Archive for the ‘日本人・日本文化・生活様式’ Category

舞踏会 明子

2017年2月13日

 

舞踏会 明子

 


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旧ソビエト連邦時代のグルジア出身の

アルメニア人音楽家アラム・ハチャトゥリアンの作曲した

仮面舞踏会はミハイル・レールモントフの戯曲

『仮面舞踏会』を題材にした音楽作品で、

当初は劇音楽として作曲されたが、

後に作者本人によって管弦楽のための

組曲に編成された。

この組曲の最初の“ワルツ”に合わせて

ヒロインのナターシャ・ロストワが

初めての舞踏会でアンドレイ・ボルコンスキー公爵と

踊るのだけれど、このシーンが

デンマンの心を最も捉(とら)えたのでした。


ケイトーは明子さんじゃなくて真由美ちゃんと舞踏会で踊ったのォ~?


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ん。。。? 僕が明子さんじゃなくて真由美ちゃんと舞踏会で踊ったのですかァ~。。。

私が質問しているのよ。。。 真由美ちゃんとケイトーが踊っている写真が上の中にあるじゃない!

あのねぇ~、それらしい写真がないと面白くないので、真由美ちゃんと僕の写真を貼り付けたのですよ。。。

じゃあ、明子さんというのは、いったい誰なのよゥ?

ちょっと次のリストを見て欲しいのです。。。


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『拡大する』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の1月22日の日本時間で午後2時9分から午後2時39分までの30分間の「生ログ」です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。。。

あらっ。。。 1月22日の午後2時31分に Yahoo!で画像検索して『美しい日本語』を読みにやって来たのねぇ~。。。

そういうことです。。。

“美しい日本語”と舞踏会が どのように関係しているのォ~?

あのねぇ~、「リファラ」のリンクをクリックすると次の検索結果が出てくるのですよ。。。


(yah70123c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「舞踏会 明子」と入れてYahoo!で画像検索したのねぇ~。。。

そうなのですよ。。。  78,500件ヒットするのだけれど、画像検索したネット市民は赤枠で囲んだ写真をクリックしたのです。。。 すると次のページが出てきます。


(yah70123d.png)


『拡大する』

『美しい日本語』

あらっ。。。 この写真の女性が“明子”さんなのォ~?

いや。。。 この女性は明治時代に実在した皇族の女性ですよ。。。 たまたま“舞踏会”という雰囲気にふさわしいと思って記事に載せたのだけれど、明子さんではありません。。。 検索したネット市民は、明らかに芥川龍之介が書いた「舞踏会」という作品に出てくる“明子”さんを探していたようです。。。

芥川龍之介 「舞踏会」


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(略) …が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭遇した。
と云うは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。
すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたような視線を明子へ投げた。

初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花—実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具えていたのであった。 (中略)


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二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬髯(ほおひげ)を蓄えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易(ルイ)15世式の装いを凝らした年上の伯爵夫人と一緒に、大様(おおよう)に客を迎えていた。
明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(ろうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかった。

人の好(い)い明子の父親は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。
彼女は羞恥と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。
が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


72-74ページ
『日本人が忘れてしまった美しい日本語』
著者: 佐藤 勝 
2002年8月19日 第1版発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社

「舞踏会」は大正9年1月に発表された芥川が書いた短編なのですよ。 鹿鳴館での舞踏会の一夜を描いた前半と、32年後の秋の日を描いた後半とから成り立っているのです。 前半は、明治19年11月3日、今で言えば天皇誕生日に、鹿鳴館での舞踏会にデビューした数え年17歳の明子が経験した忘れえぬ一夜の物語なのです。 上の部分は、その前半の一部です。 明子さんがマジで美しいので彼女を見た「主人公の伯爵」の「老獪らしい顔」にさえ「無邪気な驚嘆の色」が表れてしまうというのですよ。

。。。で、後半は?

後半では、上の場面から32年後の秋の日の事が書かれているのです。 つまり、大正7年の秋なのです。 汽車の中で青年小説家が明子さんと一緒になる。 その時、32年前の舞踏会の思い出を小説家に語るのです。

その思い出というのが上のエピソードの中の老獪(ろうかい)な顔をした伯爵のことですか?

違うのですよ。 実は、伯爵に出会った後で明子さんはフランス海軍将校と踊るのです。 そのフランス人が明子さんの美しさを「ワットオの画の中の御姫様のよう」だと言うのです。

ワットオというのはフランス人の画家なのォ~?

実は、ワットオという呼び方は大正時代の呼び方だったらしい。 ウィキペディアで調べたらアントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau: 1684年10月10日 – 1721年7月18日)のことですよ。 


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300年前に活躍していた画家です。 Watteau は次のような女性の絵を描いたのです。


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ケイトーも、こういうタイプの女性が美しいと思うの?

いや。。。 僕が思っている「美しい女性」のタイプとはかなり違いますよ。

ケイトーが想っている「美しい女性」のタイプってぇ、どういうタイプなのォ~?

例えば、イタリア映画 “I girasoli (Sunflower)” に出てきたロシア人 (Masha) を演じた Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性ですよ。


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I girasoli – TRAILER

Henry Mancini

Love theme from SUNFLOWER

Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性が「美しい女性」なのォ~? つまり、ケイトーは白人女性志向なのねぇ~?

違いますよ。 たまたま Watteau の描いた絵にフランス女性が出てきたから白人の女性を取り上げたまでですよ。

日本人だったら。。。?

そうですねぇ~。。。 日本人だったら次のような可愛らしい舞妓さんですよ。

あらっ。。。 ケイトーってぇ、どちらかと言えば幼い感じの女性が好みなのねぇ~。。。? もしかしてロリコンじゃないのォ~?

やだなあああァ~。。。 ロリコンじゃありませんよう! シルヴィーはダイアンも幼い感じを与える女性だと思うわけぇ~?


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どちらかと言えばダイアンも熟女と言うよりは幼い感じを与える女性だと思うわ。

でも、いくらなんでもオッパイの感じといい、ヒップのムキムキした感じといい。。。 ロリコンとは違うでしょう!?

とにかく、ケイトーの美人観はフランス人将校とはだいぶ違ってるわよねぇ~。。。

その通りですよ。 僕もかなり違っていると意識しましたよ。

それで、明子さんはその将校と忘れられない思い出があるのォ~?

いや。。。 その夜、鹿鳴館で会っただけですよ。 ただ、二人でバルコニーに出て「ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美し」い花火を見ながら言葉を交わすのです。

どのような。。。?

「私は花火のことを考えていたのです。 我々の生(ヴィ)のような花火の事を」とフランス人の将校は言うのです。 花火は一瞬美しく輝いて永遠に真暗な闇の中に沈んでゆくので、そこにフランス人将校は「我々の生(ヴィ)」の象徴を見ていたと言いたかったのですよ。 つまり、人形のように美しい明子も、一瞬輝いて闇に消えてゆく。。。 美しさとはそのようなものと芥川は捉(とら)えていたのですよ、多分。。。 おそらく芥川がフランス人の口を借りて、そのように言わせたのですよ。

ただ、それだけのことですか?

そうです。 フランス人将校と明子さんとの間にそれ以上の発展はない。 ただ、物語を読んでゆくと僕はハッとしてある驚きを感じたのですよ。

どのような。。。?

明子さんの話を聞きながら、小説家は話の中の海軍将校がピーエル・ロティである事を知るのです。

あの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書いた作家ですか?

そうです。 芥川は短編の中で49歳の明子さんに次のように言わせているのですよ。


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存じて居りますとも。 Julien Viaud (ジュリアン・ヴィオ)と仰有る方でございました。


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あなたも御承知でいらっしゃいましょう。 これはあの『お菊夫人』を御書きになった、ピエール・ロティと仰有る方の御本名でございますから。。。


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「お菊」さんのモデルになった「オカネ」さん


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ケイトーにとってぇ、明子さんが鹿鳴館でピエール・ロティに出会ったということがそれほどの驚きなのォ~?

あのねぇ~、ピエール・ロティは1885年と1900~1901年の二度、日本へやって来ているのですよ。 鹿鳴館のパーティに出たのは1885年に日本へやって来た時なのです。 でもねぇ~、『お菊夫人』の中では芥川が『舞踏会』で書いているようなことは言ってないのですよ。

どのよなことを言ってるのですか?

鹿鳴館でダンスを踊る日本人を「しとやかに伏せた睫毛の下で左右に動かしている、巴旦杏(アーモンド)のようにつり上がった眼をした、大そうまるくて平べったい、小っぽけな顔」「個性的な独創がなく、ただ自動人形のように踊るだけ」「何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いている。

あらっ。。。 ピエール・ロティは日本人に対して蔑視に近い念を抱いていたということじゃない!?

だから、そのように言う評論家も多いのですよ。 でもねぇ、もしピエール・ロティが『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書かなかったら、ヨーロッパやアメリカでの日本女性の人気はなかったのですよ。

でも、「(鹿鳴館でダンスを踊る日本人は)何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いているのでしょう?

でもねぇ~、そういう悪い事ばかりを書いているわけじゃない。 ヨーロッパ人やアメリカ人が読んだら、「日本へ行って、ぜひとも日本のきれいな女性とロマンスを味わいたい」というような夢を膨らませるようなことも書いている。

マジで。。。?

もちろんですよ。 あの有名なプッチーニのオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』も。。。、また最近では、1989年9月20日にロンドンのウエストエンドで初演されたミュージカル『ミス・サイゴン (Miss Saigon)』も、ピエール・ロティの『お菊夫人(Madame Chrysanthème)』をストーリーのベースにしているのですよ。

Madame Butterfly

Miss Saigon

でも、ピエール・ロティがそれほどの影響をマジで与えたのかしら?

