Archive for the ‘国内旅行’ Category

芭蕉と英語

2017年6月26日

 

芭蕉と英語

 


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デンマンさんは、松尾芭蕉が英語をしゃべれたというお話をするのですかァ?


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まさかァ~。。。 僕が知る限り、芭蕉は英語を話したことはないと思いますよ。。。

それなのに、どういうわけで芭蕉と英語というタイトルにしたのですかァ~?

実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

尿前の関

 

南部道遥(はるか)にみやりて、岩手の里に泊まる。

小黒崎・みづの小島を過(すぎ)て、なるごの湯より尿前(しとまへ)の関にかかりて、出羽の国に越(こえ)んとす。

 

この路旅人まれなる所なれば、関守(せきもり)にあやしめられて、漸(ようよう)として関をこす。

大山をのぼつて日すでに暮(くれ)ければ、封人(ほうじん)の家を見かけて舎(やどり)を求む。

三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。

 


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蚤虱(のみしらみ)
 

馬の尿(しと)する
 

枕もと

 

あるじの云(いう)、これより出羽の国に、大山を隔(へだ)て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼(たのみ)て越(こゆ)べきよしを申す。

さらばと云(いい)て、人を頼み侍(はべ)れば、屈強の若者、そり脇差(わきざし)をよこたえ、樫の杖を携(たずさ)えて、我々が先に立ちて行く。

 

きょうこそ必ずあやうきめにもあうべき日なれと、辛(から)き思いをなして後について行く。

あるじの云(いう)にたがわず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇(したやみ)茂りあいて、夜行くがごとし。

雲端(うんたん)につちふる心地して、篠(しの)の中踏み分け踏み分け、水をわたり岩に躓(つまづ)いて、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出(い)ず。

かの案内せしおのこの云うよう、「このみち必ず不要のことあり。恙(つつが)のうおくりまいらせて仕合(しあわせ)したり」と、よろこびてわかれぬ。

後に聞きてさえ胸とどろくのみなり。

 


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Plagued by flears and lice,
 

I hear the horses staling
 

Right by my pillow.

 

Our host told us, “The road from here to Dewa lies through high mountains, ans is so badly marked you had best to get a guide to show you the way.”

“Very well,” I said, and hired one, a strapping young man who wore a scimitar at his side and carried an oaken stick.

He walked ahead of us, and thinking that today we were sure to run into danger, we followed behind.

The road was as our host had described it—through densely overgrown high mountains in which not a single bird-cry could be heard.

It was dark under the trees, so dark that it was like walking at night.

Feeling as though “dust were raining from the edges of the clouds,” we pushed our way through clumps of bamboo-grass, waded across streams, and stumbled against rocks.

At last we reached the town of Mogami, our bodies bathed in a cold sweat.

 

When our guide left us he said happily, “Something unpleasant always happens on this road. I was lucky to have been able to lead you here safely.

To hear such words, even after our safe arrival, made our hearts pound.

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


90-91ページ 『おくのほそ道』
著者: ドナルド・キーン 挿絵(切り絵): 宮田雅之
1997年2月1日 第2刷発行
発行所: 講談社インターナショナル株式会社

この本は芭蕉の『奥の細道』の対訳本ですわねぇ~。。。

そうです。。。 日本語をドナルド・キーンさんが英訳したのですよ。。。

上の箇所のどこにデンマンさんはムカついたのですかァ~?

いや。。。 別にムカついたわけではないのですよ。。。 赤字にした箇所に注目してください。。。


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このみち必ず不要のことあり。

恙(つつが)のうおくりまいらせて

仕合(しあわせ)したり。

Something unpleasant always

happens on this road.

 

I was lucky to have been able to

lead you here safely.

 

日本語を読んだだけでは、いったいどういうことを言っているのか? 。。。よく解らなかったのですよ。。。

それで英語文を読んで初めて何を言おうとしたのかが理解できたのですか?

そうです。。。 ジューンさんは日本語を読んだだけで意味が解りましたかァ~?

なんとなく解ったつもりでしたけれど、英文を読むまでは私もはっきりとは理解していませんでしたわァ。。。

。。。でしょう? 僕は、こういう経験をこれまでに何度もしたのですよ。。。 はっきり言って江戸時代の日本語と、現代の日本語はずいぶん違ってますよ。。。 でも、江戸時代の頃の英語と、現在の英語は、日本語ほど違ってはいないと思うのです。。。 ジューンさんは、どう思いますか?

そうですわねぇ~。。。 江戸時代が始まった頃、つまり、1600年頃の英語は“初期近代英語”と呼ばれているのですけれど、シェイクスピアが使っていた英語ですよねぇ~。

初期近代英語


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初期近代英語は中英語時代の末の1450年頃から1650年頃の英語をいう。

代表的な文献として後期に属するジェームズ王欽定訳聖書およびウィリアム・シェイクスピアの著作が挙げられる。

欽定訳聖書は経典という性格から当時の口語と異なる古風な語法が用いられている。

現代英語しか知らない人でも大体理解できる程度に現代英語に近い。

現在の英語では発音と綴りに若干乖離が見られるが、これは現在の綴りが初期近代英語期のまだ大母音推移が完了していない頃に定められたためである。


出典: 「初期近代英語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『ウィキペディア』の上の説明にも書いてありますけれど、シェイクスピアの作品は現代英語しか知らない人でも大体理解できますわァ~。。。 でも、江戸時代の日本語の本を読めと言われても、わたしには何が書いてあるのか全く解りませんわァ~。。。

そうなのですよ。。。 日本で生まれた日本人でも、江戸時代に書かれた本は読めるかもしれないけれど、まず、意味は解らない。。。 ちょうど、上の箇所のように、現代英語に訳された英文を読んで初めて僕も、その意味が理解できたのだから。。。

つまり、江戸時代が終わって明治時代になってから、日本語はずいぶんと変化したのですわねぇ~。。。

そうですよ。。。 子供の頃、江戸時代のチャンバラ映画を見た時、僕は中国か韓国の昔の時代の事をやっているのかと勘違いしたほどですよ。。。 とにかく、明治維新で何もかもがガラッと変わってしまった。。。 武士は刀も捨て、チョンマゲも切って、西洋人の真似をしてズボンを穿いてステッキを持って歩くようになった。

日本語も明治維新でずいぶん変わってしまったのですか?

そうですよ。。。 江戸時代には、文章は話し言葉では書かなかったのです。。。 明治時代になってから、話し言葉で書こうという人たちが出てきた。

日本語における言文一致


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日本語の古典的な文体である文語は主に平安時代までに完成した。
中世以降、次第に話し言葉との乖離が大きくなっていった。

明治時代には、文学者の中から改革運動(言文一致運動)が起こった。

言文一致小説の嚆矢は、坪内逍遥に刺激を受けた二葉亭四迷の『浮雲』などである。

二葉亭が『浮雲』(1887年)を書く際には、初代円朝師匠の落語を速記法により筆記した、落語家の初代三遊亭圓朝の落語口演筆記を参考にしたという。

また、ツルゲーネフなどロシア文学作品を翻訳した文体も既存の文語からの離脱の試みである。

当時は二葉亭以外にも、多くの作家が言文一致の新文体を模索した。
その中でも、山田美妙における「です・ます」調の試みは、もうひとつの日本語表現の可能性として、小説言語の主流にはならなかったものの、後世へ大きな影響を与えた。
若松賤子が「小公子」の翻訳で試みた「ありませんかった」のような文体も当時の注目を浴びたが、これは受け継ぐものが現れなかった。

しかし、そのころはまだ文語文の作品も多く書かれている。
和歌の塾に通い、古典の教養を持っていた樋口一葉は古文の呼吸をつかった雅文体で「にごりえ」「たけくらべ」などの作品を書いている。

翻訳で言文一致を試みた森鴎外も、「舞姫」や「即興詩人」では文語にもどしている。
評論の分野では北村透谷や幸徳秋水は、漢文書き下しの文体を使って論文を書いていた。
その点では、言文一致の運動がすぐに時代の主流になったわけではなかった。

このような新文体への挑戦は文学の分野で作家たちだけがしていたのではなく、当時の新聞や雑誌記事などでも並行的に行なわれていた。
特に従軍記者による戦地レポートや、速記による裁判の傍聴記録などで、積極的に言文一致の新文体が試みられていた。

その結果、明治末になるとそれらは書き言葉として次第に確立し、一般の文章にも大きな影響を与えるようになった。
自然主義文学の運動も、その普及に一役買った。

しかし、法律の言語は、戦前では文語文を用いて記述されていた。
戦後は口語体となった。


出典: 「言文一致」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

僕のオヤジやお袋が子供の頃は、まだ書き言葉と話し言葉がずいぶんと違っていたのですよ。。。

たとえば。。。?

たとえば、今だったら Butterfly は日本人なら誰もが“蝶々(ちょうちょう、チョウチョ)”と書きますよ。。。 


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てふてふ

 

 

ちょうちょ

 

でも、僕のオヤジが子供の頃は“てふてふ”と書いて“ちょうちょう (チョウチョ)” と読まされた。

じゃあ、オペラの“蝶々夫人”は“てふてふ夫人”と書いたのですわねぇ~。。。 (微笑)


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そういうことですよ。。。 オペラの“蝶々夫人”は“てふてふ夫人”と書いたのです。。。 じゃ、ジューンさんのために日本語のクイズです。。。 次の生物は口語では何と呼ばれているでしょうか?

どぢやう

 


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泥鰌

 


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柳川鍋

 

ドジョウ


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

では、更に あたたのためのクイズです。。。

次の旧仮名遣いは 現代の口語ではどのような漢字で書くことができるでしょうか?

おやかふかふ

 


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親孝行

 

 

ところで、話は変わりますけれど、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ フィーバー”が起こっているのですわよう。。。

ええっ。。。 信じられないというのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよ。


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。
信じてくださいましなァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


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『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、
ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。

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『9日間の女王』

『あなたは敬語?』

『原節子とジューンさん』

『モナリザの妹』

『ナイアガラとマリリンモンロー』

『おばさんパンツ@大晦日』

『ヴィーナスのえくぼ@ジューン』

『乳房振動とブラの研究』

『G線上のアリア』

ジューンさんの熟女下着
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『悲愴と白鳥』

『ブッダと千夜一夜物語』

『絹の道と千夜一夜物語』

『ヤノマミの乙女』

『ジャータカと今昔物語』

『白木屋お熊とセックス』

『パンツを売る乙女』

『床上手な女@マルタ島』

『宮沢りえとおばさんパンツ』

『マチュピチュとインディー・ジョーンズ』

『映画を愛する薄命の女』

『ベニスの騒動』

『アンネとハンナ』

『名器たこつぼ』

『レダの卵を探して…』


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『サモトラケのニケとミロのヴィーナス』

『薄命な女のパンツ』

『ロトの娘たち』

『もう一人のモナリザ』

『万夜一夜の謎』

『自由という誘惑』

『驚異の大洪水』

『おつまみミステリー』

『混浴風景を探して』

『ハレルヤ』


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『マルタ島のロマンだ』

『宮沢りえ人気@海外』

『癒しを奏でるパンツ』

『マルタ島deロマン』

『生ログdeロマン散歩』

『宮沢りえ@クールジャパン』

『混浴風呂ガー』

『ウェルカムバック』

『コペンハーゲンからやって来た』

『ロシアからやって来た』

『海外美女ランキング』

『ブログを解剖する』

『スイスからトランプ見に来る』


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『海外美女を探して』

『パンツde大晦日』

『Tバック@三賀日』

『とっちゃん坊や』

『また千夜一夜』

『初恋の思い出』

『乳房振動とブラ』

『白木屋お熊』

『肥後ズイキ@セルビア』

『紐パン熟女』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
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『美尻のビーナス』

『紐パン熟女に惹かれて』

『あの二人が気になって』

『肥後ズイキ@セルビア』

『私は下着女装です』

『ドリアンを探して』

『パリの日本人』

『ペンタゴン式己を疑う』

『薄命な女と映画』

『ラーメン@ベリーズ』

『うるさい夏』

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


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こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)


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ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ


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ヒシしようよ

2017年6月23日

 

ヒシしようよ

 


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わたしの中の悪いわたし

 


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わたしの中には悪いわたしが棲んでいる。

こましゃくれた子どもはいまも苦手だし、かといって天真爛漫であれば、それはそれでどうもうんざりする。

 

このあいだひどいことがあった。

娘は保育園から帰って、ささやかなおやつを食べていた。

一日園ですごして甘えたかったのだろう。

 


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ビスケットとヤクルトのほかに牛乳がほしい、牛乳をこぼしたから拭いてほしい、拭くのはそのタオルじゃなくてピンクのやつにして、などと次々に要求してくる。

ヤクルトを飲み終わったボトルをさしだして、「これ、かたづけて~」と言ってきた娘に、家事がはかどらずにイライラしていたわたしは、つい「わたしはあなたのメイドじゃないんだからね」と言ってしまった。 (略)

急にわけのわからない理屈をぶつけられた娘はぽかんとした後にしょんぼりし、沈黙が部屋を支配した。

わたしは口にしたとたん「しまった……」と思っているのに、バツがわるくて撤回できず、背を向けたまま夕飯のしたくをつづけた。

……シーン……

トントントントン(包丁の音)

ポリポリポリ(ビスケットをかじる音)

なんとかしなくてはと思いつつ舌がほぐれない。

しばらくすると、「ママ?」と娘が呼んできた。

「ヒシしようよ」

 


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ヒシというのは、彼女の用語で「ハグ」のこと。

「ひしと抱きあう」
という言い回しをどこかで聞いて気に入ったらしく、ぎゅっと抱擁しあうことを「ヒシ」と言う。

わが家では、2歳数か月の子どものほうが母よりずっとおとななのであった。

こういう時ばかりは、わたしの中の悪いわたしは跡形もなく消えてしまう。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


97-98ページ 『孕むことば』
著者: 鴻巣友季子
2008年5月22日 第1刷発行
発行所: 株式会社 マガジンハウス


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デンマンさん。。。 なんだか 私に対する当て付けのようなエピソードを持ち出してきましたわねぇ~。。。


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あれっ。。。 小百合さんも 鴻巣友季子さんのように子どもの前でヒステリーを起こしたことがあったのですかァ~?

台所で夕飯のしたくをしている時などに、子どもがうるさく まとわりついてくる時など ついついムカついて 言わなくてもいい言葉を口走ったりしたことがありましたわ。。。

。。。でしょうねぇ~。。。 僕にも子どもの頃、甘えたいのに母親につっけんどんにされたことがありましたよ。。。

小さな子どもの頃ってぇ、誰にでも同じような経験があるのではありませんかァ~。。。?

