Archive for the ‘日本の芸能・芸能界’ Category

ぶんぶく阿波踊り

2017年9月27日

 

ぶんぶく阿波踊り

 


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件名:

鰻重食べたのを思い出しました!

♪┌(・。・)┘♪


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日付: Wed, Sep 23, 2017 at 8:16 PM
差出人: “dominis@yahoo.co.jp”
宛先: “green@infoseek.jp”
CC: “barclay1720@aol.com”

お久しぶりです。。。

デンマンさんが投稿した記事を読ませていただきました。


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『ぶんぶく茶釜だよ』

 

茂林寺へ“たぬき”を見に行ったのは2009年の10月ですわねぇ~。

その途中で鰻重(うなじゅう)を食べたなんて、すっかり忘れていました。

キモのお吸い物をデンマンさんが生まれて初めて飲んだなんて全く知りませんでした。


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帰りに、東行田駅からデンマンさんが実家に帰る途中で

「かどや」に寄って焼きそばを4人前買ったということですが、

あのお店は、もうありません。


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あの101歳のおばあちゃんも亡くなって、

家族はどこかへ引っ越したようです。

今では、あの土地は更地(さらち)になってます。

 

あの頃は、デンマンさんのお母さんも元気だったのですわね。

確かにそうでした。

私が電話した時、デンマンさんのお母さんが出られて

「デンマンがご馳走になったそうで、ありがとう」と

元気な声で言われたので、

ちょっとビックリしました。

 


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ところで、デンマンさんは、その晩 NHKの深夜番組で

『日本の祭り2009』の「阿波踊り」を観たそうですが、

私も今年の夏、徳島の藍場浜演舞場で開催された

「阿波踊り」を観ました。


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デンマンさんが言われるとおり 自由で、

躍動的で実に素晴らしいと思いました。

お祭りっていいですね。

私も観ていると“日本人の血”が踊り出します。

 

ところで、ずいぶん前ですが、沖縄に行った時に

「旧盆エイサー」を見ました。

四つ竹を手にして踊る現地の女性を見ながら、

もしかして、「エイサー」が四国に伝わって

「阿波踊り」になったのかしら?

。。。と、ふと思いました。


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デンマンさんが10月に帰省するのを楽しみにしています。

ところで、またお願いがあります。

ついででいいですから、次の3つの品を買い求めていただけますか?

1) SMUCKER’S Raspberry JAM


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2) Hot dog relish


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前回いただいたモノは甘かったのですが、今回は甘くないものをお願いします。


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3) Irish Creme Ground Coffee


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では、体調を整えて元気に帰省してください。

お待ちしています。

 

(V__/)
(+’.’+)
(“)_(“)


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小百合より

 


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小百合さんは今年の夏に阿波踊りを見たのですか?


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見ましたわ。。。 私もお祭りが大好きで、時には飛び入りで躍らせてもらったりするのですわァ~。。。

マジで。。。?

半分冗談ですわァ。。。 うふふふふふ。。。

小百合さんが沖縄で「旧盆エイサー」を見て、もしかしてエイサーが四国に渡って「阿波踊り」になったのではないか?。。。 そうメールに書いてあったけれど、実は、僕も「エイサー」と「阿波踊り」を見て、何か共通するものを感じ取ったのですよ。。。 それで、調べてみたのだけれど、「阿波踊り」の起源は解ってないようです。。。

阿波踊り


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阿波おどりは徳島県(旧・阿波国)を発祥とする盆踊りである。
日本三大盆踊りであり、江戸開府より約400年の歴史がある日本の伝統芸能のひとつである。
夏季になると徳島県内各地の市町村で開催され、なかでも徳島市阿波おどりは踊り子や観客数において国内最大規模である。

 

起源と名称

精霊踊りや念仏踊りが原形であるといわれるが、起源は明らかになっていない。
徳島藩が成立して以後、盛んに踊られるようになったとされる(徳島市観光協会の説明より)。

天正14年(1586年)、徳島城が竣工した際、当時の阿波守・蜂須賀家政が城下に「城の完成祝いとして、好きに踊れ」という触れを出したことが発祥という説もある(蜂須賀入城起源説)。
しかしながら、戦国時代に城内でそのようなことができたとは考え難く、「蜂須賀入城起源説」は多くの歴史家によって否定されている。

江戸時代には、一揆につながるとの理由で阿波おどりが禁止されていた時期もあった。
その令を犯し、自宅で阿波おどりを行った家老がお家断絶になったという。
また戦時中にも一時阿波おどりは禁止された。

阿波おどりという名称は徳島県内の各地で行われてきた盂蘭盆の踊りの通称であり、昭和初期からそう呼ばれるようになった。
この名称は日本画家・林鼓浪が徳島商工会議所(当時は商業会議所)に提案したものとされる。

尚、徳島市や高円寺の阿波おどりではポスターや看板等において専ら「阿波おどり」と表記される。
また、徳島県が発行する印刷物等においても「阿波おどり」で統一されている。

ちなみに、名称から徳島県阿波市が阿波おどりの本場と思われることがあるが、阿波市でも阿波おどりは行われるものの特別なことは特にない(そもそも阿波市の存在自体が近年まで無かった。市の歴史はまだ浅く、2005年の市町村合併で誕生した新しい市である)。

なお、一部では「阿波踊り」と漢字表記している。

 

阿波おどりでは一つの踊りのグループの事を「連(れん)」という。
徳島県には有名連と呼ばれる連が多数あり、主に各協会などに所属している連が多い。
もちろんいずれの協会にも属していない連もある。

大抵の徳島県民には個人個人に贔屓の連があり、「あっこの連がええ」とか「ほらやっぱりここの連やろ」といった具合に話題になることもある。

こうした有名連以外にも踊りが好きな者同士が集まって結成した連、企業が企業名を売り込む目的で結成した企業連、大学のサークルなどで結成した大学連、気の合う仲間で結成した連、商店街で結成した連等、徳島県内には大小さまざまの数多くの連が存在する。

殆どの連は先頭に連名を書いた巨大な提灯を掲げて浴衣などに名前を入れて踊っている(よって、当然提灯係のような者も毎年選定されている)。
また徳島県外には徳島県出身者が主体となって結成した連もあり、関西を本拠地とする阿波おどりの連の中には徳島県出身者が始めたものが多い。

 

徳島県内の有名連


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娯茶平: 連員350人を超える徳島県最大規模の連であり、賜天覧4連のうちの一連。 娯茶平調である。 東京の飛鳥連と姉妹連である。

のんき連: 徳島一の歴史を誇る賜天覧4連のうちの一連。 のんき調である。

新のんき連: 性億政明を初代連長とする、のんき調の連である。 東京支部として東京新のんき連がある。

阿呆連: 阿波踊り三大主流と呼ばれるもののうちの一つ、阿呆調である。東京の江戸っ子連と姉妹連である。


出典: 「阿波踊り」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阿波おどりは旧・阿波国を発祥とする盆踊りである。 精霊踊りや念仏踊りが原形であるといわれるが、起源は明らかになっていないと書いてありますわねぇ~。。。

そうです。。。 とにかく“盆踊り”には違いがない。。。 すると、「エイサー」も、言ってみれば“盆踊り”なのですよ。。。

エイサー


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エイサーは、沖縄県と鹿児島県奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能。
この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩く。

また、かつては祝儀を集めて集落や青年会の活動資金とする機能も重視され、その金でため池を設けた例もある。
地域によってはヤイサー、エンサー、七月舞(しちぐゎちもーい)、念仏廻り(にんぶちまーい)とも呼ばれる。

近年では太鼓を持つスタイルが多くなり、踊り自体を鑑賞するために沖縄全島エイサーまつりをはじめとする、各地域のエイサーを集めたイベント等も開催され、重要な観光イベントとなっている。

 

歴史

東北出身の袋中上人が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したのを契機に、沖縄では王家や貴族の間を中心として念仏が広まった。

18世紀中頃には、托鉢や芸事を行なう「念仏にゃー」(念仏屋、にんぶちゃー)をお盆に招いて先祖の供養を行なう風習が、首里の屋敷町などで存在していたという。
当時は現代のエイサーと形式が異なり、門付歌と念仏歌だけで踊っていた。

明治以降になると、念仏の詠唱を村の若人が代行する形で庶民の間にエイサーが普及していった。
沖縄本島中北部から県内全域へ伝播して大衆化する中で、民謡などを取り込む例も増えた。

与那国島で始まったのは80年ほど前と言われている。
なお、戦前は太鼓を使う例は少なく、浴衣などの普段着姿で手ぬぐいを頭に巻くというスタイルが主流であった。
念仏にゃーの存在は大正の終わりごろにはほぼ消滅している。

戦後、エイサーは沖縄市など本島中部を中心に大きくスタイルを変えた。
旧コザ市(現在の沖縄市)主催で1956年に全島エイサーコンクールを開催。

この沖縄随一のエイサーイベントは後のエイサーの発展に多大なる影響を与えた。
当初コンクール(順位を競う)であったため、審査員や観客に魅せる(見せる)という部分に重きが置かれ、出場する青年会は構成や隊形、衣装、パフォーマンスなどをより派手なスタイルに変化させていくことになる。
これらのエイサー文化と共に歩んできた沖縄市は2007年6月13日に「エイサーのまち」宣言をし、地域の活性化に取り組んでいる。

一方で、名護市以北の本島北部では手踊りの伝統エイサーも続けられている。
また、沖縄本島中部の与勝地域の伝統エイサーも歴史は古く、屋慶名青年会、平敷屋青年会などは100年余りの伝統がある。
屋慶名エイサーの起源は明治24年(1890年)旧暦7月とされ、1991年には生誕100年祭が行われた。

全国的には1990年代以降に沖縄県出身者が中心となって多くのエイサー団体が設立された。
また、県出身者以外の愛好者の加入や独自団体の設立も増えていると言われる。
国外で踊られた例として、アメリカ合衆国やフランスなどがある。

 

語源

エイサーの由来は、浄土宗系念仏歌に挟まれる囃子の一つ「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」から来ているとされる。
また、「おもろさうし」に「ゑさおもろ」(「おもろ」は歌謡の意)の語があり、これを由来とする説がある。


出典: 「エイサー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東北出身の袋中上人が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したらしいけれど、この後で船で四国によって念仏踊りを徳島で広め、それが阿波踊りになったのではないか? 僕は、そう思うのだけれど。。。

それは、デンマンさんの想像に過ぎませんわァ~。。。 それで、私がお願いした品はどうなりましたァ~?

あのねぇ~、9月24日の日曜日、バンクーバー市立図書館は午後6時に閉館になったので、ロブソン・ストリートを西に向かってずっと歩いて、デンマン・ストリートとぶつかる角にあるセーフウェイ(Safeway)に寄ったのですよ。。。


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スマッカーズのラスプベリー・ジャムはありました。


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でもねぇ~、ハインズのホットドッグ・レリッシュはありませんでした。


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でも、その代りに、上の品とほとんど同じものがありましたよ。


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Compliments のホットドッグ・レリッシュです。。。

じゃあ、これでもいいですわ。。。

それから3つ目のアイリッシュ・クリーム・グラウンド・コーヒー(Irish Creme Ground Coffee)はありませんでした。


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あのねぇ~。。。 この缶入りのコーヒーは特殊なのですよ。。。 僕が調べた限りアマゾンでしか手に入りませんよ。。。 バンクーバーのどの店にもなさそうです。。。 小百合さんもネットで調べてみてください。。。

じゃあ、セーフウェイ(Safeway)で量(はか)り売りのコーヒー豆を買うしかないのですか?

そうです。。。

でも。。。、量り売りのアイリッシュ・クリーム・コーヒーの豆を保存しておくと、苦(にが)くなってしまうのですわァ~。。。

あのねぇ~、そういう時には密閉できる缶にコーヒー豆を保存しておくのですよ。。。

そうしているつもりなのですわ。。。

缶が密閉してないのですよゥ。。。 しっかり密閉できる缶を100円ショップで買ったらどうですか?

分かりましたわ。。。 今晩寝ずに考えてから返信を書きますわァ~。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、今年の阿波踊りを見ましたか?

見ない人も、見た人も次のダイジェストをお楽しみくださいませ。。。


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どうですか?

お祭り気分を味わえましたか?

ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。

なぜ。。。?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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下着・ランジェリーを見つけませんか?』

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別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

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こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


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デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


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九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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日航スチュワーデス

2017年7月8日

 

日航スチュワーデス

 


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ケイトーは若い頃 日本航空のスチュワーデスをナンパしようと思っていたのォ~?


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どうして僕が日本航空のスチュワーデスをナンパしなければならないのですかァ~。。。

だってぇ~、冒頭に日本航空のきれいなスチュワーデスの写真を貼り出しているじゃない!

タイトルに見合った写真を貼り付けただけですよ。。。

つまり、ケイトー以外の人が日航スチュワーデスに関心を持っているわけぇ~。。。?

そういうことです。。。 ちょっと次のリストを見て欲しいのですよ。。。


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『拡大する』

『ジャルパックと国際化』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の7月5日の午後9時26分から6日の午前2時56分までの約5時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。

7月5日の午後9時48分にGOOGLEで検索して『ジャルパックと国際化』を読んだネット市民がいたのねぇ~。。。 もしかして。。。、もしかして。。。、白い水着を身に着けた かわいい女性の写真が貼ってあるけれど、この人が読んだと言うつもりじゃないでしょうねぇ~。。。


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実は、上の写真の女性が読んだのですよ。。。

まさかァ~。。。

信じられないのならば、ちょっと次のIPアドレスの調査票を見てください。。。


(ip87129b.png)

『拡大する』

東京に住んでいる慈椰 春香(じや はるか)さんが マジで読んでのですよ。。。

どうしてアクセスした人の名前までが確定できたわけ? IPアドレスを調べても、アクセス者の名前まではゲットできないのよォ~。。。

シルヴィーも きついツッコミを入れるんだねぇ~。。。 僕が勝手にデッチあげて“自作自演”しているように見えるのは 面白くないので、こうしてIPアドレスを調べたわけなのですよ。。。 もちろん、個人情報を保護するために、名前は仮名です。。。

そういうことならば、くどくど詮索することはしないわァ。。。 で、春香さんは、どのように検索したわけなのォ~?