じゃあねぇ~、駄目押しのエピソードをシルヴィーのために、ここに載せますよ。 読んでみてください。


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チェーホフは2月に日露戦争がはじまったあとの明治37(1904)年7月15日(グレゴリ暦)に亡くなった。
その3日前の友人あての手紙で、日本が戦争に敗北するのを予想して、「悲しい思いにかられている」と記した。
そして死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたという。
夫人のクニッペルがちょっとシャンパンを口に含ませた。
するとチェーホフはドイツ語ではっきりと医師に「Ich sterbe」(死にます)といい、それから夫人の顔を見て微笑んで「長いことシャンパンを飲んでいなかったね」と語りかけ、静かに横になり、眼をつむり、そのまま永遠の眠りについた。
午前3時であった。

まるで一場の芝居をみるようであるが、日本に来たこともないチェーホフが、死の床で日本と日本人にたいして何やらの想いを吐露しているようで、すこぶる不思議ではないか。

ところが、そのナゾが中本信幸氏の『チェーホフのなかの日本』(大和書房)を読むことでスパッと解けた(ような気がする)。

明治23(1890)年の春、彼はサハリン(樺太)への長途の旅にでた、その帰り道の途中のこと。
ときは6月26日、ところは中国と国境が接しているアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクである。
ここで何事かが起こった。

翌27日、チェーホフは友人の作家スヴォーリンに手紙を書いているそうな。
「……羞恥心を、日本女は独特に理解しているようなのです。
彼女はあのとき明かりを消さないし、あれやこれやを日本語でどういうのかという問いに、彼女は率直に答え……ロシア女のようにもったいぶらないし、気どらない。
たえず笑みを浮かべ、言葉少なだ。
だが、あの事にかけては絶妙な手並みを見せ、そのため女を買っているのではなくて、最高に調教された馬に乗っているような気になるのです。
事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれます。
紙が腹にこそばゆく当たるのです。
そして、こうしたことすべてをコケティッシュに、笑いながら……」
と書き綴ってきて、最後に記すのである。

「ぼくはアムールに惚れこんでいます。
2年ほどここで暮らせたらもっけの幸いと思うのです。
美しく、広々として、自由で、暖かい。
スイスやフランスでも、このような自由を1回も味わったことはありません」
アムール河畔でのたった一夜の契り。
だが「ぼくはアムールに惚れこんでいる」とまでいう。

当時、シベリア沿海州には、日本人の“からゆきさん”が多くいたことは記録にも見えている。
その中の一人が、チェーホフに優しさと暖かさというイメージ(夢)を抱かせ、その想いがふくらみ、ついに名作『桜の園』を生ましめた。
「庭は一面真っ白だ。 …… 月光に白く光るんだ」(ガーエフ)、
「すばらしいお庭、白い花が沢山」(ラネーフスカヤ)、
こうした日本の桜の純白の美しさを教えたのは、実に、その言葉少なな日本女であった。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


237-239ページ
『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

つまり、チェーホフがアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクで日本人の「からゆきさん」に会ったのはピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』の影響だと言いたいのォ~?

その通りですよ。 チェーホフは1890年の4月から12月にかけて当時流刑地として使用されていたサハリン島へ「突然」でかけたのですよ。

どうして。。。?

あのねぇ~、ピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が出版されたのは1887年なのですよ。

つまり、チェーホフは『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を読んで、それでサハリン(樺太)への長途の旅の帰り道にアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクに立ち寄り日本人の「からゆきさん」に会ったと。。。?

その通りですよ。 『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』には、それほどの影響力があったということです。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたはオペラ『蝶々夫人』を観たことがありますか?

もし、興味があったらここに2時間のオペラを貼り出しますので、

時間があったら観てください。。。


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ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』

『アダムとイブは何を食べたの』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事


平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
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『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

■ “JAGEL – Soft Japanese Bagel”


(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


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布袋さんに惹かれて

2017年1月30日

 

布袋さんに惹かれて

 


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デンマンさんは布袋さんに惹かれているのでござ~♪~ますか?


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。。。ん? 僕が布袋さんに惹かれていると卑弥子さんは思うのですか?

だってぇ~、タイトルに そう書いてあるではござ~ませんかァ!

確かに、タイトルには そう書いてあります。。。 でもねぇ~、僕が特に布袋さんに惹かれたわけではないのですよ。。。

じゃあ、どなたが布袋さんに惹かれたのでござ~ますかァ~?

山形市にお住まいの保定たい子さんが布袋さんに惹かれているのですよ。。。

マジで。。。?

僕が嘘をついていると卑弥子さんは思っているのですか?

だってぇ~、急に山形市にお住まいの保定たい子さんを持ち出してこられても、すぐには信じられませんわァ~。。。

分かりましたァ。。。 だったら、まず次のリストを見てください。


(liv70128a3.png)

『拡大する』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の1月27日の日本時間で午後7時22分から午後8時6分までの「生ログ」ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。

あらっ。。。 1月27日の午後7時22分にGOOGLEで検索して『布袋さんの魅力』を読んだのですわねぇ~。。。

そうです。。。 次の記事を読んだのですよ。。。


(hotei02.jpg)

『布袋さんの魅力』

ちなみに「布袋さんの魅力」と入れてGOOGLEで検索すると次のような結果になるのですよ。。。


(gog70128a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 393,000件もヒットするのでござ~ますわねぇ~。。。

トップから5番目に「徒然ブログ」に掲載した『布袋さんの魅力』が出てきます。

でも、どういうわけで山形市にお住まいの保定たい子さんが上の記事を読んだと判るのでござ~ますか?

簡単なことですよ。。。 IPアドレスを調べたのです。。。


(ip18747b.png)

『拡大する』

でも、個人情報を保護するために アクセス者の名前までは調べられないのですわァ~。。。

だけど、僕には判るのですよ。。。

それは、どういうわけで。。。?

僕の第6感です。。。

信じられませんわ。。。

とにかく、保定たい子さんは次の小文を読んだのですよ。。。

布袋(ほてい)


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布袋は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧。
水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。
日本では七福神の一柱として信仰されている。

本来の名は釈契此(しゃくかいし)であるが、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられた。
四明県の出身という説もあるが、出身地も俗姓も不明である。
図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。
また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという。
なお、布袋が背負っているこの袋は堪忍袋ともいわれる。

雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかった、あるいは人の吉凶を言い当てたなどという類の逸話が伝えられる。
彼が残した偈文に「弥勒真弥勒、世人は皆な識らず、云々」という句があったことから、実は布袋は弥勒の垂迹、つまり化身なのだという伝聞が広まったという。

その最期についても不思議な逸話が伝えられており、仙人の尸解に類している。
天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたというのである。
その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある。

なお、布袋を禅僧と見る向きもあるが、これは後世の付会である。
10世紀後半に記された『宋高僧伝』巻21「感通篇」に立てられた「唐明州奉化県釈契此」(布袋)の伝には、彼と禅との関係について一切触れていない。
布袋と禅宗の関係が見られるのは、時代が下がって11世紀初頭、『景徳傳燈録』巻27に「禅門達者雖不出世有名於時者」として、梁の宝誌や、天台智顗、寒山拾得らの異僧・高僧たちと共に、「明州布袋和尚」として立伝される頃からのことである。


出典: 「布袋」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そもそもデンマンさんは布袋さんの生き方に共感しているのでござ~ますか?

そうです。。。 布袋さんのように生きられたらすばらしいと思っています。

だったら、デンマンさんがいいなと思う布袋さんの生き方は、“インテリ乞食”の辞世の歌に込められた生き方に近いのではござ~ませんか?

。。。ん? “インテリ乞食”の辞世の歌?

次のエピソードの乞食が残した歌ですわよう。
     

嘉永五(1852)年の世相トピックス

 

インテリ乞食の最後

 

江戸の山下御門外をかせぎ場にしていた乞食の六助が死んだ。

朋輩の易者が悔みにたずねたところ、六助が使っていた茶碗の底に、辞世の歌が書いてあるのを発見した。

さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判になった。


(rokusuke.png)

赤字はデンマンが強調。)


772 ページ 『読める年表・日本史』
2012年7月21日 改訂11版第1刷発行
発行所: 株式会社 自由国民社

デンマンさんも忘れてはいないでしょう?

忘れかけていました。。。 でも、思い出しましたよ。。。 確か、3年ほど前に投稿した『遊女と三つ子』という記事の中に出てくるのですよ。。。

あたくしは上の辞世の句を次のように解釈したのですわ。

一鉢千家飯 孤身幾度秋 

不空遂不色 無楽又無憂

冬暖草園裡 夏涼橋下流

若人間此六 明月水中浮



(himiko22.gif)

おもらい用のドンブリに千軒の家からご飯をもらって 一人で食べた食欲の秋が何度もありましたわ。

ドンブリが空になるまで思う存分いただきました。 色気のことなど、ちっとも考えてみませんでしたわ。

楽しければよいのです。 憂いなんて要りません。

冬は暖かい草の上に寝て、夏は橋の下で涼みます。

人間は若い内が花ですよ。

だから、明日はウキウキしながら水の中に飛び込んで、楽しく浮いて泳ごうと思いますわ。


『遊女と三つ子』より
(2013年9月5日)

あたくしは、このように現代語に訳したのでござ~ますわ。

うん、うん、うん。。。 はっきりと覚えてますよ。

だったら、布袋さんの生き方は、あたくしが解釈したような生き方に近いのではござ~ませんか?

もちろん、卑弥子さんのように解釈することもできると思いますよ。 いかにも卑弥子さんらしい人生観に基づいて現代語に訳しています。 でもねぇ~、“現代語訳”と言うよりも“現代誤訳”になっていると思うのですよ。

あらっ。。。 どこか間違っているのでしょうか?

京都の女子大学で腐女子の皆さんに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授に向かって失礼かとは思うけれど、上の現代語訳は卑弥子さんの人生観に基づいての個人的な解釈で、上のように解釈すると、さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判にならないと思うのですよ。

そうかしら。。。? どこがいけないのかしら。。。?

あのねぇ~。。。 解釈全体が、楽観的、享楽的すぎるのですよ。 これでは乞食の六助さんがルンルン気分で死んだことになって、どう考えてもさだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判にならないです。

そうかしら。。。?

