Archive for the ‘日本人・日本文化・生活様式’ Category

芭蕉と英語

2017年6月26日

 

芭蕉と英語

 


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デンマンさんは、松尾芭蕉が英語をしゃべれたというお話をするのですかァ?


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まさかァ~。。。 僕が知る限り、芭蕉は英語を話したことはないと思いますよ。。。

それなのに、どういうわけで芭蕉と英語というタイトルにしたのですかァ~?

実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

尿前の関

 

南部道遥(はるか)にみやりて、岩手の里に泊まる。

小黒崎・みづの小島を過(すぎ)て、なるごの湯より尿前(しとまへ)の関にかかりて、出羽の国に越(こえ)んとす。

 

この路旅人まれなる所なれば、関守(せきもり)にあやしめられて、漸(ようよう)として関をこす。

大山をのぼつて日すでに暮(くれ)ければ、封人(ほうじん)の家を見かけて舎(やどり)を求む。

三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。

 


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蚤虱(のみしらみ)
 

馬の尿(しと)する
 

枕もと

 

あるじの云(いう)、これより出羽の国に、大山を隔(へだ)て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼(たのみ)て越(こゆ)べきよしを申す。

さらばと云(いい)て、人を頼み侍(はべ)れば、屈強の若者、そり脇差(わきざし)をよこたえ、樫の杖を携(たずさ)えて、我々が先に立ちて行く。

 

きょうこそ必ずあやうきめにもあうべき日なれと、辛(から)き思いをなして後について行く。

あるじの云(いう)にたがわず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇(したやみ)茂りあいて、夜行くがごとし。

雲端(うんたん)につちふる心地して、篠(しの)の中踏み分け踏み分け、水をわたり岩に躓(つまづ)いて、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出(い)ず。

かの案内せしおのこの云うよう、「このみち必ず不要のことあり。恙(つつが)のうおくりまいらせて仕合(しあわせ)したり」と、よろこびてわかれぬ。

後に聞きてさえ胸とどろくのみなり。

 


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Plagued by flears and lice,
 

I hear the horses staling
 

Right by my pillow.

 

Our host told us, “The road from here to Dewa lies through high mountains, ans is so badly marked you had best to get a guide to show you the way.”

“Very well,” I said, and hired one, a strapping young man who wore a scimitar at his side and carried an oaken stick.

He walked ahead of us, and thinking that today we were sure to run into danger, we followed behind.

The road was as our host had described it—through densely overgrown high mountains in which not a single bird-cry could be heard.

It was dark under the trees, so dark that it was like walking at night.

Feeling as though “dust were raining from the edges of the clouds,” we pushed our way through clumps of bamboo-grass, waded across streams, and stumbled against rocks.

At last we reached the town of Mogami, our bodies bathed in a cold sweat.

 

When our guide left us he said happily, “Something unpleasant always happens on this road. I was lucky to have been able to lead you here safely.

To hear such words, even after our safe arrival, made our hearts pound.

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


90-91ページ 『おくのほそ道』
著者: ドナルド・キーン 挿絵(切り絵): 宮田雅之
1997年2月1日 第2刷発行
発行所: 講談社インターナショナル株式会社

この本は芭蕉の『奥の細道』の対訳本ですわねぇ~。。。

そうです。。。 日本語をドナルド・キーンさんが英訳したのですよ。。。

上の箇所のどこにデンマンさんはムカついたのですかァ~?

いや。。。 別にムカついたわけではないのですよ。。。 赤字にした箇所に注目してください。。。


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このみち必ず不要のことあり。

恙(つつが)のうおくりまいらせて

仕合(しあわせ)したり。

Something unpleasant always

happens on this road.

 

I was lucky to have been able to

lead you here safely.

 

日本語を読んだだけでは、いったいどういうことを言っているのか? 。。。よく解らなかったのですよ。。。

それで英語文を読んで初めて何を言おうとしたのかが理解できたのですか?

そうです。。。 ジューンさんは日本語を読んだだけで意味が解りましたかァ~?

なんとなく解ったつもりでしたけれど、英文を読むまでは私もはっきりとは理解していませんでしたわァ。。。

。。。でしょう? 僕は、こういう経験をこれまでに何度もしたのですよ。。。 はっきり言って江戸時代の日本語と、現代の日本語はずいぶん違ってますよ。。。 でも、江戸時代の頃の英語と、現在の英語は、日本語ほど違ってはいないと思うのです。。。 ジューンさんは、どう思いますか?

そうですわねぇ~。。。 江戸時代が始まった頃、つまり、1600年頃の英語は“初期近代英語”と呼ばれているのですけれど、シェイクスピアが使っていた英語ですよねぇ~。

初期近代英語


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初期近代英語は中英語時代の末の1450年頃から1650年頃の英語をいう。

代表的な文献として後期に属するジェームズ王欽定訳聖書およびウィリアム・シェイクスピアの著作が挙げられる。

欽定訳聖書は経典という性格から当時の口語と異なる古風な語法が用いられている。

現代英語しか知らない人でも大体理解できる程度に現代英語に近い。

現在の英語では発音と綴りに若干乖離が見られるが、これは現在の綴りが初期近代英語期のまだ大母音推移が完了していない頃に定められたためである。


出典: 「初期近代英語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『ウィキペディア』の上の説明にも書いてありますけれど、シェイクスピアの作品は現代英語しか知らない人でも大体理解できますわァ~。。。 でも、江戸時代の日本語の本を読めと言われても、わたしには何が書いてあるのか全く解りませんわァ~。。。

そうなのですよ。。。 日本で生まれた日本人でも、江戸時代に書かれた本は読めるかもしれないけれど、まず、意味は解らない。。。 ちょうど、上の箇所のように、現代英語に訳された英文を読んで初めて僕も、その意味が理解できたのだから。。。

つまり、江戸時代が終わって明治時代になってから、日本語はずいぶんと変化したのですわねぇ~。。。

そうですよ。。。 子供の頃、江戸時代のチャンバラ映画を見た時、僕は中国か韓国の昔の時代の事をやっているのかと勘違いしたほどですよ。。。 とにかく、明治維新で何もかもがガラッと変わってしまった。。。 武士は刀も捨て、チョンマゲも切って、西洋人の真似をしてズボンを穿いてステッキを持って歩くようになった。

日本語も明治維新でずいぶん変わってしまったのですか?

そうですよ。。。 江戸時代には、文章は話し言葉では書かなかったのです。。。 明治時代になってから、話し言葉で書こうという人たちが出てきた。

日本語における言文一致


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日本語の古典的な文体である文語は主に平安時代までに完成した。
中世以降、次第に話し言葉との乖離が大きくなっていった。

明治時代には、文学者の中から改革運動(言文一致運動)が起こった。

言文一致小説の嚆矢は、坪内逍遥に刺激を受けた二葉亭四迷の『浮雲』などである。

二葉亭が『浮雲』(1887年)を書く際には、初代円朝師匠の落語を速記法により筆記した、落語家の初代三遊亭圓朝の落語口演筆記を参考にしたという。

また、ツルゲーネフなどロシア文学作品を翻訳した文体も既存の文語からの離脱の試みである。

当時は二葉亭以外にも、多くの作家が言文一致の新文体を模索した。
その中でも、山田美妙における「です・ます」調の試みは、もうひとつの日本語表現の可能性として、小説言語の主流にはならなかったものの、後世へ大きな影響を与えた。
若松賤子が「小公子」の翻訳で試みた「ありませんかった」のような文体も当時の注目を浴びたが、これは受け継ぐものが現れなかった。

しかし、そのころはまだ文語文の作品も多く書かれている。
和歌の塾に通い、古典の教養を持っていた樋口一葉は古文の呼吸をつかった雅文体で「にごりえ」「たけくらべ」などの作品を書いている。

翻訳で言文一致を試みた森鴎外も、「舞姫」や「即興詩人」では文語にもどしている。
評論の分野では北村透谷や幸徳秋水は、漢文書き下しの文体を使って論文を書いていた。
その点では、言文一致の運動がすぐに時代の主流になったわけではなかった。

このような新文体への挑戦は文学の分野で作家たちだけがしていたのではなく、当時の新聞や雑誌記事などでも並行的に行なわれていた。
特に従軍記者による戦地レポートや、速記による裁判の傍聴記録などで、積極的に言文一致の新文体が試みられていた。

その結果、明治末になるとそれらは書き言葉として次第に確立し、一般の文章にも大きな影響を与えるようになった。
自然主義文学の運動も、その普及に一役買った。

しかし、法律の言語は、戦前では文語文を用いて記述されていた。
戦後は口語体となった。


出典: 「言文一致」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

僕のオヤジやお袋が子供の頃は、まだ書き言葉と話し言葉がずいぶんと違っていたのですよ。。。

たとえば。。。?

たとえば、今だったら Butterfly は日本人なら誰もが“蝶々(ちょうちょう、チョウチョ)”と書きますよ。。。 


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てふてふ

 

 

ちょうちょ

 

でも、僕のオヤジが子供の頃は“てふてふ”と書いて“ちょうちょう (チョウチョ)” と読まされた。

じゃあ、オペラの“蝶々夫人”は“てふてふ夫人”と書いたのですわねぇ~。。。 (微笑)


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そういうことですよ。。。 オペラの“蝶々夫人”は“てふてふ夫人”と書いたのです。。。 じゃ、ジューンさんのために日本語のクイズです。。。 次の生物は口語では何と呼ばれているでしょうか?

どぢやう

 


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泥鰌

 


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柳川鍋

 

ドジョウ


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

では、更に あたたのためのクイズです。。。

次の旧仮名遣いは 現代の口語ではどのような漢字で書くことができるでしょうか?

おやかふかふ

 


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親孝行

 

 

ところで、話は変わりますけれど、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ フィーバー”が起こっているのですわよう。。。

ええっ。。。 信じられないというのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよ。


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。
信じてくださいましなァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


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『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、
ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。

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『9日間の女王』

『あなたは敬語?』

『原節子とジューンさん』

『モナリザの妹』

『ナイアガラとマリリンモンロー』

『おばさんパンツ@大晦日』

『ヴィーナスのえくぼ@ジューン』

『乳房振動とブラの研究』

『G線上のアリア』

ジューンさんの熟女下着
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『悲愴と白鳥』

『ブッダと千夜一夜物語』

『絹の道と千夜一夜物語』

『ヤノマミの乙女』

『ジャータカと今昔物語』

『白木屋お熊とセックス』

『パンツを売る乙女』

『床上手な女@マルタ島』

『宮沢りえとおばさんパンツ』

『マチュピチュとインディー・ジョーンズ』

『映画を愛する薄命の女』

『ベニスの騒動』

『アンネとハンナ』

『名器たこつぼ』

『レダの卵を探して…』


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『サモトラケのニケとミロのヴィーナス』

『薄命な女のパンツ』

『ロトの娘たち』

『もう一人のモナリザ』

『万夜一夜の謎』

『自由という誘惑』

『驚異の大洪水』

『おつまみミステリー』

『混浴風景を探して』

『ハレルヤ』


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『マルタ島のロマンだ』

『宮沢りえ人気@海外』

『癒しを奏でるパンツ』

『マルタ島deロマン』

『生ログdeロマン散歩』

『宮沢りえ@クールジャパン』

『混浴風呂ガー』

『ウェルカムバック』

『コペンハーゲンからやって来た』

『ロシアからやって来た』

『海外美女ランキング』

『ブログを解剖する』

『スイスからトランプ見に来る』


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『海外美女を探して』

『パンツde大晦日』

『Tバック@三賀日』

『とっちゃん坊や』

『また千夜一夜』

『初恋の思い出』

『乳房振動とブラ』

『白木屋お熊』

『肥後ズイキ@セルビア』

『紐パン熟女』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
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『美尻のビーナス』

『紐パン熟女に惹かれて』

『あの二人が気になって』

『肥後ズイキ@セルビア』

『私は下着女装です』

『ドリアンを探して』

『パリの日本人』

『ペンタゴン式己を疑う』

『薄命な女と映画』

『ラーメン@ベリーズ』

『うるさい夏』

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


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こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)


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ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ


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ヒシしようよ

2017年6月23日

 

ヒシしようよ

 


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わたしの中の悪いわたし

 


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わたしの中には悪いわたしが棲んでいる。

こましゃくれた子どもはいまも苦手だし、かといって天真爛漫であれば、それはそれでどうもうんざりする。

 

このあいだひどいことがあった。

娘は保育園から帰って、ささやかなおやつを食べていた。

一日園ですごして甘えたかったのだろう。

 


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ビスケットとヤクルトのほかに牛乳がほしい、牛乳をこぼしたから拭いてほしい、拭くのはそのタオルじゃなくてピンクのやつにして、などと次々に要求してくる。

ヤクルトを飲み終わったボトルをさしだして、「これ、かたづけて~」と言ってきた娘に、家事がはかどらずにイライラしていたわたしは、つい「わたしはあなたのメイドじゃないんだからね」と言ってしまった。 (略)

急にわけのわからない理屈をぶつけられた娘はぽかんとした後にしょんぼりし、沈黙が部屋を支配した。

わたしは口にしたとたん「しまった……」と思っているのに、バツがわるくて撤回できず、背を向けたまま夕飯のしたくをつづけた。

……シーン……

トントントントン(包丁の音)

ポリポリポリ(ビスケットをかじる音)

なんとかしなくてはと思いつつ舌がほぐれない。

しばらくすると、「ママ?」と娘が呼んできた。

「ヒシしようよ」

 


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ヒシというのは、彼女の用語で「ハグ」のこと。

「ひしと抱きあう」
という言い回しをどこかで聞いて気に入ったらしく、ぎゅっと抱擁しあうことを「ヒシ」と言う。

わが家では、2歳数か月の子どものほうが母よりずっとおとななのであった。

こういう時ばかりは、わたしの中の悪いわたしは跡形もなく消えてしまう。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


97-98ページ 『孕むことば』
著者: 鴻巣友季子
2008年5月22日 第1刷発行
発行所: 株式会社 マガジンハウス


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デンマンさん。。。 なんだか 私に対する当て付けのようなエピソードを持ち出してきましたわねぇ~。。。


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あれっ。。。 小百合さんも 鴻巣友季子さんのように子どもの前でヒステリーを起こしたことがあったのですかァ~?