でもねぇ~、僕が子どもの頃にはハグをする習慣というのは、全くありませんでしたよ。。。 最近、日本に帰省してテレビを見ていると、アメリカの映画の影響か? あるいは欧米を旅行してハグをするのを見慣れるようになったせいか? 中学生か、あるいは女子高生か? 戸外で女の子同志でハグをしているのを見かけることが多くなったけれど、僕が小学生か中学生の頃には、そのような事は全くありませんでした。。。 小百合さんの子どもの頃はどうでしたか?

やっぱり、ありませんでしたわァ。。。 アメリカ文化の影響だと思いますわァ。。。

僕が小学生の頃だって、テレビでアメリカのホームドラマをやっていたけれど、ハグをするのって、あまりテレビに映ってなかったよな気がするのですよ。。。

私が子どもの頃は、アメリカのホームドラマで たまにはハグを見かけましたけれど。。。、でも、その真似をしてハグする人はいませんでしたわァ。。。

海外で暮らしている人にとっては、ハグはけっこう当たり前ですからね。。。 例えば、ブラジルですよ。。。

アブラッソ不在の美


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日本に住み始めた頃、ここには、ブラジルのアブラッソ(ハグ)の習慣がないことぐらいはすぐに気づきました。
しかし、これを試みると嫌われるとまでは、分かりませんでした。

だから、アブラッソを試みて拒否されると、ずいぶんと傷つき、いやな思いをしたものです。
「心の温かさを伝えたいだけなのに、なぜこの人は逃げるの?」

それは夫との間でも同じでした。
彼との交際が始まり、後に結婚してからも、私はアブラッソをしたかったのだと思います。

でも日本では、人前でベタベタすると嫌われますよね。
ですから外を歩く時など、夫の腕に手を回すだけにしていました。

(略) 東京都町田市にあった夫の実家でしばらく過ごすことになりました。
ある日、夫と腕を組んで歩いていたら、道の向こうから、知人(夫の友人の母親)が私たちのほうに歩いてくるのが見えました。

すると彼は私の腕をぱっ!と振りほどき、通りの向こう側に行ってしまったのです。
なにも通りの向こうのほうにまで行くこともないのにねぇ。

腕を組んで歩くくらいなら東京(新宿など)でも自然にやっていたことですし、オーストラリアでは当たり前でした。
でもそこは、町田。
人出の多い新宿などとは違って、住宅地。
腕など組んでいるカップルは、当時はまだ珍しかったようです。

 


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


47-48 ページ
『悪いけど日本人じゃないの』
著者: 日向ノエミア
2013年5月25日 第1刷発行
発行所: 柏書房株式会社

 

あらっ。。。 アブラッソというのは、ハグのことなのですわねぇ~。。。

そうなのです。。。 小百合さんもハグということが分かって懐かしいでしょう!

私が懐かしがらなければならにことでもあるのですか?

やだなあああァ~。。。 もう忘れてしまったのですかァ~。。。

私が何を忘れたとデンマンさんは言うのですかァ~?

かつて僕が小百合さんに出したメールを読んでみてください。

Subj:小百合さん、おはよう!

きのうは10月だというのに

油蝉が鳴いて

呆れましたよ!

きゃはははは。。。


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From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: Thu, Oct 13, 2011 10:53 am

Infoseekのメールシステムがリニューアルしたので、うまく送信ができなくなってしまったのですよ。

それでAOLのメールシステムを使って送信したのだけれど、これも、うまく送ってくれなかったようです。

このメールはINFOSEEKの旧システムで送ってます。

昨日は小百合さんと会えて十分に楽しみましたよ。
9月30日、館林では時間的なゆとりがなかったのでガストでも、なんとなくせわしい気持ちでダベッたので、なかなか落ち着けなかったようですよね。

昨日は盛りだくさんな1日だったけれど、小百合さんが気分的に落ち着いていたようで、僕ものんびりとできました。


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大長寺の大仏様の前でHよりも感じるハグをしてから東屋(あずまや)でダベッていたら油蝉が飛んできて鳴いたのには驚きましたよ。
ロマンチックというよりも呆れましたよ!
10月12日なのに、夏の気分になって蝉が飛んできたようです。(爆笑)

確かに昨日は10月にしては暑かった。
実家に4時に戻った時には汗ばむほどの陽気でした。23度。
でも、油蝉が鳴くほど暑くはなかった。


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「かねつき堂」のゼリーフライは久しぶりに食べてうまかったですよ。

水城公園で小百合さんがIrish Cream Coffee Beansで入れてくれたコーヒーを飲みながら食べたので一味うまかったのでしょうね。

それにしてもガチョウの“チョウ助”が居ませんでした。


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僕がバンクーバーで暮らしている1年の間に、可哀想にも一人で寂しく亡くなってしまったのでしょう?!

 

小百合さんが久しぶりにマクドでシナモンロールが食べたいと言ったので行田イオン(eaon)モールに行ったのだけれどマクドナルドが無くなっていたんだよね。


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行田市内は寂れる一方ですよ。

どうしてもお客さんが郊外のショッピングモールへ行ってしまうんだよね。たぶん。。。

そう言う訳で17号バイパスのケーヨーD2吹上店へ行きました。


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敷地の南東の隅にマクドナルドがあった。
でも、シナモンロールは、もうやってないとのこと。。。

NHKの「おはよう日本」では、最近、キッシュが日本で流行っているというようなことを言っていたけれど、
ガストにもマクドでもキッシュは置いてない。

キッシュ(仏語 Quiche)


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キッシュは、卵とクリームを使って作るフランス、アルザス・ロレーヌ地方の郷土料理。

パイ生地・タルト生地で作った器の中に、卵、生クリーム、ひき肉やアスパラガスなど野菜を加えて熟成したグリュイエールチーズなどをたっぷりのせオーブンで焼き上げる。
ロレーヌ風キッシュ(キッシュ・ロレーヌ)では、クリームとベーコンを加える。
ナッツ類を加える場合もある。

生地ごと三角形に切って皿に出す。
地中海沿岸の地域でも一般的な料理である。
語源はドイツ語のKuchen(クーヘン)である。


出典: フリー百科事典
ウィキペディア(Wikipedia)』


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仕方なく、マックナギットを頼んでコーヒーを飲みながら一緒につまみました。

“マクドでコーヒーのお代わりなんてできないわよ!”
と小百合さんはいつも言っていたけれど、D2のそばのマクドでもコーヒーのお代わりが無料でできました。
きゃはははは。。。


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明日も、また会えるといいね。
今度は「さきたま古墳公園」で“田舎っぺうどん”を食べましょう。
じゃあね。


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『タリアセン夫人と再会』より
(2011年10月13日)

どうですか?。。。 思い出しましたかァ?

ええ。。。 思い出しましたわァ。。。 つまり、大長寺の大仏様の前でHよりも感じるハグをしたことを私に思い出して欲しかったのですわねぇ~?

いけませんかァ~。。。

そのために、わざわざヒシしようよというタイトルにしたのですかァ?

そうです。。。 いけませんか? 上の本の著者の日向ノエミアさんの両親は日本人なのですよ。。。 でも、生まれがブラジルで24歳の時に日本へ留学するまでは ずっとブラジル育ちだったのです。。。 それで、ハグするのは 至極当たり前の習慣として 日本でも親しくなった人と会ったりすると ついついハグをしようとしたわけです。

すると、ハグする前に日本人から逃げられてしまって、いやな思いをしたというのですねぇ~。。。

そういうことですよ。。。

。。。で、デンマンさんもカナダ暮らしが人生の半分以上を占めるようになったので ハグするのが習慣になったと言いたいのですか?

そうですよ。

つまり、デンマンさんにも 日本へやって来た時に日向ノエミアさんと同じような経験があると言いたいのですわねぇ~。。。?

そうです。。。 そのことでも、かつて記事を書いたのですよ。。。 読んでみてください。


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デンマンさんは次のように書いてましたわね。

今度は古代蓮を見ながら

“Hよりも感じるハグ”をして

再会を喜び合いたいものです。


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確かに、このように書きました。

それでデンマンさんはハグにこだわるのですか?

いけませんか?

だってぇ、デンマンさんのハグは、まるでプロレスの胴締めのように肋骨をギュッと締め付けるのですわ。

まさか。。。?

私はいつも死ぬかと思うほど呼吸困難に陥ってしまうのですわ。

それは、ちょっとオーバーではありませんか?

とにかく、いつ会ってもハグをっするのは、いったいどういうつもりなのですか?

やだなあああァ~、小百合さんが「ハグは素敵ですね」と言ったからですよ!

私がですか?

そうですよ!。。。もう忘れてしまったのですか?

そのような事を言ったかしら?

言いましたよ。。。次の写真を見ながら小百合さんはしみじみと言ったのですよゥ。。。


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つまり、白熊の真似をしてデンマンさんは私に会うとベアハグをするのですか?

いや。。。ちがいますよ!。。。白熊が人間のハグを真似したのですよ!

とにかく、デンマンさんのハグは肋骨が折れると思うほど締め付けが激しいのですわ。

まさか。。。?

だってぇ~、今年も肋骨の1本がボキッと音をたてましたわ。。。肋骨が折れたと私は思いましたわ。

あのねぇ~、僕はプロレスラーじゃありませんよ。 小百合さんの肋骨が折れるほど強烈なベアハグをしませんよゥ。。。 んもおおおォ~!

でも とにかく、肋骨がボキッと音を出すようなハグだけは止めていただけませんか!?

だから、それ程に僕は小百合さんとの再会を喜んだわけですよ。

でも、肋骨が折れるのが心配ですわ。

分かりました。 今度は白鳥を優しく抱きしめるようなハグをしますよ。 うししししし。。。


『タリアセン夫人と再会』より
(2011年10月13日)

あのねぇ~。。。 小百合さんは反応が大げさなのですよ。。。 いくらなんでも小百合さんの肋骨が折れるほど僕は強烈なベアハグなどしませんでしたよゥ。

だってぇ~、肋骨の1本がマジでボキッと音をたてましたわァ~。。。

だから、それが大げさだと言うのですよ。。。 僕には全く聞こえませんでした。。。 第一、僕はプロレスラーじゃないのですよ。。。 それほど強烈に小百合さんを抱きしめるわけがないじゃありませんかァ!

とにかく、私はベアハグされた本人だから、間違いなく脊椎を伝わってきた音が内耳に届きましたわァ。

つまり、それが理由で小百合さんは僕のハグから逃げるようになったのですかァ~?

いいえ、違いますわァ~。

じゃあ、どういうわけで、僕がハグしようとすると逃げるのですか?

デンマンさんは知らないのですか?

何を僕が知らないと小百合さんは言うのですか?

ちょっと次のページを見てくださいなァ。


(tousatsu2.png)

『実際のページ』

あれっ。。。 ハグを盗撮して サイトに貼り出したのですねぇ~。。。

そうですわァ。

つまり、小百合さんと僕がハグをしているのを盗撮されて ツイッターで公開されるかもしれないという不安から、僕がハグしようとすると小百合さんは逃げるのですか?

だってぇ~、デンマンさんのハグは5分から10分ぐらい続くのですものォ~。。。

いくらなんでも それはオーバーですよ。。。 そんなにハグしていたら、僕の腕はしびれてしまいます。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

あなたは どう思いますかァ~?

あなたも銀座で友達と出会った時などに、ハグしますかァ~?

海外では、同性であっても、ハグする人がいるようですわァ~。。。

あたくしは、大和撫子(やまとなでしこ)ですので、どちらかと言えば、おしとやかにお辞儀をして ご挨拶をするのがクセになっておるのでござ~ますわァ~。。。

でも、もしデンマンさんが あたくしの肋骨が折れるほど

ハグしようとなさったら、あたくしはジャイアント馬場の

コブラツイストでお返しをしようと思っていますゥ。。。 うふふふふふふ。。。


(baba01.jpg)

 

ええっ。。。 そんな事はどうでもいいから、何か面白い事を話せとおっしゃるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわ。。。 あたくしが余計な事を言ったので

あなたは、いやな気分になったのでしょうから、

気分直しに、あなたの気分爽快になるように次の曲を聴いてくださいまし。。。


(whitecliff.jpg)

いかがでしたかァ~。。。?

ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。

なぜ。。。?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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(byebye.gif)

行田物語 ケネディ暗殺

2017年6月17日

 

行田物語 ケネディ暗殺

 


(kennedy76.jpg)


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デンマンさん。。。、“ケネディ暗殺”が行田と関係あるのですか?


(kato3.gif)

もちろんですよ。。。 関係がないことを僕が持ち出すと真由美ちゃんは思っているのですかァ~?

でも。。。、でも。。。、ケネディ大統領はアメリカの大統領ですわァ。。。 それに一度も行田市にやって来てないと思います。

確かに、ケネディ大統領は、生涯に一度も行田市にやって来てません…。

それなのに、ケネディ大統領と行田が何か関係あるのですかァ~?

関係あるから、行田物語でケネディ暗殺を取り上げるのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、私ばかりでなく、この記事のタイトルを見てやって来たネット市民の皆様も絶対に関係ないと思ってますわァ~。。。

あのねぇ~。。。 もし、絶対に関係ないと思っていたら、この記事を読みにやって来てませんよ。。。 何か関係あると思ったから興味が湧いて、読みにやって来たのです。

じゃあ、マジでデンマンさんのブログにやって来たネット市民の皆様の期待に沿うようなお話をするのですねぇ~。。。?

もちろんです。。。 期待に添えないような馬鹿らしい話をしたら、もう二度と僕のブログにやって来なくなりますからねぇ~。。。 (微笑)

分かりましたわァ。。。 私もなんだか、期待に胸が膨(ふく)らんできましたわァ。。。 でも、やっぱり、心の片隅でちょっと心配です。。。

あのねぇ~。。。、真由美ちゃんが何も心配することはないのですよ。。。 たとえ、僕の話にネット市民の皆様がガッカリしても、真由美ちゃんをとって喰おうとするような人は居ませんから。。。 (モナリザの微笑)

分かりました。。。 じゃあ、なるべく余計なことは言わないように、細木数子さんのようにズバリと核心を突くように話してくださいなァ~。。。

あのねぇ~、順序良く、なるべく根拠を交えながら解り易く話をしないと、誤解を招いて細木数子のようにテレビ局のお偉方に睨まれて、番組を降ろされてしまうのですよ。。。 だから、僕は誤解を招かないように、この話を聞いたネット市民の民様が、納得するような証拠を示しながら話してゆくつもりなのです。。。 それでいいですか?