僕は思うのだけれど、この漢詩には“布袋さんの心”が読まれていると思うのですよ。

“布袋さんの心”でござ~ますか? 

そうです。 さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判になったということは、六助さんは乞食でありながらも中国の歴史や中国文学にも詳しかった。 そういう古典の素養を基にして上の辞世の漢詩を詠んだということだと思うのですよ。

あたくしのように解釈してはいけませんか?

いや。。。 卑弥子さんのように解釈してもいいですよ。 でもねぇ~、京都の女子大学で腐女子の皆さんに教える時には、卑弥子さんの極めて個人的な解釈では駄目だと思うのですよ。

じゃあ、デンマンさんはどのように現在語訳したのでござ~ますか?

次のように訳してみました。

布袋さんのように施しを受けがら孤独の生活を何十年と続けてきた。

施しが無ければ食わずに居ることもある。

特に楽しみと言うほどのことも無い代わりに、これと言って憂いも無い。

冬は暖かい干し草の上にでも寝て、夏は橋の下の流れで涼む。

そのような生活のどこがいいのか?ともし、誰かがこの六助に問うならば、きれいなお月さんが池に映って浮かんでいるような気持ちで生きているだけです、と答えようか。。。?


(moon77.jpg)


『遊女と三つ子』より
(2013年9月5日)

あたくしの現代語訳とそれほど変わらないと思うのですけれど。。。

うん、うん、うん。。。 確かに、大きな違いがあるわけじゃないかもしれません。 結局、見解の相違でしょうね。 僕にとって、卑弥子さんの解釈は、極めて楽観的、享楽的すぎると思う。 布袋さんは卑弥子さんほどルンルン気分ではいなかったと思うのですよ。 でもねぇ~、卑弥子さんの解釈が間違っているとは言いませんよ。

でも、駄目だと言ったじゃござ~ませんか!

それは僕の言いすぎでした。 卑弥子さんのような解釈の生き方もありだと思います。 自由主義・民主主義の世の中ですからね。。。 この記事を読んでいる人の考え方にも いろいろあると思うのですよ。

つまり、布袋さんの魅力は一つとは限らない。。。 人によってそれぞれ見解の相違がある。。。 デンマンさんはそのように言うためにこの記事を書き始めたのでござ~ますか?

いや。。。 実は、布袋さんを描いた狩野洞白愛信に興味を持ったのですよ。


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この布袋さんの絵が実にいい。。。 僕は惚れ惚れとして眺めながら、一体いつ頃の人なのだろうか? そう思いながら、この画家に興味を持ったというわけです。 それに、僕にとって“狩野洞白愛信”とは初めて耳にする名前だったのですよ。 だから、僕は初め“どうはくあいしん”と読んだ。 本当はどのように読むのだろうか? それで、ネットで調べてみたら、“とうはくちかのぶ”と読んでいるページに出会った。


(gog30910.gif)


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こうして検索結果を見ると日本よりも中国やイギリスの方で有名なようですよ。

そうですわね。 確かに、1ページ目には中国語と大英博物館のページが出てきますわね。

日本語の“読み”が出てくるのは2ページ目です。 赤枠で囲んだページです。

それで、そのまま“とうはくちかのぶ”という読み仮名を書き入れたのでござ~ますか?

その通りです。 ところが、僕は『狩野派決定版』という本で、この「狩野洞白愛信」という人物を調べてみたのですよ。


(kano001.jpg)

残念ながら、この人の描いた絵は一枚も紹介されてない。 でも、巻末に「狩野派系図」があった。 その中に「狩野洞白愛信」(1772-1821)の名前があったのですよ。 しかし、『ウィキペディア』には「狩野洞白愛信」も、「狩野愛信」も、「狩野洞白」という項目もない。 かろうじて「狩野洞白」を入れて検索すると次のような項目が引っかかった。


(wik30910.gif)

山本昇雲(1870-1965)も河鍋暁斎(1831-1889)も画家で、二人とも狩野洞白の弟子となっている。

でも、弟子にしては時代が違いすぎるではありませんか!

そうなのですよ。 「狩野洞白愛信」(1772-1821)はとっくの昔に死んでいるのです。 それで、「狩野派系図」をよく見たら、「狩野洞白」というのは二人居るのですよ。 狩野洞白愛信(1772-1821)の弟子が 狩野洞益春信(1772-1821)で、その弟子が 狩野洞白陳信(?-1851)。 洞白陳信(とうはくちんしん)の弟子が狩野洞春陽信(とうしゅんようしん)と河鍋暁斎(かわなべきょうさい)と書いてある。 系図には山本昇雲(しょううん)の名は出てない。

。。。で、系図によると「洞白愛信」は何と読むのでござ~ますか?

“とうはくなかのぶ”と書いてありました。

あらっ。。。 “愛”が“ちか”なのか? それとも“なか”なのか? どちらが正しいのでしょうか?

本人に聞いてみるしかないでしょうね。 でも、1821年に亡くなっていますからね。 訊くことはできないですよ。

。。。で 「南原宏治」は画家ではないのでござ~ますか?

南原宏治(1927-2001)は俳優ですよ。 苦(にが)みばしった いい役者でしたよ。 1971年公開の『闇の中の魑魅魍魎(ちみもうりょう)』という映画で狩野洞白を演じているのです。


(kano005.jpg)

『闇の中の魑魅魍魎』 (切腹シーン)

幕末の土佐を舞台に、異色絵師・金蔵の生き様を描いた映画で、出てくるのは狩野洞白愛信じゃなくて、1851年に亡くなった狩野洞白陳信の方なのですよ。

要するに「狩野洞白愛信」は、あまり有名ではないのですわね。

そうらしい。。。 でもねぇ~、布袋さんの絵を見たとき、僕は素晴らしい画家だと思いましたよ。 僕が気に入った一枚です。

。。。んで、山形市にお住まいの保定たい子さんは、どうなりました?

どうなりましたってぇ、今でも山形市に住んでいますよ。。。

そういうことじゃなく、どういうわけで保定たい子さんが『布袋さんの魅力』を読んだと判ったのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、保定たい子さんが次のようなコメントを書いてくれたのですよ。。。

 

 

布袋さんの絵を見ると 大きな袋を背負い

たいてい幸せそうな丸顔が笑っていて、

しかも栄養満点というか

大きな太鼓腹を突き出して

世の中には苦労などないという表情を

浮かべています。

 
  
それで、いつも不思議に思うのですけれど、

布袋さんはどこで生まれて育ったのだろうか?

あのような幸福な人相は

どのようにしてうまれるのだろうか?

そう思いながらネットで検索していたら、

このページにたどり着きました。

 
  
出身地も俗姓も不明なのですね。

常に袋を背負っていたことから

布袋という俗称がついたのだそうですが、

たぶん袋には“幸せの味の素”が

たくさん入っているのでしょう!?

興味深い絵に誘われて

最後まで読んでしまいました。

ありがとうございました。

 

Posted by 保定 たい子

at 2017年01月28日 10:12


『布袋さんの魅力』のコメント欄より
(2013年09月10日)

(ran103b.png)

あらっ。。。保定たい子さんは、おきれいな方なのですわねぇ~。。。 でも、どこかで見かけたような気がいたしますわァ~。。。

それは卑弥子さんの気のせいですよ。。。

そうかしら。。。?

とにかく、確かな証拠を見て卑弥子さんも満足したでしょう!? だから、卑弥子さんも布袋さんのようにニコニコしてルンルン気分で暮らしてくださいねぇ~。。。


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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。

あたくしも布袋さんのように いつも笑顔で楽しく暮らしたいと思うのでござ~ますわァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。


(genjiero4.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。

つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。

“寅さん”のような人でもいいですわ。

旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。

あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。


(tora019.jpg)

ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいね。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



(hama10.jpg)

『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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伎楽は呉から

2017年1月26日

 

伎楽は呉から…?

 


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(himiko90.gif)

 


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デンマンさん。。。どうして急に伎楽を取り上げるのでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

あのねぇ~、伎楽にハマッているネット市民が居るのですよ。。。

どこに。。。?

ちょっと次のリストを見てください。。。


(liv70124a.png)


『拡大する』

『伎楽は呉の音楽?』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の 1月24日の日本時間で午前1時14分から午前3時8分までの「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。

あらっ。。。 1月24日の真夜中。。。 午前1時31分から35分にかけてGOOGLEで検索して 3度もデンマンさんが投稿した『伎楽は呉の音楽?』を開いたのでござ~ますわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 新宿に住んでいる喜楽 美弥子さんは伎楽にハマッているのです。。。

新宿に住んでいる喜楽 美弥子さんがアクセスしたと、どうして判るのですか?

IPアドレスを調べたのですよ。。。


(ip25046b.png)

『拡大する』

でも。。。、でも。。。、アクセスした人の名前までは判らないはずですわ。。。

卑弥子さんの言うこはもっともです。。。 でもねぇ~、僕には判るのです。。。

だから、どのようにしてアクセス者の名前をゲットしたのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、伎楽に興味を持つ人の間には、不思議な以心伝心が働くのですよ。。。

以心伝心で喜楽 美弥子さんのお名前をゲットしたのでござ~ますか?

卑弥子さんは僕の言うことが信じられないのですかァ~?

要するに、テレパシーだと言うのでござ~ますわねぇ~。。。

そうです。。。 いけませんかァ~?

そのような子供騙しなことを あたくしが信じるとでも思っているのですかァ~?