台所で夕飯のしたくをしている時などに、子どもがうるさく まとわりついてくる時など ついついムカついて 言わなくてもいい言葉を口走ったりしたことがありましたわ。。。

。。。でしょうねぇ~。。。 僕にも子どもの頃、甘えたいのに母親につっけんどんにされたことがありましたよ。。。

小さな子どもの頃ってぇ、誰にでも同じような経験があるのではありませんかァ~。。。?

でもねぇ~、僕が子どもの頃にはハグをする習慣というのは、全くありませんでしたよ。。。 最近、日本に帰省してテレビを見ていると、アメリカの映画の影響か? あるいは欧米を旅行してハグをするのを見慣れるようになったせいか? 中学生か、あるいは女子高生か? 戸外で女の子同志でハグをしているのを見かけることが多くなったけれど、僕が小学生か中学生の頃には、そのような事は全くありませんでした。。。 小百合さんの子どもの頃はどうでしたか?

やっぱり、ありませんでしたわァ。。。 アメリカ文化の影響だと思いますわァ。。。

僕が小学生の頃だって、テレビでアメリカのホームドラマをやっていたけれど、ハグをするのって、あまりテレビに映ってなかったよな気がするのですよ。。。

私が子どもの頃は、アメリカのホームドラマで たまにはハグを見かけましたけれど。。。、でも、その真似をしてハグする人はいませんでしたわァ。。。

海外で暮らしている人にとっては、ハグはけっこう当たり前ですからね。。。 例えば、ブラジルですよ。。。

アブラッソ不在の美


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日本に住み始めた頃、ここには、ブラジルのアブラッソ(ハグ)の習慣がないことぐらいはすぐに気づきました。
しかし、これを試みると嫌われるとまでは、分かりませんでした。

だから、アブラッソを試みて拒否されると、ずいぶんと傷つき、いやな思いをしたものです。
「心の温かさを伝えたいだけなのに、なぜこの人は逃げるの?」

それは夫との間でも同じでした。
彼との交際が始まり、後に結婚してからも、私はアブラッソをしたかったのだと思います。

でも日本では、人前でベタベタすると嫌われますよね。
ですから外を歩く時など、夫の腕に手を回すだけにしていました。

(略) 東京都町田市にあった夫の実家でしばらく過ごすことになりました。
ある日、夫と腕を組んで歩いていたら、道の向こうから、知人(夫の友人の母親)が私たちのほうに歩いてくるのが見えました。

すると彼は私の腕をぱっ!と振りほどき、通りの向こう側に行ってしまったのです。
なにも通りの向こうのほうにまで行くこともないのにねぇ。

腕を組んで歩くくらいなら東京(新宿など)でも自然にやっていたことですし、オーストラリアでは当たり前でした。
でもそこは、町田。
人出の多い新宿などとは違って、住宅地。
腕など組んでいるカップルは、当時はまだ珍しかったようです。

 


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


47-48 ページ
『悪いけど日本人じゃないの』
著者: 日向ノエミア
2013年5月25日 第1刷発行
発行所: 柏書房株式会社

 

あらっ。。。 アブラッソというのは、ハグのことなのですわねぇ~。。。

そうなのです。。。 小百合さんもハグということが分かって懐かしいでしょう!

私が懐かしがらなければならにことでもあるのですか?

やだなあああァ~。。。 もう忘れてしまったのですかァ~。。。

私が何を忘れたとデンマンさんは言うのですかァ~?

かつて僕が小百合さんに出したメールを読んでみてください。

Subj:小百合さん、おはよう!

きのうは10月だというのに

油蝉が鳴いて

呆れましたよ!

きゃはははは。。。


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From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: Thu, Oct 13, 2011 10:53 am

Infoseekのメールシステムがリニューアルしたので、うまく送信ができなくなってしまったのですよ。

それでAOLのメールシステムを使って送信したのだけれど、これも、うまく送ってくれなかったようです。

このメールはINFOSEEKの旧システムで送ってます。

昨日は小百合さんと会えて十分に楽しみましたよ。
9月30日、館林では時間的なゆとりがなかったのでガストでも、なんとなくせわしい気持ちでダベッたので、なかなか落ち着けなかったようですよね。

昨日は盛りだくさんな1日だったけれど、小百合さんが気分的に落ち着いていたようで、僕ものんびりとできました。


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大長寺の大仏様の前でHよりも感じるハグをしてから東屋(あずまや)でダベッていたら油蝉が飛んできて鳴いたのには驚きましたよ。
ロマンチックというよりも呆れましたよ!
10月12日なのに、夏の気分になって蝉が飛んできたようです。(爆笑)

確かに昨日は10月にしては暑かった。
実家に4時に戻った時には汗ばむほどの陽気でした。23度。
でも、油蝉が鳴くほど暑くはなかった。


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「かねつき堂」のゼリーフライは久しぶりに食べてうまかったですよ。

水城公園で小百合さんがIrish Cream Coffee Beansで入れてくれたコーヒーを飲みながら食べたので一味うまかったのでしょうね。

それにしてもガチョウの“チョウ助”が居ませんでした。


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僕がバンクーバーで暮らしている1年の間に、可哀想にも一人で寂しく亡くなってしまったのでしょう?!

 

小百合さんが久しぶりにマクドでシナモンロールが食べたいと言ったので行田イオン(eaon)モールに行ったのだけれどマクドナルドが無くなっていたんだよね。


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行田市内は寂れる一方ですよ。

どうしてもお客さんが郊外のショッピングモールへ行ってしまうんだよね。たぶん。。。

そう言う訳で17号バイパスのケーヨーD2吹上店へ行きました。


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敷地の南東の隅にマクドナルドがあった。
でも、シナモンロールは、もうやってないとのこと。。。

NHKの「おはよう日本」では、最近、キッシュが日本で流行っているというようなことを言っていたけれど、
ガストにもマクドでもキッシュは置いてない。

キッシュ(仏語 Quiche)


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キッシュは、卵とクリームを使って作るフランス、アルザス・ロレーヌ地方の郷土料理。

パイ生地・タルト生地で作った器の中に、卵、生クリーム、ひき肉やアスパラガスなど野菜を加えて熟成したグリュイエールチーズなどをたっぷりのせオーブンで焼き上げる。
ロレーヌ風キッシュ(キッシュ・ロレーヌ)では、クリームとベーコンを加える。
ナッツ類を加える場合もある。

生地ごと三角形に切って皿に出す。
地中海沿岸の地域でも一般的な料理である。
語源はドイツ語のKuchen(クーヘン)である。


出典: フリー百科事典
ウィキペディア(Wikipedia)』


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仕方なく、マックナギットを頼んでコーヒーを飲みながら一緒につまみました。

“マクドでコーヒーのお代わりなんてできないわよ!”
と小百合さんはいつも言っていたけれど、D2のそばのマクドでもコーヒーのお代わりが無料でできました。
きゃはははは。。。


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明日も、また会えるといいね。
今度は「さきたま古墳公園」で“田舎っぺうどん”を食べましょう。
じゃあね。


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『タリアセン夫人と再会』より
(2011年10月13日)

どうですか?。。。 思い出しましたかァ?

ええ。。。 思い出しましたわァ。。。 つまり、大長寺の大仏様の前でHよりも感じるハグをしたことを私に思い出して欲しかったのですわねぇ~?

いけませんかァ~。。。

そのために、わざわざヒシしようよというタイトルにしたのですかァ?

そうです。。。 いけませんか? 上の本の著者の日向ノエミアさんの両親は日本人なのですよ。。。 でも、生まれがブラジルで24歳の時に日本へ留学するまでは ずっとブラジル育ちだったのです。。。 それで、ハグするのは 至極当たり前の習慣として 日本でも親しくなった人と会ったりすると ついついハグをしようとしたわけです。

すると、ハグする前に日本人から逃げられてしまって、いやな思いをしたというのですねぇ~。。。

そういうことですよ。。。

。。。で、デンマンさんもカナダ暮らしが人生の半分以上を占めるようになったので ハグするのが習慣になったと言いたいのですか?

そうですよ。

つまり、デンマンさんにも 日本へやって来た時に日向ノエミアさんと同じような経験があると言いたいのですわねぇ~。。。?

そうです。。。 そのことでも、かつて記事を書いたのですよ。。。 読んでみてください。


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デンマンさんは次のように書いてましたわね。

今度は古代蓮を見ながら

“Hよりも感じるハグ”をして

再会を喜び合いたいものです。


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確かに、このように書きました。

それでデンマンさんはハグにこだわるのですか?

いけませんか?

だってぇ、デンマンさんのハグは、まるでプロレスの胴締めのように肋骨をギュッと締め付けるのですわ。

まさか。。。?

私はいつも死ぬかと思うほど呼吸困難に陥ってしまうのですわ。

それは、ちょっとオーバーではありませんか?

とにかく、いつ会ってもハグをっするのは、いったいどういうつもりなのですか?

やだなあああァ~、小百合さんが「ハグは素敵ですね」と言ったからですよ!

私がですか?

そうですよ!。。。もう忘れてしまったのですか?

そのような事を言ったかしら?

言いましたよ。。。次の写真を見ながら小百合さんはしみじみと言ったのですよゥ。。。


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つまり、白熊の真似をしてデンマンさんは私に会うとベアハグをするのですか?

いや。。。ちがいますよ!。。。白熊が人間のハグを真似したのですよ!

とにかく、デンマンさんのハグは肋骨が折れると思うほど締め付けが激しいのですわ。

まさか。。。?

だってぇ~、今年も肋骨の1本がボキッと音をたてましたわ。。。肋骨が折れたと私は思いましたわ。

あのねぇ~、僕はプロレスラーじゃありませんよ。 小百合さんの肋骨が折れるほど強烈なベアハグをしませんよゥ。。。 んもおおおォ~!

でも とにかく、肋骨がボキッと音を出すようなハグだけは止めていただけませんか!?

だから、それ程に僕は小百合さんとの再会を喜んだわけですよ。

でも、肋骨が折れるのが心配ですわ。

分かりました。 今度は白鳥を優しく抱きしめるようなハグをしますよ。 うししししし。。。


『タリアセン夫人と再会』より
(2011年10月13日)

あのねぇ~。。。 小百合さんは反応が大げさなのですよ。。。 いくらなんでも小百合さんの肋骨が折れるほど僕は強烈なベアハグなどしませんでしたよゥ。

だってぇ~、肋骨の1本がマジでボキッと音をたてましたわァ~。。。

だから、それが大げさだと言うのですよ。。。 僕には全く聞こえませんでした。。。 第一、僕はプロレスラーじゃないのですよ。。。 それほど強烈に小百合さんを抱きしめるわけがないじゃありませんかァ!

とにかく、私はベアハグされた本人だから、間違いなく脊椎を伝わってきた音が内耳に届きましたわァ。

つまり、それが理由で小百合さんは僕のハグから逃げるようになったのですかァ~?

いいえ、違いますわァ~。

じゃあ、どういうわけで、僕がハグしようとすると逃げるのですか?

デンマンさんは知らないのですか?

何を僕が知らないと小百合さんは言うのですか?

ちょっと次のページを見てくださいなァ。


(tousatsu2.png)

『実際のページ』

あれっ。。。 ハグを盗撮して サイトに貼り出したのですねぇ~。。。

そうですわァ。

つまり、小百合さんと僕がハグをしているのを盗撮されて ツイッターで公開されるかもしれないという不安から、僕がハグしようとすると小百合さんは逃げるのですか?

だってぇ~、デンマンさんのハグは5分から10分ぐらい続くのですものォ~。。。

いくらなんでも それはオーバーですよ。。。 そんなにハグしていたら、僕の腕はしびれてしまいます。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

あなたは どう思いますかァ~?

