Archive for the ‘小百合さんのメール’ Category

由梨さん@コルシカ

2017年5月30日

 

由梨さん@コルシカ

 


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デンマンさん。。。 コルシカ島で由梨さんをナンパしたのですかァ~?


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どうして僕がコルシカ島で由梨さんをナンパしなければならないのですかァ~。。。

だってぇ~、上の写真とYouTubeのクリップを見たら、そうとしか考えられないじゃありませんかァ!

僕はコルシカ島まで行って、そういう下品な行動にはでられないのですよ。。。

分かりましたわァ。。。 それで、どういうわけで誤解を招くようなタイトルをつけたのですかァ~?

ちょっと次のリストを見てください。。。


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『チョコとトリエステとロマンポルノ』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で5月26日の午後9時11分から27日の午前2時50分までの約5時間半の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しい。。。

あらっ。。。 5月26日の午後9時26分にフランスのGOOGLEで検索して『チョコとトリエステとロマンポルノ』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。 この人がコルシカ島に滞在している由梨さんなのですか?

そうです。。。

どのようにして、上の記事を読んだネット市民が由梨さんだと突き止めたのですか?

IPアドレスを調べたのですよ。。。


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鳥飼 由梨(とりがい ゆり)さんは どうしてコルシカ島に滞在しているのですか?

あのねぇ~、由梨さんはパリ大学でフランス語を勉強したのですよ。。。 でもねぇ~、夏休みにコルシカ島を訪れた時に、フランス語と違った言葉が話されていることに気づいたのです。。。

コルシカ島はフランス領なのだから、フランス語が話されているのでしょう?

そうです。。。 一応公用語はフランス語なのですよ。。。 でもねぇ~、コルシカ島は 初めからフランス領ではなかった。。。 コルシカ島には独自の文化があって、もともとコルシカ語を島の人たちは話していたのですよ。。。

アジャクシオ


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フランス語: Ajaccio
コルシカ語: Aiacciu [アヤッチュ]
イタリア語: Ajaccio [アヤッチョ]

アジャクシオは、 フランスのコルス地方公共団体、コルシカ島(コルス島)のコミューン。
コルス地方公共団体の首府であり、コルス=デュ=シュド県の県庁所在地である。
第二次世界大戦中の1943年10月8日、フランス領内で最初にドイツから解放された街である。

地理

コルス南部、島西岸に位置する。

アジャクシオの町は、サンギネール諸島を含むパラタ岬とグラヴォナ川河口に挟まれた湾の北側にある。

多くの海水浴場や入り江が、特に頑丈な西側に沿って広がる。


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由来

いくつかの仮説があるが、伝説的なギリシャ神話の英雄アイアースによってまちが創建されたという説が強い。

現実的な仮説としては、トスカーナ語のagghiacciu(ヒツジ小屋)からアジャクシオ(アヤッチュ)となったというものがある。

他に、近年の東ローマ帝国文献によって支持されている、ギリシャ語の単語に起源を発するAgiationである。

agathèとは『幸運』や『良い係留地』を意味する。

南仏の町アグドと語源を同じくする。

古代

アジャクシオの名は、紀元2世紀のギリシャ人地理学者プトレマイオスの記述に残っていない。
近くのCinarcaにあるOurkinionの地名が記されているにもかかわらずである。
近年より多くの発掘調査がなされ、アジャクシオの都市としての規模を上方修正させる可能性が高い、古代半ばから中世初期にかけての、初期キリスト教時代の重要な遺跡が発見されている。
ローマ帝国時代の名はAdiaciumであった。
アジャクシオは教区が置かれるのにふさわしい状態にあったと、591年にローマ教皇グレゴリウス1世が言及している。
この時代のアジャクシオは、後にジェノヴァ人たちが選んだ場所よりもさらに北に位置していた。

ローマが衰退すると、最初ヴァンダル族が、次いでロンゴバルド族が島を征服した。

中世・ジェノヴァ支配

8世紀からまちは、コルスの他沿岸地域のほとんどから、急激に姿を消してしまった。
しかし我々は、城と大聖堂が1492年にすでにあったこと、大聖堂が1748年に解体されたことがわかっている。

1000年頃、ピサが島を征服した。

15世紀後半から、サン・ジョルジョ銀行の権威の下にあったジェノヴァ共和国が島南部の支配権を主張しようと、アジャクシオ(アヤッチュ)の再建を決めた。
1492年に工事が始まり、彼らは要塞の町を建設した。
発展したアジャクシオは地域の行政首府となった。
一方でバスティアは島全体の中心であった。

初期の植民地は排他的にジェノヴァ人のみを受け入れた。
ルニジャーナ地方(リグーリアのマグラ川流域)から100家族が入植し、1510年にはブオナパルテ家(ボナパルト家)の姿があった。
実質的にフランスが征服するまでの間、徐々にコルス人を受け入れていった。
アジャクシオ(アヤッチュ)住民はジェノヴァ共和国の法的市民であった。

フランスの時代

1553年から1559年にフランスに占領された後、カトー・カンブレジ条約でコルスはジェノヴァが取り戻した。

1768年、ヴェルサイユ条約が締結され、ジェノヴァがコルスをフランスに債務の担保として譲渡し、コルスはフランスに帰属することとなった。

1768年にボルゴにてコルス愛国者がフランス軍を破り、1769年にはパスカル・パオリが降伏してからのことであった。

1793年から1796年の間、イギリスの支援を受けたパオリがコルスを実質統治していた。

アジャクシオ(アヤッチュ)出身のナポレオン・ボナパルトが帝政を敷くと、彼はバスティアではなくアジャクシオを県唯一の首府とした。
19世紀から20世紀のアジャクシオの成長はバスティアに追いつき、島で最も人口の多い都市となった。
19世紀のアジャクシオは、モナコ、カンヌ、ニースのように、上流社会、特にイギリス人たちに人気のある冬のリゾート地となった。
聖公会の教会でさえ建設された。

フランス初の少年刑務所は、1855年にアジャクシオに設置された。
そこは8才から20才までの非行少年を矯正させるコロニーであった。
1866年に閉鎖されるまで、フランス全土から1200人の少年たちがここに集められた。
そのうちの160人が嘆かわしい衛生状態や、彼らが浄化作業を行うこととなっていた不健康地帯でマラリアの犠牲となって死んだ。

現代

1943年9月9日、アジャクシオはナチス支配を脱した。
同年10月8日、ド・ゴール将軍はアジャクシオに到着した。

占領時期、住民と行政に保護されたためユダヤ人のコルス移送は遂行されなかった。
これは、諸国民の中の正義の人の称号をコルスが名乗る資格があることを意味する。
フランス本土でこの称号を名乗ることができるのはオート=ロワール県のシャンボン=シュル=リュニョンだけである。
この件は2010年現在調査中である。

20世紀半ば以降のアジャクシオは重要な成長をとげ、人口が増加し、スプロール現象が起きた。
現在コルスの中心地、島第一の都市圏として、真の地域圏中心地になろうとしている。


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出典: 「アジャクシオ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、由梨さんはコルシカの文化に惹かれたのですか?

そうです。。。 それで、現在 由梨さんはコルシカ語を勉強しているのですよ。。。

あらっ。。。 フランス語を勉強して、更にコルシカ語まで勉強するのですか? 由梨さんは語学に関心があるのですわねぇ~。。。 それで、どういうわけで『チョコとトリエステとロマンポルノ』という、ちょっとエッチな記事を読んだのですかァ~?

あのねぇ~、『チョコとトリエステとロマンポルノ』というのはエッチな事が書いてある記事ではないのですよ。。。 実は、由梨さんは次のようにして検索したのです。。。


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『拡大する』

『チョコとトリエステとロマンポルノ』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「トリエステ キャドバリー ミルクチョコレート」と入れて検索したのですわねァ~。。。

そうです。。。 それで赤枠で囲んだ僕の記事を読んだのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、どういうわけで 「トリエステ キャドバリー ミルクチョコレート」と入れて検索したのですか?

あのねぇ~、由梨さんはコルシカ島にやって来る前に 遠回りしてイタリアの北東部にあるトリエステに寄ったのですよ。。。 そこでキャドバリーのミルクチョコレートを買って食べたのです。。。 それで、なんとなく懐かしくなって、同じようにトリエステで キャドバリーのミルクチョコレートを買って食べた人が居るかな?。。。 そう思って検索してみたわけです。。。

それで、デンマンさんの記事に出くわしたのですわ?

そういうわけです。。。 由梨さんは次の部分を読んだわけです。。。


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[501] Re:小百合さんにも、こういう人間的に、ほほえましいところがあるのかと思って、僕もほほえんでいますよう!うしししし。。。
Name: さゆり E-MAIL
Date: 2009/01/23 09:57
(バンクーバー時間: 1月22日 木曜日 午後4時57分)

デンマンさんは、日本のインスタントラーメンが
一袋300グラムと思ってしまったようですけれど、
日本のインスタントラーメンも100gか90gですよ。

水を入れ野菜を入れて作ると どんぶり一杯 300g と言う訳です。


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明日から山小屋に行きます。 
山小屋の冷蔵庫に トウガラシの付いた おせんべいがありました。

キャドバリーのデイリーミルクチョコも何枚も しまってあって
食べすぎないよう 気をつけて 食べます。
今 CHIPS とおせんべいは禁止なんですが・・・


『Re:僕もほほえんでいますよう!(2009年1月23日)』より


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キャドバリーデイリーミルクチョコレートが登場したのは1890年代の初頭だってぇ~。
明治20年代と言うことだよね。

チョコレートはもっと昔からあったのだろうけれど。。。
発売して間もなく、イギリスのチョコレート市場を押さえてしまったんだってよう。

まるでマイクロソフトのウィンドーズがパソコンのOS市場を押さえてしまったようだねぇ~。
うしししし。。。


(gyaha.gif)

今では、キャドバリーデイリーミルクチョコレートはイギリス国内だけでなく、国際的なブランドとして30ヶ国以上で愛されているんだってぇ~
知らなかったなぁ~。

なぜ?

その理由はおいしさだけでなく、どの国でも同じイメージで親しまれているということ。
それは世界のどこでもキャドバリーチョコレートミルクのパッケージデザインが同じで、違うのは書かれてある言語だけだってぇ。

パッケージのチョコレートにミルクが注がれているデザインには、「チョコレート0.5ポンドにつきグラス1.5杯の生乳」というリードテキストが各国の言語で添えられているんだってよゥ。
たまげるねぇ~。。。

これはイギリスの広告史上に残る名作といわれているんだってぇ~。
知らなかったなあああぁ~

小百合さんはネットで調べたの?
いつ頃からキャドバリーデイリーミルクチョコのファンになったのォ~?
うん、うん、うん。。。
小百合さんは“舶来グルメ”にあこがれているのかな?


(chocoalm.jpg)

僕は、子供の頃アーモンドの入ったチョコが好きでした。
その事をお袋が覚えていて、アーモンドチョコを買っておいたのでした。

小百合さんが三男の順一郎君を連れて僕の実家に初めてやって来た時に、
お袋が出したのが、そのアーモンドチョコでした。

順ちゃんは、アーモンドにアレルギーだとか言ってたねぇ~。。。?

ところで、デイリーミルクのシリーズは数を増やして、現在10種類あるんだってよゥ。
人気があるのは。。。?

フルーツ&ナッツだってぇ~
小百合さんは、もう食べたぁ~?


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トウガラシの付いた おせんべいは僕も好きですよう。
小百合さんと一緒に食べたいねぇ~。

でも、僕はトウガラシもいいけれど、海苔で巻いたせんべいの方がもっと好きだよう。


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トウガラシせんべいを海苔で巻いたものがあれば、これ以上結構なモノはないよね。
ぜひ、見つけておいてね。

たぶん、バンクーバーでは見つけることができないと思うよう。


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小百合さんはサワークリーム & オニオン チップが好きだったよね。
僕もこれを食べ始めると止まらなくなるんだよう!
でも、太った事はないよう。

小百合さんもあと10キロ太ってもいいけれど、
腰のクビレが無くなるほど食べちゃダメだよう!


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とにかく、風邪を引かないようにね。
山の家のコケはきれいな絨毯になった?


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じゃあね。


(denman01.gif)


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日本時間: 2009年1月23日 午後4時50分
バンクーバー時間: 2009年1月22日(木曜日)午後11時50分


『Cadburyのチョコの勉強 (2009年1月23日)』より

確かに、キャドバリーのミルクチョコは出てきますけれど、トリエステの町は出てこないじゃありませんか!

上のメールの中には出てこないけれど、読んでゆくと やがて次のように出てくるのですよ。。。

カッフェ・トリネーゼ・ディ・ヴェルムット

(ヴェルムットのトリノふうカフェ)

とてつもなく愛国的で、とてつもなく長ったらしい屋号のコーヒー店の看板に、一日中歩きとおした自分をねぎらう気持ちと、イタリア統一運動の中心地だったトリノへの夢と郷愁をこめたその名に惹かれ、入り口のドアを押して入って、私は目を瞠(みは)った。
未知の都市とはいっても、たかがコーヒー店であれほどのとまどいを覚えたことはなかった。


(cafeimp2.jpg)

間口の狭さに比して、中はひろびろとしていた。
奥の一段高くなったところには、壁面のすべてが鏡で囲まれた広間があり、そこにいたる通路の部分には、帝政時代様式というのか、絹を張った座席の固い長椅子をかこむようにして、マホガニー色の光沢のある椅子と、白地にイチゴをあしらった模様のクロスを掛けた小さな丸テーブルがならんでいる。

ヴェネツィアのガラスではなくバッカラ系のクリスタルのシャンデリアの下を、いずれも髪の銀色がめだつ、白い手袋をはめた給仕たちが、テーブルのあいだを優雅な身のこなしで縫って歩く。
だが、なによりも私をうならせたのは店にあふれる顧客たちの容姿だった。
そのすべてが、裕福、と定義してよい階層の人たちで、そのうえ、おおむねが老人だった。

七十代と思えるカップル、あるいは何人かの老婦人が、ひとり、あるいはふたりの老紳士をかこんで、声をひそめて話し合っている。
男たちの着ている背広の仕立てにも、女たちが身につけている毛皮も宝石も、彼らがみずからの手をよごして得たのではない、ひそやかな美しさが光を放っていた。

若者たちがこぞって参加したイタリア統一にちなむ少々大仰な屋号には似合わない黄金とピンクの光景をまえにして、私は、自分が幾時代かまえのウィーンにいるのではないかと錯覚しそうになりながら、父がこれを見たら、どんなによろこぶだろうと思った。
老人たちの多くは、じじつ、父が生きていたらそんな年頃だろうと思われる人たちだった。

トリエステに行ってみたいと、父が晩年よく口にしたのは、彼が若いころ、ウィーンからヴェネツィアに向けてオリエント急行で通過したこの港町で、かたちが美しいから、と愛していたロイド・トリエスティーノの大西洋航路の大型船を、自分の目で見たいからだった。

ここにいる老人たちの財産も、彼らの親、あるいは祖父の時代に、オーストリア宮廷と、その国の政府に支えられた金融資本と海運業によって築かれたものだろう。
過ぎ去った時代の、いまはわるさをしないくなった亡霊たちにかこまれて飲んだ、あたたかいミルク・ティーのカップには、ハプスブルク家の紋章であるピンクの薔薇が、小さな宝石のようにかがやいていた。


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pp.27-29 『トリエステの坂道』 著者・須賀敦子

 

なぜ、トリエステ?