分かりました。。。 卑弥子さんは僕の言うことを信じないようだから、この際 卑弥子さんが納得のゆくように説明します。

余計な事は言わなくても結構ですから、なるべく手短にお話しくださいませぇ。。。

あのねぇ~、喜楽 美弥子さんは まず次の小文を読んだのです。。。

獅子の芸能


(lion88.jpg)

 

日本で獅子が最初に登場するのは、「伎楽」という芸能のなかである。(注2)
飛鳥時代(612年)に百済の味摩之(みまし)という人が伝えたとされ、一時はさかんにおこなわれたが、鎌倉時代にはすたれてしまった仮面劇である。

(注2) 呉の国のものなので「呉楽(くれがく)」ともいう。
古代には寺院芸能として栄えた。
大宝令には雅楽寮に専門家がいた記録があり、天平勝宝4(752)年の東大寺大仏開眼会では60名で伎楽を演じている。


103、106ページ 『おもしろ日本音楽』
著者: 釣谷真弓
2005年4月30日初版発行
発行所: 株式会社東京堂出版

この部分を読んで、美弥子さんは「伎楽」を飛鳥時代(612年)に百済の味摩之(みまし)という人が伝えた、ということを知ったのですよ。。。

。。。で、美弥子さんは大学で「伎楽」を勉強しているのですか?

いや。。。 今、大学で勉強しようかどうか考えているのだと思います。。。 とにかく、僕は伎楽はペルシャの流れを汲む音楽だと思っていたのですよ。

どうして、ペルシャの影響を受けているのでござ~ますかァ~?

なぜならば、以前、卑弥子さんが僕を次のように紹介してくれたのですよ。。。 覚えているでしょう?

ペルシャ人が飛鳥にやってきた


(himiko11.jpg)

 


卑弥子でーす。こんにちは。

今回は「卑弥呼」にあやかって

巫女さんの格好で出てまいりましたわ。

似合っているでござ~♪~ましょうか?

うふふふふ。。。

どうして巫女さんになって出てきたのかって。。。?

あたくしの背景になっている

神社のことをちょっとお話しようと思ったからです。

あたくしの両側にあるもの、これ何だかお分かりでしょうか?

そうです。「狛犬(こまいぬ)」だとか

「唐獅子(からじし)」だとか言われていますね。

日本の狛犬のルーツは平安時代、

天皇、皇后の御帖台の前に置かれた

獅子、狛犬ではないかと言われています。

獅子は口を開いていて、たてがみは巻き毛です。

狛犬は口を閉じていて、たてがみは直毛で角があります。

それが神社などの社殿の中や縁に厄除けとして

木製の獅子、狛犬が置かれるようになりました。

社殿中や縁から参道に出されて置かれるようになるのは

1600年代からと言われています。

このときに石造りになったようです。

この神社のように参道をはさんで対になって

配置されているものが多いのですが、

地域、時代によってその姿や形には、

かなりの変化があります。

でも、この「狛犬(こまいぬ)」と「唐獅子(からじし)」、

一体どこから来たのでしょう?

では、デンマンさんにバトンタッチいたします。


(foolw.gif)

うしししし。。。
こんにちは。デンマンです。
そう言う訳で今日は「狛犬(こまいぬ)」と「唐獅子(からじし)」のルーツをたどってゆきたいと思います。

狛犬(こまいぬ)と唐獅子(からじし)は

ペルシャからやって来た


(winglass.gif)

実はカットグラスが飛鳥時代に日本に伝えられています。
長い時間をかけて、シルクロードを伝わって日本にたどり着いたのですよ。
この事については次のページで詳しく説明していますので興味のある人はクリックして読んでみてくださいね。

『飛鳥とシルクロード』

ペルシャから伝わったのは、何もカットグラスだけではありません。
実は狛犬(こまいぬ)と唐獅子(からじし)もペルシャから伝わったようです。
もちろん、これもシルクロードを西から東へと伝わってきたのです。


(silkrd5.jpg)

ペルシャから日本へ伝わるまでに、どのような変化を見せたのか、
次に示す写真で見てください。


(lion02b.jpg)

ペルセポリスの獅子

Lion stone carving at Persepolis

これがペルセポリスの宮殿に飾られていた獅子です。
獅子と言うよりもライオンですよね。
写実的です。
幼稚園児に見せてもライオンを見たことがあるならば、ライオンと答えるでしょう。

このペルセポリスと言う都市は、古代ペルシャの首都です。


(persepo2.jpg)

ペルセポリス遺跡

Persepolis Ruins

紀元前3000年頃よりイランの地にはエラム人が文明を築いていました。
2000年紀に入るとロシア南部で遊牧生活を送っていたアーリア人が南下を開始します。
彼らはエラム人を追放し、さらにはメソポタミアを統治支配していた最強のアッシリアを滅亡させて、メディア王国を築きます。
狭義のペルシア人たちは、そのメディア王国に従属しながらザグロス山脈の南にあるパールサの地に住んでいました。

紀元前550年ごろ、メディア王の臣下でペルシアを統治していたキュロス2世はメディア王家の内紛に乗じてこれに叛旗をひるがえします。
その結果、メディアとペルシアを併合してアケメネス朝ペルシアを建国しました。

キュロス2世(在位BC559~530)はパサルガダエを首都にしました。
しかし、第3代のダレイオス一世が紀元前522年ごろ即位すると、
パサルガダエから西南四十キロの荒涼とした丘陵地に新都建設を命じました。
建設事業はクセルクセス一世(在位BC486~465)、アルタクセルクセス二世(在位BC465~424)へと引き継がれ、完成までに結局60年かかったのです。
これがペルセポリスです。
このペルセポリスの宮殿に飾られていたのが上のライオン像でした。


(lion05.jpg)

トルファン(吐魯蕃)の獅子

これは清朝時代に作られたといわれています。
清の時代ですからだいぶ時代が下ります。
しかもトルファンで作られています。

上の地図で見て分かるとおり、
トルファンはペルシャと日本のちょうど中間地点に位置しています。
ライオンを見たことのある幼稚園児でも、これをすぐ見てライオンだと答える子は10人に3人ぐらいでしょうか?
多分、犬と答えるでしょうね。
怖い顔をした犬のように見えませんか?
明らかに作者はライオンを見たことが無いですよね。


(lion06.jpg)

北京・紫禁城の獅子

これはライオンと言うよりも“獅子”ですよね。
つまり、様式化されて現実のライオンではなくなってしまっています。
完全に中国様式に基づいて作成された“獅子”になっています。


(lion07.jpg)

慶州(キョンジュ)掛陵(クエヌン)の狛犬

掛陵は8世紀末の元聖王の御陵で、
新羅統一時代の陵墓制度が、
完備した時代の代表的な陵とされています。

中国の獅子を真似て作られているのが良く分かります。
しかも、ライオンよりも犬のようになっています。
名前も“狛犬(こまいぬ)”です。
作者はライオンを彫っているとは思っていなかったでしょう。


(lion08.jpg)

八坂神社の獅子

これが日本で製作された獅子です。
上の写真を見てすぐ分かることは、ペルセポリスのライオンがもっとも写実的で、製作者は明らかに、本物のライオンを見たことがあるということが分かります。
しかし、トルファンも含めて、それよりも以東のライオンは、全く想像上の生き物としか思われません。
作者は、明らかに、本物のライオンを見たことがないのです。

獅子が古代韓国に伝わる頃には、獅子は獰猛(どうもう)な犬というイメージで受け入れられたようです。
おそらく、ペルシャ人がライオンをまだ一度も見たことのない中国人や韓国人に説明する時、獰猛な犬のようだ、と言ったのでしょう。
それが日本へ伝わると狛犬(こまいぬ)、つまり「高麗(こま)犬」になったのです。
高麗とは日本書紀では高句麗のことです。

半島では663年に百済が滅び、668年に高句麗が滅んで新羅が朝鮮半島を統一します。
その新羅も918年に滅んで、高麗(こうらい)に取って代わられます。
この王朝が1392年まで続きます。

高麗の武将である李成桂が王位を譲り受けた形で、翌年に新しい王朝を立てます。
これが李氏朝鮮です。
1896年に大韓帝国になり、1910年、日本に併合され、1945年に独立します。

日本人の間では、ライオンは「唐獅子」と共に「狛犬」という言葉になって、語り継がれたわけです。
ペルシャから飛鳥へやって来た石工が獅子像をたくさん作ったはずです。
しかし、写実的なライオン像は日本人の目には、むしろ想像上の生き物に見えたことでしょう。
時代が下るに従って、写実的なライオン像よりも「伝統的な」唐獅子や狛犬の方が主流になってゆき、それが、現在私たちが目にする唐獅子や狛犬となって残っています。

写実的なライオン像は、人気がなくて、作り変えられたか、壊されたのでしょう。
亀石のように大きなものを作っていれば、壊されずに残っていたでしょうが、残念ながら巨大なものは作らなかったようです。

ペルシャの石工がやって来た

証拠でもあるの?

蘇我氏が飛鳥寺を建立するために、百済から招いた寺工、鑪盤(ろばん)博士、瓦博士、画工らはペルシア系の人々であったと言われています。
また、仏師の司馬達等(しばのたつと)親子はペルシャ人であったらしいのです。 
ちなみに、司馬達等は鞍作止利(くらつくりのとり)のおじいさんです。


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天平八年(736年)、遣唐使に従ってきた李密翳(りみつえい)もペルシャ人でした。
天平勝宝六年(754年)、鑑真和上に随行して来日した安如宝もペルシア人であったと伝えられています。
このように古代日本には、ペルシア人は案外多く来訪して、その文化を伝えていたようです。

「日本書紀」には、トカラ人饗応の記述がみられます。
トカラについては、ペルシア、またタイ、ビルマ、メコン川流域など、いろいろな説があります。
まだ定説というものがありません。

斉明紀六年七月条に「覩貨羅人乾豆波斯達阿(とくわらのひとげんづはしだちあ)」とあって、「乾豆波斯達阿」という名前らしい表記があります。
「日本古典文学大系本」の頭注にしたがうと、固有名詞かどうかは疑問として、乾豆は賢豆などと同じくインド、波斯はペルシャをさし、達阿はインドの人名の語尾らしいとあります。
この表記からおおよそ推定するならば、日本よりはるか西方の南アジアの一地域かと思われます。
しかし、断定できる資料がありません。

もっともオーソドックスな解釈では西域の吐火羅(とから 覩貨邏)、つまり中央アジアのトハラ(現在のブハラ、Bukhara)であるとされています。


(worldmp3.gif)