あなたも銀座で友達と出会った時などに、ハグしますかァ~?

海外では、同性であっても、ハグする人がいるようですわァ~。。。

あたくしは、大和撫子(やまとなでしこ)ですので、どちらかと言えば、おしとやかにお辞儀をして ご挨拶をするのがクセになっておるのでござ~ますわァ~。。。

でも、もしデンマンさんが あたくしの肋骨が折れるほど

ハグしようとなさったら、あたくしはジャイアント馬場の

コブラツイストでお返しをしようと思っていますゥ。。。 うふふふふふふ。。。


(baba01.jpg)

 

ええっ。。。 そんな事はどうでもいいから、何か面白い事を話せとおっしゃるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわ。。。 あたくしが余計な事を言ったので

あなたは、いやな気分になったのでしょうから、

気分直しに、あなたの気分爽快になるように次の曲を聴いてくださいまし。。。


(whitecliff.jpg)

いかがでしたかァ~。。。?

ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。

なぜ。。。?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


(ebay5.jpg)


(byebye.gif)

行田物語 病院食

2017年6月20日

 

行田物語 病院食

 


(hosfood01.jpg)


(hosfood05.jpg)


(nurse3.jpg)


(mayumi40.jpg)

好きなものを食べさせてください

 


(doctor13.gif)

 

「父が鰻を食べたがるのですが、大丈夫でしょうか」

申し訳ないですが、ご遠慮願います、鰻は危険です。

そういわれると予測していたが、あにはからんや、あっけらかんと、
「大丈夫ですよ」

「でも小骨が喉に引っかかったり肺に入っちゃったりしたら……?」

すると会長先生、ニッコリ笑って、
「好きなものは喉に引っかからないものなんです」

会長がさらに付け加えることには、
「イタリア人は、おいしいものが食べられなくなったら生きている意味がないと考えるそうです。私はその意見に大いに賛成でして、特別な疾患がないかぎり、『身体に悪い』と何もかも規制する前に、できるだけ『おいしい』と思っていただく努力をしたいと思っています

その考えをもってして入院患者と接してくれるこの病院に食い意地の張っている父を入れてよかったと、私はそのとき心の底から安堵した。

これからは、多少カロリーが高そうだとか老齢には脂がきつそうだとか、余計な素人判断は捨てることにしよう。

いざとなったら「我々がちゃんと診ています」とお医者様もおっしゃってくださった。

家族としては、父が「食べたい」と求めるものを食べさせればいい。

 


(banzai03.jpg)

 


(agawa01.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


41-42 ページ 『強父論』
著者: 阿川佐和子
2016年9月10日 第5刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

デンマンさん。。。 また“病院食”を取り上げるのですか?


(kato3.gif)

あのねぇ~、実は、バンクーバー図書館で借りていた本を読んでいたら上の箇所に出くわしたのですよ。。。

それで、また“病院食”を取り上げる気になったのですか?

そうです。。。 やっぱり、多くの高齢者の家族が年寄りが病気になったら、なるべく おいしいものを食べさせてやりたいと思っていのですよ。。。 阿川佐和子さんも、お父さんで作家の阿川弘之さんが入院した時に、鰻を食べたがるので ぜひ食べさせてあげたいと思ったわけですよ。。。

でも、年寄りの病人に鰻というのは、常識的にも、ちょっとダメですよねぇ~。。。

確かに、佐和子さんも、鰻はちょっとダメなんじゃないだろうか?。。。と思ったわけですよ。。。 でも、意外に会長先生はOKだと言ったわけですよねぇ~。。。

私も、上の小文を読んで、意外な感じがしましたわァ~。。。

でしょう?。。。 でもねぇ~、現在、日本の医者や看護師の多くが、医学的な迷信に囚われていると思うのですよ。。。 たとえば、次のように。。。


(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。お母さんは退院なさったのですか?


(kato3.gif)

一度退院したけれど、また入院ですよ。

今度もまた行田中央総合病院ですか?

いや。。。今度は行田総合病院です。

あらっ。。。同じ病院ではないのですか?

「中央」がぬけると全く違う病院になるのですよ。

どうして行田中央総合病院ではなく、行田総合病院にしたのですか?

あのねぇ、僕は行田中央総合病院のフィードバック・フォームに医療食について苦情と要望を書いたのですよ。

皆様のご意見をお聞かせください。


(uncle006.gif)

皆様にご満足戴ける病院を目指してスタッフ一同努力しておりますが、様々な観点において皆様からお気付きの点・ご意見等がありましたら、ご遠慮なくお聞かせください。

記入日: 平成24年10月6日

207号室でお世話になっている患者(私の母)の長男、デンマンという者です。
スタッフの皆様の医療には感謝しております。

さて、母の食事表を見ますと、10月1日(月)には主食・副食ともハシをつけているようです。
しかし、日数が重なってゆき10月5日(金)、10月5日(土)を見ますと、主食・副食ともにゼロです。(食べていません。)
病院理念を見ますと「病気を診ずして病人を診よ」となっていますが、理念と現実があまりにもかけ離れているのを感じます。

貴医院のパンフレットを拝見しますと、食欲をそそられる素晴らしい(医療食の)写真が掲載されています。


(hospfood.jpg)

ところが実際の医療食を見ますと、見ただけでもまずそうで、食欲を無くすようなメニューになっています。

貴医院には専属の栄養士・調理師は居ないのでしょうか?
母の生きがいは「食」にあります。

医療食とはいえ、患者の好みに応じたメニューを提供して欲しいと強く感じます。
なぜなら、入院中の患者にとって食事が唯一の楽しみだと思うからです。

医療食が人生の最後の食事になる患者さんも居ることでしょう。
「病気を診ずして病人を診よ」という理念に基づいて病人の気持ちと病状を考慮した医療食を提供していただきたいと切にお願いします。

宜しくお願いします。
乱筆で失礼いたします。

デンマン

行田市行田 TEL: 0485 (54) 9999


『ネットと行田中央総合病院』より
(2012年10月14日)

このフォームが問題になったのですか?

そうなのですよ。 お袋の様態が悪化したので行田中央総合病院に入院させようとしたのだけれど、「医療食にきめの細かい配慮ができませんので、もっと大きな病院に入院させてはいかがですか!?」と丁重に断られてしまったのですよ。

それで、どうなさったのですか?

しかたがないから行田総合病院に連絡をとって引き受けてもらったのですよ。

。。。で、救急車で搬送したのですか?

そうです。 僕が救急車に乗って付き添っていったのです。 救急車に付き添いで乗るのは生まれて2度目の経験ですよ。

最初はどのような事故で救急車に乗ったのですか?

いや。。。事故ではなく最初の時もお袋の様態が急におかしくなったので僕が救急車を呼んで行田中央総合病院へ搬送するように頼んだのですよ。

つまり、行田中央総合病院には昔からお世話になっているのですわね?

その通りです。 でもねぇ、その時にも院長先生に苦情を言ったものだから、よほど口うるさい息子がいるというので敬遠されたのですよ。 たぶん。

。。。で、行田総合病院の対応はどうでしたの?

それがねぇ、意外にも迅速に対応したのですよ。 嬉しい驚きでしたよ。

デンマンさんが嬉しがるほどの迅速な対応だったのですか?

そうなのです。


『病院の悪い評判』より
(2012年11月4日)

つまり、病院食がまずそうなので、やがてお母さんが食べる気が無くなってしまったのですか?

僕が見ても食べたくなるようなものじゃなかった。。。 ある日、梨が食べたいと言ったので、僕は梨を持って行って、皮をむいてお皿の上に出して母親がうまそうに食べるのを眺めていた。。。 そしたら、看護婦さんがやって来て、あとで分かったのだけれど、僕があまりにも堂々と梨を食べさせているので、唖然としてそのまま何も言わずに病室から出て行ってしまったようです。。。 もちろん、その時、僕はたいして看護婦さんの行動に気をとられていなかった。

それで。。。?

翌日、見舞いに行ったら、ベッドの上に、縦横40センチぐらいのカードボードがぶら下がっていて、マジックでなにやら書いてある。。。

 

 

患者様に、病院食以外の
 

食べ物は
 

食べさせないでください。
 

宜しくお願いします。

 

 

デンマンさんに直接注意しないで、わざわざカードボードに書いたのですか?

僕はどうやらクレーマーとして病院のブラックリストに載っているらしい。。。 (苦笑) 僕に注意すると、10倍ぐらいの苦情が返ってくると思うのか、“触らぬ神にたたり無し”と思われていたようですよ。。。

つまり、病院で決められたもの以外は駄目だと言うことですねぇ~。。。

そういうことなのです。。。 お袋が梨が食べたいと言うのだから、梨ぐらいは別に病人に異常を与えるとは思えない。。。 ところが、これまでの病院の古いしきたりに従って、病院食を改善しようとしない。。。

でも、やっぱり、病院で決めたものが病人にはいいのではありませんか?

でもねぇ~、最近の医学では、必ずしも古くからのしきたりが、病人に良いとは考えない医者も出てきたのですよ。。。 たまたま、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのです。。。

病院食


(okayu02.jpg)

 

入院した経験をおもちの方はわかると思いますが、いまの病院食というのは、何かというとすぐに「お粥」を食べさせます。
とくに内臓を手術したあとの患者などには、「胃腸に負担をかけないように三分粥から始めましょう」と、いかにも体を思いやっているような言い方をします。
でも、これは大きな間違いです。

私は、胃の手術をした患者さんにも最初から普通食を提供します。
なぜお粥よりも普通食のほうがいいのか、それはエンザイムの働きを知っていればすぐにわかります。

普通食がよいのは「よくかむ」ことが必要だからです。
よくかむことは唾液の分泌を促します。
唾液の中には消化エンザイムが含まれており、かむことによってエンザイムと食物がよく混ざり合い、食物の分解がスムーズに進むので消化吸収がよくなるのです。

しかし、お粥だと最初からどろどろしているので、ろくにかまずに飲み込んでしまいます。
そのため、やわらかいはずのお粥は、エンザイムが充分に混ざっていないため消化が悪く、よくかんだ普通食のほうが消化がよいという皮肉な結果になるのです。

私は胃の手術をした3日後の昼食に、普通のお寿司を出したこともあります。
ただし、そのときは「ひとくちあたり70回はかんでください」ときちんと指導します。
よくかむということは、病人に限らず消化吸収をスムーズに行うためにとても大切なことです。
とくに胃腸の問題のない人も、普段から30~50回はかむように心がけることをお勧めします。


(shinya01.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


68-69ページ 『病気にならない生き方』
著者: 新谷 弘美
2006年5月1日 第25刷発行
発行所: 株式会社 サンマーク出版

真由美ちゃんは、どう思いますか?

確かに“病院食”をイメージすると、“お粥”みたいな食べ物になるでしょうねぇ~。。。

でもねぇ~、真由美ちゃんは無意識のうちに「病院食がお粥だというのは間違いだ」と気づいていたようですよ。。。

あらっ。。。 どうして、デンマンさんはそのようなことを言うのですか?

ちょっと次のメールのやり取りを読んでみてください。


(foolw.gif)

真由美ちゃん、風邪を

移されないように気をつけてね。

今日は、よく僕を見つけることができましたね。
ちょっと驚きましたよ。


(library9.jpg)

バンクーバー中央図書館は 8階建ての建物で、
パソコンが置いてあるのが
2階、3階、4階、そして 6階。
全部で 350台ぐらいあるから。。。
パソコンをやっている人を探すのは大変ですよ。

真由美ちゃんが僕を見つける20分前に、
Atrium のテーブルで お昼を食べ終えたところでした。
僕がお昼を食べている時に、探していたら、もっと時間がかかっていたかもね。


(library4.jpg)

でも、Atrium を先に探したとしたら、もっと早く見つけていたかも。。。、

久しぶりに風邪を引いてしまったのですが、
それでも、熱は出ていないから、たいした風邪ではありません。

月曜日の夜は、鼻が詰まって、寝苦しくて、よく眠れませんでしたよ。
火曜日は図書館へ行くかどうか迷いました。

しかし、生活習慣は変えないのが僕の生活信条なので、
ちょっと しんどかったけれど、中央図書館に歩いてゆきました。

でも、ちょうど月曜日の夜が峠だったのか?
火曜日の夜からは、問題なく、眠れるようになりました。

今日は、鼻声だったけれど、月曜日の夜から比べれば、だいぶ楽になりました。
だいたい、風邪を引くのは、1年に1度あるかないか。。。

今回の風邪では、寝込むことはなかったけれど、ちょっとしつこいですよ。
でも、カナダの風邪で熱を出したことがないから、日本で風邪を引いた時の頭痛がないだけ、まだ楽です。

こうしてメールを書いたのは、真由美ちゃんと3時間近く話し込みましたからね。。。


(inview02.jpg)

真由美ちゃんも絶対に、僕と話している間に唾(ツバ)の飛沫(ひまつ)を吸い込んでいますよ。
。。。ということは風邪のウィルスも吸い込んだということです。

真由美ちゃんは、若いし、健康そうだから、風邪のウィルスに抵抗力があると思うけれど、
今夜は早めに寝てください。
寝不足は禁物です。
抵抗力が落ちるから。。。


(sleepgal.gif)

明日の朝は、元気がでるような朝食を食べて、抵抗力が下がらないように気をつけてね。

僕の風邪は、鼻から来ました。
鼻がグズグズして来て、鼻水が出始め、
それから、喉に来て、セキが出て、

昨日からセキが収まり、鼻水も、それほど出なくなり。
現在では、快方に向かっていますよ。

でも、熱は出ないし、寝込むことはなかったから、
僕の風邪が移ったとしても、それほどひどいことにはならないでしょう!