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赤いアンダーラインが引いてある「リファラ」のリンクをクリックすると次の検索結果が出てくるのですよ。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「1970年昭和45年日本航空スチュワーデス画像」と入れてGOOGLEで画像検索したのねぇ~。。。

そういうことです。。。

つまり、春香さんは昭和45年当時、日本航空のスチュワーデスをしていたわけぇ~?

そういうことです。。。


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あらっ。。。 マジでスチュワーデスの制服を着ているわねぇ~。。。

あのねぇ~、春香さんが小学生の頃に『大空に乾杯』という映画を観たのですよ。。。


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つまり、この映画を観て春香さんは日本航空のスチュワーデスになろうと決めたわけなのォ~?

そうなのです。。。 その当時、日本ではスチュワーデスというのは少女の憧れの職業だったのですよ。。。

最近のカナダとはずいぶんと違うのねぇ~。。。 私は小学校の教師をしていたのだけれど、生徒の数が減ったのでレイオフになったのねぇ~。。。 つまり、人員カットで生徒が増えるまでの間、自宅待機というわけよ。。。 でも、食べるために何かしなければならないので、私は外国語をけっこう話せるから 手っ取り早くエア・カナダのキャビン・アテンダントになったのよ。。。


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シルヴィーがエア・カナダのキャビン・アテンダントをしていたという事は話には聞いていたけれど、こうして写真を見ると、“孫にも衣装”でシルヴィーはまるで人気女優のようにサマになってるねぇ~。。。

煽(おだ)てても何もでないわよ。。。 ケイトーは知っていると思うけど、カナダではキャビン・アテンダントというのは、少女があこがれるような職業じゃないのよ。。。

どうして。。。?

仕事がきつい割りに お給料がよくないからよ。。。

それで、シルヴィーは少し勤めて止めてしまったわけぇ~?

そうなのよ。。。 生徒が増えてきたので、教師に再雇用されたわけなの。。。 で、春香さんは、どういうわけで『ジャルパックと国際化』を読んだわけなのォ~?

検索結果に次の写真を見たからですよ。。。


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春香さんが生まれて 物心ついた頃の時代ですよ。。。 それが、この『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画なのですよ。。。

つまり、「1970年昭和45年日本航空スチュワーデス画像」と入れてGOOGLEで画像検索して、「もしかして自分の写真が出てるかなァ~。。。」と思って検索結果を見ていたら、懐かしい『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画のポスターが出てきたので、その写真をクリックしてケイトーのブログにやって来たというわけなのねぇ~。。。

ネットをサーフィンしていると、つい興味深い写真とかイラストに目が移って わき道へそれてしまうということがシルヴィーにもあるでしょう!?

言われてみれば、確かにそういうことってあるわよねぇ~。。。

昭和45年(1970年)には、いろいろな出来事があったのですよ。。。

たとえば。。。?

三島由紀夫が1970年11月25日に割腹自殺しているのですよ。


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つまり、この三島事件は多くの日本人にショックを与えたわけぇ~?

日本人だけじゃないでしょう! 今時、「ハラキリ」をするなんて海外では“野蛮”だとか“時代錯誤”だとか。。。、そう思ってショックを受けた人も大勢いたのですよ。。。 シルヴィーはどう思ったのォ~?

やっぱり、日本人は太平洋戦争の時代の“カミカゼ”の伝統がなんとなく受け継がれているのかなァ~、と思ったわねぇ~。。。

あのねぇ~、戦後生まれの僕らの世代では、「ハラキリ」をする人など まず居ませんよう。。。 そんなのは日本の伝統などではない!

要するに、三島由紀夫は例外だと言いたいわけぇ~?

そうですよ。。。 一般の日本人とはかけ離れていましたよう。。。 当時の日本人は、あの悲惨な戦争の事を忘れたように万博で浮かれていたのですからねぇ~。。。


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つまり、大阪で万国博覧会が開かれたことがきっかけで、古い日本からケイトーは世界に飛び出して行ったわけなのねぇ~。。。

そういうことです。。。 僕にとって、三島由紀夫は最後の古い日本人なのですよ。。。

つまり、慈椰 春香(じや はるか)さんも、ケイトーと同じように古い日本から飛び出した新しい日本人なのねぇ~。。。?

僕は、そう思います。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは どう思いますか?

三島由紀夫が古い日本の最後の古い日本人だと思いますか?

ところで、話は変わりますけれど、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


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『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』


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『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』


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『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』


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『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

『イングナさんを探して』

『美しい日本語 チェーホフ』

『横の道@ニコライ堂』

『また塩野七生批判』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
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下着・ランジェリーを見つけませんか?』

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映画とロマン@仙台

2017年6月15日

 

映画とロマン@仙台

 


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デンマンさん!。。。今日は仙台での映画とロマンのお話でござ~♪~ますか?


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そうです。。。 いけませんかァ~?

でも。。。、でも。。。、どうして急に仙台での映画とロマンのお話をする気になったのですかァ~?

あのねぇ~、実は、仙台に住んでいる中原さんがコメントを書いてくれたのですよ。。。


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中原 Says:

2017年6月13日 4:17 AM | 返信する 編集

 

「松島」で思い出しました。

旧・宮城第一高女の校歌。作詞者名は未確認。

 

 

すすむ学びのみちのおく

千代てふ文字にちなむ郷

業の成る日をまつしまの

まつかひもはや千賀の浦

これわが校のものとして

他に 優れし ところなり

 

 

仙台の由来は千代

掛詞の妙も鮮やかな、美しい校歌です。

デンマンさまの、最近ブログ記事内容にそぐわず、申し訳ありません。
何かの参考にしていただければ幸いです。
長文のコメントをお許しください。

その昔、私は、宮城一女(宮城県第一女子高等学校)に学ぶ美少女に恋した。
宮城一女は、宮教大(旧東北大学教育学部)合格者数のトップ高であり、東北大学合格者数も多かった。

生徒会の発案で制服を自由にした。
バス通学で見かけた少女は、青の上着に赤のスカート。
みどりの黒髪は美しく光り輝き、洋書「老人と海」に読みふける高校一年生の顔立ちは、清潔で幼く、可愛かった。

ハワイ出身のアイドル、アグネス・ラム激似の美少女は、二浪後、東北大学医学部に合格。
卒業後、関東にある医院の御曹司に女医兼妻として嫁いだが、離婚。

その後、熱心な求愛にほだされて、年下の医学研究者と再婚。
現在彼女は、脳神経学系の権威として指導者的立場にある。

宮城一女は現在、共学の宮城県宮城第一高等学校になっている。
その昔は宮城第一高女(宮城県第一高等女学校)で、
校舎は、青葉区八幡1丁目(旧・中島丁)でなく仙台市の中心部にあった。

昭和20年7月の仙台空襲で建物は焼失した。
昔も今も変わらぬ、荘重なメロディの校歌が懐かしい。

私は、戦前の宮城第一高女を舞台に、一少女の物語を書きたいと願いつつ、結局果たせなかった。

以下は、校歌の(ピアノによる)メロディのみ。


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denman705 Says:

2017年6月13日 10:51 AM | 返信する 編集

 

コメントありがとうございます。
宮城一女の美少女に恋したとのこと。。。
きっと素晴らしい女性だったことでしょう!

アグネス・ラムは、当時の私にとってアイドル的存在でした。 (微笑)


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中原さんのコメントを読んで私も宮城三女の乙女と

仙台駅前の「日の出」映画館に

映画を見に行ったことを思い出しました。

 


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もう、その映画館はなくなってしまったとか。。。
残念です。。。

でも、思い出は私の記憶に焼きついています。

中原さんのコメントを読んで、以前書いた記事が

よみがえってきました。


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『杜の都の映画』

 

タイトルは『杜の都の映画』という長い記事ですが、
画像が消えているので、さっそく更新しようと思います。

この事でまた記事を書けると思います。

コメントありがとうございました。。。
では、仙台の初夏を楽しんでください。。。


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『車掌さんの松島音頭』のコメント欄より
(2017年6月13日)

あらっ。。。 中原さんが宮城一女の美少女に恋したというコメントを読んで、デンマンさんは宮城三女の乙女と仙台駅前の「日の出」映画館に映画を見に行ったことを思い出したのでござ~ますかァ~?

そうなのですよ。。。

それで、中原さんに対抗してデンマンさんは宮城三女の乙女の思い出を語るのでござ~ますかァ?

そうです。。。 いけませんかァ?

ぜひ伺いたいですわァ~。。。 デンマンさんが破廉恥な真似をして可憐な恋は破滅に追い込まれたのでしょう?! うふふふふふふふ。。。

卑弥子さんは“他人の不幸は蜜の味”だと思い込んでいるようだけれど、そういうことだから京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」という格調高い演題で講義しているにも拘(かかわ)らず教え子の腐女子たちに次のような画像をネットで公開されてしまうのですよ。。。


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デンマンさん! んもおおおォ~。。。! 一生懸命に結婚のお相手を探しているのに あたくしを前にして、どうして上のような誹謗・中傷のお写真を貼り出すのでござ~ますかァ?  

だから、他人の不幸を期待すると、このような“しっぺ返し”を受けるのですよゥ。。。

分かりましたわ。。。 あたくしの言い過ぎでござ~ましたわァ。。。 では、デンマンさんのお話を素直にお聞きしますゥ。。。 その乙女とは、どのようにして出会ったのでござ~ますかァ?

以前にも書いたけれど、僕は仙台の南の方にある富沢金山と言う所に下宿していたのですよう。 まだ政令都市になる前で仙台市富沢金山という住所でした。

現在は、どうなっているのでござ~♪~ますか?

調べたら、仙台市太白区富沢金山になっています。 僕の下宿のすぐ裏が三神峯山になっていて、そこが宮城県では有名な桜の名所になっているのですよう。


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そんな山奥に下宿していたのでござ~♪~ますか?

三神峯山と言うと高い山を想像するかもしれないけれど、ちょっとした丘ですよう。 決して山の奥に住んでいたわけではありません。 そこは「三神峯公園」になっているのです。 仙台駅からバスで30分ほどです。

桜の季節には、大勢の人が繰り出すのでござ~♪~ますか?

天気が良い4月の週末ともなれば、足の踏み場がないほどにぎわって、花見の宴会で歌って踊って大変でしたよう。ソメイヨシノ、楊貴妃、吉野桜など、33種類、約550本の桜があるのですからね。。。

あのォ~。。。2018年には秋ではなくて春に日本へ帰省しませんか? あたくしはデンマンさんと仙台へ行ってみたくなりましたわ。 その時には「三神峯公園」へデンマンさんとご一緒にお供したいですわァ。

う~♪~ん。。。考えておきますよう。

それで、「三神峯公園」が映画と関係あるのでござ~♪~ますか?

直接は関係ないのです。。。 僕の下宿の脇の道をさらに10メートルぐらいを登ってゆくと恵子さんの家があるのですよう。

その恵子さんが宮城三女の乙女ですかァ?

そうです。。。

宮城県第三女子高等学校

 

宮城県第三女子高等学校は、宮城県仙台市太白区門前町にある県立の女子高等学校。
略称は三女。ナンバースクールの一員。
宮城一高や男子ナンバースクールとは異なり、制服が指定されている。

地元では、宮城一女(現・宮城一高)、宮城二女、三女を評して
「頭の一女・顔の二女・身体の三女」と言われることがある。

他の女子ナンバースクールは近隣に男子高が存在するのに対し、三女の近くにはない。ただし1962年まで仙台商業高等学校が隣接していたほか、現在は宮城県仙台南高等学校(共学校)が付近にある。

2010年に共学化される予定である。
宮城県教育委員会から共学化の提案について、同窓会などで議論となっている。
また、以前行われた全校集会での共学化賛成・反対の投票では99%が共学化反対の意を表明している。

沿革

1924年 – 宮城県第三高等女学校設立
1946年 – 学制改革により5年制
1948年 – 学制改革により宮城県第三女子高等学校となる
1950年 – 男女共学制を実施
1952年 – 男女共学制を廃止
1953年 – 従来の校舎を宮城県第一女子高等学校と併用
1955年 – 新校舎起工
1957年 – 現在地に移転、現在の校旗・校歌制定

校訓

自立 聡明 敬愛

設置学科

全日制 普通科

部活動

音楽部

本校の音楽部は全国でも有名であり、大会では好成績を修めている。
音楽部という名称ではあるが、「合唱」専門である。
また、2003年度の菓匠三全のCMに朝海ひかると出演したり、森山直太朗の代表曲「さくら」で共演し、同氏のCDのカップリング曲「さくら(合唱)」でバックコーラスとして収録されたりと活躍は大きい。

体操部

体操部という名称ではあるが、実質は「新体操」である。
練習環境は決して恵まれていないが、実力は全国レベルのインターハイ常連校。
個人演技の得点はずば抜けて高いとは言えないが、団体演技は見るものを圧倒する。

体育祭

年2回行われるイベント。仮装しての行進もある。
また、綱引きにおいては近所の郡山餅屋の大福をめぐり争奪戦が行われ戦死者がでることがある。

著名な卒業生

小池真理子 – 直木賞作家
我妻佳代 – アイドル(おニャン子クラブ)
朝海ひかる – 元宝塚歌劇団雪組男役トップスター(在籍歴あり)
葛岡碧 – ファッションモデル
酒井瑛里 – 女性アイドル(美少女クラブ31)


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

。。。んで、その恵子さんはデンマンさんのガールフレンドだったのでござ~♪~ますか?