トハラ族(Tokhara、覩貨邏)は、古代中央アジアの遊牧民で「トカラ」族とも言われます。 
サカ(インド=スキタイ)系と言われ、バクトリアへ移動後、大月氏に征服され、クシャーナ朝の中核となりました。
なお、現在のアフガニスタンの北部にある彼らが住んでいた土地は現在「トハラ」または「トゥハーリスターン」と呼ばれています。
その中心は古代にはバクトラ(現バルフ)、中世はクンドゥズに置かれ、東西交通の要地としてバクトリア王国、大月氏国、クシャーナ朝などの政治・文化の中心でした。

シルクロードの彼方から文物のみか、ペルシア人も渡来したという事については根強い支持があります。

しかし、日本書紀に従うと、ペルシア人だけが船に乗って漂着したり、男だけが本国に一時帰るというのは、ちょっと不自然です。

さらに書紀には『百済』と『都貨羅(トカラ)』の皇子を人質にしたとあります。
この場合、都貨羅を中央アジアのトハラと考えるには無理があります。

結論を先に言えば、僕は「トカラ」が二つの地名をさしていると思います。
一つは中央アジアのトハラ、もう一つは耽羅(トムラ又はタムラ)、つまり継体紀に一度名前の出てくる済州島です。
地理的位置と、百済との服従関係を考慮すると、初期の記述も十分に理解することができます。
従って、飛鳥にはペルシャからも済州島からも石工がやって来ていたと思います。

ただし、個々の石造物を見てゆくと、ペルシャの作風が見て取れるものがあり、ペルシャ人の石工の存在を無視することができません。
では、さらにいくつかの石造物を見てゆきたい思います。
まずは、猿石をジックリと見てください。


(stones3.jpg)

『猿石の謎』

実は、ここまでの事は僕が2003年8月2日に『新しい古代日本史』サイトで書いたことです。
オリジナルは次のリンクをクリックすると読めます。

『ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た』


『ペルシャ人が飛鳥にやってきた』より
(2007年4月6日)

あらっ。。。 懐かしいですわァ~。。。 確かに上のような事をしゃべったことがありましたわァ~。。。

そうでしょう!? それで獅子が出てくるから伎楽はペルシャの流れを汲んでいると僕は思ったわけですよ。

でも、伎楽の中にはペルシャの影響が実際にあるのでござ~ますか?

ありますよ。 伎楽の中で使われているお面、つまり、伎楽面を見てください。


(gagaku02.jpg)
 酔胡従【胡国(ペルシャ)の人】


(gagaku03.jpg)
  力士


(gagaku04.jpg)
  呉公


(gagaku05.jpg)
  呉女

あらっ。。。一番上のお面はペルシャ人なのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。 しかも「呉公」「呉女」とは呉の国に住んでいる男と女ということですよ。 つまり、お面の名前を見ても、伎楽がもともと呉の国の音楽だということが判るのですよ。

でも。。。、でも。。。、喜楽 美弥子さんが『徒然ブログ』にアクセスして『伎楽は呉の音楽?』を読んだという証拠がないではありませんか! テレパシーなどという とってつけたようなお話では納得がゆきませんわァ~。。。

もちろん、テレパシーと言ったのは半分冗談ですよ。。。 実は、美弥子さんがコメントを書いてくれたのです。。。

あらっ。。。 マジで。。。?

信用できないのなら、ここに貼り出すから、卑弥子さんもじっくりと読んでみてください。


(liv21120e.png)


『拡大する』

『伎楽は呉の音楽?』

上のページの下の方で赤枠で囲んであるところですよ。。。 見えにくいので、ここに書き出します。

 

 

「伎楽」という芸能は 飛鳥時代(612年)に

百済の味摩之(みまし)という人が

伝えたとしたら

ずいぶん古い芸能なのですね。

ペルシャ人が飛鳥にやって来たというのは、

ちょっと意外でした。

でも、伎楽面を見ると、

ペルシャの影響が実際にあると

分かるような気がいたします。

ついつい引き込まれて

最後まで読んでしまいました。

ありがとうございました。

では…

 

Posted by 喜楽 美弥子

at 2017年01月24日 11:50


『伎楽は呉の音楽?』のコメント欄より
(2012年11月20日)

(ran103b.png)

あらっ。。。喜楽 美弥子さんは、おきれいな方なのですわねぇ~。。。 でも、どこかで見かけたような気がいたしますわァ~。。。

それは卑弥子さんの気のせいですよ。。。

そうかしら。。。?

とにかく、これでテレパシーでないことがよ~♪~く分かったでしょう!?


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。

あなたは 伎楽に関心がありますか?

お暇があったら、天皇陛下御在位二十年東京都慶祝の会の雅楽を見てくださいまし。。。


(gagaku09.jpg)

ところで、話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。


(genjiero4.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。

つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。

“寅さん”のような人でもいいですわ。

旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。

あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。


(tora019.jpg)

ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいね。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



(hama10.jpg)

『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)

軽井沢を文学散歩する

2017年1月18日

 

軽井沢を文学散歩する

 


(hori911.jpg)


(sayuri201.jpg)


(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。 最近、瀧本幸子さんと ご一緒に軽井沢を文学散歩したのですかァ~?


(kato3.gif)

。。。ん? 瀧本幸子さんと一緒に僕が軽井沢を文学散歩した、と小百合さんは言うのですか?

だってぇ~、上に貼り付けたYouTubeのクリップは 瀧本幸子さんがアップロードしたものではありませんかァ!


(karuhap5.jpg)

いや。。。 僕は小百合さんと軽井沢を文学散歩したのですよ。。。 小百合さんと文学散歩したときには、ロマンチックな気分に浸ってしまったのでカメラでその風景を記録する暇がなかったのです。。。

それで、その代わりに瀧本幸子さんが軽井沢を記録したクリップを貼り出したのですか?

そうです。。。 いけませんかァ~。。。 (モナリザの微笑)

別にかまいませんけれど、私がデンマンさんと軽井沢を文学散歩したのは、もうずいぶん前のことですわァ~。。。 それなのに、どうして今頃になって“軽井沢文学散歩”を取り上げるのですか?

ちょっと次のリストを見てください。


(liv70114a8.png)

『拡大する』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の 1月13日の日本時間で午後9時51分から14日の午前3時32分までの生ログの一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。

あらっ。。。 マイクロソフトの BING で検索して デンマンさんが投稿した『軽井沢文学散歩』を読んだのですわねぇ~。。。


(karusasa2.jpg)


(akashia3.jpg)

『軽井沢文学散歩』

BING で検索したネット市民は 軽井沢を文学散歩しようと思ってネットで検索したわけですよ。。。

。。。で、「リファラ」のURLをクリックすると どのような検索結果が表示されるのですか?

次のような結果が出てきます。


(bin70114a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「軽井沢 文学散歩 barclay1720」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

実は、BINGで検索したネット市民は「軽井沢 文学散歩」だけを入れて検索したのです。。。 でもねぇ~、それだと最初のページに僕が『徒然ブログ』に投稿した『軽井沢文学散歩』が出てこない。。。 それで、早く見つかるように『徒然ブログ』のURLの一部“barclay1720”を付け加えて検索したのですよ。。。

それで、トップにデンマンさんが投稿した『徒然ブログ』の記事が出ているのですかァ~?

そういうことです。。。

。。。で、その人は、どういうわけで『軽井沢文学散歩』を読む気になったのですか?

もちろん、軽井沢を文学散歩したいからですよ。。。 どこを散策しようか? そう思いながら上の記事を読んだのです。。。

。。。で、上の記事を読んで 検索されたネット市民の方は どこを文学散歩するのか決めたのですか?

そうです。。。 次の箇所を読んで決めたのですよ。。。


(karuhap5.jpg)

 


(himiko22b.gif)

この会話って、本当にデンマンさんと小百合さんが交わした会話なのでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

そうですよう。卑弥子さんは信じられないのですか?

だってぇ~。。。デンマンさんと小百合さんは、なんとなく当たり障りのないことばっかり話しておりますわぁ。

つまり、卑弥子さんは、僕が創作した会話だと思っているのですか?

せっかく“幸福の谷”を歩いているのですもの。。。もっと萌え萌えになって、ワクワクするような会話があるはずですわ。

あのねぇ~。。。現実には萌え萌えになってワクワクするような会話なんて無いものなんですよう。

でも、“幸福の谷”でしょう?。。。もっと幸福に振舞うべきでござ~♪~ますわ。

僕は小百合さんと念願の“幸福の谷”を散策しただけで充分に幸せな気分でしたよう。

態度に表れていませんわ。

態度に表さなくても小百合さんと僕は、充分に幸せな気持ちを共有していたのですよう。

それでは、読む人には分かりませんわ。上の対話だけではつまりませんわ。一目見ただけでも幸福感がにじみ出るような行動に出て欲しいのですわ。

一目見ただけでも幸福感がにじみ出るような行動。。。?

そうですわ。

卑弥子さんは、一体、どのような行動を期待していたのですか?


(bearhug00.jpg)


(bearhug05.jpg)


(affair.jpg)

このような萌え萌えの行動ですわ。

あのねぇ~。。。小百合さんと僕は映画になるようなラブラブのシーンを求めて幸福の谷に行ったわけじゃないのですよう。

。。。んで、何のために行ったのでござ~♪~ますか?

だから、これまでに何度も言っているでしょう。。。文学散歩ですよう。

文学散歩だと萌え萌えにならないのでござ~♪~ますか?

なりません。僕と小百合さんの会話をじっくりとたどれば、萌え萌えになれない理由があるのですよう。

どのような理由でござ~♪~ますか?

“ささやきの小徑”ですよう。 “サナトリウムレーン”とも“恋人たちの小徑”とも呼ばれている小道です。


(karusasa2.jpg)


(akashia3.jpg)

“恋人たちの小徑”であるならば、萌え萌えになれるではござ~♪~ませんかア!