とにかく、気をつけてね。
じゃあ、ぐっすり眠ってください。
おやすみ。。。


(denman01.gif)

Thu, Jan 29, 2015 at 11:12 PM

 


(katosmil.gif)

真由美ちゃんが、いろいろと考えながら、

一生懸命に就職に向けて

頑張っている様子が

読み取れますよ。

真由美ちゃんも風邪を移されて寝ていると思ったのだけれど、やっぱり若いから、免疫力があるんだね。
安心しました。

今度の風邪は本当にタチが悪くて、今日は9時まで頑張ることができませんでした。
6時に自宅に帰って、寝ました。
10時10分に起きて、脱水症状にならないように、コーヒーをたくさん飲みましたよ。


(mayumi40.png)

デンマンさんの風邪も少し良くなったようなので良かったです。

でもあまり無理せずデンマンさんも栄養のあるもの食べてくださいね!


(kato3.gif)

確かに少しづつ良くはなっているけれど、
6時頃になるとしんどいです。


(mayumi40.png)

おとといは栃木県に住む母親から手紙が届き、
久しぶりに母親と会話をしたような気分になりました。

私も父親とはたまにメールのやり取りをしているのですが
心配をかけたくないので、
あまりこまめには父親にも連絡していませんでした。

母親がメールができないので、この手紙が わたしがバンクーバーにやって来てから初めてのコンタクトみたいな感じでした。
中を開けたら、2回分の手紙が入ってました。
違う日にちに 書かれたのでしょう。

その中には今年明けに埼玉県の実家に里帰りをしていたらしく
ケイジおじさんが私のことを随分の心配をしていて、
たくさん、いろんなことを聞かれたと書かれてありました(笑)

母親の手紙を読んで、
こみ上げる思いでいっぱいになりました。。。

真由美ちゃんは一人暮らしをしたことがないので、関係者は 真由美ちゃんのことを本当に心配していると思いますよ。
しかし、真由美ちゃんは10代ではないのだから、関係者が、それほど心配するのは可笑しなことですよね。

お母さんも久しぶりに 真由美ちゃんに 心の内を語ったのではありませんか?


(mayumi40.png)

昨日は私の好きな静かなカフェで
ひっそりと母親に返事を書いていました。


(tuc02.jpg)

癒しの場所を確保することはいいことですよ。


(mayumi40.png)

今日その手紙を出しに先ほど切手が売っている所まで行って送って来ました。
その足で図書館により今デンマンさんにメールを打っています。

今日手紙を出す場所も本当は切手が売っているお店を知っていたのですが
わざとそこに着くまでに通りすがる人に

“Is there a post office around here?”

“Where can I get stamps?”

“Keep going? all the way?”

“left hand side of the street?”

。。。とカタコトで聞いてみたり^^::

そうです。。。そうです。。。 何事も勉強です。

ボランティアのことは、今度,スープキッチンへ行った時にダイアンにじっくりと話を聞いてみたらいいですよ。
僕の風邪が完全に治ったら、スープキッチンへ行って見ましょう。
ダイアンも風邪を引いてしまったようで、そんなことがメールに書いてありました。


(mayumi40.png)

デンマンさんからのメールを部屋で読んでから、
今はNorth Vancouverの図書館に来ています。

はい、はい、はい。。。 僕も、できるだけ、真由美ちゃんの手助けができれば、幸せな気分になれます。
だから、遠慮せずに、何でも、書いてください。
じゃあね。


(denman01.gif)

Date: 2015/2/4, Wed 11:25PM

 


(foolw.gif)

真由美ちゃんが作ってくれた弁当を食べて

元気が出ました。

真由美ちゃんが帰ってから、すぐにベッドにもぐって寝て、
さっき、午前1時に目が覚めたばかりです。

ジンジャーを千切りにして、ジンジャー・ティーをいれて
弁当を食べました。


(bento102.jpg)

元気が出ました。


(mayumi40.png)

今日は突然押しかけて、すみませんでした。

僕もビックリしましたよ。
まさか風邪見舞いに、真由美ちゃんがやって来るとは思いませんでした。


(mayumi40.png)

ほんと、お弁当だけ渡して帰るつもりだったのに、
後々、デンマンさんの体調を考えたら長居してしまった事を申し訳なく思いました。
今日はゆっくり、休んでください。

でも、別に迷惑ではありませんでしたよ。

“メリハリ”のある生活をする。。。これが僕のモットーですから。。。
つまり、病気になっても、できるだけ日常通りに過ごすと言うのが、これまでの僕のやり方です。

だから、これまで、風邪のために休んだということはありませんでした。
やっぱり、“気が張っている”ということは病気回復効果もあるのだと思います。

真由美ちゃんが“風邪”を移されなかったのも、“風邪にかかっている場合じゃない!”という気持ちが多少は影響していると思いますよ。


(mayumi40.png)

もし、何かわたしにできる事あったら何でも言って下さいね。
わたしもデンマンさんの力になれる事は なりたいと思っています。

でもねぇ~、“あなたまかせ”の生活になってしまったら、マイナスになってしまいます。
真由美ちゃんが 初めて カレンおばさん夫婦に会った日に、カレンおばさんが旦那のことを愚痴っていましたよ。
覚えてますか?


(angry13.gif)

“あんたは、そばに面倒を見てくれる人がいるから

頼ってしまうねん。 それで、風邪がなかなか治らへん”

だから、真由美ちゃんの気持ちは充分にうれしいのですが、
誰にも頼らない生活を確立しないと、いざという時に苦労するのは自分ですからね。
頼れる人が常にそばに居るとは限らないのだから。。。

僕は、そういうつもりで、これまで生きてきましたから。。。
だから、これまでにカナダでは一度も医者にかかったことがなかったのですよ。
すくなくとも、“一匹狼の気持ち”を持っていたからこそ、健康で居られたのだと思います。

でも、今回の風邪だけは、ちょっと油断していました。
簡単な風邪だと思って、往復1時間かかって図書館まで歩いたのが、どうも風邪が長引く原因だったようです。

そう言うわけで、今日は、すぐそこのJoe Fortes Library で記事を投稿するつもりです。
なるべく早めに寝ます。


(mayumi40.png)

帰りに Joe’s Market に寄って
ココナッツのパンを買いました。


(cocobun2.jpg)

パンをかじりながら帰りました。
やはり、あのパンは美味しいです!^ ^
それでは おやすみなさい。

キャルガリー(Calgary)で作られた、あのcoconut bun (椰子包)は 僕の大好物ですよ。
真由美ちゃんも気に入ったようですね。 (笑い)


(joe002.jpg)


(joe001.jpg)


(joe003.jpg)

あの、マーケットは、僕の知る限りでは、
バンクーバーのウェストエンドでは一番安い店です。

でも、品物も悪くはないです。 品揃えも、まあまあです。
醤油、味噌、豆腐も売ってます。

バナナの値段を見るのが、よい比較になります。
あのマーケットでは 1パウンドで 69セントです。

もっと安いのは、チャイナタウンだけでしょう!?

では、真由美ちゃんも、風邪を引かないように、くれぐれも気をつけて。。。
弁当、ありがとね。
おかげで、元気がでました。
じゃあね。


(denman01.gif)

Fri., Feb. 6, 2015 at 2:33 AM


『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』より
(2015年2月11日)

こうして久しぶりにメールを読み返すと、しみじみと真由美ちゃんが作ってくれた弁当を食べたときのことが思い出されますよ。。。

お粥ではなく、お弁当を作ったのは間違いではなかったのですねぇ~。。。

そうですよ。。。 やっぱり、“病院食”は真心のこもったお弁当が何よりなのです。。。


(laugh16.gif)

【デンマンの独り言】


(kato3.gif)

真由美ちゃんの母親は 僕の従妹です。。。

つまり、僕の母親は真由美ちゃんにとって大伯母にあたります。


(mother002.jpg)

僕の母親が亡くなる2年ほど前に真由美ちゃんと一緒に撮った写真です。

ところで、真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

忙しい時間を割いて、真由美ちゃんも僕の母親の葬式には参列してくれました。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー


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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


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『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


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『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』

『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』

『行田物語 ケネディ暗殺』


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うるさい夏

2017年6月18日

 

うるさい夏

 


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デンマンさんは、日本の“うるさい夏”が嫌いなのですかァ~?


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。。。ん? 僕が日本の“うるさい夏”を嫌っている、とジューンさんは思っているのですかァ?

だってぇ、タイトルにそう書いてあるではありませんかァ!

いや。。。、このタイトルは僕の思いを表現したものではないのですよ。。。

じゃあ、誰の思いなのですかァ~?

やだなあああァ~。。。、ジューンさんは忘れてしまったのですかァ~?

わたしが何を忘れた、とデンマンさんは言うのですか。。。

もうずいぶん前になるけれど、ジューンさんが初めて日本の夏に東北地方を旅行したときのことですよ。。。 その時、ジューンさんは「セミの鳴き声がうるさくて昼寝ができないわァ~! んもおおおォ~!」とボヤいていたではありませんかァ!

あらっ。。。 そういうことがあったかしらァ~?

あったのですよ。。。 

。。。で、どうして、その事を思い出したのですか?

実は、バンクーバー図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのです。。。

立石寺

 


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山形領に立石寺と云う寺あり。
慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。
一見すべきよし、人々のすすむるに依(よ)りて、尾花沢よりとって返し、その間七里ばかりなり。

日いまだ暮れず。
麓の坊に宿かり置(おき)て、山上の堂にのぼる。

岩に巌(いわお)を重ねて山とし、松柏年旧(としふり)、土石老いて苔滑(なめ)らかに、岩上の院々扉を閉じて、物の音きこえず。
岸をめぐり、岩を這って、仏閣を拝し、佳景(かけい)寂寞(じゃくまく)として心すみ行くのみおぼゆ。


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閑(しずか)さや

 

岩にしみ入る

 

蝉の声

 

There is a mountain temple in the domain of Yamagata called the Ryushaku-ji.
It was founded by the Great Teacher Jikaku, and is a place noted for its tranquility.
People had urged us to go there “even for a brief look,” and we had turned back at Obanazawa to make the journey, a distance of about fifteen miles.

It was still daylight when we arrived.
After first reserving pilgrim’s lodgings at the foot of the mountain, we climed to the temple itself at the summit.

Boulders piled on boulders had created this mountain, and the pines and cedars on its slopes were old.
The earth and stones were worn and slippery with moss.
At the summit the doors of the temple buildings wete all shut, and not a sound could be heard.

Circling around the cliffs and crawling over the rocks, we reached the main temple building.
In the splendor of the scene and the silence I felt a wonderful peace penetrate my heart.


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How still it is here

 

Stinging into the stones,

 

The locusts’ trill.

 

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


98-99ページ 『おくのほそ道』
著者: ドナルド・キーン 挿絵(切り絵): 宮田雅之
1997年2月1日 第2刷発行
発行所: 講談社インターナショナル株式会社

この本は芭蕉の『奥の細道』の対訳本ですわねぇ~。。。 なるほどォ~、上の本を読んで、わたしが山寺に行った時の写真をアルバムから引っ張り出して 冒頭に貼り出したのですわねぇ~。。。

そうです。。。 いけませんか?

かまいませんけれど、この記事を読み始めた日本語の解るネット市民の皆様には、山寺はとりわけ珍しくないと思いますわァ~。。。

あのねぇ~、東京よりも西に住んでいる日本人は、芭蕉の有名な俳句を耳にしたことはあるけれど、おそらく山に登って立石寺に参拝したことはないと思うのですよ。。。

それで、山寺を取り上げたのですか?

いや、そればかりではないのです。。。

他に何がデンマンさんの興味を引いたのですか?

あのねぇ~、ドナルド・キーンさんが訳した芭蕉の句を見てください。。。 赤字にした箇所ですよ。。。

それが、何か可笑しいのですか?