いや。。。 まだ、そこまで発展していませんでした。。。 当時、恵子さんは宮城三女に通う高校三年生だったのですよう。 僕が上の説明の中で赤字にしたところを注目してください。

 


「頭の一女・顔の二女・身体の三女」

綱引きにおいては

近所の郡山餅屋の大福をめぐり

争奪戦が行われ戦死者がでることがある。

 

そうなのです。。。 恵子さんは女性としては実にたくましい女の子だったのですよう。 僕よりも背が高くて、体格だってよかったのですよう。 たぶん170センチ以上あったのではないか? 「身体の三女」とは、よく言ったものですよう。 恵子さんは女子プロレスラーになっても見劣りがしないように見えました。

。。。んで、その恵子さんがスカウトされて、あたくしも知っているような有名な女子プロレスラーになったのでござ~♪~ますか?

違いますよう。。。 そう、先を急がないでくださいよう。

。。。んで、デンマンさんは恵子さんと、どのように知り合ったのでござ~♪~ますか?

僕も恵子さんも仙南バスで通っていたのです。 夜型の僕も1年生、2年生の時には、結構、真面目に朝起きてバスで通学していたのです。

それで。。。?

バスには門前町経由と長町経由があったのです。 今から考えれば門前町経由と言うのは宮城三女の学生のためにあったようなものでしたね。

つまり、宮城三女の女学生がたくさん乗るのでござ~♪~ますか?

確かに、長町経由よりも門前町経由の方が女学生は多かったです。

それで、デンマンさんは、わざと門前町経由のバスに乗って女学生をヤ~らしく眺めながら通学したのでござ~♪~ますか?

うへへへへ。。。 それ程意識してはいませんでしたけれどねぇ~。。。

。。。で、どのようなきっかけで知り合ったのでござ~♪~ますか?

僕と恵子さんは時々、スーパーマーケットの前にある富沢のバス停でかち合う事があった。 実は、恵子さんを初めて見たのは、そのスーパーマーケットだった。 「ピンキーとキラーズ」で一頃、歌謡界を風靡した「恋の季節」を歌ったピンキーこと、今陽子さんに似ていたのですよ。

今陽子 (こん ようこ)


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1951年11月1日生まれ。
愛知県東海市出身の歌手、女優。
本名は、今津 陽子(いまづ ようこ)。
身長168.7cm。

幼少期より洋楽に造詣を深める。
1966年上京していずみたくに師事し、1967年、15歳でビクターレコードよりソロ歌手として「甘ったれたいの」でデビューしたが全く売れず。

1968年キングレコードに移籍後、ピンキーとキラーズのヴォーカリスト・ピンキーとして「恋の季節」「涙の季節」がブレーク。
歌謡賞を数多く受賞するとともに、主演として映画「恋の季節」(1969年、松竹)も製作された。

1972年ピンキーとキラーズからソロに転向。
近年は歌手活動のほかにも女優業に進出し、ドラマ、舞台などで活躍中。

1981年3月から1982年2月の間、ダンス、歌、英会話等の勉強の為、単身ニューヨークへ留学。
ブロードウェイのミンスコフ劇場で「SAYONARA」の主役オーディションを受け、合格するが、ミュージカルそのものが上演されず、出演には至らず。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

僕が高校生の頃に、「恋の季節」は大ヒットした。

その今陽子さんに、恵子さんはマジで似ていたのですか?

そうなのです。 今陽子さんも背が高い。 しかも、体格もいい。 買い物をしていた恵子さんはタイツスカートを穿いていたので、女子校生には見えなかった。 僕よりも年上の社会人に見えたのですよう。 しかも、腰の辺りがムッチリとした感じで、“ああぁ~~、いい尻してるなあぁ~”と、思わず見とれてしまったのです。


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この写真のシャロンさんのように、ぴっちりとしたタイトスカートに、いかにも形の良い魅力的な尻が僕の目を惹きつけた。

デンマンさんは、女性を見るときに、まずお尻を見るのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。僕は、女性の尻にこだわっている訳ではないですよう。 あのねぇ~、目の前を歩いている女性がタイツスカートを穿いていれば、見たくなくとも自然にタイツスカートにぴっちりと包まれている尻が目に入ってしまうものです。

見なければいいでしょう?

そう言う訳にはゆかないのですよう。 高校1年生の時にヌードをデッサンした僕にとって、女性の美しさは尻にも宿っていると、現実の世界でも、しみじみと実感したのですよう。


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“The first impression is

a lasting impression.”

 

英語では、このような事をよく言うのだけれど、人に会った最初の印象は、なかなか消えないものですうよう。実は、シャロンさんの素敵な尻を見るよりも恵子さんのムッチリとした尻を見た方が先だった。 だから、20年ほど経ってからバンクーバーでシャロンさんの魅力的な尻を目にしたとき、“あぁ~、仙台の恵子さんは、今頃どうしているだろうか?”。。。僕は、突然閃(ひらめ)いたように、そう思ったものですよう。 うしししし。。。

前置きは、もうその程度で結構ですわ。。。んで、その後、どうなったのでござ~♪~ますか?

僕は恵子さんが社会人で、もしかすると結婚しているのではないだろうか? そう思ったほどですよう。。。 そうしたら、ある朝、バス停でバスを待っていた時に、恵子さんがセーラー服を着て現れたのですよう。


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この写真が、その時デンマンさんが受けた恵子さんの印象ですか?

そうですよう。 僕は、もう、度肝を抜かれて、ビックリしましたよう。

どうせ上の写真はデンマンさんがコラージュして、でっち上げたのでしょうけれど、ちょっと高校3年生の女学生にしてはフケすぎていますわよう。

そうでしょう?! だから、その時の僕の驚きを察してください。 こんな感じに見えたのですよう。 結婚してるかもしれないと思ったほど、恵子さんが大人っぽく見えたのに、実は高校3年生だったのですよう。

。。。で、デンマンさんは、ずうずうしく声をかけたのですか?

まさかぁ~。。。 僕は20代の頃は女性に対して、とっても消極的だったのですよう。 まだ一度も言葉を交わした事もない女性に声をかけるなんて、僕にはとてもできない仕業(しわざ)でしたよう。

そのような事をマジで信じるわけにはゆきませんわ。。。んで、デンマンさんは恵子さんと、いつ言葉を交わしたのでござ~♪~ますか?

バスは混んでいました。 とても座れない。 たまたま彼女と隣り合わせになって僕は緊張していたのでしょうね。

たまたまではないでしょう?! デンマンさんのことだから、他の人を押しのけてまでも、恵子さんの隣に行ったのでしょう?

たぶん。。。 無意識のうちにそうしたのでしょうね。 うしししし。。。

。。。んで、どうしたのですか?

やはり緊張していたのですよう。 僕は教科書2、3冊とノートを数冊ほど小脇に抱えていたのですよう。 バスの揺れは時には激しい事がありますからね。 急な揺れに僕は、教科書とノートをバラバラと落としてしまったのですよう。 普通だったら女子高生は、そういう時に知らん振りしていると思うのですよう。 ところが恵子さんは違ったのですよう。

 

宮城三女 校訓

 

自立 聡明 敬愛

 

やっぱり宮城三女で3年近く勉強したから、校訓が身についていたのかもしれませんよう。 恵子さんは“敬愛の心”を忘れなかったのですよう。

校訓なんてぇ~。。。そんなものは。。。、そんなものは、最近の女子高生は屁とも思わないのでござ~♪~ますわよう。 んもおおおォ~~。。。

だから、20年前の女子高生は違っていたのですよう。

そのように一般化しないでくださいませ。。。 たぶん、他の皆様に無視されたので、恵子さんはデンマンさんが哀れに。。。可哀想になったのかもしれませんわァ。

とにかく、恵子さんは僕と一緒に拾ってくれたのですよう。

“どうもありがとう”。。。僕は、そう言うのが精一杯でしたよう。 とにかく、僕よりも背が高いのですからねぇ~。。。 どう見ても170センチ以上あるのですよう。 しかも、香水をつけているわけではないのだろうけれど、仄(ほの)かに甘い香りが僕の鼻腔をくすぐって、僕はもう、心臓がドキドキしてきたものですよう。

。。。んで、それだけですか?

違うのです。 僕はもう気が動転してしまっているのに、恵子さんは涼しい表情を浮かべて、パッチリとした眼を僕に向けて言ったものですよう。

“教育学部ですか?”

ん。。。? 教育学部。。。? なんでぇ。。。?

僕が不思議そうな表情を浮かべているのが彼女にもすぐに分かったのでしょうね。

“教育原論というタイトルが見えましたわ”

宮城三女 校訓にも書いてあるように、恵子さんは聡明なのですよう。

誰だって教科書のタイトルを見ればその程度の推測はできるものですわよう。

僕は数年後に仙台商業高校で教育実習することになるのだけれど、「教育原論」がきっかけになって、僕は恵子さんと話すようになったのです。

。。。んで、デンマンさんは工学部なのになぜ教育原論などを選択したのですか?

高校の先生になれる免許が取れるというので、それならば取っておこうと思ったのですよう。 人生の間口を広げるためですよう。 教員免許を持っていれば喰いっぱぐれが無いと思ったのですよう。 授業料は変わらないのだから免許を取れるものなら取っておいた方が得でしょう。 ウへへへへ。。。

。。。んで、今日のタイトルは映画ですから、恵子さんをデイトに誘ってポルノでも見に行ったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~。。。、いくらなんでも、初めっから日活ロマンポルノは無いでしょう!

冗談ですわよう。。。 んで、何を見に行ったのでござ~♪~ますか?

『ベンハー』ですよう。

ベンハー


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『ベン・ハー』(Ben-Hur: A Tale of the Christ、副題『キリストの物語』)とはアメリカのルー・ウォーレスが1880年に発表した小説である。

1880年11月12日、ルー・ウォーレスの発表した小説『ベン・ハー』はたちまちアメリカで大ベストセラーとなった。
小説はフィクションであるが、イエス・キリストをはじめ『新約聖書』ゆかりの人物たちを織り交ぜた構成だった。
小説『ベン・ハー』のこの発行部数記録が破られることになるのは1936年の『風と共に去りぬ』を待たねばならない。
この小説はすぐに舞台化され好評を博したため、何度も上演された。
やがて映画の時代が訪れると『ベン・ハー』の最初の映画化がおこなわれた。

戦車競走のシーンはあきらかにソポクレスの悲劇『エレクトラ』の劇中のオレステスの守り役による戦車競走と事故死の虚偽の報告から多くの着想を得ている。

 

あらすじ

ローマ帝国支配時代のユダヤ人貴族ユダ・ベン・ハーの数奇な半生にイエス・キリストの生涯を交差させて描く。

紀元26年、ローマ帝国支配時代のユダヤにローマから一人の司令官が派遣される。
彼の名前はメッサーラ。
メッサーラは任地のエルサレムで幼馴染のベン・ハーとの再会を喜び合う。
ベン・ハーは貴族の子でユダヤ人とローマ人ながら2人は強い友情で結ばれていた。

しかし、2人の立場はエルサレムでは支配者と被支配者。
そのことが2人の友情に亀裂を生むことになる。
その折も折、新総督が事故にあいそうになる事件が起きたことで、ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の濡れ衣をきせられ、家族離散、自身は当時奴隷以下の扱いであった罪人におとされるという憂き目にあう。
護送中、苦しむ彼に一杯の水をくれた男がいた。
その男こそがイエス・キリストであるということをベン・ハーはまだ知らなかった。

罪人としてガレー船のこぎ手(番号で呼ばれ、船が沈没すれば捨てられる捨て駒である)とされたベン・ハーは海戦において司令官の命を救うという大殊勲をあげ、彼を見込んだ司令官の養子にまでとりたてられる。
戦車競走の新鋭としても注目されることになり、ユダヤへ戻って家族を探していたベン・ハーは母と妹が死んだという報に涙し、メッサーラへの復讐の鬼と化した。

やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。
激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。

 

1907年の映画

1907年につくられた最初の映画はわずか15分のサイレント映画であった。
短編ながら以降の『ベン・ハー』と同じく、戦車競走を中心にしていることで興味深い。
監督はカナダ人のシドニー・オルコットであった。
制作会社は映画化料をめぐって原作者のウォーレスの遺族から訴えられている。
このような事態は以後、小説の映画化において何度となく繰り返されることになる。

 

1925年の映画

2度目の映画化は1925年、ラモン・ノバッロがベン・ハーを演じたサイレント映画である。
これが大ヒットとなった。
サイレント映画ながら前代未聞の390万ドルという未曾有の制作費が投下された大スペクタクル映画であった。
群集の場面では実に12万人ものエキストラが動員されている。

戦車競走の場面のフィルムの長さは全長60kmにも及んだが、編集されて229mになった。
この戦車競走の場面こそが1959年版『ベン・ハー』の戦車競走シーンのモデルとなり、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のポッドレースの場面の元ネタとなったのである。

メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)によって製作されたこの映画は1925年の大ヒットとなり、550万ドルというサイレント映画史上第3位の興行収入を稼ぎ出している。
あまりの人気に1930年代に入ると音声がついたバージョンも公開されている。

1959年の映画

詳細はベン・ハー (1959年の映画)を参照

1959年に公開された名匠ウィリアム・ワイラー監督の『ベン・ハー』は知名度や世界的な名作としての評価においてその揺るぎない地位を獲得した。
同年アカデミー賞にて11部門を獲得。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

あたくしも DVD で観ましたわ。 感激いたしました。 デンマンさんは、この映画を恵子さんに見せて女心を射止めようとなさったのでござ~♪~ますか?

そこまで計算していた訳ではありませんよう。 とにかく有名な映画ですからねぇ。 これならば、恵子さんと一緒に見ても問題ないと思ったのですよう。

それで、恵子さんの反応は。。。?

でもねぇ、問題が生じたのですよう。

どのような。。。?

前の晩に僕に電話がかかってきたのですよう。

行けないと。。。? デイトのキャンセルでござ~♪~ますか?