デンマンさんは、どんな気持ちでその老人たちの中でコーヒーを飲んだのでござ~♪~ますか?

僕は全く場違いな所にやって来てしまったと、初め、ひどく後悔して、すぐにでも立ち去ろうと思ったほどですよう。

でも、立ち去らなかったのでござ~♪~ますか?

せっかく物珍しい場所にやってきたのですよう。こういう機会は二度とないと思ったから、もう僕はピエロに徹して、誰が僕に注目しようが、うす馬鹿笑いを浮かべようと心に決めましたよう。うしししし。。。

。。。んで実際に、うすばか笑いを浮かべたのでござ~♪~ますか?

やっぱりねぇ~、上流社会の人って、ちゃんとお行儀がいいのですよう。僕は明らかに観光客で、その場の雰囲気にそぐわない。誰が見たって僕は“異物”なんですよう。でもねぇ、おそらく、これまでにも僕のような場違いな男が間違って迷い込んできた事があって、その人たちは慣れていたのかもしれません。

デンマンさんをジロジロと眺めなかったのでござ~♪~ますか?

じろじろとは見なかった。でも、“どこからかハエが飛んできたようだなぁ~。。。”という感じで、一度だけ僕の方に視線を走らせると、もうそれ以上は無視していましたよう。ウへへへへ。。。

。。。んで、デンマンさんは、どうなさったのでござ~♪~ますか?

うす馬鹿笑いを浮かべる必要はなかったのですよう。とにかく、オーストリア・ハンガリー帝国時代がそこにあったのですよう。全く驚きましたよう。博物館の中でコーヒーを飲んでいる感じですよう。でも、僕の周りの人たちは、皆、生きているのですからねぇ。まるで3次元の立体映画を見ているような不思議な気分でしたよう。

ところで、デンマンさんは、どうしてウィーンへ行って、それからトリエステへ行く気になったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ、僕は小学生の頃、外国にかぶれていたのですよう。主にアメリカだった。だから、テレビっ子の僕はアメリカのテレビドラマを飽きずに毎日毎日見ていたものですよう。

どういう番組でござ~♪~ますか?

「名犬ラッシー」、「名犬リンチンチン」、「ララミー牧場」、「ローハイド」、「ガンスモーク」。。。ほとんどがアメリカを舞台にしたシリーズ・モノでした。

アメリカの番組だけでござ~♪~ますか?

ところが、小学校5年生の頃だと思うのだけれど、『第三の男』をテレビで見たのですよう。

あのオーソン・ウェルズが出た映画でござ~♪~ますか?

そうですよう。卑弥子さんは良く知っていますねぇ~。

あたくしの父も、その映画にハマッタと言っておりましたわ。

ほおォ~。。。偶然ですねぇ~。

デンマンさんもハマッテしまったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。でもねぇ~、どういうわけか僕には話の筋が分からなかった。高校生になるまでに4,5回見ていますよう。

話の筋が分からないのに、面白かったのでござ~♪~ますか?

あのテーマ音楽にハマッテてしまったのですよう。そのテーマを聴きながら見るスクリーンには、アメリカとは違った外国の雰囲気が漂っている。僕は、初めてウィーンの町をあの映画の中で見たのですよう。

それで、いつかウィーンに行ってみようと思ったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。小百合さんが中学生の時に『エマニエル夫人』を観て、社会人になってからバンコクに行ったようなものですよう。

それで、デンマンさんは未だに『第三の男』のあらすじが分からないのでござ~♪~ますか?

社会人になってから、映画雑誌で“あらすじ”を読んで初めて話の筋が分かったのですよう。

。。。んで、『第三の男』のテーマって、それ程素晴しいものでござ~♪~ますか?

実にいいですよう。これまで聴いたことがない人は次のリンクをクリックして、ぜひ聴いてみてください。


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デンマンさんがウィーンに関心を持ったのは分かりましたわ。『第三の男』を見たからですわね。。。んで、トリエステはどう言う訳で関心をもったのでござ~♪~ますか?

世界的に有名な二人の作家がトリエステで、ある時期暮らしていたのですよう。

その作家って誰でござ~♪~ますか?

『ユリシーズ(Ulysses)』を書いたジェームズ・ジョイス(James Joyce)と、『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』を英訳したリチャード・バートン(Richard Burton)ですよう。

そうだったのでござ~♪~ますか?知りませんでしたわ。

それで、僕は、いつかトリエステにも行ってみたいと思っていたのですよう。


『チョコとトリエステとロマンポルノ』より
(2009年1月29日)

でも、トリエステでキャドバリーのミルクチョコレートを買って食べたという話は出てこないじゃありませんかァ!

あのねぇ~、実は、由梨さんも須賀敦子さんのファンなのですよ。。。

どうして、デンマンさんは そんな事までご存知なのですか?

僕の記事を読んで、僕が須賀敦子さんの本にかなりハマッているのを知って、メールを書いてくれたのです。。。

それで、何と書いてあったのですかァ~?

「久しぶりに『トリエステの坂道』に出くわしてとても懐かしかったです」というメッセージと共に、今度、トリエステに行く時には、何が何でも“カッフェ・トリネーゼ・ディ・ヴェルムット”に行きますと。。。

マジで。。。?

ここで、ウソやデマカセを並べたら、僕の信用が落ちるだけでしょう!?

つまり、この事が言いたかったのですか?

いや。。。 違います。。。 今度、秋にでも小百合さんがバンクーバーにやって来たら、10月にヨーロッパ周りで日本へ一緒に帰るときに、トリエステに寄って、小百合さんとぜひとも “カッフェ・トリネーゼ・ディ・ヴェルムット”で キャドバリーのミルクチョコを食べながら ブラックコーヒーを飲みたいと思ったのですよ。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~~

あなたも半ば白けたでしょう!?

では、ここであなたの気分を爽快にするために次の曲を聴いてくださいまし。。。


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いかがでしたかァ~。。。?

ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。

なぜ。。。?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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(byebye.gif)

ペルシャ人の楊貴妃

2017年5月24日

 

ペルシャ人の楊貴妃

 


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(himiko22b.gif)

デンマンさんはマジで楊貴妃がペルシャ人だったと信じているのでござ~♪~ますかァ?


(kato3.gif)

。。。ん? 楊貴妃がペルシャ人だった?

だってぇ~、タイトルにそのように書いているではござ~ませんかァ?

うん、うん、うん。。。 確かに、そのように思うネット市民もたくさんいるのですよ。。。

あらっ。。。 その証拠でもあるのでござ~ますかァ?

ちょっと次のリストを見てください。。。


(liv70511a.png)


『拡大する』

『楊貴妃もペルシャ人?』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で5月10日の午後7時53分から11日の午前3時までの約7時間の「生ログ」の一部だよ。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しい。。。

あらっ。。。 5月10日の午後9時6分に2009年10月6日にデンマンさんが投稿した『楊貴妃もペルシャ人?』を読んだネット市民が居たのですねぇ~。。。

そうです。。。 和歌山県の田辺市に住んでいる若山 辰子(わかやま たつこ)さんが読んだのです。。。

どのよにして若山 辰子が読んだということを突き止めたのでござ~ますか?

次のようにIPアドレスを調べたのです。。。

IPアドレス: 119.10.163.129 和歌山県の田辺市に住んでいる若山 辰子(わかやま たつこ)さん
(ip163129b.png)

『拡大する』

あらっ。。。、また写真まで貼り出して若山 辰子(わかやま たつこ)さんを紹介していますけれど、アクセスポイントは確定できても プライバシーを守るためにアクセス者の名前までは絶対にゲットできないのですわァ~。。。

あのねぇ~。。。 卑弥子さんは厳しいツッコミを入れるけれど、話が前へ進まないから、ツッコミを撤回してサラリと僕の話を聞いてくれませんか?

デンマンさんが そのように言うのであれば、仕方がありませんわ。。。 でも。。。、でも。。。、上の写真の人物はなんとなくジュンコさんに似ていますわねぇ~。


(junko25.jpg)

実は、和歌山県の田辺市に住んでいる辰子さんはジュンコさんの従妹ですよ。。。

でも。。。、でも。。。、ちょっと似すぎていませんかァ~?

卑弥子さん!。。。 んもおおおォ~。。。! どうして、そうたびたびツッコミを入れるのですか?。。。 話が前へ進まないから、ツッコミを撤回してサラリと僕の話を聞いてくれませんか?

分かりましたわァ。。。 デンマンさんが そのように言うのであれば、仕方がありませんわ。。。 でも。。。、でも。。。、若山辰子さんが「楊貴妃はペルシャ人かもしれない?」と疑問を持ちながら『楊貴妃もペルシャ人?』を読んだとしても、それは単なる偶然の出来事かもしれませんわァ~。。。

それが単なる偶然ではないのですよ。。。 次のリストも見てください。。。


(liv70520a5.png)


『拡大する』

『楊貴妃もペルシャ人?』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で5月19日の午後4時57分から午後8時までの約3時間の「生ログ」の一部だよ。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しい。。。

あらっ。。。 5月19日の午後5時36分にGOOGLEで検索して デンマンさんが投稿した『楊貴妃もペルシャ人?』を読んだネット市民が ここにも居たのですわねぇ~。。。

そうです。。。 神奈川県横浜市に住んでいる洋木 妃瑠子(ようき ひるこ)さんが読んだのです。。。

またIPアドレスを調べて洋木 妃瑠子(ようき ひるこ)さんが読んだことを突き止めたのでござ~ますかァ?

そうです。。。

IPアドレス: 126.188.70.230 神奈川県横浜市に住んでいる洋木 妃瑠子(ようき ひるこ)さん
(ip70230b.png)

『拡大する』

あらっ。。。、また写真まで貼り出して洋木 妃瑠子(ようき ひるこ)さんを紹介していますけれど、このイラストはベティ~さんじゃござ~ませんかァ!?


(bettywk2.gif)

卑弥子さんは、どうして そのようにツッコミを入れないと気がすまないのですかァ~?

だってぇ~、マジで似ていますわァ~。。。

あのねぇ~、ここで本人の写真を出すわけにはゆかないのですよ。。。 プライバシーを保護する必要がありますからねぇ~。。。

分かりましたわァ。。。 洋木 妃瑠子(ようき ひるこ)さんの写真がゲットできないのでベティ~さんのイラストで代用したのですわねぇ~。。。

まあァ~、そういうことですよ。。。 (モナリザの微笑)

。。。で、お二人は『楊貴妃もペルシャ人?』を読んで楊貴妃がペルシャ人だということを納得したのでござ~ますかァ?

そうです。。。 そういうこともあり得るということを納得したのですよ。。。 僕は聖徳太子にペルシャ人の血が流れている、ということを記事で書いたことがある。。。 それに対して軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが励ましのメールを寄越したことがあるのです。。。


(sayuri80.jpg)

 

Subj:ブログも歴史編になり

ますます 力 が入ってますね

\(^_^)/


(foolw.gif)

 

Subj:虫の知らせと言うのでしょうか?

小百合さんからメールがあるような

気がしました。

\(^o^)/キャハハハ。。。

Date: 02/03/2008 7:02:55 PM
Pacific Standard Time
日本時間: 3月3日午後0時2分
From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp

 

ブログも歴史編になり
ますます 力 が入ってますね

そうですよう。
今日の『小百合物語』は、かなり頑張って書いたのでライブドアでは1ページにまとまりきらずに
2ページになってしまいました。
確かに、最近、歴史の事や文学の事が多くなりました。
今日も万葉集の事と大化の改新が出てきますよ。
題して『ん?社会派?』


(strike5.jpg)

■ 『ん?社会派?(2008年3月3日)』

すでにライブドアに投稿して推敲も済ませましたよ。
時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

小百合さんの、あの“思い出し笑い”のメールを使わせてもらいましたよ。
ありがとう!

あのメールは、メチャ使い道がありますよう!
\(@_@)/ キャハハハ。。。

今日はたまっていた、返信と検索が多い日です。

虫の知らせと言うのでしょうか?
小百合さんからのメールが、クリックするとあるなあああぁ~
僕はそう思いながらメールボックスをクリックしたのですよ。
あったア~!\(@_@)/うしししし。。。
こんな気持ちでしたよ!

やはり“以心伝心”ってあるものですよねぇ~。
小百合さんからのメールがありそうな気がしたものです。

デンマンでした。

じゃあね。


(byebye.gif)


『楊貴妃もペルシャ人?』より
 (2009年10月6日)

ええ、あたくしも上のメールを読んで思い出しましたわ。。。 聖徳太子にペルシャ人の血が流れている、と言うお話は興味深くお伺いしたのでござ~♪~ますわ。 でも、楊貴妃にまでペルシャ人の血が流れている、と書くと多くの人が馬鹿バカしいと思って、デンマンさんの書いたものを全く信用しなくなると思うのでござ~♪~ますう。

つまり、京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子・准教授にとっても、楊貴妃の体内にペルシャ人の血が流れていた、と言う事は馬鹿バカしい事なのですかァ~?

あたくしは、デンマンさんに向かって馬鹿バカしいなどと。。。 おほほほほ。。。 そのような大それた事は、とっても申し上げられないのでござ~♪~ますわァ。

でも、言ってしまったでしょう!

おほほほほ。。。 言えないと言っているのでござ~♪~ますわ。。。 うふふふふ。。。

でも、言ってしまったのですよう。 卑弥子さんも、やっぱり僕の話が荒唐無稽(こうとうむけい)だと思っているのですねぇ~?

だってぇ~。。。 楊貴妃は、誰が考えたって中国人でござ~♪~ますわァ。

しかしねぇ~、「楊貴妃は中国人だった?」と言うタイトルにしたら、それこそ、もっと滑稽になってしまうでしょう?