そうです。。。 ついでだから、ジューンさんも次の「立石寺」の説明を読んでみてください。。。

立石寺

 


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立石寺(りっしゃくじ)は、山形県山形市にある天台宗の寺院。
山号は宝珠山。本尊は薬師如来。山寺(やまでら)の通称で知られ、古くは「りゅうしゃくじ」と称した。
寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。

蔵王国定公園(第2種特別地域)に指定されていて、円仁が開山した四寺(中尊寺・毛越寺、瑞巌寺)を巡る、「四寺廻廊」を構成しているほか、若松寺・慈恩寺を巡る出羽名刹三寺まいりを構成する。

立石寺の創建について、寺伝では貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。
当寺の創建が平安時代初期(9世紀)にさかのぼることと、円仁との関係が深い寺院であることは確かであるが、創建の正確な時期や事情については諸説あり、草創の時期は貞観2年よりもさらにさかのぼるものと推定される。

『立石寺記録』(立石寺文書のうち)は、「開山」を円仁、「開祖」を安慧(あんね)と位置づけており、子院の安養院は心能が、千手院と山王院は実玄が開いたとされている。
安慧は円仁の跡を継いで天台座主となった僧であり、心能と実玄は円仁の東国巡錫に同行した弟子である。
安慧は承和11年(844年)から嘉承2年(849年)まで出羽国の講師の任にあり、東国に天台宗を広める役割をしたことから、立石寺の実質的な創立者は安慧であるとする説もある。

また、円仁が実際に東国巡錫したのは天長6年(829年)から9年(832年)のこととされ、この際、弟子の心能と実玄をこの地に留め置いて立石寺の開創にあたらせたとの解釈もある。

立石寺には貞観2年(860年)12月の日付をもつ『円仁置文写』が伝わるが、この文書は必ずしも寺の創建年次を示すものではなく、この文書自体が後世の仮託とする説もある。
貞観2年(860年)には、円仁は当時としては高齢の60歳代で、しかも天台座主の高位にあった。
したがって、この時期に円仁が実際に今の山形県に出向いて立石寺を建立したということは、年齢と地位の両面から、文字通りの史実とは考えがたく、円仁の意を受けた安慧らによって9世紀半ば頃から徐々に寺観が整えられたとみるのが穏当である。

なお、根本中堂に安置されている木造毘沙門天立像は近年の調査によって9世紀頃の作であることが判明しており、円仁とみられる頭部のみの木彫像と同様、立石寺創建期の一例に加えられる。
また、胸甲の上で甲締めの結び目を表していることや細い腰帯の下に幅広の腰帯を着けるなど珍しい甲制となっているが、これらは東北地方の神将形の作例にしか見られないもので、平安時代には同種の作例がある寺院との間に繋がりがあったことを示唆させる特徴を持つ点でも注目に値する。

元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中で訪れ、その時のことが『おくのほそ道』に書かれている。
また、当地で名句「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」を詠んでおり、参道に句碑がある。

 


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出典: 「立石寺」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上の説明にも、何か可笑しな所があるのですか?

ジューンさんは、上のYouTubeのクリップを観ましたか?

ええ。。。、デンマンさんが せっかく貼り出してくれたので観ましたわァ。。。 カナダ人の女性が案内しているのですわねぇ~。。。

そうです。。。 ジューンさんのお友達でしょう?

違いますわ。。。 一度も会ったことがない女性ですわァ~。。。

ところで、クリップの中で彼女が案内する場面を観て ジューンさんは、何か不自然な事に気づきませんでしたかァ?

別に、可笑しな所はなかったと思いますけれど。。。 

あのねぇ~、ドナルド・キーンさんはセミを “locust” と訳したのですよ。。。 これは間違っているでしょう!?

デンマンさんは、どうして間違っていると思ったのですか?

だってぇ~、YouTubeのクリップには次のような画面が出てきますよ。


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    ちょっと可愛い可笑しなカナダ人


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「セミの声」を “Voice of Cicada” と訳している! これが正しいのですよ。。。 “locust” というのは「イナゴ」や「バッタ」のことで、「セミ」は“cicada”と訳すべきですよ。。。

あらっ。。。 デンマンさんは知らなかったのですか?

僕が何を知らないと、ジューンさんは言うのですか?

ドナルド・キーンさんは、アメリカ人ですわ。。。

その程度のことは僕も知ってますよう。。。

だったら、アメリカでは「セミ」のことを “locust” と言う人はたくさん居ますわァ。

マジで。。。?

信じられないならば、ネットで調べると次のようなページがすぐに見つかりますわよゥ。。。

locust

音節lo・cust 発音記号/lóʊkəst|lˈəʊ‐/

名詞可算名詞

1) 【昆虫】 バッタ,イナゴ 《時に大群をなして移動し農作物に害を与える》.


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2) 《主に米国で用いられる》 【昆虫】 セミ.


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3) 【植物, 植物学】

a: =locust tree.

b: =locust bean.

【語源】 ラテン語「はねるもの」の意


研究社 新英和中辞典での「locust」の意味

2番の赤字にした所に注目してください。。。

あれっ。。。 “locust” を 主に米国では「セミ」の意味で使っているのですねぇ~。。。

デンマンさんは、知らなかったのですか?

知りませんでした。。。 中学の英語の時間から「セミ」は “locust” だと教(おそ)わったものですよ。。。 アメリカでは、どうして「イナゴ」や「バッタ」が「セミ」になってしまうのですか?

デンマンさんは、バンクーバーでセミの鳴き声を聞いたことがありますか?

あのねぇ~、不思議なことに、僕はこれまで20年以上バンクーバーに住んでいるのだけれど、一度もセミの鳴き声を聞いたことがないのですよ。。。

。。。でしょう? アメリカ人の中にも「セミ」を一度も見たことがないという人も居るのですわよう。。。 そういう人には「セミ」も「バッタ」も似たような昆虫に見えるのですわァ。


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(locust01.jpg)

。。。どうですか? 初めて見る人には上の2枚の写真に写っている昆虫は「セミ」と言われれば、2つともセミのように見えると思いませんか?

う~♪~ん。。。 僕には「セミ」と「バッタ」は同じようには見えませんよ。。。

たとえば日本では、“牡丹雪”とか、“粉雪”とか、“霧雪”…、何々雪というように言いますけれど、カナダの北極地方に住んでいるイヌイット(エスキモー)には、それぞれの種類の雪に、特有の単語が当てられているのですわ。。。


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つまり、いろいろな雪の種類を区別して、それぞれに特定の単語を割り当てて使っているのです。。。 それだけ雪に接する機会が多いから。。。

なるほどォ~。。。 ところが、アメリカ人は「セミ」を見たことがない人も居るので、「セミ」も「バッタ」も ひとまとめにして“locust” と呼ぶわけですねぇ~。。。

そういうことだと思いますわァ~。。。

ジューンさんは大学で比較言語学でも専攻したのですかァ?

いいえ。。。、わたしはパブリック・リレーションズとヒューマン・リレーションズを専攻したのですわ。。。

それにしては、言語学に詳しいですねぇ~。。。

その程度のことは常識に毛を生やしたぐらいだと思いますけれど。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あたくしも英語の授業では「セミ」は“cicada”だと教わりましたわァ。。。

あなたは、どうでしたか?

ところで、バッタやイナゴは大発生することがあるということを知っていますか?

日本では、あまり耳にしませんけれど中国やアフリカでは過去に周期的にイナゴが大発生してきたようですわ。。。

では、あなたのために、驚きのクリップをここに貼り出します。。。

じっくりとご覧になってくださいませぇ。。。


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ところで、話は変わりますけれど、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ フィーバー”が起こっているのですわよう。。。

ええっ。。。 信じられないというのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよ。


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。
信じてくださいましなァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


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『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、
ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
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『乙女と処女』

『戦場に行くことを教えた女教師』

『桜井の別れと母上様』

『ダイアモンドは女の親友』

『愛のコリーダを訳す』

『マルタ島のロマン再び』

『大前研一 奇妙な検索』

『ついに千夜一夜』

『いいね攻略と良妻賢母』

『批判が無いとヒトラーがのさばる』

『混浴入浴風景』

(roten101.jpg+cleoani.gif)

『9日間の女王』

『あなたは敬語?』

『原節子とジューンさん』

『モナリザの妹』

『ナイアガラとマリリンモンロー』

『おばさんパンツ@大晦日』

『ヴィーナスのえくぼ@ジューン』

『乳房振動とブラの研究』

『G線上のアリア』

ジューンさんの熟女下着
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『悲愴と白鳥』

『ブッダと千夜一夜物語』

『絹の道と千夜一夜物語』

『ヤノマミの乙女』

『ジャータカと今昔物語』

『白木屋お熊とセックス』

『パンツを売る乙女』

『床上手な女@マルタ島』

『宮沢りえとおばさんパンツ』

『マチュピチュとインディー・ジョーンズ』

『映画を愛する薄命の女』

『ベニスの騒動』

『アンネとハンナ』

『名器たこつぼ』

『レダの卵を探して…』


(miro0018.jpg)

『サモトラケのニケとミロのヴィーナス』

『薄命な女のパンツ』

『ロトの娘たち』

『もう一人のモナリザ』

『万夜一夜の謎』

『自由という誘惑』

『驚異の大洪水』

『おつまみミステリー』

『混浴風景を探して』

『ハレルヤ』


(sylvie122.jpg)

『マルタ島のロマンだ』

『宮沢りえ人気@海外』

『癒しを奏でるパンツ』

『マルタ島deロマン』

『生ログdeロマン散歩』

『宮沢りえ@クールジャパン』

『混浴風呂ガー』

『ウェルカムバック』

『コペンハーゲンからやって来た』

『ロシアからやって来た』

『海外美女ランキング』

『ブログを解剖する』

『スイスからトランプ見に来る』


(fan004.jpg)

『海外美女を探して』

『パンツde大晦日』

『Tバック@三賀日』

『とっちゃん坊や』

『また千夜一夜』

『初恋の思い出』

『乳房振動とブラ』

『白木屋お熊』

『肥後ズイキ@セルビア』

『紐パン熟女』

『美尻のビーナス』

『紐パン熟女に惹かれて』

『あの二人が気になって』

『肥後ズイキ@セルビア』

『私は下着女装です』

『ドリアンを探して』

『パリの日本人』

『ペンタゴン式己を疑う』

『薄命な女と映画』

『ラーメン@ベリーズ』

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


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こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)


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ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ


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行田物語 ケネディ暗殺

2017年6月17日

 

行田物語 ケネディ暗殺

 


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デンマンさん。。。、“ケネディ暗殺”が行田と関係あるのですか?


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もちろんですよ。。。 関係がないことを僕が持ち出すと真由美ちゃんは思っているのですかァ~?

でも。。。、でも。。。、ケネディ大統領はアメリカの大統領ですわァ。。。 それに一度も行田市にやって来てないと思います。

確かに、ケネディ大統領は、生涯に一度も行田市にやって来てません…。

それなのに、ケネディ大統領と行田が何か関係あるのですかァ~?

関係あるから、行田物語でケネディ暗殺を取り上げるのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、私ばかりでなく、この記事のタイトルを見てやって来たネット市民の皆様も絶対に関係ないと思ってますわァ~。。。

あのねぇ~。。。 もし、絶対に関係ないと思っていたら、この記事を読みにやって来てませんよ。。。 何か関係あると思ったから興味が湧いて、読みにやって来たのです。

じゃあ、マジでデンマンさんのブログにやって来たネット市民の皆様の期待に沿うようなお話をするのですねぇ~。。。?

もちろんです。。。 期待に添えないような馬鹿らしい話をしたら、もう二度と僕のブログにやって来なくなりますからねぇ~。。。 (微笑)

分かりましたわァ。。。 私もなんだか、期待に胸が膨(ふく)らんできましたわァ。。。 でも、やっぱり、心の片隅でちょっと心配です。。。

あのねぇ~。。。、真由美ちゃんが何も心配することはないのですよ。。。 たとえ、僕の話にネット市民の皆様がガッカリしても、真由美ちゃんをとって喰おうとするような人は居ませんから。。。 (モナリザの微笑)

分かりました。。。 じゃあ、なるべく余計なことは言わないように、細木数子さんのようにズバリと核心を突くように話してくださいなァ~。。。

あのねぇ~、順序良く、なるべく根拠を交えながら解り易く話をしないと、誤解を招いて細木数子のようにテレビ局のお偉方に睨まれて、番組を降ろされてしまうのですよ。。。 だから、僕は誤解を招かないように、この話を聞いたネット市民の民様が、納得するような証拠を示しながら話してゆくつもりなのです。。。 それでいいですか?