違うのですよう。 「クラスメートを一人連れて行きたいのだけれどいいでしょうか?」。。。そう、言うのですよう。

つまり、映画を見終わった後でデンマンさんがヤ~らしい事をするかもしれないと思ってボディーガードですわね? ォほほほほ。。。

違いますよう。 んもおおおォ~~。。。 そんなんじゃないのですよう。 一緒に映画を見たいと言うのはクラスメートでも、親友だと言うのですよう。 映画を見に行く日に、その親友からも一番町のブティックに行こうと誘われ、断わる理由に僕とのデートのことを正直に話したと言うのですよう。 そしたら、一緒に見に行きたいと言ったらしいのです。

。。。んで、デンマンさんは承知したのでござ~♪~ますか?

仕方が無いでしょう。。。正直言うと、僕はイヤだと言いたかったのですよう。 せっかく、恵子さんとの初めてのデートですよう。 僕だって期待にワクワクしているのですよう。 映画を見終わった後で、いろいろと予定がありましたからねぇ~。。。

ラブホに行くとか。。。?うしししし。。。

卑弥子さん! 悪い冗談を言わないでくださいねぇ~。。。 相手は花も恥らう高校3年生ですよう。

最近の高校3年生は、ラブホなど平気でござ~♪~ますわよう。 中学生の頃からラブホに行くミーハーも居るほどでござ~♪~ますから。。。

あのねぇ~。。。20年前は、高校3年生は純情だったのですよう。。。 宮城三女の校訓を見てくださいよう。

 

宮城三女 校訓

 

自立 聡明 敬愛

 

そうゆう校訓は、最近のミーハーにとって、キモい以外の何モノでもないのでござ~♪~ますわァ。。。 屁のツッパリにもならないと考えているのでござ~♪~ますわ。ォほほほほ。。。

あのねぇ~。。。卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授ですよう。 女子大学でも宮城三女の校訓を教え込んでくださいよう。 これからの日本を背負う子供たちの母親になる人たちですよう。 屁のツッパリにもならないと、ラブホに行って遊んでいたら、日本の将来がありませんよう。

分かりましたわァ。 デンマンさんが日本の将来について、それ程までに心配なさるのであれば、あたくしもせめて屁のツッパリになる程度に女子大生に教えようと思いますわ。う しししし。。。んで、当日、恵子さんの親友は現れたのでござ~♪~ますか?

僕はねぇ、恵子さんの親友が風邪でもひいて寝込むか。。。 朝、腐りかけた卵でも食べて、下痢がひどすぎて出てこれないか。。。彼女が乗ったバスが途中で事故を起こして間に合わないとか。。。そういう事を願っていたのですよう。

でも、そうゆう時に限って、すべての事がうまく運んでデンマンさんと恵子さんは二人きりになれないものなのでござ~♪~ますわよねぇ~。

そうなのですよう。 彼女がやって来た時には、僕はうんざりしましたよう。

つまり、恵子さんと二人だけの大切なデートが、もう一人の女学生によって台無しになったのでござ~♪~ますわねぇ。

ところが、そうではなかったのですよう。

どう言う事ですか?

やって来た彼女を見て僕はちょっと信じられないような驚きで心臓がドキドキしてきたのですよう。

どうしてでござ~♪~ますか?

僕のアイドルのラムちゃんに良~く似ていたからですよう。

アグネス・ラム

Agnes Nalani Lum


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愛称 ラムちゃん
生年月日 1956年5月21日
出身地 アメリカ合衆国・ハワイ州
民族 中国系アメリカ人
公称サイズ(1975年時点)
身長 / 体重 158 cm / 46 kg
BMI 18.4(低体重)
スリーサイズ 90 – 55 – 92 cm
アメリカ用表示
身長 / 体重 5′ 3″ / 101 lb
スリーサイズ 35 – 22 – 36 in

アグネス・ラムは、1970年代後半に日本で活躍したハワイ出身の中国系アメリカ人。
1975年に初代クラリオンガールに選ばれ、つぶらな瞳、日焼けした肌、豊かな胸(巨乳という言葉は未だなかった)、愛くるしいルックスなどで一世を風靡した。

アイドルといえば歌手活動がメインというのが常識だった時代に、グラビアを中心とした活動を行った。
元祖グラビアアイドルと呼ばれる存在である。

1976年にシングル『雨あがりのダウンタウン』をリリースし歌手デビューも果たす。
同年以降何回か、NHK紅白歌合戦に応援ゲストとして出場。
加山雄三主演の『帰ってきた若大将』(1981年)にもゲスト出演した。

80年代後半に、幼なじみと結婚し二人の息子をもうけた。
1996年にダイハツのパイザーの新型車CMキャラクターとして、子供と一緒にテレビCMに登場。

CMでは人気絶頂の時期とあまり変わらない体型を披露している。
日本テレビ「あの人は今」にも出演した。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

デンマンさんはボインな女の子が好みなのでござ~♪~ますわね?


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そんな事はありませんよう。 小百合さんは均整の取れた魅力的な肢体を持っているけれど、決してボインではありませんよう。

。。。んで、ラムちゃんのどういうところがイイのでござ~♪~ますか?

健康的なセクシーさがあふれている。何よりもかわゆいでしょう。

。。。んで、恵子さんの親友という女性もラムちゃんのように健康的なセクシーさがあふれていて、かわゆいのでござ~♪~ますか?

そうなのです。 奈緒子さんと言うのだけれど、僕よりは背が低い。 でも、かわゆい感じでムッチリしている。

 

「頭の一女・顔の二女・身体の三女」

 

誰が言い始めたのか知らないけれど、宮城三女の女生徒は、確かに「身体の三女」で見事なプロポーションを持った女性が多いのでしょうね。 恵子さんといい、奈緒子さんといい。。。、“両手に花”とは、この事ではないだろうかと。。。僕は幸運を女神に感謝しましたよう。 うしししし。。。

デンマンさんがちょっと魅力的な女性を見て、馬鹿の一つ覚えのように“女神だ。。。女神だ。。。”とおっしゃるのは、この頃から始まったのでござ~♪~ますわねぇ~。。。

いけませんか?

。。。んで、二人の女性に挟まれながら『ベンハー』をルンルン気分で鑑賞したのでござ~♪~ますか?

ところが。。。、ところが、そのようにはならなかったのですよう。

一体何があったのでござ~♪~ますか? 

あのねぇ~、僕は心ひそかに恵子さんと奈緒子さんの間に座って見られたらいいなあああぁ~♪~。。。そう願っていたのですよう。

つまり、両手に花でござ~♪~ますわね?

うしししし。。。卑弥子さんにも分かりますかぁ~?

。。。んで、その通りになったのでござ~♪~ますか?

ところが、そうはならなかったのです。

多分、恵子さんは分かったのでござ~♪~ますわア。

何が分かったのですか?


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デンマンさんのアイドルがラムちゃんですもの。。。 恵子さんにはデンマンさんが急激に奈緒子さんに接近しようとするのが見えたのですわァ。

あのねぇ~。。。 僕が10代の終わりから20代の前半にかけては、卑弥子さんも驚くほど女性に対して消極的だったのですよう。

そのような事は全く信じられませんわ。

やだなあああぁ~。。。卑弥子さんだって理解しているでしょう! 僕は箱根の強羅(ごうら)温泉に泊まった時だって卑弥子さんと同じ部屋に寝ながら指一本触れなかったのですからねぇ~。

■ 『箱根の強羅(ごうら)温泉で卑弥子さんが

青春の炎を燃え上がらせようとした話』

  【ルート66のフライと小百合さん】 (2007年11月28日)

嗚呼!。。。また、あの。。。、あのォ~、切な~♪~い夜のことを思い出させるのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんが、僕の言う事を全く信じようとしないからですよう!

あたくしは、あの夜、不幸のどん底に投げ込まれたのでござ~♪~ますわ。

分かりました。もうそれ以上、感情的に。。。劇的に。。。過激にならないようにしてくださいね。そろそろ、この記事を締めくくらねばならないのだから。。。

分かりましたわ。それで、何が起こったのでござ~♪~ますか?

『ベンハー』は本当にハラハラ、ドキドキするような素晴しい映画だったのですよう。

ええ、ええ。。。あたくしも DVDで観ましたから良~♪~く分かっておりますわ。それで何が起こったのでござ~♪~ますか?

実は、僕にも恵子さんにも言わなかったのだけれど、奈緒子さんは1週間前に『ベンハー』を観たのですよう。

それで。。。?

僕と恵子さんがハラハラ、ドキドキしながら観ているのに、いい所になると奈緒子さんがベラベラと筋を話してしまうのですよう。

例えば。。。?

その折も折、新総督が事故に

あいそうになる事件が起きたことで、

ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の

濡れ衣をきせられる。

この事故と言うのはベンハーの邸宅の前で起こるのですよう。 新総督の行列がベンハーの家の前を通るのだけれど、その行列を屋上に上がってユダ ベンハーとお母さんと妹の3人で見物するのです。 ところが妹の不注意で手摺(てすり)の瓦を落としてしまう。

それで。。。?

新総督は馬に乗っていたのだけれど、その馬の目の前に落ちる。馬は驚いて棒立ちになって新総督を振り落としてしまう。その衝撃で新総督は意識不明の重態になる。そう言う事を奈緒子さんは、ベラベラしゃべってしまうのですよう。

ねえ、ねえ、ねえ。。。あのテスリの瓦がおちるのよう。。。

ああああ。。。落ちたわァ~

。。。んで、新総督は意識不明になって。。。

それがもとで、ベンハーも、お母さんも妹も

牢屋に入れられてしまうのよう。 可哀想にィ~

デンマンさんが“黙れ!”と言えばいいじゃありませんかア!

言えませんよう。

どうしてでござ~♪~ますかァ?


(lum100.jpg)

奈緒子さんは、僕のアイドルのラムちゃんにそっくりなんですよう。

つまり、デンマンさんは奈緒子さんに嫌われないように黙っていたのですか?

僕だけじゃないですよう。。。 前列に座っていた20代の会社員風の男が、ムカついて振り向いたのですよう。 かなり頭に来たように奈緒子さんを睨(にら)んだ。 この男なら何か言いそうだなと僕も思った。 だから、僕の代わりに言ってくれ、と僕も祈るような気持ちで期待したのですよう。 うへへへへ。。。

。。。んで、ムカついたその男は奈緒子さんに“黙れ!”と怒鳴(どな)ったのでござ~♪~ますか?

ところが、ビックリして口をポケーと開けて、しばらく見とれてしまった。

マジで。。。?

僕も半分可笑しくなったり呆れたり。。。 でも、その男の気持ちが手に取るように分かりましたよう。

それで、その男は何も言わなかったのでござ~♪~ますか?

何も言えませんよう! んもおおおォ~♪~。。。 “一目惚れ”ってのがあるでしょう?。。。 その男も奈緒子さんがラムちゃんにそっくりなのに驚いたのですよう。。。つうかァ~、とんでもない美人を生まれて初めて目にしたように、コロッと表情が変わるほどに奈緒子さんに惹かれてしまったのですよう。

それで。。。?

暗闇に目が慣れているとは言え、映画館の中だから、はっきりと見えるわけじゃない。 5分ぐらいしたら、本物のラムちゃんかどうか? どうしても気になるらしくて、また振り向いているのですよう。

それで。。。?

奈緒子さんも映画の筋をベラベラしゃべりっぱなしだから、多少気になっていたんでしょうねぇ~。。。

奈緒子さんも、その男の人に文句を言われると思ったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。 それで、半分照れるような。。。半分謝(あやま)るような。。。泣き笑いのような、崩れた笑いを浮かべたのですよう。

。。。んで?

かわゆい女の子が笑ったものだから、崩れた笑いにしろ、泣き笑いにしろ、“一目惚れ”した男の目には、心に染み込むような素晴しい笑顔に映ったらしいのですよう。 その男は、少しオツムが足りないところがあったようですよう。 奈緒子さんに好意をもたれたと勘違いしてニッコリ笑い返しているんですよう。

それで。。。?

馬鹿な男が居るものだと思って、僕は呆れましたよう。

。。。んで、それからも奈緒子さんは、いい所に差し掛かると筋をべれべらしゃべってしまったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。 でも、そのうち誰もがシーンと静まるような場面に差し掛かった。

どの場面でござ~♪~ますか?

次のシーンですよう。

涙なくしては見られないシーン


(lonely15.jpg)

 

やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。

激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。

【ネタバレ注意!】

瀕死のメッサーラは、最後の力を振り絞ってベンハーに言うのだった。
オマエの母親と妹は死んだんじゃない。
犬が喰うようなエサを食べて長いこと地下牢で生きていた。
オマエが帰ってくるまでずうっとだ。

オマエが司令官の養子になって帰ってきたので
俺はビックリして部下にオマエの母親と妹がまだ生きているかどうか調べさせた。
どうなったと思う?
ライ病にかかっていたよう!
とても見られないほど顔が崩れていたと、部下が言ってたでぇ~。
まるでお化けだとよう。。。(苦痛の中の嘲笑)

オマエは俺に勝ったつもりだろうが、そうじゃない。
オマエは、これから俺以上に苦しむのさ。
俺はこれでおしまいだ。
でも、オマエの苦しみはこれから始まるのだ。

よく聞け!
オマエの母親と妹は町外れのライ病者の番外地で生きている。
廃人になって。。。お化けになって。。。
うふふふふ。。。

ベンハー!よく聞け!
これから苦しめ!
俺以上に苦しめ!