分かりましたわァ。。。 では、前置きはそれぐらいにして本題に入ってくださいなァ。。。

じゃあ、まず次の“振袖火事”の記事を読んでみてください。


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“振袖火事”というのは“明暦の大火”のことです。 でもねぇ~、学校の歴史の時間でも、“明暦の大火”と言われると、なんだかピンとこないのです。 だけど、“振袖火事”と言われれば、すぐに“ああァ~、あの振袖をお寺で供養する時に燃やした。。。 その時、強い風が吹いて、それが火元になった大火事だ”と、ピンとくるのですよ。 それほど、このエピソードは一人歩きするほど庶民の間に広まった。

でも、それは幕府のお偉方が江戸の庶民に広めたデマだったと言うのですねぇ~。

そうですよ。 もともと、火元は振袖を供養したという本妙寺じゃない。 菊ちゃんの“ひいおばあちゃん”の、そのまた“ひいおばあちゃん”にあたる、忠秋さんに拾われて育ち、女中をしていた“お菊さん”が忠秋さんの部屋の行灯(あんどん)に火をともしに行った時に、大嫌いなネズミが目の前を横切ったので、ろうそくの火を落としてしまったのです。。。 それがあの大火事の火元だった。


(kiku95.jpg)

お菊さんが畳に落としたロウソクの火が マジで あの“振袖火事”と呼ばれた“明暦の大火”の火元になったのですか?

そうです。。。 当時、阿部忠秋さんは老中。。。、松平信綱さんは老中首座だった。。。 今で言えば、さしずめ江戸政府の首相と副首相のような立場にあった。

忠秋さんも、ホトホト困ってしまったでしょうね。

そうです。。。 だから、二人の間には次のような会話が交わされたのですよ。


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拙者が全責任を負って腹を切り、土地・家屋、所領は幕府に返上いたします。 なにとぞ他の者には罪が及ばないようにしていただきたい。 この件については、左様に御承知していただけると、幸いに存じます。


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いや。。。それはならぬ。

。。。とおっしゃいますと、拙者の家族と縁者、すべての者が処罰されるということでございますか?

いや。。。幕府の老中の屋敷が火元とあっては、阿部殿の家族全員が死罪になったとて済む問題ではござらぬ。

。。。とおっしゃいますと。。。?

阿部殿も御承知のとおり、火事の火元に対しては幕府は厳罰主義で臨んでおります。 それゆえ幕府の老中が火元とあっては、幕府の権威は失墜してしまいます。 先年の“島原の乱”で、幕府の権威はいささか揺るいでしまいました。 今度の江戸の大火事の火元が老中の屋敷とあっては、更に反乱を誘うようなものでござる。

では、一体どうすればよろしいのでしょうか?

拙者に名案があります。。。 確か、阿部殿の屋敷の隣は本妙寺でしたな。。。

左様で。。。

それでは火元は本妙寺といたそう。

しかし、本妙寺の住職が承知いたしますまい。

ご案じなさるな。。。 幕府の方からもいろいろと手を尽くして説得に当たろう。。。 ついては、阿部殿からも、毎年供養料として相当額の寄付をしていただきたい。

金銭で済むものでしたら、住職の納得する額を毎年供養料として差し出す所存です。。。 しかし、どのような原因で火が出たとするのでございますか?

それについても名案があります。 次のような話を拙者の家臣に命じて江戸中に広めるつもりでござる。

江戸の町の一人の少女(17歳)が、偶然見かけた美少年に一目惚れ。
寝ても覚めてもその美少年のことが忘れられず、彼が着ていた服と同じ模様の振袖を作らせた。
その振袖を抱いては、彼のことを思う日々でしたが、恋の病からか、はかなく死んでしまった。

両親は憐れんで娘の棺にその振袖を着せてやった。
棺が持ち込まれた寺で働く男たちが その振袖をもらい受けた。

振袖は男たちによって売られ、別の17歳の娘の物になった。


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ところがこの娘も、しばらくの後に亡くなり、振袖はまた棺にかけられて寺に持ち込まれた。
寺の男たちもびっくりしました。
しかし、そんなこともあるだろうと、またそれを売り、振袖はこれまた17歳の娘の手に渡った。


(furisode0.png)

ところが、この娘もほどなく死んでしまい、振袖は またまた棺に掛けられて寺に運び込まれた。

ここに至って さすがに寺の男たちも気味悪がり、住職に相談。
死んだ娘たちの親も呼ばれて、この振袖を寺で供養することになった。
住職が読経しながら火中に振袖を投じる。

ところが、折しも強い風が吹き、振袖は火がついたまま空に舞い上がり、本堂の屋根に落ちた。
火は屋根に燃え移り、消し止める間もなく次々と延焼、翌日には、江戸城本丸天守閣まで類焼した。


(furisode3b.jpg)

どうですかな、阿部殿。。。 庶民が飛びつくような話だとは思わぬか?

確かに。。。 さすがに“知恵伊豆”と呼ばれるだけあって、松平殿は戯作にも通じておるのですな。 (笑)

とにかく、これ以上幕府の権威を落としたくないのじゃ。。。 そう言う訳で、この一件は拙者に任してくだされ。

“知恵伊豆”の信綱さんは、何が何でも幕府の権威にこだわった。 それに対して忠秋さんは“お菊さん”を死罪にするには忍びなかったので、自分が腹を切って身代わりになろうとした。

そういうことですよ。。。 二人の性格が良く表れているとは思いませんか?

でも。。。、でも。。。、これが史実だとして、この“振袖火事”が“ケネディ暗殺”と どのように関係しているのですか?

だから、“振袖火事”にあたるものが“オズワルド単独犯行説”ですよ。。。 これを広めることによってアメリカ政府と、軍産複合体は“ケネディ暗殺事件”をうやむやに葬り去ろうとしたわけです。

。。。で、アメリカ政府の高官は、どのような会話をしたのですか?

次のような会話をしたのですよ。


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長官、ひどいことになりましたなァ~。。。 この事件をいったいどのように処理するつもりですか?


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あんたも、“タナボタ”でアメリカの大統領になれたわけだ。。。 これまでにもアメリカの大統領が暗殺されたと言うことはあったけれど、まさか第2次世界大戦のあとになってから、アメリカで大統領暗殺がおこなわれるとは、わしも思ってもみなかったよ。 とにかく、アメリカの権威が失墜するかどうかの瀬戸際だから、あんたも、心してかかる必要があるよ。

それで、真犯人は突き止めたのですか?

いや。。。 真犯人のことは、あんたも知らない方がいいだろう。。。

でも、大統領として、私も知る必要が。。。

いや。。。大統領だからこそ、あんたは知らない方がいい。。。 知っている人が増えれば増えるほど、アメリカの権威は失墜するのだから。。。

しかし、“オズワルド単独犯行説”で世間は収まりますか?

収まるか収まらないかは、今後の成り行きしだいさァ。。。 でも、オスワルドがソ連に居たということは、冷戦を絡(から)ませるいい口実になると思うよ。 ソ連の KGB の犯行を匂わせることができるからね。

しかし、長官、暗殺が起きた11月22日から27日までの6日間で行われたギャロップ(Gallup)の世論調査では52%がオズワルドの単独犯行ではなく、グループによる犯行だと。。。つまり、何らかの陰謀があったと主張する者も多いのですよ。

だから、今後、そういう考え方を改めさせるために、我々が努力しなければならないわけさァ。 “オズワルド単独犯行説”で押し通すのだよ。

どのようにして。。。?

実は、FBIの詳細な公式報告をアメリカ国民に公表することで事件の調査を終了するつもりだったのだよ。 ところが、11月25日に テキサス州の司法長官がケネディとオズワルドの死をめぐる事実関係を糾明する査問会議を行うことを発表した。 翌日には、合衆国上院が調査特別委員会を設置することを発表。 そして翌27日には 合衆国下院が独自に特別委員会の設置を発表した。

それだけ、大統領暗殺の衝撃が大きかったということですよ。

まあ、そういうことなのだが。。。 実にやりにくいよ。

しかし、長官、犯人とされたオスワルドが警察署内で殺されるという異常な展開。。。、そして動機も背後関係も一切謎のままですからね。。。、うやむやに済ませるわけにはゆかないでしょう。 だから、一応、長官の意見を入れて、私も11月29日に暗殺事件の調査を大統領直属の委員会を設置して早急に行い、国民の間に広がる疑惑や不安を払拭することに決めたのですよ。

そうすべきだよ。。。 そうすることによって上下両院の独自調査を延期させることができるからね。。。、テキサス州の調査も大統領直属の委員会に資料を提出させるべきだよ。。。

分かりました。。。で、委員長は誰に。。。

連邦最高裁判所長官アール・ウォーレンがいいだろう。。。 彼ならば、何かと操(あやつ)り易いからねぇ~。。。

つまり、FBI長官のフーバーさんは真犯人グループを知っていたのですね。

そうですよ。。。 ケネディ暗殺には2つの陰謀が絡んでいるのです。 ケネディ大統領を暗殺する陰謀。。。それに、ジョンソン大統領直属のウォーレン委員会で真実を隠す陰謀ですよ。

でも、その証拠があるのですか?

もちろん、僕には、証拠となるものには手が届かない。。。 でもねぇ~、状況証拠なら、たくさんありますよ。 まず、ウォーレン委員会で扱われたすべての資料は、1964年に ワシントンDCにある国立公文書館に保管されてしまった。 しかも、それまでに公開されてない資料は75年間、つまり、2039年まで封印されることになった。

どうして。。。?

だから、アメリカの権威を保つためですよ。 もしも、ソ連のKBGが陰謀をめぐらせてケネディ大統領を暗殺したとしたら、75年間も資料を封印する必要など全くないのですよ。

今でも、ウォーレン委員会で扱われたすべての資料は封印されたままなのですか?

いや。。。 “75年間封印される”という理不尽さを 1991年にオリバー・ストーン監督が”JFK”という映画を作って、訴えた。 


(jfk001.jpg)

この映画で、“ケネディ大統領暗殺の陰謀”が、再びマスコミで騒がれるようになったのですよ。

。。。で、政府の高官はどうしたのですか?

映画が公開された翌年(1992年)に、“陰謀説”を掲げてマスコミで騒ぐ民衆をなだめるために「JFK記録に関する法律(the JFK Records Act)」というのを作って、できるだけ多くの資料を公開するようにしたのですよ。

ほとんどすべての資料を公開したのですか?

いや。。。 伏せておくべき資料はやっぱり公開されなかったのです。 2017年までに、公開されることになっているのですよ。 でもねぇ、“ケネディ大統領暗殺研究家”が喉から手を出したいほど欲しい資料 1,171点は CIA によって、今でも封印されているのです。

じゃあ、やっぱり、真の犯行グループがいるのですわね。

いずれはっきりするでしょう。。。

。。。で、デンマンさんは、その犯行グループのメンバーは誰だと思っているのですかァ~?

もちろん、すべてのメンバーについて僕が解るはずがありません。。。 でもねぇ~、その黒幕が誰かは容易に想像できますよ。

その黒幕ってぇ、いったい誰ですのォ~?

ちょっと次の記事を読んでください。

ケネディ政権


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ケネディ政権には、国家の安全保障を委ねられるにふさわしい「最も聡明にして賢明な者たち」が結集しているとされた。
国家安全保障担当大統領補佐官には、ハーバード大学の学長を努めたマクジョージ・バンディが、また国防長官にはフォード社長からロバート・マクナマラが起用された。
「若いながらも、当代切っての」と謳われた逸材が綺羅星のように居並んでいた。

だが、大統領が核戦争の淵に立たされたとき、縋(すが)るようにして頼ったのは、ワシントン政界の奥深く棲むフクロウといわれた老政客(ロバート・ロベット翁)だった。

 (中略)

すでに空軍を中心に軍部は不穏な動きを見せていた。
ペンタゴンでは、キューバへの空爆の準備を着々と進めていたのだった。
大統領の最終的な命令が下れば、直ちに爆撃機を発進できるように空爆目標の選定もほぼ終わっていた。

……主戦論の中核にいたのが、空軍参謀長、カーティス・ルメイだった。
この主戦派は、かつてドイツと日本への戦略爆撃を指揮し、空の英雄と呼ばれていた。
戦後もアメリカ空軍に君臨して、膨大な軍事予算を握り、多数の国防族議員まで要して巨大な政治集団を形成していた。

そのため、ジョン・F・ケネディは、カーティス・ルメイを頂点とする空の制服組を抑えるため、ロベット翁の隠然たる政治的権威を必要としたのだった。

 (中略)

ジョン・F・ケネディは、軍部の空爆論を抑えて、海上封鎖に傾いていった。
キューバへの海上航路を遮断し、ソ連がこれ以上のミサイルを持ち込むことを断じて許さないという決意を示そうとしていた。
だが、空からの奇襲を強く主張する空軍を率いるカーティス・ルメイは、武力行使に同調しない大統領に詰め寄った。

「私は大統領とは違い、キューバを爆撃しても、ソ連がベルリンを攻撃することはないと考えております。
 空爆を断念することは、ミュンヘンの宥和主義とおなじくらい悪しき選択です」

ミュンヘン宥和主義。 ケネディ一族に対して毒を含んだ物言いだった。
1938年のミュンヘン会談で、イギリスはチェコスロバキアのズデーテン地方をヒトラーに分け与えることで一時の平和を保とうとし、それが第二次世界大戦に道を開いてしまったといわれた。
当時駐英大使だったケネディの父ジョセフは、このミュンヘンの宥和主義を支持したと批判されていたからだ。
だが、カーティス・ルメイの挑発をしりぞけて、大統領は海上封鎖に心を決めていた。

「諸君の見解は尊重する。 なぜ、海上封鎖を選択するのか。 それは全面核戦争へのエスカレーションを避けなければならないからだ

ジョン・F・ケネディがこういい残して退席したあと、将軍たちが若き大統領をあしざまに罵る様子が「ケネディ・テープ」に録音されている。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)


107 – 111ページ
『葡萄酒か、さもなくば銃弾を』
著者: 手嶋龍一
2008年6月4日 第3刷発行
発行所: 株式会社 講談社

『シルヴィーとケネディ夫人』に掲載
(2011年6月15日)

主戦論の中核にいたのが、空軍参謀長、カーティス・ルメイだった」と書いてあるけれど、この人物が黒幕ですよ。 「戦後もアメリカ空軍に君臨して、膨大な軍事予算を握り、多数の国防族議員まで要して巨大な政治集団を形成していた」ということですからね。。。

この将軍は自国の大統領まで暗殺するような精神を持った人なのですか?