分かりましたわァ。。。 では、前置きはそれぐらいにして本題に入ってくださいなァ。。。

じゃあ、まず次の“振袖火事”の記事を読んでみてください。


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“振袖火事”というのは“明暦の大火”のことです。 でもねぇ~、学校の歴史の時間でも、“明暦の大火”と言われると、なんだかピンとこないのです。 だけど、“振袖火事”と言われれば、すぐに“ああァ~、あの振袖をお寺で供養する時に燃やした。。。 その時、強い風が吹いて、それが火元になった大火事だ”と、ピンとくるのですよ。 それほど、このエピソードは一人歩きするほど庶民の間に広まった。

でも、それは幕府のお偉方が江戸の庶民に広めたデマだったと言うのですねぇ~。

そうですよ。 もともと、火元は振袖を供養したという本妙寺じゃない。 菊ちゃんの“ひいおばあちゃん”の、そのまた“ひいおばあちゃん”にあたる、忠秋さんに拾われて育ち、女中をしていた“お菊さん”が忠秋さんの部屋の行灯(あんどん)に火をともしに行った時に、大嫌いなネズミが目の前を横切ったので、ろうそくの火を落としてしまったのです。。。 それがあの大火事の火元だった。


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お菊さんが畳に落としたロウソクの火が マジで あの“振袖火事”と呼ばれた“明暦の大火”の火元になったのですか?

そうです。。。 当時、阿部忠秋さんは老中。。。、松平信綱さんは老中首座だった。。。 今で言えば、さしずめ江戸政府の首相と副首相のような立場にあった。

忠秋さんも、ホトホト困ってしまったでしょうね。

そうです。。。 だから、二人の間には次のような会話が交わされたのですよ。


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拙者が全責任を負って腹を切り、土地・家屋、所領は幕府に返上いたします。 なにとぞ他の者には罪が及ばないようにしていただきたい。 この件については、左様に御承知していただけると、幸いに存じます。


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いや。。。それはならぬ。

。。。とおっしゃいますと、拙者の家族と縁者、すべての者が処罰されるということでございますか?

いや。。。幕府の老中の屋敷が火元とあっては、阿部殿の家族全員が死罪になったとて済む問題ではござらぬ。

。。。とおっしゃいますと。。。?

阿部殿も御承知のとおり、火事の火元に対しては幕府は厳罰主義で臨んでおります。 それゆえ幕府の老中が火元とあっては、幕府の権威は失墜してしまいます。 先年の“島原の乱”で、幕府の権威はいささか揺るいでしまいました。 今度の江戸の大火事の火元が老中の屋敷とあっては、更に反乱を誘うようなものでござる。

では、一体どうすればよろしいのでしょうか?

拙者に名案があります。。。 確か、阿部殿の屋敷の隣は本妙寺でしたな。。。

左様で。。。

それでは火元は本妙寺といたそう。

しかし、本妙寺の住職が承知いたしますまい。

ご案じなさるな。。。 幕府の方からもいろいろと手を尽くして説得に当たろう。。。 ついては、阿部殿からも、毎年供養料として相当額の寄付をしていただきたい。

金銭で済むものでしたら、住職の納得する額を毎年供養料として差し出す所存です。。。 しかし、どのような原因で火が出たとするのでございますか?

それについても名案があります。 次のような話を拙者の家臣に命じて江戸中に広めるつもりでござる。

江戸の町の一人の少女(17歳)が、偶然見かけた美少年に一目惚れ。
寝ても覚めてもその美少年のことが忘れられず、彼が着ていた服と同じ模様の振袖を作らせた。
その振袖を抱いては、彼のことを思う日々でしたが、恋の病からか、はかなく死んでしまった。

両親は憐れんで娘の棺にその振袖を着せてやった。
棺が持ち込まれた寺で働く男たちが その振袖をもらい受けた。

振袖は男たちによって売られ、別の17歳の娘の物になった。


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ところがこの娘も、しばらくの後に亡くなり、振袖はまた棺にかけられて寺に持ち込まれた。
寺の男たちもびっくりしました。
しかし、そんなこともあるだろうと、またそれを売り、振袖はこれまた17歳の娘の手に渡った。


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ところが、この娘もほどなく死んでしまい、振袖は またまた棺に掛けられて寺に運び込まれた。

ここに至って さすがに寺の男たちも気味悪がり、住職に相談。
死んだ娘たちの親も呼ばれて、この振袖を寺で供養することになった。
住職が読経しながら火中に振袖を投じる。

ところが、折しも強い風が吹き、振袖は火がついたまま空に舞い上がり、本堂の屋根に落ちた。
火は屋根に燃え移り、消し止める間もなく次々と延焼、翌日には、江戸城本丸天守閣まで類焼した。


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どうですかな、阿部殿。。。 庶民が飛びつくような話だとは思わぬか?

確かに。。。 さすがに“知恵伊豆”と呼ばれるだけあって、松平殿は戯作にも通じておるのですな。 (笑)

とにかく、これ以上幕府の権威を落としたくないのじゃ。。。 そう言う訳で、この一件は拙者に任してくだされ。

“知恵伊豆”の信綱さんは、何が何でも幕府の権威にこだわった。 それに対して忠秋さんは“お菊さん”を死罪にするには忍びなかったので、自分が腹を切って身代わりになろうとした。

そういうことですよ。。。 二人の性格が良く表れているとは思いませんか?

でも。。。、でも。。。、これが史実だとして、この“振袖火事”が“ケネディ暗殺”と どのように関係しているのですか?

だから、“振袖火事”にあたるものが“オズワルド単独犯行説”ですよ。。。 これを広めることによってアメリカ政府と、軍産複合体は“ケネディ暗殺事件”をうやむやに葬り去ろうとしたわけです。

。。。で、アメリカ政府の高官は、どのような会話をしたのですか?

次のような会話をしたのですよ。


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長官、ひどいことになりましたなァ~。。。 この事件をいったいどのように処理するつもりですか?


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あんたも、“タナボタ”でアメリカの大統領になれたわけだ。。。 これまでにもアメリカの大統領が暗殺されたと言うことはあったけれど、まさか第2次世界大戦のあとになってから、アメリカで大統領暗殺がおこなわれるとは、わしも思ってもみなかったよ。 とにかく、アメリカの権威が失墜するかどうかの瀬戸際だから、あんたも、心してかかる必要があるよ。

それで、真犯人は突き止めたのですか?

いや。。。 真犯人のことは、あんたも知らない方がいいだろう。。。

でも、大統領として、私も知る必要が。。。

いや。。。大統領だからこそ、あんたは知らない方がいい。。。 知っている人が増えれば増えるほど、アメリカの権威は失墜するのだから。。。

しかし、“オズワルド単独犯行説”で世間は収まりますか?

収まるか収まらないかは、今後の成り行きしだいさァ。。。 でも、オスワルドがソ連に居たということは、冷戦を絡(から)ませるいい口実になると思うよ。 ソ連の KGB の犯行を匂わせることができるからね。

しかし、長官、暗殺が起きた11月22日から27日までの6日間で行われたギャロップ(Gallup)の世論調査では52%がオズワルドの単独犯行ではなく、グループによる犯行だと。。。つまり、何らかの陰謀があったと主張する者も多いのですよ。

だから、今後、そういう考え方を改めさせるために、我々が努力しなければならないわけさァ。 “オズワルド単独犯行説”で押し通すのだよ。

どのようにして。。。?

実は、FBIの詳細な公式報告をアメリカ国民に公表することで事件の調査を終了するつもりだったのだよ。 ところが、11月25日に テキサス州の司法長官がケネディとオズワルドの死をめぐる事実関係を糾明する査問会議を行うことを発表した。 翌日には、合衆国上院が調査特別委員会を設置することを発表。 そして翌27日には 合衆国下院が独自に特別委員会の設置を発表した。

それだけ、大統領暗殺の衝撃が大きかったということですよ。

まあ、そういうことなのだが。。。 実にやりにくいよ。

しかし、長官、犯人とされたオスワルドが警察署内で殺されるという異常な展開。。。、そして動機も背後関係も一切謎のままですからね。。。、うやむやに済ませるわけにはゆかないでしょう。 だから、一応、長官の意見を入れて、私も11月29日に暗殺事件の調査を大統領直属の委員会を設置して早急に行い、国民の間に広がる疑惑や不安を払拭することに決めたのですよ。

そうすべきだよ。。。 そうすることによって上下両院の独自調査を延期させることができるからね。。。、テキサス州の調査も大統領直属の委員会に資料を提出させるべきだよ。。。

分かりました。。。で、委員長は誰に。。。

連邦最高裁判所長官アール・ウォーレンがいいだろう。。。 彼ならば、何かと操(あやつ)り易いからねぇ~。。。

つまり、FBI長官のフーバーさんは真犯人グループを知っていたのですね。

そうですよ。。。 ケネディ暗殺には2つの陰謀が絡んでいるのです。 ケネディ大統領を暗殺する陰謀。。。それに、ジョンソン大統領直属のウォーレン委員会で真実を隠す陰謀ですよ。

でも、その証拠があるのですか?

もちろん、僕には、証拠となるものには手が届かない。。。 でもねぇ~、状況証拠なら、たくさんありますよ。 まず、ウォーレン委員会で扱われたすべての資料は、1964年に ワシントンDCにある国立公文書館に保管されてしまった。 しかも、それまでに公開されてない資料は75年間、つまり、2039年まで封印されることになった。

どうして。。。?

だから、アメリカの権威を保つためですよ。 もしも、ソ連のKBGが陰謀をめぐらせてケネディ大統領を暗殺したとしたら、75年間も資料を封印する必要など全くないのですよ。

今でも、ウォーレン委員会で扱われたすべての資料は封印されたままなのですか?

いや。。。 “75年間封印される”という理不尽さを 1991年にオリバー・ストーン監督が”JFK”という映画を作って、訴えた。 


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この映画で、“ケネディ大統領暗殺の陰謀”が、再びマスコミで騒がれるようになったのですよ。

。。。で、政府の高官はどうしたのですか?

映画が公開された翌年(1992年)に、“陰謀説”を掲げてマスコミで騒ぐ民衆をなだめるために「JFK記録に関する法律(the JFK Records Act)」というのを作って、できるだけ多くの資料を公開するようにしたのですよ。

ほとんどすべての資料を公開したのですか?

いや。。。 伏せておくべき資料はやっぱり公開されなかったのです。 2017年までに、公開されることになっているのですよ。 でもねぇ、“ケネディ大統領暗殺研究家”が喉から手を出したいほど欲しい資料 1,171点は CIA によって、今でも封印されているのです。

じゃあ、やっぱり、真の犯行グループがいるのですわね。

いずれはっきりするでしょう。。。

。。。で、デンマンさんは、その犯行グループのメンバーは誰だと思っているのですかァ~?

もちろん、すべてのメンバーについて僕が解るはずがありません。。。 でもねぇ~、その黒幕が誰かは容易に想像できますよ。

その黒幕ってぇ、いったい誰ですのォ~?

ちょっと次の記事を読んでください。

ケネディ政権


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ケネディ政権には、国家の安全保障を委ねられるにふさわしい「最も聡明にして賢明な者たち」が結集しているとされた。
国家安全保障担当大統領補佐官には、ハーバード大学の学長を努めたマクジョージ・バンディが、また国防長官にはフォード社長からロバート・マクナマラが起用された。
「若いながらも、当代切っての」と謳われた逸材が綺羅星のように居並んでいた。

だが、大統領が核戦争の淵に立たされたとき、縋(すが)るようにして頼ったのは、ワシントン政界の奥深く棲むフクロウといわれた老政客(ロバート・ロベット翁)だった。

 (中略)

すでに空軍を中心に軍部は不穏な動きを見せていた。
ペンタゴンでは、キューバへの空爆の準備を着々と進めていたのだった。
大統領の最終的な命令が下れば、直ちに爆撃機を発進できるように空爆目標の選定もほぼ終わっていた。

……主戦論の中核にいたのが、空軍参謀長、カーティス・ルメイだった。
この主戦派は、かつてドイツと日本への戦略爆撃を指揮し、空の英雄と呼ばれていた。
戦後もアメリカ空軍に君臨して、膨大な軍事予算を握り、多数の国防族議員まで要して巨大な政治集団を形成していた。

そのため、ジョン・F・ケネディは、カーティス・ルメイを頂点とする空の制服組を抑えるため、ロベット翁の隠然たる政治的権威を必要としたのだった。

 (中略)

ジョン・F・ケネディは、軍部の空爆論を抑えて、海上封鎖に傾いていった。
キューバへの海上航路を遮断し、ソ連がこれ以上のミサイルを持ち込むことを断じて許さないという決意を示そうとしていた。
だが、空からの奇襲を強く主張する空軍を率いるカーティス・ルメイは、武力行使に同調しない大統領に詰め寄った。

「私は大統領とは違い、キューバを爆撃しても、ソ連がベルリンを攻撃することはないと考えております。
 空爆を断念することは、ミュンヘンの宥和主義とおなじくらい悪しき選択です」

ミュンヘン宥和主義。 ケネディ一族に対して毒を含んだ物言いだった。
1938年のミュンヘン会談で、イギリスはチェコスロバキアのズデーテン地方をヒトラーに分け与えることで一時の平和を保とうとし、それが第二次世界大戦に道を開いてしまったといわれた。
当時駐英大使だったケネディの父ジョセフは、このミュンヘンの宥和主義を支持したと批判されていたからだ。
だが、カーティス・ルメイの挑発をしりぞけて、大統領は海上封鎖に心を決めていた。

「諸君の見解は尊重する。 なぜ、海上封鎖を選択するのか。 それは全面核戦争へのエスカレーションを避けなければならないからだ

ジョン・F・ケネディがこういい残して退席したあと、将軍たちが若き大統領をあしざまに罵る様子が「ケネディ・テープ」に録音されている。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


107 – 111ページ
『葡萄酒か、さもなくば銃弾を』
著者: 手嶋龍一
2008年6月4日 第3刷発行
発行所: 株式会社 講談社

『シルヴィーとケネディ夫人』に掲載
(2011年6月15日)

主戦論の中核にいたのが、空軍参謀長、カーティス・ルメイだった」と書いてあるけれど、この人物が黒幕ですよ。 「戦後もアメリカ空軍に君臨して、膨大な軍事予算を握り、多数の国防族議員まで要して巨大な政治集団を形成していた」ということですからね。。。

この将軍は自国の大統領まで暗殺するような精神を持った人なのですか?