死ぬ前に、これだけオマエに言っておきたかった。
あばよ。
地獄で会おうぜ。。。

メッサーラから死ぬ前に会いたいと言う伝言を聞いたとき、
彼から謝罪の言葉を期待していたベンハーにとって、
彼の衝撃の言葉はベンハーを打ちのめした。

彼は苦悩した結果、ライ病に冒される危険を犯して
ライ病者の番外地へ行くことに決心した。
一目でもいいから母親と妹に会いたかった。

ある日、ベンハーはおぞましいライ病者の間を
母親と妹を探してさまよっていた。
その時、パンと果物を入れたカゴを持ってやって来るエスター(Esther)に偶然出くわすのだった。

 


(esther01.jpg)

 

もちろん、彼の母親と妹を世話するためだった。
エスターは死の病にかかる事を承知で、もう長いこと彼の母親と妹の面倒を見ていたのだった。

ベンハーは、母親と妹の元へ連れて行ってくれと頼む。
エスターはそれだけはできないと断わる。

“「もう死んだものと諦めてもらっていた方がいいのよ。このように変わり果てた姿を息子に見せる事は、さらに悲しみを与える事になるだけだわ」
お母様はそのように語って、あなたに会う事をかたくなに拒んだのよう。”

分かった。姿は見ないから、せめて声だけでも聞きたい。
そう言ってベンハーはさらにエスターに頼み込んだ。

「では、声だけね」
そういう条件でエスターは、しぶしぶ母親と妹の暮らす洞窟に連れて行くのだった。

「いつも悪いわねぇ。それで、息子は元気にしているの?。。。そう、良かったわ。一目でもいいから会いたいわ。でも、こんな姿になっては、とても会う勇気が湧かないわ。あの子がさらに苦しむのが見えるから。。。」

映画の中のベンハーは、この母親の言葉を聞いて、それ以上聞く事に耐えられず涙ながらに洞窟から抜け出すのですよう。そうしたら、奈緒子さんが感極まって泣き出すのですよう。んも~~。。。もちろん、ワンワン泣くわけじゃないけれど、前列のあの男が振り向くほどに声を出して泣くのですよう。

デンマンさんは。。。?

もちろん、僕だってビデオを一人だけで見ていれば声を出してまでは泣かないけれど、涙をあふれさせて観ていたでしょうね。 僕は、その時グッと涙をこらえていましたよう。 確かに感動的で、もらい泣きするような場面だったのですよう。

それで。。。?

あの男も涙ぐみながら奈緒子さんの様子を振り返ったままで、じっと見ているのですよう。

デンマンさんは。。。?

その二人の様子を見ていたら、呆れたというか可笑しいというか。。。 映画を見た感動が半減しましたよう。。。とにかく、奈緒子さんには半分呆れたり、半分感心させられたり。。。

どうして。。。?

どうしてってぇ。。。さんざしゃべり続けて、静かになったと思ったら、今度は泣き出すのですよう。 しかも馬鹿な会社員の男が振り向いて、涙を浮かべながら、まるで奈緒子さんを慰めるように見つめているのですよう。 僕はもう、半分呆れて、馬鹿馬鹿しくなってきましたよう。

それで、奈緒子さんのどういう所に感心したのでござ~♪~ますか?

同じ映画を2度目に観て、あれだけ感極まって泣けるのだから大したものだと思ってねぇ~。。。 人の痛みに共感するというか。。。 感受性が豊かな女の子だと思ったのですよう。

それで、恵子さんは。。。?

恵子さんも僕も半分白けていましたよう。 馬鹿な会社員が涙を浮かべて、ずうっと奈緒子さんを見つめている姿は、白けないで見ていられませんよう。

恵子さんもマジで白けていたのでござ~♪~ますか?

涙を浮かべて奈緒子さんを振り返ったまま見つめている馬鹿な会社員を見ながら、恵子さんは笑いをこらえていましたよう。

それで。。。?

だからねぇ、その時以来、僕は映画を見るのは一人で観ることに決めたのですよう。

でも、ブルックリンでは、マリアさんとアンナさんの3人で『エマニエル夫人』を観たとおっしゃいましたわよう。

それは例外です。 「例外の無い法則は無い」、と言うほどですからね。。。何事にも例外はあるものですよう。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、どう思いますか?

ブルックリンで、デンマンさんがマリアさんとアンナさんの3人で『エマニエル夫人』を観たというエピソードも馬鹿バカしくて面白いのでござ~ますわァ。。。

古い記事なので写真が全滅して出てこないのです。。。

そのうちデンマンさんが更新すると思いますわァ。。。

検索エンジンで「デンマン マリア アンナ エマニエル夫人」と入れて検索すれば、けっこう沢山の記事が出てきます。

でも、写真が全く表示されません。。。

文字を読むだけでも面白いですわ。。。

ところで、現代のお話も面白いですけれど、

たまには、むかし、むかしのお話も読んでくださいませぇ~。。。

あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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伎楽は呉から

2017年1月26日

 

伎楽は呉から…?

 


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デンマンさん。。。どうして急に伎楽を取り上げるのでござ~♪~ますか?


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あのねぇ~、伎楽にハマッているネット市民が居るのですよ。。。

どこに。。。?

ちょっと次のリストを見てください。。。


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『拡大する』

『伎楽は呉の音楽?』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の 1月24日の日本時間で午前1時14分から午前3時8分までの「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。

あらっ。。。 1月24日の真夜中。。。 午前1時31分から35分にかけてGOOGLEで検索して 3度もデンマンさんが投稿した『伎楽は呉の音楽?』を開いたのでござ~ますわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 新宿に住んでいる喜楽 美弥子さんは伎楽にハマッているのです。。。

新宿に住んでいる喜楽 美弥子さんがアクセスしたと、どうして判るのですか?

IPアドレスを調べたのですよ。。。


(ip25046b.png)

『拡大する』

でも。。。、でも。。。、アクセスした人の名前までは判らないはずですわ。。。

卑弥子さんの言うこはもっともです。。。 でもねぇ~、僕には判るのです。。。

だから、どのようにしてアクセス者の名前をゲットしたのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、伎楽に興味を持つ人の間には、不思議な以心伝心が働くのですよ。。。

以心伝心で喜楽 美弥子さんのお名前をゲットしたのでござ~ますか?

卑弥子さんは僕の言うことが信じられないのですかァ~?

要するに、テレパシーだと言うのでござ~ますわねぇ~。。。

そうです。。。 いけませんかァ~?

そのような子供騙しなことを あたくしが信じるとでも思っているのですかァ~?

分かりました。。。 卑弥子さんは僕の言うことを信じないようだから、この際 卑弥子さんが納得のゆくように説明します。

余計な事は言わなくても結構ですから、なるべく手短にお話しくださいませぇ。。。

あのねぇ~、喜楽 美弥子さんは まず次の小文を読んだのです。。。

獅子の芸能


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日本で獅子が最初に登場するのは、「伎楽」という芸能のなかである。(注2)
飛鳥時代(612年)に百済の味摩之(みまし)という人が伝えたとされ、一時はさかんにおこなわれたが、鎌倉時代にはすたれてしまった仮面劇である。

(注2) 呉の国のものなので「呉楽(くれがく)」ともいう。
古代には寺院芸能として栄えた。
大宝令には雅楽寮に専門家がいた記録があり、天平勝宝4(752)年の東大寺大仏開眼会では60名で伎楽を演じている。


103、106ページ 『おもしろ日本音楽』
著者: 釣谷真弓
2005年4月30日初版発行
発行所: 株式会社東京堂出版

この部分を読んで、美弥子さんは「伎楽」を飛鳥時代(612年)に百済の味摩之(みまし)という人が伝えた、ということを知ったのですよ。。。

。。。で、美弥子さんは大学で「伎楽」を勉強しているのですか?

いや。。。 今、大学で勉強しようかどうか考えているのだと思います。。。 とにかく、僕は伎楽はペルシャの流れを汲む音楽だと思っていたのですよ。

どうして、ペルシャの影響を受けているのでござ~ますかァ~?

なぜならば、以前、卑弥子さんが僕を次のように紹介してくれたのですよ。。。 覚えているでしょう?

ペルシャ人が飛鳥にやってきた


(himiko11.jpg)

 


卑弥子でーす。こんにちは。

今回は「卑弥呼」にあやかって

巫女さんの格好で出てまいりましたわ。

似合っているでござ~♪~ましょうか?

うふふふふ。。。

どうして巫女さんになって出てきたのかって。。。?

あたくしの背景になっている

神社のことをちょっとお話しようと思ったからです。

あたくしの両側にあるもの、これ何だかお分かりでしょうか?

そうです。「狛犬(こまいぬ)」だとか

「唐獅子(からじし)」だとか言われていますね。

日本の狛犬のルーツは平安時代、

天皇、皇后の御帖台の前に置かれた

獅子、狛犬ではないかと言われています。

獅子は口を開いていて、たてがみは巻き毛です。

狛犬は口を閉じていて、たてがみは直毛で角があります。

それが神社などの社殿の中や縁に厄除けとして

木製の獅子、狛犬が置かれるようになりました。

社殿中や縁から参道に出されて置かれるようになるのは

1600年代からと言われています。

このときに石造りになったようです。

この神社のように参道をはさんで対になって

配置されているものが多いのですが、

地域、時代によってその姿や形には、

かなりの変化があります。

でも、この「狛犬(こまいぬ)」と「唐獅子(からじし)」、

一体どこから来たのでしょう?

では、デンマンさんにバトンタッチいたします。


(foolw.gif)

うしししし。。。
こんにちは。デンマンです。
そう言う訳で今日は「狛犬(こまいぬ)」と「唐獅子(からじし)」のルーツをたどってゆきたいと思います。

狛犬(こまいぬ)と唐獅子(からじし)は

ペルシャからやって来た


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実はカットグラスが飛鳥時代に日本に伝えられています。
長い時間をかけて、シルクロードを伝わって日本にたどり着いたのですよ。
この事については次のページで詳しく説明していますので興味のある人はクリックして読んでみてくださいね。

『飛鳥とシルクロード』

ペルシャから伝わったのは、何もカットグラスだけではありません。
実は狛犬(こまいぬ)と唐獅子(からじし)もペルシャから伝わったようです。
もちろん、これもシルクロードを西から東へと伝わってきたのです。


(silkrd5.jpg)

ペルシャから日本へ伝わるまでに、どのような変化を見せたのか、
次に示す写真で見てください。


(lion02b.jpg)

ペルセポリスの獅子

Lion stone carving at Persepolis

これがペルセポリスの宮殿に飾られていた獅子です。
獅子と言うよりもライオンですよね。
写実的です。
幼稚園児に見せてもライオンを見たことがあるならば、ライオンと答えるでしょう。

このペルセポリスと言う都市は、古代ペルシャの首都です。


(persepo2.jpg)

ペルセポリス遺跡

Persepolis Ruins

紀元前3000年頃よりイランの地にはエラム人が文明を築いていました。
2000年紀に入るとロシア南部で遊牧生活を送っていたアーリア人が南下を開始します。
彼らはエラム人を追放し、さらにはメソポタミアを統治支配していた最強のアッシリアを滅亡させて、メディア王国を築きます。
狭義のペルシア人たちは、そのメディア王国に従属しながらザグロス山脈の南にあるパールサの地に住んでいました。

紀元前550年ごろ、メディア王の臣下でペルシアを統治していたキュロス2世はメディア王家の内紛に乗じてこれに叛旗をひるがえします。
その結果、メディアとペルシアを併合してアケメネス朝ペルシアを建国しました。

キュロス2世(在位BC559~530)はパサルガダエを首都にしました。
しかし、第3代のダレイオス一世が紀元前522年ごろ即位すると、
パサルガダエから西南四十キロの荒涼とした丘陵地に新都建設を命じました。
建設事業はクセルクセス一世(在位BC486~465)、アルタクセルクセス二世(在位BC465~424)へと引き継がれ、完成までに結局60年かかったのです。
これがペルセポリスです。
このペルセポリスの宮殿に飾られていたのが上のライオン像でした。


(lion05.jpg)

トルファン(吐魯蕃)の獅子

これは清朝時代に作られたといわれています。
清の時代ですからだいぶ時代が下ります。
しかもトルファンで作られています。

上の地図で見て分かるとおり、
トルファンはペルシャと日本のちょうど中間地点に位置しています。
ライオンを見たことのある幼稚園児でも、これをすぐ見てライオンだと答える子は10人に3人ぐらいでしょうか?
多分、犬と答えるでしょうね。
怖い顔をした犬のように見えませんか?
明らかに作者はライオンを見たことが無いですよね。


(lion06.jpg)

北京・紫禁城の獅子

これはライオンと言うよりも“獅子”ですよね。
つまり、様式化されて現実のライオンではなくなってしまっています。
完全に中国様式に基づいて作成された“獅子”になっています。


(lion07.jpg)

慶州(キョンジュ)掛陵(クエヌン)の狛犬

掛陵は8世紀末の元聖王の御陵で、
新羅統一時代の陵墓制度が、
完備した時代の代表的な陵とされています。

中国の獅子を真似て作られているのが良く分かります。
しかも、ライオンよりも犬のようになっています。
名前も“狛犬(こまいぬ)”です。
作者はライオンを彫っているとは思っていなかったでしょう。


(lion08.jpg)

八坂神社の獅子

これが日本で製作された獅子です。
上の写真を見てすぐ分かることは、ペルセポリスのライオンがもっとも写実的で、製作者は明らかに、本物のライオンを見たことがあるということが分かります。
しかし、トルファンも含めて、それよりも以東のライオンは、全く想像上の生き物としか思われません。
作者は、明らかに、本物のライオンを見たことがないのです。

獅子が古代韓国に伝わる頃には、獅子は獰猛(どうもう)な犬というイメージで受け入れられたようです。
おそらく、ペルシャ人がライオンをまだ一度も見たことのない中国人や韓国人に説明する時、獰猛な犬のようだ、と言ったのでしょう。
それが日本へ伝わると狛犬(こまいぬ)、つまり「高麗(こま)犬」になったのです。
高麗とは日本書紀では高句麗のことです。

半島では663年に百済が滅び、668年に高句麗が滅んで新羅が朝鮮半島を統一します。
その新羅も918年に滅んで、高麗(こうらい)に取って代わられます。
この王朝が1392年まで続きます。

高麗の武将である李成桂が王位を譲り受けた形で、翌年に新しい王朝を立てます。
これが李氏朝鮮です。
1896年に大韓帝国になり、1910年、日本に併合され、1945年に独立します。

日本人の間では、ライオンは「唐獅子」と共に「狛犬」という言葉になって、語り継がれたわけです。
ペルシャから飛鳥へやって来た石工が獅子像をたくさん作ったはずです。
しかし、写実的なライオン像は日本人の目には、むしろ想像上の生き物に見えたことでしょう。
時代が下るに従って、写実的なライオン像よりも「伝統的な」唐獅子や狛犬の方が主流になってゆき、それが、現在私たちが目にする唐獅子や狛犬となって残っています。

写実的なライオン像は、人気がなくて、作り変えられたか、壊されたのでしょう。
亀石のように大きなものを作っていれば、壊されずに残っていたでしょうが、残念ながら巨大なものは作らなかったようです。

ペルシャの石工がやって来た

証拠でもあるの?