もちろんですわ。 当然のことを質問するようなものでござ~♪~ますものォ。。。

だから、“ペルシャ人の楊貴妃”とした方が、タイトルとして読者をひきつけるでしょう?

でも、タイトルを見ただけで、ほとんどの人が馬鹿バカしいと思って無視すると思うのでござ~♪~ますわ。

やっぱり、卑弥子さんも馬鹿バカしいと思うのですねぇ~?

いいえ。。。 あたくしは、アホらしいなどと思いませんけれど、そのような事を書けば、多くのネット市民の皆様がデンマンさんはオツムがイカレテしまったのではないか? そう思う人が居る、と申し上げているのでござ~♪~ますわァ。 おほほほほ。。。

やっぱり、卑弥子さんは信じようとしないのですねぇ~?

だってぇ~。。。あまりにも奇抜でござ~♪~ますわア。。。 せめて、「楊貴妃は日本人だった?」とか「楊貴妃は韓国人だった?」とか。。。その程度にとどめておくべきですわァ~。。。 うふふふふふ。。。

楊貴妃が日本人であったはずがないでしょう?

だったら、「楊貴妃はペルシア人だった」、と言う事は、もっと可能性のないことでござ~♪~ますわ。

それは、卑弥子さんが楊貴妃が純粋な中国人だと思い込んでしまっているからですよう。

だってぇ、どの本を読んでも楊貴妃は中国人だと書いてありますわよう。

あのねぇ、人類学の本を読めば、人類はアフリカで誕生した事が書いてあるのですよう。 つまり、その当時、中国には人類は居なかった。

つまり、アフリカ原人が中国に歩いていって中国人になった。。。デンマンさんは、そうおっしゃるのでござ~♪~ますか?

もちろん、アフリカ原人が中国人になるまでには何十万年と言う年月がかかっているのですよう。 アフリカと中国の間にペルシャがある。 それで、ペルシャで足踏みしていた時にペルシャ人になった。 それから何万年かの後に中国にたどり着いた。 それで中国人になったのですよう。

だから、その中国人から生まれたのが楊貴妃でござ~♪~ますわ。。。だから、中国人なのですわ。

確かに、その通りなのです。

それなのに、どうしてまた時間をタイムスリップさせて、楊貴妃がペルシャ人だったなんて、こじ付けをなさるのでござ~♪~ますかァ?

あのねぇ~、僕だって、「楊貴妃もペルシャ人だった」と言うのを初めて目にした時には、馬鹿バカしいと思ったものです。

そうでござ~♪~ますでしょう? 誰だって、そう思いますわよう。。。 んで、どこでそう言うタイトルを見たのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんだって、僕の記事を読んだのだから、目にしているはずですよう。

そのような事がデンマンさんが書いた記事の中に出てきたのでござ~♪~ますか?

出てきたのですよう。 次の記事の中にちゃんと出てきたのですよう。

■ 『聖徳太子の家庭教師 (2008年7月15日)』

あたくしは覚えていませんわ。

GOOGLEの検索結果の中に出てきたのですよう。卑弥子さんのために、もう一度書き出しますよう。 読んでくださいね。

「聖徳太子 ペルシャ人」 の検索結果

約 2,860 件


(persepo2.jpg)

1) 聖徳太子はペルシャ人

チョコバットで2000本安打 – Yahoo!ブログ2008年7月1日 … 子供の頃から大好きな「チョコバット」で2000本安打を達成し名球会 入りを目指す男のブログ。 (猫 写真 古着)
http://blogs.yahoo.co.jp/y_0291/53915263.html – 34k

2) 聖徳太子は実在したのか

神護景雲と花鳥風月な日々~007の …2008年7月8日 … 最近昔習った歴史が覆されることが多いですね。 必死に覚えた年号等なんだったやねんー!と叫びたい(^m^) TVか雑誌の記事だったかな。聖徳太子はペルシャ人?!というのを見かけました。もう全然わかりません(≧▽≦;) …
http://blogs.yahoo.co.jp/japanbaseball007/55045713.html – 104k

3) 聖徳太子はペルシャ人だった

異端会議ソロ/ウェブリブログ 日本史ミステリーの予告編を視ていたら「聖徳太子はペルシャ人だった。」という内容の予告編が(笑)。 サブテロップを見ると「楊貴妃も遣隋使も・・・」とあったように思えたのだけど、要は太子の都「斑鳩の里」においてペルシャ文化の影響を受けてこの …
http://conie.at.webry.info/200807/article_1.html – 21k

4) 聖徳太子の母親はペルシャ人だった?

宇宙の摂理ブログ聖徳太子の母親はペルシャ人だった? 聖徳太子の母親は ペルシャ人だった? 渡来人 聖徳太子とその時代を考えるとき、私たちは日本古代史の中で考えようとします。昔の日本で起こったことを考えるのだから、それも当然のことのように思えます。 …
http://barclay.wablog.com/4.html – 95k

5) 聖徳太子の個人教授には

  ペルシャ人がいた

宇宙の摂理ブログ確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになり … ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居た …
http://barclay.wablog.com/3.html – 98k



(2008年7月10日午後4時現在)

『「聖徳太子 ペルシャ人」 現時点での検索結果』

つまり、「楊貴妃も遣隋使も・・・」という部分は「楊貴妃も遣隋使も(ペルシャ人だった)・・・」という事でござ~♪~ますか?

文脈に従って読めば、そのようになるのですよう。 卑弥子さんだって、そう思ったのでしょう?

ええ。。。 確かに、そうなるのではないか?そう思ったのでござ~♪~ますわ。。。でも。。。、でも。。。、まさか、デンマンさんはマジで信じているわけではないのでしょう?

僕も、初めて目にした時には馬鹿バカしいと思ったのですよう。 でも、すぐに僕は思い返したのですよう。

どうしてでござ~♪~ますか?

僕はかつて楊貴妃の記事を書いたのだけれど、その中で、もしかすると楊貴妃の体にはペルシャ人の血が流れているのではないか?。。。僕自身が、そのような事を書いた覚えがあるのですよう。

マジで。。。?

もちろんですよ。

それで、デンマンさんが書いた、その楊貴妃の記事って、どの記事でござ~♪~ますのォ~?

GOOGLEで検索したらすぐに分かりました。

「楊貴妃 ペルシャ人 デンマン」の検索結果


(youkihi3.jpg)

Results 1 – 15 of 15

for 楊貴妃 ペルシャ人 デンマン.

1) むっちり楊貴妃 PART 2

デマンのブログ-上の楊貴妃の像を造った彫刻家も、明らかに欧米の美人観の影響を受けていますよ。欧米と言って語弊がある
聖徳太子の個人教授にはペルシャ人がいた by デンマン …
http://blog.goo.ne.jp/denman/e/b4a4ae36f35d3368a8f79a94b5e19e6c – 67k

2) むっちり楊貴妃 PART 3

デンマンのブログ デンマンが徒然につづったブログ
そういう時にペルシャ人の血が入っているハーフの楊貴妃を目にした。うわさ通りの、透き通るような色白の肌をして、純粋な中国娘 …
http://blog.goo.ne.jp/denman/e/04481f217df028e4d8d605012ec26b8e – 66k

3) 徒然ブログ:むっちり楊貴妃

27 Mar 2008 … それが今日のタイトルの“むっちり楊貴妃”と関係あるのですか? ….. 聖徳太子の個人教授にはペルシャ人がいた by デンマン …
http://blog.livedoor.jp/barclay1720/archives/51234510.html – 35k

4) 徒然ブログ:聖徳太子はペルシャ人

13 Jul 2008 … つまり、マンネリ化してつまらなくなったから、デンマンさんは聖徳太子の事を持ち出したのですわよね。 はっきり言って、聖徳太子がペルシャ人だ …
http://blog.livedoor.jp/barclay1720/archives/51316828.html – 36k

5) むっちり楊貴妃 宇宙の摂理ブログ

それが今日のタイトルの“むっちり楊貴妃”と関係あるのですか?
ところで、デンマンさんが 飛鳥時代に日本に居たであろうペルシャ人について …
http://barclay.wablog.com/1897.html – 119k

6) 美容と入浴とアラビアン・ナイト

宇宙の摂理ブログ Google.com 楊貴妃 ペルシャ人
トラックバックURL. コメント
この中ではデンマンと呼ばれていますが、デンマンというハンドル名はGOOに居るときに使っていたもの …
http://barclay.wablog.com/1531.html – 97k


(2008年7月15日午前7時現在)

「現時点での検索結果」より

この上の検索結果に表示されているけれど、僕は次の記事の中で楊貴妃がペルシャ人の血を受け継いでいるのではないかと書いたのですよう。

『むっちり楊貴妃 (2008年3月27日)』

どう言う訳で楊貴妃にペルシャ人の血が流れているのでござ~♪~ますか?

すでに書いたことだから、その箇所をここに書き出しますよう。 卑弥子さんと話しながら書いたのですよう。 でも、卑弥子さんはすっかり忘れてしまったのですねぇ?

だってぇ~、デンマンさんとの話題はいろいろなんですものォ~。。。 いちいち覚えていられませんわぁ~。

とにかく、読んでみてください。

楊貴妃はペルシャ人だったの?


(youkihi2.jpg)


(himiko22b.gif)

中国人の中にもグラマーな女性が美人だと思う人が居るのでござ~♪~ましょうか?


(kato3.gif)

もちろん居ますよ。 上の楊貴妃の像を造った彫刻家も、明らかに欧米の美人観の影響を受けていますよ。 欧米と言って語弊があるならば古代ギリシャの影響と言い換えることもできますよ。


(venusmiro5.jpg)

このミロのビーナスを見るとき、楊貴妃の像を制作した彫刻家がこのビーナスの像を参考にしたような気がするほどですよ。

楊貴妃が生存していた唐の時代にも、ミロのビーナスのような女性が美しいと考えていた中国人が居たのでござ~♪~ましょうか?

居たのですよ。

証拠でもあるのでござ~♪~ますか?

ありますよ。 次の像を見てくださいよ。


(bosatsu3.jpg)

これは、あの有名な敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)、第45窟の菩薩像です。唐の時代に造られたと言われているものです。

この像がミロのビーナスの影響を受けているのでござ~♪~ますか?


(silkmap2.jpg)

 

古代ギリシャ時代に作られたミロのビーナスとは、地理的に見て全く関係なさそうに見えるけれど、実は関係があるのですよ。

どのようにでござ~♪~ますか?

次のガンダーラの仏像を見てください。


(gandhara2.jpg)

如来坐像 ガンダーラ クシャン王朝 紀元2~3世紀

ガンダーラ (Gandhara)

ガンダーラ地方は、現在のパキスタンの西北部にあり、中心はペシャワールやその北部のスワット地方。
たくさんの遺跡が残っている。
「ガンダーラ」は、「ガンダ・ハル=いい匂い」の意味から来ている。

紀元前380年頃までにペルシャの支配は弱まり、多くの小王国がガンダーラを分割支配した。
紀元前327年にはアレクサンドロス大王がガンダーラに侵攻したが、大王はこの地に1年も留まらなかった。

同じ頃、マウリヤ朝のチャンドラグプタ王はタクシラにあったが、紀元前305年にはセレウコス朝を破り、アフガニスタン南部を支配下に収めた。
その後、1世紀半にわたりマウリヤ朝がこの地を支配した。

チャンドラグプタの孫アショーカ王は熱心な仏教徒となり、ガンダーラに多くの仏塔を建立した。
紀元前1世紀頃から仏教の大中心地となった。

その後、マウリヤ朝が衰退してインド亜大陸に退くと、ギリシャ系のバクトリアがこの地に勢力を拡張した。

実は古代ギリシャ世界のあの有名なアレクサンドロス大王がガンダーラにもやってきたのですよ。この影響が上のガンダーラの仏像にもはっきりと影響を残しているのです。

ガンダーラがギリシアの植民地だった

アレクサンダー大王の遠征(前327~前325)によって、ガンダーラがギリシアの植民地となります。
アショーカ王(前3世紀)以後マウリヤ王朝とともに仏教および仏教文化が入ることによって、ギリシア文化と仏教文化が次第に混ざり合ってゆきます。

これにインド中央部の伝統美術の影響も加わっていきます。
この複合文化は紀元後2~3世紀を頂点として、かなり長い間ガンダーラ仏教美術は栄えました。

特にカニシカ王は仏教を信奉し、仏教と仏教美術、学問を保護し、首都プルシャプラに仏教寺院・塔を建立して、ギリシア人の芸術家を呼びよせています。
ギリシアの写実的様式および技法で、仏教のテーマやモチーフを表現しているのが上のガンダーラの仏像には、ありありと見て取れます。

ガンダーラの彫刻は、もともと建造物を荘厳に見せるために造られました。
また仏教建築の装飾にコリント式列柱やギリシア風の文様が使われています。

仏像をよく見ると鼻や額が高く、唇が薄く、髪は波打ち、西洋風の顔立ちが一目見ただけでもよく分かります。
仏教は、もともと偶像は作りませんでしたが、仏教を分かりやすく伝えるために次第に控えめに表現された仏像が出現します。

ガンダーラ仏像の特徴は、自然な人間らしい姿を現しています。
法衣の襞にギリシア風の影響がみられます。

実際、上のようなガンダーラ仏が日本へもかなり伝わっています。
その一つを次のリンクをクリックすると見ることができます。

■ 『嶽林寺のガンダーラ仏』

大峰山 嶽林寺 (群馬県利根郡月夜野町1697)

仏像が伝わっていたという事実は、それを製作した石工たちも日本へ来ていたという可能性が十分にあります。
ギリシャ人がやってきていた、とは言いませんが、彼らの血を引いたペルシャ人は、かなりの数日本へやってきていたようです。

つまり、彼らは、ギリシャの様式や、技法をも身に付けていたのです。
ですから、法隆寺にエンタシスがあることも決して不思議ではないのです。

日本へやって来たペルシャ人やペルシャの文物、またギリシャ文化の影響については次に示すページで説明しています。

■ 飛鳥とペルシャ(波斯) 石人男女像の謎

■ ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た

■ 飛鳥坐(あすかざ)神社の神事と古代ギリシャのディオニソス神話

■ 聖徳太子の母親はペルシャ人だった?

■ 聖徳太子の個人教授にはペルシャ人がいた

by デンマン


『エンタシス史観 (2003年10月12日)』より

上の莫高窟(ばっこうくつ)の菩薩像は、このガンダーラ仏像の影響を受けているとデンマンさんは考えているのでござ~♪~ますか?