あのねぇ~。。。“恋人たち”という言葉だけを捕らえると卑弥子さんのような短絡的な印象を持つかもしれないけれど、“軽井沢文学散歩”と結び合わせて考えると、卑弥子さんが考えるようなルンルン気分で熱い接吻をするような気分になれないのですよう。

それは。。。それって。。。どう言う訳でござ~♪~ますか?

だから、軽井沢について、ほとんど知らない、一度も訪ねたこともない関西人と話すのは疲れるんですよう。んもお~~

デンマンさんが疲れきらないうちに、どう言う訳なのか教えてくださいましなぁ~。

実はねぇ、卑弥子さんは“幸福の谷”と堀辰雄のことについて調べた事があるのですよう。

あたくしがですか?

そうですよう。ところが記憶力の良いはずの卑弥子さんが、なぜか忘れているのですよう。

忘れているって、何をでござ~♪~ますか?

やっぱり、机の上だけで調べても現地に行った事のない人には、鮮明に記憶に残らないのでしょうね。

もったいぶらないで、あたくしが調べた事というのを教えてくださいましな。

分かりましたよう。かつて僕と卑弥子さんが対話した部分を書き出しますから、じっくりと読んでみてくださいね。

堀辰雄と“死のかげの谷”

堀辰雄にとって「幸福の谷」は、幸せそうには見えなかったのですわ。

。。。で、どのように見えたのですか?

夏は確かに観光客がやって来て、多少は賑(にぎ)わうのですけれど、冬になると人影もなく寂しい谷になってしまうのでござ~♪~ますわ。それで「死のかげの谷」と呼んだ方がよさそうだ、と書いているのでござ~♪~ます。

ほおォ~。。。そうですか?

デンマンさんだって、「風立ちぬ」をお読みになったのでしょう?

読んだけれど、僕にとって、それ程思い出に残るような作品ではなかったのですよう。

どうしてでござ~♪~ますか?デンマンさんが気に入るような夢とロマンのお話でござ~♪~ますわ。

でもねぇ、主人公の男の妻は死んでいるのですよう。ロマンチックと言うよりも、悲しみが小説の底流に滲(にじ)んでいる。僕は20代の頃に読んだのだけれど、ルンルン気分の恋愛に惹かれる若い男には、実に悲しい、やるせない話と思えて、あまり好きになれなかった。卑弥子さんは、そういう悲しい話が好きなのですか?

あたくしは悲しいお話だとは思いませんでしたわ。むしろ男性に、それほどまでに思われている女性がうらやましいと思えましたわ。だから、あたくしもデンマンさんに、いつまでもいつまでも懐かしく思い出されるような女にならねばならないと努力しているのでござ~♪~ますわァ~。ォほほほほ。。。

(半分白けながら。。。) うん、うん、うん。。。見上げた心がけですよう。そんな事よりは「幸福の谷」の話ですよう。

んも~~。。。デンマンさんには、繊細な女心が全くお分かりにはならないのでござ~♪~ますわね?

あのねぇ~、脇道にそれると、この記事がまた長くなるのですよう。「幸福の谷」がテーマなのだから、余計な事はなるべく言わないでくださいよね。

分かりましたわ。「幸福の谷」に戻ればよろしいのでしょう。。。確かに夏は木漏れ日が漏れて、それなりに避暑地らしい雰囲気があるようでござ~♪~ますわ。でも、冬は人影もなく本当に寂しい厳寒の谷になるのでござ~♪~ます。しかも、堀辰雄が小説を書いていた当時は、冬になると水道もとまり、木造の建物は防寒対策もほとんどとられていなかったと言う事です。

ほおォ~。。。卑弥子さんは、そこまで調べたのですか?

そうでござ~♪~ますわ。あたくしも、いつの日にかデンマンさんと二人で「幸福の谷」を訪れるのでござ~♪~ますもの。。。おほほほほ。。。

ほらァ~。。。また、卑弥子さんは余計な事を言うのですよう。。。でもねぇ、言っておきますが、今年の秋ではないですよう。来年の秋ね。

分かっておりますわア。

それで、堀辰雄がどうしたと言うのですか?

「風立ちぬ」を書き上げた堀辰雄は、初めの予定では「幸福の谷」と書くつもりだったそうでござ~♪~ますわ。でも、冬の厳しい谷の様子を見て、最終章の題を「死のかげの谷」としたのでござ~♪~ますう。

ほおォ~。。。さすがは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子・准教授だけの事はありますよねぇ~。読みが深いですよう。僕は、改めて卑弥子さんの文学的な才能を見直しましたよう。

このぐらいの事は、その辺で遊んでいるミーちゃんハーちゃんでも分かりますわよう。

つまり、卑弥子さんは、冬は「幸福の谷」ではなく「死のかげの谷」だと言いたいのですね?


(karumap9.gif)

【デンマン注】 地図の中の“幸福の谷”は誤って記載されています。
実際は「同志社シーモアハウス」のすぐ上(北)の道です。


(karuhap8.jpg)

そうでござ~♪~ますわ。しかも夏場だって、それ程、幸せそうではないのでござ~♪~ますわ。

それはどう言う訳ですか?

だいたい、あの近辺にある別荘の庭はコケで覆われているのでござ~♪~ますわ。あの谷の付近だけではござ~♪~ませんわ。軽井沢って、どこもかしこも苔で覆われていますわよう。住むには湿気との戦いなんだそうですわ。

ほォ~。。。卑弥子さんは、そんなことまで調べたのですか?

だってぇ~。。。いつの日には、あたくしとデンマンさんと二人して「幸福の谷」に行くのですものォ~、うふふふふ。。。だから、しっかりと下調べをしておこうと思い立ったのでござ~♪~ますわ。

なるほどォ~。。。ごもっともな事ですよう。。。で、卑弥子さんが調べる限り、思ったほど幸せそうじゃないので、僕と一緒に「幸福の谷」に行くのを断念した。。。そう言う訳ですね?

もちろん、デンマンさんとご一緒に行きますわよう。

でも、卑弥子さんにとって「幸福の谷」は「死のかげの谷」なのでしょう?

だから、あたくしはデンマンさんが「死のかげの谷」を一人でお散歩している間、すぐそばの万平ホテルのカフェテリアでお待ちしていますわ。


(karuman52.jpg)


(delon5.jpg)

【デンマン注】 実は、この写真はジョン・レノンではなく、アラン・ドロン

キャア~!すてきィ~。。。そいでぇ、ジョン・レノンがお気に入りだったと言うローヤルミルクティーを飲みながら、デンマンさんがぜひ食べたいと言っていた木の実のタルトをあたくしもいただくのでござ~♪~ますわ。


(karuman70.jpg)

つまり、花より団子ですね?

いいえ、団子だけではござ~♪~ませんわ。あたくしはホテルの中を散策したいのでござ~♪~ますわ。レトロな雰囲気に満ち満ちていてシックで素敵なのでござ~♪~ますう。


(karuman4.jpg)

こういう時代がかった雰囲気が卑弥子さんは好きなのですか?

そうでござ~♪~ますわ。「大正デモクラシー」の頃の自由でのびのびとしていて、それでいて古風な感じがメチャいいのでござ~♪~ますわ。

そういうところは京都生まれの京都育ちの影響でしょうね。

。。。んで、「幸福の谷」のあと、どこへ行くのでござ~♪~ますか?


(karumap2.gif)

小百合さんの別荘がある近くに「ささやきの小径(こみち)」と呼ばれている散歩道があるのですよう。


(karusasa2.jpg)

これがその小径でござ~♪~ますか?

そうですよう。 中央を流れている“せせらぎ”は矢ケ崎川です。堀辰雄の小説「美しい村」にも登場する小径ですよ。

ずいぶん狭い散歩道ですわね?

左右には別荘や木立が続き、小鳥のさえずりが聞こえてきます。なんとなくロマンチックな感じがするでしょう?ここを小百合さんと二人で散歩したいのですよう。うしししし。。。

あたくしとは。。。?

来年の秋ですよ。だから、今年の秋には邪魔をしないでくださいね?

どうして「ささやきの小径」なのでござ~♪~ますか?

実は、他にも呼び名があるのですよう。「アカシアの小径」、「恋人たちの小径」。。。なんとなく分かるでしょう?愛する人と甘くささやき合いながら散歩する小道ですよう。

つまりデンマンさんは、この小径を小百合さんと夢とロマンをささやきながら散歩するのでござ~♪~ますか?

そうですよう。いけませんか?

。。。んで、あたくしとは。。。?

来年の秋ね。だから、今年の秋は邪魔をしないでね。

んも~~、いちいち余計な事を言わないでくださいましなァ。。。んで、どうしてこの小径が特別なのでござ~♪~ますか?

実は、この小径にも英語の名前があるのですよう。サナトリウム・レーンと言うのですよう。

なぜ、そういう名前が付いているのでござ~♪~ますか?

大正10年に軽井沢避暑団、現在の軽井沢会、の要請で療養所が造られた。この療養所が「軽井沢サナトリウム」と呼ばれるようになったのですよう。

その療養所が「ささやきの小径」のそばにあったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。イギリス人のニール・ゴードン・マンロー博士が病院長だった。だから、この人の名前を取って「マンロー病院」とも呼ばれたのです。このマンロー博士は、人類学者としても有名で、アイヌ研究の第一人者として日本では良く知られていた。

日本人もその療養所で治療を受けたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。特に肺結核治療が得意と言われ、堀辰雄や土井晩翠なども通院して治療を受けたのです。堀辰雄の小説「美しい村」でも、このサナトリウムはたびたび登場しています。小説の中で「レイノルズ先生」として登場するのが、実はこのマンロー博士なのですよう。

。。。んで、今でもその療養所はあるのでござ~♪~ますか?

残念ながら建物は取り壊されてしまった。だから、もう見ることはできません。雲場池(くもばいけ、別名、スワンレイク)の近くにある外人墓地ではマンロー博士が今も静かに眠っていますよう。

「ささやきの小径」には、何かロマンチックなエピソードでもあるのでござ~♪~ますか?