蘇我氏が飛鳥寺を建立するために、百済から招いた寺工、鑪盤(ろばん)博士、瓦博士、画工らはペルシア系の人々であったと言われています。
また、仏師の司馬達等(しばのたつと)親子はペルシャ人であったらしいのです。 
ちなみに、司馬達等は鞍作止利(くらつくりのとり)のおじいさんです。


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天平八年(736年)、遣唐使に従ってきた李密翳(りみつえい)もペルシャ人でした。
天平勝宝六年(754年)、鑑真和上に随行して来日した安如宝もペルシア人であったと伝えられています。
このように古代日本には、ペルシア人は案外多く来訪して、その文化を伝えていたようです。

「日本書紀」には、トカラ人饗応の記述がみられます。
トカラについては、ペルシア、またタイ、ビルマ、メコン川流域など、いろいろな説があります。
まだ定説というものがありません。

斉明紀六年七月条に「覩貨羅人乾豆波斯達阿(とくわらのひとげんづはしだちあ)」とあって、「乾豆波斯達阿」という名前らしい表記があります。
「日本古典文学大系本」の頭注にしたがうと、固有名詞かどうかは疑問として、乾豆は賢豆などと同じくインド、波斯はペルシャをさし、達阿はインドの人名の語尾らしいとあります。
この表記からおおよそ推定するならば、日本よりはるか西方の南アジアの一地域かと思われます。
しかし、断定できる資料がありません。

もっともオーソドックスな解釈では西域の吐火羅(とから 覩貨邏)、つまり中央アジアのトハラ(現在のブハラ、Bukhara)であるとされています。


(worldmp3.gif)

トハラ族(Tokhara、覩貨邏)は、古代中央アジアの遊牧民で「トカラ」族とも言われます。 
サカ(インド=スキタイ)系と言われ、バクトリアへ移動後、大月氏に征服され、クシャーナ朝の中核となりました。
なお、現在のアフガニスタンの北部にある彼らが住んでいた土地は現在「トハラ」または「トゥハーリスターン」と呼ばれています。
その中心は古代にはバクトラ(現バルフ)、中世はクンドゥズに置かれ、東西交通の要地としてバクトリア王国、大月氏国、クシャーナ朝などの政治・文化の中心でした。

シルクロードの彼方から文物のみか、ペルシア人も渡来したという事については根強い支持があります。

しかし、日本書紀に従うと、ペルシア人だけが船に乗って漂着したり、男だけが本国に一時帰るというのは、ちょっと不自然です。

さらに書紀には『百済』と『都貨羅(トカラ)』の皇子を人質にしたとあります。
この場合、都貨羅を中央アジアのトハラと考えるには無理があります。

結論を先に言えば、僕は「トカラ」が二つの地名をさしていると思います。
一つは中央アジアのトハラ、もう一つは耽羅(トムラ又はタムラ)、つまり継体紀に一度名前の出てくる済州島です。
地理的位置と、百済との服従関係を考慮すると、初期の記述も十分に理解することができます。
従って、飛鳥にはペルシャからも済州島からも石工がやって来ていたと思います。

ただし、個々の石造物を見てゆくと、ペルシャの作風が見て取れるものがあり、ペルシャ人の石工の存在を無視することができません。
では、さらにいくつかの石造物を見てゆきたい思います。
まずは、猿石をジックリと見てください。


(stones3.jpg)

『猿石の謎』

実は、ここまでの事は僕が2003年8月2日に『新しい古代日本史』サイトで書いたことです。
オリジナルは次のリンクをクリックすると読めます。

『ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た』


『ペルシャ人が飛鳥にやってきた』より
(2007年4月6日)

あらっ。。。 懐かしいですわァ~。。。 確かに上のような事をしゃべったことがありましたわァ~。。。

そうでしょう!? それで獅子が出てくるから伎楽はペルシャの流れを汲んでいると僕は思ったわけですよ。

でも、伎楽の中にはペルシャの影響が実際にあるのでござ~ますか?

ありますよ。 伎楽の中で使われているお面、つまり、伎楽面を見てください。


(gagaku02.jpg)
 酔胡従【胡国(ペルシャ)の人】


(gagaku03.jpg)
  力士


(gagaku04.jpg)
  呉公


(gagaku05.jpg)
  呉女

あらっ。。。一番上のお面はペルシャ人なのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。 しかも「呉公」「呉女」とは呉の国に住んでいる男と女ということですよ。 つまり、お面の名前を見ても、伎楽がもともと呉の国の音楽だということが判るのですよ。

でも。。。、でも。。。、喜楽 美弥子さんが『徒然ブログ』にアクセスして『伎楽は呉の音楽?』を読んだという証拠がないではありませんか! テレパシーなどという とってつけたようなお話では納得がゆきませんわァ~。。。

もちろん、テレパシーと言ったのは半分冗談ですよ。。。 実は、美弥子さんがコメントを書いてくれたのです。。。

あらっ。。。 マジで。。。?

信用できないのなら、ここに貼り出すから、卑弥子さんもじっくりと読んでみてください。


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『拡大する』

『伎楽は呉の音楽?』

上のページの下の方で赤枠で囲んであるところですよ。。。 見えにくいので、ここに書き出します。

 

 

「伎楽」という芸能は 飛鳥時代(612年)に

百済の味摩之(みまし)という人が

伝えたとしたら

ずいぶん古い芸能なのですね。

ペルシャ人が飛鳥にやって来たというのは、

ちょっと意外でした。

でも、伎楽面を見ると、

ペルシャの影響が実際にあると

分かるような気がいたします。

ついつい引き込まれて

最後まで読んでしまいました。

ありがとうございました。

では…

 

Posted by 喜楽 美弥子

at 2017年01月24日 11:50


『伎楽は呉の音楽?』のコメント欄より
(2012年11月20日)

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あらっ。。。喜楽 美弥子さんは、おきれいな方なのですわねぇ~。。。 でも、どこかで見かけたような気がいたしますわァ~。。。

それは卑弥子さんの気のせいですよ。。。

そうかしら。。。?

とにかく、これでテレパシーでないことがよ~♪~く分かったでしょう!?


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは 伎楽に関心がありますか?

お暇があったら、天皇陛下御在位二十年東京都慶祝の会の雅楽を見てくださいまし。。。


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ところで、話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。

つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。

“寅さん”のような人でもいいですわ。

旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。

あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいね。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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幻の暴走機関車

2016年12月10日

 

幻の暴走機関車

 


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ケイトーは機関車に関心があるのォ~?


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僕が子供の頃は機関車の運転手になりたかったのですよ。

なんで、バスの運転手じゃなくて 機関車の運転手なのォ~?

あのねぇ~、僕の実家は埼玉県の行田市なのだけれど、実家のすぐ近くに秩父鉄道の電車が走っていたのですよ。。。 でも電車よりも、貨物列車を長く引っ張る電気機関車に興味があって、小学生の1年生か2年生の頃には、父親の座り机をひっくり返して電気機関車に見立てて、その後に、机の引き出しをいくつも並べて、ひっくり返した座り机にすわって、運転手になったつもりで1時間ぐらいは、じっと座って、実際に機関車を走らせているような気分に浸ったものですよ。

でも、なんで急に“幻の暴走機関車”を取り上げたのォ~?

あのねぇ~、11月23日にバンクーバー市立図書館でDVDを借りて 機関車の暴走を描いた『アンストッパブル』というアクション映画を観たのです。


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『拡大する』

『実際のカタログページ』

アンストッパブル

 


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『アンストッパブル』(原題: Unstoppable)は、2010年公開のアメリカ映画。
通算5回目にして最後となるトニー・スコットとデンゼル・ワシントンのコラボレーション作品で、さらにトニー・スコットにとって最後の監督作品にもなった。
2001年5月にオハイオ州で発生したCSX8888号暴走事故を題材に制作された。

ある日、ペンシルベニア州のフラー操車場で、アレゲニー・アンド・ウェストバージニア鉄道(Allegheny and West Virginia Railroad、略称AWVR)の最新鋭ディーゼル機関車「777号(通称トリプルセブン)」と「767号」の重連での牽引による39両編成・全長800mの貨物列車が、別の場所に移動しようとしていた。

移動中、線路の分岐器が切り替えられていなかった為、運転を担当する機関士・デューイは自らポイントの切り替えを行うべく、相棒の機関士・ギリースの制止を無視して単独ブレーキを掛けて運転席を離れるが、この時ある操作をしていなかった為、無人で暴走を始めた。

その報告を聞いたフラー操車場の操車場長・コニーは、当初、デューイ達の言葉から操作ミスによる惰性走行が起きていると推測し、777号は牽引する貨車のエアーブレーキのホースが外れているので外部から緊急停止の操作は出来ないが、単独ブレーキを掛けている為、減速ないし停車すると考えていた。

その為コニーは、通勤中のフラー操車場の溶接工主任・ネッドに777号の進路上のポイントを切り替えて側線に入らせるように指示し、デューイ達にも777号を後方から追跡するよう命じるが、ネッドがポイントを切り替えても777号は通過せず、それどころか追跡していたはずのデューイ達に出会う。

ネッドから現状報告を受けたコニーは、777号の状況を不審に思いデューイに当時の状況を問い詰めると、単独ブレーキは掛けたものの、マスコンの出力を最大にしたままだったことが明らかになる。

このことから、出力を最大にしていた関係で単独ブレーキは効力を失い、777号は猛スピードで力行している事に気づく。

しかもこの列車には19万リットルのディーゼル燃料に加え、発火性の強い有毒化学物質(溶融フェノール)を大量に積載していることが判明する。

このまま暴走を続けていると、スタントン郊外の急カーブで脱線した際に、積載している可燃物と周辺の可燃物タンクによって大惨事になることは避けられないため、AWVR社の運行部長・ガルビンの指示で777号の停止作戦を実施したがことごとく失敗してしまった。

同時刻、ブルースター操車場から旧式機関車「1206号」で貨物の輸送中だったベテラン機関士フランクと新米車掌ウィルは、777号の状況を知って修繕線に入線して衝突を回避するが、777号が牽引する貨車の最後尾車両の連結器が解除されているのを視認。

1206号を逆向きに連結して後部から引っ張り強制停車させることを決意したフランクはウィルと共に777号の追跡を始める。


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出典: 「アンストッパブル (映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この映画は2001年に実際に起こった事故に基づいて作られた映画なんですよ。。。

なんだか、観ながら心臓がバクバク、ヒヤヒヤするような すごい映画じゃない?。。。

そうなのですよ。。。 機関車が暴走始めたら、トイレにも立てないほど画面に釘付けになってしまうようなアクション映画です。。。

。。。で、何が“幻の暴走機関車”なのォ~?

あのねぇ~、黒澤明監督がかつて アメリカに渡って『暴走機関車』という映画を作ることになっていたのです。。。 


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この上の『暴走機関車』という映画を黒澤明監督が作ったのォ~?

いや。。。、上の映画は黒澤監督の脚本を基にして大幅に話の内容を変えて アンドレイ・コンチャロフスキー監督が作ったのですよ。

暴走機関車 (Runaway Train)

 


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『暴走機関車』(原題: Runaway Train)は、1985年公開のパニック映画。

黒澤明、菊島隆三(ノンクレジット)、小國英雄(ノンクレジット)が書いた脚本を基にしているが、大幅に改稿されている。

また黒澤は完成した映画を批判している。

ジョン・ヴォイトとエリック・ロバーツがそれぞれアカデミー賞にノミネートされた。

ストーリー

アラスカ州の監獄から脱走した囚人マニーとバックが操車場に停車していた4重連の回送用ディーゼル機関車に隠れて乗り込む事に成功。

そして機関車は発車し、彼らには自由が訪れたかのように思えた。

しかし、機関車の機関士(運転士)が心臓発作を起こして意識を失い機関車から転落してしまう。

機関出力が全開のままだった為に非常ブレーキも焼き切り、列車は無人の状態で暴走を始めてしまう。

速度は上がり続け、側線に退避しようとしている対向する貨物列車に突っ込んで最後尾の緩急車を粉砕してなおも走り続ける。

そして彼らもまたこの異常な事態で自分たちの乗っている機関車に異変が起きていることに気付く。


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   予告編

   全編


出典: 「暴走機関車」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

どういうわけで黒澤監督が自分で作らなかったのォ~?

黒澤監督は自分で作りたかったのですよ。。。 でもねぇ~、そうはならなかった。

だから、なぜなのォ~?