当然ですよ。 すぐ上の囲み記事を読んでも、ペルシャ人の石工が日本まで行った可能性が充分に考えられるのですよ。 日本までの距離を考えれば、ガンダーラと敦煌は目と鼻の先ですよ。

古代ギリシャの文化がペルシャ人に伝わったと言うのは理解できましたが、その古代ギリシャ文化が唐の時代にペルシャ人を通じて中国人に伝わったのでござ~♪~ましょうか?

伝わっていたのですよ。

証拠でもあるのでござ~♪~ますか?

あります。 詩人・李白(701ー762)が作った「少年行」という詩があるのですよ。

少年行

五陵の年少、金市の東

銀鞍白馬、春風を渡(わた)る

落花(らっか)踏み尽くして、

何(いず)れの処(ところ)にか遊ぶ

笑って入る、胡姫酒肆(こきしゅし)の中

盛り場を貴公子が春風の中、馬に乗って走っていく。

白馬に銀の飾りのついた豪華な鞍をつけている。

見るからに金持ちの貴公子です。

花びらを踏み散らしながらどこへ行くのかと李白が見ていたら、

やがて胡姫酒肆の中へ入っていった。

酒肆というのは酒場のことです。 この詩の中に現れる胡姫という言葉に注目してください。 胡という字はもともとは異民族という意味で使っていたのですが、唐の時代になるとペルシャ人をさすようになります。 中国語では別に「波斯」と書いてペルシャのことをそう呼びます。 これはペルシャ語によるペルシャの発音「ファルシー」の音訳です。

つまり、「胡姫」というのは胡の姫、ペルシャ人の女の子でござ~♪~ますか?

その通りですよ。 だから胡姫酒肆とくれば、もう決まっていますよね。 エキゾチックな可愛いペルシャ娘がお酌をしてくれるキャバレーですよ。 うしししし。。。


(himiko12.jpg)

こんな感じのペルシャ人のお姉さんがお酌をしていたのかもしれませんよ。

でも、ペルシャ人は極めて少なかったのでござ~♪~ますでしょう?

いや、それが意外に多かったようですよ。 この当時の長安(現在の西安)は国際都市だったのですよ。

どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?

「安史の乱」がなかったら、そもそも白楽天は『長恨歌』を作ることはなかったでしょう。 その「安史の乱」を起こした安禄山(あんろくざん)はペルシャ人だったのですよ。

マジで。。。?

もちろんですよ。 正確にはソグド人(ペルシア系のオアシス農耕民族)と突厥人(トルコ系の遊牧民族)の混血だと言われています。 とにかく、容貌も体型も中国人とはかけ離れていた。 なにしろ、体重が200キロを越す巨漢だった。

つまり、中国に帰化した外国人だったのでござ~♪~ますか?

その通りですよ。 この人の生まれはサマルカンドだった。

サマルカンド (Samarkand)


(silkmap2.jpg)

 

紀元前10世紀ころからイラン系民族のオアシス都市として発展した。
ギリシャ史料で紀元前4世紀のアレクサンドロス3世率いるマケドニア王国遠征軍に最後まで抵抗したソグド人の都市「マラカンダ」の名で知られる。

『後漢書』などの漢文資料では康国として知られている。
玄奘三蔵や後世のアラビア語、ペルシア語の地理書によればソグディアナ、マーワラーアンナフルの中心と呼ばれている。

都市国家の連合体であったソグディアナではサマルカンドの支配者が、時には都市国家連合全体を盟主として采配を振るった。
8世紀初頭にはサマルカンド王デーワーシュティーチュが「ソグドの王」を名乗っている。

当時の中国の首都・長安も国際都市だったけれど、このサマルカンドは、まさに国際都市の中の国際都市だった。 そう言う訳で、安禄山は6ヶ国語に堪能であったため、初め互市郎(貿易官)に任じられたのですよ。 その後、軍功を立て出世してゆき、742年には節度使になり、その後は玄宗と楊貴妃に取り入り、二つの州の節度使を拝命し、まもなく三つの州の節度使を兼任する事になった。

つまり、この当時外国人に対する偏見は中国人は持っていなかったのでござ~♪~ますわね?

僕は思うのだけれど、長安が国際都市だったことを考えると、楊貴妃がハーフだったのではないか?僕はそう思っているのですよ。

どうして、そのように思ったのでござ~♪~ますか?

長恨歌(ちょうごんか)

漢の王は長年美女を求めてきたが、どの女性にも満ち足りないものを感じていた。
ところが、ついに探し求めていた美女に出会った。楊家の娘だった。

 (中略)

楊貴妃は、そもそもは玄宗皇帝の子息の一人の妃であった。
さすがに息子から妻を奪うのをはばかり、いったん道士となった後で玄宗の後宮に迎え入れられている。
太真は楊貴妃の道士時代の名。

 (中略)

温泉の湯水がなめらかに凝脂を洗う、と表現されるように、むっちりとした白い肌の持ち主だった。


『あっちかち (2008年3月25日)』より

このあらすじを読んだ時に、玄宗皇帝のこだわりようが常軌を逸している、と僕には思えたのですよ。

それ程常軌を逸しているでしょうか?

自分の息子の嫁を取り上げてしまったのも同然ですよ。 ちょっと、平凡な人には考えも及びませんよ。

そうでしょうか?

つまり、玄宗皇帝は、普通の中国人の女性ではどうしても飽き足らなかったのですよ。 楊貴妃は、かなり変わった女性だったのではないか? 要するに日本人の男が金髪の白人の女性に魅力を感じるようなものですよ。

デンマンさんも、金髪の白人女性にそのような魅力を感じた事がござ~♪~ましたか?

ありましたよ。 おそらく、宮殿の庭園でも歩いていたハーフの楊貴妃を玄宗皇帝は目にしたのでしょうね。 李白が「少年行」を詠んだように、当時の長安ではペルシャ人の娘が人気を呼んでいたのですよ。 玄宗皇帝も、うわさを耳にしていた。 そういう時にペルシャ人の血が入っているハーフの楊貴妃を目にした。 うわさ通りの、透き通るような色白の肌をして、純粋な中国娘にはない異国情緒が表情に表れている。 それがメチャ魅惑的に見えた。 一目見て玄宗皇帝は楊貴妃の異国風な魅力の虜になってしまったのですよ。

そうでしょうか?

そのような特徴的な女性を想定しない限り、いろいろと手の込んだ事をして自分の息子の嫁を取り上げるなんてしないと思うのですよ。

う~♪~ん。。。 でも、楊貴妃がハーフだったなんて聞いた事がござ~♪~ませんわ。

でもねぇ、状況証拠ならばたくさんありますよ。 安禄山が玄宗と楊貴妃に取り入って、二つの州の節度使を拝命し、まもなく三つの州の節度使を兼任する事になった、と言う事だって、楊貴妃自身がハーフであれば抵抗なく受け入れられる話ですよ。

そうでしょうか?

つまり、この当時の長安は国際化がかなり進んでいて、美人観も古代ギリシャの影響が強くでていたのですよ。 ハーフの楊貴妃は当然のことながらミロのビーナスのような体型に近かったでしょう。 もちろん肌も白人に近い白い肌だったでしょう。 そのような魅力が玄宗皇帝を虜にしてしまったのですよ。 どうですか。。。? 卑弥子さんも、そう思いませんか?

でも、大理石の楊貴妃のムッチリした像を作った彫刻家は、そのような事を知っていたのでござ~♪~ましょうか?

もちろん、知らなかったでしょう? 多くの中国人と日本人のように、楊貴妃は柳腰で細面の表情をしていた、と信じていたはずですよ。 それは、中国に現在残っている楊貴妃の絵を見れば分かります。

それなのに、どうして華清池の像を制作した彫刻家はムッチリとした楊貴妃の像を造ったのでござ~♪~ますか?

それが我々の遺伝子の中に組み込まれている美人観だと僕には思えるのですよ。 つまり、ムッチリとした腰と言うのは、骨盤が広い安産に適した体型ですよ。 楊貴妃の像を作った彫刻家もミロのビーナスの自然な美しさに感銘を受けて、それを参考にして華清池の楊貴妃の像を造ったのだと思いますよ。

。。。んで、柳腰の細面は。。。?

それは、纏足(てんそく)美人観ですよ。 つまり、人為的に女性の自由を制限して考え出された美人観だから、我々の遺伝子に組み込まれている美人観とは違っているのですよ。

古代ギリシャの美人観は、より自然な発想から生み出されたものだ、とデンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよ。 より自然で、より人類の幸せと発展にかなった美人観ですよ。 つまり、安産型の美人観です。 僕には、そう思えるのですよ。


『むっちり楊貴妃 (2008年3月27日)』より

どうですか、卑弥子さん?。。。面白いでしょう?

いつものようにデンマンさんの理屈に引き込まれそうでござ~♪~ますわ。

僕は理屈を捏(こ)ね回しているわけではないのですよう。

根拠に基づいているとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

もちろんですよう。上の記事の中に貼ってあるすべてのリンクをたどって僕が書いた記事を読めば、納得できるように書いてあるのですよう。

デンマンさん。。。、あのですねぇ~。。。よほど暇がある人でない限り、デンマンさんが書いた記事をすべて読むなんて無理でござ~♪~ますわ。

でもねぇ、僕も驚いたのだけれど、上の中で引用されている記事は結構読まれているのですよう。

どうして分かるのですか?

アクセス解析で訪問者の数が分かるのですよう。 僕と同じように唐の時代に、壮大な歴史ロマンを感じている人が結構、たくさん居るのですよう。 上の記事を読むだけでも、国際的な広がりを感じませんか? 僕は源氏物語より面白いと思いますね。

デンマンさん!。。。あたくしは、これでも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している者でござ~♪~ますわ。

知ってますよう。

そのあたくしに向かって、“源氏物語よりも楊貴妃物語の方が面白い!”。。。デンマンさんは、そう宣(のたま)うのでござ~♪~ますか?

宣(のたま)うなんて、すごい事を言いますねぇ~。。。 うへへへへ。。。

デンマンさん!。。。笑いで誤魔化さないでくださいな。 あたくしは真面目に腹を立てているのでござ~♪~ますわ。

分かりました。。。 僕は源氏物語がつまらない、と言っているのではないのですよう。 もちろん、源氏物語は世界的にも認められている素晴しい小説ですよう。 でも、「楊貴妃物語」は、それ以上に歴史ロマンを感じさせる壮大な絵巻だと思っているのですよう。

でも、そう言う絵巻はござ~♪~ませんわ。

だから、僕がネットで立ち上げようかと。。。『壮大なる歴史ロマン・楊貴妃物語』。。。『レンゲ物語』と『小百合物語』に引き続いて、この歴史的大ロマンをスタートさせてみようかと。。。うへへへへ。。。

デンマンさん。。。 マジですか?

夕べ、そう言う夢を見たのですよう。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

どうですか? あなたは楊貴妃がペルシャ人だったということを信じることができますかァ?

信じられなくても、ペルシャ人の血が少しは流れているという可能性はあるでしょうねぇ~。。。

ところで、あたくしには紫式部の血が流れているのでござ~ますわァ。。。

信じられないでしょう?

では、あたくしの次のお話を読んでくださいませぇ。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが“平成の紫式部”だと納得がゆきましたかァ~?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でもねぇ~、あたくしは 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますゥ。

だけど、どういうわけか結婚相手が 現れないのですわよゥ。

あたくしは別に高望みはしていないのでござ~ますう。

“寅さん”のような人でもいいのです。。。

ついでだから、寅さんの映画でも見てください。


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代の話も心にしみます。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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行田物語 ピラミッド

2017年5月19日

 

行田物語 ピラミッド

 


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デンマンさん。。。行田市に まさかピラミッドができたのではないですよねぇ~!?


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もちろん行田にピラミッドなどありません。。。 観光名所にピラミッドを作る計画もないようです。

それなのにどういうわけでピラミッドを持ち出してきたのですか?

あのねぇ~ 小百合さんは忘れてしまったかもしれないけれど、かつて僕が迷子になった道を 小百合さんが三菱の軽トラを運転して僕が助手席に乗りながら通ったことがあったのです。 その時 小百合さんが次のように言ったのですよ。

「この辺で昔、ピラミッドのようなものを

見かけたことがあるのですわァ」

そのデンマンさんが迷子になった道と言うのはいったいどの道のことですかァ?

かつて記事を書いたので、ここに書き出します。 小百合さんも読んで思い出してください。


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Subj:今日の小百合物語は

題して『思い出を食べる』でした。

読んでみてね。

ヽ(´ー`)ノキャハハハ。。。

Date: 28/03/2008 10:32:22 PM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間 3月29日午後2時32分
From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp

『思い出を食べる@麻布』

突然 ゼリーフライが食べたくて、
行田に行ってきました。

「かどや」 で食べると決めてたのに
行ったら 休みで、
どうしよう と思っても
お店の紹介してあったパンフをわすれました。


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地元の人はうまい店を知っているものですよ。
僕のお袋も知っているはずですよ。
電話して尋ねてみたらよかったですね。

僕の弟もうまいフライ屋で買ってくる事がありますよ。

おろおろ しながら 大長寺の橋をわたり、
人に尋ねて商工会センターの建物を見つけて 
パンフをもらい かねつき堂
という店を 探すのですが
これがまた 見つからず子供達もあきれ顔。
ちょっと 見つけずらかった

行田の町は、もともとが城下町ですからね、
道が分かりにくいように作られているのですよ。
つまり、攻め込まれて来た時に敵が道に迷うようにできていた。

明治の頃から市内の道路は、ほとんどが昔のままですよ。
舗装されたけれど、道筋(みちすじ)は昔のままのところが多いのです。

行田のフライ屋もゼリーフライ屋も、ほとんどが市内にありますからね、
本町や新町(あらまち)通りから一歩入ると、僕でも、どこだか分からなくなってしまう事がありますよ。

どうして碁盤の目のようにしないのか不思議でなりません。
2006年、帰省した時にもネットカフェの『みるみる』をつかったのですよ。

たいてい自転車で産業道路を通って『みるみる』へゆくのですが、
いつも同じ道では退屈するので、JRの行田駅から市内に向かう広い道路を使ってみたのですよ。


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初めてその道路を使った。
僕が子供の頃には無かった道です。

欧米の都市のように新しい道路を碁盤の目のように造ればいいのですよ。
ところが、そうなっていないのですよね。

4車線もある道路なのに、弓なりに曲がったりしている。
夜だった事もあって、すっかり道に迷ってしまいました。
道路が妙に曲がっているので、走っているうちに方向感覚が全くなくなってしまったのですよ。
30分も自転車をこげば帰れるのに2時間以上もかかって、やっと実家にたどり着いたのですよ。

アメリカでもカナダでも北か南か東か西か走っている方向はまず間違いなく分かる。
道路標識もちゃんとしているし、どのような道にもストリート名がある。
だから、道に迷っても、教えやすいし、言われても分かりやすい。
“何ブロック行って西に曲がれば、○○○ストリートに出られる”

ところが、行田はそうではないのですよね。新しい道路なのに、
全く計画性が無く造られていて、
“この道を○○店まで行って右に曲がって。。。”
こういう教え方をする。

しかし、夜だから、店は閉まっていて分からない。
意外に街灯が少ないのですよね。
ほぼ真っ暗です。

急に外国に来たような気分になってしまいましたよ。
うへへへへ。。。

生まれ育った町で迷子になろうとは夢にも思っていませんでした。
それほど、道路が無計画に作られている!