自分の考えに固執して、例え大統領だろうが、国のためにならないと思えば暗殺も辞さないというタイプですよ。 ウィキペディアにも次のように書いてあります。

カーチス・ルメイ

キューバ危機勃発時には、キューバ空爆をジョン・F・ケネディ大統領に提案したが却下された。
ルメイら空軍首脳部は圧倒的な兵力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。
実際にはキューバ危機の時点ですでにキューバに核ミサイルが数十基配備済みであったことは、第三次世界大戦を招きかねない完全な見当違いであった。

ベトナム戦争では空軍参謀長の任にあり、「(北)ベトナムを石器時代に戻してやる」と豪語して北爆を推進した。
なお、北爆が開始された1965年に除隊した。

退役後

1965年2月に退役。1968年には、ベトナム戦争の推進を支持し、人種差別的な綱領を掲げた前アラバマ州知事、ジョージ・ウォレス大統領候補とともにアメリカ独立党 (American Independent Party)の副大統領候補として出馬するが落選。
1990年10月1日没。

評価

ルメイの行為は、多くの罪の無い民間人を殺戮したことに加え、貴重な文化財(寺院・仏閣・城郭など)を灰燼に帰す結果をもたらしたために、特に対日作戦について、前任者であるハンセル准将と違い、一部政治家、文化財研究家からは強く非難されている。
特に日本では、ルメイは残虐な無差別戦略爆撃の父として評価が定まっている。

右派においてもアメリカに批判的な者の場合、小林よしのりのように、著作で批判的に取り上げる例がある。
また、ルメイに近い戦勝国で計画を進める側の立場にあったマクナマラも『フォッグ・オブ・ウオー』で「勝ったから許されるのか?私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」とも述べている。

しかしルメイの立場から見れば、その戦略はあくまでも戦争において敵の損失を最大化させるという爆撃部隊における合理性と効率を追求したものであるという。


(lemay2.jpg)

ルメイ自身は「アメリカが敗戦するなら自分は戦争犯罪人として処せられる」と述べている。

また、ドイツ本土への爆撃に赴く搭乗員に対して次のようにも述べている。


(atombomb.jpg)

君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まれたとしよう。
そんなときはきっと、何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供のうえに崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ三歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。
正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたのなら、そんなものは忘れることだ。


ドイツ空襲の意見を聞かれて
『戦略・東京大空襲』
E・バートレット・カー著・大谷勲訳

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)

出典: 「カーチス・ルメイ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

どうですか、小百合さん。。。 

でも、黒幕がルメイ将軍だったというのは、あくまでもデンマンさんの推測ですよねぇ~。。。

これまでの状況証拠を見ても、黒幕はルメイ将軍以外には考えられないですよ。

CIAに封印されている 1,171点の資料が 2017年までに公開されれば、解ることですわねぇ~。。。?

いや。。。 解らないはずです。

どうして。。。?

あのねぇ~、前にも言ったように、ケネディ暗殺には2つの陰謀が絡(から)んでいるのですよ。 ケネディ大統領を暗殺する陰謀。。。それに、ジョンソン大統領直属のウォーレン委員会で真実を隠す陰謀ですよ。 だから、黒幕がルメイ将軍であるという証拠は、すでに抹殺されています。。。


『振袖火事とケネディ暗殺』より
(2015年1月29日)

なるほどォ~。。。 デンマンさんのおっしゃろうとすることはよく解りました。。。 でも、上の記事に中には行田が全く出てきてませんわァ!

真由美ちゃんが知らないだけで、実は、老中の阿部忠秋さんは行田とすごく関係がある人なのですよ。。。

阿部忠秋


(tadaaki1.jpg)

 

阿部 忠秋(あべ ただあき)は、江戸時代前期の下野壬生藩・武蔵忍藩主。
(デンマン注: 江戸時代の忍藩が、後に行田市になった。)
徳川家光・家綱の2代にわたって老中を務めた。
同じく老中の阿部重次は従兄にあたる。

 

人物

慶安の変後の処理では浪人の江戸追放策に反対して就業促進策を主導して社会の混乱を鎮めた。
その見識と手腕は明治時代の歴史家竹越与三郎より「(酒井忠勝・松平信綱などは)みな政治家の器にあらず、政治家の風あるは、独り忠秋のみありき」(『二千五百年史』)と高く評価された。

鋭敏で才知に富んだ松平信綱に対し、忠秋は剛毅木訥な人柄であり、信綱とは互いに欠点を指摘、補助しあって幕府の盤石化に尽力し、まだ戦国の遺風が残る中、幕政を安定させることに貢献した。
関ヶ原の戦いを扱った歴史書・『関原日記』(全5巻)の編者でもある。

忠秋は「細川頼之以来の執権」と評せられ、責任感が強く、また、捨て子を何人も拾って育て、優秀な奉公人に育て上げた。
子供の遊ぶ様子を見るのが、忠秋の楽しみであった。

 

略歴

阿部忠吉(阿部正勝の次男)の次男。 母は大須賀康高の娘。
長兄の夭折により家督を相続する。
名ははじめ正秋、寛永3年(1626年)に徳川秀忠の偏諱を拝領し、忠秋と名乗った。

正室は稲葉道通の娘、継室は戸田康長の娘。
息子があったが夭折し、その後も子に恵まれず、従兄の阿部政澄(重次の兄)の子の正令(後に正能と字を改める)を養子として迎えた。

寛永元年(1624年)、父の遺領6000石を継ぐ。
同3年(1626年)加増され、1万石の大名となる。
同6年(1629年)、5000石加増。
同10年(1633年)、小姓組番頭から六人衆(後の若年寄)に転じ、さらに5月5日より老中格に任じられる。
同12年(1635年)、下野壬生藩2万5000石に転封され老中。

同16年(1639年)忍藩5万石。
正保4年(1647年)6万石。
寛文3年(1663年)8万石。
同6年(1666年)老中退任。
同11年(1671年)隠居。
延宝3年(1676年)に死去した。


出典: 「阿部忠秋」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

でも。。。でも。。。、上のエピソードに出てきた“ネズミを怖がる女中のお菊さん”はマジでデンマンさんのお嫁さんになりたかった“菊ちゃん”のご先祖様なのですか?


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もちろんですよ。。。 あのねぇ~、『ウィキペディア』にも書いてある通り、阿部忠秋さんは捨て子を何人も拾って育て、優秀な奉公人に育て上げたのですよ。。。 お菊さんはそのうちの一人だった。

でも。。。、でも。。。、お菊さんは江戸の阿部忠秋さんのお屋敷で奉公していたはずですわァ。。。

あのねぇ~、“明暦の大火”の後で江戸に居るのはまずいだろうということになって、“お菊さん”を小さな時に面倒を見た“お寅さん”というおばちゃんがお勤めを終わった後に忍藩(後の行田市)で隠居していたのですよ。。。 そういうわけで、お菊さんは“お寅さん”の養女となって忍に下って行ったのです。。。

。。。で、その後ずっと忍藩に住み続け、“お菊さん”の子孫の一人が“菊ちゃん”だ、とデンマンさんは断定するのですか?

そうですよ。。。 昔の人は言った者ですよ。。。 “親の因果(いんが)が子に報(むく)い”。。。 真由美ちゃんも聞いたことがあるでしょう?

ありますわ。。。 それが菊ちゃんと、どういう関係があるのですか?

だから、“お菊さん”が“明暦の大火”を起こしてしまったのですよ。。。 老中の阿部忠秋さんと 老中首座の松平信綱さんが話をうまくまとめて、“お菊さん”は何の罰も受けなかったけれど、人の世はやっぱり、何事も無く幸せな事ばかりが続くわけではないのです。。。 昔の人は、気づいていたのです。。。 “お菊さんの因果が子孫に報い”、女性にのみ受け継がれるY染色体に、精神薄弱の因子がやどって、それが“菊ちゃん”に受け継がれたのですよ。。。


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『菊ちゃんとデンマンの心の絆』

(行田物語 猫)

それで、菊ちゃんは精神薄弱児として人生を終えたのですか?

そういうことです。。。 伝説として行田市民の中では、知る人ぞ知る公然の秘密として語り継がれてきたのです。。。

マジで。。。?

だから言ったでしょう。。。 ここまで話してくれば、真由美ちゃんも納得できると思うのですよ。。。 でしょう?

私は、なんとなく、デンマンさんのお話に釣り込まれてしまいましたけれど、このお話を聞いているネット市民の皆様は、私のように素直には信じないと思いますわァ。。。

あのねぇ~、僕の話を聞いて、ムカついた人はコメントを残してくれますよ。。。 だから、真由美ちゃんが心配するほどのことではありません。。。 (爆笑)


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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんの母親は 僕の従妹です。。。

つまり、僕の母親は真由美ちゃんにとって大伯母にあたります。


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僕の母親が亡くなる2年ほど前に真由美ちゃんと一緒に撮った写真です。

ところで、真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

忙しい時間を割いて、真由美ちゃんも僕の母親の葬式には参列してくれました。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー


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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


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『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


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『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』

『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』


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映画とロマン@仙台

2017年6月15日

 

映画とロマン@仙台

 


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デンマンさん!。。。今日は仙台での映画とロマンのお話でござ~♪~ますか?


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そうです。。。 いけませんかァ~?

でも。。。、でも。。。、どうして急に仙台での映画とロマンのお話をする気になったのですかァ~?

あのねぇ~、実は、仙台に住んでいる中原さんがコメントを書いてくれたのですよ。。。


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中原 Says:

2017年6月13日 4:17 AM | 返信する 編集

 

「松島」で思い出しました。

旧・宮城第一高女の校歌。作詞者名は未確認。

 

 

すすむ学びのみちのおく

千代てふ文字にちなむ郷

業の成る日をまつしまの

まつかひもはや千賀の浦

これわが校のものとして

他に 優れし ところなり

 

 

仙台の由来は千代

掛詞の妙も鮮やかな、美しい校歌です。

デンマンさまの、最近ブログ記事内容にそぐわず、申し訳ありません。
何かの参考にしていただければ幸いです。
長文のコメントをお許しください。

その昔、私は、宮城一女(宮城県第一女子高等学校)に学ぶ美少女に恋した。
宮城一女は、宮教大(旧東北大学教育学部)合格者数のトップ高であり、東北大学合格者数も多かった。

生徒会の発案で制服を自由にした。
バス通学で見かけた少女は、青の上着に赤のスカート。
みどりの黒髪は美しく光り輝き、洋書「老人と海」に読みふける高校一年生の顔立ちは、清潔で幼く、可愛かった。

ハワイ出身のアイドル、アグネス・ラム激似の美少女は、二浪後、東北大学医学部に合格。
卒業後、関東にある医院の御曹司に女医兼妻として嫁いだが、離婚。

その後、熱心な求愛にほだされて、年下の医学研究者と再婚。
現在彼女は、脳神経学系の権威として指導者的立場にある。

宮城一女は現在、共学の宮城県宮城第一高等学校になっている。
その昔は宮城第一高女(宮城県第一高等女学校)で、
校舎は、青葉区八幡1丁目(旧・中島丁)でなく仙台市の中心部にあった。

昭和20年7月の仙台空襲で建物は焼失した。
昔も今も変わらぬ、荘重なメロディの校歌が懐かしい。

私は、戦前の宮城第一高女を舞台に、一少女の物語を書きたいと願いつつ、結局果たせなかった。

以下は、校歌の(ピアノによる)メロディのみ。


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denman705 Says:

2017年6月13日 10:51 AM | 返信する 編集

 

コメントありがとうございます。
宮城一女の美少女に恋したとのこと。。。
きっと素晴らしい女性だったことでしょう!

アグネス・ラムは、当時の私にとってアイドル的存在でした。 (微笑)


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中原さんのコメントを読んで私も宮城三女の乙女と

仙台駅前の「日の出」映画館に

映画を見に行ったことを思い出しました。

 


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もう、その映画館はなくなってしまったとか。。。
残念です。。。

でも、思い出は私の記憶に焼きついています。

中原さんのコメントを読んで、以前書いた記事が

よみがえってきました。


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『杜の都の映画』

 

タイトルは『杜の都の映画』という長い記事ですが、
画像が消えているので、さっそく更新しようと思います。

この事でまた記事を書けると思います。

コメントありがとうございました。。。
では、仙台の初夏を楽しんでください。。。


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『車掌さんの松島音頭』のコメント欄より
(2017年6月13日)

あらっ。。。 中原さんが宮城一女の美少女に恋したというコメントを読んで、デンマンさんは宮城三女の乙女と仙台駅前の「日の出」映画館に映画を見に行ったことを思い出したのでござ~ますかァ~?

そうなのですよ。。。

それで、中原さんに対抗してデンマンさんは宮城三女の乙女の思い出を語るのでござ~ますかァ?

そうです。。。 いけませんかァ?

ぜひ伺いたいですわァ~。。。 デンマンさんが破廉恥な真似をして可憐な恋は破滅に追い込まれたのでしょう?! うふふふふふふふ。。。

卑弥子さんは“他人の不幸は蜜の味”だと思い込んでいるようだけれど、そういうことだから京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」という格調高い演題で講義しているにも拘(かかわ)らず教え子の腐女子たちに次のような画像をネットで公開されてしまうのですよ。。。


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デンマンさん! んもおおおォ~。。。! 一生懸命に結婚のお相手を探しているのに あたくしを前にして、どうして上のような誹謗・中傷のお写真を貼り出すのでござ~ますかァ?  

だから、他人の不幸を期待すると、このような“しっぺ返し”を受けるのですよゥ。。。

分かりましたわ。。。 あたくしの言い過ぎでござ~ましたわァ。。。 では、デンマンさんのお話を素直にお聞きしますゥ。。。 その乙女とは、どのようにして出会ったのでござ~ますかァ?

以前にも書いたけれど、僕は仙台の南の方にある富沢金山と言う所に下宿していたのですよう。 まだ政令都市になる前で仙台市富沢金山という住所でした。

現在は、どうなっているのでござ~♪~ますか?

調べたら、仙台市太白区富沢金山になっています。 僕の下宿のすぐ裏が三神峯山になっていて、そこが宮城県では有名な桜の名所になっているのですよう。


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そんな山奥に下宿していたのでござ~♪~ますか?

三神峯山と言うと高い山を想像するかもしれないけれど、ちょっとした丘ですよう。 決して山の奥に住んでいたわけではありません。 そこは「三神峯公園」になっているのです。 仙台駅からバスで30分ほどです。

桜の季節には、大勢の人が繰り出すのでござ~♪~ますか?