堀辰雄の小説「美しい村」では、実際の婚約者だった矢野綾子との想い出が綴られているのですよう。なかでも、サナトリウムのあった道を2人で腕を組んで散歩するシーンは幻想的に書かれています。堀辰雄はこの道に沿って並ぶアカシア並木を愛したと言うことですよ。

それで別名「アカシアの小径」でござ~♪~ますか?

たぶんね。。。堀が「美しい村」を書いた当時、そのアカシアは背丈ほどだったらしい。現在は、上の写真でも分かるようにアカシアが成長してアーチのようになっていますよう。

。。。んで、デンマンさんも堀辰雄と矢野綾子の真似をして、恋人同士のように小百合さんと「ささやきの小径」を甘くささやきながら散歩するのでござ~♪~ますか?

そうですよう。いけませんか?

。。。んで、あたくしとは。。。?

来年の秋ね。だから、今年の秋は邪魔をしないでね。


『ロマン@軽井沢 (2008年8月14日)』より

でも、こうしてデンマンさんだって、恋人同士のように小百合さんと「ささやきの小径」を甘くささやきながら散歩する、と言っていますやんかぁ~

しかし、卑弥子さんが劇的に、過激に想像するようなアツアツの接吻を小百合さんと交わすようなシーンはなかったのですよう。それは卑弥子さんの妄想です。上の文章を読めば、そのような雰囲気が無い事が分かるでしょう?

そうでしょうか?あたくしの想像力は過激なのでござ~♪~ましょうか?

その通りですよう。平均的な日本人と比べると卑弥子さんの想像力は極めて過激だと思います。

そうでしょうか?

あのねぇ~。。。軽井沢文学散歩と言うのは、穏やかで物静かなものですよう。

つまり、ワクワクするようなアツアツの接吻はないのでござ~♪~ますか?

ありません。

どうして、そのように断定してしまうのでござ~♪~ますか?

あまりにも低俗になってしまったら、軽井沢で文学散歩する意味がないでしょう?

アツアツの接吻は、低俗なのでござ~♪~ましょうか?

低俗とまでは言わないけれど、軽井沢文学散歩にはふさわしくありませんよう。卑弥子さんは、どうしてもアツアツの接吻にこだわるのですか?

うふふふふ。。。いけませんか?

分かりました。。。それを期待したいのであれば、ニューヨーク文学散歩だとか、パリ文学散歩にでかけてくださいね。


『軽井沢文学散歩』より
(2008年12月12日)

。。。で、BINGで検索したネット市民の方は、軽井沢のどこへ文学散歩に行くことにしたのですか?

小百合さん。。。 分かりきった事を尋ねないでくださいよ。。。 上の記事を読めば、まず“幸福の谷”へ行くのですよ。。。

それから。。。?

それから、「ささやきの小径(こみち)」ですよ。。。

でも、それはデンマンさんが勝手に決めたことでしょう?

いや。。。 僕の勝手で決めたわけではないのです。。。 ちょっと次のコメントを読んでみてください。。。 “軽井沢に恋した熟女”の長谷川淑子さんが書いたものです。。。


(soberano2.png)

 

記事を楽しく読ませていただきました。

私も軽井沢を文学散歩しようと思っています。

小百合さんとデンマンさんがお歩きになった

“幸福の谷”と“ささやきの小径”を

散策してみようと思います。

アドバイスありがとうございました。(微笑)

では…… :-)

 

軽井沢に恋した熟女

2017年01月17日 12:34

 


『軽井沢文学散歩』のコメントより
(2008年12月12日)

長谷川淑子さんが書いたとどうして判るのですかァ~?

簡単なことですよ。。。 IPアドレスを調べればすぐに判ることです。。。


(ip20977b.png)

『拡大する』

でも。。。、でも。。。、アクセス者名までは判らないのですわァ~。。。

あのねぇ~、昔の人は“蛇の道は蛇”と言ったのですよ。。。

だから、どうだとデンマンさんは言うのですか?

“軽井沢に恋した熟女”のことは“軽井沢に恋した日本男児”にはよ~♪~く解るのですよゥ。 (モナリザの微笑)

そのようなことは信用できませんわァ~。。。

あのねぇ~、昔の人は“信じる者は救われる!”とも言ったのですよ。。。 だから、小百合さんも信じれば救われて、これからも軽井沢を愛する“軽井沢タリアセン夫人”として末永く幸せな人生を歩むことができるのです。。。 (更にモナリザの微笑)


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

あなたはデンマンさんのお話を信じることができますかァ~。。。?

確かに、“信じる者は救われる!”のかもしれませんわァ。

あたくしも、デンマンさんのお言葉を信じて、去年の秋 デンマンさんが行田に帰省した時に、ご一緒に那須高原へ出かけたのですわァ~。。。


(nasu102b.jpg)

紅葉のきれいな那須高原で、「自在荘」に泊まって温泉にも浸かってまいりましたわァ~。。。

うふふふふふ。。。


(jizai08b.jpg)

でも、ちょっとばかり はしゃぎすぎてしまったようでござ~ますう。


(aerobics5.gif)

『衝撃の角度』

デンマンさんに、また得意のアクロバットを見せてしまったのでござ~ますわよう。。。

うふふふふふふふ。。。

ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


(ebay5.jpg)


(byebye.gif)

キスと源信

2017年1月15日

 

キスと源信

 


(kissanim.gif)


(genshin1.jpg)


(himiko92.jpg)


(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 “キスと源信”ということは、恵心僧都の源信さんが接吻をしたのでござ~ますかァ~?


(kato3.gif)

たぶん、そうです。。。

そのような事は絶対にないと、あたくしは信じておりますわァ~。。。

どうしてですか?

だってぇ~、源信さんと言えば、とっても偉いお坊さんだったのでござ~ますわァ~。。。


(genshin1.jpg)

   源信

 

源信は、平安時代中期の天台宗の僧。
恵心僧都(えしんそうず)と尊称される。

浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称される。

源信は日本の浄土教の祖と称され、法然や親鸞に大きな影響を与えた。

浄土宗の開祖である法然は、源信の主著「往生要集」によって7世紀の唐の僧善導の浄土思想を知ることとなった。

浄土真宗の宗祖とされる親鸞は、主著『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)「行巻」の末尾にある偈頌『正信念仏偈』(『正信偈』)「源信章」で、「源信広開一代教 偏帰安養勧一切 専雑執心判浅深 報化二土正弁立 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」と源信の徳と教えを称えている。
また『高僧和讃』において、「源信大師」10首を作成し称讃している。

なお、紫式部の『源氏物語』、芥川龍之介の『地獄変』に登場する横川の僧都は、源信をモデルにしているとされる。

略歴

(年齢は、数え年。日付は、文献との整合を保つため、旧暦(宣明暦)表示(生歿年月日を除く)とした。)

天慶5年(942年)、大和国(現在の奈良県)北葛城郡当麻に生まれる。幼名は「千菊丸」。父は卜部正親、母は清原氏。

天暦2年(948年)、7歳の時に父と死別。

天暦4年(950年)、信仰心の篤い母の影響により9歳で、比叡山中興の祖慈慧大師良源(通称、元三大師)に入門し、止観業、遮那業を学ぶ。

天暦9年(955年)、得度。

天暦10年(956年)、15歳で『称讃浄土経』を講じ、村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれる。そして、下賜された褒美の品(布帛〈織物〉など)を故郷で暮らす母に送ったところ、母は源信を諌める和歌を添えてその品物を送り返した。その諫言に従い、名利の道を捨てて、横川にある恵心院(現在の建物は、坂本里坊にあった別当大師堂を移築再建)に隠棲し、念仏三昧の求道の道を選ぶ。

 母の諫言の和歌 – 「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ」

永観2年(984年)11月、師・良源が病におかされ、これを機に『往生要集』の撰述に入る。永観3年(985年)1月3日、良源は示寂。

寛和元年(985年)3月、『往生要集』脱稿する。

寛弘元年(1004年)、藤原道長が帰依し、権少僧都となる。

寛弘2年(1005年)、母の諫言の通り、名誉を好まず、わずか1年で権少僧都の位を辞退する。

長和3年(1014年)、『阿弥陀経略記』を撰述。

寛仁元年6月10日(1017年7月6日)、76歳にて示寂。臨終にあたって阿弥陀如来像の手に結びつけた糸を手にして、合掌しながら入滅した。


出典: 「源信 (僧侶)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、偉いお坊さんは接吻しないのですかァ~?

もちろんで ござ~ますわァ。 偉いお坊様は、絶対に女性を身近に近づかせなかったのでござ~ますわァ。

あのねぇ~、建前はそういう事になっていたのだけれど、坊主ほど花街に出入りした者はいなかったのですよ。。。

いいえ。。。、昔のお坊様は妻帯も許されていなかったのですわァ。。。

だから、禁欲もできないで花街に出入りしていたのです。。。

それは、デンマンさんの独断と偏見ですわァ~。。。

卑弥子さんだってぇ~、接吻ぐらいしたことがあるでしょう!?


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あらっ。。。 あたくしが接吻するのをデンマンさんは隠しカメラで撮っていたのですわねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。

キスしている上の女性は卑弥子さんではありませんよ!

デンマンさん!。。。 そのような事を言わなければ、この記事を読み始めたネット市民の皆様は、あたくしが星の王子様と接吻していると思うのですわよう! んもおおおォ~!

誰も、そのような事を考えませんよ!

とにかく、どうして“キスと源信”というタイトルにしたのでござ~ますか?