『思い出のフライ』
(2008年3月31日)

そうです。。。 そうです。。。 もう10年ほども前になるのですわねぇ~。。。 思い出しましたわァ。。。

僕は、その時 小百合さんに言ったものですよ。

「小百合さんがいつ行田にやって来たか

知らないけれど、この道は僕が子供の頃は

なかったのですよ。

JR行田駅ができたので

造られた道なのだから…

僕が迷子になったくらいだから

それは確かです。」

そうでしたわ。 デンマンさんは私の話を全て否定したのですわァ。 確かに私が見たのはずいぶん昔のことでしたわァ。 館林の女子校を卒業して初めて就いた仕事が広告代理店の営業で、出来上がったチラシを行田のお客様の所へ届けに行った途中で見たのですもの。。。

でも、小百合さんがピラミッドのようなモノと言ったので、僕にはすぐに思い当たるモノがあった。 清善寺の無縁塚ですよ。。。

新兵衛地蔵尊


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昭和7年5月8日、清善寺無縁塚の上に、新兵衛地蔵尊が開眼供養された。
早いもので48周年を迎える。

大正13年5月に、大澤龍次郎翁が亡父13年忌供養に丈余の無縁塔を建立し、成田家、阿部家家臣の天文年間より天保年間300年の香煙絶えて久しき無縁の精霊を慰め供養し、次いで無縁の墓石を集め無縁塚としたのは昭和6年である。

今でこそ無縁塚を建立するのは珍しくないが—今の無縁塚は、無縁の墓が多く邪魔なので片付ける為に塚にしたというのが多い—初め立派な供養塔を建て8年間供養してから、これらを集め塚としたという仏心による無縁塚建立という例は、全国でも例をみない本当の無縁塚であろう。

そして無縁を慰める菩薩は地蔵尊しかない。
幸いに、父新兵衛が念持していた地蔵を拡大鋳造して安置して、相州大雄山最乗寺山主大石観法老師によって新兵衛地蔵尊と名付け開眼されたことは仏道にのっとり、無縁の精霊の供養に範とする処で、新兵衛地蔵尊の真意はここにあることを強調したい。


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昭和7年頃の清善寺を想い出して貰いたい。
今の赤門は、大沢証券の前にあって、左側には大きな樹が昼なお暗く繁り今の城東会館の処は、田と沼で、朽ちた鐘楼が見え、今の道の上に愛染堂があり茶畑にかこまれていた。
夜は墓地に人魂が飛ぶといわれた程さびしいというよりこわい古刹だった。

名誉市民 大澤龍次郎翁は郷土発展の為に数え切れない程 たくさんな施策をしたが、その中で特記すべき一つに地味ではあるが、大事業であった、今の天満から内行田に抜ける道を拓いたことをあげることが出来よう。

昭和7年 新兵衛地蔵尊開眼、その東の延命苑の造園、新兵衛地蔵尊通りの開通の着手、そして西條八十詩 中山晋平作曲、勝太郎の吹込の『行田音頭』レコードと、東京より直通列車による地蔵講参拝団の来訪と、昭和初期の大不景気のさ中に、行田では華々しさを物語っている。
5月8日の新兵衛地蔵尊の祭日は、参拝後、水城公園に廻って行田音頭の記念碑でもみて、あなたの頭の中に40数年前のタイムカプセルを浮べて下さい。


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   『行田音頭』

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


239-241ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社

そうです。。。 そうです。。。 デンマンさんがわざわざこの場所へ連れて行って見せてくれたのですわァ。。。 でも私は、これと同じようなピラミッドを確かにデンマンさんが迷子になった道で見たのですわァ。。。

ここ以外に小百合さんが言うピラミッドのようなモノは絶対にない!と云う事を示すために僕は小百合さんを連れて行ったのですよ。

でも。。。、でも。。。、私は見たのですわァ。。。

だってぇ~、僕が迷子になった道は 小百合さんが通ったという時にはなかったのだから。。。 そう言っても小百合さんは同じことを繰り返して言うのですよねぇ~… 清善寺とは違う所でピラミッド型の無縁冢を確かに見たと。。。

だってぇ私は確かに見たのですわァ。 夢ではありませんでしたァ。

それで、去年の秋でした。 僕が行田に帰省した時に、小百合さんが行田の古代米カレーが食べたいということで行田駅のすぐ近くのCafe Cozyへ行ったのですよ。


(cafecozy01.jpg)


(cafecozy02.jpg)

『古代米カレー』

Cafe Cozy はシャレた店だったですわねぇ~。。。

残念ながら古代米がきれていたので白いご飯だったけれど一応満足しました。。。 その帰りに市内に向かう途中で小百合さんが道端にある藁屋根の古い民家に気付いて、ちょっと見てみようということになって車から降りたのですよ。


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見かけよりもかなりボロだった。

そしたら、私は見覚えのある風景に出くわしたのですわァ。。。この辺に来たことがあることをはっきりと思い出したのです。。。 それで思い出を手繰り寄せながら歩いて行ったら お寺があって見覚えのあるピラミッド型の無縁塚が現れたのですわァ。。。


(josho02.jpg)


(gyodamap90.png)

『拡大する』

僕も、この時ばかりはエジプトのピラミッドが現れたのではないか!?。。。と思ったくらいに唖然としましたよ!

デンマンさんが、そんな道はない!。。。と自信を持っ言ったので私は思い違いだと考えたほどでした。。。 でも、心のどこかに確かに見たという思いがあったのですわ。。。

考えてみたら僕は無縁塚があるこのお寺を初めて見たのですよ。。。 そもそも、子供の頃、この辺に来たことがなかった。

成正寺


(josho01.jpg)

 

成正寺(じょうじょうじ)は、埼玉県行田市にある

浄土真宗本願寺派の寺院である。

文政6年(1823年)、桑名(三重県)から

忍(現在の行田市)に移封した

松平忠堯の家老、加藤大炊が、

浄土真宗本願寺派の寺院が無いことに気づき、

築地本願寺(本願寺の別院)の出張道場として

開基に賢随を迎え建立したという。

 


(josho02.jpg)


出典: 「成正寺 (行田市)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、もともと細い道路があったのですわよ。。。 JR行田駅ができたので道路を広げて駅まで延ばしたのですわ。

僕も、こうして改めて成正寺の無縁塚を見ると、僕が子供の頃にも細い道路があったのだと納得することができました。

要するに、この事を言うために“行田物語 ピラミッド”というタイトルを付けて私を呼び出したのですか?

いや、そればかりじゃありません。。。 ちょっと次の小文を読んで見てください。。。

13歳の少女と「武士」の出会い


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旅の始まりで『更級日記』にふれます。
父の任地である東国で生まれた13歳の少女が、任期が満ちて京に帰る父に連れられて草深い武蔵野国を通ったのは寛仁四(1020)年のことでした。
たまたま望見した名も知らぬ人物について書き記します。

「馬に騎りて弓持(もち)たる」人物についてです。
広々とした空の下、馬に乗った武人はやがて草むらに消えて行きます。
点景のように草原に現れたこの人物のことを彼女が書きとどめたのは、よほどそのときの光景があざやかだったからに違いありません。
さりげなく書かれたこの一節が司馬さんの記憶に止まります。
そしてその時代から一挙に時間を360年ほど溯(さかのぼ)ります。

それより360年前の西暦663年。
朝鮮半島。
百済(くだら)が滅亡の危機に瀕(ひん)していました。
百済の救援に向かった約二万七千の日本軍は白村江(はくすきのえ)の海戦で大敗北。敗戦の混乱の中で多くの百済遺民を伴って帰国します。
百済人は長年、ツングース系の高句麗騎兵と戦っており、騎射に長じていました。
司馬さんの想像力は、少女が見た「馬に騎りて弓持たる」人物が、土着人と混血した360年後の百済人の子孫ではないかと見るのです。当時、武蔵野には二千余人の百済人が移住し、土着しました。
そして、中国的な国家の「かたち」である律令制を倒し、1192年に鎌倉幕府という日本的な政権を作った新興勢力である坂東(ばんどう)武士団とは、この人たちの後裔(こうえい)ではないかと考えるのです。

「この集団が、日本史上、われわれが誇る、最も典型的な日本人集団とされる坂東武者に変わってゆくことを思うと、東アジアの人間の交流や、文化の発生にかぎりないおもしろさを覚える。」(『街道をゆく』1)

日本人の原型体質とは、坂東武士団の中から結晶のように煮詰って現われ出た生き方であり、その広がりはアジア的スケールを持っていたかもしれないのです。
かれら坂東武士団のモラルこそ、「名こそ惜しけれ」でした。「坂東」とは箱根の東ということです。


(84-87ページ) 『司馬遼太郎の「武士道」』
著者・石原靖久 発行・平凡社
2004年8月25日 初版第一刷発行



『セレブと碓氷峠』より
 (2008年9月7日)

 

司馬さんが『街道をゆく 1』の中で言っているように、僕も「東アジアの人間の交流や、文化の発生にかぎりないおもしろさを覚える」のですよう。

でも、小百合さんがどのように関わってくるのでござ~♪~ますか?

実は、小百合さんの祖先も僕の祖先と一緒に百済からやって来たのですよう。ちょっと読んでみてください。

デンマンの祖先は百済からやって来た


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僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。

それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?

後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。

つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?

難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。

それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?

そう言う事ですよう。

。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?

そんなモノは残っていませんよう。

。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?

僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。

その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?

“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。

つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?

全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。


『セレブと碓氷峠 (2008年9月7日)』より

。。。んで、小百合さんの祖先も百済からやって来て武蔵国に定住したのでござ~♪~ますか?

そうですよう。 おそらく、百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったけれど、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって一緒に武蔵国まで行ったのですよう。

どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?

小百合さんの実家は館林にあるのですよう。 僕の実家から車で20分から30分ですよう。 目と鼻の先ですよう。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんは日本で小百合さんにお会いした事は無かったのでござ~♪~ますか?

不思議な事に小百合さんと僕が初めて出会ったのはカナダのバーナビー市で小百合さんが13年間借りていた“山の家”だったのですよう。


(burnamap2.gif)

バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。


(burnamap3.gif)

この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に小百合さんが借りていた“山の家”があるのですよう。


(deerlak3.jpg)


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この家でデンマンさんは10数年前に小百合さんと初めてお会いになったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。 次のように小百合さんの“山の家”の応接間で会ったのですよう。


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これって、またデンマンさんがコラージュしてでっち上げたのでござ~♪~ますわね?

確かに、上の写真は僕がでっち上げたのだけれど、現実でもねぇ、僕は、こうやって小百合さんと会ったのですよう。

でも、どうして小百合さんの祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たと分かるのですか?

小百合さんの DNA にも“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですよう。僕と同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、小百合さんは佐野からカナダのバーナビーに渡ったわけですよう。 そして僕と“山の家”で出会ったのですよう。

ただ、それだけの事でござ~♪~ますでしょう?

ただ、それだけじゃないですよう。ちょっとジューンさんの言ったことを思い出してくださいよう。


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こんにちは。ジューンです。

袖触れ合うも他生の縁

(そでふれあうもたしょうのえん)

聞いたことがあるでしょう?

なかなか味わいのある諺ですよね。

袖が触れ合うようなちょっとしたことも、

前世からの深い因縁によって

起こるものである、と言う事です。

わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”

だと思ったのですわ。うふふふふ。。。

つまり、袖が触れ合ったのは、

全く偶然ではなくて、少しは

そうなる運命にあったのよう。。。

私は、そのように思い込んでいたのです。

でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。

「他生」というのは「前世」の事だと、

デンマンさんに教わったのですわ。

調べてみたら、「他生」とは

「前世」と「来世」の事を言うのですって。

上の諺では、文脈から「前世」となる訳ですよね。

この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。

そう言えば「今生の別れ」と言う語句を

何度か耳にしたことがありました。

仏教の輪廻(りんね)と関係のある諺なのでしょうね。

わたしは英語ではこの諺は無いと思っていたのですけれど、

調べてみたら、次のようなものがありましたわ。

A chance acquaintance is a divine ordinance.

Even a chance meeting is

due to the karma in previous life.

つまり、「偶然の出会いは神の定め」と言う事なのです。

多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。

カナダでは耳にしたことがありませんわ。


(miroku3.jpg)

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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『出会い系の悪魔』より
 (2008年9月10日)

僕と小百合さんの出会いは、偶然の出会いのように見えて偶然ではないのですよう。 つまり、小百合さんと僕に共通するモノが実にたくさんあるのですよう。

“海外飛躍遺伝子”でござ~♪~ますか?

それも一つですよう。 まず、車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、僕と小百合さんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだった。 僕の祖先と小百合さんの祖先が1400年程前に百済から日本に一緒に渡ってきた事が分かるような気がしますよう。 小百合さんの祖先の娘は、やがて武蔵国から現在の栃木県の栗山村へ嫁にゆき、上の昔話を伝える事になったのですよう。 どうですか?

確かに、そのような可能性があったかもしれませんわ。 だってぇ~、デンマンさんの祖先の中には、きっとお話に出てくるような「ばか息子」が居たでしょうからねぇ~。。。 うしししし。。。

一人ぐらい変わり者が居たかもしれませんよう。。。 とにかく、このように見てゆくと、すべての話がここで丸く収まるのですよう。 卑弥子さんも、そう思いませんか?


『愛とロマンと昔話』より
(2008年9月11日)

車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、僕と小百合さんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだったのですよ。。。 でもねぇ~考えてみたら小百合さんと行田は、僕とバーナビーで会う前から どこかでつながっていたのですよ。

要するに、デンマンさんと私は昔から見えない赤い糸で結ばれていたと言いたいのですわねぇ~。。。

いや。。。 僕は言ってませんよ。。。 小百合さんは、そう思うのですかァ?