天気が良い4月の週末ともなれば、足の踏み場がないほどにぎわって、花見の宴会で歌って踊って大変でしたよう。ソメイヨシノ、楊貴妃、吉野桜など、33種類、約550本の桜があるのですからね。。。

あのォ~。。。2018年には秋ではなくて春に日本へ帰省しませんか? あたくしはデンマンさんと仙台へ行ってみたくなりましたわ。 その時には「三神峯公園」へデンマンさんとご一緒にお供したいですわァ。

う~♪~ん。。。考えておきますよう。

それで、「三神峯公園」が映画と関係あるのでござ~♪~ますか?

直接は関係ないのです。。。 僕の下宿の脇の道をさらに10メートルぐらいを登ってゆくと恵子さんの家があるのですよう。

その恵子さんが宮城三女の乙女ですかァ?

そうです。。。

宮城県第三女子高等学校

 

宮城県第三女子高等学校は、宮城県仙台市太白区門前町にある県立の女子高等学校。
略称は三女。ナンバースクールの一員。
宮城一高や男子ナンバースクールとは異なり、制服が指定されている。

地元では、宮城一女(現・宮城一高)、宮城二女、三女を評して
「頭の一女・顔の二女・身体の三女」と言われることがある。

他の女子ナンバースクールは近隣に男子高が存在するのに対し、三女の近くにはない。ただし1962年まで仙台商業高等学校が隣接していたほか、現在は宮城県仙台南高等学校(共学校)が付近にある。

2010年に共学化される予定である。
宮城県教育委員会から共学化の提案について、同窓会などで議論となっている。
また、以前行われた全校集会での共学化賛成・反対の投票では99%が共学化反対の意を表明している。

沿革

1924年 – 宮城県第三高等女学校設立
1946年 – 学制改革により5年制
1948年 – 学制改革により宮城県第三女子高等学校となる
1950年 – 男女共学制を実施
1952年 – 男女共学制を廃止
1953年 – 従来の校舎を宮城県第一女子高等学校と併用
1955年 – 新校舎起工
1957年 – 現在地に移転、現在の校旗・校歌制定

校訓

自立 聡明 敬愛

設置学科

全日制 普通科

部活動

音楽部

本校の音楽部は全国でも有名であり、大会では好成績を修めている。
音楽部という名称ではあるが、「合唱」専門である。
また、2003年度の菓匠三全のCMに朝海ひかると出演したり、森山直太朗の代表曲「さくら」で共演し、同氏のCDのカップリング曲「さくら(合唱)」でバックコーラスとして収録されたりと活躍は大きい。

体操部

体操部という名称ではあるが、実質は「新体操」である。
練習環境は決して恵まれていないが、実力は全国レベルのインターハイ常連校。
個人演技の得点はずば抜けて高いとは言えないが、団体演技は見るものを圧倒する。

体育祭

年2回行われるイベント。仮装しての行進もある。
また、綱引きにおいては近所の郡山餅屋の大福をめぐり争奪戦が行われ戦死者がでることがある。

著名な卒業生

小池真理子 – 直木賞作家
我妻佳代 – アイドル(おニャン子クラブ)
朝海ひかる – 元宝塚歌劇団雪組男役トップスター(在籍歴あり)
葛岡碧 – ファッションモデル
酒井瑛里 – 女性アイドル(美少女クラブ31)


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

。。。んで、その恵子さんはデンマンさんのガールフレンドだったのでござ~♪~ますか?

いや。。。 まだ、そこまで発展していませんでした。。。 当時、恵子さんは宮城三女に通う高校三年生だったのですよう。 僕が上の説明の中で赤字にしたところを注目してください。

 


「頭の一女・顔の二女・身体の三女」

綱引きにおいては

近所の郡山餅屋の大福をめぐり

争奪戦が行われ戦死者がでることがある。

 

そうなのです。。。 恵子さんは女性としては実にたくましい女の子だったのですよう。 僕よりも背が高くて、体格だってよかったのですよう。 たぶん170センチ以上あったのではないか? 「身体の三女」とは、よく言ったものですよう。 恵子さんは女子プロレスラーになっても見劣りがしないように見えました。

。。。んで、その恵子さんがスカウトされて、あたくしも知っているような有名な女子プロレスラーになったのでござ~♪~ますか?

違いますよう。。。 そう、先を急がないでくださいよう。

。。。んで、デンマンさんは恵子さんと、どのように知り合ったのでござ~♪~ますか?

僕も恵子さんも仙南バスで通っていたのです。 夜型の僕も1年生、2年生の時には、結構、真面目に朝起きてバスで通学していたのです。

それで。。。?

バスには門前町経由と長町経由があったのです。 今から考えれば門前町経由と言うのは宮城三女の学生のためにあったようなものでしたね。

つまり、宮城三女の女学生がたくさん乗るのでござ~♪~ますか?

確かに、長町経由よりも門前町経由の方が女学生は多かったです。

それで、デンマンさんは、わざと門前町経由のバスに乗って女学生をヤ~らしく眺めながら通学したのでござ~♪~ますか?

うへへへへ。。。 それ程意識してはいませんでしたけれどねぇ~。。。

。。。で、どのようなきっかけで知り合ったのでござ~♪~ますか?

僕と恵子さんは時々、スーパーマーケットの前にある富沢のバス停でかち合う事があった。 実は、恵子さんを初めて見たのは、そのスーパーマーケットだった。 「ピンキーとキラーズ」で一頃、歌謡界を風靡した「恋の季節」を歌ったピンキーこと、今陽子さんに似ていたのですよ。

今陽子 (こん ようこ)


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1951年11月1日生まれ。
愛知県東海市出身の歌手、女優。
本名は、今津 陽子(いまづ ようこ)。
身長168.7cm。

幼少期より洋楽に造詣を深める。
1966年上京していずみたくに師事し、1967年、15歳でビクターレコードよりソロ歌手として「甘ったれたいの」でデビューしたが全く売れず。

1968年キングレコードに移籍後、ピンキーとキラーズのヴォーカリスト・ピンキーとして「恋の季節」「涙の季節」がブレーク。
歌謡賞を数多く受賞するとともに、主演として映画「恋の季節」(1969年、松竹)も製作された。

1972年ピンキーとキラーズからソロに転向。
近年は歌手活動のほかにも女優業に進出し、ドラマ、舞台などで活躍中。

1981年3月から1982年2月の間、ダンス、歌、英会話等の勉強の為、単身ニューヨークへ留学。
ブロードウェイのミンスコフ劇場で「SAYONARA」の主役オーディションを受け、合格するが、ミュージカルそのものが上演されず、出演には至らず。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

僕が高校生の頃に、「恋の季節」は大ヒットした。

その今陽子さんに、恵子さんはマジで似ていたのですか?

そうなのです。 今陽子さんも背が高い。 しかも、体格もいい。 買い物をしていた恵子さんはタイツスカートを穿いていたので、女子校生には見えなかった。 僕よりも年上の社会人に見えたのですよう。 しかも、腰の辺りがムッチリとした感じで、“ああぁ~~、いい尻してるなあぁ~”と、思わず見とれてしまったのです。


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この写真のシャロンさんのように、ぴっちりとしたタイトスカートに、いかにも形の良い魅力的な尻が僕の目を惹きつけた。

デンマンさんは、女性を見るときに、まずお尻を見るのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。僕は、女性の尻にこだわっている訳ではないですよう。 あのねぇ~、目の前を歩いている女性がタイツスカートを穿いていれば、見たくなくとも自然にタイツスカートにぴっちりと包まれている尻が目に入ってしまうものです。

見なければいいでしょう?

そう言う訳にはゆかないのですよう。 高校1年生の時にヌードをデッサンした僕にとって、女性の美しさは尻にも宿っていると、現実の世界でも、しみじみと実感したのですよう。


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“The first impression is

a lasting impression.”

 

英語では、このような事をよく言うのだけれど、人に会った最初の印象は、なかなか消えないものですうよう。実は、シャロンさんの素敵な尻を見るよりも恵子さんのムッチリとした尻を見た方が先だった。 だから、20年ほど経ってからバンクーバーでシャロンさんの魅力的な尻を目にしたとき、“あぁ~、仙台の恵子さんは、今頃どうしているだろうか?”。。。僕は、突然閃(ひらめ)いたように、そう思ったものですよう。 うしししし。。。

前置きは、もうその程度で結構ですわ。。。んで、その後、どうなったのでござ~♪~ますか?

僕は恵子さんが社会人で、もしかすると結婚しているのではないだろうか? そう思ったほどですよう。。。 そうしたら、ある朝、バス停でバスを待っていた時に、恵子さんがセーラー服を着て現れたのですよう。


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この写真が、その時デンマンさんが受けた恵子さんの印象ですか?

そうですよう。 僕は、もう、度肝を抜かれて、ビックリしましたよう。

どうせ上の写真はデンマンさんがコラージュして、でっち上げたのでしょうけれど、ちょっと高校3年生の女学生にしてはフケすぎていますわよう。

そうでしょう?! だから、その時の僕の驚きを察してください。 こんな感じに見えたのですよう。 結婚してるかもしれないと思ったほど、恵子さんが大人っぽく見えたのに、実は高校3年生だったのですよう。

。。。で、デンマンさんは、ずうずうしく声をかけたのですか?

まさかぁ~。。。 僕は20代の頃は女性に対して、とっても消極的だったのですよう。 まだ一度も言葉を交わした事もない女性に声をかけるなんて、僕にはとてもできない仕業(しわざ)でしたよう。

そのような事をマジで信じるわけにはゆきませんわ。。。んで、デンマンさんは恵子さんと、いつ言葉を交わしたのでござ~♪~ますか?

バスは混んでいました。 とても座れない。 たまたま彼女と隣り合わせになって僕は緊張していたのでしょうね。

たまたまではないでしょう?! デンマンさんのことだから、他の人を押しのけてまでも、恵子さんの隣に行ったのでしょう?

たぶん。。。 無意識のうちにそうしたのでしょうね。 うしししし。。。

。。。んで、どうしたのですか?

やはり緊張していたのですよう。 僕は教科書2、3冊とノートを数冊ほど小脇に抱えていたのですよう。 バスの揺れは時には激しい事がありますからね。 急な揺れに僕は、教科書とノートをバラバラと落としてしまったのですよう。 普通だったら女子高生は、そういう時に知らん振りしていると思うのですよう。 ところが恵子さんは違ったのですよう。

 

宮城三女 校訓

 

自立 聡明 敬愛

 

やっぱり宮城三女で3年近く勉強したから、校訓が身についていたのかもしれませんよう。 恵子さんは“敬愛の心”を忘れなかったのですよう。

校訓なんてぇ~。。。そんなものは。。。、そんなものは、最近の女子高生は屁とも思わないのでござ~♪~ますわよう。 んもおおおォ~~。。。

だから、20年前の女子高生は違っていたのですよう。

そのように一般化しないでくださいませ。。。 たぶん、他の皆様に無視されたので、恵子さんはデンマンさんが哀れに。。。可哀想になったのかもしれませんわァ。

とにかく、恵子さんは僕と一緒に拾ってくれたのですよう。

“どうもありがとう”。。。僕は、そう言うのが精一杯でしたよう。 とにかく、僕よりも背が高いのですからねぇ~。。。 どう見ても170センチ以上あるのですよう。 しかも、香水をつけているわけではないのだろうけれど、仄(ほの)かに甘い香りが僕の鼻腔をくすぐって、僕はもう、心臓がドキドキしてきたものですよう。

。。。んで、それだけですか?

違うのです。 僕はもう気が動転してしまっているのに、恵子さんは涼しい表情を浮かべて、パッチリとした眼を僕に向けて言ったものですよう。

“教育学部ですか?”

ん。。。? 教育学部。。。? なんでぇ。。。?

僕が不思議そうな表情を浮かべているのが彼女にもすぐに分かったのでしょうね。

“教育原論というタイトルが見えましたわ”

宮城三女 校訓にも書いてあるように、恵子さんは聡明なのですよう。

誰だって教科書のタイトルを見ればその程度の推測はできるものですわよう。

僕は数年後に仙台商業高校で教育実習することになるのだけれど、「教育原論」がきっかけになって、僕は恵子さんと話すようになったのです。

。。。んで、デンマンさんは工学部なのになぜ教育原論などを選択したのですか?

高校の先生になれる免許が取れるというので、それならば取っておこうと思ったのですよう。 人生の間口を広げるためですよう。 教員免許を持っていれば喰いっぱぐれが無いと思ったのですよう。 授業料は変わらないのだから免許を取れるものなら取っておいた方が得でしょう。 ウへへへへ。。。

。。。んで、今日のタイトルは映画ですから、恵子さんをデイトに誘ってポルノでも見に行ったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~。。。、いくらなんでも、初めっから日活ロマンポルノは無いでしょう!

冗談ですわよう。。。 んで、何を見に行ったのでござ~♪~ますか?