実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。

  キス


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【キス】 大河『義経』の打ち合せ中に「はたして平安時代の人はキスをしたのか?」という話題になった。

『今昔物語』には大江定基が死んだ妻への愛惜に耐えかね、死体の「口を吸ひける」に異臭がして、それが出家のきっかけになったというグロテスクな話がある(巻19の2)。

また寛和元年(985)に完成した、源信の『往生要集』に「(う)」という言葉が出てくる。

「鳥が互いにクチバシを突き合う」意味でつまりキスのことである。

「いはんや抱(うほう)[接吻して抱き合うこと]して淫楽せんをや」(岩波書店『日本思想大系 源信』38頁)。

とすると平安時代すでにキスはあったということになる。

しかし、九歳で比叡山に入った日本史上屈指の学僧源信はいかにしてこの言葉を知り、わざわざ自著に使ったのだろうか。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


82ページ 『考証要集』
著者: 大森洋平
2014年6月25日 第9刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

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つまり、九歳で比叡山に入った日本史上屈指の学僧源信はいかにしてこの言葉を知り、わざわざ自著に使ったのだろうか?。。。と、デンマンさんも不思議に思ったのでござ~ますかァ~?

いや。。。 僕は別に不思議とは思わなかったのですよ。。。

どうして、不思議とは思わなかったのござ~ますかァ~?

卑弥子さんは忘れてしまったのですか?

あたくしが何を忘れたとデンマンさんは言うのでござ~ますかァ~?

『源氏物語』に描かれた春画

 


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平安時代中期の祭主・歌人で36歌仙の一人、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 921-991)が、春画を前にして和歌を詠んでいるのです。

「又、男女けしからぬことどもかかれたるところに」という詞書(ことばがき)につづいて、「うしろめた したのこころは しらずして 身をうちとけて まかせたるかな」という和歌が、『能宣集』(984~986年の成立)という能宣自撰の和歌集に収められています。
男女のいけないことが描かれた絵というものを能宣は目にしていたのです。

そこにあからさまな官能を詠む歌が寄せられます。
10世紀に春画が描かれていたことを示す貴重な記録です。

この序文には「勅ありて歌集をめす」とあり、春画にまつわる和歌が選ばれているのです。
『源氏物語』(11世紀初期成立)のなかにも、男女がともに寄り添って横たわる絵が描かれる場面があります。

宇治十帖の「浮舟」のなかで、貴公子・匂宮は宇治にいる浮舟という女性を訪ねます。
浮舟は薫(源氏の妻・女三宮と柏木との不義の子)の想い人でしたが、匂宮は薫を装って寝所に入り、浮舟と契ります。
その強引な振る舞いのなかに、浮舟は匂宮の情の深さを感じます。

匂宮は浮舟に男女が添い寝している絵を描いて見せ、「お逢いできないときは、この絵を見てください。いつもこうしていたいものです」といいます。


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浮舟は匂宮の描いた絵を時々見ては、自分の境遇に涙するのです。

江戸時代には『源氏物語』のこのシーンは、匂宮が春画を描いたものと理解されていました。

(略) 月岡雪鼎が描いた18世紀後半の肉筆春画には、春画を描くに当たって雪鼎が参考にした文献の名が書かれていますが、そのなかに『源氏物語』の「浮舟」の段を読んで、参照したことが記載されています。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


67-68ページ 『春画を旅する』
著者: 山本ゆかり
2015年9月25日 第1刷発行
発行所: 柏書房株式会社

『春画@源氏物語』に掲載。
(2016年12月29日)

去年の大晦日を前にして、僕と卑弥子さんで『源氏物語』に描かれた春画について語り明かしたのです。。。 まだ1ヶ月と経ってないのですよ。。。 卑弥子さんは忘れてしまったのですかァ~?

思い出しましたわァ~。。。 大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 921-991)が、春画を前にして和歌を詠んでいるのですわねぇ~。。。 つまり、10世紀に春画が描かれていたことを示す貴重な記録なのですわねぇ~。。。

そういうことですよ。。。 春画を前にして和歌を詠んだ大中臣能宣が10世紀の人ならば、恵心僧都の源信さんも10世紀の人物なのですよ。。。 だから、好奇心が旺盛な源信さんも次のよな春画を見ていたはずなのです。。。


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だから、当然、キスシーンも見て知っていたのですよ。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは デンマンさんの意見に同意いたしますかァ~?

確かに、キスなど、もっともっと ずっと昔からあったのかも知れませんよねぇ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。

つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。

“寅さん”のような人でもいいですわ。

旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。

あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいね。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

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軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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明けましておめでとうございます

2017年1月1日

 

明けましておめでとうございます

 


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明けまして

 

 

おめでとう

 

 

2017






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あれっ。。。新年早々朝風呂ですか? まだ夜が開(あ)けきっていませんよう!


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うふふふふ。。。いけませんか?

小百合さんは風呂が嫌いだったのではありませんか?

嫌いだけれど、師走の疲れを洗い落とすためですわ。 それで、起きてすぐにお風呂に入ったのです。

。。。で、元旦の今日は、どこに居るのですか? 今年も富士屋ホテルですか?

いいえ、今年は伊香保温泉の森秋旅館ですわ。 久しぶりに のんびりしています。


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どうして今年は富士屋ホテルじゃなく伊香保温泉にしたのですか?

たまには気分を変えたいと思いまして。。。

お風呂上りに、ほっかほっかのおばさんパンツを穿いて、暖炉の前でポーズを取るなんて粋(いき)でいいですねぇ~。 うししししし。。。

とってつけたようなお世辞を言わないでくださいなァ。

ところで、小百合さん。。。どこからかフラダンスの音楽が聞こえてきませんか?

フラダンスですか?

そうですよう。。。あららららァ~。。。


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ウララ~~ウララア~~

ルンルンル~♪~ン。。。

アラぁ~、エッサッサアぁ~♪~

今日は元旦ですよ。

楽しいなァ~。

うれしいなああァ~。

ウララ~~ウララア~~

ルンルンル~♪~ン。。。

もう一つおまけに、

アラぁ~、エッサッサアアア~♪~

おほほほほほ。。。

もう止まりませんわよう。

ウララ~~ウララア~~

ルンルンル~♪~ン。。。

あのねぇ~、卑弥子さん。。。元旦もフラダンスですか?


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あ~♪~ら。。。デンマンさん! 明けましておめでとうございます。 新年もよろしくお願いいたします。

クリスマスにもフラダンスを踊ったばかりじゃないですか!

だってぇ、デンマンさんが元旦にも踊ってねぇ~と、言ったではござ~♪~ませんか?

やだなあああァ~。。。冗談で言ったのですよ。

あたくしは本気にしてしまいましたわ。。。とにかく、新年こそ結婚相手を見つけようと思いますわ。 デンマンさんも真剣に応援してくださいませぇ。

あのねぇ~、元旦早々にフラダンスを踊ったら、ますます婚期が延びてしまいますよ。

マジで。。。?

卑弥子さんのフラダンスはネットでは有名になりすぎているのですよ。

だったら、新しいボーイフレンドからファンレターが舞い込んできてもよさそうですわ。

あのねぇ~、あまりにも有名になりすぎて、卑弥子さんのフラダンスには新鮮さがなくなってしまったのです。 だから、ほとんどの男が卑弥子さんのフラダンスを見ても飽き飽きするだけでゲップが出てくるのですよ!

あらっ。。。マジで。。。? どうしたらよろしいのでござ~♪~ましょうか?

あのねぇ~、フラダンスじゃなくて古典バレーを見せたらどうですか?

古典バレーでござ~♪~ますか?

そうですよう。


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このように格調高い姿を見せるのですよう。

でも、恥ずかしいですわ。

どうして。。。?

だってぇ、パンツが丸見えですもの。。。

何を言ってるんですか! パンツが見えたぐらいで恥ずかしいことはないでしょう! 卑弥子さんは、いつもオッパイ丸出しでフラダンスを踊っているではありませんか!

でも、あたくしは古典バレーよりも裸エプロンのほうがよろしいと思うのですわ。 うふふふふ。。。

卑弥子さん!。。。元旦に“裸エプロン”だけは言わないでくださいね、とあれ程お願いしたではありませんかア!

元旦に“裸エプロン”を口に出すと、どうしていけないのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、“裸エプロン”と言うと、めれんげさんが裸エプロンで出てくるのですよう。。。あらららあああァ~。。。うわさをすれば、何とやら。。。


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デンマンさん、明けましておめでとうございます。 新年もよろしくお願いいたします。 うふふふふふ。。。

めれちゃん。。。クリスマスに続いて、元旦も裸エプロンなのかいなァ~?

そやかてぇ~、あんさんは裸エプロンがごっつう よかったと言ったではおまへんかァ~!

そないな事、言わんかったでぇ~。。。

とにかく、裸エプロンを、いまさら着替えるわけにもゆきまへんがなァ。。。このまんま、バンクーバーの寒中水泳に行こうかと思いますねん。


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ジューンさん、今年も冷たい水に入ったのですか?


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いけませんか?


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いけないも何も。。。 白熊がジューンさんの後ろに居るのですよ。 食べられてしまいますよ。 寒さで心臓麻痺を起こすより前に、第一、危ないですよ。

大丈夫ですわ。 わたしと白熊ちゃんは愛し合っているのですから。。。うふふふふふ。。。 デンマンさんもご一緒にどうぞ。


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僕は寒中水泳はヤダよう!

どうしてですか?

心臓麻痺で死んでしまいますよ。

でも、たくさんのきれいな女性が参加してますわァ~。。。


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うわっ。。。 すっげぇ~。。。 これってマジっすかア~♪~。。。?

だから デンまんさんもイングリッシュ・ベイまでやって来て自分の目で確かめたらいいではありませんかァ!

でもねぇ~。。。 これから、たくさんブログの記事を書かなければならないのです。 心臓麻痺で、あの世に逝くわけにはゆきませんよ。 とにかく、あなたも先を争って、あの世にだけは逝かないようにしてくださいね。

世界平和!

 

戦争反対!

 

言論の自由バンザイ!

 

表現の自由万歳!

 

では、あなたも良い新年を!

【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

そう言う訳ですから、あなたもルンルン気分で健(すこ)やかに新年をお迎えください。

今年も、よろしくお願いいたします。

とにかく、興味深い話題が続くと思います。

あなたもどうか、また明日読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


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そう言う訳で、シドニーでは

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ


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