自分の考えに固執して、例え大統領だろうが、国のためにならないと思えば暗殺も辞さないというタイプですよ。 ウィキペディアにも次のように書いてあります。

カーチス・ルメイ

キューバ危機勃発時には、キューバ空爆をジョン・F・ケネディ大統領に提案したが却下された。
ルメイら空軍首脳部は圧倒的な兵力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。
実際にはキューバ危機の時点ですでにキューバに核ミサイルが数十基配備済みであったことは、第三次世界大戦を招きかねない完全な見当違いであった。

ベトナム戦争では空軍参謀長の任にあり、「(北)ベトナムを石器時代に戻してやる」と豪語して北爆を推進した。
なお、北爆が開始された1965年に除隊した。

退役後

1965年2月に退役。1968年には、ベトナム戦争の推進を支持し、人種差別的な綱領を掲げた前アラバマ州知事、ジョージ・ウォレス大統領候補とともにアメリカ独立党 (American Independent Party)の副大統領候補として出馬するが落選。
1990年10月1日没。

評価

ルメイの行為は、多くの罪の無い民間人を殺戮したことに加え、貴重な文化財(寺院・仏閣・城郭など)を灰燼に帰す結果をもたらしたために、特に対日作戦について、前任者であるハンセル准将と違い、一部政治家、文化財研究家からは強く非難されている。
特に日本では、ルメイは残虐な無差別戦略爆撃の父として評価が定まっている。

右派においてもアメリカに批判的な者の場合、小林よしのりのように、著作で批判的に取り上げる例がある。
また、ルメイに近い戦勝国で計画を進める側の立場にあったマクナマラも『フォッグ・オブ・ウオー』で「勝ったから許されるのか?私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」とも述べている。

しかしルメイの立場から見れば、その戦略はあくまでも戦争において敵の損失を最大化させるという爆撃部隊における合理性と効率を追求したものであるという。


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ルメイ自身は「アメリカが敗戦するなら自分は戦争犯罪人として処せられる」と述べている。

また、ドイツ本土への爆撃に赴く搭乗員に対して次のようにも述べている。


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君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まれたとしよう。
そんなときはきっと、何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供のうえに崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ三歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。
正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたのなら、そんなものは忘れることだ。


ドイツ空襲の意見を聞かれて
『戦略・東京大空襲』
E・バートレット・カー著・大谷勲訳

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)

出典: 「カーチス・ルメイ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

どうですか、小百合さん。。。 

でも、黒幕がルメイ将軍だったというのは、あくまでもデンマンさんの推測ですよねぇ~。。。

これまでの状況証拠を見ても、黒幕はルメイ将軍以外には考えられないですよ。

CIAに封印されている 1,171点の資料が 2017年までに公開されれば、解ることですわねぇ~。。。?

いや。。。 解らないはずです。

どうして。。。?

あのねぇ~、前にも言ったように、ケネディ暗殺には2つの陰謀が絡(から)んでいるのですよ。 ケネディ大統領を暗殺する陰謀。。。それに、ジョンソン大統領直属のウォーレン委員会で真実を隠す陰謀ですよ。 だから、黒幕がルメイ将軍であるという証拠は、すでに抹殺されています。。。


『振袖火事とケネディ暗殺』より
(2015年1月29日)

なるほどォ~。。。 デンマンさんのおっしゃろうとすることはよく解りました。。。 でも、上の記事に中には行田が全く出てきてませんわァ!

真由美ちゃんが知らないだけで、実は、老中の阿部忠秋さんは行田とすごく関係がある人なのですよ。。。

阿部忠秋


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阿部 忠秋(あべ ただあき)は、江戸時代前期の下野壬生藩・武蔵忍藩主。
(デンマン注: 江戸時代の忍藩が、後に行田市になった。)
徳川家光・家綱の2代にわたって老中を務めた。
同じく老中の阿部重次は従兄にあたる。

 

人物

慶安の変後の処理では浪人の江戸追放策に反対して就業促進策を主導して社会の混乱を鎮めた。
その見識と手腕は明治時代の歴史家竹越与三郎より「(酒井忠勝・松平信綱などは)みな政治家の器にあらず、政治家の風あるは、独り忠秋のみありき」(『二千五百年史』)と高く評価された。

鋭敏で才知に富んだ松平信綱に対し、忠秋は剛毅木訥な人柄であり、信綱とは互いに欠点を指摘、補助しあって幕府の盤石化に尽力し、まだ戦国の遺風が残る中、幕政を安定させることに貢献した。
関ヶ原の戦いを扱った歴史書・『関原日記』(全5巻)の編者でもある。

忠秋は「細川頼之以来の執権」と評せられ、責任感が強く、また、捨て子を何人も拾って育て、優秀な奉公人に育て上げた。
子供の遊ぶ様子を見るのが、忠秋の楽しみであった。

 

略歴

阿部忠吉(阿部正勝の次男)の次男。 母は大須賀康高の娘。
長兄の夭折により家督を相続する。
名ははじめ正秋、寛永3年(1626年)に徳川秀忠の偏諱を拝領し、忠秋と名乗った。

正室は稲葉道通の娘、継室は戸田康長の娘。
息子があったが夭折し、その後も子に恵まれず、従兄の阿部政澄(重次の兄)の子の正令(後に正能と字を改める)を養子として迎えた。

寛永元年(1624年)、父の遺領6000石を継ぐ。
同3年(1626年)加増され、1万石の大名となる。
同6年(1629年)、5000石加増。
同10年(1633年)、小姓組番頭から六人衆(後の若年寄)に転じ、さらに5月5日より老中格に任じられる。
同12年(1635年)、下野壬生藩2万5000石に転封され老中。

同16年(1639年)忍藩5万石。
正保4年(1647年)6万石。
寛文3年(1663年)8万石。
同6年(1666年)老中退任。
同11年(1671年)隠居。
延宝3年(1676年)に死去した。


出典: 「阿部忠秋」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

でも。。。でも。。。、上のエピソードに出てきた“ネズミを怖がる女中のお菊さん”はマジでデンマンさんのお嫁さんになりたかった“菊ちゃん”のご先祖様なのですか?


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もちろんですよ。。。 あのねぇ~、『ウィキペディア』にも書いてある通り、阿部忠秋さんは捨て子を何人も拾って育て、優秀な奉公人に育て上げたのですよ。。。 お菊さんはそのうちの一人だった。

でも。。。、でも。。。、お菊さんは江戸の阿部忠秋さんのお屋敷で奉公していたはずですわァ。。。

あのねぇ~、“明暦の大火”の後で江戸に居るのはまずいだろうということになって、“お菊さん”を小さな時に面倒を見た“お寅さん”というおばちゃんがお勤めを終わった後に忍藩(後の行田市)で隠居していたのですよ。。。 そういうわけで、お菊さんは“お寅さん”の養女となって忍に下って行ったのです。。。

。。。で、その後ずっと忍藩に住み続け、“お菊さん”の子孫の一人が“菊ちゃん”だ、とデンマンさんは断定するのですか?

そうですよ。。。 昔の人は言った者ですよ。。。 “親の因果(いんが)が子に報(むく)い”。。。 真由美ちゃんも聞いたことがあるでしょう?

ありますわ。。。 それが菊ちゃんと、どういう関係があるのですか?

だから、“お菊さん”が“明暦の大火”を起こしてしまったのですよ。。。 老中の阿部忠秋さんと 老中首座の松平信綱さんが話をうまくまとめて、“お菊さん”は何の罰も受けなかったけれど、人の世はやっぱり、何事も無く幸せな事ばかりが続くわけではないのです。。。 昔の人は、気づいていたのです。。。 “お菊さんの因果が子孫に報い”、女性にのみ受け継がれるY染色体に、精神薄弱の因子がやどって、それが“菊ちゃん”に受け継がれたのですよ。。。


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『菊ちゃんとデンマンの心の絆』

(行田物語 猫)

それで、菊ちゃんは精神薄弱児として人生を終えたのですか?

そういうことです。。。 伝説として行田市民の中では、知る人ぞ知る公然の秘密として語り継がれてきたのです。。。

マジで。。。?

だから言ったでしょう。。。 ここまで話してくれば、真由美ちゃんも納得できると思うのですよ。。。 でしょう?

私は、なんとなく、デンマンさんのお話に釣り込まれてしまいましたけれど、このお話を聞いているネット市民の皆様は、私のように素直には信じないと思いますわァ。。。

あのねぇ~、僕の話を聞いて、ムカついた人はコメントを残してくれますよ。。。 だから、真由美ちゃんが心配するほどのことではありません。。。 (爆笑)


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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんの母親は 僕の従妹です。。。

つまり、僕の母親は真由美ちゃんにとって大伯母にあたります。


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僕の母親が亡くなる2年ほど前に真由美ちゃんと一緒に撮った写真です。

ところで、真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

忙しい時間を割いて、真由美ちゃんも僕の母親の葬式には参列してくれました。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー


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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


(polar10.jpg)

上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


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『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


(juneswim.jpg)

『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』

『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』


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芭蕉と遊女再び

2017年6月7日

 

芭蕉と遊女再び

 


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デンマンさん。。。 芭蕉と遊女のことを再び取り上げるのでござ~ますか?


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そうです。。。 いけませんか?

なぜ、また取り上げる気になったのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、大阪市に住んでいる奥野 美智子さんが『芭蕉と遊女の出会い』を読んだのですよ。。。

その証拠でもあるのでござ~ますかァ?

もちろんです。。。 次のリストを見てください。。。


(liv70606a4.png)


『拡大する』

『芭蕉と遊女の出会い』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で6月5日の午後5時48分から6月6日の午前2時16分までの約8時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しい。。。

あらっ。。。 6月5日の午後7時29分にGOOGLEで検索して『芭蕉と遊女の出会い』を読んだのですわねぇ~。。。

そうです。。。 次のように検索したのですよ。。。


(gog70606d.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。「芭蕉 遊女 出会い」と入れて検索したのですわねぇ~。。。 

そうです。。。 9,040件ヒットする内のトップに 僕が2014年4月24日に投稿した『芭蕉と遊女の出会い』が出てくるのですよ。 

ちょっと、できすぎているのではござ~ませんかァ!?

信じられないのだったら、卑弥子さんも上のリンクをクリックして現時点での検索結果を確認してください。。。

でも。。。、でも。。。、どういうわけで大阪市に住んでいる奥野 美智子さんが『芭蕉と遊女の出会い』を読んだと特定できたのでござ~ますかァ?

IPアドレスを調べたのです。。。


(ip140167b.png)

『拡大する』

IPアドレスを調べてもプライバシーを保護するためにアクセスしたネット市民の名前まではゲットできないようになっているのですわァ~。。。

もちろん、僕もそのことは知ってますよ。。。 奥野 美智子さん上の記事を読んで疑問が解決したので、嬉しくなって「ありがとうございました」とメールを書いてくれたのですよ。。。

マジで。。。?

卑弥子さんは信じられないのですかァ~。。。

だってぇ、できすぎているではござ~ませんかァ!?

とにかく、あまり厳しいツッコミを入れないで素直に僕の話を聞いてくれませんかァ~。。。

デンマンさんが そのようにおっしゃるならば とやかく穿鑿(せんさく)いたしませんわァ。。。 で、奥野 美智子さんは、どのような疑問を解決したと おっしゃるのですかァ~?

卑弥子さんは知ってるはずですよ。。。 忘れてしまったのですかァ~? かつて僕と次のように語り合ったのです。。。


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ほんのちょっとした事でもおそろしい事はあるものです。

ほんのちょっとした、たとえば「も」が「と」とかわっただけでももう全部の意味ばかりでなく、芭蕉といった様な大人物まで、もう一度考え直してみなければならなくなるのはおそろしい事です。

一つ家に遊女も寝たり萩と月

その「遊女も」を「遊女と」と直したら、忽ち人生観まで変わってしまいます。

この一句の意味は、華やかな花の様な存在も世の中にはあるだろうが、自分は淋しい秋を友として生きている、遊女は見えずただ萩と月がある、それでもそういう色々の物が一緒にまじって暮らしているのが世の中というものだ、と云えば云える様な、孤独のあきらめがにじみ出ています。

が、もしミスプリントで、「遊女と」になっていたら、萩も月も、狸までうかれ出て、芭蕉と一緒に狂っている様なお祭気分になってしまいます。

おかしなものです。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


34ページ 『たしなみについて』
著者: 白洲正子
2013年10月10日 第8刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社

 

つまり、上の小文を読んでデンマンさんは芭蕉が遊女と一つ屋根の下で寝ただろうと言うのでござ~ますか?