実は次のような経緯(いきさつ)があったのですよ。

2001年5月にオハイオ州で発生したCSX8888号暴走事故以前にも 1960年代にアメリカ・ニューヨーク州で、四台連結のディーゼル機関車が暴走した事故があった。

機関士を振り飛ばして運転が出来ない3人の男をのせて、最高時速145キロで1時間45分に渡り暴走した事故である。

黒澤明監督はこの事件を題材とした映画を作ることを、かなり早くから密かに心に決めていた。

この企画を考えた黒澤の動機は、子供の頃から機関車が大好きだったからだという。

これを映画化するという企画に、黒澤映画ファンを自認するタイム・ライフ社のへドリー・ドノバン会長がわざわざ黒澤監督の自宅を訪れ、この企画に積極的に係わりたいとの旨を伝えていた。

ドノバンの友人であるエンパシー・ピクチャーズのジョセフ・レビン社長も英訳された企画段階の脚本に惚れ込み、黒澤プロとの間で契約交渉が始まった。

レビンは、「クロサワがアメリカで初仕事の相手に私を選んでくれたのは大変光栄だ」と話し、「クロサワのハリウッド進出は、四半世紀前アルフレッド・ヒッチコックが英国から来たとき以来の快挙だ」と語った。

黒澤原案の脚本を英語の芝居の台本にするにあたり、アメリカ側のシナリオライターの援助が必要なことは黒澤も承知していた。

当初黒澤は、次のように話していた。


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映画という、同じ世界で仕事している人間たちの間に言語の壁が障害になるとは思わない。

世界的に名の知れた指揮者カラヤンはタクト(指揮棒)一本で世界中の人々に自分の音楽を理解させ、画家は絵筆1つで世界中の人に自分の考えを伝える。

自分にキャメラとフィルムを渡してくれれば、僕は世界中の人に理解してもらえる映画を創れると確信している。

映画は言語を超越して心に響く。

共同で脚本執筆した菊島も「映画に国境はない」と延べており、日本語のシナリオを英語に訳すということも、そう難しくないと思う。

しかし、日本語の脚本を、そのまま翻訳するのではなく、アメリカ映画の台本として通用するように英語で書き直すというプロセスに、危険な落とし穴があることを黒澤監督は全く気にしていなかった。

日本の映画製作システムはあくまでの監督中心なのに対して、ハリウッドのシステムはプロデューサー中心であって、監督は撮影部隊をまとめ上げる現場監督のようなものだ。

監督が特に偉いといった日本の感覚ではなく、それぞれのプロが分業して決まったことを遂行していく。

監督はそれぞれのプロを尊重して誠意ある対応をとる。

黒澤監督は脚本、撮影、演出、編集をこなすということもあり、他人には分からなくでも自分の中にあるイメージを呼び起こさせるような脚本で今までは問題はなかった。

しかし、それではアメリカ側のスタッフは動かないので、アメリカ流に書き直してくれという駄目出しを受けた。

それで、黒澤監督は脚本を修正して提出して、それを何度も繰り返した。

そのうちアメリカ側が構成にまで踏み込んで来る。

アメリカ人の考えは俺たちと大分違うな。

この映画は、言わばアメリカ人のための映画でもあるから、

多少は妥協しなければならないと思うけど、

ラストなんか俺のシナリオでは、アメリカじゃ駄目だっていうんだ。

そういう訳で黒澤監督は途方にくれてしまう。

実はシナリオの基本的構想について、レヴィン/キャロル側と黒澤監督との間に食い違いがあり、その調整に手間取っているうちに時間的に撮影開始は無理となったので、黒澤監督の方から取りあえず1年間の撮影開始延期を提案したのだった。

最大の問題はレヴィン側から「暴走機関車」にあるひとつのメッセージを盛り込んでほしいという注文があったことだった。

この点について、黒澤監督は当時のインタビューで以下のように語っている。

ところが、『暴走機関車』は、徹底的なアクション作品でしょう。

僕としては、そういうテーマみたいなものは、機関車の暴走というアクションに徹した作品構想で描写を一貫させても、作品を見終わったら、自然に画面からにじみ出てくるものだ、という考えなんです。

映画というものは、作品の中でメッセージを説明口調で言うべきものではないと思う。

このへんが、もっとも大きな食い違いでした。

アメリカ人の眼から見た登場人物のキャラクターを、こういう風に直したい、というシドニー・キャロル氏の意見は、立派なものでした。

しかし、構想の根本でひっかかりが出てきたので、シナリオ作りが、えんえんと延びてしまった。

それと、もっと具体的なドラマ作りの問題としても、困ったことが出てきました。

たとえば僕は、映画とは、表現するドラマの内容を、時間的に正確に組合わせねばならないものだ、と思っています。

実際に機関車が3分間で走る時間内に起こる出来事は、その3分間のうちに描くべきなので、そこに20分間分のエピソードが出てきたりすることはあり得ない。

3分間の出来事は、3分間以内で総てを描いてこそ、スリルやサスペンスも出てくる、と思う。

そうしないと、僕の映画的表現というものは、成り立たない。そのへんの考え方にも、違いがありました。

機関車が暴走をはじめる、という発端を描くのでも、僕は、何が原因かはっきりわからなくても、とにかく機関車が突然、暴走をはじめてしまった。

その突発的な出来事に対して、関係者たちは、とにかく何かをしなければならない。

いったい、どうしたらいいのか、というスリルでスタートさせるべきだと考えるわけです。

これに対して、まず一つの環境が設定されて、その中にこういう人間がいて、その環境と人間のからまり合いの中から、機関車の暴走という事故が起こる、という描き方をすべきだ、という考え方がある。

このへんも、映画を作る上では、大きな考え方の違いです。

初めてのハリウッド進出で若干弱気でもあった黒澤監督だけれど、シナリオ執筆に当たって両者の調整がつかず、一年延期となり、結局 黒澤監督はこの映画から撤退した。

撤退の原因は、初のアメリカ映画進出で弱気になっていた黒澤監督と、日本側プロデューサー青柳哲郎の製作経験不足ではないかと言われている。

つまり、アメリカ側とのコミュニケーションがうまく取れてなかったのねぇ~。。。

そういうことなのですよ。。。 黒澤監督は1958年に「黒澤プロダクション」を設立して、果敢に新作に取り組んだのです。。。 でもねぇ~、“ワンマン”とか“黒澤天皇”と呼ばれた徹底した完璧主義だったから、企画・製作された映画が途中で座礁したものも多い。 東京オリンピックの記録映画も黒澤監督が作るという案もあった。。。 でも、それは実現しなかった。。。 『暴走機関車』も、ハリウッドから招致されて一時は、主演にピーター・フォークとヘンリー・フォンダという配役でやろうという案も出た。

あらっ。。。 そうだったのォ~?

『暴走機関車』は黒澤監督の手から離れて、かなり違った内容でアンドレイ・コンチャロフスキー監督が制作することになった。。。 実は、この後でも日米合作の『トラ!トラ!トラ!』を黒澤監督がメインになって作るという話があった。

それも、ダメになったのォ~?

そうなのですよ。。。 明らかに、アメリカ側とのコミュニケーションがうまく取れないで、誤解が生まれて『トラ、トラ、トラ』の監督を降ろされてしまったのですよ。

黒澤監督は誰もが認める世界的に名の知れた名監督なのに、どうしてそういうことになってしまったのォ~?

黒澤監督が英語に堪能だったら、うまく言ったかもしれないのですよ。。。

つまり、黒澤監督に英語力が無いばっかりにコミュニケーションがうまくとれずに、誤解が生じて『トラ、トラ、トラ』の監督を降ろされてしまったのォ~?

僕は、そう思っているのですよ。

黒澤明と『トラ・トラ・トラ!』

もともと本作は、英米仏独のスタッフを結集してノルマンディー上陸作戦を描いた大作『史上最大の作戦』が成功したことに気をよくした20世紀フォックスが、ラディスラス・ファラゴのノンフィクション『破られた封印』(The Broken Seal)を原作に、日米双方の視点から真珠湾攻撃を描こうとした企画であった。
豪腕で知られた当時の社長ダリル・F・ザナックは『史上最大の作戦』をまとめあげた実績を持つエルモ・ウィリアムズを起用して製作がスタートした。

アメリカ側、日本側双方の場面を別個に撮影して組み合わせる方針であったため、日本側シークエンスの監督に誰を起用するかという意見を求められたエルモは迷わず黒澤明の名をあげた。
この話を聞いた当時の黒澤明はそれほど乗り気でなかったというが、東宝の手を離れて黒澤プロダクション(以下黒澤プロ)を完全に独立させた直後という事情もあり、黒澤プロのスタッフにとってはハリウッドと組んで大作を撮るという話は願ってもないチャンスであった。

黒澤も当時力をいれて進めていた『暴走機関車』の製作が一時中断になったことから『トラ・トラ・トラ!』の製作にのめりこんでいく。

黒澤は膨大な資料を収集した上で、小国英雄、菊島隆三と共同で脚本を執筆し、1967年5月3日に準備稿『虎・虎・虎』を完成させた。
黒澤明は脚本執筆のため阿川弘之の『山本五十六』からも多くのアイデアを得たが、後に黒澤が降板したことから阿川の名前がクレジットに入ることはなかった。

1968年12月2日、京都の太秦にある東映京都撮影所でいよいよ『トラ・トラ・トラ!』日本側シークエンスの撮影が開始された。
ところがそのわずか三週間後の12月24日、20世紀フォックスは病気という理由で黒澤の降板を発表することになる。

この三週間の間、撮影はほとんど進まなかった。
その原因として黒澤の異常なセットへのこだわり(スタッフに作り直しや塗りなおしを命じる)や黒澤の精神的不安定(スタジオ内が危険だとしてヘルメット着用やガードマンの常駐を求める)、黒澤の独特のやり方(山本五十六役の俳優がスタジオ入りするたびにファンファーレの演奏とスタッフ全員による最敬礼を求めたことなど)にスタッフがついていけなかったこと、黒澤が選んだ素人俳優たちがスタッフを満足させる演技を行えなかったこと、あるいは黒澤が酒に酔った状態で何度もスタジオに現れたことなどがあげられている。
スタッフからの不満が常に耳に入っており、現場でも黒澤の状態を確認していたエルモだったが、なんとか黒澤をフォローしながら撮影を続けさせようとした。
しかし撮影がほとんど進まなかったため、12月24日苦渋の決断を下し、黒澤に直接会ってその監督降板を伝えた。

「病気による降板」(黒澤の「病気」の問題は後に映画にかけられていた保険の支払いに関する争いにつながる)という形で行われた監督降板劇の真相はいまだに不明な点が多いが、黒澤と20世紀フォックスの間の契約に関する詳細な問題や、撮影方針の食い違い、黒澤が自らの権限に関しての認識が不十分だったことなどさまざまな問題が背景にあったとされている。
この降板劇の経緯から以後日本では、黒澤の「気難しい完全主義者」というイメージが強くなったとも言われる。

黒澤が降板したことで20世紀フォックスは新たに舛田利雄と深作欣二を日本側シークエンスの監督として起用して撮影を続けた。
日本側シークエンスの脚本の大半は黒澤らが執筆したものがほとんどそのまま使われることになったが、黒澤の強い要望から製作会社との協定が結ばれ、本編では一切黒澤の名前がクレジットに出なかった。

また、黒澤が意欲的に抜擢した素人俳優たちは撮影遅延の一因となったことから、黒澤降板後に解雇され、あらためてプロの俳優たちが起用された(山本五十六役の山村聰など)。
源田実役が予定されていた山崎努も降板し、三橋達也と交代したが、近衛公爵役の千田是也、駐米大使館書記官役の久米明らは、黒澤解任後も降板することなく撮影を続けた。

この監督解任騒動は黒澤のキャリアに大きな傷を残すことになった。
それから3年後の1971年12月22日、黒澤明は自宅で自殺を図る。

「3年も熱中していた企画を突然打ち切られたら、監督は殺されるのと同じことだ。」と語った。

赤字はデンマンが強調のため)


出典: 「トラ・トラ・トラ!」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

だけど、黒澤監督が英語力の無いために降板させられたとは上の説明の中には一言も出てないじゃないのォ~。。。

確かに出てない。。。

それなのに、ケイトーは黒澤監督が英語力が無いために降板させられたと信じているのォ~?

あのねぇ~、上の説明にもあるように「真相はいまだに不明な点が多いが、黒澤と20世紀フォックスの間の契約に関する詳細な問題や、撮影方針の食い違い、黒澤が自らの権限に関しての認識が不十分だった」と言うことなのですよ。。。

つまり、「病気による降板」というのは黒澤監督の名誉のために建前としての理由で、本音のところでは降板の原因は黒澤監督の英語力不足にあったと、ケイトーは思うのォ~?

そうです。。。

だけど、黒澤監督に英語力が無かったとしても、有能な通訳さんが居(お)れば問題は無いんじゃないのォ~?

その有能な通訳さんが居なかったのですよ。。。 アメリカ側との交渉は、ほとんどすべてを青柳哲郎プロデューサーがとりしきっていた。

その青柳さんの英語力がイマイチだあったのォ~?

英語力以前に青柳さんの性格にも問題があったようなのですよ。。。 もちろん、黒澤監督の性格にも問題があった。 人間は、結局、誰もが完璧じゃないからねぇ~。。。


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1968年12月24日の解任を境にして、黒澤の身辺で最も劇的に変化したことは、それまでフォックスとの連絡調整の要(かなめ)を握る自分の右腕として信頼してきた青柳哲郎プロデューサーが、監督にとって、突然「獅子身中の虫」になってしまったことである。
黒澤監督は、青柳に対して、クロサワの名において締結されたフォックスとの契約書を、すべて渡せと要求する。

青柳は言を左右にして、契約書をなかなか渡さない。
そうした中で、青柳に対する監督の疑念が次第に深まり、いつしか、青柳こそ自分を裏切り、『トラ・トラ・トラ!』から自分を降板させた“ペテン師たち”の首魁(しゅかい)であるに違いない、という“確信”に変わる。

監督解任から1ヶ月足らずの1969年1月下旬に相次いで開かれた黒澤と青柳の記者会見では、公然と互いを非難し合うという異常事態意に発展した。

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


402-403ページ
『黒澤明 vs. ハリウッド』
著者: 田草川 弘
2006年4月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

つまり、黒澤監督は契約書を見てなかったのォ~?

そうなのですよ。。。 英語力が無いから、すべてを青柳哲郎プロデューサーにまかせきっていたのです。

それで、具体的に何が問題だったのォ~?

