござ~♪~ますか?

宣(のたま)うなんて、すごい事を言いますねぇ~ うへへへへ。。。

デンマンさん!。。。笑いで誤魔化さないでくださいな。 あたくしは真面目に腹を立てているのでござ~♪~ますわ。

分かりました。。。 僕は源氏物語がつまらない、と言っているのではないのですよう。。。 もちろん、源氏物語は世界的にも認められている素晴しい小説ですよう。。。 でもねぇ~、「聖徳太子物語」は、それ以上に歴史ロマンを感じさせる壮大な絵巻だと思っているのですよう。

でも、そう言う絵巻はござ~♪~ませんわ。

だから、僕がネットで立ち上げようかと。。。 『壮大なる歴史ロマン・聖徳太子物語』。。。 『レンゲ物語』と『小百合物語』に引き続いて、この歴史的大ロマンをスタートさせてみようかと。。。 うへへへへ。。。

デンマンさん。。。マジですか?

夕べ、そう言う夢を見たのですよう。

夢のお話でござ~♪~ますか?。。。 んで、上の“リンク元”と言うのは、どう言う事でござ~♪~ますか?

これは僕が書き加えたものではないのですよう。

誰が書き加えたのでござ~♪~ますか?

『宇宙の摂理ブログ』では、記事を読みにやって来た人のリンク元を上のように最新10個だけ記録するのです。つまり、10個の URL を自動的に書き込むようになっているのですよう。そういう機能が WABLOG のブログにはついているのです。 (デンマン注: WABLOG プロバイダーは 2010年以前に すでに店じまいしました!

「リンク元」に記録されている URL はデンマンさんの記事を読みにやって来る前に、ネットサーファーが居たページの URL でごさ~♪~ますか?

そうですよ。上の10人は、すべて検索エンジンで検索した結果の中に表れた僕の記事のタイトルをクリックして読みにやって来たのです。

それで、その人たちの IP アドレスまで分かるのでござ~♪~ますか?

もちろん、調べる気になれば分かりますが、そこまで記録するようにはなっていません。 だから、上の記録だけでは 読みにやって来た人の IP アドレスまでは分かりません。

。。。んで、多恵さんは卒業論文に聖徳太子を書くことに決めたのでござ~ますかァ?

そうです。。。 女性らしく、“聖徳太子の母親がペルシャ人だった可能性について”という題目で卒論を書こうと決めたのです。


(pergal.jpg)

マジで。。。?

僕はウソと卑弥子さんの尻はつかないことにしているのですよ。。。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。

最後のオチは、かなり下品なオシモのオチですわァ~。。。

なんだかオチの意味が解らないネット市民の皆様は、深く考えないようにしてくださいねぇ~。。。


(taishi01.gif)

多恵さんは卒業論文に“聖徳太子の母親がペルシャ人だった可能性について”という題目で書こうと決めたようでござ~ますけれど

あなたは、聖徳太子のママにペルシャ人の血が混ざっていたと考えられますか?


(persian02.gif)

マユツバものだと思うでしょう?

あたくしだってぇ、ちょっと信じられませんわよう。。。

むしろ、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が最近、男性の目の保養になっているという事実の方が信じられると思うのですわァ~。

あなたは信じられないかもしれませんけれど、

最近、“ヴィーナスのえくぼ フィーバー”が起こっているのですわよう。。。

ええっ。。。 マジで信じられないのですかァ~?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよ。


(buttdimp5.jpg)

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、古代にはあなたの知らない雄大な、あるいはミステリアスな面白いお話があるのですわよう。。。

あなたのために平安史、古代史の興味深い記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


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『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』

『おばさんパンツ@サンホセ』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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