そのとおりですよう。

でも、そうであったなら、白洲正子さんが言っているように芭蕉の人生観を見直さねばならなくなるのですわ。 しかも、もし芭蕉が遊女と一つ屋根の下で寝たとしたら、萩も月も、狸までうかれ出て、芭蕉と一緒に狂っている様なお祭気分になってしまうと、言っているのでござ~ますわァ。

あれっ。。。 卑弥子さんも、そう思うのですか?

だってぇ、俳人の芭蕉さんが遊女と狸と一緒になってお祭気分で踊りだすなんて考えられないですわ。

でもねぇ~、「遊女も」という元のままの俳句を解釈しても、僕には「遊女は見えずただ萩と月がある」とは考えられない! 「一つ家に遊女も寝」ているとしか考えられないのですよ。

でも、それでは、白洲正子さんが言っているように芭蕉が遊女と狸と一緒に踊りだしてしまうのですわ。

だから、それが白洲正子さんの独断と偏見なのですよ。 たとえ遊女と一つ屋根の下に寝たからといって、ただそれだけの事を針小棒大に解釈して、芭蕉が凡人のように遊女と狸と一緒に踊りだし、下らない人間になりさがってしまうとは思えない。

つまり、デンマンさんは、どうしても、芭蕉が遊女と一つ屋根の下で寝たとしか考えられないのでござ~ますか?

あのねぇ~、卑弥子さんも、もう一度じっくりと俳句を味わいながら読んでみてください。

一つ家に遊女も寝たり萩と月

どのように読んだとしても、一つ家に遊女も寝たのですよ。 そうじゃなければ、「遊女」を持ち出した意味がない! 

だってぇ~、それだと芭蕉は“スケベじいさん”になってしまうのですわァ。

あのねぇ~、もしもですよゥ、“スケベじいさん”を描くのであれば、次のような俳句になるのですよ。

一つ褥(しとね)遊女も寝たり萩と月

「褥」とは「布団」あるいは「寝床」の意味ですよ。 このような句であれば、当然、芭蕉がスケベ心を起こして遊女と寝たかもしれない。 でもねぇ~、「一つ褥」じゃなくて「一つ家」になっている。 遊女と芭蕉の間にはかなりの距離があるのですよ。 要するに一つ家の中でも一緒の布団に寝たわけじゃない。

そうだとして、それでは、デンマンさんは どのような情景を思い浮かべるのですか?

だから、次のようなやり取りが芭蕉と遊女の間に交わされたのですよ。


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芭蕉: 旅のものですが、どうやら道に迷ってしまったらしく、もうすぐ日が暮れます。 宿を探すにも、どうもこの辺りには一軒もそれらしいものは見当たらず、探しあぐねていたら、この草庵を見かけたというわけです。

遊女: そうでございますか。。。 それはお困りでしょう。

芭蕉: もし差し支えなければ、今夜、軒下でもお借りして夜露をしのぎたいと思うのですが、ご拝借できるでしょうか?

遊女: 軒下では、夜露をしのぐにも ご不自由しますもの。。。 むさくるしい草庵ではございますが、宜しければ どうぞおあがりくださいませ。。。

芭蕉: しかし、それではあまりにも不躾(ぶしつけ)と言うもの。。。 旅は慣れておりますので、軒下で結構でございます。

遊女: いえいえ、お見かけすれば、お年を召しておられますし、軒下では寒さもきびしゅうございます。。。お風邪を召したら、この先、長旅はきびしゅうございます。 “袖振り合うも他生の縁”と申します。 どうそ、ご遠慮なさらずにおあがりくださいませ。

芭蕉: しかし、このような老体(ろうたい)が上がりこんでは、ご家族に迷惑をかけるというもの。。。

遊女: こう申しては何ですが、あたくしは囲われ者。。。、主人は留守をしております。 独り者ゆえ、他の誰にも気兼ねはご無用でございます。 何もおもてなしはできませぬが、夜露をしのぐには、このあばら家も充分にお役に立つことと存じます。 さあ、どうぞ ご遠慮なさらずにおあがりくださいませ。。。

芭蕉も、この遊女の親切に甘えて草庵に上がらせてもらったわけですよ。

それで一つのお布団に一緒に寝たのでござ~ますか?

やだなあああァ~。。。 それじゃあ、“スケベじじい”が狸と遊女と一緒になって踊ってしまって俳句にならないのですよ。 そうじゃなくて、粗末な草庵だけれども、ちゃんと衣文掛(えもんか)けかなんかで芭蕉の爺さんとはちゃんと仕切りを設けたのですよ。


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(emon03.jpg)

つまり、別々に寝たのでござ~ますか?

当然でしょう! この遊女は卑弥子さんのように積極的ではなかったのですよう!

あらっ。。。 あたくしは、それほど積極的でしょうかしら!

何を言っているのですか? 卑弥子さんは、もう忘れてしまったのですか? 次のような事があったのを思いだしてくださいよ。


『芭蕉と遊女の出会い』より
(2014年4月24日)

あらっ。。。 きわどい所で打ち切ってしまったのですわねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。

これ以上長く引用する必要はないのですよ。。。 あのねぇ~、僕は 思ったのだけれど、白洲正子さんは原典を読んでいないのではないか? ここまで読み返して そう感じたのです。。。

そのような無責任な事はしないと思いますわァ~。。。 白洲正子さんは「も」が「と」とかわっただけでももう全部の意味ばかりでなく、芭蕉といった様な大人物まで、もう一度考え直してみなければならなくなる、と言いたかっただけですわァ~。
 
実は、僕も上の記事を書く時には原典を読んでいなかったのです。。。 だから、上の芭蕉と遊女の対話になったのですよ。。。 もし白洲正子さんが原典を読んでいたら、芭蕉と遊女が一つ屋根の下に居たことがすぐに読み取れるのです。。。

つまり、最近 デンマンさんは原典を読んだのでござ~ますかァ?

そうなのです。。。 原典じゃないけれど、原典に近いものを読んだ。。。 それには次のように書いてあった。

一振


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今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云う北国一の難所を越えてつかれ侍れば、枕引きよせて寝たるに、一間隔(へだ)て面(おもて)の方に、若き女の声二人ばかりときこゆ

年老いたるおのこの声も交(まじ)りて物語するをきけば、越後の国 新潟と云う所の遊女なりし

伊勢参宮するとて、この関までおのこの送りて、あすは故郷(ふるさと)にかえす文(ふみ)したためて、はかなき言伝(ことづて)などしやるなり。

白浪(しらなみ)のよする汀(なぎさ)に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下(くだ)りて、定めなき契(ちぎ)り、日々の業因(ごういん)、いかにつたなしと、物云うをきくきく寝入りて、あした旅立つに、我々にむかいて、

「行方(ゆくえ)しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なく悲しくはべれば、見えがくれにも御跡(おんあと)をしたいはべらん。 衣の上の御情(おんなさけ)に大慈(だいじ)のめぐみをたれて結縁(けちえん)せさせたまえ」

……と、泪を落とす。

不便(ふびん)の事にははべれども、

「我々は所々にてとどまる方(かた)おおし。 只人の行くにまかせて行くべし。 神明の加護、かならず恙(つつが)なかるべし」

……と、云い捨て出(いで)つつ、哀(あわ)れさしばらくやまざりけらし。


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一家(ひとつや)に

遊女もねたり

萩と月

 

曾良にかたれば、書きとどめ侍る。


Today we passed through the most dangerous places in the north country, known as “Parents Forget Their Children,” “Children Forget Their Parents,” “Dogs Turn Back,” and “Horses Return.”

I was so exhausted that I drew my pillow to me and lay down as soon as we reached an inn.

I could hear the voices of young women, probably two of them, talking in a room one removed from ours at the front of the house.

The voivce of an old man also took part in the conversation.

I gathered from what they were saying that the women were prostitutes from Niigata in Echigo Province.

They were on their way to worship at the shrine in Ise, and the man had escorted them here, as far as the Barrier of Ichifuri.

They would be sending him back the next day, and they were giving him letters they had written and trivial little messages to take back with him.

“We have wandered over the shores washed by the white waves.

Like fisherwomen, we have dived to the depths of this world.

What terrible karma accounts for our inconstant vows, the sins we have daily committed? We are wretched indeed…”

These were the last words I heard before falling asleep.

The next morning, when we were about to start out, the two women approached us, saying, “We feel so uneasy and depressed at the thought of the difficulties that may await us on the way to an unfamiliar place that we would like to folow behind you, even if out of sight.

Grant us this great favor, you who wear the habit of priests, and help us to attain the way of the Buddha.”

They were in tears.

I answered, “I feel sorry for you, but we must stop at a great many places.

You’de better go along with some ordinary travellers.

You will be under the protection of the gods. I am sure no harm will come to you.”

There were my parting words, but for a time I could not shake off my pity for them.


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Under the same roof

Prostitutes were sleeeping

The moon and clover.

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


130-131ページ 『おくのほそ道』
著者: ドナルド・キーン 挿絵(切り絵): 宮田雅之
1997年2月1日 第2刷発行
発行所: 講談社インターナショナル株式会社

あらっ。。。 これは『奥の細道』をドナルド・キーンさんが英語に訳したのですわねぇ~。。。

そうです。。。 挿絵として宮田雅之さんの切り絵が貼ってあってぇ、なかなか読み応え、見応えのある本になっているのですよ。。。で、これを読めば二人の遊女と芭蕉は一間隔(へだ)てた隣の部屋同士だったということが解る。。。 つまり、部屋は違っていても、間違いなく一つ屋根の下で一夜を過ごしたのですよ。。。 つまり、芭蕉と遊女は一夜の宿をともにしたのです。 一つの布団に寝たわけではなかったけれど、一つ屋根の下で夜をすごしたのです。 要するに二人の間に何らかの会話がない限り、句の中に遊女を持ち出す意味がない!

白洲正子さんが解釈したような「遊女は見えずただ萩と月がある」ということではなく、遊女との会話のかなに芭蕉は何か心に残るものを感じたのでござ~ますかァ?

そうですよ。 それは上の小文を読めば明らかです。。。 新潟から伊勢に詣でるという隣室の遊女から「旅の道連れにしてくれないか」と頼み込まれる。 ただそれだけの事ではないはずです。。。 上の小文を読むと、芭蕉は明らかに遊女たちの身の上に 哀れと同情を感じている。。。 その余韻が芭蕉に上の句を作らせたのですよ。 僕は、そう思いますねぇ~。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、どう思いますか?

元禄7(1694)年5月、芭蕉は寿貞尼の息子である次郎兵衛を連れて江戸を発ち、伊賀上野へ向かいました。

途中大井川の増水で島田に足止めにあいます。

その後湖南や京都へ行き、7月には伊賀上野へ戻りました。

9月になって奈良そして生駒暗峠を経て大坂へ赴きました。

大坂行きの目的は、門人の之道と珍碩の二人が不仲となり、その間を取り持つためだったそうです。

当初は若い珍碩の家に留まり諭しましたが、彼は受け入れず失踪してしまうのござ~ますわ。

この心労が健康に障ったとも言われ、体調を崩した芭蕉は之道の家に移ったものの10日夜に発熱と頭痛を訴えます。

20日には回復して俳席にも現れましたが、29日夜に下痢が酷くなって伏し、容態は悪化の一途を辿ります。

10月5日に御堂筋の花屋仁左衛門の貸座敷に移り、門人たちの看病を受けました。

8日、「病中吟」と称して次の有名な句を詠みます。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る


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上の句が事実上最後の俳諧となりました。

病の床で芭蕉は推敲し「なほかけ廻る夢心」や「枯野を廻るゆめ心」とすべきかと思案したそうです。

10日には遺書を書きました。

そして12日申の刻(午前4時頃)、松尾芭蕉は息を引き取ったのでござ~ます。

13日、遺骸は陸路で近江義仲寺に運ばれ、翌日には遺言に従って木曾義仲の墓の隣に葬られたそうです。

焼香に駆けつけた門人は80名。

300余名が会葬に来たということでござ~ますう。


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芭蕉さんのために、このきれいな古代蓮を お墓に捧げますわ。

ほんとうにきれいでしょう!?

2000年の眠りから覚めて咲き出した お花ですわァ。

古代蓮もいいですけれど、たまには古代の日本についても考えてくださいまし。

あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

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『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

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『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

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『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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