要するに、黒澤監督も日本の黒澤ファンも「黒澤監督が総監督になって20世紀フォックスのお金で映画を作る」と思い込んでいたのです。


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黒沢明『虎・虎・虎』を総監督
(日本経済新聞)

黒澤明、フォックスと提携 『虎 虎 虎』総監督
日米二班で来春撮影開始
(読売新聞)

黒澤監督総指揮で『虎 虎 虎』
真珠湾攻撃がテーマ
ワシントンなどでロケ
(デイリースポーツ)

ところが、契約書には「黒澤監督が総監督」なんて書いてない。。。 あくまでも、黒澤監督は20世紀フォックスのプロデューサーであるエルモ・ウィリアムズの指示に従って日本側シークエンスの監督だけを務めるという文面になっていた。。。

黒澤監督はその契約書を全く読まなかったのォ~?

撮影を開始してからも、解雇されてからも、一度も読まなかった。 すべてを英語ができる青柳哲郎プロデューサーにまかせきっていたのですよ。。。 もし、黒澤監督に英語が理解できて読んでいたら、見苦しい降板劇は無かったかも知れない。。。 挫折感にさいなまれて自殺を図るよなことも無かったかも知れないのです。。。

やっぱり、国際語を身につけるってぇ大切なのねぇ~。。。

そういうことですよ。。。

【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
確かに、そうですわよねぇ~。

あたくしも 英語にはほとほと苦労させられているのでござ~ますわァ。
シアトルで源氏物語研究会の学会があったのですけれど、
デンマンさんは忙しいからと言って、全く あたくしの発表原稿に目を通してくださらなかったのですわァ。

仕方ないので、あたくしは、自己流の英語で、どうにか発表いたしました。
そしたら、デンマンさんが会場にお見えになったではありませんかァ!

“あたくしの発表を聞いて、どうでしたか?”と尋ねたら、

“無理が通れば道理が引っ込む!”

呆れたように こう言うのでござ~ますわよう。。。

つまり、あたくしが自己流の英語で無理やり
ダラダラと発表したので、
聴いていた研究者の方々が、呆れて何も質問する気力がなくなったんだろうと、
デンマンさんが解説してくれたのですわァ。

全く、馬鹿にしていますわァ~。。。 んもおおおォ~。。。

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

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仙台からバレンタイン

2016年6月18日

 

仙台からバレンタイン

 


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デンマンさん。。。 またバレンタインの話題ですか?


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いけませんかァ~。。。

だってぇ、バレンタインは2月でしょう! 今は6月ですわ。

6月にもバレンタインがあった方がいいと思う人だって けっこう居ると思うのですよ。

それはチョコレートを作っている会社だけだと思いますわ。 

でもねぇ~、2月だけに限らず、バレンタインに興味を持っている人は1年中いると思いますよ。

どうして、デンマンさんは急に そのようなことを言うのですか?

いや。。。 僕だけがそう思っているわけではないのですよ。

じゃあ、他に どなたが そう思っているのですか?

やだなあああァ~。。。 小百合さんは惚(とぼ)けるのですか?

私が何を惚けていると、デンマンさんは言うのですかァ~?

ちょっと次の手紙を読んでみてください。



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2014年4月14日 (月曜日)

デンマンさん お元気ですか?

日本は桜も終わり初夏です。。。と言いたいところですが その前にデンマンさんの嫌いな梅雨があります。

私も日本のジメジメとした梅雨には鳥肌が立つほど 生理的に拒絶反応が起こります。

2月のバレンタインには 少しでもデンマンさんの心も体も温まるようにと小包を送ったのですが、たぶん税関で引っかかったようです。

つい、詰め込めるだけ箱の中に いろいろと詰め込んでしまったので、申告書類にはずいぶん“漏れ”があったのです。

2008年から毎年バレンタインの小包を送っており これまでには問題がなかったので 今回も大丈夫だと思ったのですわ。

ところが 今回は珍しく税関で調べたようです。

大きな金額ではないので保険はかけていなかったし
また、税関で問題があった時に 送り返すようにと返送のための郵便料金も支払っていませんでした。

ケチっていたわけではないのです。

このような事が起こると予測していたら 返送用の郵便料金も払っていたでしょう!

とっても残念です。
もう一度送ろうかな?

その内 気が向いたら 送るかもしれません。
期待せずに待っていてください。

 

小百合より


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『古代蓮と軽井沢タリアセン夫人』より
(2014年4月27日)

この手紙が どうしたと言うのですか?

この手紙は小百合さんが2014年の4月14日に出したのですよ。

どうして2年前の手紙を持ち出してきたのですか?

2014年のバレンタインの小包は5月に僕の手元に届いたのです。。。 そして、2015年のバレンタインの小包も、2016年の小包も5月に僕の手元に届いたのですよ。。。

つまり、デンマンさんにとってバレンタインは5月だと言いたいのですか?

いや。。。 6月だと言いたいのです。。。 なぜなら、小包が届いてから一つ一つを取り出して 小百合さんの真心のぬくもりをかみ締めながら食べ始めるのが、たいてい6月なのですよ。。。 (微笑)

それで、6月なのに“仙台からバレンタイン”というタイトルにしたのですか?

そうです。。。 いけませんか?

でも。。。、デンマンさんは、これまでにも季節はずれのバレンタインの記事を書いているではありませんか?。。。 おそらく、デンマンさんの常連の読者もタイトルを見ただけで、うんざりして他のブログへ行ってしまうと思いますわ。

でもねぇ~、今年のバレンタインの記事は、僕の常連さんにしてみても面白いと思うのですよ。

どうしてですか?。。。 あの世界的に有名な“太田将宏ちゃん”が『5月のバレンタイン』に愚劣でも愉快なコメントを たくさん書いているからですよ。


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『5月のバレンタイン』

なんと。。。 上の記事にコメントが59件もついているのですよ。。。 その半分は あの世界的に有名な“太田将宏ちゃん”が書き込んだ愚劣で愉快なコメントなのですよ。。。 信じがたいほどの長いコメントが書き込んである。。。 だから、この記事が面白くなかったら、上のリンクをクリックすればいいのです。

つまり、バレンタインの記事が読み飽きても、“太田将宏老人”の下品で愉快なコメントが読めると、デンマンさんは言いたいのですか?

そうです。。。 うへへへへへへ。。。

わざわざ“太田将宏老人”の下品で愉快なコメントが読むネット市民はいないと思いますわァ。

でもねぇ~、この記事が面白くないと思ったら上のリンクをクリックすれば、あの世界的に有名な“太田将宏ちゃん”の笑えるコメントが読めるのですよ。。。 決してこの記事にやって来たことを悔(く)やむことはないだろうという僕の仏心(ほとけごころ)です。 (微笑)

分かりましたわ。。。 で、どういうわけで“仙台からバレンタイン”なのですか?

やだなあああァ~。。。 分かりきっているじゃありませんかァ~! 次の手紙を読んでみてください。



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お元気ですか?

恒例になりましたが

今年もバレンタインの小包を

船便で送ります。

 

もうずいぶん前のことですが

利根川を渡った所に

本場のインドカレーを

食べさせてくれる

お店がありました。


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先日、そのお店の前を通ったら

閉まってました。

でも、デンマンさんと一緒に

カレーを食べたことを思い出して

バレンタインの小包の中に

ボンカレーゴールドを入れました。

カルダモンの香りが際立った

スパイシーな辛さですよ。


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また、デンマンさんの好きそうな

辛口を見つけ

仙台という事も

なつかしく思うだろうと

「仙台辛味噌ラーメン」も

パックしました。


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今回 チョコは

ありきたりのチョコでは

面白くないので デンマンさんのために

“ジャンボチョコどら焼”を入れました。


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それから 粉末ソース

10個入れました。

サッポロ一番で

焼きそばを作るときに

使ってみてね。


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「かどや」風味に近くなるかも…。

でも、あの懐かしい「かどや」も

お店を閉めてしまいました。

建物は壊され現在では

“さら地”になってます。

時代の移り変わりでしょうか?

それにしても、私がバーナビーの

ディーア・レイク湖畔の別荘で

夏休みを過ごしたのは

もう、はるか遠い昔のような

気がします。


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あの古い家は、夏休みで

休むというより

ペンキ、芝のクローバむしり、

りんごの木の手入れ、

玄関まで高く長い階段の

ペンキはがしや、

しばらくみがかないガラス、

シミだらけのじゅうたん、

BASEMENTはランドリーの

ホコリとくもの巣、

行けば、掃除ばかりの家に

大変でしたが

また、いつかバーナビーに

行ってみたいと思っています。

想えばバンクーバーやバーナビーは

私が残り少ない青春を過ごした

自由でのびのびとした土地でした。

天真爛漫な日々をウィスラーで

過ごした楽しい思い出もあります。


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このようなオテンバな事は

軽井沢に別荘を構えても

できるものではありません。

そう思うと、またカナダが懐かしく

思い出されるのでした。

バレンタインの小包を作りながら、

また、いつかバンクーバーに

行けたらいいなァ~。。。

そういう願いを込めました。

現在、バンクーバーで青春を

謳歌している真由美ちゃんとも

バンクーバー美術館の裏のカフェで

デンマンさんと3人で会って

楽しく語り合いたいものです。


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では、デンマンさんも日本の味を

懐かしみながら

十分に味わってください。

 

小百合より


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2016年3月7日 (訂正)


『海を渡ったバレンタイン』より
(2016年5月31日)

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上の手紙の赤字で強調した箇所を見てください。

つまり、“仙台辛味噌ラーメン”を食べたのですか?

そうですよ。。。 夕べ食べたのです。。。 マジで旨かったです。


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『仙台辛味噌ラーメン』

僕にとって仙台は第2の“ふるさと”ですからねぇ~。。。 ふるさとの味が心と体に沁(し)み込んでくるようで、僕は感激で涙ぐみながら小百合さんの真心のぬくもりをしみじみと味わったのですよ。

ちょっと、それはオーバーでしょう!?

いや。。。 決してオーバーなわけじゃありません。。。 “仙台辛味噌ラーメン”を食べながら、僕の心のスクリーンには、仙台の懐かしい風景が甦(よみがえ)ったのですよ。


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まず、“仙台ジャズフェスティバル”のシーンが思い出されたのです。。。

デンマンさんは、それほどジャズにハマッていたのですか?

好きでしたねぇ~、軽快なジャズを聴きながら“仙台辛味噌ラーメン”を食べたら、もう他には何もいらないと思うくらい僕は幸せな気分に浸ったものですよ。。。 正確には“定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台”というらしいのだけれど、定禅寺通りを中心に、仙台市都心部各所の街角に屋外ステージがセットされて市民に無料でジャズを聴かせるのですよ。 毎年、9月の第2土・日曜日に開催され、前夜祭も含めて、この3日間は、市内は音楽一色となるのです。

上のビデオクリップを見ると女子高生がセーラー服で演奏していますわねぇ~。。。 私が女子高生の頃には考えられませんでしたわ。。。

あれっ。。。 小百合さんは仙台の女子高に転校したのですか?

もちろん、私はずっと館林の女子高でしたわァ~。。。

小百合さんはジャズには興味がなかったのですかァ~?

女子高生の頃には ジャズよりも映画音楽に惹かれましたわァ~。。。

そうですか。。。 僕は一度ぜひ小百合さんを連れて仙台を案内したいと思っていたのですよ。


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あらっ。。。 これは仙台市内の観光バスですか?

“仙台市内循環バス”ですよ。。。 “るーぷる仙台”。。。 英語で言うと ”Sendai City loop-line bus” です。。。 略して “Loople Sendai” と呼ばれているわけです。。。 上のビデオクリップでは 仙台駅前から仙台城(青葉城)跡までが写っています。

私も、ぜひ仙台に行ってみたいですわ。。。 有名な七夕祭りが見たいとずっと思っていました。


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そうですか。。。 小百合さんは仙台の七夕祭りをまだ一度も見たことがないのですか。。。 じゃあねぇ~、僕は日本の夏は蒸し暑くて苦手だから、七夕祭りには小百合さんが子供と一緒に出かけてくださいね。。。 この秋には僕が仙台を案内して、そのついでに、旨い“仙台辛味噌ラーメン”を食べさせる店を紹介しますよ。

仙台のどこにあるのですか?

原町にあるのですよ。


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あらっ。。。 「くるまやラーメン」なら行田市にも支店があるじゃありませんか! ゼリーフライを売っている「かねつき堂」の近くにありますわ。


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今年の秋、デンマンさんが帰省した時には 「かねつき堂」で“おやつ”にゼリーフライを食べてから 「くるまやラーメン 行田店」で“仙台辛味噌ラーメン”を食べたらいいではありませんかァ!

でもねぇ~、行田店では“仙台辛味噌ラーメン”は作ってませんよ。

あらっ。。。 そうなのですか?

やっぱり、“仙台辛味噌ラーメン”は仙台でないと食べることができません。

どうしてですか?

仙台味噌を使っているからですよ。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あたくしも行田を訪れた時には「くるまやラーメン 行田店」でラーメンをいただきましたわ。


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この上の具のいっぱい入った「ガッツ味噌デラックス」をいただきましたわ。

でも、ラーメンだけでは、もちろん、満足できません。

それで、具のたくさん入った“あんかけ焼きそば”をデンマンさんの実家の台所で作ったのでござ~♪~ますう。

あなたのために、作り方を教えますわねぇ~。。。


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どうですか? 美味しそうでしょう?

でも、あたくしは これだけでは、まだ満足できませんのよう。
デザートに“たいやき”をいただくのでざ~♪~ますわよう。
うふふふふふふ。。。

最近では、餡に替わってクリームや溶かしたチョコレート、キャラメル、カスタードクリームなどの洋菓子素材を詰めたものもでてきましたわ。

サンドウィッチ式に肉類や生野菜、各種ソースやリゾットなどを挟む「おかずたい焼き」もあらわれました。


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あなたも 好きなものを“たいやき”に詰めてみませんか?

お腹がすいてきたでしょう!?

でも、この記事を最後まで読んでから台所に走ってくださいね。

ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

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とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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