デンマンさんがそう言うように仕向けているのですわァ~。。。

小百合さんが先に言ってくれたので僕は助かりましたよ。 (微笑)

デンマンさん。。。、こういう個人的なお話は読んでいるネット市民の皆様を白けしらけさせるのですわァ。。。 ホー厶・ムービを見せられたような気分になってウンザリするのです。。。 恐らく、もう他のブログへ飛んでいますわァ~。。。

そうでしょうかァ?

当たり前ですわァ。。。 んもおおおォ~。。。


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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

そうですわよねぇ~~

あなたも半ば白けたでしょう?

では、ここであなたの気分を爽快にするために次の曲を聴いてくださいまし。。。


(whitecliff.jpg)

いかがでしたかァ~。。。?

ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。

なぜ。。。?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事



(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『蕎麦屋と軽井沢タリアセン夫人』

■ 『おしまいでございます』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 愛の写真』

■ 『菊ちゃんと阿部忠秋』

■ 『菊ちゃん、知恵伊豆、忠秋』

■ 『丸墓山は誰の墓?』

■ 『外国人SEXデンマン再訪』

■ 『日本最高?』

■ 『短歌に込められた愛の真実』

■ 『3月のバレンタイン』


(fragran11.jpg)

■ 『かぎろいミステリー』

■ 『40代女性の魅惑』

■ 『私のバレンタイン』

■ 『バレンタイン@4月』

■ 『豆まき@バレンタイン』

■ 『夢のココナッツ』

■ 『日本の失敗』

■ 『しじみ@愛のロマン』

■ 『とろけるカレー@バレンタイン』

■ 『バレンタイン夫人』

■ 『昭和の表象空間』

■ 『ズロースなの?』

■ 『焼きそばサンド』

■ 『平成の表象空間』

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『手作り弁当@船着き場』

■ 『盛り上がる@馬車道』

■ 『ゼリーフライ@鐘つき堂』

■ 『愛と憎しみの丸墓山』

■ 『忘れられない!』

■ 『大名行列@行田』

■ 『別れの朝も…』

■ 『婚外恋愛』

■ 『婚外恋愛と人間失格』


(noten15.jpg)

■ 『月夜の美人』

■ 『ふるさと 行田』

■ 『愛の偶然と必然』

■ 『田中角栄と軽井沢』

■ 『うさぎ追いしかの山』

■ 『アブラッソ不在の美』

■ 『ロマンの昔話』

■ 『海を渡ったバレンタイン』

■ 『バレンタインが老人を狂わせた』

■ 『マルちゃん海を渡る』

■ 『銀座からバレンタイン』

■ 『仙台からバレンタイン』


(sayuri201.jpg)

■ 『パリからバレンタイン』

■ 『ジャズ@バンクーバー』

■ 『タイからバレンタイン』

■ 『たまご麺@バレンタイン』

■ 『愛犬とゴッド』

■ 『ザ・バレンタイン女』

■ 『週刊誌deヌード』

■ 『愛と天の夕顔』

■ 『ジェミマおばさんのシロップ』

■ 『夏日に、お帰りなさい』

■ 『コイ、鯉、恋がいっぱい!』

■ 『スープカレーなのね』

■ 『忍城時代まつり』

■ 『夜道のルート66』

■ 『上を向いて歌おう』

■ 『霧積温泉のロマン』

■ 『元気が一番!』

■ 『行田のスープカレー』

■ 『パンツとブラジャーと餃子』

■ 『軽井沢を文学散歩する』

■ 『ばァ~の面影』

■ 『バレンタイン@行田』

■ 『軽井沢タリアセン夫人@遠藤家』

■ 『桃の節句@天国』

■ 『古代米カレー』

■ 『愛のジェローを探して』

■ 『コーヒーと愛の香り』

■ 『愛の馬車道』

■ 『亀姫と香芽子さん』

■ 『愛の夕顔を探して』

■ 『ケネディ暗殺の謎』


(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


(ebay5.jpg)


(byebye.gif)

愛のジェローを探して

2017年3月31日

 

愛のジェローを探して

 


(valent6.gif)



(jello32.jpg)



(sayuri5.gif)

(beachbg.jpg+spacer.png)


(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。 “愛のジェロー”を探しているのですか?


(kato3.gif)

。。。ん? 小百合さんは僕が“愛のジェロー”を探していると思ったのですか・・・

だってぇ~、タイトルにそう書いてあるではありませんかァ!?

僕が探していたわけではないのですよ。。。 次のリストを見てください。


(liv70315b.png)


『拡大する』

『愛のジェロー』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で3月14日の午前7時56分から午前11時7分までの約3時間の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んである箇所に注目してください。

3月14日の午前9時27分にカナダのGOOGLEで検索して『愛のジェロー』を読んだネット市民が居たのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 この記事を読んだ人はアルバータ州の州都であるカルガリー市に住んでいる相田 恵理子(あいだ えりこ)さんという女性です。

デンマンさんの知り合いの女性ですか?

いや。。。 上のリストを見て初めて知ったのですよ。。。

どうして名前まで判ったのですか?

IPアドレスを調べたのです。。。


(ip135133b.png)

『拡大する』

どういうわけでカルガリー市ではなく、カナダの首都のオタワの地図が出てくるのですか?

Shawcable(ショー・ケーブル)というプロバイダーの本社がオタワ市にあるからだと思うのです。。。

でも、プライバシーを守るためにアクセス者の名前までは調べられないはずですわァ~。。。 デンマンさんはハッキングをして機密情報をゲットしたのですか?

いや。。。 僕はそのような不正行為をしてまで個人情報を盗むようなことはしません。。。 実は、恵理子さんは『愛のジェロー』の記事に中にあるリンクをクリックして『仔牛とロマン (2008年5月14日)』を読んだのですよ。。。 そのページの下に「御意見・御感想」という欄があって、恵美子さんは、そこで次のようなメッセージを書いてくれたのです。

Beaverland Net Form Processor
From: aida****@shawcable.net
To: denman****@gmail.com
Date:Sun, Mar 15, 2017 10:33 am.
Pacific Standard Time
日本時間: 3月14日 午後6時33分

MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted: Mar 15 2017 / 10:33:13

userid = barclay1720
YahGeo = encoding-identify-good
Your_Name = 相田恵理子
Your_Email_Address = aida****@shawcable.net

Comments:


(momkid03.jpg)

 

子供がジェローが好きで、検索していたらデンマンさんの記事に行き着きました。
楽しく読ませていただきました。

バンクーバーに住んでいるデンマンさんは、トロントにも住んでいたことがあるのですね。
私は結婚前はトロントに住んでいたのですが、
結婚してからはカルガリーに移り住みました。

3月に入ったというのに雪に閉ざされている感じです。
平均気温は零度以下です。

暖かいバンクーバーが懐かしいです。
去年の5月に日本からの帰りに3日ばかり滞在しただけでしたが、
3日とも晴天でスタンレー公園で暖かい春を満喫しました。

カナダプレイスのパンパシフィックホテルのレストランで食べたクレームエペスを
今度バンクーバーに寄った時には、また食べてみようと思います。
では、また楽しい記事を期待しています。

デンマンさんもジェローが好きなのですか?

いや。。。 最近、食べたことがないですよ。。。

記事ではどんなことを書いたのですか?

小百合さんは忘れてしまったのですかァ~。。。 2008年に小百合さんに書いたメールの中でジェローのことも書いているのですよ。。。

9年も前のメールなど覚えていませんわ。。。 どのような事を書いていたのですか?

ちょっと読んでみてください。


(sayuri2.gif)

Jello(スペル違う?)って知ってる?
これまた 子供達の好きな ゼリーで 家で作る パウダータイプ。

2for 1$ とか言って 安かった時 子供達はどのフレイバーが
いいかなあ~ と楽しげに 買い物カゴに入れてました。

日本にあるイチゴやレモン メロン オレンジ系は カゴに入れません
バンクーバーにしか売ってない味を 買います。

ラズベリー ブラックベリー グレープ(ぶどう) ピーチ
すいか、 新しい味の箱を見つけると 長男、次男はとりっこで
大変でした。

もちろん、知ってますよう。
北米で1年間暮らせば Jell-O を知らない人は居ないでしょう!


(jello12.jpg)


(jello22.jpg)

英語のウィキペディアには次のように書いてありますよう。
残念ながら日本語のウィキペディアには、この項目は無い!

Jell-O

Jell-O is a brand name belonging to USA-based Kraft Foods for a number of gelatin desserts, including fruit gels, puddings and no-bake cream pies.

The brand’s popularity has led to its becoming a generic term for gelatin dessert across the US and Canada.

Because of this, in the United States, packages of Jell-O are marked as Jell-O Brand.


Jell-O はアメリカに本社のあるクラフト食品会社のブランドネームです。

ゼラチンを使ったデザートで、果物ゼリー、プリン、焼く必要の無いクリームパイなども含まれています。

北米では、この名前はポピュラーで普通名詞のようになっています。

そのため、アメリカではパッケージに商標として明示しています。

【デンマン訳】

SOURCE: http://en.wikipedia.org/wiki/Jell-O

僕がトロントで下宿していた頃、下宿のおばさんがジェローが好きで、これがよく食後のデザートに出てきたのですよう。
初めのうちは珍しいから、食べたけれど、そのうちすっかり飽きてしまって、見るのもイヤになりました!


(laughx.gif)

人にもよるのだろうけれど、僕は自分で買ってまで食べる気になりません。
うしししし。。。


(laugh16.gif)

でも、甘いものが好きな小百合さんのためならば
心を込めてレインボー・ジェローを作ってあげますよう。


(jello52.jpg)

どうですか?こういう虹色のジェローは。。。?

ん。。。?もっとロマンチックなジェローが食べたいの?

だったら、こういうのはどうですか。。。?


(jello32.jpg)

これならば、きっと小百合さんは気に入ってくれると思うのですよう!

では、小百合さんに会える喜びをかみしめながら

ロマンチックに短歌を詠んでしまいます。

ああぁ~ 夢とロマンの秋ですねぇ~

バンクーバーも、めっきり

秋らしくなってきましたよう。

では、小百合さんに会える喜びを

さらに短歌に込めて。。。


(jello32.jpg)

虹色の

ジェローを食べる

きみとボク

夢を抱いて

心が弾(はず)む


(valent6.gif)


(bearhug05.jpg)

うしししし。。。

ちょっと調子に乗ってしまいましたね。

失礼いたしましたア!


(foolw.gif)


『愛のジェロー』より
(2008年10月19日)

ジェローのことで私がメールを書いたことがあったのですわねぇ~。。。

そうですよ。。。

少し思い出してきましたわ。。。 ところで、恵理子さんがメッセージの中で次のように書いてますよねぇ~。。。


(panhotel03.jpg)


(panhotel02.jpg)


(panhotel01.jpg)

カナダプレイスのパンパシフィックホテルの

レストランで食べたクレームエペス

今度バンクーバーに寄った時には、

また食べてみようと思います。

どういうわけで“クレームエペス”がでてくるのですか?

『愛のジェロー』の中で次のように“クレームエペス”を取り上げたからですよ。。。

は~♪~い。

では、今日は甘いのが好きな

小百合さんのために

ハイセンスなフランス風のデザートを…


(din001.jpg)

クレームエペスをどうぞ…

クレームエペスと言うのは、

フランス・ノルマンディー地方の生クリームの一種です。

乳酸発酵させた爽やかな酸味と芳醇なコクが特徴です。

クリーミーなヨーグルトといった感じの味わいですよ。

エペス(epaisse)とはフランス語で

うしししし。。。

「厚い」「濃い」という意味なのです。

でも、そういう重い感じではなく、

どことなく懐かしいキュートなテイストですよ。

しかも、フレッシュな巨峰との相性が抜群です。

もっと楽しいグルメのお話は

次のリンクをクリックして読んでね。

■ 『仔牛とロマン (2008年5月14日)』

夢とロマンと愛を胸に抱いて

じっくりと味わってねぇ~


(laugh16.gif)

ほら、ほら、ほらぁ~。。。小百合さん! 

また、ヨダレがたれてるよう!


(foolw.gif)

じゃあ。またねぇ~。

うしししし。。。


(byebye.gif)


日本時間: 2008年10月15日 午後5時28分
バンクーバー時間: 10月15日 午前1時28分

『愛のジェロー』より
(2008年10月19日)

じゃあ、今度 私がバンクーバーへ行ったら、クレームエペスをご馳走していただけますか?

もちろんですよ。。。 小百合さんがやって来るのを首を長くして待っているのですよ。。。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

思えば、もうお花見の季節でござ~ますわァ~。。。

月日の流れは、本当に“光陰矢のごとし”でざ~ますゥ。

デンマンさんと、つい最近、ご一緒に那須高原へ出かけたと思っていましたのに。。。


(nasu102b.jpg)

紅葉のきれいな那須高原で、「自在荘」に泊まって温泉にも浸かってまいりましたわァ~。。。

でも、クレームエペスはござ~ませんでしたわァ~。。。


(jizai08b.jpg)

それでも充分にリラックスできましたァ。。。

ちょっとばかり はしゃぎすぎてしまったようでござ~ますう。


(aerobics5.gif)

『衝撃の角度』

デンマンさんに、また得意のアクロバットを見せてしまったのでござ~ますわよう。。。

うふふふふふふふ。。。

ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

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■ 『古代米カレー』


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こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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古代米カレー

2017年3月18日

 

古代米カレー

 


(kodaika01.jpg)


(kodaika02.png)


(sayuri201.jpg)

 

日付: 2017年3月5日 (日) 午前10時53分
(バンクーバー時間:Sat, Mar 4, 2017 at 5:53 PM)
差出人: “sayuri@hotmail.com”
宛先: “denman@coolmail.jp”


(sayuri2.gif)

件名:飛行機の中では一睡もしないで

また映画を見続けたのですか?

\(*^_^*)/

バンクーバーに着いたのは午前中だったようですが
そのまますぐにマンションに帰らずに、
中央図書館に寄ってブログを書くなんてちょっと信じがたいですね。
帰りの飛行機の中では一睡もしないでまた映画を見続けたのでしょう!?