『ベンハー』ですよう。

ベンハー


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『ベン・ハー』(Ben-Hur: A Tale of the Christ、副題『キリストの物語』)とはアメリカのルー・ウォーレスが1880年に発表した小説である。

1880年11月12日、ルー・ウォーレスの発表した小説『ベン・ハー』はたちまちアメリカで大ベストセラーとなった。
小説はフィクションであるが、イエス・キリストをはじめ『新約聖書』ゆかりの人物たちを織り交ぜた構成だった。
小説『ベン・ハー』のこの発行部数記録が破られることになるのは1936年の『風と共に去りぬ』を待たねばならない。
この小説はすぐに舞台化され好評を博したため、何度も上演された。
やがて映画の時代が訪れると『ベン・ハー』の最初の映画化がおこなわれた。

戦車競走のシーンはあきらかにソポクレスの悲劇『エレクトラ』の劇中のオレステスの守り役による戦車競走と事故死の虚偽の報告から多くの着想を得ている。

 

あらすじ

ローマ帝国支配時代のユダヤ人貴族ユダ・ベン・ハーの数奇な半生にイエス・キリストの生涯を交差させて描く。

紀元26年、ローマ帝国支配時代のユダヤにローマから一人の司令官が派遣される。
彼の名前はメッサーラ。
メッサーラは任地のエルサレムで幼馴染のベン・ハーとの再会を喜び合う。
ベン・ハーは貴族の子でユダヤ人とローマ人ながら2人は強い友情で結ばれていた。

しかし、2人の立場はエルサレムでは支配者と被支配者。
そのことが2人の友情に亀裂を生むことになる。
その折も折、新総督が事故にあいそうになる事件が起きたことで、ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の濡れ衣をきせられ、家族離散、自身は当時奴隷以下の扱いであった罪人におとされるという憂き目にあう。
護送中、苦しむ彼に一杯の水をくれた男がいた。
その男こそがイエス・キリストであるということをベン・ハーはまだ知らなかった。

罪人としてガレー船のこぎ手(番号で呼ばれ、船が沈没すれば捨てられる捨て駒である)とされたベン・ハーは海戦において司令官の命を救うという大殊勲をあげ、彼を見込んだ司令官の養子にまでとりたてられる。
戦車競走の新鋭としても注目されることになり、ユダヤへ戻って家族を探していたベン・ハーは母と妹が死んだという報に涙し、メッサーラへの復讐の鬼と化した。

やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。
激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。

 

1907年の映画

1907年につくられた最初の映画はわずか15分のサイレント映画であった。
短編ながら以降の『ベン・ハー』と同じく、戦車競走を中心にしていることで興味深い。
監督はカナダ人のシドニー・オルコットであった。
制作会社は映画化料をめぐって原作者のウォーレスの遺族から訴えられている。
このような事態は以後、小説の映画化において何度となく繰り返されることになる。

 

1925年の映画

2度目の映画化は1925年、ラモン・ノバッロがベン・ハーを演じたサイレント映画である。
これが大ヒットとなった。
サイレント映画ながら前代未聞の390万ドルという未曾有の制作費が投下された大スペクタクル映画であった。
群集の場面では実に12万人ものエキストラが動員されている。

戦車競走の場面のフィルムの長さは全長60kmにも及んだが、編集されて229mになった。
この戦車競走の場面こそが1959年版『ベン・ハー』の戦車競走シーンのモデルとなり、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のポッドレースの場面の元ネタとなったのである。

メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)によって製作されたこの映画は1925年の大ヒットとなり、550万ドルというサイレント映画史上第3位の興行収入を稼ぎ出している。
あまりの人気に1930年代に入ると音声がついたバージョンも公開されている。

1959年の映画

詳細はベン・ハー (1959年の映画)を参照

1959年に公開された名匠ウィリアム・ワイラー監督の『ベン・ハー』は知名度や世界的な名作としての評価においてその揺るぎない地位を獲得した。
同年アカデミー賞にて11部門を獲得。


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あたくしも DVD で観ましたわ。 感激いたしました。 デンマンさんは、この映画を恵子さんに見せて女心を射止めようとなさったのでござ~♪~ますか?

そこまで計算していた訳ではありませんよう。 とにかく有名な映画ですからねぇ。 これならば、恵子さんと一緒に見ても問題ないと思ったのですよう。

それで、恵子さんの反応は。。。?

でもねぇ、問題が生じたのですよう。

どのような。。。?

前の晩に僕に電話がかかってきたのですよう。

行けないと。。。? デイトのキャンセルでござ~♪~ますか?

違うのですよう。 「クラスメートを一人連れて行きたいのだけれどいいでしょうか?」。。。そう、言うのですよう。

つまり、映画を見終わった後でデンマンさんがヤ~らしい事をするかもしれないと思ってボディーガードですわね? ォほほほほ。。。

違いますよう。 んもおおおォ~~。。。 そんなんじゃないのですよう。 一緒に映画を見たいと言うのはクラスメートでも、親友だと言うのですよう。 映画を見に行く日に、その親友からも一番町のブティックに行こうと誘われ、断わる理由に僕とのデートのことを正直に話したと言うのですよう。 そしたら、一緒に見に行きたいと言ったらしいのです。

。。。んで、デンマンさんは承知したのでござ~♪~ますか?

仕方が無いでしょう。。。正直言うと、僕はイヤだと言いたかったのですよう。 せっかく、恵子さんとの初めてのデートですよう。 僕だって期待にワクワクしているのですよう。 映画を見終わった後で、いろいろと予定がありましたからねぇ~。。。

ラブホに行くとか。。。?うしししし。。。

卑弥子さん! 悪い冗談を言わないでくださいねぇ~。。。 相手は花も恥らう高校3年生ですよう。

最近の高校3年生は、ラブホなど平気でござ~♪~ますわよう。 中学生の頃からラブホに行くミーハーも居るほどでござ~♪~ますから。。。

あのねぇ~。。。20年前は、高校3年生は純情だったのですよう。。。 宮城三女の校訓を見てくださいよう。

 

宮城三女 校訓

 

自立 聡明 敬愛

 

そうゆう校訓は、最近のミーハーにとって、キモい以外の何モノでもないのでござ~♪~ますわァ。。。 屁のツッパリにもならないと考えているのでござ~♪~ますわ。ォほほほほ。。。

あのねぇ~。。。卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授ですよう。 女子大学でも宮城三女の校訓を教え込んでくださいよう。 これからの日本を背負う子供たちの母親になる人たちですよう。 屁のツッパリにもならないと、ラブホに行って遊んでいたら、日本の将来がありませんよう。

分かりましたわァ。 デンマンさんが日本の将来について、それ程までに心配なさるのであれば、あたくしもせめて屁のツッパリになる程度に女子大生に教えようと思いますわ。う しししし。。。んで、当日、恵子さんの親友は現れたのでござ~♪~ますか?

僕はねぇ、恵子さんの親友が風邪でもひいて寝込むか。。。 朝、腐りかけた卵でも食べて、下痢がひどすぎて出てこれないか。。。彼女が乗ったバスが途中で事故を起こして間に合わないとか。。。そういう事を願っていたのですよう。

でも、そうゆう時に限って、すべての事がうまく運んでデンマンさんと恵子さんは二人きりになれないものなのでござ~♪~ますわよねぇ~。

そうなのですよう。 彼女がやって来た時には、僕はうんざりしましたよう。

つまり、恵子さんと二人だけの大切なデートが、もう一人の女学生によって台無しになったのでござ~♪~ますわねぇ。

ところが、そうではなかったのですよう。

どう言う事ですか?

やって来た彼女を見て僕はちょっと信じられないような驚きで心臓がドキドキしてきたのですよう。

どうしてでござ~♪~ますか?

僕のアイドルのラムちゃんに良~く似ていたからですよう。

アグネス・ラム

Agnes Nalani Lum


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愛称 ラムちゃん
生年月日 1956年5月21日
出身地 アメリカ合衆国・ハワイ州
民族 中国系アメリカ人
公称サイズ(1975年時点)
身長 / 体重 158 cm / 46 kg
BMI 18.4(低体重)
スリーサイズ 90 – 55 – 92 cm
アメリカ用表示
身長 / 体重 5′ 3″ / 101 lb
スリーサイズ 35 – 22 – 36 in

アグネス・ラムは、1970年代後半に日本で活躍したハワイ出身の中国系アメリカ人。
1975年に初代クラリオンガールに選ばれ、つぶらな瞳、日焼けした肌、豊かな胸(巨乳という言葉は未だなかった)、愛くるしいルックスなどで一世を風靡した。

アイドルといえば歌手活動がメインというのが常識だった時代に、グラビアを中心とした活動を行った。
元祖グラビアアイドルと呼ばれる存在である。

1976年にシングル『雨あがりのダウンタウン』をリリースし歌手デビューも果たす。
同年以降何回か、NHK紅白歌合戦に応援ゲストとして出場。
加山雄三主演の『帰ってきた若大将』(1981年)にもゲスト出演した。

80年代後半に、幼なじみと結婚し二人の息子をもうけた。
1996年にダイハツのパイザーの新型車CMキャラクターとして、子供と一緒にテレビCMに登場。

CMでは人気絶頂の時期とあまり変わらない体型を披露している。
日本テレビ「あの人は今」にも出演した。


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デンマンさんはボインな女の子が好みなのでござ~♪~ますわね?


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そんな事はありませんよう。 小百合さんは均整の取れた魅力的な肢体を持っているけれど、決してボインではありませんよう。

。。。んで、ラムちゃんのどういうところがイイのでござ~♪~ますか?

健康的なセクシーさがあふれている。何よりもかわゆいでしょう。

。。。んで、恵子さんの親友という女性もラムちゃんのように健康的なセクシーさがあふれていて、かわゆいのでござ~♪~ますか?

そうなのです。 奈緒子さんと言うのだけれど、僕よりは背が低い。 でも、かわゆい感じでムッチリしている。

 

「頭の一女・顔の二女・身体の三女」

 

誰が言い始めたのか知らないけれど、宮城三女の女生徒は、確かに「身体の三女」で見事なプロポーションを持った女性が多いのでしょうね。 恵子さんといい、奈緒子さんといい。。。、“両手に花”とは、この事ではないだろうかと。。。僕は幸運を女神に感謝しましたよう。 うしししし。。。

デンマンさんがちょっと魅力的な女性を見て、馬鹿の一つ覚えのように“女神だ。。。女神だ。。。”とおっしゃるのは、この頃から始まったのでござ~♪~ますわねぇ~。。。

いけませんか?

。。。んで、二人の女性に挟まれながら『ベンハー』をルンルン気分で鑑賞したのでござ~♪~ますか?

ところが。。。、ところが、そのようにはならなかったのですよう。

一体何があったのでござ~♪~ますか? 

あのねぇ~、僕は心ひそかに恵子さんと奈緒子さんの間に座って見られたらいいなあああぁ~♪~。。。そう願っていたのですよう。

つまり、両手に花でござ~♪~ますわね?

うしししし。。。卑弥子さんにも分かりますかぁ~?

。。。んで、その通りになったのでござ~♪~ますか?

ところが、そうはならなかったのです。

多分、恵子さんは分かったのでござ~♪~ますわア。

何が分かったのですか?


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デンマンさんのアイドルがラムちゃんですもの。。。 恵子さんにはデンマンさんが急激に奈緒子さんに接近しようとするのが見えたのですわァ。

あのねぇ~。。。 僕が10代の終わりから20代の前半にかけては、卑弥子さんも驚くほど女性に対して消極的だったのですよう。

そのような事は全く信じられませんわ。

やだなあああぁ~。。。卑弥子さんだって理解しているでしょう! 僕は箱根の強羅(ごうら)温泉に泊まった時だって卑弥子さんと同じ部屋に寝ながら指一本触れなかったのですからねぇ~。

■ 『箱根の強羅(ごうら)温泉で卑弥子さんが

青春の炎を燃え上がらせようとした話』

  【ルート66のフライと小百合さん】 (2007年11月28日)

嗚呼!。。。また、あの。。。、あのォ~、切な~♪~い夜のことを思い出させるのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんが、僕の言う事を全く信じようとしないからですよう!

あたくしは、あの夜、不幸のどん底に投げ込まれたのでござ~♪~ますわ。

分かりました。もうそれ以上、感情的に。。。劇的に。。。過激にならないようにしてくださいね。そろそろ、この記事を締めくくらねばならないのだから。。。

分かりましたわ。それで、何が起こったのでござ~♪~ますか?

『ベンハー』は本当にハラハラ、ドキドキするような素晴しい映画だったのですよう。

ええ、ええ。。。あたくしも DVDで観ましたから良~♪~く分かっておりますわ。それで何が起こったのでござ~♪~ますか?

実は、僕にも恵子さんにも言わなかったのだけれど、奈緒子さんは1週間前に『ベンハー』を観たのですよう。

それで。。。?

僕と恵子さんがハラハラ、ドキドキしながら観ているのに、いい所になると奈緒子さんがベラベラと筋を話してしまうのですよう。

例えば。。。?

その折も折、新総督が事故に

あいそうになる事件が起きたことで、

ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の

濡れ衣をきせられる。

この事故と言うのはベンハーの邸宅の前で起こるのですよう。 新総督の行列がベンハーの家の前を通るのだけれど、その行列を屋上に上がってユダ ベンハーとお母さんと妹の3人で見物するのです。 ところが妹の不注意で手摺(てすり)の瓦を落としてしまう。

それで。。。?

新総督は馬に乗っていたのだけれど、その馬の目の前に落ちる。馬は驚いて棒立ちになって新総督を振り落としてしまう。その衝撃で新総督は意識不明の重態になる。そう言う事を奈緒子さんは、ベラベラしゃべってしまうのですよう。

ねえ、ねえ、ねえ。。。あのテスリの瓦がおちるのよう。。。

ああああ。。。落ちたわァ~

。。。んで、新総督は意識不明になって。。。

それがもとで、ベンハーも、お母さんも妹も

牢屋に入れられてしまうのよう。 可哀想にィ~

デンマンさんが“黙れ!”と言えばいいじゃありませんかア!

言えませんよう。

どうしてでござ~♪~ますかァ?


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奈緒子さんは、僕のアイドルのラムちゃんにそっくりなんですよう。

つまり、デンマンさんは奈緒子さんに嫌われないように黙っていたのですか?

僕だけじゃないですよう。。。 前列に座っていた20代の会社員風の男が、ムカついて振り向いたのですよう。 かなり頭に来たように奈緒子さんを睨(にら)んだ。 この男なら何か言いそうだなと僕も思った。 だから、僕の代わりに言ってくれ、と僕も祈るような気持ちで期待したのですよう。 うへへへへ。。。

。。。んで、ムカついたその男は奈緒子さんに“黙れ!”と怒鳴(どな)ったのでござ~♪~ますか?

ところが、ビックリして口をポケーと開けて、しばらく見とれてしまった。

マジで。。。?

僕も半分可笑しくなったり呆れたり。。。 でも、その男の気持ちが手に取るように分かりましたよう。

それで、その男は何も言わなかったのでござ~♪~ますか?

何も言えませんよう! んもおおおォ~♪~。。。 “一目惚れ”ってのがあるでしょう?。。。 その男も奈緒子さんがラムちゃんにそっくりなのに驚いたのですよう。。。つうかァ~、とんでもない美人を生まれて初めて目にしたように、コロッと表情が変わるほどに奈緒子さんに惹かれてしまったのですよう。

それで。。。?

暗闇に目が慣れているとは言え、映画館の中だから、はっきりと見えるわけじゃない。 5分ぐらいしたら、本物のラムちゃんかどうか? どうしても気になるらしくて、また振り向いているのですよう。

それで。。。?

奈緒子さんも映画の筋をベラベラしゃべりっぱなしだから、多少気になっていたんでしょうねぇ~。。。

奈緒子さんも、その男の人に文句を言われると思ったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。 それで、半分照れるような。。。半分謝(あやま)るような。。。泣き笑いのような、崩れた笑いを浮かべたのですよう。

。。。んで?

かわゆい女の子が笑ったものだから、崩れた笑いにしろ、泣き笑いにしろ、“一目惚れ”した男の目には、心に染み込むような素晴しい笑顔に映ったらしいのですよう。 その男は、少しオツムが足りないところがあったようですよう。 奈緒子さんに好意をもたれたと勘違いしてニッコリ笑い返しているんですよう。

それで。。。?