行田ではお母さんのお葬式を取り仕切ったりで
大変でしたね。
お疲れ様でした。
お母さんは天国で安らかな眠りについているでしょう。


(grandma6.jpg)

今回、デンマンさんが行田に帰省したのは
予想外のことでしたけれど、
しばらくぶりに会えて楽しい思い出がたくさんできました。

デンマンさんには“古代米カレー”につき合わせてしまったようで、ちょっぴり反省しています。
でも、インドカレーにハマッた私にとって 行田の“古代米カレー”は歴史を感じさせるような味わいがありました。

「行田古代米カレー地図」を片手に できるだけ多くの店を回ってみましたが、
デンマンさんと一緒に出かけたのは2軒にとどまりました。

最後に「カフェ音時計」を探しましたが、残念ながら発見できませんでしたよね。
あとで私一人で探してみたら、川のそばにあるお店を見つけました。
どちらかと言えば、珈琲・紅茶と手作りケーキがメインのようです。
古代米カレーは土曜日だけだそうです。

古墳の形の古代米ごはんと行田の食材を使うことだけが一緒で、
あとは各店舗が自慢のカレー味で競いあっているようです。

お店ごとに飾りつけも、付け合わせも、トッピングも、もちろん味もみんな違います。
どのお店も、それらしい味を創作していて、
どのお店の古代米カレーも世界に一つのオリジナルであることは間違いないようです。


(ondokei02.jpg)

今度お会いするときには、「カフェ音時計」でカレーを味わいたいですね。
それまで、お元気でお過ごしください。
では。。。

 

さゆりより


(sayuri15.gif)


(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。 バンクーバーに戻って落ち着きを取り戻しましたか?


(kato3.gif)

もちろんですよ。。。 またバンクーバー図書館で映画を見始めました。



(lib70316a.png + lib70316a2.png)

『実際のリスト』

あらっ。。。 3月15日までに 1568本の映画を見たのですわねぇ~。。。

そうです。。。 実は、1、555番の “Forrest Gump” は3月3日の帰りの飛行機の中で見たのですよ。。。


(ac001.png)


『拡大する』

『実際のページ』

上のページの赤枠で囲んだのが “Forrest Gump” です。。。

つまり、上のページの色の付いた枠で囲んである4本の映画を帰りの飛行機の中で観たのですか?

そうです。。。 食事しながら4本の映画を観ている間にバンクーバーに着きました。

やっぱり、一睡もしないで映画を観たのですわねぇ~!

いけませんかァ~?

それでバンクーバーに着いたら、そのまま図書館に寄ってブログの記事を書いたのですか?

そうです。。。 いけませんか?

かまいませんけれど、寝不足でぶったおれませんでしたァ~?

36時間ぐらい眠らずにいてもぶっ倒れることはありませんよ。。。 それにしても、小百合さんは相変わらず“古代米カレー”に拘(こだわ)っているのですねぇ~。。。

いけませんかしら。。。

かまいませんけれど、飽きませんかァ~?

飽きたら、またインドカレーに戻りますわァ~。 (モナリザの微笑)

デンマンさんは、イヤイヤ私に付き合って“古代米カレー”巡りをしたのではありませんか?

いや。。。 けっして、そんなことはありませんよ。。。 僕が行田で暮らしていた頃は“古代米カレー”はありませんでしたからねぇ~。。。 ご飯の形を見たら前方後円墳の形になっているのですねぇ~。。。


(kodaika01c.jpg)


(gyodamap80.jpg)

『拡大する』


(gyodamap81.jpg)

『拡大する』

小百合さんと“古代米カレー”巡りをして楽しかったですよ。。。

そうでしたか? 上の地図は わかり難くて、ずいぶんと道に迷って 結局デンマンさんと訪ねたのは2軒だけでしたわねぇ~。。。


(takao01.jpg)


(takao02.jpg)

この店で食べながら旦那と奥さんと話をしていたら 5番の“カフェギャラリー高澤記念館”の話が出た。。。


(takaza02.jpg)


(takaza01.jpg)

デンマンさんが中学時代の同級生の家なんですってねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 まさか、カフェになって“古代米カレー”を出す店になっているとは想像もしていませんでした。。。 僕が中学生の頃は、周りは田んぼでしたよ。。。 近くの東小学校も古い木造の校舎だった。。。 僕の親父はこの小学校で教師をしていたことがあったのです。。。

同級生の高澤君のお爺さんが 昔の長野村の村長さんだったのですか?

そうなのです。。。 太平洋戦争前は長野村では一番の大地主だったのですよ。。。 今では行田市の一部になっているけれど。。。

せっかく車で行ってみたのに、当日は休業日みたいで閉まっていましたわねぇ~。。。

残念でしたよ。。。 オープンしていても、かつての同級生がネジリ鉢巻で“古代米カレー”を作っているとは思えなかったけれど。。。


(cafecozy01.jpg)


(cafecozy02.jpg)

Cafe Cozy はシャレた店だったですねぇ~。。。

このお店もずいぶんと探して やっと見つけたのでしたわァ~。。。

とにかく、あの地図はわかり難い。。。 もっと分かり易いように書けばいいのに。。。 ゼリーフライの地図も分かり難い。。。 どうして行田の観光課は分かり難い地図ばかりを書くのだろうか!? ところで、小百合さんは「カフェ音時計」を見つけたのですか?

見つけましたわ。。。


(ondokei05.jpg)


(ondokei06.jpg)


(ondokei04.jpg)


(ondokei07.jpg)


(ondokei01.jpg)

デンマンさんとご一緒に お花見しながら“古代米カレー”を食べたいと思いますわァ~。。。。

ところで、どういうわけで地図に“スープカレー”のNecoが載っているのですか?

Necoも“古代米カレー”をだすのですわよう。。。

しかし。。。、しかし。。。、これまでに何度も行ったけれど、小百合さんは一度も“古代米カレー”を注文しませんでしたよね。。。

だってぇ、あそこはボサノバの“黒いオルフェ”のお店ですもの。。。 “古代米カレー”はお店の雰囲気に合いませんわァ~。。。

2014年11月4日、小百合さんは 行田市にあるスープカレーの店で ハンバーガー スープカレーを思う存分食べたではありませんかア!


(neco002.jpg)


(neco001.png)

『実際のページ』

あらっ。。。見てたのですか?

やだなあああァ~。。。小百合さんは僕の目の前で ハンバーガー スープカレーを思う存分食べたのですよう。 見たくなくとも見えてしまうでしょう!


(neco003.jpg)


(neco006.png)

デンマンさんは、ご自分のスープカレーを食べないで 私の食べる様子をしみじみと眺めていたのですかァ~?

あのねぇ~。。。 僕は小百合さんのリクエストに圧倒されてしまったのですよ。

ええっ。。。私のリクエストですか?

そうですよう。。。

私が何をリクエストしたとデンマンさんはおっしゃるのですかァ~?

あれっ。。。 やだなあああァ~。。。忘れてしまったのですか?

だってぇ~。。。私は自分のスープカレーをいただくのに夢中でしたもの。。。うふふふふふふ・・・

うふふふじゃありませんよう! 小百合さんは、「このカレーのお店はデートスポットとしても有名なのですわァ・・・うふふふふ。。。」と言ったのですよう。

私がですかァ~?

そうですよう! それで、小百合さんは僕に次のウェブページを見せたじゃありませんか!


(neco001b.png)

『実際のページ』

小百合さんは上の赤枠で囲んだ箇所を指差して「ほらねぇ、ここに“デートにもぴったり”と書いてあるでしょう!? うふふふふ。。。」と言ったのですよう。

あらっ。。。 そのような事を私が言ったのですか?

そうですよう!。。。昨日のことですよう! もう忘れてしまったのですか?

だってぇ~、私は自分のスープカレーに夢中になっていたのですもの。。。うふふふふふ。。。

やだなあああァ~、惚(とぼ)けないでくださいよう!。。。しかも。。。、しかも。。。、驚いたことに 小百合さんは「デンマンさんのためにロマンチックなボサノバを演奏していただきますわ」と言ったのですよう。

あらっ。。。 私が、そのような事をマジで言ってしまったのですかァ~?

そうですよう。。。「デンマンさんとも、また来年までお会いできないので、この瞬間を思い出深いものにしたいのですわァ~。 うふふふふふ。。。」と微笑みながら言ったのですよう。

マジで。。。?

やだなあああァ~。。。このような時に冗談や嘘を僕は言いません!。。。忘れようとしても忘れることができません。

それで。。。、それで。。。、私はどのようなボサノバの曲を演奏するようにリクエストしたのですか?

小百合さんは「リオの浜辺を眺めながら。。。スープカレーを食べているような夢心地に浸りたいのですわァ。。。うふふふふふ。。。」と言ったのですよう。


(orphe800.jpg)


(orphe801.jpg)

どうですか?。。。「リオの浜辺を眺めながら。。。スープカレーを食べているような夢心地に浸りたい」と言ったのですよう。 上の写真を見たら思い出したでしょう?

思い出せませんわ。

やだなあああァ~。。。 僕をさんざ、その気にさせておきながら、小百合さんは覚えてないのですかァ~?

覚えてませんわ。。。それで、どのボサノバが流れたのですか?

次の曲ですよう。


(orphe802.jpg)


『スープカレー@行田』より
(2014年11月5日)

あれっ。。。 小百合さんは、マジで「デンマンさんのためにロマンチックなボサノバを演奏していただきますわ」と言ってリクエストしたのですか?

デンマンさんは忘れてしまったのォ~。。。

忘れてませんよ。。。 あの店には生でボサノバを演奏するようなステージはありませんよゥ。

今回は、私が白日夢を見たようですわ。。。 うふふふふふ。。。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

そうですわよねぇ~。。。 思えば、もうお花見の季節でござ~ますわァ~。。。

月日の流れは、本当に“光陰矢のごとし”でざ~ますゥ。

デンマンさんと、つい最近、ご一緒に那須高原へ出かけたと思っていましたのに。。。


(nasu102b.jpg)

紅葉のきれいな那須高原で、「自在荘」に泊まって温泉にも浸かってまいりましたわァ~。。。

うふふふふふ。。。


(jizai08b.jpg)

でも、ちょっとばかり はしゃぎすぎてしまったようでござ~ますう。


(aerobics5.gif)

『衝撃の角度』

デンマンさんに、また得意のアクロバットを見せてしまったのでござ~ますわよう。。。

うふふふふふふふ。。。

ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事



(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『蕎麦屋と軽井沢タリアセン夫人』

■ 『おしまいでございます』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 愛の写真』

■ 『菊ちゃんと阿部忠秋』

■ 『菊ちゃん、知恵伊豆、忠秋』

■ 『丸墓山は誰の墓?』

■ 『外国人SEXデンマン再訪』

■ 『日本最高?』

■ 『短歌に込められた愛の真実』

■ 『3月のバレンタイン』


(fragran11.jpg)

■ 『かぎろいミステリー』

■ 『40代女性の魅惑』

■ 『私のバレンタイン』

■ 『バレンタイン@4月』

■ 『豆まき@バレンタイン』

■ 『夢のココナッツ』

■ 『日本の失敗』

■ 『しじみ@愛のロマン』

■ 『とろけるカレー@バレンタイン』

■ 『バレンタイン夫人』

■ 『昭和の表象空間』

■ 『ズロースなの?』

■ 『焼きそばサンド』

■ 『平成の表象空間』

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『手作り弁当@船着き場』

■ 『盛り上がる@馬車道』

■ 『ゼリーフライ@鐘つき堂』

■ 『愛と憎しみの丸墓山』

■ 『忘れられない!』

■ 『大名行列@行田』

■ 『別れの朝も…』

■ 『婚外恋愛』

■ 『婚外恋愛と人間失格』


(noten15.jpg)

■ 『月夜の美人』

■ 『ふるさと 行田』

■ 『愛の偶然と必然』

■ 『田中角栄と軽井沢』

■ 『うさぎ追いしかの山』

■ 『アブラッソ不在の美』

■ 『ロマンの昔話』

■ 『海を渡ったバレンタイン』

■ 『バレンタインが老人を狂わせた』

■ 『マルちゃん海を渡る』

■ 『銀座からバレンタイン』

■ 『仙台からバレンタイン』


(sayuri201.jpg)

■ 『パリからバレンタイン』

■ 『ジャズ@バンクーバー』

■ 『タイからバレンタイン』

■ 『たまご麺@バレンタイン』

■ 『愛犬とゴッド』

■ 『ザ・バレンタイン女』

■ 『週刊誌deヌード』

■ 『愛と天の夕顔』

■ 『ジェミマおばさんのシロップ』

■ 『夏日に、お帰りなさい』

■ 『コイ、鯉、恋がいっぱい!』

■ 『スープカレーなのね』

■ 『忍城時代まつり』

■ 『夜道のルート66』

■ 『上を向いて歌おう』

■ 『霧積温泉のロマン』

■ 『元気が一番!』

■ 『行田のスープカレー』

■ 『パンツとブラジャーと餃子』

■ 『軽井沢を文学散歩する』

■ 『ばァ~の面影』

■ 『バレンタイン@行田』

■ 『軽井沢タリアセン夫人@遠藤家』

■ 『桃の節句@天国』


(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


(ebay5.jpg)


(byebye.gif)

桃の節句@天国

2017年3月4日

 

桃の節句@天国

 


(momo004.jpg)


(momo003.jpg)


(sayuri201.jpg)


(foolw.gif)

行田の桜土手で一緒に

桜が見られなかったのが残念でした。

きゃははははは。。。


(cherry21.jpg)

日付: Fri., March 3, 2017 1:38 PM
(日本時間:3月4日 土曜日 午前6時38分)
差出人: “denman@coolmail.jp”
宛先: “sayuri@hotmail.com”

母親が天国へ逝ったおかげで 2月に小百合さんと会うことができました。
お葬式は、立派なものでしたよ。

最後に参列した人たちが 白い菊の花を顔の周りに敷き詰めるのですよ。
その後で、遺体の表面にたくさんの花を枝ごと敷き詰めて、花でお棺をいっぱいにするのです。

母親が天国から、その様子を見ていたら、
「ああァ~! とってもきれい! 天国への素敵な旅立ちになったわァ~!」と言って喜んだでしょう!

「私が亡くなっても悲しまないでねぇ~。。。 寿命を全(まっと)うしたのだから、
お通夜でも、お葬式でも、みんなで楽しく 思い出話に花を咲かせてねぇ~」と言っていたものでした。

そのように、通夜でも お葬式の後でも 思い出話に花を咲かせたものです。

奇(く)しくも、桃の節句の3月3日の午後7時に成田を発って、
バンクーバーに着いたのは、日付変更線の関係で3月3日の午前10時40分でした。

3月3日の関東は素晴らしい快晴の天気でしたが
バンクーバーに着いたら どんよりとして小雨が降っていました。
もしかすると、母親のうれし涙かもしれません。。。 (微笑)
気温は7度です。

バンクーバー空港からマンションに帰る途中で、
運転手がいない無人地下鉄電車から降りてバンクーバー中央図書館に立ち寄り、
こうしてメールを書いています。

行田で桜か咲き始めるのは3月25日頃ということです。
天気の良い日に大長寺のそばの忍川の桜を見れば 小百合さんの気持ちもルンルン気分になるでしょう!