馬鹿な男が居るものだと思って、僕は呆れましたよう。

。。。んで、それからも奈緒子さんは、いい所に差し掛かると筋をべれべらしゃべってしまったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。 でも、そのうち誰もがシーンと静まるような場面に差し掛かった。

どの場面でござ~♪~ますか?

次のシーンですよう。

涙なくしては見られないシーン


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やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。

激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。

【ネタバレ注意!】

瀕死のメッサーラは、最後の力を振り絞ってベンハーに言うのだった。
オマエの母親と妹は死んだんじゃない。
犬が喰うようなエサを食べて長いこと地下牢で生きていた。
オマエが帰ってくるまでずうっとだ。

オマエが司令官の養子になって帰ってきたので
俺はビックリして部下にオマエの母親と妹がまだ生きているかどうか調べさせた。
どうなったと思う?
ライ病にかかっていたよう!
とても見られないほど顔が崩れていたと、部下が言ってたでぇ~。
まるでお化けだとよう。。。(苦痛の中の嘲笑)

オマエは俺に勝ったつもりだろうが、そうじゃない。
オマエは、これから俺以上に苦しむのさ。
俺はこれでおしまいだ。
でも、オマエの苦しみはこれから始まるのだ。

よく聞け!
オマエの母親と妹は町外れのライ病者の番外地で生きている。
廃人になって。。。お化けになって。。。
うふふふふ。。。

ベンハー!よく聞け!
これから苦しめ!
俺以上に苦しめ!

死ぬ前に、これだけオマエに言っておきたかった。
あばよ。
地獄で会おうぜ。。。

メッサーラから死ぬ前に会いたいと言う伝言を聞いたとき、
彼から謝罪の言葉を期待していたベンハーにとって、
彼の衝撃の言葉はベンハーを打ちのめした。

彼は苦悩した結果、ライ病に冒される危険を犯して
ライ病者の番外地へ行くことに決心した。
一目でもいいから母親と妹に会いたかった。

ある日、ベンハーはおぞましいライ病者の間を
母親と妹を探してさまよっていた。
その時、パンと果物を入れたカゴを持ってやって来るエスター(Esther)に偶然出くわすのだった。

 


(esther01.jpg)

 

もちろん、彼の母親と妹を世話するためだった。
エスターは死の病にかかる事を承知で、もう長いこと彼の母親と妹の面倒を見ていたのだった。

ベンハーは、母親と妹の元へ連れて行ってくれと頼む。
エスターはそれだけはできないと断わる。

“「もう死んだものと諦めてもらっていた方がいいのよ。このように変わり果てた姿を息子に見せる事は、さらに悲しみを与える事になるだけだわ」
お母様はそのように語って、あなたに会う事をかたくなに拒んだのよう。”

分かった。姿は見ないから、せめて声だけでも聞きたい。
そう言ってベンハーはさらにエスターに頼み込んだ。

「では、声だけね」
そういう条件でエスターは、しぶしぶ母親と妹の暮らす洞窟に連れて行くのだった。

「いつも悪いわねぇ。それで、息子は元気にしているの?。。。そう、良かったわ。一目でもいいから会いたいわ。でも、こんな姿になっては、とても会う勇気が湧かないわ。あの子がさらに苦しむのが見えるから。。。」

映画の中のベンハーは、この母親の言葉を聞いて、それ以上聞く事に耐えられず涙ながらに洞窟から抜け出すのですよう。そうしたら、奈緒子さんが感極まって泣き出すのですよう。んも~~。。。もちろん、ワンワン泣くわけじゃないけれど、前列のあの男が振り向くほどに声を出して泣くのですよう。

デンマンさんは。。。?

もちろん、僕だってビデオを一人だけで見ていれば声を出してまでは泣かないけれど、涙をあふれさせて観ていたでしょうね。 僕は、その時グッと涙をこらえていましたよう。 確かに感動的で、もらい泣きするような場面だったのですよう。

それで。。。?

あの男も涙ぐみながら奈緒子さんの様子を振り返ったままで、じっと見ているのですよう。

デンマンさんは。。。?

その二人の様子を見ていたら、呆れたというか可笑しいというか。。。 映画を見た感動が半減しましたよう。。。とにかく、奈緒子さんには半分呆れたり、半分感心させられたり。。。

どうして。。。?

どうしてってぇ。。。さんざしゃべり続けて、静かになったと思ったら、今度は泣き出すのですよう。 しかも馬鹿な会社員の男が振り向いて、涙を浮かべながら、まるで奈緒子さんを慰めるように見つめているのですよう。 僕はもう、半分呆れて、馬鹿馬鹿しくなってきましたよう。

それで、奈緒子さんのどういう所に感心したのでござ~♪~ますか?

同じ映画を2度目に観て、あれだけ感極まって泣けるのだから大したものだと思ってねぇ~。。。 人の痛みに共感するというか。。。 感受性が豊かな女の子だと思ったのですよう。

それで、恵子さんは。。。?

恵子さんも僕も半分白けていましたよう。 馬鹿な会社員が涙を浮かべて、ずうっと奈緒子さんを見つめている姿は、白けないで見ていられませんよう。

恵子さんもマジで白けていたのでござ~♪~ますか?

涙を浮かべて奈緒子さんを振り返ったまま見つめている馬鹿な会社員を見ながら、恵子さんは笑いをこらえていましたよう。

それで。。。?

だからねぇ、その時以来、僕は映画を見るのは一人で観ることに決めたのですよう。

でも、ブルックリンでは、マリアさんとアンナさんの3人で『エマニエル夫人』を観たとおっしゃいましたわよう。

それは例外です。 「例外の無い法則は無い」、と言うほどですからね。。。何事にも例外はあるものですよう。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、どう思いますか?

ブルックリンで、デンマンさんがマリアさんとアンナさんの3人で『エマニエル夫人』を観たというエピソードも馬鹿バカしくて面白いのでござ~ますわァ。。。

古い記事なので写真が全滅して出てこないのです。。。

そのうちデンマンさんが更新すると思いますわァ。。。

検索エンジンで「デンマン マリア アンナ エマニエル夫人」と入れて検索すれば、けっこう沢山の記事が出てきます。

でも、写真が全く表示されません。。。

文字を読むだけでも面白いですわ。。。

ところで、現代のお話も面白いですけれど、

たまには、むかし、むかしのお話も読んでくださいませぇ~。。。

あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)

車掌さんの松島音頭

2017年6月13日

 

車掌さんの松島音頭

 


(mondo02.jpg)


(kato3.gif)

デンマンです。。。 お元気ですか?
僕が記事を投稿するのは たいていバンクーバー時間でお昼頃になります。

投稿する前日に 草稿を書き終えており、
バンクーバー図書館は午前10時が開館なので、
その頃、パソコンに向かうと 先ず前日に書いた草稿を読み始めるわけです。。。

誤字や脱字を直しながら、
一通り読み終えると、
プレヴューで記事を読みながらリンクが正しく表示されるかをチェックします。

推敲して、特に誤りがなければ、投稿します。

それから Denman Blog のアクセス解析を見ることになります。

例えば、日本時間で6月10日ならば、次のような画面が表示されます。


(wp70610a.png)

『拡大する』

この時 日本時間では6月10日の午前4時27分になっていますが、
バンクーバー時間は、夏時間では16時間遅れているので9日の午後12時27分です。。。

だいたい、この頃 記事を投稿し終わって、ソフトカメラで画面を撮ることになります。
上の画面を見て、僕は『車掌さんが歌った松島音頭』に目が留まったのです。

バスガイドでも観光ガイドでもないのに国鉄の車掌さんが車内のマイクを使って『松島音頭』を歌う。
50才ぐらいの男の声でした。
決して歌がうまい訳ではない。
でも歌い慣れているのを感じました。

しかし、NHKの喉自慢に出ても合格の鐘はならなかったでしょうね。
ただし、そのサービス精神の旺盛な事には驚かされました。

僕も旅行が好きですから、日本のあちらこちらを旅行しましたが、
国鉄の車掌さんが車内のマイクを使って歌うのを聞いたのは、それが初めてで最後でしたね。

ところで、『松島音頭』の歌詞を調べたら、なんと北原白秋が書いたのですよ。
作曲が山田耕筰です。
知りませんでしたね。

 

松島音頭 北原白秋


(5daidou.jpg)

 

松は松しま、

磯馴の松の

松のねかたに、桔梗が咲いた。

  見たよ、見ました、

      一もと桔梗。

  や、ほうれ、ほうい

   舟ばたたゝいて

  や、ほうれ、ほうい。


『d-score 楽譜 – 松島音頭』より


(matsu456.jpg)

急に、懐かしさが込み上げてきて、その当時の車内の情景、車外の情景がありありと思い浮かんできました。
車掌さんが歌い始めて、まもなくしてJR仙石線の松島海岸駅に着いたのでした。

電車から降りると、度肝(どぎも)を抜かれるような駅内放送がありました。
なんと、駅員さんがマイクで次のように放送したのです!

 

落ちる人が死んでから

乗ってけーさい

 

もちろん、僕の耳には、そのように聞こえたのですが
地元の人には次のように聞こえたはずです。。。

 

“落ツ(降り)る人が済(スィ)んでから

乗ってけーさい(ください)”

 

仙台地方の方言に慣れてない僕の耳には
「電車から落ちて死んだ人を見定めてから電車に乗ってください」

そんな風にかんぐってしまったのですよ。。。 (モナリザの爆笑)

 


(monalaugh.jpg)

 


(fukiage7.jpg)

 

どうですか?
あなたも温泉につかって
さっぱりして、身も心も癒されたいと思いませんか?
上の写真は滝つぼで泳いでいる訳ではないのですよ。

これ、温泉なんです。
自然のお湯が流れているのですよ。
驚きでしょう?
ちょっと温(ぬる)めですけれどね。。。

でも、立派な露天風呂です。
宮城県鬼首(おにこうべ)温泉郷、吹上温泉の旅館峯雲閣にある湯滝です。
男女混浴の露天風呂なんですよ。

仙台からそう遠くありません。
宮城県大崎市にあります。

鳴子温泉郷とも呼ばれます。
陸羽東線鳴子温泉駅よりバスで約30分で着きます。

この温泉については次の記事で書きました。

■ 『七夕の起こりって? (2007年7月7日)』

興味があったら読んでみてください。

でも、仙台と聞いてすぐに思い浮かぶのはやっぱり松島でしょうね。

“松島や ああ松島や 松島や”


(matsu2.jpg)

 

松島湾内外にある大小260余りの小さな島が奇妙な形を見せてあなたの目を楽しませてくれるのですよ。
日本三景の1つだから、あなただって名前だけは聞いたことがあるでしょう?
芭蕉もこの地を訪れたのですよ。

あまりにも素晴しい景色を前にして芭蕉は俳句が浮かんでこない。
それで、思い余ってその感激を上の句として書いたということを僕は中学校の国語の時間に聞いた覚えがあるのですよ。


(matsu-map2.gif)


(niou3.jpg)

     仁王島

 

でもね、上の俳句は芭蕉が作ったのではないらしいのですよ。
実は、僕もこの記事を書く前まで知らなかったのですよ。
でも、念のために調べたら次のように書いてあるじゃないですか!

 


(basho3.jpg)

 

松尾芭蕉が『奥の細道』で松島を訪れた際に、あまりに絶景なので句が浮かばず、
「松島やああ松島や松島や」と詠んだという逸話があるが、
この川柳は後世の狂歌師田原坊の作で、芭蕉の作ではないとされる。

ただし、その場で句が思い浮かばなかったのは事実らしく、
『奥の細道』には、同行した弟子の河合曾良の次の句が掲載されている。

「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」

また別の説では、句は詠んだが景色に釣り合うよいものができなかったともいわれる。

アインシュタインが訪れた際に同行者に次のように言ったと伝えられている。

「どんな名工の技も、この美しさを残すことはできない」


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

実は、あの有名なアインシュタインが松島を訪れていたのですよ。

1922年(大正11年)12月3日のことでした。

アインシュタインは月見をするため松島を訪れたのです。


(einstein90.gif)


(sentrain01.jpg)


(godaido88.jpg)

東北本線で仙台駅から(初代)松島駅に到着し、

松島電車(路面電車)に乗り換えて

五大堂前電停に着いたのは午後4時を過ぎた頃で、

すでに十三夜の月が上っていたそうです。

それを見たアインシュタインは、

「おお月が…おお月が…」と言ったまま絶句したというのです。


(moon77.jpg)

その後、気持ちが落ち着いた時に言ったのです。

「どんな名工の技も、この美しさを残すことはできない」

それほど松島は素晴らしいということです。

あなたは、松島に出かけたことがありますか?

一生に一度は訪れてみるだけの価値がありますよ。

アインシュタインも芭蕉も、そのすばらしい景色に感動したのでした。

【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

わたしも松島に行ったことがありますわ。

やはり、ちょっと他の国では見かけないようなすばらしい景色ですよねぇ~。。。


(matsu3kei2.jpg)

どうですか?

まだ松島に行ったことがない人は行きたくなったでしょう!?

時間を作ってぜひ行ってみてくださいね。

では、また。。。


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芭蕉と遊女再び

2017年6月7日

 

芭蕉と遊女再び

 


(basho113.jpg)


(basho110.jpg)


(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 芭蕉と遊女のことを再び取り上げるのでござ~ますか?


(kato3.gif)

そうです。。。 いけませんか?

なぜ、また取り上げる気になったのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、大阪市に住んでいる奥野 美智子さんが『芭蕉と遊女の出会い』を読んだのですよ。。。

その証拠でもあるのでござ~ますかァ?

もちろんです。。。 次のリストを見てください。。。


(liv70606a4.png)


『拡大する』

『芭蕉と遊女の出会い』

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で6月5日の午後5時48分から6月6日の午前2時16分までの約8時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しい。。。

あらっ。。。 6月5日の午後7時29分にGOOGLEで検索して『芭蕉と遊女の出会い』を読んだのですわねぇ~。。。

そうです。。。 次のように検索したのですよ。。。


(gog70606d.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

あらっ。。。「芭蕉 遊女 出会い」と入れて検索したのですわねぇ~。。。 

そうです。。。 9,040件ヒットする内のトップに 僕が2014年4月24日に投稿した『芭蕉と遊女の出会い』が出てくるのですよ。 

ちょっと、できすぎているのではござ~ませんかァ!?

信じられないのだったら、卑弥子さんも上のリンクをクリックして現時点での検索結果を確認してください。。。

でも。。。、でも。。。、どういうわけで大阪市に住んでいる奥野 美智子さんが『芭蕉と遊女の出会い』を読んだと特定できたのでござ~ますかァ?