(grandma6.jpg)

小百合さんはお袋とも何度か会ったので、
今頃、母親は天国で小百合さんのことを懐かしく思い出しているでしょう!

今回の帰省では、お袋が天国に逝ったのを見届けて本当に安心しました。
今後も僕の胸の中で僕が死ぬまで生き続けるでしょう! (モナリザの微笑)

とにかく、たくさんの楽しい思い出をありがとう。。。

アイリッシュ・クリーム・コーヒーを飲みながら 休憩するときには
次のテーマ曲を聴きながらバンクーバーの空を思い浮かべてねぇ~。。。


(summer42b.jpg)

■「おもいでの夏」のテーマ曲



(sunfla02b.jpg)

■「ひまわり」のテーマ曲



(charade5.jpg)

■「シャレード」のテーマ曲



(part02.jpg)

■「別れの朝」のテーマ曲

では、また会う時まで。。。

じゃあねぇ~。。。


(denman01.gif)


(sayuri55.gif)

デンマンさんのお母さんのお棺に白い菊のお花を捧げることができなかったのが心残りですわァ~。。。


(kato3.gif)

でもねぇ~、生前 小百合さんと会って、いろいろと話ができたことを とても喜んでいましたよ。。。 小百合さんも覚えているでしょう!?

もちろん、覚えてますわァ。。。 去年の12月に次のメールをデンマンさんに出したのですわァ。。。 デンマンさんこそ覚えているでしょう!?


(banzai03.jpg)

日付: Thu, Dec 8, 2016 at 8:09 PM
(バンクーバー時間:12月9日 金曜日 午後0時9分)
差出人: “sayuri@hotmail.com”
宛先: “denman@coolmail.jp”


(sayuri2.gif)

件名:お久しぶりです。

お元気ですか?

\(*^_^*)/

ご無沙汰です。
日本ではデンマンさんが忙しく 
あちらこちらへ出向いていたので
なかなか会えませんでした。

それでも本場のインドカレーを食べたり、
大正時代からやっている「古沢商店」の
行田名物フライや焼きそばを食べたりして
楽しい時間を過ごす事ができました。

久しぶりの「さきたま古墳公園」でも、
素晴らしい秋晴れの空の下で
アイリッシュ・クリーム・コーヒーを1年ぶりに
じっくりと味わうことができました。


(sakitama97b.jpg)

さきたま古墳公園


(sakitama98.jpg)

新レストハウス


(sakitama99.jpg)

その後バンクーバーに戻って元気にやってますか?
お母さんの具合はいかがですか?心配してます。

1年前に「ハートフル行田」でお会いしたときには、
車椅子でしたが、元気な笑顔を振りまいて
楽しそうに語らっていたのが印象深く思い出として残っています。


(grandma6.jpg)

ところで、バンクーバー時間の午後8時頃に、電話しました。
3日ほど続けて かけたのですが
いつもお留守のようなので、もしかして
悲報でも受け取って、急遽 行田にもどったのかな~?
かなり心配になりました。

12月7日に新しいパスポートができ、取りに行きました。
懐かしいバンクーバーにも年が明けたら行けるかもしれません。

バンクーバーも最近、様変わりして、私が知っている街の風景とはだいぶ変わってしまったようです。
いづれ、時間の都合がついたら、ゆっくりと物見遊山に出かけたいと思います。
それでは、お元気で。。。

さゆりより


(sayuri15.gif)

うん、うん、うん。。。 確かに上のメールを受け取りました。。。 母親の様態が悪くなり始めた時期だったのですよ。。。

Subj:小百合さん、おはよう!

元気でやってますか?


(foolw.gif)

Date: Fri., Dec. 9, 2016 4:56 PM
Pacific Standard Time
日本時間: 12月10日 (土)午前9時56分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com

昨日は図書館 閉館5分前に メールボックスを開けたのでゆっくり返信ができませんでした。(苦笑)

今朝はバンクーバーはマイナス3度で、雪が降っていました。
天気予報によると10センチから15センチぐらい積もるとか。。。
でも、ダウンタウンでは、すぐに解けてしまうでしょう!


(vansnow8.jpg)

母親の様態は良くありません。
僕は10月19日に行田に着いたのだけれど、
前日の18日に、行田総合病院へ入院したのでした。

20日に母親の見舞いに行ったら、
意識は はっきりしており、言葉もしゃべれたのですよ。。。
「お荷物になってしまったねぇ~」と、はっきりと言いました。

やはり、家族に迷惑をかけて申し訳ないという気持ちだったのでしょう。
病院から出される食事も食べていたのです。

ところが、3,4日したら脳梗塞になって右半身が麻痺してしまったのです。
入院中に脳梗塞になったので、当然のことながら、僕は担当の吉田医師に文句を言ったのですよ。

この辺の事については記事を書いたのです。

(「また、デンマンさんの悪い癖ねぇ~」、という小百合さんの声が聞こえてきそうです。。。【モナリザの微笑】)

詳しい事は次の記事を読んでみてください。


(baddocs2.jpg)

『行田総合病院と事なかれ主義』

介護施設のハートフル行田で、10月初旬に
母が入浴中に転んで仙骨を骨折したのが、そもそもの始まりで、
当時 僕は行田にいなかったので
担当看護師の瀧澤さんに文句を言わなかったけれど、
上の記事には書きました。

時間があれば、ハートフル行田の所長に会って 
「業務上過失致傷」で裁判所に訴えるというような
強い姿勢で苦情を言うつもりだったのだけれど、
時間がありませんでした。

行田総合病院でも、
脳外科の専門医・波多野医師と病院長に直接会って、
裁判に訴えるつもりで 苦情を言おうと思ったのだけれども、
アポイントをとってもらったら 11月17日だというので、
残念ながら、会うことができませんでした。
僕は11月16日に成田を飛び立ったのです。

そういうわけで、記事を書いたわけです。。。

驚いたことに、僕以外にも 行田総合病院と行田中央総合病院に不満を持っている人が、結構たくさんいるのですよ。。。
だから、僕が書いた記事が、結構読まれているのです。
次のリストを見てください。


(liv61210b.png)

『拡大する』


(nurse3.jpg)

『病院の悪い評判』

上のリストの中に出てくる『病院の悪い評判』が読まれている!

上の記事の下の方に『行田総合病院と事なかれ主義』が書き加えられています。

2つの病院の院長も、そのうちネットで悪い評判が立っていると、誰からか耳にすることがあるでしょう!

とにかく、僕が最後に母を見舞いに行った時には、
目を瞑って、話すことはできずに、おそらく、僕が見舞いにやって来たことも認識できていなかったと思います。

担当の吉田医師に最後に会ったときに、三男の健造と僕と3人で、今後の処置について話し合ったのでした。

僕の意見は、自分が母親のような状態になったら、すぐにでも青酸カリをもらって死にたいのですよ。。。
あのような状態(ほぼ植物人間)で生きていても、僕にとってはまるで生きている意味がない!
だから、なるべく早く苦痛がなく、安らかにあの世で眠ってほしい!

でもねぇ~、三男の健造の意見は違うのですよ。。。
植物人間になったとしても、できるだけ長く生きてほしいのですよ。。。
だから、「高カロリーの点滴をして欲しい」と医者に頼んでいるのです。

僕も医者も“低カロリー”の点滴でいいじゃないか!という意見なのです。
(低カロリーだと 死期が近くなる)

僕は決して無常でも非情でもない!
自分が母親のような状態になったら、早く死にたいというのが僕の本音なのですよ。
だから、できるだけ苦痛がないように、早くあの世に逝って欲しい。

でもねぇ~、考えてみると、3人兄弟で、一番母と長く暮らしてきたのは三男の健造です。
次男の靖史は池澤病院に現在も入院中です。
10年ほど前に3年間入院していた松原病院を退院しました。

母に言わせると、次男の靖史は3人のうちでは一番素直で、心が優しいと言うのです。
高校生の時に先生のイジメに遭って 電車に飛び込み自殺を考えたけれど、
「母ちゃんを悲しませたくないから、飛び込む前に、やめたんだよ」と言っていました。

三男の健造は、20年以上、母親と一緒に暮らしています。
病院にも毎日見舞いに行っていました。
僕は、実家に滞在中 1日おきに見舞いに行ってました。

つまり、三男の健造は毎日一緒に暮らしていたから、
母がこの世から居なくなるという事は、非常に耐え難いのでしょうね。
その点、僕は もう20年以上、母と離れて暮らしているから、
「母の存在」は、すでに心の中にあるのですよ。
だから、母があの世に逝っても、特にさびしいとは思わない!

むしろ、現在のように 母が苦痛の中で、ほぼ植物人間と生きていることは、
僕には(自分に置き換えて)考えただけでも耐えられない!
だから、安らかに眠って欲しいと思う!

でも、三男は 母に できるだけ長く、この世にとどまっていて欲しいのです!
やはり、長いこと 一緒に暮らしていると、
母の存在が身近にないということは 精神的に耐えられないのでしょうね。。。

なぜ、こうして書いてきたのか?

それは、小百合さんと 小百合さんの三男・トモユキ君の事が ダブって思い出されたからです。

たぶん、小百合さんと三男は 長いこと一緒に暮らしてきて、
更に、今後も長いこと一緒に暮らすことになるでしょう!?
小百合さんの老後も、たぶん、三男・トモユキ君と一緒に暮らすことが続くのではないか?
 (神様だけが知っている!)

小百合さんは、まだこの先40年ぐらいは、元気で健康だと思います。
そういう心配は、今、する必要はないけれど、(微笑)
母と三男の健造を見ていると、なんだか小百合さんの老後と
成人した小百合さんの三男・トモユキ君がダブって見えてくるのでした。 (モナリザの微笑)

。。。ということで、小百合さんも、現在の幸せをかみ締めながら、
いつまでも健康で元気にいてください。
そして、1日 1日 ルンルン気分で
後悔のないように ポジティブに暮らしてください。
人間の一生なんて、考えてみれば、とても短いものです!

お互いに、元気で、楽しく、愉快な面を見つめながら、
この人生を大いに、充実したものにしましょうねぇ~
きゃははははは。。。

それでは、冬の寒さにもめげずに、楽しいクリスマスを迎えてください。
じゃあねぇ~。。。


(xmastree2.gif)


(denman01.gif)

そうですわねぇ~。。。人間の一生なんて、考えてみれば、とても短いものですわァ。。。 1日 1日 後悔のないように ポジティブに考えて暮らしてゆきたいものですわァ。

そうです。。。 健康が一番ですよ。。。 だから、お互いに元気で、楽しく、愉快な面を見つめながら、この人生を大いに充実したものにしましょうねぇ~。。。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

確かに、元気が一番ですわァ。。。

でも、やがて、誰もが年取って体が弱ってゆくものです。

だからこそ、元気な今を大切にして、

悔いのない1日1日を だいじにして暮らしてゆきたいものですござ~ますわァ。

あたくしも、悔いのないように毎日を過ごしております。

実は、去年の秋 デンマンさんが行田に帰省した時に、ご一緒に那須高原へ出かけたのですわァ~。。。


(nasu102b.jpg)

紅葉のきれいな那須高原で、「自在荘」に泊まって温泉にも浸かってまいりましたわァ~。。。

うふふふふふ。。。


(jizai08b.jpg)

でも、ちょっとばかり はしゃぎすぎてしまったようでござ~ますう。


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『衝撃の角度』

デンマンさんに、また得意のアクロバットを見せてしまったのでござ~ますわよう。。。

うふふふふふふふ。。。

ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『蕎麦屋と軽井沢タリアセン夫人』

■ 『おしまいでございます』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 愛の写真』

■ 『菊ちゃんと阿部忠秋』

■ 『菊ちゃん、知恵伊豆、忠秋』

■ 『丸墓山は誰の墓?』

■ 『外国人SEXデンマン再訪』

■ 『日本最高?』

■ 『短歌に込められた愛の真実』

■ 『3月のバレンタイン』


(fragran11.jpg)

■ 『かぎろいミステリー』

■ 『40代女性の魅惑』

■ 『私のバレンタイン』

■ 『バレンタイン@4月』

■ 『豆まき@バレンタイン』

■ 『夢のココナッツ』

■ 『日本の失敗』

■ 『しじみ@愛のロマン』

■ 『とろけるカレー@バレンタイン』

■ 『バレンタイン夫人』

■ 『昭和の表象空間』

■ 『ズロースなの?』

■ 『焼きそばサンド』

■ 『平成の表象空間』


(sayuri201.jpg)

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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『手作り弁当@船着き場』

■ 『盛り上がる@馬車道』

■ 『ゼリーフライ@鐘つき堂』

■ 『愛と憎しみの丸墓山』

■ 『忘れられない!』

■ 『大名行列@行田』

■ 『別れの朝も…』

■ 『婚外恋愛』

■ 『婚外恋愛と人間失格』


(noten15.jpg)

■ 『月夜の美人』

■ 『ふるさと 行田』

■ 『愛の偶然と必然』

■ 『田中角栄と軽井沢』

■ 『うさぎ追いしかの山』

■ 『アブラッソ不在の美』

■ 『ロマンの昔話』

■ 『海を渡ったバレンタイン』

■ 『バレンタインが老人を狂わせた』

■ 『マルちゃん海を渡る』

■ 『銀座からバレンタイン』

■ 『仙台からバレンタイン』

■ 『パリからバレンタイン』

■ 『ジャズ@バンクーバー』

■ 『タイからバレンタイン』

■ 『たまご麺@バレンタイン』

■ 『愛犬とゴッド』

■ 『ザ・バレンタイン女』

■ 『週刊誌deヌード』

■ 『愛と天の夕顔』

■ 『ジェミマおばさんのシロップ』

■ 『夏日に、お帰りなさい』

■ 『コイ、鯉、恋がいっぱい!』

■ 『スープカレーなのね』

■ 『忍城時代まつり』

■ 『夜道のルート66』

■ 『上を向いて歌おう』

■ 『霧積温泉のロマン』

■ 『元気が一番!』

■ 『行田のスープカレー』

■ 『パンツとブラジャーと餃子』

■ 『軽井沢を文学散歩する』

■ 『ばァ~の面影』

■ 『バレンタイン@行田』

■ 『軽井沢タリアセン夫人@遠藤家』


(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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