IPアドレスを調べたのです。。。


(ip140167b.png)

『拡大する』

IPアドレスを調べてもプライバシーを保護するためにアクセスしたネット市民の名前まではゲットできないようになっているのですわァ~。。。

もちろん、僕もそのことは知ってますよ。。。 奥野 美智子さん上の記事を読んで疑問が解決したので、嬉しくなって「ありがとうございました」とメールを書いてくれたのですよ。。。

マジで。。。?

卑弥子さんは信じられないのですかァ~。。。

だってぇ、できすぎているではござ~ませんかァ!?

とにかく、あまり厳しいツッコミを入れないで素直に僕の話を聞いてくれませんかァ~。。。

デンマンさんが そのようにおっしゃるならば とやかく穿鑿(せんさく)いたしませんわァ。。。 で、奥野 美智子さんは、どのような疑問を解決したと おっしゃるのですかァ~?

卑弥子さんは知ってるはずですよ。。。 忘れてしまったのですかァ~? かつて僕と次のように語り合ったのです。。。


(jbeauty7.gif)

ほんのちょっとした事でもおそろしい事はあるものです。

ほんのちょっとした、たとえば「も」が「と」とかわっただけでももう全部の意味ばかりでなく、芭蕉といった様な大人物まで、もう一度考え直してみなければならなくなるのはおそろしい事です。

一つ家に遊女も寝たり萩と月

その「遊女も」を「遊女と」と直したら、忽ち人生観まで変わってしまいます。

この一句の意味は、華やかな花の様な存在も世の中にはあるだろうが、自分は淋しい秋を友として生きている、遊女は見えずただ萩と月がある、それでもそういう色々の物が一緒にまじって暮らしているのが世の中というものだ、と云えば云える様な、孤独のあきらめがにじみ出ています。

が、もしミスプリントで、「遊女と」になっていたら、萩も月も、狸までうかれ出て、芭蕉と一緒に狂っている様なお祭気分になってしまいます。

おかしなものです。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


34ページ 『たしなみについて』
著者: 白洲正子
2013年10月10日 第8刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社

 

つまり、上の小文を読んでデンマンさんは芭蕉が遊女と一つ屋根の下で寝ただろうと言うのでござ~ますか?

そのとおりですよう。

でも、そうであったなら、白洲正子さんが言っているように芭蕉の人生観を見直さねばならなくなるのですわ。 しかも、もし芭蕉が遊女と一つ屋根の下で寝たとしたら、萩も月も、狸までうかれ出て、芭蕉と一緒に狂っている様なお祭気分になってしまうと、言っているのでござ~ますわァ。

あれっ。。。 卑弥子さんも、そう思うのですか?

だってぇ、俳人の芭蕉さんが遊女と狸と一緒になってお祭気分で踊りだすなんて考えられないですわ。

でもねぇ~、「遊女も」という元のままの俳句を解釈しても、僕には「遊女は見えずただ萩と月がある」とは考えられない! 「一つ家に遊女も寝」ているとしか考えられないのですよ。

でも、それでは、白洲正子さんが言っているように芭蕉が遊女と狸と一緒に踊りだしてしまうのですわ。

だから、それが白洲正子さんの独断と偏見なのですよ。 たとえ遊女と一つ屋根の下に寝たからといって、ただそれだけの事を針小棒大に解釈して、芭蕉が凡人のように遊女と狸と一緒に踊りだし、下らない人間になりさがってしまうとは思えない。

つまり、デンマンさんは、どうしても、芭蕉が遊女と一つ屋根の下で寝たとしか考えられないのでござ~ますか?

あのねぇ~、卑弥子さんも、もう一度じっくりと俳句を味わいながら読んでみてください。

一つ家に遊女も寝たり萩と月

どのように読んだとしても、一つ家に遊女も寝たのですよ。 そうじゃなければ、「遊女」を持ち出した意味がない! 

だってぇ~、それだと芭蕉は“スケベじいさん”になってしまうのですわァ。

あのねぇ~、もしもですよゥ、“スケベじいさん”を描くのであれば、次のような俳句になるのですよ。

一つ褥(しとね)遊女も寝たり萩と月

「褥」とは「布団」あるいは「寝床」の意味ですよ。 このような句であれば、当然、芭蕉がスケベ心を起こして遊女と寝たかもしれない。 でもねぇ~、「一つ褥」じゃなくて「一つ家」になっている。 遊女と芭蕉の間にはかなりの距離があるのですよ。 要するに一つ家の中でも一緒の布団に寝たわけじゃない。

そうだとして、それでは、デンマンさんは どのような情景を思い浮かべるのですか?

だから、次のようなやり取りが芭蕉と遊女の間に交わされたのですよ。


(basho112c.jpg)

芭蕉: 旅のものですが、どうやら道に迷ってしまったらしく、もうすぐ日が暮れます。 宿を探すにも、どうもこの辺りには一軒もそれらしいものは見当たらず、探しあぐねていたら、この草庵を見かけたというわけです。

遊女: そうでございますか。。。 それはお困りでしょう。

芭蕉: もし差し支えなければ、今夜、軒下でもお借りして夜露をしのぎたいと思うのですが、ご拝借できるでしょうか?

遊女: 軒下では、夜露をしのぐにも ご不自由しますもの。。。 むさくるしい草庵ではございますが、宜しければ どうぞおあがりくださいませ。。。

芭蕉: しかし、それではあまりにも不躾(ぶしつけ)と言うもの。。。 旅は慣れておりますので、軒下で結構でございます。

遊女: いえいえ、お見かけすれば、お年を召しておられますし、軒下では寒さもきびしゅうございます。。。お風邪を召したら、この先、長旅はきびしゅうございます。 “袖振り合うも他生の縁”と申します。 どうそ、ご遠慮なさらずにおあがりくださいませ。

芭蕉: しかし、このような老体(ろうたい)が上がりこんでは、ご家族に迷惑をかけるというもの。。。

遊女: こう申しては何ですが、あたくしは囲われ者。。。、主人は留守をしております。 独り者ゆえ、他の誰にも気兼ねはご無用でございます。 何もおもてなしはできませぬが、夜露をしのぐには、このあばら家も充分にお役に立つことと存じます。 さあ、どうぞ ご遠慮なさらずにおあがりくださいませ。。。

芭蕉も、この遊女の親切に甘えて草庵に上がらせてもらったわけですよ。

それで一つのお布団に一緒に寝たのでござ~ますか?

やだなあああァ~。。。 それじゃあ、“スケベじじい”が狸と遊女と一緒になって踊ってしまって俳句にならないのですよ。 そうじゃなくて、粗末な草庵だけれども、ちゃんと衣文掛(えもんか)けかなんかで芭蕉の爺さんとはちゃんと仕切りを設けたのですよ。


(emon02.png)


(emon03.jpg)

つまり、別々に寝たのでござ~ますか?

当然でしょう! この遊女は卑弥子さんのように積極的ではなかったのですよう!

あらっ。。。 あたくしは、それほど積極的でしょうかしら!

何を言っているのですか? 卑弥子さんは、もう忘れてしまったのですか? 次のような事があったのを思いだしてくださいよ。


『芭蕉と遊女の出会い』より
(2014年4月24日)

あらっ。。。 きわどい所で打ち切ってしまったのですわねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。

これ以上長く引用する必要はないのですよ。。。 あのねぇ~、僕は 思ったのだけれど、白洲正子さんは原典を読んでいないのではないか? ここまで読み返して そう感じたのです。。。

そのような無責任な事はしないと思いますわァ~。。。 白洲正子さんは「も」が「と」とかわっただけでももう全部の意味ばかりでなく、芭蕉といった様な大人物まで、もう一度考え直してみなければならなくなる、と言いたかっただけですわァ~。
 
実は、僕も上の記事を書く時には原典を読んでいなかったのです。。。 だから、上の芭蕉と遊女の対話になったのですよ。。。 もし白洲正子さんが原典を読んでいたら、芭蕉と遊女が一つ屋根の下に居たことがすぐに読み取れるのです。。。

つまり、最近 デンマンさんは原典を読んだのでござ~ますかァ?

そうなのです。。。 原典じゃないけれど、原典に近いものを読んだ。。。 それには次のように書いてあった。

一振


(basho81.jpg)

 

今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云う北国一の難所を越えてつかれ侍れば、枕引きよせて寝たるに、一間隔(へだ)て面(おもて)の方に、若き女の声二人ばかりときこゆ

年老いたるおのこの声も交(まじ)りて物語するをきけば、越後の国 新潟と云う所の遊女なりし

伊勢参宮するとて、この関までおのこの送りて、あすは故郷(ふるさと)にかえす文(ふみ)したためて、はかなき言伝(ことづて)などしやるなり。

白浪(しらなみ)のよする汀(なぎさ)に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下(くだ)りて、定めなき契(ちぎ)り、日々の業因(ごういん)、いかにつたなしと、物云うをきくきく寝入りて、あした旅立つに、我々にむかいて、

「行方(ゆくえ)しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なく悲しくはべれば、見えがくれにも御跡(おんあと)をしたいはべらん。 衣の上の御情(おんなさけ)に大慈(だいじ)のめぐみをたれて結縁(けちえん)せさせたまえ」

……と、泪を落とす。

不便(ふびん)の事にははべれども、

「我々は所々にてとどまる方(かた)おおし。 只人の行くにまかせて行くべし。 神明の加護、かならず恙(つつが)なかるべし」

……と、云い捨て出(いで)つつ、哀(あわ)れさしばらくやまざりけらし。


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一家(ひとつや)に

遊女もねたり

萩と月

 

曾良にかたれば、書きとどめ侍る。


Today we passed through the most dangerous places in the north country, known as “Parents Forget Their Children,” “Children Forget Their Parents,” “Dogs Turn Back,” and “Horses Return.”

I was so exhausted that I drew my pillow to me and lay down as soon as we reached an inn.

I could hear the voices of young women, probably two of them, talking in a room one removed from ours at the front of the house.

The voivce of an old man also took part in the conversation.

I gathered from what they were saying that the women were prostitutes from Niigata in Echigo Province.

They were on their way to worship at the shrine in Ise, and the man had escorted them here, as far as the Barrier of Ichifuri.

They would be sending him back the next day, and they were giving him letters they had written and trivial little messages to take back with him.

“We have wandered over the shores washed by the white waves.

Like fisherwomen, we have dived to the depths of this world.

What terrible karma accounts for our inconstant vows, the sins we have daily committed? We are wretched indeed…”

These were the last words I heard before falling asleep.

The next morning, when we were about to start out, the two women approached us, saying, “We feel so uneasy and depressed at the thought of the difficulties that may await us on the way to an unfamiliar place that we would like to folow behind you, even if out of sight.

Grant us this great favor, you who wear the habit of priests, and help us to attain the way of the Buddha.”

They were in tears.

I answered, “I feel sorry for you, but we must stop at a great many places.

You’de better go along with some ordinary travellers.

You will be under the protection of the gods. I am sure no harm will come to you.”

There were my parting words, but for a time I could not shake off my pity for them.


(basho82.jpg)

 

Under the same roof

Prostitutes were sleeeping

The moon and clover.

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


130-131ページ 『おくのほそ道』
著者: ドナルド・キーン 挿絵(切り絵): 宮田雅之
1997年2月1日 第2刷発行
発行所: 講談社インターナショナル株式会社

あらっ。。。 これは『奥の細道』をドナルド・キーンさんが英語に訳したのですわねぇ~。。。

そうです。。。 挿絵として宮田雅之さんの切り絵が貼ってあってぇ、なかなか読み応え、見応えのある本になっているのですよ。。。で、これを読めば二人の遊女と芭蕉は一間隔(へだ)てた隣の部屋同士だったということが解る。。。 つまり、部屋は違っていても、間違いなく一つ屋根の下で一夜を過ごしたのですよ。。。 つまり、芭蕉と遊女は一夜の宿をともにしたのです。 一つの布団に寝たわけではなかったけれど、一つ屋根の下で夜をすごしたのです。 要するに二人の間に何らかの会話がない限り、句の中に遊女を持ち出す意味がない!

白洲正子さんが解釈したような「遊女は見えずただ萩と月がある」ということではなく、遊女との会話のかなに芭蕉は何か心に残るものを感じたのでござ~ますかァ?

そうですよ。 それは上の小文を読めば明らかです。。。 新潟から伊勢に詣でるという隣室の遊女から「旅の道連れにしてくれないか」と頼み込まれる。 ただそれだけの事ではないはずです。。。 上の小文を読むと、芭蕉は明らかに遊女たちの身の上に 哀れと同情を感じている。。。 その余韻が芭蕉に上の句を作らせたのですよ。 僕は、そう思いますねぇ~。


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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。

あなたは、どう思いますか?

元禄7(1694)年5月、芭蕉は寿貞尼の息子である次郎兵衛を連れて江戸を発ち、伊賀上野へ向かいました。

途中大井川の増水で島田に足止めにあいます。

その後湖南や京都へ行き、7月には伊賀上野へ戻りました。

9月になって奈良そして生駒暗峠を経て大坂へ赴きました。

大坂行きの目的は、門人の之道と珍碩の二人が不仲となり、その間を取り持つためだったそうです。

当初は若い珍碩の家に留まり諭しましたが、彼は受け入れず失踪してしまうのござ~ますわ。

この心労が健康に障ったとも言われ、体調を崩した芭蕉は之道の家に移ったものの10日夜に発熱と頭痛を訴えます。

20日には回復して俳席にも現れましたが、29日夜に下痢が酷くなって伏し、容態は悪化の一途を辿ります。

10月5日に御堂筋の花屋仁左衛門の貸座敷に移り、門人たちの看病を受けました。

8日、「病中吟」と称して次の有名な句を詠みます。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る


(basho120c.jpg)

上の句が事実上最後の俳諧となりました。

病の床で芭蕉は推敲し「なほかけ廻る夢心」や「枯野を廻るゆめ心」とすべきかと思案したそうです。

10日には遺書を書きました。

そして12日申の刻(午前4時頃)、松尾芭蕉は息を引き取ったのでござ~ます。

13日、遺骸は陸路で近江義仲寺に運ばれ、翌日には遺言に従って木曾義仲の墓の隣に葬られたそうです。

焼香に駆けつけた門人は80名。

300余名が会葬に来たということでござ~ますう。


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芭蕉さんのために、このきれいな古代蓮を お墓に捧げますわ。

ほんとうにきれいでしょう!?

2000年の眠りから覚めて咲き出した お花ですわァ。

古代蓮もいいですけれど、たまには古代の日本についても考えてくださいまし。

あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